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味な話の素
 No.79 2009年12月号(2476-2506)
 
2009年も本日でおしまいです。味な話の素≠ニお付き合いいただき、ありがとうございました。
まだまだ止まりません。
新人登場(09/12/31 Thu-2506)
  年末に新人と出会った。予定より少しばかり早かったが、2番目の孫が登場したのである。最初の孫は3歳と4ヶ月。この間、宇宙の中心で人生を送ってきた。それが突如として周辺とはいわないまでも、真ん中の席を譲ることになる。そんな環境の急変に対応していかねばならなくなった。孫の人生にとって初めての試練である。かくいう私も第一子で、3歳下の妹がいる。もちろん記憶には全くないが、同じような体験をしたに違いない。心理学の世界には退行≠ニ呼ばれる現象がある。それ以前の行動や思考パターンに逆戻りすることだ。下の子が生まれた後の夜尿などは、その典型だとされる。そうした反応をすれば、親の手をとることになる。それによって希薄化したと思われる関係を取り戻そうとするのである。まことに自然な行動パターンである。しかし、それを克服することも生きていくためには必要になる。こんなとき、昔は身近にじいちゃん、ばあちゃんがいた。それが長子に対応してショックを和らげるクッションになっていたわけだ。幸いにも、わが孫とはけっこう近いところで生活している。ここはじいちゃん、ばあちゃんの出番だ。ただし、あまり張り切りすぎない≠謔、に気をつけないといけません。ところで、2番目の孫は寅≠フ予定だったが、自力で牛≠ノ変身した。牛は神様に新年のご挨拶にいくときねずみに先を越された。牛は歩くのが遅いから、夜も暗いうちに出かけた。だから、本当の順番は1番だった。ところが、ねずみが背中に乗っていて、到着と同時に神様の御殿に飛び込んだわけだ。その牛さんのまじめさとねずみに席を譲る優しさを持ってほしいなあ。ともあれ、これでまたできるだけ長生きするぞーっ≠ニいう意欲がわいてきた。
国土交通省と観光(09/12/30 Wed-2505)
  もともと大昔は女系社会だった。肉食系≠ネらぬ、日経女子≠ェ増加しているのも、先祖返りというわけか。たしかに誰が母親であるかはしっかり確かめられるが、父親の方となるとチト怪しいわけだ。もっとも、このごろのDNA鑑定なるものを使えば、父親も確認できるのだろう。ともあれ、女性が元気な社会の方が平和かもしれない。アリストパネスの戯曲女の平和≠ヘ紀元前411年に上演されている。アテネとスパルタの戦争に閉口した両国の女性たちが反乱を起こす。その戦術はセックス・ストライキ≠ナある。そんなわけで当然のことながら喜劇である。ともあれ、それで戦争が終結するというのだからまことに平和な物語である。さてさて、日経女子≠フ話も、その大本は国土交通省の英訳がMinistry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism≠セというところからはじまった(本コラム12月19日)。まずはインフラ≠ノこだわって、空港の問題などを取り上げているうちにここまできた。じつは、私が最初に話題にしようと思ったのは、英訳末尾にあるTourism≠フ部分だった。Tourism≠ヘ観光旅行≠竍観光事業≠フことである。つまり、国土交通省は観光≠フ促進も大事な仕事にしているのだ。そう言えば、小泉氏や安倍氏がようこそ、日本≠ニいったキャンペーンをしていた。あれは国土交通省の所管だったということだろう。国際的な統計によれば、2008年度に観光客が訪れた国のトップはフランスで7,930万人、アメリカが5,803万人で2位である。これに対して日本は835万人で28位だという(日本政府観光局)。どうもパットしない位置にいるようだ。そんなわけで、前原大臣も就任当初から観光≠口にしていた。
書籍の整理(09/12/29 Tue-2504)
  熊本に来てから20年近く住んだ住宅から新しい家に引っ越しするときに、自宅の書棚を整理する必要に迫られた。この際にかなりの本を処分した。その中には平凡社の国民百科事典≠煌ワまれていた。全8巻で、私が高校生のときに月賦≠ナ買ったものだ。また小学館の昭和の歴史(全10巻)≠ニほとんどの文庫本も処分した。そりゃあ、相当の勇気を要したが、もうえい、やーっ≠フ精神で断行した。そのとき後悔はしないことに決めた。とにかく本は魔物だ。そもそも買うときの心構えがいけないのだろう。一部に大事なことが書かれている∞ちょっとでも研究の資料になる∞いつか読むだろう∞読むかもしれない=c。挙げはじめるときりがないが、いろんな理屈を付けて本を買い込みがちになる。しかし最後は結局は読めなかったあ≠ナおしまいになるのではないか。年を重ねると共に、そんな風景が見に見え始めた。そこで、しっかり間違いなく読む本≠セけを自分で買うと決めたのである。その時点で絞費≠ナ購入する本は増えなくなった。絞費&ェは図書館に返還していくことになる。その上で本棚の整理をはじめたから、研究室の本棚に空きが出てきた。現時点では70%ほどは残っているが、これを4年後にはほとんど空っぽにしよう。それが私の身辺整理≠フ一つである。自分の研究室に初めて入ったとき、机や空の本棚、そしてロッカーなどだけがあった。すでに電話は繋がっていたが、かかってきた電話に答えるとき、自分の声が部屋全体に反射した。本や書類など、いろいろなものがセットされるにつれて、その響きは消えた。部屋の中身が充実してくると音も吸収されますよ=Bそんな説明を聞いていたが、たしかにそうなった。
身辺整理(09/12/28 Mon-2503)
  定年まで残すところ4年と3ヶ月になった。ギリギリになって慌てるのはいやなので、数年前から身辺整理≠はじめた。我々の世代は本の整理がなかなかできない。もちろんこれは文字どおり本棚の整理≠ニいう意味ではない。読んでしまった本を処分することだ。これが大きな勇気を要するのである。古くなればなるほど愛着が出る。表紙の裏に購入した日付と書店名と共にメモ書きがある。奨学金で∞父母からの満20歳の誕生祝で∞父母からの就職祝で≠ネどと書いてあるともういけない。自分にとっては縄文時代の発掘物ほどの価値があると思ってしまう。しかし手をつけないでいるとスペースが際限がなく必要になってくる。評論家の立花隆氏なんぞは、ものすごい書庫を建てて自著で紹介していた。しかし、それはそれに見合う経済的な力があるからできることである。庶民には夢のまた夢としか考えられない。もうかなり前のことだが、ある女性が整理のためなら何でもさっさと捨てる≠ニいった趣旨のベストセラーを出したことがある。その中に書籍も含まれていたことから、立花氏が猛然と反論していた。テレビで見たその雰囲気がマジだったので、滑稽に感じたことを思い出す。あの冷静な分析が売りの彼が本気で怒っているように見えたからだ。そりゃあ立花さんほどにもなれば、金に糸目を付けず自分の思い通りのすごい書庫ができるに決まってる。しかし、庶民はそんなことはしたくてもできるわけがないんですよね。まあ、そういうことで、私自身は10年ほど前に校費で書籍を購入するのをやめにした。ご参考までに、これは公費≠フ間違いではない。大学では校費≠ニいっている。それは引っ越しをして新しい家で生活をはじめたころでもある。
