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味な話の素
NNo.59 2008年03月号(1813-1844)

期限切れ(08/03/31 月-1844)
 年度末ギリギリで暫定税率の問題がいよいよ現実のものになってきた。暫定≠ニ恒久≠ノついては、このコラムでも話題にした。昨年の12月20日から3日間である。自慢じゃないが≠ニいうよりもはっきり自慢≠ネのだけれど、世の中に先駈けて問題として取り上げていたのである。それが今年になってからマスコミでも話題沸騰、ほとんどの自治体首長たちも廃止は困ると大合唱している。このままいくと、大混乱するという主張だ。かの超有名人東国原≠ウんも一生懸命に税率維持の必要性を訴えている。もちろん地方の個別事情によって、深刻な影響があるところもあると思う。しかし、それにしても何で今ごろこれがクローズアップされるのか。結果だけ見れば、これまで40年にもわたって暫定≠ニいうことばが継続≠オてきたのである。それが疑問もなく問題にされてこなかったように見えるのは何故なのか。もっとも野党の人にはそれは認識不足だ。われわれはその問題を指摘し続けてきた≠ニ文句を言う人がいるかもしれない。しかし、とにかく一般国民としては、この問題についてそれほど詳しくは知らなかったと思う。ことの発端は昨年の参議院選挙であることは間違いない。このとき与野党の議席数が逆転した。そのために、こうした問題が表に出てきたわけだ。日銀総裁の件も同じことである。そう言えば、総裁席が空いたままなのに、少なくとも短期的には国際的信用問題にはなっていないようだが、どうなのだろうか。いずれにしても、これまでのような与党側の数の論理≠ノ基づいた国会運営はうまくいかなくなった。それだけ議論する機会が増えるのであれば、長期的にはけっこうなことである。ただ、今度は野党の責任も問われることになる。
ことば問題(08/03/30 日-1843)
 なにせ一国の首相が私にもわけがわからない≠ニ発言する。国民の方がそれを言っちゃあおしまいよ≠ニ言いたくもなる。ともあれ、このごろの国会の状況は政府、与党、そして野党の間で言語がまるで違っている。もっとも話し合いにもまともに入れないのだから、現時点ではことばの違い≠云々する以前の状況である。押したり引いたりしながら、どうやって相手が悪いからこうなった≠ニいうストーリーを創り上げるか。ここにエネルギーが費やされているばかり。国民にとっては迷惑な話である。そのおかげというべきか、3月の末になったが社会保険庁の問題はちょっと騒がれる程度ですんでいる。かの桝添さんも顔もほんのちょっとしたテレビで見ない。さて、望遠鏡をさらに顕微鏡に替えるとどうなるか。同じ職場や集団の中でもことば問題≠ェあることが見えてくる。もちろん議論する際にお互いの意見が異なることはむしろ歓迎すべきでもある。しかし、会議や話し合いを観察していると、そこで使われていることば≠ェ共有化されていないことが少なくない。そもそもことばの意味が違えば議論そのものが成り立たない。それにもかかわらず話し合いをしようとするからうまくいくはずがない。なかには意図的≠ノことばの意味を変えて議論する人や集団もいる。こうなると、それはごまかし≠ネのだが彼らはとにかく口が達者だ。そこで、みんながそうなのか≠ニ頷いてしまうのである。大いに問題なのだが、この手の会議や会合もけっこうあるというのが私の推測である。また、自分たちのことばに共通性をがないことに気づいていない場合もある。考えようによっては、こちらの方が問題はさらに深刻かもしれない。これでは話が通じるわけがない。
ことばの共有化(08/03/29 土-1842)
 一般的に日本人は目線をそらすことが多いといわれる。たしかに、相手の目を覗き込むのはまずいだろう。それは自分の内面にまで侵入されるような気持ちを引き起こす。やり過ぎれば警戒されてしまう。このあたりは程度の問題である。ともあれ、人と話すときは相手の目を見て話す≠アとも大事にしたい。さてさて、会話をスムーズに進めるためには、まだ大事なポイントがいろいろある。たとえば、言いたいことを分かりやすく話す≠アとにも配慮したい。せっかく話しているのに、言いたいことが伝わらないのでは意味がない。相手が理解できるように話せる人は、それだけで会話力をもっているのである。とくにことば≠フ共有性には気をつけたい。同じことばでも、意味が違って理解されていることが多い。数週間前だったか、ある国がお隣の国の大統領を独裁者≠ニ決めつけたという記事を読んだ。どこのお国のことかは言わないが、正直なところ苦笑せざるを得なかった。言われた方も少なくとも、あんたには言われたくない≠ニいう心境ではなかったかと思う。しかし、それだって驚くことでもない。人間の歴史を振り返れば、そんな事例はワンサかある。その典型が戦争である。国の主導者たちは正義の戦い≠セと言いつづけてきた。私の方が邪悪なんですが、どうしようもなく侵略したいものですから…=Bそんなこと言う国なんてあるわけがないのである。もちろん、これからもあり得ない。これはスペースシャトル的視点から見た国家間の問題である。そこで望遠鏡を手にしてグーンと地球に近づいてみよう。すると同じ国の中でも、ことばの共有性が失われている例はいくらでも目に入ってくる。このごろの国会のドタバタ騒ぎももその一つではないか。
眉毛の力(08/03/28 金-1841)
 女子短大生を見ながら問いかける。そこで私は相手の反応があるまでしっかり目を合わせる…。そんな気持ちで一生懸命に授業をしたものである。いまでは修行中の懐かしい思い出である。ともあれ、文字通り目でものを言う≠アとが大事だと思う。その際に目が笑って≠「ればなおさらいいわけだ。さてさて、目が笑って′ゥえるための秘訣の一つが眉毛を動かすことだった。ところが、この特技(?)≠もっている日本人は3割くらいしかいないそうだ。幸いというべきか、私はそれができるのである。だからというわけではないが、私は相当に眉毛を動かすらしい。らしい≠ネどと人ごとのように言っているが、自分ではそのことをあまり意識していないのである。おそらく、いつの間にかそうなってしまったということだろう。いずれにしても、その点で私は大いに得をしているわけである。それでは眉毛が動かない人はどうすればいいのか。いやあ、ご心配はいりませんよ。そんな方は両方の眉毛を動かせばいいのだ。それなら効果は倍になる…。かどうかは知らないが。このごろはセクハラの一つとしていやらしい目で見る≠ネんてのもあるらしい。相手の目をじっと見つめて、眉毛なんか動かしていると、そのうち問題視されるかもしれませんね。まあ、その当たりは自己責任でやっていただかないと、私としては責任を負いかねます。少なくとも、これまでのところ、わたし自身はセーフのようだけれど…。それはともあれ、実際に眉毛が動かせるかどうかはさておいて、会話の際に目で笑う≠アとでコミュニケーションもうまくいく。本当は眉毛の動きよりも、こころが落ち着いていること、相手に対して優しい気持ちで接することが大事なポイントなのである。
