新幹線効果 2011/09/30 Fri-3154
九州新幹線が3月11日に開業してから、けっこう利用している。ただし、現在の最長距離は鹿児島中央駅まで。そして、一般的には博多までだ。まだ博多より遠くまで乗ったことがない。大阪は航空機と競争になっている。最も速いみずほ≠セと、熊本と新大阪が2時間59分である。航空機と戦えるのが3時間ということらしい。それを1分切ったわけだ。ただ私自身はその後も飛行機を使っている。自宅を同じ時間に出たらどうなるかを飛行機に乗って確かめてみた。JRの場合は熊本駅までタクシーが要する時間を入れると、あとは大阪駅までは時刻表で比較できる。その結果、梅田のホテルまでだと飛行機の方が20分ほど早く着く計算になった。私は長い時間じっとしていることができないので、やはり3時間は長い。そんなわけで、いまのところ大阪は飛行機を選択している。もちろん、ものは試しだから、近いうちに新大阪/熊本を最速で走るみずほ≠ノ乗ろうかとは思う。航空会社側も大阪便については価格を下げて便数を増やすなどしている。その効果もあってか、全日空の公式見解では、新幹線の影響は少ないとしている。ただ、熊本空港に関しては少しばかり事情が違うのではないか。というのは、私自身がこれまでとは違って福岡空港を使うケースが出てきたからだ。それは新幹線効果なのである。これまで在来線の特急だと、熊本から博多まで1時間20分はかかっていた。特急とは言うものの、停車駅がけっこう多かったのである。それが最速33分のみずほ≠ヘ1日に数本だが、さくら≠ェ40分弱で博多まで走る。これで、福岡空港までの物理的・心理的距離が一気に縮まったのである。博多駅から福岡空港までは地下鉄で2駅目、あっという間に到着するのだ。 |
田原坂の丘から 2011/09/29 Thu-3153
とうとう夢に見た≠ニまではいかないが、田原坂≠ヨやってきた。資料館があって、入場料は210円と超破格だ。しかも、熊本と鹿児島だったか、その市民だと65歳以上は無料なのだそうな。西南の役≠ヘ鹿児島なくしては語れない。その資料館も、入場料から想像するよりはるかに充実している。ほんのちょっとグルリというのではなく、けっこう広かった。なんと1日で32万発もの銃弾が飛び交ったという。そのため、両軍の弾がぶつかり合ってつぶれている残骸まであった。これをかちあい弾≠ニいうのだそうな。それにしても、あの当時にそんなに弾を使うなんて、信じられいような話だ。国全体としては、ろくにご飯が食べられない人たちがたくさんいたと思われる。しかし、戦争とはそんなことはお構いなしに金を使うものなのだ。それよりもなによりも、戦死者の数が膨大なのである。いわゆる官軍が6,900名を下らず、薩軍は7,100名を上回るという。これが17日間の攻防の結果だから、言葉を失ってしまう。テラスに出ると鹿児島線が見えた。ちょうどローカル電車が走っていった。田原坂≠フ戦いと言うけれど、戦場はかなり広くて、鹿児島線を挟んだ向こう側≠ナも官軍と薩軍が対峙していたことも知った。資料館には、あの松本清張の小説で有名になった西郷札≠燗W示されていた。丘の上からは遠く有明海があり、長洲にあるユニバーサル造船のクレーンが見えた。いまは合併したが、ここは日立造船の有明造船所で100万トンドックを誇っていた。私は20代に、当時(財)集団力学研究所の副所長でいらっしゃった高禎助氏に連れられて堺工場のリーダーシップ・トレーニングに通った。会場は和歌山にあった保養所だったが、田原坂でその思い出が重なった。 |
田原坂到着 2011/09/28 Wed-3152
ということで、熊本に来て初めて%c原坂に出かけることにした。植木町と合併したから、田原坂は熊本市である。国道3号線から左折して鹿南中学校を左に見ながら進む。ところが、行けども行けどもそれらしきところに達しない。少なくとも気分的にはまだかいな≠ニいう感じだ。何のことはない、私がすぐそこだ≠ニ勝手に思い込んでいただけのことである。そしてかなり入り込んだと思ったときに、駐車場≠フ看板がちらりと見えた。早く行きたいという気持ちが先行していたため、あっ≠ニ思ったときにはかなり進んでいた。家内も同時に駐車場があったんじゃないの≠ニ聴いてきた。そんなわけでUターンできるところまで行こうと、少しだけ先まで行くとちょっとした駐車場らしき場所があった。ここで物品の販売はできません≠ニいう熊本市の看板が何枚か立っている。左には田原坂≠ニいう指標もあった。ほんの少し前に見た駐車場のサインは何だったのだろうか。とまあ、そんなことを思いながらも車を止めた。そこは間違いなく田原坂だった。その壮絶な戦いの状況を記した大きな碑が経っていた。官軍側から見た経緯が書かれている。わが国で起きた歴史上最後の内戦西南の役≠フ大きな山場が、この田原坂≠フ戦いである。ところで、せいなんのえき≠ニ入力したら済南の駅≠ェ出てきた。わが国の歴史の中でも重要な位置づけにあると思われる西南の役≠ェ、いの一番に変換されなかったのである。これには軽ーいショックを感じた。しかし、偉そうなことは言えない。私だって近代の歴史なんぞろくに知らない。それに30年以上も熊本に住んでいて田原坂≠ノ初めて足を向けたのである。まあそれはともあれ、ついに田原坂≠ネのだ。 |
田原坂への道 2011/09/27 Tue-3151
熊本に来て30年以上も経つのに、田原坂に行っていない=Bそうなのである。まずは鹿児島線の特急が田原坂付近を通過するとき、車内放送で田原坂≠紹介していた。上り列車だと右側、山というか丘というか、その斜面に田原坂≠ニ書かれた大きな文字版が設置されている。ここを30年以上にわたって通過していた。乗り降りしたことはないが、鹿児島線には田原坂≠ニいう駅もある。この春に九州新幹線が全通したため、在来線の特急はすべて廃止された。そして、新幹線は田原坂あたりはトンネルを通り抜けるから、車窓から眺めることはできなくなった。もう一つは国道3号線である。こちらは熊本から玉名や大牟田に行くときに通る。玉名あたりまでは教育関係の仕事で以前から行き来している。つい先だっては、大牟田にある高校に出かけることもあった。その道すがら、熊本を背にして左側に折れる国道208号線の入り口に田原坂≠フ看板がある。じつは、この道を入ってまもなくのところに熊本市立鹿南中学校がある。あの長距離で知られた松野明美選手の出身校である。その中学校までは研究会で出かけたことがある。私が仕事にしているリーダーシップ・トレーニングのうち、教師を対象にしたものは鹿南中学校での研修からはじまった。その208号線をもっと先に走れば田原坂であることは、昔から知っていたのである。もう一つ、県道31号線がある。こちらは上熊本駅から鹿児島線に沿いながら北上し、田原坂の文字版の横を通る。そのまま進んで玉名に行く。私の本拠地は上熊本に近いため、玉名で仕事があるときはこの県道を走ることになる。そして、やっぱり例の文字版付近を通るときはいつも思っていた。田原坂に行ったことがないなあ…=B |
