甘い豆腐(09/11/30 月-2475)
この豆腐、甘いね=Bそれは真っ赤で小粒、本当に甘かった。それを聴いた家内ははーっ?≠サれもそのはずだ。私の目の前には豆腐≠ネんてどこにもない。じつは私もこの豆腐、甘いね≠ニいった瞬間においおい≠ニ気づいていた。私が口に入れたのは豆腐≠ナはなく、真っ赤なトマト≠セったからである。どう見ても、またどう考えても豆腐≠ニトマト≠ノはなんの共通点もない。豆腐≠フ素は大豆だから、どちらも野菜≠ナはあるけれど。ただその音≠ノ焦点を当てると、頭がと≠ナあることだけは同じではある…。いやはや、なんのことはない。これこそが老化≠ニいうものなのだろう。自分でも気づいていながら違ったことばが出てしまう。われわれの大脳については、ブームになるほど情報が溢れている。しかし記憶のメカニズムを含めて、そのほとんどがまだ十分に解明されていない。それでも少しずつ明らかにされることが増えていくだろう。人間の仕事は1つのことがわかると、それを土台にするから幾何級数的に拡大していく。そして気づいてみると大脳のメカニズムの大半がわかってしまう…。それがいつの日かはわからない。しかし、私がこの世に生きている間でないことだけはたしかだ。そう思うとホッとする。大脳の働きの大部分が明らかにされたとき、そこにいるのはもう人間とは言えないのではないか。外からの見栄えは人間風に見えるとしても、それはほとんどロボットと変わらない。とにかく、大脳の働きが見え見え≠ネのである。ああ恐ろしや。私としてはそんな心配をせずに、豆腐≠ニトマト≠フ言い間違いを気遣う程度で済むのである。ありがたいことだ。次は何と何を取り違えるのだろうか。老化は進むよどこまでも。 |
化粧のショータイム(09/11/29 日-2474)
「アインシュタインの眼(NHK)」の「化粧」は驚きの連続だった。何といっても、同じ人物の顔が化粧前後で違いすぎるのだ。ご本人には申し訳ないが、番組に登場したモデルの顔の化けようのものすごいこと。それはもう開いた口がふさがらないほどだった。たしかに化粧をするときれいになる。というよりも、まさにきれいに見える=Bもちろんきれい≠フ規準も時代や個人の美にたいする価値観で左右される。しかし、それはともあれ、なんたってきれいな方がいいでしょう≠ニ言われれば、誰だってそうでない方がいい≠ニは答えないだろう。しかし、化けてもきれいな方がいいか≠ニ聞かれればどうだろう。しかも、その化け化け≠電車やバスなど公衆の面前で平然とやってのける者まで出現するから閉口する。まあ、開いた口がふさがらない≠ゥと思うと閉口する=Bこのごろはとにかく忙しい。もっとも、時間の経過とともに見事に化けていくのを目の前で観察できるのだから、考えようによってはおもしろいショーじゃないかという人がいるかもしれない。しかし、少なくとも私はその部類ではないなあ。まつげを妙な道具でくっつけているときなんぞは、眼まで剥いているからぞっとする。車内は眼科ではありませんぞ。本人は平気に違いないが、見せられる方はたまったもんじゃない。その不快さをたとえるのはむずかしい。まあ、顔の前でタバコの煙を吹きかけられたときのような感じか。なんてのもどうもうまく伝わらない。いずれにしても、人がいようといまいと知ったことじゃないというわけである。もっとも携帯電話などになると、おっさんたちも負けていない。電車の中で大声を張り上げて仕事の話をする。人の迷惑なんぞまるで考えてない。 |
仕事の責任と誇り(09/11/28 土-2473)
仕事における責任≠ニ誇り≠ヘコインの両面でないとまずい。責任≠セけが重くては体が持てない。ストレスも高まる。その結果としてミスやトラブルも起こりやすくなる。また管理職がうまくストレスを処理できずに部下に当たったりすれば、部下の方はたまらない。仕事に責任≠持っているという意識が誇り≠ノ繋がってこそ本物である。片面だけ刻印されているコインは偽物だから使えない。そして、仕事の責任と誇り≠フバランスを取るのは職場のリーダーの役割でもある。ところで、職場でちょっとやばいぞ≠ニ思うことが起きたとき人はどんな対応をするだろうか。仕事の結果責任は組織の上位になるほど重い。そんな中で部下がまずいぞ≠ニ思う事態に直面する。さて、どうなるか。まずはどうせ責任は上役が取るんだ≠ニ考える可能性がある。その場合は、率先してまずいことを正す、報告するといった行動は生まれにくい。それが最終的には組織の崩壊にまで繋がることもあり得る。もう一つの可能性として、このままだと上司の責任になってしまう。何とかしなくっちゃ≠ニいう受け止め方もある。こうなると部下は問題状況をしっかり伝えることが期待される。同じようにまずい≠ニ感じ、その結果の責任は上司にある≠ニ判断しても、部下の行動は正反対なのである。両者の違いはどこから生じるのか。基本的には上司と部下との関係が大きい。いわゆる上役のリーダーシップ力の問題なのである。そもそも部下たちが仕事に誇り≠持っていることが、普段の態度や行動に大きな影響を与えるはずである。そうした気持ちを育てるのもリーダーの役割なのだ。ただし、そうは言いながらも仕事の誇り≠ヘ自分の力で身に付けるものでもある。 |
自分の考えを…(09/11/27 金-2472)
公式行事で代読を頼むお偉いご本人≠ヘ、どのくらいその原稿を読んでいるのだろうか。もちろん、代読される場所によるとは思うが、チラリ≠ニ目を通す人もいるだろうし、すべて丸投げの人もいると推測する。しっかり内容までチェックする場合だってないとは断定できない。いずれにしても、そのあたりは推測の域を出ないが、われわれのような小物はすべて自作である。というよりも、そんな晴れやかな場で式辞なんぞ読む機会そのものがない。ありがたや、ありがたや。政権交代で官僚に頼らないと言い切っている民主党だが、原稿の100%を本当に個人の力だけで書き上げるのはむずかしいに違いない。大事なことは自分の考えをきちんと持っていることだ。その上で、訴えたい内容に沿ったことを、できればうまい表現を用いて書いてもらえばいい。そして、出来上がった原稿にちゃんと目を通して何度も推敲を重ねることである。NHK実践ビジネス英語を担当している杉田敏氏は、マイケルジャクソンが来日した際にスピーチ原稿を書いたという(同テキスト10月号)。マイケルはその原稿を何度も繰り返し読みながら頭に入れていたのだそうな。杉田氏はその姿に感銘を受けたという。そこなんだと思う。仮に専門家に書いてもらったとしても、最終的には自分のものにする。その姿勢を持っているかどうかが問題なのである。もちろん、それ以前に、自分の考えがしっかりしていることはいうまでもない。まことに一般論ではあるが、これまでの国会では、そのあたりがしっかりしていなかった感が強い。ちょっとまずくなると、政府委員に答えさせます≠ネんて言って、答弁を官僚に丸投げすることもしばしばあった。あれでは大臣は腰掛け≠ニ思われてしまう。 |
