吉田道雄 YOSHIDA, Michio
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味な話の素
Since 03/04/29
No.89 2010年09月号 (2753-2782)
政令指定都市 2010/09/30 Thu 2782
 熊本市はいくつかの町と合併して、人口が73万ほどになった。政令指定都市に対する特例があって70万になればOKとする期限に間に合った。いま2012年の指定を目指して準備を進めている。スケジュール通りだと全国でちょうど20番目というキリのいい指定都市になる。九州ではじめて政令指定都市になったのは北九州で1963年のことだ。われわれが子どものころは、京浜∞中京∞阪神≠ニ並んで北九州≠ェ4大工業地帯とされていた。とりわけ八幡製鉄所≠ヘ歴史の教科書にも載っている復興日本のシンボル的存在だった。そもそもは1901年に溶鉱炉が完成し、日本の基幹産業になった。明治34年のことで、当初は官営、つまり国がつくったのである。いまでも鉄は産業の基礎であることに変わりはない。しかし、当時は鉄は国家なり≠ニいわれ、まさに富国強兵≠フ基礎を担った。私の父は戦後大陸から引き揚げてきたが、その後最初に就職した地が八幡だった。そんなわけで、子どもの私も小学校に入学する前の数年間、当時の八幡市に住んでいた。もう半世紀以上前のことだが、霧の向こうの夢のようなレベルだが、いくつかの思い出がある。まずは自宅の前は電車通りから入った坂道だったこと、そして近くには石膏でつくったコルセットなどを売るお店があり、そのあたりに公衆電話があったことなど…。そうそう、近くに済生会病院と呼ばれるものがあり、また紙芝居のおじさんが回ってきていたことや、父親に連れられて、たしか大谷グラウンドといったと思うが、そこにもいった。野球をしているのを見たような気がする。母親の買い物に着いていったとき、遙か遠くに球形のタンクが見えていた。おそらくそれは都市ガスを貯蔵する施設だったのだろう。
イベントの危機管理 2010/09/29 Wed 2781
 空港バタバタ事件≠熄I末を迎えた。エプロンまで見学者を入れる楽しいイベントである。ドンドンやってほしい。ただし、危機管理≠熄\分に考えてもらわないと困る。今回の渋滞事件≠ナ実際に乗り遅れた乗客がどのくらいいたかは知らない。しかし、こうしたイベントをするからには、近辺道路の渋滞≠ュらいは予想し、その対策を講じておくべきだ。結果を見て予想以上だった≠ニ言うだけでは危機管理#\力が疑われる。あの日、道路上に車を整理する人員は1人も見かけなかった。もちろん、渋滞を警告する看板もなければ、イベントの情報もない。とにかく何が起きているのか見当もつかない状況だった。対向車線をパトカーが駐車場が渋滞しています≠ニ報せていた。しかし、それもタクシーの運転手さんが今ごろ言われてもね≠ニため息をつくようなところまで来たときである。道路は2車線あるのだから、一方を飛行機の乗客と空港を通過する車に当てる。片側をイベントの車用にする。ただそれだけであの渋滞は起きなかったはずだ。それでもズルをして早いほうに割り込むイベント客もいる可能性はある。それに対しては、大渋滞しているイベント車≠ノ乗っている人数分だけ入場券≠フようなものを渡していけばいい。渋滞がはじまる地点でイベントに参加される方は右側によってください。チケットをお渡しします。これがなければ入場できません≠ニいった看板でも立てればいい。こちらは大渋滞≠オているわけだから、入場券≠手渡す余裕は十二分にある。まあ、これはあくまで素人智恵の案である。イベントのプロならもっとすばらしいノウハウを持っているはずだ。飛行機に滑り込んだ私の首回りからどっと汗が流れ落ちてきた。
大渋滞の源 2010/09/28 Tue 2780
 手荷物検査場前で名古屋、名古屋、私名古屋なのよ≠ニ絶叫した。その瞬間、自分が飛行機に乗れた≠ニ確信した。そのとき係員が1名ゲット≠ニいった声が聞こえる。私はゲット≠ウれたのである。その後はご想像の通りで、慌てふためきながら手荷物の検査を受け、担当者と一緒にランニングしながら機内に駆け込んだというわけだ。ゲット≠ウれたとき思わず担当者に叫んだ。いやあ、参った、参った。ムチャクチャ渋滞してたんで=Bそれに対して係員の女性がすみません。イベントをしているものですから≠ニ、かなり申し訳なさそうに答えた。そのときはえーっ、イベントだって≠ニ驚いた。しかし、とにかく飛行機に乗り込むことで頭はいっぱい、事態の把握などできるわけもない。それから10分程度経過してわが機は無事に離陸した。そのとき、空港の端の方に飛行機などがあり、その周りに人だかりができているのが見えた。これで渋滞の原因がなんとなく理解できた。この大渋滞は翌日の新聞に載っていた。つまりは阿蘇くまもと空港フェスタ2010≠ネるイベントが開催されていたのだ。ホームページによると、空港内のエプロンを解放し、海上保安庁機、YS-11、小型機などを展示、さらに有料の遊覧飛行もあったようだ。その他、キッズダンスにクイズ大会、子供制服記念撮影等々、とにかく楽しそうな催しで大賑わいだったのだ。午前10時から15時までの開催で、私の便はそのど真ん中にはまっていた。駐車場≠ノついては既存駐車場以外の臨時駐車場はありませんので、公共交通機関のご利用をお願いします≠ニ、まあよくある一般的な注意書きがある。いかにも楽しそうなイベントで、私だって時間があれば孫を連れて行きたいくらいだ。
手荷物検査場前の絶叫 2010/09/27 Mon 2779
 空港まで車が連なっている光景が見えたとき、私は予定の便に乗るのを諦めた。すでに出発時刻まで20分を切ったのだから当然である。さてどうするか=Bその後の手立てを頭の中で巡らせはじめた。たとえば大阪まで行って新幹線に乗り継ぐ…。その間も車はゆっくり前進していく。あの信号辺りで降りて歩かれた方がいいんじゃないですか=Bそんな運転手さんの声が聞こえた。空港の入り口にある信号の前で降りたらどうかというのである。どうせ間に合わないにしても、このままだと空港までどのくらいかかるか見当もつかない。そうですね。そうしましょう=Bあの状況では誰だってそう答えただろう。その証拠にふと外を見ると、搭乗客と思われる数組の人たちが車から降りて歩きはじめていた。空港前の交差点で車を降りるなんて、熊本に来て30年以上になるが、まったくの初体験だった。そこそこの荷物を持ったまま、今年の猛暑の中を歩くのである。時間は出発時刻まで10分程度しか残されていない。すでにチェックインも終わっているはずで、私も完全に乗るのを諦めている。そんなこともあって、ごく普通の速さで歩いていった。空港ビルに着くと空調が効いていて、体の汗がクーラーになった。ここまで来たのだから手荷物検査場へ行くエスカレータまでは、ちょっとばかり小走りになった。熊本空港ではエスカレータで2階に昇ると、すぐ横に手荷物検査場がある。エスカレータが終わろうとする位置で右手を見たときだ。名古屋行きのお客様はいらっしゃいませんか≠ニいう声が耳に飛び込んできた。そのとき周りには人がいなかったから、あれは私に対する呼びかけだったと思う。名古屋、名古屋、私名古屋なのよ=B記憶にないが絶叫したはずだ。