健康にはエクササイズ(09/12/27 Sun-2502)
  対人関係やリーダーシップを個人の特性≠ナはなく、行動≠ニして考える。これがわれわれの基本的な考え方である。つまりは、行動をするかしないか≠ェポイントになる。もちろん、何でもいいから行動することが大事だ≠ニ走り回っても仕方がない。そのときどきに求められる行動というものがある。それに気づいて、しっかり行動化≠オていくことが大事なのである。ここでは気づく♀エ受性がポイントになる。ともあれ、この点まで同意していただければ、その後は話が早い。なすべき行動≠ェ分かったら、それをうまく発揮できるように練習≠キればいい。何もせずにただできない、できない、私にはできない≠ニ叫んでいても、当然のことできる≠けがない。ちゃんとした練習≠しないとまずいに決まってる。つまり、練習=エクササイズ≠ネのである。そう考えると、すぐに健康な生活を送るための運動≠ニ同じじゃないかという気分になる。そこで、心の筋肉運動≠ニいう発想が浮かんできたわけだ(本コラム12月14日)。入院してベッドに寝たままだと筋力は急速に衰えるらしい。先日、看護師さんに聞いたら2週間くらいで目に見えるほど足が細くなるという。病気であればそれもやむを得ないが、健康を維持するためには日ごろから運動を心がけることが大事なのだ。これはほとんどの人がそうだ≠ニ答える。慢性運動不足の時代だ。だから、エレベータを使わずにできるだけ階段を昇る。バス通勤だったら停留所の1つ分くらいは歩く。また東京などの大都会になると、電車の駅間もかなり短い。だから1駅や2駅間くらいなら楽に歩けるのである。
法則の世界(09/12/26 Sat-2501)
  私自身は人間行動の普遍的法則など発見できるわけがない≠ニ考えている。もちろん、何事も絶対≠ヘあり得ない。いつの日かそんな日がくるかもしれない。いやくるんだろう。そうなったときは人間そのものがいまの人間ではいられなくなる。法則≠文字どおりに解釈するなら、すべてが予測≠ナきるはずだからである。もっとも、そのときもこの条件下では≠ニいった前提がついた上での法則≠ノなる可能性がある。しかし、そうなると条件≠ェ無数に考えられたりして…。それならいまと変わらない。個々の条件を考えながら無数の予測≠することになるからだ。そうではなくて、完全に予測≠ナきるとなると、それはどんな世界なのか。相手はこんな行動を取る≠ニ予測できる。そこでこちらはこれでいく≠ニ意思決定する。しかし、その対応そのものが相手から予測されている。しかも、どちらの予測も極めて高い確率で当たる。何といっても法則≠ネのだから例外を除けばほぼ確実なのである。おやおや、これではわけがわからなくなっちゃうじゃないですか。それは人間が人間をコントロールできるという世界なのか。しかし、相手をコントロールしていると思っている人間がじつはコントロールされているのかもしれない。頭がごちゃ混ぜになるが、こんな世界というのは人間が生きるところではない。そんなこんなで、私は人間行動の法則などあるわけがない≠ニ決め込んでしまうわけだ。むしろそんなものはない方がいいのではないか。とまあ、ここまで言ってしまうと顰蹙ものである。少なくとも私って、一応は心理学者ということになっているんですから。
普遍的法則(09/12/25 Fri-2500)
  心理学は人間行動の普遍的な法則を見いだす≠アとを目的にしている。それがひとつの目標ということであれば、それはそれでよしである。ただし、私自身はそんなものはあるわけない≠ニ公言している。これに対しては、そんなことはない。人間に普遍的に適用できる法則はある≠ニ言う方がいらっしゃれば、とくに反論はしない。それではしっかりお願いしますよ。ただし、私自身はそれを発見する力も時間もございませんので…=Bまあこの程度の議論でやめておいた方がいいだろう。ところでつい先日、ノーベル賞を受賞した経済学者サミュエルソン氏が亡くなった。ものすごい理論経済学者だったらしい。だからほんの少しだって私は彼の言説を理解できないが、その理論が今日の経済にどのくらい貢献したのだろうか。もちろん私にはその評価もできないが、今日のアメリカを見れば、プラスの影響はどうだったんだろう。もっとも、彼が活躍したのはかなり昔のことだ。当時としてはすごかった≠ニいうことだろう。その後は金融工学などが経済学の中で台頭してきたようだ。しかし、その挙げ句の果てがサブプライムローン≠ナはお話にならない。まあ他人の領域の悪口を言っても、自分の仕事が正当化できるわけではない。とにもかくにも、普遍的法則≠ネんて、少なくとも私は探さない=Aあるいは見つけきれない≠ニいうことだ。それはともあれ、天才サミュエルソン氏はハーバード大の経済学部に採用される話になっていたらしい。ところが、反ユダヤ主義のためにそれが実現せず、MITにいったという。その後、MITは彼の力によって経済学の中心地になったのである。
日経女子?(09/12/24 Thu-2499)
 東京などの大都会で3ナンバーで通勤する人間などいない。公共交通機関を使うのが常識である。仮に自家用という場合でも、バイクなどの方がはるかに効率的だろう。都内では、バイクや自転車を使って書類を宅配するビジネスが繁盛しているらしい。その方が経費も低く抑えられる。メリットが多いのだ。人間のやることだから100点満点なんてあり得ない。どんなものにもデメリットはある。最終的には比較の問題、メリットの方がどのくらい多いかで意思決定しないと何も決まらない。地方空港の問題にしても、もうそろそろ大は小を兼ねる#ュ想はやめにしてはどうか。今どき地方に400人や500人乗りを飛ばせる空港を作ってどうするんですか。そもそも一定の客が乗らなければ税金で保証金を払う≠ネんて、はじめっから経営がむずかしいことを承知の上で無理をしているのだ。過去にはそのうち≠ニかいつかは≠ネんてことばもよく聞いた。しかし、もうそのうち≠竍いつか≠ヘ卒業しましょうよ。そのうち、いつかは≠ニいっているうち≠ノ、気がついたら国ごと崩壊ということになりますよ。ところで、公共交通機関の代表、山手線のラッシュの中で新聞を読む人がけっこういる。その光景がなかなか面白い。つい最近も、立ちんぼの女性が日経≠読んでいた。そして座席に座っているおじさんがスポーツ紙≠覗き込む…。私自身も飛行機に乗ったとき、隣の席に座った女性が日経≠読んでいた。いまどき、男が…、女が…≠ニいうラベル付けをしてはまずい。それはそうだが、つい時代が変わってきたなー≠ニ思ってしまう。何といっても男は草食系≠ネんだそうな。そうだとすれば、肉食系女子≠ェいてもおかしくはないわけだ。
