14.8% 2012/09/30 (日)3556
教員免許状更新講習で私が担当した講座を受講された先生方の14.8%しか〝校長が評価できる〟と考えていなかったのです。それだけでなく、50.3%がはっきり〝評価できない〟と答えたのです。そんな結果が290名の回答から明らかになりました。もちろん、これで私は〝更新講習はしっかり評価されているんだぞ〟と調子に乗ったりはしません。そもそも受講者の回答は〝校長が講習の効果を評価できるかどうか〟という質問に対するものです。ですから〝講座の内容がいいか悪いか〟はまったく別の問題なのです。この点については改めて検討べきことだと思っています。ただ、熊本大学で受講された方々に書いていただいたアンケートがあります。これを見る限り基本的には〝受講してよかった〟という回答が圧倒的に多いことだけはお伝えしておきたいと思います。私たちにも改善すべきことが少なくありませんが、こうした反応をいただくと〝しっかりいい講座にしょう〟という意欲が高まってきます。ありがたいことです。
ともあれ、私が個人的に実施した290名の回答ではありますが、結果として出てきた数値の〝重み〟は無視すべきではないと思います。少なくとも、〝校長の61%が評価していない〟という新聞の見出しから受ける印象とは相当に違っていることは間違いないのです。ただし〝61%〟が際だっていますが、これは「児童生徒への質の高い教育の提供」に対する効果についての評価でした。「最新の知識技能の習得」については、〝効果がない〟と回答した校長は51%でした。これは61%よりは低くなっています。しかし、私がお聴きしたのは〝講習そのものを評価できるかどうか〟でした。つまりは〝講座の内容の効果を評価する〟以前の問題だったのです。 |
受講者に聴いてみよう 2012/09/29 (土)3555
〝校長の61%が教員免許状更新講習を効果がないと言っている〟。そんな見出しに驚いただけではありません。もちろん、自分たちが関わっている講習が全国の校長先生方から100点満点の評価を受けようなどとは夢にも思っていません。それほどうぬぼれる人間ではないのです。しかし、否定的な回答の数値の高さには大いなる疑問が生まれました。少なくとも自分自身が関わっている先生方を見ている限り、〝効果なし〟が61%にもなるなどとは考えられなかったのです。それでもここで〝信じられない〟と叫んでいるだけでは何の前進もありません。この際は講習をお受けになっている方々に直でお聴きするのが一番です。それが最も速いし、率直なお気持ちもわかるというものです。
そんなこんなで、私の持ち時間の終了時に任意で質問紙に回答していただくことにしました。質問紙に新聞記事を入れ、まずはそれをお読みいただきました。その上で、〝よろしければ、この記事について下記の質問にお答えください〟という質問をしたのです。校長・講習を受講していない教師・教育委員会・保護者、そして教育学部の学生を念頭に置くようにお願いしました。それぞれに〝評価できる〟〝評価できない〟と〝わからない〟の3つの選択肢を準備しました。回答者は私が担当した5回の講習受講者290名です。その結果を対象ごとに見ていくことにしましょう。まずは〝校長〟です。〝評価できる〟は14.8%、〝評価できない〟が50.3%、さらに〝わからない〟が30.3%でした。また回答をされなかった方が4.5%でした。いかがですか。記事によれば、〝校長の61%が講習の効果なし〟と回答していたということでした。正確には〝児童生徒への質の高い教育の提供〟に関してですが…。 |
さっそくの投書 2012/09/28 (金)3554
〝校長の61%〟が教員免許状更新講習を〝効果がない〟と評価しているという記事に対してすぐに反応がありました。新聞には2010年10月8日に掲載されたのですが、翌月11月11日の投書欄(熊本日日新聞〝読者の広場〟)に次のような声が載ったのです。投稿者は75歳の〝大学非常勤講師〟です。その一部を抜粋してみましょう。最初に〝昨年からはじまった教員免許更新講習について、小中高校の校長の61%、教員の54%が「効果なし」と考えていることが分かった、と本紙で報じていた〟と書かれています。まさに見出しの効果は抜群ですね。記事には〝「最新の知識技能の習得」について〟は〝51%〟が効果があると答えた部分は表に出てきません。もちろん〝51%〟にしても高いとは言えませんが、ともあれ〝効果なし61%〟が効いているようです。
また〝現在在職期間が初任、10年の教員には研修が義務づけられている。このほかも行われており、現状を充実すれば、教員免許更新は必要ないのではないかと思う〟と主張されています。この方は教員に関わる情報をしっかりお持ちのようです。実際、私自身が熊本市の教員を対象にした〝10年経験者研修〟のお手伝いをしているのですが、そこで受講されたばかりの方と、やはり私が担当している〝教員免許状更新講習〟でお会いすることがあります。もちろん講習の内容は違うのですが、10年経験者研修は〝夏季・冬季の長期休業期間等に、20日間程度、教育センター等において研修を実施すること〟と〝課業期間に、20日間程度、長期休業期間中の研修において修得した知識や経験を基に主として校内において研修を実施すること〟とされているのです。日数は事情に応じて調整できることにはなってはいますが…。 |
〝効果なし61%〟の衝撃 2012/09/27 (木)3553
教員免許状更新講習がスタートしたのは2009年からでした。その前の年には〝試行〟として、熊本大学でも熊本市と阿蘇地区の2ヶ所で開講しました。そうしたなかで、〝教員免許更新 校長61%「効果なし」〟という見出しの記事が載りました。地元紙である熊本では2010年10月8付けです。中見出しは〝知識習得では一定評価〟となっています。これは共同通信の配信でしょうが同じ数値を挙げた記事が全国で掲載されたと思われます。
ここで少しばかり内容を見ることにしましょう。①文部科学省が調査を行った調査結果が分かった。①小中高校などの校長の61%、教員の54%が「児童生徒への質の高い教育の提供」に対する効果が「まったくない」「あまりない」と回答した。③「最新の知識技能の習得」について効果があると考える校長は51%で「ない」の39%を上回った。教員では「ある」と「ない」がいずれも40%だった。④調査は「教員」「校長」「保護者」「教育学部などの学生」「全国の教育委員会」「教職課程がある大学」で、約3万人と1,151の教育委員会、662大学が回答した。⑤「質の高い教育の提供」に保護者の43%、大学の48%が「効果がある」と回答した。「効果がない」は3割程度だった。⑥教育委員会は「ある」が39%で「ない」が45%であった。
