お世話になりました(08/12/31 Wed-2124)
今年も最後の日を迎えた。いつも言っていることだけれど、年月日は人間が自分たちの都合で作ったものである。自然はひたすら変化を続けているだけのこと。地球は相対的には去年の12月31日と同じ関係で太陽と対面している。しかし、その絶対的な位置は去年と同じではあり得ない。銀河系そのものが移動しているんだそうな。だから、どの瞬間をとっても、われわれは過去と同じ位置にはいないのである。そう考えると、年が終わるとか新年を迎えるといって騒ぐほどのことはない。まあ、それはそうなのだけれど、人間は気持ちで生きている動物だ。年の区切りも気分転換に役立つのであれば、それもまたよしとしよう。そんなわけで人間が決めたことに過ぎないが、私もとうとう還暦を迎えてしまった。幸いにも趣味の人間ドック≠ナは、かろうじてセーフの状態を保っている。とりあえずはめでたきことと喜んでいる。おかげさまで味な話の素≠2,000回を通過した。まだ頭の方はちゃんと動いてくれるから、ネタ切れの心配はない。むしろトピックが思い浮かんで書き始めても目的地に達するまで時間がかかる。とにかく寄り道、脇道、脱線と何でもありである。今年の10月にはじめた金沢物語≠ヘまだ金沢に辿り着かないままである。そう言えば、数年前にグループ・ダイナミックスの創始者であるレビンについて書いていた。けっこう力を入れていたつもりだったが、これもどこかで止まってそのままである。そんなこんなではありますが、味な話の素≠ノはおかげさまで多くの皆さま方に見ていただいている。命がつきるまで≠ニ言うとちと大げさになるが、とにかく今のところおしまいにする気は毛頭ない。そんなわけで、また来年もよろしくお願いします。
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自殺者3万人の現実(08/12/30 Tue-2123)
バンデューラが提唱する自己効力感≠ノ対して、私がお勧めの自己満足力≠ヘ成し遂げた仕事に対して満足できる力≠ナある。ここで仕事と書いたが、それは趣味や遊びであってもいい。もちろん対人関係に関わることでもOKである。私の孫はジグソーパズルにはまっている。まあ20枚程度の簡単なものだが、1枚うまくはめられると周りの大人がわあ、すごい≠ニほめる。そこで孫も嬉しそうな顔をして自分で拍手をする。まあ他人から見れば、親バカ、じいちゃんバカ、ばあちゃんバカ、おばさんバカとなるのだろう。しかし、幼いときから小さなことで喜べる、地球上がそんな環境であってほしいと思う。世の中では今年も様々な種類の犯罪が起きた。統計的には殺人の件数は減少しているらしい。しかし、信じがたい事件が後を絶たないことは事実である。とくに犯人が誰でもよかった≠ニ発言するような殺人事件が続くと、世の中が壊れはじめているのではないかと不安を覚える。その一方で、相変わらず自殺する人が多い。警察庁の公式発表では昨年の自殺者は33,093人だった。これで10年連続して3万人を超えた。交通事故による死者数は減少し続けている。昨年は5,744人だったが、今年は5,000人を下回るかもしれない。自殺者はその6倍を超えるのだ。とにかく単純に計算すれば、1日に82人が自ら命を絶っていることになる。しかも、これは警察庁が確認したものに限られる。年間10万人ともいわれる行方不明者の中には自殺している人もいるに違いない。したがって、実際の自殺者は警察庁の数値より多いと考えるべきだろう。そうした人を含まなくても1時間あたりの平均値で3〜4人が自殺しているのだ。何とも深刻な状況といわざるを得ない。 |
自己満足力(08/12/29 Mon-2122)
心理学が自然科学を父と勘違いしたのではないか。そんな文句を言いながら、その一方でこころ≠数式にしたらおもしろいなんて考えてしまうのである。われながらいい気なものだと思う。もちろん、数式といっても私流のもので、まあこころの算数≠ニいった感じである。当然のことながら、それはこころ≠客観的に測定できるような数式ではない。簡単に言えば、ことば遊びに過ぎない。しかし、それが少しでも人の気持ちにひっかかってなるほどそれはそうだなあ≠ニ受け止めていただければ大満足するのである。これぞ究極の自己満足だと思う。こんなところで居直っても仕方ないが、私としては自己満足≠ナきる力=自己満足力≠ヘ、人生を豊かに生きるために欠かせないと考えている。心理学には自己効力感≠ニいう概念がある。心理学者のバンデューラ(Bandura)が提唱したもので、原語はself-efficacy≠ナある。英和で引けばefficacy≠ヘ薬などの効きめ、有効性、効果≠ニなっている(ジーニアス英和)。与え られた状況の中で自分はうまくやれる≠ニいう期待と確信のことである。これが新たな行動の動機づけにもなる。自己効力感≠ノついては夥しい数の研究が行われている。このバンデューラ先生と親しく(?)接して話をする機会を持ったことがあるというのが私の自慢話のひとつである。そこで自慢ついでに証拠写真を貼り付けておこう。これは1996年1月にシドニーで行われた組織の安全に関するワークショップでの1コマである。右がバンデューラ氏で左にいるのが私である。このとき私は40代、さすがに若そうに見える。生まれて初めて南半球のシドニーに行った。夏の盛りのシドニーで正月を迎えたのである。 |
心の算数(08/12/28 Sun-2121)
心理学の実験が人工的だと言うのは難癖に近い。そこに文句をつけては元も子もないのである。しかし、それにしてもリアリティがなさ過ぎる…。私の目にはそう見えて仕方がないのである。そんな思いの中で、E=mc2 なんて式を目の当たりにすると、その意味はさっぱり理解できないのに、自然科学はすごいなあと感心してしまう。なにせ宇宙の現象をこんな単純な式で表現できるのだから。しかも、その正当性をこの世のほとんどの研究者が認めている。もっとも、相対性理論と量子論の間には、若干かどうか知らないが意見の不一致があるらしい。そうだとしても、世界の学者がいずれかの立場は支持しているのだろう。いわゆる人間科学≠ナ世界中が2つくらいしか分かれないような理論がありますかい。政治にしても経済にしても、そんなものは見たことはおろか、聞いたこともない。どんな理論で動いていたのか知らないが、経済では世界中が真っ暗である。そんなわけで、自然科学の見事さには目を瞠るのである。ところで、わが国ではじめてノーベル賞を受賞した湯川秀樹氏は、文明論や人生論を語り随筆なども残している。こうしたものを見ると自然科学者にはかなわないなあと思う。私だって、その評価を問わなければ、文明論や人生論も語れるし随筆だって書ける。しかし、それに加えて相対性理論を語ることなど逆立ちしてもできないのである。宮本武蔵ではないが二刀流はかっこいい。ともあれ、自然を科学的に理解することは素晴らしいと思う。そしてそれができる自然科学者はこれまたすごいと尊敬する。そこで文化系的小人はふと思うのである。宇宙があれほどシンプルな数式で表せるのなら、その中で生まれた人のこころ≠セって数式にはならんもんかと…。 |
