吉田道雄 YOSHIDA, Michio
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味な話の素
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 No 94  2011年02月号 (2911-2938)
今どきの若者たち 2011/02/28  2938 
 今どきの若いモンは…=Bピラミッドにもこの手の落書きがあるらしい。ある程度年をとってくると、若い世代の価値観や行動が気になってくるものだ。これは人類にとって宿命なのかもしれない。少し前になるが、ある組織で講演をしたあとに質問があった。先生の話は、私の年代の人間であれば大いに共感、理解できると思います。学生を含めた若い人たちも同様な感覚を持っているのでしょうか=Bこれに対して、私は次のような返事をした。このご質問については、私の個人的な経験になりますが、学生に対しても全く同じような情報を提供し、それなりの反応をもらっています。また、公民館で子どもを指導したり、不登校児の自宅を訪問するといったボランティアな活動にも積極的に活動する学生が少なくありません。今年の実績では200人を超えています。こうした学生たちにも講演と同じようなスタンスで対応していますが、ありがたいことにけっこうな手応えがあります。また、若手の看護師の皆さん方にもそれなりに通じる感じは持っております。ただし私の場合は教師という、いわば優位な立場におりますので、皆さま方のご苦労とは同列に論じることがむずかしいと思います=B管理職対部下≠ニ教師対学生≠フ関係では違いがあることも事実だ。それはそうだが、私の前にはすごい若者たちがいるのである。そしてこの返事を書いたあとに、私の気持ちを裏付けることが起きた。いわゆる教員養成学部ではフレンドシップ事業≠ニいうものが導入されている。教員を志望する学生たちに子どもと触れ合う機会を提供することを目的に企画された事業で、文部省が実施する大学を募集したのである。熊本大学はこれに手を挙げて1997年度からスタートした。
ご丁寧な感想文 2011/02/27  2937 Continued from 02/15
 ちょっと久しぶりになるが、年末に私の話を聞いてくれた中学生たちの感想文を取り上げよう。これから先生をがんばってほしいと思いました=Bまことに単純な励ましだが、これだけでも話を満足してくれたことが伝わってくる。いや、それほど単純に受け止めるなんて脳天気≠セなあと思われるかもしれない。じつは、先生は脳天気な人だなあと思いました≠ニ書いた生徒がいた。これを見た途端、私は反射的に笑ってしまった。しかし、前後の文章からそれは否定的なニュアンスで使われてはいなかった。政治も経済も、そして精神的な環境も先の見えない時代である。そんなときだからこそ、少しばかりは脳天気なくらいがいいと思うのだが、いかがだろうか。今度からはもっといろいろなことを別の視点から見てみようと思いました=Bこれが1年生の感想だから、なかなかの感受性である。人によって見方が違うといった趣旨の話に反応してくれたのだ。女性の方が文章がうまい=B私が子どものころはそんな言い方をよく聞いていた。しかし、それは単なる思い込みだと思う。しかし、中学生くらいだと少しばかりは男女差があるのかもしれない。女子生徒の感想文に、すごいものが出てきたからである。今日はお忙しい中、○○中学校においでくださいまして本当にありがとうございました。吉田先生がお話になったことを糧に楽しく笑い合える人生を送れたらなと思っています=Bいやはやこれが中学1年生の文章だとは恐れ入った。なんと人生≠ノまで言及してくれているのである。いまどき大学生だってこんな丁寧な文章を書くのがむずかしい者もいるに違いない。とにもかくにもこんな感想文をもらうと、やっぱり行ってよかったなあ≠ニ単純に嬉しくなる。
専門勢力と憧憬勢力 2011/02/26  2936 Continued from 02/24
 その人の言うことにしたがうように決まっているから≠ニいう正当な理由≠ノよる影響力も、その立場や地位がなくなれば消滅する。さて、フレンチとレイブンが挙げる第4の勢力は専門勢力≠ナある。原語のExpert power ≠そのまま訳したものだ。リーダーが専門的な力を持っているからみんながついてくる。これが専門勢力である。何と言ってもあの人の専門的な知識や技術にはかなわない≠ニいう声が職場の部下たちから聞こえてくるときは、この力による影響力が浸透しているのである。もちろん専門性にかかわる力がなくなれば、誰もついてこなくなる。いやはや厳しいものである。そして第5のパワーは憧憬勢力≠ナある。英語ではReferent power≠ニいう。心理学の一般書には準拠勢力≠ニ訳されている。準拠≠ニは、よりどころまたは標準としてそれに従うこと≠ナある(電子版広辞苑)。たしかにreferent≠フ意味を伝えてはいるのだが、準拠≠ニいうことばは一般的にはすとんと腑に落ちにくい。もっとも、日本の学校で使う教科書の表紙には小さな字で文部科学省学習指導要領準拠≠ニ書かれているから、誰の網膜にも映った≠アとはあるはずだ。しかし、それ以外で準拠≠ニいうことばを使う機会はほとんどないだろう。Referent power≠ヘ部下たちに、自分もあんな人になりたい∞あの人こそ私の目標だ≠ニ思わせる力である。つまりは自分の行動の基準になる人だから準拠≠ニいうわけである。それはそうなのだが、私としてはより日常的な憧憬≠ニいうことばを採用している。憧憬≠ヘ本来しょうけい≠ニ読むらしいが、これだって一般的でない≠ニ言われるかもしれないが…。
体力∞耐力≠サして待力=Aさらに… 2011/02/25  2935