覚悟はできているか?(09/12/23 Wed-2498)
 いまから100年ほど経過した22世紀のあるときの話である。世界の中でも貧弱としかいいようのない国がある。その国の人々が歴史の教科書を開きながら怒っている。一体全体、この国をこんなひどい状態にしたのは誰なんだ≠ニ。その答えはほとんど一致しているようだ。決まってるじゃないか。20世紀の終わりから21世紀の初めにかけて生きていた奴らなのさ。彼らが好き勝手なことをして、目がくらむ借金だけを残したわけさ。とにかく、われわれの歴史にとって最低で最悪の人間たちがこいつらなのさ…=B雑草の生えた滑走路、錆びて朽ちかけたクレーンが並ぶ港、やせこけた土地…。これがどこのお話なのか言うまでもない。あなたたちは、歴史の法廷に立つ覚悟ができているのか=Bこれは、他でもないいま生きるわれわれ日本人に突きつけられた問いかけなのだ。私は数年前にカムチャツカ半島のひょうたん島≠ニいう物語≠書いた。それは超々短編だから、お時間が許す方はちょっと目を通していただければ幸いである。本文そのものを熊本大学付属図書館の書庫(リポジトリ)≠ゥら読むことができる。末尾のURLをクリックするだけでOKである。民主党はキャリアの公務員が責任を持てるように誰がどんな仕事をしたか≠ノついて明確にすると言っていた。それによって、歴史の法廷≠ノ立つ覚悟もできるということだろう。たしかになるほどと思う。そうであるなら、政治家も含めて誰がどんな仕事をしたか、あるいはしなかったか≠記録と記憶に留めることが大事なのではないか。誰があの空港を作るといったのか∞誰があの橋を架けるといったのか=c。http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/7623/4/2004-2.pdf
歴史の法廷(09/12/22 Tue-2497)
 事業仕分け≠ノ対してはノーベル賞の受賞者までが登場した。その中でも、野依良治氏の歴史の法廷に立つ覚悟があるのか≠フ発言は際立っていた。もっとも歴史の法廷≠ニいうことばそのものは野依氏のオリジナルではない。議論を呼ぶような決断をしたときに、たとえば為政者がこれについては歴史の評価に委ねたい≠ニいった表現をすることがある。また歴史の法廷≠ニいうことばを直接使ったものとして、中曽根康弘著「自省録 -歴史法廷の被告として-」という著書がある。これは2004年6月の出版である。この本を読んだわけではないが、後世の人が評価してくれるだろうといったニュアンスの内容だと推測する。世界的には、ローマ法王がガリレオに謝罪したこともある。ガリレオは地球が回っている≠ニいういわゆる地動説≠唱えた。これが当時の教義に反するとして宗教裁判にかけられ、彼は有罪を宣告された。ガリレオは判決後にそれでも地球は回っている≠ニ言ったとも伝えられている。それが1633年のことである。それから360年が経過した1992年、ローマ法王パウロ二世は、有罪判決の非を認めガリレオに謝罪したのである。これぞまさに、歴史の法廷≠ノおける再審無罪ともいうべきものである。謝らない誤りを犯してはいけない=Bこれはリーダーシップに関して私がアピールしているフレーズだが、人間はきちんと謝る≠アとが大事だ。それによって信頼感がさらに強まるものである。それはともあれ、歴史の法廷≠ニいうことばを聞きながら、ふと思う。いまのわれわれ日本人が歴史の法廷に立つ覚悟をしているのか≠ニ。それこそ未曾有の借金を蓄積し続けた挙げ句の果てに、いまや身動きできない状態になっている。
反面教師(09/12/21 Mon-2496)
 事業仕分け≠ヘ政権交代の目玉だった。実際にやってみると問題もいろいろ出てきた。しかし、人間がやることである。どんなことでも100点満点はあり得ない。ともあれ初めて≠フことだから、しなかった方がよかった≠ニいう人はほとんどいないだろう。とにかく、これまで見たことのないパフォーマンスだったことはたしかだ。もっとも、この手のことこそ国会ですべきだという声もある。そう言われればそうなのだが、これまでそうなっていなかったのだから、これから考えるしかない。国民としては、国会議員は何してたの≠ニ言いたくもなる。今ごろそんな話になっていること自身、他の国から笑われるんじゃないですか。しかし、そうであっても、とにかくそうだったのだから仕方がない。ほとんど天文学的数値の域に達している国債残高も含めて、いまや日本は世界に冠たる反面教師≠フ栄誉を獲得したというべきだろう。あれはアホな国やで。少なくとも日本のマネをしたらとんでもないことになるでー=Bそんな嗤い声が聞こえてくる。ところで事業仕分け≠ノ対してノーベル賞の受賞者も大いに発言をした。それが話題になること自身が意味があることだと思う。それだけ問題提起をしたということなのだ。科学技術はもちろん、様々な研究を展開していくことは日本にとって不可欠である。その点で異論を唱える人はいるわけがない。ただ、仕分け≠ナは現時点での使い方に問題はないかを点検しようということだったはずだ。ところが、世界一でないといけないんですか≠ネんて質問だけがクローズアップされてしまった。質問者の真意は別のところにあったと信じたいが、何せマスコミの注目度抜群の場の発言である。もう少しセリフ≠ノも気を配った方がよかったなあ。
いまの若い者は…(09/12/20 Sun-2495)
 ピラミッドにもこのごろの若い者は…≠ニいう嘆きの落書きがあるんだそうな。事の真偽は知らないが、世代間のギャップは人類がずっと引きずっている課題だろう。自分が育った環境と、それから20年や30年が経過してからの状況に変化があるのは当然だ。周りが変化しているのだから、それに対応する方法だって変わらないとまずいに決まってる。一般的に年配者の方が社会的に影響力が大きい。そもそも自分たちが権限を握っているから、若者を含めて世の中をコントロールしたくなる。これに対して若い方は、体力のような身体的な力も含めてエネルギーでは勝っている。それに既得権をほとんど持たないから失うものもない。この点は強い。ビートルズがマッシュルームカットなどという、超長髪で登場したのは私が中学生のころである。大人には絶叫しているとしか聞こえないむちゃくちゃ≠ネ音楽だっただろう。そんなものにうつつを抜かす若者は、同じ人間とは思えなかったに違いない。そんな流れの中で、学生運動も野火のように全国へと広がっていった。新宿駅を占拠し、革命を叫ぶ。線路に敷かれている石や火炎瓶を機動隊に投げつける。その模様が全国に生中継で放映される。今の若者たちには想像を絶する大騒ぎだった。大学の近くには雀荘とパチンコ屋がワンサカあって、教室よりもそちらの方が賑わっている。そんな光景が当たり前のような状況だった。私の実感では、いまの学生の方が授業にもしっかり出席する。こうした状況を見て年寄りが嘆く。最近の学生は個別に行動する。みんなで一緒ができない∞出席だけはするが、ちゃんと反応ができない=Bまあ、とにかく勝手なことばかり言うのである。自分たちの過去のことはすっかり忘れている。