リアリティ問題(08/12/27 Sat-2120)
心理学の母は哲学である。それは間違いないのだが、心理学は自然科学を父だと勘違いした。これが私の仮説である。父親あるいはそれに近い人に憧れを持つのはけっこうなことだ。しかし、成長する過程の中で自分のあるべき姿を見つけ出すことも大切である。あつとき父親と思っていた人がそうではなかったと気づく。そこで、思い切って袂を分かって独立する道を選ぶこともあっていいではないか。自慢じゃないが、いや心理学の領域では本当に自慢できないのだが、私はこれまで実験と呼べるものはほとんどしていない。もちろん心理学の研究には、感動的な素晴らしい実験があることも知っている。ここで名前を挙げることは差し控えるが、背筋が寒くなるほどすごい実験をした同僚もいる。しかし、その多くがリアリティに欠けている。それが私の実感である。実験は条件を統制して見極めたい要因の効果を明らかにするのが目的だ。だから、多少のリアリティは犠牲にせざるを得ない。たしかにそれなりの理屈ではある。しかし、何と言ってもこころ≠対象にする心理学ではないか。やはり必要なリアリティは確保しないとまずいのである。物理学の世界であれば、ものが存在すること自身がすでにリアルな現象である。そして、もの同士の関係や動きも客観的に測定することができる。これに対して、こころ≠ヘある≠ニいうだけでは存在≠オている証明にはならない。ある≠フは大脳という物あって、こころ≠ノとって大事なのはその内容である。ところが、その内容が客観的な事実であることを証明するのはまことにむずかしい。それに加えて心理学の実験はいかにも人工的である。おやおや、そこまで言っちゃあおしまいだ。実験はもともと人工的に決まってる。 |
父らしき人の真似(08/12/26 Fri-2119)
心理学は科学≠憧れの父として、その真似をしようとしてきた。そこで実験を重視したし、それによってこころ≠測ろうとがんばった。しかし、物理現象のように人のこころ≠測ることは至難の業である。はっきり言えば、科学と同じレベルで測定するなど不可能なのだ。それでも努力は続けられる。たとえば、被験者にそのとき考えていることや気持ちの状態を聞くことはできる。これについては心理学に内観法≠ニ呼ばれるものがある。人が自分の心の内側を観る方法だから内観法という。そこで述べられたことは事実≠ナはある。しかし、それは確かにそうした発言があった≠ニいう意味で事実であって、その内容が事実≠ネのかどうかわからない。それに、個人の口から出たことばが客観的だとはとても言えない。それは主観≠サのものだから。主観を交えながらそう言う発言をしたこと℃ゥ身は客観的ではある。しかし、そんな説明はかなり胡散臭い。少なくともその発言をした人のこころ≠フ中身まで測定できたというにはあまりにも弱すぎる。意地悪な人なら、それを客観的なデータだと言うのはこじつけだ≠ニ笑うのではないか。まあ、そんなこんなで、心理学は客観的に測ることができるものだけを対象にすべしという意見が出てくる。それが極端に走ると、電気刺激の強さと筋肉の収縮の程度、それに伴う心拍数など、いつの間にか生理学とどこと違うのと思いたくなるような方向に走っていく。まあそんなことが議論された時代もあったのである。心理学の歴史を振り返ると、そのあたりの大揺れが手に取るようにわかる。どうしてそうなったのか。私自身はいわゆる自然科学を父≠セと勘違いしたところに心理学のゆれの原因があったと思う。 |
究極の心理学?(08/12/25 Thu-2119)
大脳の研究がドンドン進んでいけば、人が考えていることがわかるようになるだろう。それはある意味では心理学の到達点でもある。これが実現した暁にはあらゆる犯罪の防止も可能になる。何と言っても、人が考えていることが手に取るようにわかるのである。金を取るために強盗をしようと考えていてもすぐにばれてしまう。たまたま目撃者がいなくてもなんの心配もない。俺は人を殺した。とにかくバレれないようにしなくっちゃあ=Bそんなことを頭の中で考えている奴を捕まえればいい。もう裁判などいらない。すべては大脳の中にある記憶を整理すれば責任能力の有無なども一目瞭然なのである。しかし、そんなことで喜んではいられない。そうなった瞬間にわれわれは人間性そのものを喪失するのである。あらゆる自由が奪われると言ってもいい。まさに思想・信条の自由≠ネど吹っ飛んでしまう。この世をうまく生き延びていくためには、考えることを止めなければならない。人間は考える葦である=Bだからこそ、肉体は弱くても地球上でもっとも強い存在としてここまで進化してきた。その人間としての力が失われるのである。人が考えていることを理解できる=Bそれは心理学にとって究極の目標だった。これから先、それが現実のものになるかもしれない。ただし、今でいう心理学≠ナはなく大脳生理学≠フ世界で実現されるのだ。まことに皮肉なことだが、そのとき心理学の父が正真正銘の客観科学≠ニいうことになる。個人的にはそんな時代は来てほしくない。まあ、映画がシニア料金で観られるようになった私としては、生きているうちにそこまで到達するのは無理だと思う。しかし、科学≠フ流れは、その実現に向かって間違いなく走り続けている。 |
心の支配(08/12/24 Wed-2118)
このまま進むと、人が頭の中で考えていることがわかるようになる。なんと恐ろしいことだろう。そこまで行くとものごとを考えること自体が危なくなる。相手に対する好き嫌い≠セって、それを感じただけで相手に読み取られるのだ。好意を感じていれば、それは弱みを見せたことになる。敵意を感じていれば、相手から攻撃される可能性が高まる。もちろん状況はお互い様だから、その結果は弱肉強食の世界になる。とにかく体力的に強い者、経済的に強い者が勝ち続ける。そんな光景が常態化するだろう。支配者と被支配者がはっきりと分かれ、ほとんどの人間は考えることも許されない。考えるとその内容がすべて読み取られるのだから。その様相はまるで古代の奴隷時代のようになる。しかし、その当時は支配者がどんなに巨大な権力を持っているといっても、それには限界があった。エジプトの国王だってアフリカの北西部のほんの一部をコントロールしていただけのことだ。ローマ帝国だのなんだのというけれど、それだって地球規模で見れば、支配地は限定された領域だった。かの大英帝国は日が沈まない≠ニいわれた。世界中に植民地があって、地球上のどこかには日が当たっていたからである。しかし、それでもすべての国≠支配したわけではない。しかし、人の心が読み取れるようになると人間たちの力の格差が無限大に広がっていく。その極限に浮かぶのは支配者が地球そのものをコントロールする悪夢の世界である。そもそも自分の心がとみ取られた¥u間に、人は自分の自由をすべて剥奪されることになる。もう一個の独立した人間ではなくなってしまう。地球が少数者に支配されるといった物理的な問題が起きる前に、すべての人が人間性を喪失するのだ。 |
