味な話の素
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No.120 2013年04月号 3742-3773 
2013年度の公開講座「リーダーシップ・トレーニング」の募集を開始しました。今回で最後の講座になります。 お申し込みは⇒ ここをクリック
〝集団〟のそれから… 2013/04/30 Tue 3773 Continued from 4/19
 お久しぶりに、バス停で出会ったおばあちゃんとお兄ちゃんの話の続きです。この2人の間に一時的ではありますが、とにもかくにも相互作用が生まれたのでした。つまりは〝集団〟としての最低限の条件を満たしたことになります。ただそうは言うものの、正真正銘の〝集団〟として認知されるためには、もう一歩なのです。たとえば、〝共通の目標〟なども必要になります。また〝自分たちは同じ集団のメンバーなんだ〟という意識も大事です。その点では、この2人は、まだ〝完全な集団〟とまでは言えないことになります。集団を研究の対象にする際には、もう少し厳密に考えるのですが、この段階では〝集団は相互作用をする2人以上の人の集まり〟でOKとしておきましょう。
 ところで、〝集団〟の定義に関して、私はグループ・ダイナミックスの研究をしている人でも首をひねるようなことを考えています。それは〝相互作用をしていない1人だって集団だ〟という発想です。皆さんも〝どんな理屈か知らないけれど、それって無理があるんじゃないの〟と思われるでしょう。しかし、私はこの見方にかなり自信をもっているのです。まさか、お食事を撮りながらこれをお読みになっている方はいらっしゃらないでしょうね。ここで皆さんがトイレに座っていることにしてお話しを進めます。あなたが禅寺のお坊さんでもない限り、こんな場所で〝無念無想〟の〝瞑想に耽る〟なんてことは出来ないでしょう。まあ、あれやこれやと考えるわけです。私などはトイレ用の本を置いておくほど活字中毒です。そんなわけで、いつの間にか読む方に力が向いていることもあるのですが…。それはともあれ、トイレのなかで、今日いまからどんなことが起きるか、あなたは思いを巡らせはじめます。
連休の過ごし方 2013/04/30 Tue 3772
 〝連休は寝て過ごす〟と決めているわけではありません。ただ人出が多いところは疲れるので、なるべくひっそりしておこうという発想です。しかも、団塊世代なのでしょうか、〝休日と仕事の分離〟ができていません。少なくとも朝と夜は、どんなことがあっても〝仕事もどき〟のことをして過ごしてきました。これは、ゆっくりしようと温泉などに出かけて宿泊するときだってそうなんです。とにかく、朝は4時ころになれば目を覚ましていますから、仕事以外に〝することがない〟のです。この〝味な話の素〟は仕事ではありませんが、〝仕事がらみ〟のネタもかなり書いています。その内容の議論は置くとして、海外出張のときも含めて、朝っぱらからこのコラムを書き続けていることはご承知のとおりです。まさに、押しも押されもせぬ〝仕事人間〟ということでしょう。
 家内の定義によれば、私は〝回遊魚〟に含まれるそうです。その代表がマグロですが、彼等は〝止まると死ぬ〟んだそうですね。そう言われてみれば、われながら〝まさに的確な分類だ〟と膝を打ってしまいましたよ。とにかく、じっとしていることができないのは、わが家ではすでに常識中の常識になっていますから。さてそんな状況ですが、家内から連休の過ごし方についていくつかの提案がありました。じつはそのなかで最も大きかったのが、JRで有田の陶器市に行くツアーでした。これには、私も1度だけ参加したことがあるのですが、なかなかいいんです。在来線の特急の車両を使って臨時列車として有田までを往復します。スタートは八代だったでしょうか、いくつかの駅に停まりながら参加者を乗せていきますが、熊本でほとんど満席になります。もちろん座席は指定していますから、ちゃんと座れます。
 
今日は〝味な話の素〟10歳の誕生日です。いつもご愛読いただきまして、ありがとうございます。次の目標は小学校卒業の12歳でしょうか。
〝先に変わる〟と〝納得〟 2013/04/29 Mon 3771
 私は〝説得〟と〝納得〟を区別してきた。それは〝説得する側〟の〝自分も変わる〟覚悟の有無である。世の中には、他人には〝変わること〟を要求するが、自分のことは棚に上げて知らん顔をしている人間がいる。一方的に〝あんただけ変わりなさい〟では納得してもらえるわけがないのである。
 〝国民に負担を求めるからには、自ら身を切らなければならない〟。裁判所から一票の格差が憲法違反とされ、とうとう〝選挙の無効〟まで宣告されてしまった。しかし、それでもまだ〝意見が合わない〟ために先行きはややこしい状態である。まあ、ようやくのこと〝0増5減区割り法案〟なるものが衆議院で可決された。これでスンナリとはいかず、参議院で〝ああだの、こうだの〟とモメることになっている(?)。これで、〝決めた〟方は、〝やれやれ一段落〟とばかり、次の一歩は〝忘れてしまう〟のではないでしょうね。一方の反対した側も〝とうてい受け入れられない〟条件を付けて拒否されると、〝こんなごまかしは断じて許さない〟と〝小さな前進〟は断固拒否するという段取りである。それでも〝0増5減〟が通ってしまったから、国民の関心も少しばかり薄れるかもしれない。なあんて、そんな不届きなことを考えている方は一人もいらっしゃらないと信じてよろしいでしょうね。
 いずれにしても、いい加減なことをしていれば、誰だって言うことなんか聴かなくなる。ここで〝やせ我慢〟してでも、自分たちに不利になる、あるいは損をすることからはじめる。〝さすがだ。あの人は、私たちに変われと要求しているが、それより先に自分の方から変わろうとしている。われわれもしっかりしようじゃないか〟。人間は気持ちが通じれば、こんないい流れができてくるものだ。
 
〝比較行動力〟 2013/04/28 Sun 3770 Continued from 4/20
 今月の2日に、〝気づく〟ことの大事さを指摘した。それが〝比べる〟ことに繋がる。そこで〝自分たちの方がいい〟ことに気づけば、〝まあ、いいか〟と気持ちの整理がつく。まことに消極的というか、次のアクションに繋がらない整理の仕方である。それでも〝こころが安定〟して、それなりに仕事に専念できれば目くじらを立てて否定することもない。しかし、いいところと〝比べる〟ことで仕事の手を抜いたり、〝もっとひどいところ〟の仕事を妨害するのでは大いに問題である。そんな対応では単なる現状維持で終わって、さらなる成長や進歩は期待できないし、あるいは気持ちもしぼんで現状維持すらおぼつかなくなる。
 そんな状況から脱出するには〝行動〟するしかない。われわれの成長にとって〝比較〟が〝行動〟に繋がらなければ意味がないのだ。これを〝比較行動力〟と言ってみようか。何分にも、〝新語〟っぽいものを創るのが趣味である。そんなことで、〝比較行動力〟を〝新語〟として提案したいのだが、まあ一般的に言えば〝実践力〟である。いずれにしても、この〝比較行動力〟にはエネルギーが必要になる。それを供給するのは、人の心のなかにある〝変わろう〟〝変えよう〟という意欲である。もちろん、ここで〝変わる〟主役は自分である。職場を擬人化すれば〝職場〟が変わる意思を示すことだ。また〝変える〟のも自分が自分を〝変える〟と受け止めてもいいし、さらには〝他人や組織〟を〝変える〟と考えることもできる。ただし、人様を変えるという大それたことをするのだから、まずは自分自身が変わるのが順番であり、それが礼儀というものである。私はこれまで、〝説得〟と〝納得〟は単なる裏返しではなく、本質的に違っていると言い続けてきた。
 
