数え年″l(2010 April 30 Fri No. 2627)
昨日は味な話の素≠ェ7歳になったお祝をいした。この7歳というのは、正確には満7歳、つまり生まれてから正味7年が経過したことを意味している。そういうわけで、誕生日の次の日からは8年目に入ったことになる。ところで、わが国には数え年≠ニいう年齢計算法がある。これは生まれたときを1歳≠ニして、それ以降は元日に1歳を加えるという方式である。現在の常識から考えると、何とも妙な計算法のような気がする。しかし、ちょっと待てよと思う。赤ん坊はこの世に生まれてきたときに命を授かるのではない。一般的に十月十日(とつきとおか)といわれるが、人間は受精してから母親の胎内で266日くらいを過ごす。そこで受精卵が人間になって外に出てくる。そのときを0歳≠ニするのが満年齢の考え方だ。しかし、人の命は受精した瞬間からはじまっているのである。この世に生まれた瞬間にすでに266日が経過していてわけだ。それなら、その時点で1歳≠ニ考えてもいいのではないか。いや、むしろ命≠尊重するのであれば、1歳≠ニすべきである。たしかに、266日だから1年にしては少しばかりさばを読むことになるが、まあいいじゃないですか。ただし、正月でもう一つ増えるのはちょっと早すぎるという難点はある。わが家の2番目の孫は年末に生まれたから、まずはそのとき1歳で、数日後の正月に2歳になったことになる。ようやく笑顔を見せるくらいだから、やっぱし数え年はうなくない≠ゥなあ。もちろん、私も本気で数え年の復活を叫ぶつもりはない。ただ、人の命の大事さをしっかり考えるには、数え年%I発想もなかなかいいと思う。世の中では赤ん坊を放り出すような事例が後を絶たないが、そんなことをしてはいけない。 |
誕生日(2010 April 29 A Thu No. 2626)
今日は味な話の素≠フ誕生日だ。そこで、それを記念して2つ目を追加しておくことにしよう。ホームページの本体は2003年4月10日に開設した。それから少しずつ情報を増やしていって、味な話の素≠スタートしたのが4月29日だった。それからせっせと書き続けてきて、とうとう満7歳の誕生日を迎えた。セルフサービスでおめでとうございます=B人生のカレンダーを基準にすればまだ小学1年生だが、ラッキー7までは到達した。日数にして2,557日になる。これが2,626回目だから、69回だけは1日に2つ書いた計算になる。ひょっとしたら3本書いたことがあるかもしれないが、憶えていない。ホームページ本体は4月10日の開設でそこからは2,576日だ。アクセスカウンターが204,800ほどだから、1日当たりでほぼ80件のアクセスになる。ありがたや、ありがたや。そのころ、出版社からリーダーシップ≠ノ関する本をまとめないかと誘われた。ちょっとその気になったが、まとまった時間が取りにくい。そこで、原稿をちょこちょこ書いていこうと考えた。そのための場所として味な話の素≠セットしたのである。そして、その目的を達すべく書き始めたのではあった。ところが、思考が拡散するタイプなものだから、道草に寄り道は日常茶飯事、さらには脇道に逸れて元の道に戻らない。そんなことを繰り返してきた。その結果、いまだにリーダーシップ≠ノ関する本はまとまっていない。つまりは所期の目的を達成してはいないのである。しかし私の気持ちとしては、大いに満足している。ネタだってメモは増え続ける一方だ。世の中には書きたくなることが多すぎる。そんなこんなで、これからも皆さま方のサポートを頼りに続けていくつもりです。 |
千≠フことば(2010 April 29 @ Thu No. 2625)
昨日、千≠ノついて書いてしまったので、今日まで引っ張ることにしよう。そもそも千≠ヘ、100の10倍の大きさだけでなく、数が多いことを表現するために使われる。多くの場合は誇張した表現になる。もっとも、千≠謔閧熈万≠フ方がさらに多い。この二つを組み合わせて千客万来≠ニいう。大勢の客が入れ替わり立ち替わりやってくることで商売繁盛というわけだ。今どきのデパートやスーパーなら、万客≠烽りだが、その昔のお店なら千≠燉るのは夢に近い目標だったに違いない。また鶴は千年、亀は万年≠ニもいう。鶴も亀もそんなに生きるわけはないが、長寿のシンボルとしてあやかりたいものだ。千載一遇≠ニいう。載≠ヘ歳のこと。千年に一度だけ出会うというわけで、二度とないチャンスの意味である。ピンチはチャンス≠ニいうけれど、日本国も今を逃しては再生の機会を失ってしまう。失礼ながらほとんどの方がご存じないと思うのが千金を買う市あれど一文字を買う店なし(成語林掲載)≠ナある。これは、市に行けば何でも売っているから、お金さえ出せば買うことができる。しかし、文字は一字だって売っている店はない。つまりは学問は金では買えない。自分の努力でしっかり学んでいくしかないという意味である。その通りだと思うし、そうでないといけない。ただし、このごろは、家庭の収入といわゆる一流大学の合格率が関係しているという話も聞く。それが本当なら、わが国は文字≠セって金次第ということになる。これでは素晴らしい人材を見逃し、つぶしてしまう危険性が大きい。まさに、そうした点にこそお金をかけるのが国の政策というものだろう。ともあれ、千≠セけでも、おもしろい成語がごまん≠ニある。 |
せんみつ(2010 April 28 Wed No. 2624)
世の中は知らないことだらけ≠ニいうことは認識しているつもりである。むしろ世の中を知っている≠ニ思い込むことの方が問題なのだ。しかし、それにしても知らなかったこと≠ェあまりにも多い。それはもう感動するほどである。まずは皆さん、せんみつ≠チてことば、ご存じですか。知ってる≠ニいわれる方は本日のネタはパスしていただきたい。私は知らなかった。テレビを付けて刑事物を見るともなく見ていた。その最後に主人公が犯人に向かって言う。何といっても、あなたは‘せんみつ’ですから…=B‘せんみつ’ってなんだ≠ニ思ったとたんに物語は終わった。画面を見ると、そのタイトルがせんみつ≠ニある。タイトルになるほどポピュラーなのか。辞書を引いたら千三≠セった。真実なのは千のうちわずかに三つだけという意味≠セそうな。そこで、うそつき、ほらふき≠ニいうことになる(電子版広辞苑)。もう一つあって、商談が成立するのは、先口のうちで三口ほどという意味≠ナ地所の売買や貸し金などの周旋をする人≠ニいう意味もある。ドラマの場合は前者の意味だったが、とにかく知りませんでしたなあ。タイトル≠ネっているのだから、みんな知ってるのかしらと思った。還暦も過ぎて先の見えてきたわが人生なのだが、日本語一つとっても知らないことだらけである。もととも千≠ヘたくさん≠ニいう意味を背負っている。だから、千聞は一見に如かず≠ニいう。なあんて書くと、それって百聞でしょう≠ニ指摘されるだろう。ところが、千聞≠熬国の史書「南史」にちゃんと載っているんですって。これは成語林(旺文社)からの引用だが、紙の辞書はいろんなことばに目が移っていくからやめられません。 |
