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味な話の素
NNo.58 2008年02月号(1781-1812)

早朝の雄叫び(08/02/29 金-1812)
 家に帰って学生服を脱ぐと同時に机に着くことができた。これは受験生にとっては特技≠ニもいえるもので、友達からは羨ましがられた。それから十分に効果のあるお勉強≠ェできたかどうか、それはわからない。しかし、少なくとも夜の11時にでもなれば心身ともにそろそろ床でも引くか≠ニいう状況になった。そんなわけで、結果として朝も自律的に目覚める習慣が身についたのだろう。その基本的なパターンが還暦を迎えようかという年まで続いているというわけだ。その傾向は加齢とともにますます強化されている。私の定義では、睡眠を取るためにまぶたを閉じたら、その次にそれが開くときが朝≠ネのである。だから、あなたの起床時間は≠ネんて聞かれると困ってしまう。何分にもその日次第≠セからだ。それでも、比較的多い時間帯というものはある。あえて言うなら4時台≠ナある。もちろん5時をまわることもある。しかし、6時を過ぎることは皆無といっていい。ときには3時過ぎの日だってある。その際もまぶたが開いた≠フだから、私にとっては朝≠ネのである。どんな時間でも、目が覚めた瞬間は大声では叫びたくなる。まだ生きていたことを再確認できるからだ。だれだって寝る前に明日も生きてるよ≠ニ保証されてはいない。とくにわれわれのような高齢者予備軍になると、寝床でそのままという事例だってよく聞く話である。もちろん本当に叫んでいては家族に嫌がられる。そこはうれしさをぐっとかみ殺してトイレに行き、洗面所でうがいをして顔を洗う。夜中には血液がどろどろになっているらしい。家内からは起きたらコップ1杯の水を飲みなさい≠ニ指導されている。そこで一気に水を飲むのだが、これまたうまくて叫びたくなる。
タンタタタッタッターン(08/02/28 木-1811)
 タンタタタッタッターン、タンタタタッタッターン…=Bなかなか原音を表現しきれないが、私と似たような年代の方はご記憶があると思う。旺文社が提供していた大学受験講座≠フイントロだ。私が高校生のころは午後11時台の比較的早い時間にはじまっていた。英語のJ.B.ハリスさんなんて講師もいた。これがすごく流ちょうな日本語を喋る人だった。あとになってから日本生まれだと聞いて納得したのだが、当時は外国人の顔をした人がペラペラと日本語を話すのは、もうそれだけで驚きであった。そう言えば、ロイ・ジェームスというタレントもいた。顔は明らかに外国人なのだが、話っぷりは日本人そのものだった。彼はロシア系だったというが、やはり日本で生まれていた。ここまで書くと、私が旺文社の大学受験講座≠聴いていたと思われるかもしれない。しかし、その答えはNo≠ナある。じつは、冒頭のタンタタタッタッターン、タンタタタッタッターン…≠フイントロに合わせて床を敷いていたのである。そんなわけで、高校生時代でも真夜中の12時過ぎまで起きていたことはなかった。だからこそ、目覚まし時計がチリン≠ニ一声発するよりも前にストップボタンを押すことができていたのである。こんなことを書くと、いかにも受験勉強などせずに入試を受けたように思われるかもしれない。しかし、それは大誤解というものだ。私にはもう一つの特技があった。それは帰宅すると、ほとんど間をおかずに机に座ることができるというものである。多くの友人がおやつを食べたりすることも含めて、家に帰ってしばらくは、何となく時間を過ごすなんて話をしていた。これに対して、私は帰ると同時に勉強スタート可という体質をもっていたのである。
継続の秘密(08/02/27 水-1810)
 味な話の素≠どうして継続していけるのか。その理由についてお尋ねになる方がいらっしゃる。そこでこのごろは、授業や講演などで継続の秘密≠ノついて種明かしをすることがある。そんなわけでついに(?)∞味な話の素℃ゥ身で、それを書いてみる気持ちになった。なんて言っているが、じつのところ、秘密≠ニいうほどのノウハウはないのである。したがって、ここから先の話にはあまり期待しないでいただきたい。ただ、このところこのコラムで話題にしているシステムの転換≠ノは少しばかり関連づけることができると思う。その秘密≠ヘ大きく分けて2つある。まず第1は朝方に原稿を書くこと≠ナある。私自身は昔から朝が強かった。それもかなり若いころで、高校生のときにも目覚ましはあくまで補助的なものに過ぎなかった。その当時、セイコー社からバイトーン≠ネるネーミングの目覚まし時計が発売された。もちろんねじ巻きのもので、ゼンマイ仕掛けのベルが鳴る。そのベルが最初はチリン、チリン≠ニゆっくり鳴り始める。それから次第に間隔を狭めていって、最後にはあのジリジリ、ジリーン≠ニ体を震わせながらベルの音を響き渡らせるのである。by≠ノは徐々に≠ニいった意味があるから、バイトーン≠ニ呼んだのだろう。しかし、私にはその売り物の機能はほとんど意味がなかった。なにせ、目覚ましがチリン≠ニ第一打を打つ瞬間に目が覚めることがほとんどだったからだ。もっと正確にはチリン≠フチ≠ェ聞こえた瞬間に時計の頭の上にあるストップボタンを押していた。そんなわけで高校生の友人たちにも、そのことを大いに自慢していたのである。もちろん、そのかわり寝床kにつくのも、また相当に早かった。