航空後進国(09/12/19 Sat-2494)
 国土交通省の英訳はMinistry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism≠ナある。land≠ヘ国土≠サのものだが、これにInfrastructure≠ェ加わる。いわゆるインフラ≠ナある。道路や鉄道、それに空港や港湾などの整備も含まれているわけだ。いま話題になっているダムもその中に入る。NHKのニュースを見ていたら、地方空港で滑走路を延長する工事が行われている現状を伝えていた。いわゆる大型機≠ェ着陸できるようにするというのである。これにまた100億円を超えるような金が使われている。当然のことながら、完成後の整備費用は増加するが、それは存続する限りがずっとついて回る。あーあ、この国は…。まさに大は小を兼ねる<vロジェクトである。私はいまこそ小は大を兼ねる#ュ想が大事だと信じている。熊本から名古屋の小牧までJALが50人乗りを飛ばしている。小牧はセントレアができる前の名古屋空港で、現在は愛知県営である。自衛隊との共用もあるのだろうか、とにかく小型機が中心で存続している。少し前に熊本から乗ったが、そのJAL便が満員だった。たまたまだったのかどうかは確認していないが、こうした小型機を全国で飛ばせば、この上なく便利でしかも採算だって合うのではないか。小型の機材を成田や関空、はたまたセントレアにだって頻繁に飛ばせてはどうか。そもそも国内線に大型機を使うのは、技術的なレベルや着陸料などの問題なども含めていろいろな事情があると聞いた。航空機のハイパー先進国アメリカでは、小型というか中型機がバスのように飛んでいるらしい。いわゆるシャトル便である。その方がはるかに進んでいるわけだ。国内線でジャンボを飛ばすなんてのは、航空後進国のようですよ。
情報視力(09/12/18 Fri-2493)
 メディアは無数の情報の中から特定の情報を選択する。その際に規準として中立≠ニいうことばが使われる。しかし宇宙の中心がどこにあるかを知っている人はいるのだろうか。そんなこと誰にも分からない。真ん中≠ェ分からないのに自分は真ん中にいる≠ネんて言えない。宇宙ですらそうなのだから、人間の世界で中立≠ネんてあるわけがない。まずはその点を前提にしてお互いの行動を評価した方がいい。ともあれメディアの情報は刺激的だが、それを受け止める側が、基本的に画になる∞話題になる≠烽フが選択されていることをしっかり押さえておく必要がある。こうした課題はメディアに限ったことではない。プライベートな個人のコミュニケーションにおいても、選択的な力が働いている。たとえば自分をよく見せるために、あるいは有利に事を運ぶため、意識的≠ノ事実を歪めることもある。この場合は明らかに虚偽行為である。詐欺などもその一種だろうが、これは犯罪だから論外ではある。さらに怖いのは、無意識≠フうちに情報を歪めてしまう可能性があるということだ。そのことを本人が気づいていないのだから問題は深刻でやっかいだ。それに他人が気づいたら、本人にきちんと説明していくしかないが、簡単に納得してもらえるとは限らない。なにせ、自分でもその誤りに気づいていないのだから。いずれにしても、目の前の事実≠健康に疑う@ヘが必要なことだけはたしかである。映像が画になる≠ニいうだけの規準で選択されたのかどうか。それはテレビの裏側を覗いても分からない。いまや映像をはじめとした情報過多の時代である。情報を送る側の節度や倫理観なども大事だが、それを受け止める側にも、情報を吟味し評価する力が欠かせないのである。私はこうした一連の力を情報視力≠ニ呼んでいる。健康のために視力検査≠お忘れなく。
画になる(09/12/17 Thu-2492)
 事業仕分け≠熈画になる&舶ェがクローズアップされていたことは事実だ。とりわけ蓮舫氏の追求≠ノ対して、私の話も聞いてください≠ニ叫んだ女性の映像は繰り返し流された。ご本人は、独立行政法人国立女性教育会館≠フ理事長さんだが、女性と女性の対決≠ニいったイメージも重なって、絵になると判断されたに違いない。こうした点は、映像メディアの宿命である。たとえば、1989年に起きたロマプリータ地震≠ご記憶の方はいらっしゃるだろうか。おそらくうん?≠ニ首をかしげる人が多いのではないか。それではサンフランシスコ地震≠ニいえばどうか。ベイブリッジが途中で折れ、高速道路が横倒しになった、あの地震である。マリーナビーチ辺りだったかと思うが、真っ赤な炎が上がる町の一角も繰り返し映された。この地震の震源地はサンフランシスコ郊外のサンノゼ市≠ノあるロマプリータ山&t近だった。そこで正式にはロマプリータ地震≠ニ命名されたのである。サンノゼ市≠フ職員に言わせると、うちの方が被害は甚大だった≠サうだ。しかし、流された映像はサンフランシスコのものばかりだった。われわれが目にする情報はそんなものなのだ。けっこう時間が経過してから、熊本日日新聞か毎日のいずれかが、事業仕分けの裏話≠伝えていた。その責任者になった枝野氏の発言である。仕分けでは目的そのものは議論しない。事業の目的を見れば必要なものが多い。ここで大事なのは、その目的を達成するために適切な対応がなされているかどうかだ=Bとまあ、こうした趣旨の発言をしていたらしい。たしかに、なるほど≠ニ思う。その点では大いに議論すべきだろう。私の情報収集力の限界から、他のメディアでもこの点について指摘していたかどうかは知らない。この記事もみんなが読むとは限らない経済関連の欄だったと思う。
仕分けの評価(09/12/16 Wed-2491)
