味な話の素  Since 2003/04/29 
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No.121 2013年05月号 3774-3815
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記憶の人になる秘訣 2013/05/31 Fri 3815
 Managementを〝管理〟ではなく〝経営〟だと考える。あるいは〝管理〟から〝経営〟へ頭を切り換える。これはあらゆる組織のリーダーが基本にすべきことです。そして、それが組織を活性化するためのリーダーシップそのものなのです。
 ところで、子どもは教師も含めて大人たちの行動やことばをしっかり見聞きしています。私は先生方が参加される講演会や研究会に出かけることがあります。その際に笑いながら言っています。〝教師として、子どもたちに自分のことをいつまでも憶えていてもらいたいと思いますか。もしそうなら、飛び切りすばらしいことをするか、しっかりひどいことをするといいですよ〟と。この話をするとき、私の頭の中にはいつも3人の先生がいるのです。
 そのお一人は小学4年生から6年生まで担任をしていただいたHS先生です。それはある日のこと、5年生だったでしょうか。先生が子どもたちに問いかけました。〝みんなは女の人がつま先立つような靴を履いて歩いているのを見たことがあるだろう。あの靴をハイヒールというんだけど、どうしてそんな呼び方をするのか知ってるかい?〟。それはまだ敗戦後十数年しか経過していない1950年代末のことでした。子どもたちの多くは世の中に英語が理解できる人などまるでいないと信じていたはずです。〝そんなの知ってるわけないよね〟という顔をしている子どもたちに先生は得意げに解説をしたのです。〝英語で丘のことを「ヒル」って言うんだよ。そして「ハイ」は高いって意味だ。女の人の靴もかかとが丘のように高くなっているだろう。だから「ハイ・ヒール」、つまりは「高い丘」ということになったんだ…〟。このとき教室にいた60人もの子どもたちの間に感動の波が広がりました。
 
〝管理〟と〝経営〟 2013/05/30 Thu 3814
 いま、教育は大きな問題を抱えています。しかし、これまでにも教育は大きな問題を抱えてきました。そして、教育はこれからも大きな問題に直面し、課題を背負い続けていくのです。いや、教育は〝そうあるべき〟なのです。教育に〝これでいい〟という終わりなどあってはいけません。教育で〝もう問題はない、これしかない〟という結論が出たときは、私たちの感受性が鈍っていると思った方がいいのです。あるいは、自分たちの成長が止まったと認識すべきでしょう。教師にとって、いつも問題を発見し、その解決のためにチャレンジし続けることこそが仕事なのです。
 もちろん教師は学校という組織に所属しています。その組織が健康でなければ教師一人ひとりの活動にも支障が出てきます。そこで重要になるのが校長をはじめとした管理職の姿勢や行動です。英語の〝management〟は〝管理〟とも〝経営〟とも訳されます。日本語では〝管理〟は〝コントロールする〟というニュアンスが感じられます。これに対して〝経営〟は、〝広い視野に立って組織を上手に運営し、まとめていく〟といった意味合いをもっています。これは学校に限ったことではありませんが、そもそも組織には、単なる〝コントロール〟ではなく、メンバーの立場や気持ちも踏まえた〝経営〟が求められているのです。それこそが組織における管理者のリーダーシップだということです。
 ところで、〝学級経営〟ということばは教育界では常用語になっています。つまりは学校長に限らず、すべての教師が〝学級〟を〝経営する〟ことが期待されているのです。しかし、体罰の問題などを聞くたびに、そうした教師は〝経営〟ではなく、子どもたちを〝コントロール〟するという意識が強そうに思えてきます。
奇跡の三連ちゃん 2013/05/29 Wed 3813
 長男が通った幼稚園の跡地のあたりで家内と私は車の中で〝懐かしいなあ〟といった感じの話をしたのです。そこを通るのは久しぶりでした。ところが、ところがです。それから1分も経過していなかったはずです。少しでも早く家内の目的地に到達しようと、幅広い道路から裏道に入った瞬間でした。目の前に止まっているマイクロバスを見てびっくり仰天しました。もうおわかりでしょう。何と、それは息子が通っていた幼稚園の送迎バスだったのです!家内も私も思わず声を挙げてしまいました。本当にこんなことがあるのですね。私がこれを直ちに〝奇跡〟として認定したことは言うまでもありません。
 みなさん、しょっちゅう〝奇跡〟に 遭遇できると楽しいものです。私は家内を送ってから放送大学に向かいました。その日は面接授業の日だったのです。そしてここでも〝奇跡〟が起きてしまうのですから、もう堪りませーん!私のプロフィールには〝鹿児島女子短期大学を経て〟という文言を入れています。詳細はカットしますが、私が若いころにお世話になったお礼の気持ちを込めているつもりです。じつはそんな自己紹介をしたのですが、放送大学の受講者の中に〝鹿児島女子短期大学〟を卒業された方がいらっしゃったんです。しかも学科が違うのでしっかりご存じだというわけではないのですが、何と在学期間が私の在職時と重なっていたんです。私は1年半しかいませんでしたから、やはり〝奇跡〟としか言いようがありません。
 ところで、私はパイロットに関わるネタ話をもっています。それを講義で使ったのですが、受講後のレポートに〝私の職業はパイロットです〟と書かれた方がいらっしゃって、またまたビックリ仰天!これぞ〝放送大学〟ならではの〝奇跡〟ですね。
〝新〟奇跡物語 2013/05/28 Tue 3812
 大辞林で〝常識〟を確認してみました。〝じょう‐しき【常識】一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力〟という説明がされています。そのあとに〝 common senseの訳語として明治時代から普及〟との解説も付いていました。これを見ると、私たちの国では大昔から〝常識〟という発想があったのではないんですね。その理由を詮索しはじめると、また終わらなくなりますので、それは止めときましょう。いつか思い出したらご一緒に考えることにします。
 ともあれ、〝奇跡〟は〝起きることは起きる〟のです。そうでなければ、〝奇跡〟ということばそのものが存在しませんよね。それでは、その起きる確率が何パーセント以下だったら奇跡と言うのでしょうか。まあ、〝奇跡〟を厳密な数値で定義するなんてのも意味がありませんね。私としては、当事者が〝これは奇跡だ〟と確信すれば、それでいいじゃないかと、かなりラフに考えるのですがいかがでしょうか。そして〝奇跡〟の話を聞いた人が〝そんなもんを奇跡なんて、おかしいじゃん〟と笑うようであれば、それもよしということにしましょう。
 さて、私の〝新しい奇跡〟のお話です。つい先だってのことですが、出勤の途上で家内をあるところへ送っていきました。その道すがらに、たまたまですが長男が通っていた幼稚園の跡を通ったのです。その幼稚園は息子が入園して間もなく移転して、跡地にはマンションが建っています。私と家内の間で、〝ああ、なつかしいなあ。はじめて連れてきたときはここだったね〟といった、ごく普通の会話が交わされました。私一人のときでも普段はほとんど通ることのないところです。夫婦の間でそんなやりとりがあったのは、まことに自然なことなのでした。
〝有り難い〟奇跡 2013/05/27 Mon 3811
 このごろ私の身の回りでは〝奇跡〟が頻繁に起こります。少し〝起こり過ぎ〟の感がありますので、その度に取りあげていると〝有り難み〟がなくなってしまいそうです。それでも本当に〝起きる〟のですから仕方がありません。
 ところで、〝ありがたい〟ですが、大辞泉を覗いてみたら、まずは吹き出してしまいました。〝1.蟻(あり)が鯛(たい)なら芋虫(いもむし)ゃ鯨〟ですって!これがいの一番に掲げられているのですから、誰だって笑いますよね。何じゃラホイですよ。しかも、〝「ありがたい」の「あり」を蟻に、「たい」を鯛にかけたしゃれ〟だというマジな説明がついているのですから、さらに笑っちゃいましたね。もっとも、これと同じ調子で〝蟻(あり)が十(とお)なら芋虫(いもむし)ゃ二十歳(はたち)〟なんてのもあります。こちらも〝わけわからん〟ですたい。これって、あの寅さんのセリフだったでしょうか。そして、〝しゃれ〟のあとに、〝2.あり‐がた・い【有(り)難い】〟がきて、〝[形][文]ありがた・し[ク]《あることがむずかしい、の意から》1 人の好意などに対して、めったにないことと感謝するさま。2 都合よく事が進んでうれしく思うさま〟だと解説されます。〝有り難い〟ことが起こりすぎるとやっぱり〝有り難み〟がなくなるでしょうか。
 さて、それはちょいと置くことにして、〝奇跡〟の方はどうなっているのでしょうか。ここでも大辞泉を引いてみますと、〝き‐せき【奇跡/奇蹟】1 常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象。2 キリスト教など、宗教で、神の超自然的な働きによって起こる不思議な現象〟と説明されています。こうなると私としては〝常識〟って何なんだろうと思ってしまうわけですね。
母の行動力 2013/05/26 Sun 3810
 昨日、NHKがテレビで時報を流さなくなった理由を書いた新聞記事の話にまでようやく達しました。私の〝趣味〟とも言える〝前書き〟がスタートしたのは先週の土曜日でしたから、目的地まで8日間もかかってしまいました。しかし、それも〝めでたし、めでたし〟で終了したわけです。根気強くお付き合いいただきまして、心から大感謝しております。ということで、それにもかかわらず〝もう1回だけ〟などとはとても言えないとは思います。しかし、この話の途上で取りあげた、私が高校の合格記念として買ってもらった腕時計のことについてどうしても書いておきたいことがあるのです。その時計に関して予期していなかったトラブルが発生したからです。
 そのころ私の父は時計をもたずに通勤していました。その理由は聞いたような気がしますが、内容についての記憶はありません。とにかく、それで不都合がなかったのでしょう。そんな状況の中で、息子の私が時計を手にしたわけです。そこで父としては〝ちょっと貸してくれ〟と言ったのだと思います。新品の時計を腕にはめて職場に出かけて行ったのです。高校の合格発表は3月半ばでした。〝入学式までには時間があるから、ちょっと貸しても不都合はなかろう〟。父としては、その程度の認識だったのでしょう。しかし、子どもの心はそうはいきません。机の上に置いて針が進むのを見ているだけでワクワクするのです。私は、その後も父がはめていくのに文句を言ったはずです。そこで動いたのが母でした。細かい経緯は記憶にないのですが、とにかく〝父の時計〟を買うようなストーリーを創りあげたのでした。母の行動力について、私がしっかり想い出すエピソードの一つです。ともあれ、ここでおしまいにします。
 