今ごろ言われても… 2010/09/26 Sun 2778
 私が30分前には間違いなく空港に着くはずの予定が崩れたのはなぜか。それは空港への道が渋滞していたからだ。その程度が半端ではなかったのだ。正確に測ったわけではないが、最低に見積もっても2kmは車が連なっていた。私が熊本に来て30年を超えるが、空港付近でこれほどの渋滞にあったことはない。当然のことながら前に進まないまま時間だけが経過していく。と、そのとき、スムーズに流れている対向車線をパトカーが赤色灯を回転させながらゆっくりと移動していく。ただいま空港駐車場が混雑していて入るまで時間がかかっています=B正確な言い回しは忘れたが、そんな趣旨のアナウンスをしているのだ。すかさずタクシーの運転手さんが言った。こんなところまで来て言われても仕方ないですよね=Bまったくその通り、中央分離帯がある2車線の道路で前後に車に挟まれては二進も三進もいかない。どうせ知らせるならもっと早めにしてよ。左の車線の方が早いですかねえ=B運転手さんもこちらに気遣っていろいろ声をかけてくれる。しかし目の前の状況を見ると、どんな提案も無力に聞こえる。時計の秒針の音だけが聞こえてくるような気さえする。それにしても一体全体、何が起きたのだろうか。道路に警察官は1人も見かけないから、要人が来たわけでもない。パトカーも駐車場が混んでいるとしか言っていなかった。また交通整理をしている人もいないし、渋滞の理由を推測させる看板もない。とにかく何が起きているかわからないまま、時間だけが過ぎていく。それでもカタツムリのように前進して空港ビルが見えるところまでたどり着いた。これで、空港まで車がびっしり連なっていることが自分の目で確認できた。出発時刻まで20分を切った…。
空港への旅程 2010/09/25 Sat 2777
 名古屋便の出発時刻5分前に駆け込んだ。座席は前の方だったが、最後尾からも何してんだ≠ニいう冷たい視線に晒されているような気分になった。いつも自分がそう思っていると、他人も同じことを考えるに違いないと推測する。それが望ましい方に働くと共感力にも繋がる。一方、遅刻のように望ましくないことでも、こうした推測力≠ヘ大事な役割を果たす。基本的には他人から何やってるんだ≠ネどとは思われたくない。それが時間を守るといった望ましい行動を喚起するのであればけっこうなことだ。おそらく他人の気持ちになれる≠フは、それがはずれていることもあるだろうが、人間だけがもっている力ではないか。大事にしたいと思う。さて、みんなの視線から逃れて席に座った。しかし、その後もしばらく、おそらく5分くらいだったと思うが、飛行機のドアは閉まらなかった。明らかにまだ来ていない人を待っている様子が見られた。私が本当の最後じゃないんだ=Bそう思うと、ほんのちょっとではあるが気が楽になった。ただし、それからは誰も来ないまま、客室乗務員と担当者との間で連絡を取ってからドアが閉められた。何人かは知らないが、この便に乗り遅れた人がいたに違いない。私にはそう断定できる自信があった。なぜなら、私だってこの日はチョンボ≠オて定刻5分前に機内へ転がり込んだのではなかったからだ。それどころか、出発時刻の30分前には確実に空港に着いているはずの行動を取っていたのである。空港まで自宅から車で30分ほどかかる。そこで念のために40分で予定を立てる。そして少なくとも出発時刻30分前までには空港に到着しておきたい。そんなわけで70分前に家を出れば、確実にしかも早めに空港に着けるのだ。
空港のランニング 2010/09/24 Fri 2776 21日の続き
 ときおり、空港の係員が○○行き○便にご搭乗のお客様はいらっしゃいませんかーぁっ≠ニ叫び回っているのに出くわす。あるいは、乗務員と一緒に搭乗口に向かって走っている乗客がいる。時間を守らない、あるいは時間がまもれない$lたちである。それぞれ事情はあるだろう。しかし、登場ロビー内でアナウンスされている人たちは、少なくともチェックインを済ませているはずだ。したがって空港に来るまでの事情のために遅れているはずはない。つまりは、チェックイン後に時間が守れない$lなのだ。それでも、やはりやむを得ない事情の人もいるだろう。急に体調を壊したなんてこともないとは言えない。しかし、大きな荷物を持って係員とランニングしている姿を見ると、体調問題とはとても思えない。まあ細かいことはさておいて、とにかく時間は守りましょうや。空港でこんな会話を聞いたことがある。チェックインさえしておけば、少しくらい遅れても待ってるから…=Bつまりは少しばかり遅れたって平気なんだよと言ってるわけだ。こんな不届き者がいるからかなわない。これが冗談話だったことを祈りたいが、こうした基本的モラル≠フ崩壊が積み重なって、ついには国全体の崩壊へと繋がっていくのである。客室乗務員も大方の客が乗り込んだ後で、ただいまお乗りのお客様をお待ちしております≠ネどとアナウンスをする。私たちのせいではないんです≠ニ訴えたい気持ちがしっかりと伝わってくる。私なんぞも、ほぼ全員が座っているのに、かなりの間を置いて乗り込んでくる乗客に対しては、やれやれ困ったもんだ。人の迷惑も考えてよ≠ニいった視線を投げかける。そんな私が出発時刻の5分前に転がり込むようなことになってしまった。
構図の毒想性 2010/09/23 Thu 2775
