〝顧客第一〟 2012/03/31(土)3352②
ドラッカー(Drucker, P. F.)は〝現代の経営(上田惇生訳 ダイヤモンド社)〟で興味深いことを書いている。ある大学の学長が言ったことばが忘れられないというのである。〝私の仕事は、一流の教授が学生を教えられるようにすることである。彼らが同僚や私とうまくやれるかは関係ない。優秀な教授で、人とうまくやれる者はあまりいない。困った教授も多い。しかし彼らは学生を教えている〟。そんな学長がリーダーシップをとった大学は順調にいったらしい。そして、〝この学長の後任がこのような考え方をやめ、「平和と強調」を重視する方針をとるようになって以降、その大学の教授陣の仕事ぶりは低下し、教授陣の文化も堕落した〟という。私も大学人の端くれだが、強調点はきわめてまともである。学生にちゃんと教えること、その一点がもっとも大事だということである。そのためには摩擦があっても、学長が毅然として教師に対応したのである。いまでは教師がサービス業であることは常識である。そして、毎学期の終わりには学生による授業評価も当たり前のことになった。学生たちが書いたコメントについても、ネットできちんと答えることが求められている。そんな時代なのである。それはそうと、アメリカでも〝優秀な教授で、人とうまくやれる者はあまりいない〟というのはおもしろい。さらに、学長を〝困った教授も多い〟と嘆かせる先生方も少なくないのだろう。しかし、そうした対人関係力についてはとりあえず置くとして、〝学生をちゃんと教えてくれないと困る〟というわけだ。こうした事例を通して、ドラッカーは一貫して〝顧客〟を大事にすることを強調している。 |
たった一人の〝倫理観〟 2012/03/31(土)①3351 Continued from 02/28
〝倫理的行動〟に関するお話の続きです。前回は2月28日でしたから、お読みいただいていない方も多いと思います。地球上に〝A〟という人間が〝たった一人〟しかいないことを前提に、その行動を考えていたわけです。そして、〝一人〟でいる限り、どんな行動をとり続けたとしても、〝A〟の行動や生き方には〝倫理的〟、あるいは〝善悪〟の問題は生じないでしょう。そもそも、それを〝評価する人〟もいないわけです。そして、時間の経過とともに経験も豊かになってきます。その結果、〝A〟が食べ物を手に入れる方法は洗練されていくでしょう。そうなると、〝蓄え〟もできることになります。あるいは、動物を捕らえる技術を身につければ、狩猟も可能になります。しっかり動物を捕まえて、貴重なタンパク源を確保するのです。もちろん、Aが〝生き物の命を奪うなんて、自分は何ときわめて非人道的、非倫理的な行動を取っているのだろう〟などと思い悩むことはないでしょう。人間はいろいろなことで〝痛み〟を体験します。ですから、動物を殺すときもそうした〝痛み〟を想像することはできます。また、その際に苦しむ様子が見られれば、それなりの〝感情〟もわいてくるでしょう。ところで、〝いただきます〟は〝生き物の命をいただきます〟から生まれたという話をよく聞きます。誰もが〝なあるほど〟と納得すると思うのですが、これには異論もあります。メモを取っていなかったので、しまったと思っているのですが、たしかある言語の専門家の話でした。そもそも〝戴く〟には〝頭の上に載せて〟といった意味であり、お偉い方から頂戴するというニュアンスが強いというのです。とにかく手元に記録がないので説得力不足ですが、とにかくそういうことでした。 |
責任が負えない… 2012/03/30(金)3350
坂本龍馬が土佐藩を脱藩しておよそ1年後に姉の乙女に送った手紙がある。そのなかで、龍馬は〝国のため天下のためちからおつくしおり申候〟と書いている。小沢氏は法廷で〝いつも天下国家のことを考えており、そのほかのことはすべて秘書に任せていた〟と述べたらしい。しかし、いま〝国のため、天下のため〟を思って命をかけている政治家がいるのだろうか。これは国民の多くが抱いている疑問ではないか。小沢さん自身はそう宣言しているのだが、ご本人以外の評価はいかがなものだろうか。私が属する団塊の世代も含めて、われわれはすでに将来に責任を負うことができない年齢に達している。その点だけでも、もういい加減に表舞台から降りた方がよくはないか。このところ大問題になっているAIJの社長は、とんでもない損失を出してから〝何とか取り戻したいと思った〟という。そんなメンタリティと似てはいないか。未来を生きる人たちにバトンタッチする。それが、われわれ以上の世代にとって〝国家天下を考えた〟理性ある行動ではないか。それはそうと、そもそも裁判が公開されているのはどうしてなのか。法律にはズブの素人ながら、〝法廷での発言〟が〝もっとも大事だから〟だったからではないのか。そこで裁判官を含めて、みんなに納得のいく説明ができないのでは、やっぱしまずい。その点で、小沢氏の法廷における発言は投げかけられた疑問に答えていないようだ。だからこそ、多くの調書が証拠として採用されなかったにもかかわらず、弁護側が警戒しているのである。それにしても、このごろは法廷での発言を重視する傾向が出てきたというが、それなら今まではどうだったのか。すでに調書で勝負がついていたものをショー的に公開していただけなのか。 |
常識とのズレ 2012/03/29(木)3349 Continued from 03/25
小沢氏の判決が近づいている。めでたく〝無罪〟を獲得してから、〝しっかり動く〟。そのためにも、消費税に関する議論を先延ばしにする。これが小沢氏たちの戦術だとテレビの評論家が言っていた。小沢氏側は〝下種の勘繰りだ〟と無視することだろう。もちろん、素人にはその真偽はわからない。ただ、報道を見る限り、裁判での発言内容は市民感覚からは逸脱している。いくら秘書を信頼しているからといって、何の契約書であるかを一言も聞かずにサインするなんてあるんだろうか。それも1万円程度のものではなく、その1万倍以上にもなるような額の契約なのである。まずもって〝常識的〟にはあり得ないと思ってしまう。新聞報道によれば、細かいお金については、とにかく〝秘書に全面的に任せていた〟ということらしい。その昔、〝秘書が、秘書が〟と言って責任を逃れようとして顰蹙を買った国会議員がいた。このあたりのメンタリティはまったく変わっていないようだ。仮に〝そのとき〟はしっかり聞いていないとして、会計を締める時期などにも報告を受けないものなんだろうか。司法側から指摘されるまで気づかないというのも、これまた〝常識〟とは決定的なズレがある。そして、裁判ではそうしたことを知らなかったことの迂闊さは認めているようだ。このあたりはかなりのテクニックである。〝知らなかった〟のは〝まずかった〟と〝率直に認める〟ことで、あくまで〝知らなかった〟ことを際立たせるわけだ。〝率直さ〟は〝正直〟に直結して、当人に対して望ましい印象を生み出す。ところで小沢氏は裁判の中で、〝自分は天下・国家のことだけを考えいた〟といった発言もしたようだ。〝天下国家〟というキーワードで、あの坂本龍馬のことを思い出した。 |
〝若者の未来〟を… 2012/03/28(水)3348
配達ミスをしてしまったアルバイト(推定)くんは、〝交通事故に気をつけて〟という私の呼びかけに、にっこり笑って引き上げていった。あれから1ヶ月以上が経過したが、その後は仕事にも慣れて、配達初体験のことを活かしているだろうか。さて、玄関先で彼を見送ってから、ようやく夕食となった。当然のことながら、わが家でも〝誤配事件〟とその顛末が話題になる。そこで、家内が〝それなら、アルバイトくんに最初にもってきた分を上げればよかったんじゃないの〟と問いかけてきた。アルバイトくんが自宅に住んでいるのか、あるいはアパートを借りているのかはわからない。しかし、はじめに誤配したものはそれなりの内容があった。だから、彼だって迷惑にはならなかったはずだ。もし、一人暮らしの学生だとすれば、むしろご馳走だといってよかった。しかし、私としては〝それはないなあ〟と思った。その理由は二つある。まずは、〝置き場所〟の問題である。おそらく原チャリで配達してきたのだと推測した。そうなると、それを店の外に置いておくことはむずかしい。もちろん、お店に帰ってから〝お客さんから私が食べるようにと言われていただきました〟なんて説明することはあり得ない。どう考えても、先方に引き取ってもらうように指示されていたはずである。ただでさえ、〝ミスった責任〟を問われている立場上、そんなことはできないに決まっている。もう一つは、もしも店外の〝適切な場所〟に〝隠すこと〟ができた場合である。そうなると、一時的に〝ばれる〟ことはない。しかし、これも相当にまずい。彼は〝隠した〟という体験をこの先ずっと背負っていくことになるのだ。私が、未来ある若者の〝後ろめたい〟体験づくりに関わってはいけない。 |