〝時報消滅〟のわけ 2013/05/25 Sat 3809
 さて、テレビの時報に関する毎日新聞の〝News Navigator〟は〝なるほどドリ〟という記者に質問するキャラクターのこんな疑問からはじまります。〝NHKの「のど自慢」をテレビとラジオでかけてたんだけど、同じ内容なのにテレビの音が遅れて聞こえたよ…〟。私もまったく同じ経験を別の番組でしたことがあって、〝そうだ、そうだ〟と大いに興味が湧いたわけです。
 これに対する記者の回答から、その理由はテレビがデジタル化したことによることがわかりました。このごろは画像も音声も高品質で、とにかく情報量が多いんですね。これに対応するために、放送局で情報を〝圧縮〟してから電波に乗せているというのです。それを受けた家庭のテレビが〝解凍〟しているんですって。当然のことながら、その処理には時間がかかるわけです。そんなことから、アナログのラジオとの間に数秒の差が生まれてしまいます。しかも地域によって電波を中継する基地の数などが違うため、ズレの大きさも全国一律ではないというのです。これでは時刻の正確さに問題が起きます。そこで、NHKでは時報を放送するのを止めることにしたということです。
 なあるほどそうだったのですね。〝みんなが電波時計をもつようになって、テレビの時報に頼らなくなったから「プッ、プッ、プッ、プー」が消えた〟という私の仮説は見事に外れたのでした。もっとはっきりした事情があったわけです。しかし、そうなるとテレビの隅っこに出ている時刻はどうなんでしょう。〝時報消滅〟の理屈から言えば、間違いなくズレがあるはずですね。もっとも、わが家でも、また私の腕時計も電波になりましたので、テレビにそれほど厳密さを求めることはなくなりました。まあ、めでたし、めでたしです。
進まない〝プッ、プッ、プッ、プー〟 2013/05/24 Fri 3808
 私はNHKがテレビの〝プッ、プッ,プッ、プー〟を止めたのは、電波時計に代表される正確な時刻合わせの手段が生まれたからだと思っていました。つまりは、放送を頼りにしなくなったからだと。ところがこれは完璧な誤りでした。それが毎日新聞の〝NEWS NAVIGATOR〟でわかったのです。この記事は昨年の10月10日に掲載されたもので、すでに半年以上が経過しています。どうしてこんなに遅れたのか。その理由は単純です。他に書くことが多すぎて後回しになっていただけのことです。
 私は大きな問題を抱えているんです。あることを書くためにちょいと前置き的な話からはじめる。それはいいのですが、これが止まらない。ご承知のように、このコラム〝プッ、プッ,プッ、プー〟も先週の土曜日(18日)からはじめたのですが、まだ終りません。じつは私の頭に〝最初〟に浮かんだのは、これから触れる毎日新聞の記事だったんです。ところが、ここに達するまでにスタートから6日目になってしまいました。こんな説明までしていますから、これまた今日で終わりということにはなりませんよね。かくして、本コラムはわが国の経済状態と同じ状態になってきました。つまりは〝書くべきもの=負債〟がまるで雪だるまのように大きくなっていく。あるいは、空気を入れ続ける風船のように膨らみ続けていく。これでは、ぶっ壊れるか、バブルで破裂するかしかないわけです。まあ私のような個人はぶっ壊れても破裂しても大した影響はないのですが、これが国ともなれば笑い話ではすまないのです。いまのところ、〝アベノミクス〟は〝順風満帆〟のように見えるのですが、その中で〝金利〟の揺れがどうも気になる感じですよね。ということで本日も前に進みませんでした。
消えた〝プッ、プッ、プッ、プー〟 2013/05/23 Thu 3807
 ところで、現在のNHKテレビは〝針のついた時計〟によって時報を伝えていません。それだけでなく〝プッ、プッ、プッ、プー〟もなくなってしまいました。こうした対応がいつはじまったのか知りません。あるいは、〝いつの間にかそうなった〟という方が当たっていると思います。そして、その理由について、私なりに推測していました。世の中は時刻に関してテレビやラジオに頼る時代を終えたのです。とにかく、時計そのものがおそろしく正確になりました。それが決定的になったのが電波時計の登場でした。〝正確無比〟、これに勝るものはありません。といいながら、じつは二つの電波時計を並べて比較すると、私の神経レベルでも微妙なズレが発生することがあります。まあ、しかしそれは誤差の範囲内として許容できるでしょうか。
 ともあれ、私たちは時計合わせの道具としてテレビを必要としなくなったのです。そんなことからNHKでは〝針時計〟での時報を止めた。これに対してラジオの方はまだ〝プッ、プッ,プッ、プー〟を打ち続けています。それは、ラジオがテレビのように画面転回ができないから、番組の流れの区切りとして必要なのだ。とまあ、テレビでなくなり、ラジオでは生き残っている時報について、きわめて説得力あふれる、少なくとも私自身にはですが、そんな解釈をしていたわけです。ところがなんです。私の確信的解釈はあっという間に吹き飛ばされてしまいました。それは毎日新聞の〝NEWS NAVIGATOR〟に掲載された記事です。これはQ&A形式でそのときどきの話題を解説するコラムです。そこに〝テレビの音はなぜ遅れるの?〟という質問が載ったのです。これに〝なるほどドリ〟という〝とり〟が回答するというストーリーです。
 
ちっちゃい時計 2013/05/22 Wed 3806
 そんなわけで、ゼンマイ式、あるいは歯車式とでも言いましょうか、とにかく昔の時計は1週間でも放っておくと1、2秒ほどは進むか遅れるかしていました。そうなると、またあのラジオの、あるいはテレビの〝プッ、プッ、プッ、プー〟を聴きながら秒針を12にもっていって時刻を合わせるのでした。
 そういえば、NHKの正時には煉瓦に埋め込まれたような時計が秒針をしっかり動かせている映像をご記憶の方がいらっしゃいませんか。私はあの時計はずいぶん〝大きい〟ものだと、何の根拠もないのですが思い込んでいました。それからどのくらい経過したでしょうか、すでに〝あの時計〟が姿を消してからですが、愛宕山にあるNHKの放送博物館に出かけたとき、〝本物〟を見たのです。それが私のイメージとはかけ離れて〝小さかった〟ことに驚いたものです。〝画面いっぱい〟、といっても当時は14インチでしたから、今の子どもたちなら〝小さーいっ〟と叫ぶでしょうが、とにかく〝デカイ〟に違いないと決めつけていたのです。
 これは映像に限りません。私たちは、そんな傾向をもっているんです。〝そこだけ〟見たり、〝それだけ〟聞いただけで、あるいは〝その部分だけ〟触ってでもいいのですが、それでそのモノや事象の全体像を推測するわけですね。じつに危険なことです。私は物理学の世界だけでなく、この世の中は、とにかく〝相対性理論でいこう〟とお勧めしています。〝えっ、そう言うからには相対性理論を理解しているのか〟ですって?そんなわけないに決まってるではございませんか。そのあたりは〝むにゃむにゃ〟でごまかしておきますが、ものごとは〝周りとの比較〟〝全体の中での位置づけ〟をきっちり押さえておかないと目眩ましに会うのです。
 
