繰り返しは退屈? 2010/11/30 火 2843
パイロットは、文字で記述すれば極めて単純な作業を切り返しているのに、意欲を持って仕事をしている。その秘密は仕事に求められる動作≠ナはなく、仕事が持っている意味≠ノあるのだと思う。意味≠意義≠ニ言い換えても同じことだ。それがしっかりしていれば、責任感≠ェ生まれ、また誇り≠持つこともできる。俳優森光子は放浪記≠ナ林芙美子を45年以上にわたって演じ続け、上演回数は2000回を超えている。私見ながら、その退き際が今ひとつだったが、まあそれは置くとしよう。この間、ご本人は嫌々で仕事をしていた≠けではない℃鮪タはその反対で、だからこそ退くタイミングを誤ったとも言えるのである。もちろん私はその舞台を見たわけではない。しかし、基本的には原作そのものは変わらない。それをもとに脚本を書くから、この段階でいろいろと変化が出てくるのだろうが、それでも根底から変わることなどないだろう。つまりは、狭い舞台の上で同じセリフをしゃべりながら、同じ動作をして45年間を過ごしたわけである。しかし、それでもご本人は大いに満足していたはずである。おそらく、演じるごとに、新しい発見≠する。そんな気持ちだったと思う。また観客の喝采という外的な刺激も望ましい影響を与えたに違いない。私も講義や講演をする際に同じような体験をし続けている。たとえば概論的な授業のスタート時にはまったく同じ話≠繰り返す。講演を依頼された場合でも、基本的なところは同じネタ≠使うことが多い。基本はしっかり押さえないとまずいからだ。そんなことだから、私が内心ではまったく同じことの繰り返しで、おもしろくないなあ≠ニ思っているかといえば、断固としてNo≠ナある。 |
いつもの段取りで… 2010/11/29 月 2842
パイロットは乗客の命を預かって飛行機を操縦するという重大な責任を負っている。その責任≠ェ誰にでもでできる仕事ではない≠ニいう意識に繋がれば、意欲が高まることは想像に難くない。この場合、責任≠ェ誇り≠生み出し、仕事のやり甲斐≠感じる重要な要素になっている。まさに、重力≠サのものが揚力≠引き出し、両者が均衡しているのである。さらにパイロットが、自分は乗客の幸せ≠竍喜び≠運んでいるのだ≠ニ思えば楽しくなるだろう。その反対に悲しみ≠セって運んだりもする。希なことだろうが、事件≠竍歴史≠ニ遭遇することもある。何と大事な仕事をしていることだろう。しかし、どんなに衝撃的なチャンスと出会ってもパイロットがする作業≠ヘいつも同じだ。管制官の指示を受けて空港を離陸し、あらかじめ決められた高度を維持しながら目的地に着陸する。さらに地上係員に誘導されてボーディングブリッジに到達し機体を止める。この間の作業手続き≠ヘいつもと同じことの繰り返しである。北朝鮮に拉致されていた5人が帰国したのは2002年10月15日のことである。このときは全日空の飛行機が使われた。その日のパイロットたちは大きな責任と誇りを感じていたに違いない。しかし、どんなに歴史的な場に遭遇したからといって、機長が20年以上も拉致されていた人たちを連れて帰るんだ。今日は大サービスで宙返りでもしようか≠ネんて考えるはずもない。そのときも、国交のない北朝鮮の管制官から指示される通りに滑走路を走って飛び上がったのである。日本の領空に入ってからは、日本の管制官の指示を受けながら、いつもとまったく同じ段取り≠ナ羽田空港の決められた位置に機体を止めたのだ。 |
パイロットの意欲 2010/11/28 日 2841
機器のメカニックそのものが好きでたまらないという人もいる。そうなると、第3者の評価などまったく関係がなくなる。そんなことして、どこがおもしろいの≠ニいった質問は意味をなさない。とにかくおもしろいからおもしろい=Bただそれだけなのである。ここではそうしたマニアックな人は置くことにして、クイズのヒントにするとパイロットもけっこう単純な作業を繰り返していることがわかる。だから、高校生も就きたくない職業だ≠ニ敬遠したのである。しかし、それならパイロットはいやいや仕事をしているのだろうか。そんなことはないだろう。いやむしろ仕事に責任と誇りを持っているに違いない。もしそうなら、単純な作業≠繰り返しているのにどうして責任や誇り≠感じるのか。それは仕事のやり甲斐≠ヘ仕事中にしている動作で決まるのではないからだ。大事なのは仕事全体が持っている意味≠竍意義≠セからだ。このごろの航空業界は競争が熾烈なようだ。だから、大昔ほどではないと思うが、それでもパイロットの給料は一般と比較すればかなりのものだと思う。何といっても高度の専門職である。それに、依然として子どもたちが憧れる職業であり続けているのではないか。そんな社会的評価が仕事のやり甲斐を高めている側面はあるだろう。しかし、給与の高さやカッコよさだけで、単純な作業≠やり甲斐のある仕事≠ノ替えられるマジックなんてあるはずがない。仕事が責任≠ニ誇り≠感じさせる。それが力になって意欲が高まる。私はそう考えたい。パイロットの仕事は多くの乗客を遠くまで、できるだけ速く運ぶことである。しかし、そこには安全に≠ニいう大前提がある。パイロットは人々の命を預かっているのである。 |
久イズの正解 2010/11/27 土 2840
職業当てクイズの第4ヒントで、その人の給料は1年に2,000万円くらいだと思うよ≠ニ言ったら、それを聞いた中学生が手を挙げた。わたしはおおっ、わかったかあ≠ニ感動しながら、反射的にその子を指さした。彼は嬉しそうに答えた。はーいっ、校長先生でーす!=Bその瞬間、私の話を一緒に聞いていた校長先生が椅子から転げ落ちそうになった。私は苦笑いしながら生徒と会場の後ろにいた保護者たちにゆっくり解説した。いやあー、残念でした。校長先生ってねえそんなに給料はもらってないよ=B私はいろんなところで様々な人たちと出会う。そしていつもおもしろい体験をさせてもらう。この生徒の発言も忘れることができない思い出になっている。さてさて、職業当てクイズの話に戻ることにしよう。おわかりになった方もいらっしゃるだろうが、正解はパイロットである。1.その人は1mだって人の許可がなければ動けません 2.その人はとても狭い部屋で拘束されて仕事をしています 3.その人は、仕事の始めと終わりだけは緊張すると言っています 4.給料はけっこうなものです=Bまあクイズということで、この程度のヒントはお許しいただけるだろう。それにしても、いかにもおもしろくなさそうな表現に充ち満ちている。だから、高校生がそんな仕事なんてしたくない≠ニ拒絶したのも当然だろう。しかし、そんな仕事をしている<pイロットたちが意欲を持たずにいやいや仕事をしているだろうか。そんな人がいるような会社の飛行機には乗らない方がいいだろう。まあ、最近は業界の競争も激しく、パイロットにしてもやる気がなかったり、モラルに問題がある者だっているだろう。しかし、あまり厳密に考えていては話が進まない。 |
