7人と4人のグループ 2010/08/31 火 2752
グループワークに際して、メンバーをグループに分ける。そのとき、お互い知らない同士の組み合わせにするため、メンバーと目を合わせながら単純にグループ数の番号を割り振っていく。あらかじめ決めたグループ数の番号を繰り返すのである。その前に、@グループは5人か6人になること∞A目と目が合って自分の番号が決まったらメモをお勧めすること≠伝えておく。そして、全員のグループ番号が決まったとき、Bこれで1グループから■グループまでは6人ですが、◆グループからは5人になりますね≠ニ確認する。これは簡単な理屈ですぐにわかる。たとえば5グループを設定しているのに、最後のメンバーが3≠ナ終わるとする。この場合は、4≠ニ5≠ェ足りないから、この2つは5人グループ≠ノなるのである。ともあれ、こうして上記の3点を強調しながら、全員の所属グループが決まる。そこでメンバーたちは、あらかじめ指定されたおおよその場所に移動してグループをつくることになる。このときも、けっこうワイのワイのと賑やかになることが多い。楽しい一時である。さて、全員が向かい合わせに座ったところで見渡すと、7人と4人のグループができていることがある。グループができるまで遠目に観察していると、7人になったところでは、これはおかしい≠ニお互いに自分の番号を確認して、最終的には本来の6人になるケースもある。しかし、そうはいかずに、7人と4人グループが生まれてしまったりもする。こうしたことが起きる理由は明らかで、7人グループのうちの1人が勘違いしているのだ。それも大抵は隣のグループとである。その1人が4人グループに移動すれば、無事に6人と5人のグループができて準備万端となる。 |
グループ分け 2010/08/30 月 2751
私が授業や研修でグループワークをする際には、メンバーを5人から6人のグループに分ける。グループが効果を挙げるための適正人数については、とくに科学的な根拠はない。グループワークの目的やメンバーの性別、年齢といった様々な要素を考えれば、人数もいろいろありだろう。したがって、5から6人というのは私の経験によっているだけのことだ。それはともあれ、授業や研修などでグループワークをする場合、参加者の人数を6で割って、小数以下を繰り上げてグループ数を決める。たとえば34人だと、34÷6=5あまり4だから、6グループをつくる。この場合、6人グループが4つと、5人グループが2つ出来上がる。教室や会場が自由席のときは、まずは知っている者同士が横に並んで座っている。そこで、前の方から順に6人とか5人で分けていくと、そうした人たちが同じグループに入ってしまう。グループワークは知らない者同士の方が、情報も多様になり、メンバーにとってプラスだし、グループそのものが活気づく。そこで、できるだけ異質なグループをつくるために、前の方から私が一人ひとり指を指し目を見ながら、1、2、3、…≠ニ声をかけていく。これだと、横に座っている人たちは必ず別のグループになる。番号をコールしはじめる前に全体に伝える。私と目が合ってご自分の番号が決まったときはメモされることをお勧めします。あとになって、自分は何番ですかと聞かれても私にはわかりません。なにせ声をかけていくのに精一杯ですから…=Bここでちょっと笑いが起きることが多い。さてさて、これからが今日のメインテーマになるのだが、1日720字という本コラムに課したリミットに達してしまった。この続きは明日ということになる。 |
黄昏のノーベル賞 2010/08/29 日 2750
New York Times≠ゥらのピックアップシリーズの手始めは、やや皮肉ながらJapan≠ナはなくChina≠ナある。Chines
Scientists Feel Lure of Home 故国に引きつけられる中国人科学者=i2010/1/17)。プリンストン大学から100万ドルの研究基金の提供を受けることになっていたアメリカ在住の中国人科学者
Shi Yigong 氏がそれを辞退して故国に帰ったのだ。アメリカに18年間も在住した彼が100万ドルの基金を獲得したことには誰も驚かなかった。それほど優れた業績を上げていたわけだ。それだけに、基金を辞退して帰国したことが驚きだったのである。ともあれ、中国は国家レベルで研究をサポートしている。わが国のノーベル賞の受賞者15人はアジアでトップを走る。これに続くインドは4人で、韓国は金大中氏の1人である。中国人はいない。しかし、この勢いも他のあらゆる領域と同じ運命をたどるに違いない。これから30年も経過すれば、日本人のノーベル賞は遙かな昔話になるだろう。これまでもわが国が教育にお金をかけてきたとは思えない。いつも引用されるOECDの統計では、GDPに占める公的教育投資の割合は、いわゆる先進国の中では最下位なのである。これについては統計の取り方が問題だとする人もいるが、それを変えれば上位にアップするものでもないだろう。そうしたマイナスを補ってきたのは産業界をはじめとした民間の力だったというのが現実だろう。しかし、いまその民間の活力が枯れ果てていく。困窮の中で与えられたお米を食いつぶさずに教育に投資したという長岡藩の米百俵&ィ語を引用した首相がいた。これまでとは違うぞ≠ニ期待させたが、何のことはない、口先だけだった。そんなことなら言わない方がいい。
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Newyork Times≠フまとめ方 2010/08/28 土 2749
日が昇る国≠フ時代には、New York Times=i日曜版)にはJapan≠フ文字が頻繁に登場した。その内容も元気がいい≠烽フばかりだった。しかし、バブル崩壊の1990年代になると21世紀は日本の世紀≠ェ幻想と化し、日本崩壊の世紀≠フ様相を呈しはじめる。日昇る国≠ェ真昼を過ぎて、次第に日沈む国≠ノなってきたのである。午後の汗だくの時代にバブル熱射病にかかり、ついには倒れてしまった。そして上昇気流が積乱雲を生みゲリラ豪雨となって地上に降り注いだ。体は冷えたが、気がつくと豪雨が取り返しのつかないダメージを与えていた。そんな変化に伴って、New
York Times≠ゥらJapan≠ェ激減していく。ときおり取り上げられても、その多くが日本の弱体化を伝えるものである。これに対して中国関連の記事がほとんど毎号のように掲載されるようになった。それは明らかに時代の変化を反映している。こうした傾向を本コラムで指摘してからすでに相当の期間が経過した。ともあれ、私の目を引く記事があると、それを2回とか3回程度の分量であれやこれやと書いていた。これに対して、外から日本を見る目がどんなものかわかっておもしろいですね。いつも楽しみにしています≠ニいったありがたいメールをいただいたこともある。私は生まれてこの方、すぐに嬉しがる質だから、そうした応援メッセージに勇気づけられ、Japan≠ノ関連した記事があると、そのうち書こうと思ってストックしてきた。ところがそれがいつの間にか溜まってしまった。そんなわけで、しばらくは個々の記事について多くのスペースを割かずにこんな記事が載ってましたよ≠ニいった感じでお伝えしていきたい。本日はその予告≠ナおしまいです。 |
