よいお年をお迎えください 2011/12/31 Sat-3246 昨日、アクセスが250,000件に達しました
今年もおしまいの日を迎えました。〝味な話の素〟にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。このコラムは2003年4月29日にスタートしましたが、それから欠かさず続けてくることができました。これも皆様方のバックアップあってこそです。また、月並みではございますが、病気をしない健康な体を与えてくれた両親に感謝しています。健康でなければ、〝味な話の素〟の継続はあり得ません。私の母は47歳で亡くなりました。また父は75歳の声を聞いてまもなく他界しました。いまは表計算ソフトで誕生日から今日までの日数を簡単に知ることができます。母の生涯日数は意識しておりましたから、私がその日を迎えたときは大きな感慨がありました。そして、父親の生涯にもあと一回りのところまでやってきました。母が早く亡くなったこともあって、私は36歳になった年から人間ドックに通っています。今年でなんと28回目ということになりました。一昨年のデータが〝メタボ〟っぽ〟かったため、高齢ダイエットに挑戦しましたら、おもしろいように減量が進んで、1年間で20%も軽くなりました。わたしの〝変貌ぶり〟をご覧になって、〝吉田はやばい病気なのではないか〟とご心配いただいた方もいらっしゃったようでした。こうしたことは本人にストレートには聞きにくいものです。私としてはしっかりダイエットということで、自分でも驚くほどドックのデータが改善しました。とにかく、血圧に血糖値、中性脂肪、コレステロールなどなど、キーになる項目はすべてクリアしました。ありがたや、ありがたや。そんなわけで少なくとも熊本大学の定年までは〝味な話の素〟を続けていけると確信しておりますよ。退職の日までに〝4000回〟を超えます。 |
勝負の世界と引き際 2011/12/30 Fri-3245
〝引き際〟問題は、最終的には自覚してもらうしかないのだが、ご本人はそんなことにはこれっぽっちも気づかない。とまあ、こんな具合であることが多いのである。それどころか、〝自分がいなくなると大変だ〟などとあとのことまで〝心配〟されて、さらに〝やる気〟を高めたりもする。それに反比例して周りの意欲はますます減退していく。歴史を見ればわかるように、〝去るべき人が去っ〟ても、人間はちゃんとやれるのである。そうでなければ人類そのものがここまで続いてこなかったはずだ。ただし、私が問題にしているのは〝周囲の迷惑〟であって、それがなければ自分の意思で好きなことを続けるのには何の問題もない。いやむしろ〝やれるところまでやる〟というチャレンジ精神は他の人たちの模範にもなる。工藤選手は〝とにかく野球が好き〟だったのだし、それがたくさんの後進を育ててきた。ダイエー時代のキャッチャー城島との関わりは感動的でもある。また、魁皇が〝無類の相撲好き〟だったことはよく知られている。その気持ちが大記録の達成に繋がったのである。また、若手に大きな影響を与えたことも想像に難くない。その点で、私は二人をしっかりと評価し、そして大いに賞賛したい。それではどうして魁皇にだけきついことを言おうとするのか。それは本人ではなくシステムの問題なのである。いくら〝好きで続けたい〟と願っても、野球の場合は勝てなければ試合で使ってもらえない。勝負の世界だから、本人の意思ではなくもっている力が問題になる。たとえ昔は栄光のエースだったとしても、負けてばかりだと2軍に落ちるし、〝こりゃあダメだ〟と評価されれば〝来年は契約しない〟とはっきり縁を切られてしまう。これが相撲になるとどうだろうか。 |
工藤と魁皇 2011/12/29 Thu-3244
今年の12月にプロ野球の工藤公康選手が引退した。投手として29年間、西武ライオンズ、ダイエーホークス、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズと移籍し、さらに西武ライオンズに復帰した。1963年生まれの48歳、通算224勝142敗、日本シリーズでの1試合奪三振13個、通算102個はシリーズ記録である。とにかく、歴史に残る偉大な投手だ。野村克也氏が〝生涯一捕手〟で名を馳せたが、工藤は現役にこだわり続けた。まさに〝生涯一大投手〟と呼ぶにふさわしい。もう一人、相撲界では大関魁皇が名古屋場所7日目に通算1047勝の最多記録を残して引退した。こちらは38歳だったが、大関在位期間は10年間65場所で、千代大海と並ぶ歴代1位の記録保持者である。工藤と魁皇の二人は、テレビの情報しかないが、インタビューなどの雰囲気から人柄もすばらしいように見える。とくに魁皇は、私と同じ福岡県の出身だから、なおのこと親近感がある。と、ここまで持ち上げた上で、魁皇については大関のシステムに絡めてちょっときついことを言いたいのである。ときおり〝引き際〟ということばを聞く。そう言えば、今年は〝辞める〟と言ってからしぶとく退かなかった粘り腰の宰相もいたことを思いだす。それは置くとして、〝引き際〟が話題になるときはプラスとマイナスの両極端の場合が多い。〝まだまだ十分にやれる〟のにスマートに消えていくと思われるときは、みんなから賞賛される。とくに〝後進に道を譲る〟ことが重なると、その格好よさがさらに増大する。ところが、そのタイミングを誤ると強烈にマイナスのイメージを帯びてくる。周囲は〝もういい加減に退いてほしい〟と、〝粘り腰〟に困惑しているのだが、間違ってもそんなことを口には出せないのである。 |
〝普遍性〟vs.〝一般性〟 2011/12/28 Wed-3243
〝人間行動の普遍的法則なんてあるわけがない〟。いやしくも〝心理学〟で飯を食んでいる者がそんなことを言いまくっていては、同業者から村八分になってしまう。あるいは部外者からも顰蹙を買う。と、まあそうは思っても、〝それが本当だから仕方がない〟と居直る。これって、私としては今ごろ言い出したことではないし、もちろん年を取ってから〝その事実〟に気づいたわけでもない。だから、ずっと昔から居直っているのだ。ただし、〝全人類に通じる〟という意味での〝普遍性〟はない、あるいは自分としては〝そんなもん、見つけるなんてできない〟と言ってはいるが、〝ある程度の一般性〟は〝間違いなく存在している〟と確信している。ただし、〝ある程度の一般性〟だから、〝普遍性〟に比べると、スケールは相当に小さい。しかし、私としては〝それで十分、いや十二分だ〝と大いに満足しているのである。それでは、その〝一般性〟とはどんなものか。何のことはない、たとえば私が主たる仕事にしている〝リーダーシップ・トレーニング〟や〝組織安全〟の理屈は、〝どんな組織や人々にも、そのまま適用できる〟ということである。私の〝リーダーシップ・トレーニング〟に参加される方々のバックグラウンドは多様である。まずは本職で、学生たちがいる。そして、学校の先生方、看護に携わる管理者やチームリーダー、また産業組織の管理者も含まれるし、ときには新人であったりする。かつては青年団のトレーニングを引き受けたこともあった。じつは〝ここだけの話〟なのだが、その内容は〝すべて同じ〟なのである。そこまで言うと誤解されてしまうかなあ。個々の対象に応じていろんな工夫はするが、その基本的な流れはまったく同じということである。 |
