冷静報道の理由…(09/10/09
Fri-2423)
自民党総裁選挙に関するマスコミの報道が冷静≠セった。この私の評価が当たっているとすれば、その要因のひとつに郵政選挙の際に乗りすぎた≠ニいう反省があったのではないか。衆議院を通った郵政民営化法案が参議院で否決された。これに対して小泉首相は衆議院を解散する。もう一度衆議院で可決しようというわけだ。そんなのってあり≠ゥと思うのだが、小泉氏のときは何でもあり≠セった。なにせ人生いろいろ≠ネのだから、政治でも何でもいろいろあり≠セったのだ。しかし、これが妙に受けた。ご本人が命名したのかどうか知らないが、21世のこの世の中に刺客≠送ったのである。まるでチャンバラ映画だ。これがまた選挙劇場≠おもしろくした。地球がひっくり返っても落選はしないような人たちが苦戦する。ひょっとして刺客の手によって命を落とすかもしれない。これほどおもしろい<Xトーリーは下手なドラマなんかとてもかなわない。こうした演出をマスコミが大いに盛り上げた。もちろん、マスコミだけを責めるわけにはいかない。それに乗って与党に2/3の絶対多数を獲得させたのはわれわれ有権者である。いずれにしても、郵政選挙は自民党に猛烈な追い風になった。ただし、それはそれまで通りの自民党≠ノ対する追い風ではなかった。すでに本コラムでも触れたが、このときもキーワードは変化≠セったのである。ともあれあのときの結果を見て、マスコミ側もちょっとやり過ぎちゃった≠ニ思ったのではないか。マスコミ自体が小泉氏に乗せられた≠フである。そして今度はそうはいかないとばかり、昨年の自民党総裁選挙を冷静≠ノ扱った。そんな感じがするのである。これが麻生氏にとって大誤算だったのではないか。 |
総裁選と報道(09/10/08
Thu-2422)
昨年9月に自民党総裁選挙の街頭演説が行われたとき、熊本は火傷するような暑い日だった。そんなわけで、石原・小池氏の話は聞いたが、3番目の麻生氏が登壇したときデパートに避難した。デパートに入るまでは麻生氏の声が遠くで聞こえていたが演説内容は知らない。それから与謝野氏と石破氏が話したはずである。街頭演説は北からはじまって、九州は終盤だった。ともあれ5人は全国を廻っていったから、各地のメディアはもちろん、全国ニュースでも取り上げられた。これはまさに自民党の大コマーシャルである。このときは個人的な評価は別として、自民党支持者だけでなく世論全体が選ばれるのは麻生氏に決まっていると考えていた。だから全国で繰り広げられる街頭演説は自民党のPR以外の何ものでもなかった。この勢いでドーンと解散に持っていけば間違いなく勝てる。自民党関係者はそう信じていたに違いない。たしかに郵政選挙で獲得した296議席は相当に多かったから、その反動もあって減少は覚悟していただろ。それでも勝ちは確実≠ニいうのが自民党側の読みだったはずだ。少なくとも福田首相は、そう読んで突如として辞任したのだと思う。私も総裁選挙≠ェその後の総選挙に大きな影響を及ぼすと予想した。ところがである。おそらくところが≠ネのだが、マスコミが総裁選挙を思ったほどには盛り上げなかった。それは私の主観だと言われればそれまでのことである。しかも昨年から1年以上が経過してしまったからなあるほど≠ニ思ってもらえるようなデータもない。しかし、とにかく私は過去の総裁選挙の報道と比べるとマスコミはかなり冷静≠セという印象を持った。自民党の立場から見ると冷たい≠ニすら感じられたかもしれない。 |
イメージと実像(09/10/07
Wed-2421)
