吉田道雄 YOSHIDA, Michio
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味な話の素
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No90  2010年10月号 (2783-2813)
話の間 2010/10/31 2813
 聞こえるように話す≠アとはコミュニケーションの基本的条件である。日本語は動詞が目的語の後ろについてくるから、肯定や否定が最後までわからない。また末尾にか≠付けて問いかけることもある。話の頭を聞いただけでは肯定なのか疑問なのかもわからないことが多い。したがって、話すときは語尾までしっかり発音する必要がある。さらに会話になると間≠熨蜴魔ネ役割を果たす。教育実習生に対する中学1年生の評価に、ちょっと間があって、授業がスムーズに進まなかった≠ニいうものがあった。まずは、この年齢ですでに間≠ニいうことばを使っているのがおもしろい。一般的に、適切な間≠取るのは話す技術といえる。あまり矢継ぎ早に話し続けると聴いている方が疲れてしまう。それにふっ≠ニ相手が言っている内容をイメージする時間もほしい。ただしその一方で、間延びする≠ニも言う。この中学生の場合は、実習生の授業がスムーズに流れていかなかったことを指摘しているわけだ。つまりは会話のアクセントとして間≠ェうまく使われなかったのではなく、単純に行き詰まった≠アとを指摘しているのだろう。授業が引っかかり、引っかかり≠ナスムーズな進行ができなかったわけだ。何分にも修行中の教育実習生だから、指導内容に自信≠ェなかったのかもしれない。また、教える内容については十分に準備していても、それをうまく伝えることができるとは限らない。学校における授業も教師と児童生徒とのコミュニケーションである。そしてコミュニケーションには正確な情報≠もっているだけでなく、それを相手にうまく%`えていく技術が欠かせない。その技術≠ノは、対人関係≠つくりあげる力も含まれるのだ。
遺品候補 2010/10/30 2812
 消しゴムを使い切ったので、新しいものを開けた。パラフィン紙というのか、透明のカバーを取ったわけだ。鉛筆で書いたあとをこすって消しながら思った。これも遺品になるなあ…=B子どものころは鉛筆が当たり前だった。運動会でも3等賞だったか鉛筆をもらった。そう言えば、三角の鉛筆もあった。何となく書きにくそうだが、そのころはどう感じたのだろうか。ちょっと見たところ三角型はなさそうだから、やっぱし書きにくかったんだろうなあ。父が転勤族で転校するときはクラスの全員への置き土産が鉛筆だった。そして転校先でもやはり鉛筆を配った。背中に消しゴムが付いているのも便利だった。ただし時間の経過とともに堅くなって、消しゴムとしてはほとんど使い物にならなくなった。そうそう、いまでも三菱鉛筆は健在だ。どう考えても、かの大三菱グループ≠ノ所属する会社だと思ってしまう。ところが、これがそうでないから、素人にはおもしろい。スリーダイヤを使ったのは三菱鉛筆の方が先だったらしいが、とにかく三菱グループとは関係がないのである。それにもう一つ、三菱サイダー≠ニいうものがある。これは何と熊本市にある弘乳舎が出している地サイダー≠ネのだ。あれやこれやと、鉛筆物語も語りはじめれば尽きないが、私自身は鉛筆を使う機会が激減している。そんなわけで、新品の消しゴムが消えてなくなる前に、私の方が先に消えるだろうと予想される。何せ還暦も過ぎてしまった身である。少しばかりデカイ消しゴムは10年程度ではなくならないだろう。それにしても、使い切りに時間がかかるものは、これから新規におろすたびに、遺品候補≠ノなるわけだ。そう考えると、あれもこれもと使い始めるのは考えた方がよさそうだ。
ベテランも負けません 2010/10/29 2811
 若手の20代の教師がとんでもない問題を出したと聞いてあきれていたら、45歳の男性教師が殺人割り算≠出したのだそうな。さすがに口頭だったらしいが、問題をノートにメモした児童もいて「恐怖を感じた」などとショックを受けていたという=Bそんな記事が載っていた。ただし末尾のという≠ニいう表現にはちょいと引っかかる。なぜならという≠ヘ伝聞ということだからだ。つまり、記者が子どもから恐かった≠ニ直に聞いたのではない可能性がある。まずは、「恐かった≠ニ言っていた子どもがいた」と記者に伝えた人物がいたことは事実に違いない。しかし、それは当人が推測した≠フか誇張して言った≠フか、はたまた事実でないことを言ったのか≠ヘわからない。とにかく聞いただけなのだ。ちょいと本題からはずれてしまったが、人が書いたものを読むときはこうした言い回しにも気をつけていると、けっこうおもしろい。さて、それはともあれ、45歳の先生だが、指導に自信がなかった。楽しい学級運営がなかなかできず、子供たちの興味を引こうと、苦し紛れに出題してしまった。軽率だった。二度としない≠ニ反省しているらしい。まったく何なんでしょうね。そしてけっこう年配の女性教師だっている。舞台は大阪、ゴキブリ駆除用のホウ酸団子を特製クッキーよ≠セと言って生徒に手渡した教師の話。こちらは家庭科で年齢は52歳だという。そのクッキーを口に入れて吐き出した生徒を保健室に連れていくなどしなかったらしい。そのため大阪附教委はこの教諭を戒告処分にしている。教諭は冗談のつもりだった。ホウ酸が人体に危険という認識がなかった≠ニ話しているという。まあ、とにかくビックリ教師のオンパレードでした。
日替わり問題 2010/10/28 2810
 偶々なのか、それともマスコミが焦点化するからなのか、教師のビックリ行為がまるで日替わりメニューのように明らかにされる。東京杉並の小学校では、女性教員が「人を殺すこと」を正解にする問題を出していた。小学3年生算数の授業で「3人姉妹の長女が自殺して葬式が行われました。次女と三女が、参列した男子が好きになりました。次女がこの男子と再び会うにはどうすればいいですか」という問題だ。これに対して児童の一人が「次女が三女を殺せばまた(葬式で)会える」と答えるとそれを正解にしたという。ことの詳細はわからないが、とにかく愕然。唖然≠ニいう日本語では表現しきれないほどのひどさだ。本人は「算数の課題が終わり、学生時代に覚えたクイズをしてしまった」と話し反省しているんだそうな。年齢が23歳だそうだから、学生のころを思い出したのかもしれないが、とにかく開いた口が塞がらない。頭から決めつけるのはどうかと思うが、もはや資質の問題だとしかいいようがない。とにかく想像力が欠如している。まずもって、問題そのものが児童に与える影響について考える力がない。それにこんな問題を出したら、子どもの口から漏れるに決まってる。それを想像する力すらない。昨日のケースと並んでここまでは20代の教師で、未熟さが露呈したとも言えるが、どっこう中年以上だって負けてはいない。愛知県では45歳の男性教諭が「殺人割り算」なる問題を出していたことがニュースになった。こちらも小学校3年生の算数で「18人の子どもがいます。1日に3人ずつ殺します。何日で全員を殺せるでしょう」という問題である。クラスの児童は34人で、割り算の問題を児童につくらせる際に例として口頭で児童に問い掛けたらしい。