現場インタビュー 2013/04/27 Sat 3769
 仕事をしているなかで、〝ミスや事故〟を防ぐ、あるいは影響を最小限にするアイディアが生まれる。そんなときに、あらかじめ決められた職場の担当部門にメールする。これを受けたら、できるだけ早く当該の担当者が発信者のところへ出かけていってミニ・インタビューする。その際に、〝これはインタビューに値するか〟などと審査しない方がいい。詳しい状況がわからなくても、とにかく話を聴くことである。このときのインタビュアーは、通常の仕事をしている限りは現場に出かけることがあり得ない者がいい。
 いまどき、性別や年齢を指定するのはまずいが、職場経験の少ない事務担当の女性などが現場に出かけるとおもしろい。彼女たちもこうした機会がなければ見ることができない現場の様子を知ることができるわけだ。それに、インタビューされる方も楽しくなるに違いない。なにせ、自分が働いている現場に若い女性が来てくれるのである。このときとばかり、自分たちの仕事をアピールしようと張り切るだろう。そのインタビューの様子をビデオに撮るのである。もちろん忙しい仕事をしている人が多いだろうから、メールした〝アイディア〟について、ほんの1、2分だけ話せば十分である。カメラを三脚で固定して、画面の手前端にインタビュアーも写し込む。そして報提供者の顔を中央に置く構図にすれば、カメラのスタッフはいらない。それを社内のインターネットで流すわけだ。もちろんインタビュアーの一口コメントを加えるのもいい。〝アイディア〟だけでなく、〝いま困っていること〟などを取りあげることだって〝あり〟である。そうしたものも〝安全〟に貢献するだろう。職場にはネットに詳しい若者がいる。そんな人たちが中心になれば運用も可能だ。
 
〝アイディア情報室〟〝安全ポスト〟 2013/04/26 Fri 3768 Continued from 4/21
 〝むずかしい、むずかしい〟〝できない、できない〟などと言いつづけているうちに〝本気になって〟あきらめる。もちろん〝できる、できる、きっとできる〟と唱えていればうまくいくなんてこともあり得ない。しかし、〝あきらめる〟よりも〝何とかしたい〟という気持ちを維持していた方が、ものごとが成就する確率は高いに決まっている。とにかくいつも〝考え〟ながら〝求めつづける〟ことである。そうしていれば、〝小さなアイディア〟〝ささやかな知恵〟が向こうからやってくる。
 とりわけ職場の若い人たちの安全意識を高めるにはどうしたらいいか。それを考えつづけているとおっしゃる方とお話をしていたとき、ふとNHKの〝まちかど情報室〟が頭に浮かんだ。ご存じの方も多いと思うが、これはNHKのニュース〝おはよう日本〟のなかで流されているものだ。放送は6時と7時の時報よりも少しばかり前の時間帯だが、これがなかなかおもしろい。番組自身はいわゆるアイディア商品とおぼしきものを3つほど紹介するだけである。しかし、いつも〝ほーっ、これは便利だ〟とか〝うわーっ、楽しいじゃない〟などと言いたくなる。そのネタは利用者からの情報なのか、あるいはメーカーの売り込みなのか詳しいことは知らない。しかし、とにかくごく普通の人たちがじつに楽しそうにその商品を使っている様子が映し出されるのである。親子で楽しめるものもかなり多い。
 職場の安全に関してもこんな感じで、〝小さなアイディア〟がみんなに共有化されるといいと思う。たとえば、〝ちょっとした工夫〟で〝うっかりミス〟を防ぐことができる〝ノウハウ〟を発見した。そのときはすぐに、〝アイディア情報室〟〝安全ポスト〟などとネーミングされたところにメールする。
〝うーん…〟 2013/04/25 Thu 3767
 世の中は〝十人十色〟〝百人百様〟である。みんなが金太郎飴ではおもしろくないし、いろんな仕事をするにも困ってしまう。まさに個性が大事なのである。同じ職業であっても様々な個性があっていいし、なければならない。と、ここまでは〝常識的〟あるいは〝建前的〟には間違いない。しかし、その〝個性〟にも、それこそ常識的な限度がある。
 このところ話題になった東京都下の学校で発覚した〝暴言教師〟だが、そのニュースを見たときには、しばらく開いた口が塞がらなかった。正確には、学生からその話を聞いてネットで検索したら、小学校がある市の名前を入れただけで、関連のリストが並んだのだった。暴言だけでなく、特定の児童を指定して〝早く答えてくれないと勉強が始まらないと言っていいよ〟と他の子どもたちに呼びかけている。そのあとに子どもたちのオウム返しの声が聞こえる。何とも信じられない光景だ。教師が率先して〝いじめ〟を指導しているのだ。保護者がこれを問いただしても本人は否定し、〝子どもの勘違いではないか〟と答えていたという。学校がこの事態を把握していなかったのだろうか。保護者がおそらくICレコーダーで子どもに録音させて、それを教育委員会に送った。そこで事実が〝発覚〟したという。カセットテープは60分しか録音できなかったし、テープが止まったときに音がするから、こんな記録はとれなかった。
 ともあれ、これでは学校に〝自浄能力〟がないと言われても仕方がない。もっと早めに対応していれば、学校の問題として解決できていたはずである。それにしても恐ろしい時代になった。この先生の名前も写真もあっという間にネットで広がった。さらに、問題そのものとは関係なさそうな出身大学まで明かされている。
 
