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味な話の素
No.67 2008年11月号(2065-2094)
 
コスチューム(08/11/30 日-2094)
 ハンサム★スーツ≠ノ続いてハッピー・フライト≠観た。こちらも喜劇だが、タイトルから推測できるように飛行機の物語である。機長に昇格するためにチェックを受けている副操縦士(?)が主役だ。ハワイまで飛んでいくのだが、途中でトラブルに遭遇する…。この映画についても詳しい内容を書くと、これから観ようという方に叱られてしまう。そこで細かいことは抜きにして、感じたことを少しだけメモしておこう。ハンサム★スーツ≠ヘ実存する紳士服の青山≠ェ登場したが、こちらは全日空がスポンサーになっている。全面協力という感じである。機内でもサイドストーリー≠ネるものを上映している。映画ではANAのジャンボがそのまま登場する。客室乗務員も地上の係員もANAの制服のようだった。われながらようだった≠ニ書いて苦笑する。ANAだけでなくJALにも、そしてSNAにも乗っているのだが、コスチュームについてはしっかり見ていないんだなあと思う。飛行機に乗ればそれが網膜に写っていることは間違いないのだけれど、意識していないと、服装お違いまで頭の中に定着しないわけだ。もちろん、それだって人の欲求や感情によって大いに異なってくる。乗務員のコスチュームに関心がある人などは、その違いも含めてしっかり頭に入れているはずである。ともあれ人間は意識≠オ、あるいは注意して≠「ないことは記憶に残らない。それは当然のことなのだ。自分に向かってくるすべての刺激や情報を平等に取り入れていたら頭は混乱してしまう。それではまともな生活も仕事もできるわけがない。意識≠竍注意≠フ対象にならないことは適当に処理しないとまずいのである。それはよりよく生きる≠スめに私たちに備わった力でもある。
行動≠フ科学?(08/11/29 土-2093)
 行動経済学≠ノついて話をはじめると止まらなくなるおそれがある。その発端は2年前に行動経済学≠ニいう新書を読んだことにある。昨日も書いたが、本の冒頭からそんなこと当たり前じゃないの≠ニ思われることが書き連ねてあった。それまでの経済学≠フ不毛さが行動経済学≠生み出したというのである。そこで素人は、そうか、過去の経済学は役に立たなかったのか≠ニ考える。その上で行動経済学≠読んでいくと、なかなかおもしろかった。読めば読むほどなあんだ、これって社会心理学じゃん≠ニいう印象が強くなった。そして、そんなこと、もうとうの昔に心理学がやってまっせ≠ニいう思いに駆られてきたのである。そんな流れの中で、行動経済学≠批判するというよりも社会心理学≠自慢したくなったわけだ。そして、最終的にはわれわれも経済学≠ニ連携できるような気もしてきたのである。またまた、脇道に入って帰れなくなりはじめた。ここでは言いたいことだけ言っておいて、もとの映画の話に戻ろう。私は自分の専門だということになっている心理学≠フ現状そのものにも、けっこうケチを付けている。そもそも人間行動の普遍的な法則など見つかるわけがない≠ニいうのが私の主張なのだ。しかし、それは科学としての心理学≠ニしては基本的な役割だとされているのだから問題発言ではある。それはちょっと過激ではないかと仰るなら、少なくとも私には、人間行動の普遍的法則を発見する力はない≠ニいうことにしておこう。そもそも人の行動に関する科学≠ニはなんぞや。そんなことも考えてしまう。経済学≠セって人間の経済行動の科学≠目指していたのだろうに…。この件は他の機会にしっかり考えたい。
寂しがり屋の行動(08/11/28 金-2092)
 お金は寂しがり屋$烽ヘ妙に説得力がある。あるところ≠ノはうんざりするほどある一方で、ないところ≠ゥらはどんどん逃げていく。それは昔からあった現象ではある。しかし、このごろはお金の寂しがり屋≠フ程度が加速している。それにしても100年に一度の恐慌≠セという。そんなものすごいものなのに、どうしてそれを防ぐことができなかったのか。そもそも今日の事態をどうして予測できなかったのか。他人のせいにする気はないが、とにかく経済学の力のなさを嘆きたくなる。このごろは行動経済学と呼ばれる領域が目立ってきている。私も2年ほど前にその入門書をかじった。書棚に重ねて置いている本は、うっすらとホコリをかぶっている。それには20枚ほどのポストイットが挟まったままだ。私の習慣上、これはすごい≠るいはこれはひどい≠フいずれかが書かれているところに、それをくっつける。この本の場合は、すべてが後者、つまりこれはひどい≠ニ感じたものばかりである。そもそも本のはじまりがふるっている。経済は感情で動いている=Bそんなこと当たり前だ。素人だってそう思っている。いや、それが素人の常識だろう。その本のスタートに、これまでの経済学は経済人≠前提にして構築されてきたと書かれている。経済人をホモ・エコノミカス≠ニ呼ぶのだそうな。このホモ≠ウんは、すべからく合理的な経済行動をするのである。とにかく合理的だから、自分の利益を徹底的に追求する。そのためには他人のことなど考えない。徹底的に自分をコントロールして長期的にも利益だけを追いかける。そんな人間なんて地球上のどこを探したっているわけがない。この本を読んだとき妙に納得がいったのである。これでは世の中の経済をうまく説明できるわけがないと。そして100年に一度の恐慌≠ェやってきた。
自分のもの(08/11/27 木-2091)
  小室哲哉氏くらいになると著作権だけでも巨額なものになる。報道によれば、著作権そのものは手放しても使用料は入るようだ。そのため、最近でも2億円くらいの収入はあったという。その金額を聞くと誰だった驚いてしまう。その上で、そんなに稼いでいながら詐欺をせざるを得ない苦境に陥ったということが、驚きに追い打ちをかける。おそらくお金の価値も有難みもわからなくなってしまったのだろう。この世の中、何にしても過ぎる≠フはまずいようだ。お金だって同じで持ち過ぎる≠アとで不幸を呼び込んでしまうことも少なくない。ここに世界全体≠自分のものにした人がいたとしよう。その人物は充実した人生を送れないと思う。なぜなら自分のもの≠ナあるにもかかわらず、一生をかけても、そのすべてのところに行くことはできないのだ。その点、50坪くらいのマイホームなら、隅々≠ワでが、それこそ隈無く自分のものだ。庭に生えている雑草までが自分のものである。まあ正確には財産は夫婦のものだから、2人のもの≠ニいうべきだろうが、とにかく自分のもの≠ニいう主張ができる。私なんぞは、その庭さえ持たないけれど。その点では小室哲哉氏なんかも、自分のお金≠ェどうなっているのかさえわからなかったのだろう。自分のものを自分で把握できないのである。そんな方々はさぞかしお困りでしょうねえ。ここまで書いて、数年前にある事件を起こした妻の旦那がテレビのインタビューに対して名言を吐いていたことを思い出した。お金は寂しがり屋なのよ。仲間がたくさんいるところに集まりたがるんです=Bいやあ、なんという名言であることか。これを聞いて無条件に笑ってしまった。世の中を見るとたしかにその通りですもんね。
