吉田道雄 YOSHIDA, Michio
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味な話の素
Since 2003/04/29

 No 109  2012年05月号 (3394-3433)
貞観地震 2012/05/31(木)3433 Continued from 05/29
 
さて〝味な話の素〟は〝私だって言ってたんだぞーっ〟と〝自慢〟したいために大いに役立つのです。と、私としては25日から続けて書いてきたわけです。じつはこれは〝前書き〟だったんです。〝また回りくどい悪い癖なのかい〟とおしかりを受けるだろうと思うのですが、これがなかなか治りません。それでは本当は何を言いたかったかといいますと〝津波と福島の原発事故〟に関する私なりの疑問についての話題なのです。
 じつは2月
13日に〝福島とスマトラ島沖地震〟としてすでに一部は書いていたのですが、まだ続きがあったわけですが次の日は違うテーマを取り上げて、そのまま放っていました。そのうちと思っていたら、しばらくして〝ある事実〟が明らかになってしまいました。そのため続けようとしていた〝味な話の素〟が鮮度を失ったのです。したがって、今さらという気はしますが、リスクマネジメントの面からは大事なポイントなので気を取り直してお話しておきましょう。
 あの3月
11日に地震が発生し東京電力の福島第一発電所に津波が押し寄せました。そして海水が堤防を越えて進入したわけです。それが非常用電源を水浸しにしてしまった。そのため原子炉を冷却する水が回らなくなってメルトダウンに至ったというのです。素人レベルの理解ではこのようになります。いま〝事故調査・検証委員会〟をはじめとして詳しい分析が進行中で、私としてもその結果に大きな関心をもっています。ところで、非常用の発電機が津波にやられたことから〝貞観地震〟と呼ばれるものがクローズアップされました。そのときも大きな津波が押し寄せた記録があったというのです。それなのにその対策を真面目に考えていなかったのではないかという批判がありました。
 
マニュアル問題(41) 2012/05/30(水)3432 Continued from 05/11
 
とにかく〝時間がない〟というのは魅力的な理由です。だから〝規則やマニュアルを守りたいのは山々だけれどそれができないのだ〟と自分を納得させ、その勢いで他人も巻き込んだりするわけです。もちろん一時的、あるいは1回だけであっても法律に違反する行為をするのは論外です。ただし法律を直ちに変えるのは無理ですが、絶対的な時間の制約から規則やマニュアルを守られないことがはっきりしているのであれば、それを検討するのは当然です。違反が続く現状を黙認したり放置したままでいるよりも、現実の問題点を明確にしてその解決策を考えていくことが必要です。職場の仲間たちが知恵を出し合えば新しい対応策も発見できるでしょう。そうした過程のなかで職場にある問題がメンバー全員に共有化されることになります。ここで留意しなければならないのは、〝時間がない〟ことが規則やマニュアルに〝従いたくない〟という本音を隠す言い訳に使われる場合です。現実にそんなことがあるのかどうかについて私は確たるデータをもっていません。しかし仮にそのような実態があれば、そのことを最もよく知っているのは職場のメンバーたちです。現実としては短期的に規則やマニュアルを守らなくても支障なく仕事を進めることができるものです。そしてそのほうが〝楽〟であり、仕事も〝スムーズ〟に捗るわけです。そんなことから〝時間がない〟が〝言い訳〟になっていると思っていてもメンバーたちははっきり言わないかもしれません。そこで大きな役割を果たすのが職場のリーダーです。ここでもリーダーシップが鍵になっているのです。 
先発自慢 2012/05/29(火)3431 Continued from 05/27
 
文系でも〝早いもん勝ち〟が大事なのですが、それがうまくいっても〝ああそうですか〟というお世辞的な反応があるかないかくらいです。まあその程度ではありますが、それはそれで楽しく気持ちのいいことなんです。そのくらいで満足できなければ仕事を変えた方がいいかもしれません。そんな発想でいる私にとっては〝味な話の素〟は大事な発信手段ということになります。世のなかに新しい考え方やことばが広がったとき、〝それを言い出したのは自分が一番だ〟などと絶叫するつもりはありませんが、このコラムがあれば〝ほらご覧なさい。私だって同じことを言ってたのよ〟と〝自慢〟できるわけです。
 〝味な話の素〟を書き始める前にも、それなりに〝独創〟したものはありました。たとえば〝組織安全学〟というものが必要だということは
2000年には文章化していました。もちろん、それよりも早くから頭にはありましたがそこは記録に残る形で書いておかないと〝最初に言ったんだぞ〟ということができません。そう思いながらいまYahooで〝組織安全学〟を検索すると、何と私の書いた読み物がトップに出てきました。これには大いに満足しました。〝患者が学ぶ病院心理学〟なんてことも考えていました。さらに、〝血縁地縁〟社会へと変遷し、さらに〝組織縁〟が重要になったといったことも書きました。もちろん〝組織縁〟を新語として使ったつもりです。そして〝いまや組織縁も衰退し〟てしまい、〝無縁社会〟に突入している。とまあ、そんなストーリーを授業で話していたのですが、数年前にNHKで〝先に使われて〟しまいました。学生のノートには記録があると思いますが、何分にも文章化していませんでしたので、〝私の方が先〟だなんて言えないんです。
 
劣化列島 2012/05/28(月)3430
 
いつのころからか〝劣化〟ということばをよく聞くようになった。そもそもは〝モノ〟の品質や性能が落ちることを指していた。どんなモノでも時間が経過すればその性質が変わってくる。それが重大な影響を及ぼす場合は交換することになる。まあ至極当然のことである。ただしこのごろ問題になるのは〝組織や人〟の劣化である。〝東北観光博覧会〟のホームページで〝あきれた翻訳〟が問題になった。それは4月のことで、本コラムでも417日、18日に取り上げた。
 それから1ヶ月ほどしか経過していないのに、今度は奈良市の観光協会がまるで同じことをしていた。こちらは3月に更新されたと言うから、ひよっとしたら〝東北観光博覧会〟よりも前だったかもしれない。その原因は東北の場合とまったく同じでインターネットの自動翻訳システムを使ったことにある。〝予算がなかったから〟とよく聞く理由があるらしいが、それで海外から笑われるような翻訳をした言い訳にはならない。担当者は〝国際観光都市として恥ずかしい限り〟と平謝りしているというが、そもそもチェックすらしていないのではないか。
 東大寺の〝大仏〟は〝
Mr.Osaragi〟だそうな。あの作家大佛次郎氏を〝おさらぎ〟と読むのは日本人でも聞かないとわからない。素晴らしい〝翻訳システム〟ではある。また〝仏(ほとけ)の慈悲〟は〝French mercy〟なんだそうな。さらに〝遷都〟の〝遷〟は翻訳不能で〝遷〟がそのまま英文に混じっていたという。観光協会の〝全員〟がそれに〝気づかなかった〟のか。またあの〝東北観光博覧会〟のニュースをだれ一人として知らなかったのか。あわてて前のバージョンに差し替えたという。ここに至ってはすでに〝劣化〟のレベルを超えて〝崩壊〟している。
 
〝一番〟の価値 2012/05/27(日)3429
 
そもそもノーベルは経済学賞を考えていませんでした。そんなわけで〝経済学賞〟の資金を出しているのはスエーデン銀行で、設立されたのも1969年のことなのです。〝本物(?)〟のノーベル賞は1901年からはじまっていますから、その間には還暦以上分の年月が経過しています。私はノーベル賞は経済学だけでなく文学賞もどうかと思っています。そもそも言語が違うものを同じ基準で評価するなんてむずかしいのではなく不可能でしょう。どうやって選考されているのか知りませんが、審査する人間が原語で作品を鑑賞できなければ評価のしようがないですよね。その人物が理解できる言語で読んで〝ノーベル賞に値する〟と判断したのならそれは翻訳者賞にすべきでしょう。もちろん、私がどんなに絶叫してみても影響力は微塵もありませんが、自然科学系ですら選考結果に異論や文句が出たりするくらいですからとにかく胡散臭いんです。しかも選定にあたってはけっこうな運動もあるらしいですね。
 いずれにしても自然科学系は〝とにかく一番〟が大事ですが、私たちが仕事にしている心理学の分野でもやはり〝早いもん勝ち〟ではあります。〝これについては自分が最初に言い出した〟なんて主張できれば楽しいわけです。世のなかで話題になることがあったとき、〝じつは私も昔から同じことを考えていたんだ〟と言うだけでは迫力に欠けます。その際に〝その証拠はこれだ〟とばかり過去に書いた文献などを示すと〝なあるほど、あんたも捨てたもんじゃないね〟となるわけです。自然科学系だとそれが特許などに結びついて経済的にも豊かになれる可能性があります。その点、文系では〝ああそうなの〟でおしまいです。せいぜい〝すごいじゃない〟と言ってもらえる程度です。
 