お化ける話(09/11/26 木-2471)
「化粧」の「化」は「ばける」、「粧」は「よそおう」。「よそおう」は「@したくをする」につづいて「A飾りととのえる」、そして「Bふりをする。見せかける」(電子版広辞苑)。今週の日曜22日にハイビジョンで「アインシュタインの眼」を見た。テーマは「化粧 美しさを生むテクニック」。ファンデーションは、肌から光を反射するから薄めがいい。シミなども見えにくくなる。化粧水は叩くとまずい、などなど。もともと私は化粧とは無縁である。家内も娘も眉毛を剃ったり描いたりしない。化粧だって、少なくとも私は気づかないほどだ。わが教育学部だって、ギラギラの化粧をしている女子学生なんぞいない。それでも、もう10年くらい前になるだろうか、学部にガングロ≠ェ出現したことがある。それを目の当たりにしたときは卒倒しそうになった。世の中には可能性としては何でもあり得るのだ≠ニいうことを初めて体感した。ガングロ≠ヘ素面とほど遠いから仮面をかぶっているようなものだ。だから、おそらく羞恥心≠煌エじないだろう。そうなると何でもできる≠ニいう気持ちも生まれる。もちろん、あの顔だから、道行く人も振り返る。周りのみんなから見られるのである。これがまた大いなる快感なのだろう。それはそうだろうが、あれではまともなコミュニケーション力は付きませんなあ。それにしても、あのganguro
girls(Wikipedia)≠スちは今ごろどこでどう過ごしているんだろうか。けっこう子育てに励んでいたりして…。ともあれ、家でも職場でも化粧とは遠い状況下で生活している。そんなわけで、「アインシュタインの眼」で流された化粧に関する情報はほとんど頭に残っていない。ただ、番組そのものは猛烈に衝撃的だった。 |
組織のライフサイクル(09/11/25 水-2470)
世の中には様々な種類の仕事がある。その数は無数と言っていい。その中には人がうらやむ℃d事もあり、一方では人がしたがらない≠ニ言われるものもある。好きなことができて幸せです≠ニ言う人もいる。そんな人は端から見ている者も楽しい気分になる。一般的には、好きな仕事≠している方が収入にも恵まれていることが多い。本当は人がしたがらない℃d事をしっかりしている人が、それに応じた賃金を得ていいと思う。しかし、現実はそうなっていない。私は自分は食べさせてもらっている側≠ノいることだけはしっかり認識している。だからいまの状況に心から感謝している。早朝から味な話の素≠ェ書ける幸せ。先週は看護系の雑誌に掲載する原稿を2本書いた。これも与えられたテーマがあるから好き勝手なこと≠書いたわけではない。しかし、普段から考えていることを文章化するのだから、ほとんど好きなこと≠サのものである。私の個人的な状況はさておいて、成長期の組織はエネルギーに満ちているから、その構成員も元気に仕事ができるだろう。しかし、一定の役割を終えて終息する準備をしているような組織ではどうなのだろうか。組織を人の一生と同じように考えると誕生→乳幼児期→児童期→青年期→成人期→壮年期→老年期→お別れ≠ニいった道をたどっていくことになる。人間の場合は壮年期≠アろまでに新しい命を生み出して、次の世代の担い手として育てていく。組織で言えば、働き盛り≠フときに、新たな展開≠ェできるかどうかが組織存続の分かれ道になる。もちろん、そのタイミングと何を生み出すかがポイントだ。鳶が鷹を生む≠アともあるが、その確率は低い。やはり蛙の子は蛙≠フ方が一般的だと思う。 |
代読のこころ(09/11/24 火-2469)
テレビのニュースを読むアナウンサーがプロンプターを使い始めてから30年ほどになる。アメリカの大統領はスピーチが命で、国民に直接語りかける雰囲気作りが欠かせない。そんなわけでプロンプターはアメリカで使われはじめた。そのスタートは1960年代の中頃(Wikipedia)というから相当に古い。日本の政治家で最初にこれを使ったのは細川護煕首相である。細川内閣は1993年に成立しているから、いまから16年ほど前ということになる。ただし、透明の装置だといってもプロンプターそのものを使っていることはテレビでも一目瞭然である。ああ、使ってるなあ≠ニ思うと、かえって興ざめのこともある。まあ、これもまた見方次第ではある。海外ではどうなのか知らないが、わが国ではしっかり原稿を読む≠アとも少なくない。たとえば学校の卒業式といった公的儀式では、しっかり原稿があって、それを淡々と読む。校長が本人なのは当然だが、地方自治体の長などは、たいていの場合が代理出席だからしっかり原稿を代読≠キる。まあ内容は無難で似たような内容のものが多い。しかも原稿そのものも本当に組織の長が書いたのかといえば、その可能性はかなり低い。はっきりしたデータはないが、ほぼ100%近くが実務の担当者が書いたものだと思う。もちろん、ご本人がその原稿に目を通しているかどうかは、いろいろだろう。何分にも代読≠セから、自分で読むわけでもない。代読する者にまあ、よろしくね≠ニいう感じだろう。もっとも、どこで読むかによってはけっこう意識してチェックすることがあるかもしれない。しかし、自分が気になるほどの会合なら、まずは本人自身が出ていくに違いない。このあたりは、人それぞれの考え方も影響するだろう。 |
冬来たりなば…(09/11/23 月-2468)
環境が人の行動に影響を与えることは言うまでもない。いわゆる「風土」と「文化」の関係はその典型だ。季節風が吹いて梅雨があり、暑い夏を経て秋になる。そんな中から稲作も生まれた。日本人にとって欠かせない花見にしても、桜は冬の寒さがあるから見事に咲くのだそうな。美しい成果を得るためには、それに応じた苦労もあるのだ。まさに冬来たりなば、春遠からじ≠ニいうことである。冬来たりなば…≠ヘそのとおり≠ニ手を打ちたくなるいいフレーズだ。これはイギリスの詩人シェリー(1792〜1822)の西風に寄せる歌≠フ一説である。原文はIf
winter comes, can spring be far behind?≠セ。人間、ものの見方が大事だなと思う。同じイギリス人の作家で評論家のラスキン(Jhon
Ruskin 1819〜1900)も、うーん≠ニうなりたくなるようなフレーズを残している。Sunshine is delicious, rain
is refreshing, wind braces us up, snow is exhilarating; there is really
