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味な話の素
No.70 2009年02月号(2162-2192 )
党首の発言
(09/02/28 Sat-2192)
昨日から危機管理について考え始めた。そのために、このごろ騒ぎになっている国のトップたちの対応を取り上げるつもりだった。ところが、一昨日から新たなニュースが話題になっている。民主党の小沢氏が駐留アメリカ軍について記者たちにコメントした。日本の防衛は第7艦隊だけで十分ではないか≠ニいった趣旨の内容である。正直なところ、私は第7艦隊≠ノついて名前以上に正確な情報をもっていない。その任務や範囲、実力などがどのようなものであるのか知らないのである。だから、それで日本の防衛が十分≠ネのかどうかも、まったくわからない。国の安全に関して、平気でまったくわからない≠ネどと言うこと自身が大いに問題なのだろう。こんなことを言っていると、国会で国民は安全については知らないと思う≠ネんて答弁されるかもしれない。それはともあれ、無知な点は私の問題だが、一般的な日本人はどうなのだろうか。われわれが若いころはベトナム戦争が泥沼化していた。また60年につぐ、70年の日米安保条約改定についての議論が沸騰していた。そんな中で、反政府運動や反戦・反米のデモなども行われていた。過激な学生運動が展開されたのもこの時期である。その先に日本赤軍のハイジャックや浅間山荘事件などが繋がっている。わが国初のハイジャックよど号事件が起きたのは1970年である。東京から福岡に向かっていた日航機が日本刀などで武装した9名に乗っ取られたのだ。犯人たちは平壌に行くことを要求した。最終的に、よど号は福岡空港から飛び立ち、韓国の金浦空港に着陸した。そこを平壌とだまそうとしたのだが、その作戦は犯人たちに見破られてしまう。その後の交渉で1人の政府高官を人質にして平壌へ向かうことになる。
危機管理問題
(09/02/27 Fri-2191)
中川さんの問題は、その後もいろいろ出てきている。バチカン博物館の見物でも警報が鳴るような行動をするなど、一騒ぎあったという。世の中では危機管理≠竍コンプライアンス≠フ議論が沸騰している。そんな中で、国家のトップは最高のレベルが要求される。それにしては、いかにも杜撰な危機管理と言わざるを得ない。今回の一連の騒動から、またまた多くのことを学ぶことができる。どこから始めていいか分からないほどいろいろある。まずは国会で任命責任を問われた際の総理の答弁だが、私は(中川氏と)飯を食べたことは何十回もあるが、私の前で酒を飲んだことはない。この数年、酒席で彼が酒を口にした記憶はない…≠ニ述べている(2月20日付 毎日新聞)。ことの真実は確かめようがないので、ああそうですか≠ニ言うしかない。ところで、21世紀に至っても政治家の会合は料亭≠ェ多いようだ。ニュースでも大物が車から降りて料亭に入ったり、密談(?)¥I了後に門の前で車に乗ったりする光景が流される。だから、料亭の女将にでも聞けば、何十回の真実≠ヘ分かるかもしれないなあ…。まあ、ああしたところは口が堅い≠フが売りだろうから、確認なんかしてくれないだろう。それにしてもどうして料亭≠ネんだろうか。何分にも密談≠セから国会の中でというわけにはいかないか。しかし、それならホテルの会議室でもよさそうなものだ。とりあえずビール≠ゥらはじまって、ほらほら≠ネんぞ言いながら徳利でお酒をつぎ合わないと話≠ヘ進まないものかしらね。最初のうちは料亭の女性に酒をついでもらうが、いよいよ大事な話≠ノなると、人払いをして席を外させる。まあ素人としては映画なんぞでよく見るシーンである。
手段の目的化
(09/02/26 Thu-2190)
自分たちの業績を残す≠アとに拘ると足元を見られる。ブッシュ政権末期の北朝鮮に対する対応については、私なんぞですらうまくいくわけはない≠ニいうコメントを本コラムに書いたくらいだ。相手側から見れば、飛んで火に入る夏の虫≠ナはないが、絵に描いたような功を焦る℃pに笑いが止まらなかったに違いない。ともあれその結果はといえば、何の進展もないことは誰の目にも明らかである。最初の訪問国として日本にやってきたクリントン氏も、改めて6カ国協議の重要性を指摘した。また拉致被害者の家族にも会い、きちんとした対応を取る姿勢を見せた。ブッシュ政権末期には、拉致は日朝間の問題で、明らかに核問題の解決を優先させているように見えた。少なくとも今回の発言を聞けば、その態度に修正を加えたと言える。前政権にとっては、いつの間にか自分たちの業績≠残すことが目的≠ノなってしまっていたのだ。この点は洋の東西を問わないようだ。政党や総理大臣を筆頭にした政府の役職も、国民の幸せを増進するためにある。それらはすべてが手段≠ネのである。ところが、当事者たちにとっては、その地位≠死守することが目的≠ニ化する。何が何でもいまの状態を守ろうというわけだ。そこで、ついつい目立った業績≠上げようと焦ってしまう。大向こうをうならせるパフォーマンスもしたくなる。その勢いが余って、とんでもないことをしでかすことがある。自分≠フあるいは自分たちの@ァ場を守ることだけしか頭にないから、手段が目的化している≠アとにも気づかない。こうした傾向は国のレベルだけに限ったことではない。組織の大小を問わず、また個人でも、手段が目的に化けてしまっている例は少なくない。
目的と手段
(09/02/25 Wed-2189)
目的≠達成するために手段≠ェある。しかし、この二つはしばしば混同される。ここまで経済が発達したからには、最低限のお金は最低限の生活をするために必要ではある。その意味でお金は手段≠ネのである。だから、もう少しゆとりがほしいと思えば、それに応じた収入を求めたくもなる。それはそれでいいのだけれど、ものごとは程度が問題だ。その気持ちにどこかで行き違いが生まれる。気がつくと、いつのまにかお金≠ェ目的≠ノなってしまっている。こころ豊かな生活や人生の目的などどうでもいい。とにかく金≠ウえあればいい、稼げればいい。そんないい≠アとずくめではまずいに決まってる。しかし、われわれ人間には目的≠ニ手段≠混同させてしまう困った力が備わっているようだ。それは経済≠フ世界だけではない。政治の目的は、世の中の人々を幸せにすることにある。もちろん、それにはこころ≠熈経済≠熈豊か≠ノなることを含んでいる。アメリカの大統領だって同じはずだ。自分が歴史に名前を残したいなんてことは個人的・私的な目的≠セと思う人間はいるかもしれないが、公的な大統領≠ノ与えられた目的ではあり得ない。しかし、任期≠ェ迫り、それに加えて人気≠燉獅ソてくると、妙な悪魔が襲ってくるようだ。目的と手段の混同≠ヨの誘惑である。昨年、政権末期のアメリカが取った北朝鮮に対する前向き≠フ対応などは、その典型である。主役の大統領はもちろんだが、知能指数が200なんてほんまかいな≠ニ言いたくなる国務長官も含めて、素人でも驚いてしまうような決断≠してしまった。厳しい評価の中で、自分たちの業績を歴史に残すこと≠セけが最大の目的になっていたのではないか。