 構図:絵画・写真などで芸術表現の要素をいろいろに組み合わせて、作品の美的効果を出す手段(電子版広辞苑)=B検察側の構図≠ヘ美的効果≠ナはないし、ましてや恣意的効果≠ナあってはならない。芸術なら創造性、独創性≠ニして評価されるだろう。しかし事実の改ざん≠ヘ毒創性≠るいは毒想性≠ノしかならない。権力側が毒≠もったら世も末だ。再審中の布川事件≠ナは、検察側が自分たちに不利な調書を提出しなかったという。圧倒的に強い立場にある側の行動としてはアンフェアと言うしかない。正義≠フ実現よりも裁判に勝つ≠アとを至上目的にしているからそんなことが起きる。国をバックに強大な力をもっているいわば横綱が駆け出しの幕下を相手にズル≠してはお話にならない。今回の事件≠ナ恐いのは、国民が今までも同じようなことがあったのじゃないか≠ニ疑いはじめることだ。いわゆる郵便不正事件≠ナ無罪が確定した村木氏が言うように、単なるおかしな人が犯した%チ殊な事件として終わらせると不信感はますます強まる。今回も問題の検事がややこしいことをした≠ニいう情報は上層部にも伝わっていたようだ。組織にとって寝耳に水≠ニは言えない話なのである。質量の大きな物体ほど慣性の法則≠ェ効いてくる。一度動き出したら外からの力が加わらない限り止まらない。これと同じで、大きな組織ほどメンツ≠ニいう慣性の力≠ェ働く。だから一度走り出したら止まらないのである。しかもそれを止めようとする外からの力≠ェないから始末が悪い。この世の物≠ニ違って摩擦≠ェないのだ。それにしても、起訴されると有罪率99%などと言われる数値を生み出した裁判官にも問題がある。
正義の味方≠フ正体 2010/09/22 Wed 2774
 開いた口がふさがらない=B検事が証拠の改ざん≠ナ逮捕されるなんて、小説の中でもあったはならないほどひどい話だ。わが国のモラルハザード≠ェ喧伝されて久しいが、とうとう来るところまで来たということか。少なくとも正義の味方≠ヘ地に落ちた≠ニ言うべきだろう。ただし、問題は検察の中でそれに誰も気づかなかったかということだ。何のことはない、気づいても言わない、あるいは言えない雰囲気があったのだろう。仮に気づいた者が一人もいなかったとすれば、その組織は無能≠ネメンバーによって構成されていたことになる。おそらく、相当に高い確率でそんなことはない。検察組織≠セって単なる人間集団ではある。その集団に人の生殺与奪権が与えられている。恐ろしいことだ。しかし、考えてみれば裁判所はそうした検察側の立証をほとんど無条件に受け入れてきたのではないか。検察側に裁判官なんて簡単に騙せる≠ネんて気持ちが少しでもあるなら、それは裁判所側の責任でもある。その昔、日本では経済一流、政治は二流≠ネどといっていた。それが今では、経済も政治も三流≠ネんてことになりかねない状況だ。それに加えて正義は四流≠ノ堕してしまったのか。年金の問題、100歳以上の高齢者の多くが所在不明という現実。とにかく出るわ出るわ。これでは諸外国から嗤われる。かつては、どこそこの国はろくに戸籍もない≠ニあざけり、あそこの国の公務員には賄賂を渡さないとまずい≠ニあきれかえり、彼の国では裁判なんてあってなきがごとき≠ネんて馬鹿にしていませんでしたか。しかしこの国の現実を見ると、そんな国々からあんたには言われたくない≠ニ皮肉られるに違いない。とにかくこの国の将来が危うい。
9月18日(土) 18:00 からサーバーが停止していました。事前の掲示より長くなり、ご迷惑をおかけしました。
ゲット≠ウれちゃった 2010/09/21 Tue 2773
 先日、生まれて初めてのとんでもない体験をした。飛行機の出発5分前に飛び乗ったのである。しかも空港の係員に[エスコートされて。そのときは、本音を言うと、もう乗れないだろうと諦めていた。そんな状況ではあったが、とにかく手荷物検査場まで急いで行ってみた。入り口付近でこちらを見ている女性の係員と目があった。名古屋行きのお客様はいらっしゃいませんか=B反射的にわたし名古屋、名古屋≠ニ叫ぶ。その瞬間だった。名古屋行き1名ゲット=Bそんな声が聞こえた。搭乗口に連絡しているに違いない。それにしてもゲット≠ノは苦笑いした。まるで網に虫を一匹ひっかけたみたいじゃあないですか。これも仕事上の用語なんだろうが、客にもろに聞こえてはまずいよ。私には何でもかんでもネタにしたがる性癖がある。それから数日後の公開講座で、スタートのウォーミングアップ代わりにこの話をした。その日のお昼過ぎ、講座に参加されている男性が私のところにやってきて一言。わたし空港の仕事をしているんですが、「ゲット」はまずいですね。注意しときます…=Bうわーっ、参った、参った。ネタの関係者が公開講座に参加されていたなんて、ちいっとも知らなかったなあーっ。まあ、ホンとのことだからいいけど、われわれの商売もいろんな方が聞いておられることを改めて感じたことでした。さて、それはともかくバタバタしながら機内に入る。すでに座っているみんなの視線が私の体全体に矢のように突いてくる。何してんの、もう出発時刻前5分だというのに…=Bそんな冷たい視線である。少しは気のせいもあるだろうが、私自身がこんな視線でギリギリに入ってくる乗客を見ているわけだ。それがこのときばかりは立場が逆転してしまった。
ミニカリスマと欠点 2010/09/20 Mon 2772
 ミニカリスマ≠ヘ、その地位についてからも失敗できる人≠ナある。ただし、スマートに、あるいはカッコよく謝れる人≠ナもある。リーダーはモデル≠ノなることが期待されている。それはそうなのだが、モデル≠ニいうと、つい何でもかんでも優れている≠烽フだと思ってしまう。いやいや、そんなことはない。リーダーはモデルとしてミスを犯し∞ちょんぼもする=Bしかし、同時にスマートに謝る≠アとにおいてもモデル≠フ役割を果たすのである。もちろん、いつもいつも誤りを繰り返し、謝ってばかり≠ニいうのではいただけないけれど…。さて、カリスマ≠ニミニカリスマ≠フ違いの4点目は欠点≠もっているかどうかだ。言うまでもなくカリスマ≠ヘ超人であり、欠点≠ネんてあるわけがない。いやあってはならない≠フだ。なにせ、ほとんど神様≠ネのだから。これに対して、ミニカリスマ≠ヘちゃんと欠点≠もつことが許されている。欠点≠ェあるからといって心配なんぞしなくていいのである。何といっても人間≠ネのだから、けっこう足りないところ≠ェあってもいいじゃないですか。ただし、当然のことながら、欠点のもちっぱなし≠ナはミニカリスマ≠フ免許も返上しないといけなくなる。大事なのは、欠点をもっている≠アとではなく、そこから先の行動である。自分の欠点を克服するために、いつも努力を惜しまない=Bこの点こそがミニカリスマ≠ノ期待されるのである。人間には自分の弱さを認める強さ≠ェ必要だ。そのうえで、それを乗り越えようと絶え間ない努力を続けていく。そんなとき、人は輝いて見えるものだ。ミニカリスマ≠ヘこうした点においてもモデル≠ノなるのである。
失敗できる力 2010/09/19 Sun 2771
