吉田道雄 YOSHIDA, Michio
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味な話の素
Since 03/04/29
 No 98  2011年06月号 (3033-3062)
ランク落ち 2011/06/30 Thu 3062
 いまどきの若いモンは…=Bこんな落書きがピラミッドにも書かれていたという。その真偽のほどは知らないが、人間は自分の体験の記憶と今を比較したがる動物だ。つまりは記憶がよすぎる≠フである。しかし、その一方で日本人は過去を忘れやすい≠ネどとも言われる。国際比較のための客観的≠ネ基準はないだろうが、私たちには忘れやすい≠ニころがあるとは思う。政治の世界も空前絶後の混乱に陥っているが、いつもいまのこと≠セけが焦点化されてしまう。過去のことはもちろん、大事な将来のことなども頭にないかのように見える。そう言えば、いまの大将≠ウんは、そもそも先の選挙でぶっちぎりに負けた人だった。しかも、その原因の大部分が自分の発言だったことは、ご本人も認めているのではないか。それでも、そのことはなかったかのようだ。もっとも、いま責め立てている人たちは、もちろん、それも忘れていないが、そもそも今がひどすぎる≠ニ言いたいのだろうか。こんなニュースがトップに流れる。国民は文句を言いながらも、あるいはあきれ果てながらも一生懸命生きている。世界を見渡せば、政治のひどさにいい加減にしろ≠ニ国会を取り巻くくらいのデモだって起きてもおかしくない状況だ。日本国民はすくなくとも相対的には冷静なのだ。もううんざりしてそんな元気も失せたのかもしれない。そんな状況に政治が甘えている。日本経済が絶好調だったころ、経済一流、政治は三流≠ニ揶揄されていた。いまや経済三流、政治はランク外≠ネんてことになっているのではないか。いやいや、地道に努力を積み重ねながら世界に影響を与えている中小企業もある。こうした力をどう伸ばしていくか。そんな課題も政治家の眼中にない。
節電とは言いながら… 2011/06/29 Wed 3061
 節電の時代である。とは言いながら、このところ雨が多く、朝から蒸し暑い。やっぱり空調に手を出したくなる。このところ、私としては原則として空調にスイッチを入れずに授業をしていた。しかし、学生たちがいかにも熱そうな顔をする。そこで先週はつい除湿まで踏み切った。その授業が終わって資料を片付けていると、次の時間の学生たちが教室に入ってきた。すぐに空調のスイッチにところに行って、うわーっ、信じられーん。除湿にしてるーっ=B設定温度を何度にしたのかわからないが、ほとんど条件反射的に冷房に切り替えた。ほかの授業でもクーラーを入れてください。暑くてたまりません≠ニ授業後のミニレポートで訴えられた。私も汗をかかずに過ごした方が気持ちがいい。とくに高齢者になったから汗臭さも格別だろうと推測する。自分のにおいには気がつかないものだ。しかし、このご時世である。汗だくだくは論外としても、少しばかり汗がにじむくらいはよしとしよう。そんな気持ちでいたのだが、年寄りの決断は受け入れられないようだ。かくして日本国中がいつもと同じように空調を使うのだろうか。たしかに、昔は体育会系の部活の部屋はもちろん、普通の生活をしている人間も汗臭かった。それが当然で、街中に出かけてデパートへ入るのが楽しみだった。私が中学生のころからだと思うが、デパートや銀行がクーラーを設置し始めたのである。銀行はあまりご縁がなかったから、とにかくデパートがオアシスだった。車にしても、私が初めて買ったときはクーラーなしだった。しかし、いまや汗がにじむくらいでも我慢できなくなってきたということだ。発想の転換が大事だと言うが、それを実際の行動に結びつけることはこの上なくむずかしいのである。
自己が興奮する… 2011/06/28 Tue 3060
 ある研修会の参加者から私の講義についてほめていただいた。受講後の感想文の中に書かれていたものである。先生の講義の進め方は大変興味深いものでした。私が最も感じたのは、研修中に誰よりも興奮(感動)していたのは先生であったように思います…=Bじつは、私自身講義や講演では、まずは自分が楽しむ≠アとを大事にしているつもりだ。その気持ちを見事に見透かされ≠トしまったわけである。しかし、それは心地よく、私にとっては最高にほめていただいたと感じるのである。朝から気分が乗るかどうかは個人差も大きいだろう。しかし、たとえば教師が先生、朝から元気がないね。大丈夫なの≠ネんて子どもたちから心配されてはまずいでしょう。あるいは看護師が患者から○○さん、あなたどこか悪いの≠ネんて声をかけられるのも、やっぱり格好がつかないではないか。もちろん、本当に体の調子が悪いときだってあるから、こうしたことがまったくあってはならない≠ネどとは言わない。しかし、それは常態化することはなんとしても避けたいものである。先生、どうしたそんなに元気なの、うらやましいなあ≠ュらいのことは言われたい。あるいは、あなたを見ていると、少しでも早く元気になって退院したくなるよ≠ネんて声を聞きたいではありませんか。ともあれ、私は朝から興奮できる体質で、それを仕事につなげていけるので、授業や講演でも自分が楽しむこと≠最優先にするわけだ。そもそもおもしろくも何ともない≠ネんて気持ちで仕事をするなんて、相手に失礼でもある。そんな気分の私にとって、今回の感想文はありがたや、ありがたや≠ノ尽きる。私としては、先生の話を聞いて元気になった≠ニ言われるのが最高に嬉しい。
授業はおもしろいんですが… 2011/06/27 Mon 3059
 学生たちの遅刻については、友達同士で支え合うなんてことはできないんだろうか。事実を確認したわけではないが、この世の中には携帯で目覚ましサービスをする大学があるとも聞いた。これにはうーん≠ニ唸ってしまう。いまや大学にとって、学生たちはお客様ではあるのだろうが、どうなんでしょうねえ。このごろは休講などの情報は携帯で知ることができるようになっている。昔の情報源は掲示板だけだったから、大学に出て行かないと何もわからなかったが、いまは便利≠ネことこの上ない。ところで、前年度に出席回数が足りなくてアウトになり、再度挑戦している学生が授業後に聞いていた。今年は大丈夫でしょうか∞ちゃんと出てるんだろ∞ええ、それがはじめのころ少し出てないんで…∞ああ、もう1回で今年もアウトだな∞そうですか、何とかがんばります=Bこんなやりとりのあとで、ぽつりと言う。授業に出てみるとおもしろいんですが、とにかく起きられなくて…=B最後に泣かせる≠謔、なことを付け加える。まあそんなこんなで、試行錯誤を重ねるているわけだ。教員である私自身が修行をしているのである。職場においても、部下を育てるには上役が成長していなけいといけない。まあ考えてみれば、人生そのものが生涯学習≠ネのである。どこまで成長しても、これでいいということはない。それならば、成長しなければならない≠ネどと義務感を背負うよりも、毎日1mmでも伸びるぞーっ≠ニいった気持ちを維持していきたいものだ。そうした雰囲気が部下たちに伝わって、自ら成長できる力を身につけていくことになる。リーダーはそうしたモデル≠フ役割を果たしてほしい。管理者が朝からぐったり≠ナはまずいですよね。
