無縁社会(2010年01月31日 日曜日 No. 2537)
NHKで無縁社会≠ニいうタイトルで特集を放映している。番組そのものは見ていないが、スポット・コマーシャル風のPRを見た。そのとき、無縁社会は書いていたっけ≠ニ思った。そうでなければ、NHKに先を越されたことになる。じつは、10年ほど前から、日本人の繋がりが〈血縁〉にはじまり、〈地縁〉へと拡大し、さらに産業化とともに〈組織縁〉へと変化してきた≠ニいう視点から話をしてきた。本コラムでも、ときおり登場するアルビン・トフラーの3つの革命的変化の波≠ニ似たような感覚で、日本社会を分析したつもりだ。農業が中心の社会では、血縁や地縁が中核的な役割を果たす。しかし、産業化に伴って都市への人口移動がはじまると、そうした縁≠ヘ力を失っていく。その代わりに登場したのが組織縁℃ミ会である。組織への結びつきが働く生きがいや意欲とも繋がっていた。工場などでは、仕事チームの長である職長さんや作業長さんたちが、若者たちからおやじさん≠ニ呼ばれた。その奥さんが仕事場に現れることはないが、自宅に遊びに行けばおふくろさん≠ノなった。そんな風景が1970年台には、ごく自然に見えたものだ。それから時間が経過した。組織には成果主義などが導入され、そうした縁≠燻クわれていく。そして、いまや無縁≠フ社会が登場した…。これが私のストーリーである。そんなわけで、授業では、すでに無縁℃ミ会をネタにしていた。ただし、それはパワーポイントのスライド止まりで、原稿やコラムには書いていなかったのではないか。まずは取りあえず、私も無縁社会≠ノ無縁でなかったことをアピールしておこう。 |
バッテリー・リスク(2010年01月30日 土曜日 No. 2536)
またぞろテロの悪夢を蘇らせる未遂事件がアメリカで起きた。もちろん個人がその犠牲になる確率はゼロに近い。しかも、今回は未遂だから人的な被害は全くなかった。しかし、こうした事実が報道されると、心理的な影響が大きい。とくにアメリカは危ない≠ニいう意識が高まってしまうからである。攻撃する側としては、それも効果の1つとして位置づけているのかもしれない。そんな中で、New
York Tomesがバッテリーの危険性に関する記事を掲載した(2009/12/6)。日本国内では、まだ聞いたことがないが、海外ではPCが発火したというニュースは新聞で何回か読んだことがある。それが原因で飛行機そのものが大きな事故を起こすまでには至っていないと思う。アメリカでは1999年以来、機内で22件の発火事故が発生している。その半数以上が過去3年間のものだという。危険物≠ヘ、乗客のPCや携帯電話だけではない。客室内で乗務員が商品を販売する際に使う、クレジットカードの読み取り機も含まれるという。このほか、記事では具体的な事例として、DVDプレーヤーや懐中電灯が挙げられている。さらにバッテリーが落ちて座席の金属部分に当たったときにも発火したこともあるという。デジカメから火が出て座席が燃え、緊急着陸した例も挙げられている。いずれも原因は充電可能なリチウム電池だった。そんなことから、関係機関は予備のバッテリーを持ち込むことも危険だと警告している。メーカーは、さらに小さくて使用時間の長い製品開発にしのぎを削る。それがまた危険性を高めるという。いまやバッテリーなしの生活は考えられない。今後どうなるか気にはなる。 |
健康カントリー(2010年01月29日 金曜日 No. 2535)
いつものことながら、今回も同じテーマにこだわりすぎてしまった。新幹線開業にあたって熊本がどう対応すべきか。大風呂敷を広げて書き始めたのが、先週の20日水曜日のことだ。このあたりでおしまいにしよう。そこでラストは健康カントリー熊本#р闖oし作戦を提案したい。熊本としては、都市規模的にはどう考えても福岡に手が届かない。しかし、熊本には福岡にないものがけっこうある。その代表格は阿蘇である。これを活用しない手はない。阿蘇の雄大な風景をバックにしたスーパー健康カントリー″\想はいかがだろうか。ここに人間ドックセンター≠はじめとした健康関連の施設を展開するのである。阿蘇のカルデラの大きさは世界一。そんな大自然の中で、温泉につかりながら心身ともにゆったりする。ここまではすでに実現している。これにきちんとした健康チェック≠ェできるノウハウを付加するのである。阿蘇には南阿蘇アスペクタという野外ステージがある。お好きな方はそこで開催されるイベントも楽しめる。また、私なんぞはまったくしないが、ゴルフ好きにはこれまた素晴らしい環境が整っている。もちろん軽い登山にピクニック、まさにゲストには老若男女を問わないのである。この景気の悪いときに誰が来るかい≠ニいう意見もあるだろう。しかし、経済的に元気のいい中国も目の前にある。彼の国には、億万長者がすでにワンサカいるらしい。そんな狭い話ではなく、ターゲットはアジアはもちろん世界中の人々だ。心身の健康は誰にとっても大事なはずである。ドックだけでなく本格的な医療施設もあればいい。これなら人が集まると思いませんか…。 |
水前寺公園も見える…(2010年01月28日 木曜日 No. 2534)
熊本城を中心に周遊するバスは1992年に交通センター発着でスタートし、2006年には始点が熊本駅になった。したがって、正確にはすでに熊本駅から熊本城が見える≠ニいえば、見えるのではある。しかし、バスのスケジュールはかなり寂しい。始発の朝8時台と終発の17時台はそれぞれ1本、9時から16時台は、1時間に2本である。金沢の12分おきとはとても比較にならない。それに、全国的にも知られている=Aあるいは知られてもいい$前寺公園はいまだに駅から見えない≠ニ状態ではないか。熊本市内には夏目漱石や小泉八雲の住居跡もある。ほんの一時的で、超お勧めというわけにはいかないが、NHKで放映中の坂の上の雲≠ナロケ地になった、わが熊本大学の赤煉瓦の建物だってある。またハンセン病患者の救済に尽力したイギリスのリデル、ライト両女史の記念館もしかりである。幕末の政治家・思想家で、福井藩の改革などに功績を残した横井小楠の記念館もある。それに、明治から昭和に生きた言論人の徳富蘇峰の記念館はいかがだろうか。いまどきの時代だから、過去に活躍した人物たちの記念館だけでは人を引きつけることはむずかしいだろう。それに周遊バスにする場合場、地理的な位置の問題もある。とくに横井湘南の記念館は熊本駅からかなり遠い。それならと、タレント系でコロッケ≠竍スザンヌ≠フ記念館でも作りますか。熊本出身の女子プロゴルファーもたくさんいる。私のようなゴルフのゴの字も知らない人間でも、不動裕理・上田桃子・大山志保・古閑美保の名前くらいは挙げられる。そこで、彼女らのショップやツアーを設計したりして…。 |
