吉田道雄 YOSHIDA, Michio
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味な話の素
Since 2003/04/29

 No 110  2012年06月号 (3434-3463)
インフレ・プロジェクト 2012/06/30(土)3463
 
いまはデフレの時代です。ただし玄人筋に言わせれば〝需給ギャップ〟が問題であって正しくは〝デフレ〟ではないんだそうです。このあたり、経済のプロの世界の話のようですが、素人にはまったくわかりません。そんなことはどっちだっていいのでちゃんとした解決策を提示してよといいたいところです。物価低落が続くので〝インフレ目標〟なるものを設定しようという話も聞きます。それで日銀も低利でお金をジャンジャン市場に出そうとしているのですがそれが思ったようには回らないんですね。何のことはないハイレベルの数式なんぞを駆使するのはいいけど、実際の経済は一向に好転しないじゃないですか。これって人の心も考えずに理屈を捏ねているからうまくいかなんです。とにかく〝うまくいかない〟のですから役に立っていないんです。その点だけはしっかり〝実証〟されているんですわ。
 そんな〝反省〟もあってでしょうか、古い経済学を見限った〝行動経済学〟なんぞも出てきているわけです。まあ入門書を除いただけですが、これってもう社会心理学そのものですよ。ということでまんまと私の仕事である心理学をアピールしたところでまずはおしまいにしときましょう。いずれにしても経済ではデフレだけでなくインフレも困るのですが、その一方で〝笑いのインフレ〟は人の心にプラスになること請け合いです。私はずいぶん昔から〝スマイルのインフレ〟プロジェクトを提唱してきました。いまこそこれを推し進めるべきだと思います。こちらのインフレは〝利率〟もいいですから、職場のなかでドンドン増えていきます。いずれにしても私たちが明るく楽しい毎日を送るためには〝笑い〟が欠かせません。〝落語〟はそれに貢献する伝統芸能なのではありませんか。
  
日本文化を守るため… 2012/06/29(金)3462
 
いくら日本の歴史と文化に貢献すると言っても〝日本映画〟だけ〝軽減税率〟を適用すると大変なことになるでしょう。海外、とりわけアメリカから〝とんでもない貿易障壁づくりだ〟と猛攻撃を受けるに違いありません。それに外国映画だってそれぞれの国の文化や思想を伝えてくれます。グローバル化の今日、異文化を知ることそのものが日本文化にとってもプラスになるはずですよね。そうだそうだ、それなら邦画も外国映画も〝みぃーんな軽減税率適用〟といきましょう。
 さて話は昨年のことになります、私は生まれてはじめて歌舞伎を観に博多座へ行きました。その日はけっこう奮発していい席を取っていたのですが、じつに迫力満点で時間が経つのを忘れて大いに楽しみました。その感動に余勢を駆って、夜の2階席が空いていると聞いてもう一本追加して観たほどでした。歌舞伎が日本の伝統文化であり、いつまでも残しておくべき演芸であることには異論がないでしょう。ときおりアメリカやヨーロッパまで出て行って興行して好評を得ているようですね。そうです。歌舞伎だって文句なしで〝日本の伝統と文化〟を世界に発信する大事な芸術なのです。そんなわけで歌舞伎の入場料も当然のことながら〝消費税は軽減〟ということになりますよね。
 〝おいおい、あんた忘れてるもんがあるんじゃないかい〟。そんな声が聞こえてきました。ふと振り返ると落語会の重鎮たちが珍しく厳しい顔をしてこちらを睨んでいるではありませんか。いやあまことに申し訳ございません。庶民の文化として〝寄席〟を無視しては天罰が当たりますわいな。とりわけ暗い雲がどんよりと停滞している今のような時代こそ〝笑い〟がないといけません。私は〝笑いのインフレ〟を提唱しているんです。
 
文化と民主主義と… 2012/06/28(木)3461
 
ともあれ消費税率アップの法案が国会を通る前から、超党派で新聞に〝軽減税率〟を適用するよう求めたという記事が目に留まったんです。もちろん記事になっているのだから水面下ではないのですが、あくまで法的には消費税アップが〝決まっていない〟のに早くも蠢きはじめましたねという感じがしたわけです。すみません、ここでは〝うごめき〟ではなくてどうしても漢字で〝蠢き〟と書きたかったんです。なあんか〝イモムシ〟が這いながら少しずつ進んでいく感じが出るんですよね。しかもどことなくアッケラカンとした明るさよりも陰鬱なイメージをともなっているからたまりませーん。
 それで思ったのですが、これからはあっちからもこっちからも〝もっともな理由〟をつけて〝税率を軽減しろ〟という大合唱が聞こえてくるんでしょうね。その先鞭を付けたのが新聞社さんというのはさすがに〝スピーディかつアクティブだなあ〟と感動しました。ただし、〝それはあんたが知らないだけ。他の業界や団体だって同じような動きをしてるのよ〟とおしかりを受けるかもしれません。これは私の情報取得能力の低さの故ですのでご容赦ください。ともあれ、素人である私の〝主観〟では、これから軽減税率適用のアピールがドンドン出てくるだろうと予想したわけです。たしかに〝日本の文化と民主主義の基盤〟は守らなければなりません。そのためには様々なサポートが必要で、税の軽減なんてケチな話ではなく積極的に税金を投入して補助すべきでしょうが…?ところで、私の大好きな映画も日本文化に寄与してますよね。となると映画館の入場料も軽減税制を適用すべきものに違いありません。うーん、外国威映画の場合は除外しますか。それってなんとも面倒くさいですね。
 
超党派の宣言 2012/06/27(水)3460
 
政治家たちの間にはそんな恐怖心が感から政治家は〝増税の前にすることがある〟と言い続けてきましたし、これからもそうでしょう。もちろん〝増税のあとにもするべきことは永遠にあり続ける〟のですが、とにかく〝増税〟には少しばかり〝反対の雰囲気〟を出していた方が安全だと思っていらっしゃるんでしょうねえ。そんなことで〝いま決めてもらえればあとが楽だ〟というのが本音の皆さんが多いのではないか。そんな邪推をしていますよ。
 さてさて、この話は超党派の議員の皆さんと新聞協会長さんたちが〝新聞の購読料には消費税の軽減税率適用を〟と断固たるアピールをされたという記事からはじまったんでしたね。とにかく〝新聞が日本の文化と民主主義の発展に寄与している〟という自負心あふれるアピールなのです。〝日本文化と民主主義〟と言われては〝そりゃあ当然だ〟と言うしかありません。これはもう〝黄門様の印籠〟に勝るとも劣らない〝説得力〟ではございませんか。しかも〝主要国の多くが新聞に税制上の配慮をしている〟らしいのです。ところで、ここで〝主要国〟とはどんな国なのか、また〝多く〟とは具体的にどのくらいなのかはわかりません。このあたりも〝自信をもって支持〟するためには数値がほしいですね。ついでに〝主要国〟には定価販売を義務づけた〝再販制度〟は適用されているのでしょうか。私たちは自分に有利な情報は〝他でもしている〟と言って強調し、都合の悪いことは意識的に触れないといった傾向があります。私はこれも〝よりよく生きるため〟〝生き抜くため〟の知恵だとは思います。ただ個人ではなく新聞などの公的な影響力のあるところは、可能な限りプラスとマイナスの両面から情報を伝えてほしいと願うわけです。
政治家の神経 2012/06/26(火)3459
 
