マスコミの危機意識(2010年03月31日 水 2596)
この前の連休だったと思うが、NHKでメディアの将来に関する番組を見た。正確には、仕事が一段落ついてスイッチを入れると番組が始まったばかりといった感じだった。その後すぐに眠くなったので、床に入ってオフタイマーにした。こうなると最長でも2分、最短だと瞬時に近い間に気が遠くなる。2分にしても、自分で計れるわけがないから、勝手に推測しているだけのことである。したがって、見た≠ニいうのは過大な表現で、見たような気がする≠ニいった方が正しい。それはともあれ、新聞とテレビに関わっているトップの発言が聞こえてきた。あくまで気が遠くなるまでの話だから、それからどんな話になったのかは知らない。しかし、少なくとも私の耳に残っている感じでは、お二人ともやたら楽観的だった。立場上、ああした発言をしないとまずいからだろうと推測した。あれが本気だとしたら、素人ながら危機意識のなさが心配になってくる。アメリカの新聞の窮状に対して、日本では宅配を希望する人が多い∞メディアへの接触率は低下していない≠ネどと言うのである。そもそもどんな統計を基礎にしているのか知らないが、いま購読している人≠ノ聞けば宅配希望者≠ェほとんどだろう。問題は購読していない人たちだ。アメリカと違って、わざわざ宅配までしてくれる≠フに、その人たちはどうして購読しないのか。そこが問題なのではないか。また、このごろはマンションが増えて、宅配といっても1階の郵便受けまでしか届けられない。住民はエレベータを使ってそこまで取りに行く必要がある。朝も早いことだから気にしない人もいるだろうが、やはりパジャマ姿というのは抵抗があるのではないか。とくに女性の場合はそんなわけにはいかない。 |
マニュアル問題(32)(2010年03月30日 火 2595)3月22日の続き
仕事をするのであれば成果を出さなければならない。当然である。その意味で成果主義≠ヘ重要な考え方である。ただし、すでに数年前に本欄でも言及したが、成果=見える成果×見えない成果≠ナあることを忘れてはならない。ここで見える成果≠ニは典型的には数値で表現できるものだ。数値化された達成目標などがそれに当たる。もちろん、組織にとって、目標が見える形になっているほど評価もしやすくなる。だから、それはそれでいい。ただし、それだけ≠ナはまずいのである。見える成果≠フ裏側で見えない成果≠ェマイナスになっていることは大いにあり得るのだ。人々の働く意欲や満足度、仕事に対する誇りなどはその代表である。上司に対する満足度、職場のコミュニケーション、いわゆる風通しの良さに対する満足度もこれに含まれる。これらはいずれも数値に表すとなるとむずかしい。その点では見えない≠謔、だが、まったく見えない≠けでもない。そのためには、一般的なアンケートなどが用いられる。人の態度や意見などを物理的な長さや重さのように厳密に測ることはできない。しかし、見えないこころ≠フ状態や変化の傾向について、ある程度の把握はできるのである。意欲や態度の調査については、ときおり本コラムで触れてきたが、これからも取り上げたいと思う。ところで、私はかなり以前から松下幸之助氏のPHPの向こうを張って(?)、PHSのすすめ≠提唱している。本コラムででは2004年1月26日にはじめて触れたが、その後もバージョンアップ中である。松下氏の場合は、PHPはPeace、Happiness、Prosperity≠ゥら構成されている。じつは私のPHSでも、はじめのPeace、Happiness≠ワでは松下氏と同じである。 |
殺人の件数(2010年03月29日 月 2594)
殺人の件数は減少しているのだという。不景気で人の心も以前よりすさんでいるように思える。そのせいで殺人事件も多発しているように感じる。しかし、現実の件数は減っているのである。マスコミが連日のように殺人事件を報道し、追いかけるから状況が悪くなっているように思えるのだという。だから、別に大騒ぎすることはない≠ニ主張する識者もいる。もちろん、データを押さえずに騒ぎ回るのは問題である。しかし、数値が減ったから騒ぐのはナンセンスだというのも、これまたまずいんじゃないの。それに、本当に′ク少しているのか。殺人の件数についてはおもしろい表現が使われている。最も信頼できると思われる警察庁のデータで認知件数≠ニなっているのである。つまり、殺人が減っている″ェ拠になっている数値は公的に殺人だと認知された′署狽ネのだ。この表現からわかるように、世の中には認知できない殺人≠ェあるのだ。それは当然だろう。行方不明になっている人の中には殺人の被害者も含まれている可能性がある。行方不明は捜索願が出されないと公式な統計に入らない。それでも年間10万件を超えているようだから、本当の数は計り知れない。そして、その中に殺人の被害者がいないとは断定できない。いやきっといるはずだ。その上、このごろは、病死や事故死だと判断されていた人が、じつは殺人の被害者だったという事例もある。つまりは犯罪の手口が巧妙になって、殺人≠見逃してしまうのである。さらに、昔はテレビや推理小説の世界にしか登場しなかった殺人依頼≠ワで現実化している。これだって昔もあったのだろうが、殺人≠セと見抜くのは簡単ではなかろう。何といっても、日常的な関係が全くない者同士なのだから。 |
安全と風土(2010年03月28日 日 2593)3月21日の続き
モンスーン気候≠ニいう風土≠フ上で稲作≠ニいう文化≠ェ成立した。そして、その稲作文化≠フ中で秋祭り≠ェ生まれてくる。その年の収穫を祝い、来年もそれを願うというごく自然な気持ちから出来上がってきた行事である。しかし、そうした共通点はあるものの、個々の祭りのあり方はそれぞれ違っている。そしてそれぞれが抱えている課題や問題にも個性がある。これを組織の安全に翻訳してみるとどうなるか。まずは本来の風土≠セが、地球の場合はモンスーン気候≠ゥらはじめた。しかし、このスタート点もいろいろ考えられる。どこにするか迷うほどだ。ズーッと遡れば、それを宇宙の始まりに置くことも可能である。そして、大地と空気と水、さらに太陽との距離などに言及する。それから気候の話になり、モンスーン気候≠ノたどり着く。ここまで行くと、これはもう大河ドラマになってしまう。私の場合は、風土≠モンスーン気候≠ゥらはじめたが、それはそれで違和感はないと思う。それでは組織の安全はどこからはじめるか。人類が地球上に現れて次第に集団を作り、それが組織や社会の成立へと繋がっていった…。ここまで遡ると、これまた大長編物語になってしまう。そんなところまで戻ると大きな問題が生じる。またまた脱線して収拾が付かなくなるからだ。この味な話の素≠焜Xタートして間もなく7年になるが、これを何度も繰り返してきた。そこで今回は安全風土≠業界や業種の特殊性≠ュらいからはじめよう。これを体質≠ニ言ってもいいが、これには、はじまからマイナスのイメージがある。また慣習≠ニいうのものある。ただし、これはすでに文化≠フニュアンスが含まれているので、ちょっと混乱する心配がある。 |
