好スタート 2011/01/31 月 2910
映画好き≠自称している。われわれの世代は中学生になるころまで自分のうちにテレビがなかった。昭和30年代の中盤まで動く映像は映画だった。だから映画にはよくいった。いまでも小学生のときに見た映画をけっこう憶えている。そんなこんなで、とにかく映画好きなのである。もっとも、そうは言いながらも20代以降はそれほど映画を観に行ったわけでもない。まあ年に数回と行ったところだろう。ところが、いまから7年ほど前の2004年に、わが家から歩いて10分のご近所にシネコンがオープンしたのである。それからは、とにかく映画館に足繁く通っている。夫婦だと、どちらかが50歳を超えれば1人1,000円になる。そして還暦も過ぎてしまったので、いまでは1人で行っても1,000円なのである。昨年はバタバタしていてスタートがやや出遅れたたため、20本台で終わってしまった。私としては年間30本は行くつもりでいるので、目標が達成できなかったわけだ。それを取り戻すということでもないが、今年はいいペースで走っている。正月も2日に最後の忠臣蔵=A8日にはアンストッパブル=Aそして10日はふたたび≠観た。そして1月中に4本目のわが心の歌舞伎座≠ノ行った。あとの2本は近くのシネコンではなく熊本市内の電気館≠ナ観た。ここは、一般の映画館では扱わないものを上映する。公開される前から話題になった靖国
YASUKUNI≠竍ザ・コーブ THE COVE≠ヘ熊本では電気館だけが上映した。マイケル・ムーアがアメリカの医療問題を扱ったシッコ=Aさらに若松孝二監督のキャタピラー=Aそしてドイツ・オーストリアの映画で、まったくセリフがないのにメッセージが伝わる命の食べ方≠燗d気館だった。
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初フライトの日 2011/01/30 日 2909
もし、私が今東京に居ると書いたら人はおそらく驚くであろう。また朝十時には博多にいて十二時の昼食は東京でとったといえばもっともっと驚くに違いない。だがこれは事実なのである。朝九時頃私は□□さんの「電報ですよ」という声で起こされた。出てみると「昨日の一次で合格したから東京に来てくれ」というのである。私は就職する気はないとしても、東京まで只で行けるというのであるから何の抵抗もなくゆくことにした。といっても十時半の飛行機で行って午後には本社で面接すると言われたときには我ながら驚いた。そして、生まれて初めて飛行機というものにのったわけである。富士もはるか低く下に見えた。考えてみれば恐ろしい程速かった。しかし、その一時間二十分ほどというものはとても快適であった。これになれると汽車なんかおかしくて乗れない。午後面接と身体検査があり、その後は自由となったので、□□さんに電話して会った。新宿の紀の国屋であって、近くで食事をごちそうになった。□□さんとても悲しくて、博多に帰りたいと思うと冗談半分ではあるけれども言っていた。だが、□□さん達を博多駅まで送って今日で一ヶ月である=Bこれは私が書いた日記である。漢字や句点の使い方で気になるところがあり、文体そのものも稚拙である。しかし、それでも人名を□□にした以外はあえて完全に原文のままにした。これを書いた日は1970年4月23日の木曜日である。いまから40年以上も昔になるが、このとき私は大学4年生になったばかりだった。前後の脈絡なしで読まれると何のことかおわかりになりにくいと思う。とにもかくにも、この日のハイライトは私が生まれて初めて飛行機なるものに乗ったことである。それはそれは大事件だった。 |
Better(s the Best 2011/01/29 土 2908
集団決定法≠ニ講義法≠ノよって食習慣を変える≠ニいう2つの試みは大きな違いを生み出した。講師が丁寧でおもしろい話をした講義グループだったが、1週間後に内臓肉≠調理したのは参加者のうちわずか3%に過ぎなかった。これに対して集団決定法≠フグループでは32%もの主婦が内蔵を使った料理をしていたのである。その差は歴然としていた。ここにめでたく集団決定法≠ニ呼ばれる技法の効果が明らかにされたのである。もちろん、現実にアクションをとったのは32%であるから、2/3の人々は、それまでの行動を変えたわけではない。そう考えると、鬼の首を取ったかのようにはしゃぐのは控えるべきだろう。しかし、少なくとも講義≠ニいう典型的な知識注入型の働きかけよりも有効であることは明らかになったわけだ。私、そのときどきでベターな選択はベストの選択≠セと考えることをお勧めしている。たった30%じゃないか≠ネどと言わずに、とにかく前に踏み出してみてはどうか。こうした研究を踏まえて、レビンは講義法≠フ代わりに個人教示法≠導入した実験も行っている。そこでは母親が赤ん坊にオレンジ・ジュースと肝油を与えることが目標になった。個人教示群では栄養士が母親と面接し、わかりやすくジュースや肝油を与えることを勧めた。集団決定法群では、母親たちは保育に関する情報を聞いてから集団に分かれて話し合い、最後に自己決定をしたのである。その結果、やはり集団決定法≠フ効果が明らかにされた。とくに集団決定法≠ナ印象的だったのは、時間の経過とともに実践率≠ェ増加していったことである。最初の2週間で80%を超え、4週間後にはほぼ100%達成という見事な成果が得られたのだ。 |
主婦たちの自己決定 2011/01/28 金 2907
レビンたちの目標は、主婦たちが牛肉の代わりに内臓肉を調理して食卓に供する≠アとであった。それまで実行したことのない習慣を変えてもらうのである。その実験的な試みのために主婦たちに集まってもらい、6つのグループに分けた。このうちの3グループが集団決定法を体験することになっていた。その他のグループには食習慣を変えるための講義が行われた。講義のグループでは、専門家が図や表を使いながら内臓の栄養価などを丁寧にわかりやすく解説した。太平洋を挟んで日本と戦っている厳しい状況を強調し、肉不足に対応することの緊急性と重要性が訴えられた。さらに、調理に当たって内臓の臭みを消す方法やおいしい調理法についての資料も配られた。こうした工夫がうまく働いて、講義そのものは楽しい雰囲気のなかですすめられた。受講者たちは感じのいい講師から内臓を食卓に供する≠アとが必要だという十分な知識≠得たのである。これに対して集団決定法のグループでは、はじめの数分間で現在の社会状況を説明し、あわせて肉に代わる内臓の栄養について情報が提供された。それから主婦たちは内蔵を料理できるかどうかについて集団で話し合いを行った。そのなかでは、調理に伴うさまざまな問題点が話題になった。内臓肉はにおいがきついのではないか∞おそらく家族が嫌がるだろう≠ニいった不安の声も出てきたりした。そんな事態が起きたときにどうするか。グループではそうした問題を解決する方法についても検討が行われた。そして決められた時間が来たところで、参加した主婦たちは個々人が自己決定≠した。全員が、グループメンバーたちの前で次の週に1回は内蔵を使って料理する≠アとを挙手によって示したのである。 |
集団決定法 2011/01/27 木 2906 Continued from 01/24
した方がいいってわかってるんだけど、それができないから困ってるわけよ∞やめられるもんならとっくにやめてるさ=Bこんな言い訳をしながら、われわれは自分の行動や習慣を変えようとしない。まさに知行不合一≠ニいうわけだ。知っていること≠ニ実際の行動≠ニを一致させることはとにかくむずかしいのである。ともあれ、戦時中の肉不足に対応するために内蔵も食卓に供してほしい。しかし、それがなかなかうまくいかない。レビンたちは、こうした問題を解決するためにチェレンジしたのである。彼らが考えた方法は集団決定法と呼ばれる。原語では