マイレボリューション(08/11/26 水-2090)
 映画ハンサム★スーツ<lタのもう1つは、劇中で流れる音楽である。とりわけ耳に響き渡ったのがマイレボリューション≠セった。私はこの歌を聴いた記憶はなかった。なかなか迫力のあるリズムだと思いながら、ほんの少しは調子を合わせていた程度だった。わずかながらでもリズムに乗ったなんて言うと、いい年をしたオッさんが…≠ニ笑われるかもしれない。しかし、われわれ団塊の世代は、そこそこにはリズム感があるのだ。何せ、あのビートルズが世の中に出てきたときに高校生なのである。その後は、まさに雨後の竹の子といったら怒られるが、グループサウンズの大全盛期に入る。沢田研二もだって、今年が還暦なのさ。そらに太陽がある限り≠フにしきのあきらもそうだし、井上陽水も子年なんですよ。それに、ゴーゴーだのモンキーダンスなど、まともな大人が見ればありゃあ、なんじゃい≠ニいう妙ちきりんな踊りだってはやってたわけなんです。まあまあ、それはそれとして、ハンサム★スーツ≠ナ流れたマイレボリューション≠セったが、エンドロールに作曲が小室哲哉≠ニ書かれていたので、そのときはちょっとだけふーん≠ニいった程度の反応をした。それから、そう言えば、このごろはテレビなんぞであまり見なくなったなあ≠ネどと、ぼんやり思ったのであった。ところが、ところがである。この映画を観たのは11月2日だが、翌々日の4日には、彼は詐欺≠フ容疑で逮捕されてしまった。もうこれは多くの人が知っている話である。まあ、何というタイミングだろうか。この曲も著作権は彼の手から離れているに違いない。それにしても、映画ハンサム★スーツ≠フスタッフも驚いたことだろう。いろいろありの世の中ではございますねえ。
PR大作戦(08/11/25 火-2089)
 ハンサム★スーツ≠売っているのが洋服の青山≠セったので驚いた。映画なんぞでは実在しない会社が出てくるのが一般的である。ところが、この映画はその常識を覆して、よく知られている会社がそのまま出てきたのだ。そこの店長が中条きよしである。彼は嘘≠ネど甘いタッチの女心の歌≠唄っていたが、必殺シリーズ≠ネどでは役者としてもけっこう顔が売れている。その中条きよしがスクリーンに出てきて言う最初の台詞がふるってる。いきなりすみません、ハンサムで…=Bまあ、何と自信過剰を絵に描いたような一言だろうか。これだけで笑ってしまった。ところが、自称ハンサム≠フ彼も、じつはハンサム★スーツ≠着ていたのである。それを脱いで現れたのは…。こんな調子で映画の内容を書きすぎると、これから観ようと思っている方に怒られてしまう。ここでは、2点だけ付け加えてハンサム★スーツ≠フ話は打ち止めにしよう。その1つは、洋服の青山≠ェ固有名詞として登場したこと。これはなかなかのアイディアだ。スーツが不良品などのような問題ありの場合は、実在のお店が出てくることはあり得ない。ところが、主役はハンサム★スーツ≠ネる超現実的なものである。どう考えてもあるわけがない≠フだ。映画を観た誰かがえっ、青山に行けばあれが手にはいるのかあーっ≠ニ勘違いするはずもない。そもそもが喜劇なのである。だから青山≠ヘ出演≠引き受けたのだろう。これで洋服の青山≠ヘしっかりPRできるのである。そして、エンドロールでは青山のハンサム社員のみなさま≠ネんて出てくる。これで笑いが最後に追加される。映画の中に本物のハンサムな%X員さんがエキストラで出ていたのである。
ハンサム★スーツ(08/11/24 月-2088)
 さてさて、被暗示性の話から話題が広がってしまった。もともとは、このごろ観た映画の話をしていたのだった。最近の2本はハンサム★スーツ≠ニハッピー・フライト≠セ。どちらも喜劇である。ハンサム★スーツ≠フ方は大人の漫画と言うべきか。特別仕立てのスーツを着るとハンサムになるという話だから、とにかく荒唐無稽ではある。人によっては差別的だと眉を顰めるかもしれない。何といってもとりあえずはハンサム至上主義≠ネのである。それにはっきり可愛い子≠ニそうでない女性≠燻蝟的な役割を果たしている。もっとも、最終的には顔より心≠ニいう教訓話で終わるから、まあ堅いことは言わないでというこうとだろう。最近は漫画で点を稼ごうというときの人≠烽「らっしゃる。たしかに、その発想や発言も漫画的≠ネところがある。ただ、生身の政治なんだから、もう少し本物志向であってほしいと思う。スタート時の官僚は使うべし≠フ発言は共感できる。しかし、その気持ちが強すぎて勢い余ったのだろうか、給付金を出すぞーっ≠ネどと宣言しちゃった。官僚と実行に当たって技術的な相談などをしていなかったのではないか。そんなわけで、実務面で右往左往することになってしまった。振り込みになると、またまた詐欺の心配も出るではないかとニュースが叫ぶ。赤ん坊やホームレスの多くは銀行口座を持っていない等々…。とにかく障害ばかりがニュースネタになっている。やれやれというところだが、それはともあれ、映画のハンサム★スーツ≠ヘけっこう笑えた。とにかく着ると即座にハンサムになるというのだから、ほしい人だってけっこういるだろう。ところで、このスーツを売っているのが、何と洋服の青山≠ネのだ。
困ったもんだ(08/11/23 日-2087)