驚愕問題 2010/10/27 2809
 いわゆる教諭≠ヘ教育職員免許法が定める免許状を持ち、学校教育に携わる者である。免許状には、普通免許状と特別免許状、そして臨時免許状がある。いずれにしても免許状≠ェ必要な教育のプロフェッショナル≠ネのである。この点で大学の教員は免許状を必要としないから教諭≠ノは含まれない。ともあれ、その教諭も幼稚園から高校まで含めると100万人近くの数になる。就業している看護師数は2006年度で81万人だという(Wikipedia)。つまりは小さな個人病院で働いている看護師を含めた数よりも教諭の方が多いのである。それほどの数だから、あくまで確率の問題として考えれば、とんでもない教諭≠ェ出現する可能性はある。しかし、それでもここまでやるか≠ニいう報道を目にすると、愕然として目の前が真っ暗になってしまう。昨日、本欄で取り上げた校長殺人*竭閧ネどはその典型だ。校長が血で書いた文字が「41124」で、これが犯人を示す暗号だというのである。逆さに見ると「カていカ」になるらしい。つまりは家庭科の先生が犯人なのだが、頭の柔軟性が失われた私は何で「カていカ」なのかさっぱりわからない。そこで娘に聞いたところしっかり教えてくれた。手書きで書くと、4≠ェ逆さまでカ≠フようになる。同じ理屈で2≠熄曹ォようによっては逆にするとて≠フように見える。そして11≠ェい≠ニいうわけだ。なあるほど≠ニ瞬間的には妙に納得してしまったが、これが何で高校の中間試験なのか。テレビの見過ぎと言えばテレビ局が怒るだろうが、一体全体何を考えているのか。いじめの問題にしても相手の痛みや気持ちがわからないことが大きな原因の1つだと思う。つまりは想像力が欠如しているのである。
殺人問題 2010/10/26 2808
 とにかく人間の大脳はすばらしい創造力を備えている。だからこそ、すばらしい発明もすれば発見もする。宇宙の彼方のことまで考える。それはそのまま夢にも繋がる。その一方で、とんでもないことだって考える。しかし、お互い他人の大脳の中身を知ることはできない。邪悪なことや怪しき発想が浮かんでも本人にしかわからないのである。もっとも、内面の思いが顔の表情や体の反応になって現れることはある。世の中には嘘発見器≠ネるものもある。緊張すると、手のひらにうっすらと汗がにじみ出たりする。こうした皮膚の汗によって電流が流れやすくなる。その現象を利用して嘘を発見しようというわけだ。それはともあれ、とにかく人間は頭の中であらゆることを思い浮かべる。ただし、それをそのまま行動に移してはいけないこともある。限りなく自由であるかわりに、それをコントロールできる力を持っていることも要求される。どんなに憎い人、許せない人がいても手をかけてはいけないのである。つい数日前の新聞を読んでいて途方に暮れてしまった。教師が信じられない問題を出したという記事である。高校の中間試験で職員室で校長が暗殺された。校長が血で書き残した文字を手掛かりに犯人を当てましょう≠ニいう問題を出した教師がいるのだ。正解の犯人は実名だという。暗号を解読して犯人を特定するというもので、出題したのは24歳の男性教諭である。柔軟性を試すためだった≠ニ言っているらしい。校長は教諭に厳重注意したというが、ここまで来ると教師としての、というよりは人間としての資質を疑いたくなる。教師が不適切な問題を出したという報道は、そう珍しくもない。だからこそ、一体全体、何を考えているのか≠ニいつも唖然とする。
自己満足力 2010/10/25 2807
 われわれの大脳はすばらしい能力をもっている。ほとんど無限といえるほどに自由な発想ができる。それが人類を万物の霊長≠ニ言われるものにまで進化させた。もっとも、万物の霊長≠ニ言っているのは、他ならぬ人類自身である。地球の歴史上、人間以外であんた方は万物の霊長じゃのう≠ネどと認めてくれたものはいない。いわば自画自賛≠ネのである。私も自慢≠ェ好きな人間で、自慢じゃないですが≠ネんて枕詞を付けて自慢≠オている。だから、自画自賛≠ノ文句を言うのは天に唾する≠謔、なものだ。それに、私としては自己満足力≠フ大切さも強調している。職場のみんなが一生懸命頑張った。その結果、それなりの成果が得られた。少なくとも自分たちにとってはすばらしい成果が…。それならまずはそのこと自身を喜びましょうよ。たとえ他の人から、そんなもん大したことない≠ネんて言われてもいいじゃないですか。まずは自分たちで満足できる力を持ちましょう。そしてそれを次のアクションへのエネルギーにするわけです。もちろん、何の根拠もないままに、しかも何の努力もせずに、ただいいんじゃない≠ニ自分たちの行動や現状を受け入れるだけではまずいですよね。そこには、少なくとも小さな前進、改善、向上、変化≠ェ必要なんです。それにこれから先の見通し≠ヘしっかりしていてほしいと思います。いわゆる自己満足≠ヘ個人が自分の主観で現状を正当化するときに使われる。しかし私としては、それを集団の力≠ノすることが大事だと思う。全員で冷静に、可能であればデータなど客観的な指標を使いながら、自分たちのしてきたことを評価することだ。つまりは自己満足力≠ヘ自分たちを評価できる力≠ネのだ。
個人の問題か組織の問題か… 2010/10/24 2806
 JR西日本でATSのスピーカーに目張りをしたという記事が掲載された。その内容から推測すると、それをしたのは1人ではないようだ。そうだとすれば、少なくとも2人以上の職員が一緒になって目張りをしたことになる。あるいは、誰か1人が勝手に目張りをした。それを見て、自分もやろうか≠ニ思った人間がいたということである。スピーカーに目張りするのが問題だというのは誰もが知っているはずである。それに素人にはわからないだろうが、プロの運転手であれば音声が変化したりすればすぐに気づくに違いない。つまりは、すぐにバレル≠謔、なことをしているわけだ。当事者たちを責めるのは当然として、どうしてこんな稚拙なことをしたのかをはっきりさせた方がいい。どう考えても集団の問題である。うるさいから、このままだとかえって危ない∞目張りするくらいはいいんじゃない=Bそんな合理化がまずい行為の後ろめたさを薄めていく。しかも、自分だけじゃない≠ニいう責任の分散化、希薄化心理も頭をもたげてくる。こうした現象は、どこの組織で起きてもおかしくない。とにもかくにも人間とは危うい生き物なのである。JR西日本では7月にも、電車から電源装置のヒューズが抜き取られる事件が発生している。これは事故などが起きたとき、近くを走っている車両に緊急信号を出す防護無線を作動させるための予備電源装置らしい。調査の結果、被害は22両に達したという。これは完全に犯罪だが、49歳の車掌が逮捕されている。新聞によれば、容疑者は♂社に不満があったと供述しているという。仕事に疲れ、ストレスが溜まっていた≠ニも話しているらしい。これも個人の問題なのか、あるいは職場が問題なのかを見極める方がいい。
