私だけ? 2011/07/31 日曜日 3093
私はオームページビルダー≠使って味な話の素≠更新している。出張などで出かけた際にホテルのLANを使うが、うまく転送できないことがある。その現象は同じ系列のホテルで起きる。このあたりの事情はプロならわかるはずだ。そこで、転送不可になるたびに問い合わせしようと思いながら、これまでは放置してきた。携行している無産LANで対応できたからだ。しかし、同じことが海外でも起きたので、これは対応策をしっかり確認しないとまずくなった。ホームページ・ビルダー≠ヘIBMの製品だが、販売はジャストシステム≠ェ行っている。まずは、IBMに電話すると窓口はジャストシステム≠セというメッセージが聞こえてきた。そこで、改めて電話して担当者と話をした。まず驚いたのは、私のような事例は初めて聞いた≠ニいうことだった。えーっ≠ニ思ったが、とにかく実情を伝えると、ある解決策を提示してくれた。ただし、目の前で転送できない状況≠つくることができないため、次に同じことが起きたとき≠ノ試してみるしかない。私としてはその対策には半信半疑なのだが、とにかく、そのチャンス≠ェくるまではいかんともしがたいのである。それはそうとして、私は改めて確認した。出張先からホームページをアップする人っていないんですかね=Bええ、私は初めて聞きました=Bただそれだけなのだが、本当にそうなんだろうか。自分のホームページを外出先でつくって転送している人間が私だけ≠ネんてとても信じられない。もちろん、自分は聞いたことがない≠ニ言われれば、ああ、そうですか≠ニしか応えようがない。個人的には事実だとしても、皆さん、そんなことしてるのは世のなかで私だけだと思われますか。 |
危うし味な話の素 2011/07/30 土曜日 3092
予約していたイスタンブールのホテルには無線LANが完備されていた。規定のパスワードを入れるとロビーでも使うことができるのである。朝の5時過ぎに空港に着き、ホテルにも6時台に行ったため、チェックインはできても部屋には入れない。そんな条件下でもロビーでインターネットを使ってメールの送受信もうまくいった。ところが、ところがである。味な話の素≠ェアップできないのだ。ああ、まずいなあ…=Bこれが私の心の第一声だった。国内でも特定のホテルでうまくいかないことを知っている。その原因はわかっていないが、目の前でまったく同じことが起きているのだ。国内であれば、携行している無線を使うと対応できるのだが、ここはイスタンブールである。海外に出るときは更新できない場合もあります。その際は帰国してからまとめてアップします≠ニいったメッセージを書いておく。今回もそうしているので、更新できなくても、ああ、ついに吉田もおしまいになったか≠ネどと誤解される心配はない。しかし、これまではアテネ、ウィーン、プラハ、ベルリン、オスロなど、多くの都市からライブで更新してきた。それだけにがっくりしてしまった。やれやれと思いながら学会の会場へ出かけた。そこで急転直下、大逆転が起きることになる。会場に臨時の無線LANがセットされていて、それを使うと味な話の素≠ェアップできたのである。じつにすばらしい話である。ありがたや、ありがたや。ということで、今回はホテルからではなく学会会場から毎日更新することになった。まあ、そんな裏話はあるが、とにかくアップできたのだから。めでたし、めでたしである。それにしても、ホテルによってうまくいったりいかなかったりでは困ってしまう。 |
味な話の素≠フ更新不能 2011/07/29 金曜日 3091
ご承知の方が多いと思うが、味な話の素≠ヘ毎日更新している。スタートした2003年ころは、出張した際のホテルにネットの設備がないところが多かった。そんなときは熊本に帰ってからまとめて更新せざるを得なかった。それが徐々に、というよりは急速に多くのホテルがLANを設置してきた。これについては、古くからある大きなホテルよりも、ビジネスホテルの対応の方が早かった。また、大きなホテルの中には有料≠ニいうところもある。海外でもほとんどが無料だから、いまどきサービス不足ではないかと思う。そういえば、ベルリンのホテルはカードを購入する必要があった。そこに書かれているパスワードを入れることで利用可能になる。つまりは有料だった。いずれにしても、内外を問わず、インターネットを利用する環境は整っている。ところが、味な話の素≠ノ関しては、現在でもときおり問題が起きるのである。私はワープロで40字×18行=720字の原稿を書き、それをホームページビルダー≠ノコピーして、アップロードしている。この720字≠熈売り≠ナ、毎日がきっちり720字になるように調整する。何せ私は粘着質≠セから、こだわる≠フだ。そんなことで、内容などどうでもいいから、とにかく毎日が720字なのである。さて、そのホームページビルダー≠ナファイルの転送をすると、ときおりトラブルことがある。ホテルによってはいつまでたっても転送ができず、ついにはエラーになってしまうのだ。この時間も半端ではなく、主観的には10分とか、それ以上かかるような気がする。その間は他の仕事をしているのだが、これはゆゆしき問題なのである。それが国内外を問わないことが、今月の初めに行ったイスタンブールで判明した。 |
新刊レビュー 2011/07/28 木曜日 3090
インターネットで新著の実践的リーダーシップ・トレーニング≠入れてみた。書籍としていくつかリストアップされた。このごろは大きな書店がネットでPRし、注文をとるのが当たり前になっている。そのため、私が書いた本も載っているわけだ。リストのトップに上がったのはAmazonだった。ふと見ると、1件だけではあるが、すでにレビューが書かれていたので驚いた。その内容を読んで、著者としてはとてもうれしくなった。リーダーシップの定義から始まって、その具体的な育成、トレーニングの方法、研修の始終が臨場感タップリに綴られています。「トレーニングは効果がないといけない」から「トレーニングは最悪でも効果ゼロ」と言い切る著者の姿勢に最も共感します。また、繰り返し繰り返し実践でき、その成果は確実で、結果的にはより遠くへ、どこまでも行けるでしょう。「感受性」訓練とは一線を画しながらも、心理的なダメージのリスクを回避し、効果が実感できる“トレーニング”を紹介している。また、その道具たて、仕組み、著者の考えを惜しみなく公開されているのにも敬意を表します=Bまだ書店に置かれて3週間に満たないのに、完読していただいたことがわかる。最後の索引まで含めると220ページになるから、それほど薄いものでもない。私自身はゆっくり、複数の本を並行して%ヌむタイプである。そんなわけで、まずは速いなあ≠ニいう印象を受けた。あくまで推測するしかないが、仕事上リーダーシップ・トレーニング≠ノ関わりをお持ちの方だと思う。その内容も、私が強調したかったことを的確に指摘されている。じつにありがたい。数日前の研修でこの話をしたら、奥さんが書いたんじゃないですか≠ニ冷やかされた。 |