発想≠ニシステム≠フ転換(08/02/26 火-1809)
 システムを変えるには逆転の発想≠ェ必要だなどと大上段に構えた話をした。しかし本当は、それほど大げさに考えることもないと思う。たとえば、トップダウンからボトムアップへの転換をすすめよう≠ネどと大スローガンを掲げるからことは大仰になる。しかし、ちょっと若い人の意見も聞いてみようよ≠ナも立派なボトムアップ≠ネのである。そこで出てきたいいアイディアをとりあげて実現させる。それがボトムアップ≠ネのだ。もう20年近く昔の話になるだろうか。鹿児島にあるデパートの新しい試みがローカルニュースで流れたことがある。たしか父の日≠ノ関わる話題だったと思うが、その日の贈り物について女子従業員のアイディアを活かして品揃えしたという。父の日≠フプレゼントなんて、デパートのおじさんたちが考えても、おもしろくも何ともないだろう。そこは送る側のセンスが何よりであることは間違いない。今なら、これに若い男子従業員も加わったりするのだろう。少なくともニュースによれば、それが売り上げ増に大いに繋がったか、繋がりそうだということだった。これだってシステム転換≠フ第一歩と考えればいいのである。また同じことでもいつやるか≠ェ大きなポイントになる。ちょっと順番を入れ替える≠セけでシステムの転換に結びつくことだってある。単純な発想の転換≠ェシステムの転換≠引き起こすのである。これまたシステムの転換≠ニしてはささやかすぎる事例だが、本コラム味な話の素≠ノついても、順番≠フ重要さを感じている。この味な話の素≠ヘ2003年4月29日から欠かさず書き続けている。そんなこともあって、ときおりどうしてそんなに続くのか≠ニいうご質問をいただいたりする。
マニュアル問題(13) 12日(1794)の続き(08/02/25 月-1808)
 マニュアルが守られない理由として、従来のやり方とマニュアルが異なっており、慣れたやり方をしてしまう∞マニュアル通りは面倒くさい≠ニいった意見も聞かれる。両者は本質的には異なる側面をもっている。ただ、この二つが一人の意見として書かれていたので、ここでは併せて取り上げた。これまでの方法とマニュアルの説明や指示が異なっているために、つい以前のやり方になってしまうという声である。それが面倒≠ナなくていいというわけだ。たしかに、慣れた&法の方が手際もよくなる。その点ではミス≠熄ュなくなるかもしれない。こうした意見が出されるのは、新規に機器を導入した場合や、機器などの更新のときだろう。新しい機器で、従来とマニュアルの内容が異なるのには明確な理由があるはずである。したがって、それを軽視したり無視すれば問題が起きてくる。これは更新する場合も同様で、マニュアルの内容が違うのは、それまでの機器と仕様が違っているからである。まったく新規のものを導入するのであれば、使用目的は同じでも、使う側に新たな気持ちでマニュアルを読むという動機づけも生まれる。その結果として、マニュアルを読むことに対する抵抗も少なくなるだろう。これが更新になると、全体としてはそれまで使っていたものと形状をはじめ、その使い方が類似している。したがって、それが似たものであればあるほど、それまでになれた方法で対応するのは心情的に理解できる。ものごとは可能な限り効率的に対処する=Bこれは現代の経済的な視点からだけでなく、地球上で生存していく♂ツ能性を高めるために求められる普遍的な原則である。そんな状況の中で、マニュアルを読ませない心の力≠ノどう対応していくか。
問題を言い出す空気(08/02/24 日-1807)
 職場に問題があることに気づく≠セけでは十分でない。そのことを発言できるかどうか。そこに職場の風土というか雰囲気の力が影響してくる。いまのはやり言葉を使えば職場の空気≠ニいうことになる。ついつい空気≠読んで#ュ言を抑えてしまう。それでは先に進めない。また、思い切って発言しても周りから無視されるようでは、問題の解決はおぼつかない。さらに、発言するとそんならあんた一人でやりなさい≠ネんてことになる。そんな職場だと、これまたやばいなあ≠ニいう気持ちになる。おお、なかなかいいこと言うじゃない。それならみんなで一緒にチャレンジするか=Bまあ、こんな前向きのエネルギーがほしいのだ。そうでないと、意見もアイディアも出るわけがない。そこで、言っても仕方がないっか≠ネどと諦める。これではいつまで経っても問題は解決しない。ともあれ、問題に気づく≠セけでなく、職場のみんなにその解決のために行動しようという意欲≠ェないとまずいのである。その際にも、劇的に組織を変えるスーパーアイディアを出そうなんて焦ることはない。そんなすごいノウハウが簡単に出てくるわけがない。ああでもない、こうでもない≠フ試行錯誤こそが何よりも大事なのだ。アイディアの基本はいろいろある。逆転の発想≠ネんて言い回しがある。今までと反対のことを考えてみるのだ。これにしても、大きなことばかり頭に描くことはない。例えば、いつもしている仕事の順序をひっくり返してみるだけでも、逆転の発想≠ネのだ。第三者やお客様の声を聞くのも視点の転換≠ニいう意味で、やはり逆転的≠ナある。そんな程度のことでよければ、逆転のネタ≠ヘ、職場のあっちこっちにこぼれ落ちている。