電気設備点検のため、 8/27(金)19時〜8/30(月)9時 まで、HPにアクセスできなくなります。
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外から≠フ視点 2010/08/27 金 2748
New York Times≠フ日曜版は、その名のとおり週に1回だけ配達される。毎週8ページだが、あれやこれやと多面的な情報が載せられている。私たちは、国であっても個人であっても、外から見る力≠ェ必要だ。いわゆる主観的≠ネ判断だけで行動するのは危険である。外から見る目≠ヘ客観的な視点≠ニ言い換えることもできる。もっとも、完全な客観的視点≠ネんてものはあり得ない。私はいま自宅の机でこのネタを書いている。つまりは椅子に座って静止しているわけだ。そのことは自分≠セけでなく、客観的≠ネ他人の目≠ゥら見ても事実≠ナある。しかし、その私をスペースシャトルから客観的に′ゥればどうなるか。地球は間違いなく回っているから、私はかなりのスピードで動いていることがわかるはずだ。えっ、スペースシャトルからは、お前さんなんて小さすぎて見えるわけがない≠ナすって。それにシャトルも動いているから、結局は何が何だかわからないだろうよ。そりゃあそうですが、そこはそれ頭≠フ中で考えることにしましょう≠ワあ、大げさに言えば思考実験≠ニいうわけです。アインシュタインの理論などはまるで理解できないが、とにかく世の中は相対的なのである。いつ、どこで、どのような立場にいるかで外から見る%燉eだって変わってくる。しかし、それを言い出すときりがないから、とにかく外から見る目≠フ大事さだけは強調しておきたい。その点では、New
York Times≠ネんぞは、外から見る目≠訓練するにはもってこいである。そうした想いで、もう20年以上もこれを見続け≠トきた。あえて読み続け≠トいるとは言わないでおこう。購読しはじめたころ、わが国は日が昇る国≠ナあった。 |
説明できますか? 2010/08/26 木 2747
自分たちだけのために勝手に使い込んだのではないか=B若者たちから900兆円を超える借金について問い詰められたとき、われわれは納得のいく説明ができるか。まあ、そう責めなさんな。たとえば空港を見てご覧。全国津々浦々に整備したおかげで、どこにだって飛行機で飛んでいけるでしょう。それに韓国の仁川空港に直結しているところが多いのもすごいんだよ。あそこで降りてご覧なさい、そのまま世界中好きな場所に行けることに感動するから。そうそう、あっちこっちにある港湾設備だって大したもんだよ。その気になればいつでも釣りができるらしいじゃあないですか。とにかく釣り好きには最高の場所だと聞いてるんだけどね。もちろん高速道路については言うまでもないでしょう。前にも後ろにも車が1台も見えないところで突っ走る快感を味わえるのも、先行投資あってのことだからね…。まあ、少し茶化し過ぎかもしれないが、この程度の説明くらいしかできないのではないか。建設国債は次の世代にも残る財産だなんて理屈があったらしいが、赤字だけが増え続ける空港や車が走らない道路なんぞ、残された方が大迷惑に決まってる。借金をしたい放題して自分たちだけいい目にあっただけのこと。その上に年金までもらってはしゃぐんじゃないよ。まずは自分たちの借金を返す方が先だろうが。そんなのを社会の常識では業務上横領≠ニ言うんだよ。それを言っちゃあおしまいよ≠ネんて寅さん風に言い逃れできるとはとても思えない。私は、この国でそのうち暴動が起きるのではないかという不安を感じはじめた。人生の終盤に楽しむことはけっこうだ。ただし、少しだけでもいいから若者たちにも気配りをしたい。とにかく、はしゃぎすぎにはご用心を…。 |
はしゃぎすぎにご用心 2010/08/25 水 2746
団塊の世代である。すでに還暦を過ぎて、一般的にはリタイアしている。ただし、まだ働く元気のあるものが多いから、けっこう仕事をしている。その一方で、旅行や食事などを楽しんでいる様子もテレビで流される。まさに悠々自適、けっこうなことである。ただし、あまり派手にやるのは控えた方がいい。このごろは仕事がしたくてもできない若者が増えている。また働いてはいるものの結婚することもむずかしいくらいの収入しか得られない人たちもいる。ワーキング・プア≠熕V語ではなくなった。いやな呼び方だが、それも現実だ。博士号をもった若者がパチンコのプロになったという話もある。そんな厳しい状況の中で、われわれ団塊世代がはしゃぎすぎるのはまずいのではないか。そんなことを言うと反論されるだろうか。冗談じゃない。自分たちは若いころから必死で働いてきたんだ#N金だってきちんと徴収されつづけてきた。そしてようやく定年を迎えたんだ。いわば、自分が貯めた原資で自分たちが楽しんでいるのだから、妙な言いがかりは止めてくれ…=Bたしかに、その理屈はわからないでもない。同世代としてはそう思いたい。しかし、それは若者たちに十分な説得力をもっているだろうか。まあ、あなた方がしっかり頑張ったということは嘘ではないだろう≠ニ取りあえずは事実として認めてくれるかもしれない。しかし、彼らこんな疑問を投げかけてくるのではないか。それはいいけど、ちょっとお聞きしたことがあるんだよね。つい最近の報道では、国の借金がとうとう900兆円を超えたらしいけれど、あれは一体全体どこにいったのか説明してほしい。何のことはない、あなた方の世代が自分たちの利益のためだけに勝手に使い込んだんだろうが=B |
白玉屋新三郎 2010/08/24 火 2745
白玉屋新三郎≠ノ行った。国道3号線を下るときは、いつも家内からこの辺り≠セと聞いていた。いわゆる白玉粉のお店だという。子どものころから白玉粉で作った団子は大好きを超えていた。きな粉をまぶしたり、砂糖を付けたりといろいろあったが、その食感は忘れられない。その老舗が白玉屋新三郎≠セというのである。ただ、いくら好きだと行っても白玉粉だけを買いに行くこともない。それに八代に行くときなど3号線はけっこう通っているが、そんなお店は見たこともない。そんなこんなで何年か経過していたのだが、家内が新三郎だけを目的に行ってみよう≠ニ言い出した。私としてもずっと聞き続けてきたことでもあり、その気になった。まずは住所を確認するためにホームページを検索した。いやあ、参った参った。Yahooで白玉屋新三郎≠ェ121,000件というのだから半端じゃあない。何と創業は寛永5年で、すでに360年もの歴史があるという。それだけではない、福岡にもお店を出している。また博多大丸で販売しているという。ところで、その本店だが、その気にならないと絶対に通らないような道の先にあった。小さな川を渡ったとき、白玉屋新三郎≠フ旗がたなびいているのに感動した。しかも、昔よく見た田舎のお店といった感じなのだ。そのことでさらに感激する。店の中には白玉団子はもちろん、まんじゅうやクッキーもあった。さっそく店内で氷を注文した。宇治茶のシロップに甘い小豆がついている。甘味緑風≠ニいう名だ。きな粉をかけた白玉団子も一緒である。氷の山をゆっくり崩しながら食べていく。まさに至福の一時を過ごすことができる。子どものころは氷を食べるだけで生きている喜びを味わえたものだ。その思い出とともに感謝。 |
