吉田道雄 YOSHIDA, Michio
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味な話の素
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 No 102  2011年10月号 (3155-3185)
原作者の嘆き 2011/10/31 Mon -3185
 そろそろこくごのテスト問題≠ヘおしまいにしたいのですが、もう少し引っ張ってしまいそうです。それは、文学作品を用いたテスト問題に関するお話です。原作者自身が困惑している事例があるのです。私の手元に灰谷健次郎さんが書いたもの書きの嘆き≠ニいう新聞の切り抜きがあります。これは朝日新聞の家庭欄いのちまんだら≠ニいうコラムに書かれたもので1998年6月17日に掲載されています。灰谷氏は自分の作品である天の瞳≠取り上げた模擬テストについて大いに嘆いているのです。それによると、点の瞳≠題材にして、問題文から読み取れる倫太郎の人物像を簡潔にまとめなさい≠ニいう設問が出されました。これに対して灰谷氏の友人の子どもらしいのですが、彼は天の瞳≠フTとUをすべて読んでいたというのです。その高校生が書いた答案が減点されていたわけです。細かいところは省きますが、減点された理由は、解答が問題文を超えていたとことにあるというのです。この高校生はしっかりした考えの持ち主で、こうした問題を出すことに意識的に異議を唱えたところもあるようです。その点では、これはかなり例外的なものだと言えるでしょう。教師としても、本全体を読んだ上で、問題文からは読み取れないところ≠ワで書かれると、困ってしまうかもしれません。まあ、とにもかくにも、灰谷氏としては嘆きたくなるというわけです。わたしには、こう書いた少年の気持ちがよくわかる…。作者としてありがたいのは、彼のような読者をもつことであり、はなはだ迷惑なのは、この様な問題の作成者であり、添削者の存在である…≠ニ、じつに手厳しい訴えですが、同じような気持ちでいる原作者たちも少なくないのかもしれませんね。
母親の嘆き 2011/10/30 Sun -3184
 子どものテストに関する母親の新聞への投稿です。ここでポイントになる部分を取り上げてみましょう。彼女の次男が定期テストを受けたわけです。その社会公民≠フ問題に非核三原則の内容を正確に書きなさい≠ニいうものがありました。そこで次男は核兵器を持たない、つくらない、持ちこませない≠ニ書きました。この時点で皆さんはどう思われますか。これが不正解≠セったのです。その理由は簡単で、正解は核兵器を持たず、つくらず、持ちこませず≠セからだというわけです。たしかに、政府が公式に宣言しているものを正確に¥曹ュのであれば、これでないといけないんですね。とにかく、そう言っているのですから。国語のテストで、和歌や短歌、俳句などの作品を書くとなれば、一文字でも違えば誤りになります。古池にかわず飛び込む水の音∞柿食えば、鐘が鳴ってる法隆寺≠ナはまずいですよね。しかし、社会公民≠ナあれば、たとえ正確≠ナはないにしても、これを不正解≠ニしてしまっていいのでしょうか。たしかに、問題には正確に≠ニわざわざ条件が付けられていますから、教師としては一言一句≠ェ一致していなければ×≠ニいうわけです。文句の付けようがありません。しかし、そもそも子どもに何を伝えたいのか、教えたいのかが肝要でしょう。投書した母親もそこに疑問を呈しているわけです。大事なものごとの本質を子どもたちにきちんと教えていけなくなるのではないかと危惧している≠ニ書いているのも、うなづけます。このごろはテレビで、いろんな知識を問題にした番組がはやっています。とにかく放送局の個性が感じられないワンパターンさにはうんざりしますが、学校のテストがこれらと同じではかないませんね。
ようやく納得=H 2011/10/29 Sat -3183
 さて、このところ取り上げている国語の問題の第2問目(1)図書館で本を借りるとき、あなたは、どのようにして本を決めることが多いですか≠フ次に、(2)本を読んだあと、その本について、あなたはどんなことをしますか。したことがあるものすべてに、○をつけなさい≠ニいう質問が続きます。選択肢は5つあって、読書ノートにつけます∞感想文を書きます∞読書カードを作ります∞友達にしょうかいします∞友達に感想を話します≠ニなっています。私が手元にもっている解答用紙を書いた子は、読書ノートをつける≠ニ友達に感想を話す≠選んで、めでたく大きな○≠もらっています。やれやれです。ここまで来て、ようやく納得できる*竭閧ノなりました。ここでは、1個≠ナもすべて≠選んでも○≠ニいうことです。ただし、これにも不安は残ります。もし、提示されたことはどれもしていない子がいたらどうなるかです。まったく○≠つけなければ、その回答者はきっと×≠ノなるのだと思います。これではやはりおかしいですね。なにもしない=Aどれもしたことがない≠ニいった選択肢も設定しなければ、子どもが取り得る行動について、すべての可能性をカバーしているとは言えません。ここで取り上げた問題は、いずれも20年ほど前のものでした。私としては、現在はこの手≠フ問題がなくなっていることを祈るばかりです。ところで、2年ほど前になりますが、新聞の投書欄にテスト「不正解」に見た本質外れ≠ニ題する意見が掲載されています(毎日新聞「みんなの広場」2009年7月)。投稿者は長野県の主婦で中学3年生の男の子(次男)がいるようです。その子の試験について、母親が意見を言っているのです。
まだまだ続く 2011/10/28 Fri -3182
 あなたはどうしていますか≠ニ聞けば、すべての答えが正解になるはずです。それでは、どうしても○×≠つけたいときはどうするかです。それにはできるだけよい作文を書くためにはどうしたらいいでしょうか=B先生たちがおすすめのものを次の中から選びましょう≠ニいった問題にすればいいですね。これに3択を提示すれば、その答には○×≠烽りということになるわけです。ただし、そのためにはほとんどの先生がそう思っている≠アとが前提になります。さらに言えば、思っている≠セけでなく、自分でも実践して≠「てほしいですね。いずれにしても、こんな妙な問い方をしない限り○×≠つけてはいけませんよね。とにかく、あれやこれやと文句を言い出すときりがないのですが、その次の(2)≠烽ゥなりひどいんです。何と言っても作文系がテーマですから、今度はあなたは、どんなくふうをして書きますか≠ニきました。やはりあなたは≠ネのですから、本当は何でもあり≠フ聞き方です。今度は二つ選んで、記号で答えなさい≠ニなっています。またぞろ、いやな予感がしませんか。(ア)習った漢字は、まちがえないように書きます=A(イ)ことばづかいや文末表現を考えて書きます∞(ウ)書きたいことがよくわかるように、まとまりをはっきりさせて書きます∞(エ)できるだけくわしくなるように、細かいところまで正確に書きます=Bこれまでとまったく同じパターンです。私の手元にある解答用紙を書いた子は、この質問でもさいわい≠ノ、(イ)と(ウ)を選んで正解≠ナした。質問はあなたは、どんなくふうをして書きますか≠ネのです。自分のしていることを書いて×≠つけられてはかないませんね。