 リーダーシップは特性≠ナはなく行動≠ナある。これがわれわれの基本的な立場だ。もちろん、世の中にはすべて≠ニいうものはない。だから、特性≠完璧に無視するのではないが、それでも行動≠フ方をより大事にしようということである。問題に直面したとき、Betterの選択がBsetの選択≠ニいうのが私の主張である。いつだってもっといい解決法≠ェあるに違いない。そもそも、人間にかかわることでこれが唯一無二≠ネどという正解なんてあるわけがないのである。それにこだわって先に進まない事例が何と多いことか。とにもかくにも動いてみることである。それがまずい′級ハになったら、またもとに戻せばいいだけのこと。私の好きな朝令暮改のこころ≠アそ変革の力になるのだと言いたい。さてさて、リーダーシップの話題に戻れば、リーダーに求められる行動≠ノもいろいろある。行動≠ニいえば、積極的に働きかける≠アとをイメージするが、しっかり耐える≠アと、待つ≠アともリーダーシップにとって大事なのだ。先日、JR東日本の安全シンポジウムに参加させていただいたが、そこでじっと待って&秤コを育てたという区長さんの報告があった。それをお聞きしながらふと思った。リーダーは精神的な面も含めて、まずは体力≠ェ必要だ。そしてギリギリの線まで我慢する耐力≠烽ネくてはならないだろう。そして、まさにじっと待つ≠ニいう意味での待力≠セって大いに鍛えておかねばならないのである。もちろん、野放図に待つわけにもいかないから、そこに一定の基準はいるだろうが、こうした力≠焜梶[ダーシップの重要な要素になると思う。そうそう、それに退き際をわきまえた退力≠烽ワた大事ですよね。
にぎやかな名刺 2011/02/24  2934 Continued from 02/20
 退職後に元の職場に顔を出して歓迎される人もいる。しかし、現実にはそうでない場合の方が多いのではないかと思う。みんな仕事で忙しいから、招かれざる客≠ノなってしまう。その上、○○君≠ネどと上役風を吹かされてはたまったものではない。もうあなたの言うことを聞く理由はないんですよ=Bそんな冷たい視線に気づかないとまずいのだ。しかし、人間というものは、いつまで経っても自分の存在を認めてほしいという欲求を消すことがむずかしいようだ。まあ、それが生きるエネルギーにも繋がってはいるのだが。やはりご退職された方と名刺を交換してちょっとばかり驚いたことがある。名刺の表はもちろんだが、裏面にもぎっしりと肩書きが書かれていたのである。社会的に様々な貢献をされているのは間違いないのだが、ここまで書くかなあと苦笑してしまった。還暦は越えたが、ありがたいことに私はまだ現役で仕事をしている。だから大学の現職名をつけた名刺を使っている。もう9年ほど前になるが、附属中学校の校長をしたときは校長名を付けた名刺を作った。わずか2年で首≠ノなったので、ほとんど使わずじまいに終わった。また、財団法人集団力学研究所の所長をしていたときは、研究所と大学の名前を並べて書いた名刺を作った。このときは複数の肩書きを使った。そして現在では現職のみのシンプルなものに回帰した。じつに簡単でいい。それにしても、3年後に熊本大学をリタイアするが、その後ではあれやこれやと書き込みたくなるんだろうか。ついでながら、研究所の名刺は研究所が負担したが、本職である大学や附属校長の名刺はすべて自弁である。大学教員という仕事は名刺になじまないということなんだろうか。
異質性の力 2011/02/23  2933 
 そもそも集団は等質よりも異質の方が望ましいというのは基本的な事実である。それはグループ・ダイナミックスの研究でも明らかにされている。ただし、私はその際にリーダーシップが大きな影響を与えると考えている。それ次第で異質集団はバラバラになる危険性をもっているのである。しっかりしたリーダーシップがあってこそ、異質集団はその力を発揮する。リーダーシップの話は置くとしても、この世の生き物が遺伝子の新たな組み合わせを繰り返しながら生き延びてきた事実を見れば、異質である方が望ましいことは理屈抜きで納得できる。歴史的に見れば遺伝子科学が提供する事実など、人類はほんのこの前まで知らなかった。しかし、そんな中で近親間の結びつきは避けられてきたのである。植物などになると大脳をもっていないから人間的な意味で考えたり判断することはないはずだ。そこで、たまたま近しいものが結合することはあったし、いまでもあるのだろう。しかし、その結果として十分な体力が得られないため生き残っていけなかったと思われる。遺伝子は、とにかく異質な相手を求めて絶え間なく自分の力を強化しようという意思≠もっているのではないか。そんな気がするくらい徹底しているように見える。私が子どものころ、日本人自身がいわば自嘲的に島国根性≠ニいうことばを使っていた。内に籠もってよそ者を受け付けないといった閉鎖的な精神構造を意味していた。最近はほとんど聞かないが、これもグローバル化≠フ影響だろうか。それは異質化≠フはじまりなのか。ともあれ、この3日間のネタを学校の児童生徒たちへ伝えようと思っている。じつは、昨年12月に熊本市内の中学校で話をしたとき、こうした内容に反応してくれたのである。
採用者を追加するときは… 2011/02/22  2932 
 組織を存続させることを考えれば、暑さに強い人≠ニ寒さに強い人≠採用した方が有利でしょう。さて、幸いに採用した2人がしっかり仕事をしてくれたおかげで、あなたの組織は少しばかり成長しました。まわりの評判もよくて、あなたはそろそろ4人体制にしようと決めました。そこで募集をかけたところ、今度も4人が応募してくれました。さっそく面接をしたのですが、前回と同じように対照的な2つのグループに分かれました。そのうち2人はものすごい力の持ち主≠ナすが、身長はかなり低い$lたちです。それに対して別の2人はとても背が高くて見上げるほど≠ネのですが、力はまるで期待できない≠アとがはっきりしています。さて、今度はどんな2人を採用しますか…。これも組織の目的次第で変わってくることは言うまでもない。しかし、ここは思考実験%Iに考えていただくとしよう。これまた私の推測だが、おそらく力持ちの短身≠ニ非力の長身≠フ組み合わせが多数になるのではないか。この他にもいろんな条件を提示することができる。たとえば、国語が得意だけれど算数が苦手≠ネ人と算数はバッチリだが国語がアウト≠フ人などなど…。つまりは等質性≠謔閧熈異質性≠大事にした方が、組織全体としては生き残れる。そこを強調しようというわけである。もっとも、昨日からの話は大人に対しては条件提示が不十分で、期待している答えが見え見えだと言われるだろう。まあ、私としては学校に出かけて子どもたちに話をするときのネタとして思いついたものである。このごろ生物の多様性≠ェ話題になっていたが、人間の多様性≠熈人類という組織≠ェ生き延びるために必要不可欠なのだということを伝えたいのである。