新聞記事ではこうした点が明らかになったと書かれていました。私は本格的な制度がスタートする前年に実施された試行の段階から教員免許状更新講習に関わってきました。それだけではありません。この記事が出たときは講習の実施委員長まで仰せつかっていたのです。そんな立場の私にとって〝現職校長の61%が効果なし〟と評価しているというのですから、それはそれは大きな衝撃だったわけです。 |
熊本駅 2012/09/26 (水)3552
熊本は新幹線は開業したものの、まだ在来線の高架化が進行中です。それまでは駅裏で入り口もなかったのですが、新幹線ができてから新幹線口として出入りができるようになりました。しかし、在来線の整備が遅れていた駅ビルは以前のままです。素人から見ればこららを併せて完成させればいいのにと思ってしまいます。この7月に大分に行ったのですが、こちらはばっちり高架になっていました。やはり駅ビルは建設中でしたが、立派なものができるようです。それに駅裏が広々とした空き地になっていました。もともとJR所有の土地もあったようですが駅前から広い道路が走り、時間とともに都市らしい景観になるのだろうと思いました。
熊本の駅場合は、そうしたメイン道路といったものもありません。新しくできている道筋も曲がっているように見えてしまいます。それに既存の住宅等の配置から推測すると、今後も大分のような広々とした感じのする光景にはなりそうにありません。その昔、フランス人が都市人口が世界一になった東京を見て、〝巨大な田舎だ〟と言ったという話を子どものころに聞いたことがあります。いまの感じだとどうも熊本も〝巨大な田舎〟になりそうな気がします。すでに熊本に30年以上も住んで、すっかり肥後人になったと自認している者としては何とも寂しい限りです。まあそれはそうとして、九州大学が博多駅にサテライト教室をつくっています。わが熊本大学だって熊本駅に直結するサテライトをつくって教員免許状更新講習を開催したらどうだろうか。そんなことをほとんど独り言のように会議でも言ったりしたことがあります。そして新幹線を使って鹿児島はもちろん、九州・山口近辺からも来てもらうなんて楽しいと思うんですが…。 |
長髪の挑発 2012/09/25 (火)3551
ビートルズの登場は1960年代だが、その強烈な音楽だけでなくマッシュルームカットというキノコのような長髪がかっこいいことになった。もちろん長髪も調髪してこそ本物なのかもしれないが、一般の若者にはただ放っておくだけでいいところが受けた。ビートルズは世界中にエレキギターを操るグループサウンズを生み出す。私はその手の流行に意識的に乗れないからいわゆる長髪ではなかったが、床屋さんのいすに縛られる回数が激減した。当時の写真を見ると分厚い髪が顔を覆っている。そして1970年代は経済が右肩上がりでインフレの波が押し寄せる。田中角栄氏が総理大臣の時代にはベースアップが30%にもなった年があるのだ。いつの間にか〝ベースアップ〟ということばそのものが死語になってしまったが…。
そんな経済状況で若者が床屋に来なくなったのは業界として大きな打撃だったに違いない。それに加えてインフレだから生活のために値上げをせざるを得ない。こうしてまずは客の減少が影響して理髪料が上がっていく。そうなると客の側も床屋に出かける回数がさらに減っていく。まさに悪循環である。それに当時は休みが少ない業界だったから、若者たちが敬遠するという後継者問題も起きたと思う。そこで休みも次第に増えていった。これも時代の流れのなかでは当然の対応だったのだが、やはり客離れの遠因になったのではないか。そして、ついに同業者の組合で決めていた時間や料金に縛られない人たちが出はじめたのである。こうした私の分析は若いころの記憶に頼っているから正確な事実ではない。細かい状況はいろいろあったはずだ。しかし、とにかくそんな経過をたどりながら、とうとう10分1,000円のQBHが登場するまでになったのである。 |
栗がたまらない 2012/09/24 (月)3550
先日、山鹿に出かけた。ここは八千代座や山鹿灯籠祭りで知られている温泉地だ。目的地は熊本県の教育センターだったから温泉には入らなかった。その道すがら農家で栗を収穫しているのを見かけた。いまは栗の季節である。そこで帰りがけに地元の栗を買って帰った。これを家内が圧力釜で蒸し上げる。水は200ccほどらしいが、やがて〝シュッシュッ〟と元気よく蒸気が出はじめる。人間が初めて人工的に創って活用した動力が蒸気である。釜の音を聞いていると蒸気機関車を連想する。私は電車も大好きだが、機関車のピストンと車輪のダイナミックな動きを見ると声が出なくなる。
さて20分もしないうちに栗が蒸しあがった。半分に割ってスプーンでくりぬいていく。それをやおら口に入れると、これが最高のうまさである。まるごと秋を食べていると思うと嬉しくて叫びたくなる。こんなおいしいものが食べられるなんて、なんという幸せか。私が子どものころ住んでいた伊万里にも栗の木があった。友達と連れだって栗林に出かけた。針のついた重装備の殻斗に包まれているので素手で中身を出すのはむずかしかった。しかも栽培主のおじさんから〝穫っていいよ〟なんて聞いていなかったような気がする…。
とにもかくにも栗はおいしい。昔から栗まんじゅうなるものがあり、いまでもお店で見るとつい手が出てしまう。そして今度は〝栗鶴の子〟なる季節限定品が登場した。〝鶴の子〟はいわゆる博多銘菓だがマシュマロに包まれた何とも言えない優しい味で、これまた子どものころからの大好物だ。大学生になったころ、いまの家内の家に遊びにいったときも〝鶴の子〟を土産にもっていったらしい。そんなことはすっかり忘れていたが、ともあれ〝栗味〟もしっかり楽しんだ。 |
床屋の楽しみ方 2012/09/23 (日)3549
〝一時もじっとしていることができない〟。そんな私には〝10分で一丁上がり〟というQBハウスは最適の床屋さんだ。もともと理髪店ではヘアカットから顔そりまでが基本的なセットだった。おそらく〝調髪のみ〟の指定もできたのだろうが、私は経験したことがなかった。そして店休日はまったく同じで、料金もほとんど似通ったものだった。子どものころは帰りがけに10円をくれるお店もあって、仲間の間では〝評判〟になった。散髪屋さんという言い方もあった。直訳すれば〝ヘアカット〟だが、そのころは散髪のみで済ます人はほとんどいなかったと思う。だから子どもにしても〝じっと〟座っていることを強制されたのである。もっとも、襟筋を剃刀の刃が進んでいくときなどは妙な快感もあったのだが…。
