吉田道雄 YOSHIDA, Michio
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味な話の素
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 No 105  2012年01月号 (3247-3282)
大関問題 2012/01/31 (火)3282 Continued from 12/29
 〝工藤と魁皇〟の引退について、12月29日と30日に触れていた。その際に、投手の工藤は賞賛したが、魁皇にはやや厳しい目を向けた。その理由は単純で、魁皇自身の責任ではないが、彼が大関であり続けたことである。野球の場合は〝好きだから続けたい〟と言っても、その力が評価されなければ起用してもらえない。本人の意思とは関係なくゲームに出ることができない。ここが大関と大いに違うのである。もちろん、大関だって負け越しが続けば、その地位から転落する。しかし、大関にとって相当に有利な制度がある。大関の場合、2場所連続で負け越さない限り下に落ちないのである。いわゆる〝角番〟であるが、このごろはこのことばを頻繁に聞く。これが大いなる問題なのだ。しかも、2場所負け越して関脇に落ちても、次の場所で10勝すれば、また大関に返り咲ける。私の感覚では甘すぎる。しかし、私がまだ子どものころは、その基準は3場所連続だった。個人名ではないからあえて関取名を挙げるが、松登という大関がいた。この関取が、とにかく2場所は負け越すが、角番の3場所目は勝ち越すのである。私は松登がそれをどのくらい切り返したかは知らない。しかし、少なくともその当時の世間の評価では〝いい加減にして〟というところまでいったはずだ。それで、3場所が2場所になったのである。その昔、横綱は名誉職で、実際の最高位は大関だったという。そんなことから、ある程度は地位を保証するという意味もあるのだろう。しかし、それが客にとってはシラケてしまう原因になっているのである。初場所は把瑠都が踏ん張ったが、大関が優勝争いに噛まない場所が多すぎる。しかも上位同士で星のつぶし合いならいいが、けっこう早めに負けてしまう。 
UdoDoDoDoo… 2012/01/30 (月)3280 Continued from 1/28
 〝悲しいから泣く〟という常識に対して、〝泣くから悲しくなる〟というのは、心理学で〝ジェームス=ランゲ説〟と呼ばれています。アメリカの哲学者であり、心理学者のウイリアム・ジェームスたちが言い出したものです。一般的には〝感情〟が先にきて、それから対応する〝生理的反応〟が起きると考えたくなります。しかしジェームスは、それを逆の流れとして把握することを提唱したわけです。いまの生理学では、どちらもありということでしょう。ともあれ、こうした〝逆転の発想〟も人生を充実させるために役に立つものです。中学1年生のTYさんは、私の話のなかで、これが〝一番心に残った〟ようなのです。そして、〝今日学んだことをこれからの人生に役立てて、家族にも話してみたいです〟と結んでくれていました。ここまで書かれると、メッセージを送った者として、私の方も責任の重大さを感じます。しかし、家族のみんなに明るく楽しくなってもらえれば、〝話してよかった〟の一語に尽きるわけです。さて、今度は男子生徒のIDくんの感想です。〝寝る時に、ウドゥドゥドゥとは思ったことはありません。でも、それで人生が楽しめるのなら僕もためしてみたいと思います(7)〟。私は子どものころから寒い夜に布団に入ると、〝すぐに暖まるぞーっ〟と嬉しくなって叫んでいました。冷え性の方には申し訳ないのですが、足の先がすぐに暖かくなるのです。そして〝気がついたら、眠っていた〟なんて具合です。それが嬉して、子どものころは、つい〝UdoDoDoDoo〟と声を出してしまうのでした。昔は家屋の密閉度も低く、布団だってセンベイとはいかないにしても、冷え切っていました。いまのような石油ストーブやエアコンなどの暖房器具だってありません。
誰も言わない? 2012/01/29 (日)3279
 もともとは福岡の出身である。福岡県の吉井町というところで生まれた。本籍は北九州だが、父の転勤でいろんなところを回った。両親はいわゆる引き揚げ者で日本に帰ってきたから父が就職した最初の赴任地が八幡だった。小学校に入学する少し前までここで過ごした。その後は行橋から伊万里、そして福岡へと移っていく。中学2年生の夏休みに福岡の香椎に引っ越した。それから高校、大学まで過ごし、最初の職に就いたのも福岡である。それから15年と8ヶ月は福岡の住人だった。いわゆる青春時代が福岡ということになる。しかし、熊本での生活はそれを遙かに超えた。今年は33年目だから、2倍以上の年月は熊本人なのである。したがって、熊本に対する思い入れは強い。だからこそ、こんなことがあると、自分のことのように恥ずかしくなる。市役所で発覚した信じられない〝パワーハラスメント〟である。ある部局の係長と技術参事が2年半にわたって、20代の職員に飲食代などを100万円相当も払わせていたという。職場でも毎日のように正座させて説教していたらしい。その後さらに、私的な旅行でも似たようなことをしていたという情報も出てきた。これは〝パワーハラスメント〟なんてものではなく、もう〝犯罪〟である。金銭がらみのことで、単なる〝いじめ〟を超えて、なんともいじましい話である。聞いた方が恥ずかしくなる。しかも、係長は49歳で参事も47歳だというから、開いた口がふさがらない。いわゆる市庁舎ではなく、出先機関でのことのようだが、周りに上司や同僚がいたのに、職員の家族がおかしいと思って問い合わせるまで発覚しなかったという。こうした行為に対して上役をはじめとして誰も言わなかった訳だ。とにもかくにも恥ずかしい。 
すごいぞ、文章力! 2012/01/28 (土)3278
 中学生になると文章力もレベルアップしてくる。とくに、その傾向は女子に強く見られる。これは一昨年に同じような講演をして、その感想をもらった中学生の場合もそうだった。それが私の主観的な印象なのか、それとも文章力に関する客観的なデータがあるのか、よく知らない。さて、女子生徒のUMさんの感想文は〝今回は、いそがしい中、私達□□中学生のために、人権教育講話をしてくださって、本当にありがとうございました(4)〟からはじまる。内容もしっかりしているが、末尾は〝今日は本当にありがとうございました〟でしっかり締めくくられている。書かれている内容を合わせて〝優〟の感想文である。ところで、私が〝朝起きたときからキャッキャ騒いでる〟なんてことを強調するものだから、そこに反応してくれたものが多い。やはり女子生徒だが、ORさんは〝これからはナチュラルキラーさいぼうがたくさん出るように、たくさん笑っていこうと思います(5)〟と書いている。〝Natural Killer〟。直訳すれば〝自然の殺し屋〟だから、かなり物騒だが、われわれ人間にとって外敵と戦ってくれる〝助っ人細胞〟なのだ。これが笑うことによって増える事実が吉本新喜劇で取ったデータでも〝実証されて〟いるらしい。そんな話をして、とにかく〝笑おう〟と生徒たちに呼びかけたのである。これから長い人生、こんな話をちょっとでも思い出してもらえればと思う。TYさんは〝私が今日の講話で、一番心に残ったことは、「楽しいから笑う、悲しいから泣くのではなくて、笑うから楽しくて、泣くから悲しい」ということです(6)〟と書いた。もちろん、おかしいから笑う、悲しいから泣くという因果関係はあるのだが、その逆もまたありということを話したのである。  
嬉しい反応 2012/01/27 (金)3277 Continued from 1/10