〝味噌汁事件〟の普遍化 2012/03/27(火)3347
誤配だと伝えられた外食チェーンは、〝配達が初めての者だったので〟と、その理由を挙げた。しかし味噌汁に関しては、これで2日目のミスだった。わずか2回しか出前を注文していないのだが、確率的には100%のエラーである。もちろん、その際は別の人間が配達してきたのだ。したがって、この点については〝初めての者〟だという理由は成り立たない。つまりは、〝味噌汁を忘れやすい状況〟があるということである。これを小さなミスだと考えるか、重大な問題だと受け止めるか。このあたりが、組織にとってエラーをなくし、あるいはトラブルを未然に防止できるかのポイントになる。〝味噌汁〟はたまたま現れた具体的な現象に過ぎない。それが置き去りにされてしまうメカニズムというか、仕組みのなかに、他にも同じような問題を引き起こす要因があるのではないか。こうした見方と原因の追及、さらには再発防止の具体的な対策、そしてその実践がひとつの流れとして完結することが大事なのである。こうしたときに、エラーを起こしてしまった個人を責めているだけでは組織全体の知恵にならない。また、〝味噌汁程度〟のこととして、〝困ったことだ〟と軽く扱うのも、せっかく問題が目に見えたときの対応としてまずいのである。そうした職場の雰囲気が、さらに大きな組織の安全を脅かすことがあると考えた方がいい。少なくとも組織の責任者はそうした問題意識をもち続けていかねばならない。さてさて、寒い中を〝恐縮〟を背負ってきたアルバイトくん、あまりにもかわいそうで、つい名前まで聞いてしまった。そして、玄関ドアを開けて、〝○○くん、交通事故に気をつけてね〟と声を掛けた。沈んだ気持ちで原チャリなんぞに乗ったら危険この上ないから…。 |
味噌汁の鬼門 2012/03/26(月)3346
わが家に誤配してしたため、外食チェーン店のアルバイト君が本来の注文品をもってきた。とにかく恐縮しているのだが、そこには味噌汁もあった。じつは、最初に間違ってもってきたとき、注文していた味噌汁を忘れていたのである。そのことを伝えると、わが家の玄関先でレシートに手書きで修正して差額を取らなかった。これは当然の対応である。しかし、今回はその味噌汁を持参しているのだから代金を払う必要がある。そこで、〝味噌汁はいくらだったっけ〟と確かめた。しかし、その分も〝私の責任ですから〟と言って受け取ろうとしない。私としてはアルバイト君が仕事の責任の取り方を勉強するのも、今後の人生にプラスになるとは思う。しかし、味噌汁分まで支払わないのは客として気持ちが落ち着かない。そこでこちらも〝いやいや、この分は払うよ〟主張した。しかし、それでも彼はかたくなに受け取りを拒むのである。そうした流れで、こちらもあまり突っ張りすぎるのもどうかと思いはじめた。そして、結果としては彼の気持ちを受けることにした。こんなやりとりをしながら、ある記憶が蘇った。じつは、それ以前にもこのお店に出前を頼んだことがあった。そのときが最初だったが、内容に満足したので再び注文したのであった。ところが、何とその際にも味噌汁を忘れていたのである。もちろん、今回と同じように、その場でレシートを修正してもらい味噌汁の代金は払わなかった。このお店の味噌汁にとってわが家は鬼門のようだ。今度はアルバイト君から受け取ってから少しばかり時間をおいて包装を開け、そこで誤配に気づいた。それから、注文していないものが入っていたとお店に電話した。そのとき、先方は〝配達するのが初めての者なので〟と説明した。 |
誤配物語 2012/03/25(日)②3345 Continued from 02/19
外食チェーン店に配達を頼んだら、注文していないものをもってきた。それも包装を開けてから気づいたので、少し時間が経ってからお店に電話した。先方はお詫びをしながら〝配達がはじめてなものですから〟という理由も付け加えた。そしてしばらくして、本来の注文品をもってきた。どう見ても学生アルバイトだが、ぽっちゃりして生真面目そうに見える。〝寒いのにご苦労さん〟といって、間違ったものには手をつけていないことを伝えて返そうとした。これに対して、〝よろしければ食べてください。それが大変でしたら処分してください〟との返事が返ってきた。食べ物だから、そんなものなんだろうなあとは思った。しかし、その分は彼がバイト費から弁償するに違いない。さらに、わが家に間違ってもってきたものを注文したところがあるはずだ。そちらにも改めて配達しなければならない。その分だって弁償させられるのだろう。そう思うとかわいそうになった。しかし、とにかく彼は大きな体を小さくして恐縮している…。いつもこのコラムをお読みいただいている方は、〝どこかで聞いたことがあるなあ〟と思われることだろう。ここで、私もまことに〝恐縮〟なのだが、この物語を数日間連載していながら、2月19日で止まったままでいた。そのまま放りっぱなしだったのである。今日になってそれに気づいたが、その瞬間は〝もういいか〟と思った。しかし、あの時点では私なりにもう少し言いたいことがあったのである。そのことを〝憶えている〟だけで、〝まだ老化も深刻じゃないか〟と妙に嬉しくなった。とにかく、このごろは〝水が流れるように記憶も流れてしまう〟もので…。そこで、またまた〝恐縮〟しながら、少しばかり続きを入れさせていただきたい。 |
法廷での発言 2012/03/25(日)①3344
裁判員制度が導入されたとはいうものの、いまでも法律はきわめて専門的な領域である。この制度が導入されて、はじめて裁判員が法廷で被告に質問を投げかけた。その内容について、専門家が〝法曹関係者では考えられない視点だ〟と驚いていた。もちろん、それは肯定的な意味合いを含んでいた。しかし、われわれにとっては〝それって、誰もが感じる当たり前の疑問でしょう。いままでそんなことすら聞いてなかったの〟と、こちらが驚いてしまうようなものだった。つまりは、それまで法廷で行われていたやりとりは庶民にとって〝常識〟とはかけ離れていたのである。そんなわけで、あの小沢一郎氏の裁判でも、法技術論というのだろうか、手続き的には無罪になる可能性が高いという雰囲気がただよっている。何といっても、多くの供述調書が証拠として採用されなかったからである。ただし、このごろは法廷での〝生のやりとり〟を重視する傾向が出てきているらしい。検察関係者と被告しかいない密室で得られた供述などの証拠よりも、法廷という公開の場で語られた内容を大事にするというのである。その点を小沢氏の弁護側は警戒しているようだ。供述調書の大半が証拠として採用されなかったところまでは、小沢氏側としては大成功ということになる。なにせ、証拠がないのだから罪に着せようがないのである。まさに〝してやったり〟なのだ。ところが、調書の信頼性は置いといて、法廷での発言を大事にすると言われると、必ずしも大安心とはいかなくなる。お金の出所や動きについて、〝なあるほど、それはもっともだ〟という説明をしないと、発言の信頼性に疑いがもたれてしまう。人間というものは〝真実〟を語ると同時に、けっこう〝嘘〟をついたりもするからである。 |
懐の深さ 2012/03/24(土)3343