お久しぶりに… 2011/10/27 Thu -3181 Continued from 10/22
 あまり同じテーマで続けていると、私自身が飽きてしまいます。そのため、このコラムは突如として連載が飛んだり、急に戻ったりになるわけです。じつは、途中でどこかに行ってしまったまま帰ってこなかったものもあります。お読みいただく方にはご迷惑に違いないのですが、ご容赦ください。さて、あのこくごのテスト問題≠フ続きです。作文を書く前に、あなたはどんなことをしますか≠ノ対する3択の問題に戻ります。まずは提示された選択肢を挙げてみましょう。(ア)書こうとすることがらを整理し、書く目的をはっきりさせます=B大人であれば、いや少し賢い子どもであれば、これが正解≠ナあることは、他の選択肢を見るまでもありませんね。私の手元にある解答用紙を書いた子はさいわい≠ノも正解≠選んでいました。ああよかった。それはそうと、残りの2つはどうなっているでしょうか。(イ)書くことがらをたくさん思い出し、全部書けるように順序を考えます=Bやれやれ、思った通りです。これはどう見てもまずそうです。しかし、自分の思い出すことはできるだけ書きたいと考えてはいけないのでしょうか。たしかにお勧めではないかもしれません。しかし、それで×≠ネのですか。もう一つ、3番目は想像がついている方もいらっしゃるでしょうね。(ウ)書くことがらを少なくかん単にし、早く作文が書き終わるようにします=Bたしかに、大人の目線で評価すれば、×≠ノなってしまうのでしょう。おそらく、(ア)∴ネ外を選択する子どもたちで作文が得意な子は少ないのかもしれません。しかし、それはあくまで私の勝手な推測に過ぎません。それに、そのことと、こうした問題を出すこととは何の関係もないと思います。
つばめ≠ニひのくに号 2011/10/26 Wed -3180
 おそらく心理的≠ネ理由が大きくて、熊本駅から博多に行く乗客たちは可能な限りつばめ≠避けることになる。その結果として乗車率が低下する。現実には先発のつばめ≠後発のさくら≠ェ追い越す例はきわめて少ないと思う。だから、目の前のつばめ≠ノ乗った方が熊本に早く着くのに、次のさくら≠ノ乗ったりする人すらいる。それが心理≠ネのである。そんなわけで、JRはつばめ≠ノ乗ることを条件に5,500円の往復切符を発売した。この切符には、博多駅の商業施設で使える1,500円分の買い物券が付いている。アミュプラザ≠ニいうドでかい施設で、ちょっとした食事と買い物をすれば1,500円にはなる。その分を引くと、新幹線の往復料金は4,000円ということだ。事前にネットで購入しても往復6,000円らしいが、けっこう面倒で私なんぞこれまで利用したことがない。どうしても駅に行って購入する。ただし、これはつばめ≠ノのみ有効でみずほ≠竍さくら≠ノは乗れないのである。これはけっこう評判がいいらしく、販売期間が延長されたようだ。その一方で、高速バスも大健闘しているという。そもそも熊本と福岡を結ぶ高速バスはひのくに号≠ニ呼ばれ、1日100往復という驚異の本数でJRの在来線と競ってきた。これが新幹線の開通で厳しくなるかと思いきや、その後も好調で、100往復を108往復に増便している。とにかく10分から20分おきに発車するのだからものすごい。ここで決定的なのは料金だ。熊本/博多間の最安値が1,600円だという。つまりは新幹線の半分にしかならない。しかも、福岡の中心街である天神までそのまま直行する。もちろん時間は公称で1時間44分だが、道路事情で2時間程度と考えていた方がいい。
時間≠フ心理 2011/10/25 Tue -3179
 熊本から博多まで各駅停車のつばめ≠ノは基本的に乗らない。在来線の特急つばめ≠ェ走っていたころ、最速≠ヘ1時間12分だったと思う。もちろん、この最速≠フ本数は少なく、特急≠ニいいながら、停車駅はけっこう多かった。そんなわけで、はっきりした記憶はないが、体感的には1時間30分ほどかかっていた。だから、新幹線の各駅停車でも50分ほどの時間だから、間違いなく速い≠フである。しかし、そこに心理的≠ネ要素が作用してくる。まずは、新幹線の最速≠ナあるみずほ≠フ所要時間と比較する。これは熊本を出ると博多までノンストップで突っ走り、33分ほどで博多駅に到着する。これを基準につばめ≠フ50分を比べると、相当な時間差≠ナある。心理的には倍も≠ゥかる気がする。現実には最速みずほ≠ヘ、朝の7時、8時台と18時、20時台の4本しかない。だから、それを利用する確率はかなり低いのだが、やはりその33分≠ニ50分≠フ大きな差≠ェ気になる。これが人の心≠ナある。さらに、在来線時代の最速≠セった、1時間10分程度≠ェ頭に浮かぶ。各駅停車つばめ≠フ50分≠ヘ、ほぼ1時間≠ニ感じてしまう。繰り上げる$S理が働くのである。そうなると、在来線最速つばめ≠フ1時間10分≠ニあまり変わらない≠ニ考えたくなる。こちらは1時間くらいだ≠ニ繰り下げる≠フである。もちろん、1時間10分と50分には20分もの¢蛯ォな差がある。これまでの1時間10分を基準にすれば、30%近くも短縮しているのだが、それでもあまり変わらない≠ニ感じてしまうのは、心理的≠ネ要因だとしか言いようがない。おそらく50%≠ュらいが心理的期待値なのだろう。
夏期休暇 2011/10/24 Mon -3178
 いつごろ導入されたか忘れてしまったが、われわれには夏期休暇といわれるものがある。これは大学が法人化する前からあったのではないかと思う。法人化してからは、いわゆるお盆(旧盆)≠ノ当たる時期に2日間の休みができた。さて、夏期休暇の方だが、これは連続して3日間とることが条件で、期間は6月〜10月までの間と決まっている。これに土日を繋げたり、それを挟んだりすると、合わせて5日間になる。これまで何度か、それを私の誕生月の10月にとって家内と旅行に出かけていた。ところが、この時期は連続3日間≠ェきわめて取りにくいのである。前期は試験も含めて8月はじめまでに終える。われわれが学生のころは、7月初旬で夏休みに入り、ほぼ2ヶ月後の9月初旬から前期の続きをスタートしていた。それが試験まで終えてから夏休みに入るようになった。そこで新学期のスタートが10月になった。そんなこともあって、この時期はかなりバタバタで、いろんな仕事が入ってくる。そこで今年は単純に土日を使って出かけることにした。その行き先として選んだのは倉敷である。九州新幹線が3月12日に全線開業した。それからは、そこそこ新幹線に乗っている。そのなかには、孫と二人で出かけた福岡ツアー≠煌ワまれる。しかし、そのすべてが博多℃~まりか、新鳥栖♂コ車である。新鳥栖は長崎方面に出かける際に降りる。新鳥栖からは在来線を利用するが、熊本から諫早までが1時間を切ったのには感動した。熊本・博多の場合は最速≠フみずほ≠ヘノンストップの33分で走るがこれは数本しかない。さくら≠ェ1〜2駅停車で40分前後である。わずか100km程度の間に5つも駅があって、全駅停車のつばめ≠セと50分ほどになる。