ライトアップ・バス(2010年01月27日 水曜日 No. 2533)
金沢は12分おきに駅前から周遊バスが発車する。そのラストが18時だが、さらに目を引くサービスがついている。土日の夜には金沢ライトアップバス≠ェ走るのである。そのコピーが泣かせる。陽が暮れて色づく、城下町へ。金澤の三文豪の名を冠するボンネットバスが夜の城下町の小旅行にご案内します≠ニくる。そして、昼の金澤とはひと味違う幻想的な“表情”を恋人と、友人と、家族とお愉しみください≠ニ呼びかける。いやー、何と魅力的なことか。運行は土日の限定ではあるが、夜の7時から8時50分まで10分おきに金沢駅前をスタートするのである。料金は大人200円、フリー乗車券は300円だ。昼間の周遊バスと併せて、経営的に黒字なのかどうかは知らない。しかし、ここまで見せつけられると、ため息すら出てくる。熊本の場合はしろめぐりん≠ニ名付けた周遊バスが走ってはいる。しかし、その名前から推測されるようにコースは熊本城周辺に限られている。しかも、走り始めたころは中心街の交通センターを起点にしていた。センターはJR熊本駅からはそれなりの距離がある。このバスがむさし∞とおりゃんせ≠ニいう愛称でスタートしたのが1992年4月のことである。それから2006年までは交通センター発が変わらなかった。これでは熊本駅から熊本城が見えない≠フである。そのためかどうかは分からないが、ときおりこのバスに出会っても、私の目にはいつも空いているように見えていた。さすがに、これはまずいということになったのだろうか、ようやく2006年10月になって、始発が熊本駅になった。じつは、このときにバスの運行主体が変わっている。 |
金沢周遊バス(2010年01月26日 火曜日 No. 2532)
私と家内は1年半ほど前に北陸地方を旅行した。その途上でJR金沢駅に降り立った。そして、駅前から兼六園が見えた≠フである。兼六園≠セけではない。ひがし茶屋街≠熈金沢城石川門≠焉Aさらには長町武家屋敷跡≠ネどなどがはっきり見えた=Bその理由はまことに単純だ。金沢駅の玄関口に行けば、すぐに城下まち 金沢周遊バス≠ェ目に入ってくるからである。もちろん、玄関口の目の前に観光客をお迎えする周遊バスがドーンと立ちふさがっているわけではない。しかし、少なくともバスのキップ売り場まで行けば、金沢周遊バス≠ェあることは一瞬にして分かるのである。あるいは、駅構内のどのお店で聞いても、駅前の3番乗り場から周遊バスが出てますよ≠ニ教えてくれるに違いない。その3番乗り場に行って驚いた。とにかく本数が半端じゃあない。まずは始発が8時36分で、ラストは18時というのは順当なところだろう。観光客は通勤するわけではないから、街が目を覚ましてくれないと観光地に行っても入り口で待ちぼうけになる。それは終発も同じで、まあ18時も過ぎれば入場終わりというところが大多数だろう。そして、この間にどのくらいのバスが走るか。なんと、その間隔が12分なのである。これがほぼ40分で市内のめぼしいところを1周して金沢駅に帰ってくる。そこに19のバス停がある。そして、1日周遊フリー乗車券は大人が500円なのだ。時期的なものもあるから、たまたまかもしれないが、私が乗ったときには座れなかった。バスが小さめとはいえ、修学旅行の子どもたちも含めて大賑わいだった。とにかく駅に立てば街が見える≠フだ。 |
駅前風景(2010年01月25日 月曜日 No. 2531)
いま九州新幹線で元気がいいのは南のターミナルである鹿児島である。私は熊本で生活する前に、1年半ほど鹿児島にいた。その頃はJRの玄関口は西鹿児島≠セったが、新幹線の開業に合わせて鹿児島中央駅≠ニ名前を変えた。もともとターミナル駅は地理的に有利なことが多い。とにかく通過駅≠ノはなり得ないのである。しかも、鹿児島県には多くの離島がある。そこへの航路や空路があり、鹿児島は中継基地としても重要な役割を果たす。空港だけでも、種子島・屋久島・喜界島・奄美大島・徳之島・沖永良部島・与論と7つもある。こうした地域との関わりはこれからもずっと続くから、鹿児島の地理的重要性は揺るがない。そして北の玄関である福岡は、これまたドでかい街であり、その地位は確立されている。そして九州新幹線の開業はプラスに働くだろう。こうした中で熊本はどうやって生き残るか。そんな視点から見ると、金沢には学ぶべきものがじつに多い。まずは駅前の外見上の差は一目瞭然だ。金沢駅前には全日空系とJAL系のホテルが向き合って競っている。ホテル日航金沢は高さが130mだという。JALの会社更生法申請もあって、ホテルの経営がどうなるのか分からないが、とにかく駅前に立てば、誰に目にも飛び込んでくる。一方のANA系も地上19階で客室249室の立派なホテルだ。しかし、問題は高層のビルが建っているかどうかといった見栄えの差にあるのではない。それだけなら、いまの調子だと新幹線の開業後10年もすれば、熊本駅前もそこそこの景色にはなるだろう。現に123mのビルも建設中だ。問題は熊本駅から熊本城が見えるかどうか≠ネのである。 |
政令都市(2010年01月24日 日曜日 No. 2530)
熊本市は隣接する2つの町と合併することが決まった。合併特例法なる2010年3月までの期限付き法律がある。それまでに人口が70万人を超えれば政令指定都市≠ノなれるという。合併については紆余曲折はあったが、これで近いうちに人口が70万を超え、おそらく相模原市に続く全国で20番目の政令指定都市に昇格する。九州では、北九州・福岡に次いで3番目になる。このうち福岡は大都市としてダントツの実力を誇る。北九州市は、われわれが小学生のころ日本の4大工業地帯の1つとして名を馳せた地域である。そこに隣接していた5市が合併して政令指定都市になった。1963年のことだから、すでに半世紀近くが経過している。門司・小倉・八幡・戸畑・若松の5つの市が繋がっていて、合併すればそのまま100万人を超えたのだ。その後、時代と共に重工業に対する厳しい風が吹いてきた。そして、新日鉄がスペースワールドを開設するといった大転換を余儀なくされる状況になる。そうした中で人口が徐々に減少しはじめ、2005年10月の統計では100万人を切ってしまった。じつは私の本籍地は門司である。私自身は父の実家へ盆暮れに連れて行かれるだけだったが、それなりに親近感を持っている。両親の墓も門司にある。そんなわけで、北九州市が衰退しているように見えるのには一抹の寂しさを感じる。ともあれ、北九州市は戦後日本の工業化を象徴する都市として別格とすれば、熊本市は福岡に次ぐ九州第2の都市である。いまこそ新幹線の全通に合わせて政令都市になって、発展の弾みにしたいところなのだ。その思いが実現できるかどうか、その正念場を迎えている。 |