その人の名前は…(2010 April 27 Tue No. 2623)
私の友人に、人もうらやむ羽振りのいい経営者がいた。ご本人が実力のある人だということは誰もが認めていた。事実、他の人たちと比べて間違いなくいい仕事をしていたと思う。ただ、そのうち少しばかり気になるところが出てきた。力があることを鼻に掛けるような態度が見えはじめたからである。まあ、それでも実力は相当なものだと評価されていたから、その当時はそれほど文句も出なかった。たしかに、仕事に困った会社があれば資金を融通して助けたりもしていた。ただし、貸したお金の使い道にもけっこう口を出すところがあったらしい。とくに、自分の関係する会社から品物を買うように条件を付けたりする点は、今ひとつ評判が悪いとも聞いた。彼には年の差のある兄貴分がいて、事業の成功にはかなり世話になっていた。しかし、そのうち兄貴が作っていたものを凌ぐ製品を産み出す力を付けてきた。その過程で2人の間に摩擦が起きたりもした。それにしても、勢いに乗る彼は、金もドンドン使いまくった。おそらく十二分だと思われる自分の収入だけに満足できなかったのだろう。将来の役に立つのかどうかはお構いなし、10台も駐車できる金ぴかのガレージを作ったときは誰もが驚いた。そのために、収入を上回る借金までしていたのだが、彼の勢いならうまくいくのだろうと誰もが疑わなかった。いや、本当は心配する人もいたが、そんな人の声はかき消されてしまった。あれから20年が経過した。彼の会社は瀕死の状態に喘いでいる。さすがに、周りの会社もいいものをつくりはじめたからだ。そのうえ、元気のいいころに作りすぎた借金が弱った体力を脅かしはじめた。今やひたすら利子を返すために毎日があるような感がある。彼の名前は日本国≠ニいう…。 |
不幸な国民(2010 April 26 Mon No. 2622)
閉塞状態の中で大きなうねりが起きた。それが自民党支持者まで動かした政権交代だった。まさに国民の変化を求める声が実現する。多くの人々がそう期待したに違いない。だから最初のころは、少しばかりまずいことがあってもしばらく時間をあげようよ≠ニいうサポーターも多かった。野党から政策を追求されてもあなた方には言われたくない≠ニか、こんな日本に誰がした≠ニいうアピールが説得力を持っていた。しかし、それが大きな失望に変わろうとしている。いや、もう変わってしまったように見える。期待が大きければ大きいほど、それに応えられないときの失望も深刻になる。いまそれが現実のものになりつつある。議会制民主主義の原則からすれば、政治が引き起こした問題の責任は国民にある。なぜなら、そんな政治をする政治家を選んだのは国民だからである。それを認めた上であえて言えば、日本国民はあまりにもかわいそうだ。こんな政治家ばかりしかいないのだから…。いや本当はまじめな人も多いはずなのだが、彼らが力を発揮できているとは思えない。高速道路の料金問題についても、実力者が政府に対して国民のみんなの意見を聞いていただきたい≠ニ発言している。しかし、それなら辞任した方がいい≠ニいう国民の声も聞かないとまずいでしょう。検察ファッショの恐れがあるのかどうかは知らない。しかし、不起訴処分になったから清廉潔白だという理屈は、一般人の常識ではあり得ない。私の勝手な推測だが、日本の現状を知っている外国人はみんな嗤っていると思う。日本人って、何と愚かなんだろう≠ニ。Look
East$ュ策で日本を賞賛したマレーシアのマハティール氏すら、2002年には日本は反面教師だ≠ニ発言しているのだ。 |
杖立の鯉のぼり(2010 April 25 Sun No. 2621)
小国町の杖立に出かけた。この時期は杖立川の上に張った鯉のぼりが乱舞する。その数は5,300匹に上るという。わが家が熊本に来たころ、まだ入学前の子どもたちを連れてきたことがある。もう30年近く前になるが、その当時は使い古しの鯉のぼりが少しばかり泳いでいたような記憶がある。それがドンドン大規模になってきて、今では子どもの名前が入った新品が泳いでいる。わが家もまずは最初の孫の鯉が泳いだ。もちろん、2組のじいちゃんばあちゃんが揃って見に行った。それから4年目、今度は2番目の孫の名前が泳ぐ。昨年までは初孫の鯉も泳いでいたのだが、今年は姿を消していた。もう4年も泳いだので疲れたのだろう。もう1人のおじいちゃんが川に入って泳いでいるのかもしれないよ≠ニ推測した。なあるほど、そうなのかもしれないなあ。本物の連休中はどうか知らないが、4月のうちだと渋滞もなくいける。まあ、子どもの鯉のぼり見物だから、親やじいちゃんばあちゃん中心のイベントである。その範囲も限定されているからかもしれない。ただ、熊本からでも阿蘇までのルートは大渋滞するのではないか。ともあれ、来月のホームページの写真は鯉のぼりに決定である。ところで、「杖立」の由来は、弘法大師空海にまで遡るという。温泉に立ち寄った大師が、持っていた杖を立てたところその節から枝や葉が生えてきたというお話である。もっとも、この話は杖立て伝説≠ニ呼ばれているらしく、全国各地にあるようだ。スーパー大辞林に固有名詞なしで載っている。また、杖をついてやってきた湯治客のお年寄りや病人が、帰りには杖を忘れてしまうという説もある。鯉を見たら、あとはゆっくり食事を楽しむ。まだまだ鯉のぼりツアーは続くことだろう。
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時効の起源(2010 April 24 Sat No. 2620)
ずっと長いこと、私は時効制度は世界共通のものだと思っていた。何といっても明治になってから、あらゆるものを輸入した日本である。法律制度もその例外ではなかったはずだ。ところが実際はそうでもないらしいのだ。まずは、そもそもわが国に時効の考え方が存在していたのである。江戸時代の法律に「公事方御定書」というものがある。中学生のころだったか、教科書でも見た記憶がある。徳川吉宗が命じて編纂されたもので1742年に出来上がった。上下巻に分かれ、それぞれ司法警察≠ニ刑法・訴訟法≠ノかかわる内容になっている。その中に「旧悪御仕置之事」という条文があって、12ヶ月間捕まらないと処罰しないことになっているのだ。もちろん、凶悪犯罪はこれに含まれないようだが、これは時効≠フ考え方そのものである。世界史的に見ると、時効は紀元前17年のローマ法にはじまるという。その中で、姦通罪に5年の公訴時効が規定されている。ともあれ、文明開化を標榜する明治政府はナポレオン法典を参考にしながら、そこに含まれていた時効を取り入れたようだ。それなら、やはり外国にも時効の概念はあるんだと思いたくなる。ところが、アメリカでは個々の州も連邦政府も殺人に時効を設定していないのだ。それは英国の影響を受けた建国以来の歴史だ≠ニアメリカ人の元検事が語っている(毎日新聞09/02/13)からイギリスも時効はないということである。また、にアメリカではレイプや誘拐についても時効をなくすべきだとの議論が起きているという(同毎日新聞)。太平洋戦争後に連合国の中核だったアメリカが、わが国のあらゆる領域に踏み込んで様々な影響力を行使した。その中で、時効制度については手を付けなかったということになる。 |
