がせん≠フ自慢話 2011/04/30 土 3001 Continued from 04/28
新幹線の通過駅に立っていると、止まらない電車が猛烈なスピードで走り去る。赤い尾灯もあっという間に見えなくなる。もう相当に昔のこと、おそらく1970年代ころだが、疾走する新幹線は架線に接するパンタグラフのところから白色に近い火花を散らせていた。パンタグラフと架線が着いたり離れたりしていたのだろうか。それがいつの間にかまったく見えなくなった。これも技術の進歩である。いまではパンタグラフの形そのものが変わっている。架線との接触がスムーズになっただけでなく、パンタグラフが発する音も随分と抑えられたという。あの細い鉄の棒からできた隙間だらけの構造だが、空気を切る音がけっこう問題になったらしい。その解決策の1つとして、パンタグラフに刻みのようなものを入れたのだそうな。そのヒントが夜中にひっそりと飛ぶフクロウの羽根にあったという話は、2009年の3月16日に書いた。NHKの科学番組アインシュタインの目≠ナ知った。まさに自然に学べ≠ナある。ところで、架線(かせん)のことを鉄道のプロはがせん≠ニいう。これはかせん≠セと河川≠ニ混同するからまずいのだそうな。鉄道では雨や風、さらに災害などで河川≠ェ大事なキーワードになる。もちろん架線は鉄道の命の綱≠ナある。こうした重要なものをしっかり区別することはリスクマネジメントでは基本の基本なのである。この話はJR東日本の方からお聞きした。皆さんご存じでしたか。知ったかぶり≠ナ気持ちよくなる、私のいつもの自慢話でーす。ところで、東海道新幹線は時間帯によっては3分間隔で発車している。そんなこともあって通過駅では20分くらい待つだけでも、上下で4本くらいは新幹線通過列車ウォッチング≠ェ楽しめる。 |
8歳の誕生日 2011/04/29 金 おかげさまで 3000回 を迎えました
Happy birthday to 味な話の素. わがホームページを開設したのは2003年4月10日のことである。そしてその月の終わりの29日に味な話の素≠書き始めた。それから早いもので8年が経過した。今日は8歳の誕生日である。これに合わせて本コラムを3,000回にしようと考えた。そのために、1日に2つ書くといった調整をして無事に記念日を迎えた。そもそも粘着質を自認しているから、当初からそれなりに続けようとは思っていた。そのうち、やみつき≠ノなり、自分ではどうにも止まらなくなってしまった。拙著人間理解のグループ・ダイナミックス≠出版したのが2001年である。このなかの章として、自分の専門であるリーダーシップ≠ヘ意識的に立てなかった。それはそれで別にまとめたいと思ったからである。しかし、けっこうバタバタの生活で本を書き上げるためのまとまった時間がとれない。そこで、ホームページなんぞで書き溜めて≠「けばそのうちけっこうな分量になるだろうと思った。そんなこともあって、第1回目は行動変容のために≠ニした。しかし、書き溜め≠フつもりが、あれやこれやと頭に浮かんでくることを書いているうちに収拾がつかなくなった。それに寄り道∞脇道∞脱線≠フ連続で、最初は何を書いていたのかがわからなくなる事態もしばしば発生した。ということで、まだ<梶[ダーシップの本は出来上がっていない。しかし、それはそれで私としては大いに満足しながら本日の誕生日を迎えた。おかげさまでネタ≠ノついては今のところ切れる心配はない。世の中はいろんなことがありすぎて、10字程度のメモ≠ヘ溜まる一方である。ともあれ、これからもご愛読いただきますようお願い申し上げます。 |
天守閣と新幹線 2011/04/28 木 2999
熊本城の天守閣から走っている新幹線が見える。各駅停車のつばめ≠ヘ800系と呼ばれ、先月11日までは新八代/鹿児島中央間を走っていた。短距離の営業で、需要とのバランスを考えて6両編成になったのだろう。東海道新幹線は16両の編成だから、それに比べるとかなり短い。先日はその6両つばめ≠ェ走るのを天守閣から眺めた。全通した九州新幹線ではN700系のさくら≠ニみずほ≠ェデビューしたが、こちらは8両である。それでも東海道の16両と比べると半分の長さである。フルセット16両だと長さは400mにもなる。東海道新幹線のこだま≠ェ停車する駅で待っていると、上下を16両のひかり≠竍のぞみ≠ェ通過する。その猛烈なスピードには鳥肌が立つ。ここでちょっと脱線。おっと脱線≠ネんぞは新幹線の話題にそぐわないので寄り道≠ノ訂正。鳥肌が立つ≠ヘ、皮膚が鳥の毛をむしったあとのようにブツブツになる現象である。これは恐怖≠竍不快≠感じたとき使うことばで、すごい≠ニ感動したときに用いるのは間違いだとされる。しかし、私の実体験ではわーっ≠ニ大声を上げたくなるようなときに決まって鳥肌が立つのである。ありがたいことに、あるいは甘っちょろい生活をしているせいなのか、恐怖≠竍不快≠感じる機会はほとんどない。まあ、私としては今後も感動したときに鳥肌が立つ≠ニ表現していきたいなあ。さて、閑話休題。通過列車が来るのは事前にわかる。駅員さんが新幹線を迎え、見送るためにホームに出てくるからである。それを見るといよいよ来るぞーっ≠ニワクワクする。すでに鳥肌¥態である。昼間でも遠くから白い前照灯が見えはじめたかと思うと、猛烈な音とともに目の前を走り去る。 |
政治の決断 2011/04/27 水 2998
周波数の統一については、これから飛躍を遂げるというスタート時に国がしっかり決断していれば、その当時なら何とかなったのではないか。科学技術白書が問題を指摘した1958年は、まだ敗戦から10年を少し超えたばかりであり、まだ国も貧乏だった。だからそのコストが大きすぎて国にもできなかったのだというのだろうか。しかし、これは国の経済だけでなく国民生活全体に関わり、なおかつ100年単位で考えるべき課題だったはずだ。わが国が誇る新幹線にしても世界銀行から8,000万ドルものお金を借りてつくったではないか。そのころは1$=360円だから288億円になる。国の一般会計を見ると、1960年が1兆7,431億円である。単純に計算して1.6%になる。これを今年度の予算92兆4,116億円で計算すると1兆4,786億円にもなる。これほどの借金をしても新幹線をつくったのである。しかも、この時点では東海道新幹線のみの借金である。その後に新幹線が果たした役割を考えると、後の世代にお恩恵をもたらす英断だった。国が借金≠キるのは、こうした使い方をするときだけでないといけない。それを財政法で禁止されている赤字国債まで乱発して子孫に残すのは借金だけ。これは我々世代の責任という他はない。この話題になると止まらなくなるが、ともあれ1960年ころに国が決断して電力の周波数を統一しておけばよかったのである。国が貧乏だったからというだけでは説得力がない。くどいけれど新幹線ではあれだけの借金をしたのだから。民間企業が解決すべき問題だから≠ニいうのなら、それはそれで電力会社から長期に亘って返してもらえばよかった。こうした大きな決断をすることこそまさに政治主導というものである。政治の存在意義が問われる。 |
NIMBY 2011/04/26 火 2997
われわれの周りには総論賛成、各論反対≠ニいわれるものが充ち満ちている。これに近い英語にNIIMBYという用語がある。これは、Not In