〝総理大臣を辞めたら国会議員も退く〟。そんなカッコいいことをおっしゃっていたお方がまだ政局がらみのご発言をされていますね。私もだんだん年を取って物忘れの度合いについてはかなりの自慢ができると〝自慢〟しています。とまあ、文章までおかしくなってきたのですが、それでもあの方にはとてもかないません。それどころか、あの方の言動を見ていると〝私なんぞはまだ大丈夫かもしれない〟なんて妙な自信すらもてるようになりました。あらゆる側面から自分が政治家になれないことは知っています。まずは〝自分が公言したこと〟を完璧に〝忘れたかのような〟行動を取れないことの1点だけでも政治家に不適だといえますよね。もちろん本当に忘れられているはずはありません。あくまで〝忘れたかのように振る舞う〟能力がポイントなのです。もっともこの点は私だけが自慢すべきことではないでしょう。まともな神経の持ち主であるほとんどの庶民は政治家に求められる〝徳性〟、いやいや〝特性〟を備えていませんよね。まさに〝特製〟の神経でなければできない職業なのでしょう。
 ところで〝消費税アップ〟の件ですが、〝本当に反対だと信じている〟政治家の皆さんは別にして、内心では今の状況にニンマリしている方々がけっこういらっしゃるのではないでしょうか。今回の法律は衆議院を通りそうですね。これからそれなりの時間が経過して、野田氏がわが国にとって最善の決断をしたと評価されるか、あるいは国を壊す最悪の決定をした政治家だと非難されるか。その点は歴史が証明してくれるはずです。ともあれ、まともな選挙で〝増税〟を宣言すると負けるに決まってる。そんな恐怖心から誰もが増税は口に出さないあるいは反対の姿勢を見せるわけです。
流行(はやり)〝超党派〟 2012/06/25(月)3458
 
先週、熊本日日新聞に載った〝小さな記事〟が目に留まった。4面最下段25行ほどのスペースだから見過ごした人もいたのではないか。その見出しは〝新聞への消費税率上げ反対〟である。超党派の国会議員でつくる「活字文化議員連盟」というものがあるらしい。会長は民主党の山岡賢次前国家公安委員長だそうだが、そこが20日の会合で声明を発表した。曰く〝日本の文化と民主主義の基盤を守るため、新聞および出版物の消費税率引き上げには断固として反対し、現行税率の維持を求める〟。会合には日本新聞協会長の秋山耿太郎朝日新聞社長らが出席したという。
 何といっても〝超党派〟だからすばらしい結束ぶりである。もっとも最近では党を超えて国会で一致した行動を取るのがはやりはじめた。むしろ同じ党のなかで行動が違うのが最先端の流行のようでもある。だから、〝超党派で意見が一致するとはすばらしい〟なんて妙に感動しない方がいいのかもしれない。ことがそこまで達しても、党の責任者さんはまだ〝党を割らないことが大事〟なんておっしゃってるようだ。しっかりした感覚の持ち主のようだから、現実を読めていないなんてことは考えられない。ともあれ〝建前的発言〟はせざるを得ないのだろうが、何とも苦しいですねえ。どうでしょう。多くの国民は〝ドンドン割ってちょうだい〟と思っているんじゃないでしょうか。これからの日本の将来に責任の負えない人が〝お国のため〟なんて考えない方がいいです。それどころか、こんな日本にしてしまった責任さえ取ってないですもんね。お若い人たち、いや中年の方々はもっと自分たちの責任で何とかしようと張り切ってください。過去の人についていくのではなくあなた方がリーダーシップをとりましょうよ。
 
蓄え〝ゼロ〟の経済学? 2012/06/24(日)3457
 
海外の投資家が保有している国債が76兆円。これは投機的な理由もあるので変動するのでしょう。しかしそれが減っていく可能性はむしろ少ないのではないですか。私たち団塊の世代がどんどんリタイアしています。私も来年は65歳で〝高齢者〟の仲間入りをするわけです。この人たちは預金を取り崩しますし、生命保険だって契約が続いている人も〝引き出す〟一方になります。そうなると銀行や生命保険会社の資産が減りますよね。国債は機関投資家が買っている。そんな記事をずっと見てきましたが、生命保険会社などはその代表だったと思います。これから先、そうしたところが国債を売らざるをえなくなる。そのくらいは素人だって推測できるんです。これから国債を国内で消化しにくくなるのは目に見えているでしょう。
 そんな状況での
76兆円ですよ。国の予算が90兆円ほどなのですから、それに近い額の国債が海外の投資家に渡っているわけです。それでも〝国債は国内で消化しているから大丈夫〟と言い続けるのですか。まだ〝まずは景気回復が先だ〟なんでしょうか。あまりのワンパターぶりに〝ホンマかいな〟と疑うことにすら疲れてきましたよ。素人の素朴な疑問にうんざりですか。少なくとも経済のプロを自認するのなら〝放言〟だけはやめてください。人心を惑わさないでください。〝私には100万円の借金があります。でも貯金だって100万円してるんです。だから急に100万円を返せって言われても大丈夫です。だって貯金を引き出せばいいのですから…〟。たしかにその通りです。そうすれば他人に迷惑をかけることもありません。そのかわり蓄えは〝ゼロ〟ってことですよね。〝国債は国内で消化しているから大丈夫〟ってのは、こんな意味なのでしょうか。
 