ともあれ〝浮世床〟と言うことばもあるくらいだから、江戸の床屋さんでは世間話にも花が咲いたに違いない。その点で床屋は社交場であり、生活情報を交換する大事な場所であったのだ。だからそれを〝楽しむ〟ことができる人は席に縛られていても退屈はしなかっただろう。また、チョキチョキというはさみの音を聞きながらいつもウツラウツラする大人たちがいた。そんな気持ちになれるのであれば、しばらく座っておくのもいい時間の過ごし方だったに違いない。ところが生来からせわしない私はそうした〝楽しみ方〟ができなかった。とにかく〝少しでも早く開放されたい〟のである。
そんななかで、環境が変わりはじめた。理容組合というのだろうか、その堅い結びつきに緩みが生じはじめたようだった。まずは若い者たちが床屋さんにいかなくなった。これはわれわれの世代なのだが、ビートルズのマッシュルームカットに象徴される長髪が当たり前になった。 |
じっとしておれない 2012/09/22 (土)3548
私がドリップバッグのコーヒーをはじめて見たのは東京のホテルだったが、そのころはすでに商品化されていたのだと思う。ただしそれ以前にスーパーなどで見かけた記憶はない。しかしそのうちコーヒー売り場にいくつかの商品が並べられるようになった。
私がドリップバッグでコーヒーを入れるとき、まずは台所においてあるパッケージからバッグを一つ取り出す。それからそれをコーヒーカップと一緒にダイニングまでもっていく。そこで封を切ると再び台所に戻ってお湯を沸かしたコンロの薬缶かすでにお湯が入ったポットを取りに行く。この一連の動作が家族には不思議に見えるらしい。つまりはすべてが台所でできる行為なのに、わざわざダイニングまで移動するからである。そう指摘されればその通りなのだ。しかし、それを言われるまでは自分の行動に気づいていなかった。まったく意識していないのである。とまあそんなわけでわが家では〝とにかくじっとしていることができない〟という評価が定着している。
私自身もそれを否定するわけにはいかないと思う。授業のときも講演をするときもほとんど座らずに立っているだけでなく右に左に、さらには前後に動いている。さすがに〝リーダーシップ・トレーニング〟といった比較的長い時間を要するものでは〝まったく座らない〟ことはない。それでもそのトータル時間がかなり短いことを自覚している。生理学的に実証されているのかどうか知らないが、じっとしているよりは動いた方が筋肉も興奮し、それに影響されて精神状態も高揚してくるのではないか。私の仕事であるグループ・ダイナミックスではじっと座って思索していては何の成果も生まれない。そんな気持ちでいるから、これからも動き回るつもりでいる。 |
QBH 2012/09/21 (金)3547
私と野田首相には共通点がある。それは床屋さんだ。首相に就任したとき、彼がQBハウスを利用していることが話題になった。これは10分1000円を売りにした全国ネットのヘアカット専門店だ。QBはQuick
Barberの頭文字かと勝手に想像していたら、じつはアメリカンフットボールのQuarterbackに由来するのだという。そうなるとアメリカンフットボールを理解していない私にはまったく意味がわからない。ウィキペディアによれば、〝攻撃の起点になるポジション〟であり〝司令塔〟だという。この業界で突進していこうといった気持ちが込められているのかもしれない。
それではなぜQBハウスなのか。私は子どものころから落ち着きがないといわれていた。とにかく一時もじっとしておれないのである。その性行はいまだに変わらない。だから授業でも講演でも教卓や演台に張り付いていることがない。とにかくウロウロする。そしてそのうち自分で勝手に興奮してくる。そう言うと何やら危なっかしいが、それで受講している人たちに飛びかかるということはない。
さて話はまた大きく変わるが、このごろはドリップバッグ式のコーヒーに凝っている。けっこう長いことコーヒーメーカーを使っていたが、①1、2杯しか飲まない割には洗うのが大変、②図体が大きいので置き場所をとる、③そしてほとんど私しか飲まないからコーヒーの減り方が遅くて、そのうち味が落ちてくる…などの理由からこれを放棄した。コーヒーのドリップバッグがいつから普及したかは知らないが、私が初めて出会ったのは東京のホテルでだった。もう7、8年前にはなると思う。これがなかなかおいしくて、コーヒー通がどう評価するか分からないが、私としては十分に満足できるものだった。 |
日帰り手術 2012/09/20 (木)3546
さて、鼻茸は切除しても時間が経過すればまた〝生えて〟くるものらしい。どんなに取っても根治しないのである。初めて手術してからどのくらい経過しただろうか、また臭覚が弱くなってきたことを自覚した。それならまた切ればいいのだが、1週間という時間がなかなかとれない。そもそも第1回目のときもいわゆるゴールデンウィークの祝日と重ねたのだった。それから40代に入り、さらに長めの休暇を取ることがむずかしくなった。
そんなとき別件で診察してもらった耳鼻科で〝鼻茸は日帰りで切除できる〟と聞いた。これは私にとって朗報であったことは言うまでもない。そこでほとんど考えることもなく、開業医で手術をすることを決めた。たしかに切除後にそのまま自宅に帰ることができた。手術台ではなく通常の診察台での手術だったから、先生の反射鏡がまぶしかった。その横を見ると、看護師さんが目と口を歪めながらこちらを、というよりは鼻を覗いていた。それを見た私は〝そんなに痛そうなら見ないといて〟などと思いながらも、心の中で吹き出していた。もちろん処置する部位は麻酔が効いているので、自分はまったく痛みを感じないのである。ただメスで肉を切っているような感じの〝グジッ、グジッ〟という音とその感触が体感できるのだ。これはこれで妙な快感があって〝とにかく切れるだけ切ってくださーい〟なんて叫びたくもなるのであった。
そして無事に手術も終えたと思って自宅に帰った。さすがにちょっとだけ横になろうとしたら、何となくのどに違和感がある。やや温かい塩っぽいものが引っかかっているような気配だ。〝なんか喉がおかしいな〟。たまたま家にいた高校生の長男にそう言ったのだが、そのとたんにガーゼが口の中に落ちてきた。 |
入院時の目標 2012/09/19 (水)3545 continued from 9/16
子どものころから〝アレルギー性鼻炎〟とつきあいながら大人になった。そして30代で鼻茸の切除手術を受けた。あえて手術した理由は鼻づまりで困ったというよりも、何となく〝におい〟がしなくなったことに気づいたからである。お医者さんによれば、臭覚神経の前に鼻茸ができているからにおわなくなるということだった。それではまずいので手術をしたらたしかに臭覚が蘇った。コーヒーの香りもよくなって、これはすごいと感動した。