ライバル喪失 2011/12/27 Tue-3242 Continued from 12/09
今となっては、軽い調子で取り上げる内容ではないが、3月11日の震災を契機に、〝地震学〟を研究している人たちが自信を喪失したようにみえる。マスコミの情報を素人が読む限り、〝地震予測〟は困難だと宣言したという印象を受ける。私はこのコラムでも、〝天気や地震だって完璧な予想はできないのではないか〟と言いながら、〝当たり前のこと〟しか言わない心理学の免罪符にしてきた。しかしここに来て、私としては勝手に〝ライバル〟だと考えていた〝地震学〟に〝予測〟を放棄されては困ってしまう。強力なライバルがいてこそ、こちらも成長できるのに…。気象も地震も地球で起きる自然現象だ。とにかく、時々刻々と変わる複雑な条件が組み合わされて、特定の事象が起きる。だから、〝起きたこと〟については説明できるが、〝これから起きること〟の予測がむずかしい。これが人間になると、〝意思〟が加わるから状況はさらに複雑になる。人間には〝あまのじゃく〟と呼ばれる人たちもいる。何かを〝予測〟しようものなら、〝あえてその反対の行動〟を取ろうとする。そんなわけで、〝こんなときはこうなる〟が、〝こうした状況では、こんなふうになる〟などと、あれやこれやと条件を付けて説明しようとする。私自身が仕事にしている〝リーダーシップ〟についても、〝百家争鳴〟といえば聞こえはいいが、現状は〝諸説紛々〟といった状況に近い。〝みなさん、心理学が‘こんなときはこうなるからこうしなさい’と言ったら、その通りにしたがいますか。冗談じゃない、自分はそんな指示なんて無視するぞーってお考えになるでしょう。だから、心理学は複数の選択肢を提供するだけなんですよーっ〟。私としては、そんな言い訳をしながら仕事をしている…。 |
〝脱国〟物語 2011/12/26 Mon-3241
とんでもなく〝迷惑な乗客〟がいたという記事が出たのと同じころ、〝坂本龍馬→脱藩 いまは脱国して地方から〟というメモを書いた。すでに4年以上も前のことだが、そのときの気持ちは完璧に記憶している。このころは、まだ自民党が政治の中心にあった。しかし、日替わりは言い過ぎにしても、政治の不安定さのゆえに首相もコロコロと変わった。戦後最長の好景気など、庶民はこれっぽっちも実感していなかった。そんな沈滞しきった中央政府の状況に、自己変革のエネルギーなど期待するのは無理な相談だった。だからこそ、〝とにかく政権交代〟というかけ声は人の心を揺さぶった。そんな中で、〝中央がダメなのだから変革は地方から〟という発想が常識になりつつあった。そのとき私には〝坂本龍馬の脱藩〟というイメージが頭に浮かんだ。私なんぞ、歴史に強いとはとても言えないのだが、龍馬は〝土佐藩〟という狭い地域では自分のエネルギーを十分に燃焼できなかったのではないか。そして、〝この国の形を変える〟とばかりに〝脱藩〟したのだと思う。わが国のあり方に龍馬がどのくらいの影響を及ぼしたかは知らない。しかし、龍馬は歴史のヒーローとして繰り返し蘇ってくる。したがって、その貢献度は特筆すべきものなのだろう。だが、時代は大きく変わった。そして、すでに〝国自身が国の形を変える力を失っている〟ことは明らかだ。いまこそ、地方から変革の火の手を挙げなければならない…。とまあ、そんな発想から、龍馬の〝脱藩〟とは逆に、国への期待を棄てて地方を活性化する。つまりは〝脱国〟こそがキーワードなのだと大げさに叫びたかったのである。その点では、これからどうなるかわからないが、橋下氏も〝脱国宣言〟をしているように見える。
|
〝迷惑乗客〟物語 2011/12/25 Sun-3240
〝味な話の素〟のメモ、〝坂本龍馬→脱藩 いまは脱国して地方から〟のすぐあとに、〝2007/8/30熊日 鳥取発東京ANA 閉所恐怖症 24分遅れ‘唖然とするような理由 他のお客様の迷惑を考えれば、搭乗すべきではなかった’と女性を批判するコメントを発表した〟と書いている。これですぐに事実だけは思い出す。つまりは〝閉所恐怖症〟の女性客がいて、飛行機が滑走路に向かいはじめてから〝やっぱり怖い〟と訴えた。そのため飛行機は引き返さざるを得なくなったのである。コメントを出したのはANAである。それはそうだろう。このケースは悪質とは言えないが、やはりほかの客には大迷惑である。搭乗口に10分前までには来るようにと言われているのに平然と遅れてくる客がいる。〝チェックインだけしておけば、少し遅れても待っている〟などと考えている風でもある。そんな客に比べれば、この女性は、飛行機に乗る〝何日も前〟から〝その朝〟〝そのあと〟、そして、〝空港に行く前〟〝空港に来てから〟〝いよいよチェックインするとき〟〝搭乗口を通過するとき〟〝搭乗案内が聞こえるまで〟〝搭乗案内が聞こえてから〟〝チケットを読み取り装置に入れるとき〟ついでに、〝読み取り装置に入れたあと〟〝ボーディングブリッジを歩くとき〟、にこやかなスチュワーデスに〝‘ご登場ありがとうございます’といわれたとき〟〝とうとう座席に座ったとき〟にずっと心配していたに違いない。そして〝いよいよドアが閉じられた際〟に恐怖は急激に高まって、〝滑走路に向けて移動をはじめたとき〟とうとう頂点に達したに違いない。そう考えるとお気の毒なところもあって、ご本人のつらさを理解することはできる。もちろん、それも当事者でないからだ。 |
〝ネタ・メモ〟物語 2011/12/24 Sat-3239
〝味な話の素〟を読んでくださっている方から、〝よくネタが切れませんね〟と言われることがある。ありがたいことに、いまのところその心配はまったくない。それどころか、〝ネタメモ〟は増える一方である。これについては以前にも書いたのだが、〝メモ〟を見ても〝何を言いたかったのか〟がわからなくなってしまったものもある。そのときはかなり興奮していたはずである。ああ、もったいない。また、内容はしっかり記憶しているが、何分にも〝賞味期限切れ〟でメモから削除することもある。かわいそうに、ごめんなさい。そして、〝ああ、すぐに書いておけばよかったあ〟と悔やむネタもある。これについては数日前にも取り上げた。そもそも〝メモ〟を定期的にチェックしていないことが問題なのだ。そうすれば、〝これは早めに〟と、その気になるに違いない。さて、この数日は橋下大阪市長の動きが目立ち過ぎている。いくら大阪が大都市だといっても、就任早々の市長が、政党のトップクラスと〝会談〟するなんて、まずは前代未聞、いや空前絶後ではないか。この国は一体全体どうなっているのか。橋下氏の発言や行動には毀誉褒貶、様々であるが、もはや〝中央政府〟なんかに依存しているととんでもないことになる〟。そんな気分が充満しはじめている。さて、そんな思いとは関係なく、たまたま〝味な話のメモ〟を眺めてみた。すると、かなり下の方、つまりはずっと前に書いたものだが、〝坂本龍馬→脱藩 いまは脱国して地方から〟というメモがあることに気づいた。それが目に入った瞬間に〝ああ、書いときゃあよかった〟と、またまた小さな悔しさが体を走った。それには日付を付けていないが、そのほかのメモの前後関係から2007年8月ころのもののようだ。 |
