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味な話の素
 No.73 2009年06月号(2292-2321 )
 
2度あることは…(09/06/30-2321)
 ホテルの責任者が自分のところにランドリーバッグを常備していない理由を説明すれば、私としては納得したかもしれない。しかし、そのときの回答は善処します≠ニいった感じのものだった。それで対応が変わればもちろんめでたし、めでたしとなる。ところが、現実としてはその後も変化は見られなかった。これはかなり問題だなあと思う。わが国では輸入の横文字がよく流行る。少しばかり古くなったが、アカウンタビリティ(accountability)なんてのもその代表だろう。動詞のaccountには理由を説明する∞釈明する、責任をとる≠ニいった意味がある。その名詞形がaccountabilityで、いわゆる説明責任≠ニいうことになる。話題のホテルにはこれからも宿泊することが予想されるが、さてどんな展開をすることか。まことに興味深い。ところで、まずいことは起きるときには起きるものだ。ランドリーバッグの件でちょっと、しっかりしてよ≠ニ思っているときに、かなりシビアなことが起きた。連泊したときの2日目、部屋に帰ったらドアが開いたままだった。オートロックだからドアを閉じると開かなくなる。掃除をしているときに、内側にあるチェーンの役割をする金属をドアの間に鋏めていたのである。文字では説明しにくいが、とにかくドアが開いたままだったというわけだ。これにはさすがに驚いて、すぐにフロントに連絡をしてそのままの状況を見てもらった。もちろん、先方が恐縮したことはいうまでもない。そして2度あることは3度ある。さらにバスタブにお湯を入れようと思って蛇口をひねったら、上の方からシャワーが出てきた。ほんの少ししか濡れなかったが、これまた大チョンボである。この件はもう言いませんでした…。
ランドリーバッグ問題(09/06/29-2320)
 すでに達成した課題は忘れやすく、未完成の仕事は思い出されやすい。これがツァイガルニク効果であるが、常識的にもわかりやすい。この世で生きていくためには、ありとあらゆることをしなければならない。いくら大脳の容量が大きくても、事実の一つ一つをすべて記憶に留めることはできない。そこでその内容を整理する必要が出てくる。そうなると、とりあえずは首尾よくいったことから忘れていくと効率がいい。まだ終わっていないことを忘れると目的が達成できないからである。こうした単純な理由でツァイガルニク効果は説明できるだろう。そんなわけで、某ホテルにランドリーバッグがないことは、手持ちのものを使って目的を達していたから家に帰ったときには忘れていた。ところが、あるときのことである。いつもは予備として持参していたバッグがなかった。当然のことながら袋は是非ともほしいわけだ。そこでフロントに行ってお宅はランドリーバッグを置いていませんね≠ニ問いかけた。その瞬間、えっ≠ニいう感じの反応がきた。私の発音が悪かったのかもしれないが、バッグを置いていないこと自身を理解していないようにも見えた。私はまずはこの反応にかすかに驚いた。そして話が通じたあとでも、常備していない理由の説明はなかった。これにもそんなもんかなあ≠ニいう小さな疑問が心の中で湧いた。その後も同じことを2、3回は伝えたと思うが、まだ改善されていない。たまたま責任者と話をする機会があって、そのときもこの件を話題にした。私がバッグのことを言った瞬間、それは聞いているという反応が見えた。フロントの人たちは上の方に伝えていたのである。ただ、このときもバッグを常備していない理由についての説明はなかった。
ツァイガルニク効果(09/06/28 -2319)
 けっこう利用するにもかかわらず、某ホテルにランドリーバッグが常備されていないことを忘れてしまう。それは予備のバッグを持参していて、その場としては用事が済むからだろう。ツァイガルニク効果≠ニ呼ばれる心理的な現象がある。これは人は完成した課題よりも未完の課題の方が思い出しやすい≠ニいうものである。ソ連の心理学者Zeigarnikが実験で明らかにしたのでその名前が冠になった。そもそもは、グループ・ダイナミックスの創始者であるレビン(Kurt Lewin)のアイディアが基礎になっている。それは人は欲求によって目標に向かって行動する際は緊張状態が持続するが、その達成とともに緊張感が解消する≠ニいうものである。これは当然だろうと思う。人間に限らず、地球上の生き物たちは、ある特定の目的で行動を始めれば、それがうまくいくまではそれに向かった行動を持続する必要がある。大事な目標を達成しようとしている途中で、あっちこっちに目移りしていては目標の達成はおぼつかない。そんなことでは生存すら危うくなる場合も出てくるに違いない。その一方で、目標が達成された後でもその緊張感が続くとなれば、今度は次の目標達成にとってはそれが障害になる。生存競争が厳しい中で地球上で生きていくためには、そんな悠長なことはしていられない。今度は新しい目的にエネルギーを注ぎ込むことが必要だ。そうした緊張と弛緩を繰り返しながら、われわれの祖先はここまで生き延びてきたのである。そんなわけで私の場合も、ホテルにランドリーバッグがなくても、持参している予備のおかげで一時的には目的を達することになる。そのために、このホテルにはランドリーバッグがない≠ニいう記憶が薄れてしまうのである。
ホテルの常備品(09/06/27-2318)
 出張などでいろんなところに泊まって、その先々でおもしろい体験をする。そして、何かがあるとすぐこのコラムに書きたくなる。あるホテルでも思い出に残る体験をしたことがある。まずはランドリーバッグが備えていないのに驚いた。あのクリーニングに出す衣料を入れる袋である。もとは英語のlaundryだから、ローンドリ≠ニいう方が正しいだろう。まあ、それはとにかくその袋が引き出しに入っていないのである。これは私にとって初めての体験だといってよかった。もちろん温泉地の旅館などではバッグがないことは少なくない。そもそも温泉地に来ていながらクリーニングを頼む客など想定外だろう。しかし、そこは観光客もターゲットには入っている感じだが、ちゃんとベッドを備えた立派なホテルである。インターネットまで装備している。私の経験では、海外の場合でも洗濯物入れの袋はほとんどのホテルに常備されている。そんなわけで、この手のホテルとしてはランドリーバッグなしの初体験だったわけだ。ただし、私としてはこれを本当にクリーニングに使うことはあまりない。自分の着替えたシャツや下着を入れるが、仕事の資料と合わせて宅急便で送り返す。そんなわけで、実際にはクリーニングに出さないのだから、目的外使用≠ニ言われればそれまでのことではある。しかし、そのくらいは客の勝手にさせてよと言いたくもなる。それだってちゃんと宿泊料に含まれているはずだから。じつは、このホテルにはけっこう泊まっている。そして、最初に泊まったときにバッグがないことを知ったのである。そのときは携帯しているバッグを使った。なにせ準備がいいのである。いざというときのため、ランドリーバッグを出張用のバッグに入れているわけだ。