問題に気づく(08/02/23 土-1806)
 わが日本にもことわざ∞格言≠ネるものがある。その中には、お互いに正反対のことを主張しているものもある。善は急げ≠ニ言うかと思うと、急いては事をし損ずる≠フである。急がば回れ≠ニいうのも、善は急げ≠ノストップをかけている。また、果報は寝て待て∞待てば海路の日和あり≠ネんてのもある。これも焦るな≠フ部類に入る。その一方で、虎穴に入らずんば虎児を得ず=Bぼけーっ≠ニ待っててはいけない。とにかく行動しないと目標は達成できないというわけだ。好きこそものの上手なれ≠ニ言うかと思うと、下手の横好き≠ニくる…。どれもこれも、状況によっては正解になる。しかし、ものごとは程度の問題なのである。まあ、そんなわけで会議でもすぐに結論を出そうとして拙速だ≠ネんて言われると、つい怯んでしまう。たしかに無謀な冒険主義は慎むべきである。しかし問題が明らかになっても、それが改善できない理由≠挙げ続けるだけでは時間の無駄というものだ。そもそもシステムを変える≠ネんて大げさな表現をするから誤解や抵抗が生まれるのかもしれない。もちろん、組織全体が変わるための抜本的な変革もある。そんな場合は大アイディア≠ェいるかもしれない。しかし、ちょっとした知恵と工夫で組織が変わるきっかけを掴むこともできるはずだ。大事なことは、絶え間なく自分の組織に問題がないかをチェックしながら、その改善を目指して頭を回転させ続けることである。そこでまずは問題意識≠もつことが必須の条件になる。自分が所属する組織が抱える問題に気づかなければ、改善のしようがない。現状の問題についての感受性≠ェ必要なのだ。もちろん問題に気づく≠セけでは十分ではない。
できない理由£Tし(08/02/22 金-1805)
 システムを変える≠フは相当に重くて困難を伴う問題のように見える。もちろんそれを易しいことだと言うつもりはない。しかし、それが現状を変えない@摎Rになっていては、それこそ何も変わらない。この世の中は、前進しているようでなかなか前に進まないことがじつに多い。何かをしよう≠ニ議論しているはずなのに、実態はできない理由探し≠している。何かを変えよう≠ニ集まったはずなのに、変えられない理屈≠考える会になっている…。みなさん、そんな会議が多いとは思いませんか。とにかくやりましょうよ≠ニいう姿勢ではなく、どうしたらやらなくてすむか≠必死に考えているのである。そんなときは、現状の問題点≠ヘ過小評価し、現在のプラス面≠過大に評価する。その一方で、新しい形≠竍提案≠ノついては、それが抱える問題点を強調する。もちろん、プラス面などは超過小に評価する。あるいは、まったく評価しない。さらにいえば、こんな問題がある∞こんなことになったらだれが責任を取るのか≠ニ大声で主張する。先のことはだれにもわからない。そんな中で、問題点≠滔滔と指摘されると、これが正論≠フように思えてしまう。もうそれだけで、気の弱い人は発言を控えるのである。神様じゃないのだから、われわれの判断にこれしかない≠ニいう絶対的な正解なんてあり得ない。変わることのメリットもデメリットも、相対的な問題である。まずはやって≠ンることが大事ではないか。その上で、予想通りの問題が出てきて支障があるなら、元に戻せばいいではないか。こんなときには朝令暮改≠フ精神が必要なのである。しかし、ここでもじつに素晴らしい日本語で一蹴される。それは拙速だ≠ニ…。
システム問題 17日(1799)の続き(08/02/21 木-1804)
 中国の改革開放再策≠ェはじまったのは1978年のことである。あのケ小平氏がリーダーになって中国が動き始めた。先富論≠ニいう発想があって、豊かになれるところから豊かになる。その層が豊かでない人たちを引っ張ればいいという考え方である。それから今年はちょうど30年ということになる。その結果はどうなったか。どうも貧富の差がとてつもなく大きくなっているらしい。人口が多いから、日本人がびっくりするような大富豪が1億人を超えたという話を聞いたりもする。しかし、奥地に住む農民たちはその恩恵に浴していないという。人の気持ちはなかなかむずかしい。先富≠フ人たちが、取り残された人たちを引っ張らないのである。もちろん、これは中国だけの話ではない。日本でも格差社会≠ェ進行中だというのが、いまでは常識、定説である。