うんざり〝ご託宣〟 2012/06/23(土)3456
 
経済プロの皆さんを〝怪しげな予言者〟と同じだと言えば、しっかり怒られるでしょうね。けれども私は自分が〝裸の王様〟に登場する〝こども〟だとは思いませんが、これまで取り上げた〝単純な質問〟にもお答えになっていないんじゃないですか。そもそも〝赤字国債〟を出すことは〝財政法〟に違反する行為なのです。〝やっちゃあいけない〟んです。それはそうでしょう。国民の健康な生活と安全を保証するためにある国が借金で運営されてはいけないのです。赤字国債に手を出す。つまりは将来のためではなく足りない分を国債という借金でカバーしようとしたとき、〝麻薬に手を出すことになる〟と大蔵省の人が言ったそうです。その後の結果は心配した通りになりました。ついには国の財政の半分を国債に頼ることろにまで追い込まれてしまったのです。
 それでもプロの皆さんの〝自信満々〟の〝お託宣〟、いや失礼しました〝解説〟の大合唱が聞こえてきます。〝わが国は外国と違って国債を国内で消化している。だからギリシャみたいにならないのよ…〟。たしかに外から〝耳をそろえて借金を返せ〟と責められることはないのでしょう。しかし〝国内で消化している〟ということ自身がどのくらい正しいのでしょうか。ほんの数日前ですが、日銀が国債に関する情報を提供していましたね。それによれば、
2011年度末で海外投資家が保有していた国債の残高は8.3%に達したというではありませんか。金額になおすと76兆円にもなるんだそうですよ。それでもまだ〝そんなもん、国債残高全体の900兆円から見れば鼻クソ程度よ〟なんて笑っていていいのですか。そもそも900兆円もの借金が異常なんでしょうが。それと比較したパーセントなんかが問題じゃあないはずです。
屁理屈お断り 2012/06/22(金)3455
 
〝戦後最長の景気回復〟を体験していたにもかかわらず、財政は厳しくなるばかりでした。たしかにバブル時代に破綻した金融機関を助けるために出した国のお金は十分に返済されたようです。そのことについてはこのコラムでも書きました。税金を支出するときには大騒ぎするのに、ちゃんと戻った際には話題にしない。どうも情報は公平に伝わらないような気がします。そんなわけで蟻の穴ほどではありますが、一時的には財政再建のチャンスがあったのかもしれません。そのときプロの皆さんはどんなことをおっしゃってたんでしょうね。そんなときでも〝財政出動〟だの〝景気をよくするのが先だ〟なんてかけ声ばかりが聞こえていたような記憶しかないのですがいかがですか。あるいは〝あれでは景気がよくなったとは言えない〟のでしょうか。
 それならそれで皆さんが絶叫している〝景気がよくなる〟とは一体全体どんなものを言うのでしょう。うさんくさい予言者が怪しげな予言をします。たとえば〝〇年〇月〇日に阿蘇山が大爆発する〟といった具合です。今なら専門家の発表でない限りそれを信じる人はいないでしょうが、昔はこうしたご託宣がけっこう大きな影響を及ぼしたものです。その日が近づくにつれて人々の緊張感が高まります。いわゆる人心が揺れて犯罪や不幸な事件が起きたりもするでしょう。そうしたなかでその日を迎えます。しかし案の定というべきなのでしょうか、何も起きません。こうなると予言者の信用は一気に失われてしまう。とまあ、そんな予想をするのですがそこをしぶとく生き抜けるのがこの人たちの才能なのです。。予言が当たらなくても〝みんなが祈ったから抑えられた〟と平気で屁理屈を言うんです。いかがですか経済のプロの皆さん…。
戦後最長の〝景気…〟 2012/06/21(木)3454
 
〝景気がよくなる〟と〝企業の収入が増える〟。したがって〝働く人たちの給料も上がる〟。そうなれば〝企業も個人も〟税金をたくさん納めるようになる〟。その結果、国の財政も大いに楽になって借金である国債も返済することができる。この文章が日本語としておかしいかどうかをチェックするだけでいいのなら、どこにも問題はありません。しかし、私たちは架空の夢物語を楽しむほど余裕のある状態にいるのでしょうか。少なくとも、プロである経済学者や関係する識者たちは空想物語なんぞで素人を惑わしてはいけません。いい加減に自らの発言に責任をもってもらわないと困ります。まずいつもお題目のように取り上げられる〝景気がよくなる〟とはどんな状態をいうのでしょうか。
 ここで私の方から質問をしたいと思います。じつは〝戦後最長の景気回復〟といわれるものがありました。一般的には
20021月から景気が回復しはじめたというのです。そしてその期間は200710月まで続きました。その機関は69か月に達し戦後記録になったそうなんです。もちろん庶民にはまったく実感のない〝景気回復〟でした。それはどうでもいいのです。とにかく専門家に聞きたいわけです。これって〝景気回復〟ではないんですか。もし〝回復〟であればどうして財政が好転しなかったのですか。〝その兆しが見えるほど続かなかった〟。そんな答えはありませんよね。何せ〝戦後最長〟なのですよ。それなら一体どのくらい〝続け〟ば効果が出るのですか。まさか〝成長し続ける〟なんてことはおっしゃいませんよね。それでは素人からすら笑われてしまいます。また〝あれは本当の景気回復じゃなかった〟なんてことも言われないはずです。だってあれはプロの一致した見解なんでしょう?
 
耳にたこが… 2012/06/20(水)3453
 
ギリシャの選挙では何とか〝緊縮財政派〟が過半数を獲得した。これで少なくとも一時的にはユーロ圏からの離脱が避けられた。ということはユーロ国からのサポートが切れないということである。しかし〝緊縮〟は生活の厳しさを増す。それも社会的に弱い立場の方に影響が大きい。単純な話、経済的に余裕のある人たちは〝前よりきつくなっても何とかしのげる〟からである。もちろんすべての国民が生きるために最低限の保証をするのは近代国家の常識である。貧困のために餓死する人を生み出してはいけない。しかし現実としては〝貧困の故に命を失う〟具体的なケースがわが国でも報道されている。
 ギリシャには
2006年の7月に学会で出かけた。このところニュース映像で定番になった国会前の広場は市民も観光客も集まるアテネの中心街にある。宿泊していたホテルから歩いて3分ほどだった。そのころは平穏だったが、いまではデモ隊と機動隊がぶつかる騒乱の場になっている。こうした状況を見るにつけ〝よそ事ではない〟と思う。国の借金が1,000兆円にもなるというのだから心配しない方がおかしい。
 しかし経済学者をはじめとした識者たちによればわが国とギリシャは条件が違うという。あの国の場合は対外債務が大きいから、つまりは外国からの借金が大きいので大問題になる。これに対してわが国では国内でまかなっているから大丈夫なのだそうな。このご託宣にはすでに耳にたこができたし、この欄でも繰り返し書いた。彼らによれば、〝まずは景気をよくすること〟だという。そうすれば税収も増え国の借金も返せるというわけだ。そんなこと素人だってわかる。しかしここで聞きたい。〝あなた方は、まったく同じことを何年前から言い続けてきましたか〟と…。
 