熊本勝手連宣言(2010年01月23日 土曜日 No. 2529)
熊本駅前も、新幹線の開業を控えて、ようやく顔を変えはじめた。しかし、見た目を変えるだけでは意味がない。私に言わせれば、熊本駅から熊本城が見えない≠フである。もちろん位置的な関係もあって熊本駅から直接に熊本城が見えるところに建ってはいない。熊本駅から熊本城が見えない≠ニいうのは象徴的な表現である。JR熊本駅に降りた観光客がすぐに熊本城に行ける&法が見えるか≠ヌうか。それが大問題なのだ。じつは一昨年の10月に秋の金沢へ家内と休暇旅行に行った。そのときにも本欄で金沢について書いたが、そこでもっとも強調したいことがあった。それは熊本は金沢に負けてる≠ニいうショッキング体験である。ただし、いつものようにあれやこれやと寄り道をしているうちに、その大事なポイントまで到達しないままでいた。まことに悪い癖である。しかし、熊本の空気を吸いはじめて30年、福岡出身の私としても、すっかり熊本人≠ノなったつもりでいる。その私が新幹線開通を前に、いま熊本のために書いておかねばならぬ…。とまあ、表現だけはやたらと大げさなのだが、とにかく私なりの勝手連的提言≠しておきたいのである。金沢にはじめて出かけたのは1979年だった。熊本大学に赴任してまだ2週間ほどしか経過していないころだった。それからも2,3回は行っていたが、数年前に駅前が大きく変わっていた。いわゆる再開発が行われたのである。人口で見れば、熊本市のは68万人(09年11月現在)に対して、金沢の人口は46万人(10年1月現在)である。都市規模としては相当な差があるのだが、その駅前の光景は堂々たるものである。 |
駅前問題(2010年01月22日 金曜日 No. 2528)
九州新幹線が全通すると福岡都市圏へのストロー現象に拍車がかかるのは間違いない。現時点では福岡の天神が人を呼び込んでいる。これに対して、新しい博多駅には阪急が進出する。それだけで九州一円から人を集めることはできないかもしれない。しかし、とにかく博多駅まで熊本から35分で着くのである。熊本から人の流れが増えることはあっても、減ることはないだろう。そんな中で熊本はどう対応するのか。まさに正念場である。現在、熊本駅駅周辺は再開発が進んでいる。正直なところ、熊本駅の場合には再♀J発と言えるのかどうか。ほんのこの前まで、過去に開発≠ェ行われたことがあるのかと疑いたくなるような状況だった。いまから37年ほど昔のことだが、私は初めて熊本に降りたった。そして、駅前に出た私は自分の目を疑った。ひょっとして降りる駅を間違えたのではないか=Bそんな思いがしたのである。駅前の雰囲気は3丁目の夕日≠ナはないが、まるで昭和30年代風だった。駅前広場もなく、それらしいビルも建っていない。人口にすれば10万人にも達しない町の風情なのである。もっとも、それからタクシーで熊本市の中心街を通ると、ビルがけっこう建ち並んでいて、それなりに都市の雰囲気はあったけれど…。それから数年後、私は熊本の人となった。それからも時間はドンドン経過していった。しかし、その後も熊本駅周辺はほとんど変化が見られなかった。ホテルが建ったり、予備校ができたりはしたが、駅前は相変わらず寂しい状態が続くのである。そもそも65万人を超える人口を抱える街でありながら、バスについては停留所しかないのだ。 |
通過駅問題(2010年01月21日 木曜日 No. 2527)
九州新幹線を鹿児島−八代≠ゥらはじめる作戦に出た鹿児島人の凄さには感服した。この話は新幹線が走り出したときにも本欄に書いたことがある。とにもかくにも、来年3月には鹿児島から博多まで新幹線が走る。最初に東京−新大阪間で新幹線が走ったのが1964年10月である。ほぼ半世紀後に九州新幹線が全通するというわけだ。こうした中で、熊本がどのように対応すべきかが大きな課題になっている。開業後は博多まで35分、鹿児島まで45分だという。便利だと言えばこの上なく便利になる。しかし、その裏返しとして、このままだと熊本が単なる通過駅≠ノなることは疑いない。それだけではなく、博多に吸引されて熊本から大勢の人が買い物にも出かけるに違いない。いまでも、福岡の中心街である天神には熊本のギャルだけでなく、ご婦人たちもせっせと通っているらしい。そうした傾向も最近は落ち着いたのだろうか、あまりニュースにはならなくなった。あるいは景気が悪くなって移動が減ったのかもしれない。いずれにしても、熊本/福岡間は現時点でもフットワークはかなりいい。高速バスを使えば、熊本交通センターから天神のバスセンターまで2時間程度で行ける。その本数が何と1日100往復もあるのだ。JRにしても、基本的には1時間に3本が走っている。これだと1時間15分ほどで博多駅に着く。ショッピングは天神の方になるから、博多駅から移動する時間を考えると、バスは十二分に競争力がある。個人的には車内でもPCを使ったりするせわしない$l間だから、私は座席のスペースが広いJR派である。しかし、100往復も走らせてバスは黒字なんだそうな。 |
九州新幹線(2010年01月20日 水曜日 No. 2526)
来年の3月に九州新幹線が全通する。現在は新八代−鹿児島中央駅の137.6kmだけが開業している。新八代からは在来線で博多まで繋がる。JR九州も可能な限り速く、そして便利にという趣旨で工夫している。新八代では新幹線と在来線の特急つばめ号が対面に停まる。乗客は一方を降りて目の前の列車に乗り換える。せいぜい20秒とか30秒しかかからない。そのため、最速のつばめ号の場合、熊本−鹿児島中央間は56分である。それにしても、南の鹿児島側から137.6kmのみの営業というのはいかにも中途半端だ。しかし、これには鹿児島の大戦略があった。北の博多から少しずつ南に延びていくとどうなるか。ずいぶん前から国の財政状況が厳しくなっていたから、場合によってはとりあえず熊本でストップという危険性≠ェある。そんなことになっては大変だ。そこで、鹿児島の実力者≠スちは考えた。鹿児島と八代間で工事を行い既成事実をつくるのである。素人の想像を絶する大戦略である。フツーの人間が聞くと何で鹿児島と八代の間だけなのよ≠ニ不思議に思ったのではないか。鹿児島人戦略論≠ヘ私の勝手な推測だが、おそらくそんなことがあったのではないか。本当の仕掛け人が誰なのかは知らないが、とにかく鹿児島にはものすごい人たちがいるものだ。そこが明治の日本の行く末に影響を与えた薩摩人の底力だと言えるかもしれない。ともあれ、その戦略は思った通りに展開する。九州新幹線が走り出すやいなや、博多まで延伸しないと意味がない≠ニいう声が上がるのである。そして、あっという間に鹿児島ルートは計画よりも2年も繰り上げて発進することになった。 |