カリスマ的人物≠ヘ創られた♂ツ能性がある。その人物に対する感動を呼ぶようなエピソードが世の中に流される。しかしそれが意図的な情報操作だったりするのだ。そんな手立てで創り上げたイメージを使って人を動かしてはいけない…。さて、ずいぶんと遠回りになったが、衆議院選挙がらみの話題の続きとして時計を昨年の9月にまで戻すことにしよう。あの自民党総裁選挙の街頭演説会である。私は熊本でそれにたまたま出くわした。最初の発言者は石原伸晃氏だった。彼は演説がうまくて説得力があったが、させていただく≠多用するのが気になった。ここまではすでに9月15日に本コラムに書いていた。その石原氏に続いて小池百合子氏が登壇した。テレビの印象から歯切れがよくシャキッとしているだろうと予想していた。その少し前には防衛大臣を勤め、事務次官と差し違えた大物である。その後、事務次官の接待問題が発覚し小池氏は相対的に株を上げたのではないか。そんな前提で演説を聴いたのだが、私の主観的評価では思ったほどは迫力がないなあ≠ニいう印象だった。前の石原氏と比べると、淡々と話しているようにしか見えなかった。その実像はテレビなどの情報をもとにした私のイメージとは相違していたのだ。これには意外な感じがしたが、世の中はそんなものなんだろう。あんたが勝手にイメージを創っていただけよ≠ニ言われればそれだけの話である。そうなると、あの田中真紀子氏などはどうなんだろうか。あちらの場合は父親譲りのガラッパチ風だから、映像と同じくらいの迫力があるのかもしれない。ただし人の悪口だけに終始していては、おもしろくはあるが、政治家としては限界がある。やはり政治家は政策で感動させないとまずい。 |
ミニ<Jリスマ(09/10/06
Tue-2420)
カリスマは「超人的な資質」であり、人物そのものを指したことばではない。そうした資質を持っている人間がその人物を崇拝する人々を支配する。これを社会学者のマックス・ウェーバーはカリスマ的支配≠ニ呼んだ。ウェーバーによれば、このほかに伝統的支配≠ニ合法的支配≠ェある。私自身は世のリーダーはカリスマ的な支配をしてはいけないと考えている。それは実像≠ノよる影響力ではなくイメージによる支配だと思うからだ。彼らは一般の人々の目に触れることがない。目の前で見る機会があったとしても、その状況は熱狂する大群衆の中であることがほとんどだ。そして祭壇のような高所に立ってえもいわれぬオーラを発する。彼らは無言のこともある。誰もその声を聴いたことがない。そのこと自身がさらにカリスマ性≠強化する。これで人が動かされるのだからカリスマ的支配≠ヘものすごいものだ。それはきわめて情緒的なレベルで人の心を支配する。その姿を見ることすらむずかしいカリスマ支配者≠セが、ひょっとすると彼ら自身が作り上げられた虚像≠ゥもしれない。本当はごく普通の人間なのに、それを利用している人間たちがいる可能性もある。自分たちの都合のいいように世の中を支配しようと企む連中である。いずれにしても現実のリーダーは目に見える∞声が聞こえる∞手で触れられる$lたちであってほしい。そこで私としては、リーダーにはカリスマ的≠ナはなくミニカリスマ的♂e響力を発揮してもらいたいと思う。ミニカリスマ≠ヘ人々に対して見える∞聞こえる∞触れられる≠フ条件を備えていなければならない。その上で、周囲の人間たちからこの人はすばらしい≠ニ評価されることが大事なのである。 |
組織の中のイメージ(09/10/05 Mon-2419)
鏡が実像≠ナないからといって、その価値が失われることはない。鏡は私たちの生活になくてはならない大切な道具である。そこに映った自分の姿を見て姿勢を正すこともできるのだ。ここで大事なのは鏡が持っている限界を知った上でそれを上手に使っていくことである。テレビや新聞を通じた情報に対しても同じような考え方で受け止めるといい。いずれにしても、世の中にあふれる情報をもとにして私たちは人や物や出来事についてのイメージを創り上げていく。もちろんそれは政治家やタレントのように直接的に会うことがない対象に限られたものではない。私たちが所属している組織でも、その規模が大きくなればメンバーの大多数はトップとことばを交わす機会などほとんどない。それこそ大企業の場合など、年度初めの挨拶などで見る≠アとはあっても会う≠アとはないだろう。