吉田道雄 YOSHIDA, Michio
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味な話の素
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 No 103  2011年11月号 (3186-3215)
やはりそのつもりでなかった≠アと 2011/11/30 Wed-3215
 進化≠ヘすべて適応することを目的に展開されてきたわけではない。はじめはそのつもりでなかった≠アとが、結果として適応≠ノ大いに役立つことになった…。遠藤秀紀氏の人体 失敗の進化史(光文社新書)≠ヘそんなエピソードを列挙している。たとえば、魚の祖先は生きるために必要なカルシウムとリン酸を安定して確保することが至上命題だった。海中にはカルシウムがたくさんあるらしいのだが、それを体内に蓄えておく必要がある。また、リン酸はプランクトンを食べることで補給されるが、プランクトンそのものが季節によって増減があるという。したがって、食べられるうちに食べて、やはり体内に蓄積しておかないとまずい。そんなわけで、カルシウムとリン酸を蓄える場所を体内に確保しようとした。そして、それが骨≠ニいうものに発展していったのだそうな。体の中に骨が出来上がったことで、最終的には直立して歩くわれわれ人間にまで進化していったのである。こうした歴史を語りながら、著者は言う。皆さんは驚いたかもしれないけれど、実は、このように進化の当初の狙い≠ニ最終的に出来上がったものの役割が異なることは、身体の歴史としては珍しい出来事ではない=Bこの本はとてもおもしろくて、著者の真摯かつ温かい人柄まで伝わってくる。ただし、皆さんは驚いたかもしれないけれど≠フ部分だけは余計な推測だったと思う。少なくとも私は、なあるほど、やっぱりね≠ュらいの印象で、えーっ≠ニは驚かなかった。そもそも失敗≠フ有効性は生き物の進化≠ノ限ったものではない。その具体的な事例は挙げていけばきりがない。多くの発明や発見が偶然≠竍失敗≠きっかけにしていることはよく知られた事実だ。
そのつもりでなかったこと 2011/11/29 Tue-3214
 そのつもりでなかったのに、結果として大きな体験をすることがある。それが望ましいこともあれば、困ったことになる場合もある。その点で、人生は確実≠ナはなく、確率≠ナ成り立っている。早い話がいつあの世に逝くのかわからない≠フである。プラネタリウムを観にいくよ=Bそんなことを家内が言う。今ごろどうしてと思ったら、熊本市立博物館で、あのイトカワ≠ノ往って還ってきたはやぶさ≠フカプセルを公開しているのだそうな。昨日も行ったのだけれど、‘プラネタリウム’番組はすでに満員でチケットが買えなかったらしい。そこで、朝からプラネタリウムの入場券を買いに行くと言うのである。その日はほかに予定があるので、夕方4時からはじまるものにするのだそうな。それを聞いて私はなあるほど≠ニは思ったが、まだその気≠ノはなっていなかった。そして、行ってきまあす≠ニ家内が私に声をかけて玄関を出て行った。その瞬間に私も行こう≠ニいう声が聞こえたのだと思う。もちろんどこから聞こえたかも記憶にない。ただ、あわてて玄関のドアを開けて、家内の背中から叫んだ。私のも買っといて=Bこんな状況でめでたく#歯ィ館で開催中のはやぶさ≠フ特別公開に出かけることになったのである。それは23日からはじまって、27日の日曜日が最終日だった。私が出かけたのは、その最終日にあたっていた。あった、あった、たしかに帰還したカプセル≠ェ展示されていた。それを見てからプラネタリウムでHAYABUSA -BACK TO THE ERATH≠鑑賞した。すばらしい映像の世界を楽しんで、再びカプセル≠フ展示場まで行ってみた。あのときまで、まったくその気≠ヘなかったのに、大いに満足した1日になった。
プロの仕事 2011/11/28 Mon-3213
 プロ意識、あるいはプロとしての行動とはどんなものか。その昔、オリンピックが東京で開催されるすこし前の話だったと記憶している。とりわけ東京での話だろうが、カミカゼ・タクシー≠ネるものが勇名をはせていた。とにかく乱暴な運転のタクシーが多いというのである。外国の観光客も怖がることからカタカナのカミカゼ≠ニ呼ばれたわけだ。これではまずいので、その改善に力が注がれた。数年前の北京オリンピックのときも、市民のマナー教育が進められていた。この手のことは、発展途上の国で行われるオリンピックにつきものなんだろう。それはともあれ、いまではタクシーの運転マナーは大いに向上している。そんなわけで、完全にもしも≠フ話だが、ここに無茶苦茶にスピード好きで、車をぶっ飛ばすことに生き甲斐を感じている♂^転手さんがいたとしよう。彼は休みとなると、朝から晩まで暴走行為を繰り返す。そんなことをすれば、それ自体が問題なのだが、ここではもしも≠フ話として、細かいことは抜きにしてお聞きいただきたい。しかし、しなしながらである。その彼が白い手袋をはめてタクシーに乗務するとどうなるか。それはそれは、すばらしい運転をするのである。とにかく乗った客が口をそろえて彼の運転ぶりをほめるわけだ。いやあ、こんなに安心できる優しい運転をするタクシーに乗ったのは生まれて初めてですよ=Bとまあ、そこまでは大げさだろうが、それほど変身 する。つまりは、それがプロ≠ニいうものである。もちろん、プライベートも仕事も同じ誠実さ≠もっている人がいればそれはそれでけっこうなことだ。しかし、少なくともプロ≠ナあれば、仕事≠ナはいつも評価されることを追い求めるべきでなのである。
五連の琴と尺八 2011/11/27 Sun-3212
 熊本城は築城400年を超える。ずっと前から復元工事が進められている。その資金の一部を獲得するため一口城主≠ネる制度も発足させた。わが家は亡くなった両親はもちろん、孫たちも城主≠ナある。一口10,000円也なのだが、天守閣内にネームプレートが掲示される。それだけのことだが、いいじゃない≠ニ満足している。ところで、熊本城では春夏秋冬にお城祭り≠開催している。先月も家族でぶらりと出かけたが、お城の近くにできた城彩園≠ナは琴五連と尺八の演奏があった。たまたま演奏時間に巡り合わせたのだが、そのまま終わりまで聞き入ってしまった。とにかく曲目がすごい。美空ひばりが歌った川の流れのように≠ヘ、日本の曲だから琴と尺八はピッタリとくる。しかし、これが第三の男≠ノなると、ちょっとした驚きになる。しかも、こちらも心地いいリズムになって耳に入ってくるのだ。さらにペルーのコンドルは飛んでいく≠ワで来て、背筋が寒くなってしまった。それほど情緒的で感動を引き起こすのである。南米の曲などという違和感がこれっぽっちもないところがすばらしい。琴はもちろんいいのだが、尺八のかすれた音が体にしみ通るのである。それにしても音楽は不思議な力をもっている。自然≠ェわれわれ人間を感動させるのは当然だと思う。しかし、どんなに原始的な楽器であっても、すべてが人工物である。たしかに自然界には、地響きから雷や雨の音、そして波や風の音などいろいろある。風の音もそよ風もあれば台風や暴風によって引き起こされる音もある。しかし、それはいずれも楽器ではない。ところが、音楽は一定の流れのなかで楽器を使って音を出す。そんな人工物の音が、国境を超えて感動を与えるのは不思議だ。