感受性劣化(2010年03月27日 土 2592)
もう少し、引き際≠ノこだわっておこうかなあ…。その人に力があればあるほど、周りからもうそろそろお引きになっては≠ネんて言わない。正確には言いたくても言えない≠フである。それどころか本心とは裏腹なことまで言う人間が出てくるからややこしい。みんな期待していますよ。まだまだずっと…≠ネどと心地いいことを言うのである。しかも、目の前では褒めながら、聞こえないところではいやあー、みんな困ってるんですよね≠ネんて悪口を言ったりする輩もいる。寂しい話である。しかし、そんな声は耳に届かないから、ますますその気になってしまう。みんなから期待されているんだ∞まだしっかりしなくっちゃあ=Bさらに私がいないとだめなんだ≠ニまで思い込む。これが大きな落とし穴になる。われわれは年齢とともに体力が落ちることは知っている。知らなくても実感せざるを得なくなる。しかし、自分自身に対する認知力については、その衰えに気づきにくい。年を取れば目や耳のような感覚器官の力が弱るように、対人関係に関する感受性も衰退する。そのことをしっかり頭に入れておきたいものだ。しかし、これがじつにむずかしい。飲酒運転をしないと決めていても、飲んでいくうちに、どうでもいいやという気持ちになってくる。それがアルコールの作用なのである。老化も大脳に対して同じような働きをする。私もいまのところ偉そうに言っているが、この先どうなるか怪しいものである。人間は関わりを求める人間だ。そして、自分がいつまでも評価されたいと願う。ときおり、名刺の裏側に肩書きが溢れている方がいらっしゃる。正直なところ苦笑いしてしまう。しかし、これも自分の大事さ≠アピールする気持ちの表れなのだろう。 |
掛算の順序(2010年03月26日 金 2591)
リーダーシップのポイントは何といってもしっかり仕事ができることである。私はリーダーシップ力=(専門力×人間力)/フォロワーの人数≠ネる公式≠提唱している。その内容についての詳細は別の機会に譲るが、この式を提示したときに質問をいただいた。分子は掛け算ですから、掛けられる項と掛ける項の順序を入れ替えて、(人間力×専門力)でもいいのですね=Bなかなかおもしろい問いかけではあったが、私の答えは断じてNo≠ナある。われわれはプロフェッショナルとして仕事をしているのである。そのためには、仕事についての専門力、具体的には求められる知識や技術を身に付けていなければならない。あるいは、それが十分でないと思ったら、全力を挙げてその充実に努力しなければならない。わたしは、自分に足りない専門性を高める努力をしている℃pを見せることも、リーダーの専門力≠セと考えている。ともあれ、専門性があってこそプロなのである。あの人の専門性には問題がないんだけれど、人との関わり方がちょっとね=Bそんな評価をされているのであれば、人間力≠磨くことだ。あの人は、関わり方はいいんだけれど、仕事の専門性が問題なんだよね=Bこれを翻訳すると人はいいけど、仕事ができない≠ニいうことである。これはどう考えてもまずいのである。そんなわけで、私の公式では、分子の順序はあくまで専門力×人間力≠ナなければならない。そして、その専門力に中に、後進を育てる≠アとも入れておくべきである。自分だけしっかり仕事をしていても、ご本人が異動や退職したら誰も育っていなかった。こんな状況を作ってはいけない。昨日から話題にしている引き際≠熈後進を育てる≠アとに繋がっている。 |
引き際(2010年03月25日 木 2590)
演歌歌手の二葉百合子が引退を表明した。年齢は78歳、元気な今だからこそ、幕を下ろすときだと決めた≠ニいう。まだ声が出るうちにとの思いがあったようだ。素晴らしい引き際である。あえて名前は出さないが、誰でも知っている女優さんがドクターストップのために公演を中止した。ほんのこの前のことである。彼女については、長年にわたって当たり役を務め、それが高い評価を受けていた。私は本物を見たことはないが、素晴らしいことだと思う。しかし、人はだんだん年をとってくる。どんなに当たり役でも、無理はできなくなる。舞台の上ででんぐり返り≠キるのが大きなポイントだったと聞いたことがある。それが年齢とともにできなくなった。まず間違いなくこのときが絶好のタイミングだったと思うが、何も起きなかった。野球でもスパッと潔く引く者もいれば、生涯○○≠ニいう選手もいる。しかし、野球は実力の世界だから、いくら生涯○○≠ニ叫んでも使ってくれなくなる。これに対して、彼女の場合は主役である。野球のポジションとは違うのである。いつだったか、彼女がNHKに出ていたが、私には目もうつろに見えた。おやおや、大丈夫なのかな≠ニ思った人は少なくなかったのではないか。これは私に与えられた役=Bそんな思いがあったのだと思う。それはそれで大事なのだけれど、同時にこれが引き際≠誤らせることになる。まだやれる≠ニきに引いて、次の世代の才能を伸ばすこと。それも長年続けた人の役割であり、義務なのである。もちろん、引き継いだ者は先代には遙かに及ばない。世の人は、まだまだ、あの人にはかなわないね≠ネんて比較する。そんな評価を聞いて、先代は心地いい思いをして、ニヤリとすればいい。 |
規格外でいこう(2010年03月24日 水 2589)
トマトに限らず、いつのころからか、何でもかんでも規格品が店頭に並びはじめた。その代表例はキュウリだろう。私が子どものころは細いキュウリ、太いキュウリ≠ヘ当たり前で、まっすぐも、ひん曲がり≠烽った。もちろん含まれる栄養素はまったく同じだし、それで味が落ちるわけでもない。板に穴が空けられている。そこにできた果物を通す。穴を首尾よく抜けないと規格外だ。ストーンと落ちるような小さなものもアウトだったに違いない。もう20年くらいの昔になるが、NHKが放映していたある番組だった。場所は東南アジアだったと思う。それがどこであれ、とにかくこうして選別されて、あとはポイ捨てになる。なんともひどい話である。こうした事態に対して日本の消費者が形の悪いものを嫌うから≠ニいった説明がなされていた。悪いのは消費者というわけだ。たしかにわれわれにはそうした面がないとは言えない。しかし、最初のスタートは販売側の都合なのか、消費者の勝手なのか。このあたりは、かなり怪しいのではないか。スーパーのような販売側が、商品輸送の効率化や価格の統一などから超規格品を作っていった。そんな事情がありそうに思える。そうした手立てが商品の低価格に繋がったということもあるのだろう。しかし、それが高じて、おそらく企画外はどんどん捨てられていった。なんともったいない話であることか。それでも、見栄えのいい規格品がスーパーから消えることはないだろう。しかし、いまや地産地消の時代である。生産地の近くにこうした小さなお店が増えていくことで、見捨てられていた野菜や果物を蘇らせましょう。トマトを生産している農家の方だって形が悪くても、こちらの方がおいしいですよ≠ニ言ってましたよ。 |