二人の採用問題 2011/02/21  2931 
 皆さん、いまあなたは新しく小さな組織をつくろうとしています。最初にまず2人のメンバーが必要です。それがどんな組織なのかをはっきりさせないといけないのですが、それはちょっと置くことにしましょう。ただ、この厳しい世の中で、とにかく生きていくことができないといけません。そうした中で、あなたの募集広告に応じて4人の人がやってきました。どの人もまじめそうで、できれば全員を採用したいのですが、そうもいきません。ところで、この4人は大きく二つのグループに分けられるようです。それは寒さにめっぽう強い人≠スちと暑さに驚くほど強い人≠スちです。いまのところ、その他の情報はありません。さて、あなたはどんな選び方をしますか。選択肢としては、@とにかく寒さに強い人を2人、Aやたらと暑さに強い人を2人、B両方のグループから一人ずつの3つがあります。もちろん、どんな目的の組織≠ナあるのかがわからないと判断のしようがありませんね。それはそうなのですが、まあお堅いことはおっしゃらずに、ともあれ3択の問題としてお答えいただければ幸いです。私の勝手な推測ですが、Bを選ばれる方が多いのではないでしょうか。@だと熊本のような熱波が襲ってきたら、みんなダウンして仕事ができなくなる虞れがあります。もちろん、Aだって今年の冬を大きく上回る極寒の世界がやってくると、これまた全員が寝込んでしまうかもしれません。その点、Bであれば、一人はアウトになっても、もう一人がしっかり仕事を続けることができます。力と責任感がある人なら、一方が回復するまで2人分の仕事にだって挑戦するかもしれません。いずれにしても、暑さ、寒さ≠ニいう環境の変化があっても対応することができますね。
正当勢力 2011/02/20  2930 
 報酬≠ヘ経済的≠ネものだけでなく心理的≠ネものもある。自分の存在を認めてくれる、仕事ぶりを評価してくれるといったことも報酬と考えることができる。こうした心理的報酬≠ヘ人が意欲的に働くために重要な役割を果たす。それに経済的報酬ほどは劣化しにくい。その意味で報酬勢力≠ヘ強制勢力≠謔閧燒]ましい側面をもっている。ただし、心理的報酬≠フ効果は、それを与える者の人間力≠竡ける側との対人関係≠フあり方によって影響される。したがって、ただ表面的に存在を認める∞仕事を評価する∞ほめる≠ニいった行動をとるだけではうまくいかないのである。さて、第3のパワーは正当勢力≠ェ挙げられる。こちらは、Legitimate power≠ェ原語だ。一般的に、上役が部下に指示や命令を与えるのは当然だ≠ニ考えられている。それが就業規則≠ノ書かれているかどうかなど問題にもならない常識である。だから、組織で自分より上にいる人の言うことを聞くのである。上役がいうことに少しばかり不満や疑問があっても、まあ取りあえずははい、わかりました≠ニ答える。とくに上役は当然のことながら強制勢力≠も兼ね備えている。したがって、なおさらNo≠ニは言えない圧力がかかることになる。しかし、こうした場合でも、上役という地位にいなくなれば、その影響力が失われることは言うまでもない。退職した後にご自分が勤めていた職場に頻繁に顔を出す方がいらっしゃるらしい。ご本人はあまり感じていないようだが、職場のメンバーたちはあっ、また来ちゃった≠ニいう顔をするという。昔の上下関係そのままに、ちゃんとした地位に就いている元部下を○○君≠ネどと呼ぶらしい。
報酬勢力 2011/02/19  2929 
 強制勢力≠ヘ人を表面的にコントロールできても、心のなかまで動かすことはできない。部下たちは抑圧されたエネルギーを蓄積していく。その結果がリーダーに対する直接的な反発になることもあれば、サボタージュといった間接的な抵抗が生まれることもある。さらに、仕事に関する重要な情報が意図的に隠されたりもする。また、失敗しても、責任はあの人がとるのだから≠ニ積極的な対応をしないことも大いにあり得る。そのなかには組織の安全に関わるものも含まれる。ヒヤリハット¢フ験が報告されず、職場で共有化することができなくなる。ともあれ、力によるコントロール≠ヘ一時的な効果はあっても、長期的にはいつかボロが出る≠フである。さて、フレンチとレイブンが挙げる第2番目の影響力の源泉≠ヘ報酬勢力≠ナある。原文はReward power ≠セ。リーダーが自分たちの望んでいることをしてくれる力をもっているから言うことを聞くのである。つまりはいいことがある得をする≠ゥら、その指示や命令にしたがうというわけだ。報酬と聞けば、まずは経済的≠ネものが頭に浮かぶ。昇進や昇給などはその代表格だろう。子どもが、ほしい物を買ってくれる≠ゥら親の言うことを聞くのも報酬≠ノよる力が効いている。しかし、こうした報酬≠ノ対する要求水準はエスカレートする傾向がある。給料が上がれば一時的には満足するが、しばらく経つとそれが当たり前≠ノなる。それどころか、これまでの給料が低すぎたんだ≠ネどと、かえって不満が高まったりもする。つまりはキリがないのである。そして、報酬を与える力がなくなれば影響力が失われるのは強制勢力≠ニ同じだ。
強制勢力 2011/02/18  2928 