group decision makingという。集団による意思決定≠ナある。三人寄れば文殊の知恵≠ニいう。問題が起きたときには人が集まって話し合うといいアイディアが生まれるのだ。そんなことは常識だから、昔から会議をはじめ話し合い形式のものは繰り返し行われてきた。しかしえいえいオーッ≠ニ掛け声をかけるかどうかは別にして、みんなでやりましょう≠ニ決めるだけでは人の態度や行動は変わらない。こうした問題を克服するために、レビンたちは集団で話し合った後に一人ひとりがみんなの前で実行するぞ≠ニ自分の意思を表示することを考えた。これが自己決定≠ニ呼ばれるものである。集団決定法≠フ特徴はこの自己決定≠組み込んだところにある。集団討議≠ニ自己決定≠フ組み合わせだから、はじめの集団≠ニ後の決定≠合わせると、そのまま集団決定≠ノなる。日本語としては、なかなか調子がいい。元祖のgroup
decision making≠ナはそんなしゃれた説明はできない。ともあれ、レビンたちは集団決定法≠フ効果を明らかにするために実践的な研究をスタートした。 |
生徒たちの感想文 2011/01/26 水 2905 Continued from 01/23
昨年の12月に熊本市内にある中学校の全校生徒に1時間15分ほど話をした。それから1週間ほど経過したころ、講演会を主催した公民館からメールが来た。私の話を聞いた生徒たちが書いた感想文が届いたという。それを私に送ろうと思うが、全部を読むのは大変だろうからピックアップして送りましょうか≠ニ書かれていた。その日に参加していた生徒の正確な数はわからない。しかし、体育館に1年生から3年生までしっかり座っていたから、けっこうな人数であることは間違いない。それだけの感想文があるわけだから読むのは大変だろう。それはそうだけれど、子どもたちがせっかく書いてくれたものである。それをすべて読むのには時間がかかるだろうが、私としてはそれにチャレンジしたいと思った。そこで、一人ひとりに返事を書くことはできませんが、全部を送ってください≠ニいう趣旨の返事を出した。そして間もなく分厚い封筒というか、昔の小包様のものが送られてきた。そのなかに、生徒たちの感想文がびっしり詰まっていた。罫線を入れたB5版の再生紙である。私が送っていたパワーポイントのタイトル部分が小さなコラムとして挿入されていた。感想文は学年順に並べてあったから、1年生から読むことにして数枚に目を通した。とにかく一生懸命に書いてくれたことが伝わってくる。それにしてもおもしろい、楽しい。ありがたいことに、全体としては私の話を評価してくれている。それだけで話に行ってよかった≠ニいう気持ちになる。感想文だから当然なのだが、印象に残った内容を具体的に書いている。だからそれを読めば、生徒に刺激的だった部分がわかる。これらは私に対する重要なフィードバック情報で、大学生に授業する際にも参考になる。 |
司馬遼太郎が考えたこと… 2011/01/25 火 2904
司馬遼太郎氏は国民的作家≠ニ言われているのだが、私はご本人の小説をまったく読んでいない。その代わりと言っては何だが、新潮文庫の司馬遼太郎が考えたこと≠開けてみた。それでも、さすが国民的作家≠ニまでは思わなかった…。とまあそんな趣旨のことを書いたのが2009年の5月13日の本コラムである。まだ、司馬遼太郎が考えたこと≠フ1冊目を読んだころのことである。ところが、その後もボチボチ読み続けているうちに、かなりおもしろい人だなと思いはじめた。そしてとうとう8冊目まで読んでしまった。全部で15冊もあるが、その半分を超えたことになる。それぞれが500ページほどのボリュームだから4000ページほどは読んだわけだ。こうなると15冊すべてを完読する気になってくる。いずれにしても、謙虚で控え目に感じられるのがいい。それに文章も皮肉あり、ユーモアありでおもしろい。そんなわけで、最初のイメージとはかなり違って印象がよくなってきたのである。それはそうなのだが、ちょっとどうかなというものもある。たとえば、8冊目には中国の毛沢東を取り上げているが、司馬氏によれば世界でもまれに見る人物として語られている。人は立場によっていろいろな見方があり、その結果として評価も違ってくる。それは当然のことである。また,私自身は毛沢東氏のことを十分に知っているわけではない。しかし、それにしても、類似の人物は世界史にも存在しないのではないか≠ニ問いかけ、この人は人類の奇跡≠ニまで書くのだから相当なものである。もちろん、人の歴史的な評価には十分な時間が必要だから、私なんぞがとやかく言う余地はない。それにしても中国からも毛沢東氏のことは聞かなくなったが、どうなんだろうか。 |
食習慣≠ヨの挑戦 2011/01/24 月 2903 Continued from 01/21
われわれ人間は、とくに習慣化した行動≠変えることが途方もなくむずかしい。これにどう対応していくか。知行合一=A知識と行動を一致させる≠アとへのチャレンジである。これに対してレビンたちは、集団決定法≠ニ呼ばれるノウハウを開発する。まずは時代状況だが、アメリカが日本と厳しい戦争をすすめていたころの話である。当時も、アメリカは豊富な資源に恵まれた国であった。しかし、そうは言っても太平洋を挟んで敵国と戦っている最中である。アメリカでも貴重な蛋白源としての肉不足に悩まされていた。当然のことだが、良質の肉は戦場で戦っている兵士に優先的に送らなければならないからだ。その結果として、国内では肉の供給に問題が生じることになる。そこで肉不足を解決する対策として、内臓≠調理することが考えられた。レバーをはじめ内蔵は栄養価が高く、肉の代用として優れている。ところが、当時のアメリカ人たちには内蔵≠食べる習慣がなかった。そこで肉不足を解決するためには、主婦たちに内臓の重要性を理解をしてもらう必要がある。そしてその情報をもとにして実際に内臓を使った料理をしてほしい。ところが、主婦たちは内臓を調理するなど夢にも考えたことがなかった。それでも、ちゃんと説明すれば、戦時下の非常事態であること、内臓も肉と同じ栄養価があることは誰もが理解してくれるはずだった。しかし、知ること≠ニ実践すること≠ニは別の問題なのである。これは料理に限った話ではない。永年にわたって身についた行動は簡単には変わらない。生活習慣病などはその典型である。食生活の改善と運動で、メタボを克服できることはわかっている。しかし、それがすんなりと行動に結びつかないのだ。 |
睡魔≠ヨの挑戦 2011/01/23 日 2902
中学生を相手に話をするのだが、その時間が14時15分から15時30分に設定されていた。ここは人類に共通した魔の時間≠ノ近い。神様が、誰もが自然に気が遠くなる#\力を仕込んでくださったのである。岩波新書に快適睡眠のすすめ≠ニいう本がある。広島大学の堀田忠雄氏の著書で出版は2000年である。そのなかでも、午後2時前後≠ノ眠くなる時間帯があると指摘されている。この点については、誰もが納得するだろう。そして睡魔≠ニいうことばがいかにもぴったりする。とにかく悪魔≠ノ襲われているとしか言いようがない。そんな時間帯に中学生たちに話をするのである。しかも、中学校の1時間は50分単位なのだ。そこに1時間15分も話をするのだから、それはそれは厳しいのである。そうした状況のもとでどこまでやれるか。まさにチャレンジということで、考えようによってはエキサイティングでもある。そこでまずは、私って授業をするのが仕事だから、聞いている人のことがよく見えるのよ≠ニいう話からはじめた。そしてずっと後ろに座っている人だってしっかりわかるんだよなあ…≠ネどと言いながら、学生が授業中に蒸発≠キる話などをイントロのネタにした。それから、あれやこれや話をして、もちろん私が考える人権≠フ話なのだが、とにかく1時間15分が過ぎていった。話が終わって体育館から引き上げるとき、生徒たちの流れと一緒になった。男子生徒の2,3人が近づいてきて、先生、おもしろかった≠ニ声をかけてくれた。人間というものは、こうした一言でじつに気分がよくなるものである。ともあれ、睡魔≠ニ戦っているように見える子もいたが、全体としてはしっかり聞いてくれたと十分に自己満足して帰ってきた。 |