殺人の変質(2010 April 23 Fri No. 2619)
とにかく殺人の質が変わってきていることは疑いない。時代とともに使われる凶器も変わってくる。それが殺人の質を変えていく。縄文時代に拳銃はないし、江戸時代に自動車でひき殺すなんて事件は起きないのである。そして、ほんの少し前までは携帯電話を使った犯罪だってあり得なかった。いまではインターネットなどを使って、知らない者同士が連んで、まったく偶然に通りがかった人間の命を奪う。また、子どもたちがホームレスを襲って死に至らしめる事件も一度や二度の例外的事件ではない。さらには、殺した後で遺体を切断して捨てるといった事件も珍しくなくなってしまった。とにかく、書いているだけで気分が悪くなってくる。そんな現実を目の前にして、件数は減っているのだから、騒ぐことはない≠ネどと人ごとのように論評されてはかなわない。方法や手段だけの変化ではない。殺人にとって最大のポイントである動機そのものにも驚いてしまう。誰でもよかった∞人を殺してみたかった≠ノ至っては、ほとんど理解不能としか言いようがない。それでも、どれもこれもが例外で、ほとんどの殺人は昔と変わっていない≠ニいうのだろうか。もちろん殺人などは素人の私だから、これに関する実証的データをもっているわけではない。しかし、とにかく現状はひどく深刻なのである。そうした中で、時効廃止の議論が続いていた。そして、今月の13日に、殺人などの死刑が含まれる事件については時効廃止が参議院の法務委員会で可決された。これについては参議院が先に審議されていた。本会議で可決後に法案が衆議院に送られる。今月中には成立するようだ。殺人の時効廃止だけでなく、人を死亡させた罪の一部も時効が成立する期間を2倍に延長される。 |
量と質(2010 April 22 Thu No. 2618) 3月29日の続き
公式に殺人≠ニ認定された件数は減少している。テレビをはじめとしたマスコミが騒ぐから増えているように見えるだけだ。だから、あまり深刻に考えることもない…。とまあ、そこまでは言っていないのかもしれないが、そんな印象を受ける識者≠フ主張を聞いたりする。しかし、私としては本当に件数が減ってるの≠ニ疑問を投げかけたのが、本コラムの3月29日だった。なぜなら、行方不明者の中に殺人の被害者がいるかもしれない。また、手口が巧妙になって殺人であることが見抜けなかったという実例も報道されている。つい数日前にも、そのあたりが怪しい事案があったことを警察が認めたという記事もあった。ただし、これについてはメモを取っていないので内容の確認はできない。ともあれ物事は質と量≠フ両面から考えていく必要がある。殺人件数が統計的な件数では減少しているとしても、質的には大いに心配した方がいいのではないか。ともあれ、件数が減っているから騒ぐことはない≠ニいう発想はいかがなものか。それに殺人の動機や手口も時代とともに変化しており、それらは無視できないはずである。親が子を殺し、子が親を殺す。このごろは虐待による殺人事件も多発している。かなり前になるが、子どもの保険金を目当てに実の子の命を奪った母親までいた。夫が妻を、妻が夫を手に掛ける。こんなニュースを聞いてもああ、またか≠ニ驚かなくなってしまった。その上、知らない人間に頼んで妻や夫を殺す嘱託殺人だってある。離婚したいためにプロを頼んで妻を誘惑させる。それを理由にして離婚するという筋書きだ。そこまでは首尾よくいった。ところが、頼まれた方が本気になって、あれやこれやしているうちに元の妻を殺してしまった。 |
等質と異質(2010 April 21 Wed No. 2617) 4月19日の続き
プロ野球の球団がみんな同じではおもしろくない。紳士チームもあっていいが、野武士集団も魅力的である。もちろん、野武士だといっても無法者ではない。野球のルールを守ることは当然の前提である。これはプロ野球に限ったことではない。それぞれの個性があるからこそ、面白味が増すのである。また特定の業界だけでなく、個々の組織内でもメンバーがみんな同じよりも違っていた方がいい結果が得られる。いわゆる等質集団よりも異質集団の方がプラスの効果が期待できるのである。同じメンバーだと足し算≠ノなるが、異質だと掛け算≠ノなるわけだ。ただし、とにかく異質≠ェいいわけでもない。そこにはある程度の許容範囲はあるだろう。また、異質集団が効果を発揮するためには、しっかりしたリーダーシップが欠かせない。そこがいい加減だと、まさに異質だから集団としてまとまらず、てんでんバラバラになる。昨年のWBCでは、原監督率いる日本チームが優勝した。その前の北京オリンピックの際には、星野監督で惨敗したのとは対照的な結果になった。この際、原氏と星野氏のどちらが優秀なのかは問題にしない。また、長期的な展望でどちらが望ましいのかもわからない。両氏の実績を考えるなら、どちらも素晴らしいリーダーだ≠ニいうことになる。ただ、あの短期決戦でのリーダーとしては原氏の方が優れていた可能性がある。少なくとも素人目には、WBCでの原氏の采配は、星野氏よりもはるかに冷徹だった。それを物語る事実の1つは、自分の部下である安倍選手を捕手に使わず、城島を出し続けたことである。星野氏なら、どこかでスポットライトを浴びさせてやりたいと心が揺れたのではないか。その結果、それを実行に移したのではないか。 |
マニュアル問題(35)(2010 April 20 Tue No. 2616) 4月13日の続き
さて、久しぶりにマニュアルがなぜ守られないか≠ノ対する回答を取り上げよう。このシリーズも長いので、そもそものスタートをご存じない方が多いに違いない。そこをきわめて簡単に説明すると、私自身が組織のメンバーからどうしてマニュアルが守れないと思いますか≠ニいった調査をしたのである。そこで出された回答を、とにかく淡々と分析しているわけだ。ただし、生来のしつこさから、1つの項目に対して、あれやこれやとコメントを追加していくから、その元になった意見≠フ内容が分からなくなってくるのである。ともあれ、今回は新規にマニュアルが複雑でわかりにくい≠ニいう回答を取り上げよう。こうした意見が出るのには、マニュアルがユーザー側の立場から書かれていない可能性がある。もちろん作成者側としての言い分はあるだろう。あれだけ親切に分かりやすく書いたのに、これ以上どうしろというのだろう≠ニいった気持ちになるかもしれない。あるいは、こんなに順序立てて説明しているのに、どこが複雑というんだろう≠ニか、あれだけのものを説明するのだから、少しくらい複雑になったからといって文句を言わないでほしい≠ニいう思いがあるかもしれない。まあ、それはそれで理解はできるが、何といってもそこはプロである。ユーザー側の声に耳を傾けることだ。そのためには、マニュアルの作成者とそれを読む側との間でコミュニケーションが必要なのである。製品を販売する前にユーザー側とのコミュニケーションは取りにくいだろうが、そこで一工夫がほしくなる。 |