ノーベル賞と経済 2012/05/26(土)3428
 
昨日は何を言いたかったかというと、〝アイディアが浮かんだときが旬、タイミングを失するとインパクトがない〟ということである。自然科学系の研究では、とにかく〝早いもん勝ち〟である。それこそ一瞬でも早く〝データ〟や〝理論〟、あるいは〝技法〟を発表することが求められる。オリンピックでは金銀銅のメダルがあり、8位までが入賞である。しかし研究の世界では〝金メダル〟しかない。ノーベル賞も金メダルのみを評価しているようだが、そこは人が選ぶものだからときおり疑問が出されたり文句が出たりもする。私のようにノーベル飴にすら関係のない人間には文学賞や経済学賞などはかなりうさんくさいと思っている。
 もう前世紀になるが、金融工学とやらでノーベル賞を受賞したお二人が創った会社が潰れた。そもそもバブル崩壊やサブプライムローンのズッコケを防げない経済学って何なんだろう。このところ消費税アップの議論が少しばかり
(?)盛り上がっている。マスコミ的にはおもしろいのだろうが、慶応と早稲田の経済専門家が正反対の意見を言っている。お二人の名前は忘れてしまったが、慶応は〝いまこそ消費税アップしないと日本は崩壊する〟と主張する。これに対して早稲田の方は〝デフレの時期に消費税を上げて成功した例は歴史上皆無〟だと反論する。とりあえずお二人には、その発言をしっかり記憶しておいていただきたい。そしてどんな結果が出ようと、そのときにはどうしてそうなったかちゃんと説明してもらいたい。ただし、〝とんでもないことが起きる〟という予言が当たらなかったとき、〝それは私の警告を聞いて人々が行動を変えたからだ…〟なんて言い訳するのだけは止めてくださいね。あくまで〝経済学〟の専門家なのですから。
 
悪癖と弁解 2012/05/25(金)3427
 
授業や講演、そしてもちろん研究にとって〝アイディア〟が重要な役割を果たす。とくに授業や講演では〝きちっとした原稿〟を準備しているわけではない。その時々の流れのなかで関連するネタを使いながら話をする。それが行きすぎると〝脱線〟になる。この〝味な話の素〟にお付き合いいただいている皆様は先刻ご承知の〝悪癖〟である。もっとも〝お客様〟には〝優しい神様〟のような方がいらっしゃる。私の〝脱線〟を〝引き出しをたくさんお持ちですね〟とほめてくださったりもする。そうなると調子に乗るのが私の困ったところなのである。しかし、学生ともなるとそうはいかない。〝雑談が多い〟と叱られたりもする。ただし、私にもほんのちょっとだけ弁解したいことはある。〝逸れているようで、そのときどきのテーマとそれなりに関係づけている〟つもりなのではある。そのところを理解して、さらに評価までしてくれる学生もいる。
 とりわけ私が仕事にしているグループ・ダイナミックスでは〝人と人との関わり〟がキーワードになるので、一つのテーマがドンドン広がっていく。私の方も話しながらいつも考えていることが頭に浮かんだり、関連する実験やデータの記憶が蘇る。すると〝ああ、これはここで話しておいた方がインパクトがあるぞ〟と思う。こうなるともういけない。それをどうしても話したくなり、実際に話してしまう。そこが〝ライブ〟のいいところで、台本通りに進めるのであれば〝放送大学〟などと変わらない。これまた私の弁解ではある。〝それにしたって限度というものがあるでしょうが…〟。そんな学生の声が聞こえてきそうである。いけませんねえ。今日も〝あること〟を書きたかったのに、その前置きでおしまいになってしまいました。
 
専門用語と日常用語:MiniDic(1) 2012/05/24(木)3426
 
さまざまな研究領域で〝専門用語〟が使われる。国語辞典では〝専門用語⇒専門語〟で、後者の方でその意味が解説されている。英語では technical term である。それぞれの研究領域特有の用語もあるだろうが、心理学では日常的に使われるものと同じことばが頻繁に出てくる。しかしそれらも〝専門用語〟だから〝日常用語〟と違っていることが多い。
 たとえば〝学習〟と聞けば、多くの人が〝学校で勉強すること〟を思い浮かべる。今日では〝生涯学習〟が一般的になってきたから、学校を卒業したあとでも〝学習〟する機会があるが、そこには〝勉強〟という共通点がある。これに対して心理学では生まれてから新たに身についた行動や反応を〝学習〟という。それには経験が大きな役割を果たす。ただし成熟による変化や病気などによって行動が変わることなどはこれに含まれない。
 また〝態度〟も心理学では重要なキーワードである。こちらは日常的には個人の身振りそぶりや心構えといった意味で使われる。一方、心理学では〝ある程度持続する信念や反応の傾向〟を指す。私たちの目に見えるのは人の行動であって、〝態度〟そのものは〝ここに出して見せろ〟といわれてもそれはできない相談である。つまりは目に見えないものなのだが、〝持続する信念や傾向〟を仮定すれば人の行動が説明できるというわけである。こうした説明のために〝創られる〟ものを〝構成概念〟と呼んでいる。そんなわけで、〝態度〟も日常的な意味合いとは類似した部分も含みながら、かなり違ったものとして使われるのである。このようなことを踏まえた上で、これから少しずつグループ・ダイナミックスの用語を解説していこう。題して〝
MiniDic=Mini Dictionary〟のはじまり、はじまりです。
抜き刷りの話 2012/05/23(水)3425 Continued from 04/27
 
前回〝熊本大学学術リポジトリ〟という文献紹介サイトのお話をしたとき、月間8856件のアクセスとダウンロード8837件でトップになったことがあると書きました。私自身に露出趣味はないのですが、論文や読み物は熊本大学の〝リポジトリ=納骨堂〟にドンドン送っています。すでに120本ほどまでいきました。論文には抜き刷りあるいは別刷りというものがあって、昔はこれを関連した研究をしている方たちに送る習慣がありました。研究誌等に掲載された自分の論文だけが表紙付きで小冊子になっているものです。そのうち、経費を節減するために表紙をつけないことにした学会もありました。ともあれ自分の研究を多くの人に知ってもらいたいと思って、100部とかあるいは200部もの抜き刷りを注文する人もいました。私はといえば生来の〝引っ込み思案(?)〟もあって、抜き刷りはほとんどつくってきませんでした。ただし、以前は20部とか50部は無償で著者に提供する学会もありましたから、その分だけは受け取っていました。それもやはり経費の問題があって、抜き刷りは1部から有償にするところが出てきました。そんな状況になっても私は相変わらず注文しませんでした。つまりは抜き刷りが〝ゼロ〟ということです。〝それって、人に配れないほど自信がもてないものばかり書いてるからじゃないの〟なんて言われそうですね。そんな疑問にあえて反論するつもりはございません、世の中には昔からコピー機があるんです。そもそも喜んでもらえるかどうかわからない方にお送りするのもいかがなものでしょう。とまあ、これまでこんな気持ちでい続けてきたわけです。ある意味ではPR下手なのかもしれませんが、とにかく〝引っ込み思案〟なものですから…。 
行動を変える 2012/05/22(火)3424
 
熊本市の教職10年経験者研修では、先生たちが児童生徒からリーダーシップについて評価を受けます。〝子どもからの評価〟と聞いただけで〝いやだなあ〟とか〝そんなことできない〟といった気持ちになる方も少なくありません。しかしいまや時代は変わりました。自分が影響を与えている人たちから自分の行動についてフィードバックを受けることによって行動を改善するのは常識になりつつあります。大学でも授業の終わりには学生による評価を受けることになっています。それだけでなく授業を進めている中間期にも授業に関する学生の希望を聞くシステムも導入されているわけです。ともあれフォロワーの声を取り入れることが〝リーダーとして期待されている行動〟を知るチャンスになります。あるいは自分が努力してきた行動がフォロワーに見えているかどうかを確かめることもできるのです。私が読むことを想定されているとは思いますが、10年経験者研修に参加された先生方のトレーニングに対する評価はかなり良好であることも付け加えておきたいと思います。
 こうして〝意識して行動を変える〟努力をしていれば、それがフォロワーにちゃんと伝わります。つまりは自分のがんばりは評価されるのですから、これほど気持ちのいいものはありません。ときには〝やったあ〟と叫びたくなるかもしれません。このように、自分の行動を変えるのはフォロワーのためと言うよりは、自分自身が気持ちよくなるためなのです。〝情けは人のためならず〟と言いますが、リーダーシップの改善もそれとまったく同じなのです。〝エクササイズすればリーダーシップは改善できる〟という前提で、そのために積極的にサポートするのが〝リーダーシップ・トレーニング〟なのです。
 