脳の科学(08/12/23 Tue-2117)
今日では、こころ≠フ中枢が大脳にあることは誰もが認めることだろう。しかし、そのメカニズムは大雑把なところしかわかっていない。実際に頭蓋骨を開けても灰白色(だと聞いている)大脳が見えるだけのことである。少なくとも外見的には、その中身がどう変化しているかすら見えない。もっとも、つい最近のニュースでは人が目で見ている内容のイメージをコンピュータで画像化する技術ができたらしい。それを国際電気通信基礎技術研究所というやたらと長い機関が発表した。この研究所は京都にあるのだそうな。こうなると、そう遠くない時期に人間が考えていることまで解析できるようになる可能性がある。それこそが人のこころを分析する$S理学の究極の到達点だと言えるだろう。しかし、その成果は大脳生理学やコンピュータサイエンスの領域で得られるものである。それは現時点でわれわれが考えている心理学とはかなり離れたところにある。もちろん、認知科学などという分野では、これらが重なってはいる。しかし、それはこれまで心理学者を育ててきた環境とは相当に違った専門領域になる。少なくとも心理学者が大脳生理学に進出するというよりも、流れはその逆になるだろう。それにしても、人のこころ≠ェ解析される世の中とはどんなものだろうか。人間の思考内容や喜怒哀楽がすべて読み取られ、ほとんど100%の精度で予測される。当然の結果として、それらをコントロールすることも可能になる。その力を少数のものが持つことになれば、他の人々はもはや人間とは言えなくなるだろう。あるいは、すべての人間がその力を持てばどうなるか。他人が頭で考えていることがなんでもわかってしまう。そんな状況は想像もできない混乱を生むだろう。 |
心理学の両親(08/12/22 Mon-2116)
心理学は哲学を母とし、自然科学を父のようにして育ってきた。母親からは人間とは何か≠探求する遺伝子を受け継いだ。これに対して父はこの世を何でも理解するぞという自信満々の態度と、それを究極まで探求するぞというチャレンジ精神をもっていた。子どもにとって、父は存在そのものが憧れだった。どこから現代風の科学がはじまったか。それは科学史の本を見ればすぐにわかるだろう。私としては、ガリレオがピサの斜塔から重さの違うものを落として自由落下の実験をしたということくらいは知っている。もっとも、この話はガリレオの弟子による創作なんだそうな。まあ世の中は何が真実かわからんものですなあ。また科学の分野でも実験によって多くのことが発見された。そんなめざましい進歩を目の当たりにすれば、人間の探求だって同じやり方で…≠ニいう気持ちになるのも自然の流れだった。そんなわけで、心理学には人間を対象にした実験が当然のことのように取り入れられた。そして人間の行動について誰もが納得する客観的な測定法が求められたのである。ところが人の身長や体重は簡単に測れるが、人のこころ≠フ方はそううまくはいかない。あー、日本語は素晴らしい、奥が深い。ここで身長は測る、体重は量るが正しい漢字だろう。この程度のことで感動できる自分に感動してしまいますなあ。まあそれはおいといて、人の行動でも○m歩いた≠ニか○回発言した∞○秒間じっとしていた≠ニいったことは数量化できる。しかし、そうした目に見える行動の原因であるこころ≠フ中身までは見ることができない。したがってそれを測ることもできない。そもそもこころ≠ヘどこにあるか。それが大脳にある点では、一応の合意はあるだろう。 |
人と数式(08/12/21 Sun-2115)
無理数≠フような中学生でも知っている用語が和英辞典に載っていないというのは大いなる発見だった。また、無理数≠ェ永遠に割り切れない≠ニいうことをどんな風に証明しているのか。これまた興味深い。高校ではその証明も教えられたのだと思う。しかし、もうそれはまったく記憶にない。そもそも永遠≠ニはなんぞや。この宇宙に終わりがない≠ネんてあるのか。もしそうだというなら、終わりがない¥リ拠を示してほしいものだ。まだ終わりは先の話だが、少なくともはじまり≠ヘあったはずだ。だって、それがなければ今はないはずだから…。とまあ、そんなこんなで無理数≠ノついて考えはじめると再現がなくなる。そこで無理数に関わる追求は別の機会に譲るとしよう。いずれにしても、ものの世界で数式が大いに役立つことは疑いない。そうだとすれば、その宇宙の極小な部分を構成する人間世界でも数式が成り立つのではないか。それこそ人のこころ≠セって数式が使えないか。そんな気持ちになってきた。そもそも心理学は哲学を母として、科学を父のように考えて育てられてきた。歴史を振り返ると父≠ナはなく父のように≠ニいう表現が当たっているだろう。天体を含む物理や化学の分野では、実験や観察などの(一応)客観的な手法を用いて、めざましい進歩を遂げた。ここであえて(一応)という表現を使った。私としてはそれなりに言いたいことがあるからだ。たとえ物理・化学のような自然科学の領域であっても、事実≠ヘあくまで人間が観察しているに過ぎない。その意味で真の客観性≠ネどあり得るのだろうか。そんな議論もしたくなるわけだ。ただし、それに関わり出すと、また底なしの井戸に落ちて戻ってこられなくなる。 |
irrational number(08/12/20 Sat-2114)
和英辞典で無理数≠ェ掲載されていないことに驚いた。そこで西洋的発想では何でも無理≠ネものはなく、すべて有理≠ナ解釈しようとする。いわば論理優先の世界≠セ。とまあ、昨日はそんなニュアンスのことを書いたわけである。わが熊本大学教育学部には多様な専門性を持った教員で構成されている。国語、数学、理科、社会、英語、音楽、美術、体育、技術、家庭、養護…と、とにかくミニ総合大学である。そこで英語で無理数≠なんというのかなど、数学の専門家に聞けば瞬時にしてわかるのである。とにもかくにもインターネットの和英でも役が出てこなかったのだから、相当に楽しみになった。ところが、ちょっと待てよ≠ニ翌朝になって考えた。あくまで和英℃椏_にこだわっていたが、インターネットで検索してはどうかと頭に浮かんだ。単純な話である。そこでYahooで検索してみると、なんのことはない、あっけなくすんなりと出てきた。irrational
