保存則も成立! 2012/08/31 (金)3526
自分が困っていることや悩みは一人で解決しないこと。たしかに〝自力で解決〟できるのならそれが一番だ。それに格好もいい。あとあとで自慢のネタにもなる。だから〝少しは突っ張ってみる〟というのも正しい選択肢だろう。しかし、あまり無理はしないことだ。信頼できる人にちょっとだけ話をしてみる。すると〝おやおやあなたもそうなんだ。じつは私も同じように困ってるのよね〟なんてことになるのである。そんな〝仲間〟が3人くらいになると、足し算なら〝悩み1人+悩み1人+悩み1人=3悩み〟になるのか。いやいや、私の答えは〝No〟である。
〝こころの算数〟によれば、〝悩み〟は〝加えると割り算になる〟のだ。何とすばらしい魔法の算数だろう。だから、正解は〝悩みが1/3〟というわけである。この宇宙には質量保存の法則があるという。1単位のものが3つ集まって1/3になるのはいいけれど、それでは〝保存則は通らないじゃないか〟なんて責めないでいただきたい。〝こころの算数〟の話は続きがあるのだ。悩みが1/3になっただけでは、まだ〝悩み〟は心のなかに居残っている。そこで今度は〝悩み〟の解決に挑戦していくことになる。そのためには〝問題を乗り越えるエネルギー〟が必要になる。
ここで再び〝こころの算数〟が登場するのである。悩みを解決しようとする〝エネルギー〟に関しては〝かけ算〟が適用されるのだ。つまりは、〝悩みに立ち向かう力〟は3人寄れば〝3倍〟になるのである。これで1/3×3=1で〝元通り〟ということだ。めでたしめでたしである。しかも問題が解決したときの喜びは3倍どころか3乗になるに違いない。 |
〝こころ〟の算数 2012/08/30 (木)3525
いまや人々の心に〝ストレス〟が満ちあふれている。そして事件が起きるとあれやこれやと報道される。夏休み前に学校でいじめに関わる大きな問題が明らかになった。これに対する学校や教育委員会の対応ぶりに非難の渦が巻き起こる。たしかに、個々の事件を通して、その世界が抱えている構造的とも言える問題が明らかにされたりもする。そしてそれが改善への動きに繋がることが期待される。人間の世界に〝これで十分〟という終わりはない。大きなシステムを変えて〝もういいだろう〟と思っていると、それにもカビが生える。この世に存在するものは必ず劣化する。世のなかも人生もその繰り返しである。天然痘を克服し、結核も追放したと安心していると今度は別種のウイルスが生まれる。抗生物質という細菌に対してオールマイティのヒーローが登場しても、時間とともに対抗生物が出てくるのである。それに結核なんぞは不死鳥のように蘇ってきたではないか。
さてさて、いつものことながら話がそれてきた。今日のタイトルは〝こころの算数〟だった。〝ストレスが満ちあふれている〟と書き始めたためについ進路がそれて、本題を忘れてしまっていたのである。〝こころの算数〟については、本コラムでかなり前に触れた記憶がある。しかしこのごろ若干のバージョンアップを図ったので改めて取り上げることにした。ストレスあふれるこの世のなかで、〝自分だけで問題を解決する〟なんて考えないことにしましょう。これが〝こころの算数〟の要点である。〝人間は1人だけでは生きていけません〟。ここから話がはじまることになる。だから〝悩み〟や〝困ったこと〟があれば〝相談〟することである。いつも話をしている仲間に〝打ち明け話〟をしてみるのである。 |
マニュアル問題(51) 2012/08/29 (水)3524
ところで私たちの研究で〝ヒヤリハット〟の認知件数と職場のリーダーシップとの間に相関が見られなかったことがあります。その数値だけを見ればリーダーシップとは関係なく〝ヒヤリハット〟事例が多いと報告する職場もあれば、それが少ないと言うところもあったのです。つまりは〝望ましいリーダー〟のもとでも〝ヒヤリハット〟が多かったり、〝改善が必要なリーダー〟に率いられている職場でも〝ヒヤリハット〟が少なかったりしたわけです。これはあらかじめ予想した結果とは大いに違っていました。しかしその原因は少しばかり分析を進めただけで明らかになりました。
まずは〝望ましいリーダー〟がいる職場では、安全に関してもしっかり仕事をしているわけです。そうなると〝ヒヤリハット〟を報告する件数も少なくなります。その一方で、〝望ましいリーダー〟は職場の安全についてもしっかりリーダーシップを発揮しています。そこで部下たちはちょっとした問題行動についても感受性が豊かになるわけです。その結果として小さな〝ヒヤリハット〟にも気づくのです。そうした状況では〝ヒヤリハット〟の件数はそれなりに多くなるのです。
これに対して〝改善が必要なリーダー〟、もっと有り体に言えば〝望ましくないリーダー〟のもとでは部下たちの仕事を成し遂げようとする意欲が低く、安全に対する意識も不十分なことが多いのです。それでは〝ヒヤリハット〟事例が頻発するのも当然でしょう。それだけではありません。〝ヒヤリハット〟を超えたミスや事故が起きてしまうのです。こうしてリーダーシップの善し悪しと職場で認知された〝ヒヤリハット〟の件数の間にはしっかりした関係が見いだされなくなってしまったのでした。これは興味深い発見でした。 |
マニュアル問題(50) 2012/08/28 (火)3523
ハインリッヒの法則を今日のわが国に当てはめて表現すれば、〝1件の重大事故の前に29件の軽微な事故があり、そのまた前には300件のヒヤリハットが起きていた〟ということになるでしょう。したがって大きな事故には潜在的な小さな問題が関わっているのです。だだし、そうかといって時間の流れを単純に逆転すればいいというものでもありません。つまり〝ヒヤリハット〟を根絶すれば〝すべての重大事故がこの世の中から消滅する〟と断言することはむずかしいわけです。それにたとえ〝小さな問題〟だとしても〝ヒヤリハット〟そのものを根絶することなど考えられません。それを保証するためには〝仕事をしない〟ことです。これなら〝仕事にまつわるヒヤリハット〟は起こりようがありません。しかしそれなことを言えば、冗談だったと弁解しても顰蹙を買うに違いありません。
ともあれ、たとえそれが〝重大事故の絶滅〟に繋がる保証はなくても、とにかく〝小さな問題〟を見逃さず、同じようなことが起きないように対応していくことは疑いなく必要です。それによって〝大きな問題〟が発生する確率を低減させるという点ではしっかり合意できると思います。そうした状況のなかで、わが国では〝ヒヤリハット〟をお互いに報告し、その対応策を考えていこうという運動が展開されています。私は本欄の少し前でハインリッヒの言う〝unreported occurrences〟つまりは〝報告されなかった出来事〟を〝ヒヤリハット〟に対応させることにしました。しかしわが国では、その〝ヒヤリハット〟を少しでも〝報告して〟、それが起きた原因と具体的な対策を職場で〝共有化する〟ことを積極的に進めているところが多いわけです。その点は大いに評価できると思います。 |