もう一つの〝奇跡的確率〟 2013/04/24 Wed 3766
 ともあれ、〝奇跡的に確率の低い〟体験をして、自分自身は大いに感動した。これが16時20分である。ところが、それから1時間ほど経過した17時30分ころに、〝もうひとつ〟の〝奇跡〟が起きた。こちらの相手は比較的身近な方である。しかし、やはり私の〝身辺整理〟には関係があった。熊本大学での30年を超える仕事の間に、関連する教材ビデオを購入し、必要に応じて授業で使って来た。こうした教材も定年で必要でなくなる。そんな思いもあって、これから活用していただける方にお譲りしたのである。そのことに対するお礼のメールが届いたわけだ。〝有効に活用します〟と書かれており、私もお送りした甲斐があった。
 さらにメールには、私への問い合わせが加えられていた。それは、随分前に私の後任としてお願いした非常勤講師に関わることだった。ご本人がお忙しくなり、継続がむずかしくなってきた。そこで、交替していただく方がいらっしゃれば代わってもいいだろうかと言う内容である。バトンタッチしたのだから、私にお尋ねになる必要などないのだが、その文面を見て〝これまた奇跡的確率だあーっ〟と思ってしまった。その日の午前中に時間を見て〝身辺整理〟をした。その際の対象に写真も入っていた。いろいろな研修や講義の記念で集合写真を撮ったりするが、それらを整理したのである。その中に交替していただいた非常勤先で撮ったものがあったのだ。〝あー懐かしい〟としばし感慨にふけったのであるが、何と夕刻にはそこを引用するメールをいただいたのである。これまた〝偶然だ〟と言ってしまえば、それでおしまいである。しかし、〝あっ〟と驚くことが1時間と少しばかりの間に重なると、私としてはやっぱり〝奇跡だ〟と思いたくなった。
奇跡的確率 2013/04/23 Tue 3765
 若いころにお世話になった方からメールが届いた。何とも久しぶりで、それに懐かしさ覚え感動したのは、十分お分かりいただけるだろう。しかし、そのことと私が処分した本の裏書き〝72/5/23 中州 積文館 □□調査〟とどんな関係があるのか。じつは私が20代前半に出会ったとき、その方こそは、メモ書きしていた会社□□にお勤めだったのである。会社のトップがグループ・ダイナミックスの研究と実践に強い関心をもたれた。そこで、若い有能な社員を集団力学研究所に出向させられたのだった。そんなことで、しばらくしてから□□社で調査を実施することになった。その結果をもとにしたリーダーシップ・トレーニングも導入された。この一連の実践的な研究に私も参加させてもらったのである。
 まだ大学院生だったが、〝大きな顔〟をして調査をしたり、トレーナーとして様々な働きかけをした。私にとって貴重な体験であり、そうしたものすべてによって私は育ててもらったのである。そして、大学院生ということで、調査やトレーニングは仕事としてアルバイト代を支給してもらっていた。そのペイを集団力学研究所からもらった日に、歩いて数分のところにあった〝中州 積文館〟に本を買いに行ったのである。そして、定年を控えて進めている身辺整理の一環としてその本を処分した、まさにその日にその購入と切っても切れない関わりをもっている方からメールが届いたのである。しかも、かなりの期間にわたってコミュニケーションを取っていなかった方からである。そんなことが目の前で起きたから、当然のこととしてビックリしたのである。これを奇跡と呼ぶのは大げさで科学的姿勢に欠けているだろうか。しかし、それでも〝奇跡的確率だ〟くらいは叫びたい。
 
驚きメール 2013/04/22 Mon 3764
 さて、本の表紙裏に書いたメモ〝72/5/23 中州 積文館 □□調査のペイで〟であるが、どうして中州の積文館なのか。じつは、学生時代から出入りしていた集団力学研究所が川端にあったのだ。川端と中州は川を挟んで電停としてはお隣、歩いても3分程度の距離である。川端電停の前には西日本相互銀行の元本店で、博多駅近くに本店ができてからは博多支店になっていたビルがあった。集団力学研究所はその2階の一室を借りていたのである。このビルが立て替えられて、現在は〝博多座〟になっている。そのことをご存じの方も少なくなったのではないかと推測するが、いかがだろうか。ともあれ、その研究所の仕事でもらったバイト代ですぐに中州の積文館に行ったのに違いない。
 そんなわけで、裏書きに懐かしさを覚えながらも、わが〝身辺整理〟の原則にしたがって、その本は処分した。とにかく今秋にはめでたく〝前期高齢者〟の仲間入り、身軽にならないといけない。そんなわけで、書籍を含めて〝処分〟は、現在進行中のアクションであり、とくに何と言うこともない。ところがである。それから少し時間が経過して驚くべきことが起きた。ある方からじつに久しぶりにメールがあった。私の5つほど年配で、学生のころからお世話になった企業人である。数年間、川端の集団力学研究所に出向されていて、一緒に勉強したのだ。私の身の回りにいたのは大学関係者がほとんどだった。そんななかで、組織人としての常識などを教えていただいた。まさに私の20代で忘れることができない方々のお一人である。ただ、最後にお会いしてからは、5、6年は経過していると思う。いやもう少し経っているかもしれない。ともあれ、今年が古稀だとのことで、まことにお懐かしい。
 
裏表紙のメモ 2013/04/21② Sun 3763
 定年の年度に突入して〝身辺整理〟のペースを上げている。数日前のこと、学生時代に買った本を処分した。裏表紙に〝72/5/23 中州 積文館 □□調査のペイで〟とのメモがあった。大阪の会社に組織調査で出かけたのだが、そのときのアルバイト代をもらって購入したのである。書店の所在地は福岡の中州だ。〝あいうえお、覚えたときから積文館〟。積文館と聞けば、リズム感あふれるこのコピーを想い出す。もう、うん十年以上前のものだが、いまでも十分に通用するすばらしい作品だ。天神の新天町に本店があり、西新の電停前の支店もよく覚えている。加賀まりこの写真集が出たとき、それを〝ドキドキ〟しながら覗いたのは西新支店だった。もちろんと言うべきか購入してはない。どうして〝ドキドキ〟したのかは伏せておくことにしよう。私の年代の男性であればその理由がお分かりになる方も少なくないと思う。
 ところで、西新の電停だが、これがすさまじかった。いわゆる安全地帯がないのである。市電から降りた客はいきなり道路そのものに立って信号が変わるのを待つのだ。その間も一車線の道路をバスやトラックまでもが通り過ぎていくのである。いまでは、想像することすらできない状況だが、その道路を無事に渡るとすぐ前に積文館があった。西新止まりの電車に乗ってきて、その先の室見や姪浜までいく人たちは、積文館の前で待っていて次の電車を待つことになる。そんな事情から、積文館は立ち読みの専門店になるのだった。そして目的の電車が来ると〝わっ〟と客が道路を渡るわけだ。そのときにちゃんと信号を守っていたかどうか、もう記憶がない。〝赤信号、みんなで渡れば怖くない〟とばかり、集団で車を止めていたのではないか。そんな気もする。
 