民生委員 2010/08/23 月 2744
父が亡くなったとき、半月分ほどだっただろうか、年金のもらい過ぎ≠ェ生じた。受給者が亡くなった場合は、超過分は日割りで返還するのが決まりである。当然のことだ。ただし、遺族が本人の生活と深く関わっていた場合は、その返還を免除することになっていた。父は亡くなる3ヶ月前までは、少なくとも外見的には元気だった。本人が56歳のときに妻を亡くして一人暮らしをはじめた。それから20年ほど一人で過ごすことになる。そんな父だから、還暦を超えたころから熊本に住むように勧めたが、自分の故郷である福岡から離れようとしなかった。ただ、それでは心配なので、10日おきに福岡と熊本を行き来するということで落ち着いた。生来の几帳面さもあって、その決まりはかなり厳密に守られた。そんなわけで父は孫にも10日おきに会うことができたのである。父の葬儀のとき、中学生だった長男が涙を流していた。私はその光景に言いようのない嬉しさを感じた。これから先、私は孫とそんな関係をつくることができるだろうか…。ともあれ、そんなわけで父とは日常的に関わりのある生活をしていたわけだ。そこで、おそらくは関係機関の助言を受けて、返還免除≠フ手続きを取ることにした。そうした事情を記入する書類があって、それを民生委員に証明してもらうのである。民生委員は社会奉仕の精神をもって、常に住民の立場に立って相談に応じ、及び必要な援助を行い、もって社会福祉の増進に努めるものとする≠アとになっている(民生委員法第1条)。父の年金についてはすんなりと証明してもらって、けじめが付いた。高齢者の安否を確認するのも民生委員の役割の1つなのだが、個人情報保護法の影響もあって、そのあたりが相当に厳しいようだ。 |
こころが壊れる 2010/08/22 日 2743
すでに亡くなっていた母親の遺骨を抱えていた息子が出てきた。年金が支給されていたという。明らかに不正な受給である。100歳を超える人たちの行方不明≠ェ問題になったとき、専門家≠ゥ識者≠ゥ知らないが、徘徊の結果≠セと説明した人物がいた。しかし、この解説は相当に疑わしい。そうしたケースが皆無だとは言わない。たとえば、一人暮らしの老人がどこかに行ってしまった場合は、行方不明≠ノなったこと自体がわからない。しかし、それでも住民票はそのままに違いないし、100歳を超えれば自治体からのお祝いだってあるだろう。そんなときに現状がわかりそうなものだ。いずれにしても、徘徊≠ェ理由で行方不明≠ノなる人の確率はどのくらいなのか。いなくなったのに遺族が年金を受け取っている。そんな事例が現実に出てきているわけだ。はっきりとは言いにくいが、今回のような無届けよりもさらに深刻な事態が起きている可能性は皆無なのか…。こんな想像をする私自身がこころの貧困さ≠責められるかもしれない。しかし、そんな邪推をしたくなる。このごろは、そんなわびしい時代になってはいないか。このままだと、人のこころも壊れていく。いや、もうすでにそこまでいっているのではないか。ところで、年金は2ヶ月に1回振り込まれる。現在の制度は知らないが、私の父が亡くなったとき、その日よりも半月ほど先の分まで振り込まれていた。そこで、その一部を日割りで返還することが求められた。ただし、本人を扶養していたという事実があれば、振り込まれたところまでは返還しないでいいことになっていた。それをどこで知ったか記憶していないが、亡くなった届けを出すうちに、関係した機関の担当者から教えられたはずだ。 |
今日から≠フ実践 2010/08/21 土 2742
昨年の3月9日のことだ。ドックのデータを見たお医者さんからメタボっぽいなあ≠ニいわれた。素人なりに、そりゃあそうだろうなあ≠ニいう自覚はあった。その原因もしっかり掴んでいた。いくつかの依存症である。チョコボール依存症∞バターピー依存症∞おかきにせんべい依存症∞アイスクリーム依存症=c。もうその嗜好性は甘辛を問わずだった。東京に出かけるときは空港の売店でチョコボールが声をかけてくる。今日はとくにおいしいよ=Bそんな甘い誘いについ手が伸びている。それを口に入れながら出発を待ち、機内でも1個、2個と続けていく。カリッ∞ポリッ=Bまずはこのサウンドがたまらない。チョコレート特有の香りとともに、濃厚な甘さが口の中に広がり、それから喉にまで伝わっていく。しばらくすると、本を読んだりPCを使ったりしはじめるから、ペースはダウンする。そして、羽田空港への着陸態勢に入りました≠ニいうアナウンスが流れる。そこでチョコボールの箱に手を伸ばし、それを軽く振ってみる。すぐにチョコボールの声が聞こえてくる。全部、食べて−っ=Bこれがまた強烈なのである。その期待に応えないとまずい。即その気になった私は箱を空っぽにすることになる。これっぽっち残っていても仕方がない≠ニ真剣に考えるの。1個でも2個でも、残していけないなんて決まりはどこにもないのだけれど。そして、今日まではいいじゃない=Bあの悪魔の声がだめ押しになる。しかし、昨年3月から一念発起して、今日まで¥ヌ候群からの脱出を決意した。細かい事情を書き始めるとエンドレスになる。ここでは、昨日の続きとして、今日から≠決意し、メタボ対策に成功したことだけお伝えしておこう。 |
今日まで≠ニ今日から 2010/08/20 金 2741