人間というものは放っておくと適者生存≠ニいうことで、弱い者はますます弱くなり、最終的には淘汰≠ウれる。それではあまりにも知恵≠ェない。動物ならダーウィンの法則に従わざるを得ないのかもしれないが、そこが人間の違うところだと考えたくはありませんか。パスカルさんの言うように、人間は考える葦≠ナはないですか。ものを考えてこそ人間の証明なのである。人間は思想≠もつことも、哲学≠キることもできる。完璧ではないが自分たちを客観的≠ノ観ることだってできる。ひたすら効率優先だけをよしとするのは、あまりにもワンパターンの発想だ。このところ、お近くの国々を例にして、同じ力を持った人々から構成されていても、システムによって大いなる違いが出てくることを強調してきた。ここでまたしても、新たなシステムを考えることが重要であることを繰り返したい。 
いのちいただきます(08/02/20 水-1803)
 Our Daily Bread≠ヘとにかくすごい映画ではあった。人間が生きていくために、ただそれだけの目的で人工的に生命がドンドンと製造≠ウれ、瞬く間に消費≠ウれていく。それも、映画に出てきた生き物は、ひよこ、鶏、卵、豚、牛、それに鮭のような魚である。食物にしても、よくはわからなかったがピーマンもどきのもの、トマトにキュウリ、リンゴ、そしてイモにひまわりくらいだった。映画の中では、こうした野菜や果物にもシャワーのように農薬が浴びせられていた。ともあれ、この中で取り扱われた生き物や野菜などは、いずれも人間にとって基本的なものばかりである。これすら食べてはいけないと言われると、人間そのものが生きていけない。ただ、われわれは現実に生き物の命を奪って生きていることを自覚しておきたい。それが命≠くれた生き物に対する礼儀というものだろう。いただきます≠ヘ、生き物の命をいただきます≠ニいう意味なんだそうな。それにしても、われわれは、ありとあらゆる生き物を食料にしている。そして明らかに生きる≠ニいうことだけを考えれば必要のないものまで食い尽くしている。私自身、これからも、フライドチキンに食いつき、焼き肉を楽しむはずである。そんなとき、いただきます≠フ精神をどれくらい思い出せるか。生きている≠アとをありがたい≠アとだと思えるか…。そもそも殺虫剤は、農作物を効率よく生産するために使われる。もちろんこうした農薬は使わない方がいいに決まっている。しかし、それを完全に排除して、地球上の人類67億人が生きていけるのか。完璧に安全な食料ができたとしても、それはほんの一握りの富裕層にまわることになるだろう。問題があることを指摘するのは易しい。
ナレーションなしの映像(08/02/19 火-1802)
 Our Daily Bread≠ヘナレーションなしでドンドン進んでいく。ひよこの孵化場では無数と言うほどのひよこが生まれている。それを雌雄に識別しているようなシーンが続く。とにかく説明がないのだから想像するだけである。画面上では、そこではじかれたひよこが一瞬にして死骸となってコンベアで先に進んでいるように見える。そして、どこまで続くのかと言いたくなるようなどでかい鶏舎の中で育てられ、あるいは卵を産み出していく。そして大人になった鳥たちは、掃除機のお化けのようなもので吸い取られ、ベルトコンベアに乗せられて、裸の肉塊として処理されていくことになる。豚や牛についても、これと同じような流れがスクリーンに映し出される。おそらく電気ショックだと思うが、牛の眉間に棒状のものを当てると、一瞬にして痙攣して命が失われる。あとは、機械でぶら下げられて処理場へ向かうことになる。豚の場合は逆さまにした状態で運びながら、機械のこぎりが腹部を縦に切り裂く。当然のことだが、その際には内蔵がこぼれでる。野菜や果物については、シャワーのように農薬がまかれている。その仕事をしている人は重厚な防毒マスクを付けているから、体にきつい薬であることは間違いない。こうした状況が淡々と映し出される。鳥や豚、牛の画面も一気に流れるのではなく、果物のハウスや穀物の収穫なども入りながら時間が経過していく。そのときどきに、農民や処理場で働く人たちが一人で、あるいは職場仲間と食事をしている光景が挿入される。そして最後は、牛の処理場で仕事が終わってコンベアなどを洗浄している場面が映し出される。ここでも、洗剤があふれるような泡になっているように見える。突然、画面が真っ暗になって映画は終わる。
Our Daily Bread(08/02/18 月-1801)