 昨年、中学1年生に話をして、116人分の感想文が送られてきたことを、1月10日に取り上げた。せっかく子どもたちが書いてくれたものである。それを全部とはいかないが、少しずつご紹介していこうと思う。漢字や読点の使い方はすべて〝原文のまま〟でいくことにする。なお()にはピックアップした件数を入れておこう。まずは、女子のISさん。〝私は、今日、この講演をきいて、弱い者いじめは、弱い人にしかできない、強い人にはできないということが分かりました(1)〟。私は〝いじめ〟を取り上げてこんな話をした。そもそも〝弱い者いじめ〟という日本語はおかしい。もともと〝いじめ〟は〝弱い者〟にしかしない。自分より〝強い者〟にいじめなんてできるわけがない。それって、何とも哀れだよね。自分より〝弱い者〟ばかり選んでいじめるなんて、弱い者がやることだ。カッコ悪いったらありゃしない…。まあ、こんな流れである。ISさんは、それを受け止めてくれたことをしっかり書いていて嬉しくなる。男子のIY君は、末尾に〝ぼくは今回の話を聞いてすごくおもしろかったし楽しかったのでまた話を聞きたいと思いました(2)〟とまとめてくれた。現実には同じ学校に再び出かけることはまずない。それにそんな機会があっても、以前に聞いてくれた生徒たちは卒業している。それはともあれ、〝また聞きたい〟と言われるほど、話した側の気持ちをよくさせるものはない。そして、その〝味〟を占めて、〝また話に行くぞーっ〟と意欲が高まってくる。これこそ、まさに〝成功フィードバック〟の力なのである。内容的には同じだが、女子のIRさんが書いた〝吉田先生の話はすごく聞いてよかったなあと思いました(3)〟という素朴な感想にも、気持ちがよくなる。 
善意が… 2012/01/26 (木)3276
 信号のない交差点で、右折しようとしている車を入れてあげる。そこまではいいのですが、その1台で止まらない。後続の車までが、〝それいけ、やれいけ〟とばかり入り込んでくる。これはもう〝割り込み〟です。しかも、〝ぼけっとしてるあんたの方がアホなんや〟といった風情で、〝ありがとうサイン〟すら出さない。こんな体験をけっこうします。この世の中にはわびしいこころの持ち主が少なくないですね。そうした車の助手席を見ると子どもが乗っている。そんなときは、さらに大きなため息をつきたくなります。おとなの一挙手一投足が〝教育〟なんです。割り込みまがいの行為もちゃんと子どもに引き継がれるでしょう。さてさて、〝横断歩道と道路交通法〟がらみの話題が長くなってきたので、そろそろ切り上げましょう。じつは、昨年のことです。横断歩道を渡ろうとしている中学生がいましたので、私はしっかり止まりました。そこで、反対側から来る車が停止すれは、彼はちゃんと渡れることになります。そうなるはずだったのですが、その中学生は私が止まったことを見るやいなや、右側を確認せずに横断歩道へ飛び出したのです。そのとき、少し先に車が迫っていました。〝うわあぁぁーっ〟。私はとにかく文字では表現できない声をあげてしまいました。その車も急ブレーキです。ドライバーは怒るというよりは驚愕の表情でした。結果としては何事も起きなかったのですが、私も背筋が寒くなりました。皮肉なことです。私が〝停止した〟からこうした危険な状況が生まれたのです。〝善意が仇になる〟といいますが、それでは私は止まるべきではなかったのでしょうか。先方の車は左側に立っている中学生を見ても止まろうともしなかった。これが問題なのですけどね。
救急車の後の〝ひやり〟2012/01/25(水)3275 Continued from 1/10
 今月の7日にはじめた〝横断歩道〟の話は1月10日で止まっていました。まだ道路の向こう側まで渡りきっていません。なかなか車が止まってくれない横断歩道です。宝くじ的に停止した車が出現したときは、早く渡らないと申し訳ありませんよね。それと同じように、このコラムも続けるなら続けるで、素早くケリをつけるといいのですが、それがなかなかできない。ご迷惑をおかけしますが、これは私の〝悪癖〟でございます。なにとぞご了承ください。さてさて、そんな言い訳をした上で続けさせていただきます。道路交通法第38条によれば、横断歩道の前で止まってる車がいたら、それを追い越す気になってはいけません。ただし、法律的には〝横を通って追い越す〟ことはOKとされていますが、その場合も、まずは後ろで一時停止しなけりゃあいけない。先々週でしたか、運転中に救急車がサイレンを鳴らして追っかけてきたので、道路の左によって停止しました。そして、救急車が追い抜いていったので、ウインカーを付けて発進しようとしたわけです。まあ、当然の流れでした。ところがその瞬間、すぐ横を1台の車が猛スピードで追い越していきました。〝あっ〟と驚くというか、〝ヒヤッ〟としたというか、なんとも乱暴な人です。とにかく、人のことなどお構いなしの精神構造ではありませんか。〝救急車の後をついて行ったら邪魔が入らずに走れるぞ〟。おそらくそんな感覚で、走ってきたのだと思われます。とにかくいい勉強をしました。救急車が追い越していった後の発進は十二分に気をつけなければいけません。いつのころでしたか、〝ジコチュウ〟ということばがはやりましたね。〝自己中心〟ということですが、ことばは枯れても、〝ジコチュウ〟は健在です。 
おいおい、お父っちゃん! 2012/01/24 (火)3274
 父が〝門司発にて帰ってきた〟と書いたのは1958年の5月である。じつは、この年の3月に関門海峡の底を掘り抜いた〝関門国道トンネルが〟開通した。それを記念して〝世界貿易産業大博覧会(門司トンネル博)〟が開催されたのである。その当時、わが家は北九州の南にある行橋市に住んでいたのだが、この博覧会見物に門司まで出かけたのである。私も出来たての歩道を歩いて下関に行って帰ってきた記憶がかすかにある。日記は続く。〝旅の疲れは淡い悲しさである。二晩は誰も居なかったわが家である。何かわびしい、そして静かで、寂しい旅から帰ってきた気持ちである。あまりにも賑やかな博覧会から、あまりにも静かなわが家に帰ってきてホッとして、一抹の悲しみが残る〟。伯父の家は門司駅から歩いて5分のところにあったが、そこで2泊ほどして博覧会などにも出かけて、こどもの日の5日に行橋の自宅に帰ってきたということである。このとき父は41歳だが、けっこう感傷家だったようだ。博覧会の喧噪と自宅の静寂を対比している。まあ、ここまではよかったのだが、その後がびっくりである。〝3日(5月)のことだが、門司の□□亭にてうどんを一杯食べ、二杯目を半分くらい食ったら、急に何とも言えず心臓が苦しくなるような気持ちになった〟ときた。これは大事だ。ところが父は〝あとの残りを□□(母の名前)にやろうとしたら、□□はいらぬというので…〟。そりゃあそうだろうと思ったのだが、その続きが衝撃的だ。〝□□は「いらぬというので道雄にやったら一度に吐いてしまった、何かあげか天ぷらが腐っていたのではないかと思う〟。おいおいお父っちゃん、そんなもん子どもに食わしたらあかんがな。なんともおもろ過ぎる父親ではあった。
父の日記 2012/01/23 (月)3273
 私の父が亡くなってから今年は20年になる。〝光陰矢のごとし〟というが、このごろは〝もう、そんなになるんだ〟と驚くことが多くなった。父は少なくとも表面的には長男である私と正反対の性格だった。まずは極度の引っ込み思案である。管理職になってからも会議などで部下に話をするのが苦手だと言っていた。何か話をしようとすると〝心臓がドキドキする〟のである。それが実際にどの程度のものだったか、またそれが影響を与えたのかどうかは知りようもないが、父は組織の中での昇進はひどく遅かった。はっきり言えば、〝対人関係スキル〟のレベルは相当に低かったのだろう。父はまじめで仕事の勉強もしっかりしているように見えた。しかし、私が少しばかり成長して高校生になったころには、出世とは縁遠そうだなあということが推測できた。しかし、そんな父もわが家ではけっこうおもしろい人間だった。また、あとになって振り返ると〝おいおい〟と言いたくなるようなことも平気でしていた。それも、いまでは楽しい思い出である。先日も父が書いていた日記を読んでいて吹き出してしまった。それは〝1958年5月5日こどもの日 晴れ 午後1時4分 門司駅発にて帰ってきた〟からはじまる。1958年は昭和33年、私が小学校4年生のときである。父を筆頭に私たちの本籍地は門司である。現在は北九州市の門司区になっているが、その当時は門司市だった。いまでは父と母が駅から10分もかからない高台にある城山霊園に眠っている。門司には父の兄である私の伯父さんとおばあちゃんたちが住んでいて、お正月やお盆には父の兄弟たちが家族ぐるみで集うのが恒例になっていた。年末は石臼を引っ張り足してきて餅つき大会である。これがまた楽しかった。