トマト1.5Kgのお値段(2010年03月23日 火 2588)
トマト 1.5Kgが250円。まずはお値段そのものをどう思われるだろうか。野菜の買い物などされない方は、これが安いのか高いのかはわからない。しかし、1.5Kgといえば、ノートPCほどだから、これが全部トマトだと思えば、やはり相当に安い。しかも、味が絶品なのだ。それこそ、一度食べたらやみつき≠ノなってしまう。これを売っているお店はサンサンうきっ子≠ニいう。所在地は熊本県宇城市松橋町。宇城市は2005年に宇土郡と下益城郡の町が合併して発足した熊本市の南に隣接する新しい市である。サンサンうきっ子≠ヘ緑川の橋を渡ってすぐにある。宇城農業協同組合が経営する小さなショップだ。わが家から車で30分ほどのところにある。休みの日になると、家内とちょっと行ってみたくなる魅力的≠ネお店である。とくに冒頭に取り上げたトマトがいい。ただし、形はといえば、お世辞にもかっこいい≠ニかスマートだ≠ニいう表現からほど遠い。とにかく味≠ェ勝負なのである。このほか、イチゴも素晴らしい。真っ赤な粒を見ると、ついつい孫の顔が重なって、追加のパッケージに手を出してしまう。また、いつもお餅が置いてある。草餅なんぞは懐かしく、これまた食べたくなるのである。さらに、熊本の売りである柑橘類もあれば、たったいまこの世に生まれたばかりといった感じの卵もある。卵を入れたネットを大事そうに運んでいる生産者の女性を見たときは、もう反射的に買いたくなった。お若い女性だったからではございませんよ。念のため。ただし、トマトの味は絶品だが見栄え≠ノこだわる方にはお勧めしない。日本人は食べ物をまずは目で見て*。わうという。それも風流ではある。しかし、もっと大事なのは本来の味≠セろう。 |
マニュアル問題(31)(2010年03月22日 月 2587)3月5日の続き
三菱重工(株)長崎造船所の全員参画による安全運動≠ナは、単なる事故数の減少だけでなく、予め予想しなかった様々な効果が生まれた。その1つが、自分たちが関わった部分に班名を入れたワッペンを貼ることだ。これこそ今風に言えばマイプラント意識≠サのものである。もちろん、それは会社からの指示されたり提案されたものではなく、作業員が自発的に出したアイデアの成果だった。そこには、自分たちの作ったもの≠ノ対する誇り≠ニ責任=Aそして製造物への愛着≠ェ感じられる。いま、様々な職場でやらされ感≠ェ問題になっているが、これはそれとは正反対の極にある。また、コスト意識≠熏bワった。たとえば溶接棒だ。これはアセチレンガスで溶かしながら鉄板を繋いでいく接着剤だが、溶接が進めば短くなっていく。そのうち熱くなって手に持てなくなる。そこで、一定の長さになると廃棄される。それはそうなのだが、それをギリギリまで使い切ろうという提案が生まれたのである。そのための工夫をして、廃棄する溶接棒の長さは以前とは比較にならないほど短くなった。これがコスト低減に寄与したことは言うまでもない。溶接棒を使い切る≠ニいう目標も会社側が安全運動≠展開する際に、はじめから期待したものではなかった。さらに、遅刻や欠勤率が改善されたことも報告されている。このほか、家族に職場を見せる♂^動もはじまった。自分の仕事場に妻や子どもたちを呼ぶのである。夫の職場∞お父さんが働いているところ≠直に見る。それが夫や父に対する誇りや信頼感を高めることは容易に想像できる。もちろん、若者であれば、招待者は自分の父や母になる。親たちは息子の仕事ぶり≠ノ感動し、安心するのである。 |
秋祭りの個性(2010年03月21日 日 2586)
岸和田のだんじり祭りでは、毎年のように民家の軒が壊されている。そんな印象を持っている人は多いのではないか。ところが実際には、あんなことはめったに起こらない≠だそうな。世の中では、いいことも困ったことも、ときには信じられないことが起きる。ただし、その確率はきわめて低いのが普通である。ところが、それを繰り返し見せられると、ついつい勘違いしてしまう。なんといってもいつも見ている≠スめに、いつも起きている≠アとになってしまうのである。これこそ映像の落とし穴、テレビは画になるところしか流さない。しかもこの目で見た≠ニいう事実が真実だという思い込みに拍車を掛ける。視覚はわれわれの最も発達した器官である。それが間違うはずはないと思ってしまうわけだ。しかも、あのだんじり祭りも、軒にぶつけることめったにない≠ネんて解説を聞いた記憶がない。この辺りは気をつけていないと、とんでもない誤解をしてしまう。さてさて、伊万里のトンテントン祭り∞熊本の藤崎八幡宮例大祭∞岸和田のだんじり≠取り上げたが、いずれもと秋祭り≠ニいう点で共通している。ただし、それぞれに固有の特徴があり、抱える課題も同じではない。トンテントン≠竍だんじり≠ナは馬≠アピールする必要がない。藤崎宮≠ニだんじり≠ナは、川に落ちる≠アとなど話題にもならない。もっとも、民家にぶつけない≠ニいう基準を設定すれば、この三者は少しばかり共通点もある。ともあれ、ここで私としては、それぞれが一生懸命にがんばり、楽しめばいいという、まことに単純で素朴なお勧めをしたいのだ。そして、その理屈をそのまま組織の安全にも適応したいわけだ。ようやくこれからが本チャンです。 |
秋祭り考(2010年03月20日 土 2585)3月1日の続き
伊万里の秋祭り、トンテントンの喧嘩部分が取りやめになった。高校生が亡くなるという事故があったためである。その結論について論評する立場にないが、個別の秋祭り≠ナそれまでの慣習が変更されたわけだ。全国には様々な秋祭りがある。熊本の場合は藤崎八旛宮の例大祭だ。最終日には、神輿に従って随兵(ずいびょう)と飾り馬による行列が練り歩く。勢子たちの掛け声はラッパなどの鳴り物入りで、馬とともに行進する。そのエネルギッシュさは鳥肌が立つほどである。過去には練習中に馬に蹴られて亡くなった人もいる。また祭りの当日でも、馬との絡みで見物人がけがをしたという話を聞いたことがある。馬を興奮させるので、動物虐待だという人もいたりする。ともあれ、どんなところでも大小を問わず、いろんな問題があるものだ。秋祭りそのものを問題にする者はいないが、個別には議論がわき起こったりするのである。その結果、それぞれのところで対策がとられることになる。それがルールや慣習の変更などとなって現れる。秋祭りと言えば、その激しさで岸和田のだんじり祭りが全国に知られている。だんじりが街中を猛スピードで駆け抜ける。家の屋根にぶつかって、軒先が破壊されたりする。この光景はテレビなどで繰り返し映し出されるから、ほとんど定番のことかと思っていた。しかも街中の至る所で起きるものだと。ところがこの情報はかなり怪しいようだ。そもそも屋根を破壊する可能性がある場所は2ヶ所だけで、しかも屋根の破壊は実際はめったに起こらない≠ニいうのである(ウィキペディア)。まあ、冷静に考えてみれば、そりゃそうだろうなあとは思う。いくら伝統の祭りだと言っても、毎年があれでは、やられた家はたまったものじゃない。 |