つぎは〝人権の専門家(?) 2011/12/23 Fri-3238
まずは〝Yes〟と答えて、それから考える。そんなことばかりしてきたから、〝この道一筋〟を大事にされている方々には大顰蹙を買うに違いない。しかし、私自身はこの発想と行動を変えるつもりはない。それに還暦の峠を越えた今となっては、変えようにも変えるほどの柔軟性がなくなってきた。そんなわけで、私は〝人権の専門家(?)〟にもなってしまった。熊本市では〝人権〟に関わる講演ができる人物をリストアップしたものがある。いつのころだったか、これに登録するようにとの依頼が届いた。当然のことながら、〝私は人権の専門家ではありませんから〟とお断りした。それに対して、〝できればご協力いただきたい〟だったか、あるいは〝是非ともお願いします〟だったか、はっきりした記憶はないが、とにかくそんな感じで改めて依頼された。それで結局は〝Yes〟と答えた。とにかく〝Yes
man〟なのである。それでも、学校から〝人権〟を主題にした講演の話があったときは恐縮しながらもお断りしたこともある。ともあれ、それからは年末になると、熊本市からリストの掲載について訂正を含めた確認の文書が送られてくる。おそらく2年目だったと思うが、〝やっぱり私は人権の専門家ではございませんので〟といった回答をして掲載をはずしてほしいとお願いした。しかし、そのときも慰留(?)されて、結局は掲載を承諾した。そして、その後は淡々と文書をお返しすることを繰り返している。それから5年は越えていると思う。しかも、〝専門家ではない〟と言い続けながら、現実には〝人権の話〟をしている。対象も成人だけでなく、子どもたちも含まれる。そしてふと気づくと、いつの間にか〝私は専門家ではありませんので〟と断ることがなくなっている…。 |
専門家(?)への道 2011/12/22 Thu-3237
杉田敏氏が講師の〝NHK実践ビジネス英会話〟テキストからのネタ話を追加しておこう。アメリカ合衆国第26代大統領セオドア・ルーズベルトの発言である。〝Whenever
you are asked if you can do a job, tell'em, “Certainly I can!”Then get
busy and find out how to do it〟. あなたがある仕事をできるかどうか聞かれたら、〝もちろんできます〟と答えなさい。そのうえで、どうやってそれをするか一生懸命に考えなさい。いやあ、じつにすばらしい。私もこの発想に大賛成である。そんなわけで、熊本に来て初めて引き受けた講演が〝社会教育〟関係のものだったことはすでに書いた。そのうち、私は〝視聴覚教育〟の専門家(?)にもなった。いまから32年ほど前に赴任した施設は〝教育工学センター〟と呼ばれるところであった。じつは、教育機器を使うのが〝教育工学〟ではないのだが、とにかく私には視聴覚教育機器の活用法などの情報を提供することが期待された。もともと映像や音声メディアを使うのは大好きではあった。しかし、趣味と仕事は違うのが当然である。それでも私としては〝おもしろいじゃない〟など、かなり趣味的な動機づけに押されながら〝視聴覚教育〟に関する本を読んでいった。いわゆるマイクロコンピュータが登場しはじめのころで、教育におけるコンピュータ活用も話題になりはじめていた。熊本大学に赴任した1979年は、あのNECのPC8001が発売された記念すべき年だった。そんな巡り合わせで、センターの新設で付けられた予算でフルセットを購入して、朝から晩まで遊んだ、いや勉強した。現在のパソコンが新幹線ならPC80001は三輪車程度の能力しかなかった。しかし、そのおかげで今度は〝情報教育〟の専門家(?)になってしまった。 |
〝同じことを考えてたぞーっ〟の報酬 2011/12/21 Wed-3236
〝味な話の素〟の内容について情報をいただいた大先輩へのメールを続けることにしよう。なにせ、〝大学村〟というべき閉鎖社会で生きている人間ですから、少しでも〝一般性〟があるというので自信がわきます。じつは、〝朝令暮改〟のネタはかなり前から授業や講演で公言してきました。すでに2004年5月16日の〝味な話の素〟にも書いています。ただし、そのときは〝新聞で、自分と同じことを言っている人がいる〟ことを知り、ずっと前から考えていたネタなので、はやくこのコラムに書いておけばよかったと悔しがっています。ご参考までにお読みいただければ幸いです。ここまで書いてからURLも入れた。お時間があればクリックして覗いていただければ、そのときの様子がおわかりいただける。 http://www.educ.kumamoto-u.ac.jp/~yoshida/hanasinomoto045.htm そしてさらに続ける。その代わり、かのベストセラーになった藤原正彦氏の〝国家の品格〟が出版される前に、〝ほとんど同じこと〟を書いていた部分があったため、やはり講義や講演でかなり自慢しているものもあります(2005年3月6日~7日)。と、ここでもURLを入れた。http://www.educ.kumamoto-u.ac.jp/~yoshida/hanasinomoto053.htm 私には理系の人たちのように早く発表したからといって、経済的な報酬などはありません。青色発光ダイオードの発明者が会社を訴えたようなお金がらみの話とは無縁です。ただ、〝これを言うのは日本で初めて〟とか、著名人やマスコミが世間に流布したものについて〝同じことを自分も考えていた。しかもずっと前から…〟と宣言する権利というか、自慢のネタはもっておきたいものです。これこそ、私の内発的動機づけの元です…。などと書いた。 |
〝自信〟情報 2011/12/20 Tue-3235
先日、このコラムを読んでくださった大先輩からメールが届いた。つい先だって〝‘しまった’ら戻ればいい〟というタイトルで書いたものについて情報をいただいた。それは今月12日のもので、〝朝令暮改のお勧め〟といった内容だったのだが、これと同じことをアサヒビールの福地茂雄氏も言われているという情報である。同氏はアサヒビールの社長、会長、NHK会長など歴任された方だという。それは大先輩がご本人から直接お聞きになったらしい。また〝味な話の素〟では、〝朝令暮改〟を勧めた上で、タイトルのように〝‘しまった’ら戻ればいい〟と書いていた。この点については、小惑星探査機〝はやぶさ〟のプロジェクトチーム・リーダー川口淳一郎JAXA教授が言っているとの情報も教えていただいた。〝はやぶさ〟については先だって、熊本市立博物館の展示会に出かけて大感動したばかりだ(11月29日、12月3日)。大先輩によれば、その発言は文芸春秋に掲載されていたのではないかということだった。〝行くか行かざるか迷ったら