にわかファン 2012/01/22 (日)3272
 昨年は1月に4本の映画を観ました。〝ふたたび〟で〝にわかジャズファン〟になった私は、1月のラストとして、30日には〝わがこころの歌舞伎座〟にいったのです。そして、今度はいきなり〝にわか歌舞伎ファン〟になりました。映画を観た帰りには、家内に向かって〝博多座へ行くぞーっ〟と叫んでいる私がいました。そして、3月12日には本当に博多座へ行ったのです。このあたりのいきさつについては、昨年8月22日の本コラムに書いています。歌舞伎座に行った日付を見ておわかりのように、あの震災の翌日に当たります。あまりの大災害に、〝歌舞伎座に行った、行った〟とはしゃぐのは問題だと考えました。そんなこともあって、まだこの前後のお話はしていません。それなりの時間も経過してきましたので、近いうちに博多座のことも取り上げたいと思っています。ところで、昨年は1月に4本も映画を観たのですが、今年はといえば、元日が映画鑑賞のスタート日になりました。〝エンディングノート〟という、死を宣告された元会社重役とその家族のドキュメンタリー映画でした。すでに還暦を超えて、〝高齢者〟の仲間入りをしようという私たちですから、しっかり観たいなあと考えていたものです。この映画は全国でも限定された映画館でしか興行されていません。私が観たのは熊本の繁華街にある電気館という老舗の映画館でした。ここの経営者は他では取り上げない映画を積極的に打つのです。大いに議論を呼んだ〝靖国〟やイルカ漁を取り上げた〝ザ・コーブ〟、マイケル・ムーア監督が医療問題を取り上げた〝シッコ〟などなど、いろいろありです。昨年1月に観た〝ふたたび〟も、そしてまさに〝わがこころの歌舞伎座〟もやっぱり電気館で観たのでした。 
自称〝映画好き〟2012/01/21 (土)3271
 私は自称〝映画好き〟です。去年は22本を観ました。その前の年は16本で、やや少なかったなあと思っていました。昨年のスタートは1月の3日で、〝最後の忠臣蔵〟にいきました。大石内蔵助に女の子を育てることを託された一人の武士の物語です。彼はあの忠臣蔵の四十七士になれなかったのです。さらにもう一人、蔵助から〝討ち入りの真実〟を伝えることを命じられた武士がいました…。映画のラストは〝やっぱりそうなるか〟という観客の、もちろんはそれは私個人のものなのですが、予測を裏切るなかなかのできでした。そして同じ週の8日には、〝アンストッパブル〟です。化学薬品を積んだ機関車が担当者のちょっとしたミスから暴走をはじめます。これを止めなければ、脱線や衝突を引き起こすのです。その被害予想は何と10万人にも達します。映画は実際の事故をもとにしたということで、予告編の迫力は満点です。それを観たときから〝行くぞーっ〟と決めていました。もちろん、最終的にはハッピーエンドになることはわかっているのですが、それでも最後まで緊迫感を引っ張っていったところが大いに評価できると思いました。ともあれ、22本を達成した昨年はスタートダッシュがすごかったのです。〝アンストッパブル〟を観た翌々日の10日には〝ふたたび〟にいきました。ハンセン病で隔離された男性が50年後に昔の仲間たちとジャスを演奏するというストーリーでした。映画の中で展開されるおじいちゃんと孫の旅がとても印象的でした。ジャズなどはまるで縁のない私ですが、大きな画面を通して流れてくるリズムを聴いていると、これまた〝にわかジャズファン〟になってしまいました。何でもすぐに影響を受けてしまう。その性癖は変わりません。
ついでに〝続き〟を… 2012/01/20 (金)3270
 初めての孫は、〝ジイジ〟〝バアバ〟と分かれるときに泣くこともありました。〝別れを惜しんで〟くれるなんて、〝ジイジ〟と〝バアバ〟は嬉しくてたまりませんでした。けれども、これを第二子で体験することはできません。なぜなら、お兄ちゃんが成長して、にこやかにバイバイするからです。それを見た下の子はそれに倣ってバイバイします。その表情はお兄ちゃん以上にニコニコです。それどころか、お別れの雰囲気になっただけで、両手を振って、体まで揺らせて〝バイバイ〟します。〝もっと一緒にいたい。お別れしたくない〟なんて感じは微塵もないのです。こうした体験を通しておじいちゃん、おばあちゃんも成長していくんです。ところで、いつも〝味な話の素〟をお読みいただいている方は、お兄ちゃんの幼稚園行事のため、下の子が初めておじいちゃんとおばあちゃんに預けられた日の話題を取り上げたことをご記憶でしょうか。それは12月19日のことでした。お母さんとお兄ちゃんが幼稚園に出かけて、おじいちゃんとおばあちゃんと3人になった時点では、大いに泣いたのでした。しかし、〝お兄ちゃんの幼稚園に行く〟というストーリーにして車で追っかけているうちに眠くなってしまいました。それをいいことに、そのまま私たちの家まで幽閉したのです。それからどうなったか。そのお話をしていませんでした。じつは、おじいちゃん、おばあちゃんの家では予想以上にしっかり遊んでくれました。いつもはお兄ちゃんの後塵を拝して自由に使えない積み木もLEGOも、完全に自分のものにできたというわけです。お家に帰る時間になったとき、〝もっと遊びたい〟というそぶりまで見せました。これが祖父母を至福の状態にしたことは言うまでもありません。 
〝退行〟と〝成長〟 2012/01/19 (木)3269
 下の子が生まれたとき、上の子は大いなるアイデンティティ・ショックとでもいうべきものを体験します。何せ、それまで宇宙の中心にいたのに、突如として何光年か先へ蹴飛ばされる。そんな感覚でしょうか。ことは深刻なのです。そこで、いわゆる〝退行現象〟 なるものが現れてきます。赤ん坊のころに見られていた動が蘇るのです。つまりは、周りの関心を呼び、援助を受けられるような反応パターンに戻るわけです。たとえば、すでに克服したはずの〝おねしょ〟をしたり、〝ダッコ〟をせがんだりなどなど、いろいろありです。おとなの場合でも、リタイアしたときなどは、やはり〝アイデンティティ・ショック〟があるかもしれません。すでに役職を退いたのに、同じ感覚で昔の部下と接する。そんなことがけっこうありそうですが、これはリタイアした者として成長していないのです。私にもその時期が近づいていますので、〝退行〟しないよう、いまから〝こころの準備〟をしておきたいと思います。老後のことはともあれ、子どもの場合はよくできたもので、ちゃんと成長していきます。第二子が生まれた当初は、おじいちゃんとしての私も、お兄ちゃんを刺激しないように、内心では気にしながら下の子をダッコしていました。しかし、それも時間の経過とともに過去の話になるんですね。いまでは、周りの関心が下の子に集まる瞬間があっても、お兄ちゃんは一生懸命にLEGOに取り組んだりしています。ところで、上の子は少しばかり大きくなってからですが、私たちとバイバイするときに泣き出したりすることがありました。つまりは〝別れを惜しんでいる〟のです。これが〝ジジ、ババ〟にとってはかわいくてたまらない。まさに、絶頂的至福の体験になるわけです。 