言うは易く… 2013/04/21① Sun 3762
 人間は理想を掲げることができる。そして、それを実現すべく努力する潜在的な可能性ももっている。ただし、それはあくまで可能性である。本当に力を込めて努力し続けることができるとは限らない。およそ〝理想〟と言われるものは、大多数の人間が〝それはいいねえ〟と評価する。ただし、〝それは理想的すぎる〟と言って否定的な評価を受けることもある。
 ところで、世の中の組織には、それぞれが存在している理由があり、目的をもっている。そうした目的を達成するために具体的な目標が設定され、組織の構成員が自分たちの役割を果たしながらその実現を目指す。そのスムーズな展開を促進すべく、あるいは組織の存在意義を確認すべく、〝社是〟〝理念〟、ときには〝宣言〟などが掲げられる。〝スローガン〟は標語だが、しっかりした文章が並んでいることも多い。学校でも校長室や教室であれば黒板の上に額に入った〝目標〟が目に入ってくる。病院でも〝患者さま第一〟を謳ったものや、〝コンプライアンス〟を重視するものなどがある。あるいは〝社会全体の幸福に資する〟として社会貢献を訴えたり、〝何よりも安全こそが存在の前提〟と、〝安全〟に焦点を当てたりもする。それらはどれを取っても〝なるほど〟と納得できるものばかりである。
 皆さんは、私が何を言いたいのか、お分かりのはずである。そう、問題は、それを現実するための具体的な方策である。〝言うは易く行うは難し〟。あちらでも〝Easier said than done〟と言っている。まさに時代も洋の東西も問わない、人間の〝真理〟というか、あるいは〝心理〟と言うべきか。じつに〝悩ましい課題〟である。そうかといって〝むずかしい、むずかしい〟と手を拱いているばかりでは前に進まない。
〝比べる〟から〝行動〟へ 2013/04/20 Sat 3761 Continued from 4/03
〝気づく〟〝比べる〟は組織の安全にとって重要なキーワードではある。しかし、自分たちを他と比べて〝あそこはいいなあ〟とうらやましがっているだけでは何も変わらない。もちろん〝あそこよりはましだ〟と自分たちの不満足な状況を合理化するだけでも事態は進展しない。そこで求められるのが〝行動する〟ことである。〝生きる〟とは〝問題を解決し続ける〟プロセスに他ならない。われわれを取り巻く環境は絶え間なく変化している。それに対応するために、われわれ自身も時々刻々と変わっている。それはあまりにも些細で、しかも習慣化しているために〝変化に対応している〟ことすら感じないものもある。
 たとえば夜になると眠くなることなど当然のことである。しかし、それも仕事をして心身ともに細胞に疲労物質が溜まり、それを元の戻すために活動を休止して眠ることが必要なのである。もちろん生理学的な細かいことはわからないが、生きているということは、生きる活動のために行動し、それによって生じた疲労などのアンバランスを回復することの繰り返しである。もっとも、何度も繰り返しをしているうちに細胞をはじめとした部品そのものが疲れてくる。それがいわゆる老化ということである。もちろん、毎日の食事にしても活動できる体を維持するために必要なエネルギーを摂り入れることが目的である。だからそれが必要になると空腹を感じ、食べるという行動を引き起こす。こうして、われわれは生きるために必要なことについては、改めて意識することなく〝行動〟している。しかし、それが組織の安全などになると、必ず〝行動〟に移すとは限らない。しかし、〝気づく〟〝比べる〟だけでなく、それに〝行動〟が続かなければ組織の安全は確保できない。
めでたく〝集団〟成立 2013/04/19 Fri 3760 Continued from 4/08
 バス停でおばあちゃんから声をかけられたお兄ちゃんのその後です。いつもなら〝なんだ、うるせい〟などと睨み返すのですが、なにせ相手はお年寄りでした。そこで〝ちょっとあんた〟に対して、面倒くさそうな顔はしたものの、〝何だい。何か用かい〟と応えてしまったのです。こうして二人の会話が始まりました。
 〝うん、これから水前寺公園に行きたかとばってん、バス停の字が読めんとたい。悪かけど、ちょっと見てくれんかい〟〝あーっ、水前寺公園てな。いま何時かい。うーん、それなら15分があるなあ。あと5分くらいで来るたい〟〝あー、そんならそげん待たんでよかたいな。あんたんおかげで助かったばい〟〝ああ、よかったな。まあ、気をつけて行きなっせ…〟。
 私は熊本に住んで30年を超えますが、これが正統熊本弁になっているかどうか自信はございません。ともあれ、これでこの二人の関係はおしまいになるでしょう。バスがくるまでの5分間にさらに話が弾んで、意外にも共通の知り合いがいることがわかるなんてのは、かなりわざとらしいストーリーになりますね。いずれにしても二人の関係は単なる一時的なものです。しかし、それでもとりあえずはことばのやりとりは行われたわけです。つまりは〝相互作用=影響を与えたり、与えられたり〟があったのですから、この二人を瞬間的な〝集団〟と呼ぶことはできます。そもそも人と人とが〝仲間を創る=集団を創る〟のは、こうした出会がきっかけになることも多いはずです。もちろん実際のグループ・ダイナミックスはもう少し人数が多く、継続時間も長い関係をもった人の集まりを〝集団〟として研究することが多いわけです。しかし、〝集団は二人からはじまる〟ことは頭に入れておきたいと思います。
 
厚さ2mmの力 2013/04/18 Thu 3759
 私たちの大脳は新皮質でカバーされていますが、その厚さはわずか2mmに過ぎません。その下には旧皮質がでーんと座っています。したがって、人間も地球上で生き残ろうとし続けてきた過去を背負って、〝差別的行動〟を取ろうとするエネルギーを本性的にもっているのです。だからいつも、〝本来〟の状態に戻ろうとする。つまりは〝還元〟しようとする力が働くのです。
 私たちが地球上で生きる動物の仲間であり、体全体の細胞に進化の歴史が刻まれているのは確かな事実です。受精によって一つの細胞が生まれ、それが分裂を切り返しながら人になっていく。その過程を描いた図を見ると、分裂がスタートして間もないころの姿は、他の動物たちと変わりありません。生物の時間に、受精から分裂がはじまりしばらく経って胚といわれる段階に達することを学習しました。そのとき、脊椎動物の胚の図があって、魚も爬虫類も猿も人間もほとんど同じタツノオトシゴのような形をしていたことを想い出します。また、人間とチンパンジーのDNAは98%あるいは99%が一致するとも言います。その数値の正確さは知りませんが、とにかく〝ほとんど同じ〟というわけです。こうしたことを受け止めれば、〝人間は違う〟などとお高くとまっているわけにはいきません。ましてや自分たちのことを〝万物の霊長〟だなんて、思い上がりもいいところです。ただし、わずか2mmとはいえ〝理性〟を司る〝新皮質〟をもっていることも確かな事実なのです。だから、いつも〝先祖返り〟しようとする〝旧皮質〟を押さえて〝人間らしく〟行動していくことができるのです。だから、この世のすべての生き物が〝差別的行動〟を取っていたとしても、私たちにはそれを排除できる力があるのです。
 