人権の話 2011/01/22 土 2901
昨年の12月に熊本市内の公立中学校へ話しに行った。もともとは公民館が主催する人権教育≠フ一貫として開催された講演会だった。私が人権教育≠ネどと言うと、昔から知っている人はお前は何をしているのか≠ニ理解不能な顔をするはずだ。理由は簡単、私の経歴には人権ということばは一ヶ所だって含まれていないからである。話は飛ぶようだが、私は東京都知事の石原慎太郎氏とは対極にある人間だなあといつも思っている。彼はソニーの盛田昭夫氏と共著でNoと言える日本≠書いた。それだけでなく日ごろの発言でも、No≠ェキーワードの人のように見える。私はそれとは正反対でYesしか言わない吉田≠ネのである。そんなわけで、かなり昔のことだが人権≠ノ関わる話のお誘いがあったとき、当然のようにYes≠ニ答えてしまった。こんな書き方をすると、いかにも無責任と思われるかもしれない。しかし、私にだってそれなりの節度はある。正直なところ、そのときはけっこう迷ったが、結果としては引き受けたわけだ。そして私なりに考えて集団がらみの話をした。集団の圧力や規範の話はそのままいじめ≠フ話題に繋がっていく。そんなこんなで自分としては専門じゃないんだけどなあ≠ニ思いながらも、人権に関わる講演の依頼にもがNo≠出していないのである。それに、人権についてそれなりの見識をもって行動することは、誰にも求められる基本的な条件でもある。ともあれ、師走になって中学校に出かけた。その日は1年生から3年生までの生徒全員が体育館に集まって話を聞いてくれた。後方には保護者もいらっしゃった。演題はみんなで創るすてきな社会≠ノした。あなたも大事、わたしも大事≠ニいうサブタイトルも付けた。 |
民主型の力 2011/01/21 金 2900 Continued from 01/14
レビンのリーダーシップ実験≠フ結果、望ましい効果が見られたのは民主型≠ナあった。それは常識的に予想される結果でもある。まずは子どもたち同士が仲良く作業をすすめた。お互いに開けっぴろげで、生き生きとした人間関係が築かれた。それが子どもたちの活動に力を与え、作業の評価もよくなった。自分たちの仕事がうまくいけば、それがさらに意欲を高める方向に作用する。いわば、プラスの上昇スパイラルが出来上がるのである。さて、自由放任型≠フ場合はどうだったか。文字どおり監督者から放置≠ウれ適切な指導を受けなかった子どもたちに意欲的に課題を達成する¢O向きの姿勢を期待するのはむずかしい。その結果として仕事の達成度もできばえも評価できるものにはならなかった。そんな状況に置かれて、子どもたちが課題に取り組まず遊んでいることもあった。さらに、専制型≠フ場合に見られたのと同じいじめ≠熹ュ生したのである。こうした実験を通して、レビンたちは指導者のタイプによって子どもたちの意欲や満足度や作業の結果が違ってくることを明らかにしたのである。それはリーダーシップ研究の先駆けというべきものであった。こうした研究に続いて、レビンは人の態度や行動を変えることにもチャレンジした。知行合一≠ニいうことばがある。知っていること≠ニ行い≠ェ一致していることである。ところが、その実現はなかなかむずかしい。われわれの毎日を振り返ると、わかってはいるけど止められない≠アとやわかってはいるけど実行できない≠アとがワンサカある。知識≠ェそのまま行動≠ノ,結びつくのであれば、飲酒運転≠ネど起きるはずもないのである。暴飲暴食して体を壊す者だっていないはずだ。 |
アメニティ今昔 2011/01/20 木 2899
私が若いころは旅館が一般でホテルは高級な宿泊施設だった。それが時代の変遷とともに旅館とホテルが交替した。いまでは観光地の高級旅館がおもてなしも含めた顧客サービスで競っている。宿泊費もうん万円≠ニいう旅館もあるわけだ。ところで、昔の旅館には、ちょっと見ただけで、すぐに錆びそうな金属製のカミソリが置いてあった。すでにシェービングクリームなるものはあったが、旅行に持っていく仕様のものなどはなかった。そこで石けんを顔につけてひげを剃った。ところが、このカミソリがすばらしいできで、歯にひげが引っ張られるようで痛くてたまらない。その上、刃が走ったあとは口の周りを中心にあちこちから鮮血が噴き出した。そんなわけで1回使うのも抵抗があったが、まあ使わないわけにもいかず、いつも血だらけの顔になっていた。そんなカミソリだから家に持って帰るなど思いもよらなかった。もう一つの常備品である歯ブラシも負けてはいなかった。乾いた歯磨き粉が塩の塊のようにブラシの先に乗っかっていて、口の中で動かすと申し訳ない≠ニ叫びながらわずかに泡を絞り出した。さらにブラシの運動に併せて数本ずつ毛が抜けて口の中で走り回る。そのうち、歯の方がもうやめてくれ≠ニ叫びだす。そんなわけで、これも持って帰る≠ネんで思いもしなかった。そして時間が随分と経過した。もうかなり以前からそれらの品質が向上してきた。カミソリは1、2回の使用で捨てては申し訳ない気がする。歯ブラシも同様でポイ捨てにしてはもったいない。そうなると持って帰らないといけないという妙な義務感≠ェ生まれてくる。そこでホテルに泊まると大いに悩むわけだ。かくしてホテルのアメニティはわが家で命を全うすることになる。 |
ホテルのアメニティ 2011/01/19 水 2898
いま税制の議論が喧しい。税≠ノついては、上げる≠ニいう話になるとみんな反対する。逆に下げる≠ニなればまずは歓迎だ。もらうもの≠ノは文句が出にくいが、出すもの≠ノついては反発が大きい。それがお金となればなおさらである。その点源泉徴収≠ヘ国にとって最高のアイディアだった。給料をもらったときにはすでに税金を引かれているから、手取りが収入のように思えてしまう。そこまでぼんやりしていなくても、個人ではどうしようもないから諦めざるを得ない…。おっと、つい税金の話になってしまったが、NHKの受信料を直接税とするなら民放の方は間接税方式ということになる。ところで、ホテルに泊まるとメモ帳だのボールペンだのがあって、これらは持ち帰ることができる。アメニティというらしいが、ちょっと値が張るホテルだと石けんやシャンプーなどなどが置いてある。歯ブラシとひげ剃りはビジネスホテルでも常備品だ。もうかなり以前から、エコ志向で石けんやシャンプーは備え付けの容器で提供するところが増えた。これを外して持って帰るわけにはいかないから必要な量だけ使っておしまい。なかなかいいことだ。宿泊客のなかにはバスタオルなんぞまで持ち出す者がいるらしい。わざわざタオル、スリッパ…は持ち帰らないで下さい≠ニ掲示しているホテルがあるから、そんな客もいるわけだ。何と時計まで持っていこうとして捕まった教師がいてニュースになっていた。もちろん唖然とはしたが、教師でなければニュースにまではならないのではないかとふと思った。私が出張なんぞをしはじめた20代のころは旅館に泊まることがほとんどで、ホテルは高級な宿泊施設だった。子どもたちが修学旅行で泊まるのも旅館と決まっていた。 |
タダでももらわない 2011/01/18 火 2897