鹿児島赴任(08/03/27 木-1840)
 学生運動の闘志といっても、いまの若者たちには理解できないと思う。あのころは学生運動が全国の大学に広がっていた。その主導権を巡って、考え方の違う集団が対立し、激しい抗争を繰り返していた。それは暴力を伴うものになり、血なまぐさい事件も引き起こされた。その究極の形が連合赤軍の集団リンチ事件である。革命を実現するために武力闘争も辞さないという路線が過激さを増し、当局からも追われる身になった。その逃走中の山中で仲間同士の殺し合いにまで至ってしまう。あとになって山の中に埋められた犠牲者が発見される。さらに闘争を続けた結末が浅間山荘事件である。そんな時代だったから、闘士と目される人物の家に寝ているということは、夜中に襲撃されるのも覚悟の上という話になるのだった。その日はしばらくして何事もなかったかのように友人が引き上げてきたと思う。そんなことで私も無事に学会発表をして福岡へ帰ることができたのである。かくして修学旅行と学会参加の2回、私は鹿児島に出かけたのだった。そのときは、鹿児島市の住民になるとは夢にも思っていなかった。しかし、これもご縁である。1978年の4月、私は鹿児島女子短期大学に採用されたのである。短大は鹿児島の紫原という町にあったが、錦江湾を隔てた目の前にどでかい桜島が威風堂々と煙を吐いていた。はじめて短大に出勤したときは驚いた。学生がみんな女性だったから…。なんてのはもちろん冗談、女子短大だから当然である。私もまだ30前で教員の中では若手であった。そんなこともあって、授業中に学生と目があったときはけっこう気を使った。質問や呼びかけをすれば当然目が合う。そこですぐに目を逸らしたりすれば誤解≠生じるではないですか(?)。
夜中の絶叫 23日(1836)の続き(08/03/26 水-1839)
 中学校の修学旅行で鹿児島に行ったあとは、ずっと南九州とは縁がなかった。それから10年近く経ったころである。再び鹿児島行きのチャンスがやってきた。それは学生時代のことである。九州規模のローカルな学会が鹿児島大学で開催されたのだ。そこで発表するために鹿児島へ出かけたのである。私のかすかな記憶によると、1日目は後輩の親戚の家に泊めてもらった。そして2日目は高校時代の友人の下宿に行くことになった。彼は福岡の高校から鹿児島大学に進学していたのである。高校1年生のときからの友人で、年賀はがき程度のやりとりを続けていた。鹿児島へ行くと連絡したところ、それなら下宿に泊まれやということになったのである。いまから思えば、鹿児島市内からチンチン電車に乗って谷山まで行ったのだった。谷山は鹿児島市の南部に位置する町で市内電車の終点があった。進学校として有名なラサール高校もこの町にある。それからさらに数年の歳月を経て鹿児島の短大に赴任したときに住むことになったのが谷山だった。もっとも実際に住んだのは中山町で、谷山の電停からさらに山の方に1km半くらい入り込んだところである。ともあれ、その友人だがすでに結婚に近い状態の女性と一緒だった。今でこそめずらしくも何ともないが、いわゆる同棲の走りであった。それはいいとして、ゆっくり眠っていた私は、夜中に彼が発した大声で目が覚めた。「あっ、○○だ」。ここではあえて○○と伏せ字にしておくが、それは学生運動のあるグループの呼称だった。そう叫んだ彼は、いきなり真っ暗な中を外に飛び出ていったのである。「おいおい、そんな話は聞いてなかったぞ」。私は心の中でそうつぶやいた。何のことはない。彼は学生運動の闘士だったのだ。
黒子の力(08/03/25 火-1838)
 八代亜紀のコンサートも迫力満点だった。何といっても本物だから。それにしても歌手も大変な仕事だと思う。声が商売道具だからいつも整備しておかないといけない。それにステージでは生バンドがいる。このときは総勢10名だったが、入場料にはこの人たちの給料も含まれている。どのくらいの額なのかは余計なお節介だが、彼らも楽器を買わないといけない。もちろん練習する時間も必要だ。本当のことかどうかはわからないが、そのうちの1人は4人の子持ちだと紹介されていた。少子化の時代に表彰状ものだが、全員を育てるのはこれまた大変である。縁の下の力持ちというが、こうした人たちのチームワークで1人の主役が観衆の前で光り輝くのである。スタッフの中にはバックコーラスの女性もいた。これまた前面には出ないが、歌に深みを出すために欠かせない存在だ。このときも声量豊な人で、彼女自身の歌う技術も相当なものだった。おそらくご本人もできれば前に出て歌いう立場になりたいと思っているだろう。その実力は十分にありそうだった。しかし現時点では黒子の役に徹している。この差はどこから生まれるのだろうか。とまあ、これまた余計なことも考えた。バンドの人がいるだけではステージは成立しない。舞台装置からアンプまで、道具のすべてをトラックで運ぶ人と経費も必要になる。会場費もかかる。そのすべてを八代亜紀という名前で稼がないといけないのである。前の日は城山観光ホテルで歌ったということだった。鹿児島から熊本ならトラックの経費もそこそこだろう。トラックだって効率的に移動しないといけない。ともあれコンサート1回だけでも大変な人と労力がかかるのである。そんなことを思いながら、八代亜紀の歌を十分に楽しんだ。
演歌のコンサート(08/03/24 月-1837)
 先日、八代亜紀のコンサートに行った。家内と娘も音楽は好きだが、演歌とはかなりの距離がある。だから3人が揃って演歌のコンサートに行くことはほとんどない。八代亜紀は家内が付き合ってくれるギリギリのところだ。まずは熊本の出身で年齢も変わらない。ご本人はステージで38歳といっていたから、私たちと同じ世代だとあらためて確認できた。もう2年以上前になると思うが、家内と娘と3人で演歌っぽいコンサートに出かけたことがある。それは森進一と森昌子のコンサートである。このときは、娘が付き合ってくれる限界だっただろうか。2人とも十分な実力の持ち主だから大に満足した。ただし、仲むつまじく見えた2人だったが、それからあまり時間が経たないうちに離婚してしまった。ジョイントコンサートとしては最後に近いものだったわけだ。仕事と割り切ればそれだけのことだが、離婚寸前でもにこやかに話し歌えるというのは、それこそプロなんだろうか。もともと出不精の方だから、1人でいろんなところに出かけることはない。出張中に時間ができると、博物館などに行くことはある。しかし、けっこうギリギリで移動する方が多いし、仕事が終わると飛んで帰る習性がある。食事にしても1人の場合は、その土地のうまいものを食べに行くなんてこともない。ただ黙々と食べるのではおいしさもついてこない。けっこうなお値段のコースでもあっという間に食べて、つぎが来るのを退屈そうに待つ。ひどいときには持参した本を読んでいる。まあ、これじゃあ味を楽しむなんて雰囲気にはならない。生来のせっかちで、仕事をしているとき以外は1人でうまく時間が過ごせないのである。だから出張先でCoCo壱番≠フ看板などが見えると嬉しくなってくる。
