出る杭は… 10/05/31 月 2660
教室の前方に座らない理由にやる気があると思われたくない≠ニ答えた学生がいた。世の中では意欲をもつ≠アとが大いに奨励されている。その結果として、社会が進歩するだけでなく、本人だって気持ちがいいはずだ。それにもかかわらず、やる気がある≠ニ思われることを避ける。ここにも集団の中で自分だけ目立ってはまずい≠ニいう心の働きがあるのではないか。とくに優等生的≠ネ人間は目立たない方が無難だ。それにお利口さん≠竍いい子≠燉竄スい目で見られたりする。まさに、出る杭は打たれる≠フである。そんな雰囲気の中では、横並び≠ナいた方が安心である。何といってもみんな同じ≠ネのだから。しかし、これでは変革はおろか前に進むエネルギーさえ生まれてこない。もちろんやる気≠ェそのまま、他人をだまして蹴落とすとか、差別するといった行為に繋がっては問題である。しかし、意欲とそうした行為はもともと真逆の関係にあるはずだ。よりよく生きる意欲があってこそ、人を思いやる心も育まれるに違いない。あなたはいつも元気で意欲満々、うらやましいですね∞いえいえ、あなたこそやる気に充ち満ちているじゃないですか=Bこんな声をお互いに掛け合える社会になってほしいものだ。ついでながら、私自身は意欲満々のように見えますねえ≠ネどと言われたら、ありがとうございます。おかげでキャッキャ叫びながら毎日を過ごしています≠ニいった趣旨の回答をする。ほめていただいたら、それを否定しない。いやあ、そんな風に見えるのはありがたいですね。またまたやる気が出てきます=Bおよそこんな感じでお答えしている。自分のことをちゃんと評価していただいたのだから、まずは喜べばいいと思う。 |
やる気があるとまずい? 10/05/30 日 2659
学期末の教員に対する授業評価≠フ項目の中に教員との双方向的なやりとりが図られていたか≠ニいう問いがある。その具体的な例として、積極的な質疑応答、受講生のレポート、教員のコメント≠ェ挙げられている。これは私にとって悪い質問ではない。何分にも教壇のところにじっとしておられない質だから、もう昔から実践≠オている。だから、こうした項目のあるなしに関わりなく、私はよく質問をする&だと思っている。そんなわけで、前の方に座らないのは、当てられるから≠ニいう学生の予想は、私に関する限りはずれ≠ノなるのである。みなさん、これからも目を逸らさず≠ノ私の質問には答えてくださいね。さて、学生が前の席にどうして座らない≠フかという問いに対する2人目の回答もまことに興味深いものだ。前の方だと、やる気があると思われるから…=Bうーん、これを聞いたときは一瞬ではあるが、自分の耳を疑った。やる気がある≠フだから素晴らしいことではないか。これ以上のことはないはずだ。いやもう表彰状ものである。しかし、学生たちにはそれがまずいらしい。この答えを聞いて、私は反射的にじゃあ、あなたは意欲がないの≠ニ反問した。これに対しては、首を横に振ってNo≠セった。だからやる気がないわけではない≠フである。これもおもしろい心の働きだと思う。実際には意欲があっても、人からは意欲があるように見られたくないということである。それは、自分が高く評価されることを避けたいという気持ちの現れか。それは自分の過大な評価だからいやなのか。また、意欲があればそれに応じた成果も期待される。そんなに期待されても、それに応える自信がなくて予防線≠張っているということか。 |
後方遠征の理由 10/05/29 土 2658
当てられるのが嫌だから=Bそんな思いで後方の座席に座っている学生の気持ちなんぞは無視して、私としては授業中は後ろの方に進出する。もちろん、学生のいるところまで行って問いかけるのである。何といっても、こちらにはこちらの事情もある。そもそも、私自信が教壇の辺りでじっとしていられない質なのである。とにかく授業中も動き回る。自宅にいても、食事後なんぞは家内と話しながら食卓から立ち上がったりする。ちゃんと座って話なさいよ≠ネんて言われるのは日常茶飯事なのだ。そう言えば、研究室で電話をかけるときなども椅子に座っていないことが多いなあ。いつも部屋の中を歩き回りながら話をしている。ソファーだってあるのだから、そこに座れば楽なものを、やっぱし歩いている。いやいや、それだけではないなあ。朝から夕方まで、昼食時間も入れると7時間くらいの研修のとでもほとんど立っている。さすがに昼食を摂るときだけは座っているけれど…。とまあ、そんなわけで、何の抵抗もなく教室の後ろまで散歩するのである。後ろなら当てられない≠ネんてのはムダな抵抗なのだ。私が後方の席まで遠征する理由はそれだけではない。このごろは学生の授業評価も当たり前になった。学期末の最後の授業は10分前に終わる。質問用紙とマークカード、それに封筒の3点セットを学生に渡して、教員ははい、それではさようなら≠ニ教室を立ち去る。その後に学生たちが授業評価を行うことになる。チェックされたマークカードが入った封筒を、学生の代表が事務室へもっていく。その結果が学内のネットで公表されるから、教員も学生もそれを見ることができるのである。全体で20個ほどある項目の評価段階ごとに赤い棒グラフが表示される。 |
挙手の動機 10/05/28 金 2657
小学校の低学年だと、たとえわからない≠アとでも手を挙げる。それだけ無邪気≠ナ、また元気≠セった。また、わからなく≠トも、それほど恥ずかしく≠烽ネかった。じつは、この精神こそが大人になっても大事なのである。その点、日本人は成長とともに、恥をかく≠アとに対して過敏になっていく。そして、それが組織の安全に関わる行為にも影響する。チョンボしたことを言えば恥をかく≠ゥら黙っておこう。そんな心のメカニズムが働くと大いにまずいではないか。そう考えると恥の多い生涯を送ってきました≠ネどと小説の冒頭に書いた太宰治なんぞは例外的な人物か。いや、彼の場合は自虐的に過ぎるだけなのかもしれない。とまあ、まずはそんな解釈をした。たしかにそれも大間違いではないと思う。しかし、人間の行動を引き出す原動力は複雑怪奇でもある。したがって、小学校の低学年生が、仮に知らないこと≠ナあっても、みんなが手を挙げる≠ニいう規範に同調しているという解釈も成り立つ。つまりは手を挙げない≠ニ恥ずかしい≠ニいうわけだ。それが正しければ、小学校生にもすでに日本人的恥の意識≠ェ現れていることになる。ああ、ちとややこしくなってきた。なにせ、積極的に手を挙げる″s為が、恥ずかしいとは思わない∞恥ずかしいと思う≠ニいう対照的な要因で起こりうるからである。まあ、そのあたりで頭を悩ますことはやめにして、大人である学生の場合はどうか。おそらく、指名されて答えられないと恥ずかしい≠ニいう気持ちの方が大きいのではないか。だから、教員から当てられる♀m率が高いと推測される前方の席に座るのを敬遠するということになる。前方どころか、実態は7列目、8列目である。 |
挙手の心理学 10/05/27 木 2656