1時間目の試験は… 2011/06/26 Sun 3058
 たしかに、1時間目でない授業だとほとんど遅刻者が出なくなるから、学生にとって朝がとてつもなくつらいことは推測できる。ただしそれが全員でないことも事実で、ちゃんと時間前に来る者はいる。もう数年前になるが、いつも早く来る女子学生がいた。それが数回続いたところで、早いねえ≠ニ声を開けた。1時間目に間に合う電車が1本しかないんです=Bこれが彼女の答えである。自宅を出るのは7時前だと聞いたような記憶がある。これは社会人の世界でもよくある話だ。遠くの人間の方が遅刻をしない。それこそ歩いても10分くらいのところに住んでいても出て来られない者がいる。ともあれ、体の問題も含めて、遅刻の理由や原因は様々だろうが、一部の学生にとって1時間目は鬼門なのである。そのうち、遅刻が欠席につながっていく学生もいる。私としては話を聞いてもらってこそ授業だと考えているから、欠席が基準を超えるとアウトになる。単純にいえば2/3以上は出席しないといけないというルールがある。ところが、これを超えていても試験を受ける元気な学生がいる。しかし、この場合は残念ながら採点の対象にならず門前払いになる。少し前までは、欠席が多いとアウトになるよ≠ニ、授業がはじまってから3回目くらいまで伝えていた。そして、おしまいの授業でも基準に達しないと受験してもだめよ≠ニ言っていた。それでも受ける者がいるわけだ。まあ、これには合理的な理由≠ェある。なぜなら、それを宣言したすべての時間≠ノ欠席≠オているから、聞いていない≠フである。それにしても、試験だって同じ1時間目に実施するのだが、このときはちゃんと出てこられるんだなあ≠ニ、人間の体と心のメカニズムに改めて感動する。
遅刻対策 2011/06/25 Sat 3057
 驚くほどのスーパー遅刻をしてほとんど授業で話を聞いていないのにミニメモにはちゃんと書く。まあ、すごい能力をもった学生もいるわけだ。しかもはじめから授業を受けている学生よりもいい文章を書いたりもすることもある。もうそんな学生は授業に出なくてもいい≠ニいう教員もいるだろう。少なくともわれわれが学生のころは間違いなくいた。そんな先生はおもしろい≠ニ評価されていた。しかし、私は了見が狭いからそんな発想はしない。こっちだって仕事なのだから、受けると約束しているものは受けてもらう。その上でこの授業は何の役にも立たないというのであれば、その評価を受け止める。そんな意味もあって授業ごとのミニメモもとっているのである。定年まであと2年と10ヶ月、授業での試行錯誤は終わることがない。ともあれこうした状況だから、遅刻≠ノ対してもいろんなことを試みている。これもまた楽しからず哉なのである。数年ほどは、私の辞書には遅刻はない≠ニばかり、徹底して遅刻対策をしたこともある。その一方で、それを緩めて様子を見たりもする。また、遅刻が基準回数を超えると欠席にするといったことも考えられる。こうした対応を年度によって変えるのは不公平だという声が出てくるかもしれない。しかし世の中にはこれがベスト≠ニいうものはないから、いつまでたっても探し続けるしかないのである。そもそも遅刻が多いのはあんたの授業がおもしろくないのよ≠ニいわれるかもしれない。その可能性は否定しないが、寒い時期に重なる後期の1時間目でも、ほとんど遅刻が見られない授業がある。まったく同じ人間が比較的類似した授業をしていてそうした差が出るのだから、私個人の要因だけでないことは明らかである。
教師の発言 2011/06/24 Fri 3056
 私が大学に入ったころ、あれっ、君たちはデモに出かけないの≠ニ、授業に出ている学生に問いかけた憲法の先生がいらっしゃった。何が目的のデモだったか記憶にないが、その日は大学でデモ参加への呼びかけが行われていたのである。自分のつまらない(?)§bなんぞ聞いてなんかいないで行動せよとおっしゃりたかったのだろうか。もう40年以上も前のことだが、先生のお名前も風貌もしっかり覚えている。まだご健在だとは思うが、かなりのご高齢だろうからそんなこと言ったっけ≠ニ笑われるかもしれない。しかし、まだ成人前の若者にとって、まことに印象的な発言だったので、いはば昨日のことのように記憶しているのである。どんなことでもそうだが、した側∞言った側≠ヘ忘れても、された側∞言われた側≠ヘいつまでも忘れないものである。もちろん記憶にはプラスもマイナスもあるのだが、教師は後々まで責任ある発言をしなければならない。いやいや、それは教師に限ったことではない。それはあらゆる人間に当てはまることである。さてさて、授業開始から1時間ほども遅れてきた学生には、授業後に書くミニメモ用としてマルチ<}ークの付いたシートを差し上げることにしている。マルチ≠ニはマル遅刻≠ニいうことだ。1時間も話を聞いていないのだからまともな内容は書けないので、評価は低くなる。ただし、これに関連しては感動的な体験をしたことがある。そのときは、授業に区切りをつけて前方からミニメモを配布した。じつは過激に遅れた学生がいたのだが、彼も含めて全員がミニメモを手にした。それでもどうせ書けるわけない≠ニ思いきや、隣の学生と一言二言話をしてから、すらすらとペンを走らせ始めたのである。
1時間目の教室 2011/06/23 Thu 3055