元日の繁華街 2012/06/19(火)3452
 
電氣館は熊本で貴重な映画館なのです。そこでしか観られない映画を上映することが多いからです。しかし同じ映画があるときには近くのシネコンに行くわけです。何分にも歩いた5分少しの距離なもので、私としては当然のことであり、おそらくこれを避難する方はいらっしゃらないでしょう。しかし〝いつまでも存続してほしい〟と言いながらあえて選んでいこうとはしないわけですね。つまりは自分の都合が優先なのです。だから偉そうなことは言えないのですが、世の中にはこうした事例がけっこうあると思います。たとえば鉄道は廃線にしないでと言いながら自動車を使って利用しない。こうした例を挙げると、〝それは弱者を無視した暴論だ〟とか〝毎日の生活がかかっているんだぞ〟と叱られるに違いないのですが、人間ってそんなところがありますよね。もうずいぶんと昔のことですが、市電が飯よりも好きなマニアの人がいらっしゃいました。ところがこの人も通勤はマイカーだったんですよね。
 ところで、〝エンディングノート〟は元日に観に行ったので、年の初めに熊本市の繁華街を歩いたわけです。1月1日に街中をぶらぶらしたのははじめてだったと思います。少なくとも熊本に住んで
30年を超えましたが、これまで記憶がありません。もちろん、いわゆる初詣で外出したことはあるのですが、それは神社やお宮ですから街中ではないわけです。熊本市の繁華街は上通(かみとおり)、下通(しもとおり)、新市街と呼ばれる3つのアーケードで構成されています。これが半端ではないんです。どこと比較するかによって意見が分かれるのでしょうが、まずは〝国内で最大級のアーケード〟ということはできるでしょう。この点では熊本は大いに自慢できると思います。
老舗館 2012/06/18(月)3451 Continued from 06/16 一昨日のつづきです 
 
〝エンディングノート〟の主人公は〝すべてを自分で仕切って人には手をかけない〟という信条で微に入り細に亘ってしっかりノートを創ったのでした。しかし、その人をしても、死亡を知らせる〝会社関係者のリスト〟を入れていたというわけです。人知れずということはなかなかできないことなのですね。それでも昔に比べればお別れは〝近親者で済ます〟という方が多くなってきました。おそらくこれが当たり前になるのだろうと思います。いずれにしても〝エンディングノート〟は一般の人間には創ることのできないすごい映画でした。
 映画を観てから何の気なしにインターネットを覗いてみたら、この映画は全国で
24館でしか上映していないことを知って驚きました。東京23区内でも3館なのです。そして九州といえば熊本の2館だけがリストに上がっていました。しかも2館のうち1館はスケジュールがはっきりしていないので本当に上映しているのかと思いました。私が出かけたのは〝電氣館〟です。ここは九州でも老舗の映画館で他では上映しないものを取り上げることが多いんです。その時々で話題になった〝YASUKUNI〟や〝ザ・コーブ〟、そして〝キャタピラー〟やアメリカの医療問題に迫った〝シッコ〟等などは熊本では電氣館でしか上映していませんでした。フロアーは若干の傾斜があるだけでスクリーンを見上げることになります。このごろのシネコンは階段状で上から見下ろすタイプなので、こちらになれているとちょっと疲れる感じがします。いついっても客数が多いことはありませんが、この手の映画館はしっかり生き残ってもらいたいと思います。もっとも、そう言いながら、いつもは自宅から歩いて10分のシネコンにいってしまうのではありますが。
危うかった? 2012/06/17(日)3450 
 
行方が注目されていた高橋容疑者が逮捕された。つい先だって捕まった菊池容疑者も含めて全国どこに行ってもあの手配写真を見続けてきた。現実に逮捕されてみると写真との落差に誰もが驚いたはずである。私も〝これでは捕まるわけがない〟と思った。何と17年もの間、首都圏で仕事をしながら普通の生活していた事実が何よりの証拠である。時間が経過すれば人相だって変わるのは当然である。しかも逃げる方はいろんな手立てを取って見栄えを変える努力をするから、ますます手配写真が意味を失ってくる。何のことはない、すぐに捕まえなければまずいということである。
 もう一つ心配なことを聞いた。これはしっかり確認したことではないから今後どうなるかわからないが、現場警察官の対応である。まず〝漫画喫茶に入るのを見た〟という情報があった。それに対応して警察官が派遣された。また漫画喫茶の定員も〝似ている〟と言った。これに対して警察官が〝違うようだ〟といったニュアンスの発言をしたという。ただ、そのときトイレに行ってから店を出ようとした。そこで追いかけて職務質問をしたらしい。ここまでが〝正しければ〟という前提で言えば、やっぱり警察官の対応に危うさを感じてしまう。これは結果論だが最新の監視カメラで撮った写真ですら、逮捕後の写真の顔とは少しばかり違っていた。もちろん人権を大事にしなければならない。しかし、すべての日本人が知っているような微妙な状況である。〝申し訳ありません、警察です。まことに失礼ですが、ご存じのようにいま高橋容疑者を捜しているところです〟などと丁寧なことばを使いながら問いかければいいではないか。本人も疲れ果てて逃げる気力を失っていたようだったからよかったけれど…。
 
〝エンディングノート〟 2012/06/16(土)3449 
 
映像のプロである娘が食パンにバターを塗るながら〝自分たち企業戦士が…〟などと朝食で話している光景や会社にお迎えの車で通勤するときの独り言、さらには退職時の送別会などを撮影していたのです。もちろんそのときは個人的な家族記録のつもりだったのだと思います。ついでに娘のおじいちゃんがお医者さんで、高齢になった姿の映像も映画〝エンディングノート〟には出てきます。そのときどきでは、ご本人たちも人生の終わりまでを記録映画にするなどとは考えていなかったでしょう。
 しかし退職後時間があまり経過しないうちに末期のガンであることが判明したわけです。その事実を受け止めてご本人はクリスチャンになり、自分で葬式の段取りまで整えるという〝エンディングノート〟をつくりはじめたのです。それで過去の映像も含めてあるガン患者とその家族の〝ドキュメンタリー〟になっていくのです。私もすでに還暦を超え、来年度で現職は定年になります。すでに友人たちのなかには別の世界に行った人たちもいます。平均寿命という数値はありますがこれは単なる計算上の値であり、個人の人生にはほとんど意味がありません。つまりは〝エンディングノート〟が人ごとには思えなかったわけです。
 ところで映画の主人公ですが〝ほぼ完璧な自分整理〟をした人だと感心しました。ただし一点だけ、〝ああ浮き世からは逃げられないんだなあ〟と思うとことがありました。それは〝エンディングノート〟のなかに、勤務していた会社関係者への〝連絡リスト〟が書かれていたことです。組織でも高い役職に就いていた方のようですから、それがあちらの世界へ旅立つ際の礼儀なのでしょうね。ここで〝渡世の義理〟などという表現を使うのは不適切なのでしょうね。
 