 三代目の熊本電気館≠ヘ、地下1階地上4階、屋上には娯楽施設もあるビルとしてオープンした。しかもエレベータまで付いていたという。それが今から80年前の1928年(昭和3年)のことだから、当時の人は驚いたに違いない。はじめから2、3、4階が映画館だったというから今と同じ構成である。屋上の施設といえば、われわれがこどものころは、どこのデパートにも小遊園地があった。福岡の玉屋には動物園≠ワであったような記憶がある。いずれにしても、電気館≠ヘものすごい建物だったのだ。そんなビルを建てることができるほど映画は収益の上がる事業だったということもできる。昨日から話題にしているOur Daily Bread≠ヘその3階で観た。タイトルは直訳すれば日々の糧≠ニでもなるだろう。聖書にはMan doth not live by bread only≠ニ書かれているそうだ。人はパンのみにて生くるにあらず≠ニいうことである。パン≠ヘ食べ物一般の代名詞として使われている。さて、映画のOur Daily Bread≠ヘ、日本語ではいのちの食べ方≠ニいうタイトルである。とにかくこれがすごい内容なのである。全編にわたって、野菜から穀物、そして動物まで、とにかく人間が食べる前にどんな処理がされているかを映し出す。ナレーションなし、BGMもちろんなしという、これまで観たこともない映画である。もちろんドキュメンタリーということで、農作業時の音や動物の声などはそのまま再生される。さらに働く人たちの会話も聞こえてくる。ほんの少しだけだから日本語訳のスーパーもない。この映画の場合、会話の内容などはわからなくても、ほとんど影響がないのである。まずは、男性が豚肉の倉庫の床を洗浄しているシーンからはじまった。
電気館(08/02/17 日A-1800)
 Our Daily Bread≠観に行った。家内が観に行こう≠ニ薦めた映画である。生憎とわが家の庭≠ノあるシネコンではやっていなかった。そこで、熊本の街中まで出かけていくことにした。ご多分に漏れず、熊本でも繁華街では映画館がドンドンなくなっている。子どもとゴジラ≠観に行った東宝は現在ホテルのが建設中である。その近くにあった映画館も、すでに全国ネットのビジネスホテルになっている。さらに、今回気づいたのだが、複数のスクリーンをもっていた映画館にも、白い工事用の幕が張られていた。ああ、ここもなくなるんだあ=Bそんな感じである。さて、そんな中でOur Daily Bread≠ヘ電気館≠フ3階で観た。この電気館=Aなかなかすごい。Yahooで検索するとトップに出る。わざわざ熊本≠ニいう条件を付けなくてもいの一番に出るのだから大したものである。この名前の映画館は浅草をはじめ、全国各地にあったようだ。もうどこだったかも記憶にないが、私も何回か聞いたことのある名前である。おそらく北九州や福岡地区にもあったのではないか。それが今では熊本が検索トップになっているのだからすごいと思うが、また寂しくもある。それだけ全国から映画館が消えていったことを象徴しているのである。熊本の電気館≠ヘ1911年(明治44年)に開館したという。もう100年近い歳月が流れているのだ。その後、1914年(大正3年)に現在地に新館としてオープンする。そのころは無声映画で弁士が大いに活躍した。まさに活動大写真≠ナある。ゆったりとした素晴らしい映画館の雰囲気が目に浮かぶようだ。それから十数年にして、早くも1928年(昭和3年)には、地下1階地上4階という堂々たる映画館ができあがる。
人口とシステム(08/02/17 日@-1799)
  このごろは中国が元気で日本の方は何とも旗色が悪い。それを人口のせいにする人がいる。何せあの国は13億人もいるんだ。その十分の一しかいない日本が勝てるわけがない=B本当にそうなんだろうか。もしそれが事実なら、長い歴史の中で日本の人口が中国を上回ったことが一度たりともあったのだろうか。いやいや歴史を持ち出すまでもない。少なくともここ半世紀に限っても中国は圧倒的な人口を誇っていた。そんな中で、わが国は圧倒されっぱなしだったか。そんなことはない。現時点でも、1人あたりの経済力は、まだはるかに日本の方が強いのである。いずれにしても中国が猛烈に発展している最大の理由は、システムを転換したからだ。もう30年以上は経過したことになるだろうか、あのケ小平氏が開放改革路線に踏み切ったのである。その瞬間から、中国は資本主義的システム≠ヨ変身した。いまでも公式的な体制は社会主義なのだろうが、上海などでは株式市場が大盛況というから、経済システムは西側とまるで同じである。つまりは、われわれと同じ制度で走り出したというわけだ。そうなると、数の力は大きな影響力を持ってくる。何せ同じことをやるのだから、どうしても多い方が強くなる。そこで、最近は中国の数に圧倒されているのである。これに対応するためには、こちらが新しいシステムや組織のあり方を考えていく必要がある。そうでないと、たしかに人口が多い国と対等にお付き合いすることは難しくなる。人間、体が大きい方がずべて勝つなんてことになったらおもしろくも何ともない。体は小さくても知恵のある人もたくさんいる。人間味があっても白い人だっている。ここで国民全体がハッピーになれるようなシステムを考えていきましょうよ。
違いの理由(08/02/16 土-1798)