自動巻のメカニズム 2013/05/21 Tue 3805
 さて、私が高校の入学祝いに買ってもらった腕時計は自動巻でした。その名称から推測できると思いますが、この時計は自動的にゼンマイを巻くのです。だから、いちいち竜頭(ボタン)を回す必要がないのです。そのメカニズムは比較的単純でした。私たちは頻繁に手を動かします。自動巻の時計は、手の動きで中にある半円のローターが回転するようにつくられていたのです。テレビのコマーシャルで見ると、ローターは振り子のようにブラブラと左右に揺れるように動きます。また、勢いがついてグルッと回転することもありました。その運動でゼンマイを巻き上げるわけです。ただし、ローターが組み込まれていますから、その分だけ厚くなっていました。
 それまでの腕時計は小さな竜頭を親指と人差し指で前後に回転させていました。そうしてゼンマイにエネルギーを蓄えていたのです。そんな機構ですから、うっかりしていて巻き上げるのを忘れると、時計は止まってしまうのです。〝今何時かな〟と思って時計を見ると止まっているなんて光景も、それほど珍しくなかったと推測します。その点、自動巻はこうした手間がいりませんから、少しばかり厚いといっても、そのデメリットは十分にカバーされていたのです。
 ともあれ、私が高校進学のお祝いとして両親から買ってもらった腕時計は、当時としては若者向けの最新鋭のものだったのです。そんな便利な時計でも時刻を合わせる必要はありました。その事情は、いわゆる電波時計を除けば、今でも変わりません。ただし、精度の問題があります。自分たちの身の回りにあるものの中では最高レベルの精密機械ではありましたが、とにかく歯車をたくさん使った機械なのです。今日では常識のクォーツなんてあり得ない時代でした。
未知の世界 2013/05/20 Mon 3804
 高校生になってはじめて腕時計を買ってもらったときは、とにかく嬉しくてたまりませんでした。私が小学生のとき、おそらく母親が祖母の形見としてもっていたであろう腕時計を分解して遊んでいました。それはそれは大事なものだったに違いないのですが、とくに叱られた記憶はありません。裏蓋を開けると、そこには世にも不思議な世界が広がるのでした。
 まずはグルグルと巻かれた細いゼンマイが中心にあって、まるで心臓のように規則的に動悸を打っているのです。そしてその力でテンプがクルクルと回転しています。その軸がまた凄いんです。子どもの目には、〝これはダイヤモンドというものではないか〟と思いたくなるような美しく光る石がはめ込まれていたのです。じつは、子どもの推測が正解だったのです。ゼンマイと歯車を動力にしていた時代の時計には人工石が使われていたのです。そこで、腕時計には17石とか27石などと表示されていました。歯車などのいつも動いているパーツの軸は摩耗しやすいわけです。そのために固い石が使われたのですが、その数が多いほど高級品だったのです。おそらく大金持ちの人たち向けには、天然のダイヤモンドやルビーが使われていたのだと思います。
 それはともあれ、〝チッ、チッ、チッ…〟とかすかな音を立てながら、ゼンマイから発生した動きが秒針に伝わっていきます。こうした一連の動きを見ているだけでどのくらいの時間を過ごしたことでしょう。当然のことですが、私が分解してしまった母の時計が使い物にならなくなったことは言うまでもありません。それはたしか母の鏡台の引き出しの中に置いてあったと思います。そして、時計を取り出すたびに、かすかな化粧の香りがしたことも頭の中には残っています。
 
  
高校生の証明 2013/05/19 Sun 3803
 もちろん、ラジオはいまでも正時になると〝プッ、プッ、プッ、プー〟を発信しています。しかし、テレビが登場すると、ラジオは時計合わせでは主役の座から降りることになります。ただし、私の場合は17歳のときに家族と離れて生活をはじめましたから、その後もしばらくはラジオに頼る期間が続きます。何と言っても高値のテレビです。それを高校生が一人で所有することなど考えられませんでした。とにかくラジオが生活の主要な情報源だったわけで、時計合わせもそれに頼っていたのです。
 ところで、私が生まれて初めて腕時計を手にしたのは高校に入学したときです。これと合わせて本格的な万年筆も買ってもらいました。プラチナのカートリッジ式でした。カートリッジの蓋代わりにボールが填まっていて、それを押し込んでペン先にセットします。そのため、インクの中でボールが動いて〝カチン、カチン〟と音がします。そのインクが減ってくると、流体の中から出たボールの音が大きくなって響くような感じになるのです。この音がけっこういいんですよ。私自身は現在もプラチナを使っていますが、この音はずっと昔のままです。ところで、高校までは電車で通学することになりました。そこで、定期券も使うことになりました。腕時計と万年筆、そして定期券の3点セッです。これらを机の上に置いて眺めると、自分が高校生になったことを証明しているようで、少しばかり大人に近づいた気分になりました。そのなかでも腕時計は最高でした。ところでその腕時計ですが、私は両親にセイコー社の自動巻がほしいと主張しました。それは当時のテレビコマーシャルで流されていたヒット商品でした。かすかな記憶ですが、6,800円とか、まあそんな価格だったと思います。
プッ、プッ、プッ、プー 2013/05/18 Sat 3802
 〝プッ・プッ・プッ・プー〟。まずは時計の秒針が12に達したときに、竜頭を引いてそれを止めます。ちょっと確認ですが、お若い方は竜頭っておわかりでしょうか。〝りゅうず〟、文字通り〝竜の頭〟ですが、腕時計の時刻を合わせるときに使う〝つまみ〟のことです。昔はこれを前後にひねってゼンマイを巻きました。すみません、余計な心配ですが、お若い方は〝ゼンマイ〟ってご存じですよね。先の方がグルグルっと渦巻き状になっている植物もそうですが、時計などの動力にするグルグル巻きの鋼です。これをしっかり巻きつけると、それが元に戻ろうとします。その力を使って時計を動かすわけです。
 さて、竜頭を引いて12のところで秒針を合わせました。次に長針を回して7時にします。これで長針は12の位置で秒針と重なります。それを見ただけでも気持ちがよくなるから不思議です。そしてやおら冒頭の音が聞こえるのを待つのです。最初の〝プッ〟が聞こえたら、〝さん・にい・いち〟と心の中で声を出して拍子を取ります。そして最後の〝プー〟にあわせて一気に竜頭を押し戻します。すぐに秒針が〝コチ・コチ〟としっかり進みはじめます。その動きを確認して大いなる満足感を覚えるのです。
 これが可能な限り正確に時計を合わせる日常的な光景でした。私が若いころ、ゼンマイ仕掛けの時計は1週間に数秒程度は進むか遅れるかしていたのです。そうした状況の中で、この〝プッ・プッ・プッ・プー〟は時計を〝正確〟に合わせるための方法でした。おそらく唯一の方法だったと思います。この発信音ですが、永いことラジオのものを利用していました。そのうち、テレビという怪物が音に映像を背負って登場して、時計あわせの主役の座を完璧に乗っ取ったのです。
 
別れ 2013/05/17 Fri 3801
 大人になった鶏に起きた事件とは、彼等を庭で遊ばせていたとき、隣家の小さな女の子の顔をつついてしまったものです。とくに怪我はなかったのですが、これはわが家にとって深刻な事件でした。おそらく両親は頭を痛めたに違いありません。しかし、最終的な結論は〝このまま自宅で飼い続けることはできない〟ということでした。そうかといって素人にはどうすることもできません。最終的にはしかるべきところで処分してもらうほかありませんでした。もちろん、私はそうした細かい経緯は知りません。もう半世紀以上も前のことですから記憶は定かではありませんが、両親は私に対してかなりむずかしい説得を試みたはずです。私もそれを納得したことになります。
 そしてとうとうその日がやってきたのです。私は朝、2羽と〝別れ〟るときの情景をはっきり思い出すことはできません。ただ、その日は小学校で〝木下サーカス〟を観に行く日だったことはしっかり記憶しています。鋼鉄でできた球形の中をバイクが走り回る曲芸もありましたが、わたしのこころは別のところにありました。そして、学校が終わると家に走り出し、息せき切って帰ったことは言うまでもありません。そして自宅で見せられたのは2羽の〝つめ〟でした。私が母親に〝つめ〟だけはほしいと伝えていたのです。それからそれをスケッチして、空き瓶の中に入れ、しっかり蓋をしました。その前にやかんでお湯を沸かし蒸気を入れました。小学生の頭の中では、そうすることで瓶の中が〝真空〟になると思い込んでいたのです。それから庭の隅っこに小さな穴を掘りました。そこに瓶を埋めて手を合わせたのです。飼っていた動物との別れの体験はまだ2件ほどありますが、今回はこれでおしまいにします。
 
2羽のひよこたち 2013/05/16 Thu 3800
 私が子どものころに部屋の中で育てた鶏は孵化場で生まれたものでした。子どもですから理由はわかりませんが、父親の上司の自宅に近くに出かけたことがありました。そのお家の近くに孵化場があって、そこを覗いたんですね。おそらく興味津々の様子を見たからでしょう、孵化場の方が私に4、5羽のひよこをくれたのです。それはすべて雄でした。孵化場で商品になるのは玉子を産む雌だけで、哀れ雄は処分される。しっかり理解したわけではありませんが、そんな説明をしてもらった記憶があります。
 しかし、子どもにとって細かい事情なんてどうでもいいことでした。とにかく嬉しくて嬉しくて、飛び上がりながら間借りの自宅へ連れて帰りました。その際に15Wほどの白熱球を買ってもらいました。それは孵化場のマネだったと思います。おそらく温めるつもりだったのでしょう。とにかく白熱球のことは鮮明に覚えています。そして、小さな段ボールの中でピヨピヨと鳴きながら押しくらまんじゅうをしているひよこにえさを与えて育てたのです。かなり早い時期に数羽が死んでしまったのですが、2羽だけはしっかり大きくなっていきました。かなり成長した鶏たちは、手を叩くと私のところに飛んできます。家の周りの草などを切ってきてそれを市販のえさと混ぜ合わせて食べさせました。農家の方から許しを得てサツマイモの葉っぱも入れました。そうしているうちに、朝になると〝コケコッコー〟と元気に鳴くようになりました。父は早起きでしたから、鳴き声がうるさいなどといった文句も言いませんでした。とにかく家族からも可愛がられながらすくすく育っていきました。小学生の私はとても楽しい日々を送っていたはずです。そんな中で思わぬ事件が起きてしまいます。
 