no such thing as bad weather, only different kinds of good weather.晴れた日は楽しい≠アとはいうまでもない。そして雨の日は生き生きさせる=B雨は汚れたものを洗い流してくれる。萎えた植物も生き返る。風は人間を元気にする=Bそして雪はうきうきさせる=Bだからこの世には悪い天気など1つもない。それぞれ違った種類のいい天気があるだけなのだ=Bいやーじつにいいですね。もちろん、現実には大雨が降れば大きな被害が出る。このごろは各地で竜巻も多発している。そんな中で悪い天気などないなんて悠長なこと言ってられるか≠ニ叱られるかもしれない。それはそうだが、ものの見方によって生きる力が違ってくることは間違いない。 |
プロンプター(09/11/22 日-2467)
ラジオの場合は、アナウンサーが原稿を読んでいてもその様子はわからない。前夜から放送局に泊まって翌朝一番のニュースを担当することもある。そんなとき、まだ下着姿のままで原稿を読むことがあっても、ニュースの内容が変わるわけではない。それがラジオというものだ。テレビになるとそうはいかない。とにかく姿がもろに見える。だからあまり貧相な服装もできなくなる。そんなわけで、その昔は下に置いた原稿を読んでいるところがはっきり見えていた。原稿を手でずらしているのもわかった。どれだけ長いことカメラを見ることができるか、それによってアナウンサーがニュース原稿を暗記しているかどうかが判定できたのである。もちろん下を見たままでは、いわゆる棒読みという感じで、印象は今ひとつになる。それがいつのころからか、ニュースを読むアナウンサーが目をしっかりこちらに向けるようになった。まさに語りかけるという雰囲気が出てきたのである。もちろんアナウンサーにも個人差があって、チラチラ原稿に目を落としているように見える者もいた。しかし、全体としては下を見る感じが少なくなっていくのである。そうした変化の理由がプロンプターによるものだいうことは私も知っていた。もっとも、その当時はプロンプター≠ニいう名称までは知らなかったと思う。NHKが放送センターで使い始めたのが1980年代の初頭だという。すでに30年ほどの歴史があるわけだ。英語のprompt≠ノは形容詞としてセリフ付け役の∞わすれたときのための≠ニいう意味がある。そして動詞では俳優にセリフを教える∞言葉に詰まった人に思い出させる≠ニなる(電子版ジーニアス英和)。その役割を果たすのがprompter≠ニいうわけだ。 |
安心≠フ心配=c(09/11/21 土-2466)
人も組織もいろんな課題を抱えている。健康診断の結果で数値が悪ければ大いに気になる。そんなときに、いや、この程度のことは誰でも同じなんですよ≠ネどと言われれば妙に安心する。つまり、自分だけでなく、みんな悪いんだ≠ニ思うのである。人間は心配しすぎると心にも体にも悪いに決まっている。そこで少しでも気持ちが落ち着くなら、それもまたけっこうなことだ。しかし、だからこのままでいいのよ≠ニなると、それはそれで問題である。結果として望ましくない状態が続いてしまうことになる。とりあえず他の人も同じことで悩んでいるのか。それなら心配せずに、自力で問題解決にチャレンジしよう=Bとまあ、そんな気持ちになるならば、前向きできっといい対応策も見つかるに違いない。こうした状況は組織の場合にも当てはまる。自分たちの組織で問題が明らかになったとする。その際に他も似たようなものです≠ニ言う話を聞くと、ああそうなんだ。それなら現状維持でいいか≠ナおしまいになる。悪貨は良貨を駆逐する≠ニいうが、前向きの気持ちも、後ろ向きの気持ちには押されてしまいがちだ。これが人間の性なのか。こうして、はじめは心配だったことが、いつの間にか安心材料になる。その反対に、いいところ≠ノついては、自分たちがユニークでありたいと願う。俺たちは他とは違うんだ=Bそんな気持ちになって高揚するのである。もちろん、それはそれでけっこうなことではある。ただ、それで安心してしまって、先に進むのを止めてしまう組織もある。そんなことで安心していると、あっという間によそに追いつかれてしまう。世の中はそんなものである。いずれにしても、安心してしまう≠フはまじめに心配≠オた方がいい。 |
理科離れ(09/11/20 金-2465)
いつのころからか理科ばなれ≠ニいうことばが使われはじめた。バブルのときは理工系の出身者も金融界に就職したがるという話題もあった。昨年はノーベル物理学賞と化学賞を4人の日本人が取った。ただし、物理学の南部陽一郎氏はアメリカ国籍だから公式には日本人ではない。いずれにしてもけっこうなことだが、受賞はずっと前の業績に対する評価だという。理科的な領域ですら、研究は時間が経たなければ評価されないものなのだ。理科離れの日本がこれからも世界に貢献できるかどうか、かなり怪しい。こうした日本の状況をNew
York Timesが報道している(2008年6月1日)。技術者不足が日本の優位性を脅かす≠ニいう見出しだ。大きな写真には宇都宮大学の工学系の志望者が1999年から急激に減少している≠ニの説明が付いている。こうした中で、日本の会社が海外に研究開発の施設を作り始めていることも伝えている。たとえば東洋エンジニアリングはインド、タイ、マレーシアを中心に3,000人の技術者たちを採用したという。これは日本国内の2,500人を上回っているのである。中国の大学に教育訓練施設を設置している会社もある。ハイテク関連の製品を製造しているアルテックだ。ここはおよそ2,400人の技術者のうち、138人が中国人だという。その中の一人は、日本の進んだ技術を学べるというので中国の仲間たちからうらやましがられているらしい。給与も中国の4,5倍だというからめでたしめでたしということである。いまのところはまだ日本が優位性を保っている分野が多いのかもしれない。しかし、それは時間の問題に過ぎない。それほど先でない時期に追いつかれ追い越されることは目に見えている。New
York Timesまで心配している? |
カンニング・ツール?(09/11/19 木-2464)