職業当てクイズ 2010/11/26 金 2839
仕事における重力≠ニ揚力≠フ中でも責任≠ニ誇り≠ヘ最も重要な要素である。これがバランスを欠くと墜落する。あるいは上昇し続けて、限界点を超えたとき失速する。世の中を見渡すと、責任≠ヘ重いが、誇り≠ェ今ひとつ持てないという状況に置かれた人の方が圧倒的に多いようだ。しかし、仕事に誇り≠見いだすのはなかなかむずかしい。そのための決定的なノウハウはないが、ものごとを見る視点を変えるのも大事だ。高校生の出前授業などでクイズを出す。第1ヒントその人は1mだって人の許可がなければ動けません=B第2ヒントその人はとても狭い部屋で拘束されて仕事をしています=B第3ヒントその人は、仕事の始めと終わりだけは緊張すると言っています。まるで途中はどうでもいいみたい…=Bさてこの人の職業はなんでしょう=Bとまあこんな謎かけをするのである。まずは答えを考える前に私は少し笑って問いかける。ところで皆さん、将来こんな仕事をしてみたいなあと思う人、手を挙げてーっ=Bご推測の通りである。どこで話しても1人だって挙手などしない。そりゃあそうだ。どう考えてもおもしろくも何ともない仕事としか思えない。そこでもう一押し。その代わりねえ。この仕事、給料はかなりいいらしいよ。はっきり聞いたわけじゃないけど、1年で2,000万円くらいは稼げるんじゃないかなあ…=B高校生であればその価値もある程度は理解できる。しかし、このヒントを追加しても、彼らの心は動かない。それほど魅力のない仕事に思えるのである。ところで、一度だけキャリア教育の一貫として中学校でこの話をしたことがある。そのときは、ヒントを聞いた1人の生徒がわかったあ≠ニ叫んで元気よく手を挙げた。 |
重力と揚力と… 2010/11/25 木 2838
とにかく飛行機はじっとしているだけでは空には飛び上がれない。また、飛行機は離陸するとき向かい風を利用する。その方が短い距離で離陸できるからだ。それと同じで、考えようによっては、人間の場合も周りの抵抗が大きければ大きいほど実現できる変化も大きいのである。まあ、そんなことを言っているが、この私自身は流れるままに≠るいは流されるままに$カきてきた。したがってあまり偉そうなことは言えないのだが、まあ人様のこと≠あれやこれやと分析し、それらしき提言をするのが心理学なのである。このあたりの事情を十分に了解されて、マジで責めないでいただきたい。さてさて目出度く空に飛び上がれば、飛行機は水平飛行に移る。このとき空を安定してまっすぐ飛べるのは、機体に働く力が均衡しているからである。その力とは重力≠ニ揚力≠ナある。どちらかが大きければ水平飛行はできない。重力≠ェ強すぎれば落ちてしまうし、揚力≠ェ一方的に強ければ上がりっぱなしになる。ここでまた飛行機からのアドバイスが聞こえてくる。バランスが大事なんですよ、バランスが…=Bそうだなあ。人間にとって重力≠ヘ責任の重さ≠竍不安∞ストレス=Aそれに伴う弱音≠ネどが相当するだろうか。これに対して揚力≠ニいえば何といっても仕事に対する誇り≠ナある。それに自信≠竍意欲≠煌ヤ違いなく揚力≠ノなるはずだ。責任≠ホかり重くては墜落してしまう。それを克服できるのは仕事に対する誇り≠ナあるに違いない。ここで大事なのは、飛行機が飛び続けるためには重力≠ェ欠かせないということだ。その意味で仕事の責任≠ヘなくてはならない。ただし、それに匹敵する誇り≠ェ必要なのである。 |
飛行機物語 2010/11/24 水 2837
飛行機は駐機場にいる限り空を飛ばない。そんなことは誰でも知っている。滑走路をまっすぐに走るから空に向けて飛び上がる。空気の抵抗に立ち向かいながらしかり上昇するのである。このとき空気の抵抗があるからこそ、揚力を得ることができるのだ。飛行機は教えてくれている。じっと止まっているままでは空には飛び上がれませんよ=B私たちがしっかり仕事をするためにも、あるいは夢を実現するためにも同じことが求められる。しっかり走らないと、つまりはアクションを取らないと夢は実現できない。目標だって達成できないのである。われわれが住んでいる世界は真空地帯ではない。いろんな空気があり、その濃度や温度にも違いがある。しかしそうした空気の抵抗に向かって走っていかなければ何も変わらない。しっかり走るからこそ現状からジャンプできるのである。どう考えても飛行機のアドバイスの通りなのだ。もう20年ほど前のことだが、沖縄から帰るその日に台風が襲ってきた。空港に着いたときは出発できるかどうかという瀬戸際だった。どうなることやらと思いながら外を見ると、ボーディングブリッジに繋がれた飛行機は風に任せて機体を揺らせていた。じっとしているときの飛行機は風に翻弄されるままであった。いよいよ台風が来てしまえば仕方ないが、飛行機が単なる揺れる物体になっているのである。われわれ人間も社会の嵐に襲われれば、ただただ耐えるしかないこともある。そこで無理をすれば自分が壊れてしまう。そうだからこそ、先を予測して本格的な台風が来る前にアクションを起こすことも必要なのだ。もちろん、先のことまで正しく読むことはむずかしいにしても、ともあれタイミングを掴んで行動することで状況は変わるはずだ。 |
二つ返事 2010/11/23 火 2836
人から文句を言われると、はい、はい、わかりましたよ≠ネんて答えることがある。この場合は明らかにうるさいなあ≠ニいうニュアンスが滲み出る。だから、お前、まじめに聞いてるのか≠ニ相手の気持ちを逆なですることにもなる。日本語に二つ返事≠ニいうことばがある。はい、はい≠ニ答えるからそう言う。ただし、その意味は相手に対して気持ちよく^Kを出すことである。もちろん一つ返事≠ネんて用語はない。私なんぞは、どちらかというと二つ返事派≠セろうと思う。東京都知事の石原慎太郎氏などはNoと言える日本≠書いたことから推測されるように、はい、はい≠フ二つ返事はお嫌いなように見える。いま私は教育情報科学≠ネる授業も担当している。これも元はと言えば、二つ返事≠フ結果である。今からもう25年ほどは経過しているが、私は熊本大学教育学部附属教育工学センター≠ノ所属していた。そのときのセンター長吉良先生が病で入院された。その際に、文学部で担当している視聴覚教育≠代わりにやってくれないかと頼まれた。もともと映像機器や世の中に出始めたマイクロコンピュータに興味関心はあったが、視聴覚教育≠ネんてまったくの門外漢だった。それにも拘わらず二つ返事≠ナ引き受けた。これには、先生がご病気だから緊急避難的にというところもあった。しかし、センターに赴任してから放送教育などにも興味を持って研究会でお手伝いもしていたから、やってみるかあ≠ニいう気分になった。最初の年度に、熊本にある宮本武蔵で有名な島田美術館長の奥様が社会人として受講されていた。あとで島田さんがプロのカメラウーマンだということを知った。二つ返事≠ヘ冷や汗ものでもある。 |