Go!〟を選び、そしてその後に〝しまった、と思えば元に戻ればよい〟という内容のようだ。いやあ、まるで私が書いたことと同じではないか。すばらしい情報である。私の発想も捨てたものじゃない、大いに自信がわく。そこで、大先輩に次のような返事を出させていただいた。〝味な話の素〟をご愛読いただき、ありがとうございます。このごろは、〝朝礼でネタに使ってますよ〟といってくださる管理職の方もいらっしゃって、大いに喜んでおります。ともあれ、ネタ切れの心配はなく、むしろメモがたまって閉口しています。さて、〝朝令暮改〟の件ですが、実業界で同じような発想をされる方がいらっしゃると嬉しくなります。 |
行き当たりばったり大作戦 2011/12/19 Mon-3234
こうして夢の世界に行っているうちにわが家へ幽閉しようというわけです。目が覚めたときは覚めたときの話です。とにかくいまは行き当たりばったりしかない。それがおじいちゃんとおばあちゃんの心境なんです。そしてわが家の駐車場までやってきました。ここでバックにギアをいれると、〝ピーッ、ピーッ、ピーッ〟と警報音が鳴ります。いやあ、これがまずい。なんとも安眠妨害の騒音です。本来はファールセーフの音であるはずなのですがね。〝案の定〟というのは、こんなときのためにあることばなんでしょうね。孫のまぶたが動きます。そして、本当に目が開いてしまいました。ただし、まだボンヤリしています。駐車場を見たところ、〝知らない場所ではないなあ〟というくらいの印象だったでしょうか。すかさず〝ダイエーにおみかんを買いに行こうか〟という、行き当たりばったりのおばあちゃんの声が聞こえました。それに対して孫はゆったりとした口調で〝うん〟と答えました。もちろん〝ダイエー〟がなんたるかは理解できていなかったはずです。おそらく〝おみかん〟に反応したに違いありません。そこでおじいちゃんは〝うん、そうだ、そうだ、そうしよう〟と、シロウト演芸会の下手くそな脇役みたいな台詞を大声で発しました。そしてただちにダイエーへ向かったのでした。ほんの少しばかり眠ったおかげでしょうか、先ほどの〝置いてけぼり〟に対する悲しみが収まったようです。さあ、ダイエーに着きました。とことこ歩いて入ります。すぐにミカンやバナナが目に飛び込んできます。ほかにもいろいろおいしそうなものが並んでいます。そうそう2階にはちょっとばかり遊べる施設もあったはずでした。さあ、エスカレータで上っていくことにしましょう。 |
〝夢〟の贈り物 2011/12/18 Sun-3233 Continued from 12/16
とにもかくにも〝お母さんとお兄ちゃんに置いてけぼり(?)〟にされた孫でしたが、〝お兄ちゃんの幼稚園に行こうか〟という声に対して、〝うん〟とうなずきました。そこでやおら車をスタートさせたわけです。孫は後ろから私に対して幼稚園に行く道筋を指さします。まだ〝あっち、こっち〟とは言わないのですが、おじいちゃんにはそんな風に聞こえます。いつも通っている道なのでしっかり記憶しているんですね。しかし、〝このままだと本当に幼稚園に行ってしまうなあ…〟。そんな思いがおじいちゃんの頭に浮かびます。それでは困るわけです。そんなわけで、〝まずいなあ〟とは思いつつ、これといった名案も浮かばずに車を走らせ続けます。ところが、ゆったり走る車のスピードと暖かさが、孫とおじいちゃん、おばあちゃんに〝夢の贈り物〟をくれたのです。〝ちょっと眠くなったかなあ…〟。そんなおばあちゃんの声が聞こえてきました。〝これは、ひょっとしたら〟とおじいちゃんは期待しはじめます。そこで後続の車には迷惑をかけない程度のスピードを保ちながら進みます。そして、ついに孫は〝夢の世界〟に行ってしまったようです。それはちょうどお兄ちゃんの幼稚園に通じる道を通過するタイミングとほとんど一致していました。なんとまあすばらしいことでしょう。それからは、できるだけ現実に戻って来ないように、とにかく運転を続けていきます。そして、おじいちゃんとおばあちゃんが選択したのは、自分たちの家に連れて行くことでした。やはりホームグラウンドの方が、何かと有利に働くはずです。お昼ご飯も準備しやすいといったこともあります。そんなわけで、スヤスヤと夢を見ているらしい孫を乗せた車は私たちの家に向かって走り続けます。 |
〝読みにくい〟理由 2011/12/17 Sat-3232
今年の9月のことである。ある研修会でご参加の方から声をかけられた。〝いつも‘味な話の素’を見ていますよ〟。〝それはありがとうございます〟。〝けっこう楽しくていいのですが、ちょっと読みにくいですね。文字が詰まりすぎではないですか〟。〝ああ、その点ですか。うーん、とにかく毎日720字と決めているものですから…〟。たしかにご指摘の通りだと思う。まったく改行をしないのである。その理由についてはずっと前にもこのコラムに書いたことがある。また、講演などではその裏話をすることもある。スタートしたときは文字数のことなど考えずに書いていた。だから調子に乗るとかなり長い文章になる日が出てくる。こちらはそれでかまわないのだが、読んでいただく方はどうなのか。家内が毎日続けることについては〝すごい〟とほめてくれた。ただ、〝出勤前に読んでますよ〟なんて嬉しいことをいってくださる方がいらっしゃるのに、あまり長すぎると読もうという気持ちをそいでしまうでしょうと言う。そりゃあそうじゃと思ったから、〝じゃあどのくらいの長さがいいのかなあ〟と反問した。その結果、家内が推薦したいくつかのコラムがあり、それがいずれもほぼ720字だったのである。それからというもの、ワープロのページを1行40字×18行にセットして書き続けている。半角文字や英字を入れたりすることもあってか、表示画面は日によってデコボコに見える。これはあくまでコンピュータ側の事情らしく、私としてはとにかく720文字にこだわっている。もう内容はどうでもいいから、とにかく720字だあ、なんてのは本末転倒なのだが、それで勝手に楽しんでいるわけだ。そんなことから、〝読みづらい〟というご指摘にはお応えしないままでいる。 |
いよいよ、そのときが… 2011/12/16 Fri-3231