われわれの親たちが残したものを自分の子どもたちに整理させるわけにはいかない。子どもたちは早くなくなった私の母を知らない。現実問題として懐かしさを伴う情緒的な繋がりはありえない。それどころか、親であるわれわれ自身のものを片をつけておく必要がある。そんなことを考えながら、とにかく身辺整理にせっせと励んでいるのである。そうした流れの中で、子どもたちには記念写真なども最小限にと伝えている。孫の誕生日にしても1枚か2枚あればいい。おかげで車なら30分程度の近くに住んでいるから、写真が見たくなったら子どもたちの家にあるアルバムを見せてもらう≠アとで十分なのである。ともあれ、捨てる技術≠身に付ける前に、そもそも身に付けない°Z術を身に付けたいものだ。とくに、いらないものはタダ≠ナももらわないことが肝心だ。この点で家内はかなりの達人で、少なくとも私のはるか上をいっている。いらないものには手を出さないのである。ところで、このごろはインターネットでも基本はタダ≠セという感覚になってしまう。しかしタダ≠セといっても、本当のタダ≠ネんてあり得ない。そんなことしていたら誰だって生きていけない。自分がいま対価を払っていない≠ニしても、誰か≠ェ負担している。もちろん、ご本人が払っている≠ニ意識しているかどうかは別である。そして、それは巡り巡って、自分もどこかで払っているのである。放送の場合、NHKには受信料を払うが、民放はタダ≠ナある。それはスポンサーが経費を払っているからだ。しかし、そのスポンサーも自分たちが売る商品の価格の中に宣伝費≠入れている。そして、われわれが商品を買うときに宣伝料≠熾・っているのである。 |
思い出との出会い 2011/01/17 月 2896
母は47歳で私たちの前から消えた。あれから38年が経過した。現在の視点で見れば、明らかな医療過誤だった。母が亡くなったとき、父は母が使っていたものを整理できなかった。それから父は20年間を一人で過ごした。父が亡くなったとき、今度は父の遺品が残された。その中には若いころから書き続けた日記があった。そこには母への想いが繰り返し綴られている。また私が17歳のときに一人で生活をはじめてから両親に宛てて書いた手紙やはがきも完璧なまでに残されていた。しかも番号≠ェ振ってある。それを見ると、私自身が自分の思い出≠ニして捨てがたくなる。それからかなりの時間が経過して、今度は家内の父が、そして母が旅立っていった。その際も残されたものの整理をした。われわれの結婚式の写真も大事にしまってあった。もちろん式場のプロが撮った本物である。おそらく両親はしばらく≠ヘあるいは折に触れ=A楽しい思い出として見ていたと思う。しかし、その後は大事な記念≠セからちゃんとしたところに仕舞っておいたわけだ。そして、いつの日か時間が経過し、最後は残された者が発掘することになる。当然のことながら自分たちの結婚写真はちゃんと持っている。プライベートなものだから他人にあげる意味もないし、そもそも喜ばれるはずもない。そんなわけで、結局は処分することになる。何かを整理していて思わぬところから昔の写真が出てきたりする。それを見ると懐かしさがこみ上げてくる。しかし、それも数秒≠ゥせいぜい数分≠フことだろう。またどこかに入れてその所在すら忘れてしまう。もちろん一瞬≠フ喜びも快感だし、それを頭からあほらしい≠ニ決めつける気はない。しかし、そのためのコストが大きすぎる。 |
指導待ち人間 2011/01/16 日 2895
熊本大学公開講座「リーダーシップ・トレーニング」は正味18時間で9,900円、受講料は破格だ。しかし私としては本格的なトレーニング≠セと自負している。私が初めてリーダーシップ・トレーニング≠ネるものに出会ってから40年以上になる。はじめは学部の学生だったから、助手の助手のまた助手といった立場で覗き見をしていた。それが時間の経過とともに、トレーニングでちょっとした情報提供をさせてもらうようになった。情報提供といっても15分程度である。そうした体験を積み重ねるうちに、トレーニング≠ェおもしろくて仕方がなくなった。そしていまでは、私のライフワーク≠ニして、この世からサヨナラするまで関わり続けたいと願っているのである。そんなことで、単なるPRではあるが、公開講座は安かろう悪かろう≠ナないことだけは強調しておきたい。おかげさまでこれまでの受講者数は1,400名を超えている。それに、ありがたいことにおおむね好評なのだ。講座の受講料は熊本大学が時間数に対応させて決めている。デフレ傾向でもあり、これからもしばらくは9,900円でいくだろう。私も定年まで3年と2ヶ月、もっと正確にはあと1172日である。つまりは公開講座もあと3年でおしまいとなるわけだ。何よりも健康であることが前提だが、それまでは講座を続けていくつもりでいる。いつの間にか脇道に逸れたが断捨離≠フ話をしていたのだった。自分の身の周りを整理する20,000円のセミナーがあるという。けっこう前から分別ありそうな年配者たちがいまの若者たちには指示待ち人間が多い≠ニ嘆いていた。このセミナーにどんな人が参加しているのか知らないが、身の周りの整理も指導待ち≠フ時代になったのだろうか。 |
身辺整理のコスト 2011/01/15 土 2894 Continued from 01/13
持続的成長≠ネんて聞くとそりゃあそうじゃ≠ニ思う。しかし、地球上の人間たちが永遠に∞成長し続ける≠ニいうモデルは正しいのだろうか。もっと素朴な疑問を言えば、そんなことって可能なんだろうか。持続的成長≠ニいうのは結局のところ右肩上がり≠ニいうことではないのか。世界中のみんなが幸せ≠ニいうのはけっこうなことだ。しかし、持続的成長≠フ大合唱を聞いていると、どこかで聞いたことあるよなあ≠ニ思う。それがネズミ講≠フ勧誘のようにも聞こえてしまうのである。私の幻聴であることを願うけれど…。それにしても世の中は断捨離≠ネのである。ベストセラーを書いた著者のセミナーも大流行のようだ。熊本でも書店のPRが出ていたが、それによると受講料は1日半で20,000円である。このお値段から推測すると、大いに満足できる内容だろう。しかし、それにしてもうーん、身辺整理にセミナーねえ。それも20,000円…=Bおそらく日本国中で開催されているのだろうから、受講者がいるのである。ついどんな人が受けるんだろう≠ニ余計なことを思ってしまう。私が20年近く実施している熊本大学公開講座「リーダーシップ・トレーニング」は3日間18時間のコースだが、受講料は9,900円である。東京会場でもこのお値段だ。あまり安すぎると内容に疑いをもたれるよ≠ニアドバイスされたこともある。まあそれもありかもなあ≠ニは思う。私が学生のころだが、臨床心理学系の授業でカウンセリングはタダでは治りにくい。それもどちらかといえばやや高めの方が効果がある≠ニいう話を聞いた。それがいまでも真実なのかどうか知らない。昔の日本製品のように安かろう、悪かろう≠ニ思われるのだろうか。 |
専制≠フ結果 2011/01/14 金 2893 Continued from 01/11
レビンの実験における自由放任型≠フ指導者は子どもたちと最小限にしか関わりを持たなかった。集団としても個人としても、何かを決めるのはこどもたちに任された。また、求められれば情報を与えるとは伝えていたが、子どもたちの話し合いに参加することもなかった。もちろん、作業にかかわることもしないままであった。さらに、作業のやり方を評価したり調整したりする役割も果たさなかった。こうして3つのタイプの指導が子どもたちに与える影響についてデータが収集され分析が行われた。その結果、3つの集団には大きな違いがあることが明らかにされたのである。指導者が専制的≠ノ振る舞った集団では、子どもたちに落ち着いた雰囲気が感じられなかった。そしてお互いの間に敵対意識≠ェ生まれた。それが弱い者に向かえば、いわゆるいじめ≠ノなるわけだ。子どもたちは専制的≠ノ押さえつけられることで自由な発言も行動もできなかった。そのことが欲求不満として蓄積されていったのだろう。その抑圧されたエネルギーが一定の限度を超えると攻撃的な行動が引き起こされるのである。しかもそうした攻撃的行動は大人に対する反発という形もとるが、子どもたちの間にも起こりやすくなる。お互いに攻撃しやすい≠ゥらである。また、専制型≠フ指導者に対して子どもたちは服従的な行動を示すこともあった。そして服従はそのまま依存にも繋がり、わざとリーダーの気を引くような態度を示す子どもたちも現れた。また、子どもたちは指導者が目の前にいるときはおとなしくしているが、その場からいなくなるとお互いに攻撃的な行動に走るケースも見られた。このように専制型≠フ指導は子どもたちに望ましい影響を与えるとは思われなかった。 |