組織の維持対策(2010 April 19 Mon No. 2615) 4月17日の続き
組織を維持するために強権的な圧力≠使えば、一時的ではあってもそれなりの成功は収める。とくに生命財産を脅かされるとなれば、誰だってそれらを簡単に投げ出すわけにはいかない。命あっての物種≠ネのである。しかし、それに対する抵抗もマグマのように次第に蓄積されていく。火山の爆発はそうしたメカニズムで起きるのである。それを押さえるには、さらに圧力を強化するしかない。それでもいつかは限界に達して大爆発が起きる。組織が内部から崩壊するのである。爆発の規模が大きければ、山そのものが吹っ飛んでしまうこともあるだろう。原形を留めないほど形を変える場合もあれば、新しい山ができることもある。組織でいえば、外からの攻撃で壊れるのではなく自滅するのである。権力者側にもそうした不安があるから、いわゆるガス抜き¢ホ策も導入される。組織の中にいる自分たちにとって危険なリーダーや不満分子をターゲットに懐柔策をとるのも1つの方法である。彼らは力を持っていることが多いから、うまく取り込んで味方にすれば頼りがいのある防波堤になる。そうなればかなり安心できる。あるいは権力側に有利な現状を維持できる範囲内で、全体に自由を与えるという方法もある。いわゆる宥和政策≠ナある。ただし、いずれも権力者側が自分たちの立場を維持するための譲歩≠セから、それらがなし崩し的≠ノなるという心配がつきまとう。だから、譲歩も小出しで最低限のものを考える。しかし、権力者側が不安に思うのは当然で、そうした小さな変化がついには大きな変化に結びついていくことは疑いない。人は一時的に満足しても、すぐにその状態が当たり前のように思えてくる。そして現状に対して新たな不満を感じ始めるのだ。 |
個性喪失(2010 April 18 Sun No. 2614) 4月11日の続き
風土≠業界や業種の特殊性≠ニ考えるなら、それを土台に個々の組織で育てられるものが文化≠ニいうことになる。そこに違いがあることは、誰が見ても明らかである。モンスーン気候のもとで稲作が生まれたことはたしかだが、細かい点では中国や朝鮮半島、ベトナムや日本とは違いがあるはずだ。それが土地柄といった、これまた広い意味での風土に影響を受けながら、個々の文化が生まれていくのである。それは、収穫を感謝する点では共通していても、秋祭りの具体的な方法が地方によって違っているのと同じことである。小売業のスーパーにしても品揃えをはじめとして販売戦略は違う。自動車メーカーだって個性があるわけだ。そして、その文化の上で個々の集団が仕事をしているのである。ところで、プロ野球が開幕してしばらく経過したが、球団にも文化の違いがあって興味深い。野球をしている点では同じだし、どの球団も勝つことを最大の目標にしている。しかし、とくに私が子どものころはチームカラーに大きな違いがあった。西鉄ライオンズは自由奔放で野武士集団的なチームだといわれていた。前の晩に飲み過ぎて二日酔いで試合をしたというエピソードもあった。どこまで本当なのか知らないが、ともあれ強いチームでは会った。その一方で、規律を重んじ全体が統制が取れたように見える球団もあったと思う。ただし、そうした極端なチームが時代とともに減少してきたような感じがする。このごろは、どこも似たようなチームが多くて、それぞれの個性が失われてきてはいないか。その傾向は一般社会でも同じで、昔は個性豊かな人間があちこちにいたような気がする。それが世の中にとってプラスだったのかマイナスだったか、その判断はむずかしいが…。 |
圧力≠フ効果(2010 April 17 Sat No. 2613)
組織の維持のために力≠使うと、それなりに成功はする。とくに組織が国のレベルになれば、究極の場合は命を奪うという手段まで執ることもある。一般の組織でも、解雇∞追放∞左遷≠ネどいろんな方法がある。いずれも脅し≠効かせるわけだ。これらは、少なくとも短期的には成功することが多い。人間、誰だって自分がかわいい。せっかく築いた地位を見す見す失うのは避けたい。そこで、心の中では大いに疑問と抵抗を感じながらも、表面的には力≠ノ屈することになる。少なくとも声を上げることをしない。いわゆる面従腹背≠ノ徹するのである。それだけではない。現状に不満を持ちながらも、組織の中で相対的にプラスの方が多い人々は、そうでない者たちを抑圧する側に回る。それがさらに力≠ノなるから、現状の脅し≠ェ正当化される。その結果、力≠フ装置が強化される。国であれば、たとえば軍や警察の力と影響力が増していく。しかし、それで抑圧された側のマグマが収まるわけではない。そのエネルギーを感じるから、圧力≠掛ける側も安心してはおられない。ずっと圧力を掛け続けていないと、いつひっくり返されるか分からないと不安になる。そんな心配があるから圧力をさらに増強したくなる。抑圧のスパイラルである。それで圧力≠フ効果を維持しようとする。しかし、組織の上から下まで、圧力を掛けること≠竍それに抵抗する≠アとばかり考えているようでは、まともな仕事はできないはずだ。組織力に欠けるから、競合相手との戦いにも負けてしまう。勝ち負けも大事だが、お互いがスパイではないかと疑心暗鬼でいるような組織は、そもそも住み心地が悪い。かくして、そんな組織は内部から崩壊していくことになる。 |
大組織の生き残り(2010 April 16 Fri No. 2612)
本欄で、TOYOTAの問題も沈静化してきたと書いたばかりなのに、今度はレクサスのスポーツ用多目的車が買わない方がいい≠ニ評価された。コンシューマー・リポートという消費者向けの雑誌で、アメリカでは影響力が大きいらしい。その真実性について私に判断できるわけがないが、さすがに買わない方がいい≠ニいう評価は最悪だ。TOYOTAはすぐに販売停止にしたようだが、さらに厳しい目にさらされそうだ。泣きっ面に蜂≠ニいうが、前途は多難である。さて昨日の続きだが、古代ギリシャで直接民主主義≠ェ実現したというのは中学校で習ったのだったか。しかし、それもかなり怪しいところがあって、そこに参加する資格は自由民の成年男子≠ノ制限されていた。つまりは特定の階層の男性にとってだけの民主主義≠セったということである。それはそうと、とにかく組織が大きくなると役割分担をしないと動かないことは、誰にだって分かる。それを説明するのに特別の理論なんていらない。組織がさらに大きくなると全国に支社や工場ができていく。学校だって、クラス分けが行われる。現在のところ学校のでは40人が1クラスの標準になっている。ともあれ企業の場合などは、国内までならまだいいとして、これが海外となると、働く人たちの文化が違うから、常識や行動の基準も大いに異なることになる。そうした中で、組織を機能させようとすれば、極端には2つの方法しかない。その1つは、とにかく強権的に人々を従属させることだ。有無を言わず強制的に方針を貫徹するのである。植民地時代の歴史をふりかえれば、ほとんどの場合、とくに軍隊という力の組織を前面に出してその国の人々を押さえつけた。その方法は短期的には効果を発揮する。 |