 さて、カリスマ≠ニミニカリスマ≠フ違いの3点目も失敗≠ノ関わるものだ。ミニカリスマ≠ヘ過去に失敗した体験を持っているだけでなく、いまも失敗できる人≠ナある。もちろん、カリスマ≠フ方は過去だけでなく、現在も失敗なんぞはしない。そもそも失敗するのは仕事をしている≠ゥらである。何もしていなければ失敗のしようがない。もっと成長しよう∞さらにいい仕事をしたい∞何かいい方法はないか=Bそんな積極性があるところに健全な失敗≠ェ生まれる。子どものころ、失敗は成功のもと≠ニよく言われた。そこには失敗したときに自分を納得させる言い訳の要素も含まれてはいた。しかし、それが失敗を克服するエネルギーにもなった。失敗≠ノ対する評価自身がものの見方≠ネのである。失敗してああダメだ≠ニ落ち込んでいては前に進まない。そもそも、はじめての試みをするときは、どんなことだろうと誰だって失敗≠オているはずだ。朝から晩まで失敗している≠ニいう感覚がないのは、失敗が小さすぎて気づかないだけのことだ。同じことをするうちにうまく≠ネるものは、その時点の基準で評価すれば、それ以前は失敗≠オていたわけだ。ともあれ、ミニカリスマ≠ヘ現在も、そしてこれからもしっかり失敗できる≠フである。ただし、その失敗をごまかしてはいけない。そんな人はミニカリスマ≠フ免許は取れない。自らの失敗をきちんと認める。そしてそれを回復するための努力を惜しまない。このワンセットが部下や周りの人たちのモデルになるのだ。ときには、部下たちに謝罪しないといけないこともあるだろう。そこでスマートに謝る力が必要だ。ミニカリスマ≠ヘ謝らない誤り≠犯してはいけない。
9月18日(土) 18:00 〜 19日(日) 9:00 まで、サーバーが停止しますので、本コラムにアクセスできません。
失敗克服とイメージ 2010/09/18 Sat 2770
 ミニカリスマ≠ヘ自分の失敗を語れる人である。それは自分が指導する人たちの力になるのだ。そう考えると、若いうちはあれやこれやと失敗しておくといい。とんでもない厳しい体験や苦々しい失敗が自分を育てる≠アとはいうまでもない。しかし、それらは人を育てる≠スめにも大いに役立つのである。つまりは、失敗≠ェ将来の自慢話≠ノもなるわけだ。そんな気持ちで失敗をしっかり整理しておくといい。カリスマ≠ヘ神様と同列にいるが、ミニカリスマ≠ヘけっこう普通の人≠ネのである。それが人間であり、本物のリーダーはそんな距離にいてほしい。そうかと言って同じ失敗≠し続けるのはいただけない。つい先日、昔はけっこう知られた元タレントが覚醒剤の保持か使用かで捕まった。また≠ゥまたまた≠ゥ、ひょっとしたらまた、また、また≠ゥという感じである。先月だったか、やはり薬物使用を繰り返してしまった元タレントがいた。薬物は完全に断ち切るのが困難だという。きちんと克服した者もいるはずだが、どうしても繰り返し≠フ方が目立ってしまう。薬物による幻覚が犯罪に繋がることも多く、社会全体が困る深刻な問題である。いずれにしても、人に語れる失敗はそれを克服した物語≠ニセットになっていなければならない。それには失敗を繰り返さない具体的なノウハウ≠セけでなく、物の見方・考え方の変化≠ノついての情報が含まれる。私は大学生のころイメージ≠ェ人間行動に与える影響に興味を持ったことがある。それは人の認知≠ノ関する研究とも言える。細かいことは置くとして、ものごとをどう捉えるか≠ノよって、目の前の世界が変わるのである。その結果として態度や行動も変化していくわけだ。
失敗体験の力 2010/09/17 Fri 2769
 カリスマ≠ニミニカリスマ≠フ相違点の2点目は失敗≠ェキーワードになる。まずもってカリスマは失敗をしたことがないはずだ。少なくともそう思われるように仕組まれている。そもそも失敗をしない人間などこの世にいるはずがない。それにも拘わらず、カリスマ≠ヘ失敗したことがない。だから、カリスマ≠ヘ神様と同じなのである。これに対してミニカリスマ≠ヘけっこう失敗している。いやこれまで自分の失敗をしっかり生かしてきたから、いまめでたくミニカリスマ≠ノなっているのである。もちろんその失敗を隠し通していてはミニカリスマ≠フ称号は得られない。自分の失敗体験を部下たちに語れる人でなければならないのだ。リーダーシップの重要な要件として部下を育てる≠アとが挙げられる。ただ知識や技術に優れているのではリーダーとは言えない。それに加えて部下たちの力を育てる力が欠かせないのである。過去の失敗体験が部下の教育に大いに役立つのだ。自分が駆け出しのころ、あるいは若いころの失敗体験とその克服した過程を語ることで部下たちの心は楽になる。そして、失敗を乗り越えていこうという勇気を与えるのである。そして、目の前のリーダーが頼りがいのある人間であればあるほど、その失敗体験が部下たちに与えるエネルギーは大きくなる。失敗してもくよくよすることはない。これからしっかりやっていけば、この人のようになれるんだ=Bそんな意欲を引き起こすことができるのである。もちろん、日ごろから失敗ばかりしておこう≠ネどと言うつもりはない。それでは、失敗を生かせない人≠ニいう烙印を押されるだけである。また失敗を語るときは、それを克服した過程もワンセットにしておくことが必要だ。
自分もなれる(かも…) 2010/09/16 Thu 2768
 カリスマは人に見えない=Bあるいは、それを利用しようという人たちにとって人に見せてはまずい≠フである。つまりは実態≠フないイメージ≠ノ過ぎないとも言える。ヒトの大脳は恐ろしく発達して、イメージでものごとを考えることができるようになった。そうだからこそ、先の予測が可能だし様々な創造もできるのである。そのイメージ≠ェ自分たちの生き様や行動にけっこう大きな影響を与える。それは人間らしく生きるための大事な力でもある。しかし、すべては諸刃の剣、裏と表をもっている。巧みなイメージ$略で人心を掌握し、自分たちの意に沿うようにコントロールすることも可能になる。われわれの歴史の中には、そうした実例にあふれている。いわゆるファシズム時代などもカリスマ的指導者≠ェ大衆を動かした。しかし、それは過去のものではない。いまでもイメージ≠ノよる戦略は政治に限らず、ありとあらゆる領域で活用≠ウれている。ともあれ、現実のリーダーは目に見えるミニカリスマ≠ナないとまずい。もちろん、昨日も書いたように少しばかりすごい人≠ナないといけない。しかし、同時に自分も努力すればあの人のようになれる≠ニいう気持ちを引き出す。シーダーはそんなミニカリスマ≠ナあってほしいと思う。もっとも、どうやってもあの人にはかなわない=Bそんなすごさ≠もった人もいるにはいる。それでも、ミニカリスマ≠フ場合は、そのすごさ≠ヘ努力の賜≠ナあることがみんなにわかるものだ。実像のない単なるイメージ≠ナはなく、本人がしっかり頑張った結果としての実力であることを誰もが認めている。だから、少なくともあの人のようになりたい≠ニいう気持ちにさせる人なのである。