エクサイズとトレーニング 2012/05/21(月)3423
 
誰もが新しい技術、たとえば〝自転車乗り〟を身につけようとすればエクササイズが必要なことを認めます。それなのに、どうしてリーダーシップやコミュニケーションあるいは対人関係、そして〝人間力〟などが話題になると、〝私がどんなに努力しても身につかない〟と多くの方がエクササイズを放棄するのでしょうか。こうした〝人と係わる力〟だって練習が必要なのです。そうでなければ身につくはずがありません。それどころか、放っておくと筋肉と同じようにその力は衰えてしまいます。そんなわけで、私は〝心の筋肉運動〟なるものをおすすめしています。リーダーシップも含めて、〝人と係わる力〟も日頃から意識的に練習して鍛えましょうということです。
 〝私なんかどうせやってもダメ〟なんて考え方は心の健康にとっていいはずがありません。その瞬間から思考停止になってしまいます。そんな消極的な気持ちとはお別れしましょう。そして〝やればできる〟〝エクササイズで改善できる〟ことをしっかり頭に入れて人間力、ひいてはリーダーシップ力を伸ばしていきましょう。もちろん〝言うは易く行うは難し〟です。一人でリーダーシップを改善していくのはむずかしい。そんな方にはリーダーシップ・トレーニングがおすすめです。私はリーダーシップの改善を目指す〝トレーニング〟の開発と実践をライフワークにしてきました。その対象はさまざまで、学生・企業組織・公的組織・病院など、とにかく広範囲に亘っています。学校の先生方が参加者になることもあります。たとえば私は熊本市の教育センターで行われている教職10年経験者研修では、毎年5月から翌年の2月まで、対人関係とコミュニケーションスキルを改善するトレーニングを実施しています。
 
〝言っていいこと〟の節度 2012/05/21(月)3422
 
私も某テレビ局の朝番を見ていたのですが、そのなかでの某氏の発言を聞いて驚きました。それは、〝関西電力が火力発電所で意図的に事故を起こしたり、事故が起きたときにしばらく動かさないようにして電力が足りない状況を作り出してパニックを起こす…。いわば停電テロという状態にもっていこうとしているとしか思えない…〟といった内容の発言でした。たしかにわが国では表現の自由が保障されていますし、それを徹底的に守らないといけないことは事実です。しかし、それにしても〝言っていいこと〟にはそれなりの節度が必要です。
 わが国では、もうずいぶんと前から〝権利だけ主張して義務は無視する〟などと言われてきました。私的な会話で問題のある発言をしても一般には知られません。しかし、放送電波は〝国民の共有財産〟であり、それを使っての発言には公的な責任が伴うのです。あれはビデオでしたから、放送局も想定できなかった不規則発言ではありません。その意味では放送局も〝テロ発言〟をしっかり意識して流したわけです。台風や災害などで停電したとき、電力に関わる現場の方々は必死で復旧に取り組みます。ほとんど表には出ませんが、そうした厳しい作業が過労死を引き起こす事例もあり得るようです。仮に火力発電所が故障して、その復旧に不眠不休で作業をして過労で斃れるような人が出ても某氏は責任なんか取らないでしょう。福島であれだけの事故が起きたのですから、電力業界全体を批判したくもなるのでしょう。しかし、それでも〝言っていいこととそうでないこと〟の分別はもちましょうよ。某氏の筋書きでいくと、〝電気が順調に供給されても止まっても〟、とにかく悪いのはすべて電力会社ということになってしまいそうですね。
 
意欲+エクサイズ 2012/05/20 (日)3421
 
筋肉は使わないとすぐに衰える。だから日常的に意識せずにしている運動も意味があるということです。私たちが健康な状態を維持するためには地道に運動を続けることが大事なのです。そしてさらに健康を増進したいのであれば、しっかり意識して運動するといいこともわかります。たとえばウォーキングなどは、その気になれば誰でもできる手軽な運動の代表です。また上の階に上がるときもエレベータやエスカレータばかりを使わないで1階か2階分でもいいから階段を上る。これも適度の運動になります。さらに体力に自信がある方はジョギングだっておすすめメニューになるでしょう。このように体の健康には運動=エクササイズが必要なのです。
 ところでよく考えると、私たちが生まれてから身につけた行動のほとんどが意識的な練習の結果であることがわかります。たとえば自転車はどうでしょう。〝私は練習などしないで自転車に乗れるようになった〟なんて人はいるわけがありません。誰だって一生懸命に練習しているうちに、あるときふっと前に進むんですね。その瞬間に自転車を運転するコツがつかめたのです。それからは楽しくて仕方なくなります。いままでの努力がなんだったのかと思うほどうまくいきはじめるのです。こうして自転車に乗ること一つをとっても、反復練習=エクササイズが必要なことははっきりしています。もちろん、その際には〝自転車に乗れるようになりたい〟という強い意欲をもっていることが前提です。まさに〝意欲+エクササイズ〟こそが成功に繋がるのです。健康の維持・増進や自転車乗りなどについては、どなたも〝それはそうだ〟と賛同してくださると思います。それを確認した上で、私としては皆さんにお聞きしたくなるわけです。
 
人間力とエクササイズ 2012/05/19 (土)3420
 
ファッションならカラーコンタクトや髪染めもありですが、人間力ともなればそんなうまい方法はありません。しかしご安心ください。私は人間力を体質のようには考えないことにしています。じつはリーダーシップについては研究的にも二つの考え方があります。その一つはリーダーシップは体質のようなもので、それを変えることはむずかしいという立場で、これを〝特性論〟と呼んでいます。それに対して、リーダーシップは〝その時々に求められている行動をしっかりとっているかどうかが問題だ〟という考え方があります。こちらは〝行動論〟と言われているのですが、私はこの視点を大事にしたいと思っています。つまりは〝人間力〟も〝必要な行動〟をとっているかどうかで決まるということです。
 もちろんそのためには〝いま自分に求められている行動〟を正しく認識する力をもっていることが前提です。だれも期待していないような行動をがむしゃらにやっても仕方がないのです。フォロワーだって〝リーダーの独り相撲〟にしらけてしまいます。〝そんな希望がもてるようなことを言ってるけれど、人間力は本当に改善できるのだろうか〟と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。それに対する私の回答は〝Yes〟です。ただしそのためにはエクササイズを続けるという前提があります。どんな人でも心身共に健康に毎日を送りたいと願っているはずです。ところがけがや病気で入院して1週間でも寝たきりでいるとどうなるでしょう。看護師さんに聞くと、アスリートでなくてもとくに足の筋肉などが細くなってしまうそうです。いつもはとくに運動をしていなくても、イスから立ち上がったり仕事場で歩いたりといった軽い運動でそれなりに筋肉を使っているんですね。
専門力と人間力 2012/05/18 (金)3419
 
さて、私が提示したリーダーシップ力の式では1人の場合にリーダーシップ力がもっとも強くなるのですが、これは1対1のリーダーフォロワー関係ですからきわめて特殊な場合です。家庭教師などはその一例になります。けれどもこのケースは現実の職場ではほとんどあり得ないでしょう。いずれにしても管理者が自由にフォロワーの人数を決めることはできません。そこでフォロワーの人数は〝与えられたもの〟としてちょっと横に置いておくことにしましょう。
 そうなると問題になるのは、分子にあたる〝専門力×人間力〟の部分です。このうち〝専門力〟については、すでに見ましたように〝普段からしっかり磨き続ける〟ことが求められます。もっとも職場の管理職はそれにふさわしい専門性をもっていると評価されたからいまの立場にあるわけです。その点では〝最低限の専門性〟は身につけているはずです。しかし世の中には一定の地位に就くとそれで満足してしまうのか、さらに伸びようとする気持ちを失ってしまう人がいます。しかも自分に与えられた権限を振り回して周りを困らせる。まったく迷惑な話です。そんな人たちはとても組織人とは言えません。私たちはどんな立場にいてもどんなに経験を積み重ねても、〝成長したい〟という意欲をもち続けていきたいものです。
 さて、それでは〝人間力〟の方はどうなるのでしょうか。そもそも〝人間力〟というものは〝専門力〟のように〝不断の努力〟で〝伸ばす〟ことができるのかどうか。この点が気になるところです。それが目の色や髪の毛の質のように遺伝的に決まっているのであれば、それを変えることはできません。もちろんファッションの場合はカラーのコンタクトをつけたり、髪を染めたりすることはできますが。
モンスター登場 2012/05/17 (木)3418
 