それでも成長第一? 2011/01/13 木 2892
とにかく身の回りを整理するには入りと出≠コントロールするしかない。身辺整理≠フ基本は単純なのだ。可能な限り入るもの≠抑え、やむを得ず入れざるを得ない場合には、それよりも多くを出すのである。毎日配達される新聞などは、その対策がけっこう難しい。出張して数日分だけでも溜まるとかなりの量になる。それをすべて普段のペースで読もうと思うと当然のことながら追いつかない。他の仕事だって、こちらを先にやってよ≠ニ訴えてくる。溜まっているのは新聞だけではないのである。そうかといって、不在中の分はなかったことにしよう≠ニ目も通さずに処分できるほど悟りは開けていない。何せ、新聞依存症を自認している私なのである。だから、溜まった新聞を目の前においてとにかく最初のページから開いていく。ただし、ほとんど見出しを追うのが中心で、気になる記事があっても斜め読みにする。斜め読みでもけっこうキーワードには目が止まる。このあたりの認知能力は人間のすごさだと思う。そこにある情報を感情を交えず∞すべて一個潰しで取り入れていく≠謔、に見えるコンピュータをまだまだ上回っているのではないか。それにしても、デフレの原因の一つに買う物がなくなったから≠ニいうことが挙げられたりする。経済学的にそれが本当なのかどうか知らないが、とにかく気がつくとあれもこれも何でもあり≠ネのである。それだけ豊かといえば豊かなのだ。そこまで来ているのに、政府の政策も成長≠ェキーワードになっている。経済の専門家だって成長≠口に出さない者は一人もいないように見える。それでもまだ景気を刺激するために財政を出動させ、国債を…=Bこの手の発言にはもう耳に胼胝ができてしまった。 |
庶民の生き方 2011/01/12 水 2891
ベストセラーの捨てる技術≠ノ対して立花隆氏が本気で反論していたのがどうしておかしかったか。それは大の大人がまだ1歳にもならない赤ん坊の行動に対してマジで怒っているように思えたからだ。立花氏といえば、小さな街の図書館など及びもつかないほどの立派な書庫をお持ちである。しかも、秘書というのかどうか正式には知らないが、情報収集や整理をする専任のスタッフもいらっしゃるようだ。そんな環境にいる人だから、書籍はもちろん、新聞の小さな切り抜きも、あるいは年季の入ったモノクロの写真1枚だって捨てないですむわけだ。何といっても、宇宙から人間の世の中まで神業のように分析する立花氏である。あらゆるものが仕事に欠かせないに違いない。それを右から左へと捨てるなんて、まるで悪魔の心根ではないか。そう思われるのも当然なのだろう。しかし、国民のほとんどを占める庶民にとっては、そんな贅沢は夢のなかでさへ実現できないんだよね…。とまあ、こんな趣旨のことを本コラムにも書いた記憶がある。ともあれ、このごろは断捨離≠ナある。話題の本を読んでいないし、いまのとことろ読む予定もない。だから、勝手な解釈でお許しいただきたいが、捨てる技術≠ニ同じ流れのものではないかと推測している。私なんぞも、めでたく還暦までは命をいただくことができた。熊本大学もあと3年と3ヶ月で無事に定年である。そんなわけで、数年前から身辺整理≠はじめた。書籍に関しては、とにかく読んだ本はもちろん、専門に関わる雑誌や資料などもドンドン処分している。おかげで、ほとんど満杯状態だった研究室の3つのスチール製書棚はすでに2/3程度になった。いずれも2mを超える代物だから空き≠ェ目立ちはじめた。 |
流行シンプルライフ 2011/01/11(2) 火 2890
この世は知らないことばかり。当然のことだ。それにしても、断捨裏≠ニは驚いた。新聞を読んでいてこのことばが出てきた。こりゃあ何じゃ≠ニ思って家内に聞いたら、いま流行≠ナ本はベストセラーなんだそうな。私の理解のレベルで言えば、周りを整理する≠アとのようだ。ものを断≠ソ、捨≠ト、離≠黷驍ニいうことか。まあ当然と言えば当然なのだが、人間を含めて動物には貯めこむ¥K性がある。それは、過酷で危険に満ちた環境の中で生きていくための基本的な戦略であるから、いわゆる本能に近い。つまりは、何万年、いや何十万年もかかって身に付けた行動パターンなのである。行動というよりも、それは大脳の中に刻み込まれた精神なのだ。それにしても、こうした本が流行るということは、われわれの周りがいらないもの≠ナ満ちあふれているという現実を物語っている。そして一般の流行と同じように、シンプルライフ∞整理する∞捨てる≠ニいったキーワードが現れては消え、そしてまた現れる。ビートルズのリンゴ・スターがレナウンのCMでシンプルライフ≠アピールしたのは1970年代の半ばである。Simple
is the best≠ネのだ。また、主婦が書いてベストセラーになった「捨てる技術」が出たのは2006年だったと思う。何分にも私は読んだ本の大部分を捨てる≠ニいっては誤解を受けるので、整理する≠ノしておくが、とにかくそんな行動パターンなので、すでにこの本は手元にない。インターネットをちょっと覗いただけでは出版年が確認できなかったのでだったと思う≠ナお茶を濁ごしておく。ところで、この本に対して、知の巨人≠フ立花隆氏がテレビで本気になって批判していた≠フがじつにおかしかった。 |
民主型℃w導 2011/01/11 火 (1) 2889
レビンが行った実験で専制型≠フ指導者は、一方的に指示や命令を与えるだけでなく、作業を一緒に進める相手も指定した。こうした働きかけはいずれも子どもたちが自由に振る舞うことを許さないものであった。このような状況に置かれた子どもたちは、自分たちの仕事≠ノついて、その後の見通し≠持つことができなかった。さらに作業のできばえについて褒めたり批判したりしたが、それは個人の主観的≠ネ評価の色合いが濃いものであった。こうした指導法とは対照的に、民主型≠フ場合は作業の手続きが集団の討議によって決められた。また、子どもたちが技術的な援助を必要とするときは、指導者は複数の対処法を提示して、そこから選択するよう働きかけた。そして結果を評価するに当たっては即時性≠ニ客観性≠重視した。即時性≠ニは、子どもたちが賞賛すべき、あるいは問題を指摘すべき行動を取ったときその場で即時≠ノ評価することを指している。これは心理学者のスキナーが提唱したプログラム学習では即時フィードバック≠ニ呼ばれている。こうしたタイミングをはずさない働きかけが学習を促進するというのである。大人の場合でも、とくに問題を起こしたときには、時間を置かずに指摘することが大事だ。もちろん、人の前でこれ見よがしに叱るのは避ける必要がある。しかし、ずっと時間が経過した後になって、あのときはああだった、こうだった≠ニ思い出すように言っても迫力はない。それどころか、あの人はとても執念深くて昔のことをいつまでも憶えている≠ネどと陰口を叩かれてしまいかねない。このほか、民主型≠フリーダーは仕事の分担≠燻qどもたちに任せるなど、文字どおり民主的≠ノ振る舞ったのである。 |
アクション・リサーチとPDCA 2011/01/10 月 2888
アクション・リサーチの一連の流れを見ると、これはいわゆるPDCAサイクル≠ニ完全に重なっていることがわかる。PDCA≠ニは、Plan-Do-Check-Act≠フことであるが、どんなことであれ、目標を持って何事かをなそうとすれば、まずは計画(Plan)