そのときは1週間ほど入院したのだが、私の人生に大きな影響を与える体験も加わった。じつは、それまで私はお箸の持ち方がまともでなかった。家内からもその点を指摘されていたのだが、とにかく30年間というものそれで過ごしてきた。〝ちゃんと持てば小さな豆なども一粒ずつつかめるのよ〟。こんなことを家内は言い続けていた。そこで、1週間の入院中に〝お箸をまともに持とう〟という目標を立てた。朝昼晩、とにかく意識して〝正統お箸の持ち方〟にチャレンジした。これが大成功を収めたのである。たしかに小さなものまでおもしろいように挟んで食べることができる。しかもそうなってみると〝見栄え〟だっていい感じがする。ともあれ合理的なのである。ここで私は〝やればできる〟ことを体験したのだった。そして〝やらなければ何もできない〟ことも実感したわけだ。
そういえば鉛筆の握り方も気になる人がいる。こちらは母の特訓(?)もあって、子どものころからまともだ。とくに親指が〝踊っている〟人を見るとすごいなあと思う。相手が学生だとつい口を出してしまうことがある。文字が書ければいいというだけなら握り方などどうでもいいことだろう。しかし、まともに持てばもっといい字が書けるはずなのだ。 |
二人いても… 2012/09/18 (火)3544
酒気帯びで検挙された小学校に勤める女性事務員だが、問題は中学校の教頭が電話したところからはじまる。この日、それぞれの学校の懇親会に出ていた。それが7月20日だというから1学期の終業式の日のいわゆるご苦労さん会だったのだろう。教頭が事務職員に電話したのはその翌日の21日午前1時45分ころである。一次会は午後7時くらいにはじまったというから、二次会、三次会とドンドン進んでいったに違いない。両者がともにそのころまで帰宅していなかったのだ。
細かい詮索は抜きにして、そんな時間に〝車で帰ろう〟などと電話をかけること自身が信じられない。とにかく教頭が車を止めていた駐車場で会って、事務職員を送るという話になっていたようだ。ところが教頭の方は運転できないほど酔っていたらしい。そこで事務職員が代わりに運転したのだが、駐車場からわずか200mほどのところで巡回していた警察官に停止させられたという。事務職員の方も酒気帯びだったのである。その後、事務職員は停職5ヶ月、教頭は6ヶ月の処分を受けることになった。そして、教頭は退職願を出したという。それはそうだろう。これでは子どもたちに合わせる顔がない。せっかくの職を棒に振ってしまったのである。何とも愚かな話である。あれだけ飲酒や酒気帯びが問題になっているというのに、同じことが繰り返されている。酒を飲んで運転して捕まったらどうなるか、そんなことは子どもだってわかる。想像力の欠如なんて次元の高いレベルの話ではない。しかもこれが1人ではなく2人の行為だというのだからことばを失う。どちらかが〝やめときましょう〟くらい言えないものなのか。結果を見れば言えなかったということだろうが、情けない話である。 |
〝愚か者!〟 2012/09/17 (月)3543
7月末に海外に出かけていた間に読んでいなかった新聞に日付とは関係なく目を通していた。ほんの1週間ほど不在にしただけでも世の中ではとにかくいろいろなことが起きている。それはそうなのだが、読んだとたんに〝愚か者〟と叫んでしまうような記事にぶつかった。それは熊本県で起きた学校関係者の飲酒にまつわる不祥事である。ある市の小学校に勤める女性で35歳の事務職員が〝酒気帯び運転〟容疑で捕まったという。
一般的にニュースになりやすい職種というものがある。私が子どものころ〝犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる〟といった笑い話があった。つまりは〝当たり前のこと〟は取り上げられないが珍しいことは〝ニュースネタ〟になる。これとは意味合いは違うが、〝世間が規律を守ることをより期待する〟職種の人間が〝ややこしいこと〟をすればすぐに話題になる。そのなかでも〝教育関係者〟は取り上げられやすい職種に入る。何といっても〝子どもたち〟を育てる仕事なのだから当然である。とくに小学校や中学校では知識を伝えるだけでなく、人格を陶冶するなどというむずかしいことばまである。〝陶冶〟とは〝もって生まれた資質や才能を、円満に育てあげること…(電子版日本国語大辞典)〟である。それだけ本人たちの自覚が大いに要求される。
それにもかかわらず学校の事務職員が〝酒気帯び運転〟で捕まったのだ。もちろんこれだけでも〝ヤレヤレ〟とため息は出る。しかし正直なところまだ〝愚か者〟と叫ぶところまではいかなかっただろう。じつは女性事務員とともに捕まった人間がいたのである。それは隣町の中学校に勤務する男性の教頭52歳で〝車両提供〟の容疑で県警に摘発されたというのだ。 |
〝手術〟体験 2012/09/16 (日)3542
小学生のときに〝アレルギー性鼻炎〟と診断をされて、それをずっと背負って成長した。いつのころからか〝花粉症〟なるものが日常用語になり、これに苦しむ人もどんどん増えていった。この症状だって昔からあったのだろうが、わたしが子どものころはそんな名称を聞いた記憶がない。これはアトピー性皮膚炎といったものについても同じで、生活環境の変化によって目立ってきたという説があるらしい。また寄生虫がいなくなったことでアレルギー系の病気が出てきたと考える研究者の話も聞いたことがある。そうした仮説を実証するために自分の体に寄生虫を養っていた人もいた。これまたすごい研究者さんだが、まだお元気だろうか。
それはともあれ、私としては〝アレルギー性鼻炎〟という持病らしきものとつきあってきた。そして30代になって耳鼻咽喉科で〝鼻茸〟ができているとの診断を受けた。これは副鼻腔の入り口あたりが炎症を起こしてできるポリープである。それがキノコのようになるから〝鼻茸〟と呼ぶらしい。そんなわけで、その診断を受けたときに手術をした。素人目には簡単な切除手術だったと思うが、それでも1週間ほど入院した。ありがたいことに両親が健康な体を与えてくれたので、いわゆる手術というものを体験したのはこのときがはじめてだった。ただし小学生のときに〝アデノイド〟を切ったのも手術に入れるなら2回目ということになる。しかしそのときの記憶はほとんどないが、ほんの数分の出来事だったと思う。喉の奥で何かが起きて、少しばかり塩味っぽい自分の血を飲み込んだかなあという程度だった。それに比べると〝鼻茸〟の場合はストレッチャーに乗せられて手術室に入っていった。だからこれはやはり〝手術〟だったのである。 |
蓄膿症から副鼻腔炎へ 2012/09/15 (土)3541