私がどうして前の席に座らないのか≠ニ問いかけた最初の学生は、当てられることを避けるためだ≠ニ答えた。その理由まで突っ込まなかったが、おそらく知らないと恥ずかしい∞間違うと恥ずかしい≠ニいったところだろう。太平洋戦争時代に、日本分析の名著とされる菊と刀≠書いたルース・ベネディクトが主張するように、日本人は恥の文化≠フ中で生きているのだろうか。しかし、われわれは聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥≠ニいう成句をもっている。一生≠フ代わりに、末代≠ノすることもある。こうなると子々孫々までの恥になるというのだから、それはそれはスケールが大きい。もっとも、こんな成句が存在していること自体が、日本人の心の底に知らないことは聞かない≠ニいうメンタリティがあることを示してもいる。それにどちらにしても恥≠ネのだから、ベネディクト女史もほら私の言うとおりでしょ≠ニご満悦かもしれない。それにしても、小学校低学年のころまでは、とにかく手を挙げる。オリンピックではないが手を挙げることに意義がある≠ニいった感がある。その結果、運良く=Aあるいは運悪く%魔トられる。あれーっ、そんなはずじゃなかったのに≠ネんて顔をしながらも、わかりませーん=Bそんな対応もかわいいいものだ。これが頻繁に起きているわけではないが、学生の教育実習時に授業を見に行くと、そんな光景にも出くわすから楽しい。そこには間違ってもいいじゃないの≠ニいう許容的な雰囲気が感じられたりする。ただし、これもなかなかおもしろい現象ではある。よくわかっていなくても手を挙げるのは、そこに手を挙げないと恥ずかしい≠ニいう気持ちが働いているからだと考えることもできる。 |
座席問題 10/05/26 水 2655
授業で座席≠話題にした。教室や講演の会場などで、最前列に座る人はきわめて少ない。もちろん1列目に座る方もいらっしゃる。しかし、よくよく見ると講演会の主催者だったする。こうした方々はお役目だから仕方ないでしょう。それにしても、授業における学生の座り方は尋常ではない。教室の大きさにもよるが、7列目とか8列目なんぞから席が埋まるのだ。授業を開放している科目では、数人の社会人が受講されている。この方々が前方の2、3列目に座られていて、それから4列ほど空けて学生が最後列まで繋がっている。私は1時間目だと、30分ちかく前には教室に出かけてPCの準備などをしている。前の時間に誰も使っていないからだが、社会人の方はすでにお見えになっていることが多い。それはともあれ、授業で集団における人間の行動≠テーマにした際に、着席行動≠取り上げた。そこで、後ろの方に歩いて行って最前列≠フ学生に問いかけた。どうして前の方に座らないの=Bまずは女子学生が答える。当てられるから…=Bこれはまことに模範的≠ネ回答である。私が頭の中で描く回答の最有力候補の1つだった。さてさてどうして当てられるといやなのだろうか。おそらく答えがわからないとまずい。間違うと恥ずかしい≠ニいうことだろう。うーん、たしかに誰でも知っている≠アとを知らないと恥ずかしいかもしれない。しかし、そもそも授業なんぞは知らないこと≠知るためにあるわけだ。もちろん、教員にだって知らないこと≠ヘ山ほどある。それに、知らない知識≠一方的に垂れ流すだけでは、それを受け止める方も堪らないだろう。第一、そんなやり方では頭に残るわけがない。だから、考える≠アとが大事なのである。 |
楽器の不思議な力 10/05/25 火 2654
伝統工芸館でのVientoのコンサートは、阿蘇の三部作≠ゥらはじまった。阿蘇は九州中部にある火の山≠セが、冬には雪も降る。子どもが小さいころは、雪遊びにけっこう連れて行ったものだ。その雪に埋もれながら、新しい生命が生まれる。それが次第に育っていって、新緑の季節を迎える。そんなイメージを三部作として作曲したという。これがじつに素晴らしい。目を閉じているのに、雪の下の命が目の前に広がってくる。生きる力がそのまま伝わるのだ。それは人知れず静かに生きている。しかし、たしかな生命力を感じさせる。時間としては5分もなかったのではないかと思ったが、本当のところはわからない。しかし、とにかく感動的なのだから、それ以外には何も求めることもない。それにしても、音楽、とくに楽器は不思議なものだと思う。太鼓のような比較的原始的に見えるものも含めて、楽器はすべて人工物≠ナある。言い換えれば自然物≠ヘひとつもない。自然は素晴らしい=Bそんな言い回しをするときには、暗に人工物ではねえ…≠ニいう気持ちが含まれている。しかし、楽器は明らかに自然から生まれたモノ≠ナはない。それなのに、私たちに自然を感じさせ、感性を刺激する。これは楽器の不思議な力だ。そんな楽器が人に与える影響について、どなたか研究してくれないかなあ…。まあ、そんなわけで、今年の連休は有田の陶器市は逃したものの、それを凌ぐ2つの快適体験をした。お話玉手箱ライブ≠ニVientoのコンサート≠ナある。ありがたや、ありがたや。最後に、この2つのイベントには共通点があったと思う。それは、想像力≠引き起こす力をもっていたことである。さらに、それは創造力≠ノも繋がっていくことを実感した。 |
Viento 10/05/24 月 2653
ゴールデンウィーク中の29日は、雨の予報を見て有田の陶器市には行かなかった。そして、その後の予約は満杯だった。こんなことを書いて天気予報に嫌みを言おうなどという気持ちは毛頭ない。そうではなくて、むしろそのおかげで別の素晴らしい出会いがあったことをお伝えしたいのである。それがお話玉手箱ライブ≠ニViento
との話題に繋がっていく。すでにお話玉手箱≠フことは書いたが、連休中にもう一つ心に残る体験をした。それはVientoのコンサートである。阿蘇を活動の拠点にしている吉川万里氏と竹口美紀さんの2人がケーナやオカリナとシンセサイザーで素晴らしい音楽を聴かせてくれた。会場は熊本県伝統工芸館の中庭だった。ここは熊本城の目の前にあって、その入り口からは素晴らしいカーブをした石垣の上に、威風堂々たる熊本城の天守閣が見える。工芸館そのものも緑の大木に覆われ、その葉の隙間から太陽の日差しが差し込んでくる。そんな環境のもとで音楽を聴くのだからたまらない。私自身は申し訳ないがVientoについてよく知らなかった。しかし、これがまた大いなる感動体験だった。ケーナはそもそも南米ペルーやボリビア発祥の楽器のようだが、これがまた日本人にもピッタリの音がする。アフリカで生まれたわが人類の祖先は東南アジアを経て日本へそして、南北アメリカへと渡っていった。Y染色体の分析などから、そんな仮説もあるようだ。そう考えると、音楽を理解することなど無縁の私がコンドルは飛んでいく(El
Condor Pasa)≠聴くと身震いしてしまうのも十分に納得できる。いわば情緒のDNA≠ノ共通点が多いのである。ともあれ、ゴールデンウィーク最終日の5月5日のコンサートは、これまた大正解だった。 |
連休と晴天 10/05/23 日 2652