≠立ててから実践(Do)≠キるものだ。そしてその結果を評価(Check)した上で、評価の分析と改善(Act)≠オて次に繋げていく。そんなこと当たり前ではないか≠ニ言ってしまえば、コロンブスの卵ということになるのだろうか。このPDCAサイクル≠ヘ第二次世界大戦後に展開された品質管理の立場から提唱された。その貢献者としてウォルター・シューハートやエドワーズ・デミングの名前が挙がる。とくにデミング氏は戦後日本製品の品質向上に大きな影響を及ぼしたことで知られている。ともあれ、レビンのアクション・リサーチは、PDCA≠ェ提唱される前にそのすべてのステップを包含していたのである。ところで、私は「リーダーシップ・トレーニング」の開発と実践をライフワークにしているつもりでいるのだが、グループ・ダイナミックスの創始者であるレビンは、今日の「リーダーシップ・トレーニング」に繋がる重要な3つの研究を行っている。その第1はリーダーシップの違いが集団に与える効果を明らかにしたものである。最初の論文は1939年に書かれているから、すでに70年以上も前のことである。これは11歳の子どもたちを被験者にした実験で、彼らには放課後にお面作りなどの課題が与えられた。その際に指導者を専制型∞民主型∞自由放任型≠フ3つのタイプに分けたのである。まず、専制型≠フ場合は、すべての方針を指導者が決定し、作業の遂行について命令を与えた。 |
餅つきの奥義 2011/01/09 日 2887
餅つきのときはあらん限りの力で杵を振り降ろし臼にたたきつける≠フが正統≠セと思われている節がある。それに、暮れの寒風の中でも体から湯気が上がってくるのはおもしろいではないか…。と、まあそうは思うのだが、とにかく力任せ≠ニいうのは正統餅つき法≠ナはないらしいのである。かつて信州に旅行した折のこと、老舗の旅館で餅つき大会≠ノ遭遇した。泊まり客に対する土曜日限定のイベントだという。まずは旅館の人たちがついていく。ギャラリーからはよいしょ、よいしょ≠フ掛け声が挙がる。しばらくしてから宿泊客たちにも杵を回した。いまでは餅つきそのものを知らない若者もいて、ちょっとへっぴり腰の様子も笑いを誘う。それから数人目である。私は九州人、模範を示すぞーっ≠ニまでは宣言しなかったが、そんな雰囲気の男性が杵を持った。とにかく九州人≠ナあることだけはアピールした。その彼がまさに杵が砕けんばかりに打ちまくったのである。他の客たちもうゎー、すごい≠ニ驚き、そして賞賛した。その九州人が打ち終わってからたまたま私の横に来た。こんくらいでいかんとですなあ=B体全体が自慢げであった。それから、できたての餅を食べて客たちが去ったあと、周りの光景などを楽しんでいた私に宿のご主人が解説した。あんまり元気すぎてもおいしい餅はできないんですよ。本当は杵を振り上げるときに力を入れて、振り降ろす際は杵の重さを利用してむしろゆっくりという感じで石臼の餅に当てるんです…=Bなあるほど、そうなんだ。私は餅つきの奥義を伝えられたような気がして感動を覚えた。それは軽い杵≠フ場合には当てはまらないのだろうが、いかにも日本らしい自然体の力学≠ナはないかと思った。 |
| 7日(金)19時〜8日(土)のお昼ごろまで、作業停電のためアクセスできませんでした。 |
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評価と一般化 2011/01/08 土 2886
ものごとはする≠アとも大事だが、したあと≠フ評価とセットになっている必要がある。それが欠けていると、次のアクションをとることができなくなる。また、評価にあたっては、失敗≠ヘもちろんだが、成功≠ノついても、それに影響を与えた要因を分析することを忘れてはならない。とくに予想外の成功≠体験すると、つい有頂天になってしまう。そこで冷静で客観的な分析ができるかどうかが、その後の組織に大きな影響を及ぼすことになる。いずれにしても、実践結果≠フ多面的な分析によって、新たなアクションへのエネルギーが生まれてくるのである。そして、評価が終わればアクション・リサーチは、6)計画の改善・修正を行って、さらにレベルアップした実践の段階にすすんでいく。それはいわゆるスパイラル的に上昇していく変化のステップである。そう考えると、組織が存続する限り、アクション・リサーチに終わりはないことがわかる。さらに、7)獲得した知識やノウハウの一般化というステップもアクション・リサーチに欠かせないものとして付加しておきたい。ある組織に導入された一連の試みが成果をもたらすことが認められれば、そこから得られた知見やノウハウを他の集団や組織へ応用することを考えるのである。ただ一度だけの成功ではアクション≠ナはあっても、まだアクション・リサーチ≠ニしては十分とは言えない。実践活動をとおして得られた成果を一般化し普遍化することは研究(リサーチ)≠フ大事な役割なのである。もちろん、ここでいう研究は、専門家が行ういわゆる学術的なものに限定する必要はない。特定の組織で得られた成果が他の組織でも役立つことになれば、それは社会に全体にとってプラスになるのである。 |
餅つきの力自慢 2011/01/07 金 (2) 2885
酢餅≠ェ標準語≠ゥどうかは置くとして、うまいことは請け合いなのでぜひトライしていただきたい。ただし、これはつき上がり≠ナまだ熱っちちの状態でノビノビ≠オている、とにかくつるつる≠ニ飲み込むことができるときでないと味わえない。だから、少しでも時間が経過しているとあっという間にアウトになるのだ。そんなわけで、このごろでは酢餅≠体験できるチャンスはほぼ皆無ということになってしまった。あれからもう30年以上が経過したが、昨年末の餅つき大会では近くの公園で中学校の野球部員たちが杵を持った。とにかく育ち盛りでスポーツをしているだけにエネルギッシュだ。杵も石臼も割れてしまうほどの力でつきまくっていた。そんな光景を見ながら、きな粉餅とぜんざいをご馳走になった。さらに袋入りの餅を買って帰って、それから街に買い物に出かけた。その道すがらに、数人で餅をついている集団に出会った。今度は大人たちだけだったが、そこでも全員が力を出し切っていた。どこもこんな感じで、餅をつくときは、景気をつけてとにかく可能な限り全力で杵を臼にたたきつけるものだと思われているようだ。ときには2人が杵を持って交互についたりもする。そんな場合は妙な競争意識まで生まれてくる。とにかく相手の迫力に負けてはならじと、明日の筋肉痛などなんのその、汗はもちろん唾まで臼に飛び込むほどに杵を打ち降ろす。まるで鬼のような形相である。餅の湯気よりも体からの方が明らかに多い。しかし、顔はものすごくても手元のコントロールはきわめて怪しくなる。そのため杵が餅ではなくて臼に当たったりして、その衝撃で割れ目ができて杵の小さな木片が餅に入ったりする。これがまた力自慢≠ノ拍車をかける。 |
ウォッチングから実践へ 2011/01/07 金 (1) 2884
研究でも日常生活でも、ものごとをウォッチング≠キる力が求められている。よりよく生きるためにも、もちろん職場でミスや事故をなくすためにも。そうした力を身に付けることによって、目の前にある問題に対しても具体的な対応策が生まれてくるのである。そこで今度は3)実践するための計画づくり≠フ段階になる。問題を解決するための対策が決まれば、つぎはその実行計画を立てるというわけだ。この段階では、計画をすすめていく際に求められる条件や予想される障害を十分に検討しておく。さらに計画が首尾よく実行できたときに組織や個人に起きる変化を明確にしておくことも期待される。そしていよいよ4)計画の実践≠ナある。問題解決のための計画が決まれば、当然のことながらしっかり実践することだ。もちろん、行動していくと計画の段階で想定していなかった事態が生じることもある。それが現実というものである。だからこそ、前段階である計画づくり≠フ段階でその可能性を最小限に抑えるために大いに議論しておくことが欠かせないのである。もちろん、少し行き詰まったくらいで計画を投げ出すわけにはいかない。そんな場合でも、臨機応変に計画を修正しながら小さな障害は克服していけばいい。そうした失敗の体験と気づきが長期的には組織にとって大事な力になる。そして実践が終われば、5)実践の評価≠ニなる。ここでは可能な限り客観的な視点から結果を評価することが重要になる。実践に関わった全員が研究(リサーチ)≠キる気持ちで自分たちが生み出した成果を検討するのである。ただうまくいった∞うまくいかなかった≠ニいったチェックで済ませるのでは意味がない。大事なのはどうしてそうなったのか≠ナある。 |