フォロワーの人数が多くなればなるほどリーダーの影響力は低下せざるを得ません。しかしどのくらいが適正なのかは職場の状況や仕事の内容などによって違ってきます。学校では私たちが子どものころは1クラスに60人ぐらいの児童生徒がいました。たしかに芋の子を洗うような状態ではありましたが、それなりに教育は行われていました。それが時代とともに45人、40人と少なくなって、最近では35人を基準にする方向で進んでいます。その点だけを見るといまの先生方は昔よりもずっと楽になったように思われるかもしれません。しかし教育を取り巻く環境は大きく変わってきました。マスコミ等ではモンスターペアレントなるものがしばしば話題にされています。
 たしかに以前は考えられなかったようなとんでもない保護者が出てきたことは事実でしょう。しかしその手の人たちは、常識的な保護者たちから見ても〝モンスター〟になっていると思います。お客様を相手にする仕事でも、〝モンスターカスタマー〟と呼びたくなる人が増えているのではないかと推測します。この国全体の時代的環境がさまざまな〝モンスター〟を生み出しているのだと思います。そんなわけで、先生方の場合も常識派の保護者たちと連携しながらモンスターさんたちに対応していくことが大事です。その一方で、〝ほとんどの保護者たち〟からお小言を頂戴するようであれば、そこは先生ご自身がしっかり自分の行動を、つまりはリーダーシップを振り返ってみることが求められます。ただし、その際も自分だけで悩んでみても問題は解決しません。そんなときは同僚や上司、場合によっては保護者たちも含めて相談することです。〝自分で乗り越えないと格好がつかない〟等と考えてはいけません。
 
リーダーシップ=対人関係力 2012/05/16 (水)3417
 
つまりはリーダーもフォロワーもしっかり反応し合うことで元気で仕事ができる組織がつくられるわけです。そう考えると、フォロワーシップもリーダーに対して〝影響〟を与えることなのですから、やはり〝リーダーシップ〟だということになります。しかし、〝リーダーシップ〟も〝フォロワーシップ〟も〝リーダーシップ〟だなどと言えば混乱していまいます。そこで私はこの両者を〝対人関係力〟と呼べばいいと思っています。ただし、とくにリーダーシップは対人関係力だけで構成されているのではありません。リーダーには自分の仕事に関する専門的な知識や技術を身につけていることが求められます。これを〝専門力〟ということにします。
 そこで私は、〝リーダーシップ力=(専門力×人間力)/フォロワーの人数〟という式を提案しています。どんな立場にいても、それに応じた〝専門力〟を身につけていなければなりません。それを前提にして〝人間力〟を磨けば磨くほど、それが〝専門力〟に掛け合わされて、リーダーシップ力も強力になっていくのです。ところが〝人間力〟が〝0(ゼロ)〟であれば、〝専門力〟がしっかりしていても、リーダーシップ力も〝ゼロ〟になってしまいます。さらに〝人間力〟が〝マイナス〟ともなれば大変です。この場合は〝専門力〟があればあるほどリーダーシップ力もマイナスになっていくわけです。このように、職場の管理者にとって〝人間力〟はリーダーシップ力を左右する大きな要因なのです。ところで、リーダーシップの式は分数になっていて、分母に〝フォロワーの人数〟が入っています。フォロワーというのはリーダーが指導する相手のことです。それは職場の部下であったり、教師の場合は児童生徒もフォロワーになります。
リーダーシップとフォロワーシップ 2012/05/15 (火)3416
 
私の主要な仕事はリーダーシップとそのトレーニングです。また組織における安全もリーダーシップとの関わりで研究をしています。ところで多くの方々がリーダーシップは地位と強く結びついているものと考えられています。しかし私たちの〝定義〟では〝リーダーシップは他者に対する影響力〟なのです。あるいは〝影響過程〟という言い方もします。つまりは〝影響〟がポイントになるわけですから、リーダーシップは管理職だけに求められるものではありません。新年度に組織の仲間入りをした新人同士でも影響を与え合います。そこにもリーダーシップという現象が起きているのです。また学校の教師であれば、いきなり児童生徒たちに対してリーダーシップを発揮しなければなりません。このように人が人と対応するときにはいつもリーダーシップが求められているのです。私たちは生きている限りいつもリーダーシップがついて回っていることになります。そしてそれが管理職だけのものでないこともおわかりいただけるでしょう。
 ところで私たちはリーダーシップを発揮する対象を一般的に〝フォロワー〟と呼んでいます。リーダーに〝ついていく人〟ですから〝フォロワー〟というわけです。そこでリーダーはフォロワーに対してしっかりとリーダーシップを発揮することが期待されます。それは事実なのですが、そうかと言ってフォロワーの方は漫然とリーダーにしたがうだけでは職場はうまく回りません。つまりは、フォロワーの方もリーダーの働きかけにしっかり応えることが期待されているのです。もちろん、まずはリーダーがリーダーシップを発揮しなければなりません。しかし、それに対してきちんと反応するという意味での〝フォロワーシップ〟も欠かせないのです。
 
意外と小さい! 2012/05/14 (月) 3415
 
講演が終わって会場の出口まで来たときでした。〝うわーっ、意外と小さいんだ〟。そんな声が聞こえました。とても若い男性でした。近くにいた年配の方が〝おい、おい〟といった感じでその男性に〝そんな失礼なことを言うもんじゃない〟と注意しました。いささか当惑気味でした。そのときの状況がおわかりでしょうか。〝意外と小さい〟のは私のことです。その直前まで比較的大きな会場のステージに立って私は講演をしたわけです。それが終わったので演壇から降りて会場の出入り口まで来たのですが、そのときに話を聞いてくれた若者がの1人が私を見て〝意外と小さい〟と言ったのです。主催者の立場にあった年配の方は〝そんなこと思っていてもいうんじゃない〟と考えられたかどうかは知りませんが、とにかく困惑されたということです。しかし、私としてはそれを聞いて嬉しそうにニッコリ笑ったつもりです。だって、この発言を私は喜んでいいと思ったからです。
 つまりは、その若者には遠くのステージ上で話をしている私がきっと〝大物〟に見えたのだと思うんです。ぬけぬけと自分のことを〝大物〟なんていうところが〝小物〟の証拠なのでしょうが、いいじゃないですか。よく人が〝大きく見える〟という言い方をします。それは間違いなくほめ言葉だと思います。それって〝態度がでかかったからじゃないの〟と言われればそれも否定はしません。しかしいずれにしても、私としては〝意外に小さい〟発言は心地よく響いたのです。いつかこの欄にも書いたことがありますが、いろんなところでエレベータに乗ると、私より背の低い人はほとんどいません。女性も私の目線より高い人がたくさんいる。そんなとき〝日本人も大きくなったなあ〟と嬉しくなるんです。
 
免許状講習とサテライト会場 2012/05/14 (月) 3414 Continued from 05/07
 
さて、そもそもは〝終身〟と思っていた教員免許状でしたが、すでに取得していた先生たちも含めて10年ごとに講習を受けなければならなくなりました。それがスタートしたのが2009年度で、その前年には試行も行われています。私自身はその試行段階から講習にかかわっていますが、熊本大学の場合は熊本市と阿蘇の2ヶ所で試行しました。この年は受講料は無料でした。阿蘇の講座はサテライト会場版と称して、先生方の便宜を図るために導入されました。本格的な実施になった2009年度以降も熊本大学ではサテライト会場を設置しています。今年度も玉名・阿蘇・八代・人吉・天草の5ヶ所で開催します。
 天草の牛深は熊本市内から130Kmほどあって、安全運転なら4時間程度の覚悟が必要です。したがって熊本大学で9時から始まる講習を受けるためには前泊が必須になります。そんなことから天草の本渡地区にサテライト会場を設けたことは受講者の先生方からとても喜ばれています。何と言っても先生方にとって場所がいいのです。多くの離島を抱える鹿児島大学などではそうした現地でのサービスもあるようですが、一般的にはサテライトを積極的に設定している大学は少ないようです。この点は熊本大学のアピールポイントだと思います。昨年には九州新幹線が全線開業したのですが、九州大学は博多駅ビルにサテライト教室をつくってビジネススクールを開校しています。熊本の場合は駅周辺の整備がまだまだです。すでに大分駅などはでっかいビルも建っているようですが、こちらは在来線の高架工事が進行中という状況です。こうした整備は新幹線開業と合わせるのが常識だと思うのですが、どうもちぐはぐな感じがします。まあ、いろいろ事情はあるのでしょうが…。
 