投票率低下傾向 2011/11/26 Sat -3211
 それにしても、政治が多くの面で先送り≠し過ぎてきた。年金にしても、とりあえずは約束≠セった物価スライド≠ノ対応せずにきた。もちろん、その額が適正であるかどうかの議論はある。もともと低いのだから、物価が下がったからといって減額しては困る=Bそんな意見だってあっていい。しかし、それでもとりあえずは約束≠ナある。しかし、それをそのままにしてきて、いまになって7兆円の払いすぎ≠セという。何のことはない、評判の悪いことをすると票が離れる≠ゥらなのだろう。ここでも、それを容認した国民の責任だといわれれば、理屈上はそんな部分もある。もちろん、国民一人ひとりが、具体的な責任≠負っているとは言えない。しかし、選挙を通して政治家に国の運営を委託していることになっているのである。それにしても、危機的な状況の割には選挙の投票率はそれほど高くならない。どうせ投票しても同じこと=Bそんな気分がずっと続いている。ある方がちょっと過激なんだけど≠ニ断った上で、白票も批判票として有効にしたらどうでしょうね≠ニ笑いながら言われたことがある。なあるほど≠ニ思ってしまった。また、大学生などが住民票を移していないので、わざわざ帰省しないと投票できないという問題もある。私は熊本県の明るい選挙推進協議会のメンバーでもあるが、これはいつものように話題になる。海外にいても投票ができるというのに、国内にいて投票がしにくいというのは、やはり問題ではないか。それは住民票を移せば解決できる。とまあ、そう言ってしまえばおしまいではある。しかし、そうすると、たとえば成人式の案内は自分が育った市町村から来なくなる。やっぱり成人式は故郷の方がいいでしょう。
先送りの果て 2011/11/25 Fri -3210
 高齢者に労働は義務≠ニ考えようなんて言えば、猛烈に叱られることだろう。でも、もう言ってしまった=c。まあ、そんな発言は顰蹙を買うに決まっている。しかし、それはそれでいいとして、義務≠フ裏返しは権利≠ナある。したがって、まだ働きたいと思っている高齢者≠ノは、そうする権利≠セってあるのだ。もちろん、若者が職に就けないで困っている時代である。だから、若者たちの働く権利≠侵害しないという条件はつけないとまずい。しかし、若者と高齢者の仕事がまったく同じ仕事≠すれば競合するだろうが、しっかり分析すれば協働≠ナきるものは必ず見つかるはずである。そもそも、まったく同じ仕事≠ネら、世代間の差は出るはずで競合≠ネどしないだろう。ともあれ、はじめからそんなものはない、ない≠ネどと言っていては、あるものにも気付かなくなる。たしかに、義務≠ヘ言い過ぎにしても、働ける人∞働きたい人≠ェ働けるようにしないと労働力だって失われてしまう。政治はもちろんだが、選挙を通して議員や政策を選択したはずの国民が、たとえば人口減少が目に見えていたにもかかわらず、有効な対策を打ってこなかった。年金問題についても同じこと。将来は二人で一人を支えることになる≠ネどという試算は、とうの昔から出ていた話だ。それでも問題解決を先送りしてきた。国民から反発されて選挙に落ちるからである。この政策がダメというのならそれでいい、20年後には私の言っていたことが評価されるはずだ=Bそんなこと言ってたら確実に落選して、したいことができなくなるから意味がないということだろう。それも事実ではあるが、何人かくらいはそんな人間がいてもいいのではないですか。
高齢者と勤労の義務 2011/11/24 Thu -3209 Continued from 11/07
 一般的に若者の方が高齢者よりも元気がいい。もちろん個人差があるから、若者のなかにも元気な人もいれば、相当にきつそうな者もいる。しかし平均的には、高齢者よりも元気なことは間違いない。そして、年をとっていくと全体として体力や気力が落ちるから、若者と同じような仕事はできない。しかし、それでもまだまだ元気な老人だってたくさんいる。聖路加国際病院理事長の日野原重明氏は、つい先だって100歳になったという。それでも現役で、全国各地を飛び回っている。この方の場合は、例外中の例外だとしか言いようがない。このごろ話題を独占している、ある球団のゴタゴタでは引き際≠フ大事さを痛感しているが、それは関わりのあり方≠フ問題である。おれがおれが≠ニいつまでも親分気分で牛耳られては組織が育たない、いやそれどころか壊れてしまう。病院理事長として日野原氏がどのくらい影響力を持っているのかは知らない。しかし、病院の外部から話を聞きたいという人がいて、それに積極的に応えて活動しているというのだから、とにかく文句の付けようがない。そんなわけで、今回の政策仕分けのマネをするのではないが、高齢者がいつまで経っても組織をコントロールしようなんて考えてはいけない。ただし、真の意味で‘周りから期待されている’場合には、可能な限り役立つ努力をしなければならない≠ニいった、まことに曖昧な結論になる。ともあれ、社会に役立つ力を維持している限り、高齢者もその状況に応じて貢献すべき≠ナはないか。ここで、あえてべき≠ニいうことばを使ってみたい。それは単なるボランティアや趣味的な活動ではなく、いわは義務としての仕事=Aつまりは憲法第27条の勤労の義務≠ニ考えるのだ。
メイクフレンズ≠フパワー 2011/11/23 Wed -3208