目張り問題 2010/10/23 2805
 安全≠フ追求は永遠の課題、終わりはない。生きている限りは、失敗の可能性≠背中に背負っている。それが生きる≠ニいうことだ。あの世に逝ってしまえば、失敗もミス≠煖Nこさない。その代わり笑うことも泣くこともしない。つまりは何もしない≠フである。何もしなければ事故もない≠ニいうわけだ。今月のはじめに、JR西日本のATS装置に関連した記事が載っていた(読売新聞10/3)。ATSとは自動列車停止装置(Automatic Train Stop)のことである。その警報スピーカーがテープや紙で目張りされていたというのである。駅が近づくと「停車です、停車です」と注意を促すなど、さまざまな情報を音声で伝える。JR九州の特急でも1両目に乗っていると、ドアの向こうの運転席から女性の声が聞こえてくる。山の手線などでは、「チンチンチン」といったベル音が頻繁に鳴っている。数分おきの過密ダイヤだから、前方を走っている電車との距離もほとんど密着状態になっているからだろう。乗客に聞こえるくらいだから、「うるさい」と思えば「うるさい」に違いない。しかし、「うるさく」なければ注意喚起の効果がなくなってしまう。それなのに、スピーカーに目張りをしてはまずいに決まってる。おそらく禁止されている行為だろう。明文化されていないとすれば、明文化することすらおかしいほど常識なのだろう。だから、目張り行為そのものが問題なのだが、それを1人の人物がやっていたのではなさそうで、組織としてはそこがきわめて危ういのである。つまりは、とんでもない人間がしでかした特別な事例ではないのだ。記事によれば、8月以降「相次いで発覚した」ということである。この「相次ぐ」が具体的に何件なのかはわからない。
プロの危機管理 2010/10/22 2804
 人間の行動を含めて絶対的な動機=結果≠フ式は成り立たない。こうした理由があれば=A必ずこの行動を取る≠ニは言えないのである。犯罪の動機も様々である。殺人という結果が同じでも、その理由には個人的な恨みもあれば、経済的理由もある。飲み屋で隣の席に座った同士が口論になって、衝動的に刃物で刺した事件もある。犯人が人を殺してみたかった≠ニ供述しているという極端な例だってある。そんなことだから、検察官が取り調べのメモを廃棄した動機も様々だろう。ずは、まったく必要なくなったから≠ニいう理由もあり得る。私の日常生活では、人と会う約束などをしたとき手元に手帳がなければ、そのあたりの紙にメモをする。適当なものがなければ、手の平に書く人もいる。もちろん、できるだけ速やかに手帳に転記する。それが済めばメモは完全に不要になるから廃棄する。これは内容がまったく同じ≠セからである。この味な話の素≠烽サうだ。これっておもしろい≠ニ思うことに出会ったら、すぐに走り書き程度のメモをする。ときには字が走りすぎて、何を書いたのか読めないことすらある。この2つの例は自分個人のメモ≠セから、人に説明する必要がない。これに対して、ほら、あなたはこんなことを言ったでしょう≠ネどと人を追及するときには、その発言を聞いた際に書いたメモがかなりの迫力を持つはずだ。それが読みにくければ、かえって真実味が増す可能性すらある。検事のメモは裁判の証拠に関わるものであり、被告にもプロの弁護士がついているのだ。これって調書に書いたからもういらないよね≠ニ思っても、いやこのときの細かい状況も補足になるかもしれない≠ネどと考えるのがプロの危機管理というものだろう。
メモの廃棄 2010/10/21 2803
 最近の検察に関するニュースはマイナスのものばかりだ。とくに検察が取り調べの際に取ったメモを廃棄したというのは、かなりひどい。被疑者が検察官の面前で供述した内容を記したものが検察官面前調書≠ニいうようだ。それはワープロで打たれ被疑者が認めるという段階を経る。これが裁判では重要な証拠として採用されることが多いようだ。しかし、被告が調書の内容を裁判でそんなことは言っていない≠ネどと否定したらどうなるか。一般的にはその信用性が争われるのだろう。ただし、検察が起訴すればほとんどが有罪になるというのが日本の裁判の相場≠轤オい。つまりは、裁判官が証拠として認めることが圧倒的に多いということだ。大阪地裁の場合は完全に観察組織の問題だが、調書を証拠として認め続けてきた裁判官にも大いに責任がある。自由心証主義≠ニいう、神様しか持てないような特権を与えられている裁判官である。少しでも神様に近づいてほしいものだ。神様みたいな人が作文にだまされたのでは洒落にならない。被告が調書をでっち上げだと否定したとき、その場で書かれたメモは相当に迫力があるのではないか。本物のメモがどんなものか知らないが、手書きで生々しいだろうから被告の否定も吹き飛ばす力があるだろうと推測する。それをわざわざ棄てるなんて、にわかには信じがたい。げすの勘繰りながら、じつは調書と相容れない内容だったんじゃないの≠ニ疑いたくもなる。何といっても検察は犯罪捜査のスーパープロなのである。そこが人から疑われるようなことをしてはいけない。広島の裁判では必要のないメモを廃棄した≠ニのことだが、同時にすべて廃棄した≠ニいう。すべてのメモが必要なかったということなのでしょうか。
聞こえる声で 2010/10/20 2802
 教育実習生に対する子どもの評価を見ていると、一般の教師も耳を傾けるべき内容のものが少なくないことがわかる。というよりも、教育実習生であるが故に目立っているだけで、それらは教師にとっても共通の課題として捉えるべきものなのだ。さらに大風呂敷というか、話を拡大すれば、一般社会におけるリーダーシップとも共通性があるのだ。私は昔から、学校の教室はリーダーシップの実験室だと考えている。子どもたちの反応は、大人の世界に比べると利害関係に左右される部分が少ない。もちろん、それがまったくないとは言えないけれど、まだまだ純粋である。だからこそ、教師に対する子どもの評価は厳しくなる。その一方で、子どもの期待に応えようと努力すれば、それはそれできちんと反応してくれる。前置きはこれくらいにして、まずは中学生の声を聞いてみよう。声が聞き取りにくいところがあった。ちょっと間があったりして、授業がスムーズに進まなかった=Bこれは1年生の回答である。声≠ヘ授業の前提になる基本要素である。教える内容がどんなに充実していても子どもたちに声が届かなければ意味がない。ただし、声量は個人的な体質もあるが、同時に心理的な影響も受ける。自分が伝えようとしている内容について自信がなければ、本人にもわかるほど声は低くなる。言いにくいことを言うときも歯切れが悪くなり音量も落ちる。いわゆる尻切れトンボ¥態になる。子どものころ、いたずらして大人から叱られる。その言い訳をボソボソと言っていると、蚊の泣くような声で言うなあっ≠ニ大声で怒鳴られたりした。トンボが出てきたり、蚊が登場したりと大変だが、聞こえるように話す≠フはリーダーシップの発揮にとって最低の条件である。