イチローと私の共通点(2010年03月19日 金 2584)
さて、同じような運動≠しても、その成果に個人差が出るのは当然だ。じつは、私とあのイチロー選手には、共通点が多い。そんないい方をすると、あんたのことやから、どちらも男だとか、日本人やなんて言うんやろ≠ネんて疑り深い声が聞こえてきそうだ。とんでもない、そんなレベルの低い話をするわけないでしょう。もっと体に関するまじめな話なんです。じつはね、イチローも私も心臓は1個なんです…。えっ、やっぱしレベルが低いぞーっですって。すんませーん=Bついでに言えばイチローは盗塁もお得意だし、守備範囲が広いこともよく知られています。太物が発達してるんでしょう。でも、そう言っちゃあ何ですが、私にだって大腿筋はあるんです。はい。まあ、そのレベルのお話なんですが、ともあれ、私がどんなにトレーニングをしてもイチローの足元にも及ばないことは言うまでもありません。そもそもイチローと私を比較するなんて月とスッポン≠ニいうことです。こんな言い方をするとスッポン≠ェ怒るかもしれません。イチローとおまえを比較するなんて言語道断、しかも自分がスッポンなんて、俺たちを馬鹿にするなあ。おまえなんてさし当たりノミくらいのもんだろう=Bとまあ、こんな感じでしょうか。ところで、ノミさんにとっても、この世は住みにくいだろうなあと思ってしまいます。旺文社の故事/ことわざ辞典≠ナノミ£イべてみた。まずは、蚤の息さへ天に昇る≠ェある。どんなにつまらない弱小な者でも、一生懸命に行えば大きなことがなしとげられるというたとえ≠ニある。おやおや、蚤は端っからつまらない者≠ニ決めつけられている。 |
エクササイズの成果(2010年03月18日 木 2583)
体の健康と同じように、リーダーシップやコミュニケーションのスキルアップを目指すエクササイズの種類は様々である。それがどんなものになるかは、一人ひとりの目標や置かれた状況によって違ってくる。それは仕事に関する知識や技術を上手に教える≠アとであったり、きちんと部下をほめる≠アとであったりする。そもそも、専門知識や技術を身に付ける≠アと自身を目標にしている場合もある。いずれにしても、自分に期待されている行動について、それが発揮できるようにトレーニングを続けていくことが大事なのだ。自分にあったメニューを決めて地道に運動を続けていれば、それなりに筋肉が付いてくる。努力の成果が目に見えはじめるわけだ。そうなると周りの人たちも気づいてくれる。このごろたくましくなったね≠ニほめられるかもしれない。それがまた刺激になって、運動を続けようという意欲に繋がる。これが好循環を生み出して、さらに健康度が高まるのである。いわゆる上昇スパイラル≠ェ実現するわけだ。これが大事なんだと思う。そして、リーダーシップやコミュニケーション力を付けるための筋肉運動≠ワたも同じような成果が得られるはずなのだ。部下とコミュニケーションをうまく取れるようになりましたね∞あなたの話を聞いているとやる気が出てきますよ…=B職場の部下やメンバーたちからこんな声をかけられるようになる。これぞ、トレーニングの成果が目に見えはじめた証拠なのである。そんな反応があれば、誰だってやったあ≠ニ叫びたくなるに違いない。そして、リーダーシップの筋肉運動≠実践してきた喜びを感じるのである。 |
対人関係の運動(2010年03月17日 水 2582)
健康を維持するために、たとえば通勤時にだって、ちょっとくらいは歩くように心がける。これが大事なのである。ほんの少しでも、それが続けば大きな蓄積になる。東京や大阪などでは公共交通機関が発達しているが、環状線の駅の間などはかなり短い。たとえばJRの東京駅と有楽町駅の間はわずか0.8kmなのである。次の新橋までだって1.1kmに過ぎない。この程度であれば、一駅くらいは何のこともなく歩けるはずだ。そうした努力をしていかないと体は鈍っていく。入院してベッドで寝たままだと目に見えて筋肉が衰えていくのである。とまあ、こんな体と健康の物語だと誰もが賛成する。それを受けて、私としては、それがそれがそのままリーダーシップや対人関係にも当てはまると言いたくなるわけだ。いま自分が持っている力を維持するためにはちゃんと運動≠オないといけない。もちろん現状維持≠ナいいのなら、運動もそこそこで済ませるだろう。しかし、積極的に健康を増進したいと考えるなら、もう少し腰を入れてトレーニング≠キる必要がある。たとえばジョギングやランニングをはじめる、プールに出かけて泳ぐといったことなどが頭に浮かぶ。人によってはジムに出かけてトレーニングマシンにチャレンジするかもしれない。どれもが健康の増進という目的は共通しているが、どんな運動をするかは個々人で違っていてもかまわない。大事なことは、自分の目的に応じた運動をコツコツと続けることである。そして、対人関係やリーダーシップ、そしてコミュニケーション・スキルの場合もまったく同じなのだ。まずはリーダーシップを改善・向上させよう≠ニ心に決める。 |
健康のためのエクササイズ(2010年03月16日 火 2581)2009年12月27日の続き
近くて遠いは田舎の道、遠くて近いは都会の道≠ネどという。この言い回し、いまふと思い出したが、初めて聞いたのは父からだった。たとえば農村地帯は田んぼや畑がずっと続いていて変化がない。だからいくら歩いても周りが同じに見える。そこで、まだいくらも歩いていないという気がする。これが都会になると、ビルが林立しお互いに見栄えや高さを競っている。そこで右や左、そして横や上まで目をやっていると、いつの間にか目的地に着いてしまう。単調で変化がないと時間が長く感じられ、めまぐるしく変わる状況の中に置かれていると、あっという間に時間が経過する。人生もそんなところがあって、何もしないでいると長い時間が、あれやこれやしていると時間が矢のように飛んでいく。こんな書き方をすると、後者の方が人生が充実しているような表現になる。しかし、そうとも言えないだろう。宇宙的な時間から見れば人生なんて一瞬の瞬きにもならない。しかし、それは相対的なものである。蜉蝣の成虫は数時間から1週間の命だという。だから蜉蝣がかわいそうなんていうのは自己中心的な人間の勝手な思い込みだ。それはそれで与えられた命をしっかり生きているのである。ともあれ、のんびりも充実した人生にとって必要に違いない。早朝から目を覚まし、ハイテンションでせわしなく騒いでいる私としては、そのあたりがきわめてむずかしいのだけれど…。さてさて、昨年末に書きはじめた健康とエクササイズの話を続けるつもりでいるのだけれど、またまた脱線してしまいそうだ。あのときは、健康のためには適度のエクササイズが必要だと強調したところで終わっていた。 |