リーダーの〝懐〟は組織の階段が上にいくほど深くなる必要がある。大人が子どもと同じ条件で戦ってはいけない。その〝深さ〟が大きければ、構成員たちに与える影響も大きくなる。組織に問題が発生したとき、部下たちの状況を理解し、その考えを〝受け止めてくれる〟。そんな評価をされれば、それだけ〝信頼感〟も高まる。懐が深いだけに、あらゆるエネルギーが流れ込んでくるのである。しかし、その〝深さ〟は相対的なものである。相手よりも〝ほんの1mm〟だけで深ければ、まずはよしとしよう。その〝深さ〟を示す目安のひとつが率直さである。こちらから壁をつくっているようでは、〝風通し〟がよくなるはずがない。組織が大きくなればなるほど、階層が増え、情報の流れも複雑になる。そうなると、〝コミュニケーション・ギャップ〟による問題や事故が増えることはあっても減ることはないのである。〝そんならどうするか〟ということになる。トップがいつも現場に出かけて対話するわけにもいかない。まずは〝トップダウン〟があってしかるべきである。しかし、それと同時に〝グラウンドアップ〟が大事にされなければならない。ただし、〝私は大地にある皆さんを大事に考えています〟などと言うだけでは意味がない。それでは聞こえてくるべき声も聞こえてこない。とりあえず抽象的な言い方をするなら、〝トップが尊敬される〟ことが必要だ。どんなに力があっても、尊敬されていなければ人はついていかない。自分たちにとって利益がある範囲内で〝いい顔〟をし続けるだろう。しかし、それは〝面従腹背〟であるかもしれない…。この話題については、まだまだ書きたいことはいくらでもある。しかし、もうこのくらいで一区切りをつけておこうと思う。 |
トップ層の懐具合 2012/03/23(金)3342
〝おはぎ〟の販売現場で客が買うのを止めたことなど、トップは知るはずがない。そんな細かい事実をすべて把握することなど、できるはずもない。〝天網恢々疎にして漏らさず〟というが、実際には〝漏らして〟いることが少なくないに決まってる。それならどうするか。最終的には、〝すべての構成員〟が〝自分がなすべきこと〟と〝なすべきでないこと〟を自覚することが決め手になる。それには、〝仕事のやり甲斐〟〝仕事に対する意欲〟を高めることである。こう言ってしまうと、〝そんなの当たり前じゃんか〟でおしまいになる。そこで、われわれの立場を我田引水的に主張すれば、ここで大いに力を発揮するのが〝リーダーシップ〟なのである。これは組織のあらゆる階層におけるリーダーシップの問題である。とりわけトップのリーダーシップは組織の存続を左右する。組織にとって、まずは〝トップダウン〟のルートがしっかりしていなければならない。しかし、それが効果を上げるには、〝トップ〝から〝ダウン〟へと指示や命令が流れるだけでは十分ではない。そこに、〝グラウンドアップ〟が重要な役割を果たすことになる。〝自分たちは必死で努力しているのに組織全体に伝わらない。その最大の原因は彼らの能力だ〟。こんな調子でトップ層が組織の構成員たちを批判していては、事態の改善は望むべくもない。〝風通し〟が悪いのは、自分たちが窓を閉め切っているからである。〝風〟ならまだいいが、溜まっているのが〝水蒸気〟だったら、そのうち〝爆発〟してしまう。そうなれば組織自体が〝おしまい〟になる。〝金持ちけんかせず〟という嫌みな言い回しもあるが、いかに〝力ある者〟が〝懐の深さ〟を示すことができるか。ここが腕の見せ所どころなのだ。 |
〝おはぎの現場〟と〝トップダウン〟2012/03/22(木)3341
おはぎについては、好みもあるし、個数もそんなにいらない。お店に入ったときは、粒餡、漉し餡、きな粉、すりごまが個々に置いてあった。つまりは買う方が選択できたはずである。ところが、いま目の前にはパッケージに入ったセットしかない。〝これ、パッケージで買うんですか〟と聞いてみた。返ってきた答えは〝はい、そうです〟。それじゃあ個数も多いし、何種類もいらない。私としては、〝お好きな分だけでもよろしいんですよ〟といった答えを期待したのだが、その気配はまったく感じられなかった。時計を見るともうすぐ5時半である。販売員は少し年配の男性と若い女性の2人組だったが、彼らの仕事時間が終わりに近づいていたのではないか。もう気持ちは帰りの支度ということだった可能性がある。ともあれ、この2人には〝何としても買ってもらおう〟という迫力に欠けていた。そんなわけで、あえて〝ばら売りはしないんですか〟と問いかける気持ちにもならずに、おはぎとサヨナラした。そして、お目当てのおはぎは、その翌日に別のお店で調達した。こちらはどうせ2、3個しか買わない客である。あのときも、それを逃したからといってどうということはなかったと思う。それに売れ残っても、その分を自分たちが買い取るわけでもない。おそらく、こんなところだろう。まあ、お彼岸のおはぎの2個や3個で興奮しても仕方がない。しかし、どんなにすばらしい品質のおはぎであっても、それを販売する人たちの気持ちを高めないとまずいのではないか。つまりは働く人たちの品質が先なのである。〝事件は現場で起きている〟。こうした現場での〝出来事〟をトップたちは知る由もない。とりわけ〝トップダウン〟だけでは、そうした実態は把握できない。 |
スマイルのインフレと流行 2012/03/21 (水)②3340 Continued from 03/04
講演を聞いてくれた中学生の感想文でございますよ。前回は〝1日30回以上笑いたい〟と書いてくれたYMさんに感動したところで終わっていました。経済のインフレはデフレと並んで困るのですが、〝スマイル〟はハイパーインフレを目指したいものです。また、インフルエンザの流行は防がないといけませんが、スマイルはどんどん流行してほしいですね。MGくんの〝人権はバランスが大切なことがよくわかりました(13)〟。朝練で5時半に起きないといけないTSさんは、〝朝練もいやだなと思ってやっています。でも吉田先生の話を聞いて、私も朝からキャッキャして楽しく朝練にいきたいと思いました(13)〟。いいですねえ。話しに行ったのが12月でしたが、そのあと寒さはさらに厳しくなってましたが、いまでもキャッキャできてるかなあ。さて、冒頭に〝いつ死ぬかわからない人生で〟という文章が目に入ってきて、とりあえず〝ドキッ〟としました。何のことはありません。この私が〝自分はもう60歳を過ぎています。朝になって家族が気づいたら床の中で冷たくなっていてもおかしくない年になりました。それなのに目が覚めたらまだ生きてるではないですか。もうそれだけで嬉しくなってしまう〟なんてことを話したわけです。それに対するHYくんの反応だったのです。彼は〝朝起きること、朝ご飯を食べたりすることは、とても幸せなことだと考えさせる話でした(14)〟とまとめてくれました。そんな気持ちになってもらいたかったんです。〝今日は吉田さんの話を聞いてとっても感動と笑いのどっこいどっこいでとてもおもしろかったです(15)〟。これはNSさんの感想文です。おかげで、私自身が〝とっても感動と笑いのどっこいどっこい〟体験をさせてもらいましたよ。 |
〝おはぎ〟の現場 2012/03/21 (水)①3339
〝現場第一線の仕事〟がいい加減では、組織が送り出すアウトプットの品質保証なんてあり得ない。お彼岸である。スーパーに買い物に出かけたところ、店頭におはぎが並んでいた。粒餡や漉し餡、それにきな粉ををまぶしたものなど数種類が置かれている。〝おいしそうだなあ〟と思う。甘党である。3年ほど前にダイエットにチャレンジして、66kgバージョンが54kgに変身した。その秘訣は〝甘いもの〟追放である。細身が完成して2年を過ぎた。いまでは〝甘いもの〟も節度をもって楽しんでいる。お彼岸だからおはぎも悪くない。ともあれ、お店に入ってすぐのいい場所で2人の販売員が立っている。〝いらっしゃいませ〟。なかなかいい雰囲気である。ふと見ると、名の知れたパン系の会社のものである。〝いいねえ、帰りに買うとするか〟。とそう思ったわけだ。私が一人で買い物に行くことはほとんどない。いつも家内と一緒だ。というよりも、ただ着いていくだけのことである。ただし、私にも自主性があるから、店に入るとまったく独自に行動している。あっちに行ったりこっちに来たりとけっこういそがしい。とにかく店中にモノがあふれている。どれもこれも見ているだけでワクワクしてくるのである。それで大満足できるのだから、われながら経済的な人間だと笑ってしまう。さてさて、家内が買い物を終えてレジに並んでいる。私はといえば、先ほどのおはぎのところへ向かった。ふと見ると、おはぎがすべてパッケージに入れられている。お店に入ったときは、台の上に並んで置いてあり、いわゆるバラ売りの状態になっていた。パッケージの中には3種類ほどのおはぎがセットにされている。わが家にも好みがある。たとえば粒餡がいいか、漉し餡がいいかなどと…。 |