教育実習生物語 2010/10/19 2801
 教員になるために教育実習は欠かせない。私が所属する教育学部では学生が附属学校や地域の学校に出かける。受け入れ側にはご迷惑をおかけするが、この期間に学生がプロの雰囲気を感じ、実践力を身に付けるのである。そんな教育実習が終わった後で、児童生徒に実習生に関して調査を行ったことがある。その声を教育実習の仕上げである教育実習事後指導≠ナ使うことを考えたのだ。熊本大学の場合、附属小学校は各学年3学級あるから全体で18学級になる。附属中学校の方は1学年4クラスの3学年で、12クラスである。そのすべての児童生徒に、実習生がとてもよかったと思うこと≠ニもう少しがんばってほしかったこと≠ノついてラベル1枚に1つずつ挙げてもらった。回答は1人で2つあるから、回答者が小学生で延べ720人で1440件になる。同じ計算で中学生からは、延べ480人、960件の声が集まった。もちろんこれだけ集まると重複するものも少なくない。また、小学校低学年ではありません≠ニいった単純明快な回答もある。しかし、とにかく数としては2400枚にも昇るデータが得られたわけだ。これを教育実習事後指導の場で実習生にぶつけた。そして、それをグループで分析する時間を設定した。ほんの少し前に指導した児童生徒たちからの生データだから迫力満点である。その中には実習生が感動するものもあり、厳しい指摘にガックリさせられるものもある。また、そんな見方をされていたのか≠ニ驚く内容も少なくない。教育実習生は個人差はかなり大きいが、基本的には修行中であり、未熟ということになっている。だからこそ教育実習をするのだが、児童生徒たちの声を聞いていると、その内容は必ずしも教育実習生に特有のものではないのだ。
ことば≠ヘおもしろい 2010/10/18 2800
 われわれの祖先にとって、まずは行動≠ェ先にあった。とにかく生きていたのである。その後からことば≠ェできたことは間違いない。それにしても世界中にはいろんなことばがある。お互い同じ人間なのに、そのままだとまったく通じないのだからおもしろい。インド/ヨーロッパ語族≠ニかウラル語族≠ネんてものを中学生のころだったか習った記憶がある。インド≠ニヨーロッパ≠ェ同じだと聞いて相当の違和感を持ったが、どうしてそうなのか≠教えてもらったかなあ。今の教育についてはよく知らないが、われわれが子どものころは、どうして≠ニいう疑問に答えることがきわめて少なかった。理屈がわからないことをいくら憶えてもすぐに忘れる。大脳の容量が大きいといっても限度がある。そもそも生きることに関わりのないことは忘れていかないときりがない。もちろん直接生きることに関係がなくても、好奇心を満たしてくれるものだとちゃんと憶えるものだ。しそれもそのはず、好奇心だって生きるために必要なのである。それにしても世界で同時発生的に言語が生まれたこと自身が不思議な気がする。もちろん厳密には時間差があったのだろうが、かなり独立に言語が生まれたのではないか。人類そのものが世界に広がりながら同じような発達を遂げていったということか。まったく同時に同じ発明や発見が行われることがある。そんな偶然ってあるのだろうかと思ったりもするが、言語のことを考えると、とくに不思議なことではない気がする。まったく独立してはいないが、方言もなかなかおもしろい。東北地方のズーズー弁などは、寒くて口を大きく開けにくいことが影響しているのではないか。とにかくことば≠考えはじめると止まらなくなる。
手段の目的化 2010/10/17 2799
 もともとはお金=手段≠ナ必要なもの=目的≠セったはずである。ところが、この関係がおかしくなって、お金=目的≠フ式が成立する。もちろん、これがいつでも誰にでも当てはまるわけではない。たしかにお金さえあればいい≠ニ心から信じている人は少ないと思う。とくに、自分がお金を手にするためには人がどうなろうと知ったことじゃあない≠ニまで考える人が多いことはないだろう。それはそうだが、格差が拡大している≠ニ言われ、勝ち組と負け組≠ニいった言い回しが流行る。そんな状況を見ると、お金=目的=幸福≠ニいう心の式≠ェわれわれを支配しはじめているのではないかと思ったりする。よく言われることだが、経済的な豊かさ≠ニ心の豊かさ≠ェ両立しにくくなっているのではないか。ところで手段≠ニ言えば、ことば≠ェ思い浮かぶ。ことば≠燻ゥ分たちの考えや気持ちを交換するための手段≠ナある。はじめにことばありき≠ナはなく、あったのは行動≠セ。われわれの祖先はことばを持たない時代から、とにかく生きてきた。そのうち、あー≠ニかいー≠ニかを言い出したかどうかは知らないが、声帯から複雑な音を発することができるようになった。これには二足歩行が影響しているらしい。声帯付近の空気の流れがよくなったからだという。地べたを這いつくばって生きる動物は体感が優れている。大地の振動が生きるための大事な情報だから、空気を伝わってくる情報を処理する聴覚も十分に発達していないらしい。ましてや視覚に至っては不必要な生き物だっているわけだ。たしかに移動を前提としない植物なんぞには人間と同じような目や耳などはない。こんなことを考えていると、楽しくなってきませんか。
目的と手段 2010/10/16 2798
