吉田道雄 YOSHIDA, Michio
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味 な 話 の 素 Since 2003/04/29
 No 116  2012年12月号 (3618-3648)
初めての海外 2012/12/31月)3648  みなさま、今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。
 私が初めて海外へ出かけたのは1993年8月のことである。すでに40歳を越えていた。どちらかといえば奥手ということになるだろうか。われわれが子どものころは海外に出かけるなんて夢のまた夢だった。それが、戦後の経済発展とともに1970年ころから海外旅行が身近になりはじめた。〝JALパック〟という商品が開発されたのだった。ちなみにこの時代は、JALのみが〝日本の翼〟として国際線を一手に引き受けていた。そうした変化があったものの、私自身はその後も海外に出かける機会はないままだった。
 さて、生まれて初めてパスポートを取得して訪問した先は中国である。恩師の三隅先生を筆頭にリーダーシップや安全文化に関する研究について情報を提供することが主たる目的だった。福岡空港から飛び立って、韓国上空を超えて大連に降りた。ついに外国の地に一歩を踏み出したのである。ただし、大連は国内線への乗り換えのために一時的に空港内にいただけである。しかも乗り換えとはいいながら、飛行機本体は福岡から飛んできたものだった。ともあれ、それからは国内線になるのである。大連に着いた際に、空港でスーツケースなどの荷物を空港の回転台から受け取っていた。われわれ全員がそれを当然のことだと思っていたのだが、これがビックリ仰天の展開になるのである。われわれは〝乗り換え〟なのだから、手荷物は最終目的地の北京まで転送されていくはずだったのだ。つまりは大連の手荷物回転台にわれわれの荷物が出てきてはいけなかったのである。荷物が目の前で回っているのだから、誰もが何の疑いもなくそれを取ったというわけだ。私なんぞは〝初めて〟の海外旅行だったが、三隅先生をはじめ旅行慣れしているメンバーもいたのだけれど…。
 
営業部長 2012/12/30 (日3647 
 〝ゆるキャラ〟の命名者とされる〝みうらじゅん〟氏は、その認定条件を挙げているらしい。まずは、〝郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること〟であり、〝立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること〟、さらに〝愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること〟だそうな。わが〝くまもん〟は、この3つの条件を〝すべて〟かつ〝十二分以上〟に備えている。これを否定する人は、この地球上にただの一人もいないと私は確信している。〝その証拠〟に、つい最近〝くまもん〟はあのWall Street Journalにまで登場したのである。しかも〝イラスト〟入りなのである。ただし、〝くまもん〟ではなく〝Kumamoto〟と紹介されているから正確さに欠けている。日本人記者の署名が入っているから、〝ちゃんと校正してちょうだいよ〟と言いたくもなる。また、〝ゆるキャラ〟は〝loose characters〟と訳されている。ほとんど直訳だから、今ひとつ〝ゆるキャラ〟の〝雰囲気〟が伝わらない感じはするが、まあ仕方ないか。
 〝くまもん〟は九州新幹線の開業にあたって熊本をPR するために生まれた。当初は県の〝臨時職員〟だったが、いまや〝熊本県営業部長〟の辞令を受けている。昨年は〝ゆるキャラグランプリ〟なるイベントでトップの栄冠を得た。とうとう全国区の〝ゆるキャラ〟に昇格したわけだ。〝くまもん〟は〝ひとり〟だから、〝同時にあっちこっち〟に出現はしない。だから熊本県人であっても簡単に遭遇することができないのである。ともあれ経済効果は抜群らしい。その理由として専門家は〝使用料〟をとらなかったことなどを第一に強調している。しかし、そんなことよりも何よりも、〝もっとも単純〟な〝風貌〟を先にもってくるべきでしょう。
 
〝くまもん〟 2012/12/29土)3646 
 今月の表紙は〝くまもん〟である。彼(?)はわが熊本県の〝ゆるキャラ〟だが、いまや全国区になりつつある。表紙の〝くまもん〟は私が出張した際に〝名古屋駅〟で撮ったものだ。あまりの〝嬉しさ(?)〟に、そこにいた熊本県の担当者に〝私、熊本の人間なんです〟と言ってしまった。〝そうですか。地元でもなかなか会えんですけんねえ〟。この答、まさに正解なのだ。テレビやポスターでは毎日のように見るが、熊本で〝本物〟に出会ったのは3度くらいしかない。それも〝出会った〟のではなく、〝遠くで見た〟に過ぎないのである。最初は熊本駅に行ったとき車の中からで、あとの2回は熊本地方卸売市場の通称〝田崎市場〟の感謝祭でのことだ。
 それはそうとして、そもそも〝ゆるキャラ〟とはなんぞやである。私は〝くまもん〟が登場した2010年までは、ことばそのものを聞いたことがなかった。これは〝ゆるいマスコットキャラクター〟を短縮したものだそうな。つまりは企業や団体、官公庁などがPR に使用するマスコットのことなのだ。狭義には〝着ぐるみ化〟されているものに限定されるらしい。ちょっと待った! 高齢者予備軍にとっては〝ゆるい〟の定義もしてほしくなる。まあ〝ゆるい〟と聞けば、語感的には何となくわかるが、われわれ世代には〝ゆるいキャラクター〟なんて表現はあり得なかった。ネットで探すと〝きつい〟の反意語といったところか。たしかにわれわれも〝きつい性格〟といった使い方はするので、人を〝和ませる〟〝楽しくさせる〟といった意味だと思えばいいのだろう。命名者は〝みうらじゅん〟という人らしい。漫画家でイラストレーター、タレントというのだが、〝すみません〟、高齢者はその名前もはじめて知りました。
 