お釈迦様と戒名 2011/10/23 Sun -3177
 とりあえず、わが家にも仏壇がある。熊本に来てから公務員宿舎に入っていたが、50歳を機にマンションを購入することにした。その際に、押し入れ≠フ部分を改造して仏壇≠置くスペースを確保した。そのアイディアを出したのは家内である。すでに私の両親は鬼籍に入っていたが、仏壇を置くところがないというのである。私はそんなことに気づきもしなかった。もちろん異論があるはずもなく、入居前に改造を依頼した。内心では気づいてくれてありがとう≠ニは思ったが、なあるほど、そうしようか£度の反応しかしなかった記憶がある。そんなわけで、私を除いた家族は、そのときどきの状況に応じてチーン≠して合掌する。いつも仏飯≠ニお茶≠ヘ供えられている。お土産やいただき物があれば、まずは仏壇に載せてチーン≠ナある。私だけがそれを律儀にしない。また、おじいちゃんやおばあちゃんが苦笑いしているよ≠ニ家内が笑う。そんなわけで、息子や娘が手を合わせる習慣は家内が教育した。子どものころからの教育が大事だなあと思う。そして、家内にも感謝している。それが孫たちにも繋がっている。幼い子どもは、そもそもチーン≠ェ大好きだ。ところで、仏壇には、私と家内の両親4人の位牌が入っている。いずれも戒名が付いている。司馬遼太郎氏によれば、そもそも戒名は俗人が死ぬと、僧になったということにして、中国名がつけられ≠スのだそうな。それはお釈迦さんと関係ないこと≠ナ、しかもそのための料金があって、お寺さんの収入になっていることを笑っている(司馬遼太郎が考えたこと11 新潮文庫)。たしかに、葬儀屋さんから定価≠聞いた記憶がある。信心浅き私なんぞは戒名なしでいきましょう。
大人の期待を読む力の育成? 2011/10/22 Sat -3176
 まだまだ続きます。どの方法で本を選ぶ人が多いかを答えなさい≠ナあれば、子どもの回答に×≠つけることが可能になります。ただし、そのためには世の中の人の多数が一定の基準、ここでは、目次・前書き・後書きなどを読んで≠ゥら本を買っている事実≠押さえていることが必要になります。問題を作成する人がおそらくそうだろうな≠ニ思っているだけでは、それこそ×≠ナすよね。少なくとも、子どもたちが納得ができるデータをもっていない限り、無責任のそしりを免れることができません。子どもとしてはあなたはどうしてるの≠ニ聞かれたので、自分の行動≠正直に書いた。するとそれが×≠セったではかないません。こんなことをしていると、子どもたちは、事実よりも大人、とりわけ教師がどの答えを期待しているかを推測して回答することが大事なんだ≠ニ考えてしまうでしょう。しかし、先生方だって、小学校の5年生に事実よりも大人が期待している答えを推測する力≠つけさせようとしているはずがありません。そうだからこそ、こうした問題が存在していること自身が信じられないのです。しかも、ここでは手元にある解答用紙に、たまたま×≠つけられた問題だけ取り上げたに過ぎません。ほかの問題も同じように怪しいのです。たとえば、第1問は、作文を書くときのことです≠ニ呼びかけ、(1)作文を書く前に、あなたはどんなことをしますか≠ニ問いかけるのです。そして記号で答えなさい≠ニ指示します。おわかりのとおり、すでに見た問題とまったく同じパターンなんです。そんなわけで、ここでもあなたはどんなことをしますか≠ニ問われているのですから、どんな答え≠ナもOKになるはずですよね。
脱線かなかな&ィ語 2011/10/21 Fri -3175
 このかなかな¥ヌ候群はかな≠關[刻です。何分にも、大臣や大企業のトップまで口に出したりするのです。そうそう、地方自治体の長なども、これをけっこう多用しています。テレビのニュースなどで、この手の発言を聞くたびに、ああ、まただぁー≠ニ嘆いています。このかな≠焉A相手に気持ちを思いやって、ちょっと抵抗を感じているのかな∞おっしゃりたいことがあるのかな≠ネどと問いかけるのであればとくに問題は感じません。いやむしろ、これは日本人的な配慮の示し方なんですね。ただし、この言い回しにいかにも子どもに聞くような感じがしますね。、あるいは自分が明らかに優位にいることを意識しているようなニュアンスがあります。それはともあれ、自分の意思を伝えるべきときに、言った方がいいかなと思います≠ネどと曖昧な言い方をしてはいけません。問題かなと思います≠ナはなく問題だと思います≠ニ言うべきでしょう。さてさて、この件は昨日からこだわっているのですが、どこから脱線したか忘れてしまいそうです。そうそう5年生の国語の問題≠フ問題点を考えているのでした。どう思うか≠ニ聞く限り、論理的には×≠ヘあり得ないだろうというところから横道にそれました。だって、その思っている≠アとに問題であっても、とにかくそう思う≠ゥらです。人はどんなこと≠ナも思う≠セけならOKなのです。そこで、本を選択する問題についても、どの方法で本を選ぶ人が多いかを答えなさい≠ニすればいいですね。子どもが主観的な判断をしても、それが事実でなければ、×≠ノすることができます。それは東京都と熊本県の人口はどちらが多いか≠ニ問いかけるのと同じレベルの質問になるからです。
あり得ない不正解 2011/10/20 Thu -3174
 昨日からの続きです。もう一度、問題を確認してみましょう。(1)図書館の本を借りるとき、あなたは、どのようにして本を決めることが多いですか。記号で答えなさい=Bそもそも、この問いに対する回答に、正解∞不正解≠ェあり得るのでしょうか。図書館でどんな風にして本を借りているか≠聞かれて、自分の行動について答える。するとそれが×≠ノなってしまう。これは小学5年生の国語≠フ問題ですが、私は問題をつくった人の国語@ヘを疑いたくなります。くどくて恐縮ですが、もう一度だけ問題を確認しましょう。(1)図書館の本を借りるとき、あなたは、どのようにして本を決めることが多いですか。記号で答えなさい=Bこの問いに不正解≠ェあってはいけないのです。どうしても、正解≠決めたければ、一般的に、どんな方法で本を選ぶ人が多いと思いますか≠ニすべきでしょう。いやいや、これでも問題は解消しません。思いますか≠ニ聞いたのだから、やはり不正解≠ヘあり得ません。だって、そう思った≠アとは事実で、それを否定することはできませんから…。こんなことまで言い出すと、それはへ理屈≠セと思われますか。しかし、ここで子どもに身につけさせようとしているのは、日本語のいい意味も含めたあいまいさ∞情緒性≠感じる力ではないでしょう。そうではなくて、論理的な思考力≠育てることは国語≠ェもつ重要な役割であるはずです。ついでながら、随分と前から私はかなかな¥ヌ候群に関する嘆きを本コラムでも書いてきました。とにかくはっきりものを言わずかな≠つけてしまう。まずいことをしたとき、お詫びを申し上げた方がいいかなと思います≠ネんて言い方をしてしまう。