 メイクフレンズ≠フリーダーは船長≠ニ呼ばれる。そもそもの土台であるフレンドシップ事業≠フシップ≠ノ着目してシップ≠ツまりは船≠フリーダーだから船長≠ニいうわけだ。いやあ、なかなかおもしろい。それを機に学生たちの積極的な活動がはじまった。そして、これがとにかくすごいのである。熊本市内の公民館で行われる様々な企画に参加して、子どもたちとの関わりを深める。その対応のすばらしさは、公民館の社会教育指導主事、つまりはプロから折り紙付きで評価されている。たとえば、野外に出かけた際に、どうしても集団に入れない子がいた。メンバーの一人がその子どもにつきっきりで話をしていた。その経過をじっと見ていたら、最終的には仲間たちに加わったという。あんな関わりは、私たちにはできないと思いました=Bとまあ、感心されているのである。また、毎週1回は授業が終わった後に集まっている。そして、つい先だっては合宿を企画したといってきた。私はすでに予定を入れていたが、2日目の終盤に会場に出かけていった。やってる、やってる、日頃の活動について議論する分科会の真っ最中だった。その出席者は50名にも達するかという状況だ。これが土曜から日曜にかけてのことである。それも3年生が主体になって企画した自主的な合宿なのだ。やがて分科会が終わると、荷物の整理と会場の清掃になる。全員が当然のことのように機敏に動く。もちろん、そこここで手抜きをするような者は一人もいない。私も顔を出したものだから、閉会式で話をするよう促された。もう言うことは決まっている。すごいね、みなさん=Bもちろん、この一言だけでおしまいにしたわけではないが、ただこのことだけを伝えれば十分だった。
若者たち 2011/11/22 Tue -3207
 先生は学生さんたちと関わっていらっしゃいますが、どうですか、このごろの若い人たちは…=Bときおり管理職の方々から、そんな質問を受けることがある。組織の中では若者たちの意欲づけで頭が痛いことも多いようだ。それに対する私の答えはかなり一貫している。もちろん、どんな集団でも幅があります。学生の場合も、しっかり前向きの者もいますし、その一方で‘おいおい’と言いたくなる者だっています。ただ、私としては学生たちはしっかり意欲をもって生きていると思います=Bこれが私の実感なのである。たとえば、私はメイクフレンズ≠ニいう学生たちのグループに関わっている。そもそもは14年前に、文部省が子どもとのふれあい≠ノ重点を置いた授業を導入してはどうかと全国の教員養成学部に呼びかけたことら物語がはじまる。教育実習でも子どもと関わるのだが、そうした公式的なもの以外に、新しいカリキュラムが組めないかという話だった。これはフレンドシップ事業≠ニ呼ばれる事業≠ネのだが、授業≠ニして単位を認定することになっていた。われわれはその呼びかけにすぐさま手を挙げた。はじめのうちは同僚の教員と私で外部との交渉をし、プログラムをつくり、それを授業の形で進めていった。ところが、3年ほど経過して、学生たちから自分たちでグループをつくって、もっと積極的に子どもたちと関わりたい≠ニいう声が聞かれるようになった。それはそれは、願ってもないことである。それほどの意欲があればフレンドシップ事業≠ヘますます活性化するに違いない。グループの名前はメイクフレンズ(Make Friends)≠ノしたいという。いやあ、まことにすばらしい。その活動がはじまったのは2000年のことである。
行列の入り口 2011/11/21 Mon -3206
 もう遙か以前から、ずっと随分と長い行列だなあ≠ニ思い続けてきた。とにかく列があることはわかるのだが、到達点のことなどまったく承知していなかった。そもそも、何の行列≠ナあるのか理解していなかったのである。ただ、自分の周りの人間は例外なく並んでいるものだから、自分も同じようにするのだと単純に信じていた。いや正確に言えば、生まれてから物心つくまでは、自分の意思で行列に加わっていたわけではない。つまりは、母親に抱かれて、少し歩けるようになってからは、父と母たちに保護されながら列に並んでいたのである。到達点の入り口がどんなものはかわからない。それに、いつそこまで行き着けるのかも見当がつかない。そんな状況のなかで、ときにはせっかちな友人がいて、いやあ、面倒くさいや。こんな行列に並んでいるなんて面倒くさい。俺はお先に失礼するぜ≠ニ列から離れて前の方に走っていった。自分の意思というよりも、周りの先輩や仲間に誘われて列から出て行った者たちもいる。私の母は、子どもの目から言わせてもらえば、この上なく慎重で思慮深い人間だった。だから行列から抜け駆けすることなど考えられなかった。しかし、その母がある人間によって、暴力的に列から押し出されてしまった。そして、母はあっという間に見えなくなった。このときの喪失感はいまでも忘れられない。これに対して父の方は、比較的順当に行列の到達点まで達したようだった。そして、いままさに私自身が行列が終わる地点を見ることができる位置までやってきた。もっとも、ちらりと見えはじめただけだから、入り口まで行くのにあとどのくらいかかるかはわからない。それはそれでいい。そう、私が並んできたのは人生≠ニいう行列である。
超光速物体? 2011/11/20 Sun-3205
 ところが、ところが、宇宙≠ヘすごいもので、このところ光速≠超えるスピードを出すニュートリノなるものが見つかったという。すでに知られていたニュートリノのスピードを測ったのか、はたまた新発見のニュートリノ≠ェあったのか、そんなことはちっともわからない。ただ、この宇宙で最も速いものが光≠ナあり、それを上回るものはないというのがアインシュタインの大前提だった。しかも、どんな状態から観察しても、つまりは静止している者からも、走っている者からも、とにかく光速≠ヘ一定で変わらないという話だった。そのスピードが1秒間に30万キロメートル位だったと思うが、それがこの世の中の最速というわけだ。しかも、どうして光速だけは絶対的に変わらないのか=Aそれはわからないというのが、ある物理学者が書いた新書に載っていた(橋元淳一郎 2006「時間はどこで生まれるか」集英社新書)。あらゆる実験的事実がそう告げている≠ニいうのである。もちろん、私としては、それだけで鬼の首を取った≠謔、に喜んだ。自然科学のプロが、光速が絶対不変であることを論理的に説明できない≠ニ言っているのである。しかも、それは相対性理論≠フ根源に当たると思われる事実≠ノついてそうなのだ。そんなら、人間の行動なんて、論理的に説明なんてできるわけがないよなあ…=Bとまあ、こんな理屈で、いや論理(?)で、自分が関わっている心理学が受けるあまり役にたたんですなあ≠ニいう非難に対する説明≠「や、言い訳≠ノしてきたのである。しかし、このごろのニュースによれば、あのアインシュタインをびっくりさせるような報告が飛び出てきた。何と、光よりも速いもの≠ェあるというのだ。
法則の話 2011/11/19 Sat-3204