独りよがり 2012/12/28金)3645 
 日本国憲法第68条で〝内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない〟と決められている。これは中学校の社会で習った記憶がある。ところが、今回の選挙では8人もの現職大臣が落選し、民間出身の大臣が10人になって過半数を超えたという。次期内閣が成立するまでの短期間とはいえ、〝これは違憲状態だ〟という声もあった。しかし、そこは〝任命時に求められる条件〟ということで落ち着いたようだ。また、〝衆議院議員は解散した時点で失職するから、一時的にはすべてが民間人〟という解説もあった。どちらも、〝なあるほど〟と思わせる回答である。
 いずれにしても、民主党はそれほど過激に負けたのである。野田首相は選挙の大勢が決まった投票日のうちに代表を辞めると宣言した。自らが反対を押し切って解散したことでもあり、選挙の結果を見れば当然だと言えば当然ではある。しかし、今までこれほど〝早く〟意思表示した党のトップがいただろうか。これまでは、自分に大きな責任があり、その先もはっきりしているのに、何とか生き残ろうと見苦しいまでにあがく人たちが多かったような気がする。野田氏は選挙後に開かれた閣議で大敗について陳謝した。これに対して、新潟5区で落選したあの人は、記者会見で〝自爆テロ解散だった〟と、いつものように〝おもしろい〟だけのコメントをしていた。〝首相は独りよがりで周りの意見を聞かず、他人の土俵に乗ってしまった〟というわけだ。そこには自分が政治家として取った行動や発言に対する〝振り返り〟が完全に欠けている。おそらく結果がいいと〝私の力〟、まずいと〝あの人のせいだ〟という〝独りよがり〟の理屈づけをする人なのだろう。
言わんこっちゃない 2012/12/27木)3644 
 この〝味な話の素〟に書きたいことはワンサカある。じつは、昨年3月11日の大震災前後のこともメモのままである。だから、毎日のように〝書きたい〟あるいは〝言いたい〟ニュースなど起きないでほしいと思う。しかし、私の願いはいつも木っ端微塵に粉砕されてしまうのである。組織について仕事をしている私としては〝三菱自動車のリコール問題〟は放っておくわけにはいかない。
 そんな気持ちでいたら、今度は政党〝未来〟の迷走である。嘉田氏と小沢氏側の折り合いがうまくいかずに揉めている。嘉田代表は記者会見で〝平和的に分党できる方向を探っている〟と語ったらしい。メンバーの亀井静香氏は〝党の一体感がなくなっている〟と言って離党を表明したという。〝迷走〟という〝高級〟な用語を使うことすら躊躇したくなる。〝あんたら、何を考えとったんねん〟(ホンマの関西弁になってますかいなあ?)である。まあフツーの常識をもっている人間なら誰もが〝ああ、やっぱしね〟と冷ややかに笑うだけのことに過ぎない。小沢のおじさんが本当に〝一兵卒〟を通すなんて、そんな太陽が西から上がるようなことを信じ込む方がどうかしている。〝小沢さんを使いこなせずに、官僚を使いこなすことはできません〟なんて勇ましい発言もしていた。じつに威勢はよかったのだが、多くの人が苦笑いしたにちがいない。そして1ヶ月後には分党騒ぎというのでは、まさに〝言わんこっちゃあない〟である。そう考えると、このコラムで取り上げたいネタはなんぼでもあるのだから、わざわざ書くレベルのものではないんだとも思う。しかし、この人たちには、〝自分たちは有権者を混乱させただけでした。まことに申し訳ございません〟とみんなに謝罪する責任があるよね。

人を責めるだけでは… 2012/12/26水)3643 
 〝負けるとわかっていて解散した〟。そんな声が民主党から湧き上がり、野田氏をはじめとした執行部に厳しい批判が向けられているという。しかし、こうした人たちは〝どうして負けるとわかっていたのか〟について分析能力をもっているのだろうか。あるいは、解散を先に伸ばせば〝もっとひどくなる可能性があった〟ことなど頭の片隅にもなかったのか。もっとも、今回のような惨憺たる結果を見ると、〝さらに悪くなる〟という予測は外れたかもしれない。とにかく民主党の惨敗ぶりは、〝もうこれ以上はない〟ほどひどかった。
 〝政治は権力闘争だ〟という。専門的、あるいは学問的にはそうなんだろうが、そのことばには〝国民のために〟が欠落している。頭の中には〝自分たちの利害関係〟だけしかない。そして、とにかく少しでも長い間〝権力〟を維持し、〝自分の地位と生活の安定〟を求めてあがき続ける。そんな思いに駆られてしまう。もちろん民主党にも本当にまじめで地道に活動している議員がいるはずだ。しかし全体としては、〝民主党はひどすぎた〟というイメージを国民に与えたのは否定できない。堤防を破る洪水のような批判に対して、党の責任者たちは〝改善したこともある〟と反論もしていた。そうした事実はあるのかもしれないが、とにかく重大な意思決定についてマイナスの方が目立ちすぎた。いわゆるマニフェスト違反が現実になり、かなり早い時期に厳しい批判が向けられても、テレビ番組で〝まだこれから〟と笑いながら発言する者さえいた。その方も今回の選挙では落選した。いずれにしても、自分たちのことを反省せずに、〝負けるとわかっていて解散した〟と執行部だけを責めているようでは、国民の評価は輪をかけて低下するだけである。
 
餅つき大会 2012/12/25火)3642 
 お休みの日、近くの公園で町内会の餅つき大会があった。家内と出かけると大きなテントのなかで若者たちが中心になって石臼に杵を打ち込んでいた。わが吉田家一族も年末に集まって餅つきをしていた。幸いにも婚約者ができたりすると紹介する機会でもあった。そのうちに全員が年をとっていつの間にか消滅した。それにしても、できたての餅を大根おろしで食べる〝酢もち〟は絶品だった。
 さて町内会の方だが、各家庭に配られたチケットで大きめのお餅2個をもらう。さらにその場でお餅と豚汁を楽しむ。私はきなこ餅、家内はおろし餅をそれぞれ2個にした。子どものころからきなこ大好き人間だ。まずはきなこ餅と家内のおろし餅を食べる。おろしの方はのりを巻いて香りもいい。これで足りずにきなこ餅を追加した。あとは1個80円で買うのだが、デカさを考えるとメチャ安だ。これで正月の分はしっかり調達できた。その中にはあん餅も入っていた。これが問題で、家の帰ってからあん餅にも手が出てしまった。何のことはない、あっという間に4個も食べたのである。餅はお米が詰まっているから、茶碗一杯分のカロリーがあるという。その真偽を確かめようとカロリー表を見たら、白ご飯(150g)で252kcal、餅1個35gで82kcalとなっていた。そこで町内会の餅を計ると何と70gだった。これだと餅が164kcalでご飯を上回っているではないか。お昼にご飯4杯分も胃袋に入れてしまったのである。おかげで夕方までお腹はすかずにすんだ。
 それにしても、わが町内会はなかなかいい線をいっている。ボランティア精神旺盛の方々がイベントを企画してくれるのである。しかし、多くの〝コミュニティ〟が力を失い続け、それが深刻な問題を引き起こしている。
クリスマスの授業 2012/12/24月)3641 
 今日はクリスマスイブの日、日本では天皇誕生日の振替休日になる。私は1時間目から授業をする。〝休日に授業?〟と首をかしげられる方もいらっしゃるだろうが、答えは〝Yes〟である。その理由も明快で、〝アンハッピーマンデー〟のせいで月曜日の授業日数が確保できないからだ。後期がはじまったのは10月だが、休日である〝体育の日〟の8日も授業をした。さらに〝建国記念の日〟の2月11日も〝公式の授業日〟になっている。また1月9日は、授業開始前だが〝補講〟をする。こうしたことを学生たちはどう受け止めているか。その気持ちをストレートに聞いたことはないが、〝何で休日まで授業するの?〟なんて思っている者もいるだろう。もちろんこちらとしても理由はきちんと説明している。それでも〝だるいなあ〟と考える学生もいるに違いない。そもそも授業開始のときに日程を提示してはいるが、先週は改めて〝クリスマスイブはeveningのことだから、夕方以降に楽しんでちょうだい〟と苦し紛れに伝えておいた。
 そうしたなかで、すでに2人の学生から〝就職説明会があるため欠席させてほしい〟というメールが届いている。今年の10月1日現在、来春卒業予定の大学生の就職内定率63.1%である(厚生労働・文部科学省)。東日本大震災の復興需要に伴う求人増もあって、数値は2年連続で改善したようだが、まだ内定が得られていない学生が16万人ほどもいるという。こちらも〝しっかり頑張って〟と声をかけたくなる。〝師走〟というが、〝学生走る〟12月なのである。〝歴史の日〟を歪める〝アンハッピーマンデー〟については、これまでもさんざん書いてきたし、字数も720字に達しそうなので、これでおしまいにしておきます。
テレビショッピングの王者 2012/12/23 (日)3640 
 九州から全国に発信する〝有名企業〟に〝ジャパネット〟がある。あのキンキン声で迫ってくる高田さんは、物まねまでされる有名人だ。昨年の年間売り上げが1,531億円というからすさまじい。それにしても時代が変わったものだ。今年の1月に経済団体が開いた新年会を報じるNHKニュースを見て驚いた。インタビューで新日鉄やセブンイレブンの社長が出てきたのは順当なところだった。ところが、そこに〝ジャパネットの高田さん〟も登場したのである。いまや業界をリードする会社である。社長だってみんな知ってるのだから、その人が経済団体の新年会に出席していたっておかしくも何ともない。とまあ、そういうことなのだが、私にとっては、その手の会合に出るのは製造業や商社、さらには金融の〝大企業〟のトップだけという思い込みがあったのだ。おそらくソフトバンクの孫氏だって間違いなく出席していたに違いない。このあたりの人選はNHK の趣味も反映しているんだろう。セブンイレブンの鈴木氏にしても、昔の感覚ではメンバーにはなりにくかったのではないか。
 ところで、高田さんは九州人でもあり、親しみを覚えるのだが、私は〝テレビショッピング〟にはいささか疑問がある。テレビの電波は〝国民の財産〟のはずである。だからといって誰もが勝手に使うと収拾が付かないから、国が放送局などに認可を与えている。その共有財産である電波を使って〝ショッピング〟だけを放送するのに問題がないのだろうか。バラエティやドラマ、あるいはニュースなどなんでもいいが、ともかく番組を提供する代わりにCMを流すというのは理解できる。しかし、始めから終わりまで商品を売ることにしか時間を使わない。そんな電波の使い方ってどう思います?
 