喪失体験 2013/05/15 Wed 3799 continued from 5/10
 先週の10日に、私が子どものころ部屋の片隅でひよこを育てたことを書きました。そのときは、〝この話をはじめると〟収拾がつかなくなる、つまりはさらに脇道に逸れてしまうので立ち入ることを止めました。ところが、また〝奇跡〟に近いと言っていいと思いますが、ここで〝やっぱり書いておこう〟という気持ちになることが起きたのです。
 それは週がはじまったばかりの朝でした。ある方とお会いしたのですが、先方からこんな質問をされたのです。〝先生は動物を飼われていますか〟。あるいは〝飼われたことがありますか〟と過去形だったかもしれません。いずれにしても、即座に〝いいえ〟と答えました。私としては〝動物〟と言えば犬や猫を思い浮かべたのです。しかし、すぐに〝鳥はありますけれど〟と言い直したと思います。そのとき私の頭の中には2つの体験が浮かんでいました。まずは〝すずめ〟です。その次が〝ひよこから大人になった2羽の鶏〟でした。そうです、先週の金曜日に書いたあのひよこは立派な大人になったのでした。〝そうですか〟というお応えに、〝何かあったのですか〟と問い返しました。〝じつは連休中に飼っていた犬が交通事故で死んだのです〟。
 私は〝えっ〟と驚くしかありませんでした。まさに不慮の事故で、その方の目の前からいなくなってしまったのです。〝動物を飼うことは、そのままいつかは別れに直面することでもあると承知してはいました。しかし、こんな形で関係がなくなってしまうとは…〟。こころの整理がつかない状態でいらっしゃるのです。私としては〝それには、時間というものが必要かもしれませんね〟といったお答えをするのが精一杯でした。そのとき私の頭にはあの〝鶏たち〟の姿が鮮明に浮かんでいました。
奇跡と恩師 2013/05/14 Tue 3798
 昨日は、過去に書いた〝奇跡的確率〟物語の〝まとめ〟だけで終わってしまった。じつは、それから10日もしないうちに、またまた〝大奇跡的〟事象に遭遇したことをお伝えしたかったのである。
 それは私の〝教育リーダーシップ原論〟という授業に絡んで起きた。その日は〝リーダーシップ・トレーニング〟を題材にした。〝トレーニング〟は私のライフワークだと自称している。専門のグループ・ダイナミックスについては、私の恩師は三隅二不二先生である。しかし、〝リーダーシップ・トレーニング〟というきわめて実践的な領域については、私の恩師は高禎助氏だと思っている。とくに、1970年代に展開された三菱重工業長崎造船所における〝全員参画による安全運動の実践〟では中心的な役割を果たされた方である。その中で、作業長さんを対象にした〝リーダーシップ・トレーニング〟が島原の小浜にあった国民宿舎で継続的に行われた。私は大学院生の駆け出しとして、そのプロジェクトに参加するチャンスをいただいたのである。そこで私を育ててくださったのが高禎助氏なのだ。私としては〝高さん〟の方がいい。
 そんな話を授業でしたのだが、ここまで来ればもうご推察だろう。授業が終わってから研究室でメールを開けると、なんと〝高さん〟からメールが届いていたのである。件名は〝祝HP開設10周年〟。朝食のあとで〝味な話の素〟を読んでいただいているとのこと、本当にありがたく、嬉しいことである。それにしても、高さんからメールを頂戴したのは、これまで合わせても5回は超えないと思う。それが、授業でお名前を引用したその日にメールが来るのである。これはやはり〝奇跡的〟としかいいようがない。人生は驚きと感動に満ちあふれているものである。
すみません、〝まとめ〟ただけです… 2013/05/13 Mon 3797
 〝奇跡が起きた〟と言えば非科学的になる。それでも本当は〝奇跡だ〟と叫びたかったのだが、私の〝理性(??)〟が邪魔をして、〝奇跡的確率〟にして本コラムに2つのエピソードを取りあげた。先月の22日から24日までの3日間である。まずは本の裏書きに〝□□の謝金で(購入)〟とメモをしていたのだが、それを処分するまさにその日に、謝金をもらった組織の方からメールをいただいた。本を購入したのは1972年だから、すでに41年も経過している。しかも、メールの方ともこの数年は、少なくとも5年以上はお会いしていないのである。そんな体験をすると、〝人間には気づくことができない何かの力がある〟などとつい考えたくなる。
 しかもその日はそれで収まらなかった。それからしばらく経った夕刻である。かなり以前に非常勤をお願いしたことがある方からメールが届いた。仕事の都合で、非常勤をどなたかに交替していただいていいだろうかという内容である。すでに辞めているわたしが〝交替していい〟とか〝それは困る〟などと口を挟むことなどあり得ないのだが、その気配りには感心した。しかし、そのことがどうして〝奇跡的確率〟と結びついたのか。じつは、このメールが届く数時間前に、定年前の身辺整理の一環として写真の整理をしていた。その中に集合写真があり、〝なつかしいなあ〟としばし感慨にふけったのだった。ところが、その写真はメールに書かれていた非常勤先で撮ったものだったのだ。少しでも日がズレていれば、〝まあそんなこともあるか〟と納得するだろう。しかし、それがまさに〝その日〟なのである。こうなると、どうしても〝奇跡的〟という用語を使いたくなってしまう。おやおや、今日は過去のまとめだけで終わっちゃいました。
 
吾唯知足 2013/05/12 Sun 3796
 〝吾唯知足:われ・ただ・たるを・しる〟。京都龍安寺の蹲踞(つくばい)に浮き彫りで刻まれた四文字である。正しくは中央に大きな〝□〟があり、それを上下左右に置かれた〝吾〟〝唯〟〝足〟〝知〟から〝口〟を除いたパーツが囲んでいる。そもそもは釈迦のことばに由来するもので、禅寺で見られるのだそうだ。その意味は読んで字のごとし、〝吾(わたし)は唯、足りることを知っています〟、つまりは〝私は自分に与えられた状況の中で満足することができる〟〝あれもほしいこれもほしいと言わない〟といったことだ。人間の欲望には際限がない。どんなに充足しても、もっともっとほしいと思う。地球上の人間がその気で走り続ければどうなるか。その結果はみんなわかっていても止まらない。
 私が定年を間近にして〝身辺整理〟を進めていることは折に触れて書いてきた。その中には本の整理もある。学生のころに買った新書がワンサカある。ぱらりとページをめくり、裏表紙の購入日のメモに目をやる。たしかに20代に読んだものだ。しかし、そのあとは本棚で眠っていた。まさに例外的な数冊を除いて、再読することはなかった。そしていまサヨナラする。こうして多くの人たちが〝自分の本〟として所持し続ける。書籍関係や文筆家たちの立場を考えることはちょっと置かせてもらえば、何という資源の無駄づかいであることよ。それこそ公共の施設でみんなが共有すればいいではないか。あるいは電子情報にすればどうか。ここで念のため確認しておくけれど、私は紙の本が大好きな活字中毒人間である。そして〝本は所有していないと読んだと言えない〟と信じ続けてきたことも事実だ。しかし、前期高齢者を目の前にした今、私は〝吾唯知足〟の重さを感じている…。
 
ここいらで〝小〟休憩 2013/05/11 Sat 3795
 日ごろから本コラムをお読みいただいている皆さまはお気づきのことと思いますが、5月に入ってから、1日に2つの話題を取りあげています。もっと正確に申し上げますと、先月最終日の30日から、これが続いています。つまりは本日で12日目ということです。このコラムには〝毎日読んでます〟と言ってくださる方々がいらっしゃいます。本当にありがたいことで、だからこれが10年間を超えて続いているわけです。私としては、ただただ感謝、感謝の気持ちでいっぱいです。
 そのお一人からメールを頂戴しました。〝吉田先生へ こんなに毎日2作が続いたこともないように記憶しています。いつか目的がおありと書かれていましたが、一体それは何かが気になります〟。件名は〝連作〟になっていました。これにはすぐに返事をお出ししました。〝□□さま いつもありがとうございます。ちょっとやり過ぎですね。読んでいただく方もうんざりでしょうか。理由は2つございます。1. 早く4,000回にしたい 2. 早く書きたいネタがありすぎる、でございます〟。〝いつか目的がおありと書かれていましたが…〟というのは、せっかくだから、早く大きな区切りの〝4,000回〟に到達したいと思っていわけです。今月末で3,800を超えますから、あと200回を切ることになります。それともう一つは、〝書きたいネタがあり過ぎ〟ということです。ただし、それも〝あること〟について書き始めたのはいいのですが、それがどんどん広がって、あるいは脇道に逸れてというべきでしょうか、収拾がつかなくなるんですね。しかし、私のこんな都合だけで書きまくっていては、いつも貴重な時間を割いてお読みいただいている方にご迷惑だろうと思います。しばらく〝連作〟はお休みにします。
 