 わさて、フレンチとレイブンが影響力の源泉≠ニして挙げた第1の要因は強制勢力≠ナある。原語ではCoercive power≠ナある。coercive≠ヘあまり見かけないことばだが、強制的な、威圧的な≠ニいう意味がある。人がリーダーの、あるいは他者の影響力を受け入れるのは、その人物が人を強制的にコントロールする力をもっているからである。あの人の言うことを聞かないと罰を与えられるというわけだ。それには肉体的な体罰も含まれるし、存在を無視するといった心理的なものもある。どのような形をとろうと、とにかく罰は恐怖心を引き起こす。誰だってそんな事態は避けたいと思うから、内心はどうであれリーダーの言うことを受け入れてしまう。面従腹背≠ニいうことばがある。表面的には、つまりは面(顔)≠ナは笑って′セうことを聞いている。しかし、お腹(こころ)の中≠ナは背いて≠「るのである。世の中にはこうした事例がワンサカあるのではないか。グループ・ダイナミックスの創始者であるレビンたちが行ったリーダーシップの実験で言えば、専制型リーダーの影響力がこれに近い。そうした条件の下では、子どもたちは表面的には服従的・依存的≠ネ行動をとった。いわゆる迎合的≠ネ態度を示すのである。その一方で、目の前からリーダーがいなくなると仕事をさぼるという現象も見られた。また、仲間同士の喧嘩やいじめも発生した。抑圧された気分が攻撃的エネルギーに転化したのである。下手なことをしたり言ったりすると罰を受けるから見ても知っても言わザル≠ナいた方が安全なのだ。そんな状況ではヒヤリハット≠煢Bされる。ただし、リーダーに罰を与える力がなくなれば、あっという間に影響力は消滅する。
影響力の源泉 2011/02/17  2927 
 われわれはリーダーシップを他者に対する影響力≠るいは人が他者に影響を与えている過程≠セと考える。したがって、リーダーシップは特定の人物の専有物ではなく集団に所属するすべての人に関わっているのである。しかし、そうは言いながら、影響力≠十分に発揮できている人もいれば、そうでない人がいることも現実である。こうした違いはどんなところから生まれるのだろうか。この点を明らかにするために、人が人の影響力を受け入れる条件、理由について考えることにしよう。これに関しては社会心理学者のフレンチとレイブンが影響力≠るいは勢力≠フ源泉として5つの要因を挙げている。その論文の原題はThe bases of social power≠ナある。ところで、写真はレイブン先生と撮った写真である。恩師である三隅二不二先生がレビン賞を受賞されたときに開かれた祝賀パーティでのツーショット(?))だ。会場はロサンゼルスのホテル日航である。その当時は、世間を賑わせたM氏の疑惑の銃弾≠フ舞台の一つとして話題になっていた。いかにもアメリカ人らしく、肩に手をかけて10年来の親友といった雰囲気で並んでくれた。個人情報に立ち入るとまずいが、奥様がしっかりタイプで元気よく、どう見てもお尻に敷かれているなあという感じだった。そこがまたほほえましいのもアメリカ人らしいのである。それにしても私の顔といい体型といい、相当にバブリーで腫れている。このころは66kgバージョンくらいだったと思う。現在は52kgで生きているから、20%ほど縮んだことになる。先日、久しぶりに会った友人がお前、随分貧相になったなあ≠ニ大声で叫んだ。ストレートに貧相≠ニいうことばを使ったのは今のところ彼だけだ。
流れるリーダーシップ 2011/02/16  2926 
 われわれはリーダーシップを他者に対する影響力≠セと定義している。あるいは他者に対する影響過程≠ニも言う。ここで大事なのは、リーダーシップが公式の地位≠ノ限定されたものではないということである。もちろん、職場をはじめとして組織には公的な職位があり、いわゆる上司≠竍上役≠ニ呼ばれる人たちがいる。こうした立場にいる者にとって、リーダーシップを発揮することは仕事そのもの≠ナある。しかし、他者に影響を与える≠フは上役≠セけではない。職場の先輩が後輩を指導するのは当然のことだが、このときも他者である後輩に対する影響力≠ェ必要になる。また、似たような経験や能力をもっている仲間たちが仕事について議論することもある。このときは、立場上はまったく同列にある。しかし、ここでもお互いに対する影響力≠ヘ発揮される。ある者が意見を言い、それを他のメンバーたちが納得する。あるいは誰かが反論して、そちらの方が受け入れられる。また議論が沸騰し過ぎて先に進まないとき、その場をうまくまとめて収集する…。こうした行動はすべて他者あるいは他者たち≠ノ影響≠与えている。つまりはリーダーシップが発揮されているのである。あらかじめ決められたリーダーがいない場合でも、相対的に多くの影響を与えた者がリーダーシップを発揮していると見なされる。また、議論とともに影響する人が代わっていく≠ニいう点に注目すれば、リーダーシップは流動的≠セと考えることができる。それが相互の影響過程≠ニいうことでもある。そうなると、人と人とが仕事をしているときは、いつもリーダーシップがあるのではないか≠ニ思われるかもしれない。まさにその通りなのである。
一生の記憶… 2011/02/15  2925 Continued from 02/05
 昨年12月に熊本市内の中学校で話をした。そのときの感想文448名分からピックアップしている。正直なところ、多かれ少なかれ私の話をほめて≠ュれているので、まあ自画自賛≠フ自慢話である。いやみだなあ≠ニ思われる方は、このシリーズは飛ばしていただきたい。なにせ448枚の感想文がベースにあるから、飛び飛びながらまだしばらくは続く。今日はその2番目に過ぎない。先生の話を聞けたことを一生忘れないようにしようと思います=Bいやあ、舞い上がるなあ。もちろんその気持ちを大事に受け止めるけれど、さすがに一生≠ヘむずかしいだろう。ただし、私にはこんな記憶がある。それは私が高校1年生のときだった。いまからもう47年も昔のことである。福岡県警からだったはずだが、警察官が来られて交通ルールを守ろうという趣旨の話をされた。高校生にそんな内容の講演会があったこと自身、半世紀の時間を感じる。それはともあれ、その中で横断歩道を渡るときの話題になった。その警察官は高校生の目から見れば中年のおじさんといった感じだったが、ほら、こんな風に大きく挙げて横断歩道を渡るんです。まずは足を踏み出して、運転手の顔を睨みながら渡るんだぞーっと…=Bもちろん正確なセリフは記憶にないが、そのとき笑い声が講堂中に広がった。しばらく経って学校新聞に、足を踏み出し大きく手を挙げている写真が入った記事が載ったことまで憶えている。その方の名前や立場などはすべて記憶の彼方に飛んでいった。しかし、そんな話を聞いたことを私なりに一生忘れていない≠アとは疑いない。だから、私もそうなるとは思えないが、そんなこともあり得るのである。それだけでも、この生徒の感想文は私にエネルギーをくれた。