 夜の朝鮮半島を撮った衛星写真。その半島を横切る白い線は国境線である。学生たちも、そのことはすぐにわかる。ただし、これが北緯38度のラインであるという答えまでは、そうすんなりと出てくるわけではない。社会人である看護師の皆さんに聞いたところ、半数を少し上回る方々が38度≠ニいう数値を知っていた。受験勉強ではないから、細かい数値まで知っておかないとまずいというわけではない。ただ、団塊の世代としては、やっぱり38度≠ュらいは知っておいてほしいとは思う。歴史の流れの中で、東西ドイツは統一され、そのずっと前に南北ベトナムも一つの国になっている。しかし、朝鮮半島は未だに南北に分かれているのである。それを分ける38度線は、1950年に勃発した朝鮮戦争の結果といて引かれたものだ。戦争のときは、福岡の米軍基地からも戦闘機が飛び立った。戦争が身近にあったのである。さて、そこまで話が進むと、ほとんど自然に、学生たちは白い点が灯りであることを指摘する。問題はそれからだ。私はいかにもわざとらしくある仮説を投げかける。これほど北と南で違いがある理由はわかりますか。それは、南の人の方が働き者で、北の人たちはそうではないからです…=Bこういった瞬間に学生たちの口元が緩む。そんな引っかけの質問には乗りませんよ=Bそんな感じである。もちろんその通りだ。朝鮮半島に住む人たちは同じ民族である。それなのに、どうしてこうした差が生まれたのか。それは、システム≠フ違いという他はない。この場合は、政治制度ということもできる。つまりは、国を構成する人々の能力や資質が同じでも、それをどのように組織化するかで、結果としての力はまったく違ってくるということなのである。
夜の衛星写真(08/02/15 金-1797)
  夜の地球を衛星から写した写真を新聞などで見ることがある。今や衛星で世界中の隅から隅まで写されている。googleが提供しているソフトを使うと、自分のPCでその衛星写真を見ることができる。ちょっと大きな施設だと、あっ、写ってる、写ってる≠ニ叫びたくなるくらいはっきり確認できる。それはそれは楽しい話なのだが、知らないうちに空からも見られているのだから、まことに恐ろしいことでもある。しかも、われわれが見られるのはかなり精度が低い写真のはずだ。おそらく本来の目的である軍事用のものは、さらにさらに見え見えになっていると推測する。そんな中で、夜の地球をとったものは白と黒の世界である。単純な話、白いところは明かりが灯いているというわけだ。私の手元に1枚の衛星写真がある。新聞に掲載されたもので、夜の朝鮮半島が撮られている。この写真、一見しただけで気づくことがある。それは38度線の北側は一カ所だけ白丸の点があり、南側は白い部分が全体に散らばっていることである。これを見れば、すぐに北の一点が平壌だとわかる。それ以外には考えられない。一方の南の方は、白い部分が点でなく広がっている。とくに国境からそれほど遠くない西海岸あたりはソウルだろうと、これまたすぐに推測できる。もちろん、南ではその一帯だけでなく東の海上にも白い塊が広がっている。このあたりに島はないから、いか釣り船の灯りだろうか。さて、授業でこの写真を提示して学生たちに問いかける。この写真はなんだかわかりますか=Bこれに対して夜の衛星写真であること、朝鮮半島が写っていることはすぐに答えが出る。そこで私は、水平に引かれた白線をレーザーポインタで指しながらこの線は何ですか≠ニ聞いてみる。
リーダーシップと風通し(08/02/14 木-1796)
 組織のリーダーたちがモデルになることは大切だ。職場の風通しをよくしよう≠ニ言いながら、自分たち自身は本音を語っていない。それでは職場の部下たちもついてこない。部下は上司を3日で見抜くが、上司は部下のことを3カ月たっても理解できない=Bこれは私の恩師である三隅二不二先生からお聞きした名セリフである。先生ご自身も、銀行のトップから聞いたお話だと言われていた記憶がある。もう40年くらい前のことである。しかし、それは今でも変わっていないような気がする。これまた古い言い回しだが、監督者は率先垂範≠ナなければならない。モデルになる内容もすべてがプラスのものばかりではない。監督者が自分の失敗を潔く認めるといった行動をとるのも、風通しをよくするためには大きな貢献をする。あるいは、若いころの失敗談だって部下たちをホッとさせる効果がある。ただし、過去の事例はどうしても迫力不足になる。私だって若いころには、こんな失敗をしたものだ=Bこれで気持ちは落ち着くかもしれないが、やはり慰めに過ぎない部分がある。いま、ここで起きている現在進行中の出来事で、管理者が自らの失敗を認めるのは、何といっても迫力がある。もちろん、モデルを提供するためにわざわざ失敗するなんてことはあり得ない。リーダーなのだから、可能な限りプラスのモデルであり続けるように努力すべきである。しかし、問題が起きてその責任を負わなければならなくなったときなどは、率先してまずかったことを認める力≠ェいるということだ。また、自分が導入した方法がまずかった場合も、判断ミスを認めて元に戻せるものなら戻せばいいではないか。自分の誤りを認める≠アとは、いつもかっこわるい≠ニは限らない…。