アイディアの盗用 2011/07/27 水曜日 3089
新しい本を書いた。タイトルは 実践的リーダーシップ・トレーニング=A副題を元気で安全な組織づくりのノウハウ≠ニした。発刊は6月29日になっているが、書店には7月8日から置かれたようだ。ちょうどイスタンブールに行っていたときで、出たかなあ≠ニトルコの地で思った。私としては、ライフワークにしているリーダーシップ・トレーニング≠、開発してきた道具も含めて紹介した。ある大学からトレーニング≠依頼されて実施したら、その際の道具も含めて論文にし、さらにそれらを入れたトレーニング≠フ本を出版した人がいた。もうずいぶんと前のことであるが、開いた口がふさがらなかった。私が論文に書いた道具を、そのまま就職採用の際の道具に使った会社もあった。グループワークに使ったようだ。たまたま学外の集中講義で入れたところ、学生からまったく同じことをした≠ニ言われて唖然とした。私がその会社に文句を言うのを恐れて、僕から聞いたとは言わないでください≠ニ頼まれた。その会社のホームページを見ると、たしかに学生が言った期日と会場で就職関連の行事が行われていた。やれやれ≠ニは思ったがとくに具体的なアクションはとらなかった。私としては論文でも公表しているのだから、使われること自身に文句はない。むしろ、自分のアイディアが活用されることは大歓迎である。理工系の発明のように、俺のアイディアだ、使うなら金を出せ≠ネんてことは言わない。まあ、それを主張したってなんぼ≠ノもならないだろう。使ってもらえる≠アとで報われると言っていい。ただし、会社を含めていやしくも公的な組織であれば、原著者を引用するくらいのことはしてもらいたい。それが常識というものだ。 |
衰退の中の光 2011/07/26 火曜日 3088
飛行機が平行して着陸したり、別の滑走路から離陸している。羽田空港でそれを見てうれしくなったのだが、それがどうした≠ニ言われれば、ただそれだけのことである。それでも、とにかく何となくワクワクした。このあたりの精神レベルは孫と変わらない。そもそも、このごろは世の中が暗い話ばかりではないか。国際空港も韓国の仁川の賑わいに届かなくなっている。港湾にしたって、横浜や神戸が先端を走っていたのは昔の話。いまでは釜山港が東アジアの拠点になっているのではないか。国を動かす政治は承知のようなていたらくである。だれもはっきりは言わないが、日本の政治状況を知っている外国人がいたら、そのひどさにあきれ果てているだろう。いや、あざけ笑っているに違いない。現状は先進国≠ネどとうぬぼれている状態から遠く離れてしまっている。そんな中で、飛行機が絶え間なく離着陸している光景を見て、単純にうれしくなったのである。とくに先日は、いつもと違って都市的な光景を真下に見ながら降りていったので、ここはどこか≠ニ思うとさらに楽しくなった。とくに左下にディズニーランドやホテルが目に入ったのがさらに新鮮さを増した。ただし駐車場はガラガラに見えた。その日は平日だったが、あのディズニーでもそんなものなんだろうか。私なんぞは、このアトラクション施設は年がら年中ごった返しているのかと思っていた。冷静に考えると、そんなわけにもいかないのだろうが、ひょっとしてこれも国の元気が失われている現れではないか暗くなってしまった。ともあれ、羽田には少し前に4本目のD滑走路ができた。沖の方に埋め立ててつくったものだが、これでロサンジェルス空港などと本数は同じになったのではないかと思う。 |
滑走路1本の離れ業? 2011/07/25 月曜日 3087
ロサンゼルス空港では互いに平行した4本の滑走路を使って運用しているようだ。私がはじめてロスの空港で複数の便が同時に離着陸するのを見た当時、羽田のイメージは1本の滑走路に飛行機が出たり入ったりするものだった。細かい歴史は知らないが、羽田の滑走路はAとBの2本から始まったのだと思う。この二つは、その位置が移動することがあったようだが、角度的にはクロスしている。Aは3,000m、Bは2,500mで、後者が横風用だという。したがって、多くの場合はA滑走路を使っていたと推測する。だから、素人から見ると1本だけ≠ナ離着陸しているように見えたのだろう。ただ、地方空港と違って、そのころから発着する飛行機の数はすごかったという印象がある。とにかく1機が着いたかと思うと、すぐに続いて着陸しようとする飛行機のライトが見える。その向こうにも、さらに次の飛行機が降りてきている。まるで数珠つなぎ≠フような様相を呈していた。そして、その合間を縫って離陸していく飛行機があるのだ。これはいまでも似たような状況があって、自分が乗っている飛行機がゆっくり滑走路に向かっていると、その先からドンドン飛行機が飛び立っていく。その順番待ちが半端じゃない。ようやくわが機が滑走路の端にきて止まったとき横を見ると、後続の機体がこれまた並んでいるのである。だから、それはそれですごいのだが、それでも自分の飛行機が着くとき、周りに離着陸している他の飛行機が見えたという記憶はあまりない。ところが、その羽田で昨日の冒頭に書いたような状況に遭遇したのである。自機と平行して降りている飛行機があるのだ。おお、ちょっとロス空港並みじゃんか=Bとまあ、そんなことをつぶやきながら、うれしくなった。 |
同時離着陸 2011/07/24 日曜日 3086
羽田空港に着陸するとき左の窓側に座っていた。外を見ると地上の光景がいつもと違う。あと10分足らずで着陸だというのに、東京湾が見えずビルや住宅が密集している。これまで見たことのない地上の様子である。そのうち海が見えたと思ったら、左の方に浦安のディズニーランドや一連のホテルが目に入った。いつもは右側に見えているのだから、これは私にとっては初体験のルートであることは間違いない。もうそう思っただけでうれしくなった。そしていよいよ着陸する数分前だが、窓から自分の飛行機と平行してほとんど同じタイミングで着陸している飛行機が見えた。さらに誘導路から空港ビルに移動しているとき、もう一つの滑走路からJAL機が離陸していった。その数日後、羽田空港から離陸する際にも、自分が乗っているものとは別の飛行機が、今度は同時に飛び上がっているのが見えた。素人目にはほぼ直角に離陸しているのだが、とにかく同じタイミングで複数の飛行機が飛び立っているわけだ。この状況を一言でまとめてしまえば、ただ複数の飛行機が同時に発着している≠セけの光景である。しかし、これには少しばかり興奮を覚えた。もう15年以上も前のことだが、ロサンゼルス空港に着いて空港ビルまで移動する間にこれと似たようなシーンに遭遇したのである。敷地面積は羽田の比ではなく、関連施設や企業の敷地まで含めると山手線よりも広いという話まである。それはそうとして、飛行機が次から次へと離着陸しているのを見て、まだ機内にいるうちから私は驚いた記憶がある。さすが飛行機の国、アメリカだなあ≠ニいう感慨である。しかも比較的小型の飛行機がジャンジャン離発着しているという印象を受けた。それがまさにシャトル便なのである。 |