いつも両親やお兄ちゃんと一緒という体験しかない孫と朝の8時台からお昼すぎまでつきあう。そんなことってできるんでしょうか。おじいちゃんとおばあちゃんにはそんな不安が急激に高まってきました。けれども、現実は現実です。とにかくそうしなければいけないのです。そこで、どうするか。まずは母親とお兄ちゃんがこっそり出て行くことにしますか。しかし、それでは本人の納得がないままだから、最悪の事態になりそうです。それはそうですが、はっきり〝バイバイ〟と宣言して出かけるのも、これまた厳しそうではございませんか。そのうえ、〝今日はお母さんとお兄ちゃんが幼稚園に行くんだぞ〟なんて言ってしまったんですよ、お兄ちゃんが…。〝Oh,No!〟。子どもって、自分の気持ちをすぐ口に出しちゃうんですよね。まだ2歳前ですから、その正確な意味は十分理解できなかったかもしれません。しかし、まさに当事者ですから何となく感じるものがあったはずです。とにもかくにも、ここは〝お家を出る〟段階まで進めないとまずいでしょう。そんな気持ちになりましたよ。そこで、お靴も履いていよいよお家の外に出て車の方へ向かったんです。その日はすでに、私の車にチャイルドシートをセットしていたんです。しかし、シートのところまで行った瞬間でした。孫は反射的と思えるほど瞬時に大声で泣き出してしまいました。いまから何が起きるのか、十二分に理解していたんですね。そんななかで時間は切迫してきました。お母さんとお兄ちゃんの車はスッとスタートしたのでした。それで状況がさらに厳しくなったことは言うまでもありません。こちらも反射的だったと言うべきでしょうか、〝お兄ちゃんの幼稚園に行こうか〟と声をかけてしまいました。 |
孫とのおつきあい 2011/12/15 Thu-3230
二人の孫がいる。ある日、お兄ちゃんが母親と幼稚園の行事に参加することになった。それはけっこうなのだが、下の孫を連れて行くことができにくい状況だという。そうなると、おばあちゃんの出番である。しかし、その時間がけっこうあって、朝の8時台からお昼過ぎまでおつきあいしなければならないらしい。そんな事態が生まれたのだが、幸いと言うべきか、その日はたまたま休日出勤の代休日と重なっていた。そこで急遽、おじいちゃんまで参加しておつきあいすることになる。下の孫はもうすぐ2歳になるが、まだ理屈で、自分が幼稚園に行けない、あるいはしばらくは母親と一緒にいられないということは理解できない。そんなことを話題にしながら、われわれ祖父母には一抹の不安がよぎった。上の子は母親が買い物をする際などに、おばあちゃんがショッピングモールのおもちゃ屋さんに連れて行ったりした。ときにはフードコートでお食事という経験もある。そんな下地があったから、かなり早い時期におじいちゃんおばあちゃんのお家で〝お泊まり〟もした。これに対して下の孫はそうした体験がない。完璧に訓練ゼロの状態である。お互い住んでいるところが比較的近いから、わが家にはちょくちょく来てはいる。だから、おじいちゃんおばあちゃんに大いになれていることは間違いない。このコラムでも、玄関に入ってきた私を見ただけでも、うれしそうにジャンプしてくれるのみて、こちらがうれしくなったことを書いた。そんな親近性は出来上がっている、たしかにそうなのだが、その一方で、これまで両親、あるいはお兄ちゃん以外の人間とだけ一緒にいた経験は皆無なのである。孫から見れば、突如として放り出されたという気持ちになってしまうのではないか。 |
〝発見・発想力〟から〝発言力〟へ 2011/12/14 Wed-3229
私の仕事には組織の安全が重要な位置を占めている。もちろん、事故や災害を未然に防止するためにハード面での対応をしっかりしておくことは当然である。しかし、それだけでは事故や災害を完璧に押さえることはできない。いや、そもそも事故や災害を完璧に防止することなどできるわけがない。生きているということは、それを覚悟することでもある。しかし、そうはいっても漫然と事故や災害の発生を待っているわけにはいかない。とにかく与えられた状況の下で、ダメージを最小限にしなければならない。その際に、対人関係も含む人間的な側面からのアプローチが欠かせない。これがわれわれの立ち位置である。そんな視点から、それなりに仕事をしてきたつもりだ。私は、事故や災害を決定づけている最大の要因は〝言いたいことが言えない〟〝言っても聞いてもらえない〟ことにあると確信している。事態が起きてしまえば、〝言いたいことが言えなかった〟〝言っても聞いてもらえなかった〟と過去形になるだけのことである。これはまさに組織の中の、人と関わる問題である。もちろん、その前提として〝言いたいこと〟に〝気づく〟必要がある。〝言いたいこと〟がなければ、話は先に進まない。ここで〝気づき〟を〝発想〟にまで広げることができる。目の前にある現実を見て問題に気づくだけでなく、そこから問題点を発見する、あるいは思いつくことが必要なのである。それがいわゆる〝想定外〟を排除する力であり、まさに〝発見力〟〝発想力〟である。ただし、それだけでは安全に資することはできない。その〝発見・発想〟を〝発言〟していく力が必要なのだ。またまた私の好きなことば遊びになるが、〝発見・発想力〟から〝発言力〟への転換が欠かせない。 |
じつは〝モグリ〟から 2011/12/13 Tue-3228
もうひとつ、〝NHK実践ビジネス英語〟から。講師の杉田敏氏が昨年7月の〝はじめに〟で書いているトピックである。イギリスの海軍でたたき込まれるという教訓の話だ。〝The
difficult should be done at once; the impossible takes a little longer〟というらしい。〝むずかしいことにはすぐに取り組むべし。‘不可能なこと’は少しばかり時間がかかるだけ〟といった訳になるだろう。なかなかいい教訓である。〝むずかしい、むずかしい〟と言っているだけでは前に進まない。とにもかくにも〝やってみる〟ことである。その結果うまくいかないことがわかれば〝元に戻ればいい〟、これぞ私流〝朝令暮改のこころ〟である。頭から〝そんなのできない。不可能だよ〟なんて言ってる時間があったらチャレンジしてみましょうよ。まあ、仕事で〝ダメモト〟などというのは軽率のそしりを免れないかもしれないが、私はけっこうこの精神を維持している。〝空を飛べ〟と言われているわけでなし、〝ダメ〟なことがはっきりすれば、それもまた貴重な経験になる。私はそんな発想をするから、若いころの同期が聞くと〝オマエ、あほか〟と言われるようなことをかなりしている。その危うい癖は熊本に来たときからはじまっていた。いまから32年も前のことである。私が熊本大学に赴任して依頼された講演の第1号は熊本県の社会教育課からのものだった。会場は熊本県立天草青年の家で、もうタイトルは忘れてしまったが、当然のことながら〝社会教育〟の話をした。私の専門は〝グループ・ダイナミックス〟、間口を広げても〝心理学〟である。世の中には〝社会教育〟という研究領域がちゃんとある。その専門家から見れば〝モグリ〟の私が厚かましくもその依頼に応じたのだ。 |
〝しまった〟ら戻ればいい 2011/12/12 Mon-3227