再び、図書館の本 2011/10/19 Wed -3173 Continued from 10/16
 小学校5年生を対象にした国語≠フテストで、図書館で本を借りるときの、本を選ぶ基準を聞かれました。これに対して3つの選択肢が準備されています。(ア)五ページぐらいをじっくり読んで、選ぶようにします、(イ)目次・前書き・後書きなどを読んで、選ぶようにします、(ウ)表紙の絵がおもしろそうなものを、選びます=Bまずは、語尾が選ぶようにします≠ニ選びます≠ナ異なっているのも引っかかりますが、まあそれはいいでしょう。ともあれ、世の中には、(イ)目次・前書き・後書きなどを読んで≠選ぶ方が多いのだろうと推測します。しかし、私はといえば、書店で本を買うときほとんどタイトル≠ナ選びます。極端な話、本を開けてもみません。まさに邪道なのでしょうが、事実だから仕方がありません。ですから、このテストには、私の正解≠ヘありません。しかし、小学生に対する問いを大人に翻訳すれば、まあ(ウ)が最も近いということになるでしょう。表紙のタイトルがおもしろそうなものを選ぶというわけです。そこで、(ウ)に○をつけます。すると、私は×≠もらうことになるのです。正解≠ヘ、(イ)目次・前書き・後書きなどを読んで、選ぶようにします≠セからです。現に、手元にある解答用紙を書いた子どもの場合は、しっかりと×≠ェつけられています。ただし、いま目に見える回答は(イ)となっています。間違った回答を消しゴムで消して修正されているので、この子が最初に書いた記号はわかりません。いかがでしょうか。これはまた信じられないような事態です。この問題の前に見た物音≠フときと同じ、いやそれ以上に驚いてしまいます。もっと正確にはあきれた≠ニいう方が近いかもしれません。
自然体のかわいさ 2011/10/18 Tue -3172
 孫は目に入れても痛くない=Bオーバーな表現にもほどがある。私はずっとそう思っていた。ところがどうだろう。自分に孫ができると、目に入れっぱなし≠ノなった。もちろん、痛み≠ネんて、これっぽっちも感じない。ただし、このごろは近くのものが見えにくくなった…。孫の一人はいま1歳と10ヶ月である。私の娘、つまり孫から見ればおばさん≠ェかわいいシャツをプレゼントした。これは大正解だった。ピンクの生地にリュックサックがプリントされている。いかにもそれを背負っているように見えるのだ。とくに、よちよちと歩いて行く後ろ姿がかわいくてたまらない。もちろん、本人はここでおじいちゃんにかわいい歩き方をして喜ばせよう≠ネんて気持ちはこれっぽっちもない。これでまた何か買ってくれるぞーっ≠ネどと大人のようないじましい計算などするわけがない。そこに意図的なものがない、つまりは自然体だからこそかわいいのである。そんな精神状態をそのまま大人になっても維持していては、この世は生きていけない。だれもがそう思うだろう。たしかにその通りである。人生は甘くない。と、そうは思いながらも、できる限りそんな気持ちを忘れないでいたい。まことに青臭いが、私は自分がそうありたいと思っている。もちろん、いつもそのむずかしさを感じながらではあるが…。さて、とにもかくにも私は神無月に生まれた。そのせいで、あまり信仰心がないのかなあと思う。わが家にも一応は仏壇がある。私たち夫婦の両親4人の位牌が置かれている。いただき物やお土産はお供えする。ただし、私はそれを忘れたり怠ったりするから、家族から注意されることが多い。息子夫婦が来たときはちゃんとお参りする。孫もチーン≠ェ大好きだ。
神無月 2011/10/17 Mon -3171
 神無月は私の誕生月である。神様がみんな出雲に行ってしまうため、そのほかの地は神様が留守になる。だから、出雲の方は神在(かみあり)月≠ニなる。そのほかの説もあるというが、これが最もおもしろいし、そう思っている人が多いのではないか。ともあれ、そんな月に私は生まれた。その前年、母は私の兄か姉≠身ごもっていたが、流産してしまった。道雄、あなたにはお兄ちゃんがいたのよ=B子どものころ、そんな話を母から何回か聞いた。たしかお兄ちゃん≠ニ言っていた。水子が男だとわかるくらい育っていたのかどうか、今となっては確かめようもない。母は47歳で、いまでいえば医療過誤のために急逝した。もう48年も昔のことになる。父は19年前に亡くなった。その父の日記に、私の兄か姉≠流産したことが書かれていた。そこにも性別≠ヘ記されていない。あなたのお兄ちゃん≠ニいう、ほとんど記憶の彼方で薄れている母の顔と声を思い出しながら、私は少しばかり苦笑する。もし父母にとっての第一子が無事に生まれていたら、私がこの世に生まれてくることはなかったはずだから。そう思うと、せっかく生命を受けながら、この世を見ることができなかった私の兄か姉≠フためにもしっかり生きなければという気持ちになる。そうした運命的な事情は私が親になるときも起きた。われわれの第一子も、やはりこの世に生まれてくることができなかったのである。いまからすでに35年もの年月が経過している。そのとき、あの世に逝った子が男児だったか女児だったか、それはわからない。そして、父母の場合と同じように、翌年に男児が生まれた。そして、その息子は2人の子どもの親になって、私はおじいちゃんをエンジョイしている。
本を選ぶ話 2011/10/16 Sun-3170