My Bck Yard≠フ頭文字をとったもので、ニンビー≠ニ読む。いろいろな施設、たとえばゴミ処理場や刑務所、火葬場それに原子力発電所などなど、それが必要なことはわかるが、自分の裏庭はやめてくれ≠ニいうことだ。社会心理学にはNIMBY≠ノ関する研究もある。ともあれ、総論としては電気の周波数が国内で統一されることに反対はなかったと思う。しかし、どちらにするか≠ニなると、先に進まなかったに違いない。お互いがこちらの方式にした方がいい≠ニ主張して譲らないのは、どんな世界でも珍しくない。もっとも、周波数が違ったために様々な工夫が必要になるから、そのことがかえってわが国の技術進歩に役立ったという説もあるのだそうな。なあるほど、そんな理屈もありかと大いに感心する。しかし、素人ながらやっぱし統一≠フ方がベターだったんじゃないのかなあー。いずれにしても、ここまで電気が普及してしまってからでは、その統一には膨大なコストがかかるだろう。あの科学技術白書が出された1950年代末にこそ、国が大きな決断をすべきだったのではないか。これから100年先を見越して、いまどちらかに統一する。もちろんその際は世界の趨勢や両者の長短についての専門家による議論を尊重する。その上で、それは国の将来に関わることだから、国が徹底的にリードして統一を図る。そのために、選択されなかった方の変換コストはすべて国が保証する。とまあ、そのくらいの強い意志を示せば何とかなったのではないか。そんなときに民間企業のことだから…≠ネんて言ってはいけない。 |
融通の壁 2011/04/25 月 2996
特定の電力会社で電力が不足するときはお互いに融通していることを私も知っていた。だから今回の大震災で東京電力の供給に問題が生じても、少なくとも一時的には大きな問題は生じないだろうと思っていた。ところが実際にはそううまくはいかないことを知った。その原因が周波数の違いである。単純な話だが60ヘルツの電力会社から50ヘルツの東京電力に電気を送るためには、周波数を変換する施設がいるのだ。まあ当然といえば当然すぎることだが、その能力が100万キロワットくらいだという。東北電力と北海道電力は同じ50ヘルツだから変換設備はいらず、送電線の増強だけでOKのようだ。だから、両社はすでにサポートしているが、西からの供給はしたくても上限があるわけだ。あの1958年の科学技術白書で問題が指摘されていた周波数の不統一がここにきて大きな影響を及ぼすことになった。そもそもの発端は明治時代に遡る。東京電燈がドイツから、大阪電燈がアメリカから、それぞれ発電機を購入した。前者が50ヘルツ、後者が60ヘルツだったという単純な理由である。文明開化の時期でもあり、電気を供給する範囲も小規模で、さらに民間企業なのだから自由な選択でそうなったのは自然でもある。しかし、電気が日常生活にも産業にも欠かせないものになり、その影響が日本国中に広がるようになった。そして、敗戦から何とか立ち直り、いざ奇跡の復興≠フスタート台に立ったころ、改めて問題≠ェ指摘されていたのである。しかし、それも問題提起だけで終わった。その原因について私は私なりに勝手に推測している。まずは国内が統一されている≠アとについて異論を唱える人はいないだろう。そもそも同じ国内で周波数が違う国などほとんどないようだ。
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周波数の壁 2011/04/24 日 2995
電気の周波数が東西で50サイクルと60サイクルに分かれていることは、科学少年(?)≠セった私も小学生のときから知っていた。たとえばモーターを使う電気製品などは回転数が変わるから、レコードプレーヤーは引っ越しをすると音楽が速くなったり遅くなったりすると聞いていた。聞いていた≠ニいうのは、そんな高級な機器がわが家にあるはずもなかったからである。同じことは、冷蔵庫、掃除機、扇風機、洗濯機などなど、およそモーターを使うすべてのものに影響を与えたはずである。ただし、プレーヤーと同様に、科学技術白書≠ェ問題にした1958年ころは、そんな便利なものは一般家庭になかった。さらに周波数の境界当たりに住んでいた人たちがどうだったか知らないが、どちらからも遠くに引っ越しする人間は少なかったと思う。いわゆる集団就職で九州から東京に出て行った中学や高校卒業間もない若者たちはいたけれど、それこそモーター装着の電化製品など1つだって持っていなかったのではないか。そうそうドライヤーも周波数の影響を受けるのだが、そんなおしゃれなものは集団就職組には無縁だっただろう。そのうち、家庭の電化が進み始める。わが家は九州外に住んだことがないから事実は知らないが、しばらくはそれで困った人がけっこういたのではないか。しかし、おそらく機器の方が周波数が変わっても対応できるように進化していったのだろうと推測する。とくに、それが社会恩問題になったとは聞いたことがないからである。ところが、科学技術白書が取り上げてから半世紀後に問題が起きた。今回の大震災で、東京電力の不足分を他の電力会社が供給することになったが、その最大量が周波数の違いという壁によって制限されたのである。 |
科学技術白書 2011/04/23 土 2994
文部科学省から科学技術白書≠ニいうものが発刊されている。その昔は科学技術庁が出していた。科学技術庁は中央省庁の再編で2001年1月に文部省と統合、文部科学省になった。そもそもは総理府の外局として1956年に設置された。文部科学省のホームページには、この白書が1958年のものから、何年分かは欠けているが、今年の2011年版まで掲載されている。掲載されている最も古い1958年の科学技術白書≠ナは、第3部は部門別に見た技術の動向≠ナ第4節が電力事業≠ノなっている。そこに次のような記述がある。少し長いが原文のまま引用する。広域運営上障害となるのに、わが国の電力設備の周波数が50サイクル地帯と60サイクル地帯と両者が存在することである。従前から、たびたび周波数統一が企てられたが,具体的措置は何等進展せず,近年において関東以東は50サイクル、中部以西は60サイクルとして,地域内における異周波数の統一をはかってきた。とくに九州地域においては,閣議決定によりその推進がはかられ,いちじるしく進捗している。現在では、このほか信州地域,高田地区、常盤地区において若干の地域が残っているのみであるが、これも次第に統一整理されつゝある。この両サイクル地帯が存在することが、ただ電力運用上不円滑であり不経済であるばかりでなく、電力機器の製造上におよぼす有形無形の損害はばく大なものであろう=Bいまから50年以上前に、周波数の違い≠ェ電力運用上不円滑であり不経済≠ニ指摘されている。1958年は昭和33年、この年に東京タワーが世界一高い電波塔として誇らしげにそびえ立った。なんと1万円札が出たのもこの年である。そうそう、西鉄ライオンズ≠セって日本一になったのである。 |
話を忘れる… 2011/04/22 金 2993 Continued from 04/20