客観的評価 2010/11/22 月 2835
人を評価するのはむずかしい。そんなことしてはいけませんよ≠ネどと咎めるのはさらにむずかしい。それができるためには、それなりの関係をつくっておく必要がある。そこに至まではどうしたらいいか。これがなかなかむずかしいのである。リーダーシップのトレーニングではグループワークを使う。その中に、メンバーのメッセージを決められた時間内で交換するものがある。たとえば、自分の職場について1分≠ナ紹介する。その際に、他のメンバーが交替でタイムキーパーの役割を果たす。話し始めると止まらない人がいるのは世の常である。そんなときでもタイムキーパーは時間が来たら1分ですよ≠ニ伝えてストップをかける。こうしたグループワークを見ているとなかなかおもしろい。結論から先に言うと、けっこう時間が守られるのである。その理由は簡単だ。1分≠ニいう時間は客観的≠ノ測ることができるからである。タイムキーパーが恣意的にハイ時間です。終わって下さい≠ニ言っているのではないのだ。せっかくおもしろいお話でもっと聞きたいのですが、なにせ時計が1分だと言っていますから…=Bとまあ時計≠フせいにできるのである。そうなると、話を止められた方も仕方ない≠ニ納得する。もっとしゃべりたいのに、お前が止めろと言うのか≠ニ責めるわけにもいかない。その時計はおかしいんじゃないか≠ニ文句を言うのは勝手だが、それはほとんど言いがかり≠ナあることが全員にわかる。たしかに、100m走や砲丸投げなどの競技では時間や長さを客観的に測定できる。だから薬物使用といった不正行為は論外としてトラブルが起きにくい。これに対して、そうした基準がない柔道なんぞは判定でけっこうトラブるのである。 |
自己犠牲だけでは… 2010/11/21 日 2834
部下に変わることを求めるのではなく、リーダーの方が変わらないといけない=Bそう言われると自分の巡り合わせの悪さを思う。やれやれ。私が若いころは上役の命令は絶対だった。ようやく役職について、これからは部下たちをしっかり鍛えるぞと張り切っていたのに、今度はお前たちが変われだって…。昔とは違って、いまは部下さまさまの時代ってことか…=Bもうかなり以前のことだが、製造の最前線で指揮を執る職長や作業長と呼ばれる方々から、こんな嘆きの声を聞いていた。そして、部下のために自己を犠牲にしろってことか≠ニなってしまう。しかし、自己犠牲の精神≠セけでは身も心ももたない。そもそも管理者だけでなく、わが国の組織人たちは多かれ少なかれ自己犠牲≠強いられている。その上に、さらに自己犠牲≠背負わされてはかなわない。そう、自己犠牲≠セけでは続かないのである。そうではなくて、自分の行動を変えることは、他人のためならず≠ニ考えてはどうか。こちらから行動を変えれば、その結果として部下や職場のメンバーたちの評価が変わるに違いない。そして、あなたがリーダーで本当に良かったと感謝しています∞しっかり楽しく仕事ができます∞私がこれから責任を持つようになったら、あなたのようになりたい…=Bそんなことを言われれば、リーダーとしても無上の喜びを感じるはずだ。まさに、行動変容は他人のためならず≠ネのである。本コラムの第1回目では、第4点目として使命感≠挙げている。とくにリーダーの場合、行動を変えるのは自分に与えられた使命だ≠ニ考えようということだ。使命≠ニは相当に大げさな表現ではあるが、そんな気持ちが自分を変え、組織を変えるのである。 |
情けは人の… 2010/11/20 土 2834
生まれたときから身についている行動は、呼吸をする、泣く、おっぱいを飲む、手足を動かすくらいのことだ。もちろんおっぱいを飲むだけでなく、それを消化し排泄する働きなどもある。こうした生得的な反応というべき行動は生きていくための基本的な条件として、まずは練習しなくても身についている。そもそも心臓はいわば勝手に動いているともいえる。しかし、おっぱいを飲むことだってだんだんうまくなる。心臓にしても努力次第で毛が生える。と言うのは冗談だが、人の前でものが言えず赤面するのが気になっていた人も、経験を重ねていくうちにそれを克服することもできる。運動していれば心臓だって強くなる。いわんや筋肉なんぞはドンドン鍛えられる。日常の行動だって同じことなのである。さて、行動変容≠ノかかわる第3番目のポイントは、変わるのは自分のためだ≠ニいう視点である。情けは人のためならず≠ニいう。人と人の間には思いやりが大事だ。人に情けをかけていれば、自分が困ったときは自分も思いやりのある対応をしてもらえる。だから、情けをかけるのは人のためではなく、じつは自分のためなんですよ。とまあそんな意味である。これを、情けをかけると人を甘やかすことになるから、その人のためにならない。だから情けをかけるのは止めましょう≠ニ誤解している人もいるという。実際、授業でこの話をすると、私も勘違いしていました≠ニ言う学生がいる。成句の解釈は置くとして、自分の行動を変える≠フもやはり人のためならず≠ニ考えたいものだ。部下に変われ変われと言うだけではダメですよ。あなたの方が先に変わることが期待されているんです=B職場のリーダーなら耳にたこができるほど聞かされるセリフだ。 |
改善可能性を信じる 2010/11/19 金 2833
危機意識が強すぎてストレスが高まれば行動の変化≠ヌころではなくなってしまう。ストレスは自虐的な反応を呼び起こしたり、まったく逆に攻撃的な行動を引き起こす原因にもなる。自虐的な反応は自分に対する攻撃でもある。その結果として抑圧的になり、最悪の場合には自ら命を絶つことにも繋がる。それが外に向かうと暴力やいじめを引き起こす。当然のことながら、自分より強い者を攻撃するわけにはいかない。そんなことをすれば自分が危うくなる。何のことはない、攻撃は弱い者にしか向かないのである。そんなエネルギーがあるなら自分を伸ばすことに向ければいいのにと思う。何とも寂しい話である。さて、適度な危機意識≠フ次に行動の変化に求められる条件は改善できることを信じる≠アとである。努力すれば行動はしっかり改善できるという信念が必要だ。どうせ生まれつき∞もともと性格だから…=Bこんな発想でいては変わるものも変わらない。二人目の孫がそろそろ1歳に近づいてきた。ようやく手を振ってバイバイ≠キるようになった。もちろんバイバイ≠フ意味は分かっていない。大人が勝手に喜んでいるだけだ。足の方は今ひとつで、まだ歩くにはほど遠い。もちろん、本人はもっとしっかり歩きたい≠ネんて考えているはずもない。それでも、とにかく歩きたい≠ニいう心のエネルギーが伝い歩きを進歩させつつある。そしてそのうち歩くようになるのである。われわれの行動で、何の努力もせずに身についたものなんてありはしない。生まれたときから自転車に乗れる人間などいるわけがない。すべては意識的な練習、努力の繰り返しの結果なのである。やってもしようがない≠ナはなく、やってきたから″。があるのではないか。 |