とにかく反対するのを生き甲斐にしている人たちがいる。彼らはだれもが見過ごしてしまう小さなところにも気づく。その力には驚き、敬服する。ただ、それが本当に意味のあることで、問題の解決に役立つものであればいいのだけれど…。現実は、それを取り上げると時間の無駄になるようなことが少なくないなあ。だから、〝そんなに文句があるのなら、対案を出してよ〟とつい言いたくもなる。いや、もっと言うべきだと思う。問題は山積しているのに、結局は何もしないまま。現実にそんな状況であったり、あるいはそんな状況にいると人々から〝認知される〟と、それを急激に打開しようとする者が支持される。大阪府市長選挙の結果も、そんな流れの結果ではないか。わが国が経済を中心に閉塞状態に陥ってから久しい。少子化も年金や医療費の問題も、ずっと前から厳しくなることがわかっていた。突然に襲ってくる天変地異とは違って、緩やかにでも対応策がとれたはずである。しかし、実際は先送りに先送りを続けてきた。私は〝朝令暮改〟ということばが好きだ。朝に命令を出したかと思うと、夕方にはそれを変えてしまう。何ともいい加減なものだというマイナスの意味をもった言い回しだ。政治の世界でも、とにかく〝ぶれるな〟と言われる。たしかにそれも真実ではあるが、しかしそれを恐れて何もしないのではもっと悪い。もともとしっかり考えていないから〝ぶれる〟だけのことである。〝これで行こう〟と確信したら、まずはやってみましょうよ。その結果〝しまった〟と思ったら、元に戻せばいいだけのこと。そこでメンツなどというつまらないことを考えるからその一歩が踏み出さないのである。周りも〝文句言うだけ〟を生き甲斐にするのはやめましょうよ。 |
〝ビジネス英語〟の格言・名言 2011/12/11 Sun-3226
NHKラジオの〝実践ビジネス英語〟はすばらしい番組だ。講師の杉田敏氏は1944年生まれだから、古希までそれほど遠くないお年である。私たち団塊の世代よりも少しばかり年長になる。その杉田氏、英語の会話力がすごいのは当然だが、声だけを通してながら、人間的な魅力にあふれた人だ。とにかくスマートなのである。さて、〝実践ビジネス英語〟では、毎回、なるほどと思う名言や笑いを誘う落書きが取り上げられる。これがまたおもしろい。昨年10月に放送されたもので、メモを取っていた格言がある。〝Don't
Judge[criticize]a man until you have walked a mile in his boots[shooes]〟というものだ。直訳すれば、〝人の靴を履いて1マイル歩くまで、その人の批判をするな〟となる。つまりは、〝相手の立場に立って行動しないで、文句ばかり言うな〟というわけだ。この世の中には〝批判〟するだけで満足している人がいる。あるいは、自分の欲求不満を他人に対する攻撃で解消しているのではないかと思われる人たちがいる。さらに進化して、〝とにかく反対〟を自らの行動指針にしている者もいたりする。その際に日頃の関係が影響することもある。自分が〝嫌いだ〟と確信している人間が発言すると、それが〝なるほど〟と思えても、〝大反対〟と叫んでいる。こうなると理屈なんてどうでもいい。相手をやっつけるために、あらゆる理由をこじつけてつぶそうとする。だれが言ったか知らないが、〝絆創膏と屁理屈はどこでもくっつく〟のである。おっと失礼、〝いまどき‘絆創膏’って書いても、若い人にはわからないだろう〟と思いながら電子辞書を引いてみると、しっかり載っていたから安心した。何とブリタニカ国際百科事典にまで掲載されている。 |
学生の疑問 2011/12/10 Sat-3225
私は〝集団規範〟を説明する際に、〝オーストラリアの看護師物語〟なるネタを使う。もう15年も前の話になるが、6ヶ月ほど西オーストラリアのパースに滞在していたときのことだ。単身赴任だった私のところに家内が様子を見に来た。そこまではよかったのだが、たまたま体調が悪くなって未明に病院へ連れて行った。病院に着いて待合室の椅子に座らせて、窓口の看護師に〝ちょっと調子が悪くて来たんですが〟と伝えた。すると、家内を見ながら私に向かって、なんと〝Your
friend?〟と問いかけてきた。これには驚いてしまった。まだ夜も明けないころに女性を連れて来たのである。どう見たって、〝Your wife?〟ではないか。とまあ、こんな事実を伝えた上で、そのうちにオーストラリアの夫婦がどんな行動をすべきかがわかってきたという話につなげる。あちらでは夫婦はべったりとくっついて、配偶者が病気にでもなれば、どちらが病気かわからないほど抱きあって、チュッチュッしないといけないのである。夜中に病院に来て、指を指しながら〝調子が悪いから〟なんて言うのは、どう考えても〝Your
Friend〟というわけだ。それを〝文化の違い〟〝行動規範の違い〟、そして〝集団規範の違い〟へと展開していくのである。このネタは、これまでおおむね〝なあるほど〟という反応を得ていた。ところが、先日の授業では、ある学生がレポートに〝どちらでもいいような気がします。それほど気にするようなことでしょうか〟と書いていた。これもなかなかおもしろい反応だ。あれにもこれにもこだわる私が理解できなかったようだ。もちろん、次の授業のときにこれを取り上げて、〝なにせ、私はウォッチングが商売なんだから〟と答えておいた。それって通じたかなあ。 |
経済行動の法則? 2011/12/09 Fri-3224
少なくとも、心理学を仕事にしていると自称する人間が〝行動の法則はない〟などと言っては、信奉者たちから破門されてしまう。そうではあるが、おかげさまで影響力は皆無の私なので、〝ない、ない〟と叫んでも気にする人はいない。ありがたや、ありがたや。そこで調子に乗って、人間の社会や行動を扱うほかの領域まで踏み込んで文句を言う。経済学だって、基本的には人の社会的な経済行動を分析し、さらには予測まですることを目的にしているはずである。しかし、今日の世界における経済を見れば、いったいどれだけ役に立っているのかいと疑ってしまう。それまでの〝合理的経済人〟を前提にした研究が行き詰まって、〝行動経済学〟なるものが生まれたのだそうな。そりゃあそうだ。経済に関してすべてを〝合理的〟に振る舞う〝人〟なんているわけがない。それなら年末ジャンボ宝くじなど売れないはずである。あれって、細かい原価計算はわからないが、売値の1/10くらいじゃないのかしらね。人は合理的に動かないからこそビジネスも成り立っているわけだ。国家的に需給をコントロールしようという壮大な試みも破綻したではないか。それに、金融工学なる分野のプロフェッショナルで、ノーベル経済学賞まで受けた人たちが創った会社だってあえなく潰れてしまった。そもそも経済学賞は、当初からあったものではない。公式には、〝アルフレッド・ノーベル記念経済学スエーデン国立銀行賞〟という。最初の授与は1969年だから半世紀以上も経過してできたもので、賞金が国立銀行から出ているのである。ついでながら、おそらくは、ほとんどが〝翻訳〟を基にして決められる文学賞も、その客観性などの面で、かなり怪しい。やれやれ、またぞろ脇道に逸れた。 |
普遍的法則 2011/12/08 Thu-3223 Continued from 11/20