あるのが前提 2012/08/27 (月)3522
〝差別やいじめを根絶するには人類が地球上からいなくなるしかない〟。そんな言い回しで体育館に集まった子どもたちに話をする。その文言セリフだけ聞くと学校長や先生たちは〝エッ〟と驚くかもしれない。あるいは〝オイオイそんな過激なことを言うなよ〟と思うかもしれない。しかし私としてはまずは〝事実〟を押さえることをスタート点にしたいのである。その上で〝差別やいじめをしないためにどうするか〟を考えていくのが自然な流れではないか。頭から〝あってはいけない。あるはずがない〟では現実から目をそらすことになる。人は〝自分の弱さを認める強さ〟も大事なのだ。
〝うちの学校にはいじめがない〟と思ったら、それは〝気づいていないだけのこと〟と考えた方がいい。もちろん〝いじめはあるはずだ。ないか、ないか〟と追求する態度は教育的にいただけない。しかし教師たちはいつもそうした感受性を磨いておくことが必要なのである。〝わが校ではいじめに関わる事象が1年間で○件ありました。しかしそれらのうち○件はこんな手立てをとることで小さなうちに解決しました。また残念ながら少数ですが○件についてはやや大きな問題になり、子どもたちへの影響も……となりました。ただしこれも……という対応をとったことでしっかり解決することができました…〟。学校側からこんな報告書が出されることこそ期待すべきである。〝何もない〟のではなく〝あること〟がしっかり把握され、適切な対応に全力を尽くしている。それが健全な組織というものである。そうした情報が集まることで類似した事例に対する効果的な対処法も共有化される。問題を発見する感受性と能力こそが、校長をはじめとした教師たちの〝力〟として評価されるべきなのだ。 |
差別といじめの根源 2012/08/26 (日)3521
人口と10万本の〝髪の毛〟を掛ければ、それは桜の花びらの数を上回るはずです。こうして私は〝人間は髪の毛1本の違いも含めて一人ひとりが違っていることを児童生徒たちに強調するんです。そして〝だからいつでもどこでも差別やいじめが起きる可能性があるんだよね〟と続けます。
〝だってそうでしょう。自分よりすごいなあと思う人がいればうらやましいとか、あんな人になりたいなあと思ったりするよね。でもその反対に、ほんのちょっとだけでも、自分の方があの人よりもすごいんだぞと思うときはどうなるだろう。自分がしっかりがんばったからそうなったのなら、ちょっぴり自慢してもいいかもしれないね。でも自慢するくらいでやめとけばいいのに、だからあの人はつまらないんだなんて思ったら注意した方がいいね。もうそこまでいじめの悪魔が近づいてきているんだと思うよ。あなたもしっかりがんばったらいいよと応援する気持ちがほしいなあ。とくに背の高さみたいに、本人がどんなに努力してもどうにもならないことを取りあげて、自分より背が低いからなんて理由で人のことを悪く言い出したときはどうだろう。もうこれは差別やいじめの悪魔が背中にとりついたと思った方がいいよね。
そんなわけで、とにかく私たちはみんな違っているから、差別やいじめの悪魔はいつも心の中に潜んでいるだ。だから、この世の中から差別やいじめを完全になくすことはできないと思った方がいいね。少なくとも、そうした気持ちでいつも注意しながら生活していかないといけないんだな。それに対して、地球上から差別やいじめをゼロにするためには人類がいなくなることだなんてとんでもないことを言い出したりして…。こんなのが解決策だなんて言う人はいないよね〟。 |
髪の毛物語 2012/08/25 (土)3520
私は生徒たちに話を続けます。世界中に咲く桜の花びらの数はひょっとしたら地球上の人間の数である70億を超えるかもしれないね。でもそんなことでくじけてはいけないよ。人間だって見方を増やせば花びらの数に負けるはずがないんだ。たとえば手足の20本だってみんな違うんだから、これを70億人に掛ければ1400億にもなるよ。それに、目や耳の形だって同じなんてあり得ないでしょう。これで1400億の4倍になるなあ。みんな、それなら十分だと思うんじゃないの。
でも、人っていろいろな考えをもっているから、まだ心配な人がいるかもしれないね。だって桜は毎年春になると咲くじゃないか。それなら年数も掛けないといけないなんてね。うーん、なかなかいいとこに気づいたねえ。いやいや、私はそれでも大丈夫だと思うよ。ほら、いま私は髪の毛を1本自分の頭から抜いたよ。この髪の毛は私のものだよね。しかも、まだ頭に残っている全部の髪の毛とも長さや太さだって違うはずじゃないか。もうおじいちゃんになってきたから本数はずいぶんと減ったけどね。インターネットで調べたら、1人あたり10万本もあるらしいよ。さあどうだい。これを70億人に掛けるだけで、もう桜の花びらの数には負けるわけがないだろう。しかも女の人は3年~7年、男の人は2年~6年で全部入れ替わるんだって。桜の毎年にはかなわないけど、とにかく私たちは桜の花びらよりも一人ひとりが違ってることだけは間違いないよね…。
ここでは中学生あるいは小学生に向けたような語り口できました。中学校でも高学年や高校生が対象の場合は、もう少し大人相手のような言い回しをします。しかしとにかくパワーポイントを使って〝髪の毛〟物語までは進めていくことにしています。 |
イントロは桜から 2012/08/24 (金)3519
さてそれでは〝人権潜り〟の私が中高校生にどんな話をしているかをご紹介したいと思います。私はパワーポイントでスライドをつくるのが大好きです。その昔はOHPが趣味でしたが、パワーポイントを知ってからすぐに乗り換えました。手元の記録では2004年にはパワーポイント派に転向しています。そこで〝人権の話〟もパワーポイントです。
そのスライドは熊本城の春の写真から始まります。お城を背景にして桜が満開になっています。ここで生徒たちに〝何が写ってる?〟と問いかけます。〝熊本城だ。桜だ〟といった声が聞こえてきます。当然のことです。次にその写真を1本の桜の枝までズームアップしてまた同じ質問をします。今度は〝桜の木だ〟といった回答が出てきます。これまた当然です。そこでもっとアップして一輪だけが映るようにします。もちろん、ここでも同じことを聞くわけです。それに対して〝桜の花〟という声がもっとも多くなるのも予想通りです。私は〝そうそう桜の花だよね。ところでここに5枚の花びらが見えているんだけど、何か気づくことないかなあ…〟。と、まあこんな流れで話を進めていくわけです。
これに対して児童生徒が〝みんな形が違う〟といった意味合いの答えをしたら、話は次の段階に移ります。しばらくしてもその〝正解〟が出そうにないときは、私の方から〝この花びら1枚、1枚が違ってるだろ〟と誘うこともあります。この点でみんなが納得したら、次は〝人間〟が話題になります。現在、地球上には70億人もの人間が生きています。児童生徒たちは、その一人ひとりが違っていることを知っています。一方、桜は国中で咲きます。ワシントンでだって咲きます。その花びらの枚数は一体どのくらいになるのでしょうか。 |