修学旅行の思い出(08/03/23 日-1836)
 私が鹿児島の短大に赴任したのは1978年(昭和53年)である。それまで鹿児島へ出かけたことが2回ほどあった。最初は中学校の修学旅行だ。私は福岡市の香椎中学校に通っていたが、当時は九州一周が福岡あたりにある中学校の相場だったと思う。行程の中で水俣を通過するときはよく憶えている。どのような理解をしていたか、その記憶はないが、中学生にも水俣は知られていたのである。それから桜島だ。これはつとに有名な海に浮かぶ火山だから知らないわけがない。錦江湾を船で渡ったかもしれないが、その記憶はまったくない。もう一つは宮崎の青島に行って洗濯岩で写真を撮った憶えがある。ここで1泊したのではなかったか。それからの記憶はさらに頼りない。高速道路などは外国の白黒写真で見るだけ。国道でさえ未舗装の部分が残っていたに違いない。そんな状況下であれば、道路特定財源や暫定税率といった発想も大いに意味があったはずだ。そもそも一般大衆のほとんどが車なんて持っていなかった。道路はトラックや商用車、そしてバスなど、産業や公共交通に関わるものが主流だったのである。もちろんマイカーなどということばすらこの世に生まれていなかった。アメリカ映画に出てくるように自分の車でドライブするなんて、夢のまた夢だったのである。そんな時代だから、長距離の移動といえばすべてが鉄道頼みだった。中学校の修学旅行で青島に行ったことは確実だから、その後は日豊線で大分から北九州へと北上して、小倉から再び鹿児島線に入って香椎に帰り着いたのだと思う。しかも乗った列車が電車でなかったことは間違いない。当時はほとんど電化されていなかったのだから当然である。おそらく蒸気機関車が客車をせっせと引っ張ったに違いない。
母と孫(08/03/22 土-1835)
 わたしが初めて講義をして給料をもらったのは鹿児島女子短期大学である。いまからちょうど30年前、福岡の地から鹿児島へ移り住んだ。その当時の移動は国鉄だった。そのころの所要時間はすっかり忘れたが、博多・西鹿児島間は5時間近くかかっていたのではないかと思う。熊本からしばらく走ると単線になる。そのため、いくつかの駅で停車する。これは時刻表には載っていない。上りと下りの特急が行き合い待ちをするのである。人の乗り降りはないのだが、これにけっこう時間がかかっていた。まだ長男が生まれて4カ月のころである。そのときは、家内の母にサポートを頼んで鹿児島へ向かった。新居では引っ越しの荷物を整理しなければならない。とにかくまだ乳飲み子を抱えている状況だったので、母親に来てもらったわけだ。私の母はすでに他界していた。特急の中で泣き始めた息子を抱いてデッキの方へ行った母が目に浮かぶ。その母も3年前にこの世を去った。時代が流れて、今度は自分の目の前に孫が現れた。孫は元気の素だ。見ているだけで力が出てくる。あのときの母は、孫のお守りに荷物の整理にと大変だったとは思う。しかし、そんな疲れも孫≠抱くだけで吹っ飛んだにちがいない。いまの私にはそう確信している。その一方で義父の方は不自由したはずだ。孫のために妻を取られて長期間一人で過ごすことになった。自分でなんでもする人ではあったが、何といっても明治の生まれである。妻が長いこと不在にするなど、まずはあり得ないことだったと思う。それでもOKを出すところが、まさに孫の力なのである。今日も目で笑う§bを続けていくつもりだった。その関連で鹿児島女子短期大学のネタへと向かったのだったが、まだ鹿児島に辿り着かない。
会話と笑顔 14日(1827)の続き(08/03/21 金-1834)
 さてさて、コミュニケーションに関わる話を続けよう。スムーズな会話を楽しむためには目が重要な役割を果たす。相手の目を見て話すことである。まあ目は心の鏡≠ニいうか心のプロジェクター≠ニいうか、そんなところがある。だから、後ろめたいことがあったりすると、つい目をそらせたくなる。相手の目を覗き込むようにして嘘をつける人は相当なものである。こんな人の場合、自分の嘘が効果的に働いているかどうかを確かめているに違いない。それくらいの心臓がなければ嘘を言いながら相手の目を見るのはむずかしい。あるいは、これは嘘でないぞーっ≠ニ強調したいので、あえて大きな目を見開く。まあ一種の威嚇だろう。不自然に強調するから、かえって怪しまれることもある。何といっても、嘘の目でなく本当の目で相手を見たいものである。一般的に日本人は目を見つめるのが苦手だという。ちょっと古いデータだが、日本人は1.8mほど離れて、会話中の60%くらい相手を見ていると気持ちが落ち着くという。1999年3月放送のためしてガッテン≠フ情報だ。また同じ見つめるのでも、基本的には笑顔が望ましい。だから目も顔に合わせて笑うといい。目は声を出して笑えないが、たしかに笑っている目はある。優しい目だ。顔で笑っていても目が笑っていない。そんなこともけっこうある。深刻な事態が起きたときもエヘラエヘラと笑っていれば顰蹙を買う。たしかに状況は考えなければならない。しかし、たいていの場合、会話には笑顔が似合う。目が笑っているように見えるためにいい方法があるという。それは眉毛を動かすことである。日本人の場合、それができる人の方が少ないらしい。幸いというべきか、私自身は右眉だけではあるがかなり自由に動かせる。
マニュアル問題(14) 2月25日(1808)の続き(08/03/20 木-1833)
 久しぶりに「マニュアル問題」を取り上げてみよう。前回からもう1カ月近くが経過してしまった。まあ、マニュアルにまつわる問題はあふれるほどあるので、焦らないでゆっくり考えていきたい。この前は、 従来のやり方とマニュアルが異なっており、慣れたやり方をしてしまう≠アとを話題にした。これまでと同じような仕事をする機械や設備を入れると、マニュアルに違いがあってもつい同じやり方で対処してしまうのである。その方が心身の負担≠ヘ少ないから、気持ちはよくわかる。これに対する有効な方法にはどんなものがあるだろうか。一つは、あえて意識的に使い方が大きく異なるものを導入することである。たとえば、同じ仕事をするために徹底して効率のいい機器やシステムを入れる。その代わり、使い方も根本的に違うという考え方である。そうなると、新しいマニュアルに従わないと動かない。つまりは、これまでのやり方ではうまくいかない≠フである。そこで、マニュアルを勉強し直さないといけなくなるわけだ。これではコストが大きすぎるが、それを上回るほどすごいパフォーマンスを持っていれば、それなりに受容可能ではある。たとえば、ものを運搬するのにリヤカーを使っていたが、新しくバイクを導入したとする。バイクでリヤカーを引っ張るわけだ。こうなると、バイクの勉強が必要になる。人力でリヤカーを引っ張るだけでは仕事ができないからである。しかしバイクを使えるようになれば、それまでとは比較にならない小さな労力で膨大な量のものを運べるようになる。バイクの練習というコストはかかるが、パフォーマンスはそれをはるかに上回るのである。ここまで徹底すれば、これまでのやり方≠ナは仕事ができないことになる。