個人的な体の情報を明かすのはどうかと思うが、私は子どものころから鼻が弱かった。小学生時代の通信簿にはずっと〝アレルギー性鼻炎〟と記入されていた。それとどのくらい関係があるのか知らないが、小学校4年生だったかアデノイドの手術をしたこともある。〝アデノイド〟とは〝咽頭扁桃〟のことだというが、どっちにしたって私にはまったくわからない。それは鼻の奥、いわゆる〝のどちんこ〟の対面にあって普通は見えないものらしい。それが肥大すると鼻が詰まったりする。もともと3~4歳ごろから肥大していき、6~7歳ごろに最大となって、その後は小さくなるのだそうだ。いずれにしても耳鼻咽喉科系の病気である。
いまでは副鼻腔炎というが昔は蓄膿症と呼ばれる病気があった。〝蓄膿症〟、〝膿を蓄える〟病気、なんともおどろおどろしいというか、かなり耳障り感のある病名だ。現在は〝副鼻腔炎〟というから、その詳しい役割や位置はわからなくても〝副鼻腔〟というところが〝炎症〟を起こしてるんだなと推測する程度で終わる。体に侵入する外敵に抵抗する際に炎症が起きると、結果として〝膿〟になる。だから、その意味では〝蓄膿症〟ではあるんだけど。ともあれ、ことばの響きというものがある。私自身はそこまで重症だといわれたことはないが、〝蓄膿症〟の手術はかなり厳しいものだと聞いていた。その昔は上唇裏側、上歯のあたりを切開して、そこから〝膿〟を出す。その上でどうするのかは知らないが、とにかくこの上なく過激でしっかり〝痛そうな〟雰囲気が漂っていた。しかも、その手術をしたから完治するかというと必ずしもその保証はないらしいのである。体験者である知り合いが〝あんなものやめた方がいい〟と顔をしかめて言うのだ。
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〝査読〟 2012/09/14 (金)3540
そんなことで、現時点でこれまで書いてきた論文や読み物122本が私のホームページの〝Repository〟から読めるようにしている。こらからも積極的に登録するつもりでいる。ところで、そのリストの中にはいわゆる〝レフリー付き〟の〝権威〟がぶら下がったものはほとんどない。しかし、私にとってそんなことはまるで問題にはならない。とにかく読んでいただいて、その上で評価されることが何より大事なのである。結果として評価が低ければ読まれなくなる。それだけのことである。
それと査読者として指名された人が締め切りを過ぎても審査結果を出さないなどといった内輪の問題もある。とりわけ若い人が一生懸命に書いた論文にもかかわらずなかなか審査結果がもらえないといった事態は大きな問題である。そもそもそんな人は査読を引き受ける資格がない。査読者は原則として当該学会から選ばれた委員である。それなりの社会的立場を与えられているのだから、責任ある行動を取らないといけないのだが、困った人がいるのである。
ともあれ一般的には〝査読者〟の指摘やコメントしたがって著者が論文を修正したり、あるいは反論したりしながら論文の質を上げていく。その上でめでたく掲載がOKになったものが〝レフリー付き〟論文となる。これは世界共通の常識であり、その点についてはみんなが合意している。だからそれだけ論文も〝重み〟があるのだ。ただし、査読者にも〝傾向〟があって、たとえば〝やたら厳し〟かったり、比較的〝優しかった〟りもする。基本的にはプロとして〝厳しい〟方が望ましいと思うが、〝あたりはずれ〟で論文掲載の可否が左右されることがあれば、これまた大きな問題である。そんな中で完璧な公平性を保証するのはむずかしい。 |
別刷り不要 2012/09/13 (木)3539
Repository の登場は私たちの世界に大変革をもたらした。もはや別刷りなど不要なのである。自分が書いたものをこの〝納骨所〟に入れておけば、多くの人に読んでもらえるわけだ。これまでの別刷りでも私なんぞは50部もあれば十分だった。さらに読みたい人が出てくればコピーすればいい。そんな中で、〝リーダーシップ・トレーニング〟に関するある論文だけはけっこうな需要があり、後になって別刷りを増刷した。〝リーダーシップ・トレーニング〟は自分のライフワークであるだけに、このときはさすがに嬉しかった。しかし、そんな例外中の例外の場合でも増刷は300部だった。
ところがRepositoryに登録すると、昨日書いたように1本の論文が1ヶ月で9,000件もダウンロードされたのである。もちろんその後の運命まで知ることはできないが、少なくともダウンロードされたのだから、内容は〝一瞥〟されたはずである。さらにプリントアウトまでいって、めでたく日の目を見た可能性も大いにあるのだ。別刷り時代のチマチマさとは何と違うことか。私には露出趣味はないのだが、Repositoryにはじめて登録してからは書いたものをドンドン掲載している。論文が載った雑誌を附属図書館に送れば、先方と著作権の交渉までしてくれる。そんなわけで私がすることといえば雑誌やコピーを図書館に送るだけなのである。こんなありがたいことはない。これまで看護系の雑誌だが、1社だけ〝電子情報化は認めてない〟と回答してきたという。したがって、そこが出している雑誌に書いたものはRepositoryで読んでいただくことができないままである。私としてはそれなりに参考になる内容だと思っている。ある程度の時間が経過したら是非ともOKにしてもらいたい。 |
Repository 2012/09/12 (水)3538 continued from 9/09
自分がつくった資料に©YOSHIDA, Michioと入れただけで法的効力が発生するのかどうかは知らない。これは〝とんでもない同業者〟へのアピールだから、そのあたりのことは確認もしていない。したがって、研修等に参加された皆さんには〝ご自分の職場などではどうぞお使いください〟と言っている。
それはともあれ、いまや電子時代である。大学の図書館を中心にしてRepository なるものが生まれた。この英語、聞いたことがないという方が多いと思う。私も大学からのRepository掲載案内を見てはじめた知った。英和辞典によれば、まずは〝①容器〟がきて、〝②保管場所、たんす、押し入れ;倉庫〟と続く。さらに、〝博物館や商店〟という意味もある。そして〝地下納骨所〟という字義まで読むとつい苦笑いしてしまう。なぜなら私はすでに熊本大学の〝納骨所〟に入っているからである。じつは、所属大学の研究者が書いた論文や原稿、教材などを〝長期に亘って保管する〟ものがRepositoryなのである。そんなわけで私が定年で辞めても、あるいはあの世に逝っても〝保管〟してくれるはずである。まさに〝納骨所〟そのものだ。