アメリカではスピーチの台本を書いてもらってでも格好いい話をしようとする。しかし話の時間が長目になるとすべてを暗記することがむずかしい。そんなときは道具まで使う。プロンプターといわれる、聞く側から見ると透明なパネルが話し手の前に置かれている。ここに原稿が映るらしい。それを読みながら、ちょっと目には原稿なしで話しているような格好をするのである。何のことはない。いわゆるカンニングペーパーである。もちろん、いくら透明だといってもパネルがあって、それを支えるスタンドも見える。だからプロンプターを使っていることは誰にもわかる。テレビでもレンズを引くと、知っている者にはプロンプターがあることはすぐにわかる。しかし、それがばれても使うのである。原稿を読むといっても目線が違うのだ。演台に原稿を置いた場合は、どうしても目が下向きになる。その点プロンプターだと演台よりも上に置いてあるから、いかにもみんなを見ている感じで話ができる。何といってもコミュニケーションでは目線が大事なのである。もっとも、プロンプタ−≠サのものは、相当に長い歴史を持っているという。もともとは舞台などで役者がセリフを忘れたときにそれを知らせる役割の人間のことを指すことばなのである。現代の演劇では舞台の脇にプロンプト・コーナー≠ニいうものがあるらしい。演劇やオペラに詳しい方には常識なのだろうが、私はちっとも知らなかった。これがテレビの世界で機械化されていくことになる。私が話題にしているのは電子的な機械のことであるが、これは正確には
Teleprompter≠ニいうらしい(Wikipedia)。この電子機器の登場はそれほど新しいわけではない。われわれが知らないうちにテレビ界に広まっていった。 |
「教育」から「学習」へ(09/11/18 水-2463)
最近は「生涯学習」ということばを耳にする機会が多い。文字通り「生涯を通じて学習」を進めることである。それによって、人間は成長し続けることができるし、こころから生きがいを感じることもできるのである。ところで、これとほぼ同じ発想のものが昭和の時代には「生涯教育」と呼ばれていたことをご存じの方がどのくらいいらっしゃるだろうか。「教育」から「学習」への転換が行われたのである。その時期についてはいろいろな見方があるだろう。その中で1990年には「生涯学習振興の施策の推進体制等の整備に関する法律」が制定されている。すでに「学習」ということばが使われている。したがって、少なくとも20年ほど前には「教育」ではなく「学習」にウエイトが置かれるようになっていたことがわかる。1990年といえば平成2年だから、昭和の「生涯教育」が平成になって「生涯学習」へと変わったという見方もできるだろう。その理由は容易に推測できる。「教育」はあくまで「教え育てる」側に立ったことばである。そのときの状況にはよるが、これをわざわざ「教えられ育てられる」と読むことはまれだろう。これに対して「学習」の方はどうか。こちらは当然のように「学び習う」の方が落ち着きがいい。これについても、あえて「学ばせ習わせる」とは読まないだろう。これが「学ぶ」側からの表現であることは誰にもわかる。つまり、「生涯を通じて学ぶ」点では同じだが、その主役が交代したのである。これが時代の流れなのだろう。こうした視点は「生涯学習」に限られたものではない。組織においてリーダーシップの改善を目指す研修やトレーニングを企画する場合にも、「学ぶ側」の視点に立ったスケジュールや方法を考えていくことが求められているのである。「教育」なら講義で十分だが、「学習」となるとそうはいかない。 |
話しのスキル(09/11/17 火-2462)
私たちの仕事の成果を発表する学会でも、時間を平気で守らない人がいる。そして、質問する側も蕩々と自分の意見を述べておしまい。そんなことがけっこうある。ほとんど質問になっていないから、聞かれた方も答えようがない。ところが、これにちゃんと対応する人もいる。もちろん、質問の内容がわかっていないのだから、負けずに自説を述べることになる。これまたエンドレスになったりするから、ほとんど漫画的な状況である。私がその場の司会、学会では座長と呼んでいるが、を依頼されたときは、けっこううるさい方だ。発表の途中でも時間が過ぎたら、はい時間です≠ニはっきり伝える。実際には時間を知らせるベル≠ワで用意されているのだから、時間はちゃんと守ってもらわないと困るのだ。もっとも、私の主観ではあるが、このごろは与えられた時間を遵守する傾向が強まっていると思う。とくにお若い方々の方がしっかりしている感じがする。やはりわれわれ世代を含めた昔の年寄り連中が怪しい行動をしていたのだと思う。もちろん、このあたりをあまり細かく指摘していると、おまえはどうなんだ≠ニ大逆襲を受ける恐れもある。私としてはベルの音とともに発表を締めることを生きがいにしているから、まあまあだと自負してはいるけれど…。時間を守るのはけっこうなことだが、発表の内容はどの程度なの≠ネんて聞かれるとまずかったりして。いずれにしても、日本人の場合はスピーチ≠ノ対する教育がそれほどうまく行われているとは思えない。それは人の話を聞くスキルも含めてのことである。ただ好きなことの言い放しではコミュニケーションは成立しない。日本語には言霊≠ニいったことばもある。もっと言葉≠フ力を評価してもいいはずだ |
一億総中流…(09/11/16 月-2461)
時代の流れではある。世界の経済的な力関係に変化が起きていることは間違いない。アジアにおける中国の力が増大している。世界第2の経済大国=B私自身はこの言い回しに抵抗を感じるが、数値としては事実だったのだろう。しかし、それも時間の問題になってきた。来年には中国が世界第2位になることが確実視されている。人口が多いから当然だ≠ニいう人もいる。それはそうだけれど、それなら日本だって世界の第2位≠ノなったことなどありはしない。世界銀行のデータによれば、2007年のトップはルクセンブルグでほぼ10万米ドルである。日本は23位でシンガポールにも及ばない。当然のことながら、イギリスやフランスにドイツ、さらにはイタリアも日本より上にいる。もちろん資源のないわが国が懸命に努力してきたことは事実である。だからそのことは自分たちで褒めていい。しかし自分たちが金持ちで裕福だ≠ニ勘違いするのはいかがなものか。単なる経済ではなく、平和で安心、心落ち着く生活を送れることが何よりだ。国中が一億総中流≠ニいうことばで納得していた時代が懐かしい。もちろん、そのころも格差≠ヘあったし、すべての人々が幸せに生きていたわけではない。その意味では中流∴モ識は幻想だったとも言える。しかし、そんな気分≠ェ全体を覆い、これからも前進しようというエネルギーが感じられた。21世紀は日本の世紀≠ニ言われ、それが目の前に迫った前世紀末に日本はこけた。それからは経済だけでなく、人の心も沈滞しはじめた。そんな状況をNew
York Timesはフォローしてくる。アジアが元気いいという記事の中に、長期にわたる不況の泥沼にはまった日本以外は≠ニいう但し書きが付け加えられていた。 |
仕事の順番(09/11/15 日-2460)