 それにしても、学生にとって1時間目は鬼門なのだ。授業開始の10分くらい前までの教室はほとんど誰もいない。ただし、社会人が受講している場合は例外で、たいていの方が席に着いている。それから5分ほど経過すると、そこそこの学生が入ってくる。そしてチャイムが鳴るとすぐに授業を開始する。そのとき教室にいるのは30%くらいだろうか。それからボチボチ増えて80%〜90%になる。もちろんこれらの数値は私の概算である。そんな細かいことまで計算などしていない。学生のなかには相当の猛者がいて、ほとんど1時間が経過しようというころに顔を出す者もいる。さすがに毎回ということはないし、それも一度の授業では1人程度だが、とにかく残り時間が30分くらいしかなくても出てくるのである。授業のまとめとしてミニメモを書いてもらっているので、それだけには何とか出席≠オようということである。授業の開始後は学生を教室に入れないという方もいらっしゃるようだ。本来はそれが当然なのである。入試でも30分までは遅刻を許容しているが、その後はアウトというのが約束である。ずっと昔から、日本の大学は入るのはむずかしいが、出るのはやさしいといわれてきた。また、大学はアミューズメントセンターだと揶揄されてもきた。アルバイトの方が忙しいという学生も今に始まったことではない。私の世代などは、このごろ○○を大学で見かけないなあ≠ニ思ったら、ああ、あいつなら雀荘にいるよ≠ニか、□□パチンコに入り浸りだぜ≠ニ言われる仲間がわんさかいた。私なんぞは同年代のなかでは麻雀を知らないめずらしい存在だった。そんなわけで、その当時は大学のまわりには雀荘とパチンコ屋はなくてはならない施設だったのである。
授業時間あれこれ 2011/06/22 Wed 3054
 教育≠ヘ共育≠セという。教育≠オながら教える側も一緒に育つということである。教え方がまずければ相手に伝わらないし、意欲を低下させてしまう。そこで教える側もいろいろな工夫をする。それが教師の腕を上げる。つまりは育って≠「くのである。ここで、こちらの教え方はいいのだが相手のやる気がない≠ニ考えると、教師の方は変わらない。そうなると、すべてが変わらないままということになる。教師側もずっと成長したいという気持ちでいたいものだ。このことは組織の管理者にも当てはまる。ところで、私はスーパー朝型≠ナある。研究室のあるキャンパスと授業をする大学が離れているため、授業時間は好んで1時間目に設定する。そうでないと、まずは仕事場に出勤し、時間を見てそこから授業に出かけ、それが終わるとまた戻ることになるからだ。もちろん、そうせざるを得ないものもあるが、可能な限り1時間目にしたいわけだ。あるいは、5時間目もいい。こちらは16時10分から始まって17時40分に終わる。本拠地で3時半ころまでは仕事ができるからである。それが終わると帰宅すればいい。また、いまでは社会人の大学院入学を前提にして、さらに6時間目、7時間目も授業時間として組み込まれている。こちらは6時から9時過ぎまでの授業になる。私も大学院の授業で6時間目のものがあるが、いまのところ全員が社会人だ。なんと言っても仕事を終えてからの授業だから、受講する方は大変だと思うが、ご想像のとおり学習意欲満々である。時間的には6時過ぎの開始でも厳しい場合がある。そもそもの人数が少ないこともあって、場合によっては受講している学生と相談してほかの曜日に振り替えたりもする。そのあたりは融通無碍である。
職場のいじめ 2011/06/21 Tue 3053
 職場のリーダーがいじめの主役になることはないとしよう。それはあってはならない≠アとである。しかしそれはそうとして、部下たちの集団をしっかり見ていないと、いじめに気づかないことは大いにあり得る。それだけではない。なんとなく、それらしい雰囲気があることに気づいても、つい放置してしまうことがないか。とくに、いじめの中心人物がいわゆるお局様≠ネどと呼ばれる実力者≠セとつい見て見ぬふりをしてしまう。自分で私はお局様よ≠ネどと公言する者はいないだろうが、この人たちが職場のエネルギーを低下させていることが少なくない。せっかく入ってきた新人がことごとくつぶされる。いや、自分が気に入った者に対してはこの上なく優しい指導者として振る舞う。だから気に入られた方は勘違いしていじめる側に回る。なんとも寂しい話である。こうした人は経験もあり仕事もできるのだから、それを前向きのエネルギーに向けてくれるといいのだが、それがうまくいかない。そして、いじめが習い性にまでなっているのだ。個人的に欲求不満があるのかどうかわからないが、せっかくの力がマイナスに働いている。人を攻撃するよりも、引っ張る方に回ってくれないものかと思う。これは職場にとって、いや組織全体にとってもったいないことである。それなりの力があるだけに、リーダーとしては反発されると困るので、ついつい適切な指導を怠ってしまう。それどころか、お局様≠ニいっしょになっていじめに荷担するなんてことになっては最悪である。とりわけ一定期間がくれば異動があるという責任者は、まあこのまま何も起きなければいい≠ネどという気持ちで見て見ぬふりをしてしまいがちなのである。こうしてお局様≠フ天下は続く。
弱い者いじめ 2011/06/20 Mon 3052
 学校にいじめはない≠ニ言われる校長先生もいらっしゃる。しかし、そんなときはまことに申し訳ないのだが、私は冷や水を浴びせるような発言をしてしまう。そうだといいのですが、子どもたちの現実はけっこう厳しいものだと思います。いじめに気づかれていないだけかもしれませんよ=Bまったくもって顰蹙を買う発言である。もちろん本当にいじめがない学校もあるに違いない。しかし、組織のリーダーであれば、そうした危険性をいつも意識していることが求められるのである。それにしても、仕事と自分に満足している人間であれば、わざわざ人をいじめることもないだろう。いじめの原因がすべて欲求不満だと断定はできないが、ストレスを含めた心理的な不全感が他者に対する攻撃となって現れる可能性は高い。そもそも弱い者いじめ≠ニいう表現は二重定義でおかしい。人は弱い者≠ノ対してしかいじめることはできないからである。そんな人間に限って強い者には弱いから何とも情けない。いずれにしても、いじめは当事者だけでなく、職場における上役のリーダーシップにも深く関わっている。われわれのデータでは、リーダーシップが部下の精神衛生に一定の影響を及ぼしていることは繰り返し実証されている。精神衛生が不安定だと、自分に自信がもてず、それが方向を間違えると外に向けた攻撃になり得るのである。そんななかで、リーダーが自分の欲求不満を部下にぶつけるようではお話にならない。しかし、自分にはそんなつもりがなくても、部下たちが自分の上司を、公平さに欠けるとか、特定の部下だけを叱っていると認知するようなことがあればまずいに決まっている。さすがに職場のリーダーだから率先して部下をいじめる者はいないと思うが…。
集団の力 2011/06/19 Sun 3051