 私はとりあえず心理学者≠ニいうことになっている。その心理学の目的は人間行動の法則≠見つけることだとされている。いつものように、ポケットサイズの電子版ではあるが、広辞苑≠引いてみる。まずは@必ず守らなければならない規範。おきて≠ニある。そのつぎに、Aいつでも、またどこでも、一定の条件のもとに成立するところの普遍的・必然的関係。また、それを言い表したもの≠ニされる。最後に「自然の−」≠ニいう例示がついているように、われわれは法則と言えば、自然科学≠フそれを思い浮かべる。高校生時代に物理や化学を学んだというか、聞いただけのドシロウトとしては、観察と思考で、またおそらく想像力も交えてニュートンが万有引力の法則≠発見し、厳密な実験によってラボアジェが質量保存の法則≠発見したことなどを思い出す。そのいずれもが、この宇宙で普遍的に適用できる法則≠セった…。とはいいながら、20世紀になってアインシュタインというスーパー天才が一般相対性理論≠打ち立てて、かのニュートン物理学を覆したらしい。その覆し方≠フ具体的な意味はまるでわからないが、少なくとも相対性理論≠ヘニュートンの理論を包み込んだ、さらに宇宙的規模≠ナあるユニバーサル(普遍的)≠ネ法則のようだ。そして、その相対性理論≠ナも、スーパーミクロの世界では説明できないことがあるらしい。ついこのごろ、村山斉氏の宇宙は何でできているのか(幻冬舎新書)≠読んだ。物質の素の素まで探し求めている人たちがいて、クオーク≠ノ<jュートリノ=Aはたまた光子≠ニいったことばが飛び交う本だった。ともあれ、超極小の世界にも自然科学の目が向けられているのである。
あの人も? 2011/11/18 Fri-3203
 とにかくわしは、わが信念を守り通しているんじゃ。だからわしは、若いころからちっとも変わっとらんぞ=Bそんな気炎を渡辺さんは上げそうだ。しかし、一般的には、若いころはしっかり評価されることをした人が、人生の終わりが近づいてからチョンボすることを、晩節を汚す≠ニいう。しかも、このチョンボ≠ヘ他人から困ったモンだ≠ニ思われるところが特徴だ。その点では、先の菅直人氏も晩節を汚した$lに入るかもしれない。いま開会中の国会で、自民党の元首相をした父君の後継者である娘さんからも、ほとんど名指しに近い形で、首相時代のあり方について痛烈に批判されていた。その際に、ご本人の顔も映っていたから、巡礼からはお帰りになったようだが、その後はお元気だろうか。若きころの菅さんは市民感覚を売りにしていたし、厚生大臣になったときも辣腕をふるったとして大いに評価された。しかし、天下を取って≠ゥらがいただけなかった。攻守が変われば、個々の対応が変わるのは当然である。しかし、それにしても、変わり過ぎだった。とにかく、突然′セい出して、周りが取り繕うケースがけっこうあった。記者会見も都合がいいときだけ≠ネどとマスコミ側から批判されるようではいけない。そしてとうとう、プロの政治家たちから、だから市民運動出のシロウトにはまかせられない≠ネどと攻撃された。とにかくいろんなことで批判を受けたが、これがもっとも大きなマイナス点だったと思う。ところで、元首相と野田総理が似ていると言われたらしい娘さんが、国会で父はあなたとは違う≠ニいった発言をしていた。そのニュースを見て、膨大な国債を出して、自分は世界の借金王だ≠ニ言っていた元首相を思い出してしまった。
晩節を汚す 2011/11/17 Thu-3202
 晩節を汚す≠ニいう。晩節≠ニは、晩年。老後≠ナあり、晩年の節操≠ナある(電子版広辞苑:以下も同じ)。なあるほど。晩年≠フ節操≠フ頭を取って晩節≠ナすか。まずは晩年≠セが、これは一生のおわりの時期。死に近い時期。年老いたとき≠ニある。死に近い≠ネんて国語辞典もけっこうきつい書き方をするなあ≠ニ思うのは、私自身が晩年≠自覚しはじめたからだろう。なにせ晩≠ナすから、ゆうべ。ひぐれ。宵。日没後…≠ニいうことですわ。これに、時期がおそいこと≠ニいった説明も続いている。だから、大器晩成≠ニいったことばもある。さらに、節操≠引くと、信念をかたく守って変えないこと。みさお≠セそうな。ついでに、みさお≠ワで覗いてみると、世俗を超えた美しさ≠フ後に定めた意志を固く守ってかえないこと。志を立ててかえないこと≠ニある。おもしろいことに、節操≠フところでは、変えない≠ニなっているのに、みさお≠ナはかえない≠ナある。同じ説明でも、漢字を使ったり使わなかったりで統一されていない。これは執筆者が違うためかもしれないが、何と言っても広辞苑≠ナある。細かいところにも配慮しているとさすが≠ニなるのだが、そこまで求めるのは酷ということか。いや、やっぱり天下の大広辞苑≠ネんですから。ただし、いま手元にある電子辞書はけっこう古いので、その後に修正されているかもしれません。熊本大学公開講座リーダーシップ・トレーニング≠フフォローのため、東京に来ています。そこでかなり以前に買ったミニサイズの電子辞書を引いたわけです。それはともあれ、広辞苑≠フ語義を重ねていくと、ジャイアンツの渡辺氏はどうなるんでしょうね。
引き際の大事さ 2011/11/16 Wed-3201
 広岡氏は管理野球≠ニいうことばを流行らせた。それに続いて、野村監督がデータ¥d視の野球を展開した。この二人は弱小球団を優勝に導いた点で名将≠ニ評された。その後の評価はわからないので過去形にした。私の個人的な推測に過ぎないが、おそらく広岡氏は冷たい<Cメージが漂い、野村氏はどちらかと言えば暖かい∴象を残したのではないか。広岡氏は、折に触れて身近に関わった人たちから批判されたが、野村氏については、そうした声はあまり聞こえない。二人とも、それまでなかった新しい手法を取り入れて、立派な業績を残したが、リーダーとしての評価は大きく違っている。さてさて、そんななかで巨人軍がもめている。ドンとGMの間で大葛藤が発生した。私自身はその内容について関心がないから、この際はどっちが正しそうなんて下世話な推測もしない。ただ、言っていることが正しいとか誤っているかとは別に、いつまで経っても影響力を行使しようとするのはやめた方がいい。いわゆる引き際≠ェ大事なのである。時間の経過とは関係なく影響を与えることができるのは神様≠セけだ。そして、人は神様ではないのだから、適当なときにエスカレーターから降りてくれないと組織は機能しなくなる。すでに還暦も超えて63歳にもなってきたから、私自身も引くタイミング≠逃さないようにしないとまずい。体が動いているうちは、ついはしゃいで、周りの迷惑に気づかなくなる。そうかといってそろそろお引きになってはいかがですか≠ネんて口が裂けても言えない。だからいわゆる定年制≠ニいうのも悪くない。いわば、強制的に引き際≠つくるわけだ。そうなんです。私もその定年まであと2年と5ヶ月ばかりになりましたよ。