学校に出かける 2012/08/23 (木)3518
国立大学は2004年に法人化されてすでに9年目を迎えているわけです。それまでも中学校や高校に出かけて児童生徒たちに話すことはありました。しかし、法人化後はとくに“社会的貢献”が大学の重要なサービス活動として重視されるようになったことから、その機会も飛躍的に増加しました。余談ですが、自分たちがサービスすることを〝社会的貢献〟と呼ぶことには何となく違和感を感じるのですが、どんなもんでしょうかね。もっとも辞書を見ると第一義が〝みつぎものを奉ること(電子版広辞苑)〟とありますから、まあいいんでしょう。ともあれそんなわけで私もときおり学校に出かけるわけです。そして児童生徒たちからもらった感想文もこのコラムで紹介しています。その内容は学校からのご依頼によるのですが、私については最も多いのが〝人権〟に関わるものです。
私が〝人権〟の話をしているなんて聞くと、同職の友人たちからは〝何であいつが人権かい〟と不審がられるでしょう。何分にも〝人権〟について専門的な仕事をしてきたことはないからです。それでもこのテーマでときおりながら講演依頼があるのは、まあ〝それなり〟の話にはなっているのだろうと推測しています。とにかく〝Yesしか言わない〟という、石原東京都知事とは180度反対の生き方をしているのですから、〝人権講演〟も〝Yes〟できたわけです。ただし、熊本市の人権啓発協議会から講師紹介リストに入れていいかとのお問い合わせには〝お断り〟をし続けていました。それでも〝そうは言わずに〟といったニュアンスのご依頼が続くものですから、私の方が根負けしてしまいました。そんなわけで、毎年改訂の時期に届けられる書類は〝そのままで〟という形でお返ししています。 |
マニュアル問題(49) 2012/08/22 (水)3517
さて、何かと東京との差別化を図る大阪ですが、その精神は安全の領域でも見いだすことができます。もうかなり昔の話になりますが、関西電力の原子力発電所に出かけたときのことです。日本中のどんな組織でも〝安全〟は最優先すべき課題です。とりわけ工場などには、安全を目標にしたポスターなどがいろいろなところに貼ってあります。ところが、関西電力では他では見たことのない特別の言い回しが使われていることを発見したのです。〝ヒヤリハット〟。安全に少しでも関わっていらっしゃる方なら知らない人がいない基本用語です。ところが、関西電力ではそんな用語がないのです。発電所のポスターに踊っていたのは〝ハットヒヤリ〟という文字でした。
これを見たとき、私はけっこう喜びましたよ。さすが関西やで。東京とはちゃうんやなあぁ…。それと同時に大いなる疑問が生まれたんです。〝ヒヤリハット〟と〝ハットヒヤリ〟。どっちがホンマかいなあ…。何か危ういことをしてしまいます。その瞬間に〝ヒヤリ〟とするでしょう。そして、〝これはまずいぞ。こんなことをしていたらとんでもないことになるぞ〟と気づくのです。〝ハッ〟とするわけです。しかし、何かをしたときに、まずは〝ハッ〟とすることだってあるでしょう。そして、それから少し冷静になって〝ヒヤリ〟とする。こんな順番があってもおかしくないですよね。まあ組織で現実に起きるミスや事故などは〝ヒヤリ〟と〝ハット〟の順番なんぞ問題にしても仕方ないでしょう。とにもかくにも、組織のメンバーたちが小さなことを含めて自由にものが言える雰囲気づくりをしていくことが重要なのです。しかし、その〝何でも言える〟状況はそう簡単にはできないんです。ここが悩ましい問題なのです。 |
マニュアル問題(48) 2012/08/21 (火)3516 continued from 08/17
全国的にはエスカレータの追い越しは〝右側〟の方が多いと思います。しかしこれが大阪では〝左側〟が常識になります。私も大阪駅などでは〝あっ、そうそう右側に立つんだ〟と自分に言い聞かせています。もっとも、エスカレータで追い越すことを当たり前に思っているのは国際常識ではないでしょう。そのスピードに身をゆだねてゆっくり昇ったり降りたりすればいいんですよね。ただこれは日本人だけの特性でもないような気もします。単なる邪推ですが、中国や韓国でもせわしなさそうな気がしませんか。米づくりの文化は人手がいるので、全体として人口密集型になる傾向があります。狭いところに人がわんさか住んでいる。私は行ったことがないのですが、香港の映像などを見ているとそんな感じがします。
さて、国際常識という視点ではエスカレータは関西方式が国際的なんですね。すでに懐かしい思い出ですが、1970年に大阪で万博が開催されました。そのとき、はじめて〝動く歩道〟をつくったわけです。そこで外国ではどうなっているかを調べたところ、追い越しは〝左側〟が多かったらしいのです。それほど〝こだわり〟のある大阪なのに空港は大いに問題です。伊丹空港にも動く歩道が設置されています。東京や福岡など主要都市向けの搭乗口は手荷物検査場から近いところにあります。これに対して地方都市行きは遠いんです。そこで動く歩道もあるんです。ところが歩道の上に看板があって、驚嘆のメッセージが書かれているんです。〝お急ぎの方のために左側に立ってお譲り下さい〟。メモはとっていませんから丸写しの文面ではないのですが、とにかく〝左側に立ちなさい〟というんです。何ということでしょう。大阪の空の玄関口だというのに真逆の表現とは! |
感激の感想文! 2012/08/20 (月)3515
お父さんが糖尿病だと書いた中学1年生の女子生徒は〝昔の吉田先生のようにお菓子をボリボリ食べているので「吉田先生はこんな風にしてやせたんだよ」と父に話をし、ダイエットを積極的に行ってもらおうと思います〟と続けます。そうなんです。私が使うパワーポイントのスライドに〝昔の吉田先生〟の写真が入っているものがあるんです。その当時は66kgでしたから、現在の54㎏とは別人のように違って見えるわけです。そこでつい〝ダイエットした〟物語へと脱線したんです。アーモンド・チョコボール依存症やバターピーの誘惑を克服したという話です。彼女はその部分を取り上げているのですが、さてさてお父さんはすんなり愛娘の進言に従ったかなあ…。
それにしてもダイエットを〝やってもらおう〟ではなく〝行ってもらおう〟です。ちゃんと上品な言い回しになっているではありませんか。そして〝今日は本当に面白くて役に立つ話をしていただいたので、これからの生活にいかしていこうと思います〟とまとめに入ります。〝話をしていただいた〟なんてところ、これが中学1年生の書いたものとは思えないすごさです。こんなことを言うと大学生の皆さんにしかられますが、〝うわわあぁっ〟と意味不明に叫びたくなるようなレポートだってあるんですよ。