農業と生き残り戦略(2010年01月19日 火曜日 No. 2525)
第一次産業で得られたものを加工する製造業が第二次産業とされた。さらに、小売業やサービス業が第三次産業と呼ばれる。ただし、これはイギリスのクラークが提唱したもので、いまでは多様な産業があるから、単純な3分類ではうまくいかないだろう。それはそうとして、とにかく第一次産業から第三次産業中心の社会に進む≠アとが国の進歩≠表す指標だとされた。いま、このあたりの見直しが求められているのではないか。農業は素人が想像するだけでも大変だ。私のような土いじりすらしたことのない人間が言うと怒られることは間違いないが、とにかく農業は自然を相手にする厳しい仕事だ。しかし、それは人間が生きるために欠かせない食の原点≠ニ関わっているのだ。戦後の日本は、国土が狭い≠ニかなんとかいろんな理由をつけて、食料なんぞやーめた。自分たちは工業でやっていける≠ニ意思決定した。食料は、製造業で稼いだ金で買えばいい。そんな気分だったのではない。少なくともある時点では、自給率を維持する意識も意欲もなかったということなのだと思う。しかし時代は変わった。そもそも農業はあらゆる科学の智恵を導入しなければ成立しない。もちろん農作物をつくるためには様々なハードウエアも必要だ。効率的な生産をサポートする機械設備だっていくらでもいる。それらの開発を手がける製造業もドンドン出てくるに違いない。自動車産業が多くの産業を育ててきたと同じことが、農業革命によってもたらされるだろう。いまや、人間として生きる≠アとに直結した新農業への転換が求められている。これこそわが国が生き残る道だと思いませんか。 |
農業=後進性のイメージ(2010年01月18日 月曜日 No. 2524)
自家製の梅酒なんぞは、家計における主に自家消費のための財又はサービスの生産と供給≠ノあたるから産業≠ノは入らないのだろう。いずれにしても、自然界に働きかけて、そこから富を得るのが第一次産業≠ナある。いわゆる農林漁業≠ヘその代表で、鉱業≠煌ワまれる。国の機関である農林水産省≠ヘ、その昔農林省≠ニ呼ばれていた。これが200海里*竭閧ネどに対応するため、1978年になって水産≠ェ加えられた。動物性タンパク質を海に頼ってきた日本なのだから、それまで水産を抜きにしていた理由が分からない。それはともあれ、農業の英語はagricultureである。頭のagriはラテン語のagerでfieldつまり畑の意味がある。そして、cultureもラテン語のcolere
からきており、そのまま耕す≠ニいう意味である。そして漢字の農≠フ方は、もともと林を焼き、貝殻で土を柔らかくする≠ニいうことである(電子版
漢字源)。人間にとって欠かせない農業だけに、語源は洋の東西を問わず共通している。人類の歴史も、農業革命で大きな変化が生まれ、その後に産業革命という大波が寄せてきた。これがトフラーの分析でもあった。そんな歴史的な流れもあってか、私が子どものころは、第一次産業の比率が高い国は後進国だという強烈なイメージがあった。一次産業はより原始的だというわけである。それを第二次、第三次産業へと転換していくことが進歩≠意味していたのである。農業≠ヘ古くてかっこうわるい。それに対してサービス業≠ヘ新しくてスマートという発想だ。だから、田舎≠ゥら見れば東京≠ヘあこがれの的だったのである。 |
産業分類(2010年01月17日 日曜日 No. 2523)
そもそも農業は林業や漁業と並んで第一次産業と呼ばれていた。これに続くのが製造業の第2次産業で、さらに第3次産業のサービス業へと展開していく。この分類を提唱したのはコーリン・クラーク(Colin
G. Clarl)というイギリスの経済学者である。これを参考にしたと思うのだが、わが国には日本標準産業分類≠ニいうものがある。最初に設定されたのは1949年だというから、すでに還暦を超えている。その中で産業は分類不能の産業≠ニいう項目も含めてA〜Tの20種類に分けられている。因みにAは農業・林業、Bは漁業である。Cには鉱業・採石業・砂利採取業が挙げられている。採石≠竍砂利≠ヘ妙に具体的で細かい。さらに建設業(D)、製造業(E)と続いて、Fは電気・ガス・熱供給・水道業である。電気・ガス・水道は、いわゆる日常生活のインフラである。そして、情報通信業(G)や運輸・郵便業(H)ときて、Iが卸売業・小売業である。これらは、物(ブツ)≠つくらない、いわゆるサービス業ということになるのだろう。この調子で最後まで見ていくのもおもしろいが、ちょっと長くなるので興味のある方はインターネットで確認していただきたい。そうは言いながら、私に関係の深いところを探すと、Lに学術研究・専門・技術サービス業があり、その後のOとして、教育・学習支援業が対応している。そうそう、Sには公務(他に分類されるものを除く)が挙がっており、これは独立している。なお、産業としては営利事業だけでなく、非営利事業も含まれる。ただし家計における主に自家消費のための財又はサービスの生産と供給は含まれない≠ニされている。 |
素人案はいかが(2010年01月16日 土曜日 No. 2522)
食糧自給率が50年近く前の1961年には42%だったイギリスで、2003年には70%という数値を達成している。どうしてそうなったのか、その理由は知らない。しかし、こんなものは放っておいて伸びるものではないから、はっきりした対策が打たれたはずである。その一方で、わが国は1961年には78%もあったものが、2003年に40%になってしまった。まさに好対照である。少なくとも低下防止のために手を打ってこなかった≠アとは明らかだろう。この辺で、とにかく製造業≠フ発想を転換してはどうか。人口減少による過疎化だって、考えようによっては活用できる土地≠ェ増えたということでもある。それだけ農業に使えるスペースが確保できるのだ。もちろん、農業もものづくり≠フ世界である。とりわけ生き物づくり≠ネのだから、じつに素晴らしい。現に、化学的な分野も含めていろいろな研究が進んでいる。水だけを使ってつくる野菜などもあるらしい。いわば工場的な感覚で野菜を栽培することもできるという。そのノウハウは砂漠地帯で野菜をつくることも可能にする。饑餓に悩む地域に、こうしたハードとソフトを提供することは、国際貢献としても高い評価を受けるに違いない。これなら相手の国民も無条件に喜ぶはずだ。昔の成功体験に頼っているだけでは生き残る道は見いだせない。もちろん短期的には、土地の整備などにものすごいコストがかかるだろう。新農業革命≠ネんて、素人考えだと笑われるかもしれない。しかし、そう仰るけれど、いま1000兆円の借金すら現実味を帯びてくるような財政状況にしたのは、まさしく玄人の方たちだったんですよね。 |