マネー・ボール 2011/11/15 Tue-3200
 映画好き≠ニしては、年間30本くらいは観たいと思っている。しかし、なかなかそこまではいかない。今年は先週土曜日で17本目になった。年内に20本までいくかどうかというところだ。最新はマネーボール≠ナある。これはメジャーリーグのアスレチックスが主役の物語である。タイトルは、ジャーナリストのマイケル・ルイスが書いたマネーボール≠ニいう本によっている。アスレチックスは資金をもたない貧乏球団だが、ワールドシリーズを目指すプレーオフにはしばしば顔を出すらしい。しかも、FAですごい選手がお金持ちの球団に移籍していくという。そこで、その秘密を探って打ち立てられたのがマネーボール理論≠轤オい。その細かい内容は置くとして、映画ではっきりしたのはGMのすごさ、というかすさまじさである。野球にはオーナー≠ェいて、フロント≠セの現場≠セのといった集団があるようだ。私なんかにはいずれも業界用語≠フようで、具体的な内容は知らない。GMというのは、General Manager≠セろうから、かなり幅広い権限をもっているのだろう。その昔、ロッテの広岡達郎氏が、GMとして、大いなる権力を振るったという記憶はある。このときは、わが国で初めてのジェネラル・マネージャー≠ニ大々的に取り上げられていた。その力でバレンタイン監督をアメリカから呼んできたのはよかったが、すぐに野球観の違いとかでうまくいかなくなった。チームは最終的にリーグ2位になったのだが、広岡氏はバレンタイン監督を解任した。彼はヤクルトや西武など、当時の弱小球団を日本一にして監督としての手腕を高く評価された。ただし、頂点に達するとすぐに球団内でうまくいかなくなってしまうのも大きな特徴だった。
わが家≠フシネコン 2011/11/14 Mon-3199
 自称映画好き≠ナある。子どものころはテレビがなかった世代だ。それも白黒<eレビだが、いまや白黒テレビ≠サのものが理解できない若者もいる。ともあれ、動く♂f像はすべて映画≠セったのである。いわゆるニュース≠燉\告編と同じように、本番の映画の前に流されていた。ところで、わが家の近くにあるダイエー熊本店の隣の敷地で工事が始まった。バブルの崩壊もあって、全国制覇の快進撃を続けていたダイエーの経営が厳しくなっていたころだ。けっこう大きな建物ができる感じだったが、ダイエーが拡張するとは思えなかったから、とにかく何だろうと思いながら眺めていた。そしてそのうち、それがシネコンだということがわかったときは、かなりうれしくなった。とにかく身近なのである。それぞれの劇場の階段が少しずつ組み上がっていく。あっちに向いたりこっちに向いたりしているように見えた。そして、いよいよ2005年12月23日にオープンとなった。角川系のシネプレックスであるが、ここにはじめて出かけたのはオープンからちょうど1ヶ月後の1月23日である。トム・ハンクス主演のターミナル≠セった。アメリカに入国する寸前に母国でクーデターが起きた。そのため、パスポートが無効になって空港のなかで時間を過ごさなければならなくなる。はじめて出かけたシネコンの映画としては上出来の物語であった。エスカレータも含めてケネディ空港をそのままセットで作ったということを知った。大昔はとんでもない巨費を投じるハリウッド映画だったが、それらとは比較できないとしても、やはりすごいなあ≠ニ驚いた。ただし、そのことは映画を観た後になって聞いた。監督はあのスピルバーグだったが、やはりスケールが大きい。
自己保身だけの悲しさ 2011/11/13 Sun-3198
 世界に冠たるオリンパス=Bそんな気持ちで研究開発している人たち。その技術力に憧れて就職した人たち。もちろん、研究者や技術者ばかりではない。すばらしい会社として夢を描いて採用試験を受けた人たち。また、圧倒的な製品力に誇りをもって、世界中で販売を展開している営業担当の人々…。そのすべての人たちに対する裏切り行為。損失の隠蔽に手を染めるとき、中心になった者たちには、そんな自覚はないのだろう。そればかりではない。わが国の組織経営のあり方そのものに対する不信感を一気に高める。それが全体の組織に影響を与える。その結果として国全体の信頼性が低下する。ただでさえ景気の悪い状態であるのに、海外からの投資が激減することも考えられる。自分の組織を超えた、国レベルの損失まで来してしまう。そんな自覚もなかったにちがいない。今回の隠蔽に関わった者たちの罪は深い。しかし、その動機はといえば、きわめて個人的なものだったに違いない。何のことはない、単なる自己保身だけのためだったはずだ。バブル期のマネーゲームで大きな損失を出してしまった。その責任を問われるのがいやだったということである。それが組織を超えてどれだけのダメージを与えるのか、まるで想像力が欠けている。今回の事件≠ヘ4月に就任したイギリス人の社長が半年あまりで解任されたことが発端になっているようだ。その社長は、企業買収の際におかしな取引がなされていることを指摘した。それが原因になってやめさせられたらしい。そんな事情を知らない私は、解任の新聞記事を読んだとき、文化の違い≠ェ原因だったのだろうかなどと思ったりもした。ところが、時間経過とともに、そんなレベルの話でないことが明らかになってきた。
等質の危険性 2011/11/12 Sat-3197
 新聞記事によれば、オリンパスの監査法人は問題を指摘したあとで解約されたという。しかし、その監査法人でさえ、指摘した件については、問題の大きさから考えるとかなり妥協したレベルで承認しているらしい。まあ、こちらとしては指摘すべきことはちゃんとした。それに対して‘一応は’修正したのだから、‘このあたり’でいいか=Bプロの法人だから、こんな素人が邪推するようなレベルの低いことはしていないとは思う。しかし、起きてしまった結果から評価すれば、とても仕事をしていたとは言えない。もちろん、問題の中心はオリンパスにある。しかし、監査法人自身が明らかな不正≠正すことができなかった原因についても分析する必要がある。どう考えても、この件が組織の中で議論されたはずだからである。組織にはいろいろな人間がいるし、またいた方がいい。まったく同じ発想の人間ばかりだと、集団としての行動≠ヘ偏ってくる。一般的に、構成員が等質≠謔閧熈異質≠ネ方が集団としても力も大きくなる。それは遺伝子が異質≠ネものを求めて地球の上で生き延びてきたことから見てもわかる。ただし、人間の集団の場合は、これに大事な条件がつく。それは、集団を率いる者のリーダーシップである。遺伝子の場合は、環境にうまく%K応できなくなれば淘汰されていく。この点は人間集団でも同じことではある。しかし、集団は生身の人間から構成されていることを忘れてはいけない。オリンパスは、胃カメラなどできわめて高く評価されている。私がドックに行ったときの検査室にも、オリンパスのロゴがついた胃カメラの説明ポスターが掲示されている。こうした最先端の機器を開発してきた技術者たちは、いまどんな気持ちでいるだろう。