今日から≠ニ今日まで≠ニの間には天と地ほどの違いがある。何かを止めようとする。たとえばタバコや酒、それに甘い物など、とにかく何でもいい。止めないといけないいと思いながらつい手を出してしまう。そのときに発せられるセリフが今日まで≠ナある。今日まで≠ネのだから、明日から≠ヘ止めるはずである。しかし、映画のタイトルではないけれど、俺たちに明日はない≠フである。なぜって、今日の午前零時を過ぎると、そこは今日≠フ世界なのだ。つまりは今日から℃~めるしかないのである。それに今日まで≠ニいうのはかなり質が悪い。それを理由にしたやり過ぎ≠ェ横行するのである。どうせ今日までなのだから、思う存分に吸っちまえ=Bこれで最後だ、飲むだけ飲もう=B甘い物だって、そこにあるだけ食べてしまう。そんな勢いも、明日≠ノなると急激に減衰する。こうして今日まで¥ヌ候群はいつまで経っても治らない。私はタバコを止めて30年ほどになる。そのころ今日まで≠ニか明日から≠ノ捕らわれていた。そして無意識の欲求がもっともな理由≠こじつけてくる。タバコを止めると手持ちぶさたになりますよ=A間だってもてないでしょう%凵X…。自分に言い聞かせるだけは満足できずに、喫煙者同士でタバコで気持ちが落ち着くよね≠ネどと確認しあう。しかし、タバコを止めてみると、どれもこれもが言い訳≠セったことがわかる。私なんて、身振り手振りがけっこう好きなので手持ちぶさたの悩みなんぞ、これっきしもありません。相も変わらずのおしゃべりだから、あんた、少しは間を入れたらどうなの≠ネどとアドバイスされているくらいなんです。ともあれ、今日から≠ナいきましょう。 |
ひとの性(さが)〃S.仕組みのせい 2010/08/19 木 2740
子ども手当の寄付が皆無に近いほど少なかった件は、これから詳細なデータが出てくるだろう。少なくとも、それまでは、金持ちは性悪≠ニいった判断は控えといた方がいい。新聞によれば、寄付するための手続きが煩雑≠セという。ものごとがうまくいかないとき、それを人のせいにしたくなる。うちの部下はまるでやる気がない≠ニいった具合だ。その判断が正しい場合もあるにはあるだろう。しかし、この寄付事例などは人の性悪さ≠嘆く前に、システムの方に問題があると考えるべきではないか。つまりは、寄付するための仕組みがうまく機能していないのである。そもそも1,000万人を超えると思われる対象者への給付手続きだけでも相当な業務量になるはずだ。これに加えて、申請する側が煩雑≠ネものなら、そんな申請を受け付ける方方だって、処理は大事になるに違いない。こうして、またまた自治体の仕事が増えていく。もちろんその仕事に対するコストは、給付する金額には含まれていない。いまのところ、そうした申請がほとんどないからニュースになったわけだが、増えたら増えたで、その金額も相当なものになっていくわけだ。1件の処理時間がどんなものか知らないが、その量が多くなると無視できなくなる。何といっても、日本人1人から1円ずつもらうことができれば、単純計算なら1億2千万円になる。国レベルの数値はそんなものなのである。昔から人の行動は遺伝か環境か≠フ議論が続けられてきた。いまのところ、遺伝が影響を持つものもあれば、環境で変わるものもある≠ニいう、まことにわかりやすい′鋸_が出ている。まあ、よくわからんということですわ。ともあれ、人の問題も人の性≠ェ仕組み≠ゥはいつも考えておきたいですね。 |
金持ちは性悪=H 2010/08/18 水 2739
子ども手当 寄付34人=B先週土曜日14日の熊本日日新聞1面トップの見出しである。共同通信が全国74の自治体を対象に行った調査で明らかになったという。記事のみでことの詳細はわからないが、調査地区での子どもは550万人だという。世帯数をもとにした単純な割り算だと思うが、これは16万人に1人程度≠フ割合になるらしい。この寄付制度は、高額所得世帯への支給に批判が出たことから、代替策として導入されたのだそうな。そう言えば、そんな話もニュースで見たなあという程度しか記憶がない。ともあれ、見出しだけを見ると、金持ちは強欲だ≠ネどと思う人がいるかもしれない。人は生まれながらにして善≠ネのか悪≠ネのか。いわゆる性善説≠ゥ性悪説≠ゥ、その議論は歴史的に続いている。前者の代表は孟子である。その後は儒教によって受け継がれてきた。一方の性悪説≠ヘ荀子が唱えたとされる。ただし、荀子はだから人間は困ったもんだ≠ナはなく、教育や修行が大事だ≠ニ主張したかったのだそうな。日本の刑罰では性善説を前提にしており、本人の更生≠ノ期待するところが大きいと説明される。ともあれ、16万人に1人≠オか寄付していないと聞くと、金持ちはケチだ、性悪だ≠ネどと思いたくもなる。しかし、問題はその制度があまり知られていない≠アとと手続きが煩雑≠ネことにあるようだ。そうなると、金持ちは性悪だ≠ニいう仮説は危うくなってくる。そもそもは制度に欠陥があるのだ。ただし、子ども手当は該当する親たちが申請するのだろう。そうだとすると、申請する℃闡アきは苦にならないが、寄付する&は面倒ということなのか。そもそも、支給の該当者全員が$\請しているのだろうか。 |
クロッシング 2010/08/17 火 2738
それはドキュメンタリーのような映画だった。タイトルはクロッシング=A韓国映画である。韓国語が飛び交い、日本語がスーパーインポーズで提示される映画を初めて見た。cross≠ノは川を渡る≠ニいう意味がある。これは脱北≠フ物語である。中国とロシア、そして北朝鮮の国境を形成する豆満江≠ニいう川が流れている。ここをクロス≠オて中国へ脱出するのである。対岸は中国吉林省の延辺朝鮮族自治州という。自治州の意味が十分に理解できていないが、少なくともここは朝鮮族≠ェ住んでいるのである。映画の主人公は妻の病気を治すための薬を手に入れようと川を渡る。祖国には妻と男の子を残していく。その後、中国でドイツ大使館に駆け込み、韓国に移送される。大使館のフェンスをよじ登る光景がニュースで頻繁に流された時期があった。映画の内容を詳細に書くと、これから観る人に叱られる。いまはDVDもある時代だから、映画館の上映が終わっても、それを観る人は少なくない。ともあれ、不幸にして妻は病死し、子どもだけが残される。そしてその子も脱北を図って父親に会おうとする…。映画の公式ホームページによると、ノ・ムヒョン政権下では脱北者に冷淡だったらしく、極秘裏に撮影されたという。中国国内やモンゴルでのロケもそうした状況で行われたのだろうか。いずれにしても、ドキュメンタリータッチの映画からは、まことに厳しい現実が伝わってくる。まったく同じ民族であるにもかかわらず、南北間にはどうしてこんな差があるのか。それがシステムの違いであることは明らかだ。ところで、先週は台風4号の影響で、北朝鮮の北部を赤マーク≠ェ付いた雲が移動していた。大洪水が発生して、多くの犠牲者が出たことだろう。 |
年寄りの嘆き 2010/08/16 月 2737