ばあちゃんと孫
(09/02/24 Tue-2188)
チンチン電車でお年寄りに席を譲った男性がいた。私と同じくらいと思われる年齢だ。おばあちゃんは無事に座ったが、その横に座っていた客が立ったので席が空いた。そこに若者が座ったのである。彼はおばあちゃんが男性から席を譲られたことを知っているはずだった。なぜなら席に座ったすぐ後で、彼がおばあちゃんの孫らしいことが判明するからである。この光景を見て私はかなりの驚きを覚えた。電車を降りてから、家内も同じ気持ちだったことが分かった。おばあちゃんが席を譲ってもらったのだから、その隣が空いたら男性に声をかけるべきだろう。おばあちゃんに席を譲っていただいて、ありがとうございました。こちらが空きましたのでどうぞ=Bこれはフルコースの回答で、ここまで言うことを期待しているわけではない。いや、ほとんど無言であってもいい。こちらにどうぞ≠ニいう所作だけでもしてくれないものなのか。それに席を譲ってもらったお年寄りだってしっかりしてほしい。隣が空いたら男性に声をかけるのが常識というものだ。孫を座らせるなんて、何を考えてるんかいなと考えてしまう。まずは若者が気づいてほしいことは言うまでもない。しかしそうでないときは、ばあちゃんが教えてくれないとまずいではないか。それに加えて、ほら、こんなときに席を譲ってもらうと、年寄りは助かるんだよ。あんたも同じようなことがあったら席を立ちなさいね=Bまあ、これを他人に聞こえるように教育しろとは言わないけれど…。それから街で娘と会い3人で夕食を摂るためにこぢんまりしたレストランに入った。何という偶然だろう。あの祖母と孫のペアが食事をしているではないか。おばあちゃんがしっかり支払いをしていたことは言うまでもない。
席を譲る
(09/02/23 Mon
-2187)
電車に70歳くらいの女性が乗ってきた。すぐ目の前には立っている人がいたが、私としては席を譲ろうと思った。自分だって還暦≠越えた。もちろん、五十肩≠煬o験済みである。それどころか、このごろは六十足≠竍六十腕(かいな)≠患い中だ。もちろん六十足≠竍六十腕≠ネんて私も聞いたことはありませんよ。しかし、とにかくそのあたりが痛んだりするんです。まあ、そんな状態ではあるが、さらに年配のお年寄りと思われる女性だったので席を譲ろうと思ったのである。そこでやおら席を立とうとした瞬間だった。向かい側の男性がどうぞこちらへ≠ニ声をかけて席を立った。見たところ、私と変わらない年齢の人だった。おばあちゃんは、ほんのちょっと躊躇する風に見えたがありがとうございます≠ニ言って席に座った。私としてはその男性に先を越された≠けだが、それはそれでけっこうなことだ。負けて悔しい≠ネどと嘆くような話ではない。ところが、その後に味な話の素′けの物語がはじまるのである。その電停では降りる人もけっこういて、その女性の横の席の人も席を立った。つまり、男性が席を譲らなくてもおばあちゃんは座ることができたのである。しかし、こうした事態はよく起きることである。ともあれ、目の前に席を譲った男性が立っているのだから、今度はおばあちゃんがここがあきましたからどうぞ≠ニ言うか、そんな素振りを見せる番だと思う。一度は席を譲ろうとした私は、そんな物語が続くと推測した。ところが、その期待は見事に裏切られることになる。何と、老人の横に10代後半くらいと思われる若者がスッと座ったのである。どう考えても、彼は男性が老女に席を譲ったことを知っているはずだった。
路面電車
(09/02/22
Sun
A
-2186)
家内と市内電車に乗った。熊本はいわゆる路面電車というかチンチン電車が残っている。これがなかなかいい。ヨーロッパなどではトラム≠ニ呼ばれているが、首都でも立派にその役割を果たしている。アテネでもウィーンでも、そしてプラハやベルリンでもしっかり走っていた。私もけっこういろいろなところへ行っているでしょう。さりげなく、いや露骨に自慢してるわけです…。それはともあれ、それぞれが町の普通の景色としてとけ込んでいるのである。これに対してわが国では、路面電車は交通渋滞の元凶とされた。とにかく車の邪魔だということで、大都市からは追っ払われてしまったのである。そんなわけで九州でも福岡ではとうの昔に廃線になった。私が学生のころは、たしか35円均一で走っていた。住んでいたのは福岡市の西区にある室見町。そこから東区の九大中門まで定期券で通った。かなりの距離で、50分くらいかかったかと思う。その間には千代町、呉服町、川端、中州、天神、赤坂、平和台、大濠公園、西新、防塁前などなど、観光案内に出てくるような場所がずらりと並んでいた。定期券だから、どこででも乗り降り自由であった。まさに値千金の定期券である。しかし、そのチンチン電車もいまはない。九州で路面電車が健在なのは熊本のほか、長崎・鹿児島である。大分や宮崎でも昔は見た気がするが、いまは走っていないのではないか。ともあれ、その熊本市電に夕方の5時ころに乗った。家内と私は席が空いていたので、そこに座った。全体としては立っている客が若干いるという感じの混み具合である。そんな中、つぎの停留所でかなりの人が乗ってきた。私は乗車口の正面近くに座っていたが、その中に見たところ70歳くらいの女性が目に入った。
格調高く…
(09/02/22
Sun
@
-2185)
私としては、翻訳本や副題を除いて、書名にグループ・イナミックス≠ェ入った本はわが国で初めてだったと思い込んでいる。とくに意図したわけではなかったが、結果としては嬉しい限りである。一般的には専門書と受け止められているから、普通の本屋さんではほとんど見つけることができない。数年前に学会で札幌に行ったとき、JR駅近くにあった紀伊国屋の書棚に1冊だけ静かにはまっているのを見て、ごくろうさん≠ニ声をかけた。ただ、グループ・イナミックス≠専攻している学生さんたちだろうか、ときおり買ってもらっているようだ。ありがたや、ありがたや。かくして、とにもかくにも1冊だけは自著を出したことになる。まことにささやかではあるが、これで夢≠ヘ実現したのである。その後、熊本大学で開催している公開講演会知のフロンティア≠フ記録をブックレットにする話が持ち上がった。これまた幸運にもチャンスをいただいて、熊本日日新聞社から出版された。私の講演録だから、品格などはこれっぽっちもない。しかし、私としてはれっきとした自著のつもりである。タイトルは人生をよりよく生きるノウハウ探し −対人関係づくりの社会心理学−≠ナある。内容のレベルは置くとして、熊本大学ブックレットの第1号なのである。この点は大いなる自慢話になる。もっとも、第1号はもっと格調の高い講演にすればよかったのに≠ニ言われそうではある。しかし、それも後の祭り、出てしまったのだからご容赦いただくしかない。表紙は熊大のキャンパス内にある夏目漱石の彫像だ。私も漱石と肩を並べるほどになったかと密かに満足している。ただし、私と漱石の共通点といえば、背が低いことと足が短いことくらいのものですが…。