number≠ナある。昨日は無理数に当たる英語がないことを発見≠オて、東洋対西洋§_まで言及しかけたが、そんな大げさな話ではなかったのである。irrational≠ニ言えば、それこそ不合理、理屈に合わない≠セから、日本語と同じである。むしろ辞書に出てくる順番で言えば、理性をもたない≠フ方が先だ。なんと、理性≠持たない数というわけである。そんなことを言われたら無理数≠ェ怒るのではないか。それはともあれ、少なくとも自前の電卓辞書と、インターネットのYahoo辞書に限定されてはいるが、無理数≠ニ入れたときに英訳が出ないのはどうしたことか。このことばは少なくとも中学校では習うと思う。誰にとっても決して特殊な用語とは言えない。 |
無理数(08/12/19 Fri-2113)
宇宙の現象がシンプルな数式で表現されるというのには感動を覚える。もっとも、数学で学んだものに無理数≠ニいうのもあった。まあ、そんなことだから世の中はそう簡単にはいかない。それはそうと、無理数≠チて考えてみれば妙な表現ではある。無理≠ニは理屈に合わない≠アと、できないこと≠ナある。そこで無理数≠サのものを辞書で引いてみる。大辞林によれば分数で表すことのでにない数≠ニいうことだ。典型的な例はルート2やπなどである。分数にするのが無理だ≠ニいうことか。別の言い方だと整数の比で表す≠アとが無理な数である。そこで、これを英語ではどういうのかを調べてみた。イヤー、驚きました。英訳がないのである。こうなるともう数学の専門家に聞くしかない。しかし、これは相当に楽しい発見である。情緒的な表現は文化によって対応することばがないこともあるに違いない。しかし、数学のように論理そのものの組み立てからできているはずの領域で、翻訳語がないなんて、これは相当に驚ける話である。あちらの発想では、すべてが論理的に説明できる≠ニいった前提でものを見るのかもしれない。だから、数学的な論理の世界に無理≠ネんてことはあり得ない。何せ無理≠ニは理屈に合わないことである。これに対する有理≠ェ道理があること(大辞林)≠ネんて言われれば、なおさら無理≠ネどがこの世に存在するわけがない。そんなものの見方である。これに対して東洋的というべきか、われわれは広い宇宙は、あるいは人生は理屈ばかり≠ナ成り立っているのではないと考える。論理ばかりで世の中を見るのはいかがなものか。無理数≠ニいうことばにはそんなメッセージが含まれているような気がする。 |
宇宙と数式(08/12/18 Thu-2112)
E=mc2 という式がある。私はその内容についてはまったく理解していない。しかし、これがアインシュタインの相対性理論を説明する基本的な表現のひとつであることは知っている。現時点では、この世の中の物理的な現象を説明する理論としてもっとも基礎的なものが相対性理論なのだろう。その対象範囲は宇宙にまで広がっている。あのニュートン力学を超えるものすごいものなのである。宇宙の広大なスケールとは逆にミクロの世界もある。これも物質の成り立ちといったレベルまで極小になると、量子論というものが幅をきかせはじめる。これまた素人にはちんぷんかんぷん≠フ世界だ。それはともかく、大は相対性理論、小は量子論が主役≠ュらいの思い込みでいても、世の中に悪影響を与えることもないだろう。なんたって、素人ですから。ところで、ズーッと昔のギリシャにピタゴラスという哲学者がいた。紀元前500年ころに生きた人だから、今から2500年も前になる。あの直角三角形に関する三平方の定理は誰でも知っている。a2+b2=c2 という例の式である。中学生のときなんぞは、3辺上に正方形を作って図的に定理を証明するなど、おもしろい授業だった記憶がある。そのピタゴラスは万物の根源は数≠セと言ったらしい。それをはじめて聞いたのはやはり中学生のころだったと思う。そのときは、宇宙が1や2の数字でできてるわけないじゃんか≠ネんて程度の理解をしていた。しかし、この年になって
E=mc2 のような式を見ると、宇宙は数式で説明できるのか≠ニ妙に感動するのである。その詳しい意味はわからないながら、とにかく掛け算とベキ乗≠ナ表現される宇宙は美しいではないか。この世界はなんとシンプルで整然とできているのだろう。 |
高さ制限(08/12/17 Wed-2111)
街に高いビルが林立していることだけを自慢しても仕方がない。超高層ビルなんて、とにかく効率だけを超優先する人間すし詰め装置≠ノ過ぎないのである。ただ、最近のように経済ばかりか食糧危機も現実のものになってくると、土地についても考え直す必要が出てくるのではないか。食糧の問題は少なくとも2つの側面がある。ひとつの典型的な例は農薬問題で、これは信頼できるところで作ってもらうしかない。これだって中国が大いに問題になったが、国内でも食料についての偽装だのなんだのと相当に危うい。国内なら安心なんて言ってられないのである。もうひとつは、問題があるなしにかかわらず、食料の輸入そのものが厳しくなるおそれがあることだ。すでに中国では富裕層を中心に高級食材に人気が集まっているらしい。何と言っても13億もの人口を抱える国だ。貧富の差が極端に大きいとは聞くが、全体としては食糧需給が逼迫してくると思われる。農産物はそんな状況だから、完全とは行かないまでも自給率を上げることをまじめに考える必要がある。そのためには土地だって有効に活用しないといけない。その点で、都市部の高層化も土地問題を解決する方策のひとつではある。ところで、そうした状況の中で福岡は飛行場が都心に近すぎるために超高層ビルが建てられないのである。その理由は簡単で、安全が最優先するからだ。高い建築物があると飛行機の障害になって危険だという発想である。もちろん安全が超最優先であることは言うまでもない。それにしても、空港から一定距離の範囲でビルの高さを制限するという現行の航空法ができたのはいつのことなのだろうか。明治か大正に決まった法律がほとんどそのまま生きながらえているなんて、よく聞く話だ。 |
道草の反省…(08/12/16 Tue-2110)
組織のトップは立場を弁えることが大事なことを考えた。その話は、もともと政治家の発言などを考えた末に出てきたものだった。そして政治家のネタも、そのルーツをたどると金沢の話からドンドン逸れていったのだった。その開始日は10月30日である。それが福岡空港が都心に近くて超高層ビルが建てられないという話題にまで飛んでしまった。それでも止まりきれずに、さらに政治家の話にまで行ったのである。道草を食うのはいつものことで、私自身としてはあまり気にしていない。しかし、コラムをお読みになる方には読みづらいかもしれない。まことに申し訳ございません。お詫びをしたのだから、心を入れ替えるかと思いきや、じつはこの道草、寄り道癖を変える自信はまったくないのである。そんなわけで、すぐに金沢まで戻らず、福岡で高いビルが建たない話題から続けたいと思う。いや戻る≠ニいうよりも金沢物語≠ヘいったん終止符を打つことにしよう。そして、いつか改めて金沢の話題を取り上げたい。それでもちょっとだけ金沢のネタをばらしておくと、彼の地の観光戦略の話題だった。人口は50万に達していないから、67万の熊本に比べれば都市規模はかなり小さい。しかし、駅前の風格や市内観光のノウハウについては相当に迫力があった。それをネタに熊本もしっかりしなくっちゃあという話に持って行くつもりだったのである。まあ、金沢物語はいつかのお楽しみにしていただければと思う。そこで福岡に高層ビルが建たない話題にだけは決着をつけておこう。空港が都市部にあるため、航空法によって福岡では中心部に高いビルが建てられないのである。しかし、考えてみれば、やたらと高いビルが建ちまくっていればいいというものでもないだろう。 |