適度の危機意識 2010/11/18 木 2832
外から強制されなければ、じっとして自分の行動を変えようとしない人。これしかない≠ニ思ったら、状況の変化や人の意見などお構いなしに、ひたすら我が道を行く人。いるはいるは、こんな人がワンサカいる。そんなわけで、人間が慣性の法則≠ノしたがっているのは間違いない。こうして改めてニュートンの頭脳に敬服するのである。もっとも、それはニュートンがモノ≠竍者≠ニいう日本語を知っていたということが前提である。その可能性やいかに…。ともあれ、今のままでいい≠ニいった気持ちでは、行動も変わりようがない。これではいけない≠ニいった危機意識が人を動かすのである。もちろん、何でもそうだが、ものごとは程度が問題だ。危機意識≠熈適度≠ナないとまずい。いつも危ない危ない≠ニ騒いでいると、ストレスが高まるだけである。われわれは一定の時間が経過すると空腹を感じる。これも体が発する適度の危険信号≠ナある。このまま何もしないと危ないですよ≠ニ知らせてくるのである。それを感知して、われわれは生きていくために食事をするわけだ。日常の行動の場合は体と違って、いつも明確な危険信号を発してくるとは限らない。だからこそ、われわれには現状の問題≠ノ気づく感受性が欠かせないのである。そして、適度な危機意識が、これまた適度な緊張感を生み出す。それが個人だけでなく、人間で構成される組織を成長させるエネルギーになるのである。ここで大事なのは、どこがどのように問題なのか≠明確にしておくことだ。何となくまずい≠ニいうのは、単なる不安にすぎない。漠然とした不安を抱えているだけでは現状を変える行動に繋がらない。不安が不安を呼び、ますますストレスが高まることになる。 |
ラクダとニュートン 2010/11/17 水 2831
少なくとも数千年以上の歴史をもっているはずの人間だが、これまで人間行動の普遍的法則≠ネど見つかったことがあるのか…。とまあ、こんな調子で叫んでいるわけだ。ただし、宇宙規模まで拡大したような普遍性≠ワではいかないが、共通性£度のことはけっこうあるものだ。たとえば、事故や不祥事が起きたあとで、その原因として、言いたいことが言えなかった∞言ったけれど聞いてもらえなかった≠ニいった理由が挙げられる。これらは、問題が起きた組織を問わない。企業組織、病院、学校、民間団体等々、取りあえずすべての集団や組織≠ニいっても、それほど誤ることはないはずだ。私としては、この程度の共通性≠ナ十分満足している。そして何より大事なことは、それが実践に役立つことである。さて、さて普遍性≠竍共通性≠ノついての議論はちょいと置くことにしよう。ともあれ味な話の素≠フ第1回で取り上げた、行動変容のため≠フポイントとして挙げた内容を少し充実しておきたい。第1のポイントは、適度の危機意識≠もつことの重要性である。少しばかり今のままではいけない≠ニいった気持ちをもっておくことだ。われわれの心の中にはラクダが住みついているのではないか。今のままが楽だ∞何もしない方が楽だ≠ニいう2頭のラクダである。そんなラクダは動物園に引き取ってもらった方がいい。そうそう、人間の行動にはニュートンの慣性の法則≠燗ュいているような気がする。外から力が働かない限り静止しているモノはじっと動かない=Bそして、等速度で動いているモノは、そのまま運動を続ける…=Bここでモノ≠者≠ノ入れ替えれば、まるでわれわれの日常生活を見ているようではないですか。 |
7年半前の思い出 2010/11/16 火 2830
味な話の素≠スタートしたのは2003年4月29日である。それから7年半ほど経過するが、とにかくせっせと書いてきた。何分にも生来の粘着質≠ナある。それもそうだが、もっと大きいのは健康であることだ。この点は両親にしっかり感謝しなければならない。母は47歳で亡くなってしまった。元気でいれば84歳だから、まだ親孝行ができた可能性がある。それにしても、親孝行、したきときには親はなし≠ニ後悔するまでもなく逝ったのだった。ともあれ、その母親の分までしっかり長生きしたいものだ。ただし、寿命は個人の意思だけで決まるわけでもない。とにもかくにも生きていることに感謝しながら、楽しく過ごしていきたい。味な話の素≠烽サんな気分で書いてきた。ところで、このごろ授業や講演で味な話の素≠フ第1回目を紹介することがある。わざわざ見てみようなんて方はいらっしゃらないと思うが、上欄右側にあるBack
Number≠クリックすれば目次を経由して創刊号≠ワで行ける。そのNo.1では、行動変容のために≠ニ題して4つのポイントを挙げている。あれから7年半、まことに懐かしい。そんな思いとともに、その内容はさらに発酵して成長していることに気づく。そこで、初心に返って第1回目をバージョンアップしたくなった。いの一番に取り上げたポイントは、適度の危機意識≠フ必要性である。そもそも人間行動の普遍的な法則を探るのが、社会科学、とりわけ人間の行動を対象にした科学≠フ大きな目的とされる。しかし、私はこれに極めて懐疑的である。じつは、立場上そんなことを言うとまずいところもある。私も心理学者≠ニいうことになっているからである。しかし、現実を直視するのもプロの役割だと思う。 |
外からの目 2010/11/15 月 2829
私は人が寝ているのを、とくに女性のそれをのぞき見る趣味なんぞは持ち合わせていない。ただちょっと制服が気になったのである。その向こうの窓側にいるアテンダントもやはり眠っているようだ。いずれにしても寝こける≠フは疲れているからである。ただ、制服が持つ意味を考えると、ここはつらいところだ。これがいわゆる私服で普通の服装であれば、ただ若い女性が疲れて寝ているだけのことになる。そう言えば≠ニ思ってさりげなく後方を見た。先ほど移動したリーダー格とおぼしき女性は最後部の23Aに座っていた。まさかいびきが大きくて移動したんじゃないよね≠ニ余計なことを考えて、少しばかり笑ってしまった。そして、そうした状態がずっと続いて、とうとう着陸を迎えることになる。タイヤが滑走路に触れて、その衝撃でドーン≠ニいう音がする。こうなると、私の目はどうしても左の座席に向いてしまう。そのとき件の彼女はピクッ≠ニ目を開けた。しかし、まだ寝たりないような様子で、直ぐには目を覚まさなかった。本当に激務で疲れていることが伝わってきた。ここまで書くとずっとのぞき見していたみたいだが、それほどではありませんので、念のため。物語はこれでおしまいなのだが、制服であるが故に私の注目を浴びたというわけだ。おそらく航空会社では制服で移動するのにはちゃんとした理由や事情があるに違いない。ただ、制服で客席に座ることで妙に誤解されるリスクは背負っている。もちろん、疲れて眠るのは何の問題もないのだが、やはりちょっと≠ニいう感じはする。もちろんご本人たちに責任があるのではない。そうした慣例というか常識が外からどう見えるか。そんなことも話題にしないとまずい時代になってきている。 |