 還付≠セからお金を返してくれるわけだ。それなのに、その前に手数料を払うというのもおかしな話である。それなら還付金から精算すればいいではないか。むしろ先方から振り込む≠フが筋というものだろう。まあ、冷静に考えるとそうなるのだが、お金が入る≠ニなると、そのメッセージの方が強烈に働いてしまうのである。犯行グループは、そんな人間の心の動きにつけ込んでくる。犯罪である詐欺行為にプロなどと名誉ある呼称を使ってはいけないが、やはり彼らはプロなのだ。だから手口も巧妙で考える余裕を与えない。いますぐに手続きを取らないと期限切れになってしまう≠ネんて攻めてくる。ますます慌てて行動に出てしまうのである。こんなすばらしい£q恵を出せるなら、もっとプラスのことに向けてほしいものだ。そうすれば、どんなに世の中がよくなることだろう。こんな犯罪行為を考えた人間がいるおかげで、日常生活にも支障が出始めた。なんたって、自分の口座からお金を引き出したり、送金するのも自由にいかなくなった。まったく時間や手数のロスになって仕方がない。とくに私の名義で家内が送金に出かけたりすると、ますますややこしい。こうした小さなロスだって、日本国中で合計すれば気が遠くなるような無駄が起きているのである。いずれにしても暗示の影響を受けやすい人はとくに気をつけた方がいい。これはメディアに関しても同じことである。そもそも、付和雷同というか、何でもかんでも流行に飛び付くようでは、主体性もなにもあったものじゃないでしょう。自分が宇宙の中心、なんたって自分が正しい。そんな独善的な発想がまずいことは当然だ。しかし、自分の意思でものごとを決めながら人生を送っていきたいではないか。
振り込め詐欺(08/11/22 土-2086)
 催眠なども暗示の効果を利用している。被暗示性が強いと詐欺にも引っかかりやすい。犯罪が日夜進歩し続けている。はじめはオレオレ詐欺≠ニいっていたが、このごろは振り込め詐欺≠フ方がよく聞くようになった。いまだにオレオレ≠フウエイトが大きいようだが、それに加えて還付金≠ナ誘ったりと内容が充実≠オている。最終的に振り込め≠フ点では共通している。あれだけ報道されているのに、だまされる人が後を絶たない。被害者たちに聞いてみると、自分は大丈夫≠ニ思っていた人も少なくない。それでも引っかかってしまう。つまりは自分の場合は本物≠ニ思い込むのである。そこが犯人たちの狙い目だ。もしも本当だったらとんでもないことになる=Bそんな不安感を巧みについてくる。地域共同体が崩壊したところが多いから、相談する仲間も減ってしまった。遠くの親類より近くの他人≠ナある。ちょっとでも近所の人と話ができれば、思いとどまることだってあるに違いないのに。もっとも、敵もそのあたりは承知の上のようで、そもそも人に相談する時間を与えない。振り込むまでに時間が切迫していると思わせるところが最大のポイントである。それにしても、相手が身内、それも子どもであれば声でわかりそうなものにと思うのだが、パニックになるとそのあたりが怪しくなってしまうようだ。それが人間というものなんだろうか。それこそ、身内しか知らない事実で確認するといったことくらいしか防衛策はなさそうだ。しかし、一人暮らしの高齢者がそこまで冷静に対応できるかどうか。さらに、身内の問題ではなく還付金話≠熕lの心を見抜いている。あれやこれやと金を取られているから、それを戻してくれると言われると心が動く。
被暗示性(08/11/21 金-2085)
 映画館で観るスポーツニュース≠ヘサンケイが作ったものだったと思う。やり投げだか、円盤投げだったかはっきりしないが、ギリシャ時代のオリンピック選手をモデルにしたような彫塑がタイトルに出た。その中で、長嶋茂雄選手がオールスターで大活躍したニュースを観たことをはっきり憶えている。おそらく1950年代の終わりころだろう。当時は毎週1本のペースでニュース映画が作られていたのだと思う。そして、映画という唯一の動く映像≠ヘ、国民に強烈な影響を与えた。とくに戦時中には、映画こそ戦意高揚≠フ旗頭だった。われわれはいつの時代にもメディアを評価する目を持っていなければならない。とくに日本人に限ったことではないと思うが、われわれはとにかく動かされやすい。だれが言ったのか知らないが、朝バナナを食べるとダイエットできる≠ネんて聞くと、あっという間に店頭からバナナがなくなったらしい。まったくヤレヤレですね。毎日のように、しかも朝から晩までテレビに出てくるMMさんの番組でも、○○が健康にいい≠ニいうと、それが世の中からなくなるという。本当に影響されやすい$lが多いんですね。被暗示性が強いのである。何のこと、1年を通してみれば何でも好き嫌いなく食べなさい≠ニ言ってるだけのことでしょう。この点では、父親の血を引いたのか、私なんぞはかなりのすね者である。みんながいいというと、もうそれだけでホンマかいな≠ニ疑う。お店に行っても3人並んでいたらもういけない。そこまでしてものを買ったり食べたりしなくてもいいという気になるのである。もちろん、天の邪鬼も行き過ぎると人間的なおもしろみがなくなってしまう。そのあたりは十分に気をつけないとまずいけれど…。
ニュース映画(08/11/20 木-2084)
 ともあれシネコンが近いこともあって、頻繁に出かける。そんなことで、一応は映画好きの中に入れてもらえるだろう。そう多くはないが、気分が乗ると1日に2本観ることもある。もう1年以上前になると思うが、昼間はデス・ノート≠観て、夕食を食べてから父親たちの星条旗≠観に出かけた。二日連チャンのこともある。このごろでいえば、容疑者Xの献身:ガリレオ≠観に行った翌日にハンサム★スーツ≠鑑賞(?)した。まるでジャンルに一貫性はないが、とにかく映画好きなのだから仕方がない。ただし、映画好き≠セと偉そうに言っているが、じつはこれだけ映画を観るようになったのは、やはりご近所にシネコンができたからだ。そうではあるが、われわれは映画で育った世代で、基本的に映画好きになる可能性が強いのである。団塊の世代が子どものころは、テレビがない環境の中で生きていた。少なくとも小学生のときに自宅にテレビがある家はほとんどなかったのである。だから、この世の中で動く映像を観ることができるのは映画館だけだった。いわゆるニュースだって映画館で観た。政治にしろ事件にしろ、人が動くニュースは映画の本チャンがはじまる前に流された。おそらく予告編のあとだったとは思うが、その前だったかもしれない。ニュースが映画館で流されなくなったのはいつのことだろうか。それがテレビの普及によるものであることは間違いない。わざわざ映画館で動くニュース≠観る必要がなくなったのだ。一般のニュースと並んで海外ニュース≠竍スポーツニュース≠烽った。最初のうちは、これらも1本のニュースの中に組み込まれていたと思う。しかし、後になるとそれらが別立てで映写されていたことをはっきり憶えている。
一挙鑑賞(08/11/19 水-2083)