これが〝ものすごい威力〟を発揮するのである。私が大学の附属図書館の勧めに乗ったのは、いまから5年ほど前だったと思う。そこに自分の書いた論文をボチボチ公開しはじめたのだが、まもなく驚くべきことが起きたのである。附属図書館から〝先生の論文にすごいアクセスがある〟という連絡があったのである。それは2008年7月のことだが、この1ヶ月だけで何と8,856件ものアクセスがあったのだ。そのうち実際にダウンロードされたのが8,837件である。正直なところどなたがお読みになったのか知らないが、とにかく驚いた。 |
赤ん坊帰り 2012/09/11 (火)3537
そんなわけで、どこにいてもじっとしておれない私にとってPCは移動中に欠かせない最大の〝友だち〟になった。もちろん、PCだけでなく本だって相変わらずの親友である。そこで飛行機の場合は飛び上がってPCが使えるようになるまで本を読む。このごろは席に着いてからボーディングブリッジを離れ、滑走路を走り出すときまではウツラウツラすることもある。しかし、それも空に舞い上がればばっちり目覚めて〝いつもの仕事〟に精を出す。
さて、そんな私がPCと向き合っていたとき、前の座席の隙間から小さな顔が動いた。赤ん坊がじっとこちらを見ている。そこで私も目を大きくしてにっこり顔で反応した。それに対して先方は〝このおじいちゃん信用してもいいのかなあ〟なんて表情を見せる。しかし、それは一瞬のことですぐに嬉しそうな顔をして返してくる。そう、もうここで覚悟しなければいけない。一度でもこうした反応をしたからには、先方があきらめるまでおつきあいする覚悟をである。しかし赤ん坊は〝飽きること〟を知らない。それからというもの座席の隙間から覗いたかと思うと、今度は反対側から顔を出す。もちろん私はそのたびに〝バアッ〟と目を大きくして返し続けるのである。この反応のためにPCの作業スピードは大いに落ちることになる。そんなことは最初からわかっていたことだ。それを承知の上で〝おつきあい〟をはじめたのである。
まだことばが出ない前の赤ん坊の笑顔のすばらしいことよ。その純粋な好奇の目、相手を信じている透き通った目、ここにこそ人間関係の原点があると思う。人の成長とは何か。お互いを信じ合う気持ちを喪失し、さらに人を疑う力を身につけていくことか。私ももうすぐ高齢者だが赤ん坊帰りも悪くない。 |
移動中の行動 2012/09/10 (月)3536
ほんの最近、羽田に向かう飛行機でPCを使っていた。生来じっとしていることができない質だから乗り物の座席にいても何かしている。〝そんなときこそ寝ていればいいのに〟と家の者たちは言う。さすがに年齢のせいもあってか、このごろは10分程度うつらうつらすることはある。それでも大半は何かしている。ずっと昔は本を読んでいた。そのうち録音しているラジオ番組も仲間入りした。これがけっこう楽しい。とりわけNHKの第二放送の教養系番組は多面的でなかなかいい。飛行機では機内で流す〝演歌〟を聴くこともあった。ところがいつのころからかこれが追放されてしまった。演歌が好きな客だっていたはずなのにその気持ちが無視されてしまった。ああ、これでまた日本の文化が飛行機の中から消えたわけだ。
たまに落語や漫才のチャンネルに合わせることもある。ただこれはあくまで私の主観ではあるが、最後まで聴きたいと思うものにはなかなか出会わない。数年前に酔っ払いをネタにしたものがあった。これは秀逸で往路も復路も繰り返して聴いて密かに笑った。その月は何回か飛行機を利用したが、そのたびにイヤホーンをセットした。しかしこれは例外中の例外である。その後、あれに匹敵するものに出会わない。
PCがラップトップになったときは移動中でも使えるかと期待したが、まだlap(ひざ)置きでは大きすぎて持ち歩きが厳しかった。またバッテリーの持続時間も不十分だった。それがノート型の登場とともに状況が一変する。膝上から解放されて飛行機の小さなテーブルにも置けるし、小型で軽量だからカバンに入れて持ち運びできるようになった。そして何よりのポイントはバッテリーの性能が向上したことだ。数時間もてれば十分に活用できる。 |
道具の使用許可 2012/09/09 (日)3535
そして論文の別刷りを取り巻く環境が大きく変化した。それは言うまでもなくインターネットの普及だ。すでにほとんどの学会がネット上で論文の公表をはじめている。こうなると世界中のどこにいても自分のPCにダウンロードして印刷することができる。つまりは紙媒体による別刷りはいらなくなったのである。その効果は相当に大きい。私が作成したリーダーシップを測定する尺度を使いたいので使用を許可してほしいという依頼がけっこうある。これはある学会誌に掲載した論文で紹介したものだ。もちろん公表しているのだから、引用さえしっかりすれば無条件に使用できる。そもそも公表するとはそういうことを前提にしているのである。そんなわけで個別に使用許可をとる必要はないと考えているが、世の中にはまじめな研究者がいらっしゃるのである。そしてそれはそれでけっこうなことだと思う。
ただし引用もいい加減にしてまるで自分の成果であるかのように使う不届き者がいる。過去の話だが、ある私立大学に呼ばれて事務職員の方々を対象にしたリーダーシップ研修をしたことがある。そのときは自分たちが開発した道具を惜しみなく使った。そこまではよかったのだが、私を呼んでくれた某氏がその内容をしっかりレポートしていたのには参ってしまった。しかも事前に何の連絡もなしである。それもしっかりした引用をしていなかったから道具の著作権などが曖昧なままであった。ことはそれだけで収まらなかった。その後某氏は関連の本を出版したが、そちらにも十分な引用がないままに研修で使った道具が紹介されていた。信じられない行為である。そんな苦い体験をしてから、私は研修で使うシートなどには©
Copyright YOSHIDA, Michioを付けることにした。 |
〝別刷り〟と〝資源保護〟 2012/09/08 (土)3534
私は論文の別刷りを徹底して少部数にしてきた。これについては人によって大いに違うわけで、100部とか200部を有償で注文する人たちもいた。私だって〝ケチ〟だから無償分だけで済ませていたわけではない。とにかく〝読んでいただける〟人以外に配っても仕方がないという、きわめて単純な理由からそうしてきたでのある。チラシやジャンクメールのように一瞥される、いやもっと悲惨なのは封筒のままゴミ箱行きというのではまずもって資源の無駄遣いである。
私は自分の裁量で決められるものについては公的な印刷物も部数を徹底して絞っている。〝部数を増やしても、紙代だけしか追加にならないので、たくさん刷っていたらどうですか〟なんて誘惑には負けない。そんな調子で300部しかいらないのに500部もつくったりする。その後の運命はしっかり見えていて、ただひたすら倉庫でホコリをかぶり続けるだけのこと。そこに置いてあることすら忘れられる。そして代が変わったころに〝こんなもん捨てとけ〟なんて話になるのがオチなのである。夏目漱石さんの自筆原稿ならいざ知らず、研究雑誌や論文なんてコピーすればすむ話である。大事なのはその内容なのである。