隣の座席 2010/11/14 日 2828
私は通路側の21Hに座ったが、すぐ後ろの22番H/J/Kに3人の乗客がいた。その横の22番A/B/Cと23列目はすべて空席だった。私は旅行をしても枕を選ばない。これは海外の場合も同じで、どこでもここでも熟睡する。世間には枕を持って行かないと眠れない≠ニいう人がいらっしゃるらしいが、本当に大変だと思う。その代わりと言っては何だが、動いているものの中では、ほとんど眠らない。おそらく脳みその中も揺れ動いているから興奮するのだろう。そんなわけで飛んでいる飛行機の中でも本を読んだりPCを打ち込んだりする。まあ、せわしないのである。ともあれ、この日も機内ではずっと本を読んでいた。離陸からしばらく経過したころ、何とはなしに目が左横の座席に向いた。通路を挟んだ隣に乗務員のリーダーとおぼしき女性が目をつぶっている。座席の背もたれに体を預けているが、ちょっと目には黙想しているような感じだ。はっきり眠っているようには見えない。乗り物の中でよく見る光景である。このごろはみんな疲れている。客室乗務員も大変だものね=Bとまあそれでおしまい。また本に目を戻した。それからさらにどのくらいが経過しただろうか。その年長者が席を立って後ろへ移動していった。毛布やバッグも一緒に持っていったのでトイレではない。後ろにある2列のどこかへ移ったようだった。ただそれだけのことである。それからまた時間が過ぎていった。またまた、ふと目が隣の席に向かった。今度は真ん中に座っていたスタッフが見えることになる。そのとき、私はちょっと笑ったと思う。なにせ彼女が完璧に寝こけて≠「るのが目に入ったからである。もちろんいびきが聞こえてきたわけではないが、そこまでもうチョイというの感じなのだ。 |
お断りの一言 2010/11/13 土 2827
自分の座席である21Hに近づいたところ、同じ列の反対側に窓側から2人のスチュワーデスが座っていた。そして、3人目がちょうど着席するところだった。私はそれを待って自分の席に座ろうとした。そのとき、ご一緒させていただきます≠ニいう声が聞こえた。最年長のリーダーのような感じの乗務員だった。私はそれに軽く会釈で返した。これまでも見たことがある光景だし、仕事の移動だと推測しているから当然だと受け止めた。ただ、それだけのことである。もっとも制服を着ているスチュワーデスがどうして座席に座っているんだろう≠ニ思う乗客がいるかもしれない。それで終わればいいが、何でサービスしないんだ≠ネどと思う人間がいると、ご本人たちも気持ちが悪いだろう。仕事で移動しているのだから。しかし、今は何でもありの世の中だから、そんな誤解≠する客だっていないとは言えない。大型ショッピングモールなどのトイレには従業員も使用させていただきます≠ニいった掲示があったりする。デパートのエレベータなどにも同じようなお願い文を貼っているところがある。私はわざわざそこまで断らなくってもいいんじゃない≠ニ思うこともあるが、中には文句を言う人もいるんだろうなあと推測していた。飛行機の場合も、出発前のアナウンスでちょっと触れてみることも考えられる。なお当便には勤務のため当社乗務員がお客様の座席を利用させていただきますので、ご了承くださいますようお願いいたします=Bこの程度の軽いメッセージを流すわけだ。それで妙な誤解をする人はいなくなるならけっこうなことではないか。私服だとこうした配慮もいらないが、何分にも見え見えの制服なのである。しかし、この手の断りは聞いたことがない。 |
あるフライト物語 2010/11/12 金 2826
このごろはスチュワーデスとは呼ばずにキャビンアテンダント≠ニいった呼び方をする。ちなみにスチュワーデス≠ヘ女性で、男性はスチュワード≠ニなる。しかし、英語圏ではフライトアテンダント≠るいはキャビンクルー≠フ方が一般的だとされる(ウィキペディア)。日本語では客室乗務員≠ニいうことになる。それはともあれ、翌日のフライトのために移動するのであれば、クルーたちもホテルに泊まるわけだ。そうなると私服だって持っているだろうにと思う。キャスター付きの旅行バッグは定番だから、あれに入れておけるではないか。まあ、できるだけ身軽にということか、それともプロフェッショナルな理由があるのか。とにかく移動時が制服なのである。まあ、わざわざ理由を聞くのもさすがに気が引ける。そんな思いでいたら、昨日書いたように空港に更衣室がないといわれてしまった。そうなると文句の付けようもなくなる。しかし、せめて更衣室くらいあってもいいのじゃないかと思う。それにはそれなりの理由があるのだ。先月のことだが、かなり興味深い体験をしたからである。この件に関して、私に守秘義務≠ヘないのだが、ここでは具体的な情報を開示することは控えておこう。ともあれ、私は先月のある日、とある空港から19時過ぎの便に乗ったのである。登場の際は比較的、後の方で機内に入った。もちろん遅刻して走り込んだわけではない。ごく普通の乗り方をしたのである。飛行機はボーイング737系でやや小さめ、座席も最後尾が23列目までおしまいで、定員は120席ほどしかない。通路を挟んで両側に3つずつ座席があり、私の席は21列目Hの通路側だった。すぐ後ろの22列目HJKに3人が並んで座り、それより後は空席だった。 |
一言の責任 2010/11/11 木A 2825
海保のビデオを流出した保安官が明らかになった。これで国会は、また混乱状態に陥るだろう。個々の事件も歴史の中で評価される必要がある。しかし、それにしても個々の発言≠ヘ、その時々で評価される。たとえば、官房長官が流出した者に対して寛大な措置を求める国民も多いが≠ニ問われ、多いとはどのくらいのことか≠ニ問い返した。この反問はおかしくない。われわれは客観的な数値を挙げずに、ただ感覚的に、さらに感情を込めて多い∞少ない≠ネどと表現することが少なくないからだ。これがエスカレートして大多数≠ニか皆無に近い≠ノなることもある。しかし、その根拠にしている数値≠サのものが、ちゃんと検証しないと危ういものが多い。歴史を振り返れば、質問の仕方によって世論≠思うように操作した事例はいくらでもある。ほらほら、危ない、危ない。私自身がいま多い≠ニかいくらでもある≠ネんて言ってるが、具体的な事例をいくつ確認しているでしょうね。とまあ、この手の話をし出すときりがないが、官房長官の一言が気になった。国民の過半数がそう思っているのではないと思う≠ニいった反論だ。私なんぞがアドバイスする立場にはないが、具体的に過半数≠ニまで言うとまずいんじゃないかなあ。だって、マスコミは直ぐに世論調査をしますよね。もしも、その結果が過半数≠超えたらどうなるかです。これまた調査の時期と問い方によっては、過半数超えだってあり得るでしょう。そんなことになれば、またまたきつくなりますよね。もっとも、そうかといって曖昧な表現をすると、これまたまずいと責められますかね。いやあ、そこが責任者のつらいところ。もっとも発言に責任を持つ≠アとは大事ですよね。 |