道具的トレーニング 2011/02/14  2924 
 感受性訓練≠ヘ心理的にマイナスの影響を及ぼす可能性をもっていた。課題のない状況のもと、いまここで°Nきている事象をメンバー同士が追及していく。そんな厳しい条件が参加者たちにストレスを与え、心理的に傷つけるケースが現実にも起きることがあった。私自身は具体的な事例に遭遇したことはないが、それは決定的に問題であった。大きな効果が期待できるのだから、少しばかりの副作用は仕方がない≠ニいうわけにはいかない。私はそう確信していた。どんなに有効でもマイナスの影響≠ェあってはならないのである。そうしたことから、私としてはトレーニングは最悪でも効果ゼロ≠ェ最低の基準になった。そのためにはどうするか。それはトレーニングに課題を入れることであった。あるいは道具を開発して、それを使いながら行動を変えていく。いまここで≠フ生の行動≠ノこだわらず、自分たちの日常の態度や行動をみんなで考えていこう。そんな雰囲気のトレーニングにするのである。こうなると、いわゆる本物の感受性訓練≠ニ比較すれば、大きな効果は期待できなくなるだろう。しかしその代わり、マイナスのダメージ≠与える可能性も、まったくゼロとは言えないが低くなる。私自身はこうした発想をベースにして様々な課題や道具を開発してきた。もちろん、そこには恩師の三隅二不二先生をはじめ、諸先輩からの影響があることは言うまでもない。そうした背景に支えられながら、自分としてはそれなりに独自のコースを作り上げてきたと自負している。そして、それはこれからも進化し続けていく。いずれにしても、今日の対人関係トレーニング≠ェ夜明けを迎えるころに、グループ・ダイナミックスの創始者レビンがいたのである。
厳しさの効果 2011/02/13  2923
 いわゆる感受性訓練≠ノ参加しながら、それなりに体験を積み重ねていくうちに、私はほのかな疑問を感じはじめた。参加者たちを逃げ場のない厳しい厳しい状況に追い込んでいく。こうした手法が人々の態度や行動に影響を与えることは事実だろう。しかし、そこまでする必要があるのだろうか。あるいは、アメリカのような風土ではいいとして、わが国においても同じような効果が期待できるのだろうか。こう考えると、私の答えはYes≠ニはならなかった。また、仮に効果があるとしても、その反対のマイナスの影響はないのだろうか≠ニも思った。こうした疑問に対して私なりに考えるところがあった。とにかくアメリカと日本では風土というか環境の違いが大きい。このごろはあまり聞かないが、人種のルツボとも表現されるアメリカである。お互いに背中に負った文化や発想の違いが大きい。そうしたなかで相互理解を実現するためには、対人関係から生まれる葛藤を克服する必要がある。その過程では、個々の行動やその背景にある考え方の違いを乗り越えていかなければならないのである。そのときに、安易で曖昧な妥協は障害になる。そこで、いまここで°Nきていることだけをテーマにして、それについてお互いの考え方をぶつけ合う。私たちのところでは≠ニかあのときは≠ネどといった逃げ≠ヘ許されないのである。そんなことで状況はとにかく厳しくなる。そうだからこそ態度や行動の変化も起きるわけだ。しかし、こうした技法は、参加者たちを追い詰め、心理的なダメージを与える可能性も孕んでいた。私はトレーニングは効果がないといけない≠ニは思っていた。当然のことである。しかし、それはあくまでプラスの効果≠ナなければならなかった。
STへの入り口 2011/02/12  2922
 センシティビティトレーニング≠ヘ、イニシャルを取ってST≠ニ略称したり、Tグループ≠ニ呼んだりもする。T≠ヘTraining≠フイニシャルである。これが対人関係≠改善・向上させる効果的な技法として全米に広まっていくことになる。その後、カウンセリングが専門のカール・ロジャースがエンカウンター・グループ≠開発する。直訳すれば出会いの集団≠ナある。センシティビティトレーニング≠ニエンカウンター・グループ≠ヘ、その成立の基盤に違いがあるものの、あらかじめ準備された課題が与えられない状況で、グループメンバーたちが相互理解を深め対人関係スキルの獲得や人間的な成長を目指すという点で共通するところが多い。ただし、当然のことながら両者にも違いはある。たとえばセンシティビティトレーニング≠ナはトレーナーがリードするが、同じ役割をエンカウンター・グループ≠ナはファシリテーターと呼んでいる。いずれにしても、特定の課題を設定しないでいまここで起きていること≠ノ焦点を当て、それを徹底的に掘り下げていく。そうしたなかでメンバーたちが自分の行動やその心情を吐露する。そして、それらをお互いに受容したり拒否する、あるいは解釈し理解する等々、まさにダイナミックな対人関係がつくりあげられていくのである。私が大学2年生のころ、九州大学ではカウンセリングとグループ・ダイナミックスの研究者たちがセンシティビティトレーニング≠実体験しながら研究を進めていた。まだ20代に達したばかりだったが、私もそうしたトレーニングに参加しトレーナー的な役割をまさにたたき上げ的に学んでいった。これが私のリーダーシップ・トレーニング≠ヨの入り口になったのである。
感受性訓練 2011/02/11  2921
 集団決定法≠ノおける意思表明≠ヘ、リーダーシップの改善にも力を発揮する。そこで、私自身が実践しているリーダーシップ・トレーニング≠ナも、行動目標≠設定するとともに、それをグループメンバーの前で表明する自己決定≠ェ重要な役割を果たしている。これはトレーニングで一緒になったメンバーだけでなく、職場に帰ってから部下をはじめとした仕事仲間たちに、自分が実践すると決めた行動≠明らかにすることも含められる。こうして、レビンの集団決定法≠フエキスは今日にも引き継がれているのである。さて、リーダーシップ・トレーニングに影響を与えたレビンの3番目の仕事は感受性訓練≠フ開発である。ここでその成立の細かい経緯をたどり出すと間違いなく長くなる。そこで、それは別の機会に譲るが、いわゆる対人関係に関わる訓練=Aつまりはトレーニング≠ナある。原文ではSensitivity Training≠ナ、感受性訓練≠ヘ直訳である。レビンたちはコネチカット州の人種問題を検討する委員会で、リーダーシップを含めた研修を行っていた。このなかで様々なデータを収集し、それについてトレーナーと研究者たちがディスカッションをしていた。そのうち、トレーニングの参加者からの要望で、彼らもその会合に加わるようになった。その結果、トレーニング中の参加者の行動に関するトレーナーや研究者の解釈に異論が出されたのである。そこで、トレーニング参加者すべてが議論に加わって、トレーニングにおける行動や出来事について、解釈の違いを診断することになったのである。これがセンシティビティトレーニング≠ェ生まれるきっかけになった。いまここで°Nきている出来事について全員で分析するのである。