少しだけすごい 2010/09/15 Wed 2767
 カリスマ≠ヘ見えないことが多く、しかもとてつもない能力をもっている点でほとんど神様≠ネのである。これに対してミニカリスマ≠ヘみんなが自分の目の前で見ることができる。もちろん、平々凡々たる人よりも少しばかりすごい人≠ナはある。仕事に関する専門知識や技術に関して、周りの人たちに一目置かせる。そんな力と雰囲気を持っているのだ。実際にできる$lだから、その影響力はけっこう大きい。しかも目の前にいる人だから、こんな人になりたい≠ニいう気持ちにもさせる。その点、カリスマ≠ヘほとんど神様%ッ然だから、あんな人になりたい≠ネどという想いすら引き起こすことがない。人々はただひたすら従うのみである。それにしてもカリスマ≠カリスマたらしめているのは情報≠セけではないか。いや正確にはコントロールされている情報≠ニいうべきだろう。その結果、ときにはカリスマの声≠ウえ聞くことができない。それはなぜか。神秘性を保持するためにはその方が効果的だからだ。たとえば、ドーンと落ち着いた重厚な声でなかったらどうなるか。まるで子どものようなキンキン声だったら威厳が保てない。少なくとも取り巻きはそう考える。シリアスなドキュメンタリーのナレーターのように、低音で鬼気迫るようなトーンでなければまずいのである。声だけでなく体型だってカリスマ≠フ要件になるだろう。あまり小柄だと迫力がない。昔の日本では6尺≠超える大男などという表現があった。尺貫法時代の話だが、1尺が30.3cmということで、身長が180cmを上回る人間のことを指していた。このくらいあると、もうそれだけで威圧感がある。あまり小柄だと、本物を身近で見せるわけにはいかなくなる。
カリスマとミニカリスマ 2010/09/14 Tue 2766
 随分前にミニカリスマ≠ノついて書いた。このごろは、それをバージョンアップしてリーダーシップの話題として使っている。結論を先に言えば、リーダーはカリスマ≠ナあってはいけない。ただし、ミニカリスマ≠目指すことは必要だという話である。そもそもカリスマとはギリシャ語を語源としたドイツ語である。予言や奇跡を行う超能力≠ナ、それが転じて大衆を心酔させ、従わせる、超人的な資質や能力。また、そのような資質を持った人≠ナある(電子版精選 日本国語大辞典)。カリスマを支配の1つの形態として取り上げたのは、社会学者のマックスウェーバーである。このほかに、合理的(合法的)支配人と伝統的支配を挙げている。マックスウェーバーの勉強はさておいて、現実の実践を考えるとき、リーダーはカリスマではなく、ミニカリスマであるべきだと考えている。それではカリスマ≠ニミニカリスマ≠ヘどこがどう違うのか。少なくとも4つはある。その第一、カリスマは見えない人≠セ。あるいはほとんど神様≠ネのである。一般の人々はその人物を見たことがない。いやひょっとして見たことがあっても、それは遠い遠い、しかも桁違いに高い場所にいて、ただ手を振ったり拍手をしているだけの姿である。しかも、その人の声すら聞いたことがないことだってめずらしくない。そんなすごい人なのだ。ともあれ、見える≠フであれば、彼か彼女が人間≠セということまでは確認できる。しかし、カリスマはけっこう見えない人≠ネのだ。そして、その人についての情報がいわば神秘的≠ネ雰囲気の中で流されていく。本物を見たことがないのにみんなが存在を信じるのである。こうなるとカリスマは間違いなく神様≠ノなる。
後出し発言 2010/09/13 Mon 2765
 公的な委員会などで司会をすることがある。そんなときは全員に発言してもらわないといけないと思う。それはそうなのだが、メンバーの数が多いとその目標達成がむずかしくなる。こんなとき、私の最初の発言はいつも決まっている。今日は○人もの皆さまがご出席になっています。それに対して時間は□□しかございません。私としましては全員からご意見をいただきたいので、積極的なご発言をお願いします=Bとまあ、こんな調子だ。これに対して、数人の方からボチボチ声が上がる。それをきっかけにしながら、メンバーに発言を求めていく。もちろん、ある発言を受けて手が挙がることもある。こうして時間が経過していくのだが、14、5人の会議であれば3人から4人ほどだろうか、まったく発言のそぶりを見せない方がでてくる。本当は発言の機会をお待ちなのだろうが、司会の目から見ると心の内はわからない。こちらとしては、全員発言≠目指しているから、少しでも関係がありそうな話題になると、該当する方々に振ったりもする。しかし、それでも2人とか3人とかが残される。そこでそろそろ時間も迫ってきました。まだ○さんや□さんからはご意見をいただいていませんね≠ニ、いわば指名することになる。ところがここでけっこう問題が発生するのだ。審議の終時間までほんのちょっとなのに拘わらず、かなり長いこと話をされるのである。また委員長はちゃんと発言しない者をチェックされてたんですね≠ニまずは冗談を言われた後で、しっかり時間をかけて発言された方がいらっしゃった。私としては、それだけのご意見をお持ちであれば、まだ時間の余裕があるときに率先して発言していただきたかった。後出しで、しかも長くなるのには参ります。
New York Timesの日本人 2010/09/12 Sun 2764
 ときどきNewyork Times日曜版の記事をピックアップすることにしている。冤罪から開放され、沈黙を破る(2010/8/29)=Bこれは足利事件の菅谷利和氏を取り上げたものだ。事件の経過と解放後の行動について書かれている。日本の法律には時効の壁があるため真犯人が捕まることはない≠ニ指摘する。たしかにこの事件の場合は時効が成立している。ただしわが国でも殺人≠ノついては時効が適用されなくなった。しかし、記事はそのことは触れていない。記事には母親が面会のために刑務所へ行くことを拒否したことも書かれている。さらに、警察に対して早く処刑してもらえれば棺桶に入って帰ってくることができる≠ニいった発言もしたという。菅谷氏は母親に真実を伝えたかった≠ニ声を詰まらせた。父親が逮捕から間もないころに亡くなったことは報道で知った記憶があるが、母親の発言についてははじめて聞いた。やや古くなるが、建築家のToyo Ito(伊東豊雄)氏が取り上げられている(2009/7/19)。小柄な男性で、長方形のメガネをかけた丸顔、黒髪の`r. Ito は、ゆったりしてフラストレーションのない人≠ニされている。彼は一見すると対極にあるようなもののバランスを探求するところが高く評価されているらしい。たとえば、個と共同体∞機械と自然∞理想郷的な幻想と過酷な現実≠ネどである。記事には大きなカラー写真が3枚付いている。横33cm、縦15.5cmのそれは多摩美術大学図書館≠ナ、これに座・高円寺≠ニ台湾のワールドゲームズメインスタジアム≠フ写真が加わる。私は建築に関するセンスはまるでないが、効率化を最大の善とするこの時代の中で、伊東氏はきわめてユニークな建築家として賞賛されている。