最後の締めは〝そして健康的に生活して、人権についても、もっと深く考えていこうと思います。また、自分の意見や考えを主張できるように「Yes」、「No」をしっかり言えるようになりたいです〟ときました。私の話がこれほどきちんと受け止められているのですから感激します。それが一時的な影響で終わるとしてもいいじゃないですか。私たちは同じような話を何度も聞き体験することで成長していくんですよね。 |
生活習慣まで… 2012/08/19(日)3514
さて、昨日からご紹介している中学1年生女子の感想は続きます。〝私は朝がとても苦手だったけど、最近では目覚ましよりも早く起きれるようになりました。でも朝からキャッキャしていないので近所迷惑にならない程度でキャッキャしようと思います〟。私の話をお聞きいただいた方は〝あのネタを中学生にも話してるのかあ〟と苦笑いされることでしょう。そうなんです。朝起きたときに叫びたくなる体質なものですから、それを〝あなた方もいかが〟と中学生にまで押し売りしているというわけです。それにしても、〝近所迷惑〟や〝程度〟も丁寧な漢字で書いています。
〝そして、夜、布団に入るときはビュンッ〟と入って、吉田先生のように「ウドゥ ウドゥ」しようと思います〟。こちらもご存じない向きにはチンプンカンプンな話ですよね。簡単に言えば、布団に入るときも騒いでいるという話です。〝朝食はこれからどんなにいそがしくてもきちんと食べるように心がけ、みそ汁(ネギたっぷり)と納豆などの和食系も食べていこうと思います〟。朝食の心がけにまで踏み込んでもらうなんて、話をしたものとしてうれしい限りです。いつもは洋食系が多い感じですが、和食系だっていいんですよ。その後ちゃんと実践できてるかなあ…。
〝私の父も走ったら死んでしまう糖尿病です〟。おやおや、そんな個人情報をばらしちゃあまずいじゃないの。それに、私は糖尿病だから〝走ったら死ぬ〟といったわけではなかったのよね。ただ、小学校のサッカークラブの有力保護者の方から〝審判が足りないのでテストを受けてくれませんか〟と言われたんです。そのときに体力に自信のない私は即お断りしたわけです。とにかく〝走ったら死ぬ〟ほどの運動不足の人間だったわけです。 |
女子生徒の文章力 2012/08/18(土)3513 continued from 05/13
ときおり思い出したように中学生に講演をした際の感想文を紹介しています。前回は5月13日でしたから、気が遠くなるほど間が空いてしまいました。これからもボチボチと進みましょう。ところで中学生になるといろんな点で男女の違いが目立ってきます。言語的な力は女性の方が強いとはよく聞く話です。それに科学的な根拠があるのかどうか知りません。しかし、何となくそんな気でいるから目立つのでしょうか、先日外食をしたときのことです。わが孫くんと同じくらいの女の子が、とにかく〝しゃべりまくって〟いるんです。隣の席に座っている私と目が合ったので、こちらが笑うとあちらもにっこりと笑顔を返してきます。食事が終わって席を立つときに〝いくつ〟と聞いたところ、予想通りわが孫くんとほとんど同じでした。そんなこんなで、やはり〝女の子は早い〟という思いを強くしたわけです。そういえば、私自身も母親から〝かなり遅くまでことばが出なかった〟と聞いた記憶があります。それでもわが孫くんは〝ジー〟と聞こえたような気のする発音で私を見るようにはなってきました。これからです。
さて、中学1年生の女子生徒の感想文です。まずはきれいな字に圧倒されます。ここでお見せできないのが残念なほどです。とにかく丁寧で美しい字なのです。〝吉田先生の人権教育講話はとてもおもしろくて、楽しかったし、とても勉強になりました〟。からはじまります。そして〝「朝はキャッキャ」「食事はワクワク」「布団に入るとUduDuDuDo」など独特な例え方でお話しされたので、すぐに頭に入っていきました〟と続きます。いかがですか、流れがいいでしょう。それに〝独特な話し方〟という表現もすでに大人レベルに達しているではございませんか。 |
マニュアル問題(47) 2012/08/17(金)3512
〝ハインリッヒの法則〟の〝報告されない出来事〟は私たちが〝ヒヤリハット〟と呼ぶものに当たると言いました。いまわが国の多くの組織では、それをお互いに共有化することの重要性が強調されています。ですから、表に出てきた場合には〝unreported
occurrences〟には当たりません。しかし、この点が微妙なところで、現実には〝ヒヤリハット〟が〝出やすい職場〟もあれば、〝出にくい職場〟もあるのです。〝ヒヤリハット〟が報告されやすいかどうかは職場の規範や組織文化に大きく影響されます。私は人々が具体的な行動をする際の常識や基準が規範であり、それが少し大きな範囲まで含めると文化になると考えています。その点では、〝常識〟は〝文化〟に近いと言えます。組織の文化の上に個々の職場における行動基準ができあがっているという見方です。ともあれ、職場で〝なんでも言う〟〝なんでも言える〟ことが行動の基準になっていれば〝ヒヤリハット〟事例もドンドン出てくるでしょう。そんな基準ができあがるためには職場の対人関係やリーダーシップが大きく関わってくるのです。
ところで、〝ヒヤリハット〟と言うと、いつもおもしろい体験を思い出して、そのたびに話題にしていることがあります。もともと関西は東京に対する対抗心が強いようですね。JRの電車でも東京では特急並みの快速電車を〝特別快速〟と呼んでいます。福岡・北九州地区ではまだ残っているのかどうか知りませんが、九州でも同じ呼び名を使っていました。ところが、関西に行くとこれが〝新快速〟になるわけです。また、エスカレータの追い越しレーン(?)が右か左かについても東京と大阪で違っています。東京や九州では左側に立って右側を追い越しに使っていますね。 |
マニュアル問題(46) 2012/08/16(木)3511
人類は科学的な活動を通しておびただしい知識と技術を蓄積してきました。しかしそれにもかかわらず、われわれの周りにはわからないことが満ちあふれています。地震についてもプレートの動きなどで、その発生や規模を予測することが期待されてきました。しかし少なくとも現時点では、あらかじめ避難を呼びかけたりできるほどの精度には到達していません。もちろん地震が発生した後では様々な分析が行われます。その結果が将来の予測に役立つのでしょうが、素人は〝まだその程度なのか〟と思ってしまいます。ところで地震も動く大地の〝小さなずれ〟が積み重なって、そこから生まれたひずみが一定の限度を超えると発生するようです。つまりは〝小さなこと〟の蓄積が一気に爆発的な反動を起こしてしまうわけです。