ホテルの部屋から外出するとき着替えをする。その際に、少なくともズボンを履いてから靴を履く。すでにシャツは着ているが、それはこの際どうでもいい。とにかくズボンが先で靴が後になるのは間違いない。食事と歯磨きの順番もまたしかり。先に歯を磨いて食事をするのではなく、食事をしてから歯を磨く。研修の際にこの話をしようと思って歯を磨いて食事をする人はいますか≠ニ問いかけた。もちろんそれには反応がないことを予想していたのだが、何と一人の女性が手を挙げたのである。えっ、それじゃあ食事の後は歯を磨かないんですか≠ニ思わずたしかめた。するといえ、食事の後も磨きます≠セって。なかなかきれい好きな方がいらっしゃるものだと思った。たしかに口の中はいつも湿っているから、いろんな雑菌もいるに違いない。そこで食べ物を口に入れる前にも歯を磨く。きわめて論理的なことだなあと感心した。もっとも彼女の場合だって食事後にも歯を磨く≠フだから、私の言いたい話と齟齬が生じるわけではない。ともあれ、ズボンと靴≠竍食事と歯磨き≠フような事例を出すと、誰もがその順序を疑わない。しかし日常的な仕事の中には、靴を履いてズボンを履いたり=A歯を磨いて食事をしたり≠オていることはないのかどうか。このあたりをチェックしてみるとおもしろいと思う。仕事をうまく進めるために組織を変える∞システムを変える≠ニいったことが強調される。もちろんそれは大事なことではある。しかし組織やシステムの変革となると簡単にはいかない。トップの管理者たちはいざ知らず、一般のメンバーたちにはそんな力も権限も与えられていない。しかし仕事の段取りを見直して、その順番を変えるくらいなら十分できる。 |
スピーチの技術(09/11/14 土-2459)
アメリカではspeech writerがしっかりとした地位を築いているという。だから大統領はもちろんのこと、組織のトップなどもプロに原稿を依頼することが多いようだ。できるだけインパクトの強いスピーチをする。それが評価されて選挙に勝ったり、組織における影響力の獲得や強化に繋がるのである。わが国でも弁舌さわやか≠ニいった表現はある。しかししゃべる°Z術については、それほど重視されていない感じがする。大学の授業だけでなく、組織人や市民を対象にした講演などでも質問はそれほど多くない。司会者が、せっかくの機会ですから、ここでご質問はございませんか≠ニ呼びかける。しかしこれに応えて手が上がることの方が少ない。そこで、それでは私の方から≠ニ司会しているご本人が踏ん張って質問したりする。とにかく言ったからには1回だけでも質疑応答にしなければまずい。そんな感じである。これが学会などになれば、さすがと言うべきか質問が出される確率は高くなる。ところが、これもけっこうややこしくなることがある。まずは質問に至るまでの前置きが長い人がいる。あまり長すぎて、聞いてる方は何を言いたいのかわからなくなる。ひどい場合にはご本人だって、そのあたりが怪しくなってくるのだ。そもそも言っていることが質問なのか、自分の主張なのかさえ判別できなくなる。それなりに時間が制限されている中で、個人的な演説になってしまうのである。ご本人は気持ちよさそうだが、周りはしらけている。そして、これに答える方も負けずに長い時間をかける。しかも、それが質問に対する答えになっていないのだ。もっとも、質問が質問になっていないのだから、答えになっているのかいないのか、それさえもわからない…。 |
New York Timesとレタスの里(09/11/13 金-2458)
熊本で殺人事件が起きた。農家の夫婦が死亡し、妻の姪が重体。そして中国人の農業研修生が首をつって自殺していた。警察は研修生が3人を刺し、その後に自殺したと断定している。姪が意識不明のままだというから、現時点でその原因を明らかにすることはむずかしい。この事件の記事を読んでいるうちにNew
York Times を思い出した。昨年の9月4日付の日曜版である。労働力の急激な高齢化に伴う日本の中国依存と不安≠ニいった見出しである。小見出しには農村は畑仕事を外国人に依存≠ニある。さらに縦15cm、横25cmほどの大きなカラー写真が付いている。その説明には日本は移民を制限している。しかし多くの農家が労働力不足を緩和するために短期の中国人労働者を雇っている。写真は川上村の朝5時に行われているレタスの収穫≠ニある。川上村は長野県の東南端にあって、野菜王国と呼ばれているらしい。とくにレタスはものすごくて、最盛期の真夏には日本の7割以上のシェアを占めています≠ニある(川上村ホームページ)。New
York Timesによれば、仕事を終えた中国人たちが村の中心にある橋に集まる。そのそばを日本人が通り過ぎていく。それを見た中国人が冗談交じりに問いかける。日本人?=Bこれに対して見たらわかるだろ=Bこんな会話が交わされるというのだ。この村の日本人は4,400人で、中国人が615人だという。中国人たちには時給775円が支払われ、7ヶ月を超えると5,425$を手にすることになる。日本円で50万円ほどである。しかし、インタビューした中国人の多くは、賃金の半分ほどを川上村の仕事を斡旋した業者に取られるという。アメリカ人はNew
York Timesからこんな日本の状況を伝えられている。 |
ズボンのネタ(09/11/12 木-2457)
人間、何といっても意欲を持って仕事をしたいものだ。それはそうなのだが、そこがなかなか思い通りにはいかない。正直なところ、私などは仕事が楽しくて仕方がないと考えている人間の部類に入る。まあ、好き勝手なことをして無責任にしゃべるだけだからねえ…=Bそんな声も聞こえてきそうだ。それに対してマジで反論する気持ちもない。たしかに、安全なところで、間違いなく好きなことをさせてもらっている。そんな自覚はある。もちろん、すべてのことを自分の思いのままにしているわけではない。また同じようなことの繰り返しだってある。たとえば、基礎的なことを伝える概論などでは、毎年ほとんど同じ内容を話すことになる。伝える情報内容が変わらないのだから繰り返しになる。ただし私たちの仕事の場合は、授業を受ける側が変わる。つまり状況が変化するのだ。学生にとってはそれを初めて聞くことになるから、それなりに新鮮な顔をしている。少なくとも私にはそう見える。それが刺激になって、ようしやるぞーっ≠ニいう意欲が湧いてくるのである。それに、生きていると、とにかくいろんなことに遭遇する。そんな体験の中から、これはあの話をするときのネタになるぞ≠ニ思うと、それをメモしておいて次の機会に試してみる。たとえささやかなネタであっても、それによってワンパターンの内容≠ノ変化≠導入したことになる。それなりの反応が出れば、それでけっこう満足できる。つい先だって、出張でホテルに泊まったときおもしろいことが頭に浮かんだ。私はホテルの部屋の中では裸足で過ごす。その方が気持ちがいいという単純な理由からだ。そこで部屋から出るときは、まず靴下を履いて、ズボンに足を通す。それから最後に靴を履く。 |