向℃ミ会的行動 2010/09/11 Sat 2763
 トイレで掃除をしている人にお疲れさまです≠ニ声をかける。私はたしかにそう書いた。しかし、これは100%の真実ではない。私の声かけには限界がある。じつはトイレに他の利用者がいるとそれが抑えられてしまうことが圧倒的に多いのだ。つまりは、周りに人がいないとき≠ニいう条件が付くのである。これについては自分の行動でありながら苦笑してしまう。社会心理学の援助′、究の成果がそのまま自分にも当てはまっているからである。声かけ≠ヘ援助≠ニは違うが、社会的にはいいこと∞望ましいこと≠ニいう点で共通性がある。こうした行動を社会心理学では向社会的行動≠ニ呼んでいる。まことに非日常的な用語であるが、援助≠煬社会的行動に含まれる。一般的には人を助ける≠アとは望ましいことだ。だから、人であれば誰もがいつでも援助行動をするかといえば、ことはそう単純ではない。そもそも援助行動(helping)≠ヘ、ある殺人事件をきっかけにして社会心理学のテーマになったのである。その事件は1964年にニューヨークで起きた。バーのマネージャーだったキャサリン・ジェノベーズさんが殺害された状況がきわめて衝撃的だったのである。未明に帰宅した彼女は3回に渡って暴漢から刺されてしまう。当然のことながら悲鳴に気づいた人たちがいたのだが、積極的な援助策をとったものがいなかったという。事件後の警察の捜査によれば、目撃者は38人もいたらしい。ただし、その後に人数は12、3人だったとか、殺人だとは認識していなかったという説も出されている。ともあれ、この事件をきっかけに援助行動≠フ研究が進められ、人は他人がいると援助行動が抑制される′X向があることが明らかにされたのである。
ありがたや、ありがたや 2010/09/10 Fri 2762
 ほとんど日本語では表現できない化粧をした若者がいたりする。ケバケバ≠超えて全身がゲバゲバ≠フ母親を見ることもある。そんな彼らが食事を取るとき手を合わせていただきます…=Bそのどんでん返し≠ノ大いに驚き、そして感動する。まあ、とにもかくにも小さなことを大事にしていれば、いつでもどこでも気持ちのいい体験ができる。たとえば外出先でトイレを掃除している人たちへの声かけはいかがだろうか。一般に公的な場所のトイレでは、ただいま清掃中です≠ニいった看板が置かれていることがある。なぜか黄色の看板が多いと思う。これまではそれを見ると他を探すという流れになっていた。しかし利用客が多いところではそうも言っておられない。そんな事情もあってか、清掃中でスタッフが中にいますのでご了解ください≠ニいった感じのものが増えてきたような気がする。つまりは人が作業中だけれど、ご使用はできますよ≠ニいうわけだ。羽田空港などではこうしたタイミングに出くわすことがけっこうある。利用者が多いので掃除の回数も多くなるのだろう。そんな機会に巡り会ったとき、私は洗面器などを磨いている人に声をかける。お疲れさまです=Bただこれだけである。圧倒的に女性が多いが、それに対してにっこり笑ってありがとうございます≠ニいう声が返ってくる。なんだそれだけか≠ニ思われる方にはええ、それだけなんです≠ニしか答えようがない。ただそれだけなのだから…。私は自立しています≠ネんて聞くと嗤ってしまう。この世の中に一人で生きている$l間がどこにいるのか。みんながしっかり仕事をしているからこそ、ちゃんと生きていけるのだ。右も左もありがたや、ありがたや≠フ世界なのである。
小さな関わり 2010/09/09 Thu 2761
 何はともあれ小さなことを大事にする。この気持ちがお互いを幸せにする。ホテルのエレベータに乗り降りするとき、ほんの一声おはようございます≠ニ言うか言わないか。部屋に出入りする廊下を歩いているとき人と出会う。そのときほんの気持ちだけでも会釈をするかどうか…。私の体験だけでいうと、日本人はこんな場合ほとんど無言のままだ。あるいは下を見て通り過ぎる。その点、欧米系の外国人は軽く笑顔をつくる。目と目を合わせて微笑むのである。まあどっちがいいとは言わないが、私は朝ならおはようございます≠ュらいは言う。もちろんそれに対する反応は返ってくる。ただし、先を越されて声を掛けられたことは皆無と言っていい。それは無言でいてもお互いに安全が保証されているからなのかもしれない。欧米では自分は敵ではないですよ≠ニいうアピールのために笑顔をつくって安心させる必要があるのだ。とまあ、そんな解釈もできないことはないけれど、やはり小さなコミュニケーションはした方が楽しい。楽しい≠ニいうことはお互いの関係が楽になる≠アとでもある。あるいは関係が楽≠ノなれば、そのまま楽しい°C分になれるといってもいい。わが家の2番目の孫が9ヶ月になる。目と目があうとにっこり≠ニ笑う。それを見ただけで大人の方が楽しく≠ネる、ウキウキ≠オてくる。その一方で赤ん坊の泣き顔もこれまたたまらなくいいものだ。本当に悲しそうだし、すぐにでも助けてあげないといけないという気になる。人間は笑ったり泣いたり、それに共感したり…。もちろん怒ったり嘆いたりもするが、そんな繰り返しの中で人は生きている。私自身の価値観を押し売りするつもりはないが、小さな関わりを大事にしたいと思う。
インフレ促進キャンペーン 2010/09/08 Wed 2760