〝光速を超えるニュートリノ〟については、専門家の間でも議論があるようだ。とくにナノという10億分の1単位の時間差が問題だけに、測定精度が話題になっているのである。それはともあれ、自然科学者たちが一致して認める〝事実〟ですら、あくまで普遍的なものだと断定できないのだ。だからというわけではないが、いや正直に言えば、やはり〝だから〟人間の行動については〝普遍的法則〟なんて〝あるわけがない〟と思っている。何と言っても〝普遍的〟というのは、〝すべてのものにあてはまる様子(電子版 精選版日本国語大辞典)〟なのである。それに〝普遍的〟の英語〝universal〟には、〝宇宙の、全自然界の、万物の〟という意味まで含まれている。〝宇宙の法則〟だって揺れている(?)のに、その中で動いている人間の〝普遍的な法則〟など探したって見つかるわけがないでしょう。とまあ、そこまで言ってしまうと、〝心理学〟を仕事にしていると称している私としては、けっこうまずいところもある。あるいは、〝心理学者〟たちから〝あいつは心理学などわかっていない〟などと罵られる可能性も大きい。それに、〝あんなこと言ってるのは、理論を立てたり、法則を見つける力がないからに違いない〟と嘲笑されることも考えられる。幸いなことに、いまでは〝宗教裁判〟なるものはないから、何を言っても身の安全は保証されている。ありがたいことだ。そんなわけで、〝しれっと〟しながら持論を叫んでいるのである。それに、〝力がない〟と言われれば、それも喜んでお引き受けする。〝そうなんです。人間行動の普遍的法則なんて、私には見つけることができません。力のある方は、一刻も早く法則を発見してください〟と期待しているのだけれど…。 |
地元の内需拡大策 2011/12/07 Wed-3222
いよいよ〝田崎市場感謝祭〟の会場に到着した。これが朝の7時台かいなと叫びたくなるような人手である。前に進むのも一苦労だ。朝ご飯も食べずに来たのだが、さっそく餅つきコーナーがあったので、その行列に並んだ。ちょっと長めだ。いつもだと3人いるだけで行列を避ける私だが、今日ばかりは気持ちが違った。きなこ餅のサービスだったが、3月の震災被災地に向けた義援金のボックスが置いてあった。それなりのものを入れて餅をゲットした。つきたての餅を立ち食いするうまさは格別だ。さて、つぎはと先に進む。さすがに魚市場だけあって、魚の出汁がきいた温かい味噌汁が湯気を立てている。当然のことながらこちらも立ち食い。これで200円というのだからすばらしい。娘の方は海鮮どんぶりにして500円也と、かなり大きな差を付けられた。それにしてもとにかく縁日のような人混みだ。青果市場もあるので、野菜類もあちこちで売っている。お茶もあれば、地元産の蜂蜜まで販売している。小さなパックに入った試食が並んでいる。ブリに小魚の甘露煮、鯨肉もバッチリだった。これに手を出していると、昼ご飯に影響が出てくるほどである。サンマは塩焼き2,000匹をサービスするというので長蛇の列である。こちらは、さすがに〝私の基準〟を大幅に超過していたため、遠慮することにした。それでもあっちに行ったりこっちへ戻ったりしているうちに、2時間近くを過ごしてしまった。翌日の新聞によれば5万人が集まったという。経済が振るわないこの時代、こうした地元志向のイベントの積み重ねが大事なのだと実感する。これだと大金は使わないだろうが、みんながそこそこの買い物をする。それでも5万人分が掛け合わされれば、相当な額になるはずだ。 |
市場の感謝祭 2011/12/06 Tue-3221
熊本市の卸売市場は〝田崎市場〟という。熊本市の中心街から行くとJR熊本駅の向こう側、新幹線高架を通り過ぎてすぐのところにある。教育実習の挨拶や研究会などで市内の学校に出かける際に、〝市場〟の横を通り過ぎたことは何度もある。朝から食堂でうまいものが食べられると聞いていた。東京の築地市場でも新鮮な魚を出す食堂があることはテレビでよく観る。あれと同じなのだろうと思い、わが家では〝一度は行ってみたいもんだ〟と話していた。その市場で〝感謝祭〟が開催されるという。さすがに市場だけあって、朝の7時からスタートなのだそうな。家内からその情報を聞いて、〝そりゃあ行こう〟と即決した。わが家は〝すぐ決める〟ことが多い。わたしが衝動的なのである。そのためにしょっちゅう失敗している。じつは開催日を土曜日と勘違いしてわが家を飛び出て、途中まで行って、それは翌日の日曜日のことだとわかった。娘が車が走り始めてから携帯で確認したのである。〝それじゃあ行っても仕方がない〟と引き返した。行動を変えるのもけっこう早いのである。それにしても、わが家はどうも〝デベソ〟の気味がある。ただし、娘は〝それはお父さんとお母さんのことで、私は違う〟ときっぱり否定する。それはともかく、晴れて翌日の日曜日がやってきたから、7時過ぎに出発した。なかなかの天気で、そこそこ寒かったが〝感謝祭〟日和といっていい。駐車場はどうなっているんだろうと思ったが、そこは準備万端、市場の前にある大型家電店と話をつけているらしく、広い駐車場へと誘導された。さすがと言うべきか、まだ7時台だというのに、〝買い物〟をぶら下げて帰る人たちもいる。それを見ただけで〝これはおもしろそうだ〟とワクワクしてくる。 |
〝発想〟と〝発言〟 2011/12/05 Mon-3220
稲田氏の〝問題発言があれば徹底的に議論すべきだ〟という指摘は、まさにそのとおりである。そして、〝そうしないと、発言が本人のみの考えか、あるいは省、政府の意向かを見極めることもできないはずだ〟と続く。このまま引用していると単なるコピーになるので、このあたりでやめるが、こうした発想をする人が新聞社にいるということを知っただけで、ホッとした。いや、正直なところ、一読者にそんな読み方をされること自身、ジャーナリズムとして問題なのではないか。どう考えても、稲田氏のような発想をする人が、この世のマスコミで〝たった一人〟ということなどあるはずがない。それこそ、〝報道のプロ〟なのだから、素人だって考えることなど、いの一番に考えるはずである。しかし、そうした声はなかなか聞こえてこない。つまりは、〝発想〟はしても〝発言〟はしないのである。そうだとすれば、報道にかかわる組織も、一般の組織と変わらないことになる。いやそんなことを言ったら、〝冗談じゃない。われわれは多様な意見をしっかり戦わせ、それをちゃんと生かしてるぞ〟とお叱りを受ける組織もあるはずだ。もちろん、一連の問題が、発言した側にあるのは当然である。それには個人的な資質の問題もかかわっているかもしれない。そうした方々には、日本語そのものを勉強し直しなさいと言いたくもなる。しかし、その上で、報道する側も、稲田氏が指摘するようにジャーナリストとして〝徹底的に議論する〟ことを肝に銘じておいていただきたい。そんなことはないとは思うが、〝少し気が緩んだときに問題発言をさせてやろう〟なんて魂胆で、アルコールを交えた食事なんぞしていないんでしょうね。それにしても〝オフレコ〟って妙な業界用語ですよね。 |
舌禍の報道 2011/12/04 Sun-3219