元日の映画観初め 2012/06/15(金)3448 
 
製作を打ち切るという危機的な状況までいった〝七人の侍〟でしたが、公開してみるとその迫力は圧倒的で海外でも大いに評価されたのです。とりわけ豪雨の中で敵である野武士集団と正義の七人との壮絶な戦闘シーンはすべての観客を驚かせたに違いありません。このとき映画としてはかつてなかった複数のカメラによる同時撮影を試みたそうです。それがまさに〝実況中継〟を観ているような臨場感を生み出したのです。
 さて〝自称映画好き〟の私ですが、老齢期を迎えた今でも映画館には足繁く通っています。今年はすでに
15本の映画を見ました。正確には2回見たものがあり延べで15本ですが、この調子で年間30本には達したいと思っています。すでに1月にも触れていたのですが、今年は元日から映画を観に行きました。タイトルは〝エンディングノート〟です。これは私たちのような高齢者の仲間に入ろうとしている者にとってしっかり考えさせられる内容でした。
 一言で言えば回復見込みのないガン患者が人生を終えるまでの記録です。いわゆる企業戦士だった化学会社の男性がガンを宣告されて、その後にエンディングのためのノートを付けていったという物語です。実在の人物のドキュメンタリーでガンが発覚するずっと前の現役時代についてもプロ並みのカメラで撮影した映像が出てきます。そんな前からこの映画が企画されたとは思えないので観ている間〝どうなってるんだろう〟と疑問に思い続けていました。その謎は映画の終わりも終わりエンドロールの最後のコマで解けました。〝ああ、そうだったんだ〟と思わず叫びそうでした。それは、監督・撮影が娘だったのです。つまりは映像のプロだからこそ、まだ父親が元気なころからの映像を撮っていたんですね。
〝七人の侍〟と2億円 2012/06/14(木)3447 
 
ともあれ、父は後々まで〝七人の侍〟に連れていったのはいいが〝おまえが泣いたから全部を観られなかった〟と言っていました。私としては〝それはないでしょう。まだ5歳なんだから〟と言いたくなります。なにせあまりの長さに前編と後編に分けてあって、上映時間は全部で207分、つまりは3時間27分にもなるのです。そんな特大映画ですから5歳の子どもを連れていくのがそもそも間違ってるんですよね。もちろん父も本気で怒っていたのではなく、懐かしい思い出話だったことは言うまでもありません。
 それにしても、〝七人の侍〟は制作に2億円もかけたそうです。今の価値でどのくらいになるのか想像もつきませんが、当時の映画館の入場料が100円(戦後値段市年表 朝日文庫)です。現在は一般の大人が1,800円ですから18倍になっています。単純に掛け算すると36億円ということになります。この金額を見れば、〝たしかにすごいけれど、まあ黒澤映画だから〟と思ったりもします。しかし1954年といえば敗戦後まだ10年も経過していないのです。そこここに明日の食事にも困る人たちがいたりする時代でした。私が小学校のときも裸足で下駄履きで通っている友達がいたくらいの経済状況だったのです。そんなときに映画1本に2億円も投資するのはやはり信じられないことだったに違いありません。たしかに黒沢監督は1950年に〝羅生門〟でベネチア国際映画祭でグランプリを獲得していました。そのことで映画会社からそれなりにお金を引き出すことはできたでしょう。それでも黒澤監督がマイペースで仕事をするのため完成が遅れに遅れます。そんなことが頻発したために、映画会社としては打ち切りまで考えたという話を聞いたことがあります。
 
ゴールデンウィーク 2012/06/13(水)3446 
 
今では映画の〝封切館〟という呼称を知っている人は少なくなったと思います。映画のフィルムは円筒のケースに封印された状態で運ばれます。その封を最初に切ってフィルムを取り出す映画館だから封切館というわけです。何とも懐かしい思いになります。さて不朽の名画〝七人の侍〟が公開されたのは1954426日のことです。このとき私は5歳でした。わが家は北九州市になる前の八幡市に住んでいましたから、とりあえずは〝封切館〟だったのでしょうか。
 さて4月末といえば〝ゴールデンウィーク〟がはじまる週です。〝七人の侍〟はゴールデンウィークに向けて公開されたことになります。今でも4月末から5月はじめの連休を〝ゴールデンウィーク〟と呼んでいますが、このことばはいつごろからかは知りませんが、映画業界が使い始めた新語だったのです。とにかく映画は〝娯楽の王様〟でした。マイカーなんて夢のまた夢の時代です。〝ドライブする〟といったことばすら存在していませんでした。家族がそろって映画を楽しむことが連休を過ごす最高のパターンだったのです。
 それはそうと昨日書いたように、私は公開されたばかりの〝七人の侍〟を〝観た〟のです。私はまだ5歳だったのですから〝観た〟というのは怪しいと思われるでしょう。ご想像の通りで、じつは私がかなり大きくなってからその事実が判明したのです。それは父が〝せっかく‘七人の侍’を観にいったんだけど、途中で道雄が泣き叫ぶので外に出ざるを得なかった〟とことあるごとに嘆いていたんです。人間の記憶は〝すごい〟のでしょうか、それとも〝いい加減〟なのでしょうか。父からそう言われるたびに〝そんな記憶があるなあ〟と思っていました。おそらく〝幻想〟でしょうね。
 
連載の方針について 2012/06/12(火)3445 Continued from 02/14 
 
先月は〝continued from〟を連発しました。何となく〝そうではないか〟と思われた方もいらっしゃると思いますが、〝曜日ごと〟に決まった内容を連載してみました。私としては頭の整理がついていたのですが、読まれる方は〝continued from〟が続くので〝煩わしい〟と思われたのではないでしょうか。〝前の回まで遡ってください〟といっているようなものですから…。やっぱりそれはまずいなあという気持ちになりました。そんなこんなで、先々週は〝ピアジェさん〟を4回、先週から昨日まで6回〝ホタル物語〟を続けました。本格的に連載しているものもありますから、それらについては〝終わり〟がない状態です。しかし、そうしたものもときおり思い出しながら、そのときは数回分を続けて、また次の機会に譲るという形でいこうと思います。
 そんなわけで、今日から少しばかり映画の話です。これは
214日に書いた〝見てはいけないものを見た〟の続きです。タイトルはきわどいのですが、自称映画好きの私が子どものころ見た映画のお話です。まずは宇津井健扮する〝スーパージャイアンツ〟について書いたところでした。私が小学校3年生のころのことでした。とにかく白黒テレビすらない時代ですから、動く映像は映画館でしか観ることができなかったのです。黒澤明監督の作品も〝鮮烈な思い出〟があります。世界に誇る大作〝七人の侍〟ですが、これは1954426日に公開されています。私はまだ5歳なのですが、〝幸運にも(?)、それを‘観た’〟のです。そのころは全国各地、それこそ津々浦々に映画館がありました。フイルムの本数は限定されていますから、大きな街にある〝封切館〟と呼ばれる映画館で先行して公開されることになっていました。
動植
もう一つの視点 2012/06/11(月)3444 
 