 部下一人ひとりを育てることは大事だが、それも集団全体を見渡しながら進める必要がある。どうしても苦手な人がいるのが人の世の中である。家の子は親の言うことも聞かない≠ニ親たちは嘆く。しかし、人は成長の段階では親の言うことだから§bを聞かない時期もある。そんな子どもでも、先輩や仲間、それに近所のおじさんおばさんには素直に見えたりもする。そんなことだから、親も自分だけで℃qどもを育てようなどと考えない方がいい。そのときどきで影響力を発揮できる人と連携していくのである。職場の教育や対人関係づくりでも同じことが言える。管理者としての責任は感じながらも、周りの人からサポートしてもらって、苦手な部下の行動を変えるように試みるのも一つの手である。それに、職場全体の常識を変えることによって、口で言うだけでは効果のない部下の行動に変化を引き起こすことも可能である。自分たちでは当然だと思いいていることも、外から見ると理解できなことや滑稽なことはけっこうある。リーダーとしては、それをみんなに認識させて、職場全体で改善していくように働きかける。それで常識が変われば、ことばだけでは動かない者がやれやれ≠ニ思いながらも、みんなの意見にしたがったりするものである。職場の常識をやや専門的には集団規範≠ニ呼んでいるが、それが変わればメンバーの行動も変化していくのである。ところで、組織のエネルギーを損なう大きな問題としていじめ≠ェある。人は顔形、ものの考え方や感じ方、そして好き嫌いなど文字通り千差万別である。そうした違いがお互いに補い合って前に進むエネルギーになればいい。しかし、違い≠ヘ常に差別≠竍いじめ≠生み出す可能性をもっている。
重箱の蓋 2011/06/18 Sat 3050
 ほめる場合は、どんな小さなことでもそれなりの効果がある。これと対照的に、叱るのは一定の水準を超えるときまでは抑えておいた方がいい。細かいことで繰り返し叱られるのは、誰だって気分のいいものではない。また叱りついで≠ノ、あのときもこうだった、ああだった≠ニ過去のことまで蒸し返すのは嫌われる。さらに、みんなの前でこれ見よがしに叱るのもさけるべきだ。そもそも人が叱られているのをじっと聞いているのはいやなものだ。それに快感を感じるような人は自分の神経を疑った方がいい。いずれにしても、叱り方には工夫がいる。その点で叱る≠フはほめる≠謔閧煌i段にむずかしい。ともあれ、ほめるときは重箱の隅に残った米粒の裏側≠ワでネタを探すのである。これに対して叱る≠フは、重箱の蓋を割るくらいの大きなことをしたときでいい。リーダーとしては、このバランスをうまくとることが求められるのである。ところで、効果的に叱る≠ノは、叱る側≠ニ叱られる側≠ェ物語を共有することが大事だが、これと合わせてリーダーの個人的な力がものを言う。朝から晩まで大声で怒鳴り立てるだけ≠ネどと部下から認知された上役の影響力は皆無に近い。ほうら、今日はご機嫌が悪いぞ≠ネどと部下たちがひそひそ話をする。どうせ起こり疲れたらおとなしくなるんだから…=Bこれではリーダーの権威も何もあったものではない。それは悲劇と言うよりも喜劇ですらある。これに対して、部下たちから仕事の上で一目置かれているリーダーは、叱る≠アとでも大きな影響力をもっている。その違いはリーダーが仕事についてしっかり専門性をもっているかどうかが大きく効いてくる。それと叱りが組み合わさると、大きな力になる。
叱る物語づくり 2011/06/17 Fri 3049
 ほめる°ウ育が効果をもっていることは容易に想像できる。しかし、部下を育てるためにはそれだけでは十分でない。さまざまな職場で上司にどんなことを期待するか≠ノついて意見を聞いた。その結果、叱るべきときには叱ってほしい≠ニいう声が少なからず出されたのである。子どもに対して、教師に期待する行動を聞いたときにも同じような項目が挙がってきた。これはなかなか興味深いことで、こうした期待は発達段階を問わないようだ。つまりは、しかるべき≠ニきに部下を叱っていない<梶[ダーがいるということである。一般的には、今の若者たちは叩かれるとすぐにくじける。下手に叱るとそっぽを向いてしまう≠ネどと言いながら、叱ることを避ける傾向がある。おそらくそれは文字通り、下手に叱って≠「るに違いない。ここで重要なことはリーダーにも部下たちにも、これは叱るべきだ∞ここは叱られても仕方がない≠ニいう共通の認知があることだ。ただ理由もわからないままに叱られたのでは誰だった困惑する。それどころか、相手のことを思って叱っているにもかかわらず、うちの上司は自分の欲求不満を部下たちにぶつけてくる≠ネどと誤解されたりもする。これではリーダーとして立つ瀬がない。しかし、そんな受け止め方をされるのは、叱る理由をしっかり押さえていない上司がいるからである。しかも、叱る理由≠ヘしっかりしていても、つい大声を出すなど、冷静さを欠いた雰囲気になると、部下たちからは八つ当たり≠オているように見られてしまうのである。こうした事態を避けるには、両者に共通の物語が成立していないとまずい。叱る理由≠ェ明らかになっているだけでなく、叱られる理由≠熹[得されていることだ。
無免許の落とし穴 2011/06/16 Thu 3048
 さて、無免許≠ナほめる≠アとにはどんな問題があるのだろうか。まずは、自分自身がほめられたことがないと、部下たちがほめるべきことをしていても、それに気づかない。たとえ小さなことでも人はほめられるとうれしいものだが、無免許≠フリーダーにはその実体験がないのである。これに対して、それほど鈍感ではないという方もいるだろう。しかし、ほめられた≠アとがないと、これについてはほめてもいいかなあ≠ニは思っても、自分がこんなことでほめられてもうれしくもなんともない≠ネどと勝手に決めつける。そのため、せっかくのほめるチャンスを逃がしてしまうのである。何とももったいない話だ。これまた、そんなことするわけないじゃない。気づいたらちゃんとほめるよ≠ニ反論されるかもしれない。しかし、無免許≠ェ抱える問題はまだある。それはほめる≠アとをリアクションだと勘違いしていることだ。つまりは部下がほめること≠するまでじっとまっているのである。リーダーには、部下たちを育てるためにほめること≠するような場づくりが求められるのである。ただ漫然と座っていて、自分の部下たちはほめることをしない≠ニ嘆いていても仕方がない。部下たちがほめること≠するように演出するということは、言い換えれば、ほめること≠ヘ、部下の行動に対するリアクション(反応)ではなく、アクション(意識的働きかけ)なのである。これとあわせて、驚育≠フ重要性を強調しておきたい。部下たちがとくにいい仕事をしたときはその力に驚いてほしいと思う。リーダーが心から驚く姿を見れば、部下たちはさらにいい仕事をしようという意欲を高めるだろう。部下を育てるために驚育≠ヘ欠かせない。