それにしても大学にも紀要のたぐいがドンドン送られてくる。それが〝仕事をしている〟ことの証というわけだ。しかし、そうした発想もそろそろ転換する時期に来ている。何といっても電子の時代なのだから紙媒体を電子情報に変えるだけでも膨大なパルプが節約になって、大いなる資源保護に繋がることは疑いない。それが徹底すれば置き場所の問題も解決する。もちろん私だって〝紙の良さ〟を認めないわけではない。しかし、ここに至っては〝ベターの選択〟を決断しなければ何も変わらない。 |
〝別刷り〟考 2012/09/07 (金)3533
論文は本人しか読まないという悪口に対抗するために別刷りなるものをつくる。これは研究誌に掲載された自分の論文の部分だけを抜き出して表紙をつけたものだ。もっとも、経費の削減などの理由から表紙なしでむき出し版にするところもある。ともあれそれを同業者、つまりは論文を読んでくれそうな研究者たちに配るのである。その際は表紙に〝謹呈○○先生 著者〟などと書いたりする。私が学生のころ、恩師の三隅二不二先生から論文に〝謹呈 吉田道雄学兄 著者〟と書いていただいた。まだ二十歳ころだったと思うが、このときに〝学兄〟ということばをはじめて知った。すでに大物研究者として確固たる地位を気づかれていた恩師が学生に使うことばとしては破格の表現である。もちろん、当時としてはそれが論文を人に渡すときの〝常套句〟だった。
それにしても、一般的に送られた別刷りはどのくらい読まれるのだろう。それこそジャンクメールやチラシのように即ゴミ箱行きではやるせない。そんなことを考えるものだから、私自身はとくに例外的な場合を除いていきなり郵送することはほとんどしてこなかった。えっ、〝読んでもらえないレベルの低い論文ばかりだったからだろう〟ですって!まあ、それに大声で反論することもございませんが…。ともあれ、私のところへ来られて〝読んでいただける〟ことが確かな方には差し上げた。また学会などでお会いして話をしているうちに〝読んでみたい〟とおっしゃった方にも郵送した。そんなわけで〝読まれた確率〟はそこそこだったと思う。そんな考えでいたから別刷りはほとんどつくらなかった。学会誌などに掲載すると50部程度が無償で提供されるという習慣があった。私にとってはそれだけで十分だったのである。 |
仕事としての論文 2012/09/06 (木)3532 continued from 5/23
いつものことながら〝光陰矢のごとし〟を実感している。とにかく時間はあっという間に走り去っていく。私たちが書いた文献などを保管している〝熊本大学学術リポジトリ〟の話を書いていたのは5月だった。これから夏を迎えるという季節だったが、すでに秋にさしかかった。わが国も亜熱帯域に入ったことは疑いないようだが、それでもさすがに朝夕は涼しくなってきた。
ところで、私たちは研究と教育が主たる仕事である。そしてその成果を論文としてまとめる。その数が多いということはそれだけ仕事をしている証になる。もちろん論文は内容が勝負だから、ただ本数が多ければいいというものではない。しかし、とりわけ若い世代にとってはある程度の数は必要になる。なぜなら大学をはじめとした研究機関に採用される際に論文が重視されるからである。もちろん、論文の内容が優れていることが大事なのだが、それまでに書いてきた本数も一つの基準になる。また同じ論文でも、それが審査を受けたものかどうかでその価値が違ってくる。いわゆる〝レフリー付き〟と呼ばれるものは高く評価されるのである。その点では学部レベルで出される〝紀要〟と呼ばれるものは、基本的には審査がないから点数としては低くなる。
まあそんなこんなでいろいろありだが、とにかく書いたからには読んでもらわなければ意味がない。ところが口の悪い連中に言わせると、学部の紀要なんぞは著者本人と印刷業者しか読まないなどと憎まれ口をたたいたりする。それも活字を拾っていた時代の話で、いまではワープロ原稿そのものをもとにするから印刷業者だって読まないわけだ。そうなると〝本人だけ〟ということにもなりかねない。それでは単なる〝自己満足〟に過ぎなくなってしまう。 |
権力の誕生 2012/09/05 (水)3531
移動する民族が世界を制覇したことがある。モンゴルである。この国は近くは朝鮮半島、遠くはシリアやアフガニスタン、さらにヨーロッパのトルコあたりまで支配する大帝国を築いた。いわゆる騎馬民族で、馬に乗って戦闘するために工夫された衣服がズボンの起源になったともいう。そもそも移動して生活していた民族が広大な地域を修めた要因を探るのはじつに興味深いのだが、私もそこまで首を突っ込むところまでは達していない。
ともあれ農耕の発展と定住化は財力の差を生み出した。そもそもは、その差も〝運〟であったり、あるいはちょっとした工夫で〝少しばかり余計に収穫できた〟といった差だったのだろう。しかしそれは洪水や干ばつで飢饉になったとき決定的な影響を与えたに違いない。ある程度の蓄積があるものは生き延びることができるが、〝もたざる者たち〟は命を長らえることができない。はじめのころは、力の強い〝困った者たち〟が〝もてる者たち〟を襲って収穫物を強奪するといった事件も起きただろう。しかし〝もてる者たち〟は〝食べ物〟という〝力〟を使って人を雇うことで自分たちを護ることができる。そうなると〝もたざる者たち〟は〝もてる者たち〟に頼んで助けてもらわざるを得なくなる。それができなければ餓死するしかない。
そこで両者の間に従属関係が生まれる。一方が上に立って命令を出し他方はそれに従うのである。動物の世界では〝体力〟が差をもたらす最大の要因だろう。これに対して人間の場合は〝財力〟が〝体力〟よりも大きな影響力をもつようになる。かくして力をもつ者たちとそうでない者たちの区別がはっきりしてくる。そして財力は権力と結びつき、その体制を維持するための仕組みがつくられていくのは必然だった。 |
〝トップダウン〟の起源 2012/09/04 (火)3530
その昔、組織を経営する原理としてトップダウンが機能していたのはどうしてか。それがそのままではうまくいかなくなって〝ボトムアップ〟が必要になった。いや〝ボトムアップ〟は表現がいかにもまずい。〝グラウンドアップ〟と呼び方を変えよう…。とまあ、そんな話題で3月ころ勝手に騒いでいた。その続きを再開する気はあまりないのだが、ふと思い出してちょっとだけ書いてみたくなった。