 「人間の条件」を第1部から6部まで一挙に上映する興行が全国に広がっていった。それがいつのころだったかはよく知らない。そのうち今回で一挙上映は最後というときがやってきた。それもいつのことだったか、はっきりした記憶はない。熊本では、たしかセンターシネマ≠ニ呼ばれていた映画館で、その最終回≠ェ上映された。この映画館は産業文化会館の隣あたりにあったが、もういまは存在しない。いわゆる新作を上映する封切館ではなかった。少し時間が経過しているが、その代わり比較的安価な入場料で映画を鑑賞できる貴重な存在だった。福岡でも、現在ソラリアホテルが建っているところに、福岡スポーツセンターがあった。ここで九州場所も行われていたが、その隅っこにセンターシネマ≠ニいう名前の映画館がしっかり根付いていた。私が高校生のころは入場料が50円だった。あの007は2度死ぬ≠観たのもこの映画館である。ジェームス・ボンドの007シリーズ第1作である。いまはスポーツセンターそのものがホテルに変身している。さて、「人間の条件」全巻の一挙上映を観るぞ≠ニ決意した私は、年休を取ってセンターシネマへと出かけた。そして夜中までかかってとにかく鑑賞したのである。それもまたいつのころだったか記憶にない。おそらく25年は経っていると思う。その内容もよく憶えていない。休憩時に映画館の入り口付近に行くと、ばってん荒川℃≠ェいたことを思い出す。彼は熊本ではよく知られたタレントだった。お米ばあさん≠ニして、熊本弁丸出しで活躍していたが、数年前に亡くなった。かなり小柄な人で、もちろん男性の服装で映画館の人と話をしていた…。それはともあれ、私は「人間の条件」全巻を観きったのだ。
オールナイトの走り(08/11/18 火-2082)
 映画の「人間の条件」を1部から6部まで一挙に公開する。それは前代未聞のことだったと思う。なんと言っても9時間30分もの映画を始めから終わりまで映そうというのである。当然のことながら休憩時間も必要だから、朝の10時くらいから見始めても終わるのは20時を越える。そんなことで、夜中から朝にかけて上映する映画館も出てきたようだ。これがオールナイト上映≠ニ呼ばれる方式の走りだったらしい。いまのシネコンではレイトショー≠ヘあるが、オールナイト≠ヘなくなったのではないか。大阪のビデオ店で放火があり、そこをホテル代わりにしている人たちが亡くなった。そんな事件が起きていたが、昔ならオールナイト≠フ映画館が宿の代わりになっていた。映画館はオープンだから、火災があっても誰かが気づくから相対的には安全性が高い。もちろん、ズーッと昔にはフィルムが燃えやすく、映写ランプの熱で発火して火事になったこともある。その際にはパニック状態になって、不幸にも犠牲者が出たというニュースも聞いたことはある。実際、私が子どものころには、映画のスクリーンにメラメラ≠ニフィルムが燃え溶けるような映像が映り、スクリーンが真っ白になったこともある。何といっても映画はレンズでフィルムを拡大しているから、スクリーン一杯にその模様が映し出されることになる。そこで条件が悪いと、火が映写機周辺のものに燃え移るのである。そんなことが、まったく偶然に1回だけというのではなく、少なくとも数回はあった記憶がある。それでも火災にまで拡大することはなかった。まあ、とにかくそんな時代だった。それはともあれ、「人間の条件」の一挙公開がある種のブームになって、全国で繰り広げられていった。
シニア資格獲得(08/11/17 月-2081)
 相変わらず映画を見に行っている。夫婦のうち、一方が50歳を越えると1人あたり1,000円になる。まともだと1,800円だから、これはかなりお得である。もちろん2人が原則だから、映画館としては2,000円の現金収入になる。ほんのちょっと前に私は還暦と相成った。こうなるとシニア≠ニいうことで、1人でも1,000円で入場できる。もっとも、目と鼻の先にシネコンができてから映画に1人で行ったことはない。いやいや、結婚してからこの方、1人で観たのは1回だけである。いまからもう20年以上も前になる。五味川純平の小説を映画化した「人間の条件」を私1人で観に行った。この件については、本コラムでもかなり前にふれた記憶がある。しかし話の流れ上、改めて触れておこう。「人間の条件」は6部まで続く超長編で、合わせると上映時間は9時間38分にも達した。はじめの1部と2部が公開されたのは1959年の1月で、3部と4部が11月だった。それからしばらくの時間をおいて1961年に5部と6部が完成している。それからかなり時間が経過して、1部から6部までを一挙に公開する試みがはじまった。休憩時間を入れれば10時間もずっと映画館にいるのである。じつは、私は熊本に来てからこの一挙上映≠観に行った。動機は単純だった。それは私が子どものころ、両親がこの映画を観に行っていたことをはっきり記憶していたからである。1959年といえば私が小学校5年生のときである。当然と言うべきか、小学生に理解できるような内容ではないし、もちろん楽しめるわけがない。そんなことで、私と妹はおそらく留守番役だったのだろう。そのあたりの事実関係は措くとして、父と母がこの映画について話をしていたことが強く印象に残っている。
平らな都市(08/11/16 日-2080)
 福岡は空港が近い。この都市規模では、おそらく世界でもっとも都心に近い空港だろう。なんと言っても、地下鉄で博多駅まで6分、中心の天神まで11分というのだから、信じられないほどの便利さである。その代わり航空法で建築物の高さが制限されている。このため、博多駅はもちろん天神地区も、いわゆる高層ビルはまったくない。空港からかなり離れた西の百道地区あたりに、それなりに高いビルが建っているという感じだ。そこには福岡ドームもある。しかし、それでも超高層というにはほど遠い。法的には空港から24kmも離れてから、ようやく高さ制限が解除される。東京駅から横浜までJRの距離で28.8km、大阪と堺間は18.4kmしかない。地元で見れば博多と鳥栖の間が28.6kmだ。あくまで数値的ではあるが、鳥栖の辺りにしか超高層ビルは建てられないというわけだ。鳥栖はもう佐賀県である。福岡市にとって24kmがいかに大きな壁になっているかがわかる。もちろん、いまどき高いビルを建てさえすればいいというものでもないだろう。しかし、それは必ずしも見栄えの善し悪し、カッコウつけだけの問題ではない。いわゆる空間の効率的活用という点からも、ビルが高い分だけ得をする面もある。これまで、日本ではどんどん田んぼや畑をつぶしながら、開発一辺倒で突進してきた。しかし、このところ輸入食料をめぐる問題が頻発している。それは単なる汚染の問題だけでない。海外依存体質の現状が危険な様相を呈しはじめたのである。たとえば、中国からの大豆が国内需要の高まりとともに輸入しにくくなっているという。このままだと名古屋の味噌生産も危ない。となると、味噌煮込みうどんや味噌カツが食べられなくなる…。そんなニュースも流れていた。