投票率向上対策(09/06/26-2317)
 いわゆる郵政選挙≠ナは投票率が小選挙区、比例区ともに67%台に盛り返した。その結果は自民党の圧勝だった。刺客≠ネどと必殺仕掛け人≠ホりの話題性も投票率を上げたに違いない。それから4年が経過しつつあるが、この間に総理大臣の顔が4人変わったことは周知の事実である。さて今回は今回で、解散時期も含めてマスコミも盛り上がっている。先日は、宮崎県知事のところへ自民党の選挙対策委員長が訪れた。これなどマスコミ的には笑いが止まらない絵になる¥o来事である。そんなこんなで今度の選挙では投票率が高くなるのではないかと期待している。明るい選挙推進協議会≠フ関係者としては、まさに明るい気持ちになる。ところで、先日の会議では、若い人たちの投票率向上が議題になった。たとえば、大学生の場合は、かなりの割合で住民票を移していない者がいる。とくに遠方に住んでいる人たちは、選挙のためだけに帰省するのは難しい。そこで、自分が住んでいるところで投票できる方法はないかという疑問もわいてくる。導入当初にけっこうもめたので、どのくらい普及しているか知らないが、住基ネットというシステムが作られた。あのカードには顔写真が入ったものもある。だから、カードで本人確認はしっかりできる。これを使ったシステムを作れば、日本国中のどこからでも投票ができるようにならないか。それがうまく運用されていけば、体が不自由な人や高齢者など、投票所まで移動しづらい人たちも投票できる可能性が高まると思う。もっとも、実際には住んでいない≠フに住民登録している≠ニいうこと自身が妙な感じではある。そんなこんなで、専門家に言わせれば単なる技術の問題ではないということになるのかもしれない。
明るい選挙推進協議会(09/06/25-2316)
 あなたもいろいろなところに首を突っ込んでるんですね=Bそんな声をかけられそうだが、私は熊本県明るい選挙推進協議会≠フメンバーであり、しかも会長まで仰せつかっている。私にとってはまことに重いお役目である。お名前をお出しするのは控えるが、そもそもは熊本に来て30年近くもお世話になっている方からお話があった。私なんぞがお引き受けしていいものかとは思ったが、人生は何でも勉強である。そう考えてYes≠フご返事をした。つい先日、今年度の会議があった。いまや衆議院の解散をめぐって世の中は騒然としている。テレビも新聞もいつかいつか≠ニ大騒ぎである。その時期ははっきりしないが、今年は必ず衆議院選挙があることだけは間違いない。そんな中で、明るい選挙推進協議会≠ニしては公明正大な選挙を目指すことはもちろん、多くの有権者に投票してもらうために様々な働きかけをすることになる。ところで、女性の参政権が認められた戦後初の第22回衆議院選挙は1946年4月10日に行われている。そのときの投票率は72.08%である。その後、1993年までは中選挙区制で行われている。そのときが第40回で、19回の選挙が行われたことになるが、14回は投票率が70%を超えている。そして、5回だけは60%台だが、最も低い数値でも67.26%である。それは中選挙区制最後の1993年で、宮沢内閣に対する不信任決議案が可決されたときである。それから選挙制度が変更になり、中選挙区制が小選挙区比例代表並立制に変わった。制度が違うため単純な比較はできないが、その後は50%〜60%といったところで推移しているから、低迷しているといえるだろうか。前回は4年前の2005年で、あの郵政選挙ということになった。
録音プレッシャー(09/06/24-2315)
 このごろ、いろいろなところに問い合わせの電話をするとよく聞くメッセージがある。個々のケースで細かい表現は違っているが、会話内容を録音します≠ニいうのである。たとえばANAの場合は、しばらくお待ちください≠ニいったメッセージに続いて、なお通話は電話応対の品質向上とお客様との通話内容確認のため、録音させていただいております≠ニなる。内容そのものはもっともだと思えるのだが、これはある種の人たちに対する牽制の意味もあるのではないかと勝手に推測している。いわゆるクレーマー対策である。世の中にはあれやこれやと文句を言う人がいる。もちろん正当なものもたくさんあるのだろうが、中にはいわゆるクレーマーと言われる人がいたり、ほとんど脅しと思われる内容のものもあるに違いない。そんなとき、話の前に録音しますよ≠ニ言われると、ついひるんだりもするだろう。ところで、手元に届いたチケット≠使って予約をしようと思ってANAに電話した。インターネットでの予約登録方法がわからなかったからである。まずは希望の便に予約したあとで、インターネットでの予約はどうしたらいいのかを尋ねた。すると丁寧に専用電話がございますのでインターネットデスクにお電話ください≠ニそちらの番号を教えてくれた。その理屈はわかるのだが、その程度のことは予約窓口でも知っていてほしいと思った。いかにも丸投げ、たらい回しのように思えたのだ。こうした小さなところがサービスとして大事なのではないか。そこで私はこのくらいのことでしたら、予約窓口でもご対応していただくと助かりますよね≠ニ話しかけた。もちろん、口調はとても丁寧でやさしかったはずだ。なにせ録音されているものですから…。
いじめ≠フエネルギー(09/06/23-2314)