こうした状況ではイメージ≠ェ持つ影響はきわめて大きい。それは必ずしも実像≠ニ一致していることもあるだろうが、そうでないことだってあるに違いない。組織のトップが構成員から持たれているイメージが悪くても、それが実像≠ナあれば自業自得ということになる。しかしそれがとんでもない誤解を含んでいるとすれば、何とかしないとまずい。だからとくにトップの人間は、自分が組織のメンバーからどのように見られているかについて正しい情報を得る必要がある。ところでリーダーシップを取り扱う理論の中にカリスマ%Iな影響に焦点を当てたものがある。カリスマ(charisma)はもともとギリシャ語で「神からの賜り物」という意味がある。それは英雄や予言者が持っている「超人間的・非日常的な資質(電子版広辞苑)」である。その力が人々に大きな影響を与える。 |
実像≠ニ虚像(09/10/04
Sun-2418)
私たちは人物はもちろん物や出来事など様々な対象について、すべての情報を手にすることはできない。そこで限られた情報から全体像を判断せざるを得なくなる。そうした一部の事実≠ェ組み立てられてイメージ≠ェ出来上がる。そしてそれが私たちの行動に影響を与えるのである。こうした過程は商品を選ぶ購買行動にも当てはまる。だからCMには人気タレントが使われる。プラスのイメージをもっているタレントが勧めれば、それが製品やサービスそのものの望ましさに繋がる。彼らは文字通りイメージキャラクター≠ネのである。私はイメージが虚像≠セと言うつもりはない。しかしそれはすべての情報を基礎にした実像≠ナはない。現実に根付いた責任ある行動をとろうとするのなら、この点はしっかり押さえておきたい。ところで虚像≠ニいえば、中学生の理科で実像≠ニ対比して習った記憶がある。平行に入ってきた光は鏡面に反射して焦点に向かう。また焦点を通る光は鏡に当たると平行に戻っていく…。あれから半世紀近くが経過しているのにけっこう憶えているものである。そう思うと嬉しくなってしまった。朝からキャッキャ≠ナある。ともあれ鏡に映るのは典型的な虚像の例である。実像≠ニ虚像≠フ違いはすぐにわかる。実像は自分の手で触れたりつかんだりすることができる。まさに実際の像≠ネのだ。これに対して虚像≠ヘ直に触れることもつかむこともできない。鏡に映った自分の顔に手を当てようとしても、冷たい鏡の表面に触れるだけである。それに誰もが知っているように、鏡は左右が逆に映る。そもそも人間の顔をよく見ると右と左は称対になっていない。そのため、鏡に映った顔は他人が見ているそれとは印象が違っている。 |
限定情報とイメージ形成(09/10/03 Sat-2417)
8月30日に行われた選挙は多くの話題を呼んだ。それは私が専門とするグループ・ダイナミックスの視点から見てもじつに興味深いものだった。そのため8月最終日から9月22日まで、本コラムにあれやこれやと書き続けたのである。それが静岡への出張をきっかけに話題が切り替わった。そこで、またぞろ9月の22日にまで戻って、もう少し分析を続けさせていただきたい。まずは有権者が抱く政党や候補者のイメージと投票行動との関わりからはじめよう。われわれが直接的に候補者と接触することは皆無に近い。また組織としての政党は制度的には存在しているのだろうが、有権者にとってその実態は漠としている。テレビや新聞に出てくる人物や本部の建物だけが党ではないはずだ。しかしそれ以上の情報はほとんど得られない。いろんな政党のメンバーから構成される委員会に出席している民間人を存じ上げている。この方のお話だと、検討の対象になる課題についての議論の中で、議員がしっかり勉強していることがわかるという。その内容によっては超党派で真剣に考えようという雰囲気もある。ときにはもっとしっかり整理していただかないと法律にはできませんよ≠ニいった厳しい指摘も受けるのだそうな。もちろんそれは望ましいこととして評価されているのである。どうもこの手の情報はわれわれに届きにくいようだ。マスコミで見る政治家は、国会では元気がいい者はヤジを飛ばし、疲れやすい体質の人間は居眠りをする。夜は夜で料亭での密談にエネルギーを費やす。自分たちの利害だけに執着し、権力闘争に明け暮れる…。まあそんなマイナスのイメージしか浮かんでこない。そうした情報をもとにして、われわれは政党や議員のイメージを創り上げていく。 |
