Back Number

 

味な話の素

 No.77 200910月号(2415-2445

 


 

電気自動車と技術力09/10/31 Sat-2445 
New York Timesで豊田市のハローワークが取り上げられた。半世紀以上をかけてアメリカを追いかけ、TOYOTAがついにGMを超えたのは昨年だったか。生産も売り上げも世界一である。ところがその途端に世界不況が襲ってきた。個々の人生と同じなのだろうか、世の中はなかなか思うとおりにはいかない。トップに立ったその瞬間に今度は自分たちが同じ運命をたどる可能性を認識する必要がある。そんな趣旨のことを4月15日の本欄に書いた。インドでも超低価格の自動車が出始めたというニュースも取り上げた。それから半年、NHKが自動車革命≠ネる特集を放送している。このシリーズ物を見ているとその大波は急速に押し寄せていることを実感する。キーワードは電気自動車≠ナある。この車は言うまでもなく電気モーターで動く。つまりガソリンエンジンのノウハウがまったくいらない。素人ながら、ガソリンエンジンの開発には相当の蓄積がいると思う。いまから35年ほど前に、アメリカで厳しい排気ガス基準が設定された。いわゆるマスキー法と言われるものだが、これをホンダのCVCCエンジンが世界で初めてクリアした。ほとんどの会社が触媒を付けて何とかクリアしようとしたのに対して、エンジンの構造そのものに手を加えた画期的な発明だった。こうした歴史を作ってきた技術がモータでは不要になってしまう。モーターと車台とフレームを調達し、それらを組み立てると自動車が出来上がる。すでにインドや中国にはこんな会社があるという。いまは小さくて安価な車に限定されている。しかし、日本車がアメリカに本格的に輸出されはじめた40年くらい前はどうだったか。アメリカ人の目には、ちゃちで貧弱なおもちゃにしか見えなかったはずだ。
 

演説のアドバイス09/10/30 Fri-2444 
民衆の立場を大切にするというのが本来のポピュリズム≠セという。しかし、今日ではそれが転じて大衆迎合主義≠ニいったニュアンスで使われる。大衆が具体的に誰を指すのかはっきりしていない。しかしいずれにしても、このところの自民党では選挙に勝てるか勝てないか≠ェ党首を選ぶ唯一の規準になっていた。たしかに議会制民主主義だから選挙で勝たないと政策を実現することができない。それはそうなのだが、それにしても選挙なしで3人が入れ替わり立ち替わりでクルクル変わったから大衆≠烽、んざりしてしまった。もちろん国のトップが身近≠ノ感じられるのはけっこうなことである。ただし、それなりの品格も備えておいてほしい。もしも私が麻生氏のブレーンだったらどうアドバイスしたか。少なくとも生の顔を見た人≠竍亭主に100%を望む人#ュ言はお奨めしない。皆さん、マスコミなどでご存じかもしれませんが、私の家は経済的に恵まれ、私自身もこれまで恵まれた人生を送らせてもらってきました。本当にありがたいことだと感謝しています。そして正直なところ、経済的にもいろんなご苦労をされている皆さまの状況を十分に理解できていないと思っています。そうだからこそ、皆さんから何でもお伺いして、しっかり現実の生きた政策を実現していきたいのです。それが私の責任だと自覚しています。こうした気持ちでいま全国を回っているのです…=Bこんなアドバイスをしても、麻生氏は受け入れることはないだろう。そもそも頭を下げる≠アとがお嫌いそうだから、そんな自己卑下的なアプローチは取れるもんか≠ニ一笑に付されるに違いない。しかし、生顔≠竍亭主#ュ言に比べれば、まだ品格≠ヘ保てるのではないか。

 

紙の辞書09/10/29 Thu-2443 
英語の接頭語dis∴ネ外にもin≠竍im≠ェ反対、逆≠フ意味を持つものとして多用される。たとえば、correct:正しい、正確な≠ェincorrect≠ノなると、不正確な、間違った≠ニなる。日本語では不≠ェ付くが、不正確≠ヘ正確≠フ反対、逆≠ナある。さらにim≠フ例も山ほどある。possible:可能、できる≠フ反対はimpossible≠セ。こんなことを気ままに調べているだけでけっこう楽しくなる。とくに紙の辞書はひとつのことばを引くとその前後に同じアルファベットではじまる単語がワンサカと並んでいる。そんな単語たちについつい目移りしてしまう。調べようと思った単語の意味を確かめるやいなや周りの単語も見たくなるのである。im≠竍in≠ェ頭についたものはいくらでもある。電子辞書も出始めのころは単語全体を入力して決定キー≠押す仕組みになっていた。それがレベルアップして、いまではアルファベットを入力するたびに同じ文字からはじまる単語の候補が表示される。しかし、単語は見えてもその意味まではわからない。紙の辞書は単語の後に書かれている意味も一挙に視野に入ってくる。そこが堪らない魅力なのである。その一方で、大きな重い辞書を持って回るわけにはいかない。機動性を考えると、残念ながら紙の辞書の時代は終わったというべきだろう。大学でもほとんどの学生が電子辞書を持っている。私たちのころのように、机の上に紙の辞書が置かれていることはない。そもそも紙の辞書≠ニわざわざ断らなければならない状況なのである。その代わりというわけではないが、ペットボトルが机の上で大きな顔をしている。昨年のことだが、私自身が20代のときから使ってきたコンサイスを処分した。

 

ハローワークの行列09/10/28 Wed-2442 
New York Timesに豊田市が登場したのは、今年の510日である。じつはここで日付の訂正とお詫びをしておかないといけない。この話は25日(日)の続きだが、その際に掲載日を2008510日にしていた。そうなるとサブプライム崩壊前からTOYOTAが大スランプだったことになる。そう思って確認すると、それは今年2009年の間違いだった。本文は訂正せずに、ここで確認とお詫びをさせていただきます。単純なヒューマン・エラーでした。さて、その記事にはTOYOTAがスランプに陥って、市のハローワークに並ぶ人たちのカラー写真が掲載されている。1日に1000人以上の求職者が列を作る≠ニいう説明書きがついている。そもそも豊田市は第2のデトロイトを目指していた。そして、それが見事に実現したのである。たしかに前年の夏までは、会社は労働力不足で人を集めに集めまくっていた。そのためハローワークはガラガラ状態だった。しかしそれが一気に暗転したのである。ここでもまた第2のデトロイトになろうとしている。市民がそんな不安を持っている状況が伝えられている。いまだに忙しい唯一の場所はプリウス≠フ製造現場だけ。ハローワークの所長によれば、1月から3月までに8.042人が求職にやってきたという。これは1年前の同じ時期の133%アップである。そんな突然の変化のために、ハローワークの職員は休憩もなしに週6日間も働いているという。こんなに忙しかったことは、これまでありませんでした。これ以上に経済が悪くなったとき何が起きるか。そんなことなど考えたくもありません=B記事の最後はこんな所長の嘆きで終わっている。TOYOTA はついにガリバーGMを超えて頂点に立ったばかりであった。