 本来の手段≠ェ目的≠ノなってしまうことは珍しくない。最も典型的なものはお金≠セろうか。人は1人で生きてはいけない。完全な自給自足はありえないから、必要なものは物々交換しなければならない。しかしそれでは大変なので、お互いが認めるもの≠仲介にしてやりとりをするようになる。それが最初のうちは貝殻や石であったりしたようだ。これがお金≠ナある。お金は当事者にとって必要度≠フ目安だったと思う。経済学は知らないから専門的な定義もわからない。しかし単純に推測すれば、お金≠ヘもの≠ノ加えられた労働の量≠現すと考えるのではないか。そして、お互いに等価≠ネものが交換されるというのだろう。しかし労働の等価≠ネんて本当に計れるとは思えない。そもそもそんな秤など見たことも聞いたこともない。そうなると、これまた素人的推測で、それは需要と供給のバランスで決まる≠フだろうと考える。この理屈はわかりやすい。私にとってまったく魅力を感じないものでも、少しのものを大勢の人がほしがる事例はいくらでもある。これに対応するには、単純にくじ引きにするか価格で交渉するしかない。後者の解決方法だと売り手が強くなり、それを手にするのはお金持ち≠ニいうことになる。こうした経済≠フ話はけっこうおもしろいが、ともあれお金≠ヘもともと交換手段≠セったはずだ。もちろん、お金≠ナ人の命や心は買えない。少なくともとされている=B現代においても、人身売買≠るいはそれに類似した行為が問題になったりする。臓器売買≠ネどの話も聞く。そんなわけで、これはあくまで建前的なところもあるが、ともあれお金=手段≠ナあることは昔も今も変わっていないはずだ。
受難の西郷どん 2010/10/15 2797
 熊本駅に西郷さん≠ヘいかがなものか。そんな話になって、熊本駅での新幹線開業カウントダウンボードの設置は延期されてしまった。新聞記事によると、JR九州さんとしてはそんな声が起きるとは思ってもみなかったという。しかし、本当に関係者の間から疑問というか、これで熊本は何も言わないでしょうかね≠ュらいの声は出なかったのだろうか。これもまた広い意味では危機管理に関わる問題である。カウントダウンのボード設置は大きなイベントである。それは地元のニュースになるし、駅に行けばみんなの目に入る場所で半年間にわたってアピールすることになる。開業が近づいてくれば、ボードはさらに目立ってくるだろう。そんな性格のものだから、やはり熊本で西郷さん≠ヘないわなあ。少なくとも、計画段階でこれでいいかしら≠ニいった声があったのかなかったのか。このあたりは、リスクマネジメントを仕事にしている私としては大いに興味がある。今回の問題は、第三者にとってはどうでもいいお笑い話だろう。しかし、サービスを提供する仕事では、サービスを受ける側の立場からものが見えるかどうかが大事なポイントになる。もちろん、われわれ教員も同じことで、このごろは学生による授業評価≠ェ常識になってきた。今はそんな時代なのである。そんなこんなで、熊本駅では先月16日の設置予定が中止になり、10月1日に熊本県のキャラクターを入れたボードで落ち着いた。個人的には関西を視野に入れて、熊本城と大阪城なんぞを並べてはどうかと思ったりした。ところで西郷さん≠ノついては、当初の絵では着物が左前=Aつまり死に装束で描かれているとクレームがついた。これはすぐに修正されたが、西郷どん≠煖齒ホいですね。
九州新幹線こぼれ話 2010/10/14 2796
 九州新幹線は来年の3月12日に全線開通する。現在は南の鹿児島中央駅から熊本県の新八代間を走っている。博多から南下せず、線路を南から北上させたのは鹿児島の大戦略である。しかも八代止まりでいいというのだから、はじめて聞いたときにはほとんど冗談だと思った。しかし、それが先を見た戦略というものだろう。距離も短いから建設費も相対的に抑えられる。あれよあれよという間に建設が決まり、とうとうつばめ≠ェ走り出した。これが北から≠ニいう常識的な流れだと熊本で一息つく恐れがあった。何分にも景気が悪く公共投資も厳しくなる一方の時代なのだ。とにかく鹿児島の思惑通りになった。幕末から明治維新にかけての薩摩のエネルギーは大健在なのだ。新八代まで到達すると、後は勢いだ。せっかくつくったのだから博多まで一時も早く繋がないともったいない=Bとまあ、そんなわけで九州新幹線は2年の前倒しになった。ところで、全国ネタではないと思うが、新幹線がらみでいろいろなことが起きている。先月も博多・熊本・鹿児島中央の各駅に設置するカウントダウンボードでちょっとしたトラブルが発生した。大きなボードにどでかい西郷さん≠ェ登場したのだ。博多駅としては、九州新幹線の南のターミナルである鹿児島の顔である西郷さんには何の違和感もなかった。もちろん鹿児島中央駅の方はこれ以上にないキャラクターだ。ところが、熊本側はこれにかみついた。何で西郷どんかい≠ニ言うわけだ。もちろん熊本だって西郷さん個人に対する恨みはない。しかし、もっと他のものがあるだろうというわけだ。私はかつて鹿児島の住人だったこともあり、鹿児島には好印象を持っている。しかし、ここで文句を言う熊本人の気持ちも理解できる。
空気を読む§b 2010/10/13 2795
 私が駐車場に入っていいかどうか迷っているその瞬間に警備員氏は先の方に行ってしまった。たしかに、ここはだめよ≠ニ明言したわけではない。しかし、入り口には私は該当しない特定の人たち向け≠フ看板が立っていたのである。それを読めば勝手に止めてはいけないと解釈するのが当然なのだ。そんな場所で警備をしているのだから、もう少しタイミングを考えて動いてほしいものだ。しかも、私の記憶が正しければゆるやかな坂を登っていくときも数回はこちらをふりかえっていたはずだ。たしかにご本人には何の落ち度もないと言えばそれまでである。しかし、人の行動にはタイミング≠ニいうものがある。空気を読む≠ニ言ったりもするが、その場の状況をしっかり判断して行動したいものだ。もう随分昔の話になるが、私の仕事場にお見えになった方が、ソファーの横にケーキ屋さんの袋を置かれた。熊本市内でもよく知られた評判のお店のものだ。うわぁーケーキだ=Bその袋を見た私は心の中で叫ぶわけだ。それから後もいくつ入っているのかなあ≠ニか、どんなケーキかなあ≠ネどと、ほとんど白昼夢の状態に陥る。こうなると相手の話なんぞはろくに聞いていない。これではまずいよね。そしていよいよお話も済んでお帰りとなる。まずはご自分のもののお片付けだ。まだ例の袋は横に鎮座したままである。そろそろだなあ≠ネんて内心で思う。とその瞬間にあっ≠ニ何かに気づいたという感じでお客様が袋に手を伸ばす。私はえっ≠ニ軽い声を上げる。じつにわざとらしい。そうそう、先生に借りてた本です=Bあっ、ビデオもありました…=Bそんなもん、最初に返してよ。いかにも土産が入っているような袋に資料を入れていくとまずいですよ。
駐車場のお話 2010/10/12 2794