お父さんにもダイエットを 2012/05/13 (日) 3413 Continued from 05/02
またまた私の話を聞いてくれた中学1年生たちの感想文です。私の売り(?)は可能な限り〝No〟と言わないことです。だから学生のころから知っている仲間から〝お前が人権の話をするなんて信じられない〟などと顰蹙を買うようなことまで引き受けるんです。ただし中学生に話をしたとき、〝No〟と言ってしまった例外的事例を紹介したのです。息子が小学生のときサッカー部に入っていましたから、土日の試合は家内とできる限り応援に出かけました。そのうち、その〝熱心さ(?)〟を評価されたのでしょうか、〝審判が足りないので資格を取ってほしい〟と言われてしまったのです。このときです、私が反射的に〝No〟と答えたのです。まさに例外中の例外でした。この話をしたとき、〝私って走ると死ぬんです〟と余計な付け加えをしたわけです。それにTMさんが反応して、〝私の父も走ったら死んでしまう糖尿病です〟と教えてくれたのでした。お父さんにもダイエットを勧めてください。私なんぞは1年で66kgバージョンを54Kgまで絞ることができました。その結果は圧巻でした。とにかく血圧に中性脂肪、コレステロールからもちろん血糖値まで、どれもこれもがマル優の成績になったのです。
 さて22人目はHMさんです。彼女は私の話を聞いて〝「朝ニッコリで、1日ギャハハ」という言葉を創ってみました〟と書いています。私が〝朝からワクワク〟してることを強調したものですから、それに反応してくれたんですね。そして〝1人1人が楽しければ「差別やいじめはなくなる」と自分で思ったので、人権を専門としていないのに、経験からいえる吉田先生はやっぱりすごいと思いました〟と続けていました。いやあほとんど詐欺師まがいの私としては何とも面はゆい。
非倫理的行為 2012/05/13 (日) 3412 Continued from 05/06
 
地球上に2人だけしかいないスーパー仮説のもとで起きるいろんなことを考えています。獲物を獲得する実力に差が出ると、うまくいく方は平等に分けることが馬鹿らしくなる。そこで〝強い方〟が〝弱い方〟を支配する現象が生まれるのです。こうして〝支配-被支配〟の関係が出来上がります。これが2人の世界にとどまらず、人間社会全体の〝常識〟になったというのが歴史の事実なんだと思います。そうなると、人と人の間に〝差〟があることも〝当然〟であり、そこには〝倫理的な〟問題はないということになるのでしょうか。いわゆる〝倫理学〟がこうした点をどう考えているのか知りませんが、なかなかむずかしい問題なのではないかと推測します。
 おそらく動物に限って言えば、力の差があること自身には何の問題もない。それが〝自然の掟〟ということになるのでしょう。ただし同種族が絶滅してしまうと〝遺伝子を伝える〟という生命体にとってもっとも重要な目的が達成できなくなります。ということで動物が意識するかどうかは別にして、攻撃も行きすぎないレベルで止まることになります。したがってその行為が〝倫理的〟だと言われることはありません。これが人間になるとどうなるのか。いわゆるホロコーストによるユダヤ人の大量虐殺は言うまでもなく、人が人の命を奪うことは〝倫理的〟に許されない。これは人類共通の基本的な行動規範になっていると思います。しかし戦争が起きると個々人の意思とは関わりなく人の命を奪うことになります。この際は〝殺人〟ではなく、戦争の目的に〝貢献〟する行為になるわけです。だからそれは〝非倫理的行為〟ではないのです。
 
不満解消策 2012/05/12 (土) 3411 Continued from 05/05
 
〝テルマエ・ロマエ〟という漫画を下敷きにした映画を観たことをお話しました。原作が漫画で映画も漫画的で、それなりに楽しめました。そのなかで私の注意を引いた台詞がありました。設定されていた時代の皇帝はハドリアヌスでした。彼が広大なローマ帝国を治めるためにけっこう豪華な〝テルマエ〟つまり〝大衆浴場〟を国中につくったというのです。これはおそらく歴史的な分析を基礎にしているのだと思いますが、いわゆる大衆操作のテクニックなのでしょうか。強権的な圧力をかけるだけでは国民の不満が高まる。これが爆発すると為政者にとってはまずいわけです。そこでみんなが楽しめる場所やイベントを企画する。それで満足感を味わう、あるいは不満を解消できればまことに都合がいい。そんな具合で〝テルマエ〟が全国各地につくられたというわけです。
 人間の歴史を振り返ると、国の内部に不満が高まったときは、①さらに圧力をかけて抑圧する、②外部に敵をつくって不満のエネルギーをそらす、③心地いい思いができるような、あるいは憂さ晴らしできる制度や施設をつくる、まあそんな対策が考えられるわけです。いずれも本質的な問題解決にはならないとしても、一時的な欲求不満は解消されるでしょう。ただし圧力をかけ過ぎるとさらに爆発のエネルギーが溜まってしまいます。そうなると圧力はもっと上がりますから、爆発の危険性はドンドン高まっていくことになります。私たちのご近所にもそうした国があるのですが、すでにプレッシャーは限界近くに達しているのではないでしょうか。周囲の国が一致団結して働きかければ爆発前にシステムを変えることもできるのでしょうが、どうも各国間に微妙なスタンスの違いがあって、なかなか進展しませんね。
 
マニュアル問題(40) 2012/05/11 (金)3410 Continued from 05/03
 
規則やマニュアルが守られない理由として、〝マニュアル通りにしている時間がない〟といった訴えもあります。この場合は、〝時間の制約〟が重くのしかかっているわけです。そのことが職場の全員に共有化されているのであれば、その事実を明らかにして規則やマニュアルを調整することが必要になります。それが組織内ですむことであれば、規則やマニュアルの遵守に責任を持っている人たちにその事実を伝えて改善するよう依頼することもあり得るでしょう。けれども現実にはそうした働きかけそのものが面倒だからということになりがちです。その結果として検討すべき情報がそのまま埋もれてしまうわけです。とくに、マニュアルを守らなくても仕事がうまくいっている場合は〝あえて問題にすることはない〟といった気持ちが職場を支配しやすくなります。
 こうして〝時間がないから〟という理由づけが〝こころの免罪符〟として共有化されるのです。これはいけません。そうしたこころの動きがマニュアルからの逸脱をさらに促進するマイナス効果をもっているのです。そうなると問題はますます深刻化していきます。職場全体で〝規則やマニュアルを守らない〟ことが既成事実化して、それに従わないことの方が常識になります。その結果、〝これはまずいのではないか〟〝ちゃんと守らないといけないのではないか〟といった指摘もしにくくなっていくわけです。そしてこうした対応が常識化すると、その発想は他の領域にまで拡大することは容易に推測できます。つまりは〝時間〟の制約がなくても〝面倒だから守らない〟ことにも抵抗を感じなくなってしまいます。
6つの〝あい〟 2012/05/10 (木) 3409 Continued from 05/05
 
〝教育は‘あいうえお’からはじまる〟ということで〝語呂合わせ〟をしながら4つまできました。〝愛〟〝挨拶〟〝eye contact〟に〝I〟というわけです。そして私なりに〝なあるほど〟と思っていただけるような〝屁理屈〟をつけました。しかし3点セットならまだ落ち着くけれど、4個というのは坐りが悪い。とまあ、私の主観ではそう思えたものですから、〝せめて5つはほしいよなあ〟と考えてしまうわけです。とにかく私の欲求にはキリがないんです。しかしあくまで〝あい〟のこじつけにこだわっていますから〝それはいい〟〝これだあっ〟と叫びたくなるようなアイディアはなかなか浮かびません…。
 とまあそんな思いが頭を走ったときでした。またぞろ〝こじつけ魔〟が私に声をかけてきました。〝おおい、お前さんがほしいと願っている‘アイディア’だって‘アイ’からはじまってるぞーっ〟。これぞまさに天の助け、そうですよね〝教育はこれしかない〟などと決めつけるのが問題なのです。〝あれもあり〟〝これもあり〟のアイディアを出して、一つひとつを実践してみる。まずけりゃあ元に戻す。私の好きな〝朝令暮改の心〟でいけばいいんですよね。ということで、めでたく5番目の〝あい〟をゲットしました。これは〝皆さんのアイディア次第ですよ〟と丸投げしているだけですが、まあよしとしてください。そして〝そう言えば〟と思いついたのが究極の〝変化球〟でした、それは〝関わり合い〟です。〝あい〟が頭にきてはいないので、〝そんなものまでありなのかい〟とルール違反を責められそうですね。けれども子どもに対する教育だけでなく、〝関わり合い〟はすべての人間関係にとって欠かせないものですから、OKにしていただきたいと思います。
 
フランスの新大統領 2012/05/09 (水) 3408
 
フランスで新しい大統領が生まれた。野党のオランド氏が現職のサルコジ氏を破ったのである。社会党の大統領は17年ぶりだという。当選の理由はサルコジ氏の緊縮策や格差の拡大に不満をもった有権者の支持が大きかったからだという。現職大統領が勝てなかったのは31年ぶりらしい。それだけ国民の不満が高まっていたのだろう。もっとも選挙は決選投票になり、得票率はオランド氏51.7%、サルコジ氏48.3%というから、数値的には大差とはいえない。その点では、いわゆる〝雪崩現象〟が起きた〝圧勝〟ではなかったわけだ。私なんぞ、フランスの政治や経済状況についてはまったく知らない。しかし今回の政権交代については、今後の推移に大きな関心をもっている。
 世界中の国がとくに経済的に厳しい状況に立たされている。それだけにどこでも現政権に対する国民の不満が高まり〝変化〟への期待が膨らむ。それはそれで当然である。そして時の政権に対してさまざまな批判がぶつけられる。それは国民の気持ちを代弁しているように聞こえる。その心理もまたよくわかる。ところで私は知りようもないが、現状を批判して別の政策を掲げる際、オランド氏側の提案に国民に痛みを求める内容が含まれていただろうか。私の勝手な推測では、けっこう〝バラ色〟っぽいものが並んでいたのではないか。〝痛み〟を伴うようなことを言ったらフランスだって有権者が逃げてしまうだろう。そこで洋の東西を問わず〝耳あたり〟のいい面だけが強調されがちになる。緊縮経済を緩めることで経済が好転するかどうか。あまり時間が経過しないうちに新大統領の政策に対する失望が広がり反発が生まれるのではないか。オランドさんごめんなさい。こんな素人予測は当たりませんよね?
 