駅前光景(08/11/15 土-2079)
 北陸電力からの帰りは小松空港を利用した。そこから福岡線を利用したのである。このため、JR金沢駅で降りて空港へ行くコースを取った。そんなわけで、金沢駅は通過しただけである。しかし、そのときに駅がずいぶんと新しくなっていたことに驚いた記憶がある。そして今回は還暦旅行ということで、プライベートに金沢を訪れたのである。最終目的地は山中温泉だったが、金沢でも1泊した。金沢駅前は高層ビルも建っていて、けっこう大きな街の印象を受ける。人口は45万6千人ほどだ。これに対して、わが熊本氏は67万を超えている。したがって単なる人口比から言えば、かなりの差があることになる。しかし、ご存じの方は当然ご存じなのだが、JRの熊本駅前は、かなりすごい。私がはじめて熊本に来たのはいまから35年ほど前になる。調査の件で熊本大学にいらっしゃった篠原弘章先生を訪ねてやってきたのだった。博多駅から鹿児島線の特急に乗ったのだが、熊本で下車をしてすぐに驚いた。とにかく駅前が寂しいのである。何もないといったら語弊があるが、とにかく気分はそんな感じなのだ。当然のことながら博多駅前は、けっこう大きなビルも建っていた。現在ほどではないけれど、筑紫口の方にもビルが建ち並んでいる感じだったと思う。もちろん、現在の博多駅ができた当座は駅ビルだけが建っていて、周囲はどこを見てもぺんぺん草という時期もあった。駅舎が祇園町から数百メートル移動して新築されたのは1963年頃だったと思う。しかし、その後に西日本銀行の本店や郵便局、駅前のビルなどが建ちはじめて、それなりの風格を持つようになった。そして35年前にしても、その当時なりに駅前はちゃんとした都会のイメージをつくりあげていたのである。
Yes Smoking(08/11/14 金-2078)
 とにかく黒部ダムは巨大な建造物だった。蜂やアリたちも働き者だと思うが、こう見ると人間だって相当なものである。もっとも、同じようなことは歴史の中で営々と続けられてきた。ピラミッドでも、万里の長城でも、はたまたわが国が誇る天守閣のあるお城でも…。私たちが黒部を訪れたのは1994年11月のことである。黒部の巨大さを堪能してから日本海方面へ山を下りていくことになった。その際に、立山のアルペンルートを走ったのだが、ここでもおもしろい光景に出会った。休憩所だったと思うが、喫煙場所≠ニ書かれた看板の下に英語もついていた。なんと、YES SMOKING=Bこれが本気なのかしゃれなのか一瞬とまどった。しかし、風光明媚、11月初旬にもかかわらず、すでに雪が積もるような観光地である。実際に外国人だって来るに違いない。また、そうだからこそ英語の訳も付けているはずだ。まさか、日本人向けのジョークでもあるまい。となると、おかしさとともに、おい、おい、こりゃあまずいぞなもし≠ニいいたくもなる。なんといっても、NO SMOKING≠フ対語がYES SMOKING≠ナは、やっぱりお笑いだろう。金沢への3回目の旅は、そんな思い出の中にある。それから時間が流れて、21世紀に入った2005年に4回目の金沢訪問を果たすことになる。私はズーッとご縁がなかった土地に行くと、その後はけっこう繰り返して出かけることが多い。北と南で好対照の北海道と沖縄もそうだ。どちらも40代、ひょっとすると50歳に近くなってから、はじめて行った。しかしその後は、沖縄でも4、5回、北海道も同じくらいは出かけている。それはともあれ、4回目の金沢は北陸電力の発電所に安全に関わる研究会に出かけたときになる。
トロッコと黒部ダム(08/11/13 木-2077)
 トロッコ≠ェトラック≠フ訛りだというのは、なかなか楽しい話である。sewing machine(ソーイング・マシン)≠ェミシン≠ノ化けたのと似ている。現在の英和辞典では、車のトラックが第1義に挙がっているが、歴史的に考えると、手押し車や無蓋貨車の方が先にあったと思う。また、このtruck≠ノはtrack≠ニいう類語がある。こちらは陸上競技でいうトラック≠ナ、もともと足跡、わだち∞軌道=Aそして車輪の間隔≠ネどの意味がある。なるほど、それがtruck≠ノまで繋がっていったのである。いやあ、じつに奥が深い…。ともあれ、そのトロッコ≠ネしには黒部のダムもできなかったということである。もちろん、工事の資材を運んだだけでなく、人もこれに乗って現場まで移動したのだろう。黒部ダムの建設は想像を絶する厳しい環境との闘いだった。その過程を映画化した黒部の太陽≠ヘ、1968年に公開された。トップスターの石原裕次郎と三船敏郎の競演でも話題を呼んだ。最近は大阪の舞台でもやっているらしい。そうした人々の奮闘も、出来上がってしまえば静かな自然の中に、誇らしげにそびえ立っているように見える。私のような素人はトロッコ列車と景色を楽しむだけである。しかし、それを実現した縁の下の人たちが流した血と汗を忘れてはいけない。ともあれ、トロッコに揺られながら山道を昇り、最終的にはあの黒部ダムの上まで辿り着いた。そのスケールには声を失うほどだった。これが人間の作ったものかと疑いたくなるほどの巨大な壁が水をせき止めているのだ。しかし、この大きな建造物も、山を切り開き土を運ぶ、そして、セメントを運搬し流し込むといった小さな仕事の積み重ねから出来上がっているのである。
トロッコ(08/11/12 水-2076)
 さてさて、ここで金沢の話に戻ることにしよう。私が所属している教育工学センター(当時の名称)の仕事で2回ほど金沢に行ったところまでお話をしていた。その後、さらにグループ・ダイナミックスを研究している仲間たちと金沢に出かける機会があった。そのときは、組織の安全に関する研究会として北陸地方に出かけたのである。富山県にある関西電力の黒部ダムの見学もメインのコースとして含まれていた。いかにも黒部にお似合いのトロッコ電車に乗って、すばらしい景色の山中を昇っていった。トロッコ≠ニいっても、いまではきれいな列車≠ナある。もともとトロッコは土木工事用の手押し車で、これで土砂などをはじめ、工事に必要な様々な道具や材料を運んだ。もちろん働く人たちもこれで移動したと思う。かつては日本の産業に欠かせなかった石炭を掘る炭坑でも、抗夫たちが採炭現場に往復する際もトロッコに乗った。おやおや、ワープロでは抗夫≠ェ一発変換できませんでしたよ。たしかにいまではほとんど使わないことばではありますね。もちろん、掘り出した石炭を地上に運ぶのもこのトロッコである。トロッコ≠ニいえば、芥川龍之介の小説があった。小学校の教科書に載っていたような記憶があるが、もう内容は忘れてしまった。芥川の場合はトロツコ≠ニ書くのだそうな。ツ≠ェ促音になっていない。このあたりは芥川流のこだわりなのだろうか。ところでトロッコ≠ヘ英語のtruck≠ェ訛ったものだということをご存じでしたか。私たちが理解している自動車のトラックと同じことばである。このtruck≠ノは運搬車、手押し車、無蓋貨車≠ニいった意味があるのだ。いまの英和辞典では、車のトラックが第1義として挙げられている。