旧皮質への還元力 2013/04/17 Wed 3758 Continued from 4/15
 地獄谷の猿たちは、じつは〝ほほえましさ〟とはかけ離れた〝差別主義者〟たちだ。〝LIFE〟のナレーションだけを聞くとそう言いたくもなります。まさに猿の残酷な一面を見せつけられたように思ってしまうのです。しかし、そんなことを言えば猿たちは反論するに違いありません。これこそが、営々と築かれてきた生き残りのための最良の方策なのだと。私もその通りだと思います。時々刻々と変化していく環境の中では、少しでも強い者が生き残っていきます。そして、その望ましい体質を継いでいくために、強い者はさらに強くなろうとするのです。それは、一方では弱い者はますます生きる力を失っていくことも意味しています。ダーウィンの〝自然淘汰〟〝適者生存〟は、そうした事実を主張しているのです。つまりは、地獄谷の猿たちの、いわば差別的と見える行動は進化論的に当然のものなのです。
 じつに厳しい話ですが、私たちは、まずはこうした事実を受けとることからはじめなければなりません。ところで、大脳には旧皮質と新皮質があることは子どものころから聞いていました。動物である猿たちは旧皮質の部分が圧倒的に大きく、それに支配された行動を取るのです。これに対して人間では新皮質が発達している。その厚さはわずか2mmほどだそうですが、ここで合理的な判断や言語の理解ができると言います。いわゆる〝理性〟を司る役割を担っているわけです。そんなことで、猿たちの場合は〝差別的〟な行動を取ることが生きるために必要なのでしょう。一方、人間は大脳新皮質でそれをコントロールすることができるのです。ただし、私たちの大脳から旧来の皮質が消えてなくなったわけではありません。そのことをしっかり押さえておかないといけません。
教育改革 2013/04/16 Tue 3757  Continued from 3/29
 アメリカは日本を占領するとともに軍や財閥の解体、さらには農地改革などを通して日本の制度を根本から変えようとしました。それは制度の変更というよりも、日本人の意識改革を目指していたはずです。その徹底のためには、もう一つきわめて重要な領域がありました。それが教育です。彼等にとって、自ら命を投げ出す〝神風特攻隊〟や〝一億層玉砕〟と叫んで戦おうとする人間がいること自身、信じがたいことだったでしょう。もっとも、今日では私たち日本人も、その当時のこころの状況については十分に理解できなくなっていますね。それにつけて思うのはお隣の国の状況です。世界中を敵に回すような行動をとり続けていますが、多くの国民が食べるものにも厳しい状況に置かれているといいます。私たちも70年ほど前にはあの様な状態だったのでしょうか。
 それはともあれ、アメリカは学校教育にも大なたを振るって、その体制の大革新を図りました。そうした流れの一環として、アメリカは日本に〝教育使節団〟を派遣します。それは連合国軍最高司令官総司令部から要請されたことになっています。まずは第一次が1946年3月に、そして第二次が1950年8月に来日しました。その結果をまとめた報告書が、それぞれ1946年3月30日と1950年9月22日に提出されています。この報告書を基にして戦後の学制改革が実施されたのです。そうした流れのなかで、〝日本史〟〝修身〟〝地理〟などの教科が廃止されることになりました。こうした教科による教育によって、無謀な戦争を引き起こし、それを継続する日本人の精神構造を創りあげていったと考えられたのです。その一方で、〝個人の尊厳と自由を守る〟というアメリカ的な民主制教育が積極的に導入されていきました。
 
温泉の掟 2013/04/15 Mon 3756
 映画〝LIFE〟は北極海のアザラシの母子を映し出したスタートから私の鳥肌を立てました。母親は命を繋ぐために危険も顧みない究極の犠牲を払うのです。それに引き替え人間の方はどうでしょうか。昨今の育児放棄や児童虐待のニュースに触れるたびに背筋が寒くなってしまいます。問題は子育てだけに限りません。このごろはDV(Domestic Violence)ということばがまるで日常語のようになってしまいました。アザラシがあきれるに違いありません。
 さて、〝LIFE〟でアザラシに続いて登場するのは猿たちです。画面が変わった瞬間に、何となく馴染みのある風景が目に飛び込んできます。それもそのはず、そこは日本なのです。私と同年代の方でしたら〝日本生命〟のCMで温泉につかる猿たちを見たことをご記憶でしょう。それは長野県にある地獄谷野猿公苑の〝世界唯一 温泉に入る猿〟です。とにかくあの〝悦楽の顔〟は忘れられません。なんとも楽しくほほえましい映像でした。今では何と〝ライブ〟で猿の様子が見られるようになっています。それはともあれ、〝LIFE〟でもそうしたホンワカな映像が映し出されますから、その先に〝ゾッ〟とするようなナレーションが入ることなど予想もできませんでした。じつは、地獄谷に住んでいるすべての猿が温泉の恵みを享受していないことが明らかにされるのです。皆さんはそのことご存じでしたか。何ともショッキングな話です。つまりは〝いいところ〟に生まれたら、赤ん坊のころから〝いい湯だな〟と鼻歌交じりでのんびりできる。しかし、そうでなければ年を取っても、温泉を目の前にしてブルブルと震えて過ごさなければならないのです。実際に〝LIFE〟では、そんな高齢者の猿もスクリーンに映し出すのでした。
アザラシの親子 2013/04/14 Sun 3755
 ともあれ、鉄は必ず錆びるのです。しかし、それは〝もともとあった姿〟に戻るということです。私たちは〝錆びること〟を〝腐食する〟とか〝腐る〟などと言います。ここにも人間の〝自己中心的発想〟が透けて見えますね。事実は〝本来の姿〟に還るだけなのです。自分たちに都合の悪いことだから〝腐った〟などと忌み嫌うような言い方をするのです。それはともあれ、生まれたばかりの赤ん坊のときは〝いじめ〟や〝差別〟をする心配など、まったくありません。しかし、人間も成長するとともに地球上で生きているものが潜在的に背負ってきた意識が蘇ってくるのです。こんな表現をすると多くの方が、私たちにそもそも〝いじめ〟や〝差別〟の意識が備わっていると言いたいのかと疑問に思われるかもしれません。しかし、私はそれこそが人間がもっている特性の厳しい現実だと考えています。
 BBCが製作した〝LIFE-いのちをつなぐ物語-〟という映画がありました。地球上の生き物を世界規模でフォローしたすばらしいドキュメンタリーです。私たちが子どものころなら文句なしの〝文部省選定〟で、児童生徒たちが揃って学校から映画館に出かけて鑑賞したに違いありません。この映画、スタートは北極海のアザラシの親子が登場します。母親が海の中で赤ん坊をしっかり育てている。そんな様子を見てから、カメラは一気にズームアウトします。親子がいた氷の穴が点になるほどの空撮になるのです。そうなると一面は真っ白な氷の平原です。そこには親子以外の生き物はまったくいないかのように見えます。どうしてそんなところに親子の2頭だけしかいないのか。ナレーションは〝それこそが外敵から子どもを守る唯一の方法なのだ…〟といったことを伝えるのです。
〝錆〟は〝自然に戻る〟こと 2013/04/13 Sat 3754
 〝鉄は必ず錆びる〟。これは、私たちのような一般人にとって、揺るぎない事実でしょう。そもそも錆は、〝金属の表面の不安定な金属原子が環境中の酸素や水分などと酸化還元反応(腐食)をおこし生成される腐食物(酸化物や水酸化物や炭酸、塩)(Wikipedia)〟なのです。もともと自然界にある鉄は〝酸化された状態〟で安定しているのだそうです。それを人間が〝力ずく〟で成分の鉄だけを引きはがすのが〝精錬〟なのです。そんなわけで、鉄のまま放置しておけば、元の自然な姿に戻ろうとするのは当然なのです。文字通り〝還元反応〟というわけです。しかし、私たちにとって鉄は欠かせない物ですから、〝鉄が錆びるのは自然なのだから仕方がない〟と放って置くわけにはいきません。そこで〝防錆〟のための様々な工夫が行われてきたのです。
 私たちは鉄の表面にカバーを被せるメッキというものがあることを知っています。また、塗料を塗ったりする方法は身の回りでよく見ます。若戸大橋は私が子どものころにできた橋でした。その真っ赤な色は鹿児島線の電車からも鮮やかに見えました。本州と四国を繋ぐ橋などは、何色と言うべきでしょうか。私にはシルバーのように見えます。飛行機からは小さく見えますが、瀬戸内の美しい海と見事に調和しています。このうち、児島ー坂出ルートは道路だけでなく鉄道も通る二階建ての大きな橋です。私も何回か電車に乗って渡ったことがあります。つい数日前ですが、その橋に想定していなかった腐食が見つかったというニュースを見ました。もちろん、専門的なことはわかりませんが、万全の対応をしないととんでもないことになってしまいます。ともあれ、橋の塗料などは〝見栄え〟よりも〝防錆〟がポイントなんですね。
 