〝ground-up〟2012/03/20(火)3338
組織を〝山〟と見立てた私としては、〝山〟がよって立つのは〝大地なのだ〟と叫びたくなった。そう、〝大地=ground〟である。うまいことに、この〝ground〟にも〝麓〟という意味があるのだ。むろん、〝基礎・基盤〟という意味も挙がっている。もうこれで決定だ。私としては〝トップダウン
top-dowan〟に対応する新たなことばとして、〝グラウンドアップ ground-up〟を採用することにした。この地球上には、〝山がない大地〟はいくらでもある。しかし、大地がなくては山そのものが存在することができないのである。あの美しい富士山も大地の上に雄大な姿を披露しているのだ。地球上の山々はこのことを十分に認識しておくべきである。もっとも、〝俺たちのおかげで大地がある〟なんて、子ども向けの童話に出てくる山だって言うわけがない。自然界の山にそれを期待するのは無理な話だ。しかし、〝組織〟という山の頂上にいる人たちには、この事実を認識することが求められているのである。ともあれ、〝大地があるおかげで、山として存在し得ている〟。これ事実であり、組織の物語はここからはじまるということだ。〝踊る大捜査線〟というテレビシリーズがあった。ときおり劇場用の作品も作られていて、私も観にいったことがある。織田裕二扮する第一線の警察官青島俊作が叫ぶ。〝事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ〟。これが、このシリーズ最高の〝名台詞〟である。それは警察が扱う〝事件〟だけに限られてたことではない。この世の中に存在しているすべての組織において、第一線こそが基礎の基礎である。モノを作らない製造業はない。顧客と接しないサービス業はありえない。そして、教育だって教室こそが現場なのである。 |
山の麓 2012/03/19(月)3337
トップを頂点とする組織を〝ピラミッド〟として捉えると、全体を支える基礎部分は〝底辺〟になる。私としてはここが気に入らない。この問題意識がスタートだった。そこで、〝ピラミッド〟ではなくて組織を〝山〟と考える。これまでも、〝ボトムアップ〟の重要性を強調するために、次のような話をしてきた。〝水は低きに流れるだけではない。そうだとすれば、川は一瞬にして涸れてしまう。川の流れが絶えないのは、水は高きにも昇っているからだ。ただし、それは水蒸気という目に見えない状態になっている。その吸い上げる役割は太陽が担っている。これと同じように、トップは、構成員たちの、直接は見えない、あるいは聞こえない意見や気持ちを吸い上げる太陽でなければいけない…〟。ということで、すでに〝山〟をイメージしてはいたのである。さて、組織を山に置き換えると、頂上の〝トップ〟はそのままでいい。そして、〝底辺〟の代わりに〝麓〟として〝foot〟を当てることができる。これは〝bottom〟にくらべて、はるかにいい感じになる。しかし、さらに和英辞書で〝麓〟を引けば、〝base〟も載っている。ついでながら〝bottom〟だってちゃんと入っているから楽しい(電子版新和英大辞典)。つまりは、〝bottom〟〝foot〟〝basa〟はいずれも〝山の麓〟なのである。しかし、私としてはここですんなり〝foot〟か〝base〟でとは思わなかった。両者とも、まだ〝ぴったし感〟がない。私が言いたいこととはズレがあるのだ。これまでの〝bottom〟のイメージを完全に払拭したい。そういう思いにこだわっているわけだ。そこは組織が存在するための基礎の基礎、基盤である。もっともっと大事にすべきだ〟。この気持ちを満足させることばがほしい。 |
今年のホークス 2012/03/18 (日)②3336 Continued from 03/04
ホークスは昨年88勝で優勝した。そのうち43勝分は杉内、和田、ホールトンの先発である。今年はこの3人がいなくなった。そこで単純に考えるとホークス危うしとなる。もちろん補強もしたし、若手の成長などもあり、彼らがどのくらい活躍するかがポイントになる。過去にもホークスではおもしろい現象が起きている。ホークスは1999年に、福岡に移転してから初めてのリーグを制覇し、中日戦を勝ち抜いて日本一になった。このときのMVPが工藤公康投手で、チームを引っ張った。ところが、工藤はその年にFAを行使してジャイアンツに移籍した。実力だけでなく精神的な支柱でもあった工藤がいなくなったホークスだったが、次の年もリーグ優勝してしまった。そして、工藤がいるジャイアンツと日本シリーズを戦ったのである。さらに2003年には小久保裕紀選手がジャイアンツに移籍した。小久保自身はこの年のオープン戦で負傷し試合には出なかったが、チームは日本一に輝いている。しかし、いろんなことがあったらしく、この年に小久保は去ったのである。それでもホークスは翌年にリーグ1位になっている。そういえば、この年からプレーオフ制が導入され、1位にはなるのだがリーグ優勝できないという、ホークスにとって悪魔のような時代が到来する。ところで、当初はレギュラーシーズンで1位になってもリーグ優勝とは言わないという、じつにおかしなシステムだった。私はこのコラムで、リーグ優勝にはしないとおかしいと指摘した記憶がある。その後、そのように修正された。素人だった考えることなのにと唖然とした。ともあれ、野球も個々人の力だけでなく、いわゆるチームの総合力がポイントになる。その点で今年のホークスの動向には興味がある。 |
ピラミッドから山へ 2012/03/18 (日)①3335
強権的な圧力を伴った〝トップダウン〟は組織の存続を脅かす。短期的には問題を隠すことはできても、あとは時間の問題である。そこでクローズアップされるのが〝ボトムアップ〟である。じつは、このシリーズ、これまでの最長記録を更新し続けている。ころころ変わる私の気分を反映して、本欄は3~4回で突如として話題が転換する。そして、思い出したように、あるいは思い出せないほど久しぶりに〝続き〟が出てくる。まあ、こんな感じで来たのだが、今回はかなり様相が違ってきた。このテーマでスタートしたのは3月5日だった。それからずっと続きっぱなし、本日で13回連続なのだ。そんなわけで、そろそろ一区切りつけようかと考えた。そもそもの始まりは〝ボトムアップ〟という表現にこだわったことである。〝ボトム〟は〝底〟〝底面〟は承知の上として、〝尻〟や〝肛門〟、さらに俗語では〝女性器〟の意味まであるのだ。そこまで知らなくても、とにかく〝底〟から〝アップ〟というのはいかがなものか。これは、私が20代に、このことばをはじめて知ったときからの思いである。組織を階層的に捉える場合にはピラミッド構造が頭に浮かぶ。だからその頂点を〝トップ〟と呼ぶことはいいとしよう。しかし、ピラミッドの底辺というべきか、土台を〝ボトム〟というのには違和感があった。そこで今回の提案になる。組織をピラミッドではなく、山だと考えてはどうか。それでも頂上は〝トップ〟のままでいい。しかし、山の麓は〝ボトム〟ではなくなる。英語では〝foot〟だ。これだと〝ボトムアップ〟から〝フットアップ〟に代わる。しかし私の感覚では、組織の基礎を〝足〟と呼ぶのもなんだか落ち着かない。それでは、ストレートに〝base〟にするか。 |
抑圧の末路 2012/03/17(土)3334