ほめる免許 2011/06/15 Wed 3047
 リーダーにとって部下をほめる°Z術を磨くことは重要で、これを否定する人はほとんどいないだろう。しかしそれには免許が必要なことをご存じだろうか。こんなことを言うと、ほとんどの方がえーっ、そんな話、聞いたことがない≠ニ声を上げられるだろう。たしかに公的なほめる免許≠ネどあるはずがない。しかし、ただ相手をほめさえすればそれでいいと思っていると大間違いだと言いたいのである。たとえば、自分が尊敬できなかったり、まったく評価していない人からほめられたときどうするか。天にも昇るほどうれしがるなんてことはあり得ない。それどころか、えーっ、私をほめるなんてどうしたんだろう≠ニ驚くだろう。それどころか、なにか下心があるんじゃないか≠ネどと、その真意を疑ったりするかもしれない。それでは、自分が尊敬している人、こんな人になりたいと憧れている人がほめてくれたらどうなるか。こちらは、もう有頂天になって喜ぶだろう。ときには、それが見え見えのお世辞だとわかるようなことがあるかもしれない。しかし、それでもけっこううれしがるのではないか。じつに対照的な反応ではあるが、この両者にはどんな違いがあるのだろうか。それは、ほめる人物℃ゥ身が、ほめる相手≠ゥらほめられているかどうか。つまりはリーダーが部下からほめられて≠「ることが、ほめる≠アとが効果をもつために必須の条件だということである。われわれの周囲には、自分は部下からほめられたことはないが、部下をほめるのはうまいつもりだ≠ネどと自慢している人がいる。それが謙遜であればいいのだが、仮に本当のことだとすれば、この人はリーダーとしてはかなり危うい。まさに無免許≠ナほめている≠フだから…。
コストか資源か… 2011/06/14 Tue 3046
 いまのように政治が二進も三進もいかないとなると、強力なリーダーシップをもった人物が求められる。しかし、これがまた大きな落とし穴にもなり得るから世の中はむずかしい。最も典型的な事例がヒトラーだろう。彼は第一次大戦に敗れたドイツが身動きできない閉塞状態にあるときに登場した。いまのわれわれがヒトラーの演説を映像で見ると、ただひたすら叫んでいるだけのように見える。ドイツ語が理解できないから、そんな気分がさらに強くなる。しかし、あの叫びに大多数の国民が興奮し、彼の誘導する方向に引っ張られていったのである。そしてこれはまずいのではないかと気づいても、ときはすでに遅しである。歯車の回転を逆回転させることはおろか、動きを抑えることすらできなくなっていたのだ。教育の話からどんどん脇道に逸れてしまったが、社会も組織も人を育てることを大事にすべきだ。ドラッカーは労働力はコストではなく資源だ≠ニ強調する。労働力≠コスト≠セと考えた瞬間から、どうやったら効率よく人をカットできるか≠考える。どうやったら、効率よく人々に働いてもらうか≠ネんてことは頭の端にも浮かばない。グローバル化した競争≠最大の理由にして、結局は人を人として尊重しない。そんな傾向がますます強まっているのではないか。この流れの行き先はどこなのだろうか。もともと厳しい状況に陥っていたわが国に、大震災が襲ってきた。まさに未曾有の試練である。想像を絶する≠ニいうが、被災地の人たちの苦しみはわかりようがない。報道によると飲酒による事故が増えているという。生きる手立てを失い、先がまったく見えない状況で飲酒に依存する事例が増えるのは予想されることである。本当に厳しい…。
組織の存在意義 2011/06/13 Mon 3045
 さてさて、調子が悪くなると組織で教育や研修費がいの一番にカットされる現状について考えていたのだった。すでに還暦を超えたじいちゃんが青臭いことを言うようだが、そもそも組織は何のためにあるのか≠ニ考え込んでしまう。それは、とにかく売れるモノやサービスを効率よく提供するためだけに存在しているのか。そこで働いている人間の意欲や満足度などは二の次でいいということなのか。いやならやめてちょうだい。代わりはいくらでもいるんだから…=Bこんなのって、やっぱしおかしいでしょうよ。それでも短期的には走れるだろうが、長期的に見ればいつかは行き詰まるはずだ。まあ私なんぞは本当の苦労を知らない脳天気な人間だから、大甘の理想論を言っているんでしょうねえ。また脇道に逸れそうだが、それにしても国民をリードしていくべき政治の世界もわけがわからない。とにかく自分たちの利害関係だけで動いているように見える。政治家には理想や理念はあるのか。いやそんな議員もいるはずだ。しかし、彼らが活躍できない組織風土が政治の世界にあるのではないか。そもそもマスコミも理想に燃えて地道に活動する人たちにスポットを当てることがほとんどない。派手なチャンバラの方がおもしろいことはわかるが、あー、こんな人を支持したいなあ≠ニいう気持ちにさせる人だってけっこういるはずなのに、とにかく目立たない。こまったことだ。それにしても、フェアプレイが信条のスポーツでも駆け引きが大事なのだそうな。だから政治はなおさらそうなのよと言われればああそうなの≠ナおしまいだ。しかし、それにしてもこの世界はひどすぎる。どっちの側も見苦しくて、以前から言っているのだが、国会中継は子どもに見せられない。
先送り体質 2011/06/12 Sun 3044
 他の領域に負けず劣らず、子どもたちへの教育もいろんな課題を抱えている。就学前の子どもたちが行く幼稚園や保育所についても統一されていない。そもそも両者は成立の歴史が違い、よくあることだが管轄する省が異なっている。幼稚園は文部科学省、保育所は厚生労働省である。とくにこのごろは保育所の待機児童数が話題になることが多い。あくまで主役は子どもとその親たちである。ここでちゃんとした展望をもって問題解決を図る必要がある。そんな流れのなかで政府が10年後をメドに統合化を図ろうとしたが、これもうまくいっていない。短期間に変えるとなると利害関係も含めていろんなトラブルが起きるだろう。しかし、10年くらい先までには何とかしようというのであれば、それを乗り越えるための知恵は出るはずだ。問題ばかりを指摘していては変化は起こらない。またベストの回答なんぞ存在するわけがない。あくまで、その時々のベターな選択がベストの選択≠ネのである。めまぐるしく変化する時代の10年だから相当な長さだ。しかし、それでも言った端からくじけるのだから、この国は何なんだろうと暗澹たる気持ちになる。詳しいことはわからないが、新聞情報などから推測すると議論のテーブルにも載っていないような感じがする。これではどんなものだって変わりようがない。そして二進も三進もいかない事態になってから、そのときの力関係で変えざるを得なくなる。年金問題はその典型だし、やがて赤字国債の問題もきわめて深刻な事態がやってくる。しかもそのときは迫っている。まあ何と言おうか、とにかく先送り体質≠ネのである。それで組織がつぶれてしまえば元も子もない。そのなかでも最大の組織である国が今や危機に瀕している。