組織の権限(2010 April 15 Thu No. 2611)
TOYOTAの問題もやや沈静化してきたように見える。まだ追加の制裁金を課すという状況もあるようだが、アメリカでの販売も上向きらしい。もちろん、TOYOTAはこれに気を緩めることなくKAIZEN≠ノ努めていくことだろう。今回の問題の中で、リコールの意思決定がアメリカではできず、すべて日本の本社が権限をもっていたことが明らかになった。組織は大きくなってもあくまで統一≠保とうとする。それは組織の本能でもある。たしかに、海外の組織にすべての権限を与えれば、それは独立した別組織≠ノなってしまう。つまりは自分とは関係のない組織≠ニいうことで、極端に言えば完全に競争しているライバル会社と変わらない状況にすらなる。いわゆる事業部制≠ヘ、多角化した製品部門や地域別の組織に自主性を与え、独立採算を基本とするものである。組織が大きくなるとすべてをコントロールするのがむずかしいため、こうした方式を取らざるを得なくなる。この場合も、どこまで権限を与えるかがポイントになる。われわれが生きている世界はすべてがOK≠ニかすべてがNot
Ok≠ニ明確に白黒が付くようにはなっていない。つまりは程度の問題なのだ。そこで、国でも組織でも個人でもどちらがよりベターか≠ェ行動選択の基本になる。ただし、ベター≠ゥどうかを決める規準≠ェ人によって、そして人から構成される集団や組織によって違ってくるからややこしくなる。そのときの最も簡単な手段が多数決である。ギリシャでは直接民主主義≠ェ実現していたという。いわゆる民会≠ヘ年間に40回ほども開催されていたらしい。それでも、重要な決定は多数決≠ナ決めていた。ただし、その参加資格は自由民の成年男子だけにしかなかった。 |
いきなり団子(2010 April 14 Wed No. 2610)
熊本の食としては、豚骨ラーメンも知る人ぞ知るといっていいだろう。豚骨ラーメンが福岡県の久留米を発祥の地とすることは、その道の専門家も認める事実のようだ。そこから北の福岡や南の熊本に伝播していったわけである。味千ラーメン≠竍桂花ラーメン≠ヘ熊本以外にも出店している。静岡県の掛川でお店を見たときには、おーっ≠ニ思った。シンガポールの食堂街にもあった。桂花≠熕V宿をはじめとした東京や横浜などにも展開もしている。わが吉田家は全員が麺食い≠セが、私も若いころからラーメン好きだった。ただし、年齢と共に食べ物の嗜好も変わっていくもので、このごろはラーメンも年に数回といったところだ。そして、私としては熊本の自慢としていきなり団子≠挙げておきたい。最近はお土産≠ニしてアピールしはじめたようだが、その素朴さとおいしさは表現のしようがない。輪切りにしたサツマイモを小麦粉の生地で包んで蒸かしてつくる。ほんの気持ちだけサツマイモの上に小豆のあんこを乗せたりする。視覚的には説明しづらいから関心のある方はインターネットでご覧いただきたい。いきなり≠フ語源は、客が来てもいきなり出せる≠ニじつに分かりやすい。ただし、生のサツマイモを使うので生き成り≠ノなったという説もある。語源はさておいて、これを口に入れるとその落ち着いた甘さに感動が広がる。蒸かしたてで温かいとさらにおいしい。その昔、甘いものは贅沢品だった。そんな時代にサツマイモの甘さはどんなにか素晴らしかったことだろう。私が子どものころは、干し芋も大好きだった。七輪に網を乗せその上で焼いて食べる味は絶品だった。いきなり団子を食べると子どものころを思い出して目頭が熱くなってくる。 |
マニュアル問題(34)(2010 April 13 Tue No. 2609) 4月6日の続き
おぼしきこと言わぬは腹ふくるるわざ≠ヘ徒然草第19段に出ているが、思っている≠アとを言わないと腹が張る。もっとも、おぼしきこと≠ヘこれこれこうあるらしいと思われる≠ニいう意味だとか、心が鬱屈している≠アとだという解釈もある(松本聡氏)。私は言いたきこと言わぬは≠ェ記憶にあるのだが、徒然草の場合はおぼしきこと≠ナある。いずれにしても、これこれこうあるらしい≠ニいうのも推測しながら思っていること≠セし、心の鬱屈≠ヘ思っていること≠ェさらに深刻になった状態だろう。生きていく上でことばが欠かせない人間にとって、思考は止まることを知らない。そもそもわれわれが考える≠ニいうとき、それはすべてことば≠使っている。ことばを使うのは人と会話を交わすときだけではない。われわれは1日にどのくらいことば≠使っているのだろうか。頭の中で意識的に考えるだけでない。夢の中でもことばを使う。そう考えると、人間はことばの海≠フ中で生きているのである。そのことばでこころの安定を得ることもあれば、ことばで自分自身を責めさいなむこともある。タイトルのマニュアル問題≠ゥら脱線しているが、言いたいことが言える♀ツ境を作っていないと、マニュアル破り≠煖Nきてしまう。そんなことを言いたい≠フである。それはいわゆる成果主義の問題にも繋がる。目に見える$ャ果のみを追求することで潜在的な欲求不満を高め、手抜きを助長するのではマニュアル≠セって守られないということだ。restructuring≠ヘ組織の再構築≠目指すのであって、首切り≠フ代名詞ではないはずだ。リストラ≠ナ言いたきこと≠言わせないのではいつかまずいことになる。 |
食べ物自慢(2010 April 12 Mon No. 2608)