どう考えても〝上からの圧力〟だけで組織を動かすことはできなくなった。それが可能なのは〝武力〟をバックにしているときだけである。しかも、〝武力〟は単なる脅しの道具ではなく、現実に使用されることで〝真価〟を発揮する。大規模なものでは独裁国家があり、身近にも〝権力を濫用〟して抑圧を図る組織もある。前者の場合は生命を奪うことすら厭わない。組織の場合は、さすがに本物の命まで取ることはないにしても、発言や行動を殺したり、追放したりする。いずれの場合も、その力が大きいと、それなりに存続する。ただし、それは一部の、とくに上層部に属する者たちだけがいい目にあう前近代的な組織である。歴史を見ても、外部との交渉がない間は、そうした国や組織も生き延びていく。しかし、外部との関わりが生まれ、それらとの競争、最も過激な場合は戦争ということになると、その脆弱さを晒してしまう。そもそも、虐げられた人々が、自分たちを抑圧し続けるトップ層の連中を衛るために戦うわけがない。悪夢のようなシステムが壊れるのなら、むしろ自分たちが負けた方がいいと願ったりもするだろう。国の場合は〝内政不干渉〟などという用語もあるから、国際的な圧力にも限界がある。しかし、組織の場合は市場で競争している。だから、外からの干渉などなくても、構成員たちの意欲が喪失すれば、そのうちに勝負がつくのである。まあ、そんなわけで、組織の健全な運用には〝トップダウン〟が欠かせないが、それが〝圧力〟だけになっては、組織は危うくなる。そもそも、構成員の意欲や満足度を高めることが〝品質保証〟の基本である。内輪の〝品質〟をいい加減にしておいて、製品やサービスの〝品質〟を向上させるなんて、無理な話なのである。 |
トップの圧力依存 2012/03/16(金)3333
コミュニケーションをする際に、その内容についての〝解釈〟と〝程度〟にズレがなければ、その時点で〝めでたし、めでたし〟となりそうである。しかし、もう一つ、完璧なコミュニケーションを阻害する大きな壁がある。それは個々人がもっている〝感情〟あるいは〝情緒〟である。それは壁というよりもフィルターといった方がいいかもしれない。〝すべてがわかっているのだけれど、この人物が言うから受け止められない〟。そんな感情である。〝なあんだ、そんなことか。それって、どちらも、あるいはどちらかが少しだけ大人になればいいだけのことじゃないですか〟。そんな声も聞こえてきそうだ。しかし、それは本当に簡単な話なのだろうか。ある意味では、こうした壁を何らかの形で乗り越えることができた組織は、社会的に成功しているのだと推測する。もちろん、世の中に完璧はないから、それなりに問題はあるはずだが、それをカバーできるだけの〝情緒抑制〟がうまくいっているのだろう。あるいは、権威などによる圧力が効いているだけの組織があるかもしれない。しかし、そうした場合は、そのうち問題がマグマのようになって、表面に吹き出してくるに違いない。いずれにしても、上からの圧力だけで維持ししている組織は、自然に生まれてくる抵抗を抑えるために、その力を強化し続けなければならなくなる。その結果として、外から見れば組織が存続しているように見えることはある。しかし、そうした組織は〝トップ層〟が〝いい目にあう〟ためにだけ存在していることになる。〝それこそがわが組織の目的なんだ〟と居直られれば、話はそれでおしまいになる。しかし、そんな組織はいずれ崩壊するに違いない。クーデターは、その最も激烈なケースである。 |
コミュニケーション・ギャップの原因 2012/03/15(木)3332
完璧なコミュニケーションはあり得ないから、まずはその事実を厳粛に受け止めること。これが対人関係をスタートする際に配慮すべき基本ポイントである。そうした問題点を認識した上で、できる限り正確なコミュニケーションを実現するために努力していくことだ。コミュニケーションにズレを生じさせる理由が少なくとも2つある。まずは、解釈の違いである。そもそも〝同じことば〟を使っていても、当事者たちが各人で〝自分の受け止め方〟をする。ここでわかりやすい例を出すのはむずかしいが、自分が指示したとおりにしていない部下に、〝言ったとおりにしていないじゃないか〟と責める。これに対して、〝だって課長がこうしろとおっしゃったんですよ〟と反論してくる。そこで、〝冗談じゃない、だれがそんなこと言った〟と怒りを抑えたつもりなのに、つい大きな声になる…。これは〝解釈の違い〟によるミスコミュニケーションである。そもそもはじめから伝わっていないのだ。もう1つは、〝程度の違い〟である。この場合は、言いたい内容はとりあえず伝わっている。しかし、その受け止め方の〝程度〟にスレが出てしまうのである。〝どうしてここまでしかしていないのか〟。〝だって、あなたが言われたとおりにしたんですよ。いまさら文句を言われるなんて、予想もしていませんでした〟。まあ、こんな会話が交わされるようなケースである。内容の〝解釈〟まではOKだったのだが、〝その程度〟に食い違いが生じてしまったのである。こうした問題がクリアされると、コミュニケーションの大きな障害は乗り越えられる感じがする。しかし、これで安心するのは早すぎる。〝解釈〟〝程度〟ともにズレがなくても、まだまだ問題を生じる要因が残っているのだ。 |
コミュニケーション・ギャップ 2012/03/14(水)3331
たった2人だけの集団でも両者に力の差があれば、〝トップダウン〟現象が発生してもおかしくない。しかし、その効果は大脳の中身までは無理にしても、〝トップ〟自身で確かめることができる。しかし、集団の規模が大きくなればなるほど、この手の確認が困難になる。トップの考えがその次の階層にいる人たちに伝えられる。それからまた下位のレベルに下りていく。このとき、メッセンジャーになる人たちの〝受け止め方〟が〝完全に同じ〟であれば、問題はまったく起きない。しかし、ここが人間の特性でもあり、個性でもあるが、現実にはけっこうな〝ズレ〟が生じるのである。〝伝言ゲーム〟がお遊びになるのは、人間のコミュニケーションの危うさを実体験するからである。人間は個別に大脳を抱えており、それが十人十色の受け止め方を創りだす。これはロボットでない人間が永遠に抱え続けていく宿命である。それこそが個性であり、人間にとって欠かせない最大の特性なのだ。こうした〝危うさ〟を背負っていることをどれだけ押さえて行動するか。〝コミュニケーション〟は〝完璧〟を期すのではなく、〝ギャップ〟を最小限にすることがポイントになるのである。まことに単純な話だが、リーダーがある指示をしたとき、〝はいわかったね。それではしっかりお願いしますよ〟だけで締めくくってはまずいのである。〝いま私が言ったことを自分のことばで説明してごらんなさい。また、あなたの部下に伝えるときはどんな伝え方をしますか〟。〝そんなのまるで子どもが相手のレベルじゃないか〟と苦笑されるだろう。もちろん、あらゆる場面でこんなことをしていたら仕事にならない。しかし、基本的で重要な事柄については、こうした姿勢が求められているのである。 |
2人集団と〝トップダウン〟 2012/03/13(火)3330
地球上にたった2人の〝集団〟しかなかったとすれば、〝トップダウン〟も〝ボトムアップ〟もない。もっとも、人間に限らずこの世に存在するものは、〝まったく同じ〟というわけにはいかない。だから、2人といえども、その間に様々な点で〝力の差〟があるだろう。そうなると、今風の階層ができて、力のある一方がそうでない方に指示や命令をすることで生きながらえる可能性は大いにある。しかし、その場合であっても、上位にある人間は、自分の言ったことが相手にうまく通じているかどうかを、かなり正確に把握することができる。とにかく目の前にいる1人の反応や行動を見ていればいいからである。ただし、その場合でも、〝完璧な相互理解〟を期待すべきではない。あくまで2人は独立した個体であり、ものも見方や考え方、それに受け止め方も違っている。どんなに親しく、相互に信頼していても、相手の大脳の中まで覗くことはできない。東大の医学部には夏目漱石の大脳が保管されている。しかし、いかに大脳生理学が進化したとは言っても、脳内の思想まで明らかにすることはできない。もっとも、人間たちの貪欲さがいまの調子で累積されていくと、大脳の中身、つまりは考えている内容までわかるようになるようになるかもしれない。その可能性を確信させるような研究が実際に行われているのである。そうなったとき、人間はどうやって人間であり続けられるのだろうか。もちろん、私が生きている時間内では、そんな心配は無用なのであるが、それは究極の人間コントロール・システムを生み出す。まだ柔らかい肌や筋肉は備えているにしても、ほとんどロボットの世界である。そうしたときには、どんな人間たちがいかなる理由で支配者になるのだろうか。 |
バス停の二人 2012/03/12(月)3329