 いじめの個別的な原因はいろいろありうるだろう。しかし、いじめの対象が自分より弱い者≠ノ向けられることだけは間違いない。相手の方が強ければ、反対に攻撃されて負けてしまうからだ。ただし、1対1で負けるようなときには、徒党を組んでいじめることもある。この場合も力学的には自分たちよりも弱い者≠いじめることになる。また物理的な力≠ナ勝てないとなると、面と向かって対抗できない。そこで、マイナスの噂≠竍デマ≠流したりして、相手のことを貶める。噂≠ヘ多少の事実も含まれていることもあるが、デマ≠ヘ悪意に満ちた虚偽から構成されている。いずれにしても、いじめ≠ノ費やすエネルギーがあるのなら、もっと仲良くなるために使ったらどんなにいいことかと思う。ところで、このシリーズのきっかけになったNew York Timesによると、2008年の統計で、アメリカにおけるFortune誌≠フトップ500社の女性幹部は15.7%、管理者は15.2%だという。こうした少数の厳しい状況の下で、女性の方が過度に積極的≠ノなるのかもしれないという専門家もいるらしい。そして、女性がどんなにリーダーシップを発揮しようとしても、うまくやっている≠ニ評価されることは少ないという。さらに、女性がリーダーとして認知されるためには、男性の2倍は働かないといけないという研究もあるそうだ。また、女性の特性だと見られるような行動をとると甘い≠ニ言われ、これに対抗すると逆に厳しすぎる≠ニ評価されることも多いのだそうな。bullying:いじめ≠ヘことばや心理的な攻撃を含み、それが6ヶ月以上続くものと定義されているらしいが、アメリカでも女性が女性をいじめる現象が問題になっているのである。
お局さま≠フ上役(09/06/22-2313)
 お局さま≠ノ限らず、職場の経験者は部下や後輩をちゃんと育ててほしいと思う。教えるべきはきちんと教える。それがリーダーシップであり、若い人たちからも尊敬されるのである。親であれば、子どもが自分を越えることに喜びを感じるだろう。早く自分を凌駕しろと思うことだってある。仕事などの力は言うまでもないが、上背が自分を越えただけでも頼もしく思う。これが親子というものである。いわゆる師弟愛なども、これに通じるところがある。ところが、世の中では自分を越えられるといやだ≠ニいう関係もあるようだ。だからまともに仕事を教えない。それだけではなく、徒党を組んで意地悪をするなんてことまで起きてくる。本当に力があれば、若者も簡単には追いつけない。しかし、すばらしい力を何とか身につけようと努力する。それにしっかり応えて育てていく。そんな関係ができていれば、追いつかれた方も大いなる満足を感じるはずだ。そして追いついた側も相手をきちんと尊敬する。できることなら、職場でこうした物語が生まれてほしいと思う。ただ、お局さま≠スちの元気の良さについては、彼女らの上役たちのリーダーシップも問題になってくる。何せ、お局さま≠スちは十分な経験と力を持っている。それらを無視できないと思うと、ついまともな指導≠控えてしまう。ちゃんとしたリーダーシップを発揮しないのである。その結果として、新人が定着しないといった事態が起きれば組織にとってはマイナスである。しかし、ことを荒立てる≠フは面倒だと思う。そこで自分自身が異動するのを待つ。しかも、陰ではお局さん≠スちの行動について悪口を言ったりして…。いやはや、そんなことでは、職場はいつまで経っても変わりません。
お局さま≠フ実力(09/06/21 -2312)
 お局さま≠ニそれを取り巻くグループは職場で大いなる力を持っている。それがついついいじめ≠ノなったりする。もちろん、ご本人たちはいじめ≠ニ認識していないかもしれない。そもそも世の中で私、人をいじめてます≠ネんて公言する人間なんているわけがない。ほとんどの場合、相手のことを思って厳しく指導している≠ニいった話になる。しかし、周りから見ると苦しい弁解に聞こえることも少なくない。どんな説明がなされても、受け止める側から見れば立派ないじめ≠ノなっていることがけっこうある。その対象は経験の浅い新人などの女性が選ばれがちだ。そもそもは、お局さま≠ュらいになれば、そうした人たちをちゃんと育てることが期待されているのである。ところが、そうはいかずに、ついついいじめ≠ノなってしまう。新人から仕事の手続きを聞かれても、それって適当でいいのよ≠ネんて言ったりして、まともに教えない。適当でいい≠ネんてはずはないのである。また、そのときの状況によるのよ≠ニいった説明≠する。新しい者にはそのときの状況≠ネどわからない。もちろん、世の中はこんな人たちばかりだとは思わない。しかし、面と向かってご当人にあなたはお局さんですね≠ネんて言う者はいない。だから、ご本人たちは案外と気づいていなかったりして…。それってこわいですねえ。ともあれ、リーダーシップの視点から見れば、実力はあるが、人を育てる力がない≠フである。もっとも、本当に実力≠ェあれば、相手の状況に応じて教えることもできるはずだ。まともに教えてちゃんと育たれると自分の方が危うくなる…=Bそんなしょうもない発想じゃあないんでしょうねと皮肉の1つも言いたくなってくる。
職場のいじめ(09/06/20 土-2311)
 Civil War in the Workplace:Women Who Bully Women≠アれはNew York Times日曜版(09/05/24付)に掲載された記事の見出しである。bullyは名詞では弱いものいじめをする人∞いじめっ子≠フことだ。動詞だと人をいじめる、おどす∞おどして何かをさせる≠ニいった意味がある。そしてbullying≠ヘその名詞形でいじめ≠ナある(いずれも電子版ジーニアス英和)。この見出しは職場の内戦:女性をいじめる女性≠ニいった感じだろう。記事によれば、職場でわめき声≠ェ聞こえたり陰謀∞妨害行為≠ェ行われていれば、それはいじめ≠ェある兆候だという。アメリカは今回の経済不況の震源地だが、その結果として人々の間にストレスが高まっている。そうした状況下で、職場におけるいじめがエスカレートしているらしい。さすがというべきか、アメリカにはThe Workplace Bullying Instituteという組織まであるのだそうな。直訳すれば職場におけるいじめ研究所≠ナある。そこが出したデータによれば、いじめの件数は男性の方が多いが、女性が関わっている事例も40%に達している。そして、女性の場合はいじめのターゲットの70%以上が同じ女性だというのである。このあたり、日本ではどうなのだろうか。詳しい実態は知らないが、わが国にはお局さま≠ネんて言い方がある。職場で勤続年数が長く、特に同性の同僚に対して力を持っている女性のことである(大辞泉)。このことばには相当に皮肉な意味合いが込められている。ちゃんとした影響力を発揮するのではなく、とくに新人なんぞをいじめるなんて感じが充ち満ちた言い回しである。お局さま≠ノは取り巻きもいて、徒党を組んで職場で強力な活動を展開する。
世界屈指≠フ油断(09/06/19 金-2310)