決意表明の力 2011/02/10  2920 Continued from 01/29
 グループ・ダイナミックスの創始者であるレビンは、民主・専制・自由放任≠ニいう3つの指導法が子どもたちに与える影響を実験によって明らかにした。まさにリーダーシップ研究≠フ先駆けである。その次に手をつけたのが習慣の変容=Aつまりはそれまでの行動を変える≠ニいういかにも実践的な研究である。これはすでに見たように、食習慣≠変える試みとして集団決定法≠ニいうノウハウを生み出し、その効果が実証された。この方式のポイントは自己決定≠フ導入にある。みんなが集まって問題について話し合うだけでなく、そのあとで個々人が自分は行動を変える≠ニ意思表示するのである。つまりは集団討議={自己決定=∞集団決定≠ニいう図式だ。日本語では、集団討議≠フ集団≠ニ自己決定≠フ決定≠繋げると集団/決定≠ノなる。自己決定≠っての集団決定法≠セということがわかりやすくていい。本家の英語ではgroup decision makingというから、日本語のような単純な合成ということにはならない。いずれにしても、議論をした集団の中で行動を変えることを決定する≠アと、つまりは意思の表明、宣言≠ェ大きな力を発揮するのである。わが国でも血判状≠ネるものがあり、映画や舞台の忠臣蔵でも登場するが、まさに決意表明≠ェ大事なのである。ただし、そのとき集団そのものがしっかりしていることが不可欠の条件である。メンバーたちに信頼関係とお互いに支え合う気持ちがあるからこそ、仲間たちの前で宣言する°C持ちになるのである。その意味では、まずは集団づくりが欠かせない。そうでなければ言うだけでおしまい≠ノなってしまう。そのためにはリーダーシップが重要になってくる。
ズーズー弁≠フ先生、いらっしゃーい! 2011/02/09  2919
 教員の採用に全国区≠設ける。そして、採用した地域を本籍≠ノしておく。そうすれば、全国どこに行っても再受験≠フ心配をしないで本籍地≠ノ戻れる。九州に東北からズーズー弁≠フ先生がやってくれば教室は楽しくなるに決まってる。子どもたちはことば≠フあり方やおもしろさを体感するだろう。そして、ことば≠フ違いによる差別≠竍いじめ≠克服できる可能性だって大いにある。北海道の若者が、阿蘇の原野で子どもたちに草スキーでお得意の技術を自慢するなんてのもいいなあ。そして教師自身も風土や文化の違いに理解を深める。人間としての幅が広がるはずだ。そんな体験を積み重ねた上で、本籍地≠ヨ帰らなければならなくなっても、そのときはそのときでちゃんと戻れるのだ。郷土の子どもは郷土で育てる=Bこの発想には一理ある。しかし、教員本籍北海道≠フ教師が熊本で子どもたちと触れあううちに、この地に骨を埋めよう≠ニいう気持ちになることだってあるに違いない。まことにすばらしいことだ。これこそが本当の意味での郷土愛≠ナはないのか。数年前に、教員の採用で大きな問題が起きてしまった県があった。いろんな原因が輻輳しているのだろうが、最大のものは等質性≠ニそれに伴う閉鎖性≠ナある。他の地域から人が入ってくれば、えーっ、ここでは昇進のために贈り物なんかしてるんですかあ≠ネんて驚かれたりもするだろう。そんなことを言われてはこれってしきたりなのよ≠ネんて話にはならないはずだ。等質集団≠謔閧熈異質集団≠フ方が様々な面ですぐれている。それはグループ・ダイナミックスの知見でもある。せめて各地方の10%でも全国区教師≠ェ占めるようになればなあと思う。
全国区の教師 2011/02/08  2918
 首都圏を含めて、受験倍率が厳しくない地域にチャレンジしてめでたく採用となる学生もいる。その中には首都圏と出身地の両方に合格する例もある。そんな場合、大抵は地元に就職する。その実数は知らないが、その分だけ首都圏の合格者から辞退者が出ることになる。そこまで考えると、実質の倍率は公表された受験倍率よりも低くなっているのではないか。まあ、そのあたりのことは置くとして、たとえば九州の学生にとって首都圏や関西地区は何分にも遠隔地である。間もなく全通する九州新幹線なら熊本と新大阪間が2時間59分というから、心理的な距離は大いに縮まる。それでも地元がいいなあと思う学生は少なくない。現行の制度では、教師は都道府県単位で採用されることになっている。そのため、ある地方で教師になれば、そこでずっと勤めて定年を迎えることになる。ここで二の足を踏む学生が少なくないのである。それには様々な理由があるだろうが、とにかく故郷に帰れないのだ。どうしても戻りたければ、改めて地元の採用試験を受けなければならない。もちろん、一般的には多くの若者が地元を離れて就職している。教師だけが特例というわけにはいかないという考え方もある。しかし、そこはまあ置くとして、私が10年ほど前に提案したのは採用にあたって全国区≠設定することだった。熊本の若者が漱石が教えた松山で教師をしてみたい∞熊本の横井小楠を迎えた福井の子どもたちを教えたい∞北海道の大地でノビノビと教師をしたい=Bはたまた大都会東京の子どもたちと関わってみたい=Bそんな思いで若者たちが羽ばたけたらどんなにすばらしい教育ができることだろう。熊本に東北弁≠話す先生がやってくるなんて楽しいではないか。
教員採用試験 2011/02/07  2917