 事業仕分けはいろいろな意味で話題を呼んだ。私の仕事に関係したものも議論の対象になった。予算の作成過程では、ずっと昔から攻防戦は行われていた。おそらくいまと同じ年末だったと思うが、その当時は大蔵省が各省の要求を査定するのである。もちろんその場に立ち会ったことはないが、お金を出す側の大蔵省側は、要求を削る姿勢で臨むのだ。そこで、先方が出してきたものをあれやこれや≠ニ責め立てる。それに対して各省側は、とにかく予算確保に全力を挙げる。このときには大激論になることもあっただろうと推測する。その状況は地方でも同じようなものだっただろう。各自治体でも予算を握る財政側と予算を使う各部局が交渉する。そのときも、出せ∞出さない≠ニいったけんか腰のセリフまで出たかどうかは知らないが、とにかく国レベルと似たような攻防戦が行われただろう。財政がさらにさらに悪くなっているご時世だから、その厳しさはますます強まっているはずだ。私も自治体の仕事でお手伝いすることもあるので、担当者からそんなニュアンスの話を聞くことがある。そんなわけで、これまでだった査定≠ヘ行われていたのである。ただ、それが一般人の目には見えないところでの話だったわけだ。それに、交渉当事者はいわゆるお役人同士であった。そんなわけで、今回行われた仕分けのように、第3者とおぼしき人間は関わっていなかった。その点で、公開≠ヘ大いに意味があったと評価できるだろう。これに対しては単なるパフォーマンスだという批判もある。マスコミも面白そうなところ。画になるところ≠中心に報道していた。だから、そうした側面がないとはいえない。しかし、とにもかくにも1回はやってみてもよかったのではないか。
心の病対策(09/12/15 Tue-2490)
 アメリカでは弁護士がワンサカいるらしいが、それは需要があるからだろう。もっとも、ambulance chaser≠フような怪しい者がいるのも事実のようだ。これは供給が需要を上回っているためかもしれない。ところで、わが国では心の病が深刻になっている。もう10年以上も自殺者が30,000人を超える状態が続いているのだ。これも心の病に関係するケースが多いのではないか。この点についてアメリカの実情は知らないが、彼の国では弁護士と並んでカウンセラーもかなり多いようだ。私がまだ学生だったころから、アメリカでは精神分析などが盛んで、街の中にはクリニックがたくさんあると聞いていた。もう40年ほど前のことである。ある程度の社会的地位に就いている人には、かかりつけのカウンセラーがいるというのである。いわゆるホーム・ドクターである。そして、そのこと自身が、社会的に凄いんだぞというステータスシンボルになっているのだそうな。それこそ競争社会主義≠フアメリカである。過剰な精神的ストレスに充ち満ちて、それに対応できない人々も多かったのだろう。あれから相当の時間が経過したが、わが国でも精神的な問題を抱える人が増えてきた。こうした中で、心理的な面からサポートする臨床心理士≠ニいう資格が認定されるようになった。また学校で事故や事件が起きると、スクールカウンセラー≠竍臨床心理士≠ェニュースで取り上げられる。本来は家族や地域社会など、周囲の人間たちの力でお互いに心の病を治すのがもっとも理想的なのだと思う。それ以前に、そうした問題が起きないようにすることもできるだろう。ところが、このあたりがなかなかうまくいっていない。いわゆるコミュニティ≠フ力が失われているのだ。
心の筋肉運動(09/12/14 Mon-2489)
 このごろ心の筋肉運動≠ニいう話をしている。これがけっこう評価していただけるので嬉しくなる。その萌芽的なものは、すでに本コラムの8月13日に書いている。いつのもことだが、それをドンドンとふくらませていった。その結果、話のネタとしてほぼ満足できる水準にまで達した。そこで、このところ授業でも研修や講演でも、この話を最初に持ってくる。その結果、授業後に学生からもらうミニレポートでもまあまあの評価をもらった。今年度からはじまった教員免許更新講習でも使ったが、こちらでも印象に残った≠ニいう声を聴くことができた。先日もある研修でこれを入れてみたが、担当者の方にも気に入っていただいた。その後、別の機会でこのネタを取り入れて話をされたという。ありがたや、ありがたや。自分のアイディアが他の人から引用されるのは、それだけで気持ちがいい。ともあれ、バージョンアップ版をいつものように少しずつご紹介していこう。また長くなるだろう。まずは前置き≠ゥら。私のライフワークは対人関係トレーニングの開発と実践≠ナある。そこで、対人関係やリーダーシップ、あるいはコミュニケーションに関わるスキルを向上するために様々なプログラムを開発してきた。もちろん、これからもそのつもりだ。トレーニング≠フ対象は問わない。基本的には同じプログラム≠ェ様々な対象に適用できるのである。それを私は確信している。それなら相手が誰であれ、そしてどこに行っても同じことをしてるわけ≠ニ皮肉混じりに問われても、答えはしっかりとYes≠ナある。どんな対象にも同じ発想で通用する。そこがおもしろいのだ。
弁護士いろいろ(09/12/13 Sun-2488)
 先週は、アメリカで弁護士がambulance chaser≠ニ呼ばれることがあると書いた。ところが、その理由については触れないままである。話が、どこの世界にもややこしい人間がいるという方向に逸れて、アカハラ≠竍パワハラ≠フ話題になってしまった。あらためてご説明するまでもないが、ambulance chaser≠ヘ救急車の追跡者≠ナある。救急車には事故にあった人や急病人が乗っている。事故の場合はもちろんだが、急病にしても何らかのトラブルが原因である可能性が高い。そこで、ピーポー、ピーポー≠フ音を聞きつけて、救急車の行き着く先まで追いかけていく。そうすると、必ず訴訟に繋がる問題に出会えるというわけである。弁護士が当事者たちに裁判に訴えませんか。あなたなら賠償金を払ってもらえますよ≠ネんて勧めるのである。アメリカではそれだけ弁護士が多くて、競争が激しい。だからこんな弁護士までいるのよというネタ話である。これは弁護士だけが関わっている話題ではないと思うが、アメリカではどうでもいい≠謔、な特許≠セって売り買いされているという。どうでもいい≠烽フだから二束三文で買える。ところが、大会社の製品などをターゲットにして、その特許≠ニ関係がないかどうかを徹底的に調べる。そして、少しでも関係があると、特許を侵害している≠ニ訴えるのである。おそらく難癖≠ノ近いレベルのものが多いのだろう。しかし、相手が巨大企業であれば、万に一つでも当たる≠ニデカイ収入になる。もう、やれやれというしかないが、それが現実なのである。ともあれ、ambulance chaser≠ネんて、まさに不名誉なニックネームである。ここまでくると弁護士の品格も何もあったものじゃない。
スターと庶民の差(09/12/12 Sat-2487)