原子力発電所の安全 2012/05/08 (火) 3407
 
長崎造船所における〝全員参画による安全運動〟は大きな成果を上げました。グループ・ダイナミックスを事故防止に応用した研究実践は世界ではじめてだったと思います。三隅先生は1994年度にレビン賞を授与されました。クルト・レビンはグループ・ダイナミックスの創始者ですが、三隅先生受賞の大きなポイントは事故防止のアクションリサーチだったのです。ところで、ロサンジェルスでの受賞記念パーティで先生は〝受賞者は三隅になっているけれど、この賞はみんなで獲得したものです〟という趣旨のご挨拶をされました。私もおっしゃるとおりだと思いました。この研究は三隅先生の卓越したリーダーシップ抜きにはあり得なかったのですが、同時に多くの弟子たちの力がなくては実現できなかったのです。こうしてグループ・ダイナミックスと安全はガッチリと繋がったのです。
 その後も私たちはリーダーシップと安全にかかわる実践研究に取り組んでいきました。そうした流れのなかで、1992年に関西電力が原子力安全に関する研究を行う研究所を設立することになりました。そこには〝技術システム〟と〝社会システム〟を研究する2つの部門が置かれました。そして、社会システム部門のトップに三隅先生が就任されたのです。三隅先生は九州大学から大阪大学に移籍され、そこで定年を迎えておられました。そうした関西でのご縁があって、社会システム部門の責任者として招聘されたというわけです。そこで三隅先生の門下生の多くが集まって原子力発電所におけるリーダーシップや安全風土などの研究を進めることになりました。私も1992年の秋口に生まれてはじめて原子力発電所に行ったのです。それは福井県にある美浜と高浜、そして大飯発電所の3つです。
 
安全との関わり 2012/05/07 (月) 3406
 
〝絶対〟ということばは〝絶対〟に使ってはいけない。私はそんな戯れ言で喜んでいます。この世の中に〝絶対〟は〝絶対〟にないと言ってもいいでしょう。もちろん私たちの職場や日常生活における〝安全〟についても〝絶対〟はあり得ません。だからこそ緊張感をもって生活し仕事に取り組んでいないと〝心の悪魔〟はいつでも襲ってくるのです。そんな立場から、私は組織の安全についてもそれなりの仕事をしてきました。
 そもそもグループ・ダイナミックスと安全は、私の恩師である三隅二不二先生がお元気なころから主要な研究テーマでした。そのスタートは1960年代の西日本鉄道におけるバスの事故防止を目的にした実践的研究にまで遡ることができます。私たちがアクションリサーチと呼んでいるものですが、集団決定法といった方法を導入することで、事故の防止に成果を上げることができたのです。
 そうした実績を基にして、1970年台には三菱重工業の長崎造船所で大規模な活動が立ち上がります。これは〝全員参画による安全運動の展開〟として、いわゆる小集団活動と監督者のリーダーシップトレーニングを組み合わせた一大プロジェクトでした。その当時、集団力学研究所副所長の高禎助氏が造船現場に入り込んでアクションリサーチを展開されたのです。私はまだ学部の学生でしたが、当初からこのプロジェクトに連れて行っていただきました。そこで体感したダイナミックな実践的研究の魅力があまりにも強烈で、ついには〝リーダーシップ・トレーニング〟と〝組織の安全〟がそのまま私のライフワークになったのです。トレーニングに関しては高氏が私の恩師でいらっしゃいます。ともあれ私は徹底した〝たたきあげ〟を自認し、そのことを誇りにしています。
 
法律は簡単に変えられる? 2012/05/07 (月) 3405 Continued from 04/30
 
もともとは〝終身〟だと思っていた教員免許状でしたが、過去に取得した人たちも免許状更新講習を受講しないとその効力を失うことになったのです。〝それって約束違反じゃないか〟と言いたくなる人もいたはずです。そして国会の議論でもその点でちょっとした疑問は出ていたのですが、結果としてはとくに大きな混乱もなく通ったわけです。それを見て私は〝法律ってけっこう簡単に変わるもんだな〟という印象を受けました。
 国会だけが独占的に立法権をもっているわけですから、まことにすごいのです。ただし、法律を変えるのがそんなに〝簡単〟なのであれば、国会議員の皆さんに関係する法律だってあっという間に相当な修正もできるということです。しかし、定数是正や議員歳費のカット、それに年金などになると、いろんな〝理屈〟を付けながら変えることに徹底抗戦と見えることが多いですなあ。〝自分で自分の首を絞めることはしない〟というのが一般庶民の行動パターンかもしれません。しかし、国会議員さんたちは庶民とは違ってほしいものです。〝個人の利得〟を越えて、〝国と国民のことを考える〟〝目先の損得ではなくしっかりした見通しをつける〟といったことに善良を尽くす気概がほしいのです。
 ともあれ、教員免許状に関する法律が改正され、原則として10年ごとに更新講習を受講しないといけなくなったのです。かくして、教育職員免許法第9条に〝普通免許状は、その授与の日の翌日から起算して十年を経過する日の属する年度の末日まで、すべての都道府県(中学校及び高等学校の教員の宗教の教科についての免許状にあつては、国立学校又は公立学校の場合を除く。次項及び第三項において同じ。)において効力を有する〟ことになったわけです。
  
〝潮干狩り〟に行ってきました 2012/05/06 (日)② 3404
 
連休中に〝潮干狩り〟に行ってきました。これまた〝孫サービス〟の一環です。そうですねえ、私自身の〝潮干狩り〟体験はこれまでの人生で5回はあるのかなあ、といった感じですね。ただしわが家の子どもたちが小さいころに連れて行ったことははっきり記憶しています。これは私にとって前回の潮干狩りでした。熊本に来てそれほど時間が経っていないころですから、おそらく30年近く前になると思います。宇土の海岸でした。その後、天草まで主として仕事で何度も往復していますが、あのとき貝を掘った場所はなくなってしまったと思います。そして、今回は連休中で渋滞することも承知の上で潮干狩りに出かけました。いつもは〝車が3台でも並ぶ〟ことが予想されるときには〝渋滞回避〟行動に出るおじいちゃんですが、これまた〝孫パワー〟の呪文にかかると〝大渋滞〟も乗り越えられるというわけです。
 実際に行ってみると〝大〟までは付かないものの、普段は1時間かかるかかからない距離が1.5倍は要した感じでした。目的地に着いたとき貝をたくさんカゴに入れて帰ってきている集団と行き違いました。そんなわけでおじいちゃんも大いに張り切ったのですが、どうも前に来た人たちが大掃除をしたらしく、期待とはかけ離れた収穫になってしまいました。それに遠くの方がいいと思っていたら、〝竹竿の囲いの中(?)〟で採れるという〝情報〟も入ってきました。やれやれ〝貝さんたちが密集して住んでいるところ(?)〟があるのでした。ともあれけっこうな入場料でしたから、おそらくダイヤモンド並みの高価な貝を掘り当てたわけです。それにしても、翌日も同じ場所に〝貝さん〟たちが〝湧き出て〟くるのでしょう。とっても不思議な潮干狩り場なんですよね…。
 