動植物園のホタルが少なかったことをネタにして文句を言っている両親に、〝街のド真ん中なんだから大いに健闘していると評価すべきよ〟と娘が言うんです。これに対して〝あんたは動植物園の回し者か〟と親たちが茶化します。こんな調子でその日はめでたく終わりました。
 そして翌日の朝食のときです。家内がにこんなことを言い始めました。〝私たちが子どものころにホタルを観に行ったときを思い出したのよ。あのころだって、‘あっいた’と声を出し、それから‘あっちもいた’という程度で喜んでいたじゃない。ネオンサインのようにあっちもこっちも輝いていたなんて記憶ないよね。だからこそ旭志に行ったときは、あまりのすごさにビックリしたんでしょう…〟。とまあ、こんな趣旨のことを言うわけです。
 その瞬間に〝そりゃあそうじゃ〟と大納得してしまいました。〝そうだそうだ。昨日の動植物園のような状態が当たり前なんだ。むしろ旭志の方が人工的でやり過ぎだ〟。すぐにコロッと意見を変えるお父さんなわけです。今度は〝ホタルフェスタ〟を開催している旭志の方が〝けしからん〟というのですから、何ともいい加減な人ではあります。それで意見が一致する親たちに心優しい娘が訴えます。〝旭志は村おこしのために一生懸命にがんばってあれほどの状態にしたんだよ〟。今度は〝あんたは旭志の回し者かい〟と親たちが責めるのです…。
 これがわが家の会話の楽しみ方で、もちろん動植物園にも旭志にも本気で怒っているわけではありません。しかしそれにしても、一時の体験で一方的に文句を言っているときは要注意ですね。ほんのちょっとだけ視点を変えるとまた別の見方があることに気づくものです。この体験、対人関係にもしっかり応用できますね。
 
車内の議論? 2012/06/10(日)3443 
 
それにしても長生きはするものです。ホタルが〝匹〟ではなくて〝頭〟を使って数えるなんて、還暦を超えた今の今まで知りませんでした。そこで疑問ついでにネットで確認したところ、〝専門家筋〟では昆虫に〝頭〟を使うのが珍しくないようです。しかもそれは明治時代からの話だということ。そういえば、動物でもウサギは〝羽〟でしたね。そうなったのにはそれなりの歴史的事情があるのでしょうが、まあややこしいですわね。それでもそこが日本語の〝おもろい〟ところなんですよ。
 さて、大いに〝期待はずれ〟の〝ホタル鑑賞会〟でしたが、
2030分にはクローズというわけで人の流れが出口に向かいます。この時間、鳥だけが大きな声を張り上げて鳴いていました。そのほかの獣舎は静寂そのものでした。しかし動物たちはいつもと違う人間たちが発する騒音に大迷惑をしたことでしょう。それはそうとして、ご想像の通り駐車場から出るのがこれまた大変なことになります。とにかく満杯の状態から全車が一斉に出て行くのですから…。これでイライラして車内では〝期待はずれ〟の欲求不満でパンクしそうになった家族があるかもしれませんね。わが家はけっこうおしゃべり好きなもんですから大いに盛り上がりました。基本は単純で〝たったあのくらいで鑑賞会はないよね〟という一点に絞られます。その際に数年前に出かけた〝旭志〟の〝ホタル〟が話題になりました。〝あそこはすごかったなあ〟というわけです。身内のことを表現するのに適切だとは思いませんが、わが家の娘はとても優しいんです。両親の一方的な話に割り込んできました。〝そうは言うけど、こんな街の中でホタルを育てるんだから大変なのよ。旭志は田んぼあり山ありで環境がいいんだから…〟。
 
えーっ、50頭? 2012/06/09(土)3442 
 
人垣が薄くなっているところならちょっとくらいホタルが見えるのじゃないか。そんな期待をしながら背伸びをします。そのときまた歓声が上がったのですが、私の目にも間違いなくホタルの灯が一つだけ見えました。それからちょっとしてまた一つ光ります。それにしても寂しい限りです。そこで今度は橋を挟んで反対側に行ってみました。こちらも人の数が少し減っているところです。やはり〝ワーッ〟と声が聞こえてホタルの光が目に映りました。それにしても〝ボチボチ〟という感じです。〝これじゃあとてもホタル鑑賞会とは言えないなあ〟と思ったときでした。動物園の方の声がハンドマイクを通して聞こえてきました。〝最初に来られた皆さん、今日はこんなものです…〟。
 まあ驚きましたね。私としてはせいぜい5、6匹くらいしか見ていないのですが、それで〝こんなもの〟だそうです。たしかに人混みの後ろからではありますが、歓声の数から推測すると
20匹ほどもいるわけないという感じなのです。それで〝こんなもの〟なんですから、〝何ですって〟と、つい叫びたくなってしまいました。さらに追い打ちをかけるような情報が聞こえてきます。〝今年は50頭くらいを確認しています…〟。〝ええーっ、たったの50匹、いや
50頭ですってえ!〟。その20倍か30倍くらいの頭数の人間の来てるんじゃないかしらね。〝そのくらいしかいないのにイベントなんかしてはいかんぜよ〟。とまあ、そんな思いが高まってきたのでした。まったく同じ気持ちなのでしょう、小さい子どもを連れたお父さんが〝こんなことなら旭志に行けばよかった〟とけっこう大きな声で文句を言っています。おそらく動物園の方にも聞こえたと思いますから、かなりつらい気分になったと思います。
歓声が聞こえる 2012/06/08(金)3441 
 