 私は講義や講演で小は大を兼ねる≠アとの大事さをいつも強調する。もともとは大は小を兼ねる≠ェまともな日本語だ。しかし、こちらは今の時代に合わなくなっている。とにかく大きい方がいい≠ナは、まさに反エコ≠ネのだ。同じ意味で大は小からはじまる≠ニ言い換えてもいる。これを聞いた学生が先生、それってトイレの現象と同じですねえ≠ネんて解釈してくれた。なあるほど、そりゃあそうじゃ…。まあとにかくすべては小から始まるのである。われわれの体にしても、基本は原子でしょうが。クォークとかニュートリノなど、よくわからないが原子より小さなものがあるような話も聞く。まあ細かいことは置いといて、人間が小さいもの≠ゥら出来上がっていることだけはたしかだ。そんなこんなで、とにかく世の中は小さいこと≠ゥらはじまるのである。このことは人と人との関わりについても当てはまる。おはようございます≠フ挨拶にしても、ありがとう≠フ感謝にしても、とにかく小さな一言≠ネのだ。そこで私としては小さな声かけ≠竍小さな笑顔≠大事にしたいと思っている。あいさつや笑顔が充ち満ちた社会は気持ちがいいに違いない。そこで私は、笑顔や声かけのインフレ運動を進めよう≠ニ叫んでいる。経済のインフレは困るが、この手のインフレは大いに促進したいものだ。その昔、マックだったと思うが、笑顔は無料です≠ニいったコピーを流していたことがある。そうなんです、この厳しい時代に挨拶や感謝の一言はコストがかからない。それでいてその場の雰囲気や対人関係がよくなるのだ。まさに願ったりかなったりではないか。ところが世の中の流れはどうか。私にはむしろ逆流しているように感じられて仕方がない。
百合子と百恵 2010/09/07 Tue 2759
 私たちの世代には、相対的に演歌好きが多いと思う。義理人情の浪花節≠ニいう、まことに古い体質なのだが、それはそれでけっこう人間的なところもある。何でもかんでも成果主義≠ナはいかないのが人間なんですよね。しかも、成果主義≠ニいっても目先の成果≠ホかり気にするから、長期的には自ら破滅することだってある。まあそれはともあれ、演歌は旧世代にとって心の故郷≠セ。そして、あまたいる演歌歌手の中の一人に双葉百合子がいる。岸壁の母≠フタイトルくらいは、演歌から距離の遠い人でも聞いたことがあるかもしれない。母は来ました、今日も来た…≠ナある。これを唄った双葉百合子が引退を宣言した。ちゃんと声が出るうちに引退しようと、10年も前から決めていました≠ニいう(朝日新聞)。先日もNHKに出ていたが、しっかりした張りのある声で、まだまだ仕事になっている。そうだからこそ、今回の引き際≠フすばらしさに感動する。まだやる、まだできる、まだやりたい…=Bそう言いながら自分で区切りをつけることができない人が世の中にはけっこう多い。しかも、本当にまだやれる≠フであればいいのだが、端から見ているともう、あかんとちゃうか≠ニしか見えないのに、ご本人はそれに気づかない。とくに大物になればなるほど、周りの人間だってやめときなはれ≠ネんて、言えない、言えない、決して言えないのである。そして病気などで退かざるを得なくなる。やれやれ…。その一方で引退≠オておきながら、なぜか復活する′苣mもいらっしゃる。そんな中で双葉百合子さんははすごいなあと思う。そうそう、この点で山口百恵は歴史に残る人物だと言っていい。一般庶民も彼女たちを見習いたいですね。
ド演歌″DきのDNA 2010/09/06 Mon 2758
 お若い方々、いやもうけっこうな年齢の皆さんでも、いわゆる演歌≠ェ大好きな人の人口は減少し続けているのだろう。かく言う私は相当の演歌好き≠セ。小学校のころはテレビがなかったから、自宅で新鮮な情報を得る手段は新聞とラジオに限定されていた。そんな中、日曜日ともなると父が朝からラジオをつけっぱなし状態だった。父は歌好きで、いつも歌謡ベストテン≠ネどとは呼んではいなかったと思うが、そんなタイトルの番組を聴いていた。それは知らず知らずのうちに子どもの私にも大きな影響を与えた。何せ、東海林太郎に三橋三智也、春日八郎、若いところで若原一郎に橋幸夫…、挙げていけば当時の歌手の名前は際限なく蘇る。名前だけではない。三橋三智也の哀愁列車≠ノおんな船頭唄=Aリンゴ村から≠ネんて、うん十年経っても口ずさむことができる。そうそう、春日八郎だっていい唄を歌ってた。軽快なお富さん≠竏」愁を帯びた赤いランプの終列車=A別れの一本杉≠ネども歌詞をすぐに思い出しますバイ。三橋三智也は民謡出身だが、昔の歌手たちは誰もがすごい実力の持ち主だった。演歌と浪曲に歴史的な繋がりがあったのかどうか知らないが、三波春夫や村田英雄など浪曲出身の演歌歌手の声と節にもしびれさせられた。三波春夫のお客様は神様です≠ヘ流行語にもなった。男性歌手としては、着物でステージに上がった最初の人物だそうな。絶頂期には東京五輪音頭=A大阪万博の世界の国からこんにちは≠ネんぞで、まさに国民的歌手だった。一方の村田英雄は、当初は男の強さを、そして後には優しさを歌った。無法松の一生≠竍人生劇場=Aそして王将≠ネど、古き良き時代の日本の男たちのこころを大いに揺さぶった。
瓜田の履 2010/09/05 Sun 2757
 李下に冠を正さず≠ニ同じ意味で、瓜田に履を納れず ≠ニいうのもある。こちらは瓜だから畑の土にくっつくような状態で実っている。そんなところで靴が脱げて履き直したりすると瓜を盗んでいるのではないかと疑われる。李は上の方だから冠が、そして瓜は下の方で靴が問題になるわけだ。どっちにしても人から疑われることはしないでおこうということである。まさに常識的な教訓だが、政治家の皆さんは大いに参考にしてほしい。仙石さんの事務所費ネタと前後して原口総務大臣のテレビ出演の記事も出た。毎日新聞では原口氏の顔写真も入っており、こちらの方が目についた。内容は単純で、閣僚懇談会を途中退席したというもの。このときは、全閣僚をメンバーにした新型インフルエンザ対策本部、宇宙開発戦力本部などに関係した3つの会合も欠席したという。いろんな事情から会議に欠席というのはあるのだろうが、そのときどうしていたのかというのが問題にされているわけだ。行き先が大阪の読売テレビだったらしい。そこで「たかじんのそこまで言って委員会」という番組の収録が目的だったという。この番組は超過激な発言に充ち満ちた内容で、それが理由かどうかは知らないが東京をはじめとした首都圏では放送していない。ともあれ、原口氏は以前からこの番組に出演してはいたが、今回は大臣として公務を放り出してテレビ出演≠オたということで問題になっているわけだ。そんな声が上がるのは想像できそうなものだが、会議の方がそれほどつまらないものだったのかしら。朝青龍だって公務である巡業を放っておいてサッカーしたために2場所の出場停止でしたよね。いずれにしても、政治家の辞書にも李下に冠を正さず≠入れていただきたいですね。
李下の冠 2010/09/04 Sat 2756