窓側の覚悟(08/03/19 水-1832)
 列車の場合は前の座席と少しだが間隔があるので、すみません≠ニ一声かければ窓側の席に入り込める。これが飛行機だとかなり厳しい。なにせ庶民は普通の席ですから…。昨年のことだが、学会のためヨーロッパに出かけた。そのときはルフトハンザのジャンボ機だった。たまたま当たったのがスチュワーデスが食事を準備したりするところに近い席だった。トイレもある辺りだ。座ってみると、これがけっこういい席だった。席の前面が壁になっている。いくつかに分けられた座席エリアの先頭部分に当たるのだ。前の席がないから、座席に座って足が伸ばせるのである。その座席番号は忘れてしまったが、エコノミークラスで足が伸ばせるのだから、まさに特等席といっていい。そのときは、帰りも同じジャンボだったが、これまた来るときと同じ席に当たった。まあ、そんなこんなでこのごろは意識して通路側を選ぶことが多い。そうなるとちょっと文句を言いたくなるようなことが起きるのである。乗るときは自分が先に座っていても、窓側の席が空いていればベルトを締めずに待っている。その席の人が来ればこちらが立って入ってもらう。これは仕方がない。問題は空港に着いてからだ。私としてはゆっくり降りる準備をしたいと思う。ところが、窓側の席に座った人が立ち上がるのである。さすがに口ではちょっとどいてよ≠ネんて言わない。しかし、体全体でそう訴えているのである。ここが大問題だと思う。窓側に座るときには、通路側の人間が動いてから、よっっこらしょ≠ニ立ち上がるくらいの気持ちでいてほしい。人を焦らせてはいけない。あわてまくって降りなければならないときは、通路側に座るべきなのだ。それが窓側を選択するときの覚悟というものである。
行列嫌い(08/03/18 火-1831)
 航空会社も優先搭乗≠ネどといって、お年寄りや赤ん坊を抱えた親、それに上客を一般客よりも先に機内へ案内している。そんなことだから、先に乗ることはいいことなんだろう。ゆったり座って出発を待つというわけだ。しかし、私としては必ず座れる席≠ェあるのに慌てて並ぶ気持ちにはなりきれない。それは性格的にゆったりしているからということではない。むしろ逆にせっかちだからというのが私の解釈である。なぜなら、私はお店でも3人並んでいたら、もう、やーめた≠ニいう口なのである。まあ正直なところ3人≠ヘ誇張だとしても、とにかく並んで待つのが苦手なのだ。だから、列車でも飛行機でも行列をつくるのが面倒くさくてたまらない。そんなことで、飛行機も行列が解消しはじめてから乗ることが多い。そんな行動パターンだから、このごろはほとんどの場合通路側の席を選んでいる。その理由は簡単だ。窓側の席だと後で乗るから、すでに座っている通路側の人を立たせることになる。3列だとそれが2人分になる。人は様々だと思うが、けっこう無精な人もいて、座ったままでどうぞ≠ニ言われる場合もある。そんなときは、前の席の背もたれにしがみつきながら斜めになって入り込む。とくに座っているのが女性だと、とにかく足にも触れないようにしないといけないから、相当に無理な姿勢になる。どうしても前に座っている人の席が揺れるから、そちらにも悪いなあという気になる。それが原因で手や腰の力を緩めれば、席に着いている人の膝の上に座り込んでしまうかもしれない。そんなことになれば、これまた顰蹙ものである。これが窓側であれば、そんな心配をしなくてすむのだ。それにしても、庶民が乗る飛行機の席はとにかく窮屈ではある。
指定席と行列(08/03/17 月-1830)
 国内線をジャンボが飛び回っているのは、それほど自慢できることではなかったのである。とは言いながら、飛行機大好き人間にとってジャンボはとにかく魅力的だった。とくに先頭部分の2階席に乗るのは気分最高、じつに楽しかった。ただし、この席は簡単には取れなかった。誰もが2階席に座りたいと思うから、競争率が高いのである。そこで相当に早くチェックインしないとその席は埋まっていた。それに2階席といっても、窓側でないとおもしろくも何ともないのである…。まあ、そんな程度のことで喜んでいるうちに、仕事や旅行で飛行機を利用する回数が増えてきた。その結果、いつの間にか自分の方から通路側を選択することが多くなった。その一番の理由が、窓側の席だと乗るときにすでに通路側に座っている人がいると、わざわざ立ってもらうことになるからである。これが気持ちの上で重い負担になる。私自身は飛行機だけでなく列車などに乗るときはギリギリを嫌うタイプである。駅にしても空港にしても、ハッハ′セいながら駆け込むのは避けたいと思っている。何といっても心のゆとりがほしいのだ。少しくらい早く着きすぎても本は読めるし、このごろだとPCを使うこともできる。そんなわけで列車がホームに入ってきてからもゆっくり乗る。もちろん自由席に乗るときは、ガラガラであることが予想されない限り、行列の一員になることは言うまでもない。しかし、すでに指定席を取っているときは、人の流れが一区切り着いたところで乗り込めばいい。そう思っているから飛行機なんぞで、係員のアナウンスと同時に人がわれ先と言わんばかりにワット並ぶ理由がわからない。なにせ飛行機はすべてが座席指定である。いつ乗っても必ず座れるではないか。
ジャンボの誤解(08/03/16 日-1829)
 めったに乗ることのできない飛行機だったから、けっこう長い間飛行機は窓側≠ニ決めていた。そのうち500人も乗るというジャンボ機が日本の空を飛び始めた。そのころ日本はジャンボを一番多く買ったと聞いた記憶がある。あの巨大なジャンボを買いまくれるのだからさすが金持ちニッポン≠ネんて思ったりした。しかし、それは勘違いだったようだ。航空会社の方に聞いた話だが、それはわが国の空港事情が悪いからだという。単純な話だが、細かい理由は知らないが、とにかくドンドン発着できないのである。そこで、少ない本数で大勢の人間を運ぶしかないわけだ。もっと便数を増やせれば、150人とか200人乗りくらいの飛行機を使って運行間隔を短くすることができる。いわゆるシャトル便である。しかし、それができないからジャンボにせざるを得なかったのである。そんなことで、お金持ちだからなんてのは思い込みに過ぎなかったのだ。いま熊本と名古屋の小牧間を飛んでいるのはJALの50人乗りである。小牧は中部国際空港ができるまでは名古屋の顔だった。そこを飛んでいるのがタラップが本体に内蔵されている小型機だ。私のような小柄な人間でも、窓側なんぞは座る際に首を曲げる。最後尾の席の横はトイレである。またスチュワーデスは一人しか乗っていない。正確にはそう思っていたのだが、この前乗ったときは最前列の客席にもう一人のスチュワーデスが座っていた。あれは何だったのだろう。それはともあれ、これがなかなか快適なのである。何といっても立派なジェットでそれらしいエンジン音もする。正確なところは知らないがスピードも負けていない感じだ。このくらいの大きさの飛行機が10分おきでも飛び回るのが本当の航空先進国なんだろう。