〝想定〟の課題 2012/12/22土)3639  continued from 12/18
 現実に事故が起きてしまったあとで、さまざまな問題が明らかにされる。その際に、〝想定外〟ということばが使われることがある。それが本当に〝想定外〟だったのか、それとも〝想定すべきだった〟のかについては、個別に分析していく必要がある。しかし、ある状況を組織の〝全員が想定していなかった〟のか〝想定している者もいたのか〟、その現実もしっかり押さえておくべきだ。さらに、〝まったく想定していなかった〟あるいは〝想定できなかった〟場合でも、その理由を明らかにしなければならない。人間は時間に拘束されながら生きている。事故は起きてしまえば、その前の状態に戻ることはできない。そうだからこそ、その原因を徹底的に追求することが欠かせない。そして〝想定していなかった〟原因がわかれば、どうすれば〝想定できるのか〟を考え、その具体的な対応策を立てておかねばならない。
 それでは、〝想定していた〟人間がいたのに、それに対応していなかったケースではどうなるか。まずは、その人物が〝想定した〟ことを明示していたかどうかが問題になる。自分の頭の中では〝こんなことだってあるだろうに〟と問題があることを意識していたにもかかわらず、それを発言しなかった。集団の中ではこうした可能性はかなり高い。つまりは〝言いたいけれど言わない〟あるいは〝言えない〟状況である。また〝言った方がいいと思うけれど〟ということもあり得る。〝言いたいけれど言えない〟理由の一つは、本人がそれを〝少数意見だ〟と考えることである。われわれはできるだけ平穏な生活をしたい。そのためには、〝みんなと同じ〟であることは重要な条件である。だから仲間たちから〝あいつは変わってる〟と思われては気持ちが落ち着かない。
 
 
〝田舎〟の消滅 2012/12/21金)3638 
 盤石を誇った〝越後の王国〟だったが、現職の文部科学大臣が議席を失った。これは私のような団塊人にとって、けっこう衝撃的だった。もちろん冷静に考えれば、お父さんが亡くなってから19年が経過している。その威光が失われたとしても不思議ではない。そうではあるけれど、ご本人にしても演説におけるアピール力はかなりのものがあった。もちろん、多くの国民はそれが〝人の悪口を言って笑いを取るだけ〟だということを、長い経験を通して知っていた。しかし選挙になれば、特定の地方に住んでいる有権者たちが投票する。だから〝どんなに問題があっても地元では圧倒的に強い〟というのが、わが国の〝伝統〟であった。私はとりわけ新潟5区はその代表格だと思っていたのである。しかし、そうした〝私の思い込み〟は見事に否定されたのだった。
 そして東京18区である。私に言わせれば、ここで東京が〝従来の田舎〟であるのかどうかが問われると思っていた。新聞報道では、厳しい状況に対処するために〝とくに女性層にアピールしている〟ということだった。これを見て〝おやおや、女性は取り込みやすい〟と判断したのだろうかと苦笑いした。あるいは〝原発をなくす〟という一点で自分を支持してくれる女性が多いと踏んだのかもしれない。しかし総合的に捉えれば、総理大臣としてはかなりひどかったことは多くの人が認めるだろう。万に一つでも〝女性は細かい判断力をもっていない〟などと考えたとすれば、とんでもない思い違いだったことになる。マスコミ情報ではギリギリまで〝接戦だ〟と伝えていた。これを見て、〝ああ、やっぱり結局は当然するのだろうなあ〟と思った。しかし結果は落選となった。東京が〝田舎〟であることを免れたのである。
 
選挙と〝田舎〟 2012/12/20木)3637 
 今回の衆議院選挙で私は3つの選挙区に注目していた。北海道9区、新潟5区、そして東京18区である。ある議員が大きな問題を起こしても、地元では圧倒的な支持を受けて当選する。それで辞任に追い込まれるほどのことがあっても、やっぱり通る。ご本人は〝これで禊ぎをすませた〟といって平気な顔をして生き残るのである。わが日本では、こんな〝再生劇〟が繰り返されてきた。そのケースのほとんどが大都会から離れた地方での出来事だった。
 そうした歴史的事実を知っている私は考えた。〝この3区の人たちも結局は当選するんだろうな…〟と。しかしちょっと待てよ。東京は〝田舎〟ではない。それどころか日本一の大都会だ。そんなところに住んでいる人たちが〝再生〟の手助けをするはずがない。とまあ、そんな思いもあるにはあった。そうした状況下で、まずは〝北の人〟が自分から降りた。もともとは〝降りる〟と宣言しながら、そのことを瞬間忘却器のごとく頭の中から削除した行動をとっていた。しかし、〝降りた〟のは自分の発言を突然に〝思い出した〟のではなさそうだった。何のことはない、〝負けそう〟だったから立たなかったらしいのだ。つまりは〝北の人たち〟は、この手の人の〝再生〟に手を貸さなかったわけである。まさに時代が変わったと言うべきだろう。北の大地はもはや〝田舎〟ではないのである。
 さてさて〝越後の人〟はどうなったか。私のように越後から遠く離れた九州の住人には、その土地の空気を読むことができない。しかも〝越後の人〟のお父さんのイメージが強烈である。この方が立てば、どんなことがあろうとも間違いなく当選した。いやあの世に召されたとしても、立候補すれば確実に通ったに違いない。そんな人だった。
夫婦の買い物 2012/12/19水)3636 
 ある会合で〝夫婦の買い物〟が話題になった。夫婦で買い物に出かけたとき、どんなパターンがあるかという話だ。ただし、買い物といってもデパートでスーツを仕立てるといったものではない。スーパーなどで日常品を購入するときのことである。
 まずは、自分たちは〝夫主導型〟だと言った人がいた。とにかく自分がほしいもの、好きなものをスーパーのカゴに入れまくる。そのカゴをもっているのは奥さんで、夫の後ろからついて回る。つぎは〝妻先導型〟である。これは〝わが家がそうだ〟と言われたか、〝○○さんちはこのパターンだ〟と人のことを取りあげられたのかは忘れた。自分から〝ウチは妻先導型なんです〟とは言い出しにくい感じもする。ともあれ、このケースでは奥さんが先を進む。旦那の方は奥さんの進路をひたすらサポートするのである。その際にカゴかごは夫がもっていて、奥さんがドンドン商品を〝投げ入れて(?)〟いく。さらに別のパターンがあると主張する人もいた。〝夫婦セパレート型〟である。これは2人がそれぞれカゴをもって〝勝手気まま〟に動き回る。ただただ自分のほしいものを買い続けるわけだ。この場合、レジの前で出会って精算するというパターンもあれば、会計も〝勝手気まま〟というケースもある。
 これですべてかというとそうでもない。まずは〝夫婦で買い物なんぞにはいかない〟という方たちもいらっしゃるようだ。わが家の場合は、またひと味違っている。〝セパレート型〟の亜種というのだろう。お店に入ると、私は家内と別れ店内を徘徊しまくる。その際、基本的には何も買わない。ひたすら商品を見て笑い続ける。そして適当な時間を見計らって家内を探して合流する。会計を済ませた家内から捜索されることもある。
 
〝想定できない〟と〝想定したくない〟 2012/12/18火)3635 continued from 12/16
 死亡事故が起きたアトラクション施設には〝安全バー〟と〝シートベルト〟が装備されていた。この点ではFail-safeの思想は導入されていた。ここで何らかの理由や事情からそれらを〝装着しない〟事態が起きる可能性までイメージできたかどうか。安全装置を客に装着させるのはスタッフである。そのスタッフが〝間違いなくルール〟を守ることが前提になければ、Fail-safeは機能しない。とりわけ人命にかかわるものについては、〝人が意図的に、あるいは無意図的にルールを無視することがある〟ことまで〝想像する力=想定する力〟が求められているのである。こうした〝想像力〟の有無が危機的な状況が起きた際の結果を左右するのである。このケースでは、安全装置を付けないと〝遊具そのものが動かない〟ところまで設計しておくべきだった。
 ところで、人間が神でない以上、可能性としての〝想定できない〟事態があることは否定できない。しかし、現実に起きる事故や不祥事には、〝想定できなかった〟のではなく〝想定したくなかった〟ことによるケースが少なくないのではないか。たとえば、多くの関係者たちが、〝このままだといつか問題が起きると思っている〟にもかかわらず放置されるようなケースである。こんなとき、まずはそうした認識が職場で問題にされないことが考えられる。会議で議題に載れば、それなりの対応策が検討される可能性もある。しかし、〝みんなの頭のなかでは想定されている〟のだが、〝公的には想定しない〟ことになっている。だから話題にもならないのだ。それがそのまま進行すると重大な事態を引き起こすことでも〝想定しない〟ままでいればどうなるか。そのうちに組織の存続を揺るがす状況になることは容易に想像できるはずだ。
 
危機的状況下の〝史上最低〟 2012/12/17月)3634 
 私は熊本県明るい選挙推進協議会の会長さんです。すでに7年目を迎えています。そんなことから、全国・地方を問わず選挙があれば、投票日1週間前の土曜日に熊本市の繁華街で投票の呼びかけをします。選挙管理委員会の委員長や学生のボランティアたちと一緒です。ただし、今回は大学で開催されたシンポジウムと重なったので、街頭には立ちませんでした。ともあれ、選挙のたびに気になるのが投票率です。もちろん、私自身は必ず投票します。投票日に予期しないことが起きるとまずいので、このところすっと期日前投票をしています。この制度が導入されるまでは〝不在者投票〟と呼ばれるものがありました。これも若いころは何回は利用したことがあります。とくに大学生のころは、夏休みなどと重なったときに不在者投票をしました。もう細かい記憶はないのですが、現在の期日前投票に比べると、条件が厳しかったように思います。
 さて、気になる投票率ですが、〝政権交代〟が焦点になった2009年の衆議院選挙では、全国平均が69.28%で熊本県は71.76%でした。理想は100%ですが、個人的には80%はほしいと思っています。その意味では71%は満足できませんが、全国的には20年ほどずっと70%台に達していませんから、まずまずだったといえるのかもしれません。とりわけ若い人たちの投票率が低いこともあり、大学の授業でも投票所に出かけるよう呼びかけています。さて今回はどうでしょう。報道によれば、何と59%前後で史上最低水準になるらしいのです(YOMIURI ONLINE16日23時13分)。あらゆる面で戦後最大の危機に直面しているこの国の進路を左右する選挙の投票率が〝史上最低〟だというのです。とにかく驚いてしまいました。
〝Fail-safeのFail〟再考 2012/12/16 (日)3633 
 Fail-safe:安全装置の一種。たとえ誤りや失敗が起きても、安全を保障するための機構。機械やシステムを暴走させないための歯止めや異常時の自動停止機能を含む(広辞苑)。この思想が徹底して追究されていれば〝事故は起きない〟というのが、一応のストーリーである。しかし、現実に事故が起きてしまうと、〝Fail-safeだと思っていたが、じつはそうではなかった〟ことが判明する。それが〝想定外だった〟ということはあるだろう。しかし、それも〝想定できなかった〟という点で〝Fail〟している。
 これについては、すでに本コラムで取り上げたことがある。タイトルは〝Fail-safeのFail〟で、2005年4月24日のことである。その際に対象になったのはアトラクション施設での死亡事故である。乗り物の安全バーは着けていたがシートベルトは体格がよくて装着できなかった。つまりは〝安全バー〟だけでは安全が保障されなかったのである。その点を検証していなかったことはそれ自身が〝Fail〟ということになる…。こんなことを書いたのだが、この場合は〝シートベルトを締める〟ことが〝絶対条件〟だった。ところが〝シートベルト〟を装着しないことが〝想定〟されていなかったのである。これはハードそのもののFail ではなく、人間側のFail であることは明らかだ。〝シートベルト〟を締めるのは人間の意思であり、機械の出来不出来には関わりがない。もちろん、わざと〝ベルトを装着しない〟者はいないかもしれない。しかし現実には〝シートベルトを締めることが困難〟な人がいたのである。だから人命が奪われる事故が起きてしまった。これはことばとしては〝想定力〟といった方が客観的な感じがするが、要するに〝想像力〟の問題なのである。
マニュアル問題(53) 2012/12/15 土)3632 
 〝小さな〟ミスや違反行為〟が隠されるのはどうしてなのでしょうか。それが〝ミスった〟者にとってマイナスになるからです。あまりにも当然のところからはじめるならば、〝自分にプラスになる、有利になる〟〝自分が得をする〟ことであれば、それを〝隠す〟力は働きません。もちろん、そうだからといって、そのことを〝積極的に表明する〟かどうかは人によって違ってきます。世の中には、自分が有利になると思えば小さなことでも〝自慢する〟人がいます。私なんぞも、そのグループに入るんだろうと自覚しています。
 その一方で、誰もが〝言った方がいい〟と思っていることでも、控えてしまう人がいます。そのなかには、〝黙っていてもちゃんと理解してもらえる〟というお気持ちの方がいらっしゃるかもしれません。まさに〝謙譲の美徳〟、まことに奥ゆかしい限りです。たしかに、周りの人たちが評価すべきことはちゃんと評価する力を備えていることが大事なのです。そうした環境にある組織では、お互いが、その力を〝認め〟〝評価する〟ことが常識になっているわけです。そこでは〝自慢〟しなくっても、ご本人は十分に満足できるのです。それでも〝自慢〟し続けていると周囲の者がシラけてしまいます。〝わかったわかった、あんたが大将だよね〟なんてイヤミを言われるかもしれません。
 この対極にあるのが〝自分にマイナス〟になることです。〝黙っておけば〟すむことを〝わざわざ言う〟ことはない。そんな気持ちが湧くと、つい〝隠したく〟なってしまうのです。その力は相当に強いものがあります。何といっても、自分の評価に直結するからです。それは処罰されたり降格になるといった外形的なものから、自尊心が傷つくなどの内面的なものまで含まれます。
アニュアル問題(52) 2012/12/14 金)3631 continued from 8/29 
 お久しぶりに〝マニュアル問題〟を取り上げよう。これは〝マニュアルや規則〟が守られない理由について書かれた自由記述をもとに考えているシリーズ物である。スタートしたのは2007年12月22日だから、すでに5年が経過し52回目になった。前回は8月29日である。そのときは、リーダーシップと〝ヒヤリハットの認知件数〟の相関が低い点について分析した。
 詳細は8月29日の本欄を見ていただきたいが、単純にはこうである。リーダーシップが発揮されていると、①みんながしっかりした仕事をしているのでヒヤリハットが少ないケースがある一方で、②リスクに対する感受性が高いのでヒヤリハットに気づく職場も多い。これに対してリーダーシップに問題があると、①仕事ぶりが危ういのでヒヤリハットが多いが、②リスクへの感受性が低く、ヒヤリハットがあってもそれに気づかない事例が少なくない。というわけで〝リーダーシップの善し悪し〟とは関係なく〝ヒヤリハット認知〟が〝多かったり、少なかったりする〟わけだ。したがって、実際には〝リーダーシップ〟は〝ヒヤリハット認知〟に影響を及ぼしているのである。
 さて、こうした事情も踏まえた上で、ここでは〝ヒヤリハット体験が報告されない〟ケースについて考えてみよう。自分の仕事ぶりのまずさで〝ヒヤリハット〟をした場合、それが表に出てこない。まさに〝隠されたミス〟ということになる。その中には、組織を危機に陥れる問題を含んでいることもある。少なくとも、世間を騒がす〝事件〟のすべてが〝小さな〟ミス、あるいは違反行為が〝隠された〟ことからはじまっていると言っても過言ではない。そうした事態の発生を避けるためには、リーダーシップが重要な役割を果たすのである。
 
IC-ガラパゴス? 2012/12/13 木)3630
 大坂や名古屋の私鉄などは、まだSuicaが使えない。この点は次第に改善されていることを期待している。また、九州でもJRのSUGOCA(Smart Urban GOing CArd)の導入が福岡・北九州エリアからはじまった。これが福岡市営地下鉄や西鉄バスでも共有化されていて、さらにSuicaとも互換性がある。これは理想的なパターンだ。そんなわけで福岡での移動はすべてSuicaで済ませることができる。昨年の九州新幹線開業後は福岡へのアクセスが驚異的に向上した。それは福岡空港への時間短縮を意味するが、このときも地下鉄でSuicaを使う。
 こうした流れのなかで12月からは熊本地区でもJRのSUGOCAが利用できるようになった。つまりは互換性のあるSuicaも使えるということである。ただし私自身は熊本市内でJRを使うことはまったくないから、ICカードを利用するとすれば、そのほとんどがEdyである。それでもSuicaを所持している価値は十分にある。〝熊本以外〟ではけっこう便利だからだ。そんなわけで、私はSUGOKA系でもSuica系でもいいから熊本での導入を首を長くして待っている。そうなれば、すぐにSuicaから〝乗り換える〟つもりだ。ところが、ところがである。この地ではいまだ導入について〝議論〟が続いている。しかも、〝驚いたこと〟に〝熊本地域限定〟のカードにするという意見もあるらしい。設備導入の経済的負担や先行カード系からマージンを取られるなどの事情があるようだ。しかし、そんなことしたら笑われますよ。観光客だって〝Suicaも使えないガラパゴス〟と振り向きもしないでしょう。ここでチャージしてもらえれば、それもプラスになるでしょうに…。そんな限定版では、私だって利用しませんわ。
ICカード 2012/12/12 水)3629
 私はSuicaとEdyをもっている。いわゆるICカードである。いずれも現金をチャージして、あとは電子マネーとして決済ができる。これがあると現金を持ち歩かなくてもいいから大いに活用している。Edyは全国のコンビニで使えるし、熊本市の繁華街でも使える。その中には飲食店や書店まで入っている。熊本市へのEdy導入は全国的にもかなり早い時期に行われた。もう一つのSuicaはJR東日本系のカードだが、東京では活用範囲が広い。JRは当然として、私鉄や地下鉄、モノレールもOKだし、タクシーだって使える。コンビニでの買い物は言うまでもなく食事に使えるところもある。そんなわけで東京に出かけても現金は5,000円も使わないことが多い。
 たとえば東京での公開講座で出張する。熊本空港まではバスか自家用車で行って駐車場に預ける。バスの場合は〝バスカード〟を利用するから現金はいらない。駐車場の場合は現金払いになるが、これが2,000円を切る。航空券は大学指定の業者が取ってくれている。それにはホテル代も含まれる。宿泊は自分で取ることもあるが、その際はクレジットカードで支払うからやはり現金は不要だ。羽田から京急と地下鉄浅草線で三田まで行く。この間はSuicaでOKとなる。ホテルは三田駅からも会場からも歩いて行ける距離にある。昼食と夕食が必要になるが、これも会場から徒歩2分のJR田町あたりのレストランではSuicaが使える。食事代を現金で払うこともあるが、このごろはデフレでそれほどの金額にはならない。復路も電車はSuicaだし、羽田で食事をしたり買い物をするとしてもEdyで済むのである。さらに私が利用した範囲では、JR系は全国的にSuicaでOKだから、名古屋や大阪でもけっこう使っている。
 
驚愕のドライヤー 2012/12/11 火)3628
  フロントから手渡されたキーの部屋は同じフロアの5つばかり先にあった。そこは問題が起きた部屋とこれまた同じ仕様だった。先ほど電話したときには、〝暖房が効く部屋は空いておらず、和室しか準備できない〟ということだった。〝あの回答は何だったのだろう〟とは思ったが、しかし、そんなことはどうでもいい。何はともあれ温かい部屋で過ごすことができるのだから。これで湯冷めの心配もしなくてすむから、大浴場へ降りていった。すでに7時近くになっていたせいか、たった1人だけが湯につかっていた。空調騒ぎの際には、替わりの部屋がないほど〝混んでいる〟と思ったのだが、そんな感じがしなかった。
 ともあれ朝湯を楽しんでからゆっくり上がった。先に入っていた人が体を拭いていた。まったく当たり前の風景だし、こっちだってわざわざ見たりもしない。そのときドライヤーの音が聞こえてきた。当然頭のあたりを乾かしていると思ったが、ふとそちらに目を向けて驚愕した。頭とは違う部分の毛を乾かしている光景が飛び込んできたからである。人間、長生きするもんだ。来年には高齢者の仲間入りをする私だが、〝最重要地域〟をドライヤーで乾かしている人とは巡り合わせたことがない。まさに〝驚愕と爆笑〟が両立した。もちろん後者は腹の中に必死で抑え込んだ。まさに逃げるようにお風呂場から出ようとしたら、入り口に置かれていた注意書きの看板が目に飛び込んできた。〝刺青をされてる方。泥酔状態だと思われる方…〟。びっくりした余韻のおまけに揚げ足をとるわけではないけれど、〝されてる方〟ではなく、〝されている方〟でしょう。しばらくして朝食を摂りにいったら件のドライヤーの男性がいた。もちろん改めて腹笑してしまった。
 
暖房の部屋へ… 2012/12/10 月)3627
  暖房が効かないままで2時間を過ごすわけにはいかない。じつは温泉の大浴場で朝風呂を楽しもうとも思っていたのだが、この状態だと風邪を引いてしまう。そこで私は再びフロントに電話した。〝いま担当者の方がお見えになって、空調の調子が悪いと言って帰られました〟。それはいいとして、とにかく部屋が寒いんですよね。これから出かけるまで暖房が効く部屋に移動できませんか〟〝申し訳ございません。あいにくと空いている部屋がございません。ただ和室でしたらご用意できますが…〟〝もちろんけっこうですよ。暖かければいいですから…〟。
 それから数分後だったか、ドアがノックされた。ドアを開けるとフロントマンが立っていた。〝申し訳ございません。替わりの部屋をご準備しました。いま暖房を最大にしております…〟。その後も話を続ける様子だ。〝部屋の中にお入りになりませんか。ドアが開いたままだと他の部屋の方にご迷惑でしょう〟。私はこう言って彼に部屋に入るよう促した。何せまだ時刻は7時前である。こんな時間にドアを開けたまま話せば、声は廊下に響き渡るじゃないですか。深夜のホテルで廊下から聞こえる立ち話の声ほどうるさいものはない。私から言われてフロントマンは部屋に入ってきた。それはそれでいいのだけれど、私としては〝うーん〟とうなってしまう。何と言ってもプロなんです。〝このままでお話ししますと声が廊下に響いて他のお客様にご迷惑になるといけません。本当に申し訳ございませんが、お部屋に入らせていただいてよろしいでしょうか〟。まあ、このくらいのことは自分の方から言ってもいいですよね。そんなことを考えて、私は心の中で苦笑いしていた。ともあれ、めでたく別の部屋に移動できたのである。
 
暖房不良の対策 2012/12/09 日)3626
  九州の冬、室内の温度はけっこう低い。それに慣れていることもあって、朝の5時ごろに起きてからしばらくは暖房が効いていないホテルの一室で仕事をしていた。しかし、やはり寒いものは寒い。時計を見ると6時を回っている。この日は8時30分ころまで部屋にいる予定だった。そこで早朝であることを少しばかり気にしながらフロントに電話をかけた。〝○○号室の吉田ですが、昨夜からエアコンが効かないんですよ〟〝お部屋のエアコンの丸いノブはお回しになりましたか〟〝ええ、もちろんです〟〝それではお部屋までお伺いします〟〝よろしくお願いします〟。こんな会話があってからドアがノックされるまで思ったよりも時間がかかった。ドアを開けるとフロントの方ではなく、服装から察するに設備の担当者が立っていた。フロントから連絡する際に時間がかかったのだろう。
 彼は部屋に入るなりエアコンのノブを回したが、すぐに私の方を向いた。〝エアコンが効いていませんね。申しわけありません〟〝やっぱりおかしいでしょう〟。やりとりは予想通りに進んだ。私の確認に頷いた担当者が応じた。〝連泊でいらっしゃいますので、今晩は別の部屋をご準備します〟〝ええ、よろしくお願いします〟。これで担当者は自分の仕事が終わったと判断したのだろう。そのまま部屋を引き上げていった。その後すぐに私は自分の対応が十分でなかったことに気づいた。今夜、空調が効く部屋に替わるのは当然である。しかし、ちょっと待ってほしい。まだ朝の6時30分である。いまから出かけるまでの2時間ほどはどうなるのかいな。暖房のない寒いこの部屋にずっといなくっちゃあならないのか。そりゃあないでしょう。いまここでの問題も解決してもらわないとまずい。
ホテルの暖房 2012/12/08 土)3625
  あるホテルに午後10時30分ごろ着いた。部屋に入るとかなり寒い。当然のようにエアコンのスイッチをひねる。いわゆる単体のエアコン備え付けタイプではないダクト方式で、壁の格子から風が吹き出してきた。そこまではよかったが、風そのものが冷たい。High の方に回してみたが状況は変わらない。ともあれバスタブにお湯が入ったので風呂に入る。これで体はしっかり温まった。ほんの少しばかり仕事をすると11時を回ったのでベッドに潜り込んだ。私は布団に入ると足下から温まるありがたい体質をもっている。そんなわけで無事に〝一時的あの世〟に出かけた。
 翌朝は5時近くに目が覚めた。いつもは4時台なので、少しばかり旅の疲れがあったのだろうか。ともあれ自宅にいるときと同じように、まずは〝味な話の素〟をアップロードした。かなり前に書いたことがあるが、このコラムの原稿は〝1日分だけ〟ストックがある。これを転送してから、翌日の1回分を準備する。この方式が〝しつこく継続できる〟秘訣だと思っている。まあ、そんなことで〝仕事〟を続けるのだけれど、昨夜と同様に部屋が寒い。ただし私は多少の寒さには耐性がある。九州の冬は〝寒い〟のである。北海道などの寒冷地の室内はポッカポカだ。セーターで過ごすという話も聞いたりする。その点、九州は小型か中型の石油ストーブ1台で部屋を暖める。私が仕事をする部屋などはいわゆるエアコン1台で対応している。石油ストーブも置いていないのである。そんなわけで、部屋全体が〝暖かくなる〟ということはない。そうかといって、それほど厚着で対応しているのでもない。まさに〝ないないづくし〟だが、その結果として、体はそれなりに〝寒さに強く〟なっているのである。
〝奇跡〟は楽しい 2012/12/07 金)3624
 Montaigneがフランスの哲学者で主著に〝エセ-〟がある。このくらいの事実だけは記憶している。おそらく中学校の教科書に出てきたのだと思う。ひょっとしたら高校が初出だったかもしれない。いまウィキペディアで見たら〝16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者。モラリスト、懐疑論者、人文主義者。現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた主著『エセー』は、フランスのみならず、各国に影響を与えた〟とある。私は一瞬、モンテスキューと混同してしまった。
 ともあれ、その程度の知識というか記憶の人物である。彼がこれまでの人生の中で私に影響を与えたのは〝テスト〟のときだけだろう。だから、〝モンテーニュ〟という名前が私の頭の中に浮かんだ回数も限定されているはずだ。その人物が、お互いにまったく関係のない本の中に出てきたのである。もちろん、別々の本に同じ人物が取り上げられること自身は不思議でも何でもない。しかし、それに20分ほどので時間差で〝出会った〟のだから、つい興奮してしまった。それは単なる偶然だと言ってしまえばそれまでのことである。いやそれ以外にあり得ない。しかし、私としては〝奇跡だあ〟と絶叫したくなったのである。心理学の統計では起きる確率が5%以下であれば、一応は偶然性を否定するという約束がある。今回の〝Montaigne事件〟については、これが生起する確率なんて計算のしようがない。しかし、私としては〝どう考えても5%どころじゃないよなあ〟と思いたくなる。つまりは〝奇跡〟というわけである。もっとも、〝なあるほど。しかし、それでどうしたの〟と問われると、〝ただ、それだけなんだけど〟と答えるしかない。そりゃあそうだけど楽しいじゃないですか。
 
奇跡のMontaigne 2012/12/06 木)3623
 調査の結果、40代と60代の間に〝保守得点〟で5点の差があったとしよう。心理学では〝この5点の差〟が〝本当は両者に違いがないのに偶然に5点の差が出てしまう確率〟を計算する。そして、それが5%以下の場合には〝有意差がある〟と考える。この差を〝偶然ではなく年代の間に意味のある違いがある〟と認めるのである。つまりは20回に1回以下しか起きなければ〝偶然ではない〟というわけだ。もちろん、それは〝奇跡〟の基準ではない…。
 さて、数日前におもしろい体験をした。私は研究室で三木清著「パスカルにおける人間の研究」(岩波書店1968改版)を読んでいた。この本を買ったのは1968年6月10日、大学2年生のときだ。その44ページから45ページにかけて、〝彼等はパスカルを「病めるモンテエニュ」(Montaigne malade)と呼ぶことに好んで同意する〟と書かれていた。この際は前後の内容はどうでもいいのである。とにかくこの文章だけ頭に入れていただきたい。少し区切りが付いたところで本を閉じた。それからやおら読みかけだった別の本を開いた。Keaens, DとNadler, Dの〝Prophets in the dark:How Xerox Reinvented Itself and Beat Back the Japanese〟(1992)である。日本企業に圧倒されたゼロックスの復権物語だ。その20ページを開いたとき私は目を疑った。〝While making a sales pitch for his product, Wilson once quoted in Latin a homily from a Montaigne essay〟。説明の必要はないだろう。何とここにもMontaigneが登場している。ほんの20分ほどの間に、まったく関連のない書籍の中にMontaigneさんが出てくるなんて。〝これは奇跡だ〟。そこには興奮している私がいた。
 
奇跡の確率 2012/12/05 水)3622
 〝奇跡:1常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象。2キリスト教など、宗教で、神の超自然的な働きによって起こる不思議な現象(大辞泉)〟。この定義から推察すると、奇跡は〝絶対に起きないこと〟ではない。たしかに、われわれは現実のある事象に対して〝奇跡だ〟という。つまりは〝奇跡〟は〝必ず起きる〟のである。ただし、それが頻繁に発生するようだと奇跡とは呼べない。したがって、奇跡は〝生起する確率〟がきわめて低い現象のことになる。それでは、〝奇跡〟と認定する〝確率〟の基準はどうなるか。1/100か1/1000か、はたまた1/10000は必要なのか。いやいやそんな数値を問題にするよりも、みんなが〝奇跡だ〟と叫べばそれでOKなのか…。
 心理学では人の行動について得られたデータを分析して、一般的な法則を見つけ出そうとする。その際に条件による違いを確認するために統計的検定を行う。たとえば、人の〝保守的傾向〟について、年齢や性別の差が見られるかどうかを明らかにしたい。そこで質問紙調査をしたところ、60代の方が40代よりも〝保守得点〟が高かった。調査結果は100点満点で60代は70点、40代は65点だった。したがって、数値的には60代の方が40代よりも〝5点だけ保守的だ〟ということになる。ただし、調査は日本人の60代と40代の全員に実施してはいない。しかし、〝この結果は私が聞いた人たちだけの結果に過ぎません。それ以外の人たちに当てはまるかどうかはわかりません〟なんて言っていたら研究の意味はない。この差は調査の対象になった人たちだけでなく、すべての60代と40代に当てはめることができると主張したいのである。そのために登場するのが〝統計的検定〟なるものである。
身上書 2012/12/04 火)3621
 私の手元に一枚の〝身上書〟がある。やや古い時代のものであるため、今日では不適切な表現も含まれているが、なかなか含蓄のあるものなので、その一部を紹介したい。
 〝拝啓 このたび縁あって貴方様の御家にご奉公する事になりました。何分生まれて初めての門出を迎えています、よろしくお育て下さいますようお願い申し上げます。生い立ちを、親として少々ご紹介申し上げます〟。身上書はこんな挨拶文からはじまる。これを書いたのが本人の〝親〟であることは明らかだ。〝名前は○○で寿命も長く貴方様の使い方で何年もご奉公申し上げるべく育んで参りました〟。ここまで読んで、これは人間ではなく、モノについての情報だと気づいた方も多いだろう。
 この○○には「輪島塗極上本乾漆」が入る。輪島塗のお箸に付いていた〝身上書〟なのである。いわゆる〝店主敬白〟で終わる説明書で、お土産のお菓子などにも入っている。ともあれ、お箸を擬人化して〝末永くよろしくお願いします〟と語りかける。つい先を読んでみたくなる。〝生まれは能登の国・輪島で…二十数工程の作業全て手作りにより誕生したした次第です〟 〝産湯を漆で取り上げ、少々の事で風邪などひかぬように鍛えてあります〟。こうしたすばらしさが強調される。しかし、その一方で〝この子にも短所が有りまして〟と注意を促している。〝熱湯などで消毒したり、食器洗浄機・乾燥機などを、とくに嫌がります〟〝無理をして使うと一命を落とすことにもなりかねません〟。なあるほど、そうだろうなあ。そして〝ご利用が終わればお水で洗い、きれいに水を拭き取ります〟と、本人が〝喜ぶ事〟を付け加えている。じつにすばらしい身上書だ。もちろん、育ての親の願いを受けて大事に使っている。
 
〝使ってやって下さい〟 2012/12/03 月)3620
 〝よかったら使ってやってください〟。薬局に行って薬を手渡されたとき、こんな声をかけられた。薬の横に丸められた来年のカレンダーが置かれていた。そのことばの響きに私の心は温かくなった。〝使ってください〟ではなく〝使ってやってください〟。なんと違うんだろう。たしかにカレンダーは〝モノ〟である。だから〝使ってください〟で何の差し支えもない。それどころか、カレンダーなら〝使ってください〟の方が表現としては適切だろう。そうだ、だからこそ〝使ってやってください〟に温かさを感じるのである。〝言霊〟という。〝ことばには霊が宿っている〟。古代の日本人はそう信じていた。その真偽はともかく、私は〝ことばには、それを発する人の心が宿っている〟とは思う。
 保険会社の女性が定例の訪問で仕事場にやってきた。挨拶もそこそこに、いきなり〝とても嬉しい思いをしました〟と言われた。私の職場で事務を担当している女性が〝お待ちしていました〟と対応したのだという。仕事柄〝お待ちしていました〟と迎えられることはほとんどない。〝むしろ迷惑顔で見られることだったあるんです…〟。そんな話を聞いた。何気ない、あるいは自分にとっては当たり前の表現が人の心を動かすのである。もちろん、〝人の心を温かくしよう〟などと余計なことは考えない方がいい。自分自身が心を安らかにして、気持ちを込めてことばを発することである。それが相手に温もりとともに伝わるのである。いまや政治も経済も、そして社会全体が崩壊に向かって突進している。私たちはそんな厳しい状況のなかに追い込まれてしまった。こうしたとき、〝人と人との関係〟だけは最後まで守らなければならない。その崩壊を救うのは〝温かさ〟であるに違いない。
 
男と女の朝ごはん 2012/12/02 (日)3619
 あふれんばかりの〝おかず〟を載せた2枚の皿を置くと、女性はまたテーブルを後にした。まるで、驚愕している私に気づいて〝まだまだ、もっと凄いところをお見せしますわ〟と語りかけているようだった。またしてもテーブルに背を向けてあちらの方に行ったのである。そしてまもなく、彼女は〝どでかい〟グラスに牛乳を並々と注いできた。しかし、ここに至っても女性はテーブルに座る様子は微塵も見せなかった。そのとき、二人の間できわめて短い会話が交わされたように見えた。それからまたしても女性は席を離れていったのである。ここまでくると、私の目には女性が〝狩猟〟に出かけているように見えてきた。
 このときになって、男は〝山盛り〟の野菜にはじめて箸をつけた。それまでずっと〝待て〟と言われていたのが、〝もう食べてていいのよ〟という許可がおりたのだろう。先ほどの小さな会話でそんな了解が成立したに違いない。もう何度になったかわからなくなってきたが、つぎに女性がもってきたのはパンだった。さすがに私の神経も鈍りはじめたようだった。お皿いっぱいにおそらく10個以上のパンが載っていたのだが、それを見てもまったく驚かなかったからである。いやむしろ〝そうこなくっちゃあ〟と十二分に満足している私がいた。それからも私は女性が2往復するところまで確認した。まずはネギがいっぱい入ったみそ汁をもってきて、さらに和食のおかずまで物色していた。このときは私も食事を終えていて、レストランから出る際にちらりと眺めたのである。そんなわけで、その後がどうなったのかは知らないが、コーヒーやフルーツがテーブルに載っていなかったことだけは間違いない。しかし、私だって最後まで見届けているほど暇じゃない。
 
後ろ姿の男 2012/12/01 (土)3618
 何の気なしに、少し距離のあるテーブルに目をやった。一人で座っている男性の背中が見えた。座っているから事実はわからないが、比較的小柄のようで、年齢は50歳くらいだろうか。ほんの先ほどまで誰もいなかったから、たったいま座ったのだろう。私は再び自分の食事に集中した。それからまた顔を上げると、例の男性の前に大きなお皿が2枚置いてある。どちらの皿にも、文字通り山盛り一杯の野菜が積み上げられていた。真ん中の頭にはポテトが載っている。とにかく野菜の量が桁違いなのである。正確なところはわからないけれど、直径20cmを超える皿に標高7、8cmはあるように見える。トップのポテトはまるで富士山の頂上に積もった雪になっている。〝菜食主義者だ。しかも半端じゃない…〟。私は心の中でそう叫んだ。それが置かれる瞬間を見損なったが、彼には間違いなく連れがいる。
 それにしても、どのくらい時間が経過しただろうか。男性はひたすら下を向いたままで、野菜に手をつける気配はまったく見られない。じっと連れを待っている様子なのである。あくまで体感時間ではあるが、10分も経ったころだったろうか、私にとっては突然、一人の女性が現れた。そのとき、私は危うく〝あっ〟と叫びそうになる自分を必死に抑えた。彼女は両手に大きな2枚の皿をもっていたが、その両者から山盛りの〝おかず〟がこぼれ落ちそうになっていたのである。私はたった一つの状況だけを見て男を〝菜食主義者だ〟と断定したことを心から恥じた。彼らは〝大食主義者〟だとしか表現のしようがなかった。時間は朝8時前、ホテルの朝食バイキングでの光景なのである。しかし物語はまだ終わらない。女性はそのままテーブルに着く様子を見せなかった。