監査の役割は? 2011/11/11 Fri-3196
 私の思い違いだろうか。ずっと昔は、組織の末端にいる人々が問題を起こしてしまうことが多かったような気がする。組織の経営を担う者であるからには、それなりの倫理観があり、自己統制力をもっていたのではないか。もっとも、いわゆる資本家が低賃金で人々をこき使い、私腹を肥やすこともまた時代の一側面だったかもしれない。それに、大物になればなるほど、ややこしいことをしても表に出てこないとも言える。大きな汚職事件にしても、捕まったり自殺するのは第一線の人間だというのが、松本清張氏などの得意とするところだった。そう考えると、組織のトップがきちんとしていたというのは、私の主観的な記憶に過ぎないのかもしれない。しかし、そのあたりの事実は置くとして、やはり組織のトップは倫理観においても、それなりのレベルを維持しておくべきなのである。その意味で、今回のオリンパスの粉飾はとにかくひどい、ひどすぎる。表向きは企業買収をして、それに絡めながら損失を隠すというのだから、悪質としか言いようがない。おそらく法的にも犯罪になるのだろう。それにしても、会社の財務を監査する法人までありながら隠匿行為が20年間も続いていたというのは信じられない。これでは仕事をしていなかったと言われても仕方がない。もっとも、新聞によれば、担当していた監査法人は問題を指摘したことがあるらしい。ところが、それから後に、オリンパスはそことの契約を解消したという。何のことはない、監査する側もわかってはいたのである。しかし、それでも問題が表面化しないのはどうしてなのか。ことの真相はいずれ明らかになるのだろうが、問題を指摘されたら解約するというのであれば、監査法人の存在そのものの意味がなくなる。
悪夢のモラル・ハザード 2011/11/10 Thu-3195
 もう20年くらいは経つだろうか。モラル・ハザード(moral hazard)≠ニいうことばがを頻繁に見聞きする時期があった。モラルの崩壊≠ニでも訳すべきものだが、社会全体で、人々の倫理観≠ェ失われている現実を表した時代用語≠ナあった。そもそも英語が語源だから、それはわが国に特有の現象ということではなかった。世界経済のトップを走っていたアメリカで問題になったのである。それは、一般人を含めた社会全体≠フモラルがおかしくなっている状況を指したものではなかった。そうではなくて、とくに大きな組織≠ノおいて、およそ倫理に反する行為が目立ち始めたことからモラル・ハザード≠ェ流行語になったのだ。こうした状況のなかから、compliance≠ネる、組織の専門語≠烽、まれた。そもそも、compliance≠ニは、命令や要求に従うこと≠ナあり、追従≠竍服従≠ニいう意味もある。また、従順さ≠ヘいいとして、盲従的な態度≠竍卑屈さ≠ワで含まれている(電子版ランダムハウス英和辞典)。訳語だけ見ると、プラスの意味合いをもっているとは思えない。わが国では輸入直後は法令遵守≠ニ訳して、法律≠ノ限定する受け止め方もあったようだが、もちろん法律≠ウえ守れば何をしてもいいというわけではない。いかにも古くさいが、人の倫≠ノ反することをしてはいけないのである。もっと単純に、常識≠ゥら逸脱するなということだ。常識は、その社会に属する大多数がそうして当たり前だ≠ニ思っていることである。だから、それに沿って行動するのはむずかしくないはずである。しかし、現実にはその常識≠ェ守られない。だから、コンプライアンス≠ネどという専門用語≠ェ登場したのである。
わが家とカメラ 2011/11/09 Wed-3194
 その昔、写真機は一般家庭には高嶺の花だった。そして、庶民は裕福な家庭がもっていた写真機で撮影してもらったりした。そんな状況だから写真館の存在も大きかったと思う。わが家に待望のカメラが来たのは、私が高校1年生のときだったと思う。あるいは中学3年生だったかもしれないが、とにかそのころのことである。その際に買ったカメラがオリンパスペン≠セった。コンパクトなこのカメラはハーフサイズと呼ばれていた。たしかに小型だったが、ハーフの由来はフィルムの方にあった。使用するフィルムは通常の35mm幅のものだったが、それを横≠ノして撮るのである。文字では説明しにくいが、フィルムの縦の部分が横幅になって、1枚分の面積に2枚の映像を映すことができるのである。そのため、1コマの面積が通常の半分になるから、大きく拡大すれば画質は落ちる。しかし、当時はそんな心配などまったく必要なかった。なぜなら、もともと現像して焼き付ける写真の大きさが小さかったからである。公式な大きさはよくわからないが、私たちが使っている名刺の2枚分にもならなかった。ちょうどそのころカラーフィルムが出たのだが、これもきわめて高価で、写真の大きさはそれこそ名刺と変わらなかった。ともあれ、それで慣れ親しんだこともあり、2台目のカメラもオリンパスにした。今度は一眼レフで、商品名はオリンパス OM−1≠ニいった。やはりコンパクトの血筋を引いていたが、それなりの人気があったと思う。もちろん、フィルムはフルサイズに出世した。そうしたこともあって、オリンパス≠ノは大いなる親しみを感じてきた。また、人間ドックに行くと、胃カメラもオリンパス℃ミ製だ。そんなすばらしい♂社だったはずなのに…。
孫のジャンプ 2011/11/08 Tue-3193