窓側ゲット物語(08/03/15 土-1828)
 子どものころ、飛行機は超大金持ちだけの乗り物だった。小学生時代は福岡県の行橋市と佐賀県の伊万里市で過ごした。行橋の場合は近くに自衛隊の築城基地があるから飛行機が飛んでいるのを見たことはあるかもしれない。しかし、はっきりした記憶はない。伊万里の方は飛行場とはまったく無縁だった。いまでもそうだろう。それでもときおり、小学校の運動場に出ていると、空高くブーン≠ニ音を立てながら飛んでいる飛行機を見たことはある。とても小さかったというイメージが残っているから、かなり高いところを飛んでいたのだろう。それが民間機だったのか自衛隊の飛行機だったのかなど、細かいことはもちろんわからない。いずれにしても、そんな子ども時代を過ごしたから、飛行機に乗るのは夢のまた夢だった。だから、はじめて飛行機の乗ることができたときから、いつも窓側に乗りたがった。今とは違って、座席は搭乗手続きの際に指定することになっていた。カウンターで飛行機の座席図を示される。そこには座席ナンバーが印刷されたシールが貼ってある。すでに誰かが取っている席の部分はシールがはがされている。そこで、残っている場所から希望の座席を指さす。すると、カウンターの職員がその席のシールをはがして自分が持っている搭乗券に貼ってくれるのである。これで座席指定が完了ということになる。じつに懐かしい思い出だ。ともあれ、空港にはできるだけ早めに行って窓側≠フ席を取ろうと努力していた。そんな期間が何年も続いた。といっても、1年に1回乗るか乗らないかという時代のお話である。とにかく窓側≠ノ座って地上を眺める。ときには、それこそ絨毯のように広がる真っ白な雲の上を飛ぶ。そんな体験がとにかく楽しかった。
心のモニターカメラ(08/03/14 金-1827)
 第一印象が当たるのは、その人の感受性が鋭いからだとは限らない。何のことはない、自分の態度や行動が相手の反応を引き起こしているのである。いい人だ≠ニ思えば穏やか中雰囲気で対応する。苦手な人だ≠ニ思えば、表情だって硬くなる。相手はそれに正直に反応しているだけなのである。われわれは相手に対する自分の印象を実現するように行動しているというわけだ。それがあまり意識されていないから、第一印象当たった≠ニ思い込む。こうして、対人関係が自分の予想通り≠ノよくなったりまずくなったりしていくことになる。こんなときに必要なのは、他人を見る目≠セけでなく自分を見る目≠ナある。苦手だと思っている人物を前にして、いま自分はどんな顔をしているだろうか。どんな雰囲気で対応しているだろうか。笑っているか。固まっているか。赤い顔をしているか、青ざめているか…。自分のことだから、客観的な見方をすることはなかなかむずかしい。しかし、それができるように努力することは可能である。そうすれば、その技術だって少しずつではあっても改善・向上するはずである。わたしは一人ひとりが心のモニターカメラ≠持つことの大事さを強調している。対面している相手だけでなく、自分も画面に映るような視点をとおして状況を見るのである。それができれば、コミュニケーションの質も向上する。そしてそのモニターテレビで見える結果をストレートに伝えることで相互理解が促進する可能性もある。いま私ってかなり興奮しているように見えませんか。あなたと会ってドキドキしているんです∞じつはこれまでの体験から、あなたを見た瞬間はちょっと苦手な人ではないかという気持ちがしました≠ニいった感じである。
先入観(08/03/13 木-1826)
 相手を見た瞬間にこの手の人は苦手だ≠ネどと決めつける。もちろんそれがまったく根拠がないかというとそうでもない。同じ服装や雰囲気の人とうまくいかなかったといった経験があれば、そんな判断をしてしまう。その反対に、とてもうまくいっている仲間と似たような感じがする人物であれば、まだ話もしていないのにいい人のように思える。それはまさに先入観≠ニいうべきものである。先入観≠ニ言ってしまえば、マイナスのイメージがつきまとう。しかし、われわれはいつもいろいろな人と会わなければならない。つきあわなければならない。その中にはいい人もいれば、敵みたいな人もいる。その一人ひとりは個性をもっており、どんな人かわからない。まあ、そう言われればそうなのだが、とりあえずは自分にとっていい人∞悪い人∞どちらともいえない人≠ュらいは判断できた方が都合がいい。これが動物の世界であれば、相手次第では自分の命にも関わるから、瞬時に敵味方の判断くらいはできないとまずい。そんな習性がわれわれ人間にも伝わって、先入観≠もつという能力≠ェ身についてきたのだと思う。それは少なくとも敵≠見抜くことで自分の命を守るという目的にかなった行動であった。もちろんそうでない場合もあるが、より危険な見方≠するのは、まだ未成熟な世界ではFail Safe機能≠ニして働いていたのだろう。いずれにしても、この手の人物は苦手だ=Aさらに嫌いだ≠ネどと思えば、その気持ちが顔に出る。そんな雰囲気が伝わるから、相手だって何じゃ、その態度は≠ニ気分を悪くする。すると、その顔を見てほうら、言わんこっちゃあない。この無愛想な態度、思った通りだ…≠ネどと確信を深めるのである。
笑顔@ヘ(08/03/12 水-1825)
 笑顔≠ェコミュニケーションをスムーズにする力になる。笑顔≠ナ話ができるということは、それ自身リーダーシップ≠フスキルなのである。NHKのためしてガッテン≠ナおもしろいテーマを扱っていた。解明 会話ブームの秘密≠ニ題したもので、放送は1月23日である。番組のはじめのころに一人の男性の顔がクローズアップされた。話の内容は忘れてしまったが、彼が無表情で語りかける。時間は10秒とか20秒といった短時間だった。それを見た後に、3人のゲストと司会の志の輔氏との間で、ちょっとしたやりとりがある。それからもう一度、先ほどと同じ人物が同じような内容を話す。ただし、今度は笑顔である。この2つのビデオを見終わった後。その人物が話している映像と、それを見ているゲスト3人の顔が同じ画面に映し出される。その結果がじつにおもしろかった。対象の人物が無表情の場合は、それを見ているゲストの方も淡々と聞いている。そこには笑顔が見られない。ところが、続いて笑顔で話す映像が流されると、3人も対象の男性に合わせるように笑顔になっていたのである。この現象、専門的にはミラー・ニューロン仮説≠ネどと言っているようだが、文字通り人間は相手を鏡≠フようにしながら反応しているのである。世の中には自分は第一印象でその人物の性格を当てることができる≠ネんて言ってる方がいらっしゃる。たしかに、対人関係において感受性の強い人もいるかもしれないが、よく観察するとこれがけっこう怪しいのである。初対面の相手を見た瞬間から、うわっ、この手の人間、苦手だー∞この雰囲気の人は大抵が冷たいぞーっ≠ネどと思い込む。そうした気持ちは、当然のことながら顔や体の反応になって現れる。