トップの責任(08/12/15 Mon-2109)
どんな世界でも組織のトップの責任は重い。大体において所得も最高で、しかも大きな権限を持っている。独断専行というわけにはいかないにしても、その意見はもっとも重視される。そうだからこそ責任の方だって最高に重くなるのである。大きな組織になれば、メンバーすべての行動を完全に把握することなどできるわけがない。それにもかかわらず、誰かがとんでもないことをしたら、その責任は負わないといけない。私は知らなかった≠ニいうわけにはいかないのである。もちろん、そんな事実≠ェあることを本当に知らなかった≠フは事実≠ノ違いない。しかし、それでも組織の長には責任≠ェ問われるのである。それが高い報酬と権限≠与えられていることの代償でもある。まあ、トップはつらいよ≠ニいうことだ。そんなわけで、トップの発言もまた相当に重いことを自覚していなければいけない。何でも言えばいいというわけにはいかないのである。あの大トヨタの相談役奥田碩さんはマスコミに対してよほど頭にきたらしい。先月のことだが、政府の懇談会の席で厚生労働省に対するマスコミの批判に対して不満を表明したという。そこで報復でもしてやろうか≠ニ言いながら、CMを引き揚げることだってできるような趣旨の発言をしたらしい。たしかにマスコミの側にも様々な問題がある。しかしいくら本音とは言っても、トヨタの相談役さんともあろう人が公的な会合でCM≠ネタに脅すのはまずいですよねえ。ご本人はその気はないかもしれないが、それを受ける側にすれば、やっぱり脅し≠ノ聞こえてしまう。とにかく与える影響は甚大なんですよね。寅さんが元気だったら奥田さん、それを言っちゃあおしまいよ≠ニ苦笑いするに違いない。 |
軽い犯罪(08/12/14 Sun-2108)
犯罪行為にも程度の差はある。軽犯罪法というものがあって、これは文字通り軽い犯罪≠対象にしている。この場合は、拘留または科料≠ノ処せられる。拘留≠ニは留置場に拘置されること。留置場は警察署にあって、そこで拘束されるわけだ。われわれは自由≠大切にしているから、それを奪われると苦痛を感じる。留置場に留め置かれると自由を剥奪≠ウれる。そのこと自身が刑罰というわけである。期間は1日以上30日未満≠ニ決まっているようだ。もう一つの科料≠ヘ、千円以上1万円未満の財産刑となっている。素人は罰金≠フことかと思うのだが、両者は大いに違っていて、罰金≠フ方が科料≠謔閧熄dい。こちらは1万円以上とされている。科料≠ニはべつに過料≠ニいう用語がある。こちらは金銭を取り立てる制裁≠ニいうことで、刑罰≠ナはないらしい。その違いを詳しく調べるのもおもしろいと思うが、それをはじめると私が本当に書きたいことから遠ざかる。それに、ちょっとばかり面倒くさい気もする。そんなわけで、今回はここでストップしておきましょう。ところで、プロの間では同じかりょう≠ニいう音なので、科料(とがりょう)∞過料(あやまちりょう)≠ネどと呼んで区別しているそうですよ。日本語は漢字を見れば違いは一目瞭然なのだが、聞いただけでは混乱することも多い。その点では、聴覚よりも視覚を優先する言語である。それこそ百聞は一見に如かず≠ニいうわけだ。軽い犯罪とはいえこれはまことにひどい≠ニ思われるようなときは、過料プラス拘留のダブルパンチもあり得るらしい。もちろんその判断は裁判官がするはずだ。ここで過料が払えない場合は、労役場≠ナ働かされることになる。 |
トップの行動(08/12/13 Sat-2107)
Change≠ヘ個人にとっても組織にとっても健康の源である。そもそもこの宇宙の中に変化しないものはない。ただし、その変化は巨視的に見ると無秩序∞崩壊≠ノ向かっているというのがエントロピーの法則≠ネるものだ。もともと熱力学から出てきた考え方だが、われわれ人間の現状と行く末にも大いなる示唆を与えてくれる。しかし、これにかかわりだすと、またどこまで脇道に逸れるかわからない。そこで、この話題については、別の機会に考えることにしよう。オバマ氏はアメリカの歴史はじまって初の黒人大統領になる。アメリカで黒人か女性の大統領が生まれるのと、わが国で女性の総理大臣が誕生するのはどちらが早いか。これについては、本欄でも以前から取り上げていた。しかし、ここで決着がついた。アメリカの方が先立ったのである。一時は、ひょっとしたら日本の方が…≠ニいう期待を持ったこともあった。しかし、その筆頭にいると目された人も、実際に責任ある地位に就くとその器に疑問が持たれたりして、現実のものにはならなかった。このところ、世の中がとにかく目一杯に暗く先行きも超不透明だ。そんなとき、劇的な
Change を引き起こすために女性が表に出てくるのもおもしろいかもしれない。もちろんきちんと責任が取れる人物でないとまずいけれど。それにしても、どんな立場でも、偉くなればなるほど自分の置かれた状況を弁えて行動する必要がある。もちろん、その行動には発言も含まれる。とにかくマスコミは鵜の目鷹の目で様子をうかがっているのだ。とくに政治家などはいいところは伝えずに悪いところばかりを取り上げる=Bそんな愚痴も言いたくなるだろう。しかし、その現実を前提にちゃんと行動しなくっちゃあね。 |
Changeと緊張感(08/12/12 Fri-2106)
現実は厳しい。野党が政権を取ったのはよかったが、そのとたんにそれまでの勢いがなくなってしまった。あるいは理念として掲げていたことも修正を余儀なくされた。まさに現実主義的≠ノ対応せざるを得なかったのである。それは経験不足だったこともある。政権は交代しながらどちらもスキルアップしていくことが必要なのだ。それに、いわゆる官僚側の抵抗もあっただろう。それまで通りの権益を守るために出すべきものも出さない。どうせそのうち政権は元に戻る。いまは息を潜めてこれまで築いてきたシステムを壊さないようにしよう…=Bこんな発想っていかにもありそうだ。そして、結果はその通りになったのである。お互いに牽制し合うような政党が交代することになれば、官僚にも緊張感が出てくるに違いない。今の政党ではOKでも、別の政党が政権を取ったらこんなことしていると突っ込まれるかもしれない=Bそう考えたら、今の社会保険庁のような問題は起きなかった可能性が高い。記載事実を勝手に書き換えるなんて、それはもう犯罪そのものである。政権が交代するような状況であれば、少なくともそうした行動は抑制されただろう。そう考えるといつも同じ≠ニいうのは、それだけで健全な組織だとは言えないのである。オバマ氏ではないけれど、いつだってChange