博多座≠ノ行くぞーっ 2011/07/23 土曜日 3085
地上から見えない五重塔の水煙≠ノまで細かい彫刻が施されている。薬師寺のお坊さんの話では、そんな見えないところにも心血を注ぐのが日本人≠ニいうことなのである。こうした心をもっているのが日本人だけ≠セと限定すると異論もあるだろうが、ともあれすばらしいことである。その精神が歌舞伎でも生かされているというわけだ。その次に驚いたのが板東玉三郎である。玉三郎は歌舞伎界随一の女形として知られている。熊本県の山鹿市に八千代座という国指定重要文化財の劇場がある。玉三郎はかなり以前からここで公演していることもあって、私も名前だけはちゃんと知っていた。その玉三郎が琴や三味線、さらに胡弓まで弾くというのである。それもかなりの腕前のようで、他の歌舞伎役者にはまねが出来ないらしい。私なんぞはプロの吹き替え≠ナはないかなどと思っていたのだが、本人が生で演奏するというのだからすごいものである。しかも、玉三郎自身が主人公の心の動きを音で伝える必要があるのでむずかしい≠ニ映画の中で語っていた。そりゃあそうだろう。しかしそうなると、これは聴く方にも、それを感じ取る力が求められるわけだ。いやはや、歌舞伎を楽しむのの一筋縄ではいかないということである。さすがわが国の伝統芸能というべきか。それはそうと、歌舞伎の演題に現代物があるということも映画を観るまで知らなんだ。玉三郎の洋服を着た姫様を初めて見て驚いてしまった。世の中は知らないことだらけであることは知っているのだが、知れば知るほど知らないことが際限なく増えていくというのもじつに楽しい話である。こうして1本の映画を観ただけなのだが、映画館を出るなり私は家内に向かって絶叫した。博多座に行くぞーっ…=B |
わが心の歌舞伎座 2011/07/22 金曜日 3084
今年の初めに映画わが心の歌舞伎座≠見に行った。歌舞伎座は新築のため休場しているが、それを機に歌舞伎俳優総出演と銘打ってつくられたものである。私自身は伝統芸能である歌舞伎≠ノついてはぼんやりとした関心はあった。一度は博多座に観劇に出かけてみてもいいなあくらいの気持ちだった。そんなとき家内と娘が心の歌舞伎座≠ニいう映画を見に行くという。この二人は過去に博多座にいったことがあるのだ。それなら私も≠ニなって映画を観た。これがものすごかった。まずは、中村勘三郎の忠臣蔵≠ノ驚いた。浅野内匠頭が切腹する際に、まわりに家来たちがひれ伏している。悲しみのうちに主を送るという場面である。そのとき、観客には見えないが幕の奥にも家来役がちゃんとした衣装を身につけて、まったく同じようにひれ伏しているというのである。勘三郎によれば、こうした人たちがいることを心にとめながら演技している≠フだそうな。演技でその心を観客に伝えるとわけだ。いやあ、いかにも日本人らしいなあと思う。人には見えないところにも力を注ぐという精神構造である。この場面を見た瞬間に薬師寺のことを思い出した。もう8年も前になるが、薬師寺に行ったときお坊さんから同じ話を聞いたのである。五重塔の屋根の上に相輪≠ニ呼ばれる避雷針のようなものが立っている。ここは七つのパートに分かれるらしいが水煙≠ニ呼ばれる飾りなどは、透かし彫りで細かい細工が施されているという。もともとは火炎≠イメージしたものだが、火≠ヘ火事≠連想するので水煙≠ニ呼んでいるらしい。それはそうとして、そんな細かいことは地上から見上げてもわからない。それこそ屋根の上に棒が立っているとしか思えない。 |
すべてを奇跡≠ノ 2011/07/21 木曜日 3083
少し余裕ができたので奇跡は求める者のみに起きる≠書いた日を探してみた。それは2003年5月26日だった。この年の4月29日に味な話の素≠スタートしたばかりで、この日は38回目に当たっていた。しかも、この欄でどこかで見たことがあるだろう≠ネんてことを書いている。ホームページの講演/評論/随想≠ノその記事があるというのである。私にはその記事について心当たりがまるでなかった。ともあれ、そこを出してみると、たしかに奇跡は求める者のみに起きる≠ニ題した一文が出てきた。熊本県労働基準協会のニュースレターに寄稿したものであった。私自身はそれをすっかり忘れていたのだ。http://www.educ.kumamoto-u.ac.jp/~yoshida/kiseki.pdfで検索していただければ、その全文を読むことができる。推測通り、近鉄が優勝したときで、9回まで3点負けていたのに、代打逆転満塁さよならホームラン≠ナ試合が決まったのである。たしかに信じられない≠キごいことではあるが、そうした奇跡≠焉A求める≠ゥらこそ起きるのである。何もしなければ、何も起きないことは明らかである。女子サッカーも厳しいトレーニングと、それを基礎にした強い意志があったからこそ、栄冠を勝ち得たわけだ。勝負の世界だけに気を取られることはない。これまでできない≠ニ思っていたことがうまくいった≠ニきは、すべて奇跡≠ェ起きたと考えればいい。それにしても月並みで軽率、かつ無責任な評論家風だが、このごろは女性はまことにすごい。おっとっと、男性だの女性だのと性別を強調すると問題だ。それはともあれ、草食系男子≠ネんて言われる時代である。男性に今ひとつ迫力がない。もっとも女性が強い方が平和かもしれない。 |
奇跡は求める者にのみ起きる″ト考 2011/07/20 水曜日 3082
ちょっとバタバタしていて、いま確認する時間がないが、この欄に奇跡は求める者にのみ起きる≠ニいうタイトルで書いたことがある。たしか梨田監督が近鉄を優勝に導いたときではなかったかと思う。そしてまた、奇跡は求める者にのみ°Nきた。私は生まれてから60年を超えるが、未だかつて徹夜をしたことがない。かすかな記憶では朝の4時くらいまで起きていたことはあるが、それから寝たので、これは徹夜とはいえない。そもそも、私は受験勉強中でも12時前に床に入るといって自慢していた。私の世代しか知らないことだが、そのころ旺文社の大学受験講座≠ニいうラジオ番組があった。チャチャチャチャーン、チャチャチャチャチャーン…≠ニいうテーマソングではじまるものだったが、それを聴きながら布団を敷くのが日課だった。当時は福岡にいたが、RKBで11時を少し回ってからはじまっていたと思う。そのかわり、学生服を着て朝ベトベトになって帰宅しても、かれこれ5分もあれば机に着いて勉強ができるというのも、私の自慢だった。ともあれ、私の自慢好きは子どものころからの癖なのだろうか。まあ、そんなこんなで人生を送ってきたので、今でも12時前にしか寝ない。もちろん女子サッカーの試合が夜中にあることは知っていたが、これは私の活動時間外のことなのである。そのため、試合があることすらすっかり忘れていた。朝いつものように起きて、味な話の素≠書いてアップロードした。うまく転送されたかどうかをチェックするためにyahooを立ち上げたところ、日本女子が優勝したというニュースが出ていた。ああ、そうだった≠ニ思ってテレビのスイッチを入れたら、当然のことながら、すでに奇跡≠ェ終わったあとだった。 |