| 9月24日(土) 17:00 から 26日(月) 9:00まで 大学が点検停電のためアクセスできませんでした。 |
植木温泉へ 2011/09/26 Mon-3150
旧植木町は熊本市と合併した。来年には政令指定都市の熊本市が誕生する。全国で20番目である。九州では1963年に、門司・小倉・戸畑・八幡・若松の5市が合併して北九州市ができた。このときは、関東・関西・中部の三大都市圏以外では初めての指定だった。北九州工業地帯は日本の四大工業地帯の一つだったから、自然の流れだったのだろう。それにしても5つの市が隣接していたのはここだけではなかったかと思う。それから9年後の1972年に福岡市が指定都市になった。そして、40年を経て、九州で3番目の政令指定都市として熊本市がスタートすることになった。現在の人口は73.5万人ほどである。その新しく加わった植木町だが、近場の温泉にもかかわらず、これまで一度も行ったことがなかった。もちろん、仕事としては地元の小中学校や教育委員会主催の会合などに出ていた。映画ライフ≠ノ登場した地獄谷の猿に刺激を受けたわけではないのだが、とにかく初めて出かけたのである。お湯を浴びた瞬間につるり≠ニ滑るような触感がした。湯温も41度程度で、私にとってはちょうどいい感じ。ゆったり入って楽しんだ。じつは前の週には下関で温泉に入った。これも関門橋を眺めながらの湯でまことによかった。ただし、節電で橋のイルミネーションは消えていた。日本人は温泉ですなあ。どこに行っても温泉ありの天国だ。うちで風呂に入るときは、カラスの水浴び≠ニいうのだろうか、滞在時間は短い方だろう。湯船につかって鼻歌なんて感じではない。ところが温泉となると気持ちもゆったりして、時間もけっこう経過する。植木の温泉につかりながらふと頭に浮かんだ。そう言えば、熊本に来て30年以上も経つというのに田原坂に行ってないなあ…=B |
ライフ 2011/09/25 Sun-3149
映画ライフ≠観に行った。サブタイトルはいのちをつなぐ物語=BイギリスのBBCの製作ということだが、とにかく素晴らしかった。もともとはシネコンでの予告編を見たときから行くと決めていた。私は一応映画好き≠ニいうことになっている。これで今年は13本目になった。目標は30本にしているが、そこまではなかなか到達できない。さて、ライフ≠セが、とにかく素晴らしかった。始めから終わりまで動物の物語だ。はじまって2番目の動物として日本の猿が出てきたのには驚いた。長野県にある地獄谷≠フ猿だ。ずいぶん昔のことだが、温泉につかって気持ちよさそうにしている猿を主役にした生命保険会社のCMがあった。まさに人間並のゆったりした顔はユーモラスで、なおかつほほえましいことこの上なかった。しかしその一方で、猿たちの世界にはすごい掟があることを初めて知った。あの温かい湯につかることができるのは限られた一族だったのである。そのメンバーであれば、それこそ赤ん坊でも温泉を楽しめる。しかし、華麗なる部族に所属していないと、凍えるような雪の中で寒さに震えるしかないのである。部外者が入ろうとすると暴力的に追い出される光景もカメラで捉えられていた。この国には一億総中流≠ニ言われる時代があった。もちろん、格差は厳然として存在していたが、それでも多くの人間がまあまあ≠セと思えていたころである。いまやそれも昔話、格差社会≠ェ現実のものになっている。われわれは人間である。猿と同じ、この世は厳しい≠ネんて言っていたら猿まで退化したことになる。映画を見終えてから植木温泉に行った。熊本に来てから32年というのに、植木温泉は初めてだったが、いい湯をゆっくり楽しんだ。 |
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お墓の前で 2011/09/24 Sat-3148
秋のお墓参りは厳しい暑さと渋滞を避けることができる。ありがたいことに、天気予報がはずれて雨にも遭わなかった。年長の孫は5歳になるから、お墓に水をかけ手を合わせることができる。ただし、お墓をつくる石屋さんの話では、とくに暑い時期に水をかけると石に悪いそうだ。なるほどそうだろうと思う。しかし、孫は体と比較するとかなり大きめのひしゃくをもってきている。お墓の入り口にある事務所にバケツとひしゃくが置いてあるのだ。バケツには井戸から水を汲んで入れる。その際にポンプを使うのだが、これがまた子どもにはおもしろい。私自身が小さいころからしてきたことを、いまは孫が一生懸命にしている。あのころは父も母もいた。祖母や叔父や叔母などと大勢で参ったこともある。いつの日かみんなこの中に入るんだ=Bはっきり意識したわけではないが、手を合わせながらそんなことを思った。もちろん実感はなかった。それからずいぶんと時間が経った。そして、いまでは父も母もお墓の中にいる。少しばかり早く亡くなった従兄もいる。私の姿と孫が重なって見える…。そのときバッタが飛んできた。ちょっと掴んでみる。ああ、それができるようになったんだあと思う。はっきりした記憶はないが、上の子は多くの場合が慎重派だ。親も心配して危険なことなどはさせない。そんな気持ちが伝わって、臆病にもなる。高いところに登ったり、虫を掴んだりするのを怖がったりもする。その点、下の子は神経が太くなる傾向がある。なんと言っても目の前にお兄ちゃんやお姉ちゃんというモデルがいる。とにかくその真似をしていればいい。その方がおもしろいに決まってる。親の方も第一子でいろんな経験をして成長しているから、あまり神経質にならない。 |
台風と地震と行動と… 2011/09/23 Fri-3147