 ある会合に行ったときの物語。あらかじめ駐車場について情報があった。メインの会場近くは役職者向けのもので、一般の人たちは少し離れたところに確保されているという。私は仕事の都合で午後からしか参加できなかった。それはともあれ、会場に行くとまずは入り口近くに駐車場があったが、こちらは止めていい車が指定されている。それはすでに承知の上で、あらかじめ聞いていた道筋通りに先に進んだ。あそこかな≠ニいうところが見え始めた。ところが、こちらもやはり許可車が指定されているようだ。そんな看板が立っている。ちょっと目にはかなり空いているのだが、違反するわけにはいかない。そう思ったと同時に入り口近くに立っていた警備員がさらに奥の方へ登っていった。そのあたりから道が傾斜しているのである。私にはこの先にも駐車場があると思った。警備員はその空きを確認にいったように見えた。それにしてもその歩きの緩慢なこと。私としてはただでさえ遅れているのだから少しでも早く会場に行きたい。しかし、その姿も見えなくなって5分近くが経過した。私は目の前の駐車場に入ろうかという誘惑に駆られた。しかし、約束違反をしてはいけないとはやる気持ちを抑えた。それからようやく警備員の姿が見えた。しかし、こちらを手招きするでもなく、やはり悠然と坂道を下りてくる。しかも何と私の車の前を通り過ぎようとするのだ。私は不審顔で聴いた。ここに止めていいんですか。ずっと待っていたんですが=Bこれに対する回答に耳を疑った。ああ、向こうの出口を見に行ってたんで、どうぞ止めてください=Bそれだけではない、駐車場前に舗装された空間があったが、そちらを指してああ、あっちの方が日陰でいいですよ≠セって…。
人気者のギャランティー 2010/10/11 2793
 松本清張氏の講演料がいくらだったかは知らないが、世の中では相場≠ネるものがあるらしい。とくに研修や講演を業としている人の場合は事務所の経費や人件費、場合によっては広告宣伝費といった各種経費も含まれることになる。そこでそれなりの額が設定されるわけだ。テレビなどのマスコミに登場していれば、それだけ価値も上がるだろう。その点、テレビに頻繁に登場していた経済の専門家某氏が手鏡事件≠起こしたときには驚いた。ギャラも相当なものだったと想像するが、東京都の迷惑条例違反で有罪になりお茶の間から消えてしまった。NHKのアナウンサーだった鈴木健二氏は退職後に熊本県立劇場館長になった。あの気くばりのすすめ≠フ鈴木さんだが、1回の講演が50万円だと聞いていた。看護系の仕事をしている知り合いがある大会で呼んだときも、その額だったといっていた。あくまで伝聞であるが、それ以下では仕事を引き受けなかったという。地元の熊本県内で仕事をするときも同じポリシーだったらしい。ただし、鈴木氏は熊本での収入はすべて関係していた財団に寄付していたはずだ。その点ではなかなかのものである。熊本県立劇場の館長を務めた後は青森県の図書館長になったと聞いている。また、評論家で長いこと日曜朝のテレビ番組に登場していた竹村健一氏は、講演料が一桁違うという話だった。関西なまりで、当代の大物政治家などとも差しで話すような人物だった。地方での講演の際に、生の話よりもまとまっているからと言って、テープレコーダーに録音していたものを再生したというエピソードを聞いたことがある。ことの真偽は知らないが、いやさすがにそれはないと思うが、それほど天衣無縫というか、元気のいいおじさんだった。
清張氏への講演依頼 2010/10/10 2792
 NHKの実践ビジネス英語″u師杉田敏氏が、6月のテキストにおもしろいことを書いている。氏が学生時代のこと、作家の松本清張氏に講演を依頼するために自宅を訪問したという。松本清張と言えば飛ぶ鳥を落とす勢いの超流行作家である。学生の団体ですからあまりお金はないのですが、ぜひ先生のお話をうかがいしたいという学生仲間からの要望が強いものですから=B杉田氏の依頼に対して日時と場所を聞いた松本氏は手帳を見て、いとも簡単に^Kを出してくれる。杉田氏が喜んだのは言うまでもないのだが、すぐに講演料はいくらくれるの≠ニ単刀直入≠ノ聞かれたという。学生なので、あまりお金はないのですが…∞それはわかっている。でもはっきりさせておかないと=Bそんなやりとりが続いた。杉田氏もはっきりした記憶はないと言うが、当時の大卒初任給くらいの金額だったという。もちろん、学生の団体としては精一杯の提示だった。ところが、これでみっちり叱られた≠轤オい。僕は、ものを書いたり、人前で話したりすることで生計を立てているんだから。いくら学生だからといって、世間知らずもはなはだしい=Bそんなわけでだめかとがっかりして≠「たら、でも、わざわざここまで来てくれたので、今回はその熱意に免じて、やろうじゃないか≠ニいう答えが返ってきたという。若い杉田氏が学んだことは最初からだめだろうと決めてかかっていたら、何事も起こらない≠ニいうことだ。もちろん、こちらに熱意≠ウえあればすべてがうまくいくとは限らない。しかし、それが相手に伝わってその態度や行動を変える可能性はある。そんなコミュニケーションができるのが人間なのである。ダメモト≠フ精神も棄てたものではない。
予測はずれ 2010/10/09 2791
 全国にあるそれぞれの空港の需要予測と達成率の数値にはそれぞれの事情があるはずだ。しかし、とにもかくにも需要予測≠ナある。そこそこには当たらないとまずい。そうでないと予測≠ニは言えない。それを根拠≠ノして膨大な公的資金をかけて空港を建設するのである。個人が勝手に無駄遣いして、後で困るのとは質が違う。それなら人から嗤われるだけだが、公的なお金の場合は笑い事ではすまない。それにしても新聞に掲載されていた達成率の表を見ると、散々≠セとしか言いようがない。そもそもあの成田空港が43%なのである。このコラムでも取り上げてことがある北九州空港は42%、佐賀空港は37%で低迷している。北九州は私の本籍地だし、両親の墓もある。また私は佐賀県の伊万里小学校を卒業した。そんなわけでどちらも強いアイデンティティを感じている。だからこそ頑張ってほしいと思う。しかし、空港については案の定の結果である。北九州空港について書いたときには、私の予想がはずれたらごめんなさい≠ニ謝る約束もしていたと思う。しかし、この数値を見る限りほれ見たことか≠フ状況だ。素人の予測の方が当たってどうするんですか…。まだ私が子どものころ、と言っても中学生にはなっていたかと思うが、国の経済統計について書かれたものを呼んだ記憶がある。当用日記の末尾の記事だった記憶があるが、経済企画庁の経済成長率予測がずっとはずれてきたという内容だ。このときは、国の予想を上回るほどの成長を達成していたときで、結果としてはめでたし、めでたし≠ナ終わっていた。予想よりさらに好成績だったのだからいいじゃない≠ニいったノリだったのだろう。しかし、それだって予測の失敗≠ヘ問題にすべきだった。
空港の実績 2010/10/08 2790