ここいらで〝K〟休憩 2013/05/11 Sat 3794
 一般に〝チャレンジ精神〟などと言うが、何事にしても最初から〝どうせやってもできっこない〟では〝変化〟など起きるはずがない。その時点で〝思考停止〟の状態である。とにもかくにも〝工夫〟することだ。そしてしっかり〝苦心(賛嘆)〟する中から、すばらしいアイディアが生まれるのである。わたしは、〝奇跡は求める者にのみ起きる〟と言っているのだが、その求める過程には〝苦心〟が含まれる。これを〝苦労〟と言い換えるのもいい。ことばの意味としては〝苦しむ〟ことはマイナスのイメージしかない。しかし、〝若いうちの苦労は買ってでもしろ〟が正解なのだ。〝苦心〟や〝苦労〟が成果を生んだとき、それは大きな充実感をもたらしてくれる。そんな体験は個人でする場合もあれば、仲間たちで喜ぶこともあるだろう。とにもかくにも〝苦労のし甲斐があった〟のである。いかにもわざとらしいが、〝苦心〟も〝苦労〟も、やっぱり〝K〟を頭文字にもっているのである。
 今回の〝プラスKピックアップ〟物語だが、ちょっと続けすぎた感がある。このあたりで一段落ということにしておこう。そう言いながら、まさに蛇足だけれど、〝感じる〟の〝K〟なんぞも入れておきたい。これは最初の〝気づく〟と重なり合う部分もあるが、〝えも言えない体感〟といったニュアンスである。〝なんとなくおかしい、変じゃないか〟。こんな気分である。組織の安全は、あらゆる側面から対応していく必要がある。その意味で、こうした〝ことばでは言い表せないが、とにかく…〟といった〝感じる力〟も軽く考えない方がいい。こうして全体を振り返ると、その基礎には一人ひとりの〝気持ち〟が大事なことに気づく。やはり人間は〝気持ち(kimoti)が問題〟なのである。
 
〝K〟の追加 2013/05/10 Fri 3793
 これまで〝公表したK〟は、ホームページの表紙でもご紹介している〝コミュニケーションとリーダーシップの技術〟で取りあげている。現在のバージョンでは34ページになるが、〝Kのこころ〟というタイトルのところだ。そこでは、〝危機意識(ただし、適度の)〟〝改善意欲〟〝競争意識(ただし条件付き)〟〝向上意欲〟〝驚育力(私の造語だが、驚くことを通してほめる、評価する)〟〝応える力〟〝聴く力〟〝期待あるいは希望をもたせる力〟〝環境づくり〟を挙げている。その詳しい内容にご関心をおもちであれば、本文でご確認いただきたい。
 そして今回のシリーズでは、これまで〝気づく〟〝比べる〟〝行動する〟〝変わる〟〝変える〟の5つを追加した。そして、それらをリーダーシップの発揮や組織の安全を向上させるためのポイントとして強調したいのである。こうした流れの中で、私としてはさらにいくつかの〝K〟を追加しておこう。
 そのひとつは〝工夫する〟である。問題に〝気づいたら〟、他と〝比べた〟だけで止まるのではなく、ちゃんと〝行動する〟ことが大事だ。その〝行動〟には、他人だけでなく、〝自分を変える〟〝自分が変わる〟ことが含まれる。というよりも、それこそが最も優先されるべき課題である。そうでなければ、他人を変えることなど出来るはずがない。そこで、当然のことながら〝工夫〟が必要になる。自分が変わるためには〝どうすればいいか〟、そのアイディアを考えることである。もちろん、それは〝大がかりな〟なものでなくていい。〝ほんのちょっと〟だけ仕事の順番を入れ替える、時間の配分を変える、仲間に声をかける機会や回数を増やすなど、〝とにかくできる〟ことを考えて、〝やってみる〟ことが肝心だ。
〝間借り〟の2階 2013/05/10 Fri 3792
 さて、私が小学生のころ住んでいた伊万里市の借家ですが、その1階に炊事場、四畳半の〝ダイニング(?)〟と便所、さらに戸外には、お化けが出てもおかしくない、もちろんすばらしい(?!)お風呂があったわけです。そして階段を昇って2階に行くと、リビング兼ベッドルーム兼…、とにかくスーパー多目的な2部屋がありました。旧家というのでしょうか、一部屋は8畳くらいあったのではないかと思います。もう一間は4畳半か6畳だったでしょう。おそらく主として小学4年生の私と1年生の妹が使っていたはずです。ひょっとしたら板張り、と言うか、板が何枚も詰めて置かれていた、そんな記憶もあります。その部屋の片隅で、ひよこを育てたこともありました。この話をはじめると、ひよこが2羽の立派な鶏になり、そしてついにはシェークスピアの三大悲劇を凌ぐ物語になってしまいます。したがって、ここは先を急ぎましょう。
 と言っても、皆さんはこの話がどこから来て、どこに行くのかおわかりにならなくなっていらっしゃるでしょう。これって、じつは、4月30日の〝連休の過ごし方〟がスタートなんです。それから有田の陶器市、美里町の佐俣の湯や二股橋、そしてド演歌テレビの話などに至り、〝書斎〟ということばに刺激されて〝間借り〟の話題へと転がってきているのです。そんな次第なのですが、皆さまには、こちらの〝次第〟などは無視して、〝とりあえず、あんたの子ども時代のことを書いてんのね〟程度でお付き合いいただければ、私としては大変にありがたいのでございます。
 さて、4畳半の、ひょっとしたら板張りの部屋ですが、そこにはかなりデカイ机が置いてありました。それは私のものでした。この机について少しばかりお話したいと思います。
 
組織安全と〝K〟 2013/05/09 Thu 3791
 これまで、〝気づく〟〝比べる〟〝行動する〟〝変わる〟〝変える〟といったことばを取りあげてきた。私としては、それらを組織の安全を実現するために求められる視点にしようと思っている。ところが、その話がどんどん走っていって、ついには〝体罰〟の問題にまで至った。もちろん、〝体罰〟も組織を危うくする点で〝安全〟にかかわっている。あの柔道界も〝体罰〟で大いに揺れた。その収拾というか、再出発はこれからである。つまりは、〝体罰問題〟で〝公益財団法人全日本柔道連盟〟という組織が危機に直面したのである。
 しかし、ここでは〝組織の安全〟に焦点を当てて少し先に進もう。そのスタートからマジックを楽しんでいるつもりはないが、ちょっと〝種明かし〟をしておきたい。〝気づく〟から〝変える〟までの5つのことばは、すべて〝K〟からはじまっている。あのバブルがはじけて以来、景気のどん詰まりが続き、若者たちの辞書からは〝右肩上がり〟ということばが削除されてしまったに違いない。だから、今となっては〝3K〟ということばも妙に懐かしい。若い世代の人たちは、この言い回しも聞いたことがないのではないか。あの〝Kitui:きつい〟〝Kiken:きけん〟〝Kitanai:きたない〟仕事を敬遠する〝3K〟である。そこで、そのような仕事を進んで引き受ける外国人が大挙して日本にやってきた。その結果、薬物売買も含めて犯罪を犯すケースが出たりして社会問題になったりもした。そんな事態を前にして、私とはかなり真面目に、忌み嫌われる〝K〟ちゃんがかわいそうになった。そこで、〝K〟からはじまることばでプラスの意味をもったものを探してみようと思った。じつは、〝探す〟までもなく、すばらしい〝K〟がたくさんあるのだ。
 
カンテラ 2013/05/09 Thu 3790
 電気が通じていない戸外の風呂小屋にカンテラを設置するというアイディアは、与えられた状況で考えられる最適の解決策でした。そう決めた父は、これまた最高級のカンテラを手に入れます。エベレストにチャレンジする80歳の三浦雄一郎さんでさえ、間違いなくうらやましがるようなシロモノでした。薄く軽いアルミニウム仕様で、しかも折りたたみ式なのです。その中にろうそくをセットするのです。少しでも風が吹くとゆらゆらと自分たちの影が揺れるのにも、この上ない風情を感じたものです。そうした温かい炎の輝きに包まれて、家族全員が父の選択のすばらしさを絶賛したことは言うまでもありません。
 誰一人として、〝そもそもこんな家を借りるなんて、何を考えているんだろう。まったく信じられない〟といった文句など言うはずがないのでした…。あれから50年以上も経過していますので、私としては〝そうだったに違いない〟と、あやふやながら、そのように確信したいと思っているんですよ、はい。
 それにしてもカンテラということばはそのときに覚えたはずです。こうして、昔の〝わが家〟のことをイメージしながら昨日から書いていたら、ごく自然に〝カンテラ〟という用語が出てきたんです。おそらくその後は二度と使ったことがないでしょう。いつものことながら記憶の不思議さに感動します。そんな風呂場でしたから、ほんの数回ですが〝誰かの目〟を感じたこともありました。それはのどかな時代ではありましたが、こんな無防備な風呂場って、露天風呂の次くらいに開放的だったわけです。それに夏はいざ知らず、冬場の寒い時期がいかに大変だったかはご理解いただけるでしょう。それにもかかわらず、父の選択に対する文句は出なかった、かなあ…。
指導者の〝腕〟と〝力〟 2013/05/08 Wed 3789
 長嶋選手は〝天才〟的な面もあったのだろうが、同時にしっかり〝努力〟もした。それが正解に違いない。たまたま観た映画館でのシーンだとしても、野球がまったく理解できない母が驚いた厳しい守備練習こそが、あの華麗というか、ある意味ではショーマンのような三塁の守備を生んだのである。
 このように、その分野での〝力〟に結びつくことで厳しく指導する。それこそが教育であり、指導者に求められるリーダーシップなのだ。もちろんそのためには、指導者自身の〝力〟が問われる。ぶん殴ったり蹴ったりするのなら、恐る恐るかつ貧弱ながら、私だってできないことはない。もちろん私はしませんよ。しかし、その道の技術を教えるには、指導者自身の力が問われる。〝うぁーすげーっ〟。まずは、指導する相手にこんな驚嘆の声を出させることができるかどうか。そして〝自分たちもあんなになりたい〟と思わせるかどうか。それが指導者の〝腕〟の見せどころ、〝力〟というものだ。そうした力がなくて、単なる〝腕力〟という合わせ技〈?〉が得意というのでは指導者の免許はお返しいただかねばならない。当然のことだが、指導者であるからには、〝指導技術〟にも優れていなければならないのである。
 この〝味な話の素〟がスタートした10年前の4月29日のNo2に〝沈黙のコミュニケーション〟というタイトルで、中学生たちが見学授業で窯元に出かけたときのことを書いている。プロが粘土から作品を造りあげるまでの8分19秒間、ヒソヒソ話すらしないでその手元を凝視し続けた。子どもたちの感動が〝沈黙〟という表現になったのである。それを見ていた私も鳥肌を立てながら感動した。これが〝指導〟というもののあるべき姿ではないか。体罰に感動は伴わない。
 