 

演説の品格?09/10/27 Tue-2441 
麻生氏が熊本市内の街頭演説で亭主が100%信頼できる人…#ュ言をしたのは昨年の12月である。総理大臣になってから3ヶ月しか経過していない。そのときからすでに亭主信頼<oージョンが使われていたわけだ。さらにはじめて生の麻生を見た人∞テレビよりいいと思う人<oージョンも衆議院選挙が初めてではなさそうだ。たしかに、演説の枕は同じようなバージョンになるのはやむを得ないところがある。われわれ教師でも基礎的な情報を提供するときはほとんどワンパターンのギャグ≠混ぜ合わせる。それでも授業では聞く方が代わるからそれなりに鮮度が保てる。これに対してテレビなどで幅広く報道される政治家などは不利な立場にある。そんなわけで、同じフレーズ≠街頭演説の枕にしたのは仕方がないとも言える。しかし麻生氏の場合、その内容というかレベルについては大いなる工夫が必要だった。総理大臣の身近さ≠強調したいのはわかるが、それで品≠ワで落としてはいけない。亭主≠竍生顔<oージョンはまるでテレビのお笑いのアプローチだった。落語などでは、それが技≠ノまでなる。また私のような仕事をしている者であれば、このレベルのバージョンを使っても、聞いている人から受け入れてもらえるか、そうでなくても苦笑される程度ですむだろう。しかし、とにかく一国の総理大臣である。同じ身近さ≠アピールするにも品よく≠「きたい。政治のトップはポピュリズム(populism)≠ノ陥ってはいけない。このことば、本来は民衆の利益の増進を目的とする政治思想。既存の体制を批判し、知性に重きを置く立場を否定する≠ニいう(電子版スーパー大辞林)。そもそもはプラスの意味合いがあったわけだ。

 

ことば以外のコミュニケーション09/10/26 Mon-2440 
コミュニケーションはあらゆる人間関係の基礎にある。まずはことば≠ェ大事だが、ことば以外≠フコミュニケーションも人と人との関わりに重要な役割を果たす。英語ではことばによるコミュニケーションをVerbal Communication≠ニいう。verbal≠ヘことばの、口頭の≠ニいう形容詞である。これに対してことば以外≠フものをNon-Verbal Communication≠ニ呼ぶ。non≠ヘ日本語では非、不、無≠ネどにあたる接頭語である。反対、逆≠フ意味を持たせる接頭語disinim≠ネどとは異なる。こうしたことばの関係を知ることも楽しく、人生を豊にしてくれる。少なくともそんな気がする。regard:尊重する≠フ反対はdisregard:軽視する≠ニいった具合だ。私が20代のころ、経営学のトップスターだったドラッカー著The Age of Discontinuity1968)≠ェ出版された。この邦訳が断絶の時代=i上田惇生訳 ダイヤモンド社)である。邦訳が出たのが1969年だから、原著とほとんど同時出版≠ナある。これは当時として画期的なものだった。ドラッカーの著書の中でも最高の評価を受けている。わが国でも邦訳があっという間にベストセラーになった。大判の箱入りだが、私の父も購入した。いまは私の研究室の本棚に鎮座ましましている。ドラッカーの先見性については現在でも高く評価されている。ともあれ、20代の私には断絶≠ニいう強烈なことばが脳裏に焼き付いた。discontinuity≠ヘcontinuity:連続性、継続性≠フ反意語だ。辞書の訳では非連続≠ネので文字的にはdis≠ェ反対、逆≠ナはなく非≠ノなっている。しかし断絶≠セから意味的には反≠竍逆≠ニ受け止めてもいいだろう。

 

New York Timesの日本事情09/10/25 Sun-2439 
アメリカの債権を購入している最大のスポンサーは中国だ。だからアメリカは中国を無視することができない。ただし、2番目の債権国はどこかというと、それは日本なのである。しかし、わが国の場合はそのことを交渉のネタにはしてこなかったように思う。国際政治の詳しいことは知らないが、このあたりは中国が相当に上手のようだ。だからアメリカとしては中国のご機嫌も伺わないといけなくなる。また今年度から来年度にかけて、中国のGDPが日本を抜くことはすでに既定の事実である。アメリカが中国なしで生きていけない状況はさらに強化されることになるだろう。建国230年を超えたアメリカだが、これから20年ほど経過した250周年を迎えるときどうなっているのか。私の命は平均余命的にはギリギリのところだが、アメリカが国としてまともに存在し得ているのか。そんなSF的な空想まで催させる…。そのあたりは今後の話題として、とにかくこうしたアメリカの事情を考えれば、New York Timesの記事も中国関連が多くなったのは当然のことである。それでもわが国が忘れられたわけではなさそうで、やはりポツポツと話題にはなっている。ただし、かつての元気のいい日本ではなく、様々な問題を抱えた国というイメージの方が圧倒的に多い。そこで、昨年あたりからスクラップしていたものを紹介してみよう。そうした記事を読むとアメリカのジャーナリズムから見た日本の一面が伝わってくる。まずは2008510日の記事。トヨタの不振でホームタウンが危機に≠ニいった見出しで、ハローワークに並ぶ人たちの写真が掲載されている。ホームタウンとは豊田市のことである。トヨタが59年の歴史ではじめて赤字を出したことなどが書かれている。

 

笑いを取る街頭演説09/10/24 Sat-2438 
街頭演説で笑いを取ること自身は、それほど問題とは言えない。たしかに大衆との親近感が強まるだろう。麻生氏はそうした効果を意識して、生の顔を初めて見た人、手を挙げて≠ニテレビよりいいと思う人…≠定番にしたのだと思う。これは秋葉原のノリ≠一般の有権者に拡大したバージョンである。マスコミの情報から推測すると、麻生氏はこのセリフをかなり以前から街頭で使っていたようだ。たしかに生の顔…≠フ声かけは身近なおじさん≠ニいったプラスのイメージを大衆に持たせるとは思う。そのせいもあってか、選挙戦中はテレビでもこの一声≠ェ繰り返し流された。ただ、ここがなかなかむずかしいところである。何せ、一国の総理大臣なのだ。その発言であれば単に親しみだけではなく、もう少し品のいいアプローチであってほしい。品がいい≠ネどといっても曖昧だが、とにかく大衆受けだけをねらうのはどうかと思うわけだ。このほかにも麻生氏にはお得意のフレーズがあったようだ。それは、自分の亭主に100%を望んでいる人、手を挙げて≠ナある。その亭主≠ェ旦那≠セっかたどうか正確なところは知らない。ともあれ、このようなニュアンスの問いかけをして、やはり挙手を求めるのである。おそらく女性の多くが笑いながら手を挙げないのだろう。そこで、そうでしょ。何でもかんでも100%でないといけないなんてあり得ないんです≠ニ続ける。こちらも実際の表現は知らないが、こんな感じのやりとりをするのだ。この論法を使って、政府を批判する野党への反論にしていたようだ。私がこの発言をはじめて聞いたのは昨年12月のことである。麻生氏が長崎や天草を経て熊本市で街頭演説をしたときの様子が地元のテレビで流された。