本日21日(土) 16:00 から 23日(月) 9:00 まで工事のためホームページにアクセスできません。
自著の出版
(09/02/21 Sat-2184)
自分の本を出版する≠ニいう若いころの夢≠ヘなかなか実現しなかった。ただ、いろいろな分野の専門雑誌から原稿を依頼され、連載物を書いたりはしていた。そうした中で、心理学関係の書籍を専門にしているナカニシヤ出版からお仕事をまとめてみませんか≠ニいうお誘いを受けるようになった。私としても夢≠フ実現のため前向きに考えましょう≠ニ返事をしていた。そして、最初の話からはけっこうな時間が経過したが、ようやく2001年になって自著を出版することができたのである。すでにときは21世紀になっていた。まさに世紀を超えた夢の実現≠セった。書名は人間理解のグループ・ダイナミックス≠ナある。すでに書いていた原稿は看護系のものが多く、それらを組み込みながら本を書こうと考えた。そんな事情から、はじめに想定した書名は看護のための社会心理学≠セった。事実、これを前提に完成に近いところまで書いたのである。しかし、この書名では読者層が限定される。私としては幅広く読んでいただきたい。そこで、タイトルを人間理解の社会心理学≠ノ変更することにした。しかし、ここでまたちょっと待てよ≠ニ考えた。私の専門は社会心理学≠ナはなくグループ・イナミックス≠ナある。ただ、その名前はほとんど知られていない。だからこそ社会心理学≠ニいう書名にしていたのである。しかし、この際はグループ・イナミックス≠使おうではないか。そんな気持ちになって、最終的には人間理解のグループ・イナミックス≠ニ決めたのである。当時は翻訳本や副題としてグループ・イナミックス≠ニいうことばが使われている本はあったが、書名そのものにグループ・イナミックス≠ェ入ったのは初めてだったと思う。
出版とビジネス
(09/02/20 Fri-2183)
私が本の1章を書いたのは1979年のことである。大学在学中から存じ上げていた安藤延男先生からのお誘いだった。書名は心理学入門≠ナ態度と世論≠フ章を執筆した。それから30年、この本はいまだに現役である。その後も分担でいくつかの本を書いた。また数本の翻訳もした。ただし、私の本との関わりはそれほど多くない。本は商品だから、何と言ってもある程度は売れる目処が立つ必要がある。つまりは授業で使うことが期待されるのである。ところが、私の場合は本来の専門である心理学を教える機会が限られていた。いわゆる心理学プロパーの所属ではないからである。教育情報科学∞視聴覚教育∞視聴覚メディア論∞生活科教育∞健康相談∞教育実習=c。いまでも思い出すおもしろいエピソードがある。中国地方の国立大学の先生から電話があった。まったく面識のない方である。教育心理学♀ヨ連の本を出すので、その1章を書いてくれないかというお話だった。はっきりした記憶はないが、あまり得意とする領域ではなかった。そこで私としては渋ったのだが、何とかならないかと言われる。そんな流れの中で私は何気なくこんなことを言った。それはともあれ、私は教育心理学の授業を担当していません。ですから教科書としては使えませんが…=Bこの一言を聞かれた瞬間だった。ああ、そうなんですか。じゃあお願いしても仕方ありませんね=Bこれでおしまいである。そこで私が苦笑したことは言うまでもない。何のことはない、売れる市場をもたないのではお話にならないのである。もちろん、それを取り立てて責めるわけにもいかない。採算を度外視した素晴らしい本もあるが、基本的には出版はビジネスだから売れなければまずいのだ。
活字体験
(09/02/19 Thu-2182)
まだ印刷が活字の時代、校正が真っ赤になるほど修正を入れる人がいた。売れっ子の作家で1週間に5本も6本も連載を抱えている大物に悩まされた出版社も多かったと思う。これはマナーの問題であり、書く方がしっかりしておかなければいけない。そうこうしているうちにワープロ全盛の時代を迎えた。ともあれ、自分の手書き文字が活字に変身するのは快感である。私の記憶にある活字の初体験は中学校3年生のときに書いた卒業文集である。いまではそれがどこに行ったかも分からないし、書いた内容も憶えていない。そのつぎに思い出すのは高校卒業時の文集だ。このとき書いた内容はしっかり頭に残っている。あわてるな、人生はそんなに短くはない。なまけるな、人生はそんなに長くもない=B高校を卒業したのは1967年(昭和42年)だが、われながら18歳としては人生を達観したようなことを書いた。そんな台詞を吐く心境になったのにはそれなりの理由はある。しかし、それを書き始めるとまた長くなる。いつかこの件を思い出したときに書くことにしよう。自分の文章ではないが、はじめて私の名前が新聞に載ったのは18歳のときである。当時は大学入試の合格者名が新聞に掲載されていた。それはそれで嬉しかった。そんなささやかな体験を積み重ねながら、私も20代の真ん中あたりから印刷される論文などをボチボチ書き始めた。学会論文のデビューは大学院修士課程のときだった。私の大先輩だった白樫三四郎先生との共著である。そうこうしているうちに、日ごろからお付き合いいただいていた先生から原稿を頼まれるチャンスがやってきた。新しくテキストをつくるため本の1章を書いてくれというお話である。大学の教員の間では、こうした話は少なくない。
ワープロ原稿
(09/02/18 Wed-2181)
このごろは原稿をワープロで書くのが当たり前になってきた。もっとも、プロの作家などにはあくまで手書き≠ノこだわる人たちもいるようだ。それはそれで大事なポリシーである。しかし、われわれ一般人はそうもいかない。ワープロの原稿をそのまま学会や出版社に送る。そう、このごろはメールで送る≠ニころまで常識的になってきた。そんな中で、ほんのこの前、原稿をフロッピーに入れて郵送してくれというところがあって驚いた。私自身はすでにフロッピーを使っていないのである。ともあれ、ワープロ化された原稿がそのまま印刷屋さんへ行くために、校正も随分と様子が変わってきた。基本的にいえば、印刷屋さん側のミスはなくなった。文章中の活字に関する特別な注文や図表の大きさなどが指示通りでなかったなどで修正することはある。しかし、使用されている語句については、提出した原稿がそのまま印刷されているのである。その中に間違い≠ェあっても、それは書いた側のミスなのだ。そんなわけで、印刷屋さんの負担は大いに軽減された。著者から活字拾いのミス≠指摘されることがなくなったからである。それだけ書く側の責任が重くなった。しかし、そのおかげで印刷が出来上がるまでの時間も信じられないほど短縮された。また原稿に間違いがあった場合でも、書いた方が恐縮して修正を頼めば、印刷屋さんの方も割と気持ちよくOKしてくれるようになった。プロもワープロを使っているから一瞬にして修正できるからである。もちろん、最初の原稿がしっかりできていることが大前提である。どうせ修正すればいい≠ニいった気持ちで原稿を書くのはマナー違反もいいところだ。ところが、こうした常識が相当に怪しい人がいることも事実である。
