瞬間○○器のはなし 2012/10/31 (水)3587
いつの時代も年寄りは〝昔はよかった〟と言うもののようです。ピラミッドには〝いまの若いモンは…〟という落書きが書かれているそうです。ただし、この話はその真偽が怪しいんです。実際にピラミッドまで出かけて、ご当地で本当なのかどうかを尋ねられたところ、〝そんなモンは知らない〟と言われた。そんな情報をくださった方がいらっしゃいます。世の中には〝もっともらしい怪しい話〟があるんですね。
それはともあれ、〝昔は大変〟でした。冬の寒いとき、そうです雪が降っている日の夕方ですら、お風呂を沸かすのに外に出て石炭に火を付けなければなりませんでした。蛇口から出てくる水だって凍ってしまうほどの冷たさを我慢しながら洗い物をしていました。母親たちの手はあかぎれで血がにじむ。それが当たり前でした。それに対処するためにやかんでお湯を沸かし、それを使うこともありました。母親はいつも〝瞬間湯沸かし器があればねえ〟と言っていました。けれども、それは夢のまた夢でした。しかし、いつのことか忘れましたが、わが家にも〝瞬間湯沸かし器〟がやってきたのです。それは疑いなくその年のトップニュースでした。
それからもう何年が経過したことでしょう。私のところに〝待ちに待った〟〝瞬間忘却機〟がやってきたのです。その能力のすごさと言ったら〝瞬間湯沸かし器〟の比ではありません。とにかく〝頭に浮かんだ〟と思った〝瞬間〟に、何を〝浮かべていたのか〟が消えてなくなるのです。それにガス代も何もかかりません。つまりは〝タダ〟なんです。そこでこれに対応するために〝瞬間メモ帳〟を身近に置くことにしたのですが、最近はそれが勝手にどこかへ行ったりします。これもまた〝老化〟の準備をしてるんだと思います。 |
朝の鮮血 2012/10/30 (火)3586
年を取るといろんなところから妙に長い毛が出てきます。その理由は〝新芽が出るのが遅くなる〟からのようです。若くて元気なころは、まだ柔らかい産毛でいるのに、その下から次の毛が生えてくる。そうなると先に出ていたものは追い出されてしまいます。長くて黒い毛になる時間的な余裕がないわけです。この説明、インターネットからの情報ですが、〝なあるほどなあ〟と感心しています。
ところで、とりわけ耳の毛なんぞは気になるものだから、ひげそりのときなどに〝ついでに剃ったり〟もしていました。ところが、なれない場所なので剃刀を運転しそこなって〝ピッ〟と切れ目を入れたりする。そうなると耳が血だらけになってしまいます。じつはまともにひげを剃るときだって鼻の下から顎の周りまで、あっちこっちから血が出てくるんですね。もう何十年もひげを剃っているのですが、私のお肌はとてもデリケートなようです。上等の剃刀を使えばそんなこともないのでしょうが、ホテルの使い捨てがもったいないからと使用期限を遙かに超えて使ったりするからかなりひどいわけです。製造者の責任なんて追及できません。
さらに、〝あっ〟と思ったとたんに小さな痛みが走ることもあります。鏡を見ると唇にかすかに赤い傷ができています。それから〝待ってました〟とばかりに血の玉が膨らんでくるんです。これがけっこうしつこくて、ティッシュペーパー1枚くらいでは止まりません。それを十二分に承知していますから、赤玉なんて無視してひげを剃り続けようとします。すると玉が鮮血になり、剃刀に引かれて顔の下半分に広がる。とまあこんな惨状と言うべき状態になるんです。それでも生きているんですねえ。ありがたいことに最終的には血の噴出は止まります。 |
テキスト問題 2012/10/29 (月)3585
これまでRepositoryには公表した論文や雑誌の原稿を登録してきた。それに加えて、この3月には〝教材〟を載せることにした。もう10年以上前のことになるが、ある団体で〝面接の技術とコミュニケーション〟というタイトルの話をした。いつもは講演でおしまいなのだが、このときは話した内容をテキストにしたいという話になった。そこで数ページの読み物を書いたのだが、これが量的も内容的に手軽で、研修などでも使いやすいもにに仕上がった。そこで、しばらくしてからこれに大幅な修正を加えて、ある団体の広報誌に掲載した。そのときは11ページの冊子にして、講義や講演などのテキストとして使いはじめた。
これがけっこう便利で、私にとって定番の基礎テキストになった。その後も時間を見ては少しずつ書き加えながら、ページ数も15ページから20ページへと徐々に増えていった。自分としても使いやすく、出来具合もまあまあだと思いはじめた。それはいいのだが、研修などで主催者に準備していただいてもほんの一部しか触れることができなくなった。つまりは分量が多くなりすぎたのだ。何分にも気がついたら(?)、30ページを超えてしまっていたのである。こうなると講演や研修の場で使用するテキストとしての意味がなくなる。それだけではない。せっかく準備していただいても、〝あとでお読みください〟と伝えておしまいになる。しかし現実に変えるとみんな忙しいか。職場でテキストを悠長に読んでる時間などないに違いない。そうなるとコピーした分だけ資源の無駄遣いになる。これに対応する策は、講演や研修中に〝テキスト〟として紹介することである。それだと、〝しっかり読んでみたい〟という人たちにはちゃんと役立ててもらえる。 |
〝別刷り〟いらず 2012/10/28 (日)3584
大学が教員の論文や資料、教材などを保管してくれるRepositoryの効果は抜群だ。私が別刷りを最低部数しかつくってこなかったことは繰り返し強調してきた。もしもほしいという方がいればコピーすればいいだけのこと。黄色く変色してから処分するなんて資源の無駄遣いでしかない。じつはRepositoryに登録しはじめてから、その確信はさらに強まった。まさにペーパーレス、別刷りなど必要なくなったのである。
いまから4年ほど前の2008年8月のことである。図書館の方から〝先生、すごいですね〟と言われた。一瞬、私にはその意味がわからなかったのだが、Repositoryに登録した論文が大量にアクセスされているというのである。何とその件数は8856件、そのうち8837件のダウンロードがあったらしい。つまりはしっかりコンピュータに読み込んでいただいた方が1ヶ月で延べ8,000人以上いらっしゃるのである。それは〝対人関係トレーニングの開発と実践
: トレーニング・マニュアル作成の試み (3)〟 という論文で、その名の通り、〝対人関係トレーニング〟で使用する道具を紹介したものである。どのような方々がどんな理由でアクセスされたのかは知りようもない。しかし、私にとっては〝奇跡〟だった。そもそも別刷りをこんなにたくさんつくることはあり得ない。印刷代や送料だけで首が回らなくなってしまう。まさに〝Repositoryさま、さま〟である。これにすっかり気をよくした私は、その後もドンドン登録を続けて、現在のところ122本になった。来年度に熊本大学を定年退職するが、Repositoryに保管されているものについては、その後も維持されるはずだ。なにせ〝Repository〟には〝地下納骨所〟という意味があるのだから…。 |