発言@ヘ(08/03/11 火-1824)
 かなり前にも国会中継は子どもたちに見せたくない≠ニ書いたことがある。ヤジは飛ばすは居眠りはするは、とにかく子どもにとっては反面教師の代表だ。テレビの討論などでも相手が発言中であってもお構いなしに割り込んで喋りまくる。そんなことで、3分経過すると赤色灯が回るなんて手法を使わないといけなくなる。まるで幼児並みのレベルである。もっとも、このあたりは万国共通なのかもしれない。アメリカの大統領予備選挙でも中傷合戦が大盛況のようだ。これだってレベルが高いとはとても言えない。ともあれ、人の話を聞く≠アとはちゃんと話をする≠アとと並んで、大事なリーダーシップ行動である。ところで、ディスカッションの場などで発言する際には、その効果を上げるためのポイントがある。ただ事実を伝えるだけでなく、その伝え方≠熏H夫をしたい。それによって言いたいことがうまく通じたり、誤解されたりもする。そこでまず求められるのは相手の目を見て話す≠アとである。よく日本人は会話中に目をそらすことが多いと言われる。たしかに相手の目を覗き込むように直視し続けるとかなりきつくなる。あまり凝視しすぎると、相手も何かを疑われているような気持ちになるかもしれない。それでは逆効果だから、そのあたりは程度問題ではある。ただ、にこやかな優しい目は相手に安心感を与える。それにちゃんと聴いてますよ≠ニいうメッセージにもなる。そこで、視線と合わせて大事なのが笑顔≠ナある。もちろん、厳しい問題について話しているときに、えへらえへら笑っていると顰蹙を買う。だから笑顔≠熄況次第であることは言うまでもない。しかし、あくまで原則ではあるがコミュニケーションは笑顔≠ナ促進される。
聴く力(08/03/10 月-1823)
 リーダーシップは対人関係力である=B私自身はそんな言い方をしている。ただし、それはリーダーシップ≠フ一部ではある。リーダーシップには仕事に関する専門的な知識やスキルも含まれるからである。しかしそれらも、対人関係力≠ェなければ本来の力を発揮することはできないのだ。リーダーシップの要素についての細かい議論はとりあえず措いておこう。ここでは、リーダーシップ≠ェいわゆる長≠ニいう肩書きが付いた人たちだけの独占物でないことだけは押さえておきたい。いずれにしても、毎日を振り返れば、職場の会議やディスカッションにおいても、絶え間なくリーダーシップが求められている。話し合いの場面で発言する≠アとはリーダーシップそのものなのだ。それと同時に人の発言を聴く≠烽フまたリーダーシップ行動だということができる。ただ受け身的に聴くのではなく聴いてますよ≠ニいう態度を示す。これも大いに期待されているリーダーシップ″s動である。さらに、人から意見を引き出す≠アとも求められる。自分の意見や考え方をまくし立てるだけではリーダーシップを発揮しているとは言えない。とくに政治家はひどいのだが、テレビ討論などを見ていると自分の意見を主張しまくることだけに命をかけているように見える。人が発言している最中でもまるでお構いなしに口を出す。こうなると声が大きい方が勝ち。そんな発想で行動しているとしか思えない。彼らほど言論の自由≠はき違えている輩はこの世の中にいないのではないか。その対人関係力≠フ低さにはあきれてしまうし。ご本人たちは相手の口を塞いで自分たちの考えを十二分に主張した≠ニご満足なのだろうが、その感受性のなさには言うことばがない。
リーダーシップの方向(08/03/09 日-1822)
 リーダーシップ≠ニいうと上から下への流れを頭に描く人が多い。管理者が部下たちに指示や命令を出すことだと考えるのである。日本語で言えば指導力≠竍統率力≠ネどとをイメージする。そらがごく一般的な受け止め方だろう。ただ、私のようにリーダーシップ≠仕事にしている人間はリーダーシップ≠もっと広い範囲で捉えることにしている。簡単に言えばリーダーシップは他者に対する影響力≠ニ考えるのである。少しばかりわかりにくい表現をすると影響過程≠ニもいう。過程≠ニいうことばを使った瞬間に、リーダーシップ≠ヘ個々の人≠指すものではなくなる。人から人へ影響が移っていく過程も研究の対象にするのである。しかしここではとりあえずリーダーシップ≠ヘ人の行動として考えていくことにしよう。とにかく他人に影響を与えることがリーダーシップ≠セというのだから、その方向は上から下≠ヨと決まっているわけではない。当然のことながら同じ地位や立場にいる同僚同士の間にもリーダーシップという現象は発生する。つまりは横と横の影響関係である。さらに、下から上≠ニいう逆方向の影響力だって大いにあり得る。職場でも部下が上役になるほどそうか。その提案でいこう≠ネどと唸らせれば、下からのリーダーシップが成功したのである。もちろん人間の行動は双方向的なものだ。これを部下の上役に対するリーダーシップ≠ニ見ることができるが、そのまま部下の意見を取り入れる≠ニいう上役のリーダーシップと考えることも可能なのである。そんなわけで、私自身はリーダーシップ≠謔閧熈対人関係力≠ニいうことばを使うことが多くなった。その方が、影響の方向≠考えないですむからた。
ストック1本の力(08/03/08 土-1821)
 味な話の素≠フ内容は、そのすべてが自分の仕事であるグループ・ダイナミックスに関わっている。とまあ、そんなことを主張しているのだが、他の方から見れば、我田引水≠ノ聞こえるかもしれない。しかし、人間はだれだって集団≠ニの関わりなしには生きていけない。だから、どんな行為や態度をとってもグループ・ダイナミックスだと言えるのである。孤独≠竍引きこもり≠ニいったひとりぽっち≠フ事例も、結局は集団との関わり≠失っていることが問題にされているのである。そんなことで、我ながら相当なる強弁ではあるが、味な話の素≠ヘすべて私の仕事の守備範囲に含まれているというわけだ…。さて、味な話の素≠ェ続いているのには、もう一つの秘密≠ェある。少なくとも私が信じている理由だが、それは翌日の1回分だけストックしておく≠アとである。いまここで書いているこの内容は、じつは明日の原稿なのだ。時計を見ると現在3月7日の午前5時10分だ。じつはほんの少し前に、昨日書いた7日付の原稿を、サーバーに転送したところである。まずは朝一番に昨日書いた分≠送り出す。これで本日の分≠ヘ完了ということになる。それから、やおら明日のストック≠書きはじめるのである。この段取りの効果は大きいと思う。予想もしなかったことが起きて朝バタバタしても、とりあえず今日の仕事≠ヘ一瞬にして終わるからである。現実としては、幸いというべきか、これまでとんでもない事態に遭遇したことはない。とにかく朝が相当に早いから、仕事に追われていても、そのくらいの時間的余裕≠ヘあるのだ。このように前日にストックをつくるのも、私としてはシステムの転換≠フ一つだと言いたいのである。