戸外の〝内風呂〟 2013/05/08 Wed 3788
 わが家に〝内風呂〟が付いていたはよかったのですが、それが戸外の小屋の中にあったのです。おそらく大家さんが借家にするためには風呂がないとまずいと思ったのでしょう。何分にも、その周辺地区には銭湯なる気の利いた施設なんぞがなかったからです。しかし、家の中に風呂を置くところがない。ということで、外にたまたまあった小屋の中に据え付けたのでしょう。まあ、何といますか、縄と土で造った、おそらく物置にしていたような小屋でした。それでも〝内風呂〟ですから、父としてはすばらしい物件を見つけたと思ったのでしょうね。
 ところが、ところがです。そこに電気が通じていなかったんです。つまりは灯りがないわけです。これは相当に凄いことです。誰だって真っ暗闇の中で風呂に入るなんてできません。どこに石けんがあるのかもわからないじゃありませんか。これは端的に言って〝凄い〟なんて感心しているべきではなく、〝ひどい〟と憤るべき大問題です。父はこんな基本的なことも確かめないで契約したのでしょうか。そんなことはあり得ない。ただし、それでも〝家に風呂があるってすごいぞーっ。みんなもきっと喜んでくれるはずだ〟と思ったに違いないのです。もちろん電気のことは気になったでしょう。しかし、それも〝まあ何とかなるよ〟という程度の〝気に仕方〟だったに違いありません。父はそういう発想をする人でした。それでもさすがに〝どうにかしないとまずい〟とは考えたのでしょう。やはりこの世には神様がいるようです。そのおかげだと思いますが、父はこれ以上にないという妙案を思いついたのです。キャンプなどで使うカンテラっていうんですか、日本では提灯ですね、これを風呂場に置けばすべて問題が解決することに気づいたのです。
長嶋選手と千本ノック 2013/05/07 Tue 3787
 長嶋茂雄氏が国民栄誉賞を授与された。長嶋選手は私が子どものころにデビューし、その後ずっとスーパースターであり続けた。〝王選手は努力型、長嶋選手は天才型〟。これが球界の2人に対する典型的な評価ではないか。しかし、そう単純ではないと思う。
 私は〝長嶋選手〟と聞くと、母のことを思い出す。母は野球のことをまったく知らなかった。もちろん興味もなかったはずである。その母が〝長嶋選手は凄いね〟と感動していたことがあった。それは両親が映画から帰ったあとのことだった。私は一緒に行かなかったから、映画そのものが長嶋選手を題材にしていたのか、たまたまニュースで取りあげられたのかはわからない。ここでご存じでない方のために、昔は〝ニュース〟を映画館で観ていたことだけ確認しておきたい。テレビがない時代である。ニュースと言えばラジオが主役だった。新聞が文字としてのニュースを流していたことは今と同じである。そこで、〝人が動いているニュース〟は映画館で観るものと決まっていた。
 ともあれ、母の話から察すると、長嶋選手の守備練習のもの凄さに驚き感動したのだった。入団当初は水原監督だったが、おそらく監督の千本ノックで、まさにノックアウト状態になるまでボールに飛びつくシーンを観たのだろう。長嶋選手も〝まだ、まだ〟と叫びながら続けていたに違いない。私は母の話から、その場の光景が目に浮かんだ。これも今日の基準であれば、本人の体力を無視しては〝体罰〟とされるだろう。それに〝1000回〟すれば技術が向上するという科学的根拠もないだろう。しかし、それは〝競技〟とは直接に結びつかない〝ビンタ〟や〝殴打〟とは質的に違っている。剣道の指導で〝蹴り〟を入れるなど、本筋から外れている。
 
間借り 2013/05/07 Tue 3786
 私が中学生のとき、父ははじめて〝官舎〟なるものに入ることができました。このごろは、〝公務員の宿舎は一等地にあって、しかも信じられない格安の家賃で入居している。まったく許せないことだ〟とテレビなどで叩かれています。まあ、そんな旗色の悪い宿舎ですが、私が子どものころはその数も少なかったようです。はじめての〝官舎体験〟は佐賀県の伊万里市でのことでした。私が小学6年生のときだったと思います。それまでは〝間借り〟でした。いまでは〝下宿〟ということばは死語でしょうが、〝間借り〟がわかる人も少なくなったでしょう。これって文字通り、人のお家の〝間を借りる〟んです。
 わが家の場合は2階建ての大きなお家の3間を借りていました。もう大変な時間が経過しているので家主さんのお名前を書いてもいいと思いますが、〝多久〟さんという方でした。子ども心に〝大きなお家をもっているからお金も"たくさん"もっている。だから"たくさん"なんだ〟などと言っていたことを覚えています。まずは土間がある1階に炊事場と、おそらく四畳半だったと思いますが一部屋がありました。そこで家族揃ってご飯を食べたのです。そうそう、その隣が便所でした。それはどう考えても、〝トイレ〟ではなく〝便所〟と呼ぶべきところでした。もちろん大と小が別々の純粋和式でした。そのなかで、毎朝しっかり気張っていました。もちろん〝ちり紙仕様〟ですよね。こんなことを書いたせいか、1回だけですが、もうちょいというところまで達しているのに、その先の展開がむずかしくて泣きそうになったことを思い出しました。おそらく5年生のころだったはずです。そういえば、悲願の〝内風呂〟が付いていたのですが、それが何と〝外〟にあったんですよ。
 
〝成功者〟の〝体罰観〟2013/05/06 Mon 3785
 〝体罰〟が〝瞬間的〟あるいは〝見かけ上〟の変化、つまりは効果を生むことはあるだろう。とにかく身体的に強い者から与えられるのだから、対抗できない。もちろん、体罰を受ける側の体力の方が勝っていることはあり得る。しかし、そんな場合でも、与える側が権力をもっている。そこで反抗すれば、他の〝正当な制裁〟が加えられる。したがって、受ける側には〝心理的圧力〟が働いている。そもそも〝罰〟なのだから、それを与える方が優位な立場にいることは当然である。しかし仮に〝体罰〟で変化を生んだとしても、本人が〝心の傷〟を残したり、与えた者を〝ずっと恨み続け〟たりするのであれば、それは〝マイナス〟の影響としか言いようがない。
 〝自分は体罰によって目覚め、意欲を高めた。その結果としてしっかり成長し、そのおかげで今日がある〟。しばしば語られる〝体罰物語〟である。しかし、どうだろう。そういう人たちは、おそらく〝成功者〟である。〝勝てば官軍〟と言うけれど、〝うまくいった人〟には、すべてが〝いい思い出〟になるものだ。しかし、今の成功は〝体罰を受けた〟ことが最大の要因なのか。あるいは〝体罰を受けたから〟うまくいったのか。それ以外の方法ではダメになるほかなかったのか。すでに終わってしまった過去のことだから、これには答えようがない。あえて言えば、もっと違った対応だったら、さらにうまくいったかもしれない…。この手の議論をしていると途中で混乱してしまうから注意しておきたい。ここで話題にしているのは〝体罰〟である。それは〝打ったり〟〝殴ったり〟する、一般的には〝暴力〟と呼ばれるもののことである。お互いが気持ちを一つにして厳しいトレーニングをするのとは区別しておかないとまずい。
  