 先週の4日は、「化粧」で女性が化ける話から「映画」に話題が移っていた。この転換はいかにも唐突なようだが、そうでもない。じつは、映画好きの私にとってちょっとおもしろいなあと思うことがある。それはスクリーンに登場する女性がそれほど美しいとは思えなくなったことだ。この現象は女性だけでなく男性にも当てはまる。私が子どものころなどは、映画俳優といえば、もうそれだけで近寄りがたい夢のような存在だった。女優なんかだと、まずは一生かかっても出会いそうにないようなスーパー美女だった。まあ、男優だって同様だ。それがいつの間にやら、スクリーンの中の女や男たちが、街中を歩けば何人かは出会えるようなレベルに感じられるようになってきた。これは私が子どもから大人になり、さらに前期(?)高齢者になったためなのか。このあたりの理由はわからない。まあ簡単に言えば素人と玄人の垣根がなくなってきたということかもしれない。それだけ彼らが親しみやすくなったとも言える。あるいは、一般庶民のレベルが上がってきたために、銀幕のスターたちとの差が縮まってきたのかもしれない。ともあれ、それはそれでけっこうなことではある。そう考えると、他の分野でも素人と玄人の壁が低くなってはいる。たとえば写真などはどうだろう。昔はカメラといえばフィルムで撮るのが当たり前だった。フィルムの場合、いい景色や被写体があるからといってガンガン撮影するわけにはいかない。何分にもフィルムそのものがそれほど安いものではなかったし、それにくわえて現像代がけっこうなものになったからである。これに対してプロの写真家ともなれば、フィルム代など無視するがごとくシャッターを押しまくる。だからいい写真だって撮れるはずだ。
つれづれなるまま?(09/12/11 Fri-2486)
 つれづれなるままに、日ぐらし硯にむかいて心にうつりゆく由なしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ=Bご存じ、兼好法師徒然草≠フ序段である。徒然草≠ヘ高校生のときに習ったから、すでに45年近くが経過しているのだが、このスタート部分はときおり思い出す。これが刺激になったわけではないけれど、私はかなり昔から日記を書き続けている。そもそもは高校1年生のとき同級のM君が日記を書いていると教えてくれた。そこで自分もと思って書き始めたのである。最初のうちはときおり欠けていたが、そのうちに続きだして止まらなくなった。そのスタートは1964年11月19日である。この年は私が高校に入学した年だが、あの東京オリンピックが開催された記念すべき年でもある。それからずっと、内容は保証しないが日付だけは今日まですべて揃っている。このごろは日記をコンピュータで書く人も多いようだ。しかし、私は手書きにこだわっている。とくに万年筆がいい。日記についてはいろいろなエピソードもあるが、今日は徒然草≠ェらみに限定しておこう。はじめのころは、日記らしくその日のうちにあったことを書いていた。そのうち、その日に考えたこと≠熄曹ュようになった。さらに、その日のうちのことはどうでもよくなった。そうなると、頭に思い浮かぶことを書いて、翌日にまたそれを続けるような内容になったりもする。つれづれなるまま≠ナはなかったが、夜寝る前になると机の上にノートを開いて、とにかく好きなことを書いた。日記は人に見せることを前提にしていないから文体などは考えない。だから、思ったよりもけっこう書ける。そんな習慣が味な話の素≠ノも効いているように思う。
Manga on mobiles(09/12/10 Thu-2485)
 興味の対象が違うとあっても気づかない≠烽フである。私にとっては、漫画やアニメーションに関する記事がそうだ。もちろん、日本のアニメーションが世界に広がっていることは知っている。その範囲もアジアだけでなく、フランスなどでも受け入れられているらしい。そして、各地で漫画に登場するキャラクターのコスプレ大会が開催されていることも情報は得ている。いずれもテレビや新聞のネタである。しかし、携帯でもmanga≠ェ大人気だというのは知らなかった。とくに女性が性的な要素を含んだ、瞬時にアクセ瀬できるストーリーが好きだなんて話は、初めて聞いた。その情報源はNew York Timesである。先月11月の8日付け日曜版に漫画が携帯で大盛況≠ニいった記事が載っている。それによると、昨年度の携帯による漫画サービスの売り上げは329億円に上るという。これはその前年比43%増なんだそうな。本の売り上げは減少しているのに、携帯漫画は元気がいいらしい。最も人気があるのは女性をターゲットにした大人向けの向けの*汢謔セそうな。内容的には恋愛物で性的描写もズバリ表現されているものが含まれている。携帯は本や雑誌よりもプライバシーが守れるため女性に好まれる。そんな分析も紹介されている。本屋で立ち読みしたり、買ったえりする必要がないからだろう。集英社の編集者によると、携帯サービスの読者の70%ほどは女性なのだという。とくに20代の女性には、shojo manga≠ニ呼ばれる、恋愛とセックスで一杯のものが好まれているらしい。これに対して男性は紙版の愛好者が多い。前後のコマにも目を配りながら読んでいけるところに漫画の醍醐味があるという。しかし、現実としてそれらは衰退の一途らしい。
ハラスメント≠「ろいろ(09/12/09 Wed-2484)
 アメリカでは弁護士をambulance chaser≠ニ呼ぶのだそうな。もちろん、これは相当に怪しい者だけに使われる称号≠セとは思う。どこの世界にもいい加減な人間はいる。わが身の周辺からはじめるなら、教師の不祥事がテレビや新聞のネタになる。このごろはいろんなハラスメント≠ェ取り上げられるが、大学教師の場合はアカデミック・ハラスメント≠ニいうことばをけっこう聞くようになった。academic≠ヘ学問の≠ニいった意味の形容詞だが、名詞として大学生≠竍大学教官≠烽る。ついでながら、以前は国立大学の教師を少なくとも学内では教官≠ニ呼んでいた。これが法人化してから後は教員≠ノ変わった。官≠ヘ役所≠竍役人≠指すことばだ。国立大学時代の職員は文部科学省に所属する国家公務員だったから教官≠ニ呼んだのである。現在の正式名称は国立大学法人熊本大学≠ナある。全国の国立大学が個々の独立した法人になったわけだ。公式に確認したわけではないが、法人化後の職業分類では団体職員≠ノ入るらしい。たしかに、国立大学法人熊本大学≠ニいう1つの団体≠フ所属員であることは間違いない。それはともあれ、アカデミック・ハラスメント@ェしてアカハラ≠ヘ、教師の優位性≠振りかざして、様々な嫌がらせや圧力を加えることである。その対象は成績を評価されたり、論文指導を受ける学生だけではなく、就職などに影響力を行使する可能性のある若手の研究者なども含まれる。一般的には、自分の地位を利用して圧力をかけたり、ややこしい要求をするのはパワハラ≠ニ呼ばれる。パワー・ハラスメント≠ナある。アカハラ≠ヘこのパワハラ≠フ一種だということになるだろうか。
胃の中見学(09/12/08 Tue-2483)