こうした事態は物理的な現象だけでなく、人の態度や行動にも当てはまるようです。とりわけ組織における安全は、〝小さな問題〟を放置しているうちに、それが耐えられないレベルに達してしまうことで起きるわけです。そしてついには取り返しがつかない深刻な事態に直面するわけです。これは私たちが繰り返して経験していることです。これに関しては〝ハインリッヒの法則〟が知られています。アメリカの旅行保険会社に勤務していたハインリッヒ(Heinrich,
H. W)の分析によると、1件の深刻な事故の前には29件の中程度のトラブル(incidents)が起きていました。さらに、そうした言わば〝軽微の事故〟の前に300件ほどの報告されない事象(unreported
occurrences)が発生していることが明らかになったというのです。この〝報告されない事象〟は、今日われわれが一般的に使っていることばだと〝ヒヤリハット〟に当たると思われます。 |
マニュアル問題(45) 2012/08/15(水)3510 continued from 08/08
〝いいと思ったら、とにかくやってみよう〟。リーダーだけでなく職場のみんながこうした態度と行動力をもっていれば、様々な問題にも対応できるはずです。〝朝令暮改〟ということばがあります。これは〝朝に出された命令が夕暮れには変えられる〟ということで、いわば〝ぶれる〟ことを批判する意味のことばです。そんなことではまともにつきあっていられないわけです。どこかの国では、〝朝令暮改総理〟の様相を呈していますよね。しかし、職場の問題を解決する際には〝朝令暮改〟も捨てたもんじゃないというのが私の考えです。〝慎重に考えないといけない〟などと言いながら問題の解決を先送りする。そんな態度よりも、〝とにかくやってみる〟の精神が大事なのです。そして、〝まずいとわかったら元に戻す〟でいいではありませんか。
それを〝一度言い出したからには間違ったなんて口が裂けても認めるわけにはいかない〟と言って突っ張るから問題はややこしくなるんです。軽率な判断の結果ならいざ知らず、それなりに考えて得られた結論であれば、とにかくやってみましょうよ。自分でも判断や行動が誤っていたことを十分に承知していながら、それを認めようとしない。人間という生き物はやっかいな本性を背負っているんですねえ。これも生存競争の中で生き延びてきた人類の遺伝子に刻み込まれているものなのでしょうか。それに本人がそれほど防衛的になるのは、そうした失敗をした際に責めまくる人たちがいるからでしょう。意見の不一致があることは当然です。むしろ人々の考え方が一方に偏っている方が危険です。しかしそれはそうとして、チャレンジをして失敗したときには、周りも〝また元に引き返しましょう〟とバックアップしてほしいものです。 |
予定通りのご到着! 2012/08/14 (火)3509
佐賀駅で多くの乗客が降りているのですが、何せ2時間ほど遅れている特急です。この間に走っていないものを利用するはずだった人たちもいるでしょう。つまりは特急3本分ほどのお客が乗っているわけです。そんなことから座席は容易に空きそうにありません。ただ少し早く降車客が切れそうな気配がした前方の車両に行くと、すぐに乗車できました。そこは指定席の車両でしたが3席ほど空いています。デッキや通路に立っている人はいるのですが、座ろうとしません。おそらく自由席の切符で乗車している人たちだと思いました。じつはその特急ではありませんが、私は熊本を出るとき指定席をとっていました。そこで、車掌さんが巡回してきたら説明すればいいと考えて、空いている席の一つに座ることにしました。
しかし、それで〝めでたし、めでたし〟とはいきません。指定券を持っているとはいえ特急違いですから何とも落ち着かない気分ではありました。ただ、私としてはこうした気持ちは大事にしたいと思います。つまりは〝これっていいのかなあ〟と自分の行為を振り返る心性です。〝そんなもん当たり前じゃんか〟などと居直ったりするのは好ましくないでしょう。世の中にそんな人たちが増えれば、厚かましい人間が得をすることになります…。まあ格好いいことを言っていますがともあれ私は佐賀駅から座ることができたのでした。そして目的地の諫早には当初予定したのとほとんど同じ時刻に着いたのです。新鳥栖駅に遅れてきた電車は目的の特急よりも30分ほど早く発車しました。しかし途中のノロノロ運転などで、諫早にはその分だけ遅れてしまったんです。これって〝めでたし、めでたし〟なんでしょうか。ここは〝私は運がいいのだ〟と考えておきましょう。 |
佐賀駅到着! 2012/08/13 (月)3508
新鳥栖から2時間ほど遅れてやってきた超満員の特急に乗ったところまでは〝運がよかった〟と言うべきでしょう。その時点では大幅な遅延の理由は確認できていませんでしたが、とにかく〝その後の運行はめどが立たない〟という状況で、たまたまホームに滑り込んできた列車に乗られたのですから。ところが、通常なら10分ちょっとしかかからない佐賀までの道のりが大いなる試練でした。佐賀方面が豪雨のため徐行するというのです。この車内放送で、遅延の理由が大雨であることを確認したわけです。それにしてもギュウギュウ詰め、蒸し蒸しのドア際で体を支えるのは老人には楽ではございませんでしたね。しかしここは耐えるしかないわけです。
それでもノロノロながらとにかく電車は新鳥栖から40分ほどかかってついには佐賀駅に到着したんですね。私はドアにくっついていますから佐賀駅では一番にホームへ降ります。するとお客さんたちがドンドン電車から吹き出されるように出てきました。それもなかなか終わりません。ふと前の車両を見るとそちらは降車客がそんなに多くない感じです。これは車両と駅の階段の位置関係などから微妙に違いが出ます。たとえば一番前の車両の出口は駅の階段とは反対方向になるケースが多いため同じ車両でも後方のドアの方に人は集まりやすい傾向があります。これが鹿児島中央駅や長崎駅、そうそう門司港駅もそうですが、到着した列車の前方に改札口があるところでは、先頭の出口から降りる人もけっこういるわけです。ただし、そんなこと言っていますが、これはちゃんとしたデータをとったわけではなく、私の単なる〝推測〟にすぎません。しかし、駅の構造を知っている通勤客などはこうした行動をとると思うんですよね。 |
息を切らせて… 2012/08/12(日)3507
すでに20時を過ぎているのに18時台の電車が出ていない。その掲示に気づいた瞬間に駅員さんから〝いま入ったばかりの特急に乗ってください〟と言われました。私は反射的に階段を駈け上っていきました。けっこう重い荷物もあって息が切れます。これは60過ぎの老人の体にはかなりの負担です。しかしそんなことも言っていられない危機的な状況のようではありませんか。これについては少しばかりいやな予感はありました。その日は佐賀地方で大雨が降っていたようでした。それが影響しているのかもしれません。ただ博多駅からやってくる電車が遅れることは頭にありませんでした。それに熊本駅で〝かもめ〟の指定席を取る際は何ともスムースだったのです。そのときすでに19時を過ぎていましたが私が乗る電車よりも1時間ほどはやく博多駅を出発する電車はまだ出ていなかったことになります。しかし熊本駅ではそうした事情について知らされることはありませんでした。そして新鳥栖駅では〝あとの列車については目処が立っていません〟と言われたわけです。