私も新聞がなければ1日がはじまらない団塊人です。ただし最近では団塊族の中にも〝定年退職を機に新聞をやめた〟なんていう人がいました。そんな方は〝仕事のために新聞を読んでいた〟ということなんでしょうか。それでは〝活字中毒認定証〟はあげられませんね。それに、そんなことではますます時代についていけないじゃないのと思うのですが、いまはインターネットで新聞と同じ情報があふれるほど入てきます。たしかに情報内容だけにこだわればそうなんですね。新聞社自身が記事をネットにしっかり掲載しています。そうなるとなおさら購読の必要性がなるわけです。それはわかっていてもそうしないと競争に負けてしまいます。新聞にとっては生き残りをかけた正念場を迎えているのです。そう考えると私なんぞは〝新聞紙〟というモノにこだわっているだけなのかもしれません。
 さてさて、閑話休題。何を情報源にしたのかは知りませんが、とにかく動植物園は初詣や秋祭りを思わせるような人の流れができていました。そして入場口からしばらく歩くと人だかりにぶつかりました。小ぶりの橋があるのですが、そこで人の流れが止まっていました。つまりはここがホタルが飛び交う日本庭園に違いありません。そう思っただけで嬉しくなったのですが、人が多すぎて何も見えません。何分にも終戦から間もなくの生まれですので、私よりも背丈が低い人を見付けるのがむずかしいという現状があります。肩越しにすら向こう側が見えません。ときおり〝ワーッ〟という歓声が上がります。きっとホタルが灯りを点して飛んだに違いありません。私としては仕方なく特等席と思われる橋をなんとか渡って、ちょっと先まで進んでみました。すると人垣の厚さが薄くなっていました。
 
ようやく入り口 2012/06/07(木)3440 
 
とにもかくにも渋滞を乗り越えて動植物園までたどり着きました。時計をみると1940分を過ぎています。集合時間は1930分でしたから遅刻もいいところです。けれども動植物園の入り口を見ると大勢の人たちがドンドン入っています。集合時間に遅れてもOKのようです。ただし駐車場まではまだ時間がかかりそうなので、家内と娘に〝先に行きなさい〟といって降ろしました。それからさらに5分ほど経過して駐車場に車を置くことができました。車を整理する方も大変ですが、こちらも駐車場までがとにかく遠い道のりに感じられます。駐車場はAからあるようですが、私が誘導されたのは何とHでした。まだ砂利のままで石灰で区切り線が書かれていました。そこまで使わないといけないほどの人手だったわけです。それに入り口までもほんのちょっとですが距離があるような気がしました。
 これは後日談ですがタウン誌でこの日のイベントを
PRしていました。〝園内の日本庭園でホタル鑑賞会を開催します。入園は動物ゾーン入り口のみ。入園無料。雨天中止〟という内容です。もちろん主催者は熊本市動植物園です。このごろは新聞を読まない人が多くなって来ました。授業で学生に聞くと50人いても一人とか二人しか手を挙げません。そんな時代に無料の〝タウン誌〟は健闘しているようです。とくに女性がよく読んでいます。私が担当している公開講座もタウン誌に掲載されたときは、〝これを見て申し込みました〟という方がけっこういらっしゃいました。その一方で有料の新聞は年を追うごとに厳しさが増しているようです。時代の変化を感じざるをえません。私たちの世代は〝活字中毒〟の人間が多くて、〝新聞なしでは生きていけない〟者がかなり多いと思います。
 
ホタルへの道 2012/06/06(水)3439 
 
先週の土曜日に熊本市動植物園に行ってきました。めずらしく孫と一緒ではありません。何分にも夜のことなのです。じつは家内が熊本市動植物園で〝ホタル鑑賞会〟があるという情報を掴んでいて、是非とも行こうということにしていました。もう数年前になりますが、菊池市の旭志にホタルを観に行って感動したことを思い出しました。そこで〝ホタル鑑賞会〟と聞けば〝行くぞーっ〟とすぐに決まったのです。時間は1930分から2030分までです。雨天の場合は中止だということで天気が気になっていました。昼間には小雨がパラついていましたから少しばかり不安がありました。しかし夕刻には曇っているものの雨は降っていません。〝これならいいぞ〟ということで少し早めに出かけました。
 もともと車で20分程度の距離なのですが、余裕をもって30分ほど前に家を出ました。市電通りは何のこともなく走っていきましたから、1930分の集合時間には十分間に合う感じでした。ところが目的地まで1Km ほどのところまで来てからです。突如として大渋滞に巻き込まれました。あと1分で動物園の駐車場という地点なのですが、まったく進みません。そのうち時間が経過してきます。時計が1925分ころになりました。私は家内と娘に宣告します。〝こりゃあ集合時間にはとても間に合わんよ。もし遅刻でアウトと言うことなら今日はあきらめないといかんな〟。その渋滞ぶりを目の当たりにして二人もこれに同意して頷きました。しかしそれはそうとして、ここまで来たからには賄道に逸れる気にもなりません。とにかく行くだけ行ってみようということになりました。この事情を知らない一般の車は〝一体全体何が起きたのか〟と驚いたでしょうし、困惑もしたと思います。
 
〝未発達〟の大人たち 2012/06/05(火)3438 
 
このところ心理学者であるピアジェの発達説について書いてきました。その内容をはじめてお知りになった方もいらっしゃると思います。私自身はグループ・ダイナミックスが専門なので人の発達について詳しい話をするとボロが出ます。それでも、20代の終りに鹿児島女子短期大学で仕事をしていたときは〝教育心理学〟も担当していましたから、そこそこ勉強はしました。それはそうなのですが、それも30年ほど昔のことです。ここで改めて〝発達〟を取り上げたのにはちょっとした理由があるのです。
 まずはピアジェさんの説ですがそれに対する批判もけっこうあります。とくに〝子どもはピアジェが言うよりももっと能力をもっている〟という視点は大事なところです。ただし、私としてはそこの議論は置いといて、〝むしろ大人が発達しきっていないのではないか〟という立場からものを言いたくなったわけです。
 まったく〝同じモノ〟であるにもかかわらず、自分の都合のいい基準だけを使って人を非難したりする。つまりは複数の視点からモノが見えない。それこそ〝前操作期〟のままでいるのではないか。そんな大人がドンドン増えてこの世のなかがさらにさらにおかしくなっている。ピアジェにしたがえば、まるで2歳程度のレベルで争っている。そんな気がするのです。政治家の世界なんてその典型ではないですか。〝自分が言えば正しい〟が、同じことでも〝人が言うと間違っている〟。これぞまさに自己中心、まるで未発達段階にあるとしか考えられませんね。もうこれから先に責任を負えない世代は〝天下国家〟などと叫ばずに引退すべきなんです。〝お前だってその年齢だろう〟ですって?じつはそうなんです。だからこそおとなしくしてるつもりなんですが…。
 