 政権交代から1年を超えて、その興奮と期待も過去のものになった。次々と起きる課題を前にして対症療法に追われ、将来を見据えた長期的な政策を考える時間を持つ余裕もないように見える。そんな中で、今年も国が管理する全国26空港の経営状況が発表された(毎日新聞9月11日)。数値は2007年度のものだが、黒字は新千歳・羽田・小松・伊丹・熊本・鹿児島の6つだけだ。企業会計に準じた計算法を用いた公表は06年度に続いて2回目だという。まずは公表の少なさに驚き、今年は2010年度なのにどうして07年度なのかと疑問がわく。それでも06年度と比較すると赤字の総額98億円は、137億円も縮小したのだそうな。赤字のトップは福岡空港で58億円、黒字の最高は羽田空港の91億円だという。空港は公共的な性格があるから、企業会計がなじまないところもあるだろう。しかし、どうして赤字なのか、対応策にいい智恵はないのかといった議論をするためにも、早めに公表してほしい。民間人だってけっこういいアイディアが出せると思う。それにしても、全国にある空港の多くが厳しい状況にある。そもそも建設時の需要予測が当たっていないのである。建設時の資料がある国内の75空港のうち85%の空港が予測を下回っていた(毎日新聞3月12日)。国が管理する空港で予測を上回ったのは、旭川・羽田・長崎・熊本・那覇の5つに過ぎない。このうち数値的にダントツなのは熊本の167%で、これは地元としてはちと鼻が高い。国土交通省によれば「GDPや人口が想定したほど伸びなかった」という。しかしその説明が受け入れられるには、せめて80%台は必要だろう。そうでないと「想定」そのものが誤っていたことになる。これでは「予測」とは言えない。
一言くらいは… 2010/10/07 2789
 私のオリジナルなグループワークとまったく同じもの≠生命保険会社の就職説明会で使っていたという。そんな学生の発言に驚いた私の顔を見て学生が心配そうな顔をした。先生、僕から聞いたなんて言わないでくださいね…=B私が怒って会社に文句でも言いそうに見えたのである。それで自分の就職が影響されては困ると思ったわけだ。もちろんすぐに私は大丈夫、どこで誰から聞いたかなんて言わないから≠ニ反応して安心させた。それから帰宅して学生から聞いていた生命保険会社名と福岡の会場、それに日付をキーワードにしてインターネットで検索した。その結果、たしかにその説明会≠ェ開催されていた。学生と約束したことでもあり、就職説明会が開催されたことを確認しただけで、それ以上、会社に問い合わせなどはしなかった。その事件≠ゥらもう1年は経過しているので、そろそろ時効≠セと思ったわけだ。何といっても、しっかりした社会的責任を背負っている保険会社である。公開で他人のモノを使うときは原典くらいは明示してほしいものだ。それにしてもどうしてこんなことが起きたのか。その理由として思いつくことがある。いやこれしかない。それは、私が論文としてその道具を公表しているからだ。私の仕事では、自分の発明品を巡って組織に膨大な報奨金を払えなどという争いはない。そんなものが創れないこともあるが、私としてはできるだけ多くの人に使ってもらいたいと思っている。その点は、なかなか懐が深い≠ナしょう。だから、就職説明会も含めて役立つのであれば、開発者としては単純に喜びたい。ただし、人が創ったものを使うときは、一言でも言及するのが最低限のマナーでしょう。そこだけはしっかりしてほしいと思う。
まったく同じ? 2010/10/06 2788
 もう時効だと思うので、昨年起きた小さな事件≠フ話をしよう。ある大学で集中講義をした。その際に私としてはオリジナルな課題を使ったグループワークを行った。それが一区切りついたとき、1人の学生が気になる発言をした。ほんの少し前ですけど、これとまったく同じことをしましたよ=Bその瞬間、私は軽い驚きを感じた。そんなことはないと思うよ。これって私のオリジナルなんだから。何か似たようなことをしたんでしょう=Bこんな問いにいや、完全に同じでした≠ニいう答えが返ってきた。そこでちょっと思う。そう言えば、私の後輩もこの大学で非常勤をしている。ひょっとしたら彼がこれを使ったのかもしれない…=Bそんなことも念頭に置きながら、それは授業でのことなの≠ニ改めて問いかけた。すると、いえ、会社の就職説明会でです≠ニいう意外な答が返ってきた。これって私のオリジナルなんだよね。本当に同じだったわけ≠ニさらに問いかける。類似したものと勘違いしたのではないかと思ったわけだ。しかし、学生はいかにも絶対的な確信を持っているような顔をして、いや細かいところまでまったく同じでした≠ニ言う。こうなると、こちらもさらに詳しい情報を得たくなる。それって、どこでの話なの≠ニ聞くと、福岡市で行われた保険会社の就職説明会でのことだという。期日も場所も特定して言う学生の確信した表情は揺らぎがない。ここまで来て、私としては学生の話は間違いないと断定した。それにしても就職説明会のどんな流れの中で使われたのだろう。そんなことを考えながらか、それってどこの保険会社なの≠ニ聞いた。学生には、私の驚いた表情から、すぐにでもその会社に抗議するように見えたかもしれない。
ようやく… 2010/10/05 2787
 JR九州管内の駅別乗車人数のトップ10に熊本駅は入っていないのである。結論を先に言えば、熊本駅は第13位に甘んじている。長崎に続くのは11位の吉塚駅の10,234人、12位の戸畑駅10,064人である。このあとにようやっとのこと≠ナ熊本駅が来るのだが、その人数たるや9,960人で、何と1万人を割っている。しかも、前年順位は11位だったから順位も低下しているのだ。福岡と熊本間はおよそ100Kmで、高速バスが1日100往復も走る。それに、高速道路1,000円なんぞの影響もあるだろう。JR以外の交通手段も多様ではある。その点、大分の場合もちろんバスなどもあるが福岡に行くことを考えるとやはり遠い。長崎も似たようなものだろうか。と、まあいろいろと理由≠挙げることはできる。しかし、それにしても九州の雄都を自認し、例の道州制では州都≠目指そうというのだが、競争相手からこのあたりの弱さを突かれると説得力ある反論がしにくいではないか。こうした中で、九州新幹線が来年の3月12日に全線開業する。そうなると、福岡や鹿児島が近くなり、その点での乗客数は増加するだろう。また、最速で新大阪まで熊本から3時間で行けそうな感じである。これはかなり微妙な数値で、大阪行きの航空便といい勝負にはなるのは間違いない。私自身、空港までは時間帯に応じて70分くらい前に出かける。飛行機そのものは60分程度だが、空港からバス乗り場までだって10分くらいは必要だ。大阪空港から市内までさらに30分ほどかかる。もちろんバスも平均すれば10分くらいは待っている。そうなると概算ではほとんど3時間になってしまうのだ。それはともあれ、JR九州管内の乗客数ランキングで熊本駅第13位というのは、いかにも寂しい。
まだ出てこない… 2010/10/04 2786