そもそも人間が最初につくった集団の構成員は〝アダムとイブ〟だったか。私が仕事にしているグループ・ダイナミックスでは、その名の通り〝グループ=集団〟を対象に研究する。ここで〝集団〟とは〝相互に関わりをもつ2人以上のひとの集まり〟のことである。少し堅めには〝相互の関わり〟を〝相互作用〟という。バス停にお互いに知らない2人が少し距離を置いて立っている。この時点では、彼らに〝関わり〟がないから〝集団〟とは呼ばない。集団には〝共通の目的〟も必要である。この2人の場合は〝バスを待っている〟という点では同じ目的をもっている。しかし、お互いに自分の行き先が、相手の乗るバスに影響を及ぼしたりはしない。たまたまその日は大寒波で、とても寒い朝だったとしよう。バスがなかなか来ないので、一人がそこに掲示してある時刻表をのぞき込む。さらに、腕時計を見ようと上着の袖をたくる。それを何度か繰り返しているのを見て、もう一人が声を掛ける。〝なかなか来ませんねえ〟。〝ええ、どうなってるんでしょう。もう10分も待ってるんです。時刻表より早く行ったなんてことはあり得ないと思うんですが〝。〟そうですよね。それにしても寒いですね。もう風邪を引きそうです。あなたは10分も前に来られてたんですか…〟。その後もこんなやりとりが続くかどうか、あるいはそれからすぐにバスがやってきて、2人の関係は解消されるかもしれない。しかし、ほんのちょっとではあるものの、2人は集団をつくったのである。そもそも地球上に最初に現れた最初の人類は〝イブ〟であるというのが科学的真実のようである。その点は横に置くとして、2人だけで構成される集団では〝トップダウン〟も〝ボトムアップ〟もないように思える。 |
〝労働の義務?〟 2012/03/11(日)②3328
先月の26日に、超高齢社会における教育のあり方について書いた。熊本県の社会教育委員が開催する会議で議論しているのである。そのポイントは、これまでのように〝余生〟を〝楽しく生きる〟だけではいけないというところにある。私なんぞは〝言うだけ〟だから、けっこう過激な発言もする。いまどき、〝リタイアしたら趣味に〟なんてのは許されない。ずっと昔なら、〝余生を送る〟という実感があった。しかし、これから若者が少なくて高齢者が多くなる。だから、年齢など関係なく社会に貢献しないといけない。これが基本的な考え方だ。もちろん、年を取ると個人差が大きくなる。体が動かなくなったり、健康に問題を抱えたりしている人たちは、しっかり守らないといけない。しかし、〝働ける人たち〟は働き続けることが期待されているのである。新幹線のグリーン車にはビジネスマンや、お金を持っていそうな人も乗っている。しかし、それに負けないくらいおじいちゃんやおばあちゃん風の団体さんも賑やかに乗り込んでいる。もちろん、それはそれでけっこうなことである。そうした人たちがお金を使ってくれることで、経済も回るのである。しかし、その一方で、もっと直接的に社会に貢献することにもエネルギーを投じていいのではないかと思うわけだ。まあ、そうかと言って、高齢者が若者たちの仕事を奪っては元も子もない。だから、このあたりの案配は考えておかないといけない。しかし、とにかく基本は〝高齢者も働く〟ことである。〝いやというほど働いてきたのだから、そう責めるなよ〟と言われそうではある。もちろん、これを強制しようなんて考えてもいない。しかし、いまの時代、少なくとも〝そんな気持ち〟くらいあってもいいじゃないですか。 |
上からだけでは… 2012/03/11(日)①3327
今年の成人たちは、〝バブルを知らない〟世代だと言われた。わが国にとって1990年代は崩壊のはじまりだった。それが今日まで続いている。経済学者のような人たちが、何度となく〝復興〟を予測してきたが、どれもこれもアウトだった。少なくとも結果を見ればそうとしか言いようがない。これからも経済的に厳しい状況が続いていくはずだ。そうしたなかでは、組織において陰に陽に〝脅し〟を含めた強権的圧力が使われるおそれは消えない。しかし、バブルではないが、上から圧力をかけるだけでは、柔軟に見える水風船だって破裂する。私は、この国で〝暴動〟が起きることを心配しはじめている。とにかくみんなで知恵を出し合わないととんでもないことになる。個々の組織にとっても事情は同じことだ。上から押さえるだけではうまくいかない。そんなことは1970年代にわかっていた。だからこそ〝全員参画〟や〝小集団活動〟という実践活動が生まれたのである。もちろん、今日では、そうした用語が使われないほど当然の常識になったともいえる。しかし、ここに来て〝風通し〟という新たな〝組織語〟が頻繁に登場するようになった。そうした現状を見ると、現実には組織内のコミュニケーションがうまくいっていないケースが増加しているのはないかと思わせる。つまりは組織における〝トップダウン〟と、あとで新しい呼び方を提案するが、いわゆる〝ボトムアップ〟が十分に機能していないのではないか。鶏が先か卵が先か論争がある。私に言わせれば鶏が先にきまってる。それでは〝トップダウン〟と〝いわゆる(くどいですね)ボトムアップ〟とはどちらが先か。まずは〝トップダウン〟が先なのだろうと思う。ただし、鶏と卵の論争ほどの自信はないけれど…。 |
組織と〝風通し〟 2012/03/10(土)3326
〝絶対〟は〝絶対〟にない。〝完璧〟は〝完璧〟にありえない。単なることばの遊びだけれど、私たちはこうした共通認識の上で、さまざまなアクションを取っていく必要がある。組織においても〝風通し〟という言い回しがよく使われる。これが話題になるときは、大体〝風通し〟がうまくいっていない場合が多い。〝風通しが悪い〟のは基本的には〝コミュニケーション〟の問題である。〝上層部から伝えられているべきことが伝わらない〟〝自分たちの意見が上の方まで届かない〟などはその典型例だ。同じ仕事をしている同僚の間でも、コミュニケーション不足が問題にされることもある。日本語に〝あうんの呼吸〟という言い回しがある。〝以心伝心〟ということばもある。はっきり言わなくてもお互いに言いたいこと、伝えたいことが了解できる。まあ、そんなことである。しかし、これらはすでに死語化しているのではないか。もちろん、きわめて親密な関係にある少人数の集団では、今でもこうした相互理解ができる可能性はある。そもそも頻繁に〝摩擦〟が起きると、その度にストレスを感じるし、せっかく築いた関係が崩れてしまうおそれもある。もともと村落共同体のように、お互いが協力し合って生きていくような、したがって価値観もそれなりに同じような人々から構成されている場合には、〝言わずともわかる〟世界が展開していた。また、力関係がはっきりしていれば、強い側が〝俺にそこまで言わせるか〟などとドスのきいた声で言えば、それは強制的な命令と同じだった。弱い方はそれを黙って受け入れるか、その内容をできる限り薄めながら取り繕って抵抗するくらいのことしかできなかった。もちろん、そうした権力関係は今の時代でもなくなったわけではない。 |
仕事と多様な価値観と… 2012/03/09(金)3325
ともあれ、マスコミで取り上げられるほどの〝不祥事〟を引き起こした組織のトップの部屋にも、立派な額に入った〝社是〟が掛けられていたのではないか。そもそもは〝不言実行〟がオリジナルだろうが、〝有言実行〟だって大事なことだ。トップをはじめとして、働く人々の〝倫理意識〟は高ければ高い方がいいだろう。しかし、組織にはいろいろな価値観をもった人間がいる。それに、〝倫理〟といっても、それぞれの考え方が違えば、これまた〝基準〟はバラバラである。そうなると、個人レベルの〝価値観〟はとりあえず、横に置くとして、それぞれの〝仕事〟については〝プロフェッショナル〟に徹しようという点で合意するしかなくなる。〝私はこれには自信がある〟。どんなに単純な仕事に思えるものであっても、こうした発言ができるようなりたい。いや、それを目指すことが〝プロ〟なのである。私が学生のころ、大量の資料を封筒に入れる作業があった。きわめて単純な仕事ではあったが、それでもなれてくるとスピードが向上した。そして、いかに効率的に仕事を進めるかを、頭をひねりながら、というよりも手を動かしながら工夫した。またどっさりある封筒の宛名書きをしたこともある。そのときは、〝サインペンで字を書く練習だ〟と考えた。いや、正確には〝言い聞かせた〟のかもしれない。しかし、それでもとにかく、どんどん書いていくうちに〝字がうまくなった〟、いや、正確には〝そんな気がした〟だけだったかもしれない。もちろん、私の体験なんぞは2、3日で終わる仕事である。〝私なんぞ、いつ終わるともしれない‘単純な仕事’をしているんだぞ。何を甘いことを言ってるんだ〟と叱られそうだ。そう言われると、二の句が継げないのですが…。 |