5月の連休中に、お話玉手箱ライブ≠ニ題した朗読会に出かけたことは、すでに本コラムで取り上げた。 5月2日のことである。今年のゴールデンウィークは天候に恵まれた。東京の場合、連続して晴天だったのは25年ぶりなのだそうな。連休の間に、家内と娘は有田の陶器市に行くことが多い。これにはJRの列車をセットしたツアーが最高だ。まずは座席が確保されるから安心できる。それに何といっても渋滞に巻き込まれる心配がない。臨時列車だから、車両は特急用でも臨時停車≠ヘする。これがけっこうある。しかし、それはまあ文句を言うようなものでもない。ただし、天候は行くか行かないか≠決める大きな要因になる。ご存じの方も多いと思うが、JRのツアーの場合、上有田で下車して、それからズーッと町を歩きながら陶器市を楽しむ。その終わりの地点に有田駅があり、そこで帰りの列車に乗ることになる。だから、その日が雨だと決定的にまずいのである。そんな中で、今年はまず29日を候補にした。わたしも行く気満々だった。ところが、ところがである。この日の予報が雨になっていたのだ。もう細かいことはすっかり忘れてしまったが、少なくとも午後からは雨だったと思う。まだ席に余裕があることは確認していたが、この日の予約はやめにした。とにかく雨は避けたい。しかし、実際はどうなったか。皆さんもご承知のとおり、しっかり晴れだったのだ。まあ、それはそれとして気を取り直し、その後の日程で問い合わせたところ、すでにすべてがアウトになっていたというわけ。もう1ヶ月近くもなるというのに、未だに天気予報にケチを付けているなんて思われるかもしれないなあ。まあ、たしかに私は粘着質でしつこいのではありますが…。 |
水平/垂直展開 10/05/22 土 2651
国民の不満を外に向けるのは為政者の常套手段である。自分たちに対する攻撃のエネルギーが外に向くだけではない。いつの間にか国民全体が一致団結≠キるという、期待以上の成果を生むことだってある。もう、こうなると笑いが止まらない。しかも自分たちは前線で戦うこともないから極めて安全である。このように、目を外に逸らす方法はかなり有効だが、内部的にもまだまだいい手法がある。それは不満を持っている集団同士をけしかけて分裂させることである。お互いの力が拮抗していれば、それだけ争いそのものが熾烈なものになるし、決着も付きにくい。そのうちどちらも消耗してしまうことになる。争っている間、権力者は高みの見物というわけだ。弾がこちらに飛んでくる恐れはないから、その間は安心して眠れる。そして、両者が疲れ果てて勝手につぶれてくれれば、労力なしで問題が解決する。まさに漁夫の利″戦である。仮に一方が生き残っても、弱体化していると思われるから、それをつぶすのにエネルギーはいらない。勢力が拮抗している集団を分裂させるだけでなく、それにうまく階層をつける方策も効果的だ。前者は水平展開≠セが、後者は垂直展開≠ニいうことになる。すでに先月の本欄にも似たようなことを書いたが、それぞれの集団が自分たちよりも低い階層≠ノ攻撃の目を向けるよう誘導するのである。これも弾や矢が自分たちの方に飛んでくる心配はない。それらはひたすら下の方に向かっていくのである。いずれの策をとるにしても、力を持っている者たちはめでたし、めでたし≠フ物語を楽しむことになる。ああ、いやだ。いやだなあ…。私のような権力を持たない素人でも、頭の中だけだとじつにいろいろな策が浮かんでくるものだ。 |
暴動不安 10/05/21 金 2650 5/12の続き
国民の不満が高まってくると、為政者は外の問題に目を逸らさせることを考える。それが戦争にまで繋がれば最悪だ。命を落とすのは力のない人間たちである。ところで、不満の爆発といえば、このごろはタイヤギリシャの暴動などがニュースで流される。ことの善し悪しは置くとして、わが国ではああした暴動は起きないように思える。私が子どものころは東京や大阪で厳しい経済状態の人たちが暴動を起こしていたことはある。また、学生時代にも反権力的なデモが暴徒化したこともある。しかし、それも歴史的に見れば一時的なもので終わっている。理由は何であれ、暴動は破壊をもたらし、人命を失うこともある。その成果については、時代や国によって評価がむずかしいところだ。フランス革命でも、バスティーユの襲撃などは、少なくとも現象的には暴動である。それが今日のフランス共和国(Republique
francaise)を作ったのである。いずれにしても、暴動は犠牲が大きいことも事実である。話し合いによって問題を解決する方がいいに決まっている。しかし、しかしながらである。若者も含めた多くの人々が職を得られない、まともな収入がない、それに伴って格差がますます拡大しているなどなど、わが国の状況は厳しさを増している。これがどこかで限界点を超える事態は起きないのだろうか。もちろん、暴動を煽るような気持ちは毛頭ないが。相対的にはおとなしかった日本人全体が、どこかで切れることはないのか。そんな不安がふと頭をよぎる。国債残高がこのまま増えて、自分たちの預金が実質的にゼロになったと知ったとき,国民はああそうなの。いままでのやりたい放題のツケがきたのね。まあ、仕方ないでしょう≠ネんて態度で割り切ることができるのだろうか。 |
教師用教科書 10/05/20 木 2649
大分県教育委員会が作成した教員の「服務研修テキスト」には、わいせつ行為≠ナ逮捕された事例も取り上げられている。その影響は法的な処分に止まらない。実名報道で世間の見方が変わり、いたたまれずに転居した∞加害教諭の高校生になる実子が学校内の中傷に耐えながら通学している∞親族から縁を切られた=Bテキストにはこうした悲惨な結果も挙げられている。配偶者や子どもの辛さは想像を絶するものに違いない。イラストと事例が付いたテキストはじつにわかりやすい。冊子の最終ページ終わりに≠ナは、目の前にいる児童や生徒から、下記のように尋ねられたら皆さんは何と答えますか…≠ニ問いかける。イラストに描かれた4人の子どもが何で『きまり』や『ルール』を守らないといけないの?=Bそれにしても、現職の教師に対してこうしたものが必要だとは何とも嘆かわしい限りだ。しかし、私としては大分県の教育委員会を嗤う気持ちには到底なれない。もちろん、不届き者は例外的な存在のはずである。教諭の数は、高専を含めて小中高校まででほぼ100万人に達する。これを分母にして問題になる犯罪の人数当たりの発生率で見れば、教員の割合は低いのではないか。少なくともそう思いたい。これは裁判官や警察官の場合でも同様だろう。それはそうなのだが、こうしたマニュアル作成に追い込まれる現実があることも否定できないのだ。これはまったくの推測、いや邪推に近いかもしれないが、他県の教育委員会でもこのテキストを参考にするところが出てくるのではないかと思ったりする。教師の多忙さや保護者対応の困難さなど取り巻く環境はストレスに満ちあふれてはいる。しかし、それが犯罪を犯す理由にならないことはいうまでもない。 |
懲戒免職の経済学 10/05/19 水 2648