 孫は目に入れても痛くない=B誰でも知っている言い回しだと思うが、これが辞書に載っていない。少なくとも電子版の広辞苑と大辞林では確認できなかった。その代わり、孫は子よりも可愛い≠ニいうのがあった。意味は考えるまでもないが、浄瑠璃の頼朝伊豆日記≠ノ書かれているという。そのなかに、孫は子よりもかはゆしと、世のことわざにも申ぞや≠ニあるのだが、これが成立したのが1693年ごろだという。その当時で世のことわざ≠ネのだから、すでに世間で流布していたわけだ。人の心は変わらない。私自身は、とにかく孫を目に入れっぱなし≠セが、痛くもかゆく≠烽ネい。それどころか快感そのものである…。最初の孫が歩きはじめて、さらに立つことができるようになったころのことだ。近くに出かける仕事があって孫の家に立ち寄った。そのとき、玄関先に出てきた孫がうれしそうな顔をして数回ジャンプを繰り返した。とにかく嬉しさいっぱいで飛び跳ねていることがしっかり見えるのである。そのときのイメージはいまでも忘れない。それが私の生きるエネルギーをさらに強化したことは言うまでもない。そして、今度は2番目の孫が立ってジャンプができるようになった。まだ、飛び跳ね方そのものは修行中なのだが、つい先だって孫の家に出かけたら、やはり玄関先で跳ねた≠フである。その瞬間に、数年前の快感が蘇ってきた。まだことばは口に出ない孫なのだが、その気持ちを顔と体で十二分に表現している。これぞまさしく癒やし≠与えてくれる最高の贈り物だ。ああ、ありがたや、ありがたや。毎年12月になると人間ドックだが、66kgバージョンから54kgへの減量作戦は維持できている。孫を見ていると長生きしたくなるんです。
受け身≠ゥらの脱却 2011/11/07 Mon-3192
 高齢者が幸せに生きることができる社会を創る。それは当然のことである。いや、そんなことは年齢には関係がない。すべての国民が幸せに生きていかないといけない。ここで言いたいのは、高齢者を受け身的≠ノ幸せにすることだけでなく、能動的≠ノ生きる方策を考えるべきだということである。もちろん、年齢によって体力が弱くなり、動くことがむずかしくなった人たちに対する働きかけや援助は必要だ。しかし、いまは元気な人たちに対しても、楽しく過ごす∞趣味に生きる≠ニいった、時間消費型の対応に重きを置きすぎてはいないか。まあ、趣味に生きる≠アとを時間消費型≠ニ言ってしまうと怒る人もいるだろうが、もっと生産的≠ネ視点があっていいと思う。これまた、じゃあ、いまは非生産的なんかい≠ニ文句を言われそうだが、そうじゃありませんかねえ。ともあれ、こうした視点から高齢者の生き方、あり方について具体的な方策を考えることが必要になっているはずである。これは国民全体が考えるべき重要かつ喫緊の課題なのである。それにしても、この国の政治には、10年後、20年後までの展望がない。ただひたすらその場しのぎ≠フ対症療法に目を奪われて、国の体力を消耗し続けてきた。そして国の借金が1,000兆円にも達するという、もうほとんど瀕死の状態である。そんなときでも国債の大半は国民が買っているからギリシャとは違う≠ネどと、信じられないことを言う専門家≠ェいる。それが事実だとしても、その代わり国の首が回らなくなったら、国民の預貯金は紙くずになります。みなさんしっかり覚悟しときましょう≠ニ、もう一つの事実をどうして明らかに宣言≠オないのか。預貯金はパーになるんじゃないのですか。
高齢者の時代 2011/11/06 Sun-3191
 高齢者がよりよく生きるための方策を考える。そんな会議にも顔を出している。高齢者が引きこもりになったりしないようにしよう。それぞれ趣味をもって質の高い老後を過ごそう。ボランティア活動への参加を呼びかけよう。いずれもけっこうな話である。しかし、いまやそうした過ごし方≠セけを議論する段階は超えたのではないか。高齢者が圧倒的に多くなり、若者の数が減少する。そうした人口の構造的な変化に対応して、わが国がどう存続していくのか。ただお年寄りが楽しく♂゚ごしていくための方策を探すだけで国の活力が生まれるはずがない。こうした状況のもとで活力を維持するために移民の受け入れは避けられない≠ニいう意見もある。さて、どうするか。これに対して賛成≠るいは反対≠フ説得力ある説明ができるかどうか。また、仮に移民を受け入れないとすれば、生産人口が減少していく国を存続させるためにはどうするのか=Bもしも受け入れ≠是とするなら、具体的にどうするか。オスロで7月29日に起きた大量殺人事件では宗教問題や移民問題が影を落としているという。ノルウェーの場合は犯人の個人的な要素も大きいのかもしれないが、移民に伴う問題はヨーロッパ諸国で大きな問題になっている。こうした状況も押さえた上でこれからどうするのか。どの国でも同じなのかもしれないが、問題があることは認識しているのに、その解決を先送りする。そのうち、どうしようもないところまで追い込まれてしまう。そこまで行くと、もう取り返しのつかない破滅状態になる。そして、そのとき最も大きな被害を被るのは、社会的に弱い立場のものである。日本が崩壊してしまっても、大金持ちはよその国に行って優雅な生活を続けるだろう。 
美術鑑賞≠フ眼 2011/11/05 Sat-3190
 たまたま朝ドラに倉敷が映る場面があって、それを家内が教えてくれた。たしかにあの橋≠ェあり、バックは旧倉敷町役場の建物があった。いまは無料休憩所・案内所として使われている。観光客が提灯をもって美観地区を巡るサービスに参加した。ボランティアで成り立っているものだが、1人の案内役に10人ほどがついていく。提灯の光源はろうそくではなく豆球だが、けっこう幻想的で雰囲気満点である。その解散の場所が旧倉敷町役場だった。さて、古い町並みもいいが、倉敷と言えば大原美術館には行かないとまずいだろう。はじめて倉敷に出かけた36年前も入館したのだが、もうそのときのことは忘れている。だから、今回も初めて%った気分で展示を見て回った。おそらく、36年前もすっごいなあ≠ニ思ったはずなのだが、またしてもエル・グレコの受胎告知≠ノは少なからずうーん≠ニうなってしまった。お断りしておかないといけないが、私には絵画の鑑賞眼≠ネどというものは、これっぽっちもない。ただ、教科書などでしか観たことがない本物≠ェあると、わあ、すげーっ≠ニ感動するのである。その点では、いわゆるミーハー≠ニほとんど同列である。私は驚くと体にいい≠ニ確信している。そして驚くことは、人をほめることに繋がる≠ニも思っている。人を育てるには驚育≠ェ欠かせないのである。まあ、そんなこんなで、受胎告知≠フほかにも、モネの睡蓮≠窿Sーギャンのかぐわしき大地=Aルノワールの泉による女≠ネどは、私にとって教科書レベル≠ネのである。それだけではない。日本でも岸田劉生の童女舞姿≠ネどは、やはり教科書≠フ世界だから、しばし立ち止まってすごいなあ≠ニ心の中で叫んだ。
連続♀避症 2011/11/04 Fri-3189