トップ発の不祥事 2012/03/08(木)3324
統計的には少ないものの、ときおり名の知れた組織で〝不祥事〟が起きる。超有名なだけにマスコミの扱いが大きいから、大々的に報道される。すると、〝またか〟という印象が植え付けられる。このごろはあまり使わないが、〝有名税〟という言い回しがあった。世間に名が知られた人たちは、経済的にも恵まれているし、それだけ精神的にも満足度が高い。だから、マスコミから追いかけられたり、プライバシーが侵害されても、ある程度は仕方がない。それは〝税金〟みたいなものだという話である。それはともかく、以前は組織の責任者は基本的に、その分野の能力だけでなく、人格も優れている人が多かったように思える。問題を起こすのは第一線の人間が多いという感覚である。たとえば、昭和の時代に女性銀行員が男にだまされて、機械の操作でごまかして貢ぐといった事件が報道されたりもした。つまりは、組織の中での地位がそれほど高くない人たちの問題が目立っていた。とはいうものの、それも私の思い込みの可能性が高い。組織の上層部になると、かりに問題行動をしても隠蔽して、世の中に知られずに済んでいた。そんな事例が多かったかもしれない。〝悪いやつほどよく眠る〟なんて黒沢映画もあった。さらに〝巨悪〟ということばが流行ったりもした。そんなわけで、〝統計的〟に〝このごろのトップはひどくなった〟と決めつけるのは客観的な評価だとは言えない。それに、孔子の論語を引用するまでもなく、昔から〝仁〟や〝義〟などが〝わざわざ〟強調され続けてきた。それらがもともと人間に自然に備わっているものであれば、テーマに取り上げるまでもないことである。それにしても、オリンパスなどはトップの裏切り行為だと断罪されても仕方がない。 |
組織の規模とフィードバック 2012/03/07(水)3323
組織が組織と言えないほど小さいとき、たとえば親方が1人の弟子と仕事をしているような極端なケースを考えてみよう。そこでは、親方が一方的に〝指示や命令〟を出すはずだ。その際に、自分が思ったとおりに伝わらない場合でも、相手は目の前にいるから、その反応や仕事ぶりを見れば、うまくいっていないことが直ちに判断できる。親方には、自分が出した指示や命令の結果について、ほぼ十分、かつ正確なフィードバックが即時的に得られるのである。子どもたちの反抗期のように、そもそも指示や命令が伝わらない状況に陥ることもある。しかし、その場合であっても、〝うまく伝わっていない〟〝相手に受け止められていない〟こと自身はしっかり把握できている。しかし、組織の規模が大きくなるにつれて、こうしたフィードバックによる情報が得られにくくなる。また、トップからのメッセージも包括的になり、個別の部門あてにトップダウンで直接的に指示を出すことはほとんどなくなる。それはたとえば各部門の責任者が担当することになる。そもそも組織全体の理念や長期的な展望も含めた方策を決定するのがトップの役割だから、包括的になるのは当然なのである。しかし、包括的は、そのまま〝あいまいさ〟〝当たり前さ〟と同義になってしまいがちだ。〝顧客第一〟〝安全最優先〟〝人間尊重〟などなど、企業体に限らず、組織のトップの部屋には、多かれ少なかれ、社是や理念を書き込んだ額が飾られている。もちろん、それはそれでけっこうなことである。組織も個人もその行動理念や理想はもっておいた方がいい。ただし、それを現実のアクションにつなげるためには、様々なアイディアと工夫がいる。〝絵に描いた餅〟〝かけ声倒れ〟ではまずいのである。 |
組織と〝トップダウン〟 2012/03/06(火)3322
〝ボトムアップ〟の呼称を替える提案をする前に、ともあれ〝トップダウン〟と〝ボトムアップ〟について考えることにしよう。人間が生まれながらにして平等である。福沢諭吉の〝天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず〟は歴史に残る至言である。しかし、特定の目的を達成するために構成された組織では、人々を完全に水平な位置に置くことはできない。そもそも仕事には順番や段取りがあり、その点だけでも全員が〝同じこと〟はできない。そして仕事の目標がスムーズに達成されるためには、将来を見据えた計画が必要だ。短期的にうまくいけばいいのであれば、戦術的な工夫をすればことは足りる。しかし、それはその場しのぎにであった、組織の存続には寄与しない。そこに先を見通す力がが必要になる。これこそが〝戦略的視力〟であり、当然のこととして、〝戦略的実行力〟が欠かせない。そうした将来展望に基づいて仕事の段取りを決めて、構成員たちの仕事を調整する専門性も要求される。こうした仕事は誰にでも同じようにできるわけではない。ここでは意識的に原則論的なことを言っているが、とにもかくにも組織にはある種の階層が必要だということである。そうであれば、その階層が2段しかないとしても、そこには〝トップ〟がいて、その指示にしたがう〝ボトム〟がいることになる。つまりは〝トップダウン〟は、あらゆる組織にほぼ自動的に組み込まれているのである。そして組織を効果的に運営するためには、〝トップ〟がしっかりした方針を立て、それを〝下方〟に伝えていくことが期待される。基本的な情報がトップから下の方に流れていくから〝トップダウン〟というわけだ。そして小さな組織では、〝トップダウン〟に伴う問題は起こりにくい。 |
かわいそうな〝ボトム〟 2012/03/05(月)3321
〝トップダウン(top-down)〟と〝ボトムアップ(bottom-up)〟は、もう〝古語〟といってもいい。そして現代では、多かれ少なかれ、この両者を組み合わせて組織の意思決定が行われている。それはそうだとして、少しばかり〝細かく〟、この両者について考えてみよう。はじめに結論の一つを述べておくと、このシリーズのラストに〝ボトムアップ〟という名称のバージョンアップを提案する。そもそも〝botom〟は〝最下部、底〟である。ことばは人間に関わる事象のすべてを伝えることが使命である。だから、ことばそのものに〝価値〟があるわけではない。しかし、それを使う人間によって、いろんな情緒的価値をもってくる。その点で、〝botom〟は欠かせない大事なことばであると同時に、やや〝かわいそうな〟意味合いをもっている。ランダムハウスの電子辞書版によれば、定冠詞を伴った〝the
bottom〟には、〝本質〟や〝真相〟といった意味がある。しかし、〝いい〟のはこのくらいで、話しことばとしては〝尻〟や〝肛門〟、さらには俗語になると〝女性器〟までカバー(?)しているという。さすがに、私は底まで、いやそこまでは知らなかったが、とにかく〝かわいそう、なのである。そんなわけで、私は世の中に定着した用語でありながら、ずっと違和感を抱き続けてきた。しかし、もうそろそろ〝古語〟辞典に掲載されてもいいのではないかと思いはじめて、それにふさわしい名前をつけようと思ったのである。すでに、この発想について2カ所ほどでお話しだけしてみた。まずは〝なるほど〟といったレベルの反応はいただいたと自己評価している。そこで、これまで使っていた〝トップダウンとボトムアップ〟のスライドを新しいバージョンに創り替えた。 |
〝弱い者〟のいじめ 2012/03/04 (日)②3320 Continued from 02/12
お久しぶりに、私の話を聞いてくれた中学1年生の感想文をご紹介しよう。〝今日僕は「人権講会(まま)」があると聞いて「いやだなぁー」と思っていたけど吉田さんの話を聞いているうちにとても楽しくなってきました(9)〟。そんなことをMKくんが書いてくれた。これも私の気持ちをよくしてくれる。そして、〝僕は家に帰ったらみんなに今日吉田さんが言ってたことなどを家の人にも話したいと思います〟と続く。ほぼ90分の間、しっかり聴いてもらってほんとうにありがとう。吉田さんの方こそやる気がおきましたよ。とくに、〝家族〟に話をするというところがとてもいい。いまや〝一家団欒〟ということばが死語になってしまった。MK