 物音≠ノついて問うテストは教科書会社が作成しているもののようですが、もっとしっかり子どものこと、教育のことを考えてよと言いたくなります。教科書には執筆者がいます。ご自分が関わった教科書に関連したテスト教材までチェックすることはできないのでしょうし、その義務もないのだと思います。しかし、こうした現実を執筆者は知っていてもいいですよね。そして、こうした現実を認識したときは、こんな問題で○×はおかしい≠ニ指摘すべきでしょう。自分に聞こえるとおりに¥曹「た答えが×≠ノされては、子どもは混乱します。あるいは、大人が言うとおりに聞こえないといけない∞大人が期待するように答えないといけない=Bそんな気持ちを小学生のときから植え付けては大変です。学校教育では自ら学ぶ≠アとが強調されます。おとなの言うとおりにした方がいいなんてことを自ら学ぶ≠ナは、なんとも皮肉がすぎます。さて、くどいようですが、もう一つ例を挙げましょう。今度は小学5年生のテストです。関心/態度≠ニいう領域で、タイトルはあなたの考えを書いてみよう!≠ニなっています。その2問目に読書について、考えてみなさい≠ニいう問いがあります。そしてまずは、(1)図書館の本を借りるとき、あなたは、どのようにして本を決めることが多いですか。記号で答えなさい≠ゥらはじまります。選択肢が3つ準備されていて、(ア)五ページぐらいをじっくり読んで、選ぶようにします。(イ)目次・前書き・後書きなどを読んで、選ぶようにします。(ウ)表紙の絵がおもしろそうなものを選びます≠ェ並んでいます。みなさんは、どの選択肢に○をつけられますか。というよりも、いつもはどうされていますか。
過去の話? 2011/10/15 Sat-3169
 小学4年生のテストについて話を続けています。この話題はしばらく終わらない感じがします。そこで、これについて早めに確認しておいた方がいいことがあります。それは、このテストが現在のものではないということです。話題にしているテストは、1990年度の4年生に対して行われたテストなのです。いまから20年ほど前のものですから、さすがに現在ではこんなことはないのだろうと思います。また、そうあってほしいと願います。しかし、こうしたレベルのものが完全になくなったのかどうか。形を変えて、類似した、つまりは子どもの個性を打ち消すようなテストが残ってはいないのかどうかです。学校の先生方にはこうした点から、テストや教材をいつもチェックしていただきたいと思います。さて、そうした情報を押さえた上で続けます。夜空に広がる大輪の花火についても驚いてしまいます。あれはパーン≠ニ聞こえてはいけないのです。正解はバーン≠ナすから。たしかにビッグバン(Big Bang)≠ニいう言葉があります。宇宙で起きた最初の爆発で、これを口火にして宇宙が拡大し続けているという理論です。なかなか壮大で楽しい発想です。ここで爆発≠ヘバン≠ニなっているのですから、バーン≠ノちかい。しかし、それを言うならバーン≠カゃなくてバン≠ナすから、やっぱし違うじゃないですか。そして、風に林が揺れる。たしかにサワサワ≠ヘ林が揺れるにしては弱い。しかし、その程度の理由でサワサワ≠×にするなんて、いかがなものでしょう。このテストに関わる教科書のページが記載されていますが、その部分がどんな内容になっているのでしょうね。しかし、聞こえる物音に○×をつけるなんて、もうそれだけ驚いてしまいます。
正解の音 2011/10/14 Fri-3168
 昨日からの続きですが、風に揺れる林はザワザワ≠ニ音を立てないとまずいのですね。蛇口から漏れる水滴の音はポタポタ=A大輪の花火はバーン=Aそして風に揺れる林の音はザワザワ≠ナなければならない…。そして、ポトポト∞パーン∞サワサワ≠セと一刀両断にペケ(×)≠ネのです。これがある小学4年生のこくご≠フ答案用紙でした。さてさて、こうした事実をお聞きになって、皆さんはどう思われますか。私は信じられない≠フ一言です。自分の耳に聞こえるものの音がこうでなければいけない≠ネんてどうして言えるのでしょう。子どもの素朴な気持ちを代弁すれば、先生は私に聞こえる声が聞こえないのに、どうして×にするんだろう≠ニ疑問に思います。ひょっとして、私って耳がおかしいんだろうか≠ネんて考えてしまったら大変ですよね。もちろん、教師がそんなことを期待して教育しているはずがありません。まことに単純素朴なことですが、こうした現実を見ると、個性を尊重する≠ニいう、いわば教育の大事なポイントはないがしろにされている感じがします。それも、水滴をガッチャアーン≠ニかドカーン=Aはたまたプスーッ≠ネんて答えたのであれば、ちょっと感じがちがうよねえ≠ネどと声を掛けながら修正するでしょう。それなら、まあ、そうだよなあ≠ニ思います。しかし、なんと言ってもポタポタ≠ニポトポト≠ネんです。これで○をつけたり、×にしたりするのですから、その気持ちがわかりません。本音を言えば教師自身がこれでいいんだろうか≠ニ疑問に思うべきです。そのあたりはどうだったのでしょうか。もしも、そこには気づかなかったというのであれば、そのこと自身が大問題だと思います。
こくご≠フテスト 2011/10/13 Thu-3167
 ここに小学校4年生のこくご≠フテストがあります。言語≠ニいうタイトルがついていて、物音を表す言葉・会話文・漢字の書き≠ニいう説明があります。教科書(上)P.106〜109≠ニ明記されていますから、教科書に対応しているのです。その1問目はは物音を表す言葉を書いてみましょう≠ニなっています。まずは蛙が池に飛び込んでいるイラストというか漫画絵が描かれています。そう言えばテストの表題らしきところはまん画≠ニなっていますから、まさに漫画でしょう。それは〈れい〉として上げたものでポチャン$ウ解だとされています。さて、いよいよ問題ですが、3問あって、その@は水道の蛇口から水滴が漏れています。その次のAは空に大きな花火が大輪のように広がっています。そしてBは林に風が吹いています。それで木々がたわんでいるように見えます。けっこう強い風でしょうか…。ところでこのテストはすでに解答済みで、採点もされています。おやおや、この子は残念ながら3問ともペケ<}ークが付けられています。おそらく正解≠書かされたのでしょう、消しゴムで消した痕があり、それぞれ子どもの字でポタポタ∞バーン∞ザワザワ≠ニ書き直されているようです。それではこの子はどんな解答をしてペケ≠ノなったのでしょうか。まず@の蛇口はポトポト≠ナす。そしてA花火はパーン≠ニ書き、Bの風で揺れる林はサワサワ≠ナした。さてさて、皆さんはこの結果をどう思われますか。蛇口から落ちている水滴の音はポトポト≠ナはなくポタポタ≠ネのです。いや、そうでないといけないのです。なぜなら、ポトポト≠ヘペケ≠ネのですから。そして、花火はバーン≠ニ聞こえないと間違いなんです。
ヒーローインタビュー(?) 2011/10/12 Wed-3166