無刺激問題(08/11/11 火-2075)
 筑波シンドローム≠ニ呼ばれるものが実態としてあったのかどうかはわからない。しかし、人間は適当な刺激がないとうまく生きていけないと言うことは間違いないようだ。視覚・聴覚・触覚など、可能な限り外界から遮断して、人間を観察室に閉じこめた実験がある。そんな状況に置かれると、人は落ち着きがなくなり、思考力が低下する。そして幻覚や幻聴まで出てくるというのである。われわれは刺激が全くないとまずいのである。適当な刺激がないと、自分で幻覚のような刺激を創ってしまうわけだ。そんな刺激の中で生きていながら、健康であればそれをとくに意識しない。そこがまたおもしろい。夏のお墓参りに出かけたときにビデオを撮っておく。それを家でゆっくり見ると驚くことがある。とにかくうるさいほど蝉が鳴いているのである。子どもたちにかけた私の声までも打ち消さんばかりの凄まじさだ。しかし、そのときは会話のじゃまになった記憶はまるでない。たしかに、あとで思い返せば、蝉が鳴いてはいたなー≠ニいう気はするが、それだけのことである。われわれは多くの刺激に中にいながら、大事なものを選択しているのである。それならはじめから1つの刺激に限定された方がよさそうに思う。しかし、地球の環境は人間だけに与えられたものではない。自分にとって大事なものをしっかり選んでいく。その力を身につけながら人間だって進化してきたのだろう。もちろん、それにも程度があるに違いない。私がいわゆる大都会に行って人に酔いそうになるのは、その密集度が私のセンサーの受容度を超えているのだろう。東京や大阪、それに横浜、名古屋…。少なくとも駅の中は人で一杯だ。そう言えば、このごろは博多駅も行き交う人で溢れるようになった。
祭りの終焉(08/11/10 月-2074)
 大学の移転が一種のブームになる中で、熊本大学でも一時的には移転についての議論もあった。しかし、いまでは何もなかったかのようだ。どこの大学でも、実験装置などが必要になる、いわゆる理科系的な分野で手狭感が強かったと思う。そんなことから、理系主導で移転の話が始まったところが多いのではないか。文系だって紙と鉛筆だけで勝負≠ニいうわけではない。しかし、一般的にはどでかい敷地や空間が必要な分野は頭に浮かばない。私が知っている大移動の代表的な例は広島大学である。こちらは広島市内から、以前は西条町といっていたところへ大移動した。広島市内には医学系や法科大学院系が残っているようだが、大半はいまでは東広島市になった西条地区にある。詳細は知らないが、移転が始まって完成するまでには相当な時間がかかったはずだ。現時点で大がかりな移転が進んでいるのが九州大学である。道路等の整備も平行しているようだが、福岡市内から西方の糸島へと移りつつある。私は行ったことはないが、相当に広大な土地らしい。実験系の研究施設などは超スゴイのだと思うが、今後はどうなっていくのだろうか。全国的に見れば移転の祭り≠ヘ終わった感がある。東京あたりでは都心への回帰現象も起きているらしい。都会の喧噪から隔離された静かな環境の中で研究と教育にいそしむ。それは聞く耳にはけっこういい響きがするけれど、どうもそれだけでは人間はうまくいかないところもありそうだ。大学内そのものは静かな方がいいとしても、校門を出ると人混みもあれば赤提灯もある。そんな環境の方が教員にしても学生にしても気持ちにゆとりが生まれるに違いない。もっとも、私個人は人とぶつかりそうな大都会には適応しきれないけれど…。
筑波シンドローム(08/11/09 日-2073)
 筑波大学の前進は東京教育大学である。明治時代の師範学校を元祖とする伝統校だ。もともとは東京の文京区にあった。いまでも附属関係や社会人向けの大学院などの部局があるようだ。つくば市への移転は1973年だが、その際は大いにもめた。いわゆる学園紛争の火が燃えさかる時期に、新しい大学として構想された。当時はそのこと自身が問題になったのである。とにかく大学は全国津々浦々で荒れていた。紛争下にないところは時代遅れ≠ニいう感じだった。東京教育大学には教科書問題で名を馳せた家永三郎氏もいた。今日でも歴史教科書に関する議論は絶えないが、その最初のきっかけを作ったのは家永氏だったと言えるだろう。ともあれ、いろいろあったが、東京教育大学は筑波の研究学園都市に移転し筑波大学になった。この都市は人工的に作られたもので、当初は赤提灯もない無機質なところだったらしい。それが直接的な原因かどうか知らないが、発足して間もないころに自殺者が10名ほど出て問題になった。人呼んで筑波シンドローム=B私の所属する学会でも、これをテーマにして発表した人がいた。環境が原因だという説明もあったようだが、その後は落ち着いているようだ。私たちは学会などで全国各地に出かけるチャンスは多い。しかし、私自身は筑波には一度も行ったことがない。そんなことで、筑波大学や研究学園都市については、昔は言うまでもなく、今日の状況についてもまったく知らない。もちろん、機会があれば行ってみたいところではある。いずれにしても、大学の移転ブームは終息したようだ。一時は移転の物の怪≠ノ取り憑かれたような様相を呈していた。そんな中で、全国の大学に船に乗り遅れては大変≠ニいった雰囲気があった。
厚生年金会館(08/11/08 土-2072)