 わが国が世界第2位の経済大国≠ナあるのは数字的には事実である。しかし、それも今年度あたりに3位になる可能性が高い。中国が走っているからである。中国は2007年度に第3位のドイツを追い越した。わが国を捉えるのは時間の問題だ。しかし彼の国は人口が13億人もいる。だから一人当たりではまだ、まだ≠ナあることは言うまでもない。ただ、そんな理屈を言っているようでは世界から嗤われる。日本だって1億人を超える世界第10位の人口大国である。IMFの統計では、わが国のGDPは23位である。つまりは人口分≠ノ達していないのだ。イギリスもドイツも、そしてフランス、イタリアもわが国よりも上位にいる。さらにノルウエー、スエーデン、フィンランドやスイスにオランダ、オーストラリアなんぞも日本より上なのである。もちろん、私自身はそれで自虐的な気分になっているわけではない。ただ、ことあるごとにわが国は世界第2位の…≠ニいう発言をしたがる人がいらっしゃるので、もっと冷静に現実を≠ニ言いたくなるわけだ。世界屈指の環境技術≠ノしても、本当にそうであることを願っている。しかし、たとえば電気自動車なんぞは、中国が膨大なエネルギーを投入して研究開発していることをご存じだろうか。New York TimesにChina Aims to Lead the Electric Car Revolution:電気自動車革命のトップを目指す中国≠ネんて見出しが躍っていた(4月26日)。北京や上海、天津などでは充電スタンドも出来はじめているらしい。北京などは排ガス対策のために1回の充電による走行距離が短くても十分に需要があるという。そうした条件下で技術が磨かれる。気づいたら、電気自動車のトップは中国だった≠ノなりかねませんよ。
技術力があるのなら…(09/06/18 木-2309)
 電子技術がすごいのなら、それを携帯の市場に合わせることができるのではないか。自分たちの技術水準が高すぎて、世界のレベルに合わない=Bそんなことを言っているうちに、決定的な差をつけられてしまうのである。少なくとも現状はそうなっている。わが国はハイレベルで勝負する≠ネんて自慢していても仕方がない。ものすごい技術力を持っているのなら、それを生かして信じられないような簡易型機種≠作ってはどうなのか。高齢社会の中で簡易バージョン≠ノ対する需要は増えていると思う。世界市場だって同じである。日本はちょっと早すぎるようだが、人類は多かれ少なかれ高齢化する。ところで、アメリカのピアノコンクールで全盲の辻井さんが優勝した。まさに快挙だ。そこでふと思う。目の不自由な人は世界中にたくさんいるだろう。こうした人が、音声入力でメールを送ることができたら喜ばれるに違いない。また、送られてきたメールを音声にして伝えてくれれば、これもまた大いにすばらしいではないか。いまでは音声関連の技術は相当に進歩していると思う。その技術を携帯に取り込んではどうだろう。最先端のレベル≠誇るのなら、わが国のどの会社だってすぐにも開発できるのではないか。同じ発想は聴覚に障害を持っている人にも適用できる。先方の音声をそのまま文字にするのである。これなども、すでに相当のレベルで可能になっていると思う。企業であれば利潤も考えなければならない。だから国内だけだと採算が合わないかもしれない。しかし地球規模での需要を考えれば相当な大きさになるだろう。世界第2位の経済大国∞環境技術は世界のトップクラス=Bそんな空虚な自慢はそろそろやめにして、しっかり前進しませんか。
ハイレベルという自信過剰(09/06/17 水-2308)
 とにかく世界市場における携帯電話ではNokiaやSamsungに大きく引き離されている。アメリカの調査会社によれば、2008年では、Nokia が38.6%でダントツ、2位のSamsungが16.2%である。そして3位は同じ韓国のLGで8.3%を占める。この3社で60%を超えているのだ。そして4位にようやくソニー・エリクソンが8.0%で入っている。エリクソンはスエーデンの会社らしい。ソニーの名前が出ているが、これは2社の共同体なんだろう。個別で見れば、京セラが7位で1.4%、シャープが1.0%という寂しさだ。つまり携帯に関して言えば、日本はほとんど影響力を持っていないのである。こうした現状について、素人の私が目にする解説はかなりワンパターンである。つまりわが国の携帯はきわめて多機能でハイレベルだというのだ。なにせ、あれもこれもできるのである。これに対して世界市場では単純で、基本的な会話機能を持っているものが歓迎されている。わが国のハイレベルな技術が苦戦の原因だというわけである。しかし、そんなことで自慢したって仕方がない。ハイレベルの技術があるのなら、それを最大限に生かして世界が驚くようなシンプル型を開発できないのか。本当は実力があるんだ≠ネんて言ってるのはいいが、いつの間にか二流、三流化への坂道を転げ落ちている。それでは、GMが車の主流は大型車で、小型は日本や韓国と提携すればいいなんて考えていたのと変わらないのではないか。GMが本当にそう認識していたかどうかについては、新聞情報に依存しているだけだから、ちょっと怪しいところもある。それはともあれ、わが国の携帯電話の現状とそれに対する説明を聞くたびに、まるで車のGMと同じではないかと思えてくる。
GMと日本の行く末(09/06/16 火-2307)
 
ゴールデンウィークにスペースワールドの前を通った。少なくともJRの駅から眺めた限りでは、その時期の割には押すな押すなの混雑にはなっていなかった。観覧車のゴンドラにも人影が見えなかったような気がした。うまくいっているのかなあ≠ニ人ごとながら心配になった。もちろんわが国の造船だって、依然としてしっかりがんばっている。しかし、建造量ではすでに中国や韓国の後塵を拝している…。そうした状況の中で今回はGMが破綻した。それは何年後かの日本の自動車産業の姿ではないのか。先日、ハゲタカ≠観に行った。投資ファンドが主役の経済戦争を題材にした映画である。これからご覧になる方のために詳しい内容は言えないが、問題を抱えた自動車メーカーアカマ≠めぐる争奪戦がテーマである。そこには中国資本が絡んでいる。これからわが国で起きるモデルを見るようだった。私はすでに還暦を超えた。その点で、私自身は先が見えている。したがって、わが国がとんでもない試練に直面する姿を見ることはないかもしれない。しかし孫まで授かった私としては、この国の行く末に不安を募らせている。今回のGMの状況を見て、ふとわが国の携帯電話が頭に浮かんだ。この分野ではすでにGM現象が起きているのではないか。わが国はいまでもエレクトロニクスでは世界の最先端を走っている≠アとになっているのだろうか。少なくとも携帯電話については日本製はまったくふるわない。その理由は簡単で、世界中ではシンプルな携帯が受け入れられているからだ。そのため、高級志向で、これでもかこれでもかと言わんばかりに複雑なことができる日本製は競争力がない。フィンランドのNokiaや韓国のSamsungにかなわないのである。