お久しぶりに〝Repository〟 2012/10/27 (土)3583
大学が教員の書いた論文や教材をRepositoryと呼ばれる倉庫に保管している話を書いていた。最後は9月14日である。前世紀の終わりころだったか〝すぐにペーパーレス時代がやってくる〟と言われていた。すべてがデジタル化されて文字情報のほとんどがディスプレイで読まれることになる。そんな予測である。ところが現実はそうでもなかった。たしかにIT
化は幾何級数的に進んだが、それに伴って紙の使用量は減らなかった。もっとも最近になって電子ブックなるものが力を付けてきた。この進化度合いによっては、書籍に充てられる紙については減少していくかもしれない。ただし、これでもかこれでもかと、泡のように生まれたかと思うとすぐにはじけて消える出版物も膨大な数に上るようだ。だから、電子ブックの登場で紙の絶対使用量が減少に転じるのかどうかわからない。
それはそうと、私は熊本大学のRepositoryに自分の論文等をけっこう登録している。そしてありがたいことに、それなりに読んでいただいている。これは〝紙の別刷り〟時代には考えられなかったことだ。私はすでに書いたように別刷りは最低限の部数しか作ってこなかった。もしも多くの方々から読みたいという希望があったとしても、そのときはコピーすればいい。はじめから印刷屋さんのように刷ってロッカーを倉庫にするなんて意味がない。そのうち時間とともに色あせてくるだけのことである。それで古典にでもなればおもしろいが、われわれの研究なんて単なる黄色い紙の山になるのが落ちである。そして定年が近づいてくれば、研究室の整理をしながら黄色い論文の束をシュレッダーにかける。まあ、そんなところだろう。少なくとも私にその心配がないことだけは密かに〝自慢〟している。 |
〝自覚〟してますか 2012/10/26 (金)3582
立法・司法・行政はお互いに独立しているといっても、論理的には順番がある。法治国家としては、最初に法律がつくられる必要がある。その役割を果たすのが国会だ。それに基づいて行政府がその名の通り政治を行う。しかし、その実践が法律に反していないかどうかを司法がチェックする。司法で違法だと判断された行為はやめなければならない。裁判所には〝違憲立法審査権〟という権限が与えられている。これは法律や政令・条例などが憲法に違反していないかを審査して、違反していると判断した場合はそれを無効とするきわめて大きな権限である。その最終的な判断は最高裁判所が行う。こうして、時間的な順番としては、立法から行政、そして司法という流れになる。何もしなければ判断のしようがないのである。
そんな構図の中で、最高裁が2010年の参議院選挙における〝一票の格差〟について〝違憲状態〟と判断した。すでに衆議院選挙でも同じ結論が出ている。ただ違憲の判断をしただけではない。現行の選挙区では問題の解消はむずかしいとして、その変更まで〝提案〟した。今回は知らないが、こんなとき〝重く受け止める〟という発言をしばしば聞く。なんという〝軽い〟発言だろう。〝こんな事態になって、じつに恥ずかしい〟。これが正しい反応である。それにもかかわらず、〝最高裁は踏み込みすぎではないか〟などという議員がいまだにいるらしい。国会が国のあり方にかかわる基本的手続きを決めることができない。自分たちだけがその権限をもっているという自覚はあるのだろうか。政党にしても、簡単には合意できない提案をして〝だから決められない〟とお互いを責め合って結論を先延ばしにする。まるで子どもだといえば、子どもたちが怒るだろう。 |
三権分立と法治国家 2012/10/25 (木)3581
三権分立:権力の濫用を防止し、国民の政治的自由を保障するため、国家権力を立法・司法・行政の三権に分け、それぞれ独立した機関にゆだねようとする原理。ロック・モンテスキューらによって唱えられ、各国の近代憲法に強い影響を与えた(大辞泉)。法治国家:法により国家権力が行使される国家。国民の意志によって制定された法に基づいて国政の一切が行われ、国民の基本的人権の保障を原則とする(大辞林)。
日本は法治国家である。だからすべてのことが法律を根拠にして行われる。赤字国債を発行するためには特例公債法でそれが認められなければならない。そもそも国の財政で赤字は許されていない。国がその年に必要な費用に充てるために借金してはいけないのである。だから法律の頭に〝特例〟と付けて〝いつもしてはいけない〟ことを強調しているのだ。ところが、国会は1975年から、景気のよかった3年を除いて赤字国債を垂れ流すように発行し続けてきた。借金は薬物のようについ〝ズルズル〟になってしまう危険なシロモノである。いまや〝特例〟という冠が泣いている。実態は〝特例〟という名のついた〝恒久的法律〟に成り下がっているからである。
とにかく薬物は怖い。すぐにでもやめないと廃人になってしまう。国であっても同じことだ。いまやわが国は廃人ならぬ廃国へとまっしぐらに走りつづけている。やっかいなもので、薬物は一度手を出すと、相当の覚悟と強い意志とがなければ克服できないという。この30年以上、わが最高意思決定機関である国会は相当の覚悟と強い意志をもって行動してきたとは言えない。しかし、ただ国会だけを責めてすむものではない。その代表を選択したのはわれわれ国民であり、その責任を逃れるわけにはいかない。 |
〝出会い〟を引き寄せる 2012/10/24 (水)3580
有森氏が中学校の運動会の800m走で1位になったとき、〝もっと早いものが出なかったから〟などと言われたらしい。それでも踏ん張って3年間とも1位をキープしたのである。郷里の岡山に有森裕子記念館があるというのでネットで検索したら〝アニモ・ミュージアム〟になっていた。〝アニモ〟はスペイン語で〝がんばれ〟という意味らしい。バルセロナオリンピックのときに〝アニモ、アニモ!〟という声援が聞こえてきたという。そこに中学校の運動会で1位になり続けた賞状が置いてあるそうだ。ともあれ、こうして走ることに喜びを見つけて、将来は体育教師になりたいと思ったという。
その後、高校に進学して陸上部に入ろうとしたが、これも厚い壁にぶつかる。中学校で実績のある〝プロ〟しか入れないと拒否されたのである。それでも監督の目に入るところを〝うろちょろ〟して、4ヶ月にしてようやく入部にこぎつける。監督が根負けしたのである。そこで猛練習したことはいうまでもないが、大きな大会はまったく出ずいまいに終わる。京都の全国都道府県女子駅伝では3年連続補欠だった。いまでも京都駅のアナウンスが〝有森補欠〟と聞こえるそうだ。ただし、監督は〝ほらみろ〟とは言わなかった。〝辛抱せい。あきらめるな〟。これも心に残ったという。