福岡生まれだとはいうものの、そして青春時代も福岡で過ごしたことは間違いないものの、熊本の地に移り住んですでに30年が経過した。長男は福岡で生まれて鹿児島でちょっとだけ息をして、すぐに熊本にやってきた。娘は完璧に肥後っ子≠ナある。もちろん家内は私と行動を共にしている。熊本は夏はやたらと暑く、冬はめっぽう寒い%y地柄だ。夏なんぞはときおり全国の最高気温≠記録する日もある。いわゆる日較差も激しい。夏でも早朝はけっこうヒンヤリするのだが、昼間は火傷をするんじゃないかと思うくらい暑くなる。冬だって半端な寒さじゃない。もちろん、北海道をはじめとした北国とは比べものにならないはずだが、感覚的には凍てつくほど寒くなる。そんな環境を踏まえた上で、熊本はいいなあと思っている。そもそも私は定着性が高い。そんな熊本で観光的な面から自慢の食べ物といえば、まずは馬刺だろう。口の中にいれると甘くとろけていくような食感は格別だ。これに一見すると牛肉の脂のようなタテガミも珍味である。それから辛子蓮根もそこそこ知られているのではないか。蓮根の穴に辛子をしっかり詰めて小麦粉の衣で包んで揚げる。あとは蓮根を普通に食べるときのように輪切りにする。作り方はじつに簡単なようだが、これがまたおいしい。とくに揚げたてはしびれるほどだ。熊本に住みはじめてしばらく経ったころ、お土産の辛子蓮根で中毒事件が起きた。そのとき全国にボツリヌス菌というものが知られるようになった。真空パックの中で生き続けるということが衝撃的だった。事件による風評被害の影響もあって辛子蓮根はしばらく逆風を受けることになる。しかし、それももう30年近く昔のことだ。私としてはお勧めの一品である。 |
風土のとらえ方(2010 April 11 Sun No. 2607) 4月4日の続き
私が熊本大学に赴任したのは1979年10月だが、その年にNECのPC-8001が登場していて、はじめからそれに乗っかかってしまった。その点では、マニアックなMacに走らなかった。家電業界でも、文字どおり家庭電気製品を作るという点では共通点があっても、企業のカラーは様々である。PanasonicにSony、あるいはSharp、そしてSanyoなど、個性豊かである。Sharpはアイディア豊かな会社というイメージがある。ファインダーに代えてビデオカメラに液晶を最初に付けたのはSharpだったと思う。開発当初の電卓も強く、いまでは電子辞書で先を走る。たしか、テレビとビデオを一体化したのもSharpだった。その点Panasonicは状況を見るのが得意で、他でうまくいくと技術力がすごいから、すぐに追いつく。皮肉好きの人たちは松下電器≠ナはなくまねした電器≠ニ呼んでいるなどという笑い話も聞いたことがある。発言の主は大阪出身の方で、もう30年以上も前の話だ。今はもうそんな評価はなくなっただろうか。小売店であるデパートやスーパーでもまったく同じ≠ネら、勝負は立地だけで決まることになるが、現実を見れば、そこには大きな文化≠フ違いがある。とまあ、風土≠業界や業種の特殊性≠ニいうことで進んできた。これに対して、それを文化≠フ基盤とするにはやや広すぎる≠ニいう考え方もある。たとえば、長い期間にわたって存続している組織などの場合、発足当初の状況といったものを風土≠フベースと見なしてはどうかという発想である。たしかにそういう視点もある。ただ、風土≠地球規模のモンスーン気候≠ネどと対応させているのだから、私としては取りあえず業界や業種の特殊性≠ニいうことにしておきたい。 |
熊本といえば…(2010 April 10 Sat No. 2606)
熊本といえば、まずは熊本城だろう。それから水前寺公園もそれなりに知られているのではないか。もちろん雄大な阿蘇を思い浮かべる人もいるに違いない。ただし阿蘇についてはけっこう曖昧なところがあって、大分などとの区別ができない人もいるようだ。観光ガイドなどで別府/阿蘇とペアで紹介されたりするからだろうか。そんなわけで、熊本空港は数年前から阿蘇/熊本空港≠ニ呼ぶようになった。あくまで愛称のようだが、とにかく阿蘇が熊本であることをアピールしている。最近はタレントのスザンヌが熊本県の宣伝部長として熊本を大いにPRしている。熊本県知事の樺島氏は高校を卒業して農協職員になり、アメリカに渡った。その後、ハーバード大学で学び筑波大学を経て東京大学教授になった。さらに定年前に県知事に転身したというきわめておもしろい経歴の人なのだが、どちらかと言えば地味なタイプだ。その点、お隣の東国原氏とは対照的な人である。そこでスザンヌ登場ということになるのだが、なかなかおもしろい組み合わせだと思う。ともあれ来年3月には新幹線も走り出すとあって、熊本はPRに努めているのである。先だっても、大阪駅で熊本にいらっしゃい≠ニ呼びかけるかなりでかい広告があるのを見た。阿蘇だけではない。海の幸に恵まれた天草もあれば、人吉や五木なんぞもなかなかのものなのだ。どこに行っても温泉があるのがいい。そうそう、山鹿では灯籠祭り≠ェ売りだ。お盆になると紙製の灯籠を頭に付けて女性が優雅に舞うのである。千人灯籠祭り≠ニいうように、その人数の多さにも圧倒される。また国の指定重要文化財の芝居小屋である八千代座も知る人ぞ知るところだ。坂東玉三郎の公演もあるなど、しっかり頑張っている。 |
車で海苔巻き(2010 April 09 Fri No. 2605)
家内と車で10分足らずのところにあるスーパーに行った。たまたま駐車場の空きがなく家内だけ降ろして、私は空いている場所を探していた。そのとき、前方からよく知っている近所の方が歩いてこられるのが見えた。向こうも気づかれて、あそこが空いてるよ≠ニ教えてもらった。そのときはそれでおしまいになった。それから数日後、家内がその方と話したという。私と駐車場で会ったことからはじまったらしいが、あのときは海苔巻きが急に食べたくなって、それだけを買いに行った≠だそうな。あそこの海苔巻きはおいしいからね≠ニいうことなのだ。じつは、われわれが住んでいるエリアには歩いて行ける距離にも大きなスーパーがある。もちろん、そこにだって海苔巻きを売っている。しかし、その方はそこには行かずにわざわざ車で出かけたのである。海苔巻きがいくらなのか知らないが、おそらく数百円だろう。それを車に乗ってでも買いに行く。つまりは近くのスーパーは負けているのである。これが海苔巻きだけであれば心配することもないだろう。しかし、家内の見立てでは肉や魚にしても鮮度や品数が違うという。価格的にはやや高めだが、車で行くスーパーの方に行きたくなるらしい。店の規模としては近くの方が圧倒的に大きいのだが、消費者の評価は逆になっているのである。いまや規模が大きくて、とにかく安ければいいというだけではうまくいかない。わが家としては歩いて10分以内にあるスーパーがこけてもらっては困る。しっかり頑張ってほしい。経済的に厳しい時代だ。そんなときにこそ智恵≠出すことが求められている。牛丼もひたすら値下げ競争で勝負しているようだが、大手のチェーン店では予想を遙かに上回る赤字を出している。 |
対岸の大火事?(2010 April 08 Thu No. 2604)