〝気持ち〟に変わりはないけれど… 2012/01/18 (水)3268
 初めて親になったときは、新品の専用バスタブで入浴させたものです。これは第二子になるとかなりの程度に緩んでくるんですね。まあ、率直に言えばいい加減になっちゃうわけです。哺乳瓶の熱湯消毒はしますが、気合いの入れ方の違いに苦笑いします。お風呂だって、〝はーい、連れて来なさーい〟などと言いながら、いきなり親子一緒のタブで〝いい湯だな〟となってしまいます。これは、上の子の年齢にもよるのですが、まだ2~3歳だと、こちらにも対応しないといけませんから、まあそんなことになるんです。母親が一人でお風呂を入れるとなると、これはもう格好なんか気にしちゃあいられない。もちろん、第二子に対する愛情にはこれっぽっちも差をつけてはいないのですけれど、とにかくそうなっちゃうんですね。そして、親としては下の子もしっかり同じにしないといけないという気持ちはいつまでたってもあるのです。たしかに、親が〝おおらか〟にはなりますが、決して〝いい加減〟〝手抜き〟でないことは断言しておかなければなりません。いずれにしても、そうした親の態度や行動が子どもに反映するのは当然です。そんなわけで、第一子が比較的〝神経質〟で、第二子の方は割合と〝おおらか〟になったとしても、何の不思議もないわけです。このことは親たちと赤ん坊の関係だけに限られたものではありません。学校では、教師が心にゆとりをもっていないと、子どもたちもゆったりとした気持ちになれないのです。そして、組織の管理者などのリーダーと部下たちとの関係にも同じようなことが起きます。強圧的な態度は従順な行動を引き出すかもしれません。しかし、リーダーが見ていないところで、いじめなどの攻撃的反応が増加することも少なくないのです。
孫たちの成長 2012/01/17 (火)3267
 お正月に、〝孫たち〟、いや〝息子の家族がやってきました。加藤神社への初詣が恒例になっているのです。熊本以外にお住まいの方もご推測がつくと思いますが、加藤清正ゆかりの神社で熊本城内にあります。さて、いまのところ孫は2人いますが、下の子がさらに成長しました。容貌も変わってきたように見えます。こう言うと長いこと会っていないようですが、じつは前の月にも顔は見ているんです。何せ、車で30分ほどのところに住んでいますから、けっこう行き来しているわけです。まあ、〝じいちゃんバカ〟ということでしょうか。もちろん、お兄ちゃんも成長しました。LEGOや積み木の組み方が大きく進化してきました。LEGOは左右のバランスがとれて、全体もスマートでかっこいい造形物をつくります。積み木もアテネのパルテノン宮殿のようなしっかりした形の構造物ができあがります。しかも〝オットット〟といいたくなるように高いのです。〝フッ〟と息を吹きかければ倒れそうではありませんか。つまりはこれが〝成長〟というものなのですね。子どもの場合は、それが目に見えるからすばらしいし、周りのものたちも楽しくなります。下の子は、しっかり〝真似る〟ことから成長がはじまります。もちろん細かく記録したわけではありませんが、第一子よりもすべてが早いように感じます。そして、さらに〝冒険的〟のようでもあります。体の割には高いところから下を覗いたり、虫を触ったりもします。私の経験から言っても、そもそも親の精神状態が違っているんです。初めての親になったときは、当然のことながら子育ての経験がありません。そこで、多かれ少なかれ細かいことに気を遣います。私も長男が生まれたときは、哺乳瓶の熱湯消毒に精を出しました。 
〝前〟と〝後〟などもありまして 2012/01/16 (月)3266
 〝ものごとは、それぞれの見方によって違うんだよね〟という認識を基礎にして、〝だからお互いの視点を大事にしよう〟となれば、問題が生まれても解決の糸口は見つかる。しかし、〝違う〟ということが〝価値意識〟とつながるとややこしくなる。やれ〝こっちの方が優れている〟〝わが方こそが正義だ〟などなど…。この段階までくると、相互理解なんぞを期待することはできなくなってしまう。そして、〝こっちの方が正しい〟のだから、相手を滅ぼしても許されるといった、自分たちの行為を正当化する感情が生まれてくる。その結果、力が強い方が弱い方を抑圧し、最悪のケースでは戦争になる。日常的な事例で言えば、差別やいじめである。人間はいつまでたっても賢くなれないようだ。ところで、この話は〝go south〟という英語をきっかけにはじめたのだが、〝上〟と〝下〟で思い出すのは、国鉄時代の〝上り〟と〝下り〟である。昔は京都、今は東京が首都だということから、そちらに向かって行くことを〝お上りさん〟と言っていた。その流れを引き継いだのだろう、東京行きは〝上り〟で、東京発は〝下り〟だった。JR九州が、この〝上り〟と〝下り〟の呼称を使わないようにするという話を聞いたことがある。また、北陸の福井から新潟にかけて、越前、越中、越後という〝前中後〟を使った地域名がある。この場合、新潟が〝越後〟で、ちょっと見ると東京から近い方に〝後〟がついているのだが、これは京都から見たときの位置関係によっている。その昔の都は京都であり、そこに近い方の敦賀が〝前〟にあって、遠く新潟は〝後〟にあるということである。そう言えば、私が住んでいる九州にも、〝肥前〟〝肥後〟、〝豊前〟〝豊後〟などがあっておもしろい。 
上も下もないんだけど… 2012/01/15 (日)3265
 さて、〝go south〟の続きだが、〝北〟を上に書くのは、世界を支配してきた欧米が北半球のあることによる偏った見方なのか。しかし、伊能忠敬の見事な日本地図も、やはり北が上になっている。そうなると〝世界支配論〟とは関係がなくなる。ただし、時は1800年代だから、海外で作られた世界地図はすでに見ていただろう。もちろん、地球が丸いことも知られていて、忠敬はその外周が約4万キロメートルであることを正確に算出している。いずれにしても、地球そのものに本来的な上や下はない。オーストラリアに行くと、南北が逆さまになった地図が本屋でも当たり前のように置かれている。つまりは、南極が〝上〟にあって、北極が〝下〟に描かれているわけだ。この地図だと〝右手側〟が西になり、東は〝左手側〟になる。これを見た瞬間に違和感を覚えるのは、一定の価値観に基づいて作られた地図を、〝当然だ〟と考えてきたからである。くどいが、宇宙空間で〝こっちが上〟とか〝下〟だという必然性などまったくないのだ。これに似ているが、北極側から日本を見た地図に出会ったことがある。われわれが日常的に見ている地図だと、日本が太平洋を背にしてロシアや中国が連なる大陸と〝対峙〟しているような雰囲気がある。ところが、この地図になると、大きな大陸の端っこに小さな日本列島がくっついているといった感じを受けるのである。あちらの国がどんな地図でこっちを見ているのか知らないが、とにかく〝視点〟が違えば、〝印象〟に差が生まれる。そして、その〝差〟が、当たり前のこと、つまり〝世の中そんなもんよ〟で終わればめでたしめでたしである。ところが、人間というものは因果なところがあって、その〝差〟に価値を結びつけたがる。 
〝go south〟 2012/01/14 (土)3264