また極端なO脚を見た整形外科の医師は〝これは立派なO脚じゃのう〟とニコニコして言ったそうだ。社会人になってからは、あの小出監督の指導を受けるが、この人はもっているものを否定しなかった。猫背で前屈みの有森氏を見て〝おまえはナチュラルに前傾している〟とほめた(?)という。とにかく周りの人たちのすばらしさが際立つが、それは本人の純朴さと努力が引き寄せたに違いない。 |
〝タイミング〟と〝思い〟 2012/10/23 (火)3579
昨日から取り上げているマラソンランナー有森裕子さんの講演は、NHK〝カルチャーラジオ「人間を考える スポーツが私を育てた」〟で8月19日に放送されたものである。さて、小学校の体育教師安藤先生から檄を飛ばされた。そのとき、何に対しても自信がもてなかった小学生に光が見えたのだと思う。〝たかがことば。でもタイミングと思いがあればことばは力になる〟〝これでもいいんかいな。人と違っていてもいいんだ〟〝自分をわかってくれる人がいる〟…。有森氏の口からこんなことばが流れるように出てくるのである。こうして体育の安藤先生に自分の頑張る姿を見せたくて陸上クラブに入ったという。しっかりがんがっていると先生が喜んでくれた。そして小学校を卒業するときに、〝がんばることを続けるのが大事じゃ。人間は一個だけで出来ればいいんじゃ〟というはなむけのことばをもらう。人との〝出会い〟、そして〝タイミングと思い〟が人間を変えた典型的なケースである。
そして中学校に進学する。はじめはバスケット部に入ったが補欠で芽が出ない。とろくて引っ込み思案の傾向はまだ続いていたようで、運動会の出場種目の希望をとるときも出遅れる。〝人気種目〟はみんながさっと手を挙げるからである。ところが〝800m走〟は希望するものがいなかった。〝人がしないこと、選ばないこと〟であれば他人と競争しないで自分がしっかり確保できたのである。これがまた大きな転機になった。とにかく一生懸命に毎晩遅くまで練習した。陸上部ではなかったから練習のコツも知らないのだが必死に走ったという。このあたりが誰にでもできることではないので、有森氏ならではとなるのだろうか。その甲斐があって、初めて走って全校で1位になった。 |
有森裕子さんの講演 2012/10/22 (月)3578
バルセロナとアトランタオリンピックのマラソンで銀と銅メダルをとった有森裕子さんの講演をラジオで聞いた。とても話が上手だったが、それ以上に内容がすばらしかった。とにかく勇気づけられる。また人との出会いの大事さも十二分に伝わってきた。彼女のマラソン出場はわずか12回だそうで、その中にオリンピックが2回も入っているのである。そんなことで、〝定期的に川に戻ってくるシャケみたいだ〟と揶揄されたという。そういえば、有村選手はバルセロナオリンピックの出場権を巡って熊本出身の松野明美選手との間で話題になった。選考の際に記録的には上位にあった松野選手が落選して有森氏が選ばれたのだった。出場選手選定の時期がくると、こうした曖昧な決着が世間を騒がせることが多い。ただし、この件は講演で触れることはなかった。彼女としてはそれは当然のことである。とてもいい思い出とはいえない。
ところで彼女は生まれたとき両足とも股関節脱臼の状態だった。それを矯正バンドで対応したという。そんなことで走ったりしてもすぐにこけるような状態だったらしい。だから〝自分はどこか違う〟という気持ちが強く、人と競争するのが嫌で小学生のときには手芸クラブに入っていた。そんなときに体育教師との出会いがあった。体育の時間はいつも端っこにいたが、その自信のなさを見てか、あるとき先生が彼女に声をかけた。〝おまえは元気がないのう〟〝おまえのもっているのは悪いモンばっかりか〟。もともと岡山の出身で、先生からこんな調子で言われたという。〝誰が同じモンをもっとるか。それが武器だ。人と同じでなくてもいい〟。安藤先生といわれるこの教師との出会いが、その後を決めたのだった。ここまで聞いただけでも感動する。 |
キャリア離れ 2012/10/21 (日)3577
NHKでノンキャリアの公務員を目指す学生が増加しているという話題を取り上げていた。その一方で、いわゆるキャリア公務員の受験者が減っているらしい。放送の冒頭ではその理由として〝転勤がない〟〝定時に帰れる〟といったものが取り上げられた。それだけ聞くと、またぞろ〝このごろの若いモンは…〟となりそうだ。その昔は〝天下を取る〟とか〝青雲の志〟などといったことばを聞くことが多かった。若者たちにエネルギーが充満していたようにも思える。しかしそれも勝手な思い込みで、私自身〝天下〟どころか超身近の〝家庭〟でだってろくにコントロールできていない。とにかく飛行機で空を飛ぶことは大好きだが〝青雲の志〟なんぞ、いまだかつて意識すらしたことがない。まあ、そんな準高齢者が何を言っても迫力などありはしない。そんなわけで、〝転勤がない〟〝定時に帰れる〟ことを本気で望んでいるのであれば、それもまた人生なのである。
ただしそうした理由ではなく本気で地方に向かう若者たちがいた。たとえばある早稲田の学生は、被災地に出かけてボランティア活動をした体験から〝地方〟を選んだという。立派なものである。また鹿児島県の霧島市役所では、東大の電気工学科を卒業した若者が働いていた。所属は環境衛生課で企業誘致など責任のある仕事を任されているという。大学で学んだことが活かされている感じだった。こうした人たちが国全体を元気にしてくれるはずである。いまや国の意思決定の責任を負う国会が訳のわからない混乱状態にある。せめて地方だけでも〝まともな意思決定〟をして、元気な社会をつくっていかないとまずい。もっとも国の方だって、〝能力〟と〝常識〟を兼ね備えたキャリアがいないと事態はさらに悪化する。 |
幻想との決別 2012/10/20 (土)3576
アメリカはその歴史からして人工的な国である。最初はイギリスの植民地からはじまったが、とにかく〝自由〟を旗印に様々な地域からの移民を受け入れてきた。たしかに人種差別といった大きな問題も抱えてはいた。現在でもそれが根絶されたとは言えないのだとは思う。しかし、そうした差別の問題は人類に共通したものである。むしろまったく〝差別〟のない国なんてどこにあるのかと聞きたくなる。おそらくそれは程度問題に過ぎないのである。ともあれ、そうした歴史の結果として今日では英語が話せないアメリカ人もかなり多いらしい。その傾向がさらに進んでいくと、〝国〟という概念も変わってくるのではないか。