New York Timesの日曜版3月14日付けの記事。ギリシャの経済危機に関するものだ。見出しは直訳すれはギリシャ人は負債の現実的なコストを学んでいる≠ニなる。日本語風に直せば、負債の重さに困惑するギリシャ≠ニでもなろうか。ギリシャらしく壮麗な国立銀行前の階段にホームレスの男性が寝転んでいる写真が付いている。少しばかり翻訳してみるが、日本人なら誰もが人ごとではない≠ニ思われるはずである。それどころではない、自分たちの方がもっとひどい≠ゥもしれないのである。そして、外国の新聞にこうした日本発の記事が出るのも時間の問題ではないのか…。ギリシャは倒産寸前のどん底状態にある。国の負債がユーロに対する信頼を脅かすことから、EUは掟破りのメンバーに対して、その杜撰さを責めることなく、緊急に支援する方策を探ざるを得ない状態が続いてきた=B事態があまりにも深刻なため、すでに非難や報復をするような段階を超えているのである。ギリシャ人が抱える問題の核心は、あまりにも長期間にわたって、公益のためにその資源と人材を活用しようとしなかった政治家を持ったことにある。政策は国民の要求に応え続け、その一方で国民は国に管理能力も透明性も求めてこなかった。アテネで日常的に行われるデモは十分に準備された儀式で、市民たちはその要求を政府がを受け入れるまで圧力をかけた。どちらの側も、それが将来の財政に与える影響を心配することなどなかった=Bわが国では毎日のようにデモがあったわけではない。しかし、あれもほしい、これもほしい≠フ精神構造は似たようなものではないか。政治家も、それをエサにして投票に結びつけようとしてきた。いわゆるばらまきや人気取りはその典型だ。 |
新聞世代(2010 April 07 Wed No. 2603) 3月31日の続き
昨年はインターネットの広告料が新聞を超えた。このニュースを聞いて、私のような素人ですらついに来るときが来たか≠ニ思った。これが再逆転するとは思えない。それどころか、その差は拡大していくだろう。NHKの特集に出演した当事者は、宅配≠キる点を海外の新聞と異なる特徴だと発言していた。だから次から次へとつぶれる海外とは違うという論理である。しかし揚げ足を取るようだが、宅配までしてくれる$g近な新聞なのに、広告料がインターネットに追い越されてしまったのである。そこを深刻に捉えないと、これからの道が探りにくくなる。個人でも組織でも、自分の弱さを認める強さ≠ェ必要だ。これがないと激変する環境に対応できないのである。厳しい現実を受け止めた上で、これからの新聞のあり方を議論しないとまずいに決まってる。私などはいわゆる団塊の世代に属しており、新聞なしでは生きていけない人種である。このごろは臭覚も落ちてしまったが、朝刊のインクのにおいをかがないと1日がはじまらない。子どものころは小学生新聞≠ネども取っていたことがある。小学生のとき吉田家新聞≠ネる手作りの新聞をつくっておじいちゃんに郵送していた。祖父からは購読料≠ニして10円くらいのお小遣いをもらっていたような気がする。あの新聞特有の活字をまねて見出しを書いたりするのは楽しかった。われわらはそんな環境の中で育ってきたのである。だから大学生のときにも当然のように新聞を購読していた。その時代でも生活費の中に占める購読料の割合はそれなりのものだった。当時の福岡にはフクニチ新聞≠ニいう夕刊だけの新聞があった。料金も低めに設定されていたから、購読料が負担になるとこれに代えたりもした。 |
マニュアル問題(33)(2010 April 06 Tue No. 2602) 3月30日の続き
松下幸之助氏のPHPに抗して、PHSで張り合おうという気などさらさらない。しかし、PがPeace≠ナ、H≠ェHappiness≠ネどと言えば、なあんだ松下さんのパクリじゃないか≠ニ嗤われそうだ。しかしちょっと待っていただきたい。その後がユニークなつもりなのである。まずH≠ヘもう一つあって、Health≠追加する。健康≠ネくしては仕事もできない。そして、最後はS≠セから、松下さんのP≠ニは大いに違うのである。これもH≠ニ同じようにダブルで、Safety≠ニSmile≠ナある。前者のSafety≠ヘ事故を起こさないといった安全≠烽るが、とにかく生活全体が安全だと感じられていること≠ェ大事なのである。いま安全・安心≠ニいう組み合わせが使われるが、それとほとんど同義だ。そして最後のSmile≠ヘ言うまでもない。職場に笑顔がなければ、そもそも意欲も高まらない。そして社会の経済でのインフレは困るが、simile≠フインフレならドンドン起こそうではないか。この点はすでに本欄でも触れたことがあるが、ともあれ職場でも家庭でもPHS°ュ化運動を展開してはどうかと思うのである。そして、それこそが組織内での品質保証≠ネのだと考えている。世の中に出てくる製品やサービスの品質保証は耳にたこができるほど聞かされる。しかし、そもそもそうした物やサービスを提供する組織内の人々がPHS≠実現していなくて、品質の高いものができるはずがない。品質といえばモノ≠ノ焦点が当てられがちになる。それは重要な一部ではあるが、働く人々の品質を無視していては、いい物はできないのである。QMS≠ノはHuman Quality Managemt System≠ェ含まれていないとまずい。 |
悪魔のせい?(2010 April 05 Mon No. 2601)
前代未聞:いまだかつてまったく聞いたことのない、変わった珍しいこと∞空前絶後:今までに例がなく、これからもあり得ないようなこと。非常に珍しいこと∞開いた口が塞がらぬ:あきれてものが言えない=iいずれも電子版スーパー大辞林)。さらに
英語ではMy mouth dropped open when I heard the news=i電子版ジーニアス和英)。英語でも口が開きっぱなし≠ノなるというニュアンスで共通している。このすべてを参議院本会議で別の議院の投票ボタンを押した方にお贈りしたい。その動機を聞かれて、魔が差したとしかいいようがない…=B悪魔が聞いたら俺のせいにするのか≠ニ髪の毛を逆立てて怒るのではないか。まさに怒髪天を衝く≠ノ違いない。とにかく自分の行為を悪魔のせい≠ノしてはいけない。とりわけ国会議員は、まさに自己の責任において″s動すべく期待されている典型的な職業である。もう随分と前の話だが、子どもに見せられない番組≠ニして国会中継≠挙げたことがある。人の言うことを聞かない、耳障りなヤジを飛ばすなどなど、子どもの目や耳には触れさせたくないことばかり。そして、さらに新しい要素が加わったわけだ。人の代わりに勝手にボタンなど押してはいけません。そんなこと、わざわざ教えないといけなくなるじゃあないですか。当然とはいいながら、問題が顕在化してから間髪を置かずに辞職願いを出された。その点は潔いじゃないかと思ったら、何のことはない、今期で引退して選挙には出ないと決めておられたそうな。その後は、ご子息が出馬されるようだ。もちろん跡継ぎ氏≠ノは親父の行動≠ノは何の関わりもないのだけれど、こんなかたちで辞められたのではガックリですよね。 |
組織の文化(2010 April 04 Sun No. 2600) 3月28日の続き