人心一新の効果 2011/07/19 火曜日 3081
いま顔を変えても仕方がないだろう∞他にだれがやるのか=B国家の危機ともいえる時期にゴタゴタしている状況に嫌気がさして、そんな意見も聞こえる。たしかに、代わりはこの人だ≠ニいう人物は頭に浮かばない。仮に強いて言えば…≠ュらいの人物がいても、また失望させられるのではないか≠ニ不安になる。これこそまさに政治不信だが、こうした気持ちを生み出した責任は重い。それはともあれ、本当にだれがやっても同じ≠ネのだろうか。これがモノであれば、同じ部品を交換しただけでは何の変化も起きることはない。しかし、人のこころ≠ヘそうでもないのである。きわめて情緒的だが、あの人には人徳≠ェ感じられない。これが大きいのではないか。人心一新≠ニいう。これはこころ≠セけを新しくするのではない。人が交代することで人のこころ、ひいては行動が変わるということである。仮にまったく同じことをしても言っても=A人の受け止め方は違ってくる。舞台や映画で同じ台本をもとに同じ台詞で演技をしても、役者によって印象が変わる。現実の世界でも同じことで、今の状況はあんただからいやなのよ¥態になっている。そもそも人が変われば、その人物が前任者とまったく同じ発言や行動をすることはあり得ない。しかし、とにかく中心人物が交代しただけで、人々の関係が変わることは大いにあり得るのである。それに、リーダーが状況を創っていく≠アとも事実だが、状況がリーダーを創る≠アともまた疑いない。それは経験的な常識だとも言える。これを今の政治状況に当てはめてみれば、人が変われば=A少なくともしばらくの間は野党側も一時休戦、一致協力≠ニいったイメージで対応せざるを得ないだろう。 |
宇宙人≠超える 2011/07/18 月曜日 3080
どこに行くにもSPの護衛がつく。大臣なんぞになると、これが快感でたまらないらしい。自分がとてつもなく偉くなったような気がするのである。それが故に、その特権が失われることすら先延ばしにしたくなる。自分が何かを言うと、周りが必死で走りまくる。一人の力で人間どもを動かしている。それもまた快感なのだろう。勘違いが勘違いを生み、自分は偉いんだ≠ニいう幻想が生まれる。そんな人たちにとって大事なのは自分の今を守ること≠ナある。いやはや困ったものだ。あの政権交代はかなりの自民党支持者もある種の期待≠していたのではないか。それを機会に党が変わることを望む。そんな筋書きを描いた人は少なくなかったと思う。とにかく期待が大きかった。しかし、事前の期待が大きいほど、それがうまくいかなかったときの落胆も大きくなる。まずは宇宙人≠ェ登場した。当初はそれも新鮮に映った。しかし、本物の宇宙人≠ノ会ったことがないので、比較はできないが、われわれの目の前に現れた宇宙人はほとんど了解不能に近い言動をした。そして、その宇宙人が去ったあとに、それに勝るとも劣らない人≠ェ登場した。そもそもスタートから、しっかりした見通しもないままに消費税≠フ話を持ち出して選挙で大敗した。そんな発言をしなければ、とりあえずは衆参両院で過半数を超えていた可能性は高かっただろう。自分の発言で転けたのだけれど、いわゆる責任はとらずにしっかり居座った。今から考えると、強靱な粘り腰≠ヘこのときからすでに発揮されていたのである。まことに迂闊ながら気づかなかったなあ。とにもかくにも、宇宙人から嘘を言ってはいけません≠ニ非難されるのだから、あの人はあきらかに宇宙人を超えている。 |
メザシも≠ニメザシしか≠フ壁 2011/07/17 日曜日 3079
土光氏に対して庶民が関心を持ったのは、その生活ぶりである。テレビで夫婦がメザシ≠ニ菜っ葉≠主菜にして夕食を摂る光景がテレビで放映されたのである。経団連の会長といえば財界総理と呼ばれるほどの実力者である。その収入だって庶民の想像を超えているに違いない。その人が、まさに粗衣粗食=A質素な生活の鑑だったのである。放送したのはNHKだったと思うが、私もすごい≠ニ感動した。事実、収入のかなりの部分を地元の私立学校に寄付し続けていたというから、その志は本物だったのである。しかし、そのものすごさ≠認めながらも、私のひねくれ虫≠ェむっくりと頭をもたげた。土光さんは‘メザシも’食べられる人なんだなあ…=Bそんな思いである。しかし、世の中には‘メザシしか’食べられない人たちも確実にいる。おなじ‘メザシ’をおかずにしていても、この両者には乗り越えることの出来ない高い壁がそびえ立っている。もちろん、それが故に土光氏の輝きが曇るわけではないが、これも余裕ある人の善行≠セとはいえないか。そんな気がしたのである。トプカピの財宝から権力≠フ話になり、それが善政≠ヨと広がって、ついには土光氏の善行≠ノまできてしまった。いずれにしても権力≠フ椅子には魔物が隠れているに違いない。いまの首相も権力≠フ魔物にとりつかれているようだ。自分の名前を後世に残したい。少なくとも史上最低≠ネどという評価のままでは辞められない。もうそれだけが行動のエネルギーになっているのではないか。そうなると、庶民がどうなろうと知ったことではない。ご本人はそんな気持ちなどさらさらないのだろうが、それが悪魔の怖いところなのである。鈍菅≠ウんでは困るんだなあ…。 |
なぜかナポレオン 2011/07/16 土曜日 3078
高校生のときに思ったことがある。ナポレオンは誰でも知っている。しかし、ナポレオン自身が天国か地獄か、はたまた埋葬された地の中から‘自分はけっこう有名だなあ’と自己満足することはない=Bつまりは死後の名声なんて本人にはわからないわけだ。それでも名を残そうとする≠フは、むなしい我欲≠ノ過ぎないのではないか。それも、生きている間に周りのみんなから尊敬され愛され続けたのであればけっこうなことである。しかし、我欲≠満たすために人を踏みつけ犠牲にするなんてことは許されない…。とまあ、こんなことを漠然と思っていたのである。なぜかその対象はナポレオン≠セった。ところで、善政≠ニいうことばがある。権力者が庶民のことを考え、思いやりのある政を行ったときに使われる。たしかに、世界中の歴史に目を通していけば、すばらしい人たちがたくさん見つかるはずだ。それはそうだけれど、そもそも権力というものは本質的に人を踏み台にして得られるものではないか。そうして獲得したものからほんの一部を施して、それを善政というのだろうか。そんなことを高校生のときに考えたりしていた。父親に似て、というと親父が怒るかもしれないが、ものごとを斜めから見るところがあったと思う。ところで、私がまだ30代の前半だった1980年代に、土光敏夫という昭和の歴史に残る大物経済人がいた。石川島播磨重工業、東芝の社長を歴任し、70年代には経団連会長として活躍した人である。さらに1981年から臨時行政調査会長を勤めた。この土光氏がとくに一般庶民にも知られるようになったのは、きわめて質素な生活を送る人だったからである。その華麗な経歴とは裏腹に、公共交通機関を使い夜の接待も廃止したという。 |
