吉田道雄 YOSHIDA, Michio
Back NumberHome

味 な 話 の 素 Since 2003/04/29
 No 114  2012年11月号 (3588-3617)
頑固親父とDV 2012/11/30 金)3617
 いま、DVが深刻化しています。これはこれで大問題ですが、〝ちゃぶ台返し〟だってDVのにおいがします。〝頑固親父〟といえばユーモアすら感じられる表現ですが、何のことはない、単なる〝家庭内かんしゃく〟の場合もあったのです。それは妻だけでなく、子どもたちにとっても大迷惑だったはずです。しかも、その〝元気なエネルギー〟を外にも向ければいいのですが、これがからっきしダメなんです。いやそれができないからこそ、〝内向き〟に爆発させていたに違いありません。弱いところに欲求不満をぶつけるなんて、強い者がすることではありません。それはもういじめそのものではありませんか。私がNHKの朝ドラ〝カーネーション〟の予告を見て笑ってしまったのは、俳優がこのあたりの雰囲気をじつにうまく演じているように見えたからでした。
 ところで、こうした状況のもとに育った子どもたちはどうなるのでしょうか。これには3つの可能生が考えられます。人間は〝模倣〟しながら行動を身につけていきます。成長とともにストレスを引き起こす要因は増えていきます。それを解消するために〝親父の模倣〟をすることは大いにあり得ます。一方で〝反面教師〟ということばがあります。自分が体験したつらい思いを他人にさせたくない。そんな強い気持ちで父親と真逆の行動を選択する。そして、もう一つは〝まったく影響を受けない〟という可能性です。問題は、この3つのうちどれがもっとも起こりやすいかです。私たちにとって〝新しい行動〟を身につけることは〝模倣〟するよりもはるかにむずかしいのです。そうした中で〝ちゃぶ台返し〟の連鎖を断ち切るためにはどうしたらいいか。これは現代の〝DV〟問題を解決するためにも重要な課題なのです。
 