安全風土≠業界や業種の特殊性≠ュらいに考えると、次の文化≠ヌうなるか。業界や業種の特殊性≠ベースにして創り上げられた個々の会社の特性や強味≠ニいったことになるだろう。おなじ自動車メーカーでも、その文化は随分と違っている。そもそも組み立てライン方式やロボットを活用するといった面では、各社は共通している。それは自動車を製造するための基本的な要件だからだ。新聞業界でも記事を集めて編集し印刷する。そこで記者がいたり編集者がいたりする点では共通している。もちろん印刷機も必要だ。もっとも宗教団体の中には、印刷を各地の新聞社に委託しているところもあるが、これは例外としよう。このごろ厳しい嵐に見舞われているデパートやスーパーだが、これらのサービス業も基本的には売り場があって、商品が並び店員がいるという点ではどこも同じである。しかし、そうした共通の風土≠フ上で個々の企業文化≠ノは大きな違いがある。たとえばTOYOTAは一般的に幅広い人気を得てきた。これに対してHONDAは、創業者のユニークさと相まってチャレンジ精神と独自性が売りのイメージがある。三菱やスバルの富士重工などは、2月の販売台数の30位にも入っていないから売り上げではマイナーだが、かなりマニアックなファンがいる。この関係はWindows≠ニMac≠フそれにも似ている。一時はWindows≠ノ征服されそうにも見えたMac≠セが、いまやiPod≠ナ世界を席巻している。Macにはかなりプロフェッショナルでマニアックな人が多い。世の中の大勢に左右されないこだわりがある。私も30年近く前にMacと出会ったのだが、かなり早い段階で一般ピープル受けしやすかったWindows≠ノ走った。 |
強≠ニ弱(2010 April 03 Sat No. 2599)
たとえば、ワープロで書いた1つの文が65文字だったとする。わたしのワープロは1行を40字に設定しているから、これだと1行と25文字分になる。つまりは、1.625行である。端数は0.625≠セが、これを切り上げる≠ニ当然のことながら2.0になる。そこで、この際は2行弱≠ニいうことにする。とまあ、こんな理屈なのだ。弱≠ェちょっとだけ足りない≠ニいうニュアンスなのだ。実際に、弱≠ニ同義の接尾語として足らず≠ェ使われることもある。それなら、私が昨日引用した45字のときはどうなるか。これだと、1.125である。あくまで端数を切り上げる≠ニいう理屈だと、これも2行弱≠ニいうことになる。ただし、そのあたりは気持ちの問題で、やはりもう少しで≠ニいう数値のときに弱≠使うべきなのだろう。その点では、私が45文字を2行弱≠ニ書いたのはやや誇大な表現だった。ついでに言えば、弱≠フ反意語は強≠セが、こちらは数量を表す名詞などに付いて、端数を切り捨てた数字であることを表す≠ニなっている(電子版スーパー大辞林)。だから、2.35などは2行強≠ニいうことになる。いつもはここまで頭に入れていないが、まあ大体のところは適切に使っているのだと思う。ところで、スーパー大辞林≠フ説明に、数量を表す名詞などに付いて、端数を切り捨てた数字であることを表す≠ニ表す≠ェ重なっているのはちょっと気になった。これは完全に私の好みに過ぎないが、私は1文中に同じことが来るのを避けるたちなのである。どちらかを示す≠ネどにしたらどうだろうか。ところで、この辞書では弱≠フ場合は名詞≠ナ、強≠ナは名詞など≠ノなっている。厳密に言えば対応が取れていないンです。 |
鯨 マグロ…≠フメモ(2010 April 02 Fri No. 2598)
味な話の素≠フために書いておいたメモの1つにこんなものがある。鯨 マグロ 文化とは言うけれど 肉も抑えているのですか カンガルー イルカはかわいいから?<Xペースを含めて45文字、ワープロで2行弱である。これをご覧になって、私が何を書きたくなったかおおよその見当がつかれるのではないかと思う。この手のメモには、ときおり日付を書いておくのだが、これにはそれがない。しかし、例のワシントン条約締約国会議における大西洋でのクロマグロの国際商業取引禁止案に対する議決の前後であることは言うまでもない。実際に議決が行われたのは3月18日だから、そのころにメモをしたわけだ。そして私としては、そのうち書こう≠ニ思っていた話題である。しかし、これについてはすでに賞味期限切れになった可能性がある。この数日、新聞で識者が私と同じ発想で¥曹「ているのを見たからだ。もちろん、世の中にはたくさんの人がいるのだから、自分独自の発想なんてあり得ない。いくら独創的だ≠ニ思っていても、同じことを考えている人がいて当然である。しかも、理系の競争と違って、それが経済的に得する損するといったものでもない。もっとも、いわゆる評論家の人たちは、その先発性とユニークさでおまんまを食べているのだから、人と同じことを後出して言っても仕事にならない。その点、私なんぞは自分も以前から同じことを考えていたと自慢できるだけで満足するのである。ところで、またしても脱線してしまう。先ほど私はワープロで2行弱≠ニ書いたが、この弱≠ニいうことばもおもしろい。そもそも弱≠ニは数量を表す名詞について、端数を切り上げた数字であることを表す$レ尾語である(電子版スーパー大辞林)。 |
ネタ忘れと賞味期限切れ(2010 April 01 Thu No. 2597)
次から次にいろいろなことが起きる。そのたびに味な話の素≠フネタも増えていく。机に座っているときでも、急に頭に浮かぶものは手元にメモをする。それを夕方など少し落ち着いた時間を見てワープロに書き写す。内容にもよるがキーワードだけを書くから2行程度のメモになる。これがけっこう曲者で、時間が経過してしまうとまずいことが起きる。自分で書いておきながら、その内容を思い出せないことがあるのだ。そうかといって、事細かに書き留めて置く気にはならない。しかも、このごろはもっと深刻な事態に遭遇する。それもしばしばである。うん、これはいける≠ニ思うことが頭に浮かぶ。しかし、そのときものを書いたり、他の仕事が進行中だったりする。その際に、これほどすごいことだから忘れるわけがない≠ニ勝手に決める。これがいけない。ほとんど瞬間的に大脳から蒸発してしまうのである。これは老化に伴うものだから、しっかり受け止めなければならない。また内容について忘れずにメモしていても、賞味期限切れになることもある。これはかなりもったいない。そのときどきに書きたいことがあり、そのうちに≠ニ放置していると、後でしまった≠ニなる。とくに私の場合は、理系の研究競争とは違って、早出しが名誉だけでなく経済的なプラスにも繋がるたぐいのものではない。発明すると何億円などという世界とは違うのである。また名誉≠ニいうほど大げさなものも期待しているわけではない。ただ、俺だって昔から考えてたんだぞーっ≠ュらいの自慢話はしたいのである。少なくとも、世の中で流行だしたような発想を、ああ、それってもう3年前に味な話の素に書いてるもんね≠ニ少しばかり鼻をヒクヒクさせるのはけっこう楽しい。 |
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