責任ある人間の発言がしばしば問題になる。いわゆる〝舌禍〟ということだろう。このことばには二つの側面がある。その一つは、発言した側にかかわるもので、〝演説、講演その他自分の発した言論が法律に触れたり社会一般の常識などに反していたり、また、他人を怒らせたりしたことなどによって受けるわざわい〟である。もう一つは〝他人の悪口や中傷などによって受けるわざわい。讒言のために受けるわざわい〟だ(両者とも電子版 小学館 精選版日本国語大辞典)。これを〝広辞苑〟で引くと、両者の解説が逆順になっている(電子版)。〝広辞苑〟では、発言された側を先にもってきているのである。この点は、編者の考え方を反映しているようで興味深い。ところで、熊本日日新聞社会部の稲田稔丈氏が書いた〝その場で議論しないのか(デスクの日記)〟というコラムが私の目を引いた。それは〝正直、「またか」と思った〟ではじまる。防衛省局長の不適切発言のことである。〝またか〟とは、7月の復興相、9月の経産相の発言を頭に置いてのことである。二人とも自分の発言で辞任した。両者の発言が不適切であることを前提にした上で、稲田氏は記者たちに疑問を投げかける。ニュース映像を見る限り復興相が発言をした際に、〝その場の記者は誰も声を上げなかった〟のではないか。また、経産相の発言は〝各社とも聞き流しに近く、正確に何と言ったのかさえあいまい〟なのである。そして、〝今回も、ある社が先行報道したが、その場で激しい議論はしていないようだ〟と指摘する。〝記者は‘聞くプロ’と同時に‘言論のプロ’〟だと言う。それはもう当然のことである。〝問題発言があれば徹底的に議論すべきだ〟…。この点を稲田氏は強く主張しているのである。 |
木星発見? 2011/12/03 Sat-3218
熊本市立博物館で開催されていた〝HAYABUSA帰還展〟に行ったことはすでにお話しした。その際にプラネタリウムも観て、それがすばらしい映像だったこともお伝えした。私が生まれて初めてプラネタリウムに行ったときは、すでに30代になっていたと思う。そんな装置があることは、小学生のころから図鑑などで知っていた。初めて見たときは、いわゆるスライド方式だったはずだ。つまりは静止した写真や絵を天井に映し出すのである。ところがつい先だって出かけたときに観たプラネタリウムは、想像を絶するほど進化していた。さすがに3Dではないのだが、その映像の美しさには感動した。それはそうなのだが、本番の前にあった15分ほどの〝今夜の熊本の空〟に関する解説がじつにすばらしかった。〝物語〟は熊本の西側にある金峰山に日が沈むところからはじまる。太陽を追いかけるように明るい星がついていく。これが〝金星〟であることは、私も知っていた。仕事を終えてて帰るとき、季節と時間帯によって金星が明るく見える。しかし、この日はもう一つ大事なことを知った。高い天空、やや南寄りにしっかり光る星がある。これが木星なのだ。その位置に明るく光る星があることは、もうずっと昔から気づいていた。しかし、それが木星だということは、63歳になって初めて知ったのである。あれに向かって望遠鏡で覗くと縞模様付きの木星が見えるのである。いやあ、もうそれだけでうれしくなって、翌日から出会う人ごとに、木星の話をし続けた。70人ほど受講している授業でもその話をした。〝知ってる人ーっ〟と問いかけたところ、一人だけ手を挙げた。自分が知らなかったことを忘れて、〝なんだ、このごろの若者たちは〟と心の中で言ってしまった。 |
失敗のエネルギー 2011/12/02 Fri-3217
女子高校生の発見が化学の専門誌に掲載されたというのは、まさに快挙である。まあ、そんなこんなで、ノーベル賞レベルの研究から生物の進化まで、とにかく〝そのつもりでなかったこと〟や〝失敗〟が、この世の中を変えているのである。ただし、そうした想定外のできごとや失敗を生かすことができなければ、その後の進展はあり得ない。女子高校生も〝これまで考えられていたのとは違う現象が起きている〟ことに、まずは〝気づいた〟のである。それに対して〝ああ、ちがうんだあ〟なんて頭で思っただけでは、やはりそれでおしまい。そこで、〝えーっ、どうしてなんだろう〟と驚いたり、疑問に思ったりすることが必要なのだ。そして、それを教師にも伝える。その際の教師の反応も大きい。〝そんなことあるわけないよ。やり方を間違えたんじゃないのぉー〟なんて応えていては、発見の女神もしらけて、よその人のところへいってしまうちがいない。もちろん、〝何かのミス〟で勘違いするようなこともあるだろう。そのときはそのときで、〝わーっ、間違っちゃったぁー〟と叫んでおしまい。まあ、そのくらいの神経をもっておくことも必要なのだろう。いずれにしても、われわれにとって〝失敗〟を犯すことを恐れてはいけない。問題はそこから学ぶことができるかどうかである。自分たちの成長に繋がるエネルギーにすることができるかどうかなのだ。しかも、先に進めば進んだで、新たな失敗の可能性がでてくることだろう。それは当然で、〝成功もあれば失敗もある〟のが生きていることなのである。ただし、このごろは組織のトップがほとんど〝犯罪行為〟にあたることをして問題になっている。もちろん、意図的な〝犯罪〟を〝失敗〟だとごまかしてはいけない。 |
高校生の〝大発見〟 2011/12/01 Thu-3216
〝失敗〟はしばしば話題になる。一時はマスコミに追い回されていた、ノーベル賞の田中耕一氏だったが、いまも元気でご活躍のようだ。細かいことは知らないが、受賞対象になったが田中氏の研究は、そもそも〝失敗〟がきっかけだったことが大々的に報道されていた。つまりは〝はじめから狙っていた〟ものでなかったのに、それが大発見や大発明に繋がった話は枚挙にいとまがない。あの貼ってはがせる〝Post
it〟だって、そもそもは失敗から生まれたと言われている。そうそう、最近すごいニュースがあった。茨城県立水戸第二高の数理科学同好会の〝大発見〟である。これまた詳細はチンプンカンプンだが、化学の世界で「BZ反応」というものがあるらしい。とにかく酸化と還元の反応を繰り返すことで水溶液の色が赤と青に交互に変わって赤だったか青だったかになって安定する。と、まあ化学の世界ではそう認知されていたらしい。ところが、同好会のリーダーが器具を片づけずにミニコンサートか何かに出かけてしまった。そして、その翌日に液体が黄色になっていることに気づいたという。世界の科学者も知らなかった事実で、ついには科学の専門誌である〝The
Journal of Physical Chemistry〟に論文が掲載されたのである。論文名は〝Rebirth of a Dead Belousov–Zhabotinsky
Oscillator 〟という、直訳しただけではまったく理解できない内容だが、とにかく立派なものである。発見者たちの名前と高校名も、〝Hitomi
Onuma, Ayaka Okubo, Mai Yokokawa, Miki Endo, Ai Kurihashi, and Hiroyuki
Sawahata Mito Dai-ni Senior High School, Oh-machi, Mito, Ibaraki, Japan〟という形でしっかり自己主張している。これも〝ちょんぼ〟による大発見だ。 |
|