〝授業参観休暇〟のすすめ? 2013/04/12 Fri 3753
 孫が幼稚園を終えて小学生になり、両親が揃って卒園式や入学式に出かけた。どちらも平日だから、父親は休みを取っているわけだ。つい先だっては、仕事に関わるメールを送った方からの返事が遅れた。いつもは即座に反応いただいていたのだが、回答のメールに〝子どもの卒園式だったものですから…〟と書かれていた。さらに10年ほど昔になるが、学校の先生が、ご自分の子どもさんの卒業式に出席するためにお休みを取ったこともある。われわれのような〝モーレツ〟を絵に描いたような団塊世代は、こうした話を聞いただけで驚いてしまう。そして、〝そんなことでは職場でまずい立場になるんじゃないか〟と余計な心配までしてしまう。
 とまあ、こんなことを書いている私だが、こうした時代の変化を大いに評価している。まだ昭和の時代である。社会教育関係の委員会のメンバーだったことがある。その際に、私は〝保護者のうちでも、とくに父親はしっかり学校で行われていることに関心をもたなければならない。そのために、働く人たちに、‘授業参観休暇’のようなものを与えるようにしてはどうか〟と提案したことがある。それからうん十年、学校行事でもとりわけ重要かつ華やかな子どもの〝入学式〟や〝卒業式〟には休みを取ることが当たり前になってきたようだ。まことにけっこうなことである。ただ、その傾向はさらに子どもが成長しても続いていくようで、大学の入学式にもかなりの保護者たちが出席するらしい。また大学の受験生向けのPR活動である〝オープンキャンパス〟にも高校生が親御さんたちとやってくるケースが多くなってきたという。授業料を払っていただくスポンサーですから、大学をチェックしておこうという方もいらっしゃるんでしょうかね。
〝裸の王様症候群〟 2013/04/11 Thu 3752 Continued from 3/21
 ダイエーの創業者である中内功はカリスマだったようだ。わたしは〝カリスマ〟の危険性を強調し、世の中のリーダーは〝ミニカリスマ〟であるべきだと主張している。その理由の詳細は〝コミュニケーションとリーダーシップの技術〟に書いている。ホームページ表紙からクリックすればダウンロードできるので、ご関心をお持ちの方はそれをお読みいただきたい。ともあれ、〝カリスマ〟だった中内氏は、商品の仕入れや配置などでも周りの意見を聞かなかったらしい。それがどのくらいの範囲までだったかなどはわからないが、いわゆる〝ワンマン〟だったということだろう。
 もう随分と前のことだからしっかりした情報はもっていないが、ダイエーの調子が少し悪くなったとき、中内氏が第一線から引いたことがある。ところがトップが交替して経営状態が上向きになると、またぞろ復帰してきたのである。そのときのニュースに驚いた記憶がある。この再登場がスムーズに行われたのか揉めたのかは知らない。しかし、その後はうまくいかないままでダイエーは破綻の危機を迎えることになる。たしかに絶頂期を超え、すでに調子が悪くなっていたからトップの座から身を引いたのであるが、あのまま復帰しないでいたら、中内氏は松下幸之助氏と並んで〝経営の神様〟と呼ばれる栄誉を勝ち取っていたかもしれない。ともあれ、このストーリーは、3月に書いた自動車王ヘンリー・フォードから始まったものだった。ほんの2、3人のケースではあるが、洋の東西を問わず、世の中には〝カリスマ〟であるが故に、そのマイナス面に支配されて、自らが築いてきた組織そのものを危うくするトップたちがいるんだなあという思いに駆られる。ともあれ、〝裸の王様症候群〟はまことに恐ろしい。
 
NHKとブランド名 2013/04/10 Wed 3751
 随分と時代が変わったんだなあと思うことがありました。もう時間はかなり経過しているのですが、あるときNHKの〝キャンパス寄席〟を聞いていました。これはサンドイッチマンが司会をする、土曜日朝の番組です。タイトルからわかるように大学に出かけて、コントや漫才、落語を楽しむという趣向です。そのときの会場は関東学院大学でした。まず登場したのが〝ラバーガール〟というコンビもコントでした。町の電気屋が舞台で、店員とハードディスクのレコーダーを買いたい客とのやりとりがネタなのですが、これがけっこうおもしろかったわけです。しかし、私が〝うわぁーっ〟と言いたくなるほど驚いたのは、別のことでした。
 それは、やりとりの中に、固有名詞がボンボン出てきたからです。まずはいきなり〝ヤマダ電機〟がきました。それから、〝ソニー〟に〝シャープ〟なんです。さらに〝象印〟まで登場するわけです。その上、他局の〝笑点〟や〝サザエさん〟もネタになるのでした。その昔、〝かぐや姫〟が〝神田川〟という曲を歌って大ヒットしたことは、われわれ世代にとって懐かしい青春時代の思い出です。その歌詞の中に〝クレパス〟ということばが入っていたわけです。じつは〝クレヨン〟は一般名詞ですが、〝クレパス〟は商品名なのです。そこで〝特定の商品〟の宣伝になるということで放送できなかったのです。そんなわけで、〝ウォークマン〟はソニーの商品だから〝ヘッドフォンステレオ〟、もう古典的でしょうか、あの〝味の素〟は〝化学調味料〟となります。また、〝マジックインキ〟は〝フェルトペン〟だったと思います。まあ、とにかく大変でした。いまではそうした壁も低くなったようですが、先ほどのコントには、とにかく驚きました。
五右衛門と不祥事 2013/04/09 Tue 3750
 私が仕事にしている〝グループダイナミックス Group Dynamics〝は、〝集団との関わりを通して人間を理解する〟ことを目的にしています。そんなことから、私は対人関係やリーダシップ、あるいはコミュニケーションと集団メンバーの意欲の関係に焦点を当てて研究を進めてきました。とりわけ組織におけるリーダーシップのあり方によって、組織の安全が脅かされたり、事故が起きる可能性が高まることを、私としてはいつも強調してきたつもりです。そして、ときおり明らかにされる組織の〝不祥事〟も、その存続を危うくするという点で、まさに〝事故〟だと考えています。
 さて、皆さんは〝事故〟と聞いてどんなものをイメージされますか。あるいは、工場での爆発などのように死者やけが人が出るような〝大事故〟が頭に浮かぶという方もいらっしゃるでしょうか。じつは、私は〝事故〟をもっと広く捉えることにしています。工場に代表される製造の現場だけでなく、事務的な仕事をしていても〝事故〟は起きます。それだけではありません。どんな時代にも、会社の資金を不正に使ったり、横領したりといった犯罪を犯す人がいます。〝石川や濱の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ〟。残念ながら、五右衛門の辞世の句は永遠の真理のようですね。また、学校教育の場にもセクハラや飲酒運転のために職を失ってしまう教師もいます。こうした〝あってはならない〟ことも、組織にとっては重大な〝事故〟なのです。そんなわけで、私はいわゆる〝不祥事〟も〝組織の事故〟だと考えているわけです。とにもかくにも、私たちは安全で安心、そして幸せな毎日を送りたいものです。
 