袖触れ合う一期一会(09/10/02 Fri-2416)
衆議院選挙が終わった翌日の8月31日から、選挙がらみのネタを取り上げていた。それを9月21日まで引っ張っていた。いつものことながら続けすぎである。そんな思いがあるときに静岡へ出張した。そこでタイトルが盛りだくさんの1日≠ニなって、内容が変わった。9月22日のことである。はじめは静岡へ行く際にJR品川駅で遭遇した女性の話題だけを書くつもりだった。しかし、それがグリーン車のお坊さんへと広がり、ついには出張から帰路の新幹線や羽田のパン屋さんまで話題が広がった。先月末の30日には孫≠フ話題にしたが、それを挟んで盛りだくさんの1日≠ェ昨日まで続いた。もういい加減にしないといけないが、最後に一期一会≠フ思いだけは書いておきたい。品川駅の新幹線の駆け込み女性∞グリーン車のお坊さん≠ヘ言うまでもなく、われわれが出会う≠ルぼ100%が、もうそれっきり2度と会わない$l々である。しかし、それぞれの人が自分と同じように生きて≠「る。もちろん生き方≠フ内容はみんな違うけれどとにかく生きている。それはあたりまえのこと、人間がいっぱいいるのだから≠ニ言われればそれまでではある。しかしわれわれは希少なもの≠大事にするではないか。一生に一度きりの出会い≠ネんて、ダイヤモンド以上に希少だ。そう思うと、自分とは違う人たちを見ているだけで人生いろいろだなあ≠ニ楽しくなる。街角で寝込んでいる人を見たときは楽しさ≠ネんて感じない。どうしてそうなったのだろうか、何とかならないものか≠ニ思う。袖触れ合うも他生の縁≠ニいう。とにかく一期一会≠フ気持ちで世の中を見る。それだけワクワクする。明日からまたぞろ選挙がらみの話に戻ろう。 |
パンとタバコ(09/10/01
Thu-2415)
静岡から帰りの新幹線は自由席に乗った。何といっても大型連休中の移動である。当然のことながら指定席を取っていた。例によって通過する新幹線が見たくて早めに駅へ出かけた。ひかり≠ェ先に来たが指定席はかなり込んでいた。それに対して自由席の方はそれほどでもない。私が予約しているのは10分ほど後のこだま≠ナある。こちらは各駅停車でなおかつ自由席の車両が多い。そこで自由席に該当するところへ行って待つことにした。指定はDだから2列の通路側だ。先発した電車の状況から推測するとけっこう多いのではないか。そんな推測である。結論から言うと判断は大正解だった。自由席はかなり余裕がある状態で静岡駅に着いた。東京が近づくにつれてすべての座席に1人は座る程度に込んできたが、まあその程度であった。何といっても東海道新幹線は本数が多い。しかもJR東海仕様の列車はすべて16両編成である。そのせいか、さすがに座席に余裕があった。ただしこの状況は地方とは違っているかもしれない。正月と同じではないにしても首都圏の方が人がいなくなって、地方都市の方が人がワンサカいるということなのかもしれない。そういえば品川駅構内を歩く人の数も通常の時期よりは少ないような気がした。もちろん、客観的に比較ができるほど品川あたりをウロウロしているわけではないけれど。ともあれ、往路と逆のコースで京急に乗り換えて羽田へ行った。この日も夕食が重くなりそうなのでサンドイッチとミルクにした。モノレールの改札口にPascoというパン屋さんがある。ここのパンはなかなかおいしい。ゆっくり食べながら喫煙席の方を見た。パンを口に入れて食べながら同時にタバコを吸っている人がいる。まことにせわしない。 |