スーパーコンピュータや気象衛星を駆使しても、天気予報はなかなか当たらない。もちろん、人は自分が気になる≠ニきだけ天気予報を評価するから、そこで外れると、当たらない≠ニ思ってしまう。今回の台風15号については、静岡あたりから東京までのコースをしっかり当てた≠ニいっていい。しかし、その15号もはじめのころの迷走については、そのあとでの説明は納得できるが、事前には予測ができたとは言いがたい。台風のふるまいは完璧に物理的な影響を受けているわけで、そこに意思≠ヘ介在していない。それでも温度や空気の動き、さらにそれが行き交う地形など、とにかく様々な要因があって、正確な予測はきわめてむずかしいのである。このように、物理的現象≠ナも日常生活≠ノ近くなると、どうなるかわからない部分が出てくるのである。さらに調子に乗って言うなら、地震学≠セって、その予測力については、はなはだ危うい。専門家は素人からそんなこと言われると頭に来るだろうが、現実を見ればそれほど激しい反論はないと推測する。そんなわけで、私としては、だから、人の行動≠予測するなんて、はじめから不可能だと思った方がいい≠ニ言いたいのである。何分にも自然物と違って、人間には意思≠ニいうややこしいものが付いている。しかし、それはそうとして、私は心理学≠仕事にしていることになっている。その当事者がそんなこと言っちゃあおしまいになる。それはそうなのだが、私はそれで平気でいる。普遍的≠ネ行動の法則など発見できなくてもけっこうだ。それよりも、様々な組織やそこで生きている一人ひとりがよかった≠ニ喜んでもらえる働きかけができれば、それ以上に求めるものなんぞありゃしない。 |
雨の墓参? 2011/09/22 Thu-3146
今年も連休に墓参りにいった。お彼岸より1週間前になった。やや距離があるので1泊2日の計画で、お墓参りが終わったあとは下関に泊まる計画を立てた。そんなとき、台風が発生した。このごろは、遠く南方海上≠ナ熱帯低気圧が発生し、それが台風になるというストーリーでなくなってきた。沖縄からそれほど遠くないところで突然¢苺翌ェ出現する。そんな感じである。これも地球の温暖化なのか、わが国が亜熱帯地域になってきた証なのかわからないが、とにかく今回も15号が発生したのである。予報では西の中国大陸に向かいそうだったので、北部九州への直撃はないと思った。しかし、予定している2日とも雨である。私の記憶には、傘を差してお墓参りしたという光景は残っていない。ほんの少しパラパラだったことくらいはあるのだろうが、とにかく憶えていない。これが台風がらみの雨ともなれば風も吹くだろう。横殴りの雨の中というのはまずいまずい。まだ1歳と9ヶ月の孫もいるので、びしょ濡れではこまってしまう。しかし、台風が直撃するわけでもないから宿泊の予約をキャンセルするほどのことはない。ということで、雨の墓参り≠覚悟してわが家を出かけた。しかし、結論から言うと、お墓では雨の一滴も降らなかった。このところ台風で大変な被害が出ている地方があるので、自分たちだけ喜ぶわけにはいかないが、とにかく無事に墓参りを済ませることができたのである。それにしても天気予報官も頭が痛いことだろう。あくまで結果論ではあるが、当事者たちから見るとほとんど当たっていない。これは今月初めの台風12号のときもそうだった。はじめは関東直撃だったのが、結局は四国から関西方面を通り抜けるコースになってしまった。 |
お墓参り 2011/09/21 Wed-3145
夏の墓参りは暑すぎる。わが家のお墓は福岡県の北九州市と豊前市にある。ずっとお盆の墓参りを続けてきたが、昨年から時期をずらすことにした。とにかく暑いからだ。それに、いわゆるお盆のラッシュ時である。熊本から北九州までは帰省の流れと逆方向だから、それほど混雑してはいない。しかし、そこから豊前までは国道10号線を下るから、帰省ラッシュと同じ流れになる。だから時間はけっこうかかる。まあ、そんなこんなで墓参りは暑さも和らぐ秋口、具体的には9月のお彼岸前後にしようということになった。これがなかなかいい。なんと言っても秋の始まりで朝晩はひんやりとする時期になる。もっとも、今年は全国的に残暑が厳しく熱中症も発生したようだが、それでも真夏よりは過ごしやすい。秋の観光シーズンとはいえ、道路だってスムーズに走れる。わが家は息子も娘も祖父母に親近感を持っている。私の母は47歳で亡くなったため、子どもたちは知らない。父の方は長男が中学生、長女が小学生のときまで健在だった。葬儀の時に息子が涙を流していたことが印象的だった。娘はまだおじいちゃんの死を十分に理解できない様子だった。息子を見た人から本当におじいちゃんが好きだったんだね≠ニ言われた。その後、家内の父は90歳を超えるまで元気に過ごした。そして、母も85歳の人生を全うした。このときは子どもたちも大きくなっていたから、その死を冷静に受け止めていた。息子は結婚したが、夫婦で墓参りをちゃんとし続けてくれている。子どもも小さいし、豊前の方は遠いから行かなくていいと伝えても、孫がはじめてだから≠ネどと言いながら墓参りをしてくれている。娘の方も祖父母が暮らした福岡県の行橋市に一人で出かけたりもしている。 |
謝り方を教える 2011/09/20 Tue-3144
末代の恥≠セといっても、それがよほど大きなことでない限り大多数の人は忘れてくれる。しかし、だからといって自分の間違いを誤魔化してもいい≠ニいうことにはならない。それは、本人の心の中ではあのとき自分は間違いをして言い逃れをしたという事実は消えないからである。そうした気持ちの悪さ≠一生に渡って自分だけで背負っていくことになる。自分で重荷を担いでいくなんて、そんなアホなことしませーん≠ニ言う人もいるだろう。そんな人には文句をつけても仕方がないが、そんなんでいいんでしょうかねえ≠ュらいのことは言いたくなる。それに、そのことは本人が平気かどうか≠ニいう問題だけでもない。とくに責任を持った人間が、自分の誤りを誤魔化していると、それが組織のメンバーたちにも影響することは疑いない。トップだってやってるんだから、自分たちが失敗に屁理屈をつけてどこが悪い=Bそうした発想と行動様式が組織全体に広がれば、それは立派な文化≠フ域にまで達するのである。そうなると、働く人たちの意欲は低下し、まさにモラルハザード≠ェ現実のものになる。つまりは、人が忘れるのを待つ前に、組織そのものの存続が危うくなるのである。そんなことを、責任者がすべきでないことは議論の余地がない。それよりも、スマートに詫びる&がどのくらいカッコいいことか。しかも、それは格好の問題だけではない。そうした真摯な態度と行動を見せることは、リーダーシップそのものなのである。謝り方を教える≠ニいうことだ。ちょんぼ≠オたときには、誤魔化さないで、その原因を探り、同じことが起きないようにする。その手立てを考える方が、人生にとってはるかに得るところが大きいのである。 |
末代の恥 2011/09/19 Mon-3143