教育実習生に対する中学生の評価。授業中に話すことを忘れたり黙ったり説明がうまくいっていなかった=Bこれまたかなり厳しい。初心者というか、修行中の身だから、こうしたことも起きる。だからこそ準備を徹底しておかないといけないわけだ。私が駆け出しのころはPCなんてものはなく、すべてが紙ベースだった。当時は梅棹忠夫氏の岩波新書知的生産の技術=i1969)が大ベストセラーになっていた。そのなかで、カードを使う情報整理のノウハウが書かれていた。B6版の教大式カード≠ニいうもので、これをしっかり買い込んで授業の準備をした。いまやコンピュータの時代だから隔世の感があるが、若いころにつくったカードがほんの少しばかり手元に残っている。最初は講義1コマに15枚とか20枚が必要だった。しかし、それが時間とともに少ない枚数でちゃんと話ができるようになる。学校の授業の場合は、教師の裁量があるにしても、学習指導要領と教科書で教える内容が限定される。それであれば、忘れない≠謔、にしっかり準備しておくことができるし、またそうするしか方法はない。その点、私が担当する授業はかなり自由度が高い。だから話すことを忘れる≠ニいうよりは、あれもこれも§bしたくなって、拡散しないように気をつける必要がある。ともあれ、話すことを忘れる≠ニ黙ってしまう≠アとになって、生徒からは突っ込まれてしまうわけだ。そこが教育実習生としては厳しいところだ。また、授業に面白みがなかった。ワークシートばかり使っていたので、黒板に何も書いておらずルーズリーフの出番がなかった≠ニいうものもある。それなりに工夫したワークシートを準備したのだろうが、板書ゼロが不満だったのである。 |
頭の中の蓄え 2011/04/21 木 2992
自分の子どもの発達については、細かい記憶がほとんどない。たとえば、いつごろから話しはじめたか、歩き始めたか等々…。ただし粘着質の私だからそのころ書いた日記を読み返せば、それなりの当たりを付けることはできる。しかし、そこまですることはほとんどない。そもそも日記とは何ぞや。ときおり本コラムのネタにするために過去の日記を取り上げたりしている。たとえば、初めて飛行機に乗った日のことなどはその代表である。しかし、そうした目的以外のにはあの世に逝くまで読み返さないような気がする。それでは日記とは何ぞやとまた問い返したくなる。まあそのこともいつかはネタに取り上げることにしましょう。ここでは孫が1歳3か月になって、そろそろ周りの言うことを理解しはじめたことが話題だ。母親からはい、おじいちゃんのところに持っていって≠ネどと言われると私の方にモノを持ってくるのである。話はできないがことばを理解しているのだ。そう言えば4歳の孫は、3歳を超えたころ少しことばが出はじめたかと思ったら、それから急激にしゃべりはじめた。つまりはことばを頭の中にずっと蓄えていたのである。その過程がなければいつまで経っても話はできないはずだ。人としての成長も同じことだと思う。若いころにいろんなことを蓄えて≠ィくことが,その先の人生を決める。それはことばだけでなく、いわゆる教養≠ノも当てはまる。あるいは広い意味での教育≠ナある。いま、教養≠竍教育≠ェ軽く扱われているのではないか。若いころ教養≠身に付けつつあるときは、そのことがとくに目立ったりはしないだろう。しかし、いわゆる社会人になってから、その蓄えがあふれるように出てくるのである。ことばのように…。 |
生徒の期待 2011/04/20 水 2991
このコラムで教育実習生に対する中学生の評価を取り上げていたことがある。最後に書いた日がいつなのかわからなくなってしまった。それほど大昔≠フことである。しかし、まだ分析していないリストが手元にあるので、もう少し見ていくことにしよう。中学生は小学生よりも対人関係に敏感になる。小学生のころは、少しばかりあやふやなことでも教師から問題が投げかけられるとはい、はい≠ニ手を挙げる。そんなエネルギーが小学校の中学年くらいまでは感じられる。しかし、それも年齢とともにおとなしくなってくる。みんなの前で間違う≠アとの恥ずかしさが行動を慎重にさせる。あるいは正しい答え≠ェわかっても、自分だけが目立ちすぎるのはまずいと考えたりもする。いわゆる自我≠ェ確立してくる時期である。自分の周りにいる他人の目を気にしはじめるわけだ。もちろんそれが成長というものであり、社会のなかで人とともに生きていく人間として身に付けるべき感受性なのである。そんなことから、小学生よりも中学生の方が教育実習生に対する期待や要望についてもマイルドな表現になるかと思ったりもする。しかし、現実はそうでもないのである。いやあ、出てくる、出てくる、とにかくとほとんどが直球である。たとえば、授業に集中させないといけない。声をもう少し大きくした方がいい=Bなどはいかがだろうか。その文字面だけ見ると、これはもう教育実習生を指導している教師のアドバイスそのものである。授業だろうが仕事だろうが集中は、その成果に大きな影響を与える。私なんぞは、あれやこれやと手を付ける注意散漫型だから、とくに集中させてくれるような話でないとすぐに余計なことを考える。もっとも、これは私側の責任なのだが。 |
専門力=Aあと2つ 2011/04/19 火 2990
リーダの専門力≠ニして、D問題発見能力の育成という重要な役割がある。リーダーは自分の問題発見能力が優れているだけでは十分でないのである。そもそもリーダーにはフォロワーを育てることが期待されている。本人はすごく業績を上げたのだが、異動した後はまるでもぬけの殻、誰も育っていなかったでは困るのである。仕事に関して問題を発見するためのノウハウ、方策をうまくフォロワーに伝えることを忘れてはならない。さらに、E専門性を高める方法を教えることもきわめて重要だ。問題発見の育成とならんで、どうしたら専門性を高めることができるかについてもフォロワーに有効な情報を伝えるのである。こうした教育や働きかけによって、フォロワーも自分の力で専門性を身につけていくことができる。その結果として、リーダーの専門力に対するフォロワーの評価も高まっていくことになる。リーダーに求められるものとして、専門性≠ノ焦点をあてて考えてきた。一口に専門性≠ニいっても多様な側面があることがわかる。もちろん、望ましいリーダーシップを発揮していくためには専門性≠セけが優れていればいいというわけではない。しかし、自分自身が専門性≠高める努力をしていくことはリーダーの必要条件なのである。それにしても、専門力≠ヘどの世界でもすばらしい。とくにそれが凝縮して目立つのがプロの世界である。震災でスタートが遅れたがプロ野球も始まった。今年は楽天の試合が注目されるだろう。あの神戸・淡路大震災のときはオリックスのがんばれ神戸≠ェ目立っていた。そして実際に優勝もした。まだイチローがいる時代である。さてさて楽天の場合はどうなるか。人間に限らず生き物は危機的な状況になるとまとまるものだ。唯一の例外が日本の政界かもしれない。いずれにしても、とにかくプロの技はすばらしい。また奥も深い。しかし、一般の庶民だってみんなプロなのである。 |
専門力≠「ろいろ 2011/04/18 月 2989