 JR九州管内の駅別乗車人数トップは博多駅で、2位が小倉だ。そして堂々の第3位は鹿児島中央駅の17,342人である。鹿児島中央駅は九州新幹線南のターミナルとして元気がいい。市の人口も60万人を超えて熊本に続いているし、再開発もしっかり進んでいる。そんなことから第3位もそうだろうな≠ニ納得できる。それでは第4位はどこなのか。そろそろ熊本駅の出番だろう。熊本市の人口は73万に迫る九州で第3位の都市だし、近いうちに九州で3番目の政令指定都市にもなるのである。と、思いきや第4位として登場するのは東九州の大分駅で16,373人の乗車数を誇る。大分市の人口は475,000人で、熊本市よりかなり少ないのだが、とにかく第4位は立派である。いまどき森の石松≠フ名前なんぞは知らない人が多いだろうが、ここまで来るととにかくどこかを忘れていませんか≠ニ言いたくなる。いや、今度こそは熊本駅だろう≠ニ確信する。しかし、どっこい熊本市にとって現実はなかなか厳しいのである。第5位は折尾駅で16,031人、そして第6位は黒崎駅の15,253人である。どちらも北九州市内の駅だ。熊本駅はベスト5にも入っていない。それどころか、その後もあれよあれよと他の駅が登場してくる。第7位、8位は福岡市内の香椎駅、福工大前で、前者が11,478人、後者は11,264人である。そして第9位は11,097人の佐賀駅が食い込んでくる。佐賀市は県庁所在地だが人口は約24万で九州内の県庁所在地としては最も少ない。しかし福岡に近いこともあって博多発の特急に乗ると、佐賀駅でかなりの客が降りる。つまりは福岡市への通勤圏内ということだ。そして、いよいよベスト10の締め切りとなる。そこに登場するのは長崎駅で10,972人なのである。
JR駅の乗車人数 2010/10/03 2785
 熊本市が政令指定都市になると、九州では北九州市・福岡市に次いで3番目になる。福岡市が指定都市になったのが1972年だから、40年ぶりの新しい政令指定都市である。北九州は産業構造の変化でやや縮小気味で、なおかつ福岡市と同じ県にある。その点で熊本市は九州の第2の都市にとして評価される面もある。事実、歴史的には九州の中心都市は熊本市だった。とくに逓信関係は強く、九州郵政局を引き継いだ日本郵政グループ九州支社はいまでも熊本市にある。またNHKの九州本部も長いこと熊本市に置かれていた。さらに九州を統括する九州農政局、南九州が対象の九州財務局や熊本国税局もある。ただ九州では福岡市が圧倒的な強さを持っているので、NTTやNHK系はすでに中心的な役割を失っている。そうは言うものの、とにかくあと1年半もすれば九州第3番目の政令指定都市が誕生するわけだ。さて、ここで質問を1つ。JR九州管内の駅別乗車人数のベスト3はどこでしょう=B九州のことをご存じない方でも、それは福岡駅だろう≠ニいった答えくらいは出てくるのではないか。まあ正しくは福岡駅≠ナはなく博多駅≠セが、とにかく福岡市の駅がトップであることは容易に想像できる。JR九州によると2009年度でダントツの96,518人だ。因みに福岡駅≠ヘ福岡市の中心天神にある西日本鉄道のターミナルで県南の大牟田まで延びる私鉄の駅である。それではベスト2はどこか。このごろは九州新幹線鹿児島が元気だから、鹿児島中央駅を挙げる人がいるかもしれない。もとの西鹿児島駅である。いやいやそれはやっぱり北九州でしょう≠ニいう声も出るだろう。その通り、第2位は小倉の36,315人である。それにしても博多駅はその2.7倍にもなるのだ。
政令指定都市のランキング 2010/10/02 2784
 もう七色の煙≠焉A焼却炉の煙≠煬ゥることがなくなった。赤い炎に顔を照らしながら、想いを込めて紙を燃やしたのは昔の話だ。いまではジャリジャリ、ジャリ…=Bシュレッダーに挟まれた紙たちの泣き声が聞こえる。さてさて、熊本市の政令指定都市の話に戻ろう。熊本市はこのままいくと、1年半後には全国で20番目の政令指定都市になる。人口では73万人で、浜松市の80万に次ぐ17位だ。静岡市の72万よりわずかに多い。最も多いのは横浜市で358万人である。東京都は政令指定ではないので別格である。私が子どものころは大阪市が東京都に続いていたが、こちらは263万人で横浜にかなり差を付けられた。面積は390?で横浜に次ぐ12番目、福岡市よりも広い。最も広いのは浜松市で1,511?、2位が静岡市で1,411?である。最下位の川崎市が143?だから、浜松市はその10倍と、こちらもかなり大きな差がある。札幌市も1,121?で、ここまでが1,000?を超えている。日本で面積が最も狭い県は香川県で1,875?だから、浜松市や静岡市の広さは相当なものである。年間の商品販売額になると、トップは大阪で47兆円とダントツで、2位の名古屋の30兆円を大きく上回る。因みに第3位は福岡市の13兆円で、さすがに商売の町である。熊本市は18位で2.3兆円、堺市や相模原市よりも多い。また製造品の出荷になると、4.9兆円の川崎市がトップで大阪市、名古屋市と続く。熊本市は最下位の20位に甘んじる。この点では17位が福岡市で、仙台市、札幌市だから、とにかく製造業が強くない町なのだ。一方で農業産出額なるものは、新潟市の650億、浜松市の540億に続く第3位で440億円に達している。そもそも熊本県全体が農業県だから、こうした位置づけになるのもわかる。最下位は大阪の8億円だ。本日は他人様が取った統計で終わった。
虹色の煙 2010/10/01 2783
 北九州工業地帯には門司・小倉・戸畑・八幡・若松の5つの市が繋がっていた。その間に町や村がなかったのは全国でも珍しかったと思う。その5つが合併して人口が100万を超えた北九州市が誕生したのである。それから半世紀近くが経過しようとしている。その間、製鉄所をはじめとして地域全体の衰退が目に見えはじめる。人口も100万を切ってしまった。そして新日鉄がスペースワールドを経営するという、ほとんど信じられないような事態も起きた。スタートから今年で20年目らしいが、その経営状態はどうなんだろう。当初は実物大のスペースシャトルを置いたりして賑わっていたが、テーマパークの時代は終焉を迎えている感がある。あの長崎オランダ村も、本物の迫力が売り物でテーマパークのモデルともてはやされたものだ。その後さらなる展開を図ったハウステンボスは、いま厳しい状況に立たされている。時代の変化を感じずにいられない。そう言えば、あの八幡製鉄の煙突から流れる煙は七色の煙≠ニして活気あふれる町のシンボルだった。木下恵介監督のこの天の虹≠ヘ八幡製鉄所で働く人たちの物語である。虹≠ヘ言うまでもなく七色の煙≠フことである。それが気がついてみると公害を発生する煙として問題になる。いまでは全国の煙突から立ち上る煙には色がついているとまずいのである。個人的なレベルでも、団地などには焼却炉があった。ときおり身の回りを整理する。そのとき思い出の品々を焼却炉の炎の中に投げ入れる。同じ紙でも種類によって燃え方も違う。手紙がめらめらと燃えてあっという間に灰になる。しっかり読み込んだ本が消えていく。お世話になりました。さようなら=Bそんな感慨とともに心の整理もしていったものだった。