更衣室なし? 2010/11/11 木@ 2824
おそらく1970年代だったと思うが、JALの機長とスチュワーデスは博多東急ホテルが定宿だったと思う。このホテルは福岡市を流れる那珂川に面していて、中州のネオンが一望できる絶好の場所に建っていた。開業が1969年ということだが、当時としては13階の高層ホテルはカッコよかった。その後、2007年5月にクローズしたが、現在は西鉄イン福岡に衣替えしている。これに対してANAのクルーはどこに泊まっていたのか知らない。ただ、博多駅近くに全日空ホテルができてからは、ここが定宿になっていたに違いない。このホテルの開業は1976年である。山陽新幹線が博多に到達したのが1975年だから、これを意識したのだろう。当時としては最高級ホテルに思えた。それはともあれ、航空機の一般座席に乗ってくるスチュワーデスさんたちだが、それが勤務のための移動であることは素人にも予測がつく。じつは知人に空港で仕事をしている方がいて、そのあたりの事情を聞いてみたら、やはり勤務に伴う移動であるとのことだった。その上、空港には着替えの場所がないこともわかった。昨日空港に更衣室くらいはあるだろうに≠ニ書いたが、そうでもないらしい。国内の空港すべてでそうなのかは知らないが、これを聞いてちょっと驚いた。個々人のロッカーまで付いた部屋をとまではいかないにしても、更衣室≠ュらいあってもいいのではないかと思ってしまう。そんな事情なら着替えの場所がないんです。だから制服なんです≠ニ言われれば、話はそれでおしまいになる。しかし、それは組織内部の論理である。われわれは、それなりの理由や事情があっていろんなことをしている。しかし、それが外から見るとちょっとおかしいんじゃない≠ニ思われることもある。 |
憧れの制服 2010/11/10 水 2823
勤務の関係だろうが、ときおりスチュワーデスが制服のまま客席に乗ってくる。最近は出くわしたことがないけれど、パイロットの場合もある。こちらも制服だから素人にも誰かすぐにわかる。あれってどうして制服なんでしょうね。フライト直後であれば、そのままホテルに向かうから制服のままでもおかしくはない。とは言うものの、空港に更衣室くらいはあるだろうに、ずっと以前から制服でホテルにチェックインする姿を見かける。いつでもどこでも私パイロット∞私スチュワーデス≠ニいった感じである。とりわけ昔は憧れの職業だったから、そもそも同じホテルに泊まることもなかった。たとえば1970年代の博多東急ホテルのロビーで友人と待ち合わせをしているときに眺めていたわけだ。博多全日空ホテルも30年以上前のオープン時にはハイプライスだったに違いない。ある後輩の結婚式で写真を撮って、それをアルバムにしてプレゼントした。これに対するお礼ということでご両親からお食事をごちそうしていただいた。その場所がオープンしてから間もなかった全日空ホテルだった。ディナーの中で、見た目には小さな肉料理が出てきた。ビフテキといえばデカイほどすごいという発想の私だったので、やや気抜けした。ところがこれがとろけるように柔らかくておいしいのである。世の中にこんな肉があるのかと感動したが、後になってそれがフィレ肉≠ニいわれるものであることを知った。すでに20代の半ばを過ぎていたが、はじめてフィレ肉≠ネるものを知った記念すべき日だった。食事中に後輩夫婦があっ、神和住純じゃない≠ニ叫んでいた。私は関心がなかったが、当時人気絶頂のプロテニスプレーヤーである。そんな有名人も泊まるホテルだった。 |
指揮棒と寿司アカデミー 2010/11/09 火 2822
New York Times 日曜版(9月26日)に小澤征爾氏のインタビューが載っている。食道がんの手術後に松本で指揮を執ったことは放送でも見た。本人の言によれば、手術で体重が13.5Kg減ったが、それから1.7Kg取り戻したのだそうな。その痩せた写真も載っている。記事は
75歳を迎えても未だ健在で、さらに第二の人生を≠ニいう前向きな姿勢を伝えている。アメリカやカナダを中心に40年ほど過ごしたにも拘わらず、彼の英語は未だにidiosyncratic≠フままである≠ニいうところが愉快だ。idiosyncratic≠ニは、特異的≠ニいうか個性的≠ネ傾向のことである。小澤氏は何年経っても英語がうまくならないという話は随分と前に聞いたことがある。よく知られたことなのだ。何と言っても、外国人記者からお墨付き≠もらうのだから、これはもう国民栄誉賞ものではないか。それでも指揮者としては高い評価を受け続けてきたのである、それはそれはもの凄いのである。おなじ日の7面には、寿司学校が何世紀もの伝統を飛び越える≠ニの記事がある。Tokyo
Sushi Academy≠ニいう学校があって、2ヶ月の集中コースと1年コースを開講しているんだそうな。2002年からすでに700人が卒業したという。そしてその多くが海外に行くらしい。たしかに超高級なお寿司屋さんはまだしも、一般庶民向けでは回転寿司≠ェ大盛況だ。○○寿司≠ニいう大将がいる寿司専門のお店は厳しい戦いを強いられている。そうは言いながら、New
York Times はカウンターでお客さんと対応していく技術も必要だ≠ニいう有楽町にあるお寿司屋の大将の話も載せている。たしかにそうだが、そうしたお店の値段がいつの間にか庶民の手が届かないものになってしまった感もある。 |
みずほ§_争 2010/11/08 月 2821