餅つき大会 2011/01/06 木 (2) 2883
年末に町内会の餅つき大会があった。いまではイベント化しているが、昔は一般の家庭でも餅つきをするところがあった。私の場合は、伯父の家で親戚一同が集まってせっせと餅をついた。父の兄弟は4人いたが、おばあちゃんを含めて孫まで揃うと優に10人は超えた。孫たちの中で婚約なんぞが決まると、相手を連れて行って親族一同に紹介するのもこの場でのしきたりのようになっていた。この私もその慣習にしたがって結婚が決まっていた家内を連れていった。もううん十年≠熨Oのことになる。そこで男どもが石の臼に置かれた餅に向かって杵を振り降ろす。女性たちはタイミングよく臼に手を入れて餅を返す。そうなると、男たちとしてはどうしてもここで格好つけないとまずいという気持ちが働く。当然のことながら、家内を連れて行ったときは、私もいつも以上に力を振り絞った。とにかく石臼が割れんばかりに、というよりは杵の方が割れて飛び散るのではないかと思うほどの勢いで叩きつけた。その結果、翌日は体中が筋肉痛の塊になることは十二分に承知しているのだが、そうかといって弱腰というわけにはいかないのである。若いということはそういうことなのだ。子どものころは出来上がった餅にあんこを入れて、そのまますぐに食べたりした。これがまたうまいのである。しかし、それ以上の絶品があった。それはできあがったばかりの餅に大根おろしにダイダイをしぼった醤油でつるつる飲み込むのである。とにかくそのうまさといったら、いまでも表現のしようがない。これを酢餅≠ニ呼んでいたが、国語辞典にはこれが載っていない。となると酢餅≠ヘローカルなものだということだ。伯父の家は北九州だが、酢餅≠フエリアはどのくらいなんだろうか。 |
ウォッチング力 2011/01/06 木 (1) 2882
われわれには、毎日の生活のなかで問題≠ノ気づく感受性を磨いておくことが求められている。しかし集団になると、問題に気づいていても、お互いそれを言い出せない≠ニいう現実もある。こうした状態が放置されたままでいたために組織を揺るがす重大事故を引き起こした事例はいくらでもある。その意味では、職場のなかで問題を明らかにし、共有化する≠アとも問題の発見≠ノ繋がるのである。ともあれ、われわれは日ごろから問題意識≠もって生活していることが大事なのだ。そしてそれを実現するためには、周りに起きる出来事をウォッチング≠キる力が必要になる。ここでウォッチング力≠ニ言うからには、それは対象を注意深く=A可能な限り客観的に≠烽フごとを見る目をもつことを意味している。ただ漫然と過ごしていては、見えるものも見えない≠フである。さて、問題≠ェ明らかになれば、次は2)問題を解決するための方策を探る≠アとになる。それまでの経験をもとにした議論をすれば、様々なアイディアが出てくるだろう。このときも、職場が何でも自由に発言できる♀ツ境にないと、せっかくのアイディアも埋もれてしまうことになる。また、自分たち以外の職場で成功した実践や研究の成果も参考になる。これに加えて、現状を把握するための調査なども有効だ。この段階で正確な情報を得ることと、それに基づいて客観的な分析を行うことが重要になる。それがその後の実践がうまくいくかどうかを決めるのである。問題を解決するためにあらゆる方向から情報を得ることが求められるわけだ。その意味では、問題を発見する段階だけでなく、それを解決するための方策を探るときもウォッチング力≠ェ重要な役割を果たすのだ。 |
無毒の河豚はいかが? 2011/01/05 水 (2) 2881
ときおりNew York Times 日曜版のフォローをしているが、少しばかり古いものが出てきた。そのうち取り上げようと思っていながら放置していたものだ。まあ、せっかく取っていたのだから、賞味期限切れ臭いものも押し売りさせていただこう。まずは日付が2008/5/11だからかなり古い。しかも食べ物の話題だから十分に気を付けていただかないと困る。それによりによって毒≠ノまつわるお話だ。これから先を読まれるかどうかは自己責任≠ニしますので念のため。見出しは無毒のふぐでも食べたいですか?(If
the Fish Can't Kill You, Is It Still a Delicacy?°L事にはドでかいふぐを両手で持った調理師さんの写真とふぐの養殖場の写真の2枚が掲載されている。記事はSHIMONOSEKI#ュである。ふぐのレバーや卵巣にはテトロドトキシンという猛毒があり、それを食べて亡くなった人もいる。ところが、このごろは無毒ふぐ≠ェ養殖されるようになって、レバーを楽しむ人が増えている≠ニ言うのだ。養殖の地として呼子の名前が挙がっている。写真のキャプションもAt
a tank in Yobuko≠ノなっているが、そんな養殖場があることは知らなんだなあ。そもそもふぐの毒は自分で生成するのではないらしい。テトロドトキシンを生み出すバクテリアを体内に持っている動物を食べることで体内に蓄積されるのだという。だからエサさえコントロールすれば無毒化できるのである。いやあ、ちいっとも知りませんでした。それにしても、ふぐが300ドルもすると書かれていましたよ。現在の為替相場でも25000円といったところですか。記事ではどの程度の料理を指しているのかはっきりわからないが、外国人がこれを読んだら、やっぱりビックリするでしょうなあ。 |
アクション・リサーチ 2011/01/05 水 (1) 2880
いい理論ほど実践的なものはない=Bレビンの言には彼の実践を重視する強い気持ちが表れている。それは社会科学の領域で実践とかけ離れた理論≠ェ一人歩きしている状況への批判だったのかもしれない。今日でも実践的な試みが価値的に低く見られる傾向がある。素人には近づけないような理論こそが研究の主役だと言いたげである。しかし、実践は理論に奉仕するためにあるのではない。それはまさに本末転倒であって、理論の方こそが実践に役立たなければ意味がない。とりわけ社会のなかで生きている人間を対象にする研究は実践性≠フ面から評価されるべきなのである。こうした考えをもとに彼はアクション・リサーチ(action
research)≠提唱した。これは文字どおり実践(action)と研究(research)の統合を目指すものである。せっかくだから、ここでレビンが提案したアクション・リサーチの進め方を私なりに手を加えながらご紹介しよう。それは、1)現実にある問題の発見≠ゥらはじまる。そもそもアクション≠起こすためには、自分の身の回りの問題≠ノ気づく必要がある。もちろん万事が順風満帆にいっていれば、問題そのものがないわけだ。しかし自分たちには問題がない≠ニいう意識自身がすでに問題≠ネのである。それは単に気づいていないだけのことが多い。私は自分の学校にはいじめがない≠ニおっしゃる校長先生にそれって気づいていないだけの話ではないですか≠ニ冷や水を浴びせるようなことを言っている。その事情は一般の組織でもまったく同じである。そうした状況のなかで予想もしなかったミスや事故が起きてくる。 |
マスオさん的行動 2011/01/04 火 (2) 2879