ピラミッドにこのごろの若い者は…≠ニ嘆く落書きが残っていたという。ときの経過とともに社会は変化していく。年を取ればそれだけ若者の考えや行動との間に違いが目立ってくる。しかも昔のことは、ほのかな懐かしさをもって思い出される。そのときは二度としたくないと思った嫌な体験jも、時間が経過するとすべてがいまに繋がっているような気がしてくる。そんなわけで、いつの時代も年寄りはこのごろの若い者たちは≠ニ文句を言いたくなるのである。まあ、それはそうなのだが、このごろ私は人の心が壊れてきていることを心配している。ただし、それは今にはじまったことではない。大きな変化も小さな変化の積み重ねなの結果である。それがあまりにも小さいために気づきにくいだけのことだ。あるいは気づいたとしても、まあいいか≠ニか仕方がないか≠ナ終わってしまう。こんなとき、私はいつも小さな親切運動≠思い出す。詳細は「小さな親切」運動本部のホームページに譲るが、その発足は1963年である。「小さな親切」の積み重ねが社会全体を明るく住みやすくする。じつにわかりやすい、しかも実践もしやすいスローガンだ。ところが、間もなくこの運動を揶揄する文句が流行する。小さな親切、大きなお世話=Bつい吹き出してしまうような言い回しだ。たしかに、世の中には親切の押し売り≠チぽいものもある。しかし、こんな言い回しで笑っていた根底には、他人と関わりたくない∞自分がよければそれでいい≠ニいった精神構造が生まれていたのではないか。つまりは、すでに50年近くも前から人のこころ≠ェ壊れはじめていたということである。一度溶けてしまった氷河を元に戻すことは、人の力ではできないに決まってる。 |
壊れるこころ 2010/08/15 日 2736
放置されて母親に命を奪われた幼児にしても、100歳以上のお年寄りの行方不明にしても、関わりのなさ′フの問題である。私は人と人との繋がりを血縁≠ゥら地縁=Aそしてその後は組織縁≠フ視点から考えてきた。人は血縁≠竍地縁≠ェ薄くなっても組織縁≠ナ繋がっていた。これはもう10年ほど前からアピールしている。グローバル化≠ヨの対応がキーワードになり、いわゆる成果主義≠ェもてはやされる。リストラ(restructuring)≠熈首切り≠ニ同意語にされてしまった。そんな状況で、組織縁≠ェ危機に瀕している。これが私の強調したかったことである。その結果として無縁℃ミ会が広まっている。そこで、授業では一昨年ころから、血縁→地縁→組織縁→無縁≠フ視点から組織を考えてきていた。だから、パワーポイントには無縁社会≠フ文字が入っている。ただし、論文や今コラムで明確に取り上げてこなかった。そこに今年になってNHKが無縁社会≠キーワードにして番組を作ってしまった。ああ、書いときゃあよかった≠ニ思ったが、もう後の祭り。ともあれ、無縁社会≠ネのである。お年寄りの行方不明については、いなくなってもわからない世の中だ≠ニ解説をする者もいた。しかし、本当にそうなのだろうか。どこに行ったかわからない≠ニいうことは可能性としてあり得るかもしれない。しかし、いなくなったこと℃ゥ身がわからないことが普通なのだろうか。そんなことはあり得ない≠ニ決めつけるつもりはない。なにせ、細かい事情は知らないのだから。しかし、それならなおさらのこと、そこを問題にしないとまずいのではないか。この国では、人のこころが壊れはじめている。そんな気がしてならない。 |
音信不通 2010/08/14 土 2735
新聞を読んでいるだけでも胸が痛む。大阪で幼児が置き去りにされ、亡くなってしまった。姉である3歳の子は母親を呼び続けたに違いない。母親が自分たちを放置したなどとは夢にも思わなかったに違いない。弟は1歳だという。ことばで空腹だ≠ニ感じることもなく、衰弱していった。時間が経つとともに、泣き声を上げることすらできなくなったはずだ。いろんな事情があるに違いない。批判だけなら誰だってできる。そうは思いながらも、近親者たちはどうしていたのかと、つい問いかけたくなる。母親のお父さんの談話が報じられていた。音信不通で大阪に住んでいたことも知らなかったという。おじいちゃんは孫がいることも知らなかったのだろうか。離婚した夫の母親の話もあった。いつのころか知らないが、幼児の母親は料理の仕方などを聞いたりしていたのだそうな。こちらも孫がいることくらいは知っていたと思う。子どものことはさておいても、いたいけない孫たちのことは気になって仕方がない。それがおじいちゃんやおばあちゃんだと思うのだが、そのあたりはどうなっていたのか。そして、このごろは100歳以上になるお年寄りたちの行方不明がニュースになっている。今のところ、神戸の100人超えが最悪だが、全国各地で行方がわからない人がボロボロと出ている。市町村の人口規模と行方不明者の数には何らかの関係が見いだせるかもしれない。いまでも、いわゆる田舎では、ご近所同士のことくらいは知っていることが多いのではないか。人口規模だけでなく、仕事のあり方も重要だと思う。野菜などの生産者がお互いに作物を作って出荷しているセンターがある。家内とよく出かけるのだが、そうした地域では、農家同士のコミュニケーションもよさそうだ。 |
放置国家≠フ長寿社会 2010/08/13 金 2734
あの国は戸籍なんていい加減で、だいたい正確な人口なんてまるでわからない。それに比べてわが国のしっかりしていること、じつに大したもんだ…=B日本人なら、この手の話を一度や二度はしたことがあるだろう。しかし、これもまた思い上がりの思い込み≠セったかもしれない。あっちでもこっちでも100歳超えの人たちの行方が知れない。このごろ急に話題になっているが、こんなことで世界のトップを走る長寿国家の地位は大丈夫なのかしら。現時点でとくに目立っているのは神戸市だ。何と105名もの人が不明だという。住所が公園の人もいるらしい。その中には、健在ならば国内最高を超える人が21名にも達するというから、一体全体どうなってるのと驚き、そしてあきれてしまう。それを震災のせいにしてはいけない。すぐに確認するのはむずかしかったにしても、あれからすでに15年が経過している。もし震災でなくなった可能性があるのなら、なおさらはっきりさせておくべきだ。年金問題にしてもそうだが、ぼろが出始めると文字どおり問題がボロボロと出てくる。ニュースでは、徘徊しているうちに行方不明になってしまったのではないか≠ニいう専門家(?)の声も取り上げていた。しかし、それならそれで、そうしたお年寄りはすべて一人暮らしだったのか。そうでない人たちは、周りの誰もが届けなかったことになる。まるで放置国家≠カゃあないか。年金を支給している人でも、家族が人と会うのを嫌がっている≠ニいえば、それ以上は確認のしようがないという。それならそれで、そうした問題があることを明確にして対応を考えないとまずいでしょう。そんな場合、指定された医師などの専門家が面接するくらいの手立ても取れないのだろうか。 |
正義の味方&ィ語 2010/08/12 木 2733