元祖権放棄?(2010年03月15日 月 2580)
お急ぎの方のために左側にお立ちください=Bこれは動く歩道の上に吊された看板に書かれている。いまでは、いろんなところに動く歩道があるが、この看板はどこのものかお分かりだろうか。東京? 福岡? それとも…。正解は大阪伊丹空港である。九州方面から到着して歩いて行くと間もなくこの歩道に行きあたる。何と嘆かわしいことだろう。よりによって大阪で左側に立て≠ニ言うのである。エスカレータの追い越しについては、東京などをはじめ、左側に立つ方が圧倒的に多いと思う。ところが大阪ではまったく反対で、左側が追い越し階段となる。ここがおもしろい。そもそも大阪は東京と同じであることを潔しとしない。たいていの場合が向こうを張る。たとえば、快速電車の中でもとくに速いものを特別快速≠ニいう。九州だって特快である。ところが関西では新快速≠ニ呼んでいる。安全に関わるあのヒヤリハット≠ナもおもしろい発見があった。関西のある組織に行ったとき、ポスターにハットヒヤリ≠ニ書かれていたのである。いやいや、まじめに考えると混乱してしまう。ヒヤリ≠ニして、ハッと気づくのか。いやいやハッ≠ニして、ヒヤリ≠ニするのか。考えてみると、どちらもありそうではないか。そこが関西のおもろいところである。さて、歩道の方だが、これは1970年の万博の際に、諸外国の事例を調べて得られた結論が、右側に立って左側を追い越しにするというものだったはずだ。つまりは、追い越しは左側という関西方式の方が国際レベルというわけだ。私はその点を大いに評価しているのである。ああ、それなのに元祖である伊丹空港の動く歩道で左側に立ってください≠ニは嘆かわしい。おまけに英語の説明まで付いている。 |
日本病の深刻さ(2010年03月14日 日 2579)
定年で退職される方から聞いた話。退職前ということで、その後の生活設計を考えるセミナーがあったらしい。その際に、退職金≠ヘ老後の生活のための資金であること。それをもとにして、追加的に年金が支払われること。まあそんな趣旨の話だったという。私が直接聞いたわけではないので、細かいニュアンスは分からない。ただ、私が子どものころは、退職金で家を建てるといった話を聞いていたような気がする。もちろん、それが生活資金にも充てられることは当然だ。しかし、それでもそもそも退職金とは生活のための原資なのだ≠ニ断言されると、昔からそうだったの≠ニ問い返したくなる。いかにもあなたたち勘違いしないでね≠ニ諭されている感じがするからだ。何のことはない、そんな時代になったということなのだ。しかも、年金だって支給開始の延長や減額は避けられない。100年安心≠ネんてキャッチコピーを聞いたのは、ほんのこの前だった。あの人たちは本気でそう思っていたのだろうか。折から、空港の需要見込みの杜撰さが問題になっているが、見込み違いなどといって済ませられる話ではない。もう遙か昔の話だが、東南アジアの国々を名指しして、あそこでは税関職員が賄賂を要求するなどと言って、レベルの低さを嗤っていた。しかし、この国の現状を見ていると、人のことなど嗤えるような立場かと言いたくなる。ろくに飛行機も飛ばない空港を作って、必死で仁川まで飛ばす。後は大韓航空やアシアナ航空にお客さんをお渡しする。いやあ、韓国にとってこんなおいしい話はない。周りの国はもちろん、世界中からなんともレベルの低い国だわい。ああなってはおしまいだ≠ニいう嗤い声が聞こえてくる。日本病≠ヘ深刻さを増している。 |
20万円のコッペパン(2010年03月13日 土 2578)
わが国の国債発行残高が800兆円だとか、900兆円だとかいろいろ言われている。桁が大きすぎるので、正確なところは分からないだろうが、とにかく天文学的な数字であることだけはたしかだ。ところが、これに対して随分と楽観的な専門家がいる。曰く、諸外国と違ってわが国の場合は国民の貯蓄率が高い。国債も国民の貯金で買っているのだから心配ない≠ニ…。これが海外からの借金だと、耳をそろえて返せ≠ニ言われた途端に破産する。日本の場合はそんな心配がないと言うことらしい。なんという理屈であることよ。国民の貯蓄が1400兆円くらいはあるという。単純な話、そこまでは自分の金≠セから破産の心配はないということのようだ。しかし、どうして心配がいらないのだろうか。自分の貯金で1400兆円も借金したら、それを返さないといけないでしょう。その返済をしたらオケラになるんじゃないですか。そのときでも貯金していたお金はそのまま手つかずなんですか。それなら何の心配もしませんが、そんな虫のいい話ってあるわけがない。ということは、営々と貯めた貯金もパーになるのである。その究極の問題点は表に出さず、日本の借金は自前の貯金でまかなっているから大丈夫≠ネんて、ほとんど詐欺的発言ではございませんか。そのうち、政府がせっせとお札を刷って国の借金はなくなるかもしれませんよ。その代わり、第1次大戦後のドイツのように天文学的なインフレになることでしょう。教科書で、リヤカーにお札を積んで買い物に行く男性の写真が載っていたことを思い出す。コッペパン1個が20万円とか、トマトだって15万円なんて感じですよ。本当はこんな覚悟までしておかないといけないのに、正確な情報がちゃんと伝えられていない。 |
仕事の頼み方(2010年03月12日 金 2577)
アメリカにElbert Hubbardという作家がいる。エルバート・ハバードと呼ぶのだろうか。19世紀中頃の1856年に生まれ、1915年に亡くなっている。第一次世界大戦が1914年に勃発しているから、アメリカが資本主義のリーダーとして抜きん出る前のことである。この人の言ったことばが、HNK「実践ビジネス英語}の12月号に載っていた。If