 〝go south〟。直訳すれば〝南へ行く〟となる。ただし、アメリカ口語では〝悪くなる、うまくいかなくなる、失敗する〟といった意味がある。地図を見ると〝北〟が上方にあるのが普通で、その反対の〝南〟は自然と下にくる。これまた一般的には、〝上昇〟する方が〝プラス〟的で、〝下降〟はマイナスのイメージがつきまとう。アメリカの場合、南北戦争で北軍が勝ったから、なおさらのこと〝北〟の方が〝正しい〟なんて認識があるのかもしれないというのは私の勝手な推測だ。そもそもは、アメリカ先住民の一部がもっていた発想が元にあるらしい。それによれば、〝死者の魂は南に向かう〟とされているという。つまりは〝南に行く〟ことが〝死〟を意味していたわけだ。そうかと言って、その反対に〝go north〟 とはあまり言わないとのこと。このあたりは、〝NHK実践ビジネス英語〟がネタ元である。ところで、アメリカの先住民を〝インディアン〟と呼んだりする、あるいはそう呼んでいた。これは征服者というか侵略者というか、そうした立場からの一方的で差別的な呼称であるから使ってはいけない。そんなことをけっこう聞いていたし、〝それはそうだなあ〟と思っていた。しかし、事実はそう単純ではないことをこのごろ知った。立教大学社会学部教授で比較文明学博士の阿部珠里氏は、〝アメリカインディアン〟といい呼び方は、アメリカで忌避されているのではないという。そして、アメリカ先住民たち自身も〝アメリカインディアン〟と呼ばれることを求めている人たちや団体もあるらしいのである。なにせ、専攻が〝アメリカ先住民研究〟というスーパープロが断言するのだからこれを疑う余地はない。われわれが手にする〝情報〟や〝常識〟は、けっこう危うい。
〝愚鈍さ〟と〝プロさ〟 2012/01/13 (金)3263
 名古屋で容疑者が自殺した〝事件〟も〝あってはならない〟深刻さである。ニュースの頭だけ聞いた瞬間に、〝身体検査をしなかったのだろうか〟と思った。しかし、刑事物のドラマしか見たことのないシロウトでも頭に浮かぶことは、当然のことながら行われていた。捜査員は任意の身体検査で上着やズボンのポケットを調べたという。とすれば、〝その方法〟に問題があったことになる。つまりは見逃す程度のことしかしなかったのである。このケースも、第一線の担当者は針のむしろ状態であることは想像に難くない。平田容疑者の場合と合わせて2例にすぎないが、両者に共通しているのは〝基本が徹底されていない〟ということである。いずれもおそろしく難易度の高いことではなかった。ごく〝当たり前〟のことを〝当たり前〟にしていればよかったのである。それにも拘わらず、どうしてそれができなかったのか。そこが問題になる。第一線の人たちを〝緊張感がない〟と責めるのは簡単だ。世の中には、個人的な理由でしか説明のしようのない事象もある。しかし、そうした行動を引き起こしてしまう組織やシステムの面から問題を探ることを忘れてはならない。いくら警察官といっても、公開された写真を見る限り、あの指名手配者の顔と〝同じだ〟と判断するのはむずかしいのではないか。さらに、〝おもしろ半分〟で妙なことをする人間がいることも事実に違いない。そのすべてにまじめに対応していてはキリがない。それも理解はできる。しかし、そうであっても、あえて適切性に欠けることばを使えば、〝愚直に確認する〟ことに徹する。これが基本である。あるいは、〝そこまでできる〟からこそ〝プロ〟だということである。そのこと自身が誇りに繋がらないだろうか。
大チョンボ 2012/01/12 (木)3262
 オームの平田容疑者が派出所に出頭して逮捕された。その際の警察の対応が問題になっている。彼は丸の内署に出頭する前に警視庁本部に出頭して、正面の玄関前で警戒中の機動隊員に〝平田です。出頭しました〟と告げたらしい。ところが機動隊員は本人ではないと思ったという。その上で、〝近くの丸の内署か交番に行くように〟と言ってその方向を指さした。ここで平田容疑者は〝特別手配なんですけど〟と念まで押したのだが、それでも隊員は取り合わなかった。そのため、1人で700メートルほど離れた派出所まで歩いて行ったのである。本人ではないと思って取り合わなかったのに、別の派出所を指示するというのもわかりにくい。そうすれば、いたずらをあきらめると思ったのかどうか、その真意はわからない。ともあれ、このニュースで警察の対応が大顰蹙を買った。当然と言えば当然のことだろう。当の隊員は、〝特別手配は知っていたが、髪が茶色で、写真とは違う風貌だと感じた。いたずらだと思った〟と説明しているという。しかし、今となっては針のむしろ状態だろう。機敏に対応して、逮捕していればお手柄ものだっただろうから、まさに天国と地獄の差がある。さらに最終的に逮捕した派出所でも、女性警察官が最初は〝うそっ〟と言ったという情報もあった。これまた真実だとすれば、まさに世間の批判に対して火に油を注いでしまう。つまりは〝現場の緊張感がない〟ということだ。そして、今度は名古屋発のニュースが流れた。数日前に台湾人の留学生2人を殺害したとして指名手配されていた容疑者が自殺した。それも警察官が本人を逮捕して任意同行する際の出来事だという。取り逃がしたのではなく、身柄を確保したあとのことだから、これも大失態だ。
フォントだけでも… 2012/01/11 (水)3261
 講義でもトレーニングでも、とにかく〝少しでも変えるのこころ〟を大事にしていきたいと思っています。ちょっと格好いいことをいっていますが、〝ほとんど同じ〟スケジュールになってしまうこともあります。そんなときでも、スケジュール表の〝活字〟を別の〝フォント〟に代えるといった小細工だってできるわけです。それでも〝違う〟ことはたしかですから。しかし、そんな心配はありません。たとえば、〝リーダーシップ発揮のポイント〟といったタイトルで話をするパートなどは、〝ネタ〟を入れ替えれば違ったものになります。その〝ネタ〟自身は、かなりの量を〝倉庫〟に保管しています。それに〝小さな〟ものはいつも追加中です。先日、久しぶりに私の講演をお聞きいただいた方がいらっしゃって、〝ご無沙汰しています〟に続いて、〝今日はバンペイユの話はされませんでしたね〟とおっしゃいました。これは過去をご存じの方にしかおわかりいただけないのですが、ある時期に熊本県八代地方の特産〝バンペイユ〟をネタに話をしていたことがあったわけです。もちろん、いまでも状況によって、それを使うことはありますが、基本的には別の話題にバージョンアップしているのです。こんな変化を入れられるところが、トレーニングの醍醐味ですし、これがあるから止められないのです。こうして、私は〝リーダーシップ・トレーニング〟依存症というべき状態にあります。もちろんここだけの話ですので、他言は無用ですよ。3年前の3月からはじめた減量大作戦で66kgが54kgバージョンに変身できました。そこで、ドックのデータは軒並みバッチリなんです。そんなわけで大いに健康というわけです。ともあれ今年もご一緒にしっかり〝成長〟を目指しましょう。
中学生の感想文 2012/01/10(火)3260 今日まで2本立です
 早いもので〝一昨年(おととし)〟のことになるが、年末に熊本市内の中学校へ行って人権の話をした。このときは1年生から3年生までの全校生徒が対象で、後日448名分の感想文が送られてきた。ゆっくり、ゆっくり読みながら楽しませてもらった。完読には28日ほど要したが、子どもたちから学ぶことも多かった。とりわけ教員志望の学生への授業では話題にできるものがけっこうあった。〝発達〟のこと、〝男女差〟のこと、そして〝教師のリーダーシップ〟など、とにかく〝生の声〟は多くのことを伝えてくれる。これについては、昨年の1月26日に本コラムで話題にして、2月2日から〝連載〟した。ところで、また同じ年末だが、昨年も中学生に人権の話をすることになった。このときは、公民館に校区の中学生がやってくるという段取りだった。保護者の方も数名ではあるが参加された。今回は全校生徒ではなく1年生に限定されていた。最初に提示された時間は2時間だったが、中学1年生には厳しいだろうということで、最長90分ということにして話を進めた。もちろん、実際には1人の例外もなくしっかり聴いてくれたという訳にはいかない。その中に、体をねじって後ろの席に座っている男子にちょっかいをかける女の子がいた。私に見えていることは分かっているのに、〝もう、そうしないではいられない〟といった感じだった。体育館に集まって話を聞いたりするとき、先生がずっとそばに付いている子がいることもある。大人と同様に、子どもにもいろんな状況があるのだが、とにもかくにも、全体としては90分間ちゃんと聴いてくれた。その講演についての感想文である。前回はB5版だったが、今回はA4版とやや大きめになって116人分が送られてきた。 