さて息を切らせながらホームに降りたのですが、とにかく乗客が多くて電車はあふれそうです。私は最も遅く駆けつけたので背中を向けながら、やっとのことで乗り込みました。これで無事に電車には乗れましたが、それからが老人にとっては地獄の体験でした。満員で蒸し暑く、手を電車のドアに押しつけないと顔までくっついてしまう。まるで東京の通勤電車並なんです。それでも電車がちゃんと走ってくれれば新鳥栖と佐賀は12分程度で着きます。佐賀までは通勤で使っている人も多いようで、ここまで来るとドッと人が降ります。そう思うと試練に耐えられるのですが、人生はそう甘くはないんです。 |
余裕の乗り換え… 2012/08/11(土)3506
さて、新幹線〝さくら〟は熊本を3分ほど遅れて発車したのですが新鳥栖に到着したときは遅れが1分に縮まっていました。この列車は熊本を出ると新鳥栖に止まるわけです。つまりは89.8㎞の距離でさらに2分は速く走れるということになります。現在、熊本から博多までの時間は最速の〝みずほ〟で33分です。おそらく少しずつ速くなって、そのうち20分台になるのではないかと期待しています。
さてそれはおいといて、新鳥栖から長崎線の〝かもめ〟に乗り換えるまで40分近くあります。そこではじめは待合室で仕事をしようと思っていました。ところが自宅を出る際に関東に住んでいる従弟から電話があったのです。熊本の水害のニュースを見て、大丈夫かと心配してくれたのです。その中で叔母さんのことが話題になりました。このごろ連絡を取っていなかったのですが、元気だとのことでした。そのときはそれで電話を切ったのですが、新鳥栖で時間があるので電話をしたのです。話した時間は10分にも達しなかったと思いますが、ともあれ元気な声を聞いて安心しました。そうこうしているうちに8時を少し回ったのです。まだ待ち時間は20分ほどあります。それでも改札口くらいには行ってみようかと思いながら、その方向へ歩いて行きました。ここで大いに驚いてしまいました。なんと改札口の上の掲示板には18時19分発の〝かもめ〟が表示されているではありませんか。すでに20時を過ぎているのに18時台の列車が来ていないのです。〝なんだこりゃあ〟と思ったとき、駅員の方の声が聞こえました。〝どちらまで行かれるんですか〟。〝諫早までです〟〝あっ、それじゃあたったいま入った特急に乗ってください。そのあとの目処は立っていませんので〟。 |
〝さくら〟好み 2012/08/10(金)3505
各停の〝つばめ〟だと新幹線に乗った気分がしない。その点、〝さくら〟なら博多までの停車駅は1つか2つになります。ついでながら〝みずほ〟は博多までノンストップなのですが何分にも本数が少ないんです。それに今回は諫早に行きますから新鳥栖には止まってもらわないと困るわけです。そんなわけで、ネットで推奨されていた19時32分発の〝つばめ〟ではなく〝さくら〟に乗ることにしました。それは熊本駅を19時25分に発車します。各停の〝つばめ〟よりも速い〝さくら〟が7分早く熊本を出るのです。したがって新鳥栖には19時48分に着いてしまうんです。その結果、長崎線の〝かもめ〟が発車する20時25分まで37分も待つことになります。〝つばめ〟だと18分待ちですから、かなり長い時間を新鳥栖で過ごさなければならないのです。
しかし人間はいつも合理的な行動をとるわけではありません。〝とにかく89.8Kmの間に4つも止まるのはかなわない〟。そんな気持ちが待ち時間の長い方を選択させるのです。それに新鳥栖にもきれいな待合室があります。そこでPCでもいじっていれば、37分なんてあっという間に過ぎていきます。というわけで、私は何の迷いもなく〝さくら〟を選択しました。そして〝かもめ〟の指定席も確保してゆったり諫早へ向かうことにしたのです。博多から佐賀までは〝かもめ〟を利用する通勤の人たちが多く、この時間帯は自由席が厳しいのです。特急だと新鳥栖から12分で佐賀に到着します。そして佐賀駅でお客さんがドッと降りて自由席も楽になります。ですから、仮に新鳥栖では混雑していてもちょっとだけ立っていれば佐賀では無事に座れるのです。しかし、私も60代、そこがまた気持ちの問題になるんです。 |
敬遠の〝つばめ〟 2012/08/09(木)3504
人生では60年以上も生きているといろんな体験をします。常磐線の人身事故で予定していた特急の運行の目処が立たず、鈍行に飛び乗った。そんな体験をしたのは7月はじめでした。あのときは、途中の駅で運行を再開した特急に乗ることができました。それは最初に乗ることにしていた電車ではありませんでした。それより1時間ほど早く発車する列車でした。ところが、それがちょうど1時間遅れていたため、もともと予定していた時刻とかわらない時間に上野駅へ到着したのです。そして、〝いろいろあった〟けれど、〝何もなかった〟かのように熊本まで帰り着いたというわけです。これはおもしろい体験でした。
それからしばらくしてからのことです。今度は諫早に行くことになりました。このルートの場合は新幹線で新鳥栖駅まで行き、そこで博多からやってくる特急に乗り換えます。仕事を終えて夜になってから移動します。そこで19時台の電車をネットで検索すると、19時32分に熊本を出る〝つばめ〟と連絡していました。これだと新鳥栖に20時07分に着き、20時25分の〝かもめ〟と繋がりますので待ち時間は18分です。もう少し短いともっといいのですが、まあ順当なところでしょう。しかし私としては〝つばめ〟は可能な限り敬遠したいのです。その理由は単純明快で〝つばめ〟は各駅に停車するからです。熊本から新鳥栖までの距離は89.8Kmなのですが、その間に新玉名・新大牟田・筑後船小屋・久留米と4つの駅に止まるのです。在来線時代の特急だって、速いものは熊本を出ると大牟田と久留米に停車してその次は鳥栖だったのです。そんな比較をしても仕方ないのではありますが、とにかくよほどの理由がない限り、〝各停〟には乗りたくないわけです。 |
マニュアル問題(44) 2012/08/08(水)3503
それにしても〝時間〟と〝人員〟の不足は深刻さを増しています。それが、〝時間に追われていたり、人手がなかったりでマニュアル通りにできないことがある〟という声として出てくるわけです。もちろんこの両者は互いに関連しているのですが、とにかく状況は厳しくなるばかりです。これまでも基本的には競争社会ではあったのでしょうが、経済のグローバル化はこうした状態に拍車をかけているのです。それにしても。いつまでたっても〝成長〟というキーワードが強調されています。しかし地球上のすべての人類が〝成長し続ける〟とどうなるのか。あるいはそんなことが可能なのかどうか、はっきりした展望がもてないままに時間だけが経過しているような気がします。