くんのお家が再び増えることを大いに期待したい。〝人に弱いものいじめをする人は、自分の弱いことに気づいていないからそんなことをするのだと思います(10)〟というKJ
さんは、私が伝えた以上のことを考えてくれた。そして、〝これからのことに生かしたいです〟とまとめている。しっかりがんばってほしいなあという気になってくる。これは、〝もともと‘弱い者いじめ’ということばがおかしいよね。だって‘強い者いじめ’という言い方なんてないでしょう。自分よりも‘弱い者’しかいじめないのよ。まったく格好悪いよね〟といった話をしたのである…。さて、もともと明るい性格なのだろう、YMさんは、〝私は学校でよく笑います。先生にも「よく笑うね」と毎日のように言われます。なのでこらからもいっぱい1日に30回以上笑いたいと思います(11)〟と書いてくれた。その通りです。あなたが笑うと周りの人もつられて笑顔になるに違いありませんよ。私はずっと、〝スマイルのインフレを起こそう〟と提案している。 |
ダルちゃんからホークスへ 2012/03/04 (日)①3319
ダルビッシュは〝大リーグの日本人選手たちがパッとしない〟と言い放った。そこで〝イチローは例外ですが〟と加えることもしなかった。ことばだけから解釈するなら、〝イチロー〟も含まれているにもかかわらずである。いやはや大したものである。そもそも勝負の世界に生きている人間には、このくらいの〝闘争心〟がないとやっていけないのだろう。しかし、それにしてもダルビッシュの気概は突出していた。いよいよ開幕になるが、大いに期待したい。ところで、橋下市長まで登場してダルビッシュに戻ったこのストーリーだが、そもそもはダルちゃんを取り上げるのが本旨でもなかったのである。じつは、昨年日本一になったホークスが今年はどうなるか。これが本題なのである。優勝が決まったあとで、NHKだったと思うが、野村克也氏が語っていた。〝いまのホークスは投打ともダントツだ。この王国は当分の間はつづくだろう…〟。漫然とテレビを見ていただけなので、正確なメモではないが、およそこんな内容の発言だった。ところが、その後に大異変が起きる。先発投手の杉内、和田、ホールトンの3人がいなくなるのである。ただし、和田の大リーグ挑戦は既定の路線だったと言える。杉内の場合は〝異変〟のようでもあり、そうでないようでもありの感じもする。そうした事情はどうでもいいとして、昨年はこの3人で43勝している。チームが88勝だというから、半分をこの3人で稼いだことになる。こうなると、どう考えても来年度はアウト、しかもメタメタにダメになりそうではないか。とまあ、単純な算数ならそうなるのだが、そこが人間集団のおもしろいところ。もちろん、私は戦力分析などできるはずもないが、来年度のホークスがどうなるか興味津々なのだ。 |
ダルビッシュに戻ろう 2012/03/03 (土)3318
この数日、橋本大阪市長の話題がつづいた。そもそもはダルビッシュについて書いていたと思うが、いつの間にか脇道にそれた。そればかりではなく、まったく別の大通りに出てしまったようだ。そこで、改めてダルビッシュに戻ることにしよう。彼は札幌ドームに集まったファンに大リーグに挑戦したいと思った動機をはじめて明かしていた。その理由のひとつは、〝今日は投げないで〟などと相手の選手から言われたりしたからだという。〝冗談もあったと思うが〟と、やや気を遣った言い回しをしていたが、〝プロたる者、真剣勝負をしてほしい〟という強い意志が感じられた。そう言われて、〝あれは本当に冗談なんだよ〟と反論できる選手がどれだけいただろうか。イチローがアメリカに渡ることが明らかになったとき、松坂は〝とても残念です〟と語った。あれは本気の発言だったと思う。そんな関係が築けないという気持ちがダルビッシュを押したことになる。少なくともインタビューで彼はそう発言した。これに対して〝彼がいなくなったので三振が少し減った〟などと情けないことを言う打者たちはいないとは思う。〝いつも‘今度こそは打ちのめすぞ’と思って技術を磨いてきたのに残念でたまらない〟。とまあ、こんな感じでないと困るのだ。なんと言ってもプロなんだから。そうでないと、日本プロ野球の将来は危うい。ダルビッシュが挙げた大リーグに挑戦するもう一つの理由も刺激的だった。〝大リーグで日本人選手が目立たなくなっている〟。テレビで聞いただけなので、正確な発言はメモしていないが、少なくともこんな趣旨のことを言った。つまりは〝大リーグにいる日本人選手たちがパッとしないから、自分がアメリカでアピールするんだ〟という宣言である。 |
橋下戦略 2012/03/02 (金)3317
広島高裁で橋下氏の損害賠償が決まったときの橋下氏が出したコメントの詳細は記憶していない。ただ、〝司法の判断は尊重しないといけない〟として、まずは判決を受け入れた。そのうえで、〝最終的には最高裁に判断をゆだねたい〟といった趣旨のことを言って、上告したのである。そして、その結論がどうなったか。最高裁は2011年7月に、損害賠償を認めた一審・二審判決を破棄したのである。その結果、原告の逆転敗訴が確定したわけだ。法律の専門的な議論は、素人にはわからないことが多いが、とにかくこの訴訟では橋下氏が〝勝った〟のである。これが彼の戦法なのである。最高裁で〝負けていた〟としても、橋下氏は、おそらく淡々とした顔をして〝司法の最終判断として厳粛に受け止める〟とコメントするだけだろう。あるいは、〝それなりに反省している〟くらいのことは言うかもしれない。しかし、それで一件落着となるのだろう。橋下氏はこの体験でも相当に自信をつけたに違いない。そもそも弁護士という職業は、〝全勝する〟ことを目的にしていないのではないか。ものによっては、〝6:4で勝てばいい〟とか、〝3:7までもっていけば、まあよしとしよう〟といった職業感覚があるように邪推している。そうした意味で〝負けること〟に対する耐性も一般人とは比較にならないほど強そうだ。そして、負けたときは〝司法の判断に従う〟とか〝民意を尊重する〟といっておしまいにするのである。これに対して、かつては選挙予測などで一世を風靡した福岡政行氏までが〝第二次大戦中のナチと同じだ〟などと言って攻撃しているが、それだけでは迫力不足は否めない。彼が問題にしている内容そのものを、〝論理的〟に打破しないと、説得力がないのである。 |
橋下城 2012/03/01 (木)3316
大阪市長になった橋下氏に会った既成政党のお偉方たちは内心では苦々しく思っているのではないか。しかし、相手はとにかくマスコミの注目度抜群だから無視するわけにはいかない。おそらく、そんなジレンマに陥っていると邪推する。安住財務大臣が〝公約でこうしたいああしたいと話すのはいいが、地に足が着いているのか…〟といった発言をしていた。これを聞いて、苦笑した人は少なくないのではないか。おそらく、橋下氏は〝あんた方には言われたくない〟と直ちに反論するだろうなあ。ともあれ、橋下氏の言動は当面スポットライトを浴び続けるに違いない。それにしても、橋下城は近年まれに見る難攻不落の要塞である。彼は過激な発言や行動をして、世の中の反応を試しているところがある。あえて問題になる行動を取って、それを議論に乗せようとする。そして、そうした行動の適否が裁判や公的な機関などに持ちこまれて判断されることを計算しているのではないか。先日、最高裁の結論が出た光市母子殺害事件だが、これにも橋下氏は、ある問題で関わっていた。被告の弁護団が殺害の動機に〝ドラえもん〟を持ち出したことなどを猛烈に批判して、弁護団に対して〝懲戒請求権〟というものがあることをテレビで話したのである。私はその番組での具体的な発言内容は知らないが、かなりの視聴者が刺激を受けたようだ。その後、視聴者からと思われる〝懲戒請求〟が殺到したようで、弁護士4人が〝業務妨害〟を理由に1200万円の損害賠償を求めた。これに対して広島地裁は名誉毀損と業務妨害を認めたが、橋下はこれを不服として高裁に控訴する。弁護団も認められなかった差額と弁護士費用を求めて控訴した。その結果、高裁は名誉毀損を除いた業務妨害だけを認めた。 |
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