トプカピ宮殿の財宝 2011/07/15 金曜日 3077
イスタンブールのトプカピ宮殿は財宝の山だった。高校生の時に見たトプカピ≠ナは、その財宝を盗もうという盗賊団が主役だった。天井からロープを吊って逆さまにぶら下がるシーンが思い起こされる。もともとコメディだったが、あれから40年以上は経過している。今となっては警備の技術革新もあって、おそらく映画で採用された方法では宝石泥棒なんてとてもできないだろう。宮殿の入り口には自動小銃を構えた兵士までいるのだから、盗賊団もそれを見ただけで怖じ気づくのではないか。それにしても、世界遺産≠ナある。私が世界遺産≠ノ行ったのはこれが初めてではないかと思って調べたら、過去に行ったことのある法隆寺や姫路城、白川郷に原爆ドームなども世界遺産だった。いずれにしてもオスマントルコ帝国といえば、高校で習ったことだけはしっかり記憶にある。その君主が住んだのがトプカピ宮殿なのだ。キンキラキンの財宝がこれでもかこれでもかと言うほど展示されている。3つのエメラルドをはめ込んだ短剣や、目がくらむようなダイヤモンドをちりばめた衣装、宝石箱などが並んでいて、そのうちもう、よかバイ≠ニ九州弁を発したくなった。そして、またぞろ私のひねくれ根性が心の中で広がっていった。こんなものをどれだけ集めたら満足するんだろう…=Bそれを手にするためにどのくらいの人たちが汗を流したか。おそらく血も流したに違いない。世の中には食べるものもなく飢えて死んでしまった人だってわんさかいただろうに、そんなことはおかまいなし。とにかく自分の宝物≠ェ増えることに至上の価値を置く。もちろん、これはトプカピ宮殿の住人だけのことではない。およそ権力≠もった者たちに共通する行動パターンである。 |
近隣依存 2011/07/14 木曜日 3076
そう遠くない時期に音声ガイドの日本語≠ェ消える…。そんな悲観的な予想をしているのだが、まずは現実を見極めないと新たなアクションもとれないのである。いつのころからか、JR九州の特急列車では日本語に続いて韓国語、中国語の案内が流れる。朝鮮半島で話されていることばは文字通り朝鮮語だから、北朝鮮ではそう呼んでいるという。ただし、韓国では韓国語と言うのだそうな。南北問題の厳しさが自国語の呼び方まで影響を与えていることになる。とりわけ九州は韓国とは目と鼻の先の関係にある。ビートルという高速船も就航している。熊本でも熊本城などで韓国語や中国語を聞くことが多かった。それがあの震災以降は観光客が激減しているという。これについては少しずつでも回復するのを待つしかないが、とにかく韓国や中国の観光にも依存する経済が当たり前になってきたのである。それにしても、こんなときに政治を見れば目を覆いたくなるような状況が続いている。自分の顔を見たくない人もいる≠ニ笑って公言する政治家もいらっしゃるが、国民が目を覆ってしまっていることに気づいていない。ひょっとしたら中国の辛亥革命100周年の記念行事で訪中するまでは引っ張りたいという気持ちがあるのかもしれない。今年の10月10日である。これに出席できればたしかに歴史に残る。その気持ちに先方がどう対応するか。終わりを宣言した人だから敬遠したいという発想もありうる。しかし、外交はあくまで利害関係の天秤である。ある意味では歓迎するという選択肢も大いに考えられる。その代わり、徹底して自国に有利な発言≠引き出すことである。この際だから、呼んでくれれば何でも言う=Bそんな事態になる可能性はゼロ≠ネのだろうか。 |
音声ガイドの国旗 2011/07/13 水曜日 3075
トプカピの宮殿はオスマントルコの君主が住んだ居城である。現在はそれが博物館として解放されている。はじめの門をくぐると広い公園のような敷地が見える。しばらく進むとチケット売り場があるが、その少し前に音声ガイドの案内板が立っていた。トルコ語を含めて、英語やフランス語、それによくわからないがご当地近くのアラビア語のようなものも含めて10カ国の国旗が描かれている。その中に日の丸もあった。貸出料は10トルコリラで700円くらいになる。私はあることを考えながらその写真を撮った。日の丸が中国の国旗である五星紅旗に替わるのは時間の問題だろうな≠ニいう思いである。中国はいわゆるGD Pがアメリカに次ぐ世界第2位になった。アメリカは、どんなに日本が成り上がってきても自分たちを超えることはないと信じていたと思う。しかし中国の場合は、自分たちをしのぐ可能性が高いことを意識しているはずである。この点が、アメリカから見た中国と日本の大きな違いである。それは単なる意識ではなく、すでにはっきりした危機感になっているといっていい。問題はその時期だが、それが思ったよりも早く来るかもしれない。そこまで本気で心配しているのではないか。今回のイスタンブールでは、偶然なのだろうか東洋系の顔を見ることがきわめて少なかった。中国語や韓国語はもちろん、日本語すらほとんど聴いていない。それはそうとして、すでに中国は世界中で関わりを深めており、その結果として中国人の観光客も増加の一歩をたどるはずである。その一方で経済的にも退潮が否めない日本からの客は、少なくとも相対的には減少していくことは間違いない。そして、音声ガイドの旗が交代するのは、やはり時間の問題ということになる。 |
自動小銃の世界 2011/07/12 火曜日 3074
イスタンブールではトプカピ宮殿≠ノ行った。私が高校生のときトプカピ≠ニいうタイトルの映画を見た。この宮殿に置かれている財宝を盗むことを考えた泥棒たちの物語である。天井からロープを降ろし、それにぶら下がって展示物をかっぱらうという筋書きである。警備もハイテクで電子化されていない時代だから、いまとは比較にならないレベルのものだったはずだ。盗賊の話ではあるが、基本的には喜劇だった。あまりにも昔のことなので、細かい内容は記憶の彼方にある。しかし、トプカピ≠ニいうタイトルだけはなぜかしっかり憶えていたのである。そんなことから、イスタンブールでは時間を見て行きたいと思っていた。まずは、入り口の門に自動小銃を持った兵士が警備していることに驚いた。門を入ってすぐにも2人目がいた。わが国でも警察官が拳銃を携帯しているが、自動小銃などテレビの世界である。しかし、好むと好まざるとに拘わらず、こちらの方が世界の常識なのだと実感する。学会の会場でも入り口には空港と同じような手荷物検査装置があって、これをパスしないと先に進めないのである。それどころか、私が泊まったホテルにも回転ドアの向こう側に金属探知機のゲートがあった。トルコでも宗派や民族の違いなどから対立もあるようだ。これはトルコそのものには関係ないが、ほんの隣はレバノンであり、イラクなのだ。さらにその東にはアフガニスタンがある。いずれも世界の緊張地帯なのだ。人間にとって平和であることが何よりある。そして、日本は平和だといっていい。そのことを心から喜ぶとともに、世界はそれほど安心して暮らせるところばかりではないことを知っておくべきなのである。しかも時代はさらに厳しい方向に進んでいる。