≠ヘ組織のキーワードなのだ。自慢じゃないが、いや自慢だけれど、私だって相当前からCha, Cha, Chaで行こう≠ニ叫んできた。その心は、Challenge
the Chance to Change yourself≠ナある。周りの環境や人が変わらないと嘆いても仕方がない。まずは自分が変わること。それによって職場も変わる。他人だって変わる。これはそんな気持ちを込めたメッセージだった。 |
100年スケール(08/12/11 Thu-2105)
敗戦後の名古屋は空襲によって焼け野原になった。そのとき市の助役だった田淵寿郎氏が100m幅の道路を造ることを提案した。その際は飛行場でも作る気か≠ネどといった批判があったという。しかし、今ではそれが先見の明≠る決断だと評価されている。東京でも100m道路の話はあった。関東大震災後の都市計画で、当時の東京市長後藤新平氏がそのアイディアを出したという。しかし、そのときは予算の問題などで実現しなかった。関東大震災は1923年のことだから、80年以上が経過している。それでも後藤新平の名前は残っているのである。このごろの年金問題にしても、若者が高齢者を支えるというシステムが破綻するのは時間の問題だ。本当の命≠ニは言わないが、まさに政治生命≠かけて決断する人間が出ないと事態はますます悪くなるばかりではないか。政治家は100年後の評価を見据えるようなスケールであってほしい。もっとも、われわれも含めてこのごろは全体的に人間のスケールが小さくなったのかもしれない。多くの政治家が選挙演説では全身全霊、命をかけて≠ニ言う。しかし、現実に当選すると行動が伴わない。そんな政治家が多くはないか。もちろん、私なんか文句をつけるだけだから気楽ではある。おまえは言ってることと行動が一致しているのか。命をかけて仕事をしてるのか≠ニ追求されると口ごもってしまう。まあ、そうではあるけれど、少なくとも政治家は命をかけるくらいの覚悟があってほしいんですよね。われわれにはテレビや新聞の情報しかないが、とにかく気迫が感じられない。もっとも、この点については政権政党だけの問題ではない。野党も攻めるときは威勢がいいが、現実に政権を取ると行動が変わってしまうこともある。 |
心のエネルギー(08/12/10 Wed-2104)
宇宙の果てがよくわかっていないように、超ミクロである物質の素に関しても、これで打ち止めなんてことは誰にもわからないのではないか。それはそうとして、とにかくエネルギー保存の法則≠ヘ人間の行動にも当てはまるような気がする。とくに国民が欲求不満状態にあるときなど、そのエネルギーは一気に危うい方向へ転化する。極端な場合は暴動といった状況も引き起こす。そうした瞬間的な爆発現象には至らなくても、たとえば世論操作に乗って走りやすくなるといった問題が起きる。そして、不満が鬱積しているほど、動き出したら止まらなくなるのである。本に載っていたのかどうか知らないが、ダイエットにバナナがいい≠ニ聞いたとたんにバナナが品薄になる。そんな国民性は、世論操作にはおもしろいように引っかかる可能性が高いと言わざるを得ない。今や世界中が経済危機の様相を呈してきた。こんなときは気をつけないとエネルギーがとんでもない方向に向いてしまう危険性がある。それはそうと、権力を持っている人は単純に強い。また周りからも守られている。だから一般市民とはちがって、失言はもちろん、普通の人ならやり過ごされることでも問題視されるのは覚悟しなければならない。とにかく役得も多いのだから仕方ないのである。そう考えると、どんな責め方をされてもうまくかわさないと一流とは言えないんでしょうねえ。それにしても、今の政治家たちの中には国のためなら命をかける≠ニいった迫力が感じられる人物がいませんねえ。国民のため≠ノ超不評なことでも自分の信念で断行する。その代わり、それが理由で地位を失ってしまう覚悟もある。そして泰然と10年、いや50年くらい経ってからわかる人にはわかる≠ネんて言い放つ。 |
システムの重層(08/12/09 Tue-2103)
システムは閉じている≠アとがポイントかと思いきや開放系≠ニいうものもある。これはなんだろうかとチェックすると、外界とエネルギーおよび物質の交換をする系≠ニある。その典型例が生体≠ニいうことである。だから1人の人間だって立派なシステムなのである。まあ、そりゃあそうだろうと思う。その人間が集まった組織なども、もちろんシステムと言うことになる。ということは系≠るいはシステム≠ニいうのは、ほとんど無限に重なっていることになる。この地球上には無数のシステムがあるし、その地球自身が太陽系≠フ一部である。またその太陽系≠セって銀河系≠フ中に含まれている。さらに私は知らないが銀河系≠烽謔闡蛯ォなシステムの部分になっているに違いない。なにせ、銀河系≠ノ当たるものは無数にあるというから、どこまで行くのか分からない。しかも、マクロ方向だけではない。大辞林には神経系≠煌ワまれている。1人の体内にも様々なシステムが重層的に存在しているのである。そう言えばリンパ系≠ニか消化器系≠ネんて言い方はよく聞くではないか。こうしてミクロ方面に走り出しても、またまた無数のシステムがあるはずである。それはクォークだのニュートロンだのと、まったく分からない世界での話にはなるが、とにかく物質の素にまで話が進んでいくことになる。そう言えば明日10日は恒例のノーベル賞の授賞式である。今年は日本人が4人も受賞するというので、まあけっこうな話だ。もっともそのうち南部陽一郎氏はアメリカ国籍だというので文部科学省は日本人の受賞者リストから除外するという。まあそれはそれとして、物理学賞については、やはり物質の根源に関する業績が評価されたようだった。 |
エネルギー保存の法則(08/12/08 Mon-2102)