Ghost writer(09/11/11 水-2456)
ブッシュ大統領の不人気もあってか、最後はオバマ氏が大勝利を飾った。そのときのキーワードとして、アメリカ人にはChange≠ェ目がくらむような輝き放っていたのだろう。このままではまずい≠ニいうことである。さてさて、アメリカの現状とこれからについての素人論評≠ヘとりあえずおいて、オバマ氏の訴えが強烈な説得力を持ったわけだ。多方面から、オバマ氏は演説が上手だと評価されている。それが選挙の勝利にも大きく貢献したというわけだ。それはたしかだろうが、これに関係して、アメリカにはおもしろい職業がある。いわゆる
speech writer である。これは別名 ghost writer ともいうが、アメリカの職業ベスト30≠ナ人気の高い職業のトップレベルにあるという(杉田敏
NHK実践ビジネス英語テキスト10月号)。就任演説と言えばケネディの大統領のものが歴史に残る高い評価を受けている。ただしこのときも、Theodore
Sorensen というライターがいたという。この仕事では本人とのインタビューを通して、いかに説得力のある文章を書き上げるかが決め手になる。したがって相当に高収入のプロもいるのだそうな。そんな話を聞くとなあんだ、プロが書いたのを読んだのかあ≠ニちょっとばかりがっかりする。しかし、まあそのあたりは仕事の分業でもある。そもそも原稿≠フ趣旨や方向付けは本人が決めるのだから、他人が書いた台本≠ニいうわけでもない。さらに、それをもとに実際に演じる≠フは本人である。このときに当人の実力がなければ迫力が出てきないことは明らかである。ところで、わが新政権も官僚の書いたものは読まない≠ニ張り切っている。その心意気は頼もしいが、個人が自力だけで作文≠キるのも大変だ。 |
いろいろオムライス(09/11/10 火-2455)
New York Timesに取り上げられた日本橋のたいめいけん≠セが、さすがにオムライス′nだけでも盛りだくさんある。その1つはオムハヤシ≠セろうか。その内容は何となく名前から想像できる。ホームページによると、トロトロ半熟卵のオムライスにハヤシソースをかけた≠烽フだとあるから、想像通りだろう。これが1,850円也。また芝海老のオムライスもあって、こちらはピリ辛いトマトソースで仕上げて=Aやはり1,850円である。その他、牛肉のオムライス
−ガーリック風味−∞タンポポオムライス≠ネんてのもある。前者はデミグラスソース≠ナ食するらしい。ソースそのものがどんなものかわからない。現在の時間が朝の4時40分だから、家内に聞くわけにもいかない。そこでウィキペディアで引いてみると、ポークチョップの写真入りで解説されている。そもそもはフランス語で、本来はドミグラス≠ニ言うんだそうな。フランス語のde≠ヘof∞from≠ノ対応する前置詞だ。たしかに自転車競技のLe
Tour de France≠ヘツール・ド・フランス≠ニ呼んでいる。ローマ字ではde≠デ≠ニ読むから、そうなったのだろう。いろいろと勉強になりますねえ。後者のタンポポ≠ヘ伊丹十三風≠ニある。チキンライスにのせたオムレツを開いてお召し上がり下さい≠ニ紹介されている。ホームページには写真が載っているからイメージはしっかりわかる。ただし、伊丹十三のタンポポ≠ヘラーメンだった。それがオムライスに飛んだところは少しばかり飛躍している。まあそれはそれで楽しい。ここで細かいことを追求しても仕方がない。おいしく食べればそれが一番。牛肉∞タンポポ≠ニもに1,850円だそうですよ。 |
Change≠フ予感(09/11/09 月-2454)
オバマ氏はChange≠ニYes, we can≠ナ大いに売った。どう考えてもオバマ氏の影響力と私をのそれを比較すれば月とすっぽん∴ネ上の差がある。もうすぐ来日するらしいが、オバマ氏に私の方が先だぞ≠ネんて訴えるchance≠烽ネい。というわけで、私としてはこのコラムで叫んでいるしか手はないのである。それにしてもオバマ氏のThe
Change≠ヘアメリカにとって本当のchange≠ノなる可能性があるのではないか。それはオバマ氏が言うところのプラス≠ナはなくマイナス≠フ方向へのchange≠ナある。ベルリンの壁が市民たちによって破壊されはじめたのが1989年11月10日である。いまからちょうど20年前の出来事だ。これによって東西冷戦が終結した。そして1991年末にはソビエト連邦≠ェ消滅する。その後は知っての通り、アメリカが地球上で唯一の超大国≠ニされ、その力を誇示してきた。それは自他共に軍事的にも経済的にも圧倒的なパワーを持った超大国だった。少なくともそのように見えた。しかし、それから20年が経過して迎えたのが今回の事態である。アメリカは国ごと借金大国になってしまった。しかもイラクやアフガニスタンなどでの軍事支出はとどまることなく、すでに天文学的な額に達しているはずだ。経済も順調のように思えたが、それも借金漬けでも消費する≠ニいうアメリカ人の消費傾向によっていたのである。その上、金融工学≠ネのかどうかは知らないが、元手がなくても金が動かせるようなものが国中を席巻した。今となっては、それは文字通り砂上の楼閣だったわけである。しかしその影響は甚大で世界中が大混乱に陥った。そんな中で、ブッシュ・ジュニアの評価は地に落ちていく。 |
リーダーの責任(09/11/08 日-2453)
毀誉褒貶(きよほうへん)≠ニいうことばがある。毀≠ヘ、そしる≠ナ誉≠ヘほめる=B褒≠熈ほめる=A貶≠ヘそしる≠ナある。つまりはそしったりほめたり、ほめたりそしったり≠ニいうことだ。一般的には世間の評判である。毀誉褒貶、相半ばする≠ニいった言い方をする。褒める人もいれば悪く言う人もいる。野球の野村一也氏などはどうだろう。毀誉褒貶≠ェ相半ば≠オているか、それともどちらか≠ェ多いか。少なくとも仙台の楽天ファンには大いに誉褒≠フ野村さんに違いない。それはともあれ、札幌ドームで敗戦後に胴上げされたシーンはいい感じだった。そしてラストのコメントも心に残るものだった。後任の監督に対して聞かれて余計なことを言うと次の監督に失礼≠ニ応える。そりゃあそうだ。いろいろ言いたいことはあっても、キリが付いたら余計なことを言ってはいけない。もっとも、監督は他のことではいろいろ仰っていましたが、後任監督については発言しなかったのだろう。それが礼儀というものだ。もうひとつ。実力に差はないんだけどメンタル面での教育が大事だなあ=Bそうなんだろうなあ。何といってもプロだから。ソフトバンクの松中選手なども力は十二分にあるはずである。しかし、ここぞというチャンスでなかなか打てないところがある。これなんかどう考えてもメンタル面での影響が大きいのだと思う。われわれ凡人も同じこと。いざというときに落ち着いて対応できるか。もう一つ、最後のコメントがとくによかった。人間何を残すかが大事。人を残せた点ではよかったと思う=Bそうなんです。世のリーダーは自分だけが目立ってサヨナラではいけない。きちんと人を育てて残すことが大きな責任なのだ。 |