どうにも止まれない(09/06/15 月-2306)
 GMの危機は10年後(?)には日本のものになる。アメリカで起きたことは10年後に日本で起きる=Bこれが正しいのであれば、GMの崩壊は対岸の火事ではなくなる。本当にそうなるかどうかは時間を待つしかない。しかし、そんな話があるのなら、それなりの対応をしていくことで、危機を克服することができるかもしれない。いま手を拱いて漫然と時間の流れに身を任せていたらどうなるか。わが国でアメリカと同じことが繰り返されることになる可能性もあるわけだ。人類は万物の霊長≠ネどと言われる。しかし、それは人間の自己評価であり、自分たちが勝手に叫んでいるだけである。リーダーシップの研究でも自己評価≠ヘ相当に危ういことがわかっている。いろいろ見ていると、人間は学ぶ能力に欠けているのではないかと思ってしまう。今回の経済危機の発端になったアメリカのバブルだってそうだ。1980年代の日本を冷静に分析すれば、サブプライムローンなんてものも抑えられたのではないか。一人が走り出すと、とにかくみんなが走り出す。そして走り出したら止まれなくなる。なんかおかしい∞どこか怪しい=Aそしていつかダメになる=c。そんな思いがあっても、結局は壊れるまでブレーキがかからない。とにかく自分で止まれないのである。どう見ても人間は学ばない動物≠フようである。ともあれ、GMの危機から学ぶべきものは多い。アメリカの10年後は日本の姿§_に立てば、その兆候はいろいろありだ。すでに家電の白物は中国製が席巻している。液晶や半導体は気がつけば韓国に追い抜かれている。製鉄にしても、そのノウハウを教えた中国がトップを走る。あの八幡製鉄もいまでは敷地の一部はスペースワールドになっている。
10年後の自画像(09/06/14 -2305)
 いつも話題にして恐縮だが、天気情報や地震などもバッチリ予測≠ニいうところまでは達していない。ましてや、経済学などは、結果の説明は盛んに行われているが、予測≠ニなると相当に厳しいのではないか。もちろん、心理学だって偉そうに言う立場にないことも承知はしている。いや、自分が専門にしている心理学の課題を認識しているからこそ、ほかの科学≠フあり方が気になるのである。自分たちの問題を棚に上げて、他の領域の揚げ足を取っているのではないか=Bそんなご批判にはじつはそうなんですよ≠ニ居直ることにしている。ともあれ、人間科学≠ヘいわゆる科学≠ノなり得るのだろうか。そんなことをいつも考える。そうすると、経済≠ヘとても気になる存在の代表になる。さらに、私としてはいわゆる理系的な科学の応用だと信じている気象学≠竍地震学≠ノついても気になってくるというわけだ。この手の話は、これからもずっと取り上げることになるだろう。それにしても、あのGMが破綻するのだから、まさに世の中は何が起きるかわからない。ところで、アメリカの出来事は10年後には日本で起きる≠ニ言われてきた。すべてが当てはまる訳ではないが、そうだなあ≠ニ納得するような側面もかなりある。犯罪の凶悪化や離婚率の上昇などは、そんな具体例として話題になったりする。もう、何十年も前のことになるが、日本のエレクトロニクス産業の成長によって、アメリカのテレビ産業が駆逐された。鉄の街ピッツバーグもいまでは様変わりしているのではないか。その遠因の1つは日本の製鉄業の躍進だと思う。そして、とうとうGMの破綻である。自動車産業はアメリカの命ではなかったか。それが崩壊の危機に瀕している。
予測する力(09/06/13 土-2304)
 とにかく経済の専門家はもっとしっかりしてほしい。そもそも景気と不景気は交互にやってくるらしいが、その程度の予測でいいのなら誰にだってできる。プロであるならば、次の回復はいつごろで、それはその程度の規模になるのかを予測してほしい。さらに、景気回復のためにはどうすればいいかについても、それなりに納得できる方策を提言していただきたい。まあ、ご本人たちはそうしている≠ニ仰るだろう。そこでもう一つ大事なことがある。それは一定の期間ごとに予測の評価≠自主的にしていただきたいということだ。ほおらごらんなさい。私の予測が当たったでしょう≠ニ自慢してほしいのである。もちろんはずれ≠スら、それを潔く認めて、その原因についてしっかりと整理する。それがプロ≠ニいうものだろう。科学が素人と一線を画すのは予測力である。たとえば、私はいま熊本で大きな地震が来る≠ニ言うことはできる。ただし、その理由と時期についてはなぜかわからないが、いつかは必ず≠ニしか言いようがない。しかし、この宣言が当たる可能性は極めて高い。ただし、その時期はひょっとすると1万年後かもしれない。それでも予言が当たったかどうか≠セけを問題にするなら、それが当たった≠アとには違いない。もちろん本人自身にも確認のしようはないけれど。そんなわけで、ただ未来のことについて宣言するだけでよければ、多くの人間がその能力を持っていることになる。それが素人というものだ。その点でプロは大いに違っていないといけない。地震のたとえで言えば、その理由≠ニ時期≠しっかりと明らかにすることである。ところが、科学も基礎的なあるいは理論的なものは知らないが、応用的なものになるとけっこう怪しい。
赤字まみれ(09/06/12 金-2303)
 高速道路の1000円も一時的には喜ぶ人もいる。しかし、政治は長い目をもってやってほしい。高速道路1000円にしても、むしろ公共交通機関の通行料金をサポートして運賃に反映させてはどうだろう。環境などを考えるとそちらの方が断然いいと思う。長い目といえば、そもそも国の財政は国債などの借金で運営してはいけない≠ニ決められている(財政法第4条)。そんなこと、常識から考えて当然の話である。ところが公共事業≠ネどに関しては国会の議決でOKという規定があるのだ。公共施設は将来もチャンと残るから後世の国民にも役に立つという理屈である。そこでいわゆる建設国債≠ニいう形で国債をどんどん発行し続けてきた。話だけを聞くと理屈は付いているようだが、これがとんでもない悪魔の落とし穴≠ネのである。それが証拠に、後世の人が恩恵を受けるのではなく、維持のために赤字を補填しなければならない施設がいかに多いことか。しかも、そうした赤字を補填するための国債≠出し続けざるを得なくなっている。この手の国債を最初に発行したの1965年らしい。その後は3年ほど未発行の年があったが、赤字国債はずっと出しっぱなしなのである。こうして国の借金は増える一方である。景気がよくなれば、あっという間に問題は解消する∞日本の場合は海外からではなく、国民が買っているから大丈夫≠ネどと言われる。国民に対する借金だから心配ない≠ニ言うように聞こえるのだが、その理屈がよくわからない。そもそも、それは右肩上がり≠前提にしているんじゃあないでしょうね。ともあれ、素人には理解しづらい解説を聞かされながら40年以上も増え続けて≠「る。問題が解消するのはいったいいつ≠ネんですか。