あの人の技術はすばらしい∞あの腕にはかなわない=Bフォロワーがそんな思いで見てくれるようになれば、リーダーとしての影響力はこの上なく大きくなる.こうした影響力を持つためにも、リーダーは絶えず技術の向上に努力し続けていかなければならない。そして、B問題を発見する力も専門力≠ノとって欠くことができない。専門性≠ヘ単なる知識の量や技術が優れていることだけで保証されるものではない。仕事をスムーズに進めていくために、何が問題か=Aどこに問題があるか≠ノ気づく、あるいは発見する力も求められる。そもそも、仕事に関して専門的な観点からの問題意識がなければ、どこに問題があるか≠烽からないからである。フォロワーにリーダーはいろいろな問題点によく気がつくなー≠ニ言わせることができれば、彼らはその影響力を進んで受け入れるはずである.さらに、C専門性を高める意欲が大事だ。どんな世界でも技術は日進月歩で進歩していく。いまや秒進分歩だろうか。それに伴って専門的な知識もこれまでのものでは対応できなくなる。そうなると、リーダーがすべての領域にわたってフォロワーよりも先を行っていることは不可能に近い。それどころか、むしろ若い者のほうが特定の分野では新しい知識を持ち、機器類にしてもよほどうまく使いこなすことが多いに違いない。そんなとき、フォロワーに負けてはいけない≠ネどと焦ることはない。わからないことがあれば、相手がフォロワーであっても聞けばいい。ただそれだけのことなのだ。いまから改めて勉強すればいい。どんなに年をとっても勉強は楽しい、そんな気持ちでいたい。大事なのは、いつまでも“専門性”を高めようとする意欲、あくなき向上心なのである。“専門性”に不十分なところがあれば、それを完全なものにしようとする意欲や姿勢がフォロワーに見えることが、リーダーの専門性≠サのものなのである。 |
専門力≠鍛える 2011/04/17 日 2988 Continued from 03/17
リーダーシップを発揮して人に影響を与えるためには、強制∞報酬∞正当性≠ノよる力だけに頼っていてはまずいという話をしていた。それらは地位や立場がなくなると同時に消滅してしまうからである。それに、自分では影響を与えていると思っていても、じつは面従腹背≠セったりもする。それでは、フォロワーたちが表面的にも内面的にもリーダーの影響力を受け入れるためには何が必要なのだろうか。飛び飛びで続けてきた連載の内容をご記憶の方がいらっしゃればすでにおわかりだろう。それは専門力≠ニ憧憬力≠フ力を伸ばすことである。両者はほかの3つと違って、公式のリーダーになれば保証されるというものではない。リーダー自身の絶え間ない努力なしには、こうした影響力は身につかないのである。とくに、「専門力」はリーダーシップ発揮のための重要なポイントである。「専門性」にかかわる力がなければ、「あの人のようになりたい」という「憧憬」的な影響力を与えることもできない。豊富な経験と知識、そして技術に裏打ちされた専門性が高まれば、それは必然的に憧憬勢力≠も高めることになるのである。そこで、リーダーにとって必要な専門力≠ニは何かについてもう少し詳しく考えてみよう。まずは@知識の量がポイントになる。なんといってもリーダーは仕事に関係していろいろなことを知っている必要がある。とにかくあの人は何でも誰よりもよく知っている=Bフォロワーたちからそんな評価を得ていれば、知識≠ノついてはめでたくパスである。もちろん、そうなるためには常に勉強をしていなければならない。その次は、A技術や技能に優れていることである。仕事に関して知識の量が多いだけでは専門力≠ェ十分だとは言えない。その立場にふさわしい技術に優れていることが重要なのである。そのなかには人とうまくコミュニケーションができる°Z術も含まれている。 |
日本アルプスと大学 2011/04/16 土 2987
もうかなり前のことである。東京からの帰路、飛行機の窓から遠くに日本アルプスが見えた。剱岳もあった。そのことに確信があったわけではないが、特徴のある形からそう思った。これも2年ほど前になるが、新田次郎の小説を映画化した剱岳 点の記≠見た。日本地図の空白地帯を埋める三角点を設置するための苦闘を描いた秀作だった。そのときの剱岳の風貌と同じような山が彼方に見えたのである。それだけはない。まさに日本アルプスの名のとおり、山々が雪をかぶりながらその高さと厳しさを競っていた。山登りとは無縁の私だが、それでも日本アルプスの山については、名前だけだが知っている山もある。剱岳のほか、槍ヶ岳や八ヶ岳、穂高岳、乗鞍岳、白馬岳、立山など。標高3,000m前後の山々が連なっているのだ。いまから30年以上も昔のことになるが、当時の文部大臣は民間人の永井道雄氏だった。もともと教育社会学が専門で、東京工業大学で教鞭を執り退職後は朝日新聞の論説委員を務めていた。彼の大きな業績は大学共通一次学力試験≠導入したことだ。それがスタートしたのは1979年のことである。いまでは大学入試センター試験≠ノ変わっている。永井氏がテレビなどで発言していたことを思い出す。日本の大学は東大を富士山にして、上から下へ裾野が広がっている。こうした現状を変えて、日本アルプスのようにしなければならない。大学がそれぞれ自分の個性をアピールしながら高さを競う。大学共通一次試験はそれを目指すものだ=B発言を録音していたわけではなく手元にスクラップもないから、私の記憶をもとにした発言≠ナあることをお断りしておくが、およその趣旨は間違いないはずだ。その崇高な理想がいま実現できているか…。 |
迫力不足のアドバイス 2011/04/15 金 2986
正直なところ、私のように安全できれいな場所で仕事ができている人間には、厳しい条件下で働いている方々に、仕事は気持ちの問題ですよ。『おもしろくない、おもしろくない』と思っていればいつまで経っても意欲は出てきません。自分の仕事をどう見るかが大事ですよ≠ネどと言っても迫力に欠けることこの上ない。そもそも、いまの仕事ができていること自身、自分には直接見えないが、世の中の誰かを踏み台にしているに違いない。それが見えないだけのことなのだ。ただただ、そのことを意識しながら生活していくほかはない。そうした決定的な弱点を抱えていることを十二分に承知の上で、クローズを前提にした職場で意欲を維持するためにどうすればいいか≠ニいう質問に対して、もう1つ次のような自分の仕事についての話を加えた。わずか数日のことではありますが、私の場合も入試監督では厳しい時間を過ごします。音を立ててはいけない、話をしてはいけない、もちろん本や新聞などを読んではいけないなど、ないないづくしで沈黙の時間を過ごします。それでもしっかり試験に向かっている受験生たちの背中を見ると自分は大事な仕事をしている≠ニいう緊張感が湧いてきます。もちろん、みんながんばれ≠ニいう気持ちにもなります。風邪をひいてしまったのか、鼻水を気にしながらの受験生には手を差し伸べたくもなりますが、それはできません。はじめに試験問題を配るときは、丁寧にやさしくを目標にしています。がんばってね≠ニいう気持ちで配ると受験生もかすかに頭を下げます。このタイミングが何とも言えません。そんなときも大事な仕事をしているんだ≠ニ確信します。仕事を通して人と人の関わりを考えていくことも大事だと思っています。
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有終の美 2011/04/14 木 2985