 はじめて出かけた北陸金沢だが、おそらく全行程をJRで行ったのだと思う。ただし、はっきりした記憶はない。なにせ、いまから29年も前の話なのである。ともあれ、赴任早々のサプライズ出張だったが、初めての北陸だから気分はウキウキだったはずだ。出張の目的である協議会は厚生年金会館が会場だったと思う。宿泊も同じ場所であった。いまでは年金≠ニ聞くと耳をそばだてる。このころは年金≠竍貯金≠原資にした施設があっちにもこっちにも建てられる時代だった。そう言えば、私もついに還暦を迎え、年金に関する手続きを取ることになった。もちろん現役で仕事をしているから年金が出るわけではない。しかし、とりあえずは支給金額だけは知らせてくれるのだそうな。そろそろ定年で退職される方の話によると、知らされるだけの金額が年とともに減っているのだそうな。そんなことならいっそのこと金額など知らない方がいいかもしれない。それこそストレスが高まるのではないか。それはさておき、金沢の厚生年金会館では当時佐賀大学におられた上野先生とご一緒の部屋だったと思う。ホテルっぽいところでも相部屋が不思議でない時代だったのである。その当時、金沢大学は金沢城内にあった。城門をくぐると大学が見えるというのは、なかなかいい感じだった。道を挟んで向かい側にあるのが、かの有名な兼六園である。これまたすばらしい庭園である。金沢大学はそれから数年後に移転した。やはり同じ会合が金沢で開催されることになり、このときも出席した。引っ越し先の大学は市街地からけっこう遠くなっていた記憶がある。金沢の場合はどうか知らないが、大学が郊外に移転するブームがあった。最初の大がかりな移転は筑波大学だったと思う。
金沢出張物語(08/11/07 金-2071)
 じつは金沢の話をしているうちに熱帯の話にまで迷い込んでしまった。私が熊本大学に就職したころ、ノーネクタイ姿の私を見て、所属長だった吉良先生がこのごろの若い者はパジャマを着ている≠ニ笑われた。そんな思い出話から、このごろのクールビズまで広がっていく。そして、日本もいまや亜熱帯気候≠ナはないかというところへ進んでいった。そして話は地球の気候の話になり、熱帯気候≠ヨと飛んでいった。ついでに寒帯までいくのも、私としてはおもしろいと思う。しかし、本コラムを読んでいらっしゃる方には、金沢はどうなったんかい≠ニいわれるかもしれない。いや、そもそも金沢≠フ話そのものをお忘れになっているに違いない。やはり本題に戻った方が良さそうだ。そうでないと、私自身が金沢について書こうと思ったことを忘れてしまうから…。ところで私が熊本大学に赴任して吉良先生にお会いした最初の日に言われた。吉田さん、あなたが来るのを待ってましたよ。じつは全国教育工学センター協議会というのがあるんです。うちと同じ組織が集まって、いろいろ情報交換をする会議なんだけど、その会が10月に金沢で開催されるのよ。それで、あなたが出かけることにして、もう勝手に手続きを取っていますので、よろしくお願いしますね…=Bとまあ、こんな話なのである。私が熊本大学に顔を出す前から金沢行きが決まっていたのである。そこで、熊本に来てから2週間ほどで、金沢に出かけたのである。そんなわけで、慌ただしかったことは間違いないが、楽しい旅にはなるだろうと期待もした。なぜなら、私にとって金沢は初めてだったからである。そもそも北陸地方だけでなく、日本海に面した地方にはまったく行ったことがなかったのだ。
となりのサバンナ(08/11/06 木-2070)
 ジャングルは熱帯雨林気候そのものだろうが、その周辺にはサバンナ気候と呼ばれるものがある。こちらも熱帯に含まれるが、密林ではなく見渡す限り草原といった感じだろうか。この気候のもとでは雨季と乾季がある。したがって、雨が降るときはやたらと降るが、乾季にはほとんど雨が降らないのである。乾燥する時期があるから、密林のような大きな木は育たない。しかし、雨も降るときは降るわけで、気温は高いから草はせっせと背を伸ばす。そこで比較的背の高い草原が出来上がるという。もちろん、乾燥の中でもちゃんと生き抜く木もあって、低木林のような部分もあるようだ。ときおり見るアフリカの草原などは、こうした気候の土地なのだろう。いま気候について書いていると、自分でもなるほどなあ≠ニ思う。まずは地球の胴回りである赤道あたりが暑いことは常識でもわかる。そんなところは雨も多く、それこそジャングルができそうだ。とまあ、いわば論理的に理解ができるような気がする。私が忘れているだけで、中学校の先生もこんな教え方をしてくれていたのだろうとは思う。しかし、記憶に頼る限りではどうも腑に落ちる@揄の仕方をしていなかったような気もするのである。もちろんそれは地理に限ったことではない。理科にしても数学にしても、はたまた音楽の鑑賞法や音譜の読み方に至るまで、詰まるとことは暗記重点型≠ナはなかったか。わーっ、そうなんだあ≠ニ、目から鱗≠フ体験をした憶えがほとんどないのである。もちろん、先生にすれば、学習指導要領などの基準をもとに、教える内容やペースもそれに合わせざるを得ない事情があったのだと思う。教育に求められるのは、子どもたちに学習することのおもしろさ≠伝えることだ。
亜熱帯への道(08/11/05 水-2069)
 ターザンもストレスが多かったのだろう。家に帰ると酒をあおる。恋人のジェーンがそんな事態を心配するのは当然だった。その気持ちを理解したのかどうか、ターザンの答えはじつにシンプルである。だって、家の外はジャングルなんだもん…=Bこれがアメリカ人のジョークになるのは、弱肉強食のストレス社会を彼らは象徴的にジャングル≠ニ呼んでいるからだ。家に帰ったら酒でも飲まなきゃあ、やってられないという訳である。しかし、ターザンの場合は最初からお家の外は本物のジャングルに決まってる。というわけで、笑い話が成立するというわけである。ところで、ジャングルは熱帯性気候の代表みたいなものだ。しかし、地理的にはシンガポールもこの気候帯に入っている。ここは密林とはほど遠い大都市国家である。それこそ見るからにコンクリートジャングルの様相を呈している。たしかに熱帯雨林気候だけあって、ものすごいスコールが襲ってくる。たまたまこの地を訪れるチャンスがあったが、その際に一寸先も見えないような大雨に会った。しかし、それもあっという間に収まった。あれは何だったのかといいたくなるほどの豹変ぶりであった。ただ、あそこまでは行かないまでも、このところわが国でもゲリラ雨≠ネどという新語≠ェ生まれた。そのすさまじさはシンガポールにだって負けないのではないか。最近の気候を体感していると、日本が温帯≠フ呼称を返上して亜熱帯≠フ認定証をもらうのは時間の問題のような気がする。やがて環境も変化し、すでに冬でも蚊を見ることがあったりする。そのうち、マラリアなど本来は熱帯≠フ風土病だったようなものもわが国に伝わってくるのではないか。その日はそれほど遠くないような気がする。
ターザンの悩み(08/11/04 火-2068)