弱点≠ノ気づかない弱点11日(1792)の続き(08/02/13 水-1795)
 個々人の意思とは異なることが集団の意思として表明される。そんな現実がある。しかし、われわれは群れる≠アとを生きていくための条件としてきたのだから、それは当然の結果でもある。たしかに、今の時点で考えれば、それはわれわれの弱点≠ナはある。しかし大事なことは、弱点≠もっていることではない。弱点≠ヘ、どんな生き物にもある。何よりも必要なことは、自分たちに弱点≠ェあることに気づくことである。そうした感受性がなければ、問題があること自身に気づかない。まさに、弱点に気づかない≠アとこそ、最大の弱点≠ネのである。自分の弱いところを知って、それをどうしたらカバーできるかをいつも考えていくことが必要なのだ。弱点といっても、努力で克服できるものもある。しかし、どんなに頑張っても、どうにもできないものもある。それに対しては、そのことを絶え間なく意識しつづけていくことである。繰り返しになるが、弱点≠もっていることが問題なのではない。それに気づかない≠アと、対応しない≠アとが問題なのである。この点が、事故や不祥事を防止できるかどうかの分かれ道にもなる。ともあれ、集団の意思が個人の意思を反映したものでないことは少なくない。この問題に対応するためには、組織や集団のメンバーが自分の気持ちを出せるような状況をつくることが必要だ。もう少し硬い言い方をすれば、安心して本音が言えるシステムを創造していくことである。そのためにどうするか。はっきりした一つの正解があるはずもない。しかし、そのヒントはいくらでもある。たとえば、組織のトップをはじめ、リーダーたちの態度や行動は大きな影響をもっている。彼らがモデルを演じることが重要なのである。
マニュアル問題(12) 02日(1782)の続き(08/02/12 火-1794)
 一度決めたからには、それを変えることなど夢にも考えない。そうした状況では、マニュアルは容易に形骸化し、それを遵守しようという気持ちも失われることになる。このような事態を生み出さないためには、マニュアルは頑なに守る≠ニいう規範とマニュアルは柔軟に変更する≠ニいう規範が同時に成立していることが必要である。一般的にマニュアルなどはフェールセーフの精神でつくられている。そのため、それらは安全を確実にする見地からより厳しい方にシフトしている。だから使う側には石橋を叩いて渡る£度の気持ちで対応することが期待されている。もちろん、石橋を叩きすぎて°エを壊し≠スり、叩いても渡らない≠フでは仕事にならない。しかし、どんなに面倒でも、大丈夫だと確信していても、まずはマニュアルを守る精神が必要なのである。そこまで徹底しているのですか≠ニ事情を知らない者から驚かれる。そのことにプロフェッショナル≠フ誇りを感じてほしいのである。一方で、変えるべきものを変える$S意気もなくてはならない。マニュアルだけでなく規則などでも、現状にあわないものを頑なに守れと強要しても、それは無視され有効に機能しないことは目に見えている。そこは、柔軟に変更する≠アとが必要なのである。そして、状況次第では破棄する≠アとがあってもいい。このような決断をする際には、職場リーダーが重要な役割を果たすことになる。そのときに曖昧な態度をとっていると、気づかないうちに違反≠竍無視≠ェ日常的なものになる。そして、それが特定のマニュアルや規則に限定されずに、そうした雰囲気が他のものにも波及していくのである。それが集団がもっている基本的な性向だということができる。
偉人の証(08/02/11 月A-1793)
 トーマス・カーライル(Thomas Carlyle)はイギリスの思想家である。評論家でもあり、歴史家ともされる。1975年に生まれ、亡くなったのは1881年だから、19世紀の思想家ということになる。わが国では新渡戸稲造がカーライルの愛読者だったという。現在の5,000円札は樋口一葉になったが、その前は新渡戸稲造だった。彼が書いた、Bushido: The Soul of Japan(1900)は、彼の文体に倣っているのだそうな。さらに、夏目漱石もカーライルから影響を受けたらしい。ロンドン留学中にカーライルに触れたのだろう。新渡戸は1862年、夏目は1867年の生まれである。日本の歴史の中で忘れられない二人に影響を与えたのだから大した人物なのだ。そのカーライルの言葉に、A great man shows his greatness by the way he treats little men≠ニいうものがある。人は、自分より力のない人たちへの対応ぶりからその偉大さがわかる=B何とも素晴らしい言い回しだことよ。自分より力が弱いとわかるとふんぞり返って威張り散らす。周りの人たちからチヤホヤされないと気に入らない。カーライルを真似て英作文すれば、A great man shows his greatness when he meets great persons≠ニなるか。権威を振りかざして威張るくせに、自分より上の者には、反比例的に卑屈な態度をとる。あー、いやだ、いやだ。そんな人にはlittle man≠フ称号を与えたい。その手の人って、実際にいるんですよねえ。日本でも実るほど頭を垂れる稲穂かな≠ニいうではないですか。これぞカーライルのこころ≠サのものである。本当に偉大な人は自分の偉大さ≠押し売りすることはない。そのことは、周りの人たちからの尊敬によって証明されるのである。