ともあれ、そうしたことから個別的には、〝夜勤などで睡眠や休息の時間がなくなる〟からマニュアルが守られない〟という切実な訴えも出てきます。やはり〝時間がない〟ことが大きな理由になっているわけです。この回答者の場合、通常の業務に夜勤が含まれる職場に勤めているのです。工場や病院など夜勤を求められる職場は少なくありません。そうした職場では睡眠や休息時間をうまく取ることが容易ではありません。いわゆる体内時計にも狂いが生じてきます。そのような状況下では、日勤のみの仕事と比較すれば心身ともに疲労が蓄積していく。自分の体調管理に配慮することは個々人の責任ではあるのでしょうが、そうは言っても仕事によってはそれが十分にできないわけです。そんな状況でマニュアルを守れと言われても〝ついつい手を抜いてしまう〟というのが本音なのでしょう。そして〝自分でもこれでよく事故を起こさないものだと思います〟といった背筋が寒くなる声が聞こえてくるのです。 |
マニュアル問題(43) 2012/08/07(火)3502 continued from 07/16
また久しぶりに〝規則やマニュアルが守られない理由〟に目を向けてみましょう。〝とにかく時間がない〟という時間の制約を訴える声はあらゆる組織に共通しているようです。これに〝人手が足りない〟といった事由も頻繁に挙げられます。これらに対して〝これで絶対〟といった魔法の解決策などはありません。組織のトップはもちろん、すべての構成員がこうした課題があることをいつも頭に入れて、少しでも改善する手立てをとり続けていくしかないわけです。これに対して〝状況が厳しいから仕方がない〟とあきらめてしまえばそれでおしまいです。そう考えた時点で〝思考停止〟になってしまいます。
いつも〝いいアイディア〟が浮かんだらそれを気軽に出せる。そうした許容的な雰囲気が職場に求められます。さらに、それをとにかく実践してみようとする前向きの対応が大いに期待されるわけです。〝言いたいことが言えない〟〝言っても聞いてくれない〟。みんながこうした気分でいる限り、前向きのアイディアが出てくるなんて考えられません。そして、ここでも管理職をはじめとした責任者たちのリーダーシップが大事な役割を果たすことになります。〝すべてのアイディアや意見〟を活かすことはできないでしょう。しかし、ともあれリーダーがそれらを受け入れて〝試して〟みることです。はじめから〝それは無理だ〟などと否定的な反応をしていては、せっかくのチャンスを失ってしまいます。もちろんその際には、リーダーには決断の責任を取る覚悟が求められます。その上で、〝いいと思った〟ことは〝とにかくやってみる〟というチャレンジ精神がまずは必要なんですね。
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理論の普遍性 2012/08/06(月)3501
いまやサービスの時代です。大学も社会のお役に立つために積極的な活動をすることが期待されています。そもそも私が仕事にしているグループ・ダイナミックスは〝社会における実践〟を最も大事にしています。創始者のクルト・レビンは〝よい理論ほど実践的なものはない〟と主張しました。それは〝実践的でなければ理論ではない〟という意味でもあります。もっとはっきり言えば、〝実践的でなければ理論なんていらない〟ということです。あるワイドショーを見ていたら、消費税に関して二人の経済学者が正反対のことを言っていました。一人は慶応大学の教授で〝いま消費税を上げないとわが国は崩壊する〟という意見です。これに対して早稲田の教授は〝デフレの中で消費税を上げて成功したことはこれまで一度たりともない〟と主張していました。これってどちらが正しいのでしょうか。
もちろん、物事に対しては多様な意見があることが大事です。しかし、なんと言っても経済学者なのです。私たちのような素人が〝消費税を上げた方がいい〟とか〝いや上げない方がいい〟と、いわば感情も交えながら〝意見〟を言うのとは違うはずです。そこには、その発言を裏付ける〝理論〟があるべきなのです。この前、中国が宇宙船を発射して宇宙ステーションとのドッキングに成功しました。北朝鮮も衛星という名のミサイル発射を試みています。それらのベースには自然科学の理論があります。私はその詳しい内容なんて知りませんが、社会制度などとは関係なく〝万国共通〟というよりは〝宇宙全体に当てはまる普遍的〟な理論を基礎にしているのです。そもそも〝普遍的〟を意味する英語は〝universal〟なんですね。文字通り〝宇宙的な規模〟で適用できる理論があるのです。 |
〝ことば〟の魔力 2012/08/05(日)3500
ツイッターでオリンピックに出られなくなったギリシャの陸上選手がオリンピック選手に期待されているものについてまったく無知だったとは考えられません。おそらく〝軽い冗談〟だと思ったのだと想像します。しかし私たちは人間にしか操ることのできない〝ことば〟がもっている途方もない力を知っておかないといけません。〝ことば〟は〝人の真心を伝え、真実を伝える〟点で〝人間理解、最強の道具〟であることは疑いありません。けれども誰もが承知しているように、それは同時に人を傷つけることもあるのです。したがって〝ことば〟は〝人間誤解、最悪の凶器〟になる悪魔のような性質をもっていることもしっかり自覚しておかなければなりません。ときには〝ことば〟は〝凶器〟以上に人を傷つけ取り返しのつかないダメージを与えます。ですから、〝ことば〟の意味を〝自分の基準〟だけで評価してはまずいのです。
これはことばに限ったことではありません。〝自分がされたくないことをしてはいけない〟といいます。〝ことば〟も同じことです。まずは〝自分が言われたくないことを人には言わない〟。これが大前提です。それでは〝自分が言われても平気なこと〟なら人に言ってもいいのでしょうか。それも正しい判断とはいえません。なぜなら〝自分は平気〟なことが〝相手も平気なこと〟であるかどうかわからないからです。〝こんなことを言われたら気にする人がいるかもしれないなあ〟。そんな推測が少しでもできるようなら、それは〝言ってはいけない〟ことなのです。私たちは朝から晩まで〝ことば〟を使って生活しています。そのなかで気づかないうちに人を傷つけているかもしれない。そんな気持ちを忘れないで〝楽しいことば生活〟を送りたいですね。 |
| 明日(8月5日)は 8時から13時まで保守点検のためホームページが閲覧できなくなります。 |
一億総パパラッチ 2012/08/04(土)3499