人生50年にしてエリートの道をはずれて、子どものときからの夢だった電車の運転士に転身する。それが映画Railways≠フ主人公だ。もちろん新入社員≠セから、電車の運転から学ばなければならない。そして試験に合格することも要求される。それを50歳で挑戦するのだから、半端な苦労ではすまない。大組織のトップに居続けた方が収入だって心配なかったはずだ。しかし、今や不況のドン族、実際は収益が上がっている会社もあるようだが、個人のレベルでは精神衛生が最悪の時代である。とにかく自殺者の数が3万人超える状況がすでに10年以上も続いている。そうした中で、小さいころからの夢を実現する。それ自身が同世代人の夢≠ナはないか…。かくして、患者の立場を徹底して尊重する医師が登場する孤高のメス≠焉A大変身を遂げる運転士の物語であるRailways≠焉Aその主人公はかっこいい≠フである。映画館は2時間の夢の世界≠セ。暗闇の中で、スクリーンだけに集中できる。実際は不可能であっても、映画を観ている間だけは主人公と同じ気持ち≠ノなれる。そして終わった後にも、ある種の爽快感や満足感がある。しかし、映画館を出るとたちまち明るい現実の世界に引き戻される。あんなにできればいいけど、実際はとても無理だ≠ネどと思ったりもする。その意味では、映画も一時的な精神安定剤に過ぎないのかもしれない。しかし、こうした理想≠象徴する物語が必要だと思う。われわれの子ども時代は、いわゆる勧善懲悪正義の味方≠フストーリーが多かった。それがいつのころか、悪が勝つ=Aそれが現実だ≠ニアピールするものが増えてきた気がする。私としてはもっと正義の味方&ィ語があってほしい。 |
Railways 2010/08/11 水 2732
孤高のメス≠ェ終わって1時間ほどして、今度はRailways≠観る。いつも家内と2人だ。この数年、1人で見たのは今年5月のシャッターアイランド≠フ1本だけだと思う。ときおり娘が加わって3人組になることもある。親の影響ではないと思うが娘も映画好きだ。さてさて、数年前にALWAYS
三丁目の夕日≠ニいうタイトルの映画があった。東京タワーができたときの東京を舞台にしたものだ。これがかなり高い評価を受けて、いろんな賞を独占していた。その勢いで続編も作られた。もちろんどちらも観た。タイトルだけ聞くとAlways≠ニ同じような響きがしたが、こちらは正真正銘のRailways&ィ語であった。主人公は大手家電メーカーの切れ者で、間もなく取締役へ昇進することが約束されている。このご時世から、ある工場をリストラする責任者にもなる。そこで工場長を務めるのは長年の友人でだ。そこで工場を閉鎖した後は本社で一緒に働こうと勧める。しかし、彼は物づくり≠ノ生涯をかけてきたことを誇りにしながら、主人公の提案を受け入れない。そんな中で、故郷の島根に住んでいる主人公の母が倒れる。さらに友人である工場長が交通事故で亡くなってしまう。こうした現実に直面して、主人公は自分の人生を振り返る。これで人生を終わっていいのだろうか=Bそんな思いに至るのだ。そして子どものころからの夢だった故郷の電車の運転士になろうと決断する。とまあ、そんな話なのだが、人生50年にしての大変身物語である。戦後の復興期から経済成長時代を経て、それいけドンドンの世界。しかし、その挙げ句の果てはバブル崩壊。主人公のような50代も団塊世代と同じように、どの瞬間も脇目も振らずに突っ走ってきた。 |
正義の味方 2010/08/10 火 2731
孤高のメス≠ヘ医療に関わる十分な知識と優れた技術を併せ持ち、なおかつ人間愛に充ち満ちた医師の物語だった。患者のため=Bそれがすべての行為の基準になっている。自分が犯したミスを人のせいにしたり、その場から逃げたりもしない。まさに根っからの正義感にあふれた医師なのだ。原作者は現役医師の大鐘稔彦氏である。ご本人がモデルなのかどうかは知らないが、素人としてはすべての医師がこうあったほしいと思う。しかし、映画にはその対極にいる医師たちが登場して、主人公を抹殺しようとする。正義の味方でいては、この世の中では生きていけない。それは医師の世界だけでなく、多くの組織に共通している現実なのではないか。人は周りの人間たちに同調する。たとえおかしい≠ニ思うことがあっても、その方が平穏で安全に生きられる。ともあれ、正義の味方≠フ物語にはホッ≠ニする。自分が実現できないことを主人公に託するのである。これはいわゆるカタルシス′果ということか。カタルシス≠ヘギリシャ語で浄化/排泄≠ニいう意味がある。古くはアリストテレスが悲劇の効果について語ったものだという。その後、精神分析でも使われるようになった。悲劇を観たり、言語として外に出すことで心の中にあるしこりや抑圧したものを解消するという働きだ。同一視≠ニいう言葉もある。自分を主人公と同じように考えて、ちょっとばかり、あるいは一時的に満足するのである。そうだ、そうだ。そうでないといけない≠ニ思う。それだけでもけっこうスッキリ≠キる。もちろん本質的には何も変わっていないわけだ、それなりに落ち着くわけだ。そんなことから、権力者がその力を国民の不満解消に利用することもある。そうなると危ない。 |
映画のはしご 2010/08/09 月 2730
映画好きのつもりだ。我々の世代は動く映像≠ヘ映画しかなかった。政治や事件など、世の中の出来事、それにスポーツや海外のニュースも映画館で観た。予告編の前だったか後だったか、その順番は記憶にないけれど、とにかくニュースは映画鑑賞時の重要なパートになっていたのである。先日も書いたが、もうすぐ4歳になる孫がはじめて映画を鑑賞≠オた後の第一声がでっかいテレビだった≠ナある。我々の世代の場合、小学生になってからテレビが登場した。大きな食堂や電気店でテレビ番組を流していた。そう言えば、そのころから相撲と高校野球は定番になっていた。それを見たときの感想はちっちゃい映画≠セった。評価の視点がまったく正反対なのだ。これも時代の変化だなあと思う。ともあれ、そんな経歴だから映画が好きなのである。とくに我が家から歩いて10分のところにシネコンができて以来、とにかくよく行く。オープンしたのは2004年12月だから、すでに5年を経過している。夫婦のどちらかが50歳を超えていると1人が1,000円になる。そのうち還暦に達したから1人でも1,000円である。安い高いの評価は人によって違うけれど、2時間のエンターテインメント料としてはお手頃だと思う。そんなわけで、1日2本の映画を観ることもある。ちょっと古いところでは、昼間にデスノート≠観て、夕方には父親たちの星条旗≠楽しんだ。上映前に話題になったYASUKUNI≠ゥら送り人≠ヨと続けたこともある。このときは熊本市の繁華街にある映画館と最寄りのシネコンの2館をはしごした。そして、今年になってからも6月には孤高のメス≠ニRailways≠連チャンした。いずれも世の中の流れとは違った生き方をした男の物語だ。 |
キーワードはふれあい 2010/08/08 日 2729