ゴールデンアワーの過ごし方 2013/05/06 Mon 3784
 夕食が終わってからテレビも視ないのなら、それからどうするのかですって? もちろん家族の会話に決まってるじゃあございませんか。なあんて殊勝なことは言えないんです。やせても枯れても私は家内が認定する〝回遊魚〟です。わが家のなかでだって、うろうろと泳ぎ回らなければ面目丸つぶれになってしまいます。そうそう歯磨きのときも、さすがにいつもというわけではないのですが、多少の動きをすることがあります。とくに〝あっ、これは忘れるといかーん〟なんてことが頭をかすめるといけません。そのまま〝書斎〟に駆け込んでメモを書くことになります。とにかく日々これ〝瞬間忘却器〟の性能が向上しているものですから…。
 そんなわけで、夕食後は反射的と言えるほど自然に机のある部屋に移動するわけです。〝そこで何をするんだ〟ですって? そりゃあもう仕事に決まっているじゃないですか。とにかく仕事が私の唯一の〝趣味〟なんです。この楽しみを奪われたらどうなることやら。もう想像するだけでも恐ろしくなってきます。何と言っても、〝ゴールデンアワー〟に仕事をしないなんて考えられませんよね。ところで、先ほど口ならぬ筆が滑ってと言いますか、キーボードを打つ指がこんがらがってと言うべきでしょうか、つい〝書斎〟と書いてしまいました。いやーお恥ずかしい、私ながら〝見栄〟を張ってしまいました。誰から聞いたのか忘れましたが、世の中では机がある部屋を〝書斎〟と呼ぶ方もいらっしゃるんですってね。この〝書斎〟、英語では〝study〟だと知ったときは〝へーっ〟と驚いたというか、ちょっとした違和感をもった記憶があります。おそらく中学生のときでしょう。そもそも普通の家には〝書斎〟などと言うべき部屋はなかったのです。
トレーニングと体罰 2013/05/05 Sun 3783
 〝自分の力で人を変えるなんて不遜だ〟。そんな偉そうなことを人様には言っておきながら、自分は〝リーダーシップ・トレーニング〟と称して〝人を変えようとしている〟。こんなご批判も受ける覚悟はしている。そうではあるが、私としては、それなりの弁解をしておく必要がある。たしかに私が実践している〝リーダーシップ・トレーニング〟でも、参加者がリーダーシップを改善していくこと、つまりは〝変わる〟ことを目指している。しかし、そのために私が〝体罰〟という手法を使うことはあり得ない。この点をまず強調しておかねばならない。
 もっとも、そんなことは当然であってわざわざ言うまでもないことではある。しかし、世の中は広いもので、いろんな人がいて、様々なことが起きる。さすがに21世紀にもなったこの時代には存在し得ないだろうが、ひたすら〝厳しさ〟を売りにしていた〝トレーニング〟もけっこう〝売れて〟いた。そのなかには、ほとんど〝体罰〟にまで及んでいたケースも少なくなかったはずだ。そして人命が失われるという、刑事事件にまで繋がる最悪のケースすらあった。ところで〝体罰〟は国語辞書的には〝打ち殴る〟といった直接的な身体への行為によって苦痛を与える〝罰〟である。しかし、このところ、それを広く〝心理的〟なものまで含める傾向が生まれている。それが時の流れである。
 ともあれ、私は〝体罰による教育〟、これは大人を対象にしたものも含めてだが、そんなもので人の行動が変わるはずがないと考えている。少なくともその効果を大いに疑っている。たしかに、〝体罰的〟対応は、瞬間的あるいは一時的には自分の意図する行動を引き出すことができるかもしれない。しかし、それが永続するのかどうかは疑問である。
回遊魚のテレビ視聴 2013/05/05 Sun 3782
 ド演歌が聴ける〝歌謡コンサート〟ですら、たまたまスイッチをひねって遭遇したときだけ視ます。だから、〝今夜は8時から『歌謡コンサート』だぞーっ〟といったノリではないんです。つまりは〝偶発的な遭遇〟を繰り返しているだけです。こんなのを〝行き当たりばったり〟って言うんでしょうね。しかも、〝ド演歌〟なら何でもいいというわけにはいきません。幸か不幸か、いや本人としては〝ぜったいに幸だ〟と確信しているのですが、とにもかくにも〝回遊魚的体質〟をもって生まれたわたしです。画面の歌が〝かなりフィット〟していないと、すぐに体がテレビから遠ざかろうとするんです。 だから、〝曲〟が〝いいぞ、待ってましたあ!〟と叫びたくなる場合でも、〝歌手〟のえり好みをしてしまいます。瞬間的に〝こりゃあピンとこないよなあ〟なんて、ピントが外れたような表現を頭の中でしながら、体が動き出してしまうのです。つまりは〝何でもいい〟〝誰でもいい〟というわけにはいかない。その点ではけっこう、うるさいんですよ。
 しかも、この団塊〝ド演歌オタク〟はわが家のなかで孤立しているわけです。家族はわたしがテレビの前に座ってしまうと、そのときだけは〝事故〟にあったかのごとくあきらめているようです。しかし、〝回遊魚〟がテレビの内容に興味を失って腰を持ち上げると、〝うわーっ〟とばかり、無音の〝歓喜〟が聞こえてくるんです。これって、どう考えても人を喜ばせてるんですよね。そんなわけで、たった一つではありますが、〝今日もいいことしたぞーっ〟と嬉しくなってしまうんです。こうした自己満足感は、誰がどう言おうと〝体にいい〟と信じています。〝そりゃいいが、テレビの前から移動してどこに行くのか〟ですって?
〝変える〟主義と体罰 2013/05/04 Sat 3781
 〝相対性理論〟は〝人間行動〟にとっても重要な役割を果たす。これがわたしの確信である。ただし、わたしが本物の〝相対性理論〟についてまったく理解していないことは、ここで〝告白〟するまでもなく周知の事実である。だからわざわざ断ることもないと言いながら、断ってますね。ともあれ、人を〝変えよう〟と思ったらこちらが〝変わる〟ことだ。〝相対性理論〟などと聴けば大仰そうだが、ただそれだけのことである。
 教育界で問題になる〝体罰〟は〝変えよう〟とする圧力方式の典型である。指導者たちには、おそらくは〝俺は変わらない〟という信念というか、確信があるのではないかと思う。わたしに言わせれば、〝スーパー説得型〟のリーダーシップである。そんな呼び方をすると聞こえはいいが、それは〝権威主義〟〝専制主義〟〝威圧主義〟とほとんど同義語である。これに物理的力が加わるから体罰になる。こんなことを書くと大いなる誤解を生むに違いないが、わたしは〝体罰〟で子どもたちを変えようとする人たちを〝すごいなあ〟と思ってしまう。ここで〝尊敬する〟なんて表現すると、これはもう問題発言そのものになるが、これでもわたしなりに〝精一杯の皮肉〟のつもりである。
 というのは、〝体罰〟を振るうのは、〝自分の力(だけ)〟で人を変えようと考えているのではないかと推測するからである。わたしなんぞのような軟弱な人間は、〝そもそも自分の力で人様を変えるなんてできっこない〟と思っている。それは確信だと言ってもいい。もちろん、このわたしだって〝リーダーシップ・トレーニング〟なんてことをライフワークにしている。そこでは参加者の皆さんがリーダーシップを改善していくこと、つまりは〝変わる〟ことを目指している。
テレビ離れ 2013/05/04 Sat 3780
 熊本県の美里町にある〝二俣橋〟ですが、とにかく〝ハート〟ができると聴いただけで楽しいではありませんか。わたしはこんな温かいセールスポイントをもった橋の存在を知りませんでした。皆さんは、NHK〝にっぽん縦断 こころ旅〟という番組をご存じですか。俳優の火野正平さんが視聴者から届いた手紙をもとにして、自転車で全国を回るんです。リクエストされたところまで自転車でやってきて、そこで手紙を読むという趣向です。これがなかなか楽しいんですね。
 このごろは、テレビのスィッチをひねれば、どこもここも同じような番組でうんざりしてしまいます。そんなこともあって、いつのころからでしょうか、わたしには〝いつも視る〟テレビの番組というものは完全になくなってしまいました。そう、〝完全に〟です。お昼と夜7時のNHKニュースは、子どものころから、そうですねえ50代の半ばくらいまでは、できるだけ視ていた番組だったでしょうか。それも忙しくなったとか、生活習慣の変化もありますが、たまたまその時間であることに気づいたらリモコンのボタンを押すといった程度になりましたね。何分にもインターネットでテレビのニュースも含めて、いつでも〝ニュース〟にアクセスできるわけです。
 そして、たまたま食事のあとでテレビを点けたら〝ど演歌〟が流れていた、なあんてときだけは、そのまま視続けることがあります。とにかく、わたしは〝義理人情〟に感動し、涙する〝苔むし団塊世代〟の〝正会員〟なのですからね。そんなわけで、〝NHK歌謡コンサート〟が火曜日の8時からはじまることは知っています。しかし、それも〝お気に入り〟の歌が聴けそうなときだけです。〝ど演歌〟好きにも、それなりの判断基準があるんですよね。
人間行動の〝相対性理論〟 2013/05/03 Fri 3779 continued from 4/29
 これまで〝気づく〟〝比べる〟〝行動する〟ことの大事さを指摘してきた。そもそものスタートは、4月2日、〝組織の安全〟を考えようということからはじめた。そして、〝行動〟の次は〝変わる〟をキーワードにした。それも他人を〝変える〟ことを目的に〝説得〟する際は、まずは自分が〝変わる〟覚悟をすることが欠かせないと主張した。〝変える〟前に〝変わる〟ことである。わたしは人間の関係も行動も、すべては相対性理論の枠組みのなかにあると確信している。
 ニュートンが提起した〝慣性の法則〟もすばらしい。その本質は、〝静止した物は外から力が働かない限り静止し続ける=じっと動かない〟し、〝等速度で運動する物は外から力が働かない限り、同じ方向に同じ速度で進み続ける=変わろうとしない〟ということだ。ここで漢字の〝物〟を〝者〟に置き換えれば、そのまま〝人間行動の法則〟になる。われわれも外圧がかからないと動こうとしない。あるいは、一端走り出すと自分を振り返ることもしないで猪突猛進する。少々の外圧では変わらない…。ニュートンは宇宙に存在する物体の運動について普遍的な法則を発見しただけでなく、人間の行動にまで頭に描いていたのである。何という感動であろうか。もっともこの仮説は、ニュートンが〝物〟と〝者〟という漢字だけでなく、その〝発音〟まで知っていたという前提が必要になる。みなさんはどう思われますか。ニュートン氏はあの世ですので、インタビューもしづらい状況ですなあ。
 それはさておき、わたしはニュートン物理学を克服したアインシュタイン博士の〝相対性理論〟にも注目し続けてきた。これこそは、人間を理解し、すばらしい人生を送っていくために欠くことができないものだと確信している。
 