 教員の移動性について書いたのは、教育と医学(慶應義塾大学出版会)≠フ2002年3月号である。タイトルは「教師の対人関係トレーニングと学校組織の活性化」で、こちらをクリックしたいただくと全文を読むことができる。(http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/handle/2298/14888 ) 昨日の1文はその末尾にまとめとして書いた。この続編として「教師の対人関係スキルアップ 子供の期待に応える力の育成」を同じ「教育と医学」に掲載している。こちらは2009年の1月号である。やはり次のURLから全文をダウンロードしていただくことができる。( http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/handle/2298/14889 )  いま首都圏や関西方面などでは団塊世代の退職もあって教員の採用数が相対的に多い。その結果として採用試験に合格する確率が高くなっている。これに対して地方の多くは少子化の影響などから学校数も減少し、教員の採用数は伸び悩んでいる。そのために採用試験の倍率も高くなる。文部科学書のデータを見ると、首都圏の東京都4.5倍、千葉県3.9倍、神奈川県5.0倍になっている。また大阪府が5.2倍で京都府6.5倍、兵庫県は7.2倍だ。これに対して、熊本県は12.2倍、鹿児島県11.1倍、福岡県11.3倍と、九州の全県で10倍を超えている。大分県と沖縄県に至っては、それぞれ17.8倍、17.5倍というから、さらにさらに厳しい。しかし、それをはるかに凌ぐのが高知県で、何と31.1倍にもなっているのである。世の中には見た目の数値だけで判断すると危険なことが多い。しかし、それにしてもこうした数値を前にすると、このままでいいのかと考え込んでしまう。ともあれ、こうした現実を前にして、大学としては学生に首都圏などにも受験することを勧めている。
トンズラの無責任 2011/02/06  2916
 暴飲暴食は体に悪いよ∞あまり夜更かししてはいけませんよ∞ちょっとは人の言うことを聞いた方がいいよ=B何と言われようとわが道を行く∞細く長くなんておもしろくも何ともない。太く短くこそ自分の生きる道=B人のアドバイスなんてどこ吹く風のJさんだったが、とうとう来るときがきてしまった。突然、血を吐いてぶっ倒れ、救急車の手配をする間もないうちにあの世に逝ったのだ。ああ、やっぱりね∞あんなに忠告してたのに言うこと聞かないものだから=Bそんな声も聞こえてはきた。しかし、しょうがないよ。自業自得だもんな≠ニいう声の方が圧倒的に多いのである。ご推測通り、Jさんの本名はフルネームでAll Japanである。自業自得≠ネらまだしも自業子孫得≠セからひどい話だ。自分の借金を子どもたちにおっ被せたままでトンズラかますなんて親がいていいものか。あとに残された子どもたちは何の罪もないのに破産宣告≠受ける。それがいまや時間の問題になってきた。話が深刻になってきたが、ともあれ教育は国の基礎である。中学生が教師になりたい≠ニいう気持ちでいてくれるのは嬉しい話である。私はある雑誌の次のようなことを書いた。それにしても、教師たちの「等質性」も気になって仕方がない。グループ・ダイナミックスの知見によれば、メンバーの「異質性」は組織活性化のキーワードである。ところが、基本的には、教員は都道府県を越えて自由に異動することがない。北海道の若者が沖縄で教師になり、何年か後には新潟で活躍している。そして、最後は地元の北海道で教師生活に終止符を打つ。こうした教員が1/3を占めるような学校が実現すれば、それだけでも組織は大いに活性化するに違いない=B
学制導入の決断 2011/02/05  2915
 中学生の感想文、その2僕の将来の夢は教師です。吉田さんみたいに明るく、そしておもしろい先生になりたいです=Bこれはなかなか嬉しい反応だ。自分でいうのも何だが、私はいわゆるネアカ≠セと思っている。それが伝わったのだろう。それはそうと、中学1年生のときから教師を目指しているなんていいじゃないか。そもそも教育は国が健全に存続していくための基礎である。明治政府が行った3つの大改革は、学制の導入と地租改正、そして徴兵制度の確立であった。これらをもとにして日本の近代化を進めようとしたのである。教育に関しては1871年(明治4年)に学制を発布した。当初は国民の間に働き手を取られることに対する抵抗もあった。それにも拘わらず学校制度を導入したのは大英断であった。それがアジアの辺境国をそれなりの国に成長させる原動力になったのである。しかも階層を問わず子どもを学校で教育するというシステムは、その当時としては世界でも珍しかったのではないか。いずれにしても、国を動かそうとする者には、こうした100年先をも見通す眼力と断固たる決断力が求められるのである。ご本人たちは反論するに違いないが、いまの政治家は選挙に通ることだけが自己目的化しているように見える。あるいはようやく獲得した地位を守ることにエネルギーを費やしているのではないか。そんな疑問もわいてくる。そもそも1年先の見通しさえできているのかどうかも怪しくなる。これでは国民がかわいそうだ。とは言いながら、そんな彼らを選んだのはわれわれなのである。政治家のレベルが低いとすれば、自分たちのレベルの低さも認めねばならない。とにかく教員養成制度も含めて、もっとまじめに教育を考えなければこの国は壊れてしまう。
大人の影響 2011/02/04  2914