まだ講演後のご質問に対する回答が続いている。ひげを剃るとき録音していたラジオなどの講座を聴きながらも一方でいろんなことが頭に浮かびます。ふと気がつくと講座≠ェ耳に入っていなくて苦笑いします。よほどのことがない限り、わざわざバックして聴く流したところを再生することはありません。そしてカミソリで剃った後にきわめて安価な電気シェーバーを使って仕上げ≠ワす。数万円もするものに比べれば切れ味はよくないと思います。それでも、剃り残しをカットしていくチリチリ≠ニいう音を聞くのがたまりません。安物だけにしっかりがんばってくれている≠ニ思えて、シェーバーそのものがいとおしくなります。もうずいぶん前のことですが、海外では生産現場にロボットを導入したときに、仕事を奪う≠烽フとして忌避したという話があります。それに対してわが国では、身近なロボットを百恵ちゃん≠ネどと愛称を付けて一緒に働くという感覚がありました。これまでしっかり仕事をしてきてくれた設備や機器に感謝しながらごくろうさん。最後まで面倒を見るよ≠ニいったお気持ちになれればいいなあと、実情を知らない私は勝手に思います。また、いっしょに仕事をしている外部の会社や組織と効率的な仕事の進め方、保守や点検の方法などについて情報交換をするといったことはいかがでしょうか。その結果をしっかり実践に移すことも変化の導入になるかもしれません。ものごとは考え方≠ナかなり変わる面もあります。先細り≠ニ思えば寂しくもなります。しかし、最後の始末を自分たちでつけるのだ≠ニ考えれば、よくやった≠ニ評価されるようにいろいろな試みをしたくなるものではないでしょうか。有終の美≠飾るのです。 |
クローズする職場での意欲 2011/04/13 水 2984
クローズする職場で意欲をどう維持していくか。そんなご質問に対する回答の続き。これまでの業務の歴史を振り返る中には、過去に経験した楽しい思い出≠セけでなく失敗談=Aあるいは自慢話≠ェ入ってもいいでしょう。それを広報誌のような文字型で集約する方法もありますが、いつもの会議≠ナ少しばかり時間をとって報告≠キる機会を設けるのはいかがでしょうか。これらは過去≠ノ関するものですが、Aこれからの仕事の段取りを各人で具体的な行動目標として立てることも考えられます。それらをお互いに実践してしっかり実行できた≠アとを評価するわけです。これは仕事の行程を変更するといった大きなことでなくてもいいと思います。たとえば仕事の順番を変えてみるといった小さなことでもよろしいでしょう。書類や仕事の段取りを改善するアイディアを出し合って、実行することができるものは実際に採用するわけです。そのためにもアイディアを出し合う機会を設定してみんなで話し合うことが大事です。また、実現からほど遠い空論ですが、定型的なお仕事をされているように見える方々へのインタビューなどはいかがでしょう。たとえば、施設の門前で直立したまま警備をされている方やホテルのベッドメーキングをされている方など、いろいろいらっしゃると思います。そうした方々がどのようなお気持ちや心構えでお仕事をされているのかをお聞きするわけです。その厳しさ≠ヘ当然でしょうが、仕事のし甲斐≠ネどについて情報が得られるかもしれません。ところで、私は朝のひげ剃りがリラックスタイムになっています。毎日の単純な仕事≠ネのですがなぜか楽しいのです。その間は録音していたラジオの講座や講演会を聴いています。 |
心の変化 2011/04/12 火 2983
講演の際にいただいたご質問:@相互のコミュニケーションや感謝の気持ちをもつことで働きやすい職場を作り、維持することの大事さは理解、納得できました。しかし、私の職場はクローズすることになっており、新人が入らず次第に定年を迎えて人数が減少しています。その中で同じことができるでしょうか? 職場のリーダーはどう対応すべきでしょうか。A終息することが決まっている職場で今後の目標のよりどころをどう考えればよいかご指導ください。これに対する私の回答:大変にむずかしい状況でお仕事を進められていることがわかります。お二人のご質問には共通する部分が多いと思いますので、併せて私の考えをお話しましょう。少しでもお役に立つ情報になれば幸いです。結論から言いますと、私としては皆さまのお力で、現在の仕事をプラスの視点≠るいは変化の視点≠ゥら捉えることができるようにしていただければと思います。客観的な環境や状況そのものを変えることがむずかしい中では心の変化≠目指すことも必要だと考えます。つまりは、仕事そのものが大事な意味を持っていることをいつもお互いに確認していくことです。そのために、@これまで職場で進めてきた業務が社会的に必要とされた歴史や経緯を確認し、資料としてまとめていく。それを前提にしますと、担当されている設備や機器が担ってきた役割について改めて学習することになります。そうした学習の結果を持ち回りで講師≠ノなり職場で報告します。その報告会≠ナ効果的な情報提供の仕方、話し方などのスキルを磨く。これがその後の仕事や対人関係の改善にとってプラスになることが期待されます。それは皆さんご自身の自己成長∞自己実現≠ノ繋がると思います。 |
もれたネタ 2011/04/11 月(2) 2982 Continued from 04/06
昨年末に出かけた中学校での講演に対する感想文はまだまだ続く。私の話を好意的に評価してくれている内容だから、もうわかった、わかった≠ニ言われる方もいらっしゃるだろう。そんなときは大事なお時間を盗んではいけないので飛ばしていただければと思う。ただ私としてはせっかく書いてくれたものだからしっかりフォローさせてもらいたいのである。めりはりができている≠ニ書いた1年生男子がいた。一般的にはめりはりが利く≠ニかめりはりをつける=Aあるいは減り張りが乏しい≠ネどと言うから、できる≠ヘ対応していないが、とにかくこのことばを知っているだけで大したものだ。減り張り≠ニはゆるめることと張ること≠ナある。またかなりの生徒がCha,Cha、Chaでいこう≠フ話を聞きたかったと言ってくれた。じつは講演の際に提示したスライドのメニューにCha,Cha、Chaでいこう≠ェ入っていたのである。いつものことながら、あれもこれも話したい≠ニ思うあまり、メニューにはイッパイコッパイのタイトルを書き込んでいたのである。しかしいざ話をしはじめると個々のテーマでけっこう時間がかかってしまう。その結果、話さずじまいのものがあれこれと出てくるのである。Cha,Cha、Cha≠ヘそのひとつだったわけだ。これはChallenge
the Chance to Change Yourself!≠フ頭を並べたものだ。自分自身が先に変わるチャンスに賭けましょう≠ニいう意味で、対人関係≠改善するための基本としてずっと前から言い続けている。そうそう本コラムでも初出は2003年5月10日。まだ22回目≠フことである。ああ懐かしい! |
筋肉トレーニング 2011/04/11 月(1) 2981
1年ほど前から対人関係筋トレ論≠展開している。このコラムでも取り上げたし、看護系の雑誌にも書いた。今回の震災はただでさえ厳しさを増す日本にとって大きな試練である。被災地の大変さは想像すらできないが、農産物は言うまでもなく工業面での生産も国内全体に影響を与えている。海外からの観光客も激減した。こうした中でとにかく生きていかなければならない。そのための基礎として対人関係≠竍リーダーシップ≠改善する力も身に付けていくことが求められていると思う。それもできること≠できる範囲で≠ナいいのである。体が健康であることは誰もが願っている。そのための効果的方法として適度な運動≠ェ勧められる。つまりは自分にできる程度≠ナいいのだ。一般のわれわれはプロのアスリートになるなんてことは考える必要もない。自分なりに必要なトレーニングを地道に続ければいいだけのことである。体力やスポーツのスキルには大きな個人差があるが対人関係やリーダーシップも同じなのだ。私たちはスーパーリーダになる必要はまったくない。そうではなくて日常の仕事や生活の中で関わる人々と快い関係を創り上げることができればそれでいいのである。もちろん筋トレ≠ヘ継続しないとまずい。せっかく身に付いた筋肉も運動をサボればあっという間に衰える。リーダーシップや対人関係の筋トレ≠ノ終りはない。終りがあるとすれば、それはあの世に逝くときである。ともあれリーダーシップや対人関係はトレーニング≠ノよって鍛えることができる。はじめから私には無理だ、苦手なんだ≠ネどといって逃げてはいけないのである。 |