二俣橋 2013/05/03 Fri 3778
 たまたま義母を連れて行って、祇園太鼓の実演にも出会った思い出の〝佐俣の湯〟です。その母も他界して8年近くになります。そんなわけで、〝天気がよかったら佐俣の温泉に行こう〟という家内の提案は、一も二もなく賛同を得たのでした。
 ところで、〝佐俣の湯〟から1kmほどのところに〝二俣橋〟というアーチ型の石橋があります。そもそも熊本県の山あいには旧い石橋がいくつもあります。豪快な放水をする〝通潤橋〟はご存じの方もいらっしゃるでしょう。石橋と言えば長崎市の眼鏡橋が有名ですが、とくに美里町には巧みに石を積んだ、今では芸術的とすら思える、しかしきわめて実用的な石橋がそこにもここにもあるわけです。わたしの仕事である〝グループ・ダイナミックス〟の創始者であるクルト・レビン(Kurt Lewin)さんは、研究における実践の大事さをこの上なく強調しています。最も過激に意訳すれば、〝実践的でなければ理論ではない〟とまで言い切っています。もちろん石橋を造ったのは生活に必要だったからで、そこにアート的な要素を含めるといったこころの余裕などなかったはずです。しかし、強度などをしっかり考えて造りあげられた構造物を見ると何とも美しいわけです。その昔、たとえばギリシャの時代などに、〝こんな美しい宇宙は神が創ったに違いない〟とか、〝宇宙の根源は整然とした数だ〟などという発想があったのもしっかり理解できます。
 ところで〝二俣橋〟の話に戻りますが、これがまたちょっとした観光ポイントになっているのです。太陽が石橋に当たるとそれがシルエットになって日差しの部分が残ります。これを反対側から見ると、橋の向こう側の明るい部分と水面に映った日差しの部分が合体してハートができあがるんです。
 
痛恨の極み 2013/05/02 Thu 3777
 〝つうこんのきわみ:痛恨の極み これ以上ない程に残念である、非常に悔やまれる、などの意味の表現〟(電子版実用日本語表現辞典)。昨日5月1日は水俣病が公式に確認された日だった。この日に水俣保健所に患者の存在が報告された。それから57年が経過したのである。
 水俣病では原田正純氏が知られているが、昨年の6月に他界された。わたしは先生にけっこうな回数お会いする機会があった。食事会のあと二次会に出かけてカラオケを楽しんだこともある。〝ぼそぼそ〟という表現は失礼になるが、淡々といろんなお話しをされた。わたしが学生のころ岩波新書の〝水俣病〟を出版と同時に買って読んだことなども話題にした。ご自分が講演中に何かおかしいと思いながら意識がなくなって、気づいたら病院だったというエピソードもお聞きした。最後にお会いしたのは亡くなられる半年ほど前だっただろうか。先生が半世紀以上にわたって関わられた水俣病だが、まだ問題は残したままである。
 そうしたなかで、慰霊式が模様されたのである。ところが、お昼のニュースを見ていて、わが耳を疑った。水俣病のある被害者団体の事務局長が道路交通法違反容疑で現行犯逮捕されたというのである。警察によれば、この人は4月30日の午後11時40分頃に、水俣市の交差点で乗用車と衝突したという。酒気帯び運転だった。まさに水俣病犠牲者慰霊式の前日で、式に関係した懇親会で飲んだらしい。何とも〝痛恨の極み〟、ことばを失ってしまう。逮捕されてしまったからには、最も大事な慰霊式にも出席できなかったに違いない。これでは亡くなった方々の霊も浮かばれない。〝天網恢々疎にして漏らさず〟というが、酒気帯び事故なんて、単に〝墓穴を掘った〟だけのことだ。
〝美里町〟ツアーへ 2013/05/02 Thu 3776
 そんなわけで、有田の〝陶器市ツアー〟には行けなくなってしまいました。そして、いよいよゴールデンウィークはファーストステージに入りました。夕食のときに、〝明日はお天気が良さそうなので、佐俣の温泉に行こうか〟と家内が提案しました。日本人は一般的に温泉好きだとされています。どこに行っても自然と隣り合わせの温泉は心身共にリラックスさせてくれます。わたしも出張先に温泉があればできるだけつかることにしています。とくに朝風呂が格別です。もちろん朝酒などはしませんが…。それにわたしが住んでいる熊本は、その名からして〝火の国〟なんです。わざわざ出かけるまでもなく熊本市の街中にだってゆったりできる温泉があります。
 ところで、家内が話題にした〝佐俣の湯〟は美里町にあります。その昔は中央町と砥用町ー〝ともち〟と読みます-だったのですが、いわゆる平成の大合併で美里町になりました。〝美しい里の町〟とは、すばらしい名前です。ここに〝佐俣の湯〟があるのですが、家内が9年ほど前に母親を連れて行ったことを想い出したのです。そのときのイベントで小倉の祇園太鼓が来ていました。義母は福岡県の行橋市に住んでいましたが、そこは小倉のお隣にあります。わたしも小学校に入学する少し前から4年生の1学期まで行橋の住人でした。また北九州にも深い縁があります。実際に住んだことはないのですが、わたしの本籍地は北九州の門司なのです。両親の墓も門司の霊園にあります。さらに、父の仕事の関係で両親が小倉区に住んでいた時期がありました。そして、母が47歳で亡くなってしまったのも小倉区だったのです。そんなこともあって、たまたま祇園太鼓に出会ったことが、〝佐俣の湯〟と強く結びついているのです。
〝驕り〟〝慢心〟 2013/05/01 Wed 3775
 〝おごり:驕り / 傲り いい気になること。思い上がり〟〝おごりたかぶる:驕り高ぶる/傲り高ぶる 他人をあなどり、思い上がった態度をとる〟〝まんしん:慢心 おごり高ぶること。また、その心。自慢する気持ち〟(電子版大辞泉)。昨日の朝、ネットに掲載されている小さな見出しが目に入った。東京都の猪瀬知事が、ニューヨークタイムスの記事について〝真意が伝わっていない〟と発言したというのものだ。この見出しを見ただけで、なにか失言をしたなと直感した。〝真意が伝わっていない〟ということは〝物議を醸すこと〟を言ったと推測できたからだ。
 それから、朝食のときにオリンピック招致で競っているイスタンブールを批判したらしいことがわかった。その詳しい情報は得られなかったが、とにかく〝立場を弁えずに失言した〟のだと思った。それが当たっていたことは夕刊を見てわかった。猪瀬氏は歯に衣を着せぬ発言と行動力が売り物だった。東京都知事選では圧勝したのも、そのあたりが評価されたのではないか。そこまではけっこうなのだが、ついつい〝驕り〟と〝慢心〟が表に出てしまったか。そもそも外国で報道機関のインタビューに答える際には慎重にも慎重を期するのが公人の常識であり、かつ責任でもある。知事は〝98%が東京のPRだった〟と言い、立ち上がるときに雑談で問題発言をしたという。なんとも脇が甘いとしかいいようがない。〝脇が甘い〟のは相撲のことで、相手から責められることを意味している。その点では、今回は直接には取り組んでいないのだから、〝墓穴を掘った〟という方が当たっているか。猪瀬氏も文化人だろうに、自分たちの文化の優秀性を語るのに他の文化を貶めるようでは、その一点だけでも品位を疑われる。
陶器市ツアーへ… 2013/05/01 Wed 3774
 有田の陶器市ツアー列車は〝特急もどき〟なので、正規の列車との行き会い待ちなどでけっこう停車したりはします。そこは何といっても行楽といいますか、お遊びなんですね。せわしない私ですら、とくに欲求不満にはなりません。それにこの時期は最悪になる道路の渋滞も完璧にクリアできるのです。まずは上有田駅で降りて街を歩き、お店を覗きながら時間を楽しみます。家内たちは食事処もお気に入りがあって、これまたけっこうなものです。そして最終的には決められた時刻に有田駅までたどり着けばいいのです。ちょうど2つの駅の間を歩くとツアー完了ということになります。あとは電車に揺られて帰るだけ。
 とまあ、ここまでは〝有田陶器市ツアー〟のPRをしたようなものですが、今年はそれがアウトになりました。〝なあんだ、行かないのか〟と思われたでしょうか。まことに申し訳ございません。じつは〝行けなかった〟のです。どんな観光でもお天気は気になるところですが、陶器市の場合はそれがきわめて大きなポイントになります。何分にも外を歩くのですから傘を差してではおもしろくありません。そこで、いつも週間予報を見ながら申し込みをしてきたのです。これまで家内と娘たちはけっこう出かけているのですが この方法で首尾よくお天気に恵まれていたわけです。そんなことから今年だって、同じ要領で行こうと考えるのは、まあ自然なことだと思います。ところがです。今年はどうしたことか、当方の希望した日がすべて〝アウト〟だったというのです。そうなれば、他の手段はあり得ないのですから、あきらめるしかありません。それにしても、これってひょっとして〝アベノミクス〟効果なんでしょうかね。とにかく〝陶器市ツアー〟は好調のようです。