食糧自給率(2010年01月15日 金曜日 No. 2521)
わが国は資源がないから原料を輸入し、それを加工し、出来上がった製品を海外に売って生きていくしかない。これが小学校のときから頭に入っている常識≠ナある。そして、元来の勤勉さ≠ニ集団力≠十二分に発揮して世界でも有数の経済大国になった。私自身はこの勤勉さ≠ノついては、いささか疑問があるのだが、その話はまた別の機会にしよう。ともあれ、国土は狭くて大規模な農業はできないし、そもそもきわめて効率が悪い。また米も食べなくなって余っている…。あれやこれやの理由が挙げられた。農業の素人には、どこまで科学的事実なのか評価できないが、とにかく日本の農業は衰退し続けた。さらにその傾向は強まって、まさに滅びつつある感じさえする。そして挙げ句の果てが食糧自給率50%に届かないお寒い状態である(農林水産省試算2003年実績)。データの取り方によって違いはあるようだが、オーストラリアなんぞは200を超え、カナダやフランスも100を上回る。アメリカだって、やはり100以上の数値だ。日本と同じ工業国だといわれるドイツでも80%を超えている。もっともスイスは50%台で、わが国と肩を並べて≠「る。そんなら騒ぐこともない≠ニ思われるかもしれないが、スイスは1960年代でも50%程度だから、国の環境的な事情があるのだろう。その当時の日本は80%近い数値を残しているのである。とにかくひたすら右肩下がりの衰退を続けているのが日本の食糧自給率なのである。イギリスも1960年代は40%台だった。それが次第に数値を挙げて2003年には70%にまで向上している。イギリスだって国土の狭さなどは日本に似ている。 |
新農業革命(2010年01月14日 木曜日 No. 2520)
人類がどこに行くのか大いに興味がある。いや、正直なところ不安があると言ったほうが正しいだろう。しかし、すでに還暦も越えて身辺整理≠はじめた私である。あまり先のことなど考えてもほとんど意味がない。それはそうだが、とにかく人類が今後も食べ続ける≠アとだけは間違いないだろう。そうだとしても、すっと先には、24時間ごとに総合栄養素が詰まった錠剤を1粒飲めばOKという時代がくるかもしれない。しかし、21世紀に生きている人類として言わせてもらえば、そんなの人間≠ニはとても呼べない。そのときだってこころ≠ヘあるだろうから、それはいわばこころ≠持った機械ということになる。いま進化≠続けているロボットと変わりない。やはり食べ物は口に入れて、ちゃんと噛んで味わうものであるべきではないか。ただひたすら生きている≠ニいう事実が大事なのではない。そこで体験する楽しみや喜びが人生そのものだろう。もちろん、現実には苦しみや悲しみもあって、それらが人間をどん底に陥れる。しかし、それらを克服することもまた大事なのではないか。ともあれ、食べる≠アとは人類にとって欠かせない条件であり続けるだろう。そうであれば、食≠作ること、あるいは創ることは基本中の基本である。テレビはなくても生きられるが、食べ物や水がなければ数日でアウトである。もっともこのごろは、テレビや携帯がないと死んでしまうような人がいないでもないが…。冗談はさておいて、わが国は生きる基本である食≠ナ生き抜いていく≠ニいう意思決定をしてはどうかと思う。それが第4の波=新農業革命≠フ発想だ。 |
第4の波(2010年01月13日 水曜日 No. 2519)
アルビン・トフラー(Alvin Toffler 1928)は、いわゆる未来学者として知られ、その著作は一世を風靡した。その中でもFuture Shock(未来の衝撃
1970)∞第3の波(The Third Wave 1980)≠ヘ彼の代表作とされる。とくに後者は、人類史の歴史の流れの中で、古い社会と文化を劇的に変えた3つの波について語っている。その第一の波≠ヘ農業革命(agrarian
revolution)≠ナある。さらに人類を変えた第二の波≠ェ産業革命(Industrial revolution)≠セった。そして、第三の波≠ニされるのが脱工業化社会(post-industrial
society)≠セと言う。これは情報革命≠ニ考えてもいいだろう。個々の波について考えるだけでも、相当の物語になるので、それはまた別の機会に譲ることにしよう。私としては、わが国にとっては、いまや第4の波≠創ることを提案したいのである。それは新農業革命≠ニでも言うべき世界だ。わが国は、少なくとも戦後は製造業≠ナ食ってきた。その採算技術を含めて強力なパワーを持ったのである。しかし、いまやその地位は凋落しつつある。それにも拘わらず、日本は製造業で…≠ニいうこだわりが強い。もちろん、物づくりの重要性は強調してもしすぎることはない。しかし、それでは勝てない∞生き残れない℃梠繧ェ近づいているのではないか。そんなときこそ、私は製造業と対照的に思える新しい農業革命を起こすべきだと思う。日本が世界で最も安全≠ナ最高に美味≠ネ、しかも健康増進に最適な$Hべ物をつくり、輸出する国になるのである。どんなに人類が進化しても、食べることだけは必ず需要があるはずなのだ。 |
Give me a chocolate(2010年01月12日 火曜日 No. 2518)
Give me a chocolate.こんな声をかけながらアメリカ兵にまとわりついて、日本の子どもたちがおねだりしている映像がある。また走りゆくトラックやジープを追いかける子どもたちに、アメリカ兵がガムやチョコレートを放り投げる。連合国による占領後に見かけられた光景の1つである。太平洋戦争直後、焼け野原になった東京上空からの空撮や路上に寝ている親子の映像を授業で使う。それは、いまニュースなどで放映される貧困と饑餓に喘ぐ国々のコピーのように見える。そんな状態が65年ほど前の日本にも起きていたのである。私自身は敗戦直後には生まれていなかったが、Give