力の差と倫理 2012/05/06 (日)① 3403 Continued from 04/29
 
地球上に2人だけで生活している一方がいつも獲物を捕っていると、〝俺だけ働いているのは我慢がならない〟という気持ちになるかもしれません。その場合、獲物の一部をこっそり隠すことは正義にかなっているのかどうか。あるいは非倫理的行為だと非難すべきかどうか。その結果としてもう一方が飢えて命を落とすようなことになれば、やはり隠す行為は非難されるでしょう。人間はひとりでは生きていくことができないということを前提にすれば、それは自分の首を絞める行為でもあるのです。
 それではこっそり〝隠す〟なんてことをしないで明言したらどうでしょうか。〝おまえは獲物を捕ることができないのだから、生きていける最低限のものしかやらない〟と。そして、獲物をほとんど独り占めにするわけです。両者の間に歴然とした力の差があるのですから、ある意味では仕方がない面もありそうです。そうだとすれば、これは倫理的には問題がないのかどうか。これを容認すると、栄養十分なものとぎりぎりで生活するものにはっきり分かれてしまいます。その結果として弱い方は生きてはいけるけれど精神面ではいつも従属的な立場に置かれます。こうした関係を続けることが倫理的に問題ないのかどうか、けっこうむずかしいですね。
 そこで〝前頭葉〟にご登場願いたいと思います。先に食べないと自分の命も保証されない。そんな状況であれば〝取ったもん勝ち〟もやむを得ませんが、ある程度食べられる量を確保したのであれば、自分だけで〝貯め込む〟のではなく、すこしは分配する気持ちの余裕を持つ。これが前頭葉の作用ではないでしょうか。あるいは、獲物を捕る力がないからといって一方がいなくなると困るのなら、独り占めして喜んでばかりはおれません。
  
〝ローマの浴場〟に行ってきました 2012/05/05 (土)② 3402 Continued from 04/28
 
歴史を見ても外に集団を敵にする方法は繰り返し使われています。とくに国内で民衆の不満が高まった場合など、外敵をつくればそれなりにまとまります。攻撃の対象が内から外へ入れ替わるのです。私たちとしては、こうした戦略には十分気をつけなければなりません。そんな意味からも、〝適度〟の〝競争心〟でないと困るわけです。
 為政者の戦略と言えば、つい先日〝テルマエ・ロマエ〟という、かなり荒唐無稽な映画を観ました。タイトルは日本語にすると〝ローマの浴場〟で、漫画の映画化だということでした。古代ローマの浴場設計技師がアイディア喪失で悩んでいるとき現代日本の銭湯にタイムスリップします。そこで使われているアイディア、たとえば富士山の絵や風呂桶、着替えのカゴなどに感動しそれをローマのお風呂に持ち帰るわけです。それで設計技師として大いに評価され、ハドリアヌス第14代ローマ皇帝からもプライベートの浴場設計を任されることになります。そのあとも日本の家庭にあるお風呂や温泉、さらにはウォシュレットなどにも遭遇し大きな刺激を受け続けます。まあそんな感じですからまさにストーリーは荒唐無稽そのものでした。
 しかし、これはずっと笑っていることを売りにしている映画なのですからそれでいいのです。ついでながら、私の映画館(?)では珍しくお客さんが一杯でした。たしかに連休中ではあったのですが、いつもは人がいなくて心配しているんです。せっかく10分もあればたどり着くわが家のシネコンがクローズでもされると老後の大きな楽しみの一つがなくなってしまいますから。それにエンドロールが流れはじめたときに驚きました。だれ一人として席を立たなかったからです。これもこれまでになかったことでした。
 
〝あい〟を求めて 2012/05/05 (土) 3401
 
まだ字が読めなくても親たちから絵本や昔話を読んでもらう。これがコミュニケーションの基礎であることは言うまでもありません。その点では、福岡の積文館は〝‘あいうえお’おぼえる前から積文館〟にしていてもよかったですね。さて、〝愛〟と〝あいうえお〟を関係づけると、すぐに〝そう言えば、教育には挨拶も大事だよな〟と思いつきます。〝挨拶〟も〝あい〟ですから、〝いいじゃないか。これまた‘あいうえお’からはじまるぞーっ〟と気分が乗ってきます。するとまた〝2つだけじゃあ話のネタにはならないなあ〟という不満の声が聞こえてきます。そこで〝あいうえお〟探しがはじまるわけです。何分にも私は走り出すと止まらなくなるんです。
 それで〝あい〟を頭の中で回すと〝
eye contact〟が出てきました。日本語の〝あい〟ではなくて〝eye〟ですからかなりいい加と言いますか、まあこじつけです。しかしそれでも〝アイコンタクト〟だって教育には欠かせない大事なものではございませんか。さて、これで3個まで出ましたからまずは一安心しました。何の根拠もないのですが、やっぱし2個では中途半端な感じがしますから、せめて3つはほしくなったわけです。そんなわけで、この3つの〝あいうえお〟セットをほんのちょっとの間だけ講義や講演で使っていました。それはそれでそのうち3つではどうも物足りなさを感じてきます。
 そこで次に〝I(あい)〟を追加しました。教育は〝自分(I)が大事であること〟を教えないといけないじゃないですか。知識の獲得だけでなく子どもたちの自我の確立こそが教育の目標だと言えるのです。ということでこれで4つになったのですが、この数がまた落ち着かないんですよ。やっぱり中途半端感があるんです。
 
〝ゴーバスターズショー〟に行ってきました 2012/05/04 (金)② 3400
 
みなさん、〝特命戦隊ゴーバスターズ〟をご存じですか。もちろん子ども向けの物語です。古くは仮面ライダーなどマスクをかぶったヒーローがいましたが、その流れをくんだ活劇物語です。さらに私たちの子どものころまで遡れば〝月光仮面〟がいましたし、〝七色仮面〟も懐かしいですね。さらに〝ナショナルキッド〟という松下電器のブランド名そのままのヒーローだっていたんです。そんな時代にはショーなんてものはありませんでした。それから25年ほどでしょうか、そこそこの年月が流れて私が親になったころには、息子が〝太陽戦隊サンバルカン〟や〝大戦隊ゴーグルファイブ〟なるものに夢中になっていました。そしてスーパーの屋上などで〝ショー〟なるものが開催され、大勢の子どもたちを集めていました。
 それからさらに25年ほどが経過して、いまでは〝特命戦隊ゴーバスターズ〟というわけです。ちょうど12時からショーがあるというので1時間30分ほども前から会場に出かけていくことになりました。とにかく多くの観客が集まるので、いわばいい席をとろうというわけです。そうなんです。おじいちゃんもおばあちゃんも動員されてしっかり時間を過ごしました。いつもはわずか2、3分であっても〝待つことができない〟おじいちゃんなのです。それが1時間以上も同じところで孫やおばあちゃんと話しているのです。おじいちゃんは、そんなことをしている自分自身が信じられないでいます。PCや本を持ちこんでいるときはそれで何時間でも仕事ができます。しかし、このときは〝手ぶら〟だったのです。そんな〝最悪の条件下〟でも平気なのは、それが〝孫のため〟だからです。還暦も過ぎて柔軟性も喪失しきった老人を変える〝孫パワー〟の話でした。
  
〝あいうえお〟の話 2012/05/04 (金) 3399
 
授業や講演で〝教育〟は〝あいうえお〟からはじまるという話をしています。何のことはない、私の好きな〝ことばあそび〟です。本欄でも〝きっと書いたに違いない〟とは思っているのですが、はっきりした記憶がありません。何分にもスタートして9年が過ぎ、3,400回ほども書き続けてきたものですから、私自身がはっきりしていないんです。ただ、ここで話題にしたいのは〝同じネタ〟でもドンドン変わっていくということです。そもそもは〝教育には愛が必要だ〟という、きわめて単純かつ誰でも思いつくところからはじまりました。そして〝愛(あい)〟に自然と〝うえお〟がくっついて〝あいうえお〟と頭の中で流れていったンです。〝いろは〟もありますが何と言っても〝あいうえお〟こそは日本語のスタートです。〝ここからはじまる〟ことをアピールするには最高です。
 福岡に積文館という老舗の本屋さんがあります。このお店のキャッチコピーが〝‘あいうえお’おぼえたときから‘積文館’〟でした。まだ〝キャッチコピー〟ということばすらない時代のことです。私がしっかり記憶しているのが高校生のときですから、もう50以上は経っていると思いますね。本と言えば、このごろはボランティアによる〝読み聞かせ〟が盛んになっています。本という媒体を通して話を聞く。それが創造力を育てることは言うまでもありません。子どもだけでなく年を取ってからでも頭の健康に本は欠かせないはずです。絵本の読み聞かせは新しいものではありません。昔から親たちが枕元でお話をしたり本を読んだりしながら子どもを寝かせていました。このときに床の中で横になって親子がコミュニケーションを楽しむのです。それが親子関係づくりに大きな役割を果たしていました。
 