永久重番 2011/04/10 日 2980
世の中で誰かが何かを言ったとき、私だって同じことを考えていたんだぞーっ≠ニ言いたくなることは誰にもあるだろう。もちろん私にもけっこうある。つまりは自慢話をしたいわけだ。しかし、相手はマスコミなどに出しているから、私だって…≠ニ訴えても分が悪い。そんなときに、ささやかながら力になるのが、私の場合は味な話の素≠ネのである。ほうら、私だって□□年の○月○日に同じことを書いていたんだぞーっ≠ニしっかり自慢できるのである。現に、2005年11月に出版された藤原正彦氏の「国家の品格」の中に書かれていることとほぼ同じ趣旨の話を、それ以前に味な話の素≠ナ取り上げていた。すでに賞味期限を超えたが、しばらくは講義や講演で私だって本が出る前から同じことを考えていた≠ニ言って自慢していた。そんな使い方をするからには、前に書いたことに手を入れてはいけない。同じアイディアをもっていたなんて言うけど、あとになって書いたんじゃないの≠ネんて疑われれば、それでおしまいである。だから、とにかく修正はしない。ただし、本文には手をつけない代わりに、あとで訂正しないといけなくなることもあった。もうかなり前になるが、ある報道番組で犯人の作文のようなものを紹介したときの熟語の読み≠ェ間違っていると指摘した。ところが1週間ほど経ってたまたま他の番組を見ていて、私の方が間違っていたことがわかった。そのときも誤った日の内容には手をつけず、気がついたとところで間違っていた≠アとを書いた。たかが遊び半分のコラムじゃないの≠ニ思われても、書いたことがまずければ書き換えるというのでは信頼を失ってしまう。かくして今回は永久欠番≠ノ続いて永久重番≠ェ生まれた。 |
ダブル・ナンバー 2011/04/09 土 2979 下のコラムからお読みください
今日は先月のダブり≠カバーするために、ナンバーを同じにしておこう。もう随分と前のことだが、同じ番号がダブったことがある。それに気づいた日は1回分数値を増やした。したがって、味な話の素≠ノは永久欠番≠烽るのだ。それが何番なのかは記憶にない。定年で辞めて時間をもてあますようなときに、最初から読み返すことがあるかもしれない。そのときに欠番もわかるだろう…。などと思いながら、ちょと待てよ≠ニひらめいた。いまは全ファイルをキーワードで検索できるソフトがあるのだ。それを組み込んでいるので永久欠番≠ナサーチすると即座に出てきた。何ともすごいソフトではある。それは2004年5月1日のことだった。その中に、味な話の素≠ェ1年経過して振り返ったら、スタートした年の5月22日と23日が同じ35回になっていたことに気づいたとある。まだ35回≠フところなのだ。そこで、5月1日は379になるところを380にしている。つまりは永久欠番は379≠ニいうことになる。その逆の発想で。本日は2979をダブ≠轤ケることにした。もうすぐ3,000回目の記念日である。その前に気づいてけっこうでした。ところで、私はこのコラムをはじめたとき、1つの原則を設けた。それは、明らかな誤字脱字≠竄ヘっきり問題のある表現をしてしまったときは、過去に書いた内容や表現を修正する。しかし、それ以外は仮に誤りがあっても、あとから手を入れない≠ニいうことである。自分に都合が悪くなったらこっそり書き換えるなんてことをしてはいけない。それではバックナンバーの信頼性が失われてしまう。世の中にはいろんなアイディアがあふれている。その中には、自分が考えていたこととほとんど同じものもある。 |
2回目のチョンボ 2011/04/09 土 2979
このコラムで、人が人の影響力を受ける理由について、ボチボチと書き続けてきた。フレンチとレイブンという2人の研究者が提案した5つのパワー≠取り上げた。それぞれ、強制勢力∞報酬勢力∞正当勢力∞専門勢力∞憧憬勢力≠ナある。前の3つはある一定の地位に就けば、多かれ少なかれ自動的に付いてくる。しかし、専門勢力≠ニ憧憬勢力≠ヘそんなものではない。それを身につけるためにはリーダー自身の努力が必要になるのである。とまあ、そんなことを書いたところで終わっていた。それが3月の17日のことである。何分にもあれやこれやと脇道、寄り道を繰り返すものだから、どこまで書いたかも怪しくなる。ということで、先月の本コラムをチェックしたら、このシリーズのラストが17日だったことがわかった。そこまではよかったのだが、ついでに心臓が止まる≠ルどビックリする発見をした。まあ、心臓が止まる≠ニいうのは超オーバーなのだが、3月19日と3月22日の内容が同じなのである。細かく見ると完全≠ネコピーではないのだが、いくつかの文章表現と最後の2行が違っている程度である。2つの間に2日分が入っていて、原稿を書いているワープロから削除していなかったのだと思われる。いやー、参った、参った、参ってしまった。私の認識しているところではこれが2回目のチョンボである。初めてのときは、毎日見ています≠ニいう方からその日のうちにメールで知らせていただいた。そこですぐに修正したから、とくに大きな支障はなかった。しかし、今回はすでに20日ほど経過しているのである。いまさら訂正するわけにはいかない。 |
外に見えるJapan 2011/04/08 金 2978
New York Times 日曜版からの抜粋。2010年12月12日 自由貿易−日本の生き方に脅威(Free Trade Threatens
Way of Life in Japan )=B TPP(Trans-Pacific Partnership)を巡る日本の動きを伝えたものだ。北海道岩見沢市の農家の『このままでは農業が崩壊する』≠ニいう声を取り上げている。しかし、菅政権としてはTPPの交渉を望んでいる。それはとくに車やエレクトロニクスを代表にした産業界から支持されている≠ニ伝える。記事には、日本が輸入米の777.7%、麦が252%、バターで360%、砂糖に328%、そして牛肉は38.5%の関税をかけていると書かれている。外国人はこうした数値を見るわけだ。記事は酪農家の本田さん(34歳)のコメントで終わっている。このまま解放への圧力に抵抗し続けることはできない。しかし、まずは日本の農業を修復するのが先だ。すべての出来事があまりにも速く起きている=B今回の大震災で他の問題が見えなくなっている。昨年の9月12日には過激化する反外国人デモの日本(In
Japan, Demonstration Against Foreigners Grow Louder)≠ニいう見出しのもとで、Zaitokukai
という団体を紹介しながら、反外国人の運動が過激化していることを伝えている。13cm×21cmのカラー写真入りである。とくに中国と韓国を犯罪の増加と失業の元凶として批判しているという。メンバーの多くが中国とアメリカが共謀して日本の弱体化を企んでいる≠ニいう陰謀説を受け入れているように見えたという。ここで、Many seemed