バス停の2人 2013/04/08 Mon 3749
 バス停まで来たものの、おばあちゃんはバスの時刻表が読めなくて困ってしまいました。さあ、こんなときあなただったらどうしますか。ともあれ、その光景を見て、道の反対側に立っているあなたは、その様子を撮ろうとデジカメのシャッターを押しました。すぐに映像を確認すると、バス停を挟んで左側におばあちゃんが、右側の少し離れたところにお兄ちゃんが立っています。イライラした雰囲気のお兄ちゃんと困り顔のおばあちゃんの表情がうまく撮れました。これで写真には2人がしっかり写り込まれたわけです。さてここで問題です。いま写真のなかにいるおばあちゃんとお兄ちゃんのことを〝集団〟だと言っていいでしょうか。それはどう考えても無理な感じがしますよね。
 そこで問題を追加しましょう。あなたにはこれから演出家になっていただきます。その上で、この2人を〝集団〟にしてください。さあどうしますか。おそらく、おばあちゃんがお兄ちゃんに声をかけるという設定が頭に浮かぶのではないでしょうか。〝ちょっと、ちょっと、そこのあんた…〟。いやはや、見るからに怖そうなお兄ちゃんに対して、おばあちゃんは〝あんた〟なんて呼んでいます。そうなんです。おばあちゃんはすっかり目が遠くなってしまったものですから時刻表が読めなくて困ったわけです。だから、お兄ちゃんのイライラした怖そうな顔だって見えなかったのです。さて、声をかけられたお兄ちゃんの方ですが、相手によっては〝なんだあ、貴様あぁ〟なんて睨み返すところでしょう。しかし、声をかけてきたのはお年寄りです。たしかに〝面倒くせいな〟という表情は見せながらも、〝えっ、何だい〟くらいの返事はするんです。
集団って、何人? 2013/04/07 Sun 3748
 私が仕事をしているグループ・ダイナミックスの最も重要なキーワードは〝集団〟です。ところで、皆さんは〝何人いれば集団といえるのでしょうか〟と聞かれたらどう答えますか。〝3人寄れば文殊の知恵〟と言いますから少なくとも3人以上ということになりますか。〝いやいや、わざわざ『集団』と呼ぶからには、せめて5、6人はいないとね〟といった意見もあるでしょう。たしかに〝2人〟で〝集団〟と呼ぶのにはやや違和感があります。それが生活常識というものでしょう。しかし、グループ・ダイナミックスでは〝相互作用する2人以上の人の集まり〟を〝集団〟として研究の対象にします。
 ここで〝相互作用〟というキーワードが大事になります。つまりは、お互いに影響を与えたり与えられたりしていることが必要な条件になります。それでは、もう少し〝集団〟というものを考えるために、ここでクイズをお出ししましょう。いまあなたはバス停にいるのですが、ふと向かい側のバス停に目が向きました。その少し横の方ですが、若い男性が立っています。このお兄さん、ちょっと見たところかなり怖そうな雰囲気があります。どうもバスではなくて、そのあたりに車がやってくるのを待っているようです。しかも今どき珍しく路上でたばこを吸っているのですが、イライラしているのが見え見えなのです。迎えが遅れたのでしょうか。そう思ったときでした。バス停に1人のおばあちゃんが近づいてきました。こちらはしっかりバス停の時刻表を覗いていますからバスに乗るようです。ところがここでお年寄りに問題が起きます。バス停の字が小さいのでしょうか、おばあちゃんには読めないようです。
 
大感謝のリニューアル 2013/04/06 Sat 3747
 ホームページの表紙をリニューアルした翌日の2日には〝ホームページ、新しくなりましたね。新年度って感じですね〟とのメールをいただきました。そこまではよかったのですが、〝ところで、今日は2日ですが… お忙しいんでしょうね〟と続いていました。じつは、4月2日は〝ある理由〟からアップが遅れてしまったのでした。いつも早朝に更新していますから、〝どうしたのだろう〟と思われたのです。その〝理由〟とは、年休を取って出かけた孫たちとの〝新幹線ツアー〟です。ツアー自身はホームページの更新に影響はありません。ところが、2日の朝方にアップする少し前のことです。別の部屋でちょっと音がしたので行ってみると、孫の一人が起きていたのです。そこでコミュニケーションを図る必要が出てきます。そのために更新が遅れてしまったのです。いつも朝からご覧いただいている方がけっこういらっしゃるのですが、しっかりご心配いただいたのでした。じつにありがたいことです。
 さらに、今回から〝味な話の素〟の〝Back Number〟を表紙からアクセスできるようにしていました。ところが、ここをクリックすると〝講義 あ・ら・か・る・と〟に飛んでしまうという情報もいただきました。そのエラーは事前に確認していたつもりでしたが、ちゃんと修正できていなかったわけです。最終確認を怠るという〝チョンボ〟でした。この問題ですが、ホームページビルダーで繰り返し修正しても、ジャンプ先が〝化けて〟しまうので困りました。その原因は不明ですが、ともあれごまかしながら修正そのものはできました。さらに、〝メール〟ボタンにも〝yoshida〟の〝h〟が脱落するエラーがあって、これもまたご指摘をいただきました。とにかく大感謝です。
新年度早々の感謝 2013/04/05 Fri 3746
 今月号はホームページのリニューアルにトライしました。いつの間にか表紙がゴチャゴチャしてきたと思ったからです。また、4月でホームページ開設10年目を迎えます。その記念にイメージチェンジする気になったわけです。そこで少しは〝プロっぽい〟ものを目指したのです。その結果、素人としては〝そこそこ〟までいったと〝自己満足〟していました。しかし、なかなかですねえ。いつもアクセスカウンター増進キャンペーンにご協力いただいている数人の方からメールをいただきました。
 まずは、画面が乱れていることです。私がチェックしている複数のPCでは問題なかったので気づきませんでした。ところが出張などの際に持ち歩く〝私自身のPC〟でもうまく表示されないことがわかりました。いまのところ不都合なのはこの1台だけですが、その原因はわかっていません。〝本家本元〟がこれでは困るのですが、いまのところ〝困っている〟だけでおります。
 さらに、〝最新のお知らせ〟にある公開講座のご案内ですが、ジャンプ先の熊本大学の募集案内が〝吉田〟ではなく〝古田道雄〟となっているというご指摘を受けました。じつはこの点については私自身が気づいて修正が終わっていました。ところが〝また元に戻って〟いたわけです。大学の担当者によると、他の修正が入ったりしたのが原因かもしれないということでした。別のところを変える際に、〝古田〟となっていた最初の原稿が使われた可能性があるようです。これもヒューマンエラーですが、とくに年度の変わり目などでは、こうしたことが起きやすくなるのだと思います。とにもかくにも、こうした情報をすぐにいただくことで、さらに大きな問題の発生が防げるのです。ほんとうにありがたいことです。
 