想像する力
(09/02/17 Tue-2180)
やはり財務・金融大臣の記者会見が大きな問題になった。居眠りをしている状況か≠ニ海外からも揶揄されたという。ご本人は風邪薬の飲み過ぎ≠セと説明しているらしいが、あそこまで朦朧とするような風邪薬ってどんなものなのだろう。また、どれくらいの量を飲めば、あんな感じにまで至るのだろう。ひょっとしたら薬を飲むときに使った水≠ェ問題だったのかもしれない。何と言ってもイタリアの水だろうから、それこそ水が合わなかった♂ツ能性はある。風邪薬などには眠気を催すことがあります≠ネんて注意書きが書かれている。運転などは十分に気をつかなければならない。しかし、あの状態を見ているとそんな中途半端な状況ではなさそうだ。その意味では、薬の内容と飲み過ぎた量をぜひとも知らせていただきたい。そうでないとうっかり運転でもしようものなら数メートルも進まないうちに事故を起こすことはほぼ確実だろう…。まあ皮肉を言うのは止めにしよう。あれが何のせいであるか、ご本人はもちろん、周りの人たちにも分かっているはずだ。ここで2006年3月に起きた民主党の偽メール事件≠フときに書いたことを思い出す。自分がやっている弁明≠るいは説明≠ニまったく同じことを他人がしているのを聞いたとき、なるほど≠ニ納得できるかどうか。少しでもそんな馬鹿な≠ニ考えそうだったら、自分だって言わない方がいい。いやしくも責任ある立場の人は、最低限の想像力は持ってほしいのである。そして私はこうも書いた。謝らない誤りを犯してはいけない≠ニ。そして、自分の弱さを認める強さがほしい≠ニも。いまの状況を見ていると、その場をとにかくごまかそうという感じがしてならない。自己保身にも程度がある。
酒気帯び会見?
(09/02/16 Mon
-2179)
昨日の朝、G7のニュース映像が流れた。その中で中川財務大臣の雰囲気がちょっと変な感じがした。何となく意識朦朧といった印象なのである。テレビの映像でそんな感じがするのだから、こちらの勝手な認知である可能性がある。しかし逆に、一瞬のテレビ画像で第三者が気づくのだから相当おかしいとも言える。そして、夕刻になってから各局がしどろもどろ≠ニいった表現で記者会見の模様を流しはじめた。もちろん実際に自分の目で確認したわけではない。したがって、下種の勘繰りの誹りを覚悟でいえば、あれは明らかに飲酒≠るいは少なくとも酒気帯び≠フ会見だろう。海外のメディアも日銀総裁が話している間に下を向いている姿を配信したという。内輪の会合で前日のアルコールが残って臭いプンプンなんてことはないでもない。しかし、これは先進7か国財務相・中央銀行総裁会議における会見場での出来事である。世の中が経済不況の暴風雨の中で先に進めず喘いでいる。そんなときにこれはいかにもまずい。国会でも「歳入」と「歳出」を読み違えて、財務省が訂正したというニュースも流れていた。「渦中」を「うずちゅう」と読んだといって漢字が読めないのは首相だけでないと揶揄されていた。そんなところで揚げ足をとるのもどうかと思うけれど、「歳入」と「歳出」は財政の基本だから、これを間違ってもらっては困るのである。トップご本人の発言で支持率が低下していた内閣だが、ここに至って任命した人たちのチョンボが出始めてきた。最近は人の心や組織の深刻な問題に劣化≠ニいう言葉が使われるようになった。しかし、このごろのわが国の状況はもっと深刻になっているのではないか。すでに腐食≠フレベルに達している感じがする。
蘇るコロンボ
(09/02/15
Sun
A
-2178)
刑事コロンボの再放送がBSのハイビジョンではじまった。ノーカット版68本というふれこみである。主演のピーターフォーク氏は1927年生まれの81歳、最近アルツハイマー症であることが明らかにされている。スクリーンの上では、あのコロンボが生きているが、やはり時間が経ったのである。私自身は若いころあまりテレビを見ない方だった。刑事コロンボ≠ニいうやたらとおもしろい番組があるということは父から聞いた。ちょうど母親が亡くなった1973年あたりのことだ。ひとりになった父がこれはおもしろいんだ≠ニいっていた記憶がある。そしていつのことからか、私も病みつきになった。とにかく犯人が最初から分かっているという、それまでのミステリーとはまったく逆の流れがじつに新鮮だった。視聴者は、犯人が完全犯罪を狙って様々な手立てを講じるところを目のあたりにする。だから興味は犯人捜しではなく、それをコロンボがどう暴いていくかに焦点化される。田村正和の「古畑任三郎」は、もろにこの手法を取り入れている。真犯人が最初から分かっているから大物スターを起用することができる。文字通りゲストスターがそれを演じるのである。大物だけあって演技もとびきりうまいというわけだ。それも悪魔的な役割だから、それをどうこなすかも楽しめる。そして、コロンボが対決する犯人はこの上なく知能的だ。だから、少々のことでは墓穴を掘るようなチョンボはしない。また、そのほとんどが金持ちというか、今風でいうなら社会的地位の高いセレブたちである。ところが、これに立ち向かうコロンボの方はとにかく風采が上がらない。身の丈は低く、コートはヨレヨレ、靴はボロボロ、髪の毛もボサボサである。車だってオンボロこの上ない。
原稿用紙の緊張感
(09/02/15
Sun
@
-2177)