大分県教育委員会が作成した教員の不祥事対策マニュアルは、正式には「服務研修テキスト」という。新聞の見出しは「県教委が詳細『教科書』」である(朝日新聞大分版)。Yahooで大分県教育委員会∞服務研修≠フキーワードで検索するとあっという間にアクセスできた。全文37ページのテキストがpdfファイルで収録されている。新聞でも取り上げているが、圧巻は「懲戒処分の影響について」である。とにかく具体的なのだ。勤続25年になる47歳の教員が飲酒運転事故で懲戒免職になった。まずは経済の問題だ。定年までの給与と退職金を合わせるとおよそ1億2,000万円になるという。これがすべてパーである。もちろん転職して収入は得るだろうが、元の職と同等の賃金を獲得するのは極めてむずかしいはずだ。元校長の方の話では、刑事罰を科されると履歴書にそれを記さないといけないとのこと。そうしないと私文書の偽造になるという話だった。たとえ更生していても、これは大きな障害になるだろう。そう思って、念のためにインターネットで確認したら、処罰の対象にはならないとのこと。この点は、刑法をきちんと勉強していれば当然だとまで書かれている。その世界では常識らしい。ただし、名前を偽って書いてはいけないのだそうな。そりゃあそうだろうね。それでは、履歴書そのものの意味がなくなるわ。とはいえ、そうせざるを得ない事情の人だっているのかもしれないが…。いずれにしても、この辺りはなかなか興味深い。文書偽造になる≠ニいうのは、現実に校長先生だった方の情報である。それが必ずしも正しくなかったということなのだ。世の中の情報とはそんなものなんだなあと思う。それでも、そうした事実≠ヘドンドン広がっていく。 |
職業への期待度 10/05/18 火 2647
どこの世界でもやれやれ≠ニため息をつくようなことが起きる。社会的に正義≠実現することが期待されている人たちの場合は、世間の目も厳しい。ややこしい≠アとをすれば、実名入りで報道もされる。たとえば、警察官の不祥事、裁判官のトラブル、そして一般的には公務員が起こした問題…。一般的には給料の原資が税金である職業は注目されやすい。それにはそれなりの理由がある。公務員はその地位が保証されていて、簡単には首にならない。それに、とくに裁判官などは社会的にも大事な仕事≠している人として一目置かれている。ご本人がそう感じるかどうかは別にして、わあすごい≠ニ評価されるのである。それだけ気持ちがいいではないか。だからその代わりに妙なことをすれば叩かれるのは仕方がないのである。有名税≠ニいうことばがある。タレントなどは名が知れていることで職業が成り立っているところもあるから、一般人よりもプライバシーに立ち入られても仕方がないというわけだ。もちろんそれも程度の問題だが、職業でプラス面があれば、それなりに覚悟もいる。そんな職の中に教師も入るだろう。私が子どものころのように、先生、先生≠ニ持ち上げられたりはしなくなった。それどころか、いわゆるモンスターペアレントなるものも出現し。その対応に苦労する教師も増えているようだ。そんなこんなで、ストレスも蓄積されるとは思う。しかし、そうだからといってややこしい≠アとをしてはいけない。それは当然の話なのだが、現実には全国のどこかで教師の不祥事が起き続けている。学校教育が身近なところで仕事をしている私も、やれやれ≠ニ思ってしまう。そんな中で、大分県の教育委員会が新しいマニュアルを作成した。 |
無力のスタート 10/05/17 月 2646
二番目の孫が生まれてからもうすぐ5ヶ月になる。わが家も寅さんが登場か≠ニ思っていたが、それがいやだったのか、昨年末にこの世にデビューした。つまりは丑さん≠ナある。先日もわが家にきたが、両手を挙げてぐっすり寝ている。その寝顔を見ていると、この歳≠ナ夢を見るのだろうかと思った。まだ世の中を見て間もないから、夢に出てくる人物だって限られている。そもそもことば≠知らない。ことばなし≠ナも夢を見ることができるのだろうか。私としてはそのあたりの事情についてインタビューしたいのだが、いまのところその実現のめどは立っていない。ところで、世界は広いからいろいろなところで文化も行動様式も違っている。そんな中で、人類の共通点を見つけ出すのはひどくむずかしい。しかし、国を超えて誰もが認めることが間違いなく一つはある。それは人間は1人ではこの世に存在できない≠ニいうことである。これは、少なくとも生まれたばかりの赤ん坊≠ノは100%当てはまる。この世に生まれたばかりの赤ん坊をそのまま放っておいたらどうなるか。個人差はあるだろうが数時間も経たないうちに息絶えてしまう。馬などは生まれて間もなく自力で歩きはじめる。その弱々しさは人間の赤ん坊と同じだが、とにかく自分で動くことができる。これに対して人間の無力さはどんな生き物とも比較することができない。大人になってから、私は自立した人間です≠ネんて言ってる自信満々の人もいる。それはそれでけっこうなことではあるが、そんな人だって生まれたときは哀れなほど無力だったのは間違いない。人は人に依存しなければ、人生そのものがはじまらないのである。まずはその点をしっかり押さえた上で生きていきたいものだ。 |
責任回避と退化 10/05/16 日 2645
奥様に車の運転を任せて、ご自分は宴会場にボチボチ歩いていた。すると突然、携帯が鳴り響いたという。奥様からだ。何と道路の真ん中で車が止まってしまったというのだ。熊本市の中心街だから、止まったのはかなり大きな公道である。私自身はその事情を十分に理解していないのだが、今どきの車はキーを外してもエンジンが止まらないらしい。ご本人がキーを持ったまま歩いているうちにキーからの電波≠ェ届かなくなったのだろう。それでエンストしたわけだ。このごろは、キーを持っているだけで車に近づくとドアロックが解除されたり、エンジンをかけることができるようになるらしい。そこまでする必要があるのかと思う。これでは自分が意図している行動についてまで意識の低下が起きてしまう。それは行動に対する責任の意識まで薄めてしまうのではないか。こんなことばかりしていると、そのうち自分が何をやっているのか∞何をすればいいのか=Aはたまた何をしなければならないのか≠キらわからなくなってくるに違いない。高齢社会を迎え、認知症など経年に伴う様々な問題が表面化している。脳だって使わないと退化するって言ってるじゃないですか。そんな中で、子どもの閉じ込め事故も起きている。子どもをチャイルドシートに座らせて運転席に回ろうとしたらドアのキーがかかってしまった。自動施錠のキーを入れたバッグを車の中に置いたからである。こうしたトラブルの相談が国民生活センターに寄せられているらしい。車内の置き忘れだけでなく、電池の寿命が切れてもアウトだという。車内のバッグや上着に入れたまま車を降りないように≠ニいうのがアドバイスのようだが、思わず苦笑する。安全は意識≠ニ結びついていないと守れない。 |
キーの進化論? 10/05/15 土 2644
動物も含めて、この世に生きる万物は進化≠オているのだろうか。ダーウィンの進化論≠ナは、過酷な環境の中で適応できるものが生き残っていくとされる。いわゆる自然淘汰≠ナある。この話を心の進化≠ニからめて授業で話をした。いまからもう半世紀近くも昔の1963年、小さな親切運動≠ェはじまった。どんな小さなことでもいい、世の中に親切を拡げましょうというものだ。まことに素晴らしい発想だったが、すぐに茶化された。小さな親切、大きなお世話=Bなんとも寂しい話ではないか。日本人はこんなことで笑いながら、心を使わなくなった∞対人関係を大事にしなくなった=Bこれこそダーウィンのいう自然淘汰≠ニ同じで、このころから心が退化≠オはじめた。何といっても心を使わなくなった≠フだから…。とまあ、そんな話をしたのである。その授業のあとで学生に書いてもらったミニメモの中に、ダーウィンに触れたものがあった。ダーウィン後は、進化は突然変異によるものとされていますよ≠ニいった内容である。おそらく理系の学生が書いてくれたのだろう。さっそく次の週にこれに対するコメントをした。進化が自然淘汰≠ネのか突然変異≠ネのかはさておいて、とにかくわれわれはどこまで行くのだろうか、あるいは行くつもりなのか。このごろは自動施錠の電子キーなるものが普及しはじめているとのこと。まずは私の身近な方が体験されたお話から。宴会に出席するため、奥様を同乗させて会場近くまで運転した。あとは奥様にお任せというわけである。予め決めていたところまで行って、無意識にキーを取って降りたらしい。習慣なのだろう。私は知らないのだが、キーが付いてなくてもエンジンが動いているのだそうな。 |