オムライスの老舗(09/11/07 土-2452)
New York Timesに掲載された日本のyoshoku(洋食)≠ノ関する記事にはカラー写真が付いている。そこそこの年齢の男性サラリーマンが二人いて、ウエイターがオムライスを持ってきたばかりといった雰囲気である。お客の一人が大きな皿に載ったオムライスをカメラに向かって見せている。お店の名前はTaimeiken≠ニある。さっそくホームページで検索してみるとすぐに出てきた。東京日本橋のたいめいけん≠ナ創業が1931年(昭和6年)というからかなりの歴史だ。そもそものルーツは泰明軒≠轤オいが、現在はひらがなのたいめいけん≠ノなっている。お店の1階がカジュアルな洋食レストラン≠ナ、2階は本格的な洋食レストラン≠セという。New
York Timesに掲載された写真は明らかに1階の方である。ランチ時にはここが盛り上がるに違いない。ホームページには創業以来の味をお手頃な料金でお楽しみ頂けます≠ニある。そこでメニューを見ると、さすがにオムライスだけでもいろいろある。まずは素朴なオムライス≠サのものが
1,650円である。ハムライスを卵で包んだスタンダードなオムライス≠ニいう説明が付いている。それにしてもオムライス≠フみと考えれば、1,650円はお手頃な料金≠ナもない。今どきのサラリーマンのランチはワンコインの500円時代に突入しているという情報もある。その3回分以上のお値段では、かなりの覚悟が必要だろう。そう言えば、掲載された写真の隅っこにご婦人が写っている。ひょっとしたらこちらの皆さんの方が主流のお客様たちなのかもしれない。それでもサラリーマンがオムレツを食べている方が画になる。そんな思いでNew
York Timesは二人を被写体に選んだのかもしれない。 |
Change≠フお株(09/11/06 金-2451)
それにしてもコミュニケーションはむずかしい。世の中には100%完璧なんてことはほとんどない。だからこそ想定外の事故も起きる。ただし組織で起きる事故≠ヘ想定内のことが多いけれど。ともあれ、人と人とのコミュニケーションは完全には伝わらない≠ニいう前提で対処した方が安全だ。これは決して悲観的な気持ちで言うのではない。現実がそんなものだと認めるだけのことである。前期の授業でもおもしろい体験をした。私は授業や研修でCha,Cha、Chaで行こう≠ニ頻繁に呼びかけている。もともとは、Challenge
the Chance to Change yourself≠ニいうフレーズを考えて、その頭3文字のCha,Cha,Cha≠強調するわけだ。これに関連しては、本コラムの2003年5月10日まで遡る。人はなかなか変わらない。それよりも自分が変わるチャンスに賭けよう=Bと訴えた。しかも、そのことをいやいや≠セと考えてはうまくない。あくまでChance≠ノするのである。自分の考え方や行動が変われば、世の中の見方も変わる。それだけではなく、まわりの人だって変わってくれる。そしてそれによって自分も気持ちがよくなるという話である。まさに情けは人のためならず≠ネらぬ、changeは人のためならず≠ネのである。そんなわけで私はchange≠少なくとも6年以上前に言っているつもりでいる。いやそれより以前に拙著「人間理解のグループ・ダイナミックス」でも組織の活性化のキーワードは「変化」であることを強調していた。出版は2001年である。ころが、ここにきて思わぬ伏兵が出現した。バラク・オバマ氏である。彼はChange≠大いに売りまくった。そんなわけでお株をオバマ氏に奪われてしまった。 |
謝らない誤り≠ヘ不滅です?(09/11/05 木-2450)
11月1日だったか、居間に行くと家内がテレビを見ていた。ちょうど1週間のニュースネタを集めた番組の最中だった。画面には耐震化した住宅の実験が映っていた。かなり巨大なドーム状の施設の中だったが、それがどこのものかは知らない。このニュースの結論ははっきりしていた。耐震の手当をしたものとそうでない2階建ての木造家屋が2つ置かれている。「3,2,1」の秒読み後に土台が揺れはじめる。そして、一方の家が見事に倒れるのである。もちろん、耐震補強をした方が倒れたからニュースになったと言うべきか。その倒れ方がこれまた凄まじかった。まあ、誰が見ても実験は失敗したわけだ。一瞬、周りで見ている関係者たちの映像も流れたが、唖然と言うか沈黙というべきか、その心情は大いに理解できる。人間なんだから失敗だってあり得るじゃあないか。種子島から打ち上げたロケットだって、けっこう失敗した。大金を食ってと冷たい目で見られたが、このごろはかなり順調のようだ。その方がいいとは言わないが、開発とはそんな面もあるものだ。ところが、ところがである。実験後の記者会見がいただけない。失敗じゃないですか≠ニ聞かれた担当者がyes≠ニ言わないのである。正確な言葉は画面とともに流れていったが、どちらも結局は倒れた≠ニいったニュアンスの発言をしていた。あれはどう見ても耐震補強していた方が見事なまでに倒れた。ただそれだけのことなのである。まったく予想外の失敗でした。もちろん、その原因に付いてしっかり分析します=Bたったこれだけのことがどうして言えないのだろうか。謝らない誤りを犯してはいけない=B私は以前からこう言っているのだが、今回も大いなる誤りを犯したと言うべきだろう。
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yoshoku(09/11/04 水-2449)
New York Times(日曜版)にyoshoku(洋食)≠ェ登場したのは2008年7月13日である。まずは、uni≠竍o-toro∞soba∞udon≠ェリストアップされる。いわば和食≠フ代表として、アメリカ人の多くが知っているのだろう。これに続いて、Napolitan∞menchi