ちゃぶ台返し 2012/11/29 木)3616
 昨日は正月と女性のことを取り上げてから、NHKの朝ドラ〝カーネーション〟が頭に浮かんだと書きました。〝いったい何の関係があるのかい〟と思われたでしょうか。じつは〝カーネーション〟がはじまる前の予告をたまたま見ていたときです。主人公の父親はやたらと短気で何かというと〝カッ〟ときて怒る人のようでした。しかも、家の外で他人と会話するときにはずいぶんとペコペコしているんですね。それを見て吹き出してしまいました。よくできてるなあと思ったのです。私が子どものころは、あの手の父親があっちこっちにいましたもんね。つまりは〝内弁慶〟の典型なんです。外面(そとづら)はめっぽういいのですが、仕事のストレスなどを自分の家でぶちまけるわけです。
 ちゃぶ台などと言っても、いまの若い人はわからないでしょうねえ。折りたたみができる食事用のテーブルです。こう書くとけっこうスマートな感じがするから、また笑ってしまいます。ともあれ、些細なことで気にくわないと、ちゃぶ台ごとひっくり返すわけです。その上にご飯やみそ汁、おかずに漬け物などが載っているにもかかわらずです。何のことはない、外面をよくして溜まったストレスをそんな形で解消していたわけです。それは幼児のかんしゃくと同じなんです。これでは家族も大迷惑しますよね。とりわけ奥さんは最大の被害者でした。子どもだって怯えてしまいます。とにかく弱いところに当たり散らすんです。その精神構造たるや、欲求不満のはけ口を弱者に向けるのですから未熟としか言いようがありません。しかし、そんな親父が当たり前のようにいたのです。そうした行為を正当化することなんてできません。しかし、以前はそれがそれほど珍しいことではなかったのです。
正月と女性 2012/11/28 水)3615
 元日の夕方、熊本の繁華街を歩きました。昔と違って正月早々から店開きをしているところがあります。その代表がダイエーでしょうか。ビデオや書籍のTSUTAYAも煌々と灯りがついていました。また、マックは空いているのにケンタッキーは閉まっていました。こんなところはなかなか面白いものです。正月から店が開いているのは便利と言えばこの上なく便利です。しかし、そこまでやるのかという気持ちもありますね。昔はおせち料理で三が日はゆっくり過ごすというのが当たり前でした。ただし、そうはいいながらも、私が子どものころの現実としては、そうした準備をするために女性がせっせと働いていたわけです。男どもは酒を飲みながら騒いでいるだけですから何の苦労もありません。その点、女性にとって正月は普段以上に疲れるときだったのではないかと思います。とにかく男の方はいい気なものだったわけです。そう考えると、とくに準備しなくても何でも揃うこのごろは、女性にとっては望ましい変化だと言えるでしょうか。
 そんなことを考えていたら、突然NHKが放映していた朝ドラの〝カーネーション〟が頭に浮かびました。私は連続物とつきあうのをとくに苦手にしています。ですから朝ドラもまったくと言っていいほど見ません。たまたま画面に目が向くことはありますが、1回分の15分間すべてを見たことありません。ただし、かなり昔ですが、〝おはなはん〟という朝ドラがあっていたころはけっこう見ていたような記憶があります。いまネットでチェックしましたら、〝おはなはん〟が放映されたのは1966年でした。私はまだ高校生ですから夏休みなどに見ていたんでしょう。それから46年も経っていますから、テレビの嗜好が変わるのは当然なんです。
日没時間 2012/11/27 火)3614
 元日に〝電氣館〟に出かけて映画の観初めをしました。いつもはわが家から歩いて10分もあれば着いてしまうシネコンに行きます。ところが、〝エンディングノート〟は〝電氣館〟だけで上映していたのです。この映画館のユニークさは6月18日の本コラムに書いています。ともあれ、映画を観てから熊本市の繁華街である下通を歩きました。さすがに元日ですから、お店の多くがシャッターを閉じていました。映画が終わったのが5時を過ぎていて、すでに暗くなりはじめていました。
 そうそう、冬の時期はとくに日が暮れる時間が東西で随分違うものだといつも驚きます。この11月でも東京で仕事をするとまだ4時台だというのに空全体が暗くなってきます。とくに雨や曇りの日などは、もう5時で完璧に夜という雰囲気です。これが九州だと5時半くらいに当たるでしょうか。大相撲九州場所は終わりましたが、その中継中、翌日の取り組みを提示するときなどに博多湾の様子が映し出されます。それを5時を回ったころに日が暮れた東京のホテルで見ていると、まだ薄暗い感じであることに感動すらします。このごろの進化したカメラの目は人間以上に世の中の光を受け止めるようです。そのために、実際以上に差が大きく見えるのかもしれません。ともあれ、私の体感で言えば東京と九州では1時間は違っています。わが国は南北に長いだけでなく、東西にもけっこう幅があることを実感します。せっかくこの話題を採り上げてしまったので、全国の今日の日没時間をチェックしてみました。その結果、根室は何と15時45分でした。東京が16時29分で大阪は16時48分、そしてわが熊本は17時12分ということです。体感1時間はそれほどオーバーでもないんです。
元日風景 2012/11/26 月)3613
 今年の元日に〝エンディングノート〟という映画を観に行ったことは6月18日に書きました。それから11ヶ月目を迎えたのですが、今日現在で25本の映画を楽しみました。年間に30本が一応の目標ですが、なかなかそこまではむずかしいですね。昨年は22本止まりでしたから、今年はすでにそれを超えました。年末にかけて面白そうなタイトルが目白押しなので、もう少し記録が伸びると思います。
 ところで6月19日には元日の繁華街について書きかけていました。賞味期限、いやすでに消費期限すら切れていますが続けてみましょう。まずは熊本市のアーケードの自慢話です。熊本の中心街には上通り、下通、新市街という3つのアーケードが繋がっています。上通りと下通りの間には市電が走るメインストリートがあります。これも地下道で繋がっていますから、雨が降っていても傘はいりません。ただし、かなり前のことになりますが、この地下通路で犯罪が起きたため、利用する人は極端に少ない印象があります。私は上が赤信号のときにそこそこ使うのですが、いつも数人と行き会う程度です。事件後に防犯カメラが設置されたものの、やはり不安感があるのでしょうか。
 さて3つのアーケードですが、上通りが400m、下通りが511m、そして新市街が230mあります。これを合わせると1141mが屋根で覆われていることになります。そして下通の場合、道幅が15mで、屋根までの高さも同じ15mです。熊本の猛暑を考えて人工露発生装置まで付いているんです。数値的に日本でどのくらいの位置にいるのかは知りません。しかし、道幅や天井までの高さ、長さ、そしてその明るさを加味すれば、わが国でトップクラスのアーケードであることは誰もが認めるでしょう。
誤審とビデオ 2012/11/25 (日)3612
 〝前代未聞:今までに一度も聞いたことがないこと。非常に珍しいこと、程度のはなはだしいことにいう(大辞泉)〟。大相撲九州場所9日目、まさに〝前代未聞〟〝史上初〟の誤審があった。相撲で〝物言い〟がついて〝取り直し〟になることは知っている。しかし、〝やり直し〟なんて聞いたことがない。対戦したのは日馬富士と豪栄道で、相撲の途中で行司に止められてしまった。勝負の途中で勝負審判の一人が日馬富士の足が〝土俵の外に出た〟と思って〝勝負あった〟と行事に知らせた。ところが、ビデオで確認したところ、足は出ていなかったため〝やり直し〟になったのである。相撲を取っていた二人は言うまでもなく、観客も大いにしらけたことだろう。相撲は一瞬一瞬の力勝負だ。変なところで止められてはお話にならない。しかし、それでも〝誤審〟であることが明確になったのは〝ビデオ〟で確認したからである。相撲はわが国伝統のスポーツで、閉鎖性や古いしきたりが批判されることもある。しかし、勝負の微妙な判定にはビデオを使う。これは1969年の〝大鵬・戸田戦〟で起きた誤審問題がきっかけになっている。したがって40年以上も前からビデオを導入しているのだ。ここで思い出されるのが野球である。この業界では審判の判定があやしいときでもビデオで確認することを拒否してきた。ただし、かなりひどい誤審があって、ホームランの問題だけは例外になった。今度の日本シリーズでも後味の悪い判定があった。〝ゲームの流れに影響する〟というのが理由らしいが、それはまったくナンセンスだ。監督たちが抗議してもめる方がはるかに〝流れ〟を止めている。ピッチャーも肩が冷える。野球の方が相撲よりも権威主義的で時代遅れということですね。 
〝Kちゃん〟 the final 2012/11/24 (土)3611
 オーストリアの精神科医フランクルが書いた〝夜と霧〟という本があります。彼自身がユダヤ人としてアウシュビッツ収容所に入れられたのですが、そのときの詳細な記録です。〝夜と霧〟はいまでも本屋に並んでいる超ロングセラーです。原題は"Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager" で「ある心理学者、強制収容所を体験する」で、1946年に出版されています。邦訳は1956年に出ていますので、それからでもすでに60年を超えているわけです。私は今年の夏にアウシュビッツ収容所に行ってきました。いまでは世界遺産になっていますが、ことばを失うほどの過酷な状況が目の前にありました。そんな文字通り生き地獄から生還した人間の記録ですから、鬼気迫るものがあります。そうした中で生きる力を持続させた最大のキーワードのが〝希望〟だったというのです。〝希望(Kibou)〟といい、〝期待(Kitai)〟いいい、いずれも〝Kちゃん〟ですが、それはまさに命をつなぐ力だと言えるでしょう。
 さて、その次に並んでいたのは〝環境(Kankyou) づくり〟でした。それ自身は幅広い意味合いをもっていますが、ともあれリーダーには、自分が関わる組織にとって望ましい〝環境〟を創っていくことが期待されているのです。それには物理的に仕事がしやすい環境を創るだけでなく、メンバーたちがお互いに信頼し、〝言いたいことが言える〟雰囲気を創ることも含まれます。それは組織の安全にとっても欠かせないものです。それだけではありません。〝言いたいことを言ったら、それを真剣に聴いてくれる、受け止めてくれる〟。リーダとメンバーたちの間にそんな関係があれば、ミスやヒヤリハット事例が共有化され、致命的な事故を未然に防ぐことができるのです。
〝重大ニュース〟? 2012/11/23 (金)3610
 〝あの人〟が出馬しないというニュースがそんなに重大なのだろうか。私なんぞには〝あっそうなの〟程度のことに過ぎない。じつは〝あれでも選挙になれば通るんだろうなあ〟なんて思っていた。その昔は、いろんなことがあっても〝それでも通る〟という選挙がけっこう多かった。地元の選挙区ではめっぽう強いのである。ところが、あの方については今回は厳しそうだという話が出始めていた。地元で強力な対立候補が出るらしい。そうなると〝それでも通る〟というわけにはいかないのかもしれない。そんなときに、ご本人から立候補しないと宣言されたのである。意地悪な向きは、〝負けそうなので先手を打った〟と言っているようだ。そもそもご自身が数年前に〝引退する〟と公言されていたのである。それにも拘わらず、それを忘れたかのような行動に出たのでみんなしらけた。だから私なんぞは〝あっそうなの〟でおしまいなのである。
 ところが、これがすべてのマスコミのトップニュースになるから〝やれやれ〟と思ってしまう。朝から自宅に押しかけて、それこそ一挙手一投足をフォローしようとする。党の責任者からの〝慰留〟があったかなかったかまで話題にされる。まあ私の常識の方がおかしいのかもしれないが、どのチャンネルも同じような画面に出くわす。まさに重大事態発生といった過熱ぶりである。もちろん、その熱気もすぐに冷めてしまうだろう。リーダーシップに関する講演会後に司会者が無理矢理私に質問した。会場からは手が挙がらなかったからである。〝いまの○○さんのリーダーシップをどう思われますか〟。講演内容とはまったく関係ない質問だった。これに対して〝私は宇宙人のリーダーシップは研究していません〟と答えたことを思い出した。
 