手延べパスタ=H 10/05/14 金 2643
とにかくわが家は自他共に認める麺食い∴皷ニのつもりだが、それでもこのごろは量そのものは減ってきた。これは年のせいでもあるが、昨年3月からのメタボ対策の結果でもある。まずは腹八分目≠ナ満足する体質になってきたのだ。あるから食べる∞目の前からなくなるまで食べる≠ニいうのはいかにもまずいのである。そんなわけで、いわゆるバカ食い≠ヘようやく卒業した。それでは吉田家の麺食い尊重≠フ家訓に背くことになるが、そこは健康の方が優先である。伝統も文化も時代に適応せざるを得ない。そんななかで、わが家に新メニューが登場した。ほんの数日前のこと、家内がデパートで試食して気に入ったという麺が電撃デビューした。その名は手延べパスタ島原洋麺≠ニいう。デュラム小麦粉と呼ばれるものを原料にしているとのこと。そんな細かいことはわからないが、これを家内が冷麺風に作った。お店でおすすめだったという。その経緯はともあれ、口に入れただけで満点評価だ。とにかくうまいのである。いわゆるコシがあるというのか、しかし、もちもちっぽいというべきか、これが文字では何とも表現ができないのである。そもそも島原は手延べソーメンで知られているから、麺づくりはお手の物ということだ。それにしても身近なところに新しい味が登場するのは嬉しいことである。もちろんお金もかからないから多くの人がしっかり楽しめる。最近はお米を原料にしたパンなども作られはじめた。これがまたなかなかおいしい。まさにもちもち≠ネのだ。早寝、早起き、朝ご飯=B家庭教育の基礎として奨励されているスローガンだが、家族に限らず、みんなで食べる≠アとを楽しむ。そんな毎日の食事の中で対人関係スキルも磨かれる。 |
メン食い 10/05/13 木 2642
わが吉田家は代々メンクイ≠フ伝統がある。漢字で書くと麺食い≠ナある。つまりは麺類がとにかく大好きなのだ。とりわけ夏のソーメンはたまらない。大きな鍋にいっぱいになるほど何束も入れて湯がく。それを、やや甘さも加わったつゆで食べるときのうまさは、ことばでは表現できない。さらにわが家はネギ族≠ナもある。緑緑したネギを小さく刻んでつゆに浮かべる。これがまたやり過ぎ≠ナ、山になるほど入れるのである。そうなると、ネギの海に麺がチラチラ見える≠ニいう感じになる。これがまたたまらない。それをズルーッ、ズルーッ≠ニ音を立てて食べる。この音を発する食べ方を英語でsはlurpといって、不作法だと顰蹙を買うらしい。スパゲティも麺だから、もちろん私の大好きな範疇に入る。ただし本来は洋食ということだから、派手にズルズルーッと音を立てないようにはしている。しかし和風ともなれば、あくまで文化の違いだから、音を立てなければお話にならない。ズルーッ≠ェあってこそ、麺のうまさが何倍にもなるのである。ざるそばなんぞは、口をすぼめて静かに吸い込むなんて考えられない。もちろん、アツアツのラーメンやうどんでも同じことである。私の場合、夏のソーメンなどはその量も半端じゃなかった。おそらく1人で3束〜5束くらいは平気で飲み込んでいた。ともあれ、正確にどのくらい食べていたかはよくわからない。はっきりしていることは、大鍋からこぼれるほど湯がいた麺がなくなる≠ワで食った。この麺食い症≠ヘ父親から引き継いだ。そして無事にわが息子にも伝えることができた。いま様子を見ているところだが、この伝統は孫にも繋がっていきそうな気配がある。まずはめでたし、めでたし≠ネのである。 |
目を逸らせる 10/05/12 水 2641 4/19の続き
組織を維持するために圧力をかけ続けていても、どこかでひび割れが生じてくる。それでも何とか持っている力を維持したい。あるいは、もっと強化したいと思うのは、力を持ったしまった者が逃れられない宿命のようだ。そこで敵を取り込んだり、抑圧している人間や集団に対して限定付きの自由を与えたりもする。これは組織内の人々に対する直接的な働きかけである。これに対して、人の目をよそに向けるという方法も大いに活用されてきた。いわゆる敵を外に作って、そこを憎し≠ニ思わせる。それによって、自分たちに向かっている欲求不満のエネルギーを解消させるのである。これが国のレベルになると、敵国を作ることになる。そして、その敵国に対する抗議行動などが巻き起こる。これをテレビをはじめとしたメディアが報道すれば、とくに問題を意識していなかった人たちも立ち上がる。国内で文句を言っている暇なんてないんだ。そんな悠長なことをしていたら国が滅びてしまうんだぞ=Bこうした警告≠ェ真実味を帯びているように感じられてくる。そうなると為政者にとっては、自分たちに向かうエネルギーをそらせることができる。この手段は歴史の中で繰り返されてきた。いわば権力者の常套手段ともいえる。そして最悪の事態として戦争にまで繋がっていくこともある。それこそ力のない人間たちにこの上ない悲劇をもたらす。戦争になれば、命を落とすのは、抑圧された力を持たない人々が先になる。少なくとも権力者たちは戦争を指揮する側に回るから、自分が最前線に出ることはない。その意味で、戦争は究極の格差を生む。生≠ニ死≠ノ二分されるのである。私たちは、誰もが自分たちの置かれている状況をしっかり把握する力を持つ必要がある。 |
保健室 10/05/11 火 2640
学校に保健室があることは誰もが知っている。そこで仕事をしているのが養護教諭だ。養護≠ニいう名前から、養護学校≠フ教師だと思っている人も多い。養護学校は特別支援学校と呼ばれるようになったから、今後はそうした勘違いは起きないかもしれない。また、われわれのような高齢者ないしはそれに近いものにとっては、保健室の先生はけがをしたり腹痛のときに頼りになる人だった。しかし、それから時代が移り変わり、いまではメンタル面でのサポートが重要な役割になっている。不登校は、文字通りには学校に行かないことであるが、現実には保健室登校≠ニいうものがある。自分の学級まではむずかしいが保健室までは行くことができる子どもたちもいる。そうした事情を考えていたら、先日の朗読会が重なった。もちろん保健室で読み聞かせすることをそのまま提案するつもりはない。しかし、私のような年寄りでも感動した朗読のようなものを保健室でやってみるのはどうだろう。それが子どもたちの想像力と創造性の育成に繋がるのではないか。その結果として、対人関係においてもいいイメージを持つことができるようになれば、こんないいことはない。それに保健室は異年齢集団でもある。その中で子どもたち同士で読み聞かせをする。たとえば、6年生が3年生に話をして聞かせるのである。それを聞いた子どもたちが喜んでくれれば、それが大いなる自己充実感を生み出すに違いない。そうした体験を重ねることで人との関わりにも自信がついてくるだろう。そうなれば、低学年の教室に出かけて朗読を披露することだってできるようになるかもしれない。これは第三者の思いつきではある。しかし、こうした発想の転換で事態は少しでも変わるのではないか。 |