you want work well done, select a busy man; the other kind has no time.いい仕事をしてもらいたいのなら、忙しい人に頼むことだ。そうでない人たちは時間がないから=Bいやあ、じつに名言である。ついでに言えば忙しい、忙しい≠ニ言っているだけの人にも仕事を頼まない方がいい。われわれの調査でも、世の中にはただ忙しそうにしているだけ≠ニ部下たちから認知されている上司がいる。クーラーの効いた仕事場で汗をかきながらああ忙しい、忙しい≠ニ絶叫している。ところがじっと観察していると、1時間かかって書類を1枚書いただけ。あるいはコピーを20枚とってホッチキスで留めただけなんてのもある。そこまで言うと言い過ぎになるが、こんなリーダーは部下から見透かされている。あの人、とても忙しいとは思えないねえ。本当は仕事ができないんだよね…=Bさて、ハバードさんの名言に戻れば、忙しい人≠ニいっても、もちろん結果をちゃんと出しているわけだ。そうした人たちは仕事≠うまく捌いていくのである。だから、仕事の進め方が効率的で、その結果もいいのである。ハバード氏が生きていた時代は、ビジネス界だって、今のような生き馬の目を抜くような状況ではなかっただろう。しかし、これは現代でも十分に通じる。みなさん忙しそうにしている≠セけではだめなんですよ。 |
Obamaの憂鬱:おしまい(2010年03月11日 木 2576)
いよいよNew York Timesが掲げるオバマさんの悩み<潟Xトに、晴れてわが国が登場する。その5番目として、新しく政権を獲得した日本政府は以前ほどアメリカに好意的でない≠ニいうのだ。そこに、すでに紹介した鳩山氏のかぶり物を作っている現場の写真が掲載されているのである。普天間基地の問題はこの先の日米関係に大きな影響を及ぼすとされている。おそらくそうなのだろうが、アメリカは他の国々とも課題をワンサカ抱えているのである。日本に続いてオバマ氏の憂鬱リストの6番目にはカリブ海の隣国キューバが挙がってくる。New
York Timesによれば、キューバは制裁緩和に対して自由化する動きをほとんど見せていない≠轤オい。カストロ氏が社会主義革命を起こして以来、両国の関係はギクシャクの連続である。カストロ氏はあのケネディが大統領のときすでに首相だった。さすがに第一線を退いたが、どこかの国の首相の寿命と比べると、ほとんど天文学的長期間にわたってトップにいた。ともあれ、両国はこのごろはようやく関係が改善されはじめたと思っていたが、現実はそうでもないようだ。さて7番目はインドと中国≠ナ、両国は環境変化への対策に抵抗している%_でオバマ氏を悩ましているという。アメリカの影響力低下と反比例するように、この2つの国あたりに地球の重心が移る兆候が見え始めている。そして、New
York Timesが掲げるリストのしんがりにはロシアが入ってくる。ロシアはイランの核計画に対して制裁を加えることを拒否している≠フである。そんなわけで、オバマ氏を、そしてアメリカをイラつかせるネタは世界中に広がっている。 |
Obamaの憂鬱 Part2(2010年03月10日 水 2575)
New York Timesはオバマ大統領が抱える悩みのネタのトップとしてアフガン問題を取り挙げた。そして、2番目もこのご近所である中東に関係している。それはイスラエルとアラブ諸国との関係≠ナある。アメリカとしては関係のいいサウジアラビアに対して、イスラエルに譲歩するよう要請しているらしい。しかし、それが無視されているというのだ。アラビア半島の大国が動けば事態はかなり変わるだろう。ところが、これがうまくいっていないというのである。そして、その先にあるのがパレスチナ問題である。イスラエルとの関係だ。この部分に関しては写真も掲載されているが、アメリカとしてはイスラエルに入植地を拡大していかないように求めている。しかし、イスラエルはそうした要請に応えることを拒んでいる≠フである。われわれの世代は、生きているうちにベルリンの壁がなくなるとは思ってもいなかった。世界の中ではそんな信じられないことが起きるのである。しかし、それでもパレスチナの問題だけは特別のような気がする。そもそも解決するのかどうか…。さて、悩みの4番目はわれわれにも直接関係が出てくる。New
York Timesの表現だと北朝鮮は核兵器を作ってオバマを無視している≠ニなる。米朝関係については、かなり以前にもこのコラムで触れたことがある。したたかと言えば、この上なくしたたか。失うものがない者の強さと言えば、あんなに強い者はない。とにかく米朝間の協議では、アメリカの方が明らかに手玉にとられていた。タイミングもブッシュ政権末期で、政権の評判は最悪の中、なんとか実績を上げようという焦りをしっかり見透かされていた。 |
Obamaの憂鬱(2010年03月09日 火 2574)
沖縄の米軍基地を巡って日米関係がギクシャクしている。アメリカ側もイライラしているような報道も目にするが、New York Timesにも鳩山氏が取り上げられている。まだ内閣が発足して間もない9月27日の日曜版である。紙面には、余興などで使うかぶり物を作っている現場の写真が載っている。女性がそれを作っているのだが、机の上には出来上がった鳩山氏の顔の製品が積まれている。そのキャプションには、日本のリーダー鳩山由紀夫氏は米国に対して、これまでよりも友好的ではない≠ニ書かれている。その横にもう1枚写真がある。こちらはアラブ系の男と白人系に見える警官が明らかに険悪な雰囲気でにらみ合っている。その説明は、イスラエルがパレスチナ人入植地に対する侵攻を停止するようにというアメリカの要請に応えようとしていない≠ニある。じつは、この2枚の写真が付いている記事そのものが、オバマの憂鬱≠ニいった内容なのである。これを見ると、オバマ氏は世界中の国との関係で頭を悩ましているようなのだ。その憂鬱リスト≠ノは8つの項目が挙げられている。まずは親類関係にあると思われるヨーロッパとうまくいっていない。何といっても、リストのトップがヨーロッパ各国がアフガニスタンへの増派を拒否している≠アとなのである。もともとフランスは無条件にアメリカと歩調を合わせる国ではなかった。対米追従をよしとしないド・ゴール大統領のフランスが1960年には核実験を行っている。これでフランスは世界で第4番目の核兵器保有国になったのである。ともあれ、アフガン問題ではヨーロッパ諸国がアメリカと軌を一にしていないわけだ。 |
福岡空港の米軍(2010年03月08日 月 2573)2月10日の続き