信号待ちで車を止めた。ふと窓の外を見ると6人の人たちがにこやかに談笑しながら歩いている。お正月でシャッターが閉まった店の前に駐車している車に向かいつつある。その中の2人は子どもたちですぐに車に乗った。助手席はお兄ちゃん、後部座席が弟のように見える。大人の構成はわれわれと同じくらいの2人とそのこどもと思しき2人である。正月に子ども夫婦が親の家に行って、いま帰るところであることは明らかだ。おばあちゃん以外の3人はそれぞれが白いビニール袋を手に提げている。どれもけっこう大きい。おじいちゃんの袋は焼酎の入った箱が2つ透けて見える。若い方の奥さんが赤いハッチバックの後部ドアを開けた。3人がそろってビニール袋を置いている。もう一つの袋には野菜がしっかり入っているように見えたが確認はできなかった。その間もにこやかな談笑がゆるやかに続いている。もちろん話の内容が聞こえるわけはないし、聞いても仕方がない。それから奥さんの方が開けていたドアを閉めてさらに車に近づいた。そして、男性が2人の老夫婦に深く頭を下げた。それを見て私はニンマリした。あれは奥さんの実家に帰ったのだ。そのとき信号が青になって車が動き出した。それから後は推測するしかないが、奥さんの方はじゃあ、さいならね≠ニいった風情で車に乗ったはずである。私の家内が助手席から笑い声で声をかけてきた。あれって奥さんの実家だよね=Bそのことについて何も話もしていなかったのに家内もウォッチしていたのである。さすがわが妻だともう一度ニンマリした。旦那の方が明らかにマスオさん%I行動だった。人と人との関係は他人が見ていてもわかることが多い。つまりは社会的関係が人の行動を決めているのである。 |
グループ・ダイナミックスことはじめ 2011/01/04 火 (1) 2878
子どもを虐待する両親の場合は2人だから個人とは言えない。しかしその2人が一体≠ニなって社会から孤立しているのである。こうした問題行動には誰かに相談できる環境になかった≠ニいう共通点がある。もちろん、それができるのにしなかった$eたちもいるはずだ。それはそれで、その理由を押さえないと同じことが繰り返される。いずれにしても、問題点を明らかにし、解決の糸口を見いだすためには、集団%Iな視点から人間を理解することが求められるのである。ところで、私がホームグラウンドにしているグループ・ダイナミックスの歴史は第2次大戦前にまでさかのぼることができる。その創始者であるレビン(Lewin,
K.)は1933年にドイツからアメリカに移住し、そこでグループ・ダイナミックスの研究を展開した。彼を中心に一連の研究がスタートしたのは1930年代末のことで、1945年にはマサチューセッツ工科大学にグループ・ダイナミックスの研究センター(Research
Center for Group Dynamics)が設立されている。レビンはその著書でいい理論ほど実践的なものはない(There is nothing
so practical as a good theory)≠ニ宣言し、実践に役立つ研究の重要性を強調した。彼はまたIf you want
to understand something, try to change it≠ニも言っている。社会的であれ物理的な現象であれ、何かを理解したいと思ったらそれを変える努力をしてみるといい。そのためには頭で考えるだけでなく、現実の対象に働きかけることが必要になる。そうした過程のなかでものごとの本質を知ることができるというのである。 |
孤立と孤独 2011/01/03 月 2877
わが国はリーマンショックの影響が少ないから大丈夫≠ニいう分析は当たっていなかった。そうでなければ、日本がいの一番≠ノ景気がよくなっていたはずだ。それはともあれ、ゆりかごから墓場まで≠フ話に戻れば、赤ん坊が人の力なしでは一瞬たりとも生きていけないことは誰でも知っている。また自分で墓場に入ることができる人間なんているはずもない。そんなわけで、人間は人との関わりを抜きにしては存在すらできないのである。しかしそれにしても、子育てを放棄したり自分の子どもを虐待する親たちがいる。トイレで赤ん坊を産み落として立ち去るなど、人間と言うよりも地球上の生き物としても信じがたい行動である。子どもに対する虐待や配偶者に対する暴力行為も深刻だ。そのメカニズムが十分に解明されているのかどうか知らないが、どれもこれも人類の存続を危うくする行動である。広い意味では、人類としての自殺行為ともいえる。そして、様々な事情から自ら命を絶つ本来の自殺に至る人たちの数もきわめて多い。わが国で年間の自殺者が3万人を超えたのは1998年だが、2004年には34,427人にも達している。そしてその状況はずっと継続している。これは1日の平均で80人から90人、1時間に3人から4人が自殺するという異常な事態である。いわゆる先進国ではワーストの状況だ。さらに世代を問わず引きこもり≠ニいった現象も増加しているようだ。社会との関わりをもてない人たちが増えているのである。そこに共通するのは社会から孤立した人々≠竍孤独な人たち≠ナある。 |
私の仕事 2011/01/02 日 2876
私が仕事をしているのは、“グループ・ダイナミックス(Group Dynamics)”と言われる領域である。日本語では直訳して集団力学≠ニ呼んでいるが、そんな研究分野があることはあまり知られていない。しかし、集団の力を生かした集団決定法≠ノよる態度や行動の変容、対人関係やリーダーシップ≠ノ関する研究、さらにはそれらを改善するトレーニング≠フ開発と実践など、グループ・ダイナミックスの成果は現実の社会で大いに活用されている。グループ・ダイナミックスは、その名のとおり集団≠ノ関わる現象を研究の対象にする。したがって、その範囲はすべての人間行動に広がっている。なぜなら、人間は集団あるいは社会と関係をもたずに生きていくことは、一瞬たりとも不可能だからである。第2次大戦後、イギリスの労働党が揺りかごから墓場まで≠ニいうスローガンを掲げたことがある。生まれたときからあの世に逝く≠ワで、国がしっかりサポートするという社会保障制度の充実を謳ったものである。イギリスと言えば労働党と保守党が政権交代を繰り返すことで知られている。それはわが国のモデルでもあったはずである。いわゆるマニフェストの発想もイギリス発だが、待望の(?)政権交代≠ゥら1年半近くになるが、二進も三進も行かない¥況が続いている。期待が大きければ大きいほど、それが実現できなかったときの失望はこれまた途方もなく大きくなる。とにかく貴重な時間だけが過ぎていく。リーマンショックの影響が最も少ないのが日本でしょうが≠ニ言い放った首相もいた。しかし、わが国の経済回復のペースは諸外国と比べてかなり悪いらしい。 |
笑いが止まらない人たち… 2011/01/01 土 2875
ものごとには両面がある。光が当たる面があればその裏側は陰になる。こちらがお昼なら地球の反対側は真っ暗闇だ。自分たちにとって不都合なことがあれば心も暗くなる。しかし、それを嘆いているだけでは明くなるわけがない。それに他人の欠点ばかり攻撃していても自分たちにプラスになるはずがない。いつの間にか中国の高速列車の最高速度が新幹線を超えた。あれは川崎重工の技術を移転したから≠ニいうのは本当だろう。それでも相手さんの方が速く走らせているんだから、いまさら言っても仕方がない。液晶は韓国に大きく差を付けられた。あれは東芝の技術者を引き抜いたから≠ニいう話がある。それが事実かどうかは知らないが、結果として引き離されたことはまちがいないのだから、いまさら言っても仕方がない。そんなこと言っていたら、アメリカから自動車の技術は俺たちのものだぞ∞トランジスタの基本原理はこちらで考えたんだぞ∞液晶のアイディアはアメリカ製だぞ≠ネどとまくし立てられるだろう。まずは事実を冷静に受け止めることが大事だ。相手の悪口だけを言っていても効果的な対応策は出てこない。それにしてもわれわれは悪いことばかり考える癖があるんだろうか。昨年も景気がパットしないなかでムチャクチャな円高になった。そこで国中がこまった、こまった≠フ大合唱である。もちろん深刻な事態に直面している人たちがいることは疑いない。それにしてもまるで一億総困りはて≠フ様相を呈している。今の日本でこまっていない$lは一人もいないような雰囲気だ。でも本当にそうなんでしょうか。円高で笑いが止まらない人たちだっているけっこういると思うんだけどなあ。マスコミはこうした人たちも取り上げてほしい。 |
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