間違いを認める≠アとがどうしてできないのか。それは恥ずかしいから=Bたしかに間違いをしてはいけない≠アとになっているのに間違う≠フは、明らかな外的要因がない限り、本人がしっかりしていない≠ゥらであると思われる。とりわけプロ≠ナあれば、それでご飯を食べているのだから間違うこと≠サのものが職務上の義務を果たしていないことになる。これはたしかに恥ずかしい&舶ェを含んでいる。ようやく歩きはじめた赤ん坊が、立っては尻餅を繰り返しても、それを責める者はいない。その時期にはそれが当然≠セからだ。これと同じように、仕事の場合でも、まだ経験が浅い時分は、それなりの失敗が許される。しかし、それもいつまでもというわけにはいかない。とくに時間とともに、自らが失敗≠竍チョンボ≠正し、場合によっては責任を取らせる立場になったときは、失敗≠サのものができなくなる。そんなこんなで、どんなに理屈をつけようとしても、失敗したときに感じる恥ずかしさ≠否定するのはむずかしい。それならば恥ずかしさ≠無理矢理ごまかすのをやめるしかない。ああ、恥ずかしい、恥ずかしい。私、とっても恥ずかしいんです≠ニ叫びまくってどうだろうか。そこで妙に誤魔化そうとするから端から見て見苦しくなる。その結果として周りから笑われるのである。聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥≠ネどという。一生の恥≠ニいうもいうが、本来は末代≠フようだ。末代≠ニもなれば、自分が死んだあとの時代≠ワでなのである。間違い≠ノしたって同じことだ。詫びるのは一時の恥、誤魔化すのは末代の恥≠ニでも言っておきましょうか。どっちにしたって、そんなこと人は忘れるに決まってる。 |
誤りを謝る 2011/09/18 Sun-3142
そう言えば、これ以上のものはないと思われるほどの大誤審があった。昨年の6月、大リーグのタイガースとインディアンズ戦のことだ。あと一人で完全試合というとき、内野ゴロに討ち取ってベースカバーに走った投手だったが、これがセーフになった。その場にいた人間には明らかにアウトだったようで、ビデオを見るとしっかり確認できたという。なんと言っても最後の打者である。これで完全試合が成立するかどうかが決まるというのに、そこで誤審となると目も当てられない。ただし、このときはビデオで確認した塁審が自分の誤審≠認めて謝罪している。それが異例なのかどうかはわからないが、人は間違うことがある≠ニいう間違いのない℃鮪タを前提にしてものごとを考えておくべきである。人は間違いを犯すから問題なのではなく、間違いを認めないことが問題なのだ。私は、機会があるたびに人は謝らない誤りを犯してはいけない≠ニ言うことにしている。それにしても、遊び半分に誤審≠ナインターネットをサーチすると、あるはわるは野球だけでなくバレーボールからサッカーなどなど、とにかく誤審のビデオであふれかえっている。これが裁判における誤審ともなると、その影響は徹底的に深刻になる。そもそも一人の人間だって、数えることなどできない天文学的な量の行動をしているのである。だから、スポーツの試合でも、さらには裁判でも数的には誤審の方が圧倒的に少ないはずだ。ただ、それが決定的な影響を与えるようなときに起きると問題になるのである。いま、取り調べの可視化≠ェ論議されている。ビデオを導入しようというわけである。きわめて日本的だとされる相撲はビデオ判定を取り入れている。あまり突っ張ることないでしょう。 |
ミスジャッジ 2011/09/17 Sat-3141
集中力に欠けるところがある。興味関心も飛び飛びだ。そんなわけで、本だって数冊を呼んでいないと落ち着かない。スポーツ中継もはじめから最後まで見ることができない。まあ、相撲なんぞは消音状態でチラチラ覗いて、立ち会いのときに見れば長くても数十秒だ。これなら何とかついて行ける。だからサッカーも野球も、さらにはボクシングもまともに見ない。その私が何気なくスイッチを入れたら、ソフトバンクと日本ハム戦をやっていた。ちょうど8回表だったがセンターへの大飛球を見事なファインプレーでキャッチした。ところが、審判はフェンスに当たって取ったという。ビデオで見ると100%キャッチしているのだが、当然のことのように判定は覆らない。ホームランだけはビデオで確認することになったらしいが、あとは審判が神様なのだ。ビデオを使わない理由は、せっかくの流れが途切れるからだそうな。しかし、監督が抗議すればもっと途切れるがな。ビデオを見れば1秒なのに。しっかり客観的に確認する手段がない時代には、審判を神様役にでもしておくしかなかったのだろう。そもそも、審判は客観的に正しく判断するためにいるのである。そして、可能な限り真実≠追求すべきはずだ。審判のミスで流れが変わって勝っていた方が逆転でもされたら、神様が怒るに違いない。審判だって、そのとき過ちを認める方がスッキリする。球場からも拍手が起きるかもしれない。それを監督が抗議したけど、自分の方が正しい≠ネんてアナウンスまでしてしまう。ご本人だって、あとでビデオを見たら穴があったら入りたい°C分になるだろう。もうそろそろ突っ張るのはやめて、ビデオの力も借りてはどうですか。人間のなかに神様なんていないんですからね。 |
意味を求めて… 2011/09/16 Fri-3140
現実には、操作の意味は知らなくても不都合が起きない℃d事や操作もあり得るだろう。しかし、そうした仕事はロボットにも代行できる可能性が高い。今日では疎外≠ニいうことばはあまり使われなくなったが、これでは仕事に対する充足感≠ヘ生まれない。こうした状況では、仮に問題を発見しても、それを職場で明らかにしたり、自分で改善するといった気持ちは生まれない。それだけでなく、さらに大きな問題を引き起こす可能性があっても放置してしまうかもしれない。すべての仕事に意味≠付与することは困難だとしても、自分が仕事の主役だ≠ニいう気持ちになれるように、仕事の意味≠伝えることは、職場のリーダーにとって欠かせない仕事≠ネのである。さて、個人で判断するのではなく何度もみんなの共通意識のもとで行動する≠ニいう意見もある。個人の判断には習慣や思い込みによる歪みが生じたりする。これは誰もが日常的に経験することである。このような弊害を避けるために、複数の人間でお互いに確認できるようにしておくことは、倫理観の保持に限らず重要な要件である。ただし、意欲の高いメンバーが集まった、まとまりのある集団においても、問題のある意思決定が行われる可能性がある。それは、グループ・ダイナミックスの領域ではGroup
think(集団止考)≠ニ呼ばれる現象である。おかしいと思っても言い出せない∞自分たちの考えや価値観こそが正しいと信じて疑わない∞自分たちに不利な情報を無視したり、都合のいいように合理化して解釈する=Bこうした問題が生じることがあるのだ。それは集団であるが故の弱点≠ニいうべきものである。これに対応するためには弱さを認める強さ≠ェ求められている。 |