1968年6月2日22時45分ころ、米軍のファントム戦闘機が九州大学に墜落した。折から建設中で、まだコンクリートと鉄パイプだけだった大型電算機センターに激突したのだ。その周辺は理学部で放射性管理区域を示すマークがついた建物があった。西日本新聞は、もしそうした施設に墜ちていたら、福岡市には長期にわたって人が住めなくなったかもしれないといった記事を書いていた。その期間については、もう記憶にない。それでも10年とか20年といったスケールだったと思う。こうした事件≠ネども影響してか、1972年にはアメリカ軍から大部分≠ェ返還された。いま福岡空港に行って米軍≠フイメージを思い描く人はまずいないのではないか。しかし、正確には大部分≠ェ返還されたのであって、まだ米軍≠フ専用地域≠ェ残っている。そして、2008年には米軍機が25回ほど着陸したらしい。ここにきて、自衛隊と統合する案なども浮上してきて、その部分の返還話が持ち上がっているという。しかし、終戦の1945年から数えると、もう65年になる。イギリスの香港を99年間にわたって租借するという協約には届かないものの、すでに半世紀を超えて久しいのである。もちろん、沖縄はそんなレベルの話ではない。いままさに基地移転についてはっきりしない状態が続いている。沖縄は中国に近く、台湾も目と鼻の先にある。また冷戦時代にはアメリカが敵対するソビエト連邦のアジア部分にも直に向き合う位置にあった。そんなことから、沖縄は太平洋の要石(Keystone)≠ニ呼ばれてきたのである。すでに世界のパワーバランスは変化しているが、沖縄の今後は不明確なままだ。 |
間接責任(2010年03月07日 日 2572)2月27日の続き
JALの破綻には国の責任が大きい。日本国中に大型の飛行機が離着陸できる飛行場を作る。そもそも開港後の乗降客予想が当たった空港が一体どのくらいあるのか。とにかく作るが先、あとは国の息がかかったJALを飛ばす。神戸空港もこの2月に4年目を迎えたが、経営は厳しいという。そんなこと素人でも分かる。それに神戸市民だって建設に反対する人もけっこういた。その方が常識なのである。やたら銅像を建てるなんてのは賛成できないが、空港玄関辺りに推進した人たちの銘板でも作って貼っておいたらどうだろう。反対があったにも拘わらずこの人たちが空港を作った≠ニいった内容のものだ。ついでに、この人たちが年間○万人の利用者があると予測した≠ニいうのも悪くない。民主党では個々の官僚の責任をはっきりさせるための方策をとるなどと言っていた。もちろん、それは素晴らしい仕事をした場合にもあてはまる。この人がこうした努力をした≠ニいうことで歴史に残ることも大いにあり得るのである。もっとも、民主党もどこへいくのか訳が分からなくているけれど…。もちろん、文句ばかり言ってもおられない。たしかに、国民一人ひとりが率先して空港を地元に引っ張り込んだという自覚はない。しかし、自分たちが選んだ国会議員が航空行政に多大な影響を与えたわけだ。われわれは間接民主主義のもとに生きている。したがって理屈としては、赤字空港も国民として間接責任≠免れないのである。とくに選挙で棄権≠オたら、文句を言う権利も放棄したことになる。それにしても、多くの国民の思いがあって政権交代と相成ったわけだ。あれから半年と少し経過したが、国民が失望するような事態が噴出している。この国はいまや危篤状態にある。 |
焦らない、焦らない(2010年03月06日 土 2571)
完璧な:Perfect=A永遠の:Eternal=A普遍的な:Universal=Bどれも、そうなれば素晴らしい。まずは完璧=B脚の璧≠壁≠ニ間違う人もいるが、土≠ナはなく玉≠ェ正解。璧≠ヘ宝玉=Aつまりは宝石のようなものである。それにまったく傷がない状態を完璧≠ニいうわけだ。永遠≠ヘ文字どおり、末永く遠くまで≠「つまでいっても変わらないことである。そこには時間そのものがないようだ。あるいは時間を超えている。普遍≠ヘすべてのものに当てはまること。つまりは例外もない状態である。いずれも、それが実現すればすごいことではある。しかし、ちょっと待てよと思う。それって可能なんだろうか。いや、ある状態になったらできることは疑いない。その状態とは死んでしまった≠ニきである。そうなるとたしかに人は完璧・完全に死んでいる。その状態から戻ることはない。それに、その状態は間違いなく永遠≠ナある。縄文時代に生きて亡くなった人は、いまも死んだまま≠ナある。これから先も同じ状態がつづく。いつまでも永遠に…。そして、その死は全地球的規模で、いや宇宙的に当てはまる事実であり、誰もが認めるはずだ。そうなんです。だから、生きている間は完璧≠ニか永遠=Aあるいは普遍≠実現しようなんて考えなくていいんですね。そんなに焦らなくても、死んでしまえば、みんな完璧≠ノ達成されるのです。まあ、そんなわけで、死に至るまでは完璧に近づければいいなあ≠ニか、少しでも長続きさせたいなあ≠ュらいの楽な気持ちで生きていきましょうよ。まじめな人ほど、完全≠求める傾向が強い。この国では、自殺者が年間に3万人を超える異常事態が10年以上も続いている。 |
マニュアル問題(30)(2010年03月05日 金 2570)2月2日の続き
私が久留米のブリヂストンタイヤや三菱重工の長崎造船所で行われたアクション・リサーチに本格的に参加させてもらったころ、日本はモーレツ≠フ時代を迎えていた。とにかくモーレツ≠ノ働くことが、いわば美徳とされた。もっとも日本人の大多数が心底そう思っていたかどうかはわからない。しかし、それが時代の空気ではあった。ものすごいスピードで走り去る車の勢いで、小川ローザ扮するコンパニオンガールのスカートがあおられる。そして一言、Oh、モオレツ!=Bこれが一世を風靡した丸善石油のCMだった。そんな時代である。そのころ、恩師の三隅二不二先生を筆頭にしたプロジェクトで、リーダーシップの改善を目的にしたトレーニングや小集団活動の導入が進められていた。その効果は一目瞭然で、生産性や品質の向上、そして事故の減少といった成果が得られていく。とくに長崎造船所の場合は、職場の事故を防止し、安全を確立しようという組織ぐるみの壮大な運動になった。それは事故の減少≠ニいう目に見える成果≠ニして実現する。しかし、運動の成果はそれだけにはとどまらなかった。そこから当初は予期していなかった様々な効果が派生してきたのである。そのひとつは、自分たちの仕事に対する誇り≠ェ生まれたことである。それは職場に対する誇りだと言うこともできる。このごろはマイプラント意識≠フ重要性が指摘される。職場は自分たちのものだ≠ニいう気持ちである。昔なら組織や職場に対すする忠誠心≠ニいうところだ。英語の文献でもでもroyalty≠ニいう用語をけっこう目にしていた。しかし、いまそんなことばはとんと流行らない。ともあれ、当時の長崎造船所では、自分たちが作り上げた船のパーツに、これは○○班の作ったものです≠ニいう大きなワッペンを作って貼り付ける職場も現れた。 |
社説のラスト(2010年03月04日 木 2569)3月2日の続き
アメリカの公聴会ではTOYOTA車の電子制御≠ノ欠陥があるのではないかと疑われていた。New York Timesの社説によれば、その点について高速道路安全局が再検査するという。社説のラスト部分はそれに続けて主張する。ドライバーはその回答を知る必要がある。そして、彼らが信じることができる者からその結果を聞く必要がある。今後、TOYOTAには真剣に取り組んでいくべき仕事がある。それは品質管理システムの改善だけの問題ではない=BここでTOYOTAのquality-control