横断歩道で〝止まって〟ますか? 2012/01/10(火)3259 Continued from 1/07
 さてさて、道路交通法第3章第6節の二の冒頭218文字のあとに、続いて言います。〝明らかに横断歩道を渡ろうとする人〟を認識したらどうするかです。〝この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない〟。簡単な話です。横断歩道を渡ろうとする人がいたら、とにかく止まらないといけないんです。〝通行を妨げ〟ては法律違反なんですよ。そんなこと誰もが知ってるんですが、ほとんどの人が守っていませんよね。じつは、私だって〝横断歩道を渡ろうとしている人〟がいたら必ず車を止めるほどの遵法者ではございません。しかし、どうでしょうか、横断歩道を2つか3つ通過するときは、そのうち1回は止まっているはずです。この頻度は高いと思いますが、いかがでしょうか。そして、第38条の第二項が続くのですが、これがまた長い。176文字もあります。〝車両等は、横断歩道等(当該車両等が通過する際に信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等により当該横断歩道等による歩行者等の横断が禁止されているものを除く。次項において同じ。)又はその手前の直前で停止している車両等がある場合において、当該停止している車両等の側方を通過してその前方に出ようとするときは、その前方に出る前に一時停止しなければならない〟。横断歩道の前で止まっている車を追い抜こうとするときは、とにかく〝一時停止〟しないといけない。つまりは、〝えーいっ、めんどうくさい。横断歩道で止まってるトロイ車は追い抜いてやれ〟で走りすぎては法律違反なのです。追い抜くにしても、とにかく止まらないといけない。
成長の旅 2012/01/09(月)3258 Continued from 1/04 やはり今日も2本立です
 先週、私たちが学生のころには、〝まったく同じ授業を何年も繰り返す先生〟がいらっしゃったことを話題にしました。いまや学生評価が常識になり、そんなことができなくなったこともお話ししました。しかし、〝評価されるから変える〟なんて、いかにも受け身的ですよね。私自身は、〝まったく同じこと〟の繰り返しでは〝かっこうわるいなあ〟と思います。すでに還暦を過ぎてしまいましたが、それでも毎日が〝成長の旅〟だと考えたいんです。本職の講義はもちろん、依頼された講演や研修には、少しでもいいから新しいものを入れる。この精神といいますか〝こころ〟を大事にしたいと思っています。たとえば、私が主たる仕事にしている、〝対人関係〟や〝リーダーシップ〟、あるいは〝組織安全〟にかかわるトレーニングを実施するときは、その時々に応じたスケジュール表をつくります。その際には、それまでとまったく同じものにならないようにします。かなり定型的なものであっても〝どこかが違う〟ことを狙います。たとえば、私は20年前から〝熊本大学公開講座リーダーシップ・トレーニング〟を開催してきました。この講座の場合、同じ年度では、原則としてまったく同じ内容であるべきなのです。そのように〝募集案内〟に謳っていますから。しかし、実際は〝終わってみるとけっこう違った〟ことになります。まさに〝トレーニング〟は〝生き物〟なのです。その〝生き物〟との対話によって、私自身が〝生きる力〟をもらっています。自慢話の好きな私ですが、こうしてトレーニングのたびに創っていった〝スケジュール表〟が、すでに500枚を超えました。これを〝夜な夜な、ニンマリしながら眺める〟のが私の趣味だなんて言ったら気持ち悪くなりますね。
アンビリーバブル 2012/01/09(月)3257 
 久しぶりに〝チキンラーメン〟を食べた日、発売時の〝チキンラーメン〟を取り上げたテレビ番組を見たことで嬉しくなってしまいました。まずは、その日にチキンラーメンを食べたのはタマタマのことです。そして、それからテレビを見たのは偶然ですし、チキンラーメンを話題にした番組にチャンネルに合わせていたことも大いなる偶然です。いやあ、そうだからこそすばらしいではございませんか。私は、こんなことでけっこう嬉しがるわけです。世の中には、朝起きたときから気持ちが乗らないという方がいらっしゃるようです。私なんぞは〝目が醒めた〟ことだけでも、〝うわーっ、今日も生きてる〟なんてレベルで嬉しがっています。こんなパターンがいつまで続くのか、私にもわかりません。しかし、これってけっこうやる気に繋がるんです。ところで、同じ偶然ではあっても、楽しいことばかりではありません。まったく信じられないほど不幸な事態をもたらすことがあるのです。年末の30日のことですが、茨城県で乗用車とミニバイクが衝突する事故が起きました。この事故でミニバイクに乗っていた20歳の男性が頭などを強く打って亡くなってしまいました。事故はトンネルの中で起きており、見通しがよくなかったようです。その原因は乗用車が車線をはみ出したことにあったらしく、運転していた55歳の女性が逮捕されています。まことに不幸なことではありますが、ここまでなら、よく聞く事故の話です。ところが、この当事者が実の親子だったというのです。これには愕然としてしまいました。息子は外出先から自宅への帰り道で、母親は自宅から外出していたんだそうです。まさに〝アンビリーバブル〟なことが本当に起きてしまうのです。ことばがありません。 
〝チキンラーメン〟を食べた日に… 2012/01/08(日)3256 本日も2本立です
 今日の①は、〝信じられないような偶然に出会うことがあります〟ではじめたのですが、それと〝チキンラーメン〟とは結びつきません。そこで今日も〝続き〟として②まで書いておきましょう。〝それなら1回でまとめる〟とおっしゃるかもしれませんが、何分にも〝1回720文字〟を固守しているもので、どうぞご容赦ください。もちろん、早く4,000回にしようなんてケチな根性はもっておりません。さてさて、とにかく年末のある日、久しぶりに懐かしのチキンラーメンを食べたのです。ところがなんです。その日にボケーッとテレビを見ていたら、なんと〝発売当時のチキンラーメン〟が取り上げられたんです。われわれのような戦後まもなく生まれた人間は〝イカす〟がキーワードで、果物は〝バナナ世代〟なんだそうです。たしかにそうだなあと思います。バナナは高級品で、病気するか、それもお腹を壊しているときは厳禁でしたが、遠足や運動会のときだけ食べられるものだったのです。それがいまではバナナは安売りの対象品にもなりがちで、食品売り場には、もう山積みにされています。私は、それを見るだけでうれしくなるんです。心の中で〝うわーっ。全部は食べられないなあっ〟と、あたかも私のためだけに並べられているかのような感覚に陥ってしまいます。それはともあれ、次の世代は〝ナウい〟と〝キウイ世代〟、そしていまは〝ヤバい〟と〝マンゴー〟がキーになる世代なんだそうです。この3世代の人間たちが、それぞれの時代を自慢し合うような番組で、そこにチキンラーメンが出てきたのです。ただそれだけなんですが、ご無沙汰していたチキンラーメンを食べたすぐあとにテレビで遭遇するなんて、その偶然さにとにかく大いに感動したというわけです。
〝偶然〟と〝チキンラーメン〟 2012/01/08(日)3255 