授業中、女の子に2回ちょっかいを出して、先生から指導された。それが3回目になったとき、先生は動かなかった。その状況を見極めると、今度は男児がこちらへやってきた。そして言った。先生、消しゴム貸して=Bそのとき私がどんな反応をしたか、その記憶はない。しかし、少なくとも軽い驚きは覚えたと思う。いやひょっとしたら、ちょっと笑ったかもしれない。何といっても、笛の授業で消しゴム≠ナある。その場とは何の関わりもない消しゴムを貸してという、その発言の源には何があったのか。私は直感的に感じた。それは先生に構ってほしい≠ニいうメッセージではないのか。この子には先生を困らせてやろうといった気持ちなどないのである。ただ何かをすれば必ず先生が来てくれる。そのことを求めて自分に考えられる様々なことをしているのである。その後で聞いたのだが、彼は家庭的に厳しい状況にあって、とくにお父さんとの関わりがほとんどもてないということだった。わずか1回だけの体験だけで、日ごろの行動の原因を解釈するのは危険だ。それは承知しながらも、親子関係を中心にした人との触れあいの重要さを感じた。「田川ふれ愛義塾」の工藤さんの講演でも、やはり親との関わりの重要性が語られた。私なんぞは、そうした現実からほど遠いところで呼吸をしている。だから、わかったような理屈を並べるのは止めた方がいい。そうではあるけれど、子どもたちにとって、親との関わりがもっとも大事だということは、はっきりしている。親との関係がうまくいかないことで、子どもたちは様々な点で追い込まれていくのである。ところで、子どもにまつわる不幸な話は昔だってたくさんあった。だからいまの方が昔より悪いとは言えない。それはそうなのだが、この国の現状を見ていると大人も子どもも壊れてきているような気がする。 |
男児のちょっかい 2010/08/07 土 2728
先生は、横にいる子にちょっかいを出している男の子の手をもって指導した。彼はそれにちゃんと応えて、再び笛を吹き始めた。そこで先生は後方の席へ戻ってくる。しかし、予想通りと言うべきか、数分も経たないうちにまた周りの子に手を出すのが見えた。やれやれ=B先生からそんな雰囲気が感じられたかどうか、すでに記憶にはない。ただ、当然のことのように、先生はまた前方の席へと進んでいった。そして再び彼の後方から手を取って笛をもたせた。それからどうなったか。おそらく皆さまの推測されているとおりのことが起きる。私が後方の席に戻った先生と見たのは、またまたちょっかいを出している姿だった。これで3度目である。まさに予想したとおり、皮肉な三度目の正直≠ナある。そして担任の先生はここでも腰を上げようとした。そこで私は思うことがあって先生に声をかけた。先生、今度は前にいくのを止めて様子を見ませんか=Bそのときの状況から、先生としては私の言うことを聞かざるを得なかった。さて、それからどうなったか。その男の子は周りから嫌がられながら手を出すのを止めない。しかし、先生はぐっと我慢して前には行かない。そんな時間がほんのちょっと続いた。と、そのときある変化が起きる。まずは男児が後ろを振り向いた。明らかにこちらの様子を窺っている。そして、それからほとんど間を置かなかったと思うが、こちらに向かって近づいてきた。私はこの事態をはっきりと予想していたわけではなかった。ただ、何か違った反応が起きるかもしれない≠ニいった程度のことだったはずだ。そんなわけで、こちらに向かってくる彼を見たときは、心の中でおっ≠ニ声を出したと思う。そして先生のところにやってきた彼は言った。 |
授業崩壊 2010/08/06 金 2727
工藤良さんの話を聞いていて、親子関係の大事さを改めて考えさせられた。子どもか関わる問題事例のすべてが親子関係に起因していると言うつもりはない。しかし、それが原因であるケースが圧倒的に多いのではないか。私はそうした現実に遭遇した経験はきわめて少ない。しかし、それなりの思い出はある。かなり以前のことだが、ある先生から学級経営で困っているというご相談を受けたことがある。授業中に出歩く子どもがいて、その子に対応しているうちに学級が崩壊してしまったというのだ。ちょうど、学級崩壊≠ニいう言葉が世間に広まっていたころである。私の力でその問題を解決できるとは思わなかったが、とにかく学校に出かけることにした。そして私が教室に行ったとき、ああ、あの子だな≠ニいうことがすぐにわかった。実際に1人の男子児童が教室の中で歩いていたからである。そしてそのうち教室外にも出て行った。そんなとき教師はどうすればいいか。その子を放っておけないとすれば、授業はストップせざるを得ない。しかし、そうなると他の子どもが置き去りになる。目の前の現実を見て、私なんぞにいい智恵が出るわけがないと思うばかりだった。そして次の時間は音楽ということで音楽室に移動した。このときは音楽専門の先生が来られて授業がはじまった。その日は縦笛を使う授業だった。担任の先生と私はなだらかな階段教室の後ろに座った。そして、授業の開始から間もなくのことだ。あの子が周りの女の子にちょっかいを出し始めた。笛を吹いているのに手を出すのである。ちょっと、やめてよ=Bそんな感じのやりとりをしているのが見える。そこで先生は立ち上がり、前の方に歩いていった。後ろから両手を回して、笛をきちんともたせた。 |
ふれ愛義塾 2010/08/05 木 2726
先日、熊本市の教員を対象にした人権に関する研修会が開催された。講演とシンポジウムを組み合わせた会だった。私は後半のシンポジウムでコーディネータを務めた。講演の講師は工藤良さんで、現在「田川ふれ愛義塾」代表を務める。この「塾」は不登校・非行少年の保護・育成を目的にしたフリースクールである。工藤さんは元暴走族の総長で、薬物で逮捕されたこともある人だ。その後は自分の経験も生かしながら、青少年を育成することに情熱を注いでおられる。上背は私と変わらない。お歳は33だと聞いたから同世代としてはかなり小柄で、暴走族の元総長と聞いてもにわかには信じがたい。いずれにしても、講演の内容はすべてがご自身の体験したことだから、とにかくものすごい迫力があった。自分のことだけでなく、少年を更生するために働きかけた事例の紹介も迫真に迫るものがあった。万引きを疑われたにもかかわらず、それを否定している子どもがいた。工藤さんがその子の自宅に出かけてみると、立派な家におばあちゃんと住んでいた。正確には、本人は家の裏にある小屋のようなところにいた。その中に入るとうっ≠ニいう異臭がする。畳が腐ってキノコが生えているような部屋の中にその子がいた。そこに閉じ込められるようにして暮らしているのだ。そして、本人が否定していた万引きしたカップラーメンがあった。おそらく万引きでもしないと食べるものもないような家庭の状況だったらしい。もちろん、万引きは犯罪だ。それをしたこと自身は許されない。しかし、そうしなければ生きていけない。そんな状況に追い込まれている子どもがいる。それでも問題を起こした子どもだけを責めるなんてできるのか…。工藤さんは冷静にそうした体験を話していった。 |
不憫な姉弟 2010/08/04 水 2725