 支持者に囲まれた会合だとしても、自分の顔を見たくないなら法律を通せ≠ネんて発言は、とても公人のものとは思えなかった。すべての人間に自由があり、プライバシーは大事にしなければならない。だから、家庭の中でどんな発言をしても責任を取れとは言わない。しかし、ひとたび外に出てからは、その発言はもちろん一挙手一投足まで公人≠フものなのである。顔を見たくないなら法律を通せ≠ネんて、この人は国会や法律のことを何と考えているのかと驚き、あきれた。わが国における公人の中の公人が私的な冗談≠ネど、間違っても言ってはいけない。その意味では、プロの政治家だけでなく、一般人の常識から見てもかなりひどい人だったのだろう。それにしても、辞任後にマスコミ各社が独占(?)インタビューをしていた。福島第一原子力発電所への対応についても、彼がとった対応が唯一無二だったような内容だった。現場に出向いたのも、やむにやまれず≠フ選択だったらしい。東京電力からすべての人間を発電所から待避させたい≠ニ言われたというニュアンスだが、本当にそうなのか。私が見たり読んだりしたインタビューに限れば、ご本人の言いたい放題に任せていたようにみえた。そんなにやむを得ない対応だったのであれば、マスコミもその当時にしっかり分析してほしかった。これも私が得た情報の範囲内ではあるが、その当時は菅氏が現場にまで出て行ったことを否定的には伝えても、肯定的な評価はしていなかったと思う。それは、野党がそうした非難をしていた事実を伝えただけのことなのかもしれない。しかし、それならそれで、そのときに真実を究明してほしいものだ。そのときはボロクソ=A終わったらヒーロー≠ナは、混乱する。
市民感覚の評価失墜 2011/10/11 Tue-3165
 それにしても、菅さんが退いた後のすっきり≠オ過ぎた表情が印象的だった。就任以来、とくに3月の震災後の経過を見れば、あんなにすっきり♀轤ヘできないだろうと思ったが、辞めてしまえば笑うしかないということだろうか。しかし、とくに震災被災地はもちろん、そして沖縄の人々もそうだろうが、国民の方はとてもあんな顔をしてはいられない。経済が失速してから、失われた10年だ、いや20年だのと言われているが、この間も失われた2年≠セった。一体全体、政権交代とは何だったのか。そういえば、その前の人も相当にひどかった。マスコミ情報では、政治家を辞める≠ニ公言したらしいのだが、どうも物忘れ≠ェひどい方のようだ。人に嘘を言ってはいけません≠ネんて宣う方が嘘を言ってはいけない≠フです。それならその前の政権が良かったかというと、これまた怪しい。とにかく二進も三進もいかない状況が続いている。ところで、菅氏が責められるべきことはワンサカあるが、その一つは市民運動≠貶めたことだ。プロの政治家と言うべきか、あるいは政治屋さんというべきか、そうした人たちからこれだから素人はやってられない≠ネどと言われてしまった。政治はその代表だが、検察や裁判などを含めた権力側が人の心≠理解していない。そんな思いから、市民的感覚≠大事にする社会をつくることが期待されていたはずだ。それなのに、プロからありゃあだめだ≠ニ言われ、一般人も市民運動はやっぱりだめなんかなあ≠ニ思ってしまう。そんな状況を彼はつくり出してしまった。しかも内輪の会合になると我を忘れてしまう。ご本人は受けを狙った冗談のつもりだろうが、自分の顔を見たくないなら、法律を通せ≠ネどと叫ぶ。
お遍路の菅氏は… 2011/10/10 Mon-3164
 菅直人氏が四国八十八箇所≠巡礼しているニュースが流れた。そもそも、四国でお遍路さんが巡礼するということは、ことばだけでは知っている。しかし、その歴史的な意味などはまるでわかっていない。総理大臣を辞めるとただの人≠ニいうことで、その後どうなったか知らない。これは菅氏に限ったことではない。自民党最後の麻生氏も、その前の福田氏も、さらにその前の安部氏も、いまどんな感じなのかまるで情報がない。安部氏がチラチラとニュースに顔を出しているくらいか。それでも、何の話題でそうなったのかまったく記憶に残っていない。日本の政治を動かす人として、毎日のように報道され、その一挙手一投足が記事になる。何人いるのか知らないが、周りには屈強なSPが取り囲んで自分を守ってくれる。これほど気分のいいことはないだろう。そんな状況にいれば自分が偉くなったと思っても仕方がない。だからこそ、その気持ちいい特典≠捨てるのは忍びない。そこで可能な限り粘りたくなるのだろう。それだけではない。ここまでくれば歴史に残りたい≠ニいう思いにも駆られるに違いない。しかし、それは大いに危険なのだ。ただそのためだけ≠ノパフォーマンスをしようと思いはじめるからである。それはポピュリズム≠ノも繋がる。国のトップには長期的な展望をもって時代を読む力が求められる。政策が、頻繁に行われる世論調査≠フ結果に拠ればいいのなら、政府などいらない。あるいは、一国の首相はだれにでもできる。国民の声≠ノ従うだけでいいのだから。日本相撲協会がトラブって、大相撲の開催が問題になったとき、やめろ≠フ声が大きかった。それもあってか、中止を決定すると、今度はやめるな≠ェ多くなったという。
秋の運動会 2011/10/09 Sun-3163
 われわれが子どものころ、運動会≠ヘ秋≠ノ決まっていた。それが時代とともに春の運動会≠ェ増えてきた。これにはいろいろな理由があるようだが、もっとも大きいのは暑さ≠轤オい。運動会を10月に設定すると、新学期が始まってまもなく練習となる。ところが、9月はまだ暑くて、今年も熱射病患者が出るくらいである。これも温暖化の影響ということになるか。その点、春先ならば気温は問題にしなくていい。それに新入生も含めた対人関係づくりに役立つというメリットもあるというわけだ。そもそも体育の日≠ェ10月に決められたのは、この日が1964年に開催された東京オリンピックの開会式だったからである。雲一つない秋空≠アそが運動の秋≠轤オかった。あわせて天高く馬肥ゆる秋≠ネんていう。ただし、中国では敵が馬に乗って万里の長城を越えて襲ってくる≠ニいう予言だった。すがすがしい≠フではなく困ったこと≠セったわけだ。しかし、日本では空も澄み渡った素晴らしい季節が秋であった。そうそう、食欲の秋≠ニもいう。そんな秋空のものと、わが孫の運動会があった。昨年は午前中に大学の講座を担当していたので、午後から出かけたが、今年は朝からフル参加≠オた。天気は100点満点の青空だったが、そのかわり日差しがきつい、きつい。おじいちゃん参加イベントなんぞに出て走ったわけでもないのに、どっさり疲れた。それにしても、このごろはビデオとカメラ撮りがすごい。私は昔から映像好きで、息子が生まれるとき、1ヶ月分の給料をはたいて8mm撮影機を買った。さらに映写機はその倍くらいしたかと思う。そんなわけで撮影はほとんど独擅場だった。時代が変わったことを痛感しながら、とにかく早めに寝た。
記憶の断層 2011/10/08 Sat-3162