知らないままに… 2011/09/15 Thu-3139
操作の意味がわからないまま機器を動かす≠アとが問題であるのは言うまでもない。それにしても、どうしてそんなことになるのか。それが習慣的≠ノなっている場合でも、本人も最初の時点では意味がわからない≠アとを承知していたはずだ。そこで考えられるのは、意味はわからなくても、とにかくそうするように言われた≠ニいうケースである。おそらくこれがスタートになることが多いのではないか。この場合は、それを指示・指導する者、つまりは監督者や年長者の責任が大きい。それでは、どうして操作の意味も伝えずに指示や指導をするのか。その理由として頭に浮かぶのは、仕事に余裕がないときである。とくに時間的なプレッシャーが大きい場合には、ついとにかくやっておけ≠ニいうことになってしまう。監督する側としては、そのうち時間ができたら≠ニいった理由付けをしていることがあるかもしれない。しかし、人間の行為にはタイミングがあって、仕事の流れに支障がでなければ、そのうち≠ヘ忘れられてしまう。そんなとき、受け止める側からどうしてこうするのかよくわかっていない≠ニ確認を求めることがあれば、問題は解消する。しかし、それもわざわざ聞きにくい∞うまくいっているのだからいいじゃないか≠ニいった気持ちに打ち消される。そうなると、わざわざ指導者に問いただす≠ニいう行動は生まれにくくなる。もう一つのケースは、仕事に余裕がないといった外的な要因ではなく、指導する者が操作の意味を教える必要がない≠ニ考えた場合である。まさに、知らなくていい≠ニいうわけだから、操作する側がその理由を知りようがない≠フである。たとえば、一時的に仕事を頼むときなどはこうした事例も起こりうる。 |
納得と倫理的行動 2011/09/14 Wed-3138
部下からの相談に納得するよう説明する 。一見すると、倫理的な行動≠ノは関わりがないような内容である。しかし、これも倫理的な行動をするとはどんなことでしょうか≠ニいう問い対する回答である。きわめて匿名性の高い質問調査であったため、その真意を回答者本人に確認することはできない。その点で推測の域を出ないが、この行動が倫理的な問題にならないか≠ニいった質問を部下から受けた場合に、本人が納得できる$燒セをすることを指しているのだと思われる。その行為が問題であれば、なぜ≠サうなのかを理解させることが重要だというのである。ただ、まずいに決まってるじゃないか≠ニか、とにかく規則にだめだと書いてあるのだからやってはいけないんだ≠ニいった答えではまずいということだろう。なるほどそういう経緯があったのか∞たしかにそれを遵守しないとまずいことになるなあ=Bこうした納得が、期待された行動をしたり、あるいは避けたりする力になるのである。これはとりわけ職場の管理者やリーダーは意識しておくべきことだ。さらにいいかげんな考えで行動する≠ニいうものがあった。仕事に限らず、一般的ににいいかげん≠ネ行動は問題である。ただし、この回答者は、その後に括弧をつけてわからないまま操作する≠ニ付け加えている。このことから、いいかげん≠ウは機器の操作に関わっているものだと思われる。おそらく、どうしてこうした操作をするのか≠十分に理解しないまま機器を動かした者がいて、その結果として事故が起きたことがあるのだろう。それがどの程度のものだったかわからないが、基本的には操作の意味≠知らないで機器を動かしてしまうのが危険であることは当然だ。 |
責任と誇り 2011/09/13 Tue-3137 Continued from 9/07
倫理的な行動を保証するためには、行動憲章で決められた行動を誇りをもって実施すること≠ニいう意見もあった。行動憲章や倫理規定といったものをもっている組織は多い。会社の会議室や応接室などにも額に入れたものが掛けられている。ただし、その内容にはまったく問題はないが、一般的に抽象度が高く、理想とする到達目標といった側面をもっている。それがいわゆる絵に描いた餅≠ノなっていては意味がない。現実に様々な事故や祥事が起きる。そうした問題を起こした組織に行動憲章≠竍倫理規定≠ェなかった可能性はきわめて低いのではないか。ここでも知識≠ェ行動≠ノ結びつくことの難しさを実感する。書かれたもの≠セけでは、それを守るための動機づけになりにくいのである。そうしたなかで、この声に含まれている誇り≠ヘ重要なキーワードになる。多くの組織では、ややもすると責任≠ホかりが重くなり、働く人々は心身ともに疲れ果てている。もちろん仕事に責任≠ェ伴うのは当然であり、まったく責任≠フない仕事などあり得ない。しかし、そうした責任≠背負って仕事を成し遂げているとき、また成し遂げたとき、人々の中に誇り≠ェ生まれることもきわめて重要なのである。そうした誇り≠ヘ第三者から評価されることで実感できる場合もある。しかし、世の中の人々に認知され、その遂行と達成に耳目が集まるような仕事などほとんどない。したがって、仕事の誇り≠ヘ働く者が自分自身で発見し、責任≠ニともに自覚することが期待されるわけだ。それだけではない。とくに上司が部下たちの仕事ぶりを評価することを通して、仕事に対する誇り≠ェもてるようにすることが必要だ。それが管理者のリーダーシップなのである。 |
挨拶はスターター 2011/09/12 Mon-3136
ちょっとでも懐を深く≠フ気持ちで対応することをお勧めしてから、さらに続けた。ところで、いろいろな機会で「虚礼廃止」が提唱されています。社内でも「職名」の代わりに「さん」で呼びましょうと決めているところもあります。しかし、いくら世の中が広いと言っても、「挨拶をしない」と決めている組織などは、ほとんどないでしょう。とにもかくにも「挨拶」は人間関係の基本ですから、やはり管理者の方から「挨拶」することが期待されます=BあのホンダのロボットASIMOだってこんにちは≠ニ挨拶するはずだ。挨拶こそはすべてのコミュニケーションのスターターなのである。そこでさらに、こんなことを伝えた。また、人間関係そのものがしっくりいっていないときも「挨拶」が交わされない傾向があります。お互いに気持ちよく仕事ができているのに「挨拶しない」ということはほとんどありません。もしも、こうした点でお心当たりがある場合は、仕事の面で先方さんから「けっこうやるなあ」と思っていただけるようなアピールをされるのもいかがでしょうか=B仕事ができる≠アとで評価してもらおうという戦略である。そして、最後はこんなことを付け加えた。さらに、ご本人がいらっしゃらないところで「ほめてみる」といった「手」も考えられないことはありません。おそらく、「そんなことまでできるわけない」と苦笑いされることでしょうが。それはともあれ、「どちらかが先に変わる」「どちらかが執念深く挨拶をし続ける」ということを、私などはけっこう実践しています。強くお勧めするつもりはございませんが…=Bいわゆる継続は力なり≠フお勧めである。さてさて、こうした考え方をどのくらい受け入れていただいただろうか。 |