杜子春 10/05/10 月 2639
朗読の三題目は芥川龍之介の杜子春≠セった。RKKアナウンサーの本田史郎さんと福島絵美さんの二人が読んでいく。杜子春≠ヘ教科書で習っただろうか。そのあたりはしっかり記憶から消えているが、とにかく読んだことは間違いない。ただし、それは小学校か中学校のころである。おそらく中学校だろう。あのころは夏目漱石や芥川龍之介などのいわゆる文学作品をよく読んだ。太宰治の人間失格≠熬学生か、少なくとも高校1年生のときに読んだ。昨年だったか、生誕100年とかで太宰治が、松本清張と並んでクローズアップされていた。恥の多い生涯を送ってきました=B冒頭のこの一文だけは、しっかり覚えている。さて、杜子春≠ノ戻れば、この朗読もまた大いに感動的だった。もう半世紀近くも前の記憶だから、ストーリーはかすかにしか覚えていない。そうだった、そうだった∞ああ、そうだったんだなあ…=Bそんなことばを頭の中で繰り返しながら聞いていた。財産を遣い尽くした杜子春が洛陽の門の下で仙人に出会ったこと、その仙人が彼を大金持ちにしてくれたこと、そして地獄で試練に晒されたことなどは記憶にある。しかし、その最後に、やせ細った馬が二頭引き連れられてきた場面は頭の中の痕跡と違っていた。まずは馬だったか牛だったかが曖昧だった。それに父と母の2頭と聞いて、そうだったか≠ニ軽い驚きを感じた。母親しか記憶になかったからだ。昔から母は強し≠ニいうが、私の杜子春≠ナも父親は消えていた。何といっても、私自身も父親である。この点は苦笑するしかなかった。かくして感動の朗読会は終わった。全国の学校でも読み聞かせ♂^動が広がっているようだ。朗読ほどイメージ力を育てるものはないと思った。 |
ねこ岳のはなし 10/05/09 日 2638
朗読会で聞いたねこ岳のはなし≠フ詳細は、熊本県小学校教育研究会国語部会が編纂した熊本のむかし話=i日本標準)を見ていただきたい。ともあれ、親父の不在中に高さを競うことになった5人兄弟(阿蘇五岳)だったが、そのなかでねこ岳≠ヘずるをする。豊後武田に住んでいた鬼たちに助っ人を頼んで,そこいらあたり土を運んでもらったのである。そのずるい作戦≠フ効果があって、父親が出張から帰ってきたときには、ねこ岳≠ェ一番高くなっていたのである。父親はその結果に驚いたが、悪いことはそうそううまくいくわけにはいかない。親父が帰ってきたことを知らない竹田の鬼たちが、相変わらずせっせと土を運んでいるのが見つかってしまう。それを見て、父親が烈火のごとく怒った。まずは鬼たちを追い出したことは言うまでもないが、そんな卑怯な手段を執ったねこ岳≠フ頭をドンドンと叩いたのである。そんなわけで、ねこ岳≠フ頭はぼこぼこになってしまった…。なあるほど、これで根子岳≠ェ切り刻まれたようにでこぼこになっていたのである。しかも、解説はさらにつづく。現在の竹田辺りは盆地になっているらしい。その理由はご想像のとおりである。ねこ岳≠ゥら助っ人を頼まれた竹田の鬼たちが、自分たちの土地を掘って、山のてっぺんに積み重ねていったからである。これまたじつに腑に落ちる♂説ではございませんか。お話の中でねこ岳≠ヘもちろん、父親たちも熊本弁≠しゃべるのが楽しい。こうして、お話玉手箱≠ヘ葉祥明氏の母親というものは≠ニねこ岳≠フ話までが終わった。最初は女性の福島アナウンサーが、二番目は本田史郎アナウンサーが読んだ。いずれも味のある朗読で、感動している自分がいた。 |
親父の出張 10/05/08 土 2637
連休中に出かけた朗読会の二題目ねこ岳のはなし≠ナ話題が阿蘇に移ってきた。インターネットで阿蘇五岳 写真≠ニ入力すると遠景の素晴らしい写真がたくさん掲載されている。それを見れば、五岳が涅槃像≠ニ呼ばれていることはすぐに納得していただけるだろう。涅槃像≠ニは釈尊入滅の姿を、絵画や彫刻として作ったもの(電子版広辞苑)≠ナある。雄大な自然の中にお釈迦様が仰向けに横たわっているのである。その頭というか顔の部分が根子岳≠ナある。額の部分が少し盛り上がり、目のくぼみにつづく。さらに鼻のところが高くなる。そしてにこやかに笑っているような唇に繋がっている。それから首の方へなだらかな傾斜がつづく。こうして顔から首までのところを根子岳≠ェ受け持っているのである。それから胸へと盛り上がっていくが、ここは高岳≠フ分担である。もうこれ以上文章で書いても仕方がない。阿蘇をご存じでない方は、とにかくインターネットで写真を見ていただくのが一番だ。そこで、阿蘇の猿回し劇場≠ェ運営している
http://www.aso-aso.com/003mtaso/nehan/ をクリックしていただくといい。素晴らしい写真が掲載されている。さて、ねこ岳のはなし≠ノよると、根子岳≠ヘ阿蘇五岳の兄弟の末っ子だった。ある日、父親が行き先は都だったか、とにかく出張することになった。そして出かける際に、自分が帰ったときに一番高くなっていた者に阿蘇を譲る≠ネんて言ったらしい。過激な競争を煽るところから察するに、あまり教育的な父親ではなかったようだ。そこで5人は自分が一番高くなろうと必死になる。目を閉じてお話を聞いていたから、内容の細かいところになると正確さに欠ける点はご了承いただきたい。
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いいことしてるのに… 10/05/07 金 2636
民主党の小宮山洋子氏が嘆いていた。いいことをたくさんしているのに、お金の問題や基地のことしか報道されない≠ニ…。NHKのアナウンサーを経て解説委員を勤めた人である。その方が報道が偏っている≠ニ聞こえるような発言をすること自身が皮肉といえば皮肉である。たしかにいいこともしているに違いない。しかし政治家というものは、マスコミのそんな行動傾向も踏まえておかないと免許皆伝とはいえない。それに、お金≠熈普天間≠焜}スコミ側が嗅ぎ出した特ダネでもない。どちらもご本人たちが話題を提供したような面すらある。もちろん金の方については、検察が軽微なことにもかかわらず狙い撃ちした≠ニ反論されているようだ。だから、自ら話題づくりをしたと言うと怒られるかもしれない。しかし、とにかく大きな問題ではありますね。小宮山さんのインタビューは5日だったかと思う。ところが、その翌日には国会対策委員長の山岡賢次氏の発言がマスコミの目を引いた。正確には聞いたのだから耳を引いた≠ニいうべきか。公式の場で普天間は雲の上の問題≠ニいった発言をしたのである。そこに沖縄県内にある市の議員がいて、当然のことながら基地問題は雲の上ではなく、沖縄にとって生活の問題なのだ≠ニ抗議していた。。首相の発言は民主党内でもやれやれと思われているようだ。そんなときに今度は国対委員長の発言だから、関係者の多くが苦虫をかみ潰したのではないか。ことばは人間理解の最強の道具≠ナある。しかし、同時にそれは人間誤解最悪の凶器≠ノもなる。政治家は理念だけでなく、ことば≠ニ行動≠ェ大事だ。自民党政権の時代にも失言≠キる人がけっこういたが、その点は民主党も同じように見えませんか。 |