system≠ェ問題にされている。品質管理≠アそは、日本が世界のトップを走っているとされてきた。それが、1つの社説の中ではあれ、問題だと指摘されている。社説はもう少し続く。TOYOTAは、問題を評価する方法を探り、消費者が苦情を容易に伝えることができるようにし、それらに注意を払うことを保証する必要がある。そして、アメリカのドライバーを守るため、関連するすべてのt情報を連邦安全局に提供しなければならない。また、TOYOTAが修理されるべき問題があると判断したときには、それを直ちに消費者に伝える必要がある。遅延なく=B社説の最後は-without
deley≠ナある。この追加的な表現によって、TOYOTAの対応が後手、後手≠ノ終始したことを、さらに強く印象づけている。公聴会は選挙を意識した政治ショーだという解説もある。それはどうだか知らないが、いずれにしても、こうした場に呼ばれてはまずい。きわめて一般論だが、日本人はすぐに謝る。外国では謝罪すると責任を追及されて大事になる。だから軽率に謝ってはいけない≠ニ言われる。その点、豊田社長は明確に謝罪したのだが、これがその後に影響を及ぼすことになるのだろうか。 |
教え子?(2010年03月03日 水 2568)
もう半年ほど前になるが、学生が教員採用試験に合格したという。教員についても、就職は厳しい状況にある。そんなことも絡んで、数年前には大分県で採用に関わって大きな問題が起きたりした。そうした厳しい中で合格したのだから素晴らしい。少し詳しく聞いてみると鹿児島県の採用だという。そこで、それはよかった。じつは、ずっと前だけど私は鹿児島に住んだことがあるのよ。鹿児島女子短期大学で教えていたので…=Bそんな答え方をしたと思う。すると、その学生がえーっ、私の母は鹿児島女子短期大学を卒業したんです≠ニきた。お母さんの年齢から推測すると、私が鹿児島にいたときと合致する。しかも、所属していた学科が私のいたところだった。今度はこちらがえーっ≠ニ叫んだ。その後、学生が母親に連絡したとろ、何となく記憶にあるような感じだという。少なくとも児童文学の専門だった先生が担任だったことは憶えているらしい。その方は高士與一先生で、じつは私もご一緒に担任をしていたのである。私は、鹿児島女子短期大学には1978年4月から翌79年9月までの1年半しか在籍しなかった。2年目の途中で、高士先生と学生たちにお別れして熊本にやってきた。それにしても、人の繋がりのおもしろさを感じる。そもそも採用試験の話も、まったく偶然に出たわけで、ちょっとしたきっかけがなければ、その話題にはなっていなかった。そんな会話があった後になって、この学生は私の授業を受けたが、そうなってから、母親のことにまで話が展開したとは思えない。人間は、ときおり信じられないような偶然に遭遇する。それが人生の楽しみでもある。とにもかくにも大いに感動して、拙著をお母さんにプレゼント≠ニいって件の学生に手渡した。 |
公聴会のタイミング(2010年03月02日 火 2567)2月28日の続き
すでに本コラムでも書いたが、プリウスのブレーキが効きにくいのはドライバーの感覚の問題≠セというあのトヨタトップの記者会見はきわめてまずかった。気のせいか、やや笑い顔を見せながらという印象があった。あのTOYOTAにして、いやあのTOYOTAだからこそ、危機対応能力がなかったのか。コミュニケーションは、事実を伝えるだけ≠ナは成立しない。それをどのように伝えるか≠ェ、その内容に大きな影響を与えるのである。仮に、ドライバーの感覚の問題≠ェ事実≠セとしても、あの状況の中で、あの雰囲気で伝えてはまずいのである。さて、2月23日から取り上げているNew
York Tomes(2月14日付日曜版)のTOYOTAに関する社説も最後のパラグラフまできた。”いまや合衆国政府は、TOYOTAの信頼性を再構築するために、少なくとも1点だけは問題にしなければならないだろう。高速道路安全局は、アクセルの予期しない加速にエレクトロニクスが関係していないかどうかを再検査することに同意した=Bこの記事が出たあとで豊田社長が公聴会で証言している。その際も、アクセルペダルの不具合もさることながら、アメリカでは、電子制御そのものに疑いを持っていることが明らかになった。ここに欠陥があるとすれば、車としては根本的な問題を抱えていることになる。豊田社長は公聴会で対応の遅れについては謝罪したが、制御方式そのものの問題については、明確に否定している。私も個人的にはそうあってほしいと願っている。そうでないと、車の信頼性も含めて、致命的な問題になりかねない。ところで、公聴会そのものが、間近に選挙を控えた議員たちがアピールするチャンスになっているという。そんなタイミングもマイナスに効いている。 |
トンテントン(2010年03月01日 月 2566)
佐賀県の伊万里市にトンテントン≠ニ呼ばれる秋祭りがある。街中を御輿と団車が練り歩き、お互いに組み合って戦う。クライマックスは川落とし≠ナ、組み合ったまま川に落ち、先に上がった方が勝ちになる。とにかく激しいのである。三大けんか祭り≠フ1つだと聞いている。もっとも、この三大≠ニいう冠は、ちょっと曖昧なところがある。熊本城も日本三大名城の1つらしい。三大松原≠ニいったものもあったような気がする。これについては公式の認定機関もなさそうだから、誰もが認める客観性はないのだろう。まあ、それぞれが三大○○の1つ≠セと思えば、それでいい。そこでマジで目くじらを立てることもない。伊万里のトンテントン≠セが、その呼び名は御輿がぶつかり合う際に叩かれる太鼓の音からきているという。小刻みに響く太鼓が、そのように聞こえるのである。私は小学4年生から中学2年生まで伊万里の住人であった。そのときにそんな解説を聞いた記憶がある。ラストの合戦を、向かいにある川岸の家から見たことがある。文句なしの特等席だったが、それがどんな関係の人の家だったのか、もう記憶にない。ほぼ半世紀も昔の話だから、それも当然だ。ところで、トンテントン≠フけんか≠ェなくなるという新聞記事を見た。じつは4年ほど前に、祭りに参加していた高校生がトンテントン≠ノまつわる事故で亡くなったのである。その遺族がけんかの部分を中止しなければ、損害賠償訴訟を起こす≠ニいうことになったらしい。そこで主催団体が意見を集めたところ、けんか&舶ェを中止するという意見が多かったという。合戦は80年の歴史があるということだが、それがなくなるというのでニュースとして取り上げられたのである。 |
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