人間ウォッチングのこころ(08/03/07 金-1820)
 味な話の素≠ナは文体や表現のいい加減さが目立つかもしれない。その点はご勘弁いただくとして、私としては自分の仕事であるグループ・ダイナミックスの精神に基づいて、このコラムを書いているつもりなのである。グループ・ダイナミックスの基本は人間ウォッチング≠ナある。そこで、毎日その成果をせっせとまとめているというわけだ。対象が人間に限らず、ウォッチング≠ニいうからには気をつけなければならないことがある。それは、人や事象をただぼんやりと眺めて≠「てはいけない。そうではなくて、しっかり観察することが必要なのである。さらに、大事なのは対象を可能な限り客観的に見ようという精神を持ち続けることである。自分の好みや感情を優先してものごとを見ていては、その本質を掴むことはできない。ただ情緒的にほめたりけなしたりしていては観察≠ノならないのである。ただし、言うは易く行うは難し≠ナある。味な話の素≠焉Aけっこう感情が入っているではないかとのご指摘があるかもしれない。まあそんなところもございますが、そこはホープページのコラムとしてお許しいただくとしよう。それに厳密に言えば、純粋に客観的≠ネ立場からものを見ることなど、そもそも無理な話でもある。何といってもある事柄≠ノ気づくこと自身、私が生きている状況や環境に影響を受けている。私にとって何の意味も持たないものは、目の前で起きていることでも気づかないはずだ。プラスにしろマイナスにしろ、ある一定の価値観を持った私の目に写るものだけが対象になるのである。うーん、ちょっと大げさな話になってきた。ともあれ、味な話の素≠フ内容のほとんどがグループ・ダイナミックスに通じていると言いたいのである。
順番を変えるだけでも…(08/03/06 木-1819)
 味な話の素≠1日のうちのどこかで書くということにしていると、いつの間にかああ疲れた≠ニいう時間になってしまう。その時点で連載≠ヘおそらくThe END≠ノなる。まったく同じ仕事でも、それをいつやるかという順番は重要だ。その段取り次第で、できることもできなくなる。もちろんその逆もまた真なり、それまでできなかったことが実現することもある。火事≠ェ起きたとき、燃えている家の火を消す時間が30分かかるとしよう。その火の中で倒れている人を運び出すのに3分が必要だとする。このときに、順番を間違えるなんてことはあり得ない。どちらを先にしても合わせて33分かかるのだから、まずは火を消そう=Bそんな発想をする人間はだだの一人だっていなのである。こんな極端な例を挙げると、誰も疑わないものごとの順番だけれど、現実にはけっこう逆順であることが多いのである。いずれにしても、段取りの順を変えるだけでも仕事のはかどり方は違ってくる。これもシステムの転換≠セと考えることができる。システム≠ニいうと大規模なことを考えるが、ちょっとした変化が大きな効果をもたらすことが少なくないのだ。そんなわけで、私にとっては早朝に味な話の素≠書き上げることが長続きする最大の理由なのである。ところで、本コラムの読者の中には、ほとんど趣味のようなものに、よくも大事な時間が使えるものだ≠ニあきれる方もいらっしゃるかもしれない。しかし、そこはちょいと事情が違うのでございますよ。私としては、味な話の素≠ヘそれなりに仕事と考えているんです。もちろん、文体などはかなり砕けたいい加減なものの多い。その点ではとても仕事として認知していただくのには無理もあるけれど。
朝だからこそ(08/03/05 水-1818)
 とにかく大量に迷惑メールを送りつけてくる輩がいる。これをspamメール≠ネどと呼んでいるが、このごろは自動的にその手のメールをカットしてくれるようになった。少なくとも大学のセンターではかなり効率的に処理してくれる。そのため、以前と比べると、それらをいちいち削除する負担は飛躍的に減少した。それはともあれ、私にとって朝の時間こそが一番の仕事時なのである。この時間がなかったら味な話の素≠熨アくことはない。こう言うと、どうせ書くのだから、一日のうちのどの時間を使っても同じことではないか≠ニ考える方がいらっしゃるかもしれない。これに対する私の答えは明確にNo≠ナある。朝、心に余裕を持った時間を使うからこそ、毎日書き続けることができるのだ。その時間を逸して仕事場に出かけてしまうと、そううまくはいかなくなる。机の上に、すぐにでも処理してほしい≠ニ叫んでいる仕事たちが待っている。目の前の彼らを無視するわけにはいかない。そんな気持ちになるものだ。そして、それらに気を取られているうちにあっという間にお昼になる。昼休みにでも書こうか≠ネんて悠長なことは言っておられない。その間にも電話がかかる。ときには人がやってくる。その後も、授業に出かけるし、会議も入るというわけだ。学期末に限定されてはいるが成績の評価もある…。そんなこんなで、気がつけばもう夕刻、いや夜になっている。それなら家に帰って書くか…≠ニいう気持ちになる。ぼちぼちと帰宅して夕食を摂る。その後も少しばかりのエネルギーは残っている。しかし、このときも残した仕事があったりすると、ついついそちらの方に手が出てしまう。かくして、ああ疲れた≠ネんてことになってダウンするのである。
三文の徳・得… 1日(1813)の続き(08/03/04 火-1817)
 とにかく起きるのが早いということには大きなメリットがある。早起きは三文の徳≠ニいう。三文≠ェどのくらいのものか知らないが、本来はほんの少しばかり≠ニいう意味のようだ。江戸時代には寛永通宝1枚が1文だったという。そもそも文≠ヘお金の単位だった。だから、早起きをすればいいことがある≠ニいう意味から考えて、ここは徳≠ナなく得≠ェ正しいのではないかという人もいるらしい。まあ、それもわからないではないが、徳≠フ方が人格の向上なども含めて、もっと広い範囲でいいこと≠表現している考えてはどうだろう。いずれにしても、自称というよりも自他共に認めるといいたい早起き≠フ私にとっては、それが膨大な<vラスになっていることは間違いない。朝はとにかく仕事に没頭できるのである。いわゆる論文原稿≠ノ限定していえば、ほぼ100%が朝の仕事の成果である。そして、当然のことながら味な話の素≠烽アの時間にせっせと書き続けているのだ。さてさて、このシリーズ(?)は、味な話の素≠ェ継続する秘密≠公開するなんて、いつもながらの大げさな話からはじまったが、その第一の条件は単なる早起き≠ニいうわけである。これを聞いてそんなもの、昼間でも夕方でも、はたまた夜でも書けるではないか≠ニ思われる方がいらっしゃるだろうか。これに対する私の回答ははっきりしている。それでは続きませんよ≠ナある。どなたもお忙しい毎日を送っておられるに違いない。仕事場へ行けばほとんど戦場状態の方もいらっしゃるだろう。人は来る、電話はかかる、ファックスは流れてくる。メールは洪水のようにあふれる。メールの場合は、わけのわからない出会い系¥報まで押し入ってくる。