ともあれ〝トップダウン〟がそれだけで機能していたのは、トップ層とそうでない人々の間に大きな力の差があったからだ。それでは、いつのころから人の間に力の差が生まれたのか。われわれの祖先たちは農耕法を発見・発明し、それによって生活ができるようになった。それまでは身の回りにあるものを食べ尽くせば移動するしかなかった時代が終わりを告げた。つまりは特定の場所に定着したのである。これによって生活が安定し人口も増えていく。そうなると同じ場所に住んでいるからたまたま収穫物が余れば貯蔵することができる。そのうち蓄える量には差が出てきただろう。このあたりが〝貧富の差〟の起源になったのではないか。
もちろん移動する生活の場合でも、力がある者や主として経験によって知恵をもっている者たちがリーダーシップをとったはずだ。その点で〝差〟はあっただろうが、〝貧富の差〟というほど大きな違いは生まれようがない。移動するために大型トレーラーなどは使えないのである。それに外敵に襲われれば図体が大きいと攻められやすく応戦するのがむずかしい。そうした状況では〝コンパクト〟が最大の武器だっただろう。そもそも移動するのだからその規模には限度がある。民族大移動もあるが、いま考えているのは人類のスタート時点である。 |
1㎜の〝心〟 2012/09/03 (月)3529
〝包み込む〟というと私は風呂敷のことが頭に浮かびます。日本には風呂敷というすばらしいものがあります。たった1枚の布きれなのに変幻自在、いろんなものを〝包み込んで〟しまいます。西洋からやってきた形のあるバッグとは大違いです。あらかじめ形が決まっていないのです。だからこそ包み込む相手も自由自在、何でもありというわけです。ある意味では、その曖昧さがいかにも日本らしいと思ったりもします。私が高校生のころや大学生になったときは、風呂敷を愛用している先生がいました。教室に入ってきてやおら風呂敷を広げる。そこから教科書や資料が出てくるのです。なかなかいい感じでした。いまでもときおり記念品としていただくことがあります。正直なところ風呂敷がたくさんあっても使い方に困るのですが、出張のときには着替えや携行品をひとまとめにするのに役立っています。
さて、〝懐が深い〟〝心が広い〟話から風呂敷まで飛びました。ここで〝心の相対性理論〟についてお話したいと思います。私たち凡人は〝海より深い懐〟〝空より広い心〟なんてもてるはずがないと思われませんか。それって〝神様〟のことなんですよね。それでも〝懐が深く〟〝心が広い〟のは大事なことではあります。そうです、だから〝相対性理論〟なのです。私たちが他人と対人関係を結ぶときに、相手よりも〝1㎜だけ〟懐が深くなるように努力したらどうでしょうか。あるいは〝1㎟だけ〟心を広くするのです。わずか1㎜でもあるいは1㎟であっても、〝深く〟〝広い〟ことは間違いありません。それは1㎜秒だけ待って、1㎎だけつばを飲み込む心の余裕をもつだけでいいんです。それでも〝相対的〟には〝自分の方が神様に近い〟なんて思えば楽しいじゃないですか。 |
〝懐〟と〝心〟 2012/09/02 (日)3528
〝消費税アップの可否〟について、経済学者の方たちは〝理論的仮説〟に基づいているとおっしゃりたいのでしょうね。けれども、それで正反対の結果が出る理論なんてありなんですか。こうした現状を見ると、いや正直な話この20年程度の経済学者さんたちの発言を振り返っても、まあ素人の私としては経済学には〝普遍的な法則〟なんてないんだと確信してしまいます。
とまあ、よそ様の悪口を言いたい放題に言ったのですが、私は毎日の生活は〝相対論でいきましょう〟と思っているだけのことです。この世の中には〝懐が深い〟人がいます。あるいは〝心が広い〟という言い方も同じような意味をもったことばです。懐が〝海より深い〟、心が〝空より広い〟方って、どこかにはきっといらっしゃるんだと思います。でも私に言わせれば、それはもうほとんど神様のレベルに達していますよね。かつて、マザーテレサという方がいました。正直なところ名前を知っている程度なのですが、さしあたりこの方なんぞは、懐が海より深く、心は空よりも広かったのだろうと推測しています。
しかしこれは例外中の例外ですね。私たちのような凡人は、〝海〟や〝空〟は〝深いなあ〟〝広いなあ〟と感動しているだけで十二分に満足すべきです。あんな深さや広さを追求するなんて、身の程知らずもいいところです。そうはいっても、私たちは多くの人たちと対人関係を結びながら生きています。そんな中で、少しは〝懐が深い〟〝心が広い〟ことは大事なポイントではあります。そしてお互いに〝懐を深くし、心を広くする〟努力はした方がいいと思います。懐が深ければ、相手のことをストンと受け入れることができます。また心が広ければ、相手のことを包み込むこともできるわけですね。 |
〝絶対〟は〝絶対〟ないんです! 2012/09/01 (土)3527
〝絶対は絶対にない〟。これが〝絶対〟の〝絶対的な使い方だ〟と考えています。これほど〝絶対に間違いない〟ことはないのではないでしょうか。〝絶対〟の反意語は〝相対〟ですね。〝絶対〟がないとすれば、世の中は〝相対〟で動いているわけです。アインシュタインの〝相対性理論〟はそれを科学的に論証している代表だと思います。ただし〝相対性理論〟の基礎には〝光速だけは一定〟という〝絶対的前提〟があるようです。あの〝相対性理論〟が〝絶対〟を前提にしているのですから、これはまさに最高の〝パロディ〟であることは〝絶対〟に間違いないでしょう。
しかも〝どうして光の速度が秒速30万kmなのかは論理的に証明されることではない(橋元淳一郎 2006「時間はどこで生まれるか」集英社新書 p51)〟というのです。私など、それを知っただけでしばらく笑いが止まらないほど嬉しがりましたよ。論理的思考の元祖の元祖とも言うべき物理学の、これまたニュートンを超える最高の理論の根本にある前提が〝論理で証明することではない〟というのですから。
人間行動の〝科学、科学〟なんて絶叫している心理学ですが、同じ現象についてもいろんな〝理論〟があります。たしかに理論は、ある事象の因果関係を論理的に説明するための仮説的な試みではあります。しかし、同じことを説明するのにワンサカ理論があって、どれも〝正しい〟というのでは、結局は何も説明していることになりませんよね。経済学にしても、まったく同じ時期にある学者は〝いま消費税を上げないと日本は潰れる〟と言い、一方には〝デフレで消費税を上げたら国が潰れる〟と主張する専門家がいます。どちらも〝理論的根拠〟があると言うのでしょうが、一体どっちが本当なんですか。 |
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