新入生への式辞 2013/04/04 Thu 3745
 入学式の季節である。九州の桜は卒業式に合わせて咲く。しかし、教科書的な〝さいた。さいた。さくらがさいた〟は入学式の方が多いだろう。そんな折、NHKニュースで日体大の入学式が取りあげられていた。学長が新入生に対して〝体罰・暴力〟を戒めたという。もちろん昨今の状況を踏まえた真面目な内容に違いない。しかし、私のような〝体罰〟や〝暴力〟とは無縁というか、そもそもそんな〝体力〟をもたない人間は〝やれやれ〟と思ってしまう。まずは大学生に〝体罰や暴力はいかん〟と公的な行事で伝えなければならないとは、一体全体どんな世界なんだろう。〝体罰〟の定義は知らないが、〝暴力〟は〝いけない〟なんて話ではなく、れっきとした〝犯罪〟である。
 そもそも〝新入生〟が大学生になったとたんにいきなり〝体罰〟を与えたり、〝暴力〟に及んだりすることがあるのだろうか。それが心配なのは彼等を指導する教員や先輩たちではないのか。〝われわれの方はこれまで問題などまったくなかったが、君たち新入生には心配してるんだよね〟。根っからの揚げ足取り好きの私なんぞには、学長さんがそんな風に言っているように聞こえてしまう。〝これまで、われわれ自身も含めて〝体罰〟あるいはさらに行き過ぎた〝暴力〟を許容する風土がなかったとは言えません。しかし、それは本来あるべきスポーツの精神から逸脱しているのです。その点で、私たち自身も反省しながら、皆さんと一緒になってスポーツの未来を築いていきましょう…〟。こんな流れになるべきではないかと思うのである。もっとも、ネットで〝日体大 入学式 学長 体罰〟で検索しても、そんな内容は上がってこなかった。私がニュースを聞き違えたのであれば、その方がいいのだけれど…。
組織安全のキーワード:〝比べる〟 2013/04/03 Wed 3744
 昨日から安全のキーワードとしての〝比べる〟について考えている。厳しい仕事に疲れたり、賃金カットを宣告されたりするような望ましくない状況に直面すると、人は〝比べたく〟なる。〝あそこはいいよなあ。仕事がおもしろそうだし、われわれより楽してる〟〝あの会社、このご時世に元気がよくて、賃上げまでしてると言うじゃないか〟…。とまあ、調子の良さそうな職場のことを思いながらうらやましがる。しかし、いいところばかりを見ていては気持ちが落ち着かない。人間というものは、基本的には安定を求める。この〝安定〟は、地球上の生き物が〝しっかり生きていく〟ために欠かせない条件であり続けてきた。そして、安定している限り〝ずっとこのままでいたい〟と願うのは当然なのだ。
 もちろん人間以外の生き物には、ことばで表現するような希望というか、あるいは動機づけといったはっきりしたものはない。しかし、それでも〝現状を維持する〟のは万物に共通する原理である。ニュートンの言う〝慣性の法則〟こそはその現実を宣言している。つまりは、外から力が働かない限り、モノは等速運動を続けるという、あの原理である。もちろん〝等速〟のなかには、〝速度がゼロ〟も含まれている。このときは〝じっとして動かない〟状態だから、われわれで言えば、〝ずっとこのままでいたい〟という気持ちになるわけだ。そう考えると、〝よその方がいい〟と思い続けているだけだと気持ちが落ち着かない。そこで〝こころの安定〟を求めたくなる。そんなときに役立つのが、やはり〝比べる〟ことである。ただし、その場合は〝自分よりも望ましくない状態〟のところを見つけ出さければならない。自分もまずいのだが、〝彼等の方がもっとひどい〟というわけだ。
 
組織安全のキーワード:〝気づき〟 2013/04/02 Tue 3743
 組織の安全にとって〝気づく〟ことは不可欠な条件である。それは学校における〝いじめ〟や〝差別〟の問題にも共通している。問題に〝気づく〟、課題に〝気づく〟、いつもと違う異変に〝気づく〟、〝このままじゃまずい〟と〝気づく〟…。とにかく問題の解決は〝気づく〟ことからはじまる。これについては異論など出ないと確信している。しかし、ただ漫然と仕事をしていては〝気づき〟は生まれない。そこで求められるのが問題に対する感受性である。一般に〝問題意識をもつ〟ことが大事だと言われる。いつも〝これは危ない〟〝これが面倒くさい〟〝これはむずかしい〟などなど、仕事のあらゆる局面で、〝これはまずい〟〝どうにかならないか〝といった意識をもっていることが求められている。そうしたなかで、問題の発見=〝気づき〟が喚起されるのである。もちろん、〝気づき〟は組織安全の入り口にしか過ぎない。それだけで安全が保証されるのであれば、世の中に事故などは起こりようがない。つまりは〝気づき〟に対応した適切な〝アクション〟が続かなければ意味がないのである。
 しかし、その問題を考える前に、そもそものスタートになる〝気づき〟と関わりの深いキーワードについて触れておこう。それは〝比べる〟である。われわれは相対的な世界に住んでいる。だから外の人間や組織と比較する。それはいつも意識されるとは限らないが、何かが起きるとしっかり表に出てくる。いまやわが国は経済的な停滞が続き、それが人々の〝こころ〟までも沈滞化している。そんなとき、会社の状態が悪いからと賃金カットを宣告される。それがやむを得ない状況だと知っていても、つい愚痴を言いたくもなる。〝やれやれ、こんなことになるとは夢にも思わなかったよ〟。
 
〝安全〟の幻聴 2013/04/01 Mon 3742
 われわれがミスや事故をなくすためにどうすればいいのか。それをハードではなく、人間的な側面から探求していくのが、私の重要な仕事である。もちろん〝これさえすれば安全は確実に保証される〟などという正解はないし、これからもそんなものが見つかるわけがない。まあ、〝何もしないこと〟などと、ほとんどふざけた〝解決策〟を唱えていては、人格すら疑われる。しかし、そうかと言って〝正解はないから何もしない〟と居直れば、今度は無責任のそしりを免れない。〝触らぬ神に祟りなし〟は先人の処世術かもしれないが、〝安全〟に関しては、〝触り続けて悪魔を追いだそう〟の意気込みこそが大事なのである。誰もが承知しているとおり、安全を脅かす〝悪魔〟は外にいるのではなく、一人ひとりの〝心の中〟に潜んでいるのだ。
 ともあれ、こうした状況のもとでわれわれがなすべきは〝あくまで正解を求め続ける〟ことである。〝本当の正解はない〟ことがわかっていても、〝それでも求め続ける〟のだ。そんな視点から安全を考えていると、どこからともなく、あれやこれやのキーワードが聞こえてくる。ほとんど〝幻聴〟に近いのだが、私にはこれからじっくり整理していけそうな感じがしている。そのひとつは、〝気づく〟である。そもそも人間の行動を起こさせるきっかけは〝気づく〟ことである。目の前に突然にモノが飛んでくれば、瞬間的に目をつぶる。お湯を沸かしている薬缶に触れれば、即座に手を引く。そのとき〝あっちっち〟と思わず声を発することもあるが、それはまさに〝思わず〟の無意識的行動である。これらは〝反射〟と呼ばれる特殊な反応なのだ。それを除けば、われわれはとにかく〝物事〟に〝気づく〟ことによってはじめて行動するのである。