IMBと教育 2011/06/11 Sat 3043
 ドラッカーの自伝に大恐慌時のIBMに関する興味深い記述がある(知の巨人ドラッカー自伝%経ビジネス人文庫)。いまでもIBMはTHINK≠キーワードにして製品名にも採用しているが、これは創業者はトーマス・ワトソンが提唱したスローガンである。とにかく息が長い。ただし、私が興味深いと言ったのはそのことではない。ドラッカーは「当時のIBMは大恐慌でも社員を解雇せず、社員の教育に注力する異色の企業だった。これによって倒産せずにいたのである」と書いているのだ。大恐慌とは、1929年から世界を揺るがせた、あのThe Great Depressionである。すでに80年以上の時間が経過しているが、IBMの教育に対する考え方は示唆に富んでいる。会社の経営が厳しくなるとまずカットされるのが教育・研修費である。私自身は経営から遠く離れたところで生きている。しかし、1970年代から組織の調査やリーダーシップ・トレーニングを通して組織と関わりをもってきたこともあり、そのことを体感している。もちろん組織は収支のバランスをはからなければならない。というよりも利潤を上げないといけないから、コスト削減は背駆られない。背に腹は代えられないのである。そんなときに、いの一番にターゲットとされるのが教育に関わる費用なのだ。あえて憎まれ口をたたくと、そんなに簡単にカットできるのはしてもしなくてもいいような教育をしていたからではないんですか≠ニ言いたくもなる。たしかに、国が責任を持っている学校教育も含めて教育の効果は目に見えにくい。それもあってか他の省庁と比較して文部科学省は予算的にも厳しいようだ。国会で米百俵≠フ話を出して教育の重要性を訴えた総理大臣がいて、大いに喝采されたのだが…。
絶頂期の先見眼 2011/06/10 Fri 3042
 素人がエンジンの先行きについて予測しようもないが、日本のメーカーも密かに水素エンジンなるものを開発しているのではないか。まことに余計なお節介ではあるが、そうあってほしいとも願っている。アイディアあふれる製品を出し続けてきたあのソニーだが、このごろは厳しい状況の中にいる。ソニーは1967年にカラーテレビで独自のトリニトロン方式を開発した。技術的なことはわからないが、それまでブラウン管をつくるごとに払い続けていた特許料がいらなくなった。とにかく画期的な発明だったようだ。しかし、その成功が大きくて、ソニーはトリニトロンのブラウン管にこだわって、液晶に目を向けるのが遅れてしまったという。そして今では韓国メーカーの後塵を拝している。つい先日、シャープの亀山工場で大型液晶から中小型の液晶の製造に転換するというニュースが流れた。シャープは液晶開発のパイオニアであるが、韓国や台湾メーカーとの競争で劣勢に立たされたという。ある意味ではあのシャープが≠ニいう思いがある。しかし、置かれた状況を冷静に分析して、過去の栄光にしがみつかないという判断も大事ではある。ともあれ、人にしても組織にしても順風満帆のときに、絶頂を過ぎた先の見通しをつけることは至難の業である。韓国のハイテクが売れれば売れるほど日本が潤うと言われてきた。細密な部品は日本が供給しているからだという。自動車なども状況は同じようで、今回の大震災で日本の自動車メーカーだけでなく海外メーカーの製造にも影響が出たという。そんな話を聞くと、瞬間的には日本の底力を感じてうれしくなる。しかし、これを機にして海外メーカーには供給先を分散させる動きがあるという。こうした状況にどう対応していくか。
水素エンジン 2011/06/09 Thu 3041
 エンジンの中で水素を爆発させると言うことは、つまりは酸化≠キることである。その結果、H2Oになるから排気ガスではなく水が出てくるわけだ。これならクリーンそのものである。理屈としては水素エンジンの回転をそのまま発電機につなげれば電気はできる。それで一般家庭の電気がまかなえるのであれば、めでたしめでたしとはなる。都市ガスがないところはプロパンガスボンベを各戸において炊事や風呂の熱源にしている。タンクが空になる前に交換する流れはでき上げっている。これと同じように水素ボンベなるものを設置できれば、家庭用発電機だってOKになるかもしれない…。とまあ素人は好き勝手なことを言うだけのこと。そこにはいろんな壁があるに違いない。そもそも水素は水を電気してつくるんだろう。そうなると水素の前に電気ありきだ。そこのコストがどうなるか。たくさん電気を使って水素をつくり、それで少ない電気しかできないのならお話にならない。また水素はもともと元気がいいから扱いがむずかしいはずだ。実用化には液体水素が必要だろうが、ちょっとでもトラブってボンベが爆発でもしたら、家ごと吹き飛んでしまうに違いない。これでは怖くて夜も眠れない。そこで夜通し電気をつけて心配しているなんてのは冗談だが、このあたりの壁が高いのではないか。もっとも、ドイツの自動車メーカーは水素エンジンの開発に力をいれているというから、まるまる夢物語というわけでもないのだろう。日本のトヨタでは、まだハイブリッド≠ノ重点を置いているようだ。昨年だったか、そんな記事がNew York Timesに出ていた。その一方で、わが国でも日産や三菱は電気で走る自動車をつくりはじめた。その先に水素エンジンが来るのか来ないのか。
予言は当たる… 2011/06/08 Wed 3040