阿蘇と雪 10/05/06 木A 2635
朗読会お話玉手箱ライブ≠フ二題目は熊本の昔話ねこ岳のはなし≠セった。今度は本田史郎アナウンサーが朗読する。ねこ岳≠ニは阿蘇五岳と呼ばれる山のうちの1つ根子岳≠フことである。五岳とは、高岳の1592mを筆頭に、中岳1506m、根子岳1433m、烏帽子岳1337mと続いて、5番目が杵島岳の1326mである。白い噴煙を出していて、火口を上から覗くことができるのは中岳である。今から30年ほど前には噴火のため死亡者まで出たことがある。そんなわけで、せっかく火口の入り口まで行っても立ち入り規制≠ナアウトのこともある。噴石の危険性というよりも噴出するガス≠ェ危ないのである。さて、阿蘇に行くと誰もが大自然の雄大さに感動するはずだ。その美しさは季節を問わない。もちろん冬には雪も積もる。私が熊本にやってきた30年ほど前には、阿蘇の学校は夏休みが短くて冬休みを長くするという、北国並みの対応が取られていたほどである。子どもが小さいころは、雪遊びに連れて行ったものだ。それも温暖化の影響か、雪の降る量も減ってきたようだ。これは全国的な傾向だろう。もう20年近く前になるが、福井県の日本海沿岸を走ったとき、昔はタクシーに冬季料金≠ェあったと聞いた。除雪などの費用がかかるため割り増しにするのである。それも雪が少なくなって廃止されました≠ニいう話だった。そう言えば、やはり20年ほど前だが1月の青森に出かけたときは割り増し料金≠ェあった。道路の両脇に雪が積まれていて、除雪の大変さを想像した。青森ではまだその制度は継続中なのだろうか。道路の中央に排水装置があって、水を噴出させる。これで雪を溶かすという。これは敦賀にもあったが、それだけで九州人には土産話になる。 |
母親というものは 10/05/06 木@ 2634
福島アナウンサーが読んだ母親というものは≠フ作者である葉祥明氏は熊本出身の絵本作家である。白いイヌのジェイク≠ナよく知られている。阿蘇には美術館があって、何回か行っている。館長は葉祥鼎氏は弟さんで、ご本人もブルービー≠フ絵本を出版されている。たまたま同じ年、それも誕生日が1日違いということで、美術館に行くたびにちょっとだけ話をする。何回か顔を出した後で、そのうち、孫を連れてきますよ≠ニ言っていたのだが、それも一昨年に実現した。自作のブルービー≠フ絵を描いてサインまでいただいた。ただしその時点では、孫自身はわあ、すごい≠ニ喜ぶ年齢に達していない。それでも絵が描かれるのをじっと覗き込んでいた。もうすぐ、そのありがたさが理解できるだろう。さて、朗読会の最初の演目母親というものは≠ゥら感動的だった。いつの時代にも、母親ほど子どもに無私の愛情を注ぐものはいない。子どもが大人になっても、母親ほどその幸せを祈るものはいない。その健康にを気遣うものはいない。そのすべてが、47歳でなくなった私の母親にも当てはまる。他界してからすでに27年が過ぎようとしている。正直なところ、毎年1回だけやってくる命日を置いて思い出すこともなくなった。それが人間というものだろう。無私の愛情を受けながらも、そのことを忘れてしまう。もちろん、母親はそんなことまで忘れてからにぃ≠ニ文句など言わない。それがまさに無私≠フ無私≠スる所以である。そんなとき、母親というものは≠フ朗読が私の耳に聞こえてきた。なぜか、自然に母のことが思い起こされ、目頭が熱くなるのを覚えた。それは作者の力量を示しているのだが、朗読はそれをさらに生き生きと伝えてくれた…。 |
朗読会 10/05/05 水A 2633
家内に誘われて朗読会に出かけた。そもそもライブの朗読会なるものに参加したのは、おそらく初めてである。おそらく≠ニいうのは、小学生の低学年のころ、担任の先生が青い鳥≠読んでくれたことをたしかに憶えているからである。それと不思議の国のアリス≠焜Cメージが浮かんでくる。今となっては、どちらも内容までの記憶はない。そのほかでは、高校生のころからNHKの日曜名作座≠よく聞いていた。森繁久弥と加藤道子の二人が、様々な声を出しながら名作を朗読していく。今でも目を閉じれば、あの古関裕而作曲のテーマソングが聞こえてくる。もちろん、森繁・加藤ご両人の声も…。私が大学生に入学して間もなくは、生活していた寮の部屋にはテレビがなかった。ラジオこそが身近で生きた情報源だったのである。だから日曜名作座≠セけでなく、ラジオのドラマはよく聞いていた。今でもそうだが、子どものころからせっかちで、連続ものは性に合わない。これはテレビが日常化しても同じことで、いわゆる連続ドラマには目もくれない。だから、1年間も続く大河ドラマ≠ネどは端っから見ない。シリーズものにしても、1回で決着が付く単発主義でなければスイッチを入れない。さてさて家内が誘ってくれたのはお話玉手箱ライブ=BRKK熊本放送のアナウンサー本田史郎、福島絵美のお二人が朗読するという。会場は熊本市現代美術館、今回で6回目になるのだそうな。演目は、葉祥明母親というものは′F本の昔話ねこ岳のはなし=Aそして芥川龍之介の「杜子春」だった。朗読がはじまった途端に、さすがにプロだなあと感動した。福島さんが母親というものは≠読み始めた。その冒頭から、母のことが頭に浮かんで、目頭が熱くなった。 |
幸せの感度 10/05/05 水@ 2632
自分が幸せだ≠ニ感じている程度は高齢者で低下する。内閣府がとても幸せ≠10点、とても不幸≠0点として調査して明らかになったという。7点以上を付けた人の割合は、30代がトップで61%、40代と50代と29歳以下が55%、60代は51%になり、70代以上が44%だった。70代以上の性別で見ると、女性の59%に対して男性は48%である。女性の方が楽天的で前向きなのか。全体の平均は6.47点とのこと。外国との比較では、デンマークが8.4点、イギリス7.4点、フランス7.1点だそうな。その一方でロシアは6.0で、日本の方が高くなった。さてさて、どうなんでしょうね。私の感じでは、もともと日本人はこうした質問に対して低め≠ノ回答する傾向がある。これまでも給与満足度≠ノついては、おびただしい数のデータを見てきたが、満足している≠ェ過半数を超える組織なんて見たことがない。とまで言えば言いいすぎかもしれないが、まあ不満≠謔閧熈どちらともいえない≠ェ多いところもあるという感じである。めでたさも中位かなおらが春=B有名な小林一茶の句だが、日本人はこの辺りのところで満足≠オているのが安心できるのではないか。あの懐かしき一億層中流≠ノしても、何が中流≠ネのかはっきりしないで、とにかくまあまあ≠フ満足度だったにちがいない。だからこそ、あなた方は少なくとも中の上には入るでしょうが≠ニ言いたくなる人たちが、自分らは下の下だ≠ネんて叫んでましたよ。そう言う方が知識人的というか、ちょっとばかりカッコよかったんですわ。そんなわけで幸せ度≠ネどは海外のデータと比較してもしょうがないと思いますね。それに根拠なんぞはないけれど、日本人なら6点もあれば上出来でしょう。 |