そして、〝自由〟を旗印に〝すべてを受け入れる〟強さを誇示してきたアメリカが、いまや中国に脅威を感じている。そんな時代なのである。〝そうは言いながらも、まだまだiPadを見れば一目瞭然、アメリカはいまだに世界のトップを走ってるじゃないか〟。そんな意見もあるだろう。たしかに、スティーブ・ジョブス氏など、創造性あふれる人物はいる。彼はソニーの発想にも多くを学んだという。そのあたりの真偽は知らないが、〝Walkman〟を英語にしてしまったわがソニーもその発想に至らなかった。そうこうしているうちに状況は激変する。かつての中国製品は〝安かろう悪かろう〟の代表だった。そして、〝優れた日本の製品〟を安い賃金で〝組み立てる〟だけの国が中国だった。これは韓国についても同様である。今から16年前に私はオーストラリアで半年ほど過ごした。韓国の自動車は安いが、故障が多く性能は今ひとつだ。やはり日本車にはかなわない。そんな評価をいつも聞いていた。しかし、そうした幻想からは決別するときが来た。 |
人生の大博打 2012/10/19 (金)3575
とにかくMN氏は〝一世一代の大博打〟に出てまんまと成功した。この〝大事件のあとで社会的な信頼を失うことくらい平気の平左だ。自分のことを一面トップで取り上げた日本の大新聞は永遠に残るのである。こんなすごいことは一般庶民にできるわけがないのだ。しかも、それからがまたものすごかったなあ。ニューヨークまであれだけ大勢の報道陣がわざわざやってきたのには正直なところ驚いた。旅費だって相当な額になるに違いない。まさにノーベル賞の山中さんと〝同列〟である!じつはこれこそが私の人生で成し遂げたかったことのすべてなのである。しかも「人の噂も七十五日」と言うではないですか。どんなに騒がれても3ヶ月も経てばみんな忘れてしまうんですね…〟。
少し長くなりましたが、私としてはご本人に接触し、なおかつ〝裏をとって〟はいないので、これは〝フィクション〟なのですが、いかがでしょうか。そうそう、MN氏はこんなことも言っていました。〝それにしても苦笑してしまいました。私としては計画がうまくいきすぎたのでつい口の回りが緩んでしまったようです。インタビューの際に「笑ってる場合じゃないでしょう」というちょっと怒ったようなマスコミの方の声も聞こえました。みなさんマジだったんでしょうねえ…〟。何のことはない、MN氏の 〝がせネタ〟の〝裏をとって〟対応していれば、こんなものはじめから〝ニュース〟なんてものではなかったのである。もちろんニューヨークに大挙して出かける必要性だってコレッポッチもなかったわけだ。〝とにかく特ダネ〟。そんな気持ちが報道に関わる人々のまともな神経を麻痺させてしまうのに違いない。単なる目立ちたがり屋のおっさんにまんまと一杯食わされたというわけだ。 |
MN氏のつぶやき 2012/10/18 (木)3574
MN氏はいま心の底から満足しきっているに違いない。彼の計画は完璧に進んでいった。あえて不満があるとすれば、〝一部〟の報道機関しか〝乗って〟こなかったことだ。すべての全国紙と地方紙に〝自分が世界で初めて行った快挙〟が掲載されれば、その満足度はさらに高かったはずだ。しかも一面のトップで。これに加えてテレビでもトップニュースになれば最高である。
ともあれ、その後の展開も順調だった。ニューヨークにまで記者たちが押し寄せてインタビューの場が設定された。もちろん〝嘘を突き通す〟ことが無理なことははじめから承知している。だから、ここまで来たところで、〝6件のうち5件は嘘だと言われれば嘘ということになります〟くらいの認め方をしてもいい。とにかくニューヨークで記者会見を開いたのである。ただし1件だけは残しておかないと騒ぎがあっという間に収束してしまう。ここは〝関係者がいやがっているから公表できない〟と言い通すことが肝心だ。今の時代、T大は意見聴取もしないでいきなり〝首だ〟なんて言えない。それどころか、証拠を突きつけられて〝完全に虚偽だ〟と断定されない限り、T大は強硬手段が執れないはずである。まことにありがたい世の中なのだ。
いずれにしても、これまでの成果だけでもこの世に生まれてきた甲斐があった。全国紙のトップに自分のことが報道されるなんて誰にもできるもんじゃない。ニューヨークにあんなに報道陣が来るなんて、ころころ変わる大臣よりもすごいじゃないか。それに自分の大好きなワイドショーで主役を演じることもできた。世間からは笑い者になるだろうが、それも一時的なことですぐに忘れてくれる。私には失うよりも得ることの方が遙かに大きかったんです、ハイ…。 |
いつの間にか 2012/10/17 (水)3573
私が鼻茸を外来で手術して家に帰ったときのことである。もともとアレルギー性鼻炎だといわれながら育ったが、30代で肥大化した鼻茸を切除した。そのときは1週間ほどちゃんと入院した。それから10年ほど経過して再び手術が必要なほど鼻茸が育った。ただし仕事が忙しく、〝日帰り可〟という開業医で手術した。切除が無事に終わって自宅に帰ったのだが妙な違和感がある。喉のあたりに何かが引っかかっている。鼻の中はガーゼどを詰め込まれてるから当然なのだが、喉の奥がおかしい。〝喉のあたりがなんか変なんだよな〟。そのときたまたま家にいた高校生の長男にそう言ったのだが、そのとたんにガーゼが口の中に落ちてきた…。
とまあ、こんな経緯を9月20日の本欄に書いていた。今日はその続きである。もちろん、大いに驚いた。とにかく手術が終わってから1時間も経過していない。そんな状況で喉の奥からガーゼが出てきてはいけないはずだ。そんなことは素人にも分かる。それを見た息子はすぐに病院へ電話した。私がそうするように頼んだのか、自主的に受話器を取ったのか、そのあたりは記憶にない。もう20年近くも前の出来事なのである。それはともあれ電話をしている息子の声を聞いて感動した。〝父が手術をして帰ったんですが、ガーゼが口から出てきたんです。いまからすぐに行かせますから、よろしくお願いします〟。もちろん、このセリフもきっちり記録をとっていたわけではない。しかし、私が〝おーっ〟と思ったのは〝父が〟と〝行かせます〟というセリフである。とくに意識して教えてはいないのに、いつの間にか身内のことを人様に伝える言い回しをわきまえていたのである。親が知らないうちに社会がちゃんと教育してくれていたのだ。 |
〝ツナグ〟に会ったら… 2012/10/16 (火)3572
映画〝ツナグ〟を観た。今年は6月で15本の映画を観ていた。年間30本の順調なペースだった。ところが、7月から8月にかけて忙しくなって、映画館に足が向けられなかった。それを9月から大挽回しようと奮闘中で、〝ツナグ〟で19本目になった。
それはともかく、とても面白い映画だった。もともとは〝ツナグ〟という人物がいて、それに依頼すると自分が希望する死者と一度だけ会えるという物語である。そんな〝荒唐無稽〟の内容なのだが、それにもかかわらず思わず引き込まれてしまった。まだ映画を観ている最中に、〝私だったら父と母のどちらにするだろうか〟と妙にまじめに考える自分がいた。もちろんどちらにも会いたいが、とにかく〝お一人様限定〟である。どうしてもということになれば、私が選ぶのは47歳で亡くなってしまった母の方だとは思う。母であれば父も許してくれることは疑いない。しかし、ひょっとしたら〝やっぱりそうか〟と落胆するかもしれない。それに私には妹がいる。彼女だって〝母と会いたい〟という可能性がきわめて高い。〝ツナグ〟には死者の方にも〝生きている者とは一度しか会えない〟という厳しい条件が付けられているのである。そうなると二人の子どもたちから希望されたのでは、母も困るに決まっている。