原稿用紙に一文字ずつ埋めていく。昔はそれが原稿を書くということだった。せっかく399字まで間違いなく書いていても、最後の1文字を書き損じると、はじめから書き直しとなる。少なくとも卒業論文など公式なものは、書いた上から訂正したり、欄外に追加するわけにはいかなかった。原稿を書くことにはそんな緊張感が伴っていた。日本語は修飾語の位置などに強い縛りがない。言葉の順を入替えるだけで随分と印象が違ってくる。そんなわけで、書いたあとで読み返してみると、ここは逆にした方がいいなあ≠ネどと思うことがある。文字数が同じで表現に変化がなければ、それを入れ替えることはできる。しかし、そうすると決めたら少なくともその原稿用紙1枚文はすべて書き直しとなる。そこで1文字でも増減があれば、その節の区切りまで書き替えないといけなくなる。そんなわけで、さらにいい表現法が見つかっても修正をあきらめてしまう。誰もがそんな体験をしたものである。そんなこんなでようやく書いた手書きの原稿を印刷屋さんに渡す。それから印刷屋さんを悩ます問題が生まれる。まともに読めない字で原稿を書く人がいたからだ。私たちはミミズが這ったような字≠ネどといっていたが、ものすごく達筆≠ネ人が少なくなかった。その中には書いたご本人にすら読めない字があったりして、もうこうなると漫画を越えていた。そうした原稿をもとにして1文字ずつ活字を拾っていく。それが印刷屋さんの仕事であった。大変だったに違いない。だから、プロといえども活字を誤って拾う可能性はいつもあった。そんなわけで、自分が書いたゲラ刷りを校正していると、原稿そのものの間違い≠烽ったが、活字拾いの誤り≠烽ッっこうあり得たのである。
第2の夢
(09/02/14 Sat-2176)
若いころの夢だった海外留学≠ヘ40代も後半になって実現したと勝手に′めた。さらに本を出す≠ニいうのが私の夢であった。これについては、一応は達成済みである。われわれが若いころは活字神話があった。自分が書いたものが活字になって印刷されることは、もうそれだけですごいことだった。いわゆる活字を使う道具として和文タイプというものがあった。和文タイプといえばグリコ森永事件である。もう記憶の彼方に遠ざかってしまったが、犯人たちが脅迫状をつくる際に使ったのがこれだった。千字はあっただろうか、たくさんの活字が詰まった台の中から1文字ずつ拾い出して紙に打っていく。もっと詳しい説明をしないと、これを知らない若い方々には和文タイプのイメージすら浮かばないだろう。しかし、もうそれは端っからあきらめている。実物を見てもらうしか説明のしようがない。しかし、身の回りにそれが残っているところはほとんどないだろう。ともあれ、身近な活字といえばそのくらいだった。大人にとっては名刺や年賀状が自分を活字で主張できる数少ないチャンスだったかもしれない。だから、自分の書いた原稿が活字になるのは、もうそれだけでものすごいことだった。今日のようにワープロが常識になり、自宅でもプリントできるなんて、それこそ夢のような話だったのである。だから、レベルの問題はさて置いて、自分が書いた論文が研究誌に掲載されたときは嬉しくて仕方がなかった。印刷屋さんから回ってきたゲラ刷りを校正をしていると、少し偉くなった気もしたものである。もちろん当時の原稿は文字通り400字詰めの原稿用紙に書いていた。それをもとに印刷屋さんが活字を拾っていくのである。そんなわけで、けっこう修正も多かった。
名を残す
(09/02/13 Fri-2175)
自分が楽しむことは、人生にとって最も大事なことだと思う。嬉しいことがあれば、はしゃぎたくなる。わが孫も2歳を越えて足腰がしっかりしてきた。私たちが家に行ったとき、満面の笑顔で飛び跳ねた。それを見るだけで、われわれの訪問を喜んでくれていることが伝わってくる。素直な反応は周りの人にも幸福感を与えてくれる。それはそれで素晴らしいのだが、お国の代表となると行動にもそれなりの自制が必要だ。自分の背中に日本国があることを忘れられては困るのである。そんなときは、それなりの品格≠保ってもらわないとまずい。プレスリー好きも適当に押さえてほしいのである。しかし彼の人はぶれない$lではあった。その考え方には賛否があるにしても、とにかく何を言われても揺れない人に見えた。ところが、その人が引退宣言して跡継ぎに息子をと言い出した。ブルータス、お前もか≠ナはないが、これを聞いてガックリした。この世界では2世だの3世だのは珍しくも何ともない。だからとくに目くじらを立てることもないだろう。しかし、やっぱしねえ…。あの人にやられると、なあんだ、最後は同じことかいな≠ニ思ってしまうのである。ところで、現在のトップは消費税の導入については3年後≠ニいう具体的な時期を提示している。もちろん環境が整えば≠ニいう条件はついているが、この点に関してはブレていないようだ。これは勝手な推測だけれど、彼は歴史に残ることを意識しているのではないか。過去に税金や負担を上げる時期を明示した責任者は1人もいないと思う。この点はいつも曖昧にし続けてきた。そんな中で時期をはっきりさせて増税を宣言した唯一の責任者≠ニして名前が残る。そんなことをお考えではないですか…。
留学っぽい話
(09/02/12 Thu
-2174)
若いころに海外に留学して腕を磨く≠ニいう私の夢は実現しなかった。その後もチャンスが声をかけてくれることもなく40代を迎えた。職場の環境も長期の不在が憚られる状況だったことはすでにお話しした。そして40代も半ばになった1994年になって、ついにオーストラリアの大学からお声がかかったのである。そのときは、職場の定員が2名になって、比較的長い期間を海外で過ごす環境も整っていた。しかしそうは言っても、すでに年間の予定も入っており、誘いに応じて直ちに出かけることはできなかった。そこで1年半後の1996年でも受け入れてくれるかどうかを尋ねてみた。幸いにも、その答えはYes≠ナあった。こうして準備万端、私は1996年4月から9月までの正味6ヶ月間の予定で西オーストラリア大学に出かけたのである。所在地はオーストラリア西部の都市パースである。鹿児島市と姉妹都市の提携をしているインド洋に面した美しい町である。私は40代の半ばを過ぎていたから、これを留学≠ニいうわけにはいかない。しかし、そこは調子のいい私のことである。ほとんどのことを自分に都合のいいように解釈するのだ。そこで、オーストラリア滞在を、若いころからの夢だった海外留学の実現≠セと考えることにしたのである。ふと思い返すと、あれからもう13年が経過しようとしている。いつものことながら光陰矢のごとし≠体感する。この6ヶ月の体験をネタに味な話の素≠書いていくと、これまた相当の回数が必要になる。そもそもどうして西オーストラリア大学なのかという話から始めれば、それだけで5回や6回は費やすことになるだろう。そんなわけで、今回は海外留学という夢の実現(っぽい)§bだけでとどめておこう。
天真爛漫と品格
(09/02/11 Wed
A
-2173)