十人十色(09/06/11 木-2302)
 バブル崩壊後の回復については、その予測は十人十色といった感じだった。十人十色≠ニいえば、考え・好み・性質などが人によってそれぞれ違うこと=i電子版スーパー大辞林)だから、ニュアンスとしては肯定的だ。しかし、経済学者の景気回復予測が十人十色≠ナは、要するにてんでんバラバラ≠ニいうことである。もっとも、それはそれで根拠があるのだろうから仕方がないことかもしれない。それならそれで、一定の期間ごとに自分の予測が当たったかどうかを評価していただきたいものだ。バブル崩壊後のトンネル≠ゥらいつになったら脱出できるか。素人なりにそんな不安を抱えていたら、気がついたら景気が回復していた≠ネんて言われ出すから参ってしまう。自慢じゃないが、いやけっこう自慢したいことがある。たまたま走った高速道路でトラックや商用車が多くなった気がして、景気が回復している≠フではないかと本欄に書いたのは05年09月13日だ。私の情報不足かもしれないが、まだ景気が回復している≠ネんて専門家の話は聞かなかったと思う。どうでしょう、ちょっと自慢できませんか。というよりは、その程度のことなら素人でも感じるんですよね。それはそうと、私はほとんど高速を使いませんのでETCなんてものは装備していません。あの1000円政策、喜んでいる人も多いのでしょうが、一方でフェリーや高速バス、JRまで影響を受けたようですね。CO2の排出などを考えると、時代の要請にもろに逆行しちゃあいませんか。しかも、1000円にしたため、その差額補填は税金で賄うらしいですね。四国の3つの橋を渡る車が増えたと言うけれど、休みの日に数倍増加したくらいでは、赤字が増え続ける状態は変わらないでしょう。
GMの破綻(09/06/10 水-2301)
 GMの破綻について専門家の分析が盛んに行われている。日経新聞でも経済学者がトラック型℃v想の破綻などを指摘している。トラック型≠ニいうのは車台と車体を分けて作り、両者を組み合わせる方式らしい。それは大量生産で自動車を大衆化したT型フォードにまで遡るという。まさに20世紀初頭、100年前のお話である。これに対して、日本などではモノコックボディ≠ニ呼ばれる車台・車体一体型≠開発するなど、ドンドン進化していった。GMをはじめとしたアメリカの巨人たちはいつまでも大型車に拘り、小型車は海外との提携などで乗り切ろうとした…。およそこんなストーリーである。分析そのものは素人が読んでもなるほどと思える。ただ、願わくばこれと同じ話を2年くらい前に、あるいはもっと前にしてもらえれば、さらにすごいのになあと思う。自動車の件に限らない。サブプライム問題だって、少しだけでもいいからその危険性を指摘してほしかった。まさか、新しい画期的な手法だ≠ネんて煽ったプロはいないでしょうね。ともあれ、新聞やテレビで読んだり聞いたりする解説は、どれもがそれなりにもっともだと思う。しかし、その多くが終わったあとのお話なのである。もちろん、私のような素人が知らないだけで、いま続々と登場している識者の中には、10年前から声高に警告していたんだぞ≠ニ仰る方もいらっしゃるだろう。そうした皆さまからは素人の難癖と笑われるのを覚悟しておきましょう。しかし、とくに経済事象に関しては、少なくともド素人に言わせれば事後解釈が多すぎると思う。もちろん先の予測をするものもあるにはあるが、これもけっこうブレている。バブル崩壊時の景気回復予想などてんでんバラバラだった。
自制≠ニ公正(09/06/09 火-2300)
 毎日新聞に同社が週刊新潮の広告に抗議したという記事が載っていた(6月4日)。毎日、朝日、読売新聞の一部が「配られずに棄てられていた」との記述に対して「厳重に抗議した」という。たまたま東京に出かけたとき山手線の電車内でその広告を見た。実際は売れていないのに販売数を多めに発表しているという内容だと推測した。いまや活字離れは深刻だ。私も授業で学生たちに新聞を読んでいるかどうか聞くことがある。統計を取ることが目的ではないから記録はしていないが、手を挙げる学生は相当に少ない。たとえば、50人中に10人いるかどうか、そんな状況である。われわれのように、朝は新聞からはじまるといった思い入れはなくなっている。あのインクの臭いや、インクが手に移ってしまうように感じる。そんな新鮮さは何とも言えないのだが…。それはそうと、週刊新潮の記述について一連の事実を挙げたあとに10行ほどの追加がある。今年の2月に週刊新潮が朝日新聞阪神支局の襲撃事件で誤報をしたという内容だ。末尾には、社長をはじめ役員9人が減俸処分になったとも書かれている。そのニュースは少し前の話だから記憶している人もいるだろう。それはたしかに事実なのだが、ここを読んだとき、かすかな違和感を覚えた。この10行で、だから今度も誤報なのよ≠ニダメ押しをしているのだ。当事者としては相当に頭にきたと推測できるから、気持ちはわかる。しかし、そこは冷静に自制する方が公正感があると思う。問題のある事実を伝えたあとで以前にもこんなことがあった≠ニ言われれば、ああ、やっぱしおかしいんだ≠ニいう先入観が生まれる。本音はそう言いたいのだろうが、そこは報道のプロである。少し押さえた方が格好よくはないか。
依存からの脱却(09/06/08 月-2299)