me a chocolate≠実体験したという方を知っている。それに、私には写真でしか知らないおじさんがいる。彼は南方で戦死したと聞かされた。私のような者にも、平和であれば会えたであろう肉親がいるのである。改めて平和であることの大事さ、ありがたさを噛みしめなければならない。ともあれ、私たちの世代は敗戦後の状況を映像も合わせながら知っている。しかし、それから半世紀以上の時間が経過した。戦後生まれのわれわれが、すでに還暦を過ぎている。圧倒的に多数の学生が、敗戦直後の映像を初めて見た≠ニ答える。個人差はあるのだろうが、多くの子どもたちが高校までにこうした映像を見る機会がないのだと推測する。そんな状況だから、現代の若者たちは、アメリカに対する劣等感≠ネどは持っていないだろう。これに対して、暗澹たる状況の中で、きらびやかなカラー映画を見せつけられた日本人たちはこれじゃあ、アメリカに勝てるわけがない≠ニ思ったに違いない。 |
16mm映画の衝撃(2010年01月11日 月曜日 No. 2517)
沖縄の基地問題を象徴にして、日米関係がきしんでいるといわれる。日本としてはどの国ともうまくいくのがいいに決まっている。その中でも、アメリカとの関係はとりわけ重要だというのが、戦後のすべての期間を通じて強調されてきた。とくに冷戦の時代にはそれは真実だっただろう。もっとも、アメリカだってひたすら慈悲心で日本をサポートしていたわけではない。そこには明確な意思が働いていたはずだ。戦後まもなく、GHQが日本に1,300台もの16mm映写機を貸与した。これを使って全国津々浦々で映画の上映会を行った。日本を民主主義の国にするという目的のために、アメリカ製の啓発映画を映したのである。その内容は驚くべきものだった。敗戦で打ちのめされ、明日の食事にも困る日本人が、スクリーンでどんなものを見たか。総天然色で豊かなアメリカがあふれ出てくるのである。ノースダコタ州の広大な小麦畑。馬に乗った農夫が文字どおり小麦色になった畑を見渡して満足そうにほほえむ。芝生の緑も鮮やかな庭で家族が会話を楽しんでいる。そこにはブランコまであって、犬も嬉しそうにはしゃいでいる。恋人同士が玄関口で語らい、デートのときはオープンカーで風を切って走る。ダイニングには大きな冷蔵庫があり、中にはドデカイ牛乳瓶が見える。戦後かなり経過して私が小学生になったころでも、牛乳は1合瓶だった。それに電気掃除機まである。というよりも、当時の日本人はあの機械が何であるのかも分からなかったのではないか。少なくとも庶民にとっては、アメリカというものが太陽よりもまぶしく輝き、どんなにひっくり返っても手が届くとは思えなかった。 |
小さな発見、大きな満足(2010年01月10日 日曜日 No. 2516)
授業から講演や研修に至るまで、私の話はまったく同じ≠ニいっていい。対人関係やリーダーシップの基本部分は、どんな集団や組織にも共通している。だから、話の内容がまったく同じ≠ノなるのである。それは、私のもう一つの仕事である、組織の安全≠ノついても当てはまる。たしかに、学校の中で起きる事故と発電所や工事現場で起きるものは現象的には違っている。教室の中で車は衝突しないし、発電所内で鉄棒の事故が起きるはずもない。しかし、様々なところで発生した事故や不祥事を見れば、そこに集団的な共通点が浮かび上がる。何かが起きたとき、当事者がそれを想定外∞予測不能≠セったと語ることは少ないのではないか。本当はまずいなと思っていたのですが∞このままでいいのかと疑問は感じてました…=B現実には、こうした反応の方が多いはずだ。きわめて単純化すれば、そこには言いたいことが言えない≠るいは言っても聞いてもらえない≠ニいった雰囲気が感じられるのである。そして、そのレベルで見れば、じつに多くの組織が同じような問題を抱えているのではないか。われわれの目に映る具体的な現象は異なっていても、その根底にあるメカニズムは共通している。だから、私はどこに行っても同じこと≠話しているのである。それは普遍的≠ニいうにはあまりにもスケールが小さい≠ニ言われるかもしれない。もちろん私自身も、自分が言っていることを普遍的だ≠ネんて主張する気持ちはこれっぽっちもない。ただ、私のスケール≠ノとっては、こうした仕事で少しでも役に立つことができれば、それで大満足できるのである。 |
お客様いろいろ(2010年01月09日 土曜日 No. 2515)
東京で開催している「公開講座」では、看護師さんの受講が少ない。最初の2年間は数名のご参加があったのだが、今年度はゼロだった。この点は熊本会場と大いに違っている。いずれにしても、講座を受講する方々の背景はじつに様々である。いわゆる企業の方もいらっしゃるが、その母体は製造業からサービス業まで幅が広い。電力会社や鉄道、航空会社からもご参加いただいている。過去には車を販売されている方が来られたこともある。また地方自治体の職員、さらに教頭先生など教員の方々も受講される。さらに、コンサルタントの方もありという状況である。講座の受講者が多様な組織から来られていることを自慢しているのだが、とにかくいろいろなところからご参加されているのである。その上、地元の学校へ出かけて先生方にお話しすることもある。学校の場合は、家庭教育学級などもあり、その際は保護者の皆さんが対象になる。そうそう、きわめて希なことではあるが、中学生に話をしたこともある。そう言えば、公民館で学習している方々、保健婦さん、社会福祉関連の皆さんも…。ああ、うんざりですね。あんたの自慢話はもういいから、それで何を言いたいの≠ナすよね。いやいや失礼しました。私が言いたいのは、様々な背景の方にお話をするとき、その内容はまったく同じ≠ニいうことだ。もちろん、そのときどきに応じて、言い回し≠竍呼びかけ≠ヘ変える。大学生や中学生にはあなたがた≠ニか皆さん≠使う。後者は汎用性が高いから他でも多用する。これが看護系になると、看護師長のリーダーシップは≠ニか主任の役割は≠ニいった呼びかけに変える。 |
授業と公開講座のお客様(2010年01月08日 金曜日 No. 2514)