人に品格≠要求するほど自分に品≠ェあるなどとは思っていない。正直に言えば私の仕事のスタイルは品≠ノ欠けている。授業や講演ではいわゆる教壇や演台の場所にじっとしておられない。あっちに行ったりこっちに行ったりする。落ち着きがないのである。しかし、私は教師だからそれでも受け入れてもらえると思う。その点で言えば、組織のトップは落ち着いていなければならない。立場に応じた品格≠煌待される。このところ発言すると話題になる彼の人が昨年末に熊本の商店街で演説した。地元のテレビを見ていたら、うちの旦那が100%信用できると思う人ぉ…≠ニいった言い回しで聴衆に問いかけていた。政治だって100%の支持が必要だなどと言っていたら何もできない。とまあそんな気持ちから出た発言だと思う。それは分かるが、その立場を考えるとやっぱし上品とは言えないなあ。その内容も言い回しも。彼にはブレーンはいないのかいと聞きたくもなる。もちろんいるはずなのだが、天真爛漫、天衣無縫、そんな周りの声などは聞かん坊≠ネのかもしれない。その点では、いまだに世論調査で人気≠ェあるらしいあの人も、つい眉を顰めてしまうようなことがあった。アメリカに行ったときのことだ。飾りのついたメガネをかけてギターを抱え、体をねじっている映像が流された。もちろんロックの帝王プレスリーの真似をしているのである。傍らにブッシュ大統領夫妻と娘が経っている。その顔は笑ってはいた、しかしあれはどう見ても苦笑いだった。なんとも言えない中途半端な笑いなのである。南部出身でおそらくは陽気なアメリカ人≠セと思われるブッシュ氏が唖然としているのだ。ご本人が楽しくて嬉しくてたまらないのは分かるのだが…。
チャンス到来
(09/02/11 Wed
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-2172)
私が所属していた教育工学センター≠ヘ定員が1人だったから、1年間も不在にするわけにはいかなかった。そのため、海外研究≠ヨの応募もしないまま時間が過ぎていった。そんな中で教育工学センター≠ェ教育実践研究指導センター≠ヨ改組され、定員が1名増えることになった。これで、スタッフの1人が比較的長期に不在にすることも環境的には可能になった。しかし、そのとき私はすでに40の大台を迎えていた。じつは、海外に比較的長期に出張する在外研究員(と呼ばれていたと思う)≠フ応募者には年齢制限があった。もうはるか昔のことだから正確なことは記憶にないが、40代はすでに危うかったと思う。まだ年齢制限そのものは超えていなかったかもしれないが、それから応募書類を出しても間に合わない程度の年に達していたことは間違いない。これまた憶えていないが、何年か継続して意思表示をしておかないとそのチャンスが回ってこないシステムになっていたからである。そんなわけで、厳密に評価すれば海外に留学して腕を磨く≠ニいう若いころから抱いていた私の夢は実現しなかった。それからさらに数年の時間が流れた。そして1994年に大阪と福岡で開かれた組織の安全に関する研究会で西オーストラリア大学のロバート・ウッド教授と出会うことになる。これが大いなるチャンスとなったのである。帰国したウッド教授から、西オーストラリア大学に来ないかという誘いの手紙が来たのだ。その時期は1995年4月からで6ヶ月間と書いてある。この手紙は私を興奮させたことは言うまでもない。もちろんすぐにでも出かけたかったが、あまりにも急な話である。いくらセンターの専任が増えたからといって、即6ヶ月も不在とはいかない。
品格問題
(09/02/10 Tue-2171)
数年前に国家の品格≠ニいうタイトルの本が出た。数学者の藤原正彦氏の著書だが、たちまちベストセラーになった。その後女性の品格≠ニいう本も出版されている。後者は読んでいないので評論はできない。しかし、こちらもベストセラーになったようだ。品格≠ヘ普通名詞だからパクッたなんて品格に欠けることは言わないが、いや言ってるか、タイトルだけ見ると二番煎じだなあとは思う。ともあれ、わが国のトップについても、その品格がちょっと気になってきた。そもそも組織のトップというのは、品格だけでなく、どっしり落ち着いた、いわば風格といったものも期待される。もちろん笑いをとるのもいいが、それもユーモアのレベルでなければまずい。いかに罵詈雑言を浴びせられても威風堂々と対応する。もちろん、相手をなめたり馬鹿にしている態度などこれっぽっちも見せない。それでこそ、さすがトップ≠ニいわれるのである。こうした基準から見ると、わが国のトップはかなり勘違いをされているのではないか。ジェスチャーを交えるのはいいが、どうも体をねじって踊っているように見える。つまり軽いのである。個人的な特性だからあまり責めてはいけないが、ときどき妙な笑い声を発する。これも相手を低く見ている雰囲気に充ち満ちている。映像を見ている限りそう感じてしまう。報道は特定の部分だけをカットしているから、それだけで全人格的な判断はできない。そのあたりはわれわれ庶民もメディアを読み解く力を磨いておかないといけない。しかし、そうだからこそトップたる者は言動に気をつけなければまずいわけだ。もちろん庶民的∞気さく≠ニいったイメージを創り上げる演出も必要だろう。しかし、それで品≠落としてはまずい。
海外への道
(09/02/09 Mon
-2170)
私の仕事場である教育工学センター≠ェ教育実践研究指導センター≠ノ変わった。私が40代に突入する年である。それまで10年の歳月が流れていた。このときまでセンターに所属する専任は1人だった。その当時の国立大学には教員を海外に派遣する制度があった。それに応募することで1年ほど海外で研究するチャンスが得られたのである。教育学部の教員の仕事は多分野にわたっている。それこそ国語・算数(数学)・理科・社会などの教科から、音楽や美術の芸術系、そして保健体育などの実技系もある。教育学や心理学は教職系などと呼ばれている。特別支援教育や養護教諭を養成する課程もある。総合大学のことをユニバーシティというが、教育学部はさながらミニ・ユニバーシティなのである。そんなわけで、様々な領域に属する教員たちが海外へ出かける希望を出していた。私もその気になって資料を整えれば、すぐには無理でも数年後には認めてもらえる確率は高かった。すでに私と年齢が近い人たちも海外に長期滞在する事例が増えはじめた。そうした状況の中で、私は希望を1度も提出しなかった。海外に行くことには大いに魅力を感じ、現実に力を付けるというメリットもあった。しかも、出かけるのであれば若いうちがいいというのはどの世界でも同じである。それにもかかわらず、私が希望を出すのを阻止していたのは、職場の教員が1人という環境だった。今でもそうだが、センターには事務の仕事をしてくださる方が1名いらっしゃる。ただし、発足の当初から専任ではなくパートでお願いしている。こうした状況だから、1年近くも専任教員が不在というわけにはいかなかったのである。それは当然のことであり、私としてはその状況を淡々と受け入れていた。
熊本移住
(09/02/08
Sun
-2169)