そんなことを考えながらシネコンを出た。そして、自宅に帰る道すがら家内にそのままの話をした。しかしその瞬間に〝ハッ〟と気づいて思わず弁解した。〝もちろん、これは私の方が先にあの世にいくことを前提にしてるんだけどね。そうでなければ誰よりもあなたに会いたいはずだから…〟。家内は笑って〝お父さんかと思ったけど〟と答えた。これが荒唐無稽の物語でよかったと本気で安心している自分がいた。 |
〝天地明察〟評? 2012/10/15 (月)3571
土曜日に仕事をしたため、平日に振り替えの休日を取った。普通の日、しかも午前中に映画に行ってみるのもおもしろいと思って出かけた。映画は〝天地明察〟。自分で勝手に想像したのが観客数である。〝天地明察〟は公開されてから一定の時間が経過している。そのため、上映は午前中の1回のみである。つまりは、〝観たい人は観てしまった〟という時期なのだ。インターネットで予約を入れると〝全席〟が空いていた。これはすごい。ひょっとして私だけかもしれない。そうなるとまた〝自慢話(?)が増えるよなあ〟などと一人で笑った。
さて結果がどうだったか。じつは予想に反して私を含めて12名もの客がいた。〝たった一人〟という究極の自慢話のネタはおろか、私の最少人数記録にも及ばなかった。もう数年前になるが、〝釣りバカシリーズ〟に行ったときである。家内と私を含めて観客はたったの8人だった。映画の最中で〝ワッハッハ〟と笑ったら、その場面で受けたのは私だけだった。他の人たちから〝あんたどうしたこんなところで笑うんかい〟と冷笑されているような気がした。私としては、〝喜劇なんだから、どこで笑ってもいいでしょうが〟と反論したくなった。そのときから、〝喜劇は大勢で観ないといけない〟と信じるようになった。ただ、映画館に入る前に客が多いかどうかはわからない。だから賭のようなものである。
ところで、私自身の経験では講演の際に、内容とは関係なく受けてくれる人がいると場が盛り上がる。その人に引っ張られて全体の反応がよくなるからである。そうなるとこちらも勝手に興奮してくる。そんなとき集団がもっている力を実感する。やれやれここで1日分720字に達してしまったが、〝天地明察〟はいい映画でしたよ。 |
道の駅の干し芋 2012/10/14 (日)3570
ふらりとドライブに出かけるたびに〝道の駅〟が増えたなあと思う。それもお客さんがたくさん入っている。そもそもは国土交通省の旗振りでできたようだが、とくに熊本ではJA系の施設がとてもいい。すべてが〝道の駅〟ではないと思うが、私の頭の中では、とにかく〝道の駅〟なのである。いろいろな農産物や果物が盛りだくさんで楽しい。ちょっと見は不格好だが〝生きていてよかった〟と感動するドでかいトマトなんぞはわざわざ手に入れに出かけることもある。それぞれの地域の蜂蜜なんぞにも、わが家に在庫があってもつい手が出てしまう。私の場合、一年を通してヨーグルトは蜂蜜とワンセットである。また寒い季節が近づいてきた。ホットミルクにも蜂蜜はたまらない。
つい先だっては干し芋をみつけた。これがまた堪らない。サツマイモを干しただけなのだが、子どものころから〝こんなにおいしいものはない〟と思い続けてきた。素朴な味で、甘味料が乏しい昔の人たちにはその甘さが堪えられなかったにちがいない。もう相当に昔のことになるが、茨城の東海村の方から干し芋を1箱送っていただいたことがある。そのころ臨界事故が起きて、風評被害のために干し芋が窮地に陥っているということが話題になった。その際に私が〝子どものころから干し芋が大好きなんです〟と言ったのである。それならお送りしましょうおっしゃったのだが、まさか1箱だとは思ってもいなかった。しかし心配はいらない。干し芋は日持ちがいいから、時間をかけてしっかり楽しませていただいた。それにしてもあっちこっちで軽率に〝好きだ〟と言うと、それを送っていただいたりする。もちろん請求しているつもりはないのだが、好きなものは好きだと言うしかないんですよね…。 |
地位が人をつくる? 2012/10/13 (土)3569
〝地位が人をつくる〟という。それまで頼りなさそうに思えた人が、ある立場になるとそれなりの行動をする。一般的に地位には権限が伴うからいろいろな決断ができるのである。また周りの人間もその人物の指示に従うことになる。そのように決まっているからだ。そんなわけで、その地位に着いた最初の日から環境が変わるのである。そうなると本人の気持ちも違ってくる。もちろん自分の判断や行動には責任も生じる。それが人間をさらに鍛えることになる。こうして一定の地位に就いたことで人は成長していく。とまあ、うまくいけばそうなるはずだ。
しかし世の中には真逆の例もけっこうありそうだ。つまりは〝人が地位を貶める〟こともありなのである。たとえばあの2人の総理大臣はどうだったか。最初の人は、その前から宇宙人だと言われていたが、わが国でトップに地位に就いてからその訳のわからなさが極大化された。つい先日のこと、私は2人の宇宙人に会う機会に恵まれたが、彼らは大いに憤慨していた。〝われわれ宇宙人はあんな無責任な行動はとらない。人間は自分たちが理解できないと、勝手に他の種族の所属にしてしまう。迷惑千万だ〟。私としては〝おっしゃるとおりだ〟となだめて、その場は何とか収めておいた。森喜朗元首相が引退宣言をした際に、〝意思が変わることは絶対にない〟と強調したあとに、〝意向を翻すことになればH以下になってしまう〟と皮肉ったという。その次の人もひどかった。〝自分をやめさせたければ法律を通せ〟と公的な場で絶叫する。日本のトップなのである。たとえ心の中でそう思っていても、その地位と法律を取引材料にするなんてことは口が裂けても言ってはいけない。このときも〝人が地位を貶めて〟しまった。 |
天水町から… 2012/10/12 (金)3568
先日、家族と天水町までドライブした。夏目漱石がこの町にある小天温泉に出かけたときのエピソードを〝草枕〟に書いている。また、俳優の笠智衆が生まれたところでもある。笠智衆(りゅう・ちしゅう)は映画〝寅さん〟の住職〝御前様〟で知られているが、もともと浄土真宗本願寺派来照寺というお寺の次男坊である。大部屋俳優としてスタートしたが、名監督の評価が高い小津安二郎監督作品の常連になった。〝東京物語〟では主演している。これは世界の名画としていつも上位にランクインされている。この夏も英国の雑誌が10年に1回、世界中の映画評論家を対象に実施する〝史上最高の映画(Greatest