アンプ効果(08/02/11 月@-1792)
 個人的には反対≠ナも、集団の意見≠セと推測≠キる方向に合わせてしまう。こうした心理的な力は、まとまりのいい集団ほどのど強くなる。いわば、メンバーに対する自己規制が働くのである。せっかくうまくいっている¥W団を自分のせいで♂すことになる。そんな不安が頭の中を駆けめぐる。こうなるともういけない。本音を言うこと自身が危険な行為になる。だれもが発言を控え、ますます他人の意見を推測・憶測する′X向が強まっていく。そんな個人の力が集積されるとアンプ効果≠ェ生まれる。個々人の足し算では説明できないほどの強力な圧力にまで増幅されるのである。こうして、最も極端な場合には、全員が反対≠ナあっても、組織の意思決定としては賛成≠ノなってしまうことだって起こりうることになる。動物である人間は群れる≠アとによって、お互いに安定感を得てきた。しかし、その性向が群れ≠ノ拘束されるという結果ももたらした。そこからはじき飛ばされると生きていけなくなる。それは最悪の事態であり、何としても避けなければならない。そして、自分では不本意ながらも本音≠ニは正反対の意思≠表明してしまう。まことに由々しき事態である。こうした問題を解決する妙案をご存じの方はいらっしゃいますか。正直なところ、私は知らない。もし知っていたとしても、軽々しく公表≠ネどしない。だって、そんな人類史上だれも考えたこともない方策なら、簡単に公開などしてはもったいないではないか。しかし、残念ながら、私はわっかりませーん≠ニいうしかない。ともあれ人類の誕生からどのくらいになるのか知らないが、未だに妙案がないところを見ると、これはもう考え続けていくしかないのである。
集団の意思(08/02/10 日-1791)
 法人≠ニいうことばがある。会社や団体を個人と同じような人格を持っていると見なすのである。人と同じと見なすのだから、法人には権利と義務が認められている。だから法人も税金を払わなければならないし、犯罪を犯せば罰せられる。法律の素人には、法人は単なる人の集まりのように見える。しかし、現実はそれほど単純ではない。たとえば、法人の意思といっても、そこに所属している個人の意思の総和だとは限らないからである。これは、ある意味では当然のことだ。世の中は全員がまったく同じ意見ということはあり得ない。そこで、そうした問題を解決する知恵として多数決も採用されるのである。その通りだ。そうだからこそ、気をつけた方がいいことがある。つまりは、集団の意思は個々人の気持ちを足したものではないし、その平均値でもないのである。それは当然のことで、意見を集約しなければ、組織としての意思決定ができない。その際には、多数決といった一定のルールが必要になるのである。そう思いながらも、私は多数決でものごとを決めるときの個人の意見表明そのものに興味がある。これが必ずしも個人の本当の意思≠反映しているのかという疑問である。本音のところは反対≠ネのに、その場の雰囲気では、その気持ちを表明することができない。その上、どう見ても、自分以外は全員が賛成≠オているような感じである。こうした状況の中で、われわれはついつい賛成≠ニ言ってしまう。そんな体験をした人はわんさといるに違いない。しかも、冷静に振り返ると、そのときに他者から露骨な圧力を受けたかというと、案外とそうでもないのである。それにも拘わらず、一人ひとりが自分で勝手≠ノ集団の意見≠ノ合わせてしまうのである。
諸刃の剣(08/02/09 土-1790)
 もともと群れる.NAは生存にとってプラスに働いていた。ところが、ときと場合によっては、これが諸刃の剣になる。組織の存続にとって、本当は言わなければならないことも、みんなの前では抑えてしまう。少なくとも短期的には、変なことを言わない方が波風は立たないか。もちろん、自分もドキドキしたり、汗をかいたりすることもない。こうして、みんなが物言わぬ¥W団の状況になれていく。職場で事故や不祥事が起きたとき、思いもよらないことだった≠ニか、想定外だった≠ネどという言い訳は、案外と聞かないものである。じつを言うと、このままだとまずいとは思っていましたよ。でも、それって誰かが言わないかなあと考えていました=Bこうした発言を関係者全員がする。なあんだ、それじゃあ問題があることはちゃんとわかっていたんだ=Bまさにその通りなのである。どこかで問題を明確化し、それに対応する策を考えていれば、事故や災害にまで至らなかったかもしれないのだ。これは、どう考えても個人の特性だけで説明できない現象である。そこでは