鹿児島女子短期大学から熊本大学に移籍したのは1979年(昭和54年)10月である。今年が2009年だから、それから30年目を迎えたことになる。引き算すればそうなるのだが、自分は30年もの年月が経ってしまった実感はない。人間国宝などこの道ウン十年≠ネどといって大いに称えられる。そんな番組などを見ていると、ウン十年もすごいなあ≠ネどと単純に感動している。もちろんその人の業績が素晴らしいのだが、その関わりの長さに驚くのである。しかし、在職期間の長さだけであれば、私だって相当なところまでやってきてしまった。なにせ還暦の峠を越えたのですから…。さてそれはいいとして、熊本大学での所属は熊本大学教育学部附属教育工学センター≠ナある。この施設は教員養成に関わる大学に設置されていた。そのすべてにあったわけではないが、熊本大学は最後の教育工学センター≠セということを就職してから知った。同じ1979年にお隣の大分大学にも同様のセンターができたが、こちらは教育実践研究指導センター≠ニいう名称だった。おそろしく長い名前だが、その後はこの名称のセンターが設置されていく。私が所属する工学センター≠1988年(昭和63年)に教育実践研究指導センター≠ノ改組された。教育に関する実践的≠ネ研究≠推進し、その成果を生かしながら現職教師や学生を指導≠オていこうというわけである。教育・実践・研究・指導・センター≠ニ5つの名詞の組み合わせである。正式にはこれに熊本大学教育学部学部附属≠ェつくから、まともに名前を憶えてもらうなんて期待する方が無理だった。とにかく教育に関することなら何でもありの名称であった。このとき、すでに10年の時間が経過していた。
留学より就職
(09/02/07 Sat-2168)
われわれが若いころは、海外旅行が大金持ちの特権からほんの少しだけ庶民に近づきはじめた時代だった。車の免許にしても、持っている人の方が少なかった。私が大学を卒業するとき、在学中に免許を取った友人は1人しかいなかった。学生定員が35名と少なかったこともあるが、それが普通の時代だったのである。そんな状況だから、海外に出かけて研究するといった恩恵に浴せるのはお偉い先生たちに限られていた。だからこそ、海外に留学する≠アとが私の夢になり得たのである。もちろん、強い意志と高い能力をもって学生時代に留学した人はいる。あんたにはそこまでの意志と力がなかったんでしょう≠ニ言われれば、そうなのではありますが…。ともあれそうこうしているうちに大学院に進学し、これまたバタバタしているうちに、それも終わりを迎えてしまった。大学院の終わりころは就職が大きな課題になる。まずは職を得なければ食べていけない。私の場合は幸いにも、大学院を終えてそのまま助手になることができた。しかし、これは任期が1年の超不安定ポストだった。そんなことで、今度は助手の後の行き先を考えなければならず、海外留学≠ヌころではなくなった。すでに結婚もして子どもが生まれていた。そんな状況の中で、鹿児島の短大に就職する話が持ち上がった。まさに渡りに船という感じで、一も二もなくその誘いに乗った。こうして、家内と生まれて間もない息子の3人で鹿児島の人となったのである。その就職先が鹿児島女子短期大学である。そして短大での1年が無事に終了して間もなく、今度は熊本大学に応募する話が持ち上がってきた。それが1979年のことである。流れに身をゆだねる≠信条とする私はそのお話に乗ることにした。
3つの夢物語
(09/02/06 Fri-2167)
ともあれ私の夢&ィ語が1月4日で止まったままなので、脱線する前に結論から先に書いておこう。私が20代の前半に夢≠ニして頭に描いていたことは3つある。とくに優劣はないのだが、まず海外に留学して腕を磨く≠アとが大いなる夢であった。まずは勉強をという殊勝な気持ちだ。それから自分が書いた本を出す≠アとも大事な夢だった。もうひとつは博士号を取得する≠アとである。あれから40年近くの年月が経過した。その結果はどうなったか。私の自己中心的な解釈によれば、いずれもそれなりに℃タ現した。厳密に言えば最初にあげた海外留学≠ヘ達成できなかった。そもそもわれわれ団塊世代が大学を卒業するころは、海外に出かけること自身が大変なことであった。その少し前からJALパック≠ネどといった海外旅行ツアーが商品化され始めていた。しかし、それで海外に出かけるのはけっこうな贅沢だった。しかもハワイなどに数日間滞在するという、今から考えれば簡易包装のようなパッケージだった。それでも行ける人は大したもので、自力で行けない人間たちは、アメション≠ネどと呼んでいた。あまり上品でないので恐縮だが、アメリカに行ったのはいいが、何のことはないションベン(小便)して帰ってきただけじゃないか≠ニいう意味である。もちろん、アメション≠セってアメリカに行かなければできない。だから、これは行けない者の負け惜しみだった。そう言えば、当時アップダウン・クイズ≠ニいう番組があった。数人の参加者が問題に解答するのだが、正解だとゴンドラがアップし間違うとダウンしながら10問正解を競うのである。じつは私の先輩でこのクイズでトップになって、ハワイ旅行を獲得された方がいらっしゃる。
あるがまま…
(09/02/05 Thu-2166)
正月早々の1月2日に夢の話≠始めた。それが4日の2回目まで行ったのだが、いつものように脱線して途切れている。この味な話の素≠ヘ最初に考えた目的になかなか到達しない。しばしば脱線するのである。そして、そのうちに継続中であることすら忘れてしまう。まあ、まったく無責任な独り言ということで、これまでお付き合いをいただいてきた。これはけしからん≠ニ思われた方は、本コラムをご訪問されなくなるわけだ。それはそれで自然の流れである。あるがまま、あるがまま≠フ精神である。そうそう、先週は映画禅 ZEN≠観に行った。曹洞宗の開祖である道元禅師の物語である。永平寺を開いた人としても知られている。昨年10月に東尋坊まで行き、時間があれば永平寺にも足を伸ばそうと思ったが、そこまでは行き着けなかった。映画だけの情報だけれど、あの世の浄土≠願うのではなく、いまここ≠大事にする。そんな思想のように思われた。そして、いま、あるがまま、あるがまま≠大事にする…。還暦の峠を越えた我が身にとって、すんなり受け入れられる発想だ。そもそもあの世に浄土を≠ニいうのは、けっこう怪しいところがある。どんなにいまが苦しくても、あの世に行けば幸せになれる。それ自身を信じることに文句は言わない。しかし、だからいまどんなに苦しくても耐えるのよ≠ニいうのは、世の中を支配する側に有利な発想ではないか。いかにひどい目にあっても、すべてはあの世で楽しむために必要なことなのよ≠カゃあまずいでしょう。苦労は買ってでもすべきだろう。しかし、それは生きている間の達成感に繋がらないと意味がない。この世でしっかり幸せに暮らせるような社会をつくって行きたいですよね。
意識から無意識へ
(09/02/04 Wed-2165)