 

New York Timesの日本09/10/23 Fri-2437 
昔のNew York Timesには元気な日本が取り上げられていた。何といってもバブルがふくらむ一方で、それがはかない泡であることを誰も認識していなかった。いや正確には警告を発していた人はいたのだろう。しかしそんな声はほとんど聞こえなかった。また物作りの会社が本業に徹して、土地や金融に手を出さなかった実例もある。しかし、それも少数派と言うべきか。実際の数はそちら方が多かったに違いないが、けっこう大きな会社がこれにわれもわれもと走ったのである。少々おかしいと思っても自分だけ他の動きをすることができない。これは個人も組織も似たようなものだ。とにかくものごとを外から見ることができなくなる。文字通りバブルで、株価にしてもとにかく右肩上がりだった。何せ1989年には日経平均株価40,000円は時間の問題だというところまでいったのである。この年の11月にはベルリンの壁が崩壊している。まさに20世紀の歴史に残る年なのだが、それは日本経済崩壊の序曲の年でもあった。そして日本の衰退を象徴するようにNew York Timesからも日本に関する記事が少しずつ減少していった、それに変わって中国を取り上げたものが徐々に増えはじめる。そうした状況の変化については、本コラムでも触れてきたが、その流れがすっかり定着した。ニクソンと毛沢東が握手をしたのは19722月のことである。とにかく不倶戴天の敵同士だと思われていた米中があっという間に手を結んだのである。そのときは日本政府への事前通知もなく、いわば蚊帳の外に置かれたのだ。それから40年以上が経過した。いまやアメリカは中国なしでは生き残れない状況になってしまった。何といってもアメリカの債券を買っている最大の国は中国なのである。

 

イメージ戦略09/10/22 Thu-2436 
麻生氏が秋葉原で受けた≠ニころまではイメージ作戦は成功していた。しかし、それにしてもマスコミの力はものすごいと思う。一般庶民はそもそも麻生氏が漫画好き≠セということを知る状況にない。車の中に新刊の漫画雑誌を置いている事実などわかるはずがない。氏のいわゆる側近や親しい友人は別にして、その行動を身近に見たものなどいないのである。それではその情報は誰が伝えたか。いの一番がどこなのか知らないが、間違いなくマスコミである。政権与党の有力な政治家がじつは漫画が大好き≠ニいうのはかなり受ける。しかも60歳を超えているのだから、さらにおもしろい。とくに政治離れが著しいと言われている若者から評価されるのは相当なポイントになる。そんなことから、麻生氏はことあるごとに秋葉原で演説しているように見えた。もちろん、実際の回数はそれほど多くはなかっただろう。しかしことあるごとに≠ニ思ってしまうほど、麻生氏=秋葉原≠フ式が出来上がった。親しみの持てるおじさん≠フイメージづくりが成功したのである。この時点で若者との親近感づくりがうまくいったことには問題はなかった。しかし、その後の親しみを感じる人間≠ニいうイメージ戦略はうまくいったのだろうか。あの衆議院選挙の際に麻生氏のいつものセリフ≠ェ知られるようになった。みなさん、麻生の生の顔を初めて見た人、手を挙げて=Bこれが演説の第一声である。そして、テレビよりいいと思う人、手を挙げて≠ニいった問いかけをかぶせていく。これに対して聴衆がはーいっ≠ニ笑い声を交えながら手を挙げて応える。その場にいたわけではないが、けっこう手が挙がったのではないかと思う。それにまた笑いを取るようなセリフを返す…。

 

ご無沙汰NYT09/10/21Wed-2435 
もう20年くらいNew York Timesの日曜版を読んでいる。朝日新聞が印刷発行しているもので8ページ仕立てだ。日曜版だから週に1部が配達される。もちろんすべてを読んでしまうほどの時間はない。えっ英語力もない…≠ナすって。それはご想像にお任せします。そんなわけで、このコラムでもときおり記事の内容を話題にしてきた。ただし、このごろはとんとご無沙汰である。もう1年以上は触れていないだろう。その間にもいろいろなことがあった。アメリカ大統領の選挙戦からオバマさんの当選などは、その中でも最大級の話題だった。また、サブプライムローンや金融危機の問題、そしてGMをはじめとした自動車王国の崩壊なども毎回のように取り上げられていた。報道機関として当然だろう。わが国に関しては、私が読み始めたころは経済で元気な国として話題になることが圧倒的に多かった。何といってもバブルの国だったのだ。しかし、文字通りその元気さもバブルの崩壊であっけなく消えてしまった。バブルが崩壊しはじめた年をいつにするかによるが、1990年から91年という説に従えば、すでに20年近くが経過したことになる。そしていまでも日本は経済的に厳しい状況の中にいる。それだけではない。少子高齢化の波も抑えることはできず、それが経済に与える影響は深刻さを増している。そしてNew York Timesの紙面には、日本に代わって中国の記事が目立ちはじめていく。こうした変化についてもこのコラムで取り上げたことがある。もうかなりの時間が経過しているので、すぐに確認するのも大変だが、もう5年くらいにはなるだろう。それからというもの、日本が話題になることが極端に減っていった。それは時代の流れというものである。

 

庶民派イメージづくり09/10/20 Tue-2434 
麻生氏が自民党の総裁に選ばれた時点では、イメージとしては小沢氏を圧倒していた。折しも世界経済が100年に1度の大不況≠ノ見舞われていた。そこでまずは経済対策≠ニいうのは理屈ではあった。しかしこのとき解散を打っておけば、麻生氏は勝ちの側に回ったに違いない。そのころの講演でアメリカやヨーロッパに比べれば、日本のダメージは小さい≠ニいった趣旨の発言をしていた。いまから見ればその認識は必ずしも正しかったとは言えない。データ的にはわが国が一人負けの側面もあるのだから。ともあれ、ダメージが小さい≠ニ判断したのであれば、発言の流れからは解散してもおかしくなかったわけだ。それから1年、民主党が圧勝した結果がどうなるか、しばらく様子を見る他はない。それにしても、歴史はタイミングで変わるものだものだとつくづく思う。ともあれ、麻生氏は総理に就任後のイメージづくりでも成功したとは言いにくい。氏が毎晩のように高級ホテルのバーに通い続けていることがテレビや新聞で報道された。実際にどんなホテルに行っていたのかは知らない。しかし、庶民から見ればけっこうなお値段がしそうである。ワンカップ一杯で400円なんてことはないだろう。そんなことは外種の勘繰り、プライベートなところまで突っ込むな≠ニいう考え方もある。もちろん人が個人的にどんなところ行こうと勝手ではある。しかし、総理大臣ともなればいろんなところからいろんなことを言われる。何といっても公人≠ナある。周りの目を、とくにマスコミから見られていることを計算しながら行動する必要がある。庶民風なふり≠セけでもしないとまずいのである。現に漫画好き≠ニいうイメージは若者たちに受けた≠フである。