エネルギー保存の法則。ある閉じた系の中のエネルギーの総量は変化しない≠ニいうものである。高校生のとき以来、まともに物理学に接したことがないから、正しい理解など期待すべくもない。いやいや、高校時代だってまともに$レしていたとは言い難い。それも40年以上もむかしのことになった。それはともあれ、閉じた系≠チてどんなものかいな。刻々と膨張を続けていると言われる宇宙≠サのものも閉じた系だと考えていいのだろうか。そもそも系≠ネるものがあやふやなのだ。そこで大辞林を引いてみる。すると系≠フCにsystem≠ニある。ああそうだった。系≠ヘsystem≠フ訳語であることは知っていた。太陽系≠ヘSolar system≠ナある。大辞林は続ける。物理・化学・生物などの分野で、一定の相互作用や相互関連のもとにある、もしくはあると想定されるものからなる全体。力学系・生態系・神経系。開放系など=Bもしくはあると想定される≠ニいうところがいい。もちろん私が勝手に想定してはいけないはずだが、まあそうじゃないかとみんなが思えば、とりあえずは系≠ネのである。この全体≠ニいう言い回しが素晴らしい。とにかくわかったようでわからないからである。とりあえずそう言っておけば何でもありで済む。たしかに細かい具体的なものを取り上げて、これも入る、あれも含まれる≠ネんて言ってるときりがない。それに、残らずチェックしたつもりでも漏れが出てくるものだ。そこで全体≠ナ一括りということにする。めでたし、めでたし。全体≠ニいうことばが使われているから、多くの要素が含まれた上で閉じているのかと思うとそうでもない。なぜなら開放系≠ネるものも挙げられているからである。 |
巧言令色(08/12/07 Sun-2101)
政治家などにはマスコミ嫌いの人が多いようだが、その気持ちは分からないでもない。マスコミ側としてはとにかく必死で攻めることを考えているに違いない。だから攻められる方から見ればマスコミは揚げ足取り≠フように写ることになる。もちろん攻める側もちゃんとしてもらわないといけない。ひたすら失言を追いかけるだけになってしまっては困るのである。それでは言論のプロとは言えない。このあたりが今日の課題のような気がしている。世のため人のために尽くす大物の政治家がいなくなったかもしれないが、攻める側もこぢんまりしてきたのではないか。えっ、お前さんのような研究者だって小物化してるじゃないか≠ナすって!しばし沈黙…。ともあれマスコミもしっかりしていないと世の中には強敵もわんさかいる。たとえば元総理の小泉氏なんぞは少なくとも口に関しては超天才だった。毎日の会見でもワンフレーズ≠ナ、インタビュー側があっという間に煙に巻かれて十分に攻めきれないことが多々あった。論語の巧言令色少なし仁≠ナはないけれど、ことば≠ェ巧みだけではまずいのである。もっとも、私なんぞにとっても話すこと≠ヘ仕事の大事な部分である。調子のいいことだけ言って、実質が伴わないなんて笑われないようにしなくっちゃあ。大いに反省…。ともあれ、マスコミ側もしっかり勉強して、スマートに口撃≠オてほしいものだ。その点、総理のインタビューなどでも突っ込み不足がけっこうある。とにかく油断は大敵だ。歴史を振り返ればマスコミを巧みに使って世論を動かした政治家も数多い。これが世論操作にまで行き着くと大問題になる。ナチの政治家ゲッベルスが嘘も100回つくと真実になる≠ネんてことを言ったという。 |
マスコミ嫌い(08/12/06 Sat-2100)
公的な立場にある人物にはマスコミ嫌いの人が少なくない。その典型は佐藤栄作氏だろう。彼は1972年6月17日に総理大臣の退任を表明する記者会見を行った。この人は7年8ヶ月間も総理大臣の地位にあり、連続在任期間としては歴代最長記録を持っている。その佐藤氏が会見場に入ったとたんにテレビはどこかね≠ニ問いかけた。そして新聞は事実を伝えないのでテレビに話しかけたい≠ニいった発言をしたのである。そのため、会場にいた新聞記者たちと険悪な雰囲気になった。テレビと新聞を区別するのは許せない≠ニいった反発の声に、佐藤氏はそれなら出て行って下さい≠ネどと答えたのである。そんな流れで、そこにいた記者たちも今風に言えばキレ≠ト会見場を出て行ってしまった。そのあと佐藤氏は1人でテレビカメラに向かって自分の退任について語り続けたのである。当時、私は大学院の学生だったが、どこで何をしていたのか、この記者会見を生で見た記憶がある。長期にわたる政権でマスコミの批判も多く、それが気に障って仕方がなかったのだろう。そう言えば、いまの総理のおじいちゃんである吉田茂氏も武勇談が少なくない。マスコミの対応話では演説中にカメラマンがしつこいと思ったらしく、演台にあったコップをとってカメラに向かって水を浴びせたことがある。この歴史的瞬間はそのままニュース映像になって残っている。たしかに報道する側も話題になりそうな発言や映像だけを切り取ったりすることが少なくない。というよりも、それが報道の本性というか特性である。昔から、犬が人を噛んでもニュースにはならない≠ッれど、人が犬を噛んだらニュースになる≠ニ言われている。当たり前のこと≠ヘネタにならないのである。 |
トップの評判(08/12/05 Fri-2099)
このごろは、日本沈没∞日本崩壊≠ノ向かってまっしぐらの様相を呈してきた。わが団塊の世代は、人生の終盤に近づいた。振り返れば、いろいろあったが、それなりに前を向いて生きてくることができた。問題はこれからである。これからの若い世代にとって前向きに走れる社会が実現できるのか。おおいに心配している。またぞろ、経済危機に対応するために景気を刺激するぞー≠セって。その1つの対策が給付金≠セったのだろう。ところが、これまた導入そのものについて議論百出、迷走中である。野田消費者行政担当大臣が総理の支持率低下に関して、失言と日本語能力が原因だと発言したという。これはマスコミ的には閣内からも批判が出たという流れで報道されていた。少なくとも私はそう受け止めた。しかし、発言がホントならちょっと待ってくださいよとも言いたくなる。それって国民を馬鹿にしてることになりませんか。だって、トップの失言と漢字が読めないということだけで支持率が下がったのではないと思いますよ。むしろ景気対策をはじめ、本当に必要な行動をすぐに取ってくれないから、がっかりしたというのが本当のところではないんでしょうか。選挙も先送りしたのですから、そのくらいのことはきちんとしてほしいというのがみんなの気持ちなんですよね。それと発言が揺れることは大いに気になるわけですよ。ご本人はまったく一貫していると仰っているけれど、新聞やテレビの報道を見る限り、やっぱし揺れていると感じるのが一般的な感覚でしょうね。それとも報道側が、自分たちに都合のいい部分だけをピックアップして、恣意的に繋げていると言うのだろうか。総理もまた引っかけるんじゃあないの≠ニ言った口調で記者たちを牽制している。 |
やばいぞ、農業(08/12/04 Thu-2098)