Films of All Time)〟で第3位だった。また358人の映画監督による〝史上最高の映画〟では堂々たるトップである。ただし1953年の作品だから私は劇場では見ていない。
〝秋刀魚の味〟も小津作品だ。これは1962年の制作だが、笠智衆は岩下志麻の父親役として出演している。妻を亡くした父と嫁いでいく娘を中心にした物語である。私はなぜか知らないが。この映画を観た記憶がある。そのころの時代環境を考えると、家族で出かけたのだと思う。もちろんそれが小津安二郎監督の作品だということは知らなかった。そもそも映画を監督と結びつけて鑑賞するような年齢ではなかった。そのとき私は中学2年生、夏休みに伊万里から福岡へ引っ越した年である。映画では娘役の岩下志麻の印象が強烈だった。まさに思春期の真っ只中である。白黒テレビがようやく家庭に普及したころのことだ。スクリーンいっぱいに〝総天然色〟で写る女優は自分とは別世界に住んでいた。いまでも映画はよく観るがそんな感情はなくなった。時代が変わったか、私が年をとったのか。 |
立ち位置 2012/10/11 (木)3567
この夏、北朝鮮の参謀長が失脚した。その原因の一つが式典に出席した際の立ち位置ではないかという記事が載っていた。党の機関誌1面に掲載されたという写真には第一書記をはじめとして大勢の軍服を着た幹部と思われる人たちが写っている。最前列に白線が引かれ、それに接するように第一書記が立っている。その横に参謀長がいるのだが、たしかに彼もその白線につま先が着いているように見える。北朝鮮に詳しい〝消息筋〟によれば、〝同列で立つことは最高指導者への挑戦を意味する禁忌の行為、だという。そしてこれが失脚の発端か口実にされた可能性が高いと話しているらしい。いやあ、立ち位置が問題にされるとすればものすごい。私などは〝礼儀〟を知らないから、こうした厳しい社会ではとても生きていけない。もっとも〝失脚〟が問題になるような大物にはなりようもありませんが…。
ところで、〝消息筋〟とは何者なのか。あるネット情報には〝決定権はないが、その問題について知識を有し、解析力のある専門家ら〟として、さらに〝国名+消息筋だとたいてい「在日大使」のこと〟と書かれていた。しかしわが国は北朝鮮と国交がないから大使館も存在しない。そうなると、北朝鮮との間で何かが起きると頻繁にテレビに登場する大学の研究者や雑誌の編集者たちがこれに当たるのかもしれない。また、〝記者自身〟という場合もあるらしい。また〝権威筋〟となると、その問題について決定権をもっている人というわけでランクが一つ上がるという。ところで、掲載された写真を見ると参謀長は第一書記の向かって右側に立っている。〝右に出る者がいない〟などと言う。そもそも〝右優位〟の発想は中国のものらしい。この点、北朝鮮ではどうなんだろうか。 |
栗きんとん 2012/10/10 (水)3566
先月の本欄に栗の話を書いた(24日)。また、9月の壁紙を栗にした。それが貢献したのか、出張した際に〝栗きんとん〟をお土産にいただいた。これが最高においしい。その食感も味も表現のしようがない。とにかくおいしい。それだけである。茶巾絞りのような感じで、栗の風味がしっかり栗の形に閉じ込められている。この季節ならではのお菓子である。これだけで日本人に生まれてよかったと思う。
ただし生ものであるせいか消費期限が翌日になっているところが厳しい。包装紙を見ると〝賞味期限〟ではなく〝消費期限〟となっているから、その日までにしっかり食べないといけない気持ちになる。いただいた箱には行儀よく包まれた栗きんとんが6個入っていた。すぐに帰宅するのであれば家族にも食してもらえるが、あいにくと翌日も仕事だった。そこで出張先の方にもお分けして喜んでいただいた。それでも2日で3つ食べた。ずっと昔であれば2日もあれば6個くらいは平気で口に入れたのだが、このごろは甘いものをある程度コントロールしている。
そんな体験をしてから熊本に帰るためにセントレアにいったら、お土産売り場で栗きんとんを競って売っている。その中に、全国を回って栗を探し求めた結果、最高のものを〝熊本で見つけた〟とアピールしているお店があった。栗きんとんづくりを実演販売中である。ここで名古屋と熊本が繋がった。はっと気がついたら1箱買っていた。このときも消費期限は翌日までだった。ちょいと調べてみたら栗の生産高1位は茨城県で、熊本県は2位だった。ともあれ熊本の栗が選ばれたことはめでたし、めでたしである。そんなわけで帰熊後にさらに2個を口に入れたから、3日間で5個も楽しんだ。ちょっと食べ過ぎだよ。 |
なんでやねん!? 2012/10/09 (火)3565
信じられないことだから記事になる。それにしても〝信じられなさ〟が極端ではないか。日本IBMの元社長から会長、さらに最高顧問を務めていた大物が東京都迷惑条例違反容疑で捕まった。JR四谷駅構内のエスカレーターで、〝iPod〟に内蔵されているカメラで女性のスカート内を盗撮したという。近くにいた男性が気づいて四谷署に連絡したらしい。ご本人はすんなり容疑を認めたようだ。何分にも〝iPod〟に動画が残っていたから否定のしようがなかったに違いない。〝盗撮に興味があった〟と話しているという。年齢は63歳というから、私と同じ団塊の世代のど真ん中である。〝やれやれ〟とがっくりくる。
この件で、メガバンクの社外取締役などの要職もすべてパーにしてしまったようだ。〝職業に貴賎の別はない〟という。社会的地位についても〝貴賤の別はない〟と思いたいが、それにしても、〝なんでや〟と叫びたくなる。IBMは大型コンピュータで世界を支配した巨大企業だった。今風で言えば、ハイテク情報機器の最先端を走っていた人間が、〝iPod〟という小さな巨人の機能を使ってズッこけたということだ。自分の行為の結果がどうなるか。そんな単純な想像ができないような年でもないだろうに。機器が発達すればするほど人間が愚かになる。しかもいい年をした人間があっちこっちで信じられないことをする。
そんな思いでいたら、京都の女子大学職員が殺害された事件でも、また〝なんでやねん〟と驚いた。犯人が同じ大学の職員で、殺人の動機がストーカー行為をやめるように言われたからだという。こちらは59歳、もともとは当時の文部省職員だったが、2004年に女子大学からヘッドハンティングされたらしい。いまや世の中全体が劣化している。 |
Unhappy Mondayのバラマキ 2012/10/08 (月)3564
おはようございます。本日は1時間目から授業に出かけます。〝えっ、今日は祝日じゃないの〟ですって!その通りです。でも授業なんです。何のことはありません、歴史的な意味を無視して〝ハッピーマンデー〟なるものをつくってしまうからです。私はずっと以前から〝アンハッピーマンデー〟と呼んでいます。月曜日がやたらと休みになるので授業時数が足りなくなるのです。したがって今日は大学が決めた公式の〝授業日〟というわけです。