 

自然の力09/10/19 Mon-2433 
休暇で家内と阿蘇に行った。阿蘇は道に限っても、まだ知らないところがワンサカある。まずは阿蘇ミルク牧場≠ナ入場料300円≠ニ手作り弁当持ち込み可≠ノ感動してから、いままで走ったことのない道を選んだ。道は山の方に通じている。ナビはオンにしているが、正確にどのあたりにいるのかわからない。そこがおもしろい。熊でも出てきそうな道だなあ≠ニ家内と話しながら坂を登っていく。わが家のレガシーはすでに走行距離が10Kmを超えているが走りは快調だ。免許を取って30年、これまで3台の車を乗り継いだが、エンジンがくたびれてくるとカラカラ≠ニ特有の音をたてるようになる。まるで買い換えどきを知らせているようだった。ところがレガシーにはそれがない。すばらしい車だ。ともあれ、本格的な山道に入ったな≠ニ思ったそのときである。車の左前方のガードレールの上から猿がこちらを見ているではないか。それもほんの一瞬で、車が近づくとすっと消えていった。家内は赤いおしり≠見ただけだった。さすがに熊ではなかったが野生の猿に出会うなんてすばらしい。ふと気がつくと、いつも見ている険しい形状をした根古岳の裏側に来ていた。いやいや裏側≠ニいうのは不適切な表現だ。こちらに住んでいる人にとっては、こちらこそが根古岳の素顔なのである。道路脇に車を止めた。まだ数は少ないが、何本かの紅葉が真っ赤になっていた。道の両サイドではススキが揺れている。草原地帯では赤牛が放されている。道路まで出てきた牛もいて、一定の間隔を置いて大きな糞の塊が並んでいる。このあたりは牛馬優先だ。どれもが取り立てて何ということもないことばかりなのに気持ちが落ち着く。それが自然の力というものだろう。

 

漫画好きの庶民派09/10/18 Sun-2432 
とにもかくにも紆余曲折を経て8月30日が衆議院選挙となった。すでに衆議院議員の任期4年が終りに近づいていた。麻生総理は7月に解散と選挙のスケジュールを表明する。こうした解散前のスケジュール発表≠ヘ異例のことだという。とにかく自分の判断≠ナ解散を決める。これだけはしっかり実践したいという思いがあったのだと思う。それから1ヶ月以上の期間をかけて長い選挙戦が展開された。そして結果は周知の通りである。マスコミの民主党300議席を超える勢い≠ニいう予測は大当たりになった。その結果から評価すれば、報道機関の世論調査や事前分析がそれなりに信頼できることを実証したわけだ。ところで、この1年近くを素人なりに振り返ってみると、麻生氏はいろいろな局面でやり方を間違っていた。とくに一般大衆に与える印象≠テくりに失敗したと言うべきだろう。おそらくご本人としては、十分に計算しながら庶民向けの行動をとっているつもりだったと思う。しかし、その意図通りのイメージが出来上がっていかなかった。というよりも、それはむしろマイナスに働くことが多かった。余計なお世話だけれど、麻生氏にはちゃんとしたブレーンがいたのだろうか。それとも、いるにはいたが麻生氏自身が彼らのアドバイスに耳を貸さなかったのかもしれない。そんな推測をするのも、マスコミから伝わる情報をもとに私が創り上げたイメージを根拠にしている。ともあれスタート時点では、麻生氏は漫画好き≠ナ若者たちとの距離を縮めることに成功した。秋葉原でオタク≠燉揄できる庶民派でおもしろいおじさんのイメージが定着した。これに対して最大の敵である小沢一郎氏は見るからに強面で、漫画はおろかIT系とは無縁に見える。

 

ミルク牧場09/10/17 Sat-2431) 
休暇を取って平日に家内と阿蘇まで出かけた。まだ全面的な紅葉には早いが、山はもうすっかり秋である。阿蘇は世界最大級のカルデラであることは中学生のころに習った記憶がある。それにしてもとにかく雄大だ。熊本に来て今年は30年になるが、阿蘇一つとっても行ったことがないところが無数にある。息子夫婦が孫をミルク牧場≠ノ連れて行くと言っていたことを思い出した。まだ行っていないかもしれないと考えて、下調べのつもりで車を走らせた。自宅からわずか40分程度で巨大な駐車場を完備したミルク牧場≠ノ着いた。熊本県酪農業協同組合連合会、通称らくのうマザーズ≠フ経営で、入園料は何と300円だった。動物たちとのふれあい、豚や山羊のレース、乳搾りもありでとにかくすばらしい。とにかく生き物を見ていると、それだけで楽しくなる。しかも、手作り弁当は持ち込み可なのだそうな。これまたすてきなポリシーですねえ。責任者のような方と立ち話をしたが、そんな話を聞いただけで涙が出てきた。ディズニーランドもいいけれど、ここだって決して負けちゃあいないなあ。この日は駐車場には大型バスが10台ほど並んでいた。天気もよくて、運転手さんたちが車体をせっせと洗っている。お客さんがいない間にも仕事をしているんだなあと改めて感動した。バスのフロントには熊本市内の小学校の名前が貼られていた。それぞれ2台程度で来ているようだった。どの学校も2年生のようで、この時期に共通して学習することがあるのだろう。駐車場から遠くに熊本市内が展望できる。少しばかり霞んでいたが、これまたすばらしい見晴らしである。つい先だっての休日には3,000人くらいが押し寄せたという。さっそく孫を連れてきたいと思った。

 

先延ばし09/10/16 Fri-2430) 
定額給付金は大いに揉めた。国会でものっけから金持ちももらうべきだ、いやそうじゃない≠ニいうレベルの話で混乱する。麻生さんは矜持≠ニいうむずかしいことばまで使って当初は金持ち≠牽制していた。矜持≠るいは矜恃≠ニは誇りというかプライドというか、そんな意味合いのことばである。ところが、議論が進むうちに最終的には自分ももらう≠アとになる。この矜持*竭閧煌ワめてブレる≠ェ流行語のようになってしまった。しかも、矜恃≠ニいうむずかしいことばを使う一方で、漢字が読めないと騒がれもした。未曾有(みぞう→みぞゆう)∞踏襲(とうしゅう→ふしゅう)∞頻繁(ひんぱん→はんざつ)≠ネどがマスコミで報道され続ける。こうなると発言の内容や趣旨は二の次になる。その揚げ句にKY=漢字が読めない≠ネどと揶揄されてしまう。これに加えて失言もクローズアップされる。その内容を見ると、麻生氏自身としては笑いが取れる≠ニ確信して発言したのではないかと思われる。あるいは庶民的なところがあると評価される≠ニいう判断があったと推測する。しかし、麻生氏にとってはその多くが裏目≠ノ出てしまう。そんな中で、肝心の解散はドンドン先延ばしになっていった。そしてテレビのコメンテーターの発言も新聞報道も、そのほとんどがマイナスのものになる。これに対応して内閣支持率も低下し続け20%を切るところまでいく。そんなとき小沢氏の秘書が突如として逮捕される。それは3月のことだったが、この件で一時的に支持率は20%台に回復する。このときとばかり解散といきたいところだが、そうもいかない。まさに敵失に乗じただけで、あまりにも露骨すぎる≠ニ非難される可能性がある。