歯磨き≠しているとき洗面所の鏡を見たりはするが、口の中まで覗き込むことはない。それでもけっこう食べかすは取れるものである。職場で行われる安全運動も、当事者には目に見えない、気づかない食べかす≠洗い出してくれるようなものであってほしい。そんなわけで、歯磨き≠ヘ自分のためにあるだけではない。しっかり歯磨きをしていれば口臭防止にもなる。それによって他人だって助かる。この点でも安全運動≠ヘ歯磨きに似ている。それは自分の安全だけでなく仕事仲間の安全にも繋がっている。とくに職場のリーダーとなれば、部下たちの安全にも配慮する義務がある。もちろん、安全の確保と維持は組織にとっても大いにプラスになることは言うまでもない。というわけで、八方がめでたし、めでたし≠ネのである。それに歯磨き≠ヘ生まれたときから備わった反応ではない。わが孫もそうだが、最初のうちは歯磨きは大いに忌避すべき行為なのである。今も子どもライオンなんて歯磨きがあるのだろうか。私たちが子どものころ、バナナだのイチゴなどと甘い香りを付けた子ども向けの歯磨きが出た。それですっかりだまされて歯を磨く習慣が出来上がっていった。まあじつに単純な話ではある。もっともその頃は鉄のチューブで最後まで使い切るのには工夫がいった。いつのころからかラミネートチューブなんてものが登場した。ともあれ、歯磨きも初めのうちは強制され、少し慣れても意識しながらやっていた。しかし、今になってはもう歯磨きはほとんど無意識の行為になっている。それだけではない。歯磨きをしないと落ち着かない。職場の安全運動もそうあってほしい。最初は意識していないといけないが、時間の経過と共に身につくのである。
安全と歯磨き
(09/02/03 Tue-2164)
さて、安全と歯磨き≠フ話をもう少し続けよう。歯磨き≠ヘ自分の健康を維持するために実践するものだ。少なくとも、まずは人のためではない。しかも、歯磨き≠したあとは口の中がすっきりする。いやいや口内だけでなく気分までさわやかになると思う。安全運動≠セって同じことだ。まずは自分自身が安全に仕事をしないとまずいに決まっている。仕事によっては、安全を確保するためのマニュアルやルールを守ることが、そのまま命を守ることに繋がっているのだ。とにかく自分の安全≠フためなのである。そして、そのことで自分は今日もしっかり決まりを守って仕事をしている≠ニいった気持ちにもなる。それで、歯磨きをした直後のようにすっきりさわやかになるだろう。歯が悪くなれば食べるのに不自由する。それでは楽しく生きていくのがむずかしい。もちろん、年齢の壁があって永遠に自分の歯だけを維持することはできない。しかし、それでも可能な限り歯磨きをして歯を健康に保ちたい。誰だってそう思う。だから、歯磨きをするのに疑問を感じる人はいない。そして誰もいつまで続けるのか≠ニ人に聞いたりしない。食べることができなくなれば命が危うくなる。まさに歯磨きは自分の安全≠フためである。職場の安全を目指す様々な活動もこれと同じことではないか。つまりは自分の安全≠確保するために行うのである。しかも、歯磨きは自分の健康にいいだけではない。食後に歯磨きを励行すれば、口の中に溜まっている食べかすを口の外に追い出すことができる。それは職場の安全に対する障害物を外にはき出すことに通じる。マニュアルや規則に対していつも考えていれば、自分では気づかない問題に対する感受性も高まってくるのである。
優先席
(09/02/02 Mon
-2163)
早寝、早起き、朝ご飯=Bこれを文部科学省が提唱している。そんな個人的なことまで国が踏み込むなという人もいる。たしかに、どれをとっても当たり前のことである。だから人様からとやかく言われる筋合いはない。それこそ余計なお節介だということだろう。しかし、現実はどうかといえば、夜更かし、お寝坊、朝飯抜き≠ヘ大人の独占物ではなくなっている。子どもの実態について私自身は正確なデータを持っていない。しかし、ときおりお話しする機会がある養護教諭の先生方もこの点は問題だと言われる。国はもちろん、外から言われずにちゃんとできればいいのだが、それが怪しくなっているのである。昨年、横浜の市営地下鉄に乗る機会があった。電車の中でおもしろいコピーが掲示されていた。横浜の地下鉄には優先席≠ェないというのである。そして曰く、地下鉄ではすべてが優先席です=Bうーん、なかなかいいなあ。そうなのである。公共の交通機関では、どこの席だろうと優先席≠ネのだ。できるだけ昔はという言い方はしたくない。本当はどうだったか正確なことは憶えていないからだ。しかし、私が高校生くらいのときは優先席≠ヘなかったが、大人も子どももお年寄りなどが乗ってくれば席を譲っていたと思う。いやあ、やっぱし昔≠フことを言ってしまいましたねえ。ともあれ私としては、横浜の地下鉄の中でなかなかやるじゃない≠ニ思ったわけである。もっとも、わざわざ張り紙≠しないといけないところが、世の中の状況を反映している。つい先日は大阪の地下鉄に乗ったが、ここでも似たようなコピーが窓に貼ってあった。ただし、こちらの方はまだ優先席≠サのものはついていた。外から言われるまでもなく≠ェいいんですけどね。
歯磨きの理由
(09/02/01
Sun
-2162)
昨日、私の身の回りには歯磨きをしない人なんか1人だっていないと書いた。これは事実なのだが、身の回り≠謔闖ュし遠い人なら1人だけ歯を磨かないという人がいた。長い人生の中では、そんな人とも出会うものなのだ。その方の歯は馬のそれのように大きかったのが印象に残っている。お酒もたしなむ程度を越えていたと思う。酒は浴びるほど飲み、タバコはお尻から煙が出るほど吸う≠ネんて感じだったのではないか。それでも体を壊さずにおられたから驚きだった。不摂生の人にとってはこの上ない味方に違いない。その上で、さらに歯磨きまでしないというのだから、これはもはや超人なのであった。もっとも、最近の状況については存じ上げませんが…。当然のことながら、そんな人は私の一生の中でたった1人しかいない。ともあれ歯磨きは死ぬまで続ける≠アとは一般的には常識である。だから歯磨きはいつまで続けるのですか≠ネんて質問はあり得ない。組織の安全運動≠セってまったく同じなのである。そもそも歯磨きは何のためにするのか。それは歯をクリーンにすることで虫歯を予防し健やかに生きていくためである。毎日の食事をうまく食べられなければ、生きることそのものが危うくなる。もちろん食事は生命維持のためにあるだけではない。食べる行為そのものが楽しみの素であり、家族でも会話するチャンスである。それこそが一家団欒の重要な機会なのである。会話のない食事は味気ない。しかし、現代ではそうした時間すら取れなくなっている。人間として生きていく基本的条件が壊れているのである。文部科学省が早寝、早起き、朝ご飯≠ニいう運動を提唱している。われわれが子どものころは、そのどれをとっても当たり前のことであった。