人間科学と分数(08/03/03 月-1816)
 自然科学のように、人間の行動や考え方を厳密な数式に当てはめることはできない。それは象徴的な意味くらいに考えていた方が無難だ。自然科学が圧倒的な成果を生み出したために、人間の行動も同じ手法で把握しようという発想が支配的になった。そこで実験や調査が多用され、行動の公式化、数値化が試みられた。そのこと自身は、それなりの意味をもっている。しかし、人間科学を自然科学も含む同じ科学エリア≠フ中に含めてしまうのは、どう考えてても無理がある。少なくとも、人間科学=自然科学≠竍人間科学⊆自然科学≠ニいう発想はうまくない。同じ土俵を使う領域ではないからである。あくまで科学≠ニいうことばを使うとしても、それはサッカーとラグビーくらいの違いはあるはずだ。さすがに、野球と水泳ほどの差はないといえるかもしれないけれど。なにせ、自然科学と人間科学の対象には決定的な違いがある。それは意思≠もっているかどうか。そして、その意思≠ノ基づいて行動しているかどうかの違いである。この手の話は際限なく広がっていくから、その先は別の機会に譲ろう。いずれにしても、分数的発想はおもしろい。この数日間、分母をリスク低減の努力≠ニ考えたが、これをリスクに対する感受性≠ニ捉えることもできる。リスク≠感じなければ対応そのものがあり得ない。リスク感受性≠ノついては、職場のリーダーシップなども関係してくるから、これまた別の観点から議論したい。あるいは、分子を目標達成までの距離≠竍目標達成への進歩の度合い≠ニ見ることもできる。はじめのうちは少しの努力でグーンと前進する=Bしかし、目標に近づけば近づくほど、大きな努力も小さな進歩しか実現できないのである。
努力とリスク低減率(08/03/02 日-1815)
 リスク≠分数≠ナ考えるのは、なかなかおもしろいと思う。もちろん、現実のリスクの状況が分数としてそのまま当てはまるわけではない。しかし、こうした視点からリスク≠把握しておくこともそれなりに意味があるのではないか。私は、100≠フリスク≠ノ対して、その低減に努力して100/100≠ノなったときがプロとしての基準点だと考えたい。まったく努力≠ネしの0(ゼロ)≠ゥら出発して、ついには100の努力≠ノまで達する。それがプロというわけだ。そして、そこからが本当のチャレンジになる。あとは、分母を1000≠ノでも10000≠ノでもするような継続的な努力が期待されているのである。しかしその先に進む道は一段と厳しくなる。努力が100≠ゥら101≠ノ進化すると100/101≠ヘ0.990099…≠ノなる。しかし、それがつぎの102≠ノなっても、0.9803921…≠ノしかならない。100/1≠ェ100/2≠ノなったときは、値は100≠ゥら50≠ヨと一気に半減した。しかし、プロの水準にまで達するとその減少の仕方はドンドン小さくなっていくのである。それはそうだと思う。バッターの頂点に達したようなイチローなんかになると、すでに神業に近いのだから、その進歩は目に見えないほど小さなものになる。しかし、その進歩はものすごい変化であるに違いない。それも途絶えることのない努力によって保証される。その努力を怠れば、イチローといえども、いやイチローのような素晴らしい力の持ち主であればあるほど、その退行も厳しいものになるはずだ。ともあれリスクは、われわれが生きているからこそ存在しているのである。つまりは生きている証なのだ。その低減に向かって努力することもまた人生である。
リスクと分数(08/03/01 土A-1814)
 リスクマネジメントを考えるとき、これは分数だなあ≠ニいう気がする。とりあえずリスク≠100≠ニしてみよう。これを分子にもってくる。そして、リスクを回避する努力≠るいはリスクに対する感受性≠分母にしてみる。すると、リスク回避の努力≠まったくしなければ100/0≠ニなる。リスクに対する感受性≠ェゼロ≠フ場合も同じだ。分母がゼロ≠フ場合、結果は無限大≠ノなる。つまりはリスク≠ェ無限大≠ニいうことである。そこでちょっと努力≠してみる。それが1£度だとする。それだけで100/1≠ヘ有限≠フ100≠ノなる。リスク≠ヘ大きいが、果てしなく大きいものではなくなる。そこでもう一踏ん張りして2≠ュらい頑張るのである。すると、リスク≠ヘあっという間に半分の50になる。そして、3となり4となる…。当然のことながらリスク≠ヘドンドンと減っていく。そして、100≠ノなったとき、リスク≠ヘ1≠ノまで小さくなる。なにもしない≠ニきの無限大のリスク≠ェなんと1にまで減少したのである。さらに101、102と地道な努力を重ねていけば、それに応じてリスク≠ヘ減少していく。しかし、分母がどんなに大きくなっても、結果がゼロ≠ノなることはない。それがリスクマネジメントの基本である。しかしリスクを背負っている≠アとは、われわれがちゃんと仕事をしている¥リでもある。それは永遠にお付き合いしなければならない相棒≠ネのだ。そんなわけでリスクマネジメント≠ノ終わりはない。そしてこれで十分≠ニ思った瞬間に、分母はあっという間に縮小してしまう。リスクマネジメント≠ノとって最も重要なのは努力を止めないことに尽きる。
グリコと同じ(08/03/01 土@-1813)
 朝一番に、コップ1杯の水を飲めばエネルギーが体中に充満してくる。50を越えたころからトイレが近くなった。朝の3時ころに目が覚めると最悪なんだ。トイレに行ったあとが寝付かれなくて…=Bこんなことで嘆いている友人がいる。まことに申し訳ないのだが、私には彼の気持ちがこれっぽっちもわからない。どうして寝る必要なんてあるのかいな。3時でも起きたら即ワクワク気分になったらいいのに。たくさん、たくさん仕事ができまっせ=Bそんな心境なのである。それを聞いた友人が驚いたように問いかけてくる。えっ、お前ってすごいなあ。朝の3時から仕事をすることがあるのか=Bまあ、そこまでは驚いていただいてもけっこうだ。ただ、その後の質問がいけない。それで眠くならないのか…=B何を言ってるんですか、そりゃあ眠くなる≠アとだってありまっせ。しかし、そうなればそうなったで自然体ですよ。また寝ればいいんです。そうすると、もう一度6時半あたりに目が覚めるじゃないですか。そこで再度キャッキャ体験ができるというものです。グリコのアーモンドキャラメルでしたかね、一粒で2度おいしい≠ネんてキャッチコピーを使っていたのは。それと同じこと。また起きたら叫びたくなるのですから、一朝で2度キャッキャ≠ニいうわけです。ああ楽しい。実際のところは、2度寝ることはほとんどありませんがね。いずれにしてもそんなわけで超朝方の私は起きると同時に仕事に取りかかることができるのである。早朝というか、まだ深夜に近いというか、はたまた未明というべきか。とにもかくにもこの時間は邪魔が入ってくる余地がない。電話はかからないし、人が来ることはもちろんない。わが家にはもともとファックスもない。