私が授業をするときの相手は学生である。その学生たちに、ときどき顰蹙を買うようなことをする。その1つになるだろうか、今年も新年早々から補講をした。しかも同じ日に2コマである。理由は簡単、月曜日の授業で休みが多いからだ。後期には学園祭などもある。ことあるごとに文句を言っているのだが、例のアンハッピーマンデー≠フおかげが大きい。体育の日は、1964年10月10日に東京オリンピックの開会式が挙行された日を記念して決められた。それがいつの間にか第2月曜日に変えられてしまった。そんなわけで、大学も防衛的な対応をはじめた。祝日でも公式に授業日に設定することもあるのだ。アンハッピーマンデー≠フ話題は置くとして、とにかく授業の対象は学生たちである。その一方で、私は公開講座リーダーシップ・トレーニング≠開講している。スタートしたのは1992年だから、今年で18年にもなる。すでに1,400名もの方々に受講していただいた。これは私の自慢である。さらに3年前からは東京でも開催している。これも自慢だ。公開講座だから、受講者の背景は多岐にわたっている。もっとも、熊本会場では看護師さんが圧倒的に多い。ありがたいことに、職場の研修体系の一環として組み込んでいただいているところもある。つまりは、組織としてのリピーターが多いのだ。そんなわけで、熊本の場合は、受講者の募集にまったく苦労することがない。募集を開始してすぐに定員に達するのである。この点も私の自慢である。これで本日は自慢が3回目、ちょっと嫌みになってきたか…。これに対して東京会場の方は、看護師さんの受講はきわめて少ない。 |
Dynamicsと力学(2010年01月07日 木曜日 No. 2513)
私の専門はグループ・ダイナミックスである。その名から推測できるように日本生まれではない。もっとも、近代的な学問と呼ばれるものは、そのほとんどが欧米から入ってきたのだから、別に驚くほどのことはない。ただ、英語をそのまま使っているものはめずらしいのではないか。少なくとも私自身は他に聞いたことがない。Group
Dynamics≠そのまま和訳すると集団力学≠ノなる。Groupが集団であることは中学生でも知っている。しかし、Dymanicsが力学だということは、あまり知られていないのではないか。もう40年近くも昔の話だが、Dymanicsを力学と訳することは、大学に入ってから知った。この呼び名については、ちょっとした笑い話があった。研究室で洋書のGroup
Dymanics≠注文したが、なかなか届かない。そこで本屋さんに問い合わせたところ、その本は工学部の図書館に納品されていたというのである。工学部には気体力学≠セの流体力学≠ネどなど、Dymanics≠ェつく本がたくさんあるので、本屋さんがそちらからの注文だと思い込んでしまった。とまあ、そんなエピソードである。ここまで書くと、ブレーキが効かずグループ・ダイナミックスの歴史にまで踏み込んでしまいそうだ。しかし、そうなるとまた長くなる。それは改めて書くことにして、ここでは普遍性≠ノついて、もう少しこだわっておきたい。私は大学の授業では、学生に対してグループ・ダイナミックスの話をする。また、講演や研修を依頼されることもあるが、そのときの対象はじつに多様だ。一般的には組織の人たちが多いといっても、組織そのものがいろいろある。 |
普遍的法則(2010年01月06日 水曜日 No. 2512)
人間行動の普遍的法則など発見できるわけがない=B私はいやしくも心理学をやっているものが言うべきでないことを言っている。もちろん、それでも法則はある≠ニ仰る方にはしっかり頑張ってください≠ニ言って大いに応援しているつもりだ。そして、普遍的法則≠発見された暁には、高く評価させていただきたい。まあ、私なんぞに褒められても、嬉しくも何ともないとは思うけれど…。ともあれ、少なくとも私自身にはそんな力がないと昔から諦めているわけである。それにしても普遍性≠チてすごいですよね。英語ではuniversality≠ナある。おそらくuniverse≠ニ繋がることばだろうから、全世界≠ヘおろか銀河系、宇宙≠ノまで適用できるものなのだ。日本語の普遍≠熨f晴らしい。普≠ヘすみずみまで広く行き渡る。敷きつめたように、平に広がる≠ニいう意味がある(電子版漢字源)。そう考えると、普通≠燒{当はわれわれが普通≠ノ使っているような軽いものではないのだ。たとえば電車も普通電車≠ェ、この世界にあまねく浸透していないといけないのである。特急などというのは存在してはならないのかもしれない。普≠フ相棒である遍≠熾奄ッていない。まんべんなく広がる∞はじめから終わりまで、ひとわたりする回数を数えること≠セそうな(同)。とにかくすべて≠ネのだ。簡単に普遍的法則≠ネどと言うが、字義的にはこの上なく重いのである。そう考えると、なおさら私には重くて担げない。それでは私は何をしているのか。ひたすら個別的な試みをして満足しているのか。その答えはYes≠ナもありNo≠ナもある。 |
経済予測?(2010年01月05日 火曜日 No. 2511)
小泉内閣時代に経済財政担当相を務めた竹中平蔵氏のインタビューが興味を引いた。毎日新聞の12月24日付けのもので、鳩山内閣に対するコメントである。民主党は自民党の政策を厳しく批判して選挙に勝った。直接的には当時の麻生政権と対峙したのだが、その中には小泉改革に対する批判も含まれていた。とくに郵政民営化については、亀井氏と共同歩調を取る現政権だから、竹中氏としては断じて批判しなければならない立場である。それどころか、いまのようなどん底の日本にした戦犯の代表が小泉・竹中と断定される状況だ。鳩山内閣に対する批判が厳しくなってもおかしくない。しかし、そのあたりについてはご本人たちにお任せしたい。私自身が興味を引いたのは、現政権批判の中で全体としてはマクロ経済に対する考え方が見えない≠ニいう下りである。もちろん、私にはマクロ経済≠ネるものはそもそも理解不能である。その問題は置いといて、さらに続けて日本経済は何%の成長力があるのかが分からない≠ニきた。ここで素人も反応したくなるのである。マクロ経済≠ゥどうかは知らないが、経済予測で、これまで何%≠ニいった数値が当たった試しがあるのだろうか。そんな細かなパーセンテージまで当てることができるのなら、バブルはいつ破裂するかくらいは予測してもよかったのではないか。少なくともマクロ経済≠しっかり知っていたら、ここまでひどくはならなかったのではないか。多少の経済格差ができても、力のある者がたちが先行するシステムをつくる。そうすれば、その恩恵を被った金持ちが社会を救う。竹中氏にはそんな予測があったと思う。しかし、それが現実になってみると、人間というものはそれほど他愛的ではないようだ。 |
観光日本(2010年01月04日 月曜日 No. 2510)
国土交通省の英訳にTourism≠ェ含まれている。前原大臣も観光立国を目指したいと意欲を示す。春夏秋冬、四季の彩りの美しさ、歴史の古さ…。それは世界でも有数な観光資源に違いない。しかし、そうした貴重な資源がドンドン失われてはいないか。そんな心配はかなりある。それはともあれ、New