to embrace≠ニ表現している。日本の新聞がようだ≠ニか思われる≠使って断定しないことがある。これは署名記事だが、あきらかに断定を避けている。
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妄想であれ… 2011/04/07 木 2977
手元にFrom Page 1≠ニなっているNew York Times 日曜版の4ページ目がある。つまり1面から4面に続く記事なのだが、うっかりして最初のページがどこかにいってしまった。英字新聞だけかどうかは知らないが、1つの記事がページを超えて書かれているのはごく普通のことのようだ。というよりも、New
York Times の場合、LENS≠ニいうコラム以外はすべてContinued on Page…≠ニ別のページに飛ばしている。まずは大事なニュースは1面で知らせておこうということだろう。ただ、私の記憶ではNews
Weekなどの週刊誌でもこの手法を使っていた。昔は版組の技術レベルも関係していたのかもしれない。ともあれ、1面が紛れてしまったこの日の記事だが、4面のタイトルは失業した若者たちが抵抗のテクニックを学ぶ日本(Jobless
Young in Japan Learn the Art of Protest)≠ナある。停滞が続く日本経済の中で失職する若者達が増えているという内容だ。Toyota≠竍Canon≠ェ人員を削減したことも書かれている。そして、会社の門前でビラを配る光景がテレビで流されたりする。裁判に訴えるケースも出ていると伝える。いまだに同調と秩序を重んじる日本だから、過激な抵抗運動は起きていないが、若者たちは抵抗のテクニック≠学びつつあるというわけだ。公園と思しき場所でハンドマイクを持った男性と男女4人が抗議の練習≠しているような写真が掲載されている。昨年ギリシャで起きたデモの映像を見ながらふと思った。まずは、この国でああした暴動は起こらない=Bしかし、それは確信にまで至らなかった。このままだと、この国でも暴動が起きないとは限らない…=Bそれが私の妄想であることを心から願っている。 |
生徒からのアドバイス 2011/04/06 水 2976 Continued from 03/11
お久しぶりに熊本市内の中学校で講演したあとでもらった感想文から…。私の話をおもしろかった≠ニほめてくれてから、講演が無意味なものにならないよう…≠ニ決意を語ってくれている。これは1年女子が書いたものだ。この年で無意味≠ニいうことばを使うってすごいなあ。私が楽しいところは学校ではなく家です≠ニいうものもある。前後に問題≠感じさせることは書かれていないから、単純に家の方が楽しい≠ニいうことだろう。まあ、できればどちらも楽しく≠ネってほしいなあ。話のなかでツーショットの写真を見せた。そのとき、私って顔がでかいんだよね≠ニ付け加えた。この発言≠ノ反応した生徒がいた。顔の大きさのことを気にしているからとてもおもしろかったです≠ニ書いてから、でも顔のことはあんまり気にしない方がいいと思いました≠ニアドバイスしてくれた。私自身は顔のデカさ≠自認した上で、それをまったく気にしてはいないのだが、1時間を超える講演のなかで、こんなポイントにも反応する子どもがいることが楽しい。教師だけでなく、親だって、職場の管理者だって、フォロワーたちから、軽い冗談も含めて、あらゆる面から見られていることを認識すべきだなあと思う。私の話をおもしろかった≠ニほめてくれてから、その中にも、いろいろな話があり「すごい」と思いました≠ニいう声もあった。1年生の女子である。私自身は調子者だから、自分が楽しむことを前提に話をする。しかし、ただおもろいだけ≠ナはお笑いのプロにかなうわけがない。むしろ、その中に学ぶものもあった≠ニ言ってもらうのが嬉しい。 |
両親に感謝 2011/04/05 火 2975
新しい年度を迎えた。今年の春は国として厳しい春になった。大震災による死者と行方不明者の正確な数はわからないだろう。警察庁が把握している数でも、死者・行方不明者の合計が2万7639人だという。わが国の人口が1億2700万人だから、国民の4600人に1人が亡くなったことになる。それも赤ん坊から子どもたち、そして成人、お年寄りと、すべての世代の命を奪い去ったのである。しかも今年は九州でもまだ寒さを感じる。被災地の苦労は想像もできない。そんななかで花見で大騒ぎは不謹慎ということで、東京でも知事を筆頭に自粛が広がっているようだ。人の世はむずかしい。それで世の中にお金が回らなくなると景気が沈滞する。それが結果として復興にもプラスにならないという事実もある。週末に熊本城近くにできた城彩苑≠ノ行ってみた。3月にオープンした観光施設だが、かなりの人出で賑わっていた。九州新幹線も全線開業し、話し声から明らかに鹿児島の人だとわかる人などもいた。いろんなところから人が来ているのだろう。いわゆる春の観光シーズンだということもある。このくらいの楽しみ方で内需拡大に繋がればいいのだけれど…。ともあれ、新年度を迎え熊本大学の定年まで3年を切った。時間は淡々と流れていくだけだが、できるだけ元気で2年と361日を過ごしていきたい。それにしてもここまで健やかに生きて来られたことのありがたさよ。おかげで大きな病気もせずに還暦を超えた。私ごとながら、何といっても健康な体に生んでくれた両親に感謝している。母は47歳で他界した。あれからもう37年にもなる。父は75歳で逝ったが、すでに19年が経過した。
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ロールモデル 2011/04/04 月 2974
ロールモデル(role model)、役割のお手本である。タレントなどが呼びかけると、同じことでも一般人が言うよりも効果がある。これは大事なことだ。私が叫んでも若者たちが動くなんて考えられないが、SMAPが笑顔で呼びかければ、ワンサカ同調するということだ。だからこそタレントと呼ばれる人たちは、それなりの行動を取らなければならないし、責任も背負っている。その代わりというと嫌らしくなるが、一般人とは手にする報酬も違うし、そもそも自己実現に近い生活を送ることもできるわけだ。ところで、今回の震災でACジャパン(ADVERTISING
COUNCIL JAPAN)が話題になっている。そもそもは関西発で、サントリーの社長が発起人になってスタートした。それが1971年だというから、今年で40周年を迎えるのだ。震災後しばらくはスポンサーがCMを自粛したため、ACの画面があふれた。同じ内容が繰り返されることもあって放送局に抗議が殺到したらしい。しかし、未曾有の大災害である。テレビが見られるのだから、そのくらいは我慢したいものだ。もちろん、ACの事情を知っていれば、無批判な抗議は抑えられたかもしれない。もっと早めに放送局自身がACについての情報を流せばよかった。特殊社団法人ということで、1200社ほどが会員になっているが、そのなかにNHKも含まれている。このところ、震災をサポートするキャンペーンができて、タレントや著名人が語りかけてくる。いろんな人が出てくれば、それだけ年齢性別を問わず幅広い層にアピールすることになる。社会や政治に対する無関心層が増えたと言われるが、そんな流れを変えるためにも、タレントやスポーツマンたちがしっかり声をかけてくれるといい。お客様は神様≠ネのです。 |