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ネタの出所 2011/07/11 月曜日 3073
われわれが何かを言うとき、出典を明らかにするのは常識である。私が授業でinformation≠ゥらwizdomへ≠フ話をする際も、ランダムハウス英和辞典≠ェ情報源であることを明言する。この辞典ではinformaion≠フ項に、類似した単語として、knowledge∞wiszdom≠ェ挙げられていて、司馬氏が講演で話した内容と同じ解説が掲載されている。司馬氏は大学時代モンゴル語を学んだという。そんなわけで、英語に関する知識がどのくらいだったかは知らない。ただ、この3つの単語の関係について、何の情報源もなしで独自に発想したとは考えられない。ここで言いたいことは、その講演の際に、司馬氏が引用元を明らかにしたかどうかを知りたいということだ。私としては当然引用すべきだし、控えめで自己主張を可能な限り抑えそうな司馬氏のことだから引用したのではないかと思う。しかし、それを聞いた人が他のどこかで書くときは発信元がわからなくなることもある。私はCha,Cha,Chaで行こう≠ニいう話をする。これはChalleng
the Chance to Change yourself≠フ頭3文字をとったもので、自分が変わることをチャンスだと考えてチャレンジしましょう≠ニアピールするのである。この話を福岡の経営者にお話ししたところ、それはなかなかいいですね。じつは私も『他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる≠ニ言って部下たちを励ましています≠ニお応えいただいた。何ととすばらしい表現だことよ。そう思った私は、人の引用であることを明らかにしてこのフレーズを伝えている。しかし、これが私のオリジナルだと勘違いする方がけっこういらっしゃるのだ。大事な情報というものは伝わりにくいものである。 |
司馬氏の講演 2011/07/10 日曜日 3072
トルコに行く前の4日に司馬遼太郎氏について書いていた。まだ途中までだったので今日はその続きである。司馬遼太郎が考えたこと≠フシリーズを読んでいるのだが、その第9冊目に私の目を引くことがかかれていた。それは司馬氏自身の文章ではなく、氏と親交のあった青木彰氏が書いている解説の部分である。青木氏は産経新聞の編集長を経て、東大教授などを歴任したジャーナリストである。私が注目したのは、1991年に開催された日本新聞学会≠ナ司馬氏が行った講演内容の引用部分である。私がおやっ≠ニ思ったのは次の一節だ。司馬さんによれば、「情報(知識)には、「インフォーメーション(Information)」と「ナレッジ(Knowledge)」と「ウイズダム(Wisdom」の3種類があるという。ところが日本では、インフォーメーションやナレッジの情報が氾濫し、知恵や英知を意味するウイズダムの情報がほとんどない…=Bこの文章を読んで、私はなあるほどおもしろい≠ニ感心したのではない。むしろ語感的にはおやおや≠ニ思ったのである。その理由は簡単で、私も全く同じこと≠10年以上も前から言っているからだ。それはほとんど一言一句まで同じ≠ニ言っていいほどなのだ。私の場合は教育情報科学≠ニいう講義でなかでのことである。そのまとめとして、したがって、私たちには、informaionからwisdomへの転換が求められている≠ニ付け加えている。この最後のアピールは学生たちも印象に残った≠ニ評価してくれている。こここそがわたしのオリジナルのつもりなのだが、その知恵≠フもとというかネタの出所がある。それはランダムハウス英和辞典≠ナ、私自身は当然のことながら、そのことをはっきりと伝えている。 |
せっかくただいま≠ネのに… 2011/07/09 土曜日 3071
ただいまイスタンブールから関空まで帰ってきました。西風に吹かれて11時間、行きとは2時間近くも違いがある。さて、帰国早々ながら、海外へ出かけるといつも気分が悪くなる。正確には出かける前からである。今回は関空からイスタンブールへ飛んだ。その関西空港である。あーあ、ここもまた閑散として見る影もない。成田も中部も印象は同じ、いつもこうなのだ。関空ではJRと南海電車の駅の向こう側にホテルもあるが、その建物全体は地方都市のシャッター街とかわらない。映画監督の伊丹十三が自殺したというニュースを聞いた日は関空にいて、本屋で自殺♀ヨ連の本を買ったことを記憶している。その本屋もいまはどこにいったのかしら…。とにかく巨大なシャッター街がそこにある。外にはアジアのゲートウエイ≠ネる大きな看板が設置されている。それがむなしく見える。このビルで昼食を摂ったが、13時を回ったころだというのにレストランは1人か2人が座っているだけなのだ。これでは採算があわないだろうなあ≠ニ余計な心配をする。そんな状態になったのは私のせいではないのだが、何かしら恥ずかしさまで覚えてしまう…。しかし、いまや誰がこんな日本にしてしまったのか≠ネどと責任を問うている暇はない。もう過去のことをとやかく言うのはやめよう。私としては自分に先が読める力があるなどと言うつもりはない。しかし、それでも味な話の素≠開設する前から、私は日本崩壊≠フ危機を叫んできた。そして、現実はますます深刻さを加速し、取り返しのつかなくなるその日がさらに近づいている。政治の無策がこんな状況をつくってしまったことは疑いない。それは現政権の問題ではなく、この40年ほどのいい加減さの積み重ねの結果だ。 |
| イスタンブールからの発信はこれでおしまいです。滞在中は何とか繋がりました。明日9日は帰国後の夕刻にアップします。 |
一人だけ≠ニいう楽しさ 2011/07/08 金曜日 3070 From Istanbul, Turkey(4)