 中学生の感想文はじつに様々で、そのすべてを挙げることはできない。何分にも448枚もあるのだ。そうは言いながらも、私としてはぜひ聞いてほしいという気持ちもある。子どもたちから褒められたことを自慢したいのだ。そこで私の主観で少しずつ紹介していこうと思う。まずは1年生からはじめるが、B5版の罫線紙に目一杯に書かれたものが続いて驚いた。1)今日はお忙しい中、熊本大学から来ていただきありがとうございました。こうした挨拶文ではじまるものがけっこう多くてつい口元が緩んだ。いやあ、中学生1年生で簡単に書ける表現ではございませんよね。これなんぞは周りの大人たちの影響なんだろうと推測する。挨拶文としてちゃんと教えられていなくても、それが頭に刻まれていることは大いにあり得ることだ。わが孫が3歳を超えたころ突然べらべらしゃべりはじめた。それまで大人たちが使っていることばを貯めこんでいたのである。そして主語と述語の繋ぎ方、わからないときの問い方などを理解すると、一挙にことばになって吹き出してきたわけだ。とにもかくにも大人の発言や行動が陰に陽に子どもの言動に影響を与える。教育は意識的な働きかけだけで成り立ってはいない。大人の無意識的な行動や発言が教育行為そのものなのである。こうした関係は大人の世界でも同じことだ。組織のトップはもちろん、管理職やチームリーダー、さらには先輩たちの言動が部下やスタッフの考え方や行動に影響を及ぼすことは当然である。そうしたなかで組織特有の価値観や行動様式が生み出されていく。そしてそれが組織の風土となってトップを含めた構成員の行動を規制する。トップは清廉潔癖なのに下へ行くほどムチャクチャなんて組織はあまり聞いたことがない。
いいとこ取り 2011/02/03  2913
 NHKの課外授業≠ヘ子どもたちに強烈なインパクトを残す。そこがプロのものすごさ≠ネのであり、それを身近に感じることで、子どもたちの人生にプラスの影響を及ぼすだろう。だから私はこの番組をすばらしいと思う。それはそうなのだが、いつもひねた目で見ようとする私には主役がいいとこ取り≠オているところもあると思う。人のことは置いといて、私なんぞは課外授業≠フプロほど大物ではないが、やはりわずか1時間15分の話でおしまい≠ネのである。しかも、中学校にはなじみの薄いグループ・ダイナミックス的な視点から話をするから珍しさ効果≠ェ大いに効いてくる。それに大昔の権威なんてものはこれっぽっちもなくなったが、一応は大学の先生≠ナはある。子どもたちは、ちょっとはすごいんじゃないか≠ュらいの期待はもっているかもしれない。そんな好条件≠ナ話をするのだから学校の先生方と比べると圧倒的に有利な立場にあるわけだ。そして、その効果があって全員からけっこういい評価をもらった。それでも私は割引き≠ケずに子どもたちの感想を読んで喜んだ。それが私を元気にしてくれた。みんながしっかり書いてくれた感想文である。私の主観でおもしろいと思ったものを少しばかり取り上げていこう。それにしても文字どおり十人十色、分量も長いものあり短いものあり、表現の仕方もまた様々である。当然のことながら1年生から2年生、3年生と学年が上がるに伴ってしっかりしてくる。しかし、それはあくまで平均的な話で、1年生でもものすごい≠烽フもある。また男女差も興味深い。あくまで相対的ではあるが、女子生徒の方が質量ともにいい印象を受ける。さらに学級の違いすら感じさせるからじつにおもしろい。
完読:生徒の感想文 2011/02/02  2912 Continued from 01/26
 昨年12月に熊本市内の中学校で講演をして全校生徒から感想文をもらった。とにかくたくさんあるので少しずつ読んだ。年末から読み始めて28日目に完読した。全部で448名分あった。ありがたいことに表現の違いはあるが、そのすべてが私の話を評価してくれていた。そりゃあ子どもなりのお世辞もあるのよ。調子に乗ったらいかんよ=Bそんなご指摘があるかもしれない。しかし、私は単純≠ノ喜んでいる。いや有頂天≠ノなっている。話が楽しかった∞聞いてよかった∞また来てください=Bこんなことを言われたら私はいつも調子に乗る≠フである。それが中学生にとって一瞬のことだとしても、十二分に満足すべきではないか。NHKが課外授業 ようこそ先輩≠ニいう番組を放送している。その学校出身の著名人が授業する。いまをときめくスターや大学者たちが教室にやってくるから子どもたちは大喜びだ。そして当然、その道のプロとしてさすが≠連発させる授業をする。そんな様子を見て学校の先生方も喜んでいらっしゃるとは思う。しかし、それにしても目立ちすぎ≠ニいうか、インパクトが強烈すぎる。そこを子どもたちから単純に比較されるとかなわないなあ≠ニいう気持ちにもなるだろう。そうなんですねよえ。課外授業の主役たちは、言ってみればいいとこ取り≠ネのである。ものすごい≠ニころだけを見せてさよなら≠キるわけだ。どんなにすばらしい人≠フように思えても、ずっと一緒で張り付いていると慣れてきて刺激度が低下してくる。距離があるときは理想に思える人が身近で過ごすようになるとマイナス面も気になり出す。それが最悪の場合には幻滅にまで至ることがあるのは世の常、よくある人間関係のパターンである。
福岡/東京6,900円 2011/02/01  2911
私が生まれて初めて飛行機に乗ったのは1970年4月23日だった。あまりの嬉しさにそのときのチケットを大事にとっていた。ここにその写真がある。発行はJTBでこれが上等ではないものの定期入れのようなビニールケースに入っていた。私は熊本大学の定年まで3年と2ヶ月になったが、かなり前から身辺整理をすすめている。本日ここにしっかり味な話の素≠ノチケットを組み込んだので現物は処分しようと思う。さようなら。ところで券面を見ると東京/福岡間が6,900円と表示されている。その当時、庶民にとって飛行機は文字どおり手の届かないところを飛んでいた。多くの人たちが飛行機を大金持ちの専有物だと思っていたはずだ。そんなときに飛行機に乗れたことは、もうそれだけで私にとって大ニュースであった。しかしいま改めて6,900円という価格を見ると、頭の中で思い続けてきたものよりも安いような感じがする。私が大学に入ったとき、生協の定食が80円だった。当時は日本経済が右肩上がりだったから、物価も年ごとに上昇していた記憶がある。戦後値段史年表(朝日文庫)≠見ると、そのころ駅弁の幕の内弁当が200円である。現在はかなり幅があるが1,000円とすれば5倍になっている。またすでに死語と化した下宿≠セが、4畳半で15,000円になっている。大家さんのお家の一部屋を借りるのである。たしかにそのくらいだった。授業で学生に聞いたら、熊本大学周辺のアパートが40,000円くらいだろうという。これだけで比較するとそれほど上がっていないように思える。しかし下宿代には基本的に朝夕の2食が付いていたし、水光熱費込みだったと思う。これをいまの学生に当てはめれば住居費にプラスして70,000円程度になるだろうか。