 毎日の天気予報を機械的に聞いているときは、けっこう当たっている≠フだと思う。そして、何かがあるときは意識して予報≠見る。それが当たればやっぱり当たった≠ナ物語は収束する。その天気が自分にとって望ましいものであっても、そうでなくても、とにかくそれでおしまい≠ナある。しかし、予報がはずれると、当たらなかった≠アとが頭の中に定着する。幸いにも当たらなかったのでよかった≠ニきも、まずいことになったとき≠焉Aとにかくはずれた≠アとが残るのである。そして、そうした記憶の痕が地層のように積み重なっていって、天気予報は当たらない≠ニいう思いの丘ができる。そもそも人の成功よりも失敗の方が話題になりやすい。それは自分の優越感をくすぐるから、人の会話ではほめる∞賞賛≠キるよりもけなす∞批判する≠烽フの方が多いのではないか。とまあ、そんな推測をしている。それはおまえさんの根性がゆがんでるからだ≠ニおっしゃいますか?いずれにしても、予報が当たらない≠ニいうのも、かなり主観性≠ェ効いていることは疑いない。かくして、主観的な確率≠ェ人の行動にも影響を及ぼすのである。その点、宝くじなどはどうなんだろうか。中学校の3年生のときだったか、期待値≠ネるものを学習した。その際に宝くじがトピックとして取り上げられていた記憶がある。発売枚数と1枚の値段を掛けて売り上げ総額を出す。いまここで細かい計算式は思い浮かばないが、売り上げと賞金の合計を比較して、1枚あたりの期待値≠計算した。するとたとえば1枚あたり300円の宝くじの期待価格は30円になるといった結果が出る。一般的には、30円だとわかっているものに300円を払う者はいない。
主観性の壁 2011/10/07 Fri-3161
 人間の行動を予測する際に最大の壁になるのが主観性≠ナある。そもそも人の行動は、サイコロの目の出現率のように客観的な確率が計算できない。だから、人によって、あることが起きる確率に主観性≠ェ生まれる。また、仮にまずいこと≠ェ起きる確率が厳密に提示されたとしても、その評価≠ノ主観性≠ェ影響を及ぼす。少しでも危険性があれば、何とかしないといけない≠ニ深刻に受け止める人たちがいる。その一方で、そのくらいなら気にしなくてもいいんじゃない≠ニ軽く見る人々もいるのである。一般的に、組織は異なる評価をする人間から構成されている。もちろん、その幅は様々だから、評価がけっこう一致している¢g織もあれば、てんでんばらばら≠ニいうところもある。それをある程度の範囲内に収束させるのがリーダーである。あるいは、特定のリーダーがいなくても、時間とともにメンバーたちの行動が一定の水準に落ち着いていく。これが集団規範≠ナある。組織に所属している限り、そこにある規範に多かれ少なかれ影響される。そらから極端に外れた行動や思考方法をとると、みんなから疎外される。仲間はずれである。さらに深刻な場合は、排斥や除名などの形で集団のメンバーでいることができなくなる。いずれにしても、主観性≠ヘ、考える力をもった人間の特徴である。だから行動の予測がきわめて難しくなる。まったく意思を持たない自然現象である天気ですら、その予報には当たり外れがある。天候は地球上で起きる物理的な現象の集合体である。だから、その個々の事象については、かなり厳密なレベルでそれが生起する確率が計算されているはずである。しかし、それでも利用する立場から見れば、けっこうはずれる=B
安全行動の決定要因 2011/10/06 Thu-3160 Continued from 10/04
 
遺伝子は繰り返しコピーをしながら再生する。あるいは、時間を越えてそれを伝えていく。しかし、その過程でコピーミスが起こる可能性があることは容易に想像できる。完全に同じ工程が完璧に繰り返されるとすれば、変化はまったく起きない。それなら、いわゆる進化も起こりえなかったことになる。素人だから、進化論の本質的なところはまったく知らない。しかし、そうしたコピーミスの結果が、与えられた環境の中でより適応的であれば、それが強みとして残っていくことになる。まことに勝手なことで、そのときはミス≠ニ呼ばずに適応≠ニいったりするのかもしれない。いずれにしても、この世に絶対≠ヘない。そこで確率≠ェ問題になってくる。まずいことが起きる確率が高ければ、人はそれを避けようとする。しかし、人の行動に影響を与えるのは確率≠セけではない。生起するまずいこと∞困ったこと≠フ重大性である。あるいは深刻さだ。そのことで人命が失われるようであれば、深刻度≠ヘ最大になる。さらに、それを避けるために必要になるコスト≠焉Aやはり人の行動を決める際に大きな役割を果たす。生起確率∞深刻度∞コスト≠フ3つが、安全な行動を実現する重要な要因だと考えていいだろう。これらを生起確率=~深刻度=~コスト≠ニ単純に掛け合わせるだけでは、人の行動予測にはならない。しかし、ここで現実のデータを収集して、もう少し緻密な予測式をつくれないものか。どんなに深刻な事態でも、それが起きる確率≠ェ0≠ナあれば、だれも安全のための手立てを取るはずがない。ただし、この確率≠ヘ客観的というよりも個々人の主観に依存するところが大きい。いわゆる主観的確率≠ニいうことである。
大転換の兆し 2011/10/05 Wed-3159
 あのときが転機だった=Bそう振り返る日が来るような予感がする。これまでの世界システムが根本から変わろうとしている。私にとっては、アラブの春≠ヘ驚きだった。あのエジプトが、あのリビアが多数の国民の力でそれまでの体制が崩壊した。私がド素人で、彼の国々の状況を知らないから驚いただけなのだろうか。しかし、専門家だってこの状況を予測していたという話は聞いたことがない。ともあれ、その基本はインターネットらしい。これまでのメディアの情報とは別の流れである。それは規模の大小を問題にしなければ、すでに中国でも発生している。だからこそ、国家は情報管理に神経をとがらすことになる。そして、ついにその流れがアメリカ合衆国にまで広がった。それもだれもが世界経済の中心地として認める、ニューヨークのマンハッタン、ウォール街でデモが発生したのである。これもインターネットによる発信で人々が集まったのだ。デモの拠点になっている公園では、コンピュータで情報を発信し続けているという。スローガンはOccupy Wall Street(ウォールストリートを占拠せよ)≠ナある。詳細はわからないが、かなりの若者が集結したようだ。写真で見ると、本格的な新聞に見えるOccupied Wall Street Journal≠ワでも発刊されている。あの有名な経済誌Wall Street Journal≠フもじりである。この動きがどこまで進行するするかわからないが、もはや超大国アメリカでさえ安定を欠く状況が生まれつつある。超大国へまっしぐらの中国にしても同じ問題を抱えている。貧富の差である。国家の危機、そしてジャーナリズムの危機…。私はいつの日か、わが国でもついには暴動が発生するのではないかと本気で心配している。
ミス 2011/10/04 Tue-3158