 

10Kgの重み09/10/15 Thu-2429 
メタボ対策のため3月9日から間食追放運動をはじめた。とくに甘いものを大幅にカットしたことで、おもしろい≠謔、に減量に成功した。そして4ヶ月後の7月には、お医者さんからほめられるほど体質が改善した。それにしても、私のチョコレート依存症は凄いものがあった。たとえば東京に出かける際に空港でアーモンドチョコなんぞを買う。まずは飛行機に乗る前にボリボリと食べる。そして機内に入っても食べ続ける。そのうち、羽田への着陸態勢に入ります≠ニいうアナウンスがある。そこでチョコの箱を揺すってみるとカラカラと音がする。そこで箱の中を覗く。もう数個しか残っていないではないか。こりゃあ中途半端だなあ。これで箱まで持っているのは荷物になるわい≠ネあんて理屈がすぐに思い浮かぶ。そして残りをボリボリと食べ尽くしてしまうのである。この1箱で何と580Kcalもあるのだ。これじゃあメタボになりますわいな。それだけではない。仕事を終えて8時過ぎに帰宅すると、食事の前に風呂となる。そんなときは小腹が空いている。そこで、つい仏壇のお供え物に手が出てしまう。何とも罰当たりなのだが、それがおかきなんぞであれば、お茶まで飲むからお腹がふくれる…。こうした習慣をチェンジしたら10Kgも軽くなった。学会で合った知り合いが、私の体型変化を見てそのことを言い出しにくかったらしい。重篤な病気に罹ったのではないかと思ったという。スーパーで5Kgのお米を両手に持ってみた。これだけのものを身に付けていたかと思うと、そのすごさに驚いてしまう。自宅でエレベータを使わずに階段を昇ってみた。さすがに動悸は速くなったが、息が切れるといったダメージはなかった。これは間違いなく減量の成果である。

 

タイミング09/10/14 Wed-2428) 
麻生氏は素人も含めて大方の予想通り総理大臣となった。麻生氏は351票を獲得し、次点の与謝野氏が66票だから圧勝である。これを受けて2008924日に第92代内閣総理大臣に就任する。まさに晴れ晴れとした心境だったと思う。しかし、それから1年に満たない916日には総理大臣を辞任することになる。麻生氏は衆議院選挙後に就任してすぐ解散していれば、あれほど大きくは負けなかった≠ニ語ったという。このニュースを読んで麻生氏もずいぶん弱気になったものだと思った。私の素人評価では、総裁になった時点で解散していれば、少なくとも第1党の議席は獲得できていたと思う。もちろん郵政選挙で稼いだ300議席に近い数値は取れなかったに違いない。あれは取りすぎたのだから当然で、下手をすると200台の低いところまで減った可能性はある。しかし、あの時点では民主党の選挙態勢だって十分ではなかったと思う。それに世論調査で麻生か小沢か≠ニ問われた有権者たちは、少なくとも麻生氏の方を選んでいた。この点では、麻生氏本人も相当に自信を持っていたと推測する。しかし、すでに見たように自民党の総裁選挙に対するマスコミ報道は期待するほど加熱しなかった。その上、現実に確保している300近くの議席数は解散に対する迷いを生み出すには十分な数値だった。勝つとしても議席数は減る=Bこれはまことに悩ましい状況であったと思う。あのとき野党とせめぎ合う程度の議席数しかなかったら、迷うことなく解散を即決したのではないか。こうして解散する絶好のタイミングを逸してしまうのである。そんな中で、強力な直球のつもりで2兆円にも達する定額給付金を投げる。ところが、これが大モメにモメるのである。

 

1010日(土)からサーバーが閲覧できませんでした。事前のお知らせより長時間になり、お待たせしました。

 

プロのKY09/10/13 Tue-2427 
KY≠ニ聞けば、危険(K)予知(Y)≠ェ頭に浮かぶ。多くの職場で安全な職場づくりのために様々な活動が行われている。その一つがKY活動≠セ。事故防止や安全確保に関してはグループ・ダイナミックスの領域でも1960年代から研究が展開されている。とくに小集団を基礎にした活動は、わが国にグループ・ダイナミックスを導入した三隅二不二九大教授(当時)を先頭に積極的に進められた。その代表的な成果の一つに三菱重工業()長崎造船所での安全運動がある。これは理論と実践を繋ぐ研究としてとして世界的にも評価されている。私も20代の駆け出時代に一連の活動に関わることができた。その刺激と興奮はいまの私の脳裏に刻まれている。それにまつわる思い出話については本コラムで紹介していきたい。ところで、KY≠ニ聞くと他のことをイメージする人もいるようだ。このごろでは、空気(K)が読(Y)めない≠ネんですって。還暦も越えてしまった身としては、このKY≠ノは十分気をつけておく方がよさそうだ。そういえば、先の大相撲秋場所の千秋楽は白鵬と朝青龍の優勝決定戦になった。本割りでは白鵬がすばらしい立ち会いで朝青龍に相撲を取らせなかった。その後の決定戦を前にして北の富士氏が解説する。白鵬も二度とああいう立ち会いはできないからねえ=B私もそうだそうだ≠ニ思った。ところがこれを聞いたアナウンサーが問い返す。危険だからですか=Bいやああいう快心の立ち会いはできないと言うことですよ=Bそりゃあそうですよ。素人だって解説の意味がわかったのに、プロのアナウンサーさん危険だからですか≠ネんて聞かないで。これってKY≠ニはちょっと違うのですが、とにかくがっくりきましたよ。

 