York Timesの日曜版に観光日本が紹介されたことがある(2008/8/3)。それも1面トップである。知床八景 オシンコシンの滝≠ニ書かれた看板の前に母親と小学生が立っている。その二人に父親と思われる男性がデジカメを向けている。いままさにシャッターを押そうという瞬間である。この写真そのものが半分近くを占めるほどの大きさだ。写真には日本の知床国立公園ツアーで写真を撮る台湾人観光客。アジア経済の成長で観光客がどっと押し寄せている≠ニいう説明がついている。そして、日本自身がかつては香港や5番街に群れとなって殺到したが、いまや経済的な不振に喘ぐ中、韓国や中国が生活水準を上げてきたと伝える。韓国、台湾、中国、香港からの観光客が536万人にも達し、日本の全観光客の2/3を占めるようになったという。記事は4ページにも続いている。アメリカの新聞では1面で複数の記事を載せ、別のページに飛んで続けるという手法をとっている。Continued
on Page 4≠ニ言った具合である。その4ページ目にも大きな写真がある。こちらは東京の町を歩く中国人のグループである。彼らにインタビューしたところ、ファッションが最新で、距離も近くて、安全で、清潔なことを評価している。また、ハイテクや文化面でアジアで先端を走っていた日本に魅力を感じるという。しかし、そのトップの力が目に見えて失われている。 |
自分を大事に(2010年01月03日 日曜日 No. 2509)
親たちが第一子と出会わないという試練を背にしながら、私も息子もこの世に生を受けた。そして、その結果として私の父は4人の孫と出会うことができた。私と妹のそれぞれに2人の子どもがいるからである。何とも残念なのは私の母は47歳で亡くなってしまったから、孫との対面はできなかった。元気でいれば、まだ84歳なのである。私自身は還暦も越えて、おかげで2人の孫と会うことができた。高齢者に近づいた者にとって、30年ぶりの赤ん坊は抱くだけで気持ちが穏やかになる。腕の中でうっすらと目を開けただけで喜び、笑ったように見えただけで騒ぐ。あくびだって大発見のように嬉しがる。上の孫は3歳4ヶ月だが、会話も成立するようになって、お付き合いがさらに楽しさを増した。とにかく孫は無条件にかわいい。いくら仕事があっても家に来れば嬉々として遊んでもらう。それで充電して、帰った後に仕事は一気に終える。そんな孫に巡り会えたのも、また悠久の時間の流れの中の偶然であり、必然なのだと思う。私に兄がいたら、私たちに最初の子どもが生まれていたら…。そもそも私自身が存在しないから、息子だってこの世にはいない。当然のことながら孫だって存在し得ないのである。それにしても、私たち一人ひとりの先祖は太古の昔から、とにかく子どもを産むことができる年齢まで生き続けたわけだ。そのおかげでいま私がここにいる。なんと素晴らしいことだろう。ときおり、高校生たち話をすることがある。テーマは人権≠竍性教育≠ナあることが多い。少し前になるが、熊本県内の高校で全校生徒に、孫のかわいさからはじまって、先祖にまつわる話をした。結論は、自分を大事にしよう≠ニいうことに尽きるが、しっかり聞いてくれた。 |
水子供養(2010年01月02日 土曜日 No. 2508)
元日はしっかり寒かった。初詣に息子と孫も一緒に出かけた。これまでは息子夫婦と孫1人のファミリーとお参りをしてきた。しかし、今年は母親と2番目の孫はお留守番である。2番目の孫は世の中に出てきて間もないから、初詣は来年からになる。それにしても人が多かった。苦しいときの神頼みなのか。それとも、遠くに遊びに行くようなことを控えたためか。世の中は、人の心まで寒々としている。せめて気持ちだけは豊にと願う。さて、昨日は本の裏書きに水児供養碑≠ニあるのを見つけたことを書いた。私は水児≠ニ記しているが、正しくは水子≠フようだ。いまから30年以上も前の夏の日、家内と私は太宰府天満宮にある水子供養碑≠訪れた。そのときから1年半ほど前に結婚していた私たちに初めての子どもを授かった。ところがその子は私たちと出会うことなくあの世へ逝ってしまった。そのとき初めて水子休養碑≠ニいうものがあることを知った。正直なところ水子≠ニいうことばも知らなかった。それから1年以上が経過してから息子が生まれた。そしてその子たちが、私たち夫婦の孫として出会っているのである。私が子どものころ、母が道雄には本当はお兄ちゃんがいたんだよ′セっていたことを思い出す。流産したのだという。細かいことを言えば、兄が生まれていたら私はこの世にいなかったはずだ。むしろ兄がこの世で生を受けなかったからこそ、私が生まれたのだ。そんな流れの中で、30年ほど経ってから今度は私が父親になった。そして、息子にも本当は上の子がいた≠ニいう話をする自分がいる。最初の子どもの性別は知らされなかった。しかし、私の場合と同様に、もしも第一子が無事に生まれていたら、いまの息子はいない。 |
表紙裏のメモ(2010年01月01日 金曜日 No. 2507)
熊本に来たのは1979年の9月30日である。その年の4月に設置された教育工学センター≠フ専任教員として10月1日付で採用されたのだ。家内と1歳と10ヶ月の長男の3人で鹿児島から引っ越してきた。その日から今年は31年目を迎える。毎年3月になると退職する人たちの送別会がある。そのとき熊本大学で30年を過ごしました≠ニいった挨拶が並ぶ。それを聞いて30年も…≠ネどと思っていたのが、つい先日のようだ。気がついてみれば、自分自身がすでに熊大在職30年≠フ大台を超えているのである。そして定年も現実味を帯びてきた。そこで身辺整理≠進めているというわけである。とにかく絶え間なく文書や書類が入ってくるが、これも「入る」より「出る」方が多くなるようにしている。こうして4年ほど経てば、また部屋の中にこだま≠ェ聞こえるようになるだろう。はじめは何もない部屋≠ナ声が反響していた。今度は何もなくなった部屋≠ナ声が響き渡る。そうなったとき、私は熊本大学での仕事を卒業するのである。ところで、多くの人がそうすると思うが、本を整理する際はパラパラとめくる。お札が出てくることなんか期待しているわけではないが、これは本を送別する儀式のようなものだ。とくに表紙の裏には購入の日付やメモを書いたものが多い。76/8/8(Sun) 水児供養碑(太宰府)を訪ねての帰り Tenjin
Kinokuniya=Bこれに私のサインもあって蔵書印が押されている。その本は、芝祐順著行動科学における相関分析法=i東京大学出版会)である。あっという間にその日のことが脳裏を巡った。水子(みずこ):@流産または堕胎した胎児。A生まれて間のない子。うぶこ≠フことである(スーパー大辞林)。 |
|