 そもそも依存症≠ノは今日まで≠ニか今回まで=Aあるいはこれが最後≠ニいった言い訳が繰り返される。何とかしなくては≠ニ考えてはいるのだが、気がつくとまたやってしまった≠ニなるのである。そこでどうしても心の区切り≠ェ必要になる。これをきっかけに≠ニいう思い切りができる体験である。しかし、生死の間をさまよう大病をするなど、ものすごいことがあれば別だが、このきっかけ≠ェなかなか見つけ出せないのである。そして、いつかは、いつかは≠ニ言いながらいつまでも%ッじことを繰り返していくことになる。それが依存症≠フ本質なのだろう。こうなると、心理的には事態をさらに悪い方向へ引っ張る力が生まれる。自分はこの状態から逃れることはできない≠ニいう無力感が強まってくる。うまくいかない℃ク敗体験が自信を失わせるのである。子どものころは失敗は成功のもと≠ネどと言われて励まされた。それは永遠の真実であるに違いない。失敗体験≠新たな行動の原動力にすることで人は成長する。しかし、一度落ち込んでしまった気持を立て直すのはむずかしい。それでも、とにかく失敗しながらもいつかはうまくいくと信じることだ。そして、ちょっとうまくいく≠ニその後はけっこういい方向へ転換する。何はともあれ、この私自身は、少なくともホテルに到着する前のコンビニ依存症≠ゥら克服できたのである。チョコレートやバターピーの味はいまでも忘れない。しかし、その味をもう十二分に楽しんだという満足感がある。もちろん、こらからもチョコレートやピーナツやせんべいやおかきや羊羹やカステラや大福餅等々、これらを完全に絶つことはない。しかし、きっと楽しめる程度で満足するだろう。
間食追放運動(09/06/07 -2298)
 私がはじめたのは間食追放運動≠ナある。だから、朝昼晩の3食はしっかり摂る。ただし、とにかくお腹いっぱい≠ノは気をつけることにした。いわゆる腹八分目≠ナある。こうして私だけの運動≠ェ実行に移されたのである。その成果はどうなったか。先に結果を言えば、大いなる成功を収めることになった。なんと、十数年ぶりに体重が60kgを切ったのである。毎年、積み重ねてきた人間ドックの記録で確認すると1997年以来のことである。おかげでズボンもダブダブになってきた。前の年に作ったズボンが次の年には厳しくなる。そんな状況だから家内からはやれやれ≠ニいう目で見られていた。それが両手が入るほどの余裕ができたのである。とにかく数値だけで言えば、3ヶ月で5kgは軽くなった計算である。ほとんど間食≠やめただけでここまで軽くなったわけだ。間食が体重を増やすことに決定的に貢献していることがわかる。こんな感じで成果がはっきり見えると楽しくなる。せっかくだからもう少し先まで行ってみたくもなる。とにかくやり始めると止まらない$ォ分である。しかし、何事もやり過ぎは危険だ。しばらくは現状のところで満足していた方がいいだろう。この年になって20代の体重にまで落とすこともない。それにしても、習慣というのは恐ろしい。いつも今日まで≠ニ言い聞かせながら、ホテルが近づくとコンビニに入る。悪いことに、このごろはあっちにもこっちにもコンビニがある。日によっては、今日はやめとこう≠ニ決めていたはずなのだが、気がつくとコンビニに入っている自分がいる。そして、チョコレートに手が伸びる、バターピーの袋をつかむ。夏などになるとアイスクリームのケースの方に足が向いている…。
一大決断(09/06/06 土-2297)
 インターネットを見ると、幅は大きいが刺身定食が420kcal、煮魚定食が454kcalという情報もある。これに対してアーモンドチョコレートが450kcalなのだ。それをホテルで寝る前に食べれたりすれば、1日4食の生活を送っているようなものである。まずいにきまってる。しかも私の依存は甘いもの≠セけに限定されていない。バタービーなんてやつも相当の難敵である。あの塩をまぶしたピーナツだ。これがまた袋を開けてしまうともういけない。ホテルでPCに向かって仕事をしながら口に投げ込む。そのうち残りが少なくなってきたことを意識し始める。それから我ながら何とも奇妙な行動になる。もうピーナツお袋に目をやらないのである。そして右手で手探りしながら残りの粒に手を出していく。ほどなく袋が空っぽになる…。コンビニで買ったときはそんな気持はなかった。今夜は食べても半分までのつもりだった。しかし、いつもこのつもり≠ェ繰り返されるのである。出張中でなくても似たようなことが起きる。仕事を終えて自宅に帰り着く。まずは食事前に風呂に入る。しかし、そのときにはお腹も空いている。そこでおかきやせんべいに手が出る。1枚くらいなら愛嬌だが、それではすまない。その上にお茶まで飲むから、胃はそこそこにふくらむ。おかきの代わりに羊羹やカステラのこともある。目につくところにあるものなら何でもOKなのだ。何のことはない、甘いもの好き≠ヘ事実が、せんべいやおかきなど辛口ものにだって依存の傾向が認められる。つまりは食いしん坊ということである。こうした間食の習慣が積み重なってメタボ注意報が出てしまったわけだ。そこで私は大いなる決断をすることになった。間食を追放しよう♂^動の展開である。
チョコレート依存症(09/06/05 金-2296)
 メタボ注意報に対して私が決断したのは間食Stop作戦≠ナある。とにかく甘いものに目がない。その中でもチョコレートは特別で、ほとんど依存症≠フ状態である。出張中などはホテルに入る前にコンビニに立ち寄る。まずはペットボトルのお茶を手に入れる。何と言っても水分補給は大事であるからそこまではいい。しかし、そのついで≠ノチョコレートに手が出てしまうのである。板チョコなどは一度に食べるのは4片だけ≠ニ一応は決めている。しかし、その一切れを口に入れるともういけない。あの喉を刺激する深い甘さに、ついもう一切れ≠ニ手が伸びる。ホテルでは風呂に入る以外は寝るまで仕事をしている。それもまた重度の仕事依存症≠ナはある。ともあれ、その大半はPCに向かっている。そして仕事をしながら右手がチョコレートに向かうというわけだ。このもう一切れ∞もうちょっとだけ≠ェいけない。その声は私が発しているのだが、正確に言うと心の中にいる悪魔が私に言わせているのだと確信している。そうとしか考えられないのである。そして気がつくと銀紙だけしか残っていない…。いつも板チョコというわけでもない。アーモンドをチョコレートで包んだボール状のものなども相当に魅力的だ。仕事をしながら1個ずつほおばっていく。もちろんはじめは2、3個のつもりでいる。しかし、これもまた収拾がつかなくなる。もう1個だけ≠フ声が響き渡る。そして板チョコと同じ過ちを繰り返す。そして気がついたら残りは2、3個ということに気づく=Bいや本当はしっかり気づいているのだが、手の方が止まらない。こうして空箱だけがむなしく残ってしまう。板チョコは270kcal、アーモンドチョコに至っては 450kcalを超えている。
メタボ注意報(09/06/04 木-2295)