ものごとには原因がある。だから、人間の行動にも原因がある。そして、世の中では無数の出来事が起きる。地球上には67億人が住んでいるという。その一人ひとりが時々刻々、何かをしている。本人が意識するしないとに拘わらず、何かの原因があって何かをしている…。それにしても、大阪で起きた2人の幼児放棄には心が痛む。真っ赤なシャツを着てにっこり笑っている3歳のお姉ちゃんと1歳の弟。まだ1歳の弟は、自分の命が失われていくという意味さへわからなかったはずだ。お姉ちゃんだって、母親から棄てられたなどとは夢にも思わなかったに違いない。お腹を空かし、おそらくうだるような室内の中で助けを求め、そのうち疲れ果てて意識を失っていったのだろう。私たちは新聞やテレビから得られる情報しかもたない。それをもとに事態を勝手に推測するだけのことだ。そして、母親はまるで鬼だ、人とは思えないという評価が広がる。たしかにそうなんだろうが、そんな母親がどうして出てくるのか、その理由も考えたい。母親の父親のコメントが新聞に載っていた。孫がいることは知っていたが、所在地は知らなかったという。そんな話を聞くと、今度は何という親か、孫のことだって心配しないのか≠ニ責めたくなる。しかし、そこにもわれわれが知りようのない事情があるのだろう。離婚したという。前夫は子どものことを心配しなかったのだろうか。その親にとっては孫なのに、どうだったのか。ともあれ、いろいろな事情があるのだろう。いずれにしても、姉弟が不憫でならない。熊本にコウノトリの揺りかご≠ェできたとき、ときの総理大臣は望ましくない≠ニのコメントを発した。それなら国の責任者として、こんなことが起きないようにしてほしい。 |
心の筋肉運動<Lャンペーン 2010/08/03 火 2724
毎日を健康で楽しく生きていく≠アとが大事。そのためには、ウォーキング≠はじめ無理のない運動、つまりはエクササイズが必要。そして、何もしないでいると筋肉は衰えてしまう。そのどれをとっても反対する者はいない…。改めて確かめますが、それでいいですね。私は皆さん全員がYes≠ニおっしゃることを確信してます。その前提の上でお聞きします。それならどうして、対人関係≠竍コミュニケーション=Aあるいはリーダーシップ≠ネどの話題になると、はじめっから私って、もともと駄目なのよね≠ニ言われるのでしょうか。それって性格だから≠ニいって努力を否定されるんでしょうね。私に言わせれば、対人関係≠うまく創り上げるんだって一種の筋肉運動なんですよね。つまりはエクササイズをすることで鍛えられるんです。それを怠れば、病気やけがでベッドにずっと横になっているのと同じではございませんか。そのままだと筋肉が落ちるように、いまもっている対人関係≠フ力すら維持できずにドンドン弱まっていくんです。そうです。対人関係≠熈コミュニケーション≠焉Aはたまたリーダーシップ≠セって、みんな力≠ネんです、筋肉なんです。だから毎日のエクササイズで鍛えることができるのです。はじめからできない、できない≠ネんて自分に言い聞かせるのはやめにしませんか。そんな発想でいるとますます筋肉は衰えてしまいますよ。そもそも本物の筋肉にしても、昔はわざわざウォーキングなど必要なかったわけです。通勤にしても歩くのが常識でしたから。まあ中には中古の自転車で優雅に仕事場に行っていた人もいましたがね。ともあれ、皆さんご一緒に心の筋肉運動<Lャンペーンを展開しましょうよ。 |
5つの質問 2010/08/02 月 2723
現在、心の筋肉運動≠キャンペーン中である。講義や講演で使うパワーポイントもけっこういいものができた。はじめに5つの問いかけをするが、いずれもYes≠フ回答が得られるはずだと予測する。私としてはそう宣言する自信があるわけだ。まず第1の問いかけ。皆さんは毎日元気で健康に生活していきたいと思ってますよね=BこれにNo≠フ人はいない。続く2問目は健康な人でも、病気やけがで入院して1週間ほどベッドに寝たままだと筋肉が衰えるといいますが、これって本当ですよね≠ナある。幸い、私にはその経験はないが、看護師の方に聞くと足が目に見えて細るという。これとは条件が違うが、宇宙飛行士は無重力の中で過ごすため骨まで弱るらしい。あの若田さんは、身を以て骨粗鬆症の実験までしたようだ。ともあれ、第2の問いかけも、答えはYes≠ナある。そして3問目。健康を維持するためにはウォーキングがいいと言われますが、皆さんそう思いますよね=B人間ドックでは、通勤時にバス停の1つ分くらいは歩きましょうなんて言われている。いろんな条件でそれができない人もいるだろうが、ともあれ回答としてはYes≠ノ違いない。さて4問目はそれでは階段はどうですか。いつもエレベータやエスカレータを使わないで、せめて1階だけでも階段を使った方がいいですよね≠ナある。もちろん、これに対してもNo
≠ニいう答えが返ってくるはずもない。そして、ラストの第5問目になる。ここまで来るとちょっとくどくなる。それに、誰でもOKというわけではありませんが、体力が許せばジョギングも健康維持と増進にお勧めですよね=B私の講義や講演ではすべてYes≠フ記録を更新中だが、皆さんもYes≠ナしょ。 |
Better≠ェBest 2010/08/01 日 2722
世の中に、完全∞完璧∞永遠∞普遍≠ネんてない。ただし、誰もがこの世に別れを告げたときに、それは完全∞完璧≠ノ達成される。縄文時代の人は完全≠ノ死んでいる。その事実は完璧≠ナあり、永遠≠ゥつ宇宙の普遍%I真実である。とまあ、そんなことを3月6日に書いた。真面目な人ほど完全≠求めるものだが、そんなにきばらなくてもいい。焦らずにいきましょうというメッセージを発信したつもりだ。地球上に人間が1人しかいなければ、その人がこれが正解≠ニいえば正解≠ネんだろう。本人だけが基準だから問題は起きない。あとでしまった≠ニ思うことがあっても、それはまさに自己責任≠ニいうことである。しかし、人数が2人になるともういけない。お互いがすべてのこと≠ナ完全≠ノ一致することなどできなくなるだろう。それがいまや地球上の人口は67億人にもなったというのだから、これは天文学的組み合わせで不一致≠ェ発生する。だから、そこに唯一の正解≠ネど求めるべくもない。つまりは、誰にとってもBest≠フ選択というものはあり得ないのだ。それならどうするか。結局はBetter≠ネものを選ぶしかない。ということで、私としてはBetterな選択こそ、Bestの選択≠ニいうことを提案したいわけだ。まあ、完全≠竍完璧≠ヘ生きているうちにはあり得ないという発想だから、Best≠セってあるわきゃあないよと考えるのである。その理屈だけはそりゃあそうだ≠ニ同意して下さる方もいらっしゃるだろう。ただし、それでめでたしめでたし≠ニいうわけにもいかない。なぜなら、Better≠フ基準を議論しはじめると、これがまたけっこうややこしくて、完全≠ノ一致しないわけですよね。 |
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