自己満足する力 2011/09/11 Sun-3135
懐が相手より1mmだけ深いだけでも、心の流れはこちらに向いてくるのではないか。それに、内心で私の懐の方が深いんだぞーっ≠ニ叫んでおけばいい。その方が精神衛生上もプラスになる。人には自己満足力≠ェ必要だというのが私の持論である。唯々諾々と権力や権威にしたがっていながらまあいいか≠ニあきらめる。あるいは改善のエネルギーを失う。そんな自己満足≠ヘ私の定義には含まれない。あくまで冷静に、そして可能な限り客観的に、そしてできれば人のサポートも得ながらこれでよし≠ニする。そんな満足力≠ナある。どうしても自己満足≠ニいうことばが気になるのであれば、自己評価力≠ニ言い換えてもいい。それはそうだけれど、私は奇をてらう≠アとが趣味≠セから、やはり自己満足力≠ノこだわりたいのである。敢えて言えば、自己満足≠フあとに力≠くっつけた気持ちをおわかりいただければと思う。もちろん、他人様から認知してもらう必要はないけれど、世の中は懐の深い&を評価するに決まってる。あの孫悟空は俺は何でもできる。自分ほど自由な者はいない≠ニばかり気ままに大暴れしていた。しかし、それは悟空の思い違いで、じつはお釈迦様の手のひらの上ではしゃいでいただけのことだった。もちろん職場のリーダーが万人を導くようなお釈迦様になるのはむずかしい。しかし、われわれは教祖やカリスマになる必要はない。いやカリスマになんかになってはいけない。これまでも失敗してきたし、これからもチャレンジを続ければ失敗もする。ただ、それらを乗り越える智恵とエネルギーをもっていることがリーダーに求められる要件である。そのためにも、ちょっとだけ相手よりも懐を深く≠オたいものだ。 |
懐を1mmだけ深く 2011/09/10 Sat-3134
どちらかが譲る≠ニすれば大人だ≠ニ伝えてから、「大人と子ども」のけんかでは当然大人の方が譲ります。それは「弱いから」ではなく、その逆で「強いから」であることは言うまでもありません≠ニ続けた。もちろん、世の中には弱いが故にしぶしぶ自分の気持ちを抑えること≠フ方が多い。人間は理性をもった動物≠セなんて言う。しかし、とくにこのごろは弱肉強食%Iなことがけっこう起きているのではないか。まさに自己責任=A弱いのはそれなりの理由がある≠ニいう発想が幅をきかしている。しかし、教育の環境などを考えると、人生のスタートから同じ土俵で相撲が取れない子どもたちがいることは疑いない。どう考えても、子どもたち自身は、生まれた家の経済状態に何の責任も負っていない。そうしたなかで、子どもの教育に関しては、国がしっかり責任をもたないとまずいのである。経済的な理由から、生来もっている才能が花開かないままに終わるようでは、国家的な損失ではないか。それにしても、あれやこれやと政争に明け暮れて、このごろは政治の世界から教育≠フき≠フ字も聞こえない。政治そのものが自滅寸前の状態になっている。もっとも、教育≠ヘ昔から票≠ノ結びつかないのか、日の当たる舞台で議論されたなんて記憶はほとんどないけれど…。やれやれ、いつものように脇道にそれてしまった。とにもかくにも,、対人関係を改善するためには強い者≠フ方から変わるのが何よりである。そんなことで、さらにつまりは大人の方が「懐が深い」ということです。それこそ「1センチ、いや1ミリ」だけでも、「自分の懐の方が深いんだぞーっ」というお気持ちで挨拶をトライされてはいかがでしょう≠ニアドバイスした。 |
どっち≠ェ変わる? 2011/09/09 Fri-3133
挨拶≠ノついての質問に対する回答は、ただ、その結果として周りの人たちが困ったり、仕事の進行に支障が出るようでしたら、やはり「そのままでいい」というわけにもいかないでしょう≠ニ続けた。まずは、こうすべきだ≠ネどと強制はできないから、挨拶しない≠アとも個人の選択としてあり得ると答えた。しかし、それでも人が困ったりするとまずいだろうというわけだ。私のような凡人は、徹底して多数決の神話≠ノ影響を受けている。それは、もう子どものころから洗脳≠ウれてきたといえるかもしれない。とにかく二進も三進もいかなくなったら、多数決で決めるしかない≠ニいう論理である。それが民主主義≠フ原点でもあると教えられてきた。したがって、ご本人がどうであれ、周りの人たちが困っている=Aあるいはその多くの人たちが仕事に支障が出ている≠ニ思っているのであれば、やはり少数派である1人の方が変わらないとまずいだろう≠ニ考える。そんなわけで、ご自分で挨拶しないとお決めになったのであれば、それもありですよ≠ネどと言いながら、やっぱり周りが困ってたら、それはまずいでしょう≠ニ変わること≠期待しているのである。ただし、ここまではあなたが変わらないといけませんね≠ネどとは言っていない。そして、次のように続ける。そんな場合は、まずは「どちらかが先に変わる」のでないと関係に変化が起きるはずがありません。そこで、次の問題はその「どちらか」を引き受けるのが自分か相手かということになります=B最終的にはどちらも変わる≠アとが期待されるのだが、まずはどちらか≠ノこだわってみた。その上で、私としては、それは「より大人」の方だろうと思います≠ニ提案した。 |
正解≠フ話 2011/09/08 Thu-3132
ある組織で講演したあとで、次のようなご質問を受けた。挨拶しても返事がない人もいます。自分はそういう人には挨拶はしません。今後の一番良い対応を教えていただきたいです=Bこれに対して私は以下のようにお答えした。人と人との関係がどうあるべきかについての「正解」はございません。また、ご自分の「信念」を通されるのも、いはば「自己責任」ということで、「こうすべき」だと押し売りするものでもありませんね=B人の関係は様々だから一番良い%嘯熄況によって違ってくる。ただし、ここで正解はない≠ニ断言したのは、私の日頃からの発言からはれている。ここは「正解」はたくさんあります。そのなかからお一人お一人が、ご自分の「正解」を見つけ出していきましょう≠ニすべきだった。そもそも人の行動≠研究している心理学者が「正解」はない≠ニいうのは何ともまずいのである。そんなら、あなた何をやってんの≠ネどと問い返される、むにゃ、むにゃ≠ニなってしまう。しかし、そんなときはこうしなさい≠ネんて断言できるほど、人間は単純じゃない。そんなことから、つい「正解」はない≠ニつい弱気の発言をしたくなる。しかし、私としては、にっこり笑って「正解」はたくさんあるんですよ≠ニ伝えたいと思う。もちろん、現時点で気づいていない、あるいは発見していない「正解」だって、それはそれは無数にあるということだ。いずれにしても、われわれの仕事は、そのときどきで、可能な限りたくさんの正解≠提示することである。そのなかからどの正解≠選択するかは、当事者の気持ちを大事にする。もちろん、提示する≠セけでなく、それまでの研究をもとにお勧め≠キることがあってもいい。 |