具体的思考から抽象へ… 2012/06/04(月)3437 
 
〝前操作期〟で話題になるのは〝保存の概念〟です。たとえば2つのコップに同じ量の水を入れます。この二つが〝同じ〟だということは目で見ればしっかりわかります。それを細長いコップに移すとどうでしょう。ただ移しただけですから水の量は変化していないのですが、子どもは水が高いところまで入っているから量もその方が多いと思ったりするわけです。つまりは特定の基準だけに目を奪われてほかの条件について考えることができないというわけです。
 さて〝前操作期〟に続くのは〝具体的操作期〟です。年齢的には7歳ころから
12歳ころまでとされています。これはちょうど小学校に通っている時期と重なります。ただし人の発達は個人によってかなり違ってきます。ですから〝7歳の誕生日の日から次の段階に移る〟なんてことはあり得ません。早い時期からしゃべる子もいれば遅い子もいます。そんなわけで、発達段階の年齢もおおむねこのくらいのころという程度で受け止める必要があります。ともあれ、〝具体的操作期〟には〝論理的な思考〟ができるようになります。前の段階で混乱していた〝保存〟についても〝容器が変わっても量は同じ〟といったことが理解できるわけです。ただし、まだモノが目の前にあって、それらのいろいろな関係については理解できるという段階に止まっています。
 これが次の〝形式的操作期〟になると、ご推測の通り〝抽象的な思考〟が可能になるのです。〝具体的操作期〟が
12歳ころまでですから、それ以降ということで最後は成人ということになります。人間が時間と共に発達していくという事実は目の前で見えますから、こうした段階説も個人差があるとは言いながら、少なくとも順序的には〝なあるほど〟と納得したくなります。
 
前操作期 2012/06/03(日)3436 
 
生まれてから2歳ころまでの〝感覚運動期〟には、こどもはモノをすぐに口にもっていきます。そんなわけで、この時期は周りの大人も気をつけなくてはいけません。私の長男が1歳半のころは鹿児島に住んでいました。その当時は桜島から火山灰が記録的に噴出していました。これが雪のように降り積もるのです。屋根も庭も玄関先も、そして車のボンネットや天井にもまさに灰色一色になるのです。そんなある日のこと、わが息子が玄関先をハイハイしていたのですが、あっという間に火山灰を掴んで口にもっていきました。その瞬間に口の周りに黒い灰がくっついてしまったのです。母親があわてて〝ダメよ、ダメよ〟と声をかけます。その一声で〝これはまずいんだ〟ということは理解できるんですね。大人の目から見てもじつに気まずそうな顔をします…。わが家にはそんな光景を記録した8mmが残っています。
 さて、2歳を超えて7歳ころまでは〝前操作期〟が続きます。幼稚園の年少さん前から小学校に入学するころに当たるでしょう。3歳前後には〝ことば〟が出てきます。それまでずっと〝貯めていた〟ものが一気に噴出するようにしゃべりはじめます。女の子の方がおしゃべりが早いといわれます。私も身の回りの事実からそんな実感がありますが、これは科学的に実証されているのでしょうか。いずれにしても、それまで〝ことば〟を発することはありませんが、〝理解〟はしているんです。ですから、周りの大人たちは〝ことば〟には気をつけていないといけません。大人たちの話をしっかり聴いているのです。それでも〝ことば〟やそれをもとにした〝概念〟を自由に使うことはできません。そんなことから〝前操作期〟と呼ぶのです。まだ自己中心性も強く見られます。
 
ピアジェの発達段階説 2012/06/02(土)3435 
 
スイス生まれのジャン・ピアジェ(Jean Piaget )は心理学者のなかで最も有名な一人です。そのなかでも彼の〝思考の発達段階説〟をご存じの方がいらっしゃると思います。それによると、私たちは生まれてすぐから2歳ころまでは〝感覚運動期〟と呼ばれる時期にあります。この段階では〝ことば〟がありませんから、感覚と運動能力を対応させながら環境に反応していきます。とにかく身の回りの刺激物にドンドン働きかけます。
 炊飯器の蓋を開けるボタンがあれば、それを押します。すると蓋がポンと開く。その変化がそれだけでおもしろい。そんなときにおじいちゃんが〝うわーっ〟なんて叫んで驚いて見せるともういけません。ボタン押しを止めどもなく繰り返します。さすがにそのときは飽きたとしても、また次の機会に炊飯器を見つけると嬉しそうに〝ボタン押し〟を繰り返す。このころのこどもはどうもボタンのように突出したものがあると押したくなるようです。こうしてモノは働きかけると反応することを理解していくわけです。もちろんまだ〝ことば〟がありませんから、〝これっておもしろいなあ〟なんて思いはありません。
 じつはわが孫がこのパターンに嵌まってしまいました。その結果、わが家の炊飯器はついに壊れてしまったのでした。もちろんその責任を問われたのがおじいちゃんであることは言うまでもありません。そのおかげ
(?)で、最新鋭の炊飯器を買って、さらにおいしいご飯が食べられるようになりました。もちろんそれは〝孫のおかげだ〟と評価されたのでした…。〝まずいこと〟は〝おじいちゃんのせい〟、〝いいこと〟は〝孫のおかげ〟なんです。じつに科学的で客観的なすばらしい解釈はないですか。この精神こそが平和を実現するのです。
 
向上意欲 2012/06/01(金)3434 Continued from 05/12
 
少し昔の話になりますが、〝3K=きつい、危険、きたない〟ということばが流行語のようになったとき、私には〝Kちゃん〟がかわいそうに思われました。そこで前向きですばらしい〝Kちゃん〟だってあるぞと主張したくて、先月〝危機意識(だだし適度の)〟〝改善意識〟〝競争意識(これも個人間ではなく集団間で適度に)〟を挙げていました。
 今日はその続きの4番目としては〝向上意欲〟があります。これは人間にとってもっとも基本的な〝動機付け要因〟でしょう。とくに〝仕事を通して自己実現〟を目指すというのは人生全体にとっても有意義なことです。もっと積極的には、人生の目的そのものだとまで言いたくなります。ここでポイントになるのは〝ほめられる〟〝認められる〟といったことです。そうした評価を受けることで〝やったあー〟体験や〝仕事そのものがおもしろい〟という実感が得られるのです。その際にほめたり認めたりすることで大きな役割を果たすのがリーダーです。職場でも上司がサポートしてくれることほど勇気づけられるものはありません。しっかり仕事をしたときにはすかさず評価する。ときには部下が驚くような仕事をするかもしれません。それに対して心から驚きを表すことが大事です。そしてそれはそのまま〝ほめる〟行為に繋がっているのです。上司が驚くのを見れば〝自分がしっかりいい仕事をした〟という気落ちになるのは当然ですよね。そうしたことから、私はリーダーは〝驚育力〟を磨いてほしいと言っているわけです。ところで、この〝驚育力〟は〝ほめる〟ことだけでなく〝叱る〟場合にも応用できます。〝うわーっ、ビックリしたあーっ。そんなことしたらいかんぜーっ〟などと驚けば、それは叱ったことにもなりますね。
書紹介 〝人間理解のグループ・ダイナミックス〟(ナカニシヤ出版 2001) 〝人生をよりよく生きるノウハウ探し〟(熊本日日新聞社 2007) 〝実践的リーダーシップ・トレーニング〟(メヂカルフレンド社 2011)