 李下に冠を正さず=B李(すもも)≠フ木の下で冠を正すと、李を盗もうとしているのではないかと怪しまれる。そもそも人から疑われるようなことはしない方がいい。とまあ、そんな意味である。誰が聞いてもそりゃそうじゃ≠ニ思うから、一般庶民の辞書には間違いなく載っている。ところが、政治家の辞書にはどうなんだろうと疑いたくなる。勝手に推測させてもらえば、掲載されていないのではないか。ささやかな記事だが仙谷官房長官の事務所費問題が新聞に載っていた。長男が不動産管理会社を営んでいるらしく、そこに事務所費として、07年から09年まで320万円を払っていたという。朝日新聞が報道したらしい。またもや身内と経費の問題である。事務所費問題はまるでモグラ叩き≠セ。とにかくちょこちょこ頭が出てくる。ご本人の発言は当然のことながら実際に政治団体の業務を委託しているのでまったく問題ない≠ニなる。たしかにその通りなんだと思う。それどころかきちんと処理しているのに、こんなことまでケチを付けられてはかなわない≠ニいうのが本音ではないか。それもそうに違いない。ただ、ただですね、そりゃあそうなんでしょうけどね、少しでもとやかく言われそうなことがあれば、そこは意地でも≠るいはやせ我慢をしても$^っ白けの方法を採れないもんかと思うわけですよ。つまりは李下に冠を正さず≠ネんです。理屈の上では国民はみんな平等ではあるんですが、そこは何といっても政治家さん≠ネんですよね。やっぱりあんたもかではなくて、さすがあなたは違う≠ニ言われてほしいなあ。法律上は問題がない≠ニか規則に違反していない≠ニいったことばが言い訳に聞こえるようになったらおしまいですですよね。
まあ、いいか≠フ危うさ 2010/09/03 Fri 2755
 私が進めるグループワークでは、1グループ6人を基本にしている。人数の関係でそれができない場合は5人グループをつくる。課題の性質から7人構成は考えていない。そんな中で、4人と7人のグループができていて、しかもすでに情報交換をはじめていたのだ。言うまでもないが、4人と7人ではお互いに交換する情報量に差が出る。その結果としてグループのパワーも違ってくるし、またグループワーク間の時間調整もむずかしくなる。そこで、このケースでは7人グループのお1人に4人グループへ移動してもらった。まだスタートして間もなかったので、グループワークに大きな支障はなかったはずだ。しかし、それにしてもこうした事態が現実に起きていることに感動≠オた。あれだけ、6人か5人≠フグループになると伝えていても、4人と7人の集団ができてしまう。しかも、そのまま℃d事をはじめるのだ。7人ってちょっとおかしいよね∞あれっ、うちは5人じゃなかったかな。4人じゃないよね=Bそんな会話がなされたかどうかはわからない。しかし、少なくとも頭の中では≠サう思ったメンバーがいたに違いない。そのくらい、5人か6人になることを強調≠オたつもりである。それが表の声にならなかったか。それとも、話題にはなったが、まあ、いいんじゃない≠ナみんなが納得したのか、そのあたりは確認していない。しかし、じつはあれっ∞ちょっとおかしいじゃない∞これって違うんじゃないの≠ネどは危機管理のキーワードなのである。そして、まあ、いいか≠アそは組織の安全を脅かす悪魔の声≠セと考えた方がいい。たかがグループワークだが、されどグループワークでメンバーの危機管理に対する意識の一端が見えたりもする。
4人と7人のグループワーク 2010/09/02 THu 2754
 同じことを繰り返して言っていても、その趣旨が伝わるとは限らない。それが人間である。だから5人か6人のグループができるはずなのに、4人や7人のグループになることだって大いにあり得るわけだ。ただし、それは一時的で大抵はこれって、ちょっとおかしいじゃない≠ニ気づく者がいる。だから人数がおかしくても、自分たちで調整することが多い。そうならない場合でも、グループ数が少ないときは、私自身が一見して違和感を感じる。ところが、全体の数が多くなってくると、グループのメンバー数が見渡しただけではわからないことがある。たとえば75人だと13グループにもなる。これに部屋が狭い、縦長で後ろの方が遠いなどの条件が加わると、グループ同士も密着しているので、人数のアンバランスに直感的には気づかないのである。じつは最近その実例に遭遇した。人数調整が行われないで、4人と7人のままグループワークの課題に入っていったのである。私はスタートしてすぐにグループを回り始めたのだが、そのときはじめて4人グループがあるのに気づいた。あれっ、ここは4人ですね=Bけっこう驚いた気持ちが出ていたと思う。それに対してはそうなんですよね≠ニいう雰囲気は感じられたが、結局はええ≠ナおしまいだった。そこで振り向くと、しっかり7人グループがあったが、こちらでは何事もなかったようにグループワークが進行している。私は思わず苦笑いをしたが、これはかなり希な事例だ。老化が激しいので、まったく初めてだと断言する自信はないが、少なくともふとイメージが浮かぶような過去の記憶はない。何を気にしてるの。人数が1人多い少ないくらいで困ることはないですよ=Bメンバーとしてはこんな感じなのだろうか。
確認していても… 2010/09/01 Wed 2753 8/31から続いています
 5人か6人のグループしかできないはずなのに、4人や7人のグループができる。これは7人グループの誰かが間違っているのである。私がグループは5人か6人になる≠ニ繰り返し言っているから、大抵はメンバーが気づいて自分たちで調整する。誰からともなしにここは■グループですが、どなたか他の番号の方がいらっしゃいませんか≠ニいった声が出てくる。そこでやや自信のなさそうな人が私は◆かもしれません≠ネどと言って4人グループに移動していく。これでめでたしめでたしとなる。ときにはそのままのこともある。みんなが内心ではおかしい≠ニ思っているはずだが、それを言い出さないのだ。そんな場合でもグループ数が5つや6つくらいまでなら、私がすぐに気づく。あれっ、そこは人数が多いですね。しかもあちらは少ないようですから、どなたか勘違いされているんじゃないですか≠ナ決着がつく。ただし、細かいことを言えば、7人ができたら必ずどこかが4人になるわけではない。もともと6人のはずが5人になっている場合もある。そうなると、7人のうちの1人がどのグループに入るのかは、見ただけではわからない。まあ、そんなこんながあるが、基本的には私が目と目を合わせながら番号を振っていったときにすぐにメモをしておけば、こうしたことは起きない理屈である。しかも冗談っぽいながらもメモされるようお勧めします。あとで私に聞かれても、私は番号をコールするのに精一杯ですから知りませんよ≠ニ伝えているのである。しかし、人間はおもしろいものだ。それでも≠、まくいかないグループが出てくることがあるのだ。どれだけ確認していても、ミスや事故は起きる。そもそも人間はそんなものだと考えていた方がいい。