バレる≠ゥばれない≠ゥ 2011/09/07 Wed-3131
適度≠フストレスは人間が前向きに生きていく上で必要だとしても、それが過度≠ノなれば、様々な問題を引き起こす可能性は高くなる。しかし、どの程度を過度≠ネものとするについては個人差も大きい。人によって、マイナスに働くこともあれば、それがプラスの行動に繋がることもある。さらに、そもそもストレスが発生する原因はどこにあるのか、またそれにどう対応すべきかなどについては、多面的なアプローチが必要になる。こうした点については、機会があれば改めて考えてみたい。ところで、想像力≠ェ抑止力≠ノ繋がるとはいうものの、最悪≠フ事態が起きることに対する主観的な確率も問題になる。それが低いと思った場合は、抑止力は限定的になる。つまりはバレなければいい≠ニいう悪魔が声をかけてくるのだ。人間は、こうしたささやきに弱いのである。こうしたこともあって、公益通報者保護法=Aいわゆる内部告発者≠ノ対する不利益な取り扱いを禁止する法律も生まれたのである。これによって、外部者にはわからないことでも、問題が明るみに出る可能性を高めようとしたのである。法制定前後で、こうした情報が出される頻度に変化が起きたのかどうか、その効果についての客観的なデータを得ることはきわめて難しいのではないか。いずれにしても、ここに至っては、やはり倫理観≠竍正義感≠ニいったものが無視できなくなる。しかしながら、これらはきわめて多義的で情緒的である。しかも、倫理的行動≠実現するために倫理観を高める≠ナは、なにも言っていないことになる。ここに倫理の問題解決の難しさがある。ともあれ、バレるか、バレないか≠フ確率ではなく、まずいことはしない≠ニいう確信が大事なのだ。 |
問題行動とストレス 2011/09/06 Tue-3130
近代社会では思想の自由≠ェ保証されている。しかし、そうした法律による支えがなくても人は頭の中でありとあらゆることを考える。そして、行くことも見ることもできない宇宙の果て≠ノついても想像する。そうした能力≠ェ多くの発見や発明を実現してきたのである。もちろん、邪悪なことも考えることも自由≠ナある。ただし、それを現実の行為に移すとなると、犯罪といった深刻な問題を引き起こす。そして、犯罪を犯せば刑罰を受ける。そのことを想像≠ナきれば、実際の行為が抑制される。特定の職業に限ったことではないが、とりわけマスコミに取り上げられやすい立場にあれば、問題の行為をした場合、自分がどうなるかは容易に想像できるはずだ。しかし、それでも足を踏み外してしまう者がいる。つまりは、欲求≠ェ想像力≠ノよる抑止効果を打ち壊してしまうのである。どうしてそんなことになるのか。その原因が魔が差したから≠ナは説明にならない。新聞などでは、問題を起こした本人がストレスがあったから≠ニ言っていると伝えられたりする。これもわかったようでわからない。あるいはストレスのせいにするな≠ニ突き放したくなる。そもそも適度のストレスは動物が生きていくために必要な条件なのである。いわゆる五感をシャットアウトした感覚遮断実験といわれるものがある、人は外部からの刺激なしでは精神的に安定しない。そうした条件下では、たとえば幻視や幻聴など自分自身で感覚を作り出すことも明らかにされている。適度な刺激が必要なのである。ただ、ストレスに耐えられる力には個人差がある。その力をストレス耐性≠ニいうが、不祥事をはじめとした問題の原因をストレスに起因させるだけでは展望は開けない。 |
倫理観と正義感と想像力 2011/09/05 Mon-3129 Continued from 8/27
組織の倫理的行動の基本として時間が経った後でも法的な面で責められるような行動をしないこと≠挙げた人がいる。これは決まりを守る≠アとと内容的には同じレベルのものだが、そこに時間的な要因が含まれている。われわれの心中に、ついついいまわからなければいい≠ニいう誘惑が頭をもたげてくる。とくに、目の前で誰にもわかるような不都合が起きていなければ、あとは何とかなる≠ニいう気持ちにもなる。それが完全な個人や職場の身内、あるいは関係者だけしか知らないようなものであれば、その力はきわめて大きくなる。短期的には何もなかったように振る舞うことができるのである。また、それらには、時間が経過してから問題になる可能性が低いものもあるに違いない。こうした状況下では、問題行動が誘発されやすいのである。こうなると、それを抑止するのは、いわゆる倫理観≠竍正義感≠ニいったこころ≠フメカニズムになる。もちろん、あとになってバレたらとんでもないことになる≠ニいう将来に対する不安感≠焉A出来心≠抑制する効果をもつだろう。このときには、想像力≠熨蛯ォな力になる。社会的に目立ちやすい職業、たとえば教員もその代表だが、ちょっと想像力さえ働かせば…≠ニ思うようなものが多い。人間の大脳は驚異的な進化を果たした。そのために、それは生きるために求められる本能的な反応を制御する機関を遙かに超えた力を備えることになった。その能力の代表が想像力≠ナある。とりわけ時間的にかなり先のことについてもイメージすることができるのは人間だけではないか。そして、その想像力≠ェ、適応的な行動を促進し、また問題になりそうなものを抑制することで進化を実現してきたのだ。 |
新聞の変心? 2011/09/04 Sun-3128