 にわかには信じられないような偶然に出会うことがあります。ある人のことを思い浮かべていたら、そのすぐあとで本人と出くわす。そんな体験を、誰もが少なくとも何回かはされているのではないでしょうか。昨年末のある日のことでした。お昼にチキンラーメンが食べたくなりました。私たちの世代の方だとご存じでしょうが、チキンラーメンが世の中に出たのは1958年(昭和33年)のことです。それは私が小学生のときでしたが、販売価格は35円でした。その当時の物価を見ると、お店のラーメンが30円から35円なのです(インターネット 季刊「麺の世界」)。山手線の初乗りが10円という時代です。いまは130円でしたか。そこで単純に35円を13倍すると455円ですから、なあるほど、いまお店で食べるラーメンの価格とかなり近いと言っていいでしょう。とにかく相対的に高かったのです。そんなわけで、チキンラーメンなるものがあることは知っていましたが、それが小学生の口に入る可能性はかなり低かったわけです。敗戦後まだ13年しか経っていないころです。〝少し高いけど遊びで食ってみるかな〟なんて余裕のある時代ではなかったんですね。そうした状況ですから、私がチキンラーメンをはじめて食べたのがいつだったのか、その記憶ははっきりしていません。ただ、私の母親はチャレンジ精神が旺盛で、発売されてからそれほど経過しない時点で、子どもたちに食べさせたのではないかと思います。なぜなら、私は行橋市(福岡県)の市営住宅で、どんぶりに入れたチキンラーメンにお湯を注いで食べたことを憶えているからです。父の転勤で行橋市から佐賀県の伊万里市に引っ越したのは、私が小学校4年生の夏休みのときでした。それは1959年のことなのです。 
ギネスに挑戦! 2012/01/07(土)3254 本日は2本立てです
 道路交通法第3章第6節の二 第38条の冒頭は一つの文で218文字、つまりは昔懐かしの原稿用紙だと半分以上の長さなんです。この点は、裁判員制度の導入もあって、かなり改善しているようですが、とにかく法律用語は一つの文がやたらと長いんです。私なんぞは、読んでいるうちに最初の部分を忘れてしまいます。裁判官さんなどは、よほど〝文章力〟のある人たちなんですね。きっと競って〝ギネスの世界で最も長い一文〟記録に挑戦しているのでしょう。まあ、長いと言えば、落語の〝寿限無…〟のネタもありますが…。ともあれ、できるだけ庶民にわからないようにすることを最大の目標にしているのではないか。そんな皮肉も言いたくなります。わからなければ当然のことながら読む気も失せてしまいます。そこが専門家たちの狙いかと思うほどです。〝えっ、あんたのこのコラムの方が、あっちに行ったりこっちに来たりで、やたらと長いじゃんか〟ですって! うーん、そりゃあそうじゃというところでしょうか。人のことには文句をつけながら、自分のことには気づかない。いい気なものではございます、はい。そこで、ちょっとごまかしながら、〝道路交通法第3章第6節の二〟に戻りましょう。とにかく横断歩道を渡ろうとする人間が〝明らかにいない〟ときだけは、あたかも横断歩道がないかのように、そのまま走っていいということです。そして、〝ひょっとして渡るんかいなぁ〟と思える人が見えたら、停止線の前で止まることができるスピードに減速しないといけないわけです。どうでしょうか、見通しのいいところであれば、気づいたらすぐに足をアクセルから外すことになります。ところで、〝横断歩道に停止線なんてあるのぉ〟なんて言ってる人がいましたよ。
〝干し柿〟と〝ホットミルク〟 2012/01/07 (土)3253
 いま私が〝ハマッ〟ているもの。それは干し柿とホットミルク。じつは昨年の暮れにある方から干し柿のお土産をいただいた。私は子どものころから干し柿が大好きだった。佐賀県の伊万里市に住んでいた小学生のころ、口のなか全体がしびれるような渋柿をガブリと噛んで危うく失神しそうになった。ところが、これをぶら下げてつるしておくと、じつにおいしいつるし柿、あるいは干し柿ができることを知った。それ以来の干し柿ファンである。そんなことから、この季節になると何回かは干し柿を買って食べてきた。干し柿は堅めのものと柔らかめのものとがある。私はあえて比較するなら堅めの方が好きではあるが、柔らかめだっていやなわけではない。それはそれとしての味がある。ともあれ、いただいたのは石川県能登半島の〝ころ柿〟という特上品だった。その歯ごたえと甘さ加減、とにかく抜群なのである。ところで、正月の朝にちょっと寒いなあと思って牛乳を〝チン〟してみた。子どものころからの牛乳好きだが、最近はヨーグルトなどに押されて、牛乳をゴックリと飲む機会が激減していた。そんなときに、電子レンジにかけた牛乳は、いやあことばを絶するほどのおいしさだった。牛乳を入れる前のカップに蜂蜜を少し入れてみた。すると、これがまた何とも言えない甘さが加わってすばらしい。そこで、ホットミルクを味わいながら、ころ柿を口にした。うーん、なんという絶妙のバランスであることよ。まさに至福の時間を楽しむことができるではないか。干し柿の方はいつまでもあるわけではないから、当然のことながらこの取り合わせは終わってしまった。しかし、ホットミルクの方はしばらく続くに違いない。それにしても朝からワクワクできるって、ありがたい。 
道路交通法第3章第6節の二 2012/01/06 (金)3252
 通勤途上のことでした。横断歩道の向かって右側に中学生が立っていました。ここで〝道路交通法第3章 車両及び路面電車の交通方法 第6節の二 横断歩行者等の保護のための通行方法〟を思い出す人はまったくいないでしょう。そもそもそんな条文などあることすら知らない。あるいは知っていても無視している人がほとんどだと思います。どこの横断歩道でもいいので30分でも立って見てはいかがでしょうか。おそらく10台や20台は、そこに人がいることなど目に入らないがごとく、スピードを落とすことなどこれっぽっちも考えずに走り抜けていくでしょう。もともとお遊び風の〝味な話の素〟です。お急ぎでない方、ご用のない方、そしてお時間のある方は、いや本音を言うと〝お忙しい方〟も、ご一緒に〝道路交通法第3章 第6節の二〟なるものを覗いてみませんか。これがけっこうおもろいのです。まずは、(横断歩道等における歩行者等の優先)という括弧書きの表題がついています。そして、その頭が〝第三十八条〟です。〝車両等は、横断歩道又は自転車横断帯(以下この条において「横断歩道等」という。)に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車(以下この条において「歩行者等」という。)がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前(道路標識等による停止線が設けられているときは、その停止線の直前。以下この項において同じ。)で停止することができるような速度で進行しなければならない〟。やれやれです。条文の内容を途中で内容を確認しながら進もうと思ったのですが、ここまでが一文で続いているんですね。これですでに218字になっています。 
自分が楽しむ〝こころ〟 2012/01/05 (木)3251
 〝先生は自分が楽しもうと思ってるんでしょう〟。私の授業について、学生からそんな質問をされたことがある。〝図星をつかれた〟と思って。その通りなのである。ただし、〝自分が〟ならいいが、〝自分だけ〟となると問題だ。もちろん、私としては〝だけ〟にならないようにしているつもりである。ただし、この〝つもり〟というのが、対人関係においてはかなり危ういところがある。本人の〝つもり〟が伝わるのであれば、はっきり〝悪意〟のある行動でない限り、人と人との間でトラブルが起きることはないはずだ。このズレに気づく、あるいはそれを克服することこそはリーダーシップの重要なテーマでもある。まあ、それはともあれ、私は講義や講演で話をするとき、〝自分が楽しむぞーっ〟と考えていることは間違いない。それにしても、同じことを言っても反応は一様ではない。この〝味な話の素〟を題材にして話をすることがある。その際に、〝これを機会に私のホームページも覗いていただきたいので〟などと言いながら、〝http//www… なんてややこしい文字をいれる必要はないんです〟と続ける。そして、〝YahooやGoogleで‘吉田道雄’と入れていただければ、いまのところトップに出まあす…〟と、鼻をピクピクさせながら言うわけだ。われながら、自慢したい気持ちが見え見えなのだが、このときの会場で起きる反応がいろいろあっておもしろい。まずは全体が声を出して笑うケースである。もともとホームページの話題はスタートしてまもなく取り上げることが多いから、この時点で声が出ると、その先もいい反応が期待できる。その次は、半分くらいから笑い声が聞こえる場合だ。このときも、おおむね和やかな雰囲気で時間が経過していくことが多い。