今年の後期はすごいですよ。天皇誕生日の12月24日だって授業をします。さらに2月11日の建国記念の日も授業日と決めています。とにかく休みに授業をするものだから、学生だってストレスがたまります。私などは体育の日は10月10日でなければならないと確信しています。この日こそ戦後の日本が世界に旅立った東京オリンピックの開会式だったのですから。それを10月の第2月曜日にするなんて暴挙としか言いようがありません。歴史を軽く見すぎています。こんな精神構造ですから〝歴史に学ぶ心〟など育つわけがありません。
しかも、選挙が近づくとこの手の話が待っていたかのように出はじめます。いい加減にしてください。まさに休日のバラマキそのものではありませんか。祝日が土曜と日曜に重なったら、そのときだけ金曜日か月曜日を休みにすればいいでしょう。すでに公式の祝日はアメリカより多いそうですよ。しっかりした展望も環境の整備もしないままに、まるで思いつきで物事を決めている。このごろの政治はとくにそんな感じがします。失われたのは経済だけではありません。それどころか政治の力が失われた方がさらに深刻だったのではないかと思います。政治家が命をかけているようには見えませんよね。 |
免許状講習の噂話 2012/10/07 (日)3563 continued from 10/04
教員免許状講習に対する否定的な評価は学校関係者全体に共通しており、管理職、一般教諭を問いませんでした。また、政権が交代したために制度そのものがなくなるのではないかといった情報も飛び交いました。そもそもこの講習は自民党の安倍内閣時代に決定されたものです。新たに政権を取った民主党は既存の制度などを根底から見直すと主張していました。そうした状況もあって、教育関係者の多くが〝講習は廃止されるのではないか〟という期待をもったのは間違いありません。それもあって、講習の導入当初は〝受講控え〟が感じられました。そして、絶対数はわずかではあるものの、決められた期間内に受講しなかったために教員免許が失効してしまった人が出てしまったのです。
これに対して文部科学省は廃止に触れたことは一度もなく、マスコミによって誤った情報が流されたとしています。それはともかく、現職教員の間に〝近いうちになくなる〟という期待を伴った〝噂話〟が広まったことは事実でした。こうして校長だけでなく一般の先生方にとっても、講習を〝肯定的に評価しづらい〟あるいは〝したくない〟状況があったと思われます。そんなときに実施されたアンケートですから、〝効果がある〟という回答が少なくなるのも理解できるのです。ただし、それで校長の61%が〝効果がない〟という否定的な回答に結びつくのかどうかについては、さらに分析が必要でしょう。とくに受講者290名の半数(50.3%)が〝校長は講習の評価ができない〟と回答しているのですから、この数値の重さを軽く考えるべきではありません。そもそも校長は講習を受講していない、あるいは参観していないのですから、〝自分には答えられない〟という人がいてもいいわけです。 |
耳毛カットのスキル 2012/10/06 (土)3562
どうして年を取ると耳毛が長くなるのか。インターネットで探してみると、〝加齢とともに毛の生え変わる周期が長くなるから〟という解答を見つけた。〝どんどん〟生え替わると、それに押されて〝うぶ毛〟の段階で抜け落ちる。ところが〝次〟が来ないと〝落ち損なう〟から〝そのまま伸びる〟しかなくなる。こんな説明だった。
おそらく年寄りの眉毛も同じ理屈なのだろう。耳毛は毛抜きを使って継続的に取り除くことができる。しかし眉毛の方は抜くとかなり痛そうだ。そうかといってハサミでカットすればバランスを崩してしまう危険性がある。とりあえずは左右対称に見える眉毛だが、その関係が崩れると変な感じになるだろう。ところで女性は眉毛を描いている人がけっこういるが、あれは抜いているのだろうか。わが家では家内も娘も自然体で、女性一般がどうしているのかを聴いたこともない。もちろんそのあたりの経緯は知っていて、聴けば答えてくれるにちがいない。しかし何分にも現在の時刻は午前4時11分である。ここで起こして聴くほど重大な問題でもない。少なくとも私にとっては〝どうでもいい〟ことだ。
ともあれときおり耳毛を抜く習慣ができあがった。もちろん、それだけに集中するほどのものではない。大抵は机上に置いた本を読みながらひたすら抜いていくことになる。私は右利きだからやはり右耳の方が細かい手当ができる。左耳の場合も右手を使うので慣れないうちは無理が生じるのである。その壁をどう克服して右と同じような状況をつくるか。これはかなり重要な課題なのだ。しかし何事も意欲と情熱がポイントになる。絶え間なく訓練していくうちについには満足できる水準に達するのである。そこまでいくと抜いた瞬間の痛覚が癖になる。 |
鼻毛、眉毛、耳毛… 2012/10/05 (金)3561
私はオーストラリアのパースで6ヶ月間過ごしたことがある。シドニーやメルボルン、それにブリスベーンなど、わが国では東海岸の都市や地域がよく知られている。私がいたのは西海岸のパースだった。鹿児島市と姉妹都市になっているこの町はとてもすばらしかった。インド洋に沈む夕日も感動し続けた。
パースでの仕事仲間に日本に行ったことがある人がいた。彼がパーティで日本の床屋のサービスぶりを絶賛したことがある。そのとき〝鼻毛までカットしてくれるんだ〟と、一生忘れることのできないことのように言っていた。たしかにオーストラリアの床屋さんは、いま日本で大きな勢力になってきた1,000円カットくらいのものが常識のようだった。私も確かめたわけではないが、おそらく理容師は免許制にはなっていないのではないか。それはそうとして、料金はサービスの割にはけっこう高かった。もともと日本より物価がかなり安かったので、その高さだけは妙に憶えている。そんなわけで、このオーストラリア人にとって〝鼻毛までカットしてくれる〟床屋の印象は強烈だったのだと思う。
日本では鼻毛だけでなくカットの対象は〝眉毛〟や〝耳毛〟にまでも及ぶ。私もいつのころからか、おそらく背丈が縮みはじめたころからだと思うけれど、眉毛が伸び始めた。さらにひげを剃る際にふと見ると耳にも黒い毛がちらほら見えるようになった。さらに年齢とともにその程度が強化されてくる。ついには鏡で見えるものは毛抜きで抜くのが習慣になり、その際の微妙な痛覚が快感にすらなってくる。こうなるとやめられない。そのうち鏡など使わなくても毛抜きの使い方がひたすら上達していくことになる。ただし、眉毛の方は毛抜き対応ではひどく痛そうだから避けている。 |
受講者とのギャップ 2012/10/04 (木)3560 continued from 9/30