満を持して…09/10/12 Mon-2426) 
安倍氏には他人にはわからない事情がいろいろあったのだろう。しかしそれにしても、総理大臣が国会で所信表明をしてから辞任というのは前代未聞のことだった。そして首相の座は福田氏に引き継がれる。氏は官房長官として1289日も勤め上げた。これは官房長官在任記録のトップである。記者会見に臨んだときは飄々とした雰囲気で無難に対応していた。その立場上、メディアへの露出度も高かった。そんなわけで、取り立ててマイナスのイメージはなかったと思う。ともあれ、その時点では選挙で勝てる♂ツ能性が高いとして選ばれたのだろう。世間の人気では秋葉原でもてる*ヰカ氏の方が鼻先くらいは出ていたかもしれない。しかし麻生氏は安倍内閣で外務大臣を務めるなど重職にあり、安倍氏に近いと見られていた。そのため、参議院選挙の敗北にも責任なしではすまないという感じがあった。そんなこんなで最終的には福田氏に総理のポストが回ってきた。端から見ればまさに棚からぼた餅≠ナあるが、ご本人はインタビューで首相になるのは貧乏くじかもしれないよ≠ニ応えていた。その予感が当たったと言うべきか、突如の記者会見で途中投げ出し≠ニなって。あれもサプライズというのだろうか。参議院のねじれ≠烽って政権運営がままならず、内閣支持率もかんばしくない状況が続いた。そんな状況の中でもうやってられない≠ニなったのだろう。そして最後のエースかどうかは別にして颯爽と登場したのが麻生氏だった。ご本人としては満を持して≠ニいう気持ちだったに違いない。何といっても漫画が趣味、秋葉原で受ける総理候補なんて後にも先にも麻生氏くらいのものだろう。総裁選に立候補したときも、さっそく秋葉原で街頭演説をしていた。

 

またまたかなかな09/10/11 Sun-2425 
これまでにも何度か書いているのだが、相変わらずかなかな症候群≠ェ世の中に蔓延している。もう日常語≠ニして定着してしまったのだろうか。まことに遺憾である。このごろは気象の状態がおかしい。いずれ北海道がもっともうまい米の産地になるという説もある。そのときは熊本なんぞはマラリアが流行するのではないか。そんな冗談が言えるうちはいいが、毎年のように豪雨による被害が出る。今年も8月の大雨で山口県などでも死者が出た。そのときは麻生政権だったが、国土交通省のS氏が被災地を視察した。その際に受けたインタビューでの発言が支援をしないといけないかな…≠ナある。まったく何という言い方だことよ。国の責任者が支援しないといけないかな≠ネのだ。支援しないといけない≠ノ決まってるでしょう。もっとしっかり意思表示をしなくっちゃあ。これが818日のニュースだった。その翌日19日になると、プロ野球日本ハムの選手たちがインフルエンザに罹ったというニュースが流れた。このときの球団関係者のコメントが乗り越えていかないといけないかな≠ナある。これまたかな≠ネのだ。そうじゃあないでしょう。乗り越えていかないといけない≠ニ断定して下さいよ。そして今度は新内閣の法務大臣千葉氏である。このところ時効制度≠ノついて議論されはじめた。殺人事件の被害者からは制度をなくしてほしいという声が上がっている。こうした状況の中で、法務大臣は議論をしていく必要があるかな≠ニきた。あーっ、やめてくえてくれーっ。一国の法務大臣が時効制度≠フ議論が必要かな≠ネのだ。そんな人ごとみたいなことを言わないでほしい。責任者はもっとしっかりした発言をしていただかないと困るのです。

 

選挙管理内閣09/10/10 Sat-2424) 
昨年、自民党総裁が麻生氏に代わるとき、新政権は選挙管理内閣≠ニ言われた。小泉氏の退陣から安倍氏、福田氏へと総理大臣が代わった。この2人とも選挙の洗礼は受けていない。そこが問題だとされた。アメリカの大統領などと違って、国民は総理大臣をストレートに選べない。わが国はイギリスを発祥とする議院内閣制を採用しているからだ。この制度では、国のトップである総理大臣は衆議院と参議院での票決によって選ばれる。とくに衆議院の力が大きい。だから議会で多数を占める政党のトップが総理大臣になる。そんなことを中学校で習った。ともあれ、総理大臣は議会で選ぶのであり、そこで投票する議員たちの任期は4年間である。そして正当な手続きで選ばれた任期中の議院が総理大臣を選んでいる。だから総理大臣が選挙なしでドンドン代わっても問題はない…。これが与党側の論理であった。細かい法律論は知らないが、理屈上はたしかにその通りである。それが証拠に、総裁が代わったからといって違憲だ≠ニ訴える人はいなかった。ただそれにしても政権投げ出し≠ニ言われる形で総理大臣が交代していった。そんなことから、ここは人心を問う≠フが当然だと考えられた。そこで自民党では選挙で勝てる総裁を選ぶ≠アとが最大のポイントになった。小泉氏が自ら辞めたとき安倍なら勝てる≠セった。当時の安倍氏は国民からの人気もあるホープだった。ところが複数の大臣が事務所費問題や失言で辞任する。そして極めつきは社会保険庁の年金管理のずさんさが大問題になったことである。その結果、参議院選挙では与野党が逆転してしまう。安倍氏はそれでも辞任せずに粘ったが、最後は健康問題もあって、国会で所信表明演説をした後に退陣する。

冷静報道の理由…09/10/09 Fri-2423
 
自民党総裁選挙に関するマスコミの報道が冷静≠セった。この私の評価が当たっているとすれば、その要因のひとつに郵政選挙の際に乗りすぎた≠ニいう反省があったのではないか。衆議院を通った郵政民営化法案が参議院で否決された。これに対して小泉首相は衆議院を解散する。もう一度衆議院で可決しようというわけだ。そんなのってあり≠ゥと思うのだが、小泉氏のときは何でもあり≠セった。なにせ人生いろいろ≠ネのだから、政治でも何でもいろいろあり≠セったのだ。しかし、これが妙に受けた。ご本人が命名したのかどうか知らないが、21世のこの世の中に刺客≠送ったのである。まるでチャンバラ映画だ。これがまた選挙劇場≠おもしろくした。地球がひっくり返っても落選はしないような人たちが苦戦する。ひょっとして刺客の手によって命を落とすかもしれない。これほどおもしろい<Xトーリーは下手なドラマなんかとてもかなわない。こうした演出をマスコミが大いに盛り上げた。もちろん、マスコミだけを責めるわけにはいかない。それに乗って与党に2/3の絶対多数を獲得させたのはわれわれ有権者である。いずれにしても、郵政選挙は自民党に猛烈な追い風になった。ただし、それはそれまで通りの自民党≠ノ対する追い風ではなかった。すでに本コラムでも触れたが、このときもキーワードは変化≠セったのである。ともあれあのときの結果を見て、マスコミ側もちょっとやり過ぎちゃった≠ニ思ったのではないか。マスコミ自体が小泉氏に乗せられた≠フである。そして今度はそうはいかないとばかり、昨年の自民党総裁選挙を冷静≠ノ扱った。そんな感じがするのである。これが麻生氏にとって大誤算だったのではないか。 
総裁選と報道09/10/08 Thu-2422
 