文化というものがある。所変われば品変わる≠セ。ホテルのタンスの引き出しを開けると東西南北のシールが貼ってある。東南よりやや南寄りに聖地メッカの絵が描かれている。イスラム教徒たちは1日に5回、こちらに向かって祈りを捧げるのである。またホテルでも顔を真っ黒のベールで覆っている女性がけっこういる。大きな黒い目だけがしっかり見える。まことに神秘的というかエキゾチックなのである。これもすごい文化だと思う。海外に出かけるときのホテルは、少しばかり背伸びしたところを取るようにしている。理由は単純で、安全第一≠ニいうことだ。日本の場合は上等なホテルは当然として、いわゆるビジネスホテルでも、とにかく安全という暗黙の了解がある。その点、ガイドブックなどを見ると、海外はどこでも危なさそうな&\現の注意書きがついている。本当はそんな こともないのだろうが、とにかく安全≠最優先する。そうした場合でも、以前は朝食のバイキングなどの場所では日本語が飛び交うことが多かった。しかし、今回は8時前くらいの時間帯だが、日本人がまったくいない。それだけでなく東洋系の顔がないのだ。いわゆるヨーロッパ人が比較的多く、英語はもちろんだがドイツ語にフランス語も聞こえてくる。また、アラブ系の人たちもかなりの割合でいる。そんな中で東洋人が一人で朝食を摂っている。その姿を外から見たらどんな風に見えるかなあと想像すると楽しくなった。日本でホテル泊まるときは、ここは外国人も多いなあ≠ネどと思いながら一瞬だけだが目にとめる自分がいる。もちろん、このイスタンブールでは、周りの人たちが私の方をチラリと見るような気配すらない。そんな環境を楽しみながらゆっくり朝食を摂っている。 |
| ホテルのネットの相性が悪く、順調に更新できないこともあります。その際は、9日(土) 夕刻にまとめてアップします。 |
土耳古の親近性 2011/07/07 木曜日 3069 From Istanbul, Turkey(3)
昔からトルコ人は日本人に親切だという話を聞いている。それが客観的に正しいのかどうかを確認するのはむずかしい。そもそも、そうなった歴史的なきっかけは、1890年に起きたオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山沖で遭難したことから始まるという。その際に、地元の住民たちが救助に当たったのである。まあ、そうした理由はおくとして、私自身はイスタンブールの街を歩いて、何となく親近感を感じるのに気づいた。それは体の大きさだ。外国を歩くとガリバーとまでは言わないが、体の大きさの桁が違う人間ばかりいる。ところが、トルコでは私と同じ年配者はもちろん、若者たちもそれほど上背がない。それをはっきり意識してituどうかは別にして、これは心理的にホッとさせる事実に違いない。また髪の毛も黒髪が多い。すこし金髪っぽい者もいるにはいるが、いまでは茶 髪なんぞに染めているから、日本の街の方が黒髪が少ないのではないかと思うほどだ。まあ、顔まで似ているとは言わないが、それでもトルコはアジアなのかヨーロッパなのか。これまた歴史的なことは知らないが、けっこうアジアっぽいところがあるのではないか。ところで、街中の繁華街は人がワンサカ歩いていた。トルコを代表する観光地でもあるから当然なのだろうが、東京や大阪もこんなもんかなあと心配になってきた。もともと人が多いだけで外出する気がなくなる私だから、日本の繁華街の混み具合だってよくは知らないわけだ。それに、ただ人が多ければいいというものでもない。しかし、日に日に元気を喪失している日本の現実があるから、他が賑やかだとつい余計な心配をしてしまう。それはそうとインターネットで覗いたら、政治はまだ辞める辞めない≠ナ揉めている。嘆息。 |
イスタンブールの靴磨き 2011/07/06 水曜日 3068 From Istanbul, Turkey(2)
トルコも夏だから暑い。学会の会場まで歩いて20分ほどかかる。イスタンブールは旧市街と新市街に分かれていて、ホテルと会場は新市街にある。街中を通りながらだから心理的にはすぐに着いたが、日差しがかなり厳しい。ただ、湿気はないようで汗がだらだら流れることはない。それにしてもイスラムの国である。朝の4時ころだったか、お祈りの声がスピーカーを通して聞こえてきた。私は土地が変わっても適応力抜群で、すでに今朝から日本の4時起きモードでいるから、しっかり聞けた。とは言いながら、その内容は完璧に理解できない。しかし、モスクでお祈りしている人がいるのだと思うと、宗教のすごさを感じる。さて、昨日は会場から帰る際に靴磨きのおじさんにしつこく迫られて靴を差し出した学会の参加者がいた。最初は断っていたのである。うゎー、捕まってらあ≠ネどと苦笑しながら通り過ぎた。リーゾナブルな料金であれば靴を磨いてもらうのだから問題はないが、どうなんだろう。私の靴はバックスキンのようなものだから、靴磨きには引っかからないと思った。それから5分ほど歩いていたら、通りすがりの靴磨きがブラシを落とした。そこで当然のことながらブラシが落ちたよ≠ニ教えてあげた。その親切に大いに感動≠オてくれたところまでは良かったが、破顔一笑、あんたの靴を磨いてやる≠ニいってついてきた。おいおい、私の靴なんぞクリームで磨くような材質じゃない。それに、私をカモと思ったんじゃないかと邪推までしてしまった。けっこう、けっこう≠ニばかり手を振って逃げるように歩き続けた。先方としてはお礼のつもりなのに≠ニいいたそうな顔をして肩をすくめていた。いやいや海外では疑い深いくらいでちょうどいい。 |
モンゴルの天の川 2011/07/05 火曜日 3067 From Istanbul, Turkey(1)
今回はトルコのイスタンブールである。いま黒海を通過中で1時間後に目的地に到着する。熊本から新幹線で博多へ行き、福岡空港から関西空港、そしてトルコ航空でイスタンブールである。それにしても遠い、所要時間が12時間30分ほどかかる。中国地方を突っ切って韓国に入り西へ方向を変え、中国からモンゴル上空を通過していく。真っ暗で見ることは出来ないが、あのカスピ海を下に見ながら西へ西へと向かう。黒海を通過してイスタンブールとなる。中国からモンゴル上空を通過するときは、その天体ショーに感動する。星のことなどさっぱり知らないが、それでもあれはどう見たって天の川である。輝く星にベールをかぶせるように白い霞のようなものが見える。とにかく天の川である。おそらく、あれがさそり座だろう。それに白鳥座もあれに違いない…。この際は、星座の名前が当たっていようが外れていようがほとんど関係ない。とにかく美しい。ただそれだけである。子どものころは星を見るのも楽しかった。つまりは星がちゃんと見えていたのである。いまふと気づくと星なんて、何とか流星群≠ネどとマスコミに煽られたときだけ騒いでいる自分がいる。子ども時代に限ったことではない。1960年代、私が高校生だったころ、福岡の室見というところにいたが、川の橋に立って空を仰ぐと星が見えていた。宇宙の悠久なる時間に比ぶれば人の世のはかなきことよ≠ネどと誰でも言いそうなことをつぶやきながら、星々を眺めていたものだ。ところで、いま機内放送でお客様でご気分が悪くなった方がいらっしゃいます。お医者様がいらっしゃいましたらお知らせください≠ニのアナウンスがあった。もうすぐ到着だが、大したことがなければいいが。とにかく遠い…。 |
| 本日から海外へ出かけます。インターネットが使えない場合は、9日(土) 夕刻にまとめてアップします。 |
司馬遼太郎が考えたこと 2011/07/04 月曜日 3066