 いつのころからか記憶にないが、テレビの連続物はまったく観ない。NHKの大河ドラマだと、花の生涯≠竍忠臣蔵≠ヘ、毎週観ていたかなあとは思う。しかし、それは前者が1963年、後者が1964年である。私が中学生から高校生のころだ。ついでに、朝のドラマではおはなはん≠ュらいは、大学生で実家に帰省したときに観ていたような記憶がある。とにかく連続物≠ヘ私の気持ち方が続≠ゥない。これがシリーズ物で、1回ごとに終わりがくると何とかついていく。最近だと、相棒≠ネんぞがこれに含まれる。ただし、それでも何曜日の何時から≠ネどという意識はまったくない。たまたまテレビのスイッチを入れたらはじまったばかり≠ニいうとき、時間に余裕があれば観るという程度である。そういえば、私は、いまどきテレビのない生活を送っている人を知っている。世の中で大騒ぎした地デジ≠ヨの転換をご存じなかったようで、新しいテレビを購入するタイミングを失ったということだ。この時代、まことに貴重な人だと思う。ご本人にきいても、慣れの問題≠セという。こんな話をすると、私と同年配の年寄りだと思われるかもしれないが、さにあらず若者である。とはいっても、既婚者で来年にはお子さんが生まれる。さすがに、子どもが少し成長すると、テレビを買わないといけなくなるかもしれない。そんな雰囲気で話をされている。じつにすばらしい。いまや個性のない低コストの番組ばかりがゴールデンアワーを席巻している。そんな状況だから、テレビ漬けになるのではなく、家族で会話を交わしたした方が、人生ははるかに豊かになる。やれやれ、倉敷の話から飛びすぎた。ともあれ、いまの朝ドラでは、けっこう倉敷の橋が登場するらしい。
倉敷再訪 2011/11/03 Thu-3188
 倉敷は落ち着いた町である。私と家内は36年ぶりに、この地に来た。いまから36年前というのは、結婚した年である。大阪で学会があって、その帰りに倉敷で落ち合った。当時は福岡に住んでいたから、家内は博多から新幹線でやってきたのである。そのときに、アイビースクエア≠ニいうホテルに泊まった。このホテルは1974年5月のオープンで、当時はかっこいい≠アとで話題になっていた。あとで、そこに泊まった話をしたら、みんなからすごい≠ニいわれて、相当に気分がよかった。そもそもは、倉敷紡績の工場だったところを整備してホテルに衣替えしたのである。工場は1889年(明治22年)に建設されたもので、赤煉瓦がそのまま残っている。倉敷市の美観地区とも連なっており、なかなかすばらしい。最初にアイビースクエアを訪れたときは、オープンから1年ほどしか経過していない。そんなわけで、当時の写真を見ると、赤煉瓦のツタもそれほど茂っていない。それが36年も経てば壁に絡まってくるのは当然である。こんなときに宿泊料の話題をしてはセンスを疑われるが、そのころの家計としては、かなり無理をしたはずだ。なにせ、私は大学院の学生だったから…。まあ、それは置いといて、今月のホームページの表紙写真は倉敷川にした。のどかに観光の船が浮かんでいる。この一帯は重要伝統的建造物保存地区に指定されているらしいが、とにかく雰囲気がいい。またぞろ、熊本にはこんなところがないなあと嘆く。もとの倉敷役場は倉敷館≠ニ呼ばれる有形文化財になっている。そこに石橋が架かり、橋の手前から倉敷館を写すとこれまたいい写真になる。いまNHKで放送しているカーネーション≠ナ、町の風景としてしばしば登場すると聞いた。
博多を越えて 2011/11/02 Wed -3187
 新幹線が開通したあとも、熊本・福岡間の高速バスは元気である。時間を取るか価格を優先するかで、うまくバランスが取れているのだ。それに在来線時代には特急が止まっていたところがパスされることになった。このあたりをバスがフォローすれば潜在的な利用者は必ずいるのである。それに、高速道路に近いところは、いくら新幹線が速いといっても、熊本駅まで出る時間がかかる。バスは天神まで行くから博多駅で乗り換えなくていい。そんなこんなで、新幹線と高速バスは共存することになった。けっこうなことである。さて、そんな新幹線だが、全線開業以来、私は熊本から博多以遠まで乗ったことがなかった。それが先月になって、博多をはじめて£エえた。私は10月が誕生日月にあたり、その前後に家内と旅行する。もちろん、いろいろ仕事もあるから、毎年というわけにはいかないが、できるだけそうしたいと思っている。たとえば3年前に還暦を迎えたときには、北陸方面に出かけた。このときは、金沢市の周遊バスがうまくできていて、熊本は100年遅れているのではないかと慨嘆した。もちろん、そのことは味な話の素≠ナ大声で訴えた。さて、先月は博多を越えて小倉・新山口・広島を通過し、福山まで行った。そこで在来線に乗り換えて、倉敷に向かったのである。さすが新幹線だけあって、熊本から広島までが2時間を切るのには、ちょっとばかり感動した。最速のみずほ≠ェ熊本と新大阪の間を2時間59分で走ることになっているから、まあ当然なのではあった。倉敷に降り立ったときも、やっぱり、ここにも負けてる≠ニいう気持ちになった。駅前の見栄えである。このごろ、ようやく変貌し始めたものの、熊本駅周辺は都市規模から言えば貧弱なのだ。
ろくべい まってろよ≠フ嘆き 2011/11/01 Tue -3186
 とうとう、こくごの問題≠ヘ2ヶ月にまたがってしまいました。さすがに今日でおしまいにしましょう。ただ、作家灰谷健次郎氏の嘆き≠もう少し聞いておこうと思います。灰谷氏は続けます。一度、公刊してしまった作品は、どう使われても仕方がないという認識はあるものの釈然としない=Bそう述べたあとで、こういう「被害」はしょっちゅうである≠ニ続けます。それは同じ作者の「ろくべえ まってろよ」という童話に関するものです。その話のなかで、犬のろくべえ≠ェ穴に落ちるのですが、この犬を子どもたちが助けることになっているのだそうです。そこでろくべえが落ちた穴は、どれくらいの深さですか≠ニいう問題が出たわけです。その問いに対してある子どもが3メートル45センチ≠ニ書いて×≠ノなったというのです。灰谷氏は言います。45センチというところまで、いっしょうけんめいに考えてくれたのだ。わたしは、そこまで考えてくれた子どもがいとしい=B×≠ノされた理由は文中どこにも3メートル45センチの記述はない≠ニいうことだったそうです。たしかにそれは理屈だとは思います。また、原作にだって書かれていないでしょう。それがテスト≠ニいうものだと言われれば、それっきりの話です。しかし灰谷氏は続けます。私は学校とか教師の冷たさを感じた≠ニ。そして最後は、性質上、事前に許可を求めるわけにはいかないといわれ、いのちを削るようにして書いた作品を、本意でない使われ方をされ、傷つく子どもや若者を見なくてはならない、もの書きの嘆きを、いくらかは察してもらいたい≠ニ嘆いているのです。そこまで言われると文学作品を題材にできないという教師側の嘆きも聞こえてきそうですが…。