katsu∞omu rice≠ェ並ぶ。これって何≠ニいうわけだが、それぞれに説明がついている。曰く、冷水でゆすぎ、野菜と一緒にケチャップに入れてさっと炒める≠フがナポリタン=B英文の方にも?≠ェ付いているから表現に困ったということか。それとも、何なの、それって≠ニ言いたいのか。メンチカツ≠ヘパン粉をまぶしたハンバーグをしっかり揚げる=Bさらにオムレツ≠ヘケチャップで味付けた米をオムレツで覆う≠ニいう調子だ。オムレツはもととも卵の料理で米とは関係ない。このあたりは料理をご存じの方には常識なのだろう。私としては解説に責任は持てない。ここでわが国の洋食についての起源が語られる。開国を迫られた日本は西欧諸国から産業や軍事のノウハウを吸収することにエネルギーを注ぐ。いわゆる追いつけ、追い越せ≠フ精神だが、まだとにかく追いつけ≠フ段階である。欧米人と出会ってみると日本人はじつに短身である。これまた経済や軍事に負けないほどの大いなるショックだった。そこで、体の面でもキャッチアップするために、洋食を食べ始めたという。えーっ、そうだったんですかあ。知らなかったなあ。まあ、そんなこともありそうな気はする。そしてNew
York Timesは続ける。とくに戦後の数十年で洋食の流行が頂点に達する。それは母親たちにとって伝統的な和食よりも洋食の方が簡単に作ることができたからである。 |
制服の効果(09/11/03 火-2448)
コスプレ(cosplay)≠ヘすでに英語になっているようだが、このごろはフランスなどヨーロッパでも流行っているらしい。そしてanime≠セって堂々たる英語になっている。これはいわゆる漫画ではなく、日本的なアニメ≠フことを特定しているのだ。そんなわけで本家本元だからというべきか、国会でアニメの殿堂§_争まで行われるお国柄なのである。ともあれ、いわゆる服装も非言語的コミュニケーション≠フ主役というわけだ。看護師のことを白衣の天使などと呼ぶ。このごろは必ずしも白衣≠ニは限らないが、あれもいわゆるコスチュームであり、患者にとっては大きな影響力を持っている。たとえば、白衣高血圧≠ニ呼ばれる現象がある。家にいるときに血圧を測ると正常でも、病院の医師や看護師の前に行くと高くなる人がいるらしい。いわば白衣≠見た途端に緊張感が高まるためだという。ところで、このごろは多くの病院で看護師がナースキャップを付けなくなった。ナースキャップが衛生上よろしくないということで廃止されはじめたのだそうな。医療機器などに触れて困るということもあったようだ。また、白衣≠ナはなくピンク≠ネどもある。いずれにしても、清潔感はもちろんだが、患者が安心して病気をしっかり治そうという気持になる。制服はそうした点で大いに意味があるのだ。まさに口では言わない非言語%Iな影響力を持っている。車だってパトカーや救急車はそれなりのコスチューム≠装っている。救急車もいろいろあるらしい。わが3歳の孫君は高規格救急車≠ワで識別できる。私なんぞはどれもが同じ救急車に見えるのだけれど、大いに違うらしい。悪いことをしていなくてもパトカーを見ると緊張する人もいる。 |
ネガティブキャンペーンのネガティブ効果(09/11/02 月-2447)
8月の選挙がらみの話題をいろいろ取り上げてきた。しまいには麻生さんの演説に対するアドバイスにまでいった。ご本人から言わせれば大きなお世話≠ノちがいない。しかし、それにしても街頭演説のニュースを見ているとブレーンはいなかったのかと言いたくなる発言が気になった。しかも、最後はネガティブキャンペーンに走った。アメリカではこれが盛んだそうな。とにかく相手の悪いところを強調し、それを攻撃するのである。それも政策の弱点などではなく、かなり個人的な内容にレベルダウンする。今回の選挙では与党側が必死になってネガティブキャンペーンをしていた。少なくともそう見えた。もうどっちが与党でどっちが野党なのかわからない状況までいった。与党側の方が横綱相撲を取れなくなっていた。とにかく勝つためには何でもありというわけだ。これでは品格も何もあったものではない。白鵬や朝青龍が足取りなどしたら大顰蹙を買うだろう。とくに子どもを使ったネガティブキャンペーンはまずかった。たった1回しか見ていないので細かいことは言えないが、とにかく選挙のネガティブキャンペーンに子どもを使ってはいけない。教室の窓ガラスを誰が割った≠フかと子ども同士が追及し合う。一人の子が秘書が秘書が≠ニ言い訳をする。これに対して子どもたちが冷たい目で見る。言い訳なんて見苦しいぞと訴えたかったわけだ。しかし、あの映像を見てまるで陰湿ないじめの勧めではないか≠ニ感じた人だっているのではないか。あのときにさすがにこれはまずいですよ≠ニ制止するブレーンはいなかったのだろうか。それに党の責任者たちも内容に対してOKを出していたのだろうかと疑問に思う。それほど余裕がなかったということなのか。 |
Cosplay(09/11/01 日-2446)
人と人とのコミュニケーションでは言語≠ヘ重要な役割を果たすが、非言語≠熨蛯ォな力を発揮する。目は口ほどにものを言い≠ネどはその代表例である。身振り手振りのジェスチャーも相手に対する印象づくりに影響を与える。私が子どものころは、外国人から日本人は表情がない≠ニいった評価を受けていると聞いた。能面のようだ≠ニ言われてもいた。私はいまも、そしてこれからも能楽なんぞは完璧に理解できないと確信している。しかし、それでも能面が無表情≠ニいうのは間違いなんじゃないですかと言いたくなる。能面が無表情≠ノ見えるとしたら、それは見る方の想像力と創造力のなさを暴露しているようなものだろう。しかも、その表情が見る側の心によって変化する。そこが凄くておもしろいのではないか。人間関係がうまくいっている人の表情はいつも豊に見える。ところが苦手な相手だと何となく嫌な性格をしているように感じてしまう。その人だって、いい関係を保っている仲間から見ればやさしく温かい表情だと評価されるだろう。何でもかんでも心の持ち方≠セと言ってしまえば、すべてがそれでおしまいになる。たしかにそうではあるけれど、対人関係は心≠フ視点を大事にすることで改善することもできるのである。ところで、非言語%Iなものはジェスチャーだけではない。人が身に着けている服装なども他人の行動に大きな影響を与える。漫画の登場人物の衣装などをまねて着るいわゆるコスプレというものがある。コスチューム(costume 衣装・仮装)を着て遊ぶ(play)というわけだ。すでにcosplay≠ニいう英語にもなっているようで、Wikipediaに載っている。costume
roleplay≠セから役割演技≠ニいうことだ。 |
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