司馬遼太郎氏は国民的作家と言われる。それは知っていたが、作品はまったく読んだことがなかった。しかし、何分にも国民的作家≠ネのだから、少しは覗いてみるかと思って、新潮文庫の司馬遼太郎が考えたこと≠読んでみた。その限りでは国民的作家≠ニいうほどの印象は受けなかった。あくまでエッセー風のものを集めたものだから、小説とは違ったのかもしれない。まあ、そんなわけでそれほどの好印象≠ヘ受けなかったと味な話の素≠ノも書いたことがある。もう数年前のことだ。ただ、司馬遼太郎が考えたこと≠ヘ全15冊だが、はじめの3冊目をまとめ買いしていた。そこで時間をおいて2冊目を開いた。それほど話題や内容が飛躍してはいないのだが、何となくおもしろい≠ニいう感触を得た。そして、3冊目に入るとけっこうおもしろいわ≠ニ気持ちが変わった。これについてもしっかりした理由は見いだせないが、おもしろい≠ニ感じる私がいたのである。読み進むうちに、中国の革命指導者毛沢東氏を世界の歴史に残る希有の英雄としてきわめて高く評価していることもわかった。今日でも天安門にはその肖像が掲げられている毛沢東氏は中国の英雄であることは疑いない。しかし、文化大革命あたりについては評価も分かれているようだ。その点では、文字通り歴史の評価に待つしかないが、とにかく司馬氏は絶賛しているのである。それはともあれ、ボチボチ読み続けて、すでに9冊目までが終わった。各冊が500ページを超えているのでかなりの分量になる。しかし、ここまでくると粘着質が売りの私である。最後の15冊目まで読んでやろうと決めて買い込んだ。もともと一気に読み上げるタイプではないから、いつ完読するのかはわからない。 |
コミュニケーション上手と世代間差 2011/07/03 日曜日 3065
このごろの若いモンはコミュニケーションができない≠ニ年寄りは嘆く。しかし、若い人だってコミュニケーションのうまい者もいる。それに、われわれ世代のみんながコミュニケーション上手というわけでもない。まだ福岡空港が板付基地だったころ、国内線の飛行機も含めて米軍の管制下で離着陸していた。嘉手納基地とは比較にならないにしても、れっきとした米軍基地だったのである。その証拠に、私が中学生のころは米軍の戦闘機が頻繁に訓練飛行をしていた。ときおりドーン≠ニいう大きな音がした。それは音速を超えたときの衝撃音だと教えてもらった。なんと、1968年6月には、戦闘機のファントムが九州大学に墜落するという衝撃的な事故まで起きている。落ちたところが建築中の電算機センターだったから、人命が損なわれることはなかった。まさに、不幸中の幸いということである。ともあれ、そうした状況だから福岡の地もアメリカの軍人と家族がけっこういたのである。FEN(Far
East Network)という在日アメリカ人向けのラジオ放送も聞くことができた。これで英語を勉強した人も少なくなかったと思う。そうしたころ、アメリカ人の日本人に対する印象の代表が、能面のように表情がない∞何を言っても笑っているだけ≠ニいったものだった。これにジェスチャーが少ない≠ネどの評価も加わっていた。能面≠ヘ無表情どころか様々な感情を伝えてくれるものだが、まあそれは日本人の心の目を通した場合に限られているのだろう。ともあれ、それがアメリカ人の評価だとしても、私が子どものころの日本人は、決してコミュニケーション上手≠セったとは言えないはずだ。その点、このごろの若者たちは表情豊かで体の動きもいい感じがする。 |
若い世代の力 2011/07/02 土曜日 3064
いまの若者たちが優れている点もわんさかある。PCや携帯を自由自在に使いこなすなんてのは年寄りの出る幕がない。もっとも上手下手を度外視すれば、われわれ世代でもPCを使わざるを得なくなった。いまでは日本国中の職場で、机の上にディスプレイが載っかっている。それが日常的な風景になった感がある。これは革命的な変化だ。物事には光と影がある。PCはうまくなったかもしれないが、コミュニケーションの力は地に墜ちた≠ニいう方もいらっしゃるだろうか。たしかにそんな面もあるかとは思うが、それでは昔の人は誰もがプレゼンテーション能力に優れていたか。わが父親など、仕事はしっかりしていたが、人と話すのはきわめて苦手だった。それなりの立場になったとき、数人の部下の前でしゃべるのでも大いに緊張する≠ネんて嘆いていた。一般的に夫≠スちの中には、いまならDVと言われるような人間も多かったのではないか。とにかく勝手気まま、自分の言うことが通らないとかんしゃくを起こす、食事の準備ができたちゃぶ台をひっくり返す…。なにせ抑圧の強い時代である。職場で蓄積された鬱憤を家庭で解消する男たちもけっこういたはずだ。こうなると、コミュニケーションもへったくれもない。その点、若い世代では、たとえばわが息子夫婦を見ていてもしっかりコミュニケーションしている。えっ、そういうところを見ると、おまえさんたちはうまくいっていないんだろう≠ナすって? いえいえ、ご心配ご無用、われわれも十分にコミュニケーションしています。私なんぞ朝からハイでしゃべりすぎだと家内から注意されるほどですから。ともあれ、今の若者たちよりも自分たち世代の方がコミュニケーション力があるとは言えませんね。 |
風呂釜の思い出 2011/07/01 金曜日 3063
とくに自分より若い人たちと話をするときは、頭から昔の方がよかった≠ニいう前提で話を進めないことが肝要である。ただし、若者といえどもけっこう昔の方がよかった≠ニ思っている節がある。今度の新入生はやってられない=Bこんな発言を大学の3年生から聞いたりすると、つい笑ってしまう。人は自分と他人や集団とを差別化したがるもののようだ。その上で、こちらの方が優位に立っていることを確認する。まあ、だめだだめだ≠ニ自虐的になって身動きがとれないよりはいいのだろうか。しかし、頭の中だけで優位性を保って満足してしまい、現状維持か下手をすると退化するようではこまったことになる。ルネサンス≠ヘ単なる復古ではなく、新しく蘇る、生まれ直すことである。文字通り復興≠ネのだ。熱帯夜には大汗をかき、体中が汗でべとべとになる。そんなわけで、夏の盛りには出かける前に軽くシャワーにかかる。なんと便利なことよ。そういえば、風呂を沸かすのだって大変だった。とりわけ寒い冬は厳しかったなあ。とにかく風呂釜は屋外にあるから外に出なければならない。薪を入れて新聞紙に火を付けて、石炭を少しずつ加えていく。翌日は灰の掃除から始まる。それが今やボタンを押すだけでお湯張りとなる。暖かい湯船につかってその日の疲れをとる。やっぱし今の方がいい≠ノ決まってる。もっとも、そうした物的環境ではなく、心の面では昔の方がよかった≠ニいうことになるのか。たしかに部分的にはそんな面もあるだろう。しかし、一方では今で言うセクハラ≠ネどはほとんど常識だったし、特殊な状況下とはいえ、軍隊内での暴力やいじめは凄まじかったという。とにかく、昔≠ニ比べるだけではルネサンスは実現できない。
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