九州内を走る新幹線がつばめ≠ナ、新大阪直行の最速がはやぶさ≠セとピッタシではないか。これ、これ、これしかない≠ニ思わず叫びたくなる。しかし、どっこいそうは問屋が卸さないのだ。はやぶさ≠ヘすでに青森ルートに登録済みなのである。みずほ≠ヘ最速にしては少々おとなしい。それだけではない。その運行区間が気になる人がいるのである。たしかに、はやぶさ≠ヘ九州を走っていたのだが、その区間は東京/熊本あるいは長崎だったのだ。そんなことから、鹿児島からはなんだ、鹿児島には関係ないじゃんか≠ニいう文句が出てきたのである。熊本もさくら≠ナ盛り上げようとしていたから、すでに印刷したものもあるらしく困惑しているという。ただし、もともとみずほ≠ノ親近感があっただけに、不快感は示していない。さらに鉄道ファンがこれに参戦してくる。櫻≠ヘ愛称が付いた最初の列車で、走り始めたのは1929年だという。これに対してみずほ≠ヘ1961年からの運行で、30年ほど走って94年に引退した。つまりは、櫻(さくら)≠フ方がみずほ≠謔閧熕謔ノ走った格上の電車ということになるらしい。それなのに、後輩のみずほ≠ェさくら≠謔闡ャく走るのは許せないというわけだ。やれやれ、ややこしいなあ。まあ、それだけ九州では新幹線で盛り上がっているのである。この時点では、JR西日本の社長さんは強い反対があった場合はよく相談しないといけないが…≠ニ語り、JR九州の社長さんはまだ調整中で決定していない≠ニ話している。しかし、その後の経緯を見るとすでに確定したようだ。私の場合は大阪市内で16時30分ころに仕事が終わっても19時台の飛行機にしている。来年はみずほ≠ノなるかどうか。 |
最速列車の名前 2010/11/07 日 2820
九州新幹線が全通すると、熊本/新大阪間が最速で2時間59分になるという。家電の19,800円、スーパーの198円といった安売り価格に似ているが、とにかく3時間を切ったところがミソである。これが心理的に大きい。私も大阪市内で仕事をすることがあるが、17時前に終わっても、飛行機だと19時台になる。熊本駅から自宅までのアクセスは空港と比較にならない。そうなるとどっちにするかが現実の問題になる。まあ、それは来年の話だからちょっと置いといて、最速はいわばハイパーさくら≠ナある。しかし、JRはこれをみずほ≠ニ名付けようとしているという話が飛び交いはじめた。新聞にそんな記事が出たのである。東海道/山陽新幹線がひかり≠ニこだま≠ノ加えて、最速をのぞみ≠ニ命名したようなものだろう。ところが、これに鹿児島県知事が噛みついた。事前に相談があったら否定していたと不快感を示した≠ニいう(毎日新聞10月17日)。その昔、九州にはブルートレインのみずほ≠ェ走っていた。それならいい名前じゃないか=B事情をご存じなければそんな感想も出てくるだろう。ところが、みずほ≠ェ走っていた区間が微妙なのである。もうすぐ開通する東北新幹線青森ルートにははやぶさ≠ェ登場する。この列車名、じつは九州をブルートレインとしてついこの前まで活躍していた。運行区間は、はじめは東京/西鹿児島間だったが、途中から東京/熊本になり、2009年3月に廃止になったばかりだ。最後は東京/熊本間だったとはいえ、そもそも鹿児島と縁があったのだから、これだと文句も出なかっただろう。それにはやぶさ≠ヘいかにも速そうだ。さらに、従来のつばめ≠ニ同じ鳥類だから相性もいい。つばめ≠ヘスマートでスピード感にあふれ、はやぶさ≠フ方はたくましさと速さを兼備しているではないか。 |
西郷さんの次は… 2010/11/06 土 2819
九州新幹線の全線開業日までカウントダウンしていくボードの絵が西郷さんだったため、熊本からクレームが付いたという話を書いた。その上、西郷さんの着物が左前、つまり死装束≠ノなっていたため、プラスαでネタになっていた。インターネットの時代だ。誰もが簡単に情報の送受信ができる。他愛のない噂話くらいなら笑い話になるかもしれないが、嘘やデマ、つまりは意図的な中傷もあっという間に広がる。そうなると、それを修正するのはほとんど不可能になる。私たちは本当に恐ろしい時代に生きているのである。ところで、西郷さん≠フ話題が収まったかと思う間もなく、新たにみずほ¢宸ャが起きた。まあ、騒ぎというほどではないのだが、今度は熊本に変わって鹿児島がクレームを付けた。九州新幹線は直行で新大阪まで走る。まずは博多と鹿児島中央駅の九州内はつばめ=Aそして新たに登場する新大阪までがさくら≠ニいうところまでは誰もが納得していた。熊本からだって桜島の桜じゃないか≠ネどという、ひねた反論などは聞かれなかった。つまりはめでたし、めでたし≠セったのである。しかしJRとしては当然のこととして飛行機との競合を考える。私なんぞも、現時点では関西に出かける際は100%飛行機を使う。博多まで在来線で1時間20分ほど、それから新幹線に乗り換えないといけない。空港と市内の移動時間を考えても、鉄道では競争にならない。そんなわけで、博多/新大阪間の所要時間についてはまったく知らないほど無頓着である。しかし、これが直行運転になると話は違ってきそうなのだ。JRとしてはさくら≠上回るスーパー新幹線を考えた。そして満を持して発表された所要時間は、熊本/新大阪間で2時間59分なのだ。 |
科学的=H 2010/11/05 金 2818
いわゆる合理的経済人≠前提とした経済学がうまくいかないというわけで、行動経済学≠ネるものが生まれたのだという。そして、その行動経済学≠フ内容を垣間見てみると、これがほとんど社会心理学≠ネのである。まあ、そんなこんなで、破綻したらしい経済学≠フ前にあったと思われる資本論≠ネんぞを開けてみたわけだ。マルクスはそれまでの社会主義≠空想的≠ニ呼び、自分の主張を科学的≠セと言った。という話をおそらく高校だったと思うが、社会の時間に聞いた記憶がある。私なんぞは、科学的≠ニいう用語には敏感に反応する。とくに、それが社会や人≠対象にした分野のことになると、ホンマかいな≠ニ取りあえずは眉に唾をする。つまりは自然科学の真似事をして、とにかく科学的≠ニ言いたがるところがあるからだ。もちろん、その中には心理学も入っている。そこで迂遠な話ではあるが、科学的≠ニ称する資本論≠読んでみるか≠ニいう気持ちになったのである。そしてその1巻だけは取りあえず目を通した≠けだ。その中で、とくに19世紀のイギリスにおける労働状況の厳しさが強調されている。これが相当にひどいのでだ。まだ7歳10ヶ月の子どもが15時間もの労働を強いられる。12歳ないし15歳の5人の少年を、金曜日の午前6時から翌土曜日の午後4時まで、食事と深夜1時間の睡眠時間以外には何らの休息も与えないで、働き続けさせた≠ニ言った事例も挙げている。マルクスはこれでもかこれでもかと資料を提示し、それを基に過酷な労働状況を伝えている。それで自分は空想的ではなく科学的だ≠ニ主張したのかもしれない。資本論≠読んだとは言うものの、まだ第3巻まであるんだけど…。 |
合理的経済人 2010/11/04 木 2817