 人間だけでなく、生きとし生けるものは、生きているが故に<~スをする。それは意思≠伴う生き物だけの話ではない。ここでミス≠ニいうことばを使うと誤解を生じるかもしれない。そこに意思≠ェ絡んでいるようなニュアンスがあるからだ。つまりは、何かをしようとして失敗した≠ニいう感じだ。しかし、たとえば突然変異≠ヘ意思≠フない生物でも起きる。これは厳密な科学としてはミス≠ニ呼んではいけないのかもしれない。遺伝子の性質や量に変化が生じること≠ナあり、ゲノム突然変異、染色体突然変異、遺伝子突然変異の3つに分けられる=i電子版マイペディア 以下の引用も同じ)。そのうち、遺伝子突然変異は自然状態でも1遺伝子について10-6〜10-9 の頻度で生じ≠驍ニいう。それはDNA塩基配列の変化などによるもの≠ナある。ここでは頻度≠ニ書かれているが、これは確率≠ニ読み替えていいのだろう。この数値をどう評価するかだが、100万分の1〜10億分の1ということである。化学についてはまるで素人だから何とも言えないが、これは自然界の現象としてはそれほど低い数値ではないと推測する。私の理解知するところでは、すべての細胞に遺伝子が組み込まれているのだから、一人の人間だけでも概算60兆個もあるという(理化学研究所HP)。いまこの地球上で生きている人間はほぼ70億だと推計されている。それだけでも天文学的数値でも間に合わないほどの膨大な数になる。そのすべて≠ナ突然変異≠ェ起きる可能性があるのかどうか知らないが、とにかくほとんどない≠謔閧熈けっこうある≠ニ考えていいのではないか。素人レベルでは、ガン≠ヘ細胞が分裂する際のミス≠ェ原因だと聞いている。
スピードダウンの理由考 2011/10/03 Mon-3157
 九州新幹線の博多駅近くでスピードがダウンする理由を考えてみた。もちろん、私の勝手な推測である。チャンスがあったらJR九州に確認してみたいなと思う。それは、山陽新幹線の車両基地に関わっている。その基地は博多駅から9kmほど南にある。福岡ではだれでも知っていると思うが、博多南線と呼ばれる9.2kmの路線がある。これは在来線≠ネのだが、乗客は新幹線車両に乗る。行き先は博多南≠ナ、福岡近郊区間≠ノ含まれているから、遠距離からの切符だとそれで終点≠ワで乗れるはずだ。何のことなない、ターミナルの博多まで来た新幹線の車両が南にある基地まで回送されるのだが、そのついでに客を乗せようというアイディアである。つまりは普通運賃で新幹線車両に乗れるのだから、かなりおもしろい。それはともあれ、ここからが私の推測だ。当然のことながら博多までは新幹線として正規の工事をした。しかし、その先は車両基地への回送線である。そこで、強度や何やらのレベルをそれなりのものにしたのではないか。わずか9kmとはいえ、フルスピードで走る規格にすればかなりのコスト高になるからだ。それから36年ほど経って、九州新幹線が走りはじめた。しかし、列車がそのまま時速200kmを越えるスピードで走ると支障が出る…。とまあ、そんなわけで速度は落ちるのではないかと推測している。熊本から博多まで最速で33分だが、ここを速く走れれば、さらに所要時間が短縮されるのではないかと思う。とにかく速ければいいという時代ではない。騒音問題も考えなければならない。それは十二分にわかっているつもりなのだが、明らかにスピードダウン≠オたとしか思えない区間がかなり長いのには、少しばかり欲求不満を感じてます。
新幹線のスピード 2011/10/02 Sun-3156
 新幹線がフルスピードにならない区間はJR東日本でもあるようだ。さすがに利用する機会が少ないが、東北新幹線が発車してしばらくの間である。東京駅から上野までは近距離だから全速力というわけにはいかない。上野を出ると次の駅は埼玉県の大宮だが、そこまでは30km近くの距離がある。しかし、しばらくはフルスピードにならない感じがする。これは都心ではないから他の理由があるのだろうと推測する。あるいは騒音の問題で地域との約束事があるのか、それとも地盤の状況などが関係しているのだろうか。とにかく自己中心的にスピード感≠味わいながら、勝手に解釈して楽しんでいる。さて、九州新幹線に戻るが、博多駅のかなり前からスピードがダウンする感じがある。じつは、博多発で熊本に向かう場合も同じ体験をする。新幹線は加速がすごくて、発車するとすでに駅のホームで相当なスピードになっている。その昔、蒸気機関車が主流だった時代は、汽車の窓からハンケチ振れば≠ネんて歌詞の流行歌もあった。発車の際も窓を開けてさよなら≠キる。それどころか握手までできたのである。列車が動き出すと送る人たちも、歩きながらそれに着いていく。そして、少しずつスピードがアップしていく。子どもや若者たちのなかには、それでも走って手を振る光景だってあり得た。そしていよいよ人の足では追いつかなくなって、本当にさよならするのだった。まさに古き良き時代の思い出である。それがいまでは発車してすぐに人の足では着いていけなくなるのである。ところが、博多を出てからやはりしばらくの間は十分にスピードが上がらないように感じる。その区間が博多駅に向かう際の間もなく博多駅≠ニいうアナウンスがあるところくらいまでなのだ。
まもなく博多駅に… 2011/10/01 Sat-3155
 博多駅で地下鉄に乗るとわずか5分で福岡空港まで到達する。これは間違いなく世界で最も都心に近い空港であるに違いない。日本の鉄道だから基本的には定時制が確保されている。熊本からでも新幹線と併せて時間が読めるのである。これは強い。とまあ、福岡空港までの話になったが、ここで新幹線ネタに戻ることにしよう。じつは、熊本から博多に向かうと、博多に着くかなり前からはっきりスピードが落ちる。少なくとも私の体感ではそうである。そして間もなく博多≠ニいう車内アナウンスが到着の5分以上前からはじまる。東海道新幹線も含めて他の駅だと3分くらい前ではないかと思う。このネタを書くために、あらかじめ細かくチェックしておけばよかったが、それは次の課題にしておこう。今日のところは私の記憶だけで話を進めよう。ともあれ、停車駅のアナウンスがあってからはスピードが落ちてくる。もうすぐ駅に止まるのだから当然である。しかし、これまた私の感覚だが、アナウンスがあった時点ではそれほどスピードがダウンしているようには思えない。これに対して、博多駅の場合はアナウンスの時点ですでに体感的にはスピードが落ちている。そんな状況で車内放送が流れるのである。だから、スピードがダウンしたのは駅が近づいてきたからですよ′セっているようにも聞こえる。このスピードを抑えた感覚はほかのところでも体験する。たとえば東京から品川間の東海道新幹線である。おそらく都心だからカーブなども多く、またやがて品川に止まるのでフルスピードを出さないのだろうと勝手に解釈している。継ぎ目なしのレールでゴトンゴトン≠ニいう音が聞こえない新幹線だが、この区間はそれが聞こえたと思う。これまた私の記憶ではあるが…。