マニュアル問題(39) 2012/05/03 (木)② 3398 Continued from 04/26
 
〝一人ぐらいマニュアル通りでなくても大丈夫だろう〟とだれもが考えているとしましょう。それでもすぐに障害が起きるとは限りません。しかし、そのうちに限界がやってきてトラブルや事故が起きる。そのときになってはじめて、〝1人〟ではなく〝全員〟がマニュアルをないがしろにしていたことが判明するのです。まあ〝お互いにうすうす気づいていた〟ということは大いにあります。そんなときに原理原則を言えば〝オマエは堅い〟と笑われ、〝そんなこといちいち気にしていたら仕事にならない〟と言われるかもしれません。さらに〝それならオマエだけやったらどうか〟と放り出されては仕事に差し障ります。あるいは、〝オマエから具体的な対処法について提案しろ〟と言われるのも困ります。いはば〝言い出しっぺ〟にすべてが丸投げされるわけです。こうした状況では〝うすうす気づいて〟いても実際の声としては上がってこないでしょう。
 また個々人が単独で仕事をすることが多い職場では、仕事仲間同士で〝うすうす気づく〟可能性もなくなります。そうなると、〝一人ぐらいマニュアル通りでなくても大丈夫だろう〟という誘惑が高まりやくすなるでしょう。とにかく他人には自分がマニュアルを守っていないことを気づかれないからです。事故や災害が起きてからいろいろな弁解がなされます。〝自分一人くらいなら違反しても大丈夫だろうと考えた〟〝私のところで問題があっても、誰かが対応してくれるだろうと思った〟等々…。こうした実態はトラブルや事故を取り上げたマスコミの報道でも頻繁に明らかにされていますね。
 
小さいけれど、とてもいい話 2012/05/03 (木) 3397
 
いま熊本大学の附属学校に学生がやってきて教育実習が行われている。一昨日のこと、私が仕事場から引き上げるときに数人の実習生と会った。彼らも帰りどきだったが、そのうち一人の女子学生はしっかり疲れたという感じがにじみ出ていた。自転車を支える体にもそんな雰囲気が漂っていた。〝いやー、ごくろうさん〟。私は心の中で声をかけて運転席に体を入れた。それから校門を出て信号を持っているとき、自転車の女子学生が私を追い抜いていった。その信号からさらに300メートルほど先の交差点で再び信号にかかった。スクランブルの歩道を附属の子どもたちも渡っている。と、そのとき明らかに目が不自由だとわかる若者が歩道脇に立っているのに気づいた。この信号は音などのサポートがないため横断するタイミングがわからないように見えた。そして歩行者用信号はすでに点滅をはじめてしまった。〝このままでは渡れないかもしれない〟。
 そうは思ったものの私の進行する方向の信号はもうすぐに青になるはずだ。後ろに車が並んでいる。はっきり言えば、私としては〝ああ大変だなあ〟と思うだけで行き過ぎるのである。そう考えたときだった。あの女子学生が目の前の歩道を渡ってしまったように見えたのだが、さっとハンドルを切り返して信号際に戻ってきた。そしてにこやかな顔をしてその男性に声をかけたのだ。その瞬間に信号は青になり私は自動車を前に進ませた。あの青年はしっかり歩道を渡ることが出来たに違いない。疲れたように見えた女子学生だったが、彼女は横断歩道に入る際に目の不自由な男性の姿が目に入ったのだ。そして信号が点滅するのを見てとっさに引き返したのである。すばらしい。本当にすばらしい。私は目頭を熱くさせながら車を走らせた。
住民の責任 2012/05/02 (水) 3396 Continued from 04/12
 
橋下さんとしては〝府県民の努力〟を話題にしたのですから、大阪市だけでなく京都府および4県の住民にも大いに協力を求めていかないといけないわけです。まあ少なくとも、自ら率先垂範して関連する首長たちとしっかり連携を図って、全員が一丸となって節電に突っ走ることが必要なわけですね。もちろん橋下さんのことですから、そのあたりはすでにぬかりなく手を打っておられることでしょうね。そして、それほどがんばったにも拘わらず、住民がその負担に耐えられずこけてしまったらそれは住民のせいだというわけですね。これって、〝いくらリーダーである自分が旗を振っても、住民がいい加減だとどうしようもない〟と言っているようにも聞こえるのですが、これもまた揚げ足取りなんでしょうか。もう少し言うと、〝この夏に電力事情が悪化してアウトになったとしても、私には何の責任もないもんね〟ということなんでしょうか。
 混迷する日本の政治に一石を、いや巨大岩石を投じようという青雲の志をもつ橋本さんですから、原発再稼働反対は死守すべき最重要課題として位置づけていらっしゃるんですよね。そうした猛烈な勢いのなかで、結局は〝府県民の努力次第〟というのでは何となく拍子抜けしますよね。〝市民の支持を受けたものとして、皆さんには不便とご苦労をお願いします。少しの停電などは我慢してください。そしてこれにご協力いただけない方がいらっしゃって産業や生活に問題が発生した場合は私が責任を取ります〟。このくらい言い切られるとド迫力が出るんですけれどねえ…。読売新聞の記事は〝節電策に住民の支持が得られない場合、再稼働を容認する意向を示した〟なんてまとめていますが、そんな解釈をされてもいいんですか、橋下さん。
 
人権から朝食まで 2012/05/02 (水) 3395 Continued from 04/12
 
私の話を聞いてくれた中学1年生たちの感想文はまだまだ終わりません。今日は20人目から始めましょう。今回読んでいる感想文は昨年12月のものですが、全部で116人分を送っていただきいました。まだ先が長いのですが、少しずつピックアップして進んでいます。
 まずはYMさんです。〝吉田さんのおかげで、人権のことなどがよく分かりました〟。ありがとう。ただし吉田さんとしては、〝自分は人権の専門家じゃないんだよなあ〟という思いもあって苦笑いしています。若いころから私の仕事を知っている同業の仲間が聞いたら、〝あんた何をやってんのぉーっ〟と言われそうなんですよ。それに加えて、人権問題の専門家たちからも〝オマエはインチキだーっ〟と顰蹙を買う可能性もあるなあ。ああ悩ましい…。
 さて、TMさんは〝朝食は、これからどんなにいそがしくてもきちんと食べるように心がけ、味噌汁と納豆などの和食系も食べていこうと思います(21)〟。と書いていました。私が〝朝ご飯を食べるときから楽しくてたまらない。とくに豆腐の入った味噌汁と納豆は見ただけで叫びそうになる〟と話したものですから、その気になってくれましたね。ただし〝朝食はパン系〟というお家からは、〝余計なことをしゃべらないで〟とお叱りを受けるかもしれませんね。まあこの際はどちら系でもいいので、朝からしっかり食べてください。また、〝私の父も走ったら死んでしまう糖尿病です〟と深刻な個人情報まで書いちゃいましたね。私の子どもが小学生のときサッカーをしていたのですが、欠かさず応援に行っていたので〝熱心な親御さんだ〟と思われたようでした。それはいいのですが、あるとき〝人手が足りないので審判の資格を取ってほしい〟と言われちゃったんです。
橋下さんと大飯原発再稼働 2012/05/01(火)3394
 
その人に影響力があればあるほど、少しでも大事な発言をすれば、その責任もしっかり重くなります。ただの言い放しでは、文字通り〝放言〟ということになってしまいます。それではまずいですよね。〝行列〟の時代から元気よく、その後は大阪府知事へ転身し、そして現在は大阪市長として、いまやその発言は総理大臣よりも注目されているのが橋下徹る大阪市長さんです。まさに、それいけどんどん、やれいけどんどんで大元気というところでしょう。そして、橋本氏が関西電力大飯原子力発電所3、4号機の再稼働に反対していることは全国民(?)の常識でしょう。
 その彼が大阪市役所で報道陣に話した内容が4月27日の読売新聞に載っていました。それによると、まずは〝原発を再稼働させなくても(今期の電力需要を)乗り切れるかどうかは関西府県民の努力次第〟と発言したらしいのです。私としては、その瞬間〝うん?、府県民の責任?〟と思ってしてしまったのですが、そのあとにもう一言続いていました。〝その負担が受け入れられないなら、再稼働は仕方がない〟と述べたというのです。うーん、これを聞くとやっぱり府県民の責任は重大のようですね。つまりは府県民の努力こそが決定的だということですから。ということは、結果として大飯の原子力発電所が再稼働することになっても〝僕の責任じゃないもんね〟と仰ってるようにも聞こえるのですが、それって揚げ足取りなんでしょうか。ところで、ここで府県民というのは関西電力が電気を供給している地域内のすべてのエリアということになるのだと思います。関西電力の営業所一覧によれば、それらは大阪府、兵庫県、和歌山県、奈良県、京都府と滋賀県の2府4県のようです。これはこれでかなり広いですね。
著書紹介 〝人間理解のグループ・ダイナミックス〟(ナカニシヤ出版 2001) 〝人生をよりよく生きるノウハウ探し〟(熊本日日新聞社 2007) 〝実践的リーダーシップ・トレーニング〟(メヂカルフレンド社 2011)