元日午前3時半のスタート 2012/01/04 (水)3250
 今年は日記をルーズリーフに書くことにして、久しぶりに青インクの万年筆を走らせました。正月1日の3時半のことです。なにせ、大晦日の31日は9時ごろに床に入ったものですから、6時間も経過すれば当然のことのよう目が開きます。私にとって今年初めての〝キャッキャ〟体験でした。とにかく目が覚めた瞬間が楽しいのです。何といっても〝まだ生きている〟のですから。それからすぐに万年筆をもったわけです。ところで、今年の秋に私は64歳になります。世間では高齢者と呼ばれる状況に突っ走っているわけです。そんなことで、昨年は5年以内に退職する人を対象にした〝生活設計セミナー〟にも、家内と一緒に参加しました。まあ、そんな状況ではございますが、とにかく元気な限り仕事をすることを信条としているんです。私はいわゆるサラリーマン、つまりは給料取りではありますが、仕事は自由裁量の部分が多く、本当にありがたいことだと感謝しています。しかし、それでも10年一日のごとく同じネタで講義をしてやっていける時代とは違います。正直なところ、私たちが学生のころはそんな先生もいらっしゃったものです。そのために、古文書と見まがうようなボロボロのノートが先輩から後輩へと代々引き継がれていました。それに目を通しておけば、授業に出なくても単位は取れるという段取りでした。おそらく、そうした先生方は、学生にはその程度で済ませておいて、ご自分の研究に打ち込んでいらっしゃったのでしょう。そうに違いありません。そうでなければ人生の時間を使うのに持てあまされたことだろうと推測します。まあ、本気とも皮肉ともとれるような話は置くとして、とにかく時代は変わりました。学生からの評価が常識の時代なのです。 
日記の変質 2012/01/03 (火)3249
 日記をはじめたときは、その日のことを中心に書いていました。日記としてはそれが常識でしょう。しかし、ずっと書き続けているうちに、内容が〝その日のこと〟よりも〝その日に考えたこと〟に変質していきました。もちろん、〝その日に考えたことを記す〟のですから、これも立派な〝日記〟に違いありません。そうなると、その日に〝大したこと〟がなくても日記は書けるのです。早い話が〝今日はとくに何もなかったが、どうしてそうなんだろう〟などと思えば、そのことについて書けばいいわけです。これはすばらしい発見でした。〝あのときはどうしてあんなことをしたんだろう〟。〝あのとき〟が1年前のことであっても、その理由を〝今日〟書いているのですから、〝今日の日記〟のネタなんですね。こうして、〝その日に何もなくても書ける〟ことになってしまったのでした。そして、いまから9年ほど前の2003年のことです。ホームページなんぞを立ち上げる気になって、4月29日に〝味な話の素〟をスタートしました。お読みいただければおわかりのように、ここでも〝その日に考えたこと〟を書いていくことになりました。すでに書いたことがありますが、このコラムの原稿は1日分だけストックをつくっています。ですから、より正確に言えば、〝その前の日に考えたこと〟になりますが、そこは細かいこと抜きでいきましょう。しかし、〝味な話の素〟の登場によって、書き続けてきた日記の性質が変化することになりました。手書きの日記では〝その日の出来事〟の記録に重点が置かれるようになりました。そのため、分量的には目に見えて減少しました。ただし、〝味な話の素〟に毎日720字分を掲載していますので、日記が貧弱化したことは気になりません。 
久しぶりのルーズリーフ 2012/01/02 (月)3248
 今年は久しぶりでルーズリーフに日記を書くことにしました。私が日記を書きはじめたのは高校1年生の秋のことで、正確には1964年11月19日のことです。クラスの友達に〝日記を書くといいぞ〟と勧められたのがきっかけでした。もともと父が日記を付けていたので、小学生のころからボチボチ書いてはいました。父のマネをして当用日記を買ってもらい、とにかく1行でもいいから毎日欠かさず書こうと決めて目標を達成したこともありました。そうした経験もあってでしょうか、日記を書きはじめることに抵抗や不安はありませんでした。ただ、最初からいきなり続けることができなくて、ちょっと挫折っぽいものも体験しています。しかし、それも乗り越えて、11月19日からはずっと続くことになりました。そしてとうとう今日まで1日も欠けていないんです。やや嫌みな自慢話ですが、われながら自分の粘着質ぶりにあきれ、かつ感動もしています。エクセルで計算すると、今日で17211日目になります。年頭の数日は朝一番に〝その日の日記〟を書いています。〝それって日記かいな〟と言われそうですが、私の定義では〝日記〟そのものなのです。最初からいままでずっと手書きで、ワープロに代えたことはありません。ほとんどが万年筆ですが、ときおり太字のボールペン、それもこのごろは青インクが好みです。海外出張の際にホテルに置いてあったり、学会のバッグに入っていたりするものが、太字で青が多いのです、これがいい。日本製は精密度を上げることで差別化していますので、〝極細〟なんてのがありますが、私は〝極太〟まではいかない〝適太〟が好みですね。青いインクが白い紙の上を流れるように文字を創っていくのは、見ているだけで楽しいものですよ。 
あけましておめでとうございます 2012/01/01 (日)3247
 新年あけましておめでとうございます。おかげさまで、私の周りは無事に2012年を迎えることができました。いつもながら、物理的な現象としては、地球は淡々と運動を続けているだけのこと、べつに〝新年だ〟という感慨をもつわけがありません。しかし、私たち人間にはきわめて豊かな情緒があって、それをエネルギーにして生きている部分が大きいわけです。いつの時代も〝成長〟は望ましい響きをもっています。〝成長〟には〝変化〟が伴います。私としては、今年も〝変化〟を、ただし〝小さな変化〟を求めていきたいと思っています。それに経済について言えば、〝成長、成長〟と叫び続けるのはいかがなものでしょう。そもそも、〝成長〟は永遠に続いていって、終点はないのでしょうか。それではまるで〝ネズミ講〟ではないですか。昨年は世界の人口が70億人を超えたということでした。ずっと先のことになるにしても、みんなが知恵を出して、人口が30億人くらいまでになれば、全員が楽に生きていけるでしょう。軍事に回される経費がなくなれば、餓死者だっていなくなるのではないでしょうか。しかし、〝そんなの夢物語だ〟と一笑に付されるのでしょうね。人類は自分たちが思っているほど賢くないようですよ。ともあれ、〝経済成長〟を至上とする発想を〝変化〟させるのも、また私たちの〝成長〟した姿だと言えるのではないでしょうか。さて、今月の写真は〝旭山動物園〟のペンギンです。じつは、昨年末の3連休に北海道へ行ってきました。〝北部日本は大荒れ〟という予報のなかでしたが、とにもかくにも〝ババンババーン〟の登別の湯と旭山動物園ツアーは無事におわりました。そのときの〝おもしろ体験談〟はあらためてお話ししたいと思っています。