何と、朝刊の32.5%が全面広告≠ネのです。数値的には1/3ですが、1面からめくっていると、また広告だあ≠ニうんざりしてしまいます。心理的には半分くらい≠ェ広告≠フような感じがするわけです。人によるとは思いますが、私は全面広告≠まともに読んだことがありません。もちろん、そのほかのページも下の欄に広告がずらりと並んでいます。そのなかには1面の半分ほどを占めているページもあるんです。まったくPRがないのは5ページだけでした。そんなことで、翌日の26日もチェックしてみました。この日も40面の仕様でしたが、さらに1ページ分増えて14面が全面広告でした。新聞の経営が読者の購読料だけではむずかしく、広告料が大きな資源であることは、昔から知っていました。しかし、それにしても過ぎて≠ヘいませんか。これでは無料のタウン紙≠ニ変わらなくなってしまわないかと心配です。広告の必要性はわかりますが、こんなに頼っていると、スポンサーの影響力≠セって無視できなくなるでしょう。そうそう、5、9、19、25面は奇数ページです。方針転換して10年以上は経過していると思いますが、新聞は奇数面に全面広告≠ネど載っけていませんでした。そりゃあそうでしょう。新聞は最新の情報を伝えることが唯一最大の役割です。それなのに、右手で1枚ずつめくっていくと、目の前にどでかい広告が目に飛び込んでくるなど考えるだけでもおぞましい。新聞の使命を放棄している。新聞人はそんな矜持をもっていたとんだそうです。ところが、購読数の減少や宣伝費の削減で台所が苦しくなってきた。そこで背に腹は代えられないということになったらしいのです。人の目に付きやすい奇数面の方が掲載費も高いそうです。 |
32.5%が… 2011/09/03 Sat-3127
ある日の全国紙40ページの内容を24面まで見てきました。ようやく半分を少し超えたところです。まことに恐縮なのですが、この調子がもう少し続いていきます。みなさま、どなたもお忙しいはずです。とてもつきあってなんかいられない≠ニ思われたら、ここでパスしていただけますでしょうか。さて、スポーツに続く25面は全面広告です。さらに26面も全面広告になっています。それから27面は科学欄ですが、その次をめくった28面は全面広告です。そして29面が生活欄で、30面は複数のスポンサーですが1面の全部が広告になっています。それから31面は東京版が来て、32面がやはり複数の広告が1面全体に広がっています。次の33面はラジオ・テレビ欄、34面は全面広告、35ページは震災被災地からの情報が載っています。そして36面が全面広告で37面が社会欄となります。38面と39面も社会面といわれるページで事件などが掲載されているわけです。そして、最後の40面はおなじみのテレビ欄となります。ここまで退屈な数字の羅列を我慢してお読みいただきました皆さまには貴重な時間を取ってしまいました。本当に申し訳ございません。それにしても、こんなことしてると、接続詞≠ノ困ってしまいます。また∞そして∞さらに≠ネどはもちろん続いて≠ニか遅疑に≠ネんぞも使いましたが、とにかく40ページ分を一つずつ見ていくのですから、ことば¢ォらずになってしまいました。それはどうでもいいとして、昨日からダラダラ書いてきたのですが、私が何を言いたいのかおわかりではございませんか。そうです、ご名答です。とにかく全面広告の多さには驚いてしまいます。なにせ40ページのうち13ページ、32.5%が全面広告なんですよ。 |
東京の朝刊 2011/09/02 Fri-3126
東京で「公開講座リーダーシップ・トレーニング」を開催している。今年で5年目になる。その第一日目の8月25日に読んだ全国紙は東京版で40ページもあった。その第1面は、民主党代表選挙や金総書記がロシアを訪問した記事が掲載されている。それに続く2面から4面までは、国内外の記事が並ぶ。このあたりは多くの新聞に共通している。そして第5面目は「広告特集」として全面が広告になっている。そして6面は震災に伴うトラックの高速無料制度の廃止やワシントン近郊で起きた地震のニュースが載っている。それから7面と8面が経済関係で、9面は全面広告である。10面から11面は10年前の同時多発テロの特集。あれからもう10年が経過したのである。その日、9月11日が間もなくやってくる。夜のニュースで、ほとんど生中継のような形で航空機が貿易センタービルに激突した光景がいまでも目に浮かぶ。本当に恐ろしいことだ。さて、その次の12面目は全面広告で、13面は海外のニュースになり、14面と15面に読者の投稿や論評が載っている。さらに16面は1ページ全体が複数のスポンサーによる広告。それから17面と18面が金融関係の情報欄で株価などが並んでいる。個人的には縁がないのでまったく見ることのないページである。そして19面に目をやると全面広告で、さらに20面目もやはり1ページが広告になっている。それから21面が教育関連の記事で、22面、23面、24面の3ページがスポーツに当てられている。そろそろお疲れになったのではないかと思う。何を言いたいのか知らないが、新聞の1面からダラダラと退屈な情報を並べてるだけじゃないか=Bそんな声が聞こえてきます。しかも、それだけで、今日もおしまいになってしまいました。 |
座長のつぶやき 2011/09/01 Thu-3125
日曜日(8月28日)から座長の話を続けてきた。もう5日目にもなるから、今日でおしまいにしよう。ともあれ、時間が迫っているにもかかわらず、最後に指名された方が滔々とお話になる。こちらとしてはとにかく時間なんですけど≠ニ喉まで声が出そうになる。そんななかで、ことばの流れからようやく話が終わる気配がする。と、思いきや、それからもう一つ…≠ネどと、またまた新たな内容へと展開していくのである。そんなにネタをお持ちだったのなら、最初から言ってくださいよぉ=Bまあ、こんなわけで会議やシンポジウムの司会は、心の筋肉を鍛える絶好の機会になるのである。ただし、時間がルーズになると、たとえ耳を傾ける価値がある意見でも、まともに聞く気持ちが弱くなる。やれやれ≠ニ思う方が強くなるのだ。こんな文句を言っている私だから、司会でないときははじめから話をすることにしている。また、時間が迫っているときは手短に済ませたり、言いたいことを言わずじまいにする。それがマナーだと思っている。少なくとも会合が時間を決めて進められているのだから、それを守ることは参加者全員の義務である。もっとも、司会のあんたが下手くそだからそうなるのよ≠ネんて言われたら、ああ、そうですか。すんません≠ニ答えるしかない。つい先日、ある会議に出席したが予定より30分オーバーした。そのときの座長さんは事務局にまだいいですね≠ニ聞かれただけだった。なんと大らかなこと、私の方がおかしいのかなあ…。ともあれ、私自身は時間を守ることにこだわっている。講義や講演、また学会の発表でもジャストオンタイム≠ナいくようにする。わあっ、ちょうど終わったねえ=Bそんな声が聞こえてくると、快感なんです。 |
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