ショッピングセンターで本を読んでいたら、声もかけもせずカメラをこちらに向けてシャッターを切ろうとしている。その雰囲気から察するに、お店の人か業者の人です。私が被写体でないことはわかっていましたが、私が入ってしまうことは明らかでした。こちらも万引きなど後ろめたいことをしているわけではありませんが、とにかく驚きました。そこで私は〝ちょっと、ちょっと、勝手に写しちゃあダメですよ〟と反射的に反応しました。先方は〝ああ、すみません〟と言ってシャッターを押すのをやめましたが、一言の断りもないのですから参ってしまいました。
いまやデジカメの時代で、携帯電話にもカメラが装着されています。そんなことからいつでもどこでも写真が撮れるんですね。そこで何でもかんでも写そうとする。そこに他人が写り込もうと相手のことなんかおかまいなしです。もっとも観光地など大勢の人がいるときは、完全に他人を除いた写真を撮ることはむずかしいのですが…。これまで人間は道具をつくり、生活のなかで活用してきました。それはそれでいいのですが、気づいてみれば人間の方が道具に使われている。これでは本末転倒です。このごろの情報機器の発達はそうした傾向をさらに強めているようです。いつでも簡単に写せるから反射的にカメラを向けてしまう。それが相手に与える影響なんて考えない。そもそも人間には〝野次馬〟心理が備わっていますから、いまや一億総パパラッチといった様相を呈してきました。やれやれと嘆かざるをえません。ところでツイッターの〝失言〟によってオリンピックに出られなくなったギリシャの選手は取り返しのつかない苦すぎる体験をしたわけです。本人は〝軽いジョーク〟のつもりだったのかもしれません。 |
お誘いはお断りでーす! 2012/08/03(金)3498
私って顔を見たこともないような不特定多数の人たちと単純に繋がることに抵抗を感じるんです。まあ生来の〝引っ込み思案(?)〟なのかもしれません。そんなわけで、友人から来たFacebookへのお誘いメールには反応せずにいました。私としてはわざわざ〝そんな気はないので誘わないでよ〟と言うこともないと考えたわけです。じつはご本人と私は友人ではありますが、先方からいただく年賀状にご返事するくらいの関係なのです。そんなわけで、言ってみればメールを放置していたわけです。ところがその後も繰り返し〝お誘い〟が送られてくるんです。もちろん私の考えは変わりませんから、毎回〝無視〟し続けていました。さすがに反応がないのであきらめられたのでしょう。あわせて4、5回になったくらいのところで止まりました。ご本人としては楽しい仲間の輪を広げようと思われた違いありません。しかし、私としては、いわゆるソーシャルネットワークなるものに何かしらの胡散臭さを感じるわけです。そんなわけで、これからいつまで経ってもFacebookなどに対する壁を取り払うことはないでしょう。
そういえば先日こんなことがありました。あるショッピングセンターで家内が買い物をする間、店内のベンチに座って本を読んでいました。そのうちお店のスタッフと出入りの業者とおぼしき人が近くに来てなにやら話を始めました。そのことは別にどうということもありません。ところが、そのうちの一人がいきなりこちらにカメラを向けたではありませんか。もちろん私を被写体にしたのではありません。店内の一角を何らかの目的で撮影する必要ができたのです。それはそうでしょうが、人の許可も受けずに写真を撮ろうなんて言語道断ではありませんか。 |
ツイッター 2012/08/02(木)3497
ギリシャからオリンピックへの参加が決まっていた三段跳びの女子選手が出場できなくなりました。このニュースはフランスに滞在中のテレビで知りました。大きなトピックとしてけっこう繰り返し流されていたのです。ツイッターというのがあって、数年前から有名人のそれが話題になったりしていました。このツイッターで差別的な発言をしたことが出場停止の理由でした。あっという間に〝発信内容〟が広がって社会的な問題になったようです。英語のtwitterとは〝小鳥のさえずり〟とか〝おしゃべり〟といった意味ですが、いわゆる〝ツイッター〟というのは、140文字内でそのときどきのことを〝ささやく〟仕組みらしいのです。いわば〝実況中継〟的に自分の状況や気持ちを伝えることができるわけで、けっこうはやっているようです。
いわゆる〝ソーシャルネットワーク〟と呼ばれるサービスなんですね。それはそれでけっこうなのですが、私自信は〝いま真っ最中のこと〟や〝たったいま考えていること〟なんてものをいちいち人に知らせるなんで限りなく面倒くさいと思います。それに〝いま考えていること〟も次の瞬間には〝ころっと変わったりする〟んです。そうなると〝また変わっちゃった〟ことを永遠に送り続けないといけなくなる。そんなのって、私にはとても考えられません。私はかなりの粘着質ですが、それと同時に相当に面倒くさがり屋でもあるのです。そうですね、もう2ヶ月ほど前になしますか、私の知り合いからメールが届きました。正確な文面は記憶にないのですが、〝〇〇さんからお誘いです〟といったような文章がついていました。どうも、いまはやりのFacebookというのですか、それに加わってやりとりしないかという趣旨のようでした。 |
〝冷静〟で〝客観的〟な目で… 2012/08/01(水)3496 continued from 07/31
きちんと生きていくためには事実を冷静に判断することが肝要です。その点では、〝日本製品は強いと思い続けていたが、アジア企業に追いつかれている〟と気づくのが10年は遅いと思います。少なくとも〝プロ〟としては。そしてここに至っても〝それでも液晶は日本製の方がきれいだ〟という人がいました。そのことを実証する客観的な指標があるのかどうか知りません。しかしその認識は正しくないと思います。それこそ、あのパナソニック系の社長さんがおっしゃるように〝日本はガラパゴス。居心地が良いだけに世界が見えなくなる〟というものです。まずは〝現実〟を〝冷静〟に〝客観的〟に見極めることです。しかも私は人間は厳密な意味での〝冷静〟かつ〝客観的〟な見方はできないと思っています。だから、とにかくそのように努力するしかないのです。
ここでかつてのVTR戦争を思い出しました。とにかく世界初を焦ったソニーが30分のベータマックスを発売しました。これに対して1年ほどでしたか遅れて登場したのがビクターのVHSでした。いきなり2時間録画、しかも画質は落ちるものの6時間までOKという代物です。テレビで映画劇場が視聴率を稼ぎはじめたころだったと思います。それが録画できなければ意味がなかったのです。当然の結果としてVHSがベータを圧倒しはじめました。そんなとき、素人の間にすら〝画質はベータの方が上だ〟と言う人がそこここにいたのです。それは純粋な技術的視点からは正しかったのかもしれません。しかし、2時間と30分では勝負は目に見えていました。それからソニーはベータⅡだのⅢだのと必死に録画時間の延長化を図りましたが、ときはすでに遅しだったのです。これは日本国内の話だったのですが…。 |
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