反省力欠如 10/05/04 火 2631
もうかなり昔の話になるが、一時期、反省ザル≠ェ有名になったことがある。反省だけなら猿でもするという笑い話である。動物が学習≠キることは当然のことで、失敗≠烽ソゃんと頭の中に入れて行動する。そんな中で、万物の霊長≠ネどと勝手に自称している人間だが、こちらの方がまともに反省できないようだ。あえてこの国の人間に限ったことではないのだが、とにかく過去の失敗を活かすことが苦手だとしか思えない。景気浮揚策のためなどと言いながらズルズルと国債を発行し続けてきた。それは1965年、当時の佐藤栄作内閣で福田赳夫大蔵大臣が赤字国債を発行したことにはじまる。それから今日まで、とにかくほんの一時期を除いて国債という借金に借金を重ねている。そもそも財政法第4条は「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければなならない」と規定している。赤字国債は禁止されているのである。その禁を公債特例法≠ナ破ったわけだ。暫定≠ノ永久≠フ意味を与えるなんて、お茶の子さいさいの国のことだから、特例≠セって直ちに通例≠ノなったのも当然のことだった。ちょっと記録を見ただけでも、宮沢内閣1兆9000億円、社会党の村山内閣1兆2800億円、橋本内閣7700億円、そして小渕内閣1兆4900億円…。もう財政再建≠ニいうことばがオオカミ少年の声のように聞こえる。それに対応するかのように国の力は年ごとに減衰していく。最近、郊外の大型ショッピングセンター2つに立ち寄った。どちらも週末なのにガランとして客がいない。オープン時にピカピカだった外装もくすみはじめている。街中にあるお店が軒並みシャッター街になっていったが、今度は郊外型のショッピングセンターの番だ。 |
1,000円の我慢心 10/05/03 月 2630
経済的にきわめて厳しい状況にある人たちもいるから一律にいえないことはわかっている。その上で、皆さんにお聞きしたいことがある。毎月1,000円だけ我慢できませんか≠ニ。私としては、まあ1,000円くらいなら何とかなるかもしれない≠ニ言われる方がたくさんいることを願う。もしも日本人1億2700万人がそれを実践すれば、1人当たり1年で12,000円だから、総額だと1兆5,000億円になる。つまりは、月1,000円だけ国に依存することを我慢すれば1.5兆円が浮くのである。もちろん1億2,700万人には赤ん坊まで入っているが、そこはちょっと置いておこう。それに専門家≠ノよれば、経済は単なる縮小ではまずいらしい。といっても、本当にまずいのかどうか。経済学≠フ素人としては、その大前提自身が真実なのか、けっこう疑っている。いらないもの、環境に悪いものであっても、それらに金を払って消費を喚起した方がいいのだろうか。それはともあれ、あれもしてくれ、これもしてくれ≠ニいっているうちに、国の借金は天文学的な数値になってしまった。だから、今ごろになって月に1,000円程度の要求を抑えても、まさに焼け石に水である。それはそうだとしても、それならこれまで通りで行きますか。それだと、そう遠くない時期に国全体が機能不全を起こして、あの世に逝ってしまうことは目に見えている。どうせ死ぬなら、好きな子として、食いたい放題やって何で悪いか≠ネどと無責任なことを言ってはいけない。自分の不摂生で命を捨てるのなら自業自得だが、このツケは子や孫の世代に引き継がれるのである。たとえば1,000円くらいは我慢する。そんな気持ちだけでも持っておかないと事態は悪くなるばかりだ。好転のきっかけさえ掴めない。 |
ピンマイクにご用心 10/05/02 日 2629
イギリスは議会制民主主義のお手本だと教えられてきた。それと同時に、保守党と労働党の二大政党による政権交代が実現している国としても知られている。しかし、それが大きな転換点を迎えているらしい。このところ、第三勢力の自由民主党が勢いを増してきているのだそうな。わが国では、あれだけの敵失にも拘わらず自由民主党の支持率があまり芳しくない。よその国のことだから、名前が同じだといってもうらやましい話なんてこともないだろうが…。詳細はわからないが、あの英国でも大きな変化が起きようとしているのである。そうした厳しい状況の中で、労働党のブラウン首相が大失言をしたという。民間人との対話をアピールする目的で支持者の女性との立ち話がセットされた。その際に移民について批判的な質問を受けたらしい。その内容は知らないが、対話が終わって車に乗り込んでから頑迷な女だ≠ニか偏見だらけ≠ニいった悪口を言いまくった。これが上着に付けていたピンマイクを通して録音されてしまったのだ。そりゃあまずいですわ。口ではお会いしてよかった≠ネんて言いながら、聞こえない≠ニころでこき下ろしているのだから、信頼感は吹っ飛んでしまった。あわてて件の女性の家まで引き返して謝罪したらしいが、まさに後の祭りである。これは公的な場所での発言ではなく、車の中での史的に近いものだが、ピンマイクが公的な発言にレベルアップしてしまった。いやあ、お気を付けください。私もピンマイクのスイッチを切らずに休憩に入り、先生、聞こえてますよ≠ニ教えてもらったことがある。トイレに行って手を乾かす乾燥機の大きな音が聞こえたと笑われたこともある。もちろん悪口なんぞは言っておりませんが、ご用心、ご用心。 |
時効廃止 10/05/01 土 2628
殺人の時効を廃止することを含めた改正刑事訴訟法が成立した。これまで25年だった殺人/強盗殺人の時効は廃止された。このほか、強制わいせつ致死/強姦致死の15年が30年に、傷害致死/危険運転致死の10年が20年に、自動車運転過失致死/業務上過失致死の5年が10年に延長されている。その内容の社会性からトップレベルの報道になった。しかも、即日施行≠ニいう4文字が耳目を集めた。法律というのは、国会で成立した後にいくつかの手続きがあって、施行までに1週間くらいかかるという。それをその日のうちに効力を発揮させたのである。じつは翌日午前零時に時効になる事件があって、この時効をなくすことが目的だったようだ。ともあれ即日施行≠ヘ異例のことらしい。その適否については異論もあるのかもしれない。しかし、法律の素人から見れば何でもやればできるんだなあ≠ニいう感じがした。ついでに言えば、すでに前の法律で進行中の事件も、その後の法律改正で網にかけることができるというのも、やはり国会で決めればOK≠ニいうことなのだろう。私の感覚では、法律改正前のものは、そのまま継続すると受け止めていた。新しい法律でその前に起こした犯罪までは摘発できないということだ。大学の授業料値上げも新入生から適用され、在学生とは差があるままだった。何といっても、国民から選挙で選ばれた国権の最高機関≠ナある国会が決めたことである。法律のプロから文句を言われない理論があるのだろうが、そのあたりも知りたいところではある。そう言えば、昨年度からスタートした教員の免許状更新講習でも、過去に取得した人のすべてが対象になっている。免許を取ったときには終身だと受け止めていたと思うのだけれど…。 |
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