行動経済学≠フ入門書(友野典男 2005)によれば、それまでの経済学≠ヘ合理的かつ利己的な行動をする経済人≠前提に理論化していたというのである。厳密な理論化を図るため、科学≠ヘ可能な限り単純化≠オようとする。余計≠ネ条件がなければ、ものごとの原因と結果を明らかにできるからである。だから科学の実験では条件を統制する≠アとがきわめて重要になる。そのかわり現実の場面では、実験£ハりの現象が起きるとは限らない。たとえば、真空中では%ッじ重さの石と紙切れを同じ高さから落とせば同時に着地するのだろうが、この世の中では石が先に落ちる。紙の方が容積が大きく空気が邪魔をするからだ。ニュートンの慣性の法則≠熈外から力が働かなければ、物体は等速度運動を続ける≠ニいう。速度がゼロのときは静止し続けるということになる。しかし、外から何の力も働かずに等速度運動≠続ける現象は、現実には起こらない。それはこの世には重力もあれば空気との摩擦もある。つまりは外からの力≠ェ働いているのである。しかしモノの場合は、実験≠るいは思考実験≠ノよって、現実に役立つ理論がドンドン生まれてきた。そんな科学の隆盛を見て、実験≠ノよる単純化≠竍思考実験≠もとに、人間行動≠フメカニズムも明らかにできると考えた。その結果、行動についての理論≠ェ生まれ、行動の予測も可能になるというわけだ。経済学が合理的かつ利己的な行動をする経済人≠前提に理論化を目指したのも、そうした発想が根底にあったからだろう。しかし、それが今や破綻し、新しい行動経済学≠フ時代になったという。合理的経済人≠ネんて前提にしていては、人間の経済行動なんてわかりませんよね。そもそも、誰もが合理的経済人≠ナあるなら、宝くじなんぞ売れるはずがない。 |
活字依存症 2010/11/03 水 2816
とにかく活字依存症≠ナあることは間違いない。身の回りで目に入ってきた活字は手当たり次第に読む。とまで言うと、これまたオーバーで、もちろん限度はある。そんなわけで、同時進行の読み物といっても20冊までは届かないと思う。ただし、その読み方≠ヘ相当に怪しい。本物の読書人たちからそんなんで読書といえるんかあ≠ニ大目玉を食らうに違いない。なにせ私の約束事では1行だけ目を通しても読んだ≠アとにするのである。ついでに英字新聞まで読んでいる≠フだが、これも1センテンスでも合格というわけだ。といった具合で、「資本論」だってそんな対象の1つとして読んでいったのであるから、スタートから終わるまで数年がかりである。そんなら最初のころは忘れてるんじゃないの≠ナすって?いやあー、それもあたりかなあ…=Bまあ、ところどころ印象に残っているところがあればいいんじゃないですか。私としては何のことはない、読書≠ニはそんなものだと考えているのである。それにしても今どうして「資本論」を読む気になったのか。経済がうまく動かず、格差が拡大していると言われる中で、小林多喜二の「蟹工船」や、マルクスの「資本論」に関心が向けられているという。それで、あんたも時流の乗ったわけね≠ネんて言われると大いに反論したくなる。服装なんかが最もいい例だが、自慢じゃないが私は流行に乗れない点では人後に落ちないつもりである。まあ負け惜しみに聞こえるだろうが、そもそも流行に背を向けたくなる天の邪鬼を自認している。そもそも「資本論」を読みはじめたのは、このごろの読書傾向とは無縁な時期である。その動機づけは行動経済学≠フ入門書(友野典男
2005)を読んだ時点にまで遡るのだ。 |
新自慢話 2010/11/02 火 2815
自慢話の好きな私だが、このたびカール・マルクスの「資本論第一巻」を読み終えた。岩波書店の発行で訳者は向坂逸郎氏である。奥付は昭和42年10月5日第一刷発行となっている。それは私が大学に入学した年で1967年のことだ。はじめて「資本論第1部」が出版されたのは1867年で、1967年は出版100周年にあたっていた。その記念出版ということで、第2巻と3巻も同時に発売されている。価格は第1巻だけで1,200円になっている。このとき生協の定食が80円で、とんかつが100円だった。大学生が6畳の下宿住まいで1ヶ月15,000円で生活できていた時代である。私は第2巻と3巻のセットで購入している。全部で3,700円になるからかなりのものである。ともあれ、その第1巻の965ページを読み終えたわけだ。購入して間もなく読み始めたが、途中でストップして、その後はずっと本棚で寝たままだった。それを改めて読み始めたのである。その理由についてもお話するつもりだが、ともあれ読んでいくスピードたるや亀やナメクジもイライラするようなゆっくりペースである。私は気が散ることにかけては、人後に落ちないつもりでいる。本を読むことについても、1冊に神経を集中するなんて夢にも考えられない。現在でも自宅で7冊、仕事場では8冊ほどを同時に読んでいる。将棋のプロが何人もの相手と対局する余興があるが、まああんなものだ。もちろん私はプロではないし、本を読むのは勝負ではないから気楽なものである。とにかく、あれもこれもと目移りして仕方がない。ふっと本棚に目が向くとたいていの場合、そこにある本と目が合う。その瞬間に思わず手が出てしまうのである。そんな調子で読む本がドンドン増えてきて、しまいには収拾が付かなくなる。 |
間≠フ話 2010/11/01 月 2814
教育実習生に対する児童生徒たちの目はいろんなところを見ている。授業中に焦っているところがちらほら見えたので、普通の顔でやってほしい=B第三者が聞くと苦笑してしまうような指摘だが、教育実習生の多くがこうした体験をしているだろう。子どもだけでも緊張するのに、教師や同じ実習生仲間が見ている前で授業をするのである。たとえ順調にいっていても、普通の顔≠するのはむずかしいに違いない。そうした中で、時間は経過していく。さらに児童生徒が予想通りに反応してくれるとは限らない。そうなると誰だって焦るに決まってる。そんなことにならないためには事前の準備をしっかりしておくことだ。しかし、それでも予測不能なことは起きる。そこが生の授業の厳しいところであるが、それだからこそチャレンジする価値があるわけだ。子どもたちには申し訳ないが、やはり場数も踏まないと、こうしたテクニックは身につかないのである。もう少し細かく言葉につまらないで堂々としてほしい≠ニ言った生徒もいた。プロの教師になっても堂々と≠「くのはむずかしいが、教育実習生もそれに応えるくらいの意気込みはあっていい。さらに授業を進めるスピードを調節してほしい≠ニいう注文もある。これには授業内容をすばやくまとめて次の内容にいってほしい≠ニいう希望が付けられている。時間の段取りが悪く、生徒側からすればもっと先に進めると思ったのだろう。現在、1クラスあたりの児童生徒数を40人から35人に削減することが予算がらみの話題になっている。教師としては、子どもたちのすべてに教える内容を理解してほしいと思う。当然のことである。そのためには、人数もある程度は少ない方がいいという発想も生まれることになる。
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