ソフトアプローチ 2011/04/03(2) 日 2973
講演後にこんなご質問もいただいた。ヒューマンエラーをなくすために、最近はリスクアセスメントによる安全評価を行い、設備改善等のハードでトラブルをなくすような世の中の傾向がありますが、この考えで進むのは正しい方向なのでしょうか? 個人的には教育やコミュニケーションの改善との合わせ業で改善を進めるべきと考えますが=Bこれに対して、私は次のようにお答えした。もちろん設備などの改善でハード的に万全を期することに手を抜いてはなりません。「気持ちが大事」で「ハードは二の次」といってコストを削減すると大きなしっぺ返しに会うに違いありません。しかし、「どんなに万全を期しても」ミスや事故は起きるものです。それは心の小さな隙間を悪魔がねらっているのではないかと思われるほどです。私はFaill
Safe & Feel Unsafe≠フ両立が大事だと申し上げています。人間の方にこれは危ない、まずいのではないか≠ニ気づく感受性(Feel
Unsafe)が必要なのです。そして、それを「いつでも言うことができる」雰囲気が職場になければ意味がありません。事故や不祥事の多くが「言いたかったけれど言えなかった」「言っても仕方がないから言わなかった」「言ったけれど聞いてもらえなかった」といった原因で起きているのです。つまりは職場の対人関係を含めたコミュニケーションのインフラができていないと、「何でも言いなさい」と叫んでも大事な声は聞こえてきません。そこでポイントになるのが職場のリーダーシップです。そんなわけで、手前味噌のPRで恐縮ですが、私が実践している「対人関係トレーニング」などもお役に立てると思っております…=B今年も熊本大学公開講座リーダーシップ・トレーニング≠開催しますよ。 |
教養を育てる 2011/04/03(1) 日 2972
講演を聴いていただいた方からのご質問:現在コンプライアンスやハラスメント教育の担当をしており、色々な企画を職場に掲示しております。しかしながら、こうした教育は受けて欲しい人は受けず、受けなくともよい方は受けるという傾向にあります。先生のご経験からそうした方々の興味をひきつける方法をお聞きしたく思います。いずこも同じような悩みを抱えていることを実感する。教育の場でも、授業参観やPTAの会合については保護者の違いが大きい。リーダーシップを取っているメンバーたちから「聞いてほしい人が来てくれない」という嘆きの声が聞こえてくる。看護の世界では多くの病院が「クリニカルラダー」といったキャリア開発システムを導入している。このラダー(ladder:はしご)を1段ずつ昇りながら専門的な知識や技術を身に付けていくわけだ。その結果として責任ある仕事を与えられる立場へと昇進するのである。これは公式のインセンティブシステムになる。昇進に関しては、昔から警察や学校でも管理職になるための試験があるが、クリニカルラダーシステムは、教育の体系だから根本的に異なっている。それがコンプライアンス≠竍ハラスメント≠ノも適用できるかどうかはわからないが、組織としては仕事に直結した教育だけでなく、教養≠育てるシステムを考えていく必要がある。コンプライアンス≠竍ハラスメント≠ヘ多分に教養≠フ問題だと思う。また、職場の仲間と参加するとか、気の置けない同士でグループをつくるなどいろいろトライしてもいい。また、地元で若者たちに人気のある人物、それも有名人ではなく本人には失礼だがプチタレントなどで、コンプライアンスやハラスメントの話ができる人を呼ぶことも考えられる。 |
はやぶさ物語 2011/04/02 土 2971
在来線でも2駅の久留米と新鳥栖に同時に止まるのかなあと思っていたが、時刻表を見たらつばめ≠ヘすべて止まることになっていた。それだけではない。東海道新幹線のひかり≠ノあたるさくら≠ノも2つの駅に止まるものがある。東京・品川間が6.8kmで、のぞみ≠セってその距離で止まっていると言われればそうなんだけど、なにせ新幹線ですものねえ。久留米と新鳥栖の両方に止まるってどうなんだろうなあ。久留米は福岡県、新鳥栖は佐賀県で、このバランスを取るのがむずかしいのだろうか。それにさくら≠ヘ新鳥栖か久留米以外のもう一つ止まるものなど、組み合わせがいろいろある。JR九州も地元の要望に応えるのに苦労しているのだと思う。しばらく走って乗車率が出てくれば、手が入れられるだろう。ところで、新大阪までの最速はみずほ≠ナある。先行してJR東日本ではやぶさ≠ェデビューした。最高速度が時速300kmで、東京と新青森間713.7kmが3時間10分である。このはやぶさ≠ヘ、ブルートレインとして熊本と東京の間を走っていた。それが2009年のダイヤ改正でなくなったばかりである。そんな経緯もあって、JR東日本ははやぶさ≠ニ命名する前に、JR九州に話をしてOKを取ったとのことである。身近に見ていた熊本人としてはおしかったなあと思う。みずほ≠煬F本始発のブルートレインだったから親しみは感じるが、なにせ穏やかでおとなしい。九州新幹線にはすでにつばめ≠ェある。こちらは体は小さいが素速く九州内を走る。ハヤブサは動物食でかなりの迫力がある。そんな名前を冠した新幹線が九州と山陽を突っ走って新大阪に着くなんてのは、同じ鳥類の組み合わせもあっておもしろかったと思うのだけれど…。 |
久留米と新鳥栖 2011/04/01 金 2970
九州新幹線の久留米と新鳥栖の間は営業距離が7.1kmで4分間の乗車になる。在来線でも久留米と鳥栖間は6分である。この付近を通るたびに、新幹線の工事を見ながら久留米と鳥栖はどうなるんだろう≠ニ思っていた。まさか二つともは止まらないだろうなあ≠ニ推測していたが、最終的には各駅停車のつばめ≠キべてと博多までのさくら≠フけっこうな本数が両駅に止まることになった。新幹線は原則として在来線と同じ営業距離を使って運賃を決める。したがって、在来線の久留米と鳥栖間も7.1kmになっている。新幹線はできるだけ直線化するから、一般的には在来線よりも実距離が短くなる。東海道新幹線が走り始めて10年ほど経過した1975年に、これを根拠に裁判した人がいた。つまりは距離が短いのだから料金を返せ≠ニいうのである。その差額は200円だった。まあ、世の中にはいろんな人がいるものである。東京地裁は国鉄に200円を払え≠ニ命じたが、最終的には最高裁で原告敗訴が確定している。これをきっかけに、国会では既設の路線≠ノ近くて、併行していたり、増設された場合は、既設≠ニ同じ扱いでいいとの法律がつくられた。ところで新幹線については、全国新幹線鉄道整備法≠ニいうものがある。その第2条で、「新幹線鉄道」とは、その主たる区間を二百キロメートル毎時以上の高速で走行できる鉄道≠ニ定められている。久留米・新鳥栖間が7.1kmで5分かかるから、時速で85.2kmになって上の定義に合わない。久留米と新鳥栖間だけだから、この部分を主たる区間≠ニしなければクリアできる。それにすべての電車ではないからという理由もある。さらにできる≠セから、現実にしなくてもいい≠ニいう解釈も可能だろうか。 |
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