昨年9月に自民党総裁選挙の街頭演説が行われたとき、熊本は火傷するような暑い日だった。そんなわけで、石原・小池氏の話は聞いたが、3番目の麻生氏が登壇したときデパートに避難した。デパートに入るまでは麻生氏の声が遠くで聞こえていたが演説内容は知らない。それから与謝野氏と石破氏が話したはずである。街頭演説は北からはじまって、九州は終盤だった。ともあれ5人は全国を廻っていったから、各地のメディアはもちろん、全国ニュースでも取り上げられた。これはまさに自民党の大コマーシャルである。このときは個人的な評価は別として、自民党支持者だけでなく世論全体が選ばれるのは麻生氏に決まっていると考えていた。だから全国で繰り広げられる街頭演説は自民党のPR以外の何ものでもなかった。この勢いでドーンと解散に持っていけば間違いなく勝てる。自民党関係者はそう信じていたに違いない。たしかに郵政選挙で獲得した296議席は相当に多かったから、その反動もあって減少は覚悟していただろ。それでも勝ちは確実≠ニいうのが自民党側の読みだったはずだ。少なくとも福田首相は、そう読んで突如として辞任したのだと思う。私も総裁選挙≠ェその後の総選挙に大きな影響を及ぼすと予想した。ところがである。おそらくところが≠ネのだが、マスコミが総裁選挙を思ったほどには盛り上げなかった。それは私の主観だと言われればそれまでのことである。しかも昨年から1年以上が経過してしまったからなあるほど≠ニ思ってもらえるようなデータもない。しかし、とにかく私は過去の総裁選挙の報道と比べるとマスコミはかなり冷静≠セという印象を持った。自民党の立場から見ると冷たい≠ニすら感じられたかもしれない。 
イメージと実像09/10/07 Wed-2421) 
カリスマ的人物≠ヘ創られた♂ツ能性がある。その人物に対する感動を呼ぶようなエピソードが世の中に流される。しかしそれが意図的な情報操作だったりするのだ。そんな手立てで創り上げたイメージを使って人を動かしてはいけない…。さて、ずいぶんと遠回りになったが、衆議院選挙がらみの話題の続きとして時計を昨年の9月にまで戻すことにしよう。あの自民党総裁選挙の街頭演説会である。私は熊本でそれにたまたま出くわした。最初の発言者は石原伸晃氏だった。彼は演説がうまくて説得力があったが、させていただく≠多用するのが気になった。ここまではすでに915日に本コラムに書いていた。その石原氏に続いて小池百合子氏が登壇した。テレビの印象から歯切れがよくシャキッとしているだろうと予想していた。その少し前には防衛大臣を勤め、事務次官と差し違えた大物である。その後、事務次官の接待問題が発覚し小池氏は相対的に株を上げたのではないか。そんな前提で演説を聴いたのだが、私の主観的評価では思ったほどは迫力がないなあ≠ニいう印象だった。前の石原氏と比べると、淡々と話しているようにしか見えなかった。その実像はテレビなどの情報をもとにした私のイメージとは相違していたのだ。これには意外な感じがしたが、世の中はそんなものなんだろう。あんたが勝手にイメージを創っていただけよ≠ニ言われればそれだけの話である。そうなると、あの田中真紀子氏などはどうなんだろうか。あちらの場合は父親譲りのガラッパチ風だから、映像と同じくらいの迫力があるのかもしれない。ただし人の悪口だけに終始していては、おもしろくはあるが、政治家としては限界がある。やはり政治家は政策で感動させないとまずい。 
ミニ<Jリスマ09/10/06 Tue-2420) 
カリスマは「超人的な資質」であり、人物そのものを指したことばではない。そうした資質を持っている人間がその人物を崇拝する人々を支配する。これを社会学者のマックス・ウェーバーはカリスマ的支配≠ニ呼んだ。ウェーバーによれば、このほかに伝統的支配≠ニ合法的支配≠ェある。私自身は世のリーダーはカリスマ的な支配をしてはいけないと考えている。それは実像≠ノよる影響力ではなくイメージによる支配だと思うからだ。彼らは一般の人々の目に触れることがない。目の前で見る機会があったとしても、その状況は熱狂する大群衆の中であることがほとんどだ。そして祭壇のような高所に立ってえもいわれぬオーラを発する。彼らは無言のこともある。誰もその声を聴いたことがない。そのこと自身がさらにカリスマ性≠強化する。これで人が動かされるのだからカリスマ的支配≠ヘものすごいものだ。それはきわめて情緒的なレベルで人の心を支配する。その姿を見ることすらむずかしいカリスマ支配者≠セが、ひょっとすると彼ら自身が作り上げられた虚像≠ゥもしれない。本当はごく普通の人間なのに、それを利用している人間たちがいる可能性もある。自分たちの都合のいいように世の中を支配しようと企む連中である。いずれにしても現実のリーダーは目に見える∞声が聞こえる∞手で触れられる$lたちであってほしい。そこで私としては、リーダーにはカリスマ的≠ナはなくミニカリスマ的♂e響力を発揮してもらいたいと思う。ミニカリスマ≠ヘ人々に対して見える∞聞こえる∞触れられる≠フ条件を備えていなければならない。その上で、周囲の人間たちからこの人はすばらしい≠ニ評価されることが大事なのである。 
組織の中のイメージ09/10/05 Mon-2419 
鏡が実像≠ナないからといって、その価値が失われることはない。鏡は私たちの生活になくてはならない大切な道具である。そこに映った自分の姿を見て姿勢を正すこともできるのだ。ここで大事なのは鏡が持っている限界を知った上でそれを上手に使っていくことである。テレビや新聞を通じた情報に対しても同じような考え方で受け止めるといい。いずれにしても、世の中にあふれる情報をもとにして私たちは人や物や出来事についてのイメージを創り上げていく。もちろんそれは政治家やタレントのように直接的に会うことがない対象に限られたものではない。私たちが所属している組織でも、その規模が大きくなればメンバーの大多数はトップとことばを交わす機会などほとんどない。それこそ大企業の場合など、年度初めの挨拶などで見る≠アとはあっても会う≠アとはないだろう。こうした状況ではイメージ≠ェ持つ影響はきわめて大きい。それは必ずしも実像≠ニ一致していることもあるだろうが、そうでないことだってあるに違いない。組織のトップが構成員から持たれているイメージが悪くても、それが実像≠ナあれば自業自得ということになる。しかしそれがとんでもない誤解を含んでいるとすれば、何とかしないとまずい。だからとくにトップの人間は、自分が組織のメンバーからどのように見られているかについて正しい情報を得る必要がある。ところでリーダーシップを取り扱う理論の中にカリスマ%Iな影響に焦点を当てたものがある。カリスマ(charisma)はもともとギリシャ語で「神からの賜り物」という意味がある。それは英雄や予言者が持っている「超人間的・非日常的な資質(電子版広辞苑)」である。その力が人々に大きな影響を与える。 