〝聴く耳〟〝期待〟〝希望〟 2012/11/22 (木)3609
 まだまだ続く〝Kちゃん〟の行列の先頭に立っていたのは〝聴く耳(Kikumimi)〟をもつことでした。私たちが関わる組織においては、上からの指示や命令は文書などによって目に見えるようになっています。しかし、下からの声はなかなか聞こえてこないものです。日常の生活の中には、鳥や虫の声など様々なすばらしい音があります。しかし、それも意識して〝耳を澄まさない〟と聞こえません。〝その気〟にならないといけないのです。それは組織においても同じことです。とりわけリーダーは大事な声を聴き逃してはいけません。そのためにも日ごろから意識して〝聴力〟を磨いておく必要があります。もちろん〝聴いただけ〟では意味がありません。そうした声をしっかりと受け止めて、それを実践に活かしていってこそ、〝聴く耳〟をもっていることになるのです。ここでも〝実行力〟が求められているわけです。
 さて、〝聴く耳〟の後ろに並んでいたのは〝期待(Kitai)をもたせる〟でした。〝期待〟は〝希望(Kibou)〟と入れ替えてもいいでしょう。私たちは〝先を見る〟あるいは〝未来を展望する〟ことができます。これまで動物にインタビューした経験はありませんが、この力はおそらく人間だけがもっているものに違いありません。そして、これが〝生きるエネルギー源〟になるのです。もちろん、〝過去をしっかり見る目〟があってこそ、〝未来の展望〟も開けるのです。ただ〝過去はどうでもいい。とにかく未来だ〟では〝希望〟も幻想になってしまいます。その意味では、〝過去の失敗〟を冷静に分析することも大事なことなのです。そこがうまく克服できれば、〝失敗〟は新たな行動のエネルギーになるのです。それは〝成功体験〟に負けない力を与えてくれます。
〝事実〟と〝価値観〟 2012/11/21 (水)3608
 同じ〝科学〟でも社会科学は自然科学とは決定的に違っている。そのなかでも最大の相違点は〝価値観〟が付随しているかどうかである。たとえば、地球が太陽の周りを回っているという〝物理的な事実〟は、自由主義、社会主義、独裁国家、民主国家を問わず〝事実〟である。だから、どんな国でもロケットを打ち上げるための技術は完全に共通する物理学的な原理に基づいている。もちろん、さまざまな事情から、そうした物理的事実を認めない国や集団があるかもしれない。たとえば、〝地動説〟は〝宗教的真理〟に反するという理由で排斥された。こうした事例は少なくとも私たちが知っている国々では過去の話のように思われる。
 ただし、人間はいわゆる〝自然科学的事実〟を突きつけられても、その対応は様々である。たとえば、発見が遅くて余命わずかだと宣告されたガン患者がいたとしよう。その人はどんな行動をとるのか。大きなショックを受けて生きる意欲を失ってしまうかもしれない。だから事実は身内の人間だけに伝えて本人には隠しておく。私が若いころは〝それが本人のためだ〟という考え方が支配的だった。そんなことから、患者は〝もうだめなのではないか〟と思いながらも、一方では家族が言うように〝大丈夫かもしれない〟と希望も抱きながら最後の時間を迎えたのである。しかし、いまや〝インフォームド・コンセント〟の時代である。本人が事実を知って、自分に残された貴重な時間を有意義に過ごすことが大事だと考えるのである。それが時代の流れであり、事実を淡々と受け入れてしっかり生きる人がいる。それが理想である。ただし、厳しい事実を宣告されたときにどれほどのショックを受けるのか。それを客観的に予測することは不可能に近い。
〝応える力〟も〝Kちゃん〟 2012/11/20 (火)3607
 上から目線でプレッシャーをかけることがリーダーシップだと考える。あるいはフォロワーたちから〝権威主義的〟〝管理的〟と呼ばれる。そんなリーダーのもとではフォロワーたちの欲求不満が高まります。それをリーダーに向かって出せないときは、〝目に見えない反抗〟で欲求不満の解消をはかります。さらにそのエネルギーが弱い者に向けられると仲間同士の〝いじめ〟に繋がることもあります。また〝働く意欲〟だって低下するに違いありません。それは仲間との連帯感などにも悪い影響をもたらすのです。こんな状態の組織が元気であるはずがないでしょう。それどころか、ミスが頻発したり、それが積み重なれば大きな事故を引き起こします。そうなると最悪、もう取り返しがつきません。そんな悲劇の主人公にならないためにはリーダーシップが重要な役割を果たします。
 リーダーはフォロワーたちの気持ちを理解し、それに〝応える力(Kotaeru)〟が求められているのです。いやあ、またまた〝Kちゃん〟が登場しましたね。この〝応える力〟ですが、それには専門性に関わる力が欠かせません。ただ〝やさしい〟とか〝人柄がいい〟だけでは、十分なリーダーシップを発揮することはできないのです。そして、リーダーにはその立場や経験に対応する〝専門的〟な知識や技術をもっていることが期待されています。そして、その力をさらに強化するために努力し続けることが必要なのです。さてさて、これまで様々な〝Kちゃん〟を挙げてきました。しかし、まだまだ〝Kちゃん〟たちが〝はやく自分を紹介してくれ〟と行列をつくっています。しかし〝Kちゃん〟物語もけっこう長くなってきました。そこで前の方にいる〝Kちゃん〟を三つだけ取りあげることにしましょうか。
法治国家と犯罪 2012/11/19 (月)3606
 〝法治国家〟とは〝法により国家権力が行使される国家。国民の意志によって制定された法に基づいて国政の一切が行われ、国民の基本的人権の保障を原則とする。法治国〟。〝罪刑法定主義:どのような行為が犯罪であるか、その犯罪に対してどのような刑が科せられるかは、あらかじめ法律によって定められることを要するとする主義〟(いずれも大辞林)。日本は〝法治国家〟だから、法律に書いていないことは、少なくとも法律上の罪にはならない。
 飛んでいる飛行機の中で盗撮した34歳の男がいた。〝事件〟が起きたのは高松から羽田に向かうJALの機内である。客室乗務員のスカートの中をボールペン型のカメラで盗撮して逮捕されたのである。逮捕したのは警視庁で、容疑は〝兵庫県迷惑防止条例〟違反である。目撃者もいたようだし、カメラを調べれば証拠は歴然としている。さらに自宅の捜索をしたところ、パソコンから別の機内などで盗撮されたとみられる画像も見つかった。しかし、この男は処分保留で釈放されたのである。
 その理由は〝場所が特定できない〟ということだ。盗撮や痴漢事件があると〝迷惑防止条例違反〟ということばを新聞やテレビで見聞きする。この条例はすべての都道府県と一部の市町村で制定されている。問題は〝どこの条例に違反するのか〟が明確でないと罪に問うことができないのである。撮影時間は兵庫上空だと思われるのだが、京都や大阪の上だった可能性もある。さらに〝地上ではなく上空〟での行為に条例が適用できるかどうかの議論もあるという。これが〝法治国家〟における犯罪に関する約束なのだ。オーム事件のときも、当時は〝サリンの製造〟だけでは罪に問えなかったらしい。それが法律に定められていなかったからだ。
お弁当を食べながら… 2012/11/18 (日)3605
 ある研修会のお昼どきのことである。年間を通じて何回かお会いするお二人とご一緒した。四方山話に花が咲いたが、何かの調子にお一人が〝このごろは結婚式に出ることはほとんどない。葬式が圧倒的に多い〟とつぶやかれた。私も講演などで〝そのネタ〟を使っているので大いに賛同した。それに加えて〝いつのころからか仲人さんがいなくなりましたね〟と言うと、〝ああ、そうなんですか〟と驚かれたようだった。その方の場合はお嬢さんが教会式だったようで、もともと仲人はいない。お嬢さんと手を組んでバージンロードを歩くときのステップがむずかしかったという。
 そんな話からいつの間にか、あの世に逝く話題に移っていった。平均寿命が80歳として、私なんぞも残りは15年ほどしかない。誰かが〝苦しんで死にたくないですなあ〟と言えば、他の二人も深く頷く。さらに、その先にあるお墓の話にすすんでいくのはいかにも自然だった。お一人は九州のご出身だが今後も関東地方に住まれるらしい。その際にお墓をどうするか。子どもさんたちも関東育ちで遠方のお墓参りは厳しそうだとのこと。そこで、ご当地と九州の2ヶ所に分骨することを決断されたらしい。さて、その際に〝のどぼとけ〟をどちらに納めるかが、これまた新たなる難題として浮かび上がったということだった。〝もうどうせあの世に逝ったら訳がわからないのだから葬式だってしなくていいし、散骨なんてのもありですよね〟。〝まあ本人はそれでいいかもしれないけれど、あとに残された者たちが‘葬式もしないなんて’などと冷たい目で見られても困るしなあ…〟。こうしてお弁当が空になってからも、この話はドンドンと展開していった。休憩時間の制限がなければどこまで行っただろうか。
 