 余裕があたらモニターを見てもいいですよ=B目を閉じていた私に声をかけたのはお医者さんだ。そりゃあ見られるものなら見てみたい。そう思って目を開ける。少し上目遣いにすると新しい液晶ディスプレイが目に入ってきた。いやあ、見える見える。わが胃の中をカメラが進んでいく。その色はなかなか表現しにくい。よくピンク色といった言い方もするようだが、私の目にはピンクにも見えない。ともあれ、それなりにきれいなもんだと思う。私の場合、両親ともに胃がんだったから、いつの日にかこの検査で発見される≠アとを見込んでいる。それが今回も先延ばしになった。そんな思い出画面を見つめているうちに、はい、これから抜いていきますよ≠ニなった。おしまいである。カメラがでてしまうと口を拭いベッドから降りる。それからやおら洗面台にいってうがいをする。喉の薬が聞いてますから2時間ほどは飲食をしないでくださいね=Bそう言われて廊下にでて結果を待つ。とくにどうということもなく、カラー写真が貼り付けられたカルテ様の用紙を受け取って人間ドックのセンターへ帰る。ここで平気な顔をしているのが私の自慢なのである。受付のスタッフからえっ、もう終わったんですか≠ニ言われたりすると、満足そうにそうなのよ≠ニ応じる。そのときは、われながら鼻がピクピクしているのがわかる。われながら自慢好きなのである。胃カメラが趣味になるための秘訣が1つある。それは、俎の鯉≠ノなること。そして、あーあ≠ニ諦めのため息をつくことだ。じつはこのノウハウは私のオリジナルではない。もうかなり以前のことだが、ある病院で胃カメラを飲んだとき、担当のお医者さんが教えてくれたのである。これかなり正解ですよ。
趣味の胃カメラ(09/12/07 Mon-2482)
 人間ドックの結果には十分満足した。何分にも還暦を超えているのだから、あれもこれもOKというわけにはいかない。糖や脂肪、それにコレステロールあたりが改善されたら、まずは笑っておきたい。ところで、私の自慢は趣味の胃カメラ≠ナある。もう10年以上は飲み込んでいると思うが、とにかく難なく受けられる。まずは胃の動きを止めるのかどうか知らないが、小さなカップで白っぽい液体を飲む。私の感覚ではやや甘い感じがする。それから喉に向かってスプレーされる。喉の筋肉を柔らかくするのだろうと思う。かなり苦いものだ。それを上を向いた状態で10秒ぐらい待ってからグイっと飲み込む。これでおしまい。あとはベッドにいくだけ。このときに少し気が遠くなるような注射をする人が多いようだが、私の場合はパスする。予め注射はいりませんか≠ニ聞かれるが、そのときいりません≠ニ答える。これが大いなる快感なのだ。たまたま担当の看護師さんが私を知っていた、先生、ずいぶん痩せられましたね。ちょっと間違えそうになりました≠ニ声をかけてくれる。いやあ、知っている方ならいつも以上のスマートにいこう≠ニ調子に乗ってくる。今回も手続き£ハりにベッドに横になる。マウスピースをくわえる。いまから内視鏡を入れますねえ≠ニ声がかかる。今年は女性のお医者さんだった。さすがに検査のときは目を閉じている。こんなときに目を剥いていては絵にならないだろう。内視鏡がマウスピースから口内に入ってくる。もちろん私だって生身の人間だから異物が喉に入った瞬間はうぇっ≠ニくる。生きている証拠だ。しかし、その後はじつにスムーズなのだ。余裕があったらモニターを見てもいいですよ=Bそんな声が聞こえた。
社説の日本(09/12/06 Sun-2481)
 もう20年以上は、New York Timesの日曜版に目を通している。以前は、日本の記事がかなり多かったが、このごろは中国が圧倒的なシェアを誇っている。それは他のヨーロッパ諸国の記事と比較してもダントツに多い…。とまあ、このごろはこんな感じのことをいつも書いている。ところで、日本が頻繁に取り上げられていたころでも、社説(EDITORIAL OF THE TIMES)≠ナ話題に上ることはほとんどなかった。少なくとも具体的な事例が思い出せない。その日本がネタになった。Japan's New Leadership≠フ見出しで9月13日号に載ったのである。これは快挙≠ニ言うべきか。内容はご推測通り、鳩山氏の民主党が総選挙で地滑り的勝利を勝ち取ったことを受けてのものである。社説は、政権交代が政治と経済の沈滞を終わらせることを期待≠オている。それにはしっかりしたリーダーシップが必要だと強調する。そしてGDP相当の国債を抱えた日本は内需拡大≠ェ必要だと説きながら、民主党には明確な戦略が出来上がっていないという。さらにアメリカとの関係で、鳩山氏は対等な同盟≠望んでいることを伝える。それは理解できるとしながら、同時に懸念を示している。アメリカとしては強い同盟関係にはそれに応じた責任をもったパートナーが必要だ≠ニ主張する。その1つとして、インド洋における危険を伴わない役割は(risik-free mission)≠ヘ少なくとも来春までは果たしていくべきだという。さらに中国や韓国との関係から、靖国に参拝しないのはいいサインだとも書いている。そして、最後に自民党もしっかり元気をつけて責任ある野党として頑張ってほしい≠ニ期待する。これが、New York Timesの社説≠フ中の日本である。
Ambulance Chaser(09/12/05 Sat-2480)
 オバマ大統領がアフガニスタンに3万人の増派を決めた。その演説の模様がテレビで流されていた。会場は陸軍士官学校で、講堂のようなところが一杯だった。ときおり映し出される学生たち顔は真剣そのものに見えた。演説の時間はかなり長かったようだが、その間、原稿を読んでいるようなそぶりを見せなかった。演説の内容はさておいて、何ともスマートに映る。こうした能力がアメリカ大統領には求められているのだろう。わが国の政治家ではとてもあそこまではいかない。このあたりは文化の違いでもある。たしかに彼我の間にはいろんな面で文化差が見られる。このごろは、日本でも日常的なトラブルについても訴訟が起こされることが多くなってきた。そうした状況に対応するために法律の専門家を増やそうという動きも具体化した。その結果として法科大学院も全国に設置された。法律の専門家を法曹≠ニ呼ぶ。主として裁判官・検察官・弁護士たちのことである。いかにも素人を寄せ付けない特殊な呼び方だ。もっとも、漢字の曹≠サのものは下級の役人≠ニか仲間≠ニいった意味しかない。したがって俺様たちの方が偉いんだぞ≠ニいった官尊民卑的な表現ではなさそうだ。ともあれ時代の流れの中で、昔と比べると弁護士もずいぶんと多くなったらしい。私の友人に弁護士がいて中都市で事務所を開いている。彼の話によると、弁護士になったときに比べるとその数は数倍も増えているという。それだけ競争が激しくなったわけで、事務所の経営≠煬オしさを増している。もちろん、それでも弁護士の数としてはアメリカの足元にも及ばないはずだ。彼の国では、弁護士はambulance chaser≠ニ呼ばれているそうだ。直訳すれば救急車の追跡者≠ナある。
根比ーべ(09/12/04 Fri-2479)