 小学校のとき、日本は温帯だと習った。このことば、いかにも穏やかで柔らかい響きがある。温帯≠ニ聞けば、子どものころは世界のいろいろな気候を憶えたものだ。ワクワクしながらというよりは、あくまで試験対策の様相が強かった。現在の教育でも単なる点数稼ぎのために勉強することが多いのかどうか、実態はよく知らない。いずれにしても教師には、あくまで教えたいことをしっかり伝えたい≠ニいう気持ちを持ち続けてほしい。自分自身がおもしろくてたまらない=Bそんな教師から教えられる子どもたちは、幸せだ。そしてしっかり意欲的に勉強するはずだ。私も気候については、名前くらいは憶えている。まずは赤道近くの熱帯≠セ。これは最も温度が低い月でも平均気温18℃以上の地域だそうな。赤道をはさんで北と南に回帰線と呼ばれるものがある。南北23度27分である。夏至と冬至の日に、この真上に太陽が来ることになっている。地球が太陽を回る公転面から見てこの角度だけ傾いているからである。この範囲にある地域を熱帯という。たしかにいつも真上近くに太陽があるから、それは熱い≠ヘずだ。海の水だってどんどん蒸発するから、雨も多くなるだろう。ただし、熱帯にも雨の降り方で違いがある。年間を通して雨が多いのが熱帯雨林気候≠セ。その名前からしてジャングル≠連想させる。アメリカのジョーク。ターザンが家に帰るといつも酒を浴びるほど飲む。とにかく一杯、二杯と止まらない。そこで恋人のジェーンが心配して言う。ちょっと飲み過ぎじゃない。どうして、あなたはそんなに酒浸りになっちゃったのよ=Bこれに対するターザンの答えが、だって、家の外はジャングルなんだぜ=Bこれでアメリカ人は大笑いとなるわけだ。
クールビズ(08/11/03 月-2067)
 昨年ごろから夏はクールビズの回数を増やした。そして今年は、さらにそれを徹底した。これには周りの変化が大きく影響している。私が比較的お手伝いすることの多い教育委員会関係の会議などではノーネクタイが浸透してきた。この傾向は官公庁全体に行き渡ったようだ。また、いわゆる企業においても、トップからクールビズで通すところが多くなっていると思う。思う≠ニいうのは、私自身が企業のトップの方とお会いするチャンスはほとんどないから、あくまで推測するしかないのである。しかし、その希な機会に限定すれば、企業でも夏のノーネクタイが定着している。その昔、夏の会議だからと、一応ネクタイは締めたがスーツなしで出かけた。教育関係の公的なものだったが、行ってみると先方の出席者が全員スーツだった。大事な会議でもあり、お迎えになる立場の方々だから仕方がなかったのだと思う。しかし、こちらとしては何となく常識的な礼儀を弁えない輩≠フようで居心地の悪さを感じた記憶がある。皆さんも本音で言えば暑くて仕方なかったと思うまあ、そんなこんなで、私は大学の人間の割にはネクタイを着用する部類に入ってわけだ。そんなあるとき、これまでの私の服装パターンを知っている教員からノーネクタイは珍しいですね≠ニ声をかけられた。その方とは月に2回の会議でしか会わないのだが、自分もけっこう見られているもんだと妙に感心した。ともあれ、政府の高官から組織のトップまで、夏はこれでもかと言うほどノーネクタイで通し始めた。いいことだと思う。私自身もクールビズに徹し始めたのは、そうした世の中の動きが影響している。いろいろと偉そうなことを言っているが、私も周りの状況から徹底的に影響されているんですよね。
吉良イ英$謳カ(08/11/02 日-2066)
 教育工学センターに採用されたときのセンター長は吉良先生だった。初代である。お名前はすぐる≠セったが、その漢字はまずどこにも見つからないといっていい。人偏≠ノ旁は英≠ナある。最近ではワープロで外字として作ることができるが、当時は和文タイプの時代である。カタカナのイ≠ニ英≠つなげてイ英≠ニして使っておられた。横幅が倍になるからかなり違和感があるけれど、そのころはこれで満足されるしかなかった。和文タイプといえば、思い出すのがグリコ森永事件≠ナある。和文タイプでドクイリ キケン タベタラ シヌデ≠ネどといった脅迫文を作って送ってきた。あの事件はとうとう未解決のままで終わってしまった。ともあれ、和文タイプなんて、いまの若者たちはだれも知らない。そもそも元祖である英文のタイプライターすらイメージが湧かない世代なのである。この辺りの話題を取り上げると、また戻ってこられなくなるほど脇道に逸れてしまいそうだ…。さて、センター長の吉良先生のご専門は教育方法で視聴覚教育≠ネども幅広く研究されていた。見た目はかなりの強面だったが、実際は新参者を立てて下さる優しい方であった。先生は日頃からきちんとネクタイを締められておられた。われわれがポロシャツのような服装でいると、パジャマなんか着て仕事をしてはいかんよ≠ニ人なつっこそうな顔で笑われた。それからかなり時間が経過して、私も大学の教員の平均的水準と比べると、日常的にネクタイを締めるようになった。職場の教育工学センターに、いろんなお客さんが来られるようになったからである。もっとも、それも時代の流れの中で変化してきた。昨年の夏ころからいわゆるクールビズ≠ネるものを着はじめた。
九州訛り(08/11/01 土-2065)
 私は1979年4月に設置された熊本大学教育学部附属教育工学センターの専任講師として10月1日付で就職した。まだ30歳の青年だった。いやー、じつに若いですねえ。それが今では還暦なんですから、生まれてから半分が熊本ということになったわけです…。東京や大阪などでお話をすると、九州出身の方から熊本訛りが懐かしいですねー≠ニ言われたりする。しかし、その点については、やや疑問がある。おそらく勘違いされているのだと思う。私は生まれてからずっと九州の空気を吸ってきた。九州外に出かけることはあるが、住み続けているのは九州である。その上で熊本が30年にもなるといえば、熊本弁≠燒{物だろうと思われるかもしれない。しかし、人間は30歳ころになって移動した場合、その地のことばを操れるほどの柔軟性はない感じがする。まあ少なくとも、私や家内については、それが現状だ。だから、私の話しことばに熊本訛り≠ェあるというのは、気のせいではないかと思う。それではどこの訛りか≠ニ問われると、これまた回答がしにくくなる。もの心着いたころは北九州の隣町である行橋にいた。しかし、小学生の中学年から中学2年生までは佐賀県の伊万里で過ごした。さらにその後は福岡市へ移った。そして、30歳が目の前になるまでの17年近くが福岡の住人だった。その時間の長さを考えると、やはり博多弁の影響が大きかったとは思う。しかしそうかといって博多弁≠サのものが私に身についているかといえば、じつはそれほどでもない。そんな訳で、私のことばは、いろいろなものが混じり合っているというのが正確なところだろう。これは家内も同じだ。その結果だろうか、我が家の子どもたちも、熊本弁どっぷりにはなっていない。