 予言の表現や内容には曖昧なことが多いから、何かが起きると当たった≠アとになる。また、何も起きなくても大きな問題にならない。なぜなら、そうした予測をもとにみんなが対応したからとんでもないことにならなかったからだと解釈するのだ。それが天変地異の場合は人の対応にも限界があるから、都合のいい説明はしにくいが、まあそれでもその場はけっこうしのぐのである。これがオカルト集団の話であれば、そんなもんか≠ナ話はおしまいになる。しかし、同じような手法を経済のプロが採用してはいかにもまずいのである。これから経済はどんどん悪くなる≠ニいったのに状況が改善する。すると、それは悲観的な予測に人々が不安を覚え、それが動機付けになって事態が好転した≠ネんて具合である。その反対に今後は改善する≠ニいった予測が当たらないと、人々が安心して心に緩みがでてしまった≠ニなるかどうかは知らないが、とにかくどうなろうとめでたし、めでたし≠ネのである。もっとも、人様の悪口ばかり言っているが、心理学だって同じじゃないかと反論されれば、ほとんど立つ瀬はない。そんなことで、わたし自身は人間行動の普遍的予測≠ネんぞはあり得ないと考えている。たとえば、リーダーシップやコミュニケーションスキルの改善についても、個々人の実践が大事で、誰にでも当てはまる一般法則を探そうなんて気持ちはさらさらない。それはさておいて本題に戻るが、電気自動車が注目されるなかで、ドイツの自動車メーカーは水素エンジンの開発に力を入れているらしい。将来的には電気自動車よりも水素の方を重視しているのである。素人だから、その細かいメカニズムはわからないが、水素の爆発力を利用しようというわけだ。
説明責任 2011/06/07 Tue 3039
 「今から思えばお恥ずかしい限りの『学問的』な計量経済学の論文を2本書いた。そのうちの一つは急騰を続けていたニューヨーク株式相場についてで、『さらに上昇する以外にあり得ない』と断じた。論文は二本とも権威ある経済機関誌の1929年9月号に掲載された。その数週間後の10月24日、ニューヨーク株式相場は歴史的な下げを記録。いわゆる「暗黒の木曜日」で、これを発端に世界は大恐慌に突入した。以後、相場の予想は一切やらないことにした。当時の論文が現在、人目に触れる心配がないのが何よりの救いである」。少し長くなったが、これはあのピーター・ドラッカーの「知の巨人ドラッカー自伝」(日経ビジネス人文庫65ページ)」からの引用である。いかがだろうか、現代の経済学者の皆さんもこうした気概と責任をもって仕事をしていただきたいものである。もちろん予測が当たらないことはある。しかし、それに対する説明責任を全うしてこそプロなのだ。社会心理学の領域でも教祖の予言≠ネどが話題になる。そもそも予言は当たって≠熈当たらなく≠トもいいのである。まずはこの種の予言≠ヘ、いつどこで≠竍だれにどのように≠ニいった点で具体性に欠けることが多い。そこで、それに類似した事象が起きると見事に的中した≠アとになる。もう多くの人が忘れたと思うが、ノストラダムスの大予言≠ネるものが世の中を賑わしたことがある。はっきり記憶がないのでいい加減さはお許しいただきたいが、あれが当たっていたらすでにこの世はないはずではなかったか。私自身は、今回の大震災を予言していた≠ネどという話を聞かないので、ほっとしている。こうした未曾有の災害があると、必ずそれにつけ込む動きが出たりする。
先見の明? 2011/06/06 Mon 3038
 今回の震災で電力事情が厳しくなってきた。車の世界ではハイブリッド車が売り上げのトップを走る時代である。ガソリンスタンドの代わってパワースタンドが整備されるのも時間の問題だと思っていたのだが、今後どうなるだろうか。もちろん、電気自動車への移行は世界の流れだから、これが止まることはない。新興国にとって、ガソリンエンジンの新たな開発などあり得ない。いつもスキを見ては自慢話をしたがるのだが、私はTOYOTAのハイブリッド戦略について、日本の技術としてかなり前から評価していた。たとえば、「産業訓練(日本産業訓練協会)」の2001年11月号には、すでに様々な分野で揺らぎはじめていた日本の科学技術に対する信頼に対して、ハイブリッド車≠竍アイモード≠取り上げ、大いに評価すべきだと書いた。このうち、携帯のアイモード≠ヘ国際的には期待した成功を収めていないが、プリウス≠フ快進撃はご承知の通りである。アメリカでのトラブルもシロ≠ニ判定されたようで、アメリカの政治事情≠ェ関係していたのではないかといった話もある。まあその真偽はわからないが、洋の東西を問わず政治に振り回される。ともあれ、こっちは経済のド素人なんだから、言いたい放題で景気の予測すら十分できないプロの経済学者にくらべれば、控えめながら(?)、大いに(?)自慢していいのではないか。そもそも経済学者の皆さんは、3年から5年くらいの期間ごとに、どんな予測をしていたか、それがどうなったかを明示してほしいものだ。この期に及んでもまだ国債発行≠叫び、国債は国内で消化しているから大丈夫≠ネんて言ってる人は、この20年間の発言と現実の経過をつきあわせた対照表を公表されてはいかがだろうか。
中学生の感想文 2011/06/05 Sun 3037 Continued from 5/25
 中学生に話をした際にもらった感想文はまだ残っている。わたしが天狗≠ノなるほどほめてくれたものが多い。そのなかでも、今日は心が明るくはげまされた気がしました≠ニいったものが多くてうれしい。朝からワクワクできるのも、人間だけだと思うととても楽しくなります=Bわたしが目が覚めた瞬間に、‘まだ生きてるーっ’と思うとうれしくなる≠ネどと話したものだから、そこに反応してくれたのである。また、桜が満開の熊本城から1枚の花びらまで拡大した写真を見せて、みんな同じように見えて、1枚1枚が違っている。人間だって髪の毛1本まで他人のものではなく自分のもの≠ニいった話をした。この表現だけではその趣旨が十分に伝わらないと思うが、ともあれ桜の花びら以上に私たちには違いがあるというのも心に残りました≠ニ書いてくれた。大きくなっても不景気でも笑い続けたいと思います=Bさすが3年生である、感想文に不景気≠ワで登場する。子どもたちをそんな状況に放り込んだのは大人たちである。いつまでたっても繰り返される政治のゴタゴタが恥ずかしい。また、先生はのうてんきな人だということがすごくわかりました≠ニいうのもあった。そうなんです、相当な能天気≠ネんですよね。熊本大学にいきたいと思います。またお会いすることがあるかもしれませんが、そのときは今日みたいな楽しい話をしてください=B大学の広報担当(?)≠ニしては十分に役割を果たしたわけだ。ただし、わたしは2年と10ヶ月後には定年退職だから、中学校3年生が入学してくるころは過去の人になっている。いやはや申し訳ない。まだまだおもしろいものがたくさんあるが、きりがないので感想文の紹介は今回でおしまいにする。
人工物の音楽が… 2011/06/04 Sat 3036