 「アインシュタインの眼(NHK)」の「化粧」で、改めて「化粧」の力を知った。それにしても、素面があれだけ変化するのだからものすごい。そのモデルの顔を見ていて映画のことを思い出した。私は「映画好き」といっていいと思う。それは相対的なものだから、毎月2、3回も映画館に足を運ぶと人とは比較にならない。しかし、私も平均すれば月に2回近くは出かけている。同じ日に2本の映画をはしごすることもある。たとえば、数年前になるが昼間はデス・ノート≠観て、夕方は父親たちの星条旗≠ノ行った。まるでジャンルは違っているが、そんなことはお構いなしである。昨年は、あの話題になったYASUKUNI≠観に熊本市内の映画館へ出かけた。それから夜になって送り人≠ナある。また6月の末には3連チャンした。まずは金曜日の夜にレッド・クリフ(赤壁)=A翌日の土曜日は天使と悪魔≠ニ続き、さらに日曜日にハゲタカ≠鑑賞した。天使と悪魔≠ヘダビンチ・コード≠フ続編だ。ダビンチ≠フ方は途中から訳がわからなくなった。そこで文庫本を3冊買い込んで読んでみたが、これがまた訳がわからない。生来のせっかち症≠セから長いやつ≠ヘ決まってわからなくなるようだ。その点、続編という触れ込みの天使と悪魔≠ヘけっこう私向きだった。亡くなったローマ法王の後継者選びにまつわる物語である。バチカンの広場で信者たちがワンサカ集まって、次の法王決定をいまか、いまか≠ニ待っている。投票のたびに結果を知らせる煙が煙突から昇っていく。この選挙をコンクラーベ≠ニいう。まさに、待っている大衆にとって根比ーべ≠ニいうわけだ。数年前にパウロ2世が亡くなったとき、これが実際に行われた。
やればできる≠フ快感(09/12/03 Thu-2478)
 やればできる≠確信した。ドックの速報値は期待通りのものだったからだ。何せ3月9日からメタボ追放大作戦≠開始した。それまで65Kgあたりをウロウロしていた。下手をすると66Kgかなあ≠ニいうところに達していた。人間ドックのデータを見たお医者さんから、そうね、食事指導を受けてもらいましょうか≠ニ衝撃的な発言。そりゃあまずい。結婚して34年、いまだにお昼は家内がつくった愛妻弁当≠ネんです。もちろん、朝夕食も一生懸命に工夫する。ああそれなのに、食事指導≠セなんて。どう考えても、奥さんもしっかり考えてください≠ネんて方向に向きそうではありませんか。しかし、ともあれ食事指導≠ワでは受けることになった。その日程が2ヶ月後の5月に設定された。このあたりの状況は6月の本コラムに書いている。とにかく結果として、3ヶ月で5Kg ほど減量した。そらからも、甘いものを食べない間食追放作戦≠続けたのである。それから9ヶ月、ついに10Kgも軽くなってしまった。そんなわけでやればできる≠実感したのである。そしてその結果はバッチリだった。まずはわれわれ世代の大問題である血糖値≠ェまともな水準だった。これまでも危険水域≠ノ達していたわけではない。しかし、いわゆるボーダーライン¥繧ナウロチョロしていた。データを見る限りインスリン君がまともに働いてくれているのである。また中性脂肪や善玉/悪玉コレステロールのバランス≠澎Kの状態になっていた。けっこうなことだ。おかげてズボンは軒並みダボダボの状態である。そのかわりボーナスなんぞで少しばかり背伸びをして買っていた8年前のスーツが着られた。まずは、めでたし、めでたしなんでございます。
ドックの部屋から(09/12/02 Wed-2477)
 人間ドックで病院にいる。今年で26回目になる。スタートは36歳のときである。そんなに早く行き始めたのには理由がある。私の母は47歳で亡くなった。胃がんだった。ただし、手術はうまくいったと言われたのだが、1週間ほどして再手術を余儀なくされた。理由は縫合不全。つまり胃を切った後の処置がまずかったのである。その後は、手術した部分が開いたままになり、流動食が漏れ出るような状況になった。その理由を医師に聞くと食べないから肉が付かない≠ニ言われた。そこでどうしたら食べられるようになるのでしょうか≠ニ尋ねたら、運動させるといい≠ニいう答えが返ってきた。そこで体力をほとんど消耗していた母を支えながらベッドの周りを歩かせたりもした。それを本当に恨めしそうな顔をして嫌がった。父と妹と私の3人は、それに対してお母さんは甘えているんじゃない≠ネどと帰宅してから話したりした。運動しないから肉が付かない。そこで胃から食べたものが流れ出てくる。だから運動させないといけない…。あれは本当だったのだろうか。そんな厳しい状況の中で母は亡くなってしまった。母がいないと靴がどこにあるかもわからない。それから20年、父は自分の命が絶えるまで母を思い続けた。母を失ったとき父は56歳だった。そして75歳のとき胃がんで逝った。そんなことから、私は早くからお守り≠ニして人間ドックにいくことを決めていた。スタートが36歳になった理由は、共済組合からの補助が出るようになったからである。基本的には35歳からなのだが、その年度はすでに募集が終わっていた。それから二十有余年、とにかくひたすらドックを受け続けることになる。いまでは趣味の人間ドックだ≠ニ自慢している。
変化≠フ気づき(09/12/01 Tue-2476)
 われわれの感覚は、それほどしっかりしているわけではない。もちろん何を規準にするかの問題ではあるが。たとえば、映画は視覚の弱点を応用している。映画は1秒間に24コマのフィルムをスクリーンに映し出す。実際は1秒間に24回、スクリーン上の光は点滅≠オている。しかし、われわれはその変化に気づかずに人や物が動いているスクリーン上の物語≠楽しんでいる。その昔、大相撲ダイジェスト≠ニいう番組があった。本場所が開催されている期間、幕内すべての取り組みをまとめて放送していた。亡くなった父がもっとも好きだった放送の1つだった。役力士の取り組みになるとスローモーション≠ェ追加されて、内容の解説が行われる。そのとき、ゆっくり動く力士たちの上の方の蛍光灯もゆっくり≠ニ点滅しているのがわかった。真っ暗になることはなかったが、ふわふわ≠ニいう感じなのである。あれは実際に蛍光灯が点滅しているから起きる現象なのだ。交流の電気は東の方は50サイクルで、西の方は60サイクルで流れている。そのサイクルの応じて、蛍光灯は点滅≠オているのである。しかし、われわれの視覚はそのことを感じない。これは速すぎる&マ化だが、遅すぎる&マ化にも気づかない。豆腐≠ニトマト≠違う≠ニわかっていながら言い間違える。これも老化現象の表れだろうが、最初のうちはその種のことが繰り返し起きることはない。少なくとも私の場合、現時点ではそうである。しかし、同じようなことが時間とともに起きやすくなっていくはずだ。そして気づいたときには、あるいはそれに気づかないままに、言い間違い≠ェ繰り返されるようになる。変化がゆっくり♂゚ぎるために、それを認識できないのである。