校長の61%が教員免許状更新講習は〝効果がない〟という結果が報道されました。記事には〝文部科学省の調査〟となっています。私もその詳しい内容を知りたくてホームページで探したのですが、見付けることができないままでいます。お心当たりお方がいらっしゃいましたら情報をいただければと思います。そんなわけで数値は新聞報道に頼るしかありません。ともあれ、私自身が290名の受講者にアンケート調査を実施したところでは、講習内容について〝校長が評価できる〟と回答した方は14.8%で、〝評価できない〟が50.3%にも達していたのです。
このギャップの大きさは相当な者です。もちろん、受講者の皆さんも、そもそも〝校長に評価能力がない〟と言っているわけではありません。ただ講習に参加することも参観することもない校長は、〝講習の効果を評価する〟ことができないと考えている人が多いわけです。これはごく自然な反応だと思います。
校長先生が講習に参加した部下である教師から、その内容を〝聴いた〟ことは大いにあり得ます。しかしこの調査は講習がはじまって間もない時期に実施されていますから、参加した部下数もそれほど多かったとは思えません。つまりは数人の声をもとにして〝効果の有無〟を判断するのはかなり危険でしょう。そうした個別事例ではなく、たとえば校長会等での情報交換がベースになっている可能性もあります。その場合は多くの学校長が感じている代表的な意見だと考えられます。それはそれなりの〝世論〟であり〝評価〟だといえます。しかしながら、これはいわゆる閉じた集団における評価です。しかも、開始当初は有料で30時間も受講しなければならなかった講習に対しては、否定に捉える傾向が強く見られました。 |
床屋さん巡り 2012/10/03 (水)3559
先月の25日に、床屋さんは野田首相と同じQBHだと書いた。ただし熊本では身近にQBHそのものはない。それでもわが家の近くにやはり1000円程度で10分仕上げというお店はある。私は生まれたときから、といっても記憶にはないが、とにかくじっとしておれない性分である。だから、そこは私にとって好ましい理髪店ということになる。
そうは言いながら、数年前には少しばかり床屋さん回りの〝遊び〟をしたことがある。それほど遠くまでは行かないが、1年間ほどとにかく違う理髪店に入ることを続けた。お代はけっこうなもので、3,500円ほどだった。もっとも、それで1時間くらいは座っていたから、時間単価では10分あたり600円を下回る。つまりはQBHよりも安価なのだ。それにカットは当然として、シャンプーに顔そり、ときには鼻毛までカットしてくれる。まさに至れり尽くせりである。また話好きな人なら四方山話にも花が咲く。このあたりをどう考えるかが分かれ道になる。私自身は〝じっとしておれない〟力の方がどうしても強く働くのである。
ところで、一度だけ適当なお店を見つけることができなくて〝美容院〟のようなところに入ったことがある。痩身でスマート、かつ若い男性が〝どんな風にしますか〟と聞いてきた。私はいつものように、〝髪が耳にかぶらない〟〝後ろはあまり刈り上げない〟と言ってから、〝あとは適当に〟と伝えた。この〝適当に〟が彼には衝撃的だったようで、驚くというかひるんだようにすら見えた。〝適当に〟なんて客は来ないのだろう。そのときはシャンプーはしてもらったが顔そりはなかった。しかも〝ドキッ〟とするようなお値段だった。
それ以来、〝美容院風〟のところには決して入らないことにしている。 |
親たちの愛情 2012/10/02 (火)3558
もう随分と昔の話である。仕事で出かけた宝塚でタクシーに乗っていた。ふと前を見ると道路の中央から少しばかり歩道寄りのところに死んだカラスが横たわっていた。その大きさから推測すると子どものカラスだった。と、そこに大きなカラスが舞い降りてきた。そしてその死骸を懸命に道路の脇に引っ張っていこうとしている。当然のことながらタクシーはそれを避けるように道路の中央側にハンドルを切った。それは一瞬の出来事だった。その横を車が通り過ぎてから、私は体を後ろの窓の方によじった。カラスの親子を見たかったから。親鳥の性別はわからない。しかし、私は母親に違いないと思った。親がすでに命の絶えた子どもを安全なところに移そうとしている。感動した。そして目頭が熱くなるのを覚えた。これが母と子の関係なのだ。母親は次々と突進してくる車を気にしながら、そのあふれる愛情で身の危険まで冒している。
コチドリという鳥がいる。ジグザグに移動したり静止したりしながら獲物を獲る。この様子に似ているので酔っ払いの歩き方を〝千鳥足〟という。鳥としては真面目な行為であり、それを酔っ払いと同列に置くのは失礼ではないか。ところでコチドリの親は巣に外敵が近づくと怪我をしたふりをするらしい。いわばヨタヨタしながら巣から離れるのだ。外敵はそれが目立つから獲物としての親を追う。その間、雛は巣の中でじっとしていて難を逃れるのである。この場合の親はメスとは限らないのだろう。しかし、それが父親だったとしてもすばらしい。とにかく親は全力を尽くして、ときには自分の命をかけてわが子を護るのである。いま母親だけでなく父親も含めて子どもを虐待する事例が心配になるほど増えている。人間の方が動物たちに負けている。 |
Big News 2012/10/01 (月)3557
すごい論文らしい。現代の数学界で未解明のまま残された問題がどのくらいあるのかしらない。ただ、そのうちでも整数の理論「ABC予想」と呼ばれるものは〝最も重要だ〟と言われているのだそうな。それを証明する論文を京都大学の望月新一京教授が書いた。教授は43歳、まさに脂ののった研究者なのだろう。
数学の世界は頭脳明晰で論理的な発想ができる人間が偉大な仕事をする。だから経験よりもひらめきが決定的な役割を果たすのだと思う。したがって年齢はそれほど関係ないだろう。そんなわけで、望月氏の43歳が若いのかそうでないのかはわからない。わからないついでに言えば,論文の内容も素人に理解できるわけがない。しかし報道によれば、それは整数論の代表的な難問で、解決するまでに約350年かかった「フェルマーの最終定理」と言われるものも、これを使えば一気に証明できてしまうという。このニュースを知った欧米のメディアも〝驚異的な偉業になるだろう〟と伝えているらしい。ただし論文は4編あって500ページにもなるという。そんわけで、〝論文の正しさを判定する査読に時間がかかるだろう〟というからすさまじい限りである。
私なんぞとは比較にもならないが、それでも意を強くしたことがある。それはこの論文が望月氏のホームページに発表したことである。数学界を揺るがす大論文がホームページで公開され、それが〝正式〟な仕事として認知されているのだ。これはすばらしい話である。いまや学会の審査などを受けていると時間がかかりすぎる。私の〝味な話の素〟もときおり〝新しい視点やアイディア〟について書いている。この方が少しでも早く公表できる。そんなわけで、これは私にとってもとても嬉しいニュースだった。 |
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