 ほとんどのものが叩けば音が出る≠ゥら、人類の祖先はそれらを合図や信号にしていたはずだ。その音の高さや強さを変えることで情報内容の違いまでも識別できるようにしていただろう。それがリズムになって、獲物を確保する際や危険を知らせるための信号から、日常生活で楽しむ音≠ノなるのは必然だった。こうして叩く楽器≠ェ生まれた。私自身には音楽の素養などまるでないから、この話は勝手な推測による創作にすぎない。しかし、おおよそのところはそんなものだったのではないか。少なくとも、はじめから音を楽しむために¢ナ楽器ができたとは思えない。それから管楽器や弦楽器が生まれていった経緯は専門の方に聞くなり、本を読むなりしていただきたい。私が言いたいことは、こうして生まれた音楽が人を感動させることのすごさである。この世の中にある楽器≠ヘどんなものであれ、人工物≠ナある。少なくともはじめから自然界にあったものではない。また、楽譜に書かれた音の流れそのものも、自然の世界にあるわけではない。それなのに人は音楽を聴いて心を動かす。歓喜の声を上げ、感涙を流すこともある。そもそもなんと言っているのかわからない外国語の歌にさえ感動するし、体を動かして反応することもある。私が高校生のころのプレスリーやビートルズの歌など、ほんの少しばかり聞いたことがある英単語≠ェ耳に入ってきただけだった。とにかく音楽は不思議な力をもっている。それがすべて人工物≠ノよるものなのだ。自然がすばらしいことは言うまでもない。しかし、人が創った楽器やメロディもまたとてつもない力をもっている。臭覚や味覚のメカニズムなどの解説はときおり聞くが、音楽≠ノ感動する理由も知りたいものだ。
叩けば音が… 2011/06/03 Fri 3035
 太鼓のような打楽器が人類にとって最初の楽器だっただろう。身の回りにあるものはとにかく叩けば音が出る。それこそ自分の身である腕だって手で叩いてみればパチッ≠ニ音がする。そう言えば、叩けばほこりが出る≠ニいう慣用句がある。小学生のころだっただろうか、映画に登場する悪代官が、これまた極悪の出入り商人におまえも悪じゃのう≠ニ呼びかける。それに対して、お代官さまほどではございませんよ≠ニ答える。そして、だれでも叩けばほこりの出る身でございましょう≠ネどと意味深に笑う。これを聞いたとき、子ども心ながら笑ってしまった。このごろはとんと見かけなくなったが、昔は布団を日干しにして日光消毒をしていた。柔らかに膨らんだ布団は太陽のにおいまでもしみこませていた。ところで、干した布団がだんだん膨らんできたとき、布団を棒で叩くのである。そのための布団たたき≠ワであった。するとパンパンという音とともに粉のようなほこりの粒子が空気中に広がっていった。その中にノミやダニの死骸や糞まで含まれていたかどうかは知らない。しかし、とにかく叩けばほこりが出る≠アとは日常的に実感していた。だからこそ悪者どもが叩けばほこりが出る体よ≠ネんて言っている意味が理解できたのである。つまりは、どんな人間であっても、こまかいところまで調べていけば欠点もあるし、後ろめたいことだって金輪際したことがないなんて者はいないというわけだ。たしかに黄色信号で交差点を通過することだって道路交通法違反だし、仕事中に友達と30秒でも私的な話をすれば職務怠慢と認定されるかもしれない。まあ、この手の話も深入りしていくとおもしろいが、とにかく大方のものは叩けば音が出る≠フである。
祇園太鼓 2011/06/02 Thu 3034
 小倉祇園太鼓の話が、私と北九州の関わりの話にそれてしまったが、さらに小倉は縁のある街である。私が成人したあとになるが、転勤族の父は門司に異動し、小倉の北方にあった宿舎に住むことになった。そのころ私は学生だったが、小倉が帰省先ということで、ちょくちょく帰っていた。近くには北九州大学があり、生協で本を買ったりもした。そして、ここが母の終焉の地になってしまった。健康診断でがんが見つかり手術したところまではよかったのだが、縫合不全≠ニいわれるミスであっという間に亡くなってしまった。そのとき47歳、さすがにそのショックは大きかった。そうしたこともあって、小倉は忘れられないところである。そして、その街で繰り広げられる祇園太鼓の迫力はいつ聞いても鳥肌が立つ。祇園太鼓といえば無法松≠ェすぐに思い浮かぶ。太鼓のことは原始的で。これは人種を問わず心を揺り動かすはずだ。松本清張の黒地の絵≠ナは朝鮮戦争時に起きた米軍黒人兵の脱走事件が組み込まれている。脱走のきっかけを暑さと祇園太鼓の音にしているが、まさに人間の根源に響く音≠フ力が強調される。それはともあれ、私が不思議だなあと思うことは、音楽はどんなものであれ人工物だということだ。もっとも原始的と思われる太鼓だって、明らかに人間が造ったものであり、はじめから自然界にあったわけではない。おそらく太鼓は人類にとって史上初の楽器だったのだろう。それからというもの、人間は楽器を創り続けてきた。そして、いまや世界中にある楽器の種類なんて、正確なところはわからないに違いない。しかし、とにかく楽器がこれほどまで創られていくという事実は、それだけで音楽が人間に大きな影響を与えていることを実証している。
心の風景 2011/06/01 Wed 3033
 自然は美しく感動的だということは誰もが認める。これに対して人工物は冷たく人の心を動かすことは少ない。とまあ、こんな単純な比較は意味がないだろう。とくに私は音楽がもっている力のすごさを感じる。先月のことだが、熊本城の本丸御殿で小倉祇園太鼓の生演奏があった。私の本籍地は北九州だ。といっても父親の生地であって、私自身は盆暮れの帰省先として行き来していただけである。ただ、父親が敗戦後に中国から引き揚げてきて、その後定年まで勤めた仕事の初任地も北九州の八幡だった。そんなわけで、私は小学校に入る前まで八幡に住んだ。本当にかすかな記憶がある。たとえば近くに済生会病院があったこと、遠くに丸いガスタンクが見えたこと、自宅の前がなだらかな坂になっていたこと、近くに公衆電話ボックスがあったこと、石膏で作ったコルセットなどを売るお店があったこと、父が自転車を買って、おそらく盗まれないために自宅の狭い玄関内に置いていたこと、何かの理由で叱られて畳の下に押し込まれたこと、赤いホースのガスコンロが2つあったこと、妹をワッ≠ニ言って驚かせたらびっくりして土間に落っこちたこと、食卓にハエよけとして載せるネットのような形をした超大型の蚊帳の中で昼寝をしていたこと、その色は淡い水色だったこと、ゼンマイで動く車を畳の上で走らせて喜んでいたこと、その車のドアが自動的に開くようになっていたこと、絵本の一部を暗記して繰り返して言うのを母が聞きながら台所でうれしそうな顔をしていたこと、それを父親に道雄はすごいのよ≠ニ話していたこと、母親が雪の降る日に幼稚園の入園手続きに私を連れて行ったが、定員オーバーで断られたこと、団塊の世代で子どもたちがあふれていたのだ…。