実像≠ニ虚像09/10/04 Sun-2418 
私たちは人物はもちろん物や出来事など様々な対象について、すべての情報を手にすることはできない。そこで限られた情報から全体像を判断せざるを得なくなる。そうした一部の事実≠ェ組み立てられてイメージ≠ェ出来上がる。そしてそれが私たちの行動に影響を与えるのである。こうした過程は商品を選ぶ購買行動にも当てはまる。だからCMには人気タレントが使われる。プラスのイメージをもっているタレントが勧めれば、それが製品やサービスそのものの望ましさに繋がる。彼らは文字通りイメージキャラクター≠ネのである。私はイメージが虚像≠セと言うつもりはない。しかしそれはすべての情報を基礎にした実像≠ナはない。現実に根付いた責任ある行動をとろうとするのなら、この点はしっかり押さえておきたい。ところで虚像≠ニいえば、中学生の理科で実像≠ニ対比して習った記憶がある。平行に入ってきた光は鏡面に反射して焦点に向かう。また焦点を通る光は鏡に当たると平行に戻っていく…。あれから半世紀近くが経過しているのにけっこう憶えているものである。そう思うと嬉しくなってしまった。朝からキャッキャ≠ナある。ともあれ鏡に映るのは典型的な虚像の例である。実像≠ニ虚像≠フ違いはすぐにわかる。実像は自分の手で触れたりつかんだりすることができる。まさに実際の像≠ネのだ。これに対して虚像≠ヘ直に触れることもつかむこともできない。鏡に映った自分の顔に手を当てようとしても、冷たい鏡の表面に触れるだけである。それに誰もが知っているように、鏡は左右が逆に映る。そもそも人間の顔をよく見ると右と左は称対になっていない。そのため、鏡に映った顔は他人が見ているそれとは印象が違っている。 
限定情報とイメージ形成09/10/03 Sat-2417 
830日に行われた選挙は多くの話題を呼んだ。それは私が専門とするグループ・ダイナミックスの視点から見てもじつに興味深いものだった。そのため8月最終日から922日まで、本コラムにあれやこれやと書き続けたのである。それが静岡への出張をきっかけに話題が切り替わった。そこで、またぞろ9月の22日にまで戻って、もう少し分析を続けさせていただきたい。まずは有権者が抱く政党や候補者のイメージと投票行動との関わりからはじめよう。われわれが直接的に候補者と接触することは皆無に近い。また組織としての政党は制度的には存在しているのだろうが、有権者にとってその実態は漠としている。テレビや新聞に出てくる人物や本部の建物だけが党ではないはずだ。しかしそれ以上の情報はほとんど得られない。いろんな政党のメンバーから構成される委員会に出席している民間人を存じ上げている。この方のお話だと、検討の対象になる課題についての議論の中で、議員がしっかり勉強していることがわかるという。その内容によっては超党派で真剣に考えようという雰囲気もある。ときにはもっとしっかり整理していただかないと法律にはできませんよ≠ニいった厳しい指摘も受けるのだそうな。もちろんそれは望ましいこととして評価されているのである。どうもこの手の情報はわれわれに届きにくいようだ。マスコミで見る政治家は、国会では元気がいい者はヤジを飛ばし、疲れやすい体質の人間は居眠りをする。夜は夜で料亭での密談にエネルギーを費やす。自分たちの利害だけに執着し、権力闘争に明け暮れる…。まあそんなマイナスのイメージしか浮かんでこない。そうした情報をもとにして、われわれは政党や議員のイメージを創り上げていく。 
袖触れ合う一期一会09/10/02 Fri-2416 
衆議院選挙が終わった翌日の831日から、選挙がらみのネタを取り上げていた。それを921日まで引っ張っていた。いつものことながら続けすぎである。そんな思いがあるときに静岡へ出張した。そこでタイトルが盛りだくさんの1日≠ニなって、内容が変わった。922日のことである。はじめは静岡へ行く際にJR品川駅で遭遇した女性の話題だけを書くつもりだった。しかし、それがグリーン車のお坊さんへと広がり、ついには出張から帰路の新幹線や羽田のパン屋さんまで話題が広がった。先月末の30日には孫≠フ話題にしたが、それを挟んで盛りだくさんの1日≠ェ昨日まで続いた。もういい加減にしないといけないが、最後に一期一会≠フ思いだけは書いておきたい。品川駅の新幹線の駆け込み女性∞グリーン車のお坊さん≠ヘ言うまでもなく、われわれが出会う≠ルぼ100%が、もうそれっきり2度と会わない$l々である。しかし、それぞれの人が自分と同じように生きて≠「る。もちろん生き方≠フ内容はみんな違うけれどとにかく生きている。それはあたりまえのこと、人間がいっぱいいるのだから≠ニ言われればそれまでではある。しかしわれわれは希少なもの≠大事にするではないか。一生に一度きりの出会い≠ネんて、ダイヤモンド以上に希少だ。そう思うと、自分とは違う人たちを見ているだけで人生いろいろだなあ≠ニ楽しくなる。街角で寝込んでいる人を見たときは楽しさ≠ネんて感じない。どうしてそうなったのだろうか、何とかならないものか≠ニ思う。袖触れ合うも他生の縁≠ニいう。とにかく一期一会≠フ気持ちで世の中を見る。それだけワクワクする。明日からまたぞろ選挙がらみの話に戻ろう。 
パンとタバコ09/10/01 Thu-2415) 
静岡から帰りの新幹線は自由席に乗った。何といっても大型連休中の移動である。当然のことながら指定席を取っていた。例によって通過する新幹線が見たくて早めに駅へ出かけた。ひかり≠ェ先に来たが指定席はかなり込んでいた。それに対して自由席の方はそれほどでもない。私が予約しているのは10分ほど後のこだま≠ナある。こちらは各駅停車でなおかつ自由席の車両が多い。そこで自由席に該当するところへ行って待つことにした。指定はDだから2列の通路側だ。先発した電車の状況から推測するとけっこう多いのではないか。そんな推測である。結論から言うと判断は大正解だった。自由席はかなり余裕がある状態で静岡駅に着いた。東京が近づくにつれてすべての座席に1人は座る程度に込んできたが、まあその程度であった。何といっても東海道新幹線は本数が多い。しかもJR東海仕様の列車はすべて16両編成である。そのせいか、さすがに座席に余裕があった。ただしこの状況は地方とは違っているかもしれない。正月と同じではないにしても首都圏の方が人がいなくなって、地方都市の方が人がワンサカいるということなのかもしれない。そういえば品川駅構内を歩く人の数も通常の時期よりは少ないような気がした。もちろん、客観的に比較ができるほど品川あたりをウロウロしているわけではないけれど。ともあれ、往路と逆のコースで京急に乗り換えて羽田へ行った。この日も夕食が重くなりそうなのでサンドイッチとミルクにした。モノレールの改札口にPascoというパン屋さんがある。ここのパンはなかなかおいしい。ゆっくり食べながら喫煙席の方を見た。パンを口に入れて食べながら同時にタバコを吸っている人がいる。まことにせわしない。