これからは新しい農業についてもしっかり考えておく必要がある。現時点では海外からの輸入品の問題点だけが強調されている。しかし、それだって時間の経過とともに、それなりに改善されるだろう。だから、信頼できるようになるまで輸入しなければいい。まあ理屈だけならそうかもしれないが、世の中そんな都合のいいことにはならないのである。中国なども経済的な力をつけてくると、国内の受容で手一杯になる。安全上で信頼できるようになったころには、もう輸出すらできない状況になっている可能性だってある。それに、このごろは遺伝子に操作をした食物がどんどん増えているという。アメリカなどはもちろん、日本が頼りにしているオーストラリアでも遺伝子操作が受け入れられているらしい。衣食住というが、食べ物は生きる基本だ。最悪の場合はテレビがなくても生きていけるが、食べ物がないと数日であの世行きになる。いまにとんでもないことになるぞ≠ニいう警告は繰り返されている。しかし具体的な進展はどうかというと、はなはだ心許ない。いまにとんでもないことになるぞ≠ニ言い続けられながら、国家財政は危機的状況になってきた。個人と同じだ。暴飲暴食はだめよ≠ニいわれても聞く耳を持たない。そのうちぶっ倒れて病院へ運ばれて緊急手術と相成る。それでも回復できればいいが、過去のご乱行が祟ってあの世行き。そんな日本が現実に見えはじめた。これが個人であれば自業自得≠ニ言うことであきらめてもらうしかない。ご本人だって不本意かもしれないが、しかたがございませんね。ところが、国の場合は、やりたい放題やった世代は知らん顔して天国に行っているのだ。本当に困るのはわれわれの子孫なのである。なんという無責任! |
Back to金沢(08/12/03 Wed-2097)平らな都市(11/16)の続き
還暦の記念に北陸金沢方面へ出かけた。それを話題にしたのは10月30日のことであった。じつは金沢に行ってあることを書きたくなったからである。それが、その目的に達しないままで連載モードになっていった。まあ、いつものことである。このコラムを継続的にお読みいただいている方には、もう先刻ご承知の私の悪癖だ。そしていつものように、どんどん脱線して、目的地からむしろ遠ざかっていく。そのうち、自分自身が同じ話題が続くのに飽きてきて、ポッと向きを変える。それが11月17日のことだった。北陸の話題が3週間近くになったものだから、脇道に逸れたくなったのである。そんなわけで映画の話をはじめてしまった。そして、映画は映画であっちこっちと飛びながらさまよっているうちに、気がついたらなんと12月ではないか。いやあ、まいった、まいった。私としては金沢物語はまだ終わっていない。それも、寄り道が過ぎて福岡の話まで行って途切れたままなのである。福岡が空港がやたらと近いため航空法によって高層ビルが建てれらない。そんな話で止まっていた。そこで、やおらその続きから。世界ではお金があまっているのか、やたらと高いビルを建てるのを競っている。しかし、日本では煙と○○は高いところに昇りたがる≠ネんて言たりもする。だから、ビルだってただ高ければいいというものではない。ただ、そうではあるが、このごろは世界的な食糧危機が深刻さを増してきた。何と言っても、わが国は食糧自給率の低さではどの国にも負けない。もちろん、そんなこと自慢なんかできる話じゃない。わが国では農業の効率が悪いということで、田んぼや畑をどんどん潰してきた。しかし、これからは改めて農業のあり方を考え直す必要がある。 |
足踏み器(08/12/02 Tue-2096)
お客様相手のサービス業はつらいものがある。顔で笑って心で泣いて≠ネんてことは日常茶飯事なのかもしれない。そんなわけで、クレーマーのために一騒動が起きれば、そのあとでさっさと行っちまえー≠ュらいのことは言いたくもなるだろう。まあそうではあるけれど、映画の登場人物から聞いてしまうと、つい実際のANAのスタッフも同じことをやってるのかいと思い込む人が出てくるかもしれない。私なんぞは、それはそれで笑ってしまったが、会社のイメージが悪くなると心配する関係者がいたりして…。まあ、そのあたりはご愛敬で、おおらかに喜劇として引き受けたのだろう。というのも、この他にもそんなことしてんのー≠ニいうシーンがそこそこ出てくる。たとえば、靴を脱いで足踏み器を使いながら食事の準備をしている…。まあこれなども、舞台裏としてはありそうだなー≠ニ笑えた。夜中もずっと飛んでいる国際線では、スタッフも大変だ。そもそもどこで寝てんの≠ニ聞きたくなったりして。だから足踏み器くらいは使わしてよと言いたくもなるだろう。そもそも映画の初っぱなでシミュレーターの訓練が出てくる。この際もけっこう意地悪な指導者がいるなんて感じもする…。これまた人間の世の中だから、いろんな人が多様な人間関係を作っているのは当然のことである。それこそ、コックピット内での機長と副操縦士との人間関係は、事故防止のためにも重要な要因だとされている。機長のパワーが強すぎて副操縦士の意見を聞かなかったために事故が起きた事例だってあるのだ。飛行が順調なときはいいが、いざ緊急事態などが発生すると、日ごろの人間関係が仕事に影響を及ぼすのである。まさにコックピットのリスクマネジメントが問題になる。 |
さっさと行っちまえ(08/12/01 Mon-2095)
映画の中で実在の会社が出てくるのは大いにPRになる。ハンサム★スーツ≠フ青山≠熈ハッピーフライト≠フ全日空も、そうしたプラスがあるから協力したということだろう。若い人は知らないだろうが、田宮二郎がジャンボの貴重を演じる白い滑走路≠ニいうテレビシリーズがあった。もう30年以上前の1974年の放送である。このときはJALがバックアップしていた。これまたイメージアップには大いに役立ったと思われる。飛行機が一般人にも近づきはじめた時代ではあったが、それでもジャンボはあこがれの的だった。そしてパイロットやスチュワーデスもかっこいい職業の筆頭にいた。これまた飛行機に関してしゃべりはじめると収拾がつかなくなる。ともあれ、今回のハッピーフライト≠ヘその題名のとおりハッピー≠ネ話だから、全日空にとっては大いなるPR効果を期待してバックアップしたことだろう。もっとも、映画の中では乗務員のチョンボらしきことが起きたり、オイオイ≠ニ言いたくなるような裏舞台も出てくる。これは予告編にも入っていたが、出発の準備を終えてボーディングブリッジから飛行機が離れていく。それに手を振りながら、地上乗務員がさっさと行っちまえーっ≠ニいった台詞を吐くところがある。搭乗中にクレーマーらしき乗客が手荷物のことで絶叫する。そんなトラブルが起きてからようやく出発と相成った。そこで、顔ではニコニコ笑いながら手を振っているが、本音はやれやれ、早く行っちまえーっ≠ニいう心境になったと言うわけだ。そこで映画を観ている客もプッ≠ニ笑ってしまう。まあ、人に対するサービスを旨としている人なら、いつでもどこでも経験しそうな話である。そのくらいのストレス解消は必要かもね。 |
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