 昨日まで造船所の話題について書いた。その際に、食わせる人∞食わせてもらう人≠ニいう言い回しを使った。これは少しきれいにした方がよかった。それは食べさせる人≠ニ食べさせてもらう人≠ナある。もちろん意味は同じことだけれど、後者の方を採用させていただこう。ただし、すでに書いてしまったからそのタイトルや文章には手を入れない。さて、私の母は47歳という年齢で亡くなってしまった。もともとは胃がんを切除するということで手術したのだが、不幸にして医療ミスで命を落とした。手術は無事に¥Iわったとされたが、数日後にお腹がふくらんだ。医師から原因は縫合不全≠セったといわれた。そのため再手術したが、その傷口が塞がらないまま旅立った。私が25歳になって2週間ほど経過した10月末だった。そんな体験もあって、私自身はグループ・ダイナミックスの視点から少しでも事故をなくすための研究をしたいと思ってきた。そして、いわゆるリスクマネジメントと呼ばれる領域で、それなりにお手伝いもしている。さらに、この個人的な体験があるため、私はお守り代わりに人間ドックに通っている。共済組合から人間ドックへの補助が出るのが35歳からである。ただ、35歳になった年はすでにドックの申し込みが終わっていた。そこで私がはじめてドックに行ったのは36歳のときになる。それからは欠かさず通うようになった。そして昨年ですでに25回目を終えている。若いころは健康に問題が起きようがない。それが回を重ねるうちにデータが悪くなっていく。当然のことである。そして昨年はメタボとまでは言われなかったが、気をつけた方がいいくらいの状態になってきた。そんなこんなで、3月にちょっとした決意をした。
感謝の気持ちだけは…(09/06/03 水-2294)
 私の目の前に、真夏の炎天下で溶接をしている人がいた。ペンキの霧の中で塗装をしている人もいた。それも自分と同じような20代の若者である。そのとき、私は確信した。この世の中は食わせる人≠ニ食わせてもらう人≠ゥら成り立っているのだと。そして、私が食わせてもらう¢、にいることは疑いのない事実であった。新しい作業着を着てピカピカのヘルメットをかぶる。そして偉そうにインタビューをしている私はいったい何なのだ。そんな強烈な思いとともに、ものを造っている人たちに感謝しないといけない≠ニいう声が聞こえたきた。もちろんそれは自分の声だった…。あれからもう40年近くが経過した。現場で出会った方々もリタイアされているはずだ。それはもう昔話になった。しかし、私はあのときの衝撃を忘れていない。食わせてくれている$lたちに対する感謝の気持ちは持ち続けているつもりだ。もちろん、いくら格好つけても、そこには決定的な限界があることも知っている。それは、ただ口で言っているだけのことだからである。そこまでの思いがあるのなら、食わせる方に回ったらよかったじゃないのか=Bそんな声が聞こえてきそうだ。それはたしかにそうなのだ。しかし、現実には私はいまでも食わせてもらう@ァ場のままでいる。そして食わせてもらう¢、にいた方が間違いなく楽で、生活の糧も得られやすい。そして還暦を超えたいま、これからも食わせてもらう¥況が続いていくことだろう。そんな実態だから、いくら食わせる人に感謝すべきだ≠ニ叫んでも、その発言は迫力に欠けている。しかし、そんな限界を抱えながらも、私としては、食わせる&々に対する感謝の気持ちだけはしっかり維持していきたいのである。
溶接と塗装(09/06/02 火-2293)
 わが国の造船界が世界のトップを走っていたころ、三菱重工業(株)長崎造船所で大がかりな安全運動が展開された。そのプロジェクトに私も参加することができたのである。きれいな作業着を身につけ、ピカピカのヘルメットをかぶって現場に入っていった。誰が見てもわかるように、船の外枠はすべて鉄でできている。その鉄板は、とくに夏の炎天下では、色が赤くなるのではないかと思うほど熱を帯びる。ここに生卵を落とせば目玉焼きができるよ=B実際に見たわけではないが、作業長さんがそんな話をしてくれた。それこそ肉だって焼けるのではないかと思われるほどだった。そんな過酷な状況の中で、鉄板を繋ぐために溶接している人がいたのである。溶接は文字通り鉄を溶かせてくっつける。アセチレンガスの光と臭いは強烈である。酸素と混合して火をつけると3000℃になるという。その光はまともに見ることはできないからグラスをつける。また強烈な火花も飛ぶ。それから身を守るために重装備が必要になる。この仕事を炎天下で行うのである。その中には若い人もたくさんいた。ご本人たちに確かめたわけではないが、私と同年齢の人たちも少なくなかった。そして、その仕事の過酷さを見て私はことばを失っていた。大変ですね=Bそんないい加減な声かけなど頭に浮かぶ余裕さえなかった。また別の仕事場へ回る。そこでは塗装が行われていた。やはり若い人が一生懸命に船体へ向けてスプレーをかけていた。作業着はペンキにまみれている。塗料に含まれる物質を吸い込まないようにマスクとゴーグルを着用している。この仕事も、とくに夏場はとてつもなく消耗するに違いない。こうした状況の中で働いている人々を目の当たりにして、私はある確信に達した。
造船大国(09/06/01 月-2292)
 1970年代、日本の造船は世界のトップを疾走していた。その大きさも巨大化し続ける。出光興産の出光丸≠ヘ歴史上はじめて20万トンを超えた。1966年のことである。そして、タンカーはさらにマンモス化する。そしてついには長崎の香焼島に、究極ともいうべき100万トンドックまで造られた。1972年のことだから、もう37年もの歳月が経過している。このあと、日立造船でも1973年に熊本県の有明工場で操業を開始している。こちらは1973年である。この年はいわゆる石油ショックで、そのころから造船の先行きが厳しさを増し始める。もちろん日本はいまでも世界の中で造船大国の地位を維持している。しかし、トップは韓国に奪われ、日本は第2位、その後に中国が続いている。そして、中国が韓国を抜くのは時間の問題だといわれている。こうした競争の中で、日本は品質を売りにしているという。これは他の分野でもしばしば聞かれる話である。しかし、それは韓国や中国の質がいつまでも低い状態にあることを意味しない。それも相対的な比較の問題であって、じつは多くの領域ですでに逆転されているのではないか。もちろん、ここで消極的な話ばかりしていても仕方がない。われわれも前向きの気持でアイディアを出しながら仕事をしていくことが大事なのである。そのためにも、この国に生まれてよかった≠ニ感じられるような状況を創っていくことが求められている。私自身も高齢者≠フ領域に入ってきたから、健康で長生きできる℃{策は大事にしてほしい。しかし、それと同時に、これからの国を創る℃qどもたちをちゃんと育てるための働きかけが欠かせない。しかし、子どもに選挙権がないためか、子育てへのサービスは大いに不足している。