〝理科離れ〟?? 2012/11/17 (土)3604
 コンピュータが進歩するスピードが急激に上がっていった。そうした変化とともに、〝視聴覚〟という用語が〝AVメディア〟に入れ替わっていく。私は1979年4月に発足した熊本大学教育学部附属教育工学センターに採用された。年度途中の10月1日付だったが、今年ですでに33年を超えた。ところで、その当時は家庭用ビデオが登場し学校に入りはじめたころだった。そんな中で1979年にNEC PC8001が発売された。その製品名から想像できるように、いまや身の回りにワンサカあるパソコンの元祖というべきものだった。そしてPCは学校教育でも大いに活用できる可能性をもった〝視聴覚機器〟だと期待されていた。ただしコンピュータに関心をもって、積極的に使っていたのは主として理科の教師たちで、これに続くのが数学の先生方だったように思う。そして、いわゆる〝文化系〟と呼ばれる教科の教師たちからは〝コンピュータは苦手〟というよりも〝さっぱりわからない〟という声が聞こえてもいた。ただしスイッチを入れるだけの〝テレビ〟は例外だったけれど。
 そんなわけで、私の頭には〝AV教育〟といえば、まずは理科という頭があった。私はいまでも〝教育情報科学〟という、本来の専門である〝グループ・ダイナミックス〟とはおよそ結びつかない授業をしている。私が熊本大学に赴任した当時の事情がにからそんなことになった。ところで、その授業で学生たちに〝視聴覚機器と聞いたらどんな教科を思い浮かべる〟かを聞いたところ、まず出てきたのは〝社会〟だった。それから〝体育〟〝音楽〟と続いていった。そしてついに〝理科〟は出ずじまいだった。〝私は理科が一番だと思っていた〟と伝えたら、学生たちは〝どうして〟といった顔をした。
 
〝AV教育〟 2012/11/16 (金)3603
 〝AV教育〟という用語をご存じだろうか。〝AV〟と聞くと〝ややこしいもの〟をご想像の方がいらっしゃるかもしれない。まあ、それも仕方ないことだ。ビデオのレンタル店でも〝Adult Video〟の棚があるから、こちらの方がなじみ深い向きがあるかもしれない。そんなわけで〝Adult Video〟を使って〝性教育〟するのかい、なんて誤解されるかもしれない。しかし〝AV教育〟はマジの教育で〝Audio Visual Education〟の翻訳である。その昔、教育の分野に〝視聴覚教育〟なるものがあった。これは効果的な教育を実現するために、視聴覚機器の活用法を考える実践と研究を兼ねたものだった。そして〝AV教育〟と名付けられた教師向けの専門雑誌まで刊行されていたのである。これは気がつかないうちに廃刊になってしまった。そんなわけで、いまや〝AV〟はややこしい方が力をもってきたようなのだ。
 私が〝AV教育〟に関わりはじめたころ、視聴覚機器の代表はテレビだった。もっとも私が小学校の低学年のときは学校にもテレビがなかった。そうかといってラジオが教育に多用されていた記憶はない。もちろんというべきか、テープレコーダーもなかった。当時、SONYが全国の学校にテープレコーダーを寄贈していたが、それが当たって小学校に来たのは私が5年生のときである。その後はスライド映写機も使われたような気がするが、映画の方は映写機が超高額で学校などにはなかった。それに映画のフィルムは扱い方がむずかしく、映写機の操作をするために資格がいるほどだった。それが時代の進展とともにビデオテープ・レコーダーなるものが生まれ、ついにはコンピュータが登場することになる。こうした機器の進化のスピードにはただ驚くばかりだった。
心を掴む 2012/11/15 (木)3602
 〝官僚をぶっ飛ばせ〟の意気込みで〝官僚〟を排除した。外務大臣時代の田中真紀子氏は外務省を〝伏魔殿〟と呼んで、マスコミも大いに賑わった。その威勢はよかったが、〝官僚を排除〟すると必要な情報も入らなくなる。短期間で交替する大臣だから、官僚側も〝サボタージュ〟して嵐が去るのを待とうと思うかもしれない。そんな〝意地悪〟をしてはまずいに決まってるが、あれだけ〝排除される〟と伝えるべき情報も伝えることができなくなる。
 彼女の父親である田中角栄氏は小学校卒で天下を取った。そんなことから〝今太閤〟ともてはやされた。その一方で金権政治の権化とも言われ、晩年は収賄の裁判が進行中に亡くなった。その点で一般的には評判の悪い政治家だったが、歴史的な評価はこれからだろうか。それはともあれ、田中氏は当時の大蔵官僚を心から取り込んで政策を実現したと言われる。その当時の大蔵省と言えば東大出身をはじめとしたスーパーエリートが集まる集団だった。そうした官僚たちの心を小学校卒の田中氏が掴んだというのである。その具体的な内容は知らないが、〝官僚を排除する〟のではなく〝官僚を動かす〟ことこそ〝政治家〟の力量である。
 大学設置認可の件でも、これまでの手続きの進め方について十分な情報を得ていれば、〝申請したときに建物ができあがっているのはおかしい〟などという発言は出ないのである。そうした事情を知った上で、〝こうした逆さまに見える現行の方式はおかしい。大学の質の向上などを考えれば、これを変える必要がある〟と言えば、〝そりゃあそうじゃ〟となるのである。大臣ひとりがすべての情報をもてるわけがない。官僚を敵に回すパフォーマンスはけっこうだが、〝情報欠如〟ではこけるしかない。
 
本当のことは知らなかった… 2012/11/14 (水)3601
  今回の〝大学不認可〟事件では田中氏も国会で謝罪し、当事者の3大学は〝認可〟になった。その点で、結果的には〝謝らない誤り〟を犯さなかったことになる。ただし、時間的な流れから見れば相当に〝嫌々〟〝渋々〟だった感がある。しかも文部科学省の官僚が〝私のミスだ〟といって国会で謝罪している。やれやれ、まずいことは部下の責任というわけだ。いわゆる期待されるリーダー像とは真逆のタイプである。本当は部下のミスなのに自分が責任をとる。そんなときは誰もがそのことがわかっている。だから尊敬されるのである。もちろん、今回のような逆の場合だって〝責任を押しつけた〟ことをみんな知っている。今回は訴訟になると負けそうだといった助言もあったようだ。〝謝らない誤り〟を〝嫌々犯さなかった〟というだけのことだろう。
 これに対して副総理や官房長官も〝問題を提起した点で理解できる〟といった意味合いの発言をしている。こういうのを〝すり替え〟という。誰もが否定しないような面を強調して、具体的な行動そのものにも問題がなかったかのようにごまかす手法だ。それなら教育を大事にすると言っている党の重要人物がどうして今までそれに気づかなかったのか。〝今回の指摘で初めて問題を認識しました。恥ずかしい限りです〟くらい言ってほしいものだ。さらに〝認可される前に建物が出来上がっているのはおかしい〟なんて発言もあったが、これはまったく事情を知らないことを自ら暴露しているのである。そもそも事前に多くの基準を満たさないと申請そのものができないようになっているのだ。教員が揃い建物や施設などが出来上がっているのが前提なのである。そんなことだから、事情を知らない人々の判断までゆがめてしまった。
 
人寄せパンダ 2012/11/13 (火)3600
 〝謝らない誤りを犯してはいけない〟。私はこれをリーダーが身につけるべき最も重要かつ基本的な行動規範として強調してきた。それはリーダーに限らない。およそ人の世の中で生きるすべての人間に求められるものである。それにもかかわらず、〝謝らない誤り〟を犯し続ける人たちがいる。それどころか、彼らはそうすることが生きる道であり、むしろ〝うまくごまかすこと〟こそが有能な証拠だと考えているように見える。何とも悲しく哀れとさえ思う。それがいまの政治家たちである。もちろん〝そうでない人たち〟だっているはずである。しかし、そうした人たちは表舞台にほとんど出てこない。そして、国民の現在と未来に直接的に責任を負うべき影響力をもった政治家たちのひどさが目についてしまう。
 私は2009年10月7日の〝味な話の素〟で、ある人について書いた。〝○○氏などはどうなんだろうか。あちらの場合は父親譲りのガラッパチ風だから、映像と同じくらいの迫力があるのかもしれない。ただし人の悪口だけに終始していては、おもしろくはあるが、政治家としては限界がある。やはり政治家は政策で感動させないとまずい…〟。ほとんどの方が、○○氏が田中真紀子氏であることはおわかりになるだろう。それよりも前の2006年11月17日にも、〝悪口だけでは…〟というタイトルで田中氏のことを書いている。小泉内閣が終わったころである。父親の田中角栄氏が自分のことを〝人寄せパンダ〟と呼んだことがある。全国の行く先々で大勢の人が集まったからである。その娘の真紀子氏も〝人寄せパンダ〟の資質は継いでいるが、政治家にとって最も大事なものを欠いている。一時は〝わが国初の女性総理〟といった声もあったが、それは儚い幻想であった。
 
新幹線効果 2012/11/12 (月)3599
  私にとって九州新幹線全通による最大の影響は飛行機である。すでに1年半が経過したが、博多以遠に出かけたのは福山へ1回、小倉まで2回ほどである。あとはすべて博多止まりだ。それも博多に用事があって出かけたのは5回に満たない。そのほとんどの行き先は福岡空港である。私の研究室や自宅を出てから1時間20分程度で空港にいる。そんな状況が生まれた。私にとっての新幹線効果である。熊本にやってきてから30年を超える。もともとは福岡出身ではあるが、もう完全に熊本人のつもりでいる。その私にとって熊本空港を利用しないのは心が痛む。しかし名古屋方面に出かけるときなどは圧倒的に便数の多い福岡空港に出かけるのは仕方がない。
 それにしても、熊本から博多まで新幹線に乗り、飛行機で名古屋まで飛ぶ。それから名鉄で名古屋駅まで行き、さらに新幹線を使う機会も多い。つまりは2時間ほど間を置いて、2本の新幹線に乗るわけだ。そこでいつも気になるのがスピード感の違いである。名古屋から出る東海道新幹線の方がはるかに速い。もちろん客観的にそのスピードをチェックしたわけではないから、単なる気のせいだと言われれば否定するつもりはない。そもそも東海道新幹線は1964年の開業だから、すでに48年も走っている。線路は従来の砂利石の仕様でレールをコンクリートに縛り付ける方式とは違っている。だから時速270kmが最高速度とされる。その点、山陽や東北の新幹線は300kmまで出せるのである。それと同様に新しく敷設された九州新幹線も300kmで走る電車だってあっていい。それが体感的には50歳間近の東海道よりも遅いというのはどうしたことか。山道が多いというが、それって克服できなかったのだろうか。
 
〝考知〟 2012/11/11 (日)3598
 〝3ヶ月後の手紙〟を受け取った方からメールが届いた。〝‘手紙’の内容を読んでハッとしました。私たちの職場は厳しい状況が続いています。そうした中で、自分がしっかりしなければ部下たちの意欲を高めることはできない。そんな気持ちで研修の終わりに行動目標を決めました。しかし、私はそのことを忘れかけていました。‘手紙’を読みながら部下たちに申し訳なくなりました。ここで気持ちを取り直して改めて前に進みます…〟。同じ趣旨のものを封書でいただくこともある。私としてはこの上なくありがたい。
 ところで、〝封筒の裏に書いてある漢字は辞書には載っていないのですが、どんな意味ですか〟といったお問い合わせもある。昨日書いたように、これは私が勝手に合成した漢字の組み合わせである。だからじつは何の意味もない。もちろんそうは言いながらも、それなりの〝気持ち〟を込めているつもりだ。しかしとにかく真剣にその意味を知ろうとされるのだから、頭が下がるとともに発信源の私としては申し訳ない。そこで最近は〝3ヶ月後の手紙〟を書いていただく際に、〝意味不明の2文字ですが、たとえばこんな漢字です〟と言いながら、3つほど具体的な例を挙げている。それからは、こうした質問はこなくなった。
 じつは先週、研修を2年前に受けていただいたSIさんとお会いした。SIさんには〝考知〟という文字をお送りしていたのだが、やはり辞書を調べ、上司にもお聞きになったという。そしていつか私と会ったときに〝確認しなければ〟と思い続けてこられたのである。そして手紙だけでなく、トレーニングで使ったご自分のリーダーシップを評価するシートもカバンの中に入れておられた。私のうれしさはことばには言い表せない…。
 
裏書きに思いを込めて… 2012/11/10 (土)3597
  トレーニングを終えてから3ヶ月後、最終日に書いた〝自分への手紙〟が届く。これを読んで、研修終了時の〝がんばるぞーっ〟という気持ちを思いだす。そして気分一新、さらに元気で安全な組織づくりにチャレンジを続けるためのモチベーションを高める。これが〝3ヶ月の手紙〟が目指していることである。
 すでに述べたが、一定期間後に自分宛の〝手紙〟を書くという方式そのものは私のオリジナルではない。しかし、私自身もそれなりのアイディアを付加している。それは封筒の裏に〝意味不明の2文字〟と私の名前を筆ペンで書いて送るのである。この〝意味不明の2文字だが、たとえば〝心輝〟〝嬉望〟〝友貴〟などである。それぞれ〝しんき〟〝きぼう〟〝ゆうき〟と読めるが辞書には載っていない。しかし、どれも私が〝心を込めて〟書いた2文字〟であり、その気持ちを受け止めて、さらに〝前伸〟、いや〝前進〟したいただきたいのである。このほか、普通に使う単語としての〝よみ〟はないが、〝飛夢〟〝真動〟といった組み合わせもある。この2文字はトレーニング参加者1人1人に違ったものを書く。私としては、封筒の表の名前を見て、〝しっかりがんばってください〟という思いで筆を走らせる。
 自慢ではないが、私は集中力に欠けている。だからこの裏書きも一気に仕上げることはない。毎朝6時過ぎころ5枚ほどができあがる。これがまた楽しいひとときである。そして、〝手紙〟はそれなりに評価していただいていると思う。手紙を投函してしばらくすると受講者の方からメールが届いたりもする。その数は少ないけれど、わざわざを封書をいただくこともある。もちろん、それは〝3ヶ月後の手紙〟に対する様々な思いに満ちあふれている。
〝魔法のドアノブ〟対策 2012/11/09 (金)3596
  さて、昨日の終わりに〝魔法のドアノブ〟の話を始めた。今日はその続き。〝みなさん、研修会場によっては‘魔法のドアノブ’が密かに設置されていることがあります。これには十分な注意が必要です。それはどのようなものでしょうか。じつは研修が終了して‘さあ、がんばるぞーっ’と活力満タンの気分で会場を出ようとします。そのときに出口のドアにセットされた‘魔法のドアノブ’にうっかり手を掛けたら大変なんです。それまで学んだすべてのものが、そのドアノブに吸い取られてしまうのです。それがはっきりわかれば問題ないのですが、そこは何といっても‘魔法’なんです。それに気づかずに外へ出たらどうなるか。〝あれえっ、私は何をしにここへ来たんだったっけえ…〟なんてわけで、体中が‘瞬間忘却器’になってしまうんです。
 そうそう、ついでながら‘ドアノブ’だけで安心してはいけません。会場がビルの上の方にあると‘魔法のエレベータ’にも気をつけないといけません。たしかに体だけは1階フロアーまで運んでくれるのですが、‘学んだこと’はそのまま研修したフロアーに置き去りにされるんです。これはもう‘魔法’なんてやわらかい表現ではすまされません。そこには‘悪魔’の手が忍び寄っているとしか言いようがありません。まあ、そんなことで現代社会の研修で‘魔除け’でもないのですが、悪魔を遠ざけ‘瞬間忘却器’になるのを避けるために、‘3ヶ月後の手紙’を書いていただくのです…〟。という流れで、〝魔法のドアノブ〟物語をいつも入れるわけではないが、〝3ヶ月後の手紙〟を導入することが多い。こうして参加者たちがトレーニングを終えて現実の組織に帰ってから、ちょうど3ヶ月後を見計らって送付するのである。
〝3ヶ月後の手紙〟 2012/11/08 (木)3595
 〝3ヶ月後の手紙〟はトレーニングの最後に導入する道具だ。文字通り〝3ヶ月後の私〟に宛てに手紙を書くのである。トレーニング終了時の参加者たちから〝しっかりがんばろう〟という気迫が感じられる。もちろん心の中は見通せないから、その程度には個人差があるに違いない。しかし、トレーニングを開発し実践する者としては、可能な限り参加者たちが前向きの気持ちになるよう奮闘する。ともあれそうした雰囲気の中で、トレーニング終了時の思いや、記憶しておきたいことなどを書き込んで切手が貼られた封筒に入れる。まさに手紙だから表には自分の住所と名前を書く。名前には〝様〟を付ける。組織単位のトレーニングの場合は、切手は貼らずに所属部署と名前にすることもある。この場合は預かった封筒を一括して研修担当者へ送ることになる。
 われわれはどんなことでも時間の経過とともに記憶が薄れてくる。心から感動したり感激する。あるいはしっかりと決意する。そうした心のエネルギーもまた日が経つうちに薄れていく。いつも目の前の現実に対応しながら生きていく。それがわれわれの宿命だから、過去のことをすべて同じレベルで感じたり、記憶し続けていくことはできるわけがない。〝過去を生きる〟〝未来に生きる〟といった文学的(?)表現もあり得るけれど、それもまた〝いま生きる〟ことと関係しているからこそ意味をもってくるのである。
 さて、私はトレーニングの終盤に〝魔法のドアノブ〟と名づけたネタ話をする。〝みなさん、いまとてもいい顔をされていますね。さあ、しっかりがんばるぞーっ。そんな気迫を感じます。お手伝いした私としても嬉しい限りです。でもちょっと気をつけてくださいね。魔法のドアノブってのがあるんです…〟。
 
元気で安全な組織づくり 2012/11/07 (水)3594
 〝組織内品質〟の向上によって〝事故や不祥事〟を減少させることができる。その結果として、組織から生まれるモノやサービスの品質も保証される。もちろん効率的にモノもできる。それこそが組織の〝生産性〟ということである。こうした流れのなかで、私は〝リーダーシップ・トレーニング〟あるいは〝対人関係トレーニング〟によって、〝元気で安全な組織づくり〟を実現したいと考えている。ところで私が〝トレーニング〟で関わるのは最短で1日である。最も長いケースでは、2日間の〝基礎研修〟と3ヶ月後の〝フォロー研修〟、さらに3ヶ月後に〝スタートアップ研修〟が入る。こうなると参加者とは半年のおつきあいとなる。研修の間隔が少し延びれば8ヶ月といったこともある。
 しかし、期間が少しばかり長いといっても〝一時的〟な関わりであることに変わりはない。組織外の人間なのだから当然である。そして私自身はトレーニングが〝参加者に絶大なる影響を及ぼすはずだ〟などと夢のようなことは考えていない。リーダーシップや対人関係の向上はきわめてむずかしい。あわせても3日や4日にしかならないトレーニングである。そこに限界があることは十二分に認識している。しかし私としては、そんな厳しい条件を前提にして〝少しでも効果があるように〟、また〝その効果が持続する〟ようにあれやこれやと考える。それが自分の仕事であり、そのような工夫をし続けていくことがこの上ない楽しみでもある。その意欲がなくなったときは、まさに潮時である。さっさと〝リタイア〟しないといけない。そう思いながら、研修効果を少しでも持続させるためのスケジュールや道具を考える。そうした道具の一つとして〝3ヶ月後の手紙〟と呼ぶものがある。
〝リーダーシップ・トレーニング〟と〝生産性〟 2012/11/06 (火)3593
  私のライフワークは〝リーダーシップ・トレーニング〟の開発と実践である。〝リーダーシップ〟と言うと、いわゆる公式のリーダーを対象にしていると思われることが多い。しかし、われわれが考える〝リーダーシップ〟は〝他者に対する影響力〟である。したがって、社会的地位とは関係なく人と関わりをもつ限りどんな人にも〝リーダーシップ〟は求められる。そこで私は〝リーダーシップ・トレーニング〟の代わりに〝対人関係トレーニング〟という言い方もする。その方が〝誰にも必要だ〟という感じが出るからだ。ただし、〝トレーニング〟は〝リーダーシップ〟や〝対人関係〟を改善することだけが目的ではない。その結果として、トレーニングの参加者はもちろん、その周りにいる人たちの意欲や満足度が高まり、組織全体が元気になることが大事なのである。そしてそれは組織の生産性向上に繋がることになる。
 〝生産性〟と言えば、とりわけ前世紀には、〝製品をがむしゃらにたくさんつくること〟だとして否定的に捉える傾向もあった。働く人のことは無視して、〝とにかく生産物の多い方が勝ち〟というニュアンスである。しかし、本当の生産性とは組織メンバーの意欲や満足度を無視して向上するはずがない。そもそも〝品質管理〟と言うが、まずは組織内の〝品質向上〟からはじめる必要がある。ここで言う品質とは、〝働く人たちの意欲や満足度〟であり、さらに〝自己実現や生きがい〟のレベルの高さである。ここをいい加減にしてアウトプットの〝品質〟が保証できないことは、繰り返し起きる組織の不祥事を見れば明らかである。そんなわけで、〝組織内品質管理〟に力を入れているところでは〝事故や不祥事〟が発生する確率が低くなるのは当然なのである。
 
正直が第一 2012/11/05 (月)3592
  研修では〝対人関係スキルアップ〟を目的にグループワークを導入している。とくにウォーミングアップも兼ねて、まずは〝自分を知らせる、他人を知る。そして自分を知る〟をテーマにグループ・メンバー間で情報を交換する。まずはそのもとになる個々人のメモを書いてもらう。その際に1つのテーマについて2分から3分ほどの標準時間を設定する。この種の課題では個人差が大きくなるため、ある程度の時間的めどをつけてもらうわけだ。この道具を導入したころは私の時計でアバウトに計測していた。そのうち楽しいキッチンタイマーを手に入れた。これだと〝いかにも厳密そう〟でいい。
 さて先日も同じようにこれを使って、まずは第1テーマはうまくいった。このときは2分30秒にしていた。ところが2番目のテーマの際に余計なコメントを一言付け加えた。その内容は〝瞬間忘却器〟となった私の脳みそから消えてなくなっている。ともあれそのせいに違いないのだが、ここで大チョンボした。そう、1分くらい経過したころだった。ふとタイマーを見ると動いていないではないか。何のことはない〝セットし忘れ〟である。こんなときは〝ごめんなさい〟に決まってる。〝うわーっ、タイマーを押すの忘れてましたぁ。もう2分くらいですよね。あと少しで時間ということにしましょう〟。これでなんとか了承してもらった。私が叫んだときに、〝そうでしょ。ボタンを押した音がしませんでしたものね〟と即座に反応があった。いやあ、〝正直が第一、まずかったら謝るが肝心〟ということです。こんなとき妙な出来心でごまかしても〝ちゃんと見てるのはお天道様〟だけではありません。〝目の前にいる人〟が見てますよ。〝謝らない誤りを犯してはいけない〟んです。
 
応えるK 2012/11/04 (日)3591
  さて、以前から〝3K 〟なんて言われて〝K〟がかわいそうだという話をしています。そこですばらしい〝Kちゃん〟たちを発見しようというわけです。そして、しっかり探すとリーダーシップについても〝Kちゃん〟が重要な役割を果たしていることがわかります。まずは、〝応える〟あるいは〝答える〟努力なんてどうでしょうか。両方とも〝K〟からはじまります。
 リーダーはフォロワーからの期待に応えることが求められます。これは〝相手の言うことを聞く〟〝ごまをする〟という意味ではありません。リーダーが一方的に〝上から目線〟でフォロワーを動かそうとしてもうまくいかないということです。たしかに自分がもっている権威や権力を使えばフォロワーたちも表面的、一時的には言うことを聞くかもしれません。しかし、それではまさに〝面従腹背〟、顔で笑ってお腹の中では反発しているのです。そんなことでは本当の影響力にはなりません。それが短期間であればそんな対応法でも何とかなるかもしれません。しかし時間とともにフォロワーたちの心の中に不満やストレスが蓄積していきます。そしてそれが限界を超えれば爆発するかもしれません。もちろん罰などで報復されるとまずいので、露骨な反抗は抑えられるでしょう。そこでリーダーに見えないところで仕事の手を抜くといった方法がとられます。また蓄積したストレスははけ口を求めて弱い者に向けられます。これが職場でのいじめに繋がるのです。しかも、いじめもリーダーに気づかれないように行われるのです。こうして職場の人間関係がボロボロになってしまう。これだけでも組織にとって大きなマイナスです。まだまだあります。私たちは欲求不満が高まれば、仕事に対する意欲を失ってしまうのです。
  
〝Repository〟の威力 2012/11/03 (土)3590
  そもそもは講演記録だった〝コミュニケーションとリーダーシップの技術〟だが、少しずつ追加して、それなりのテキストになった。それが30ページを超えたあたりから、講演や研修の資料として配付するには重すぎるようになった。そこで、主催者に原本をお渡しして〝あとはご希望があればよろしくお願いします〟と言って帰ったりしていた。そんなことがしばらく続いたあとでふと頭に浮かんだ。〝これって、Repositoryに教材として登録すればいいんだよなぁ〟。そうすれば、〝本気〟で読もうと思った方がダウンロードされるに違いない。そこで早速、わが〝熊本大学学術Repository〟に登録したのである。今年3月のことだった。そして改めてRepositoryの効果を実感することになった。
まずは講義でテキストとして使うことにした。何分にもテキストとしてつくったものである。全体が36ページだがこれで十分なのだ。授業では情報を追加しながら話をするから、1学期ですべてを終えることができないほどである。これに講演や研修でもコツコツとPRする。〝コミュニケーションやリーダーシップに関心をおもちになったら、ぜひダウンロードして下さい〟というわけだ。さらに〝もしお読みになって、「これは○○さんにも読んでもらうといいなあ」と思われたらしっかり紹介してください〟と付け加える。これが大いなる効果をもたらした。Repositoryに登録したのは3月だったが、それからたくさんの方々にダウンロードしていただいた。すでに4,000件近くになっている。感謝感謝である。別刷りをつくってシコシコ配る時代は過去のものになった。そもそもスケールの方が違う。Repository様々である。すでにバージョンアップ版の準備をしている。
 
〝チリチリ〟快感 2012/11/02 (金)3589
  日本のトップの旗色が相当に悪いですね。数年前、前政権末期に国民の多くから〝どうでもいいから、とにかくやめて〟といった声が聞かれていました。あれから3年が経過して、まったく同じ様相を呈しています。そして〝いま選挙すればまずい〟と、任期満了まで粘り続けることを願っているか議員がいるとかいないとか…。これって〝自分の命だけ〟に関心があるだけのことではないですか。そんな人たちは、そもそも国会議員になる資質に欠けているんです。それにしてもわれわれ国民にとって何と不幸なことでしょう。
 ところで、かの総理はいまも1000円カットのQBHに行かれているんでしょうね。けっこう前のことですが、某QBHに行ったとき、〝耳毛をカットしましょうか〟と尋ねられたんです。もちろん、〝お願いします〟と即答しました。その瞬間、〝チリチリッ〟と軽快な音が耳に響いたのです。そのとき初めて〝耳毛カッター〟らしきものの存在を知ったわけです。それ以来、とにかく〝あれがほしいなあ〟と思い続けていました。そしてついにその願いが叶う日がやってきました。別件で電気製品の量販店に行ったとき、〝耳毛カッター〟そのものを見つけたのです。そして気づいたときはレジに立っていました。これは〝鼻毛〟も〝眉毛〟もOKの〝万能機〟で、しかも〝水洗い可〟なんです。それからはいつも〝チリチリ〟に快感の毎日です。家内は〝ひげそりじゃないんだから、ちょっとし過ぎでしょう〟とあきれています。それにも拘わらず、私の耳の近くからは〝チリチリ〟が止まる気配はありません。ついでながら〝鼻毛〟には使いません。この前、〝眉毛〟で試してみましたが、やめた方が良さそうです。危うく左右のバランスが崩れそうでした。
  
リーダーに求められる〝驚育力〟 2012/11/01 (金)3588
  リーダーシップの重要な要素として〝教育〟があります。どんな仕事であれ、リーダーは自分の専門知識や技術に優れていることが期待されます。またそれらをさらに磨くために努力している。そんな姿を見せるのが、モデルとしてのリーダーシップなのです。しかし、リーダーたるものはそれだけで満足してはいけません。自分が身につけた様々な力をフォロワーに伝えていくことが大事な仕事です。これは部下たちを〝育てる〟こと、つまりは〝教育〟なのです。
 ところで、〝教育〟にはいろいろあって、その中でも〝驚育〟はとても重要です。リーダーが上手に〝驚く〟とフォロワーは気持ちよくなります。自分が評価されたと思うからです。子どもはほめて育てることが大事だと言われます。しかし、それは大人だって同じことです。世の中には〝自分の部下たちはほめることをしない〟と嘆く管理者がいます。まるで〝自分だけは、ほめられることばかりしている〟と言わんばかりです。こうした発想や態度は、お世辞にもほめられません〟そんな方は〝自分はフォロワーたちのいいところを見つける感受性が低いのではないか〟と疑ってみてはいかがでしょうか。また、〝部下なんかに負けちゃあいられない〟と突っ張っている方はいらっしゃいませんか。ご自分が育てた部下が自分を負かすほどの力をもってきた。そう感じたら、それにもタイミングよく〝驚き〟ましょう。子どもがドンドン成長して、ついには自分の身長を上回る。そんなときはほとんどの親が喜ぶと思います。身内だとそうなのに、他人が自分を追い越すと喜んではいられなくなる。まあ、その内容にもよるのでしょうが、〝おいおい、すごいじゃないか。こりゃあ参ったなあ〟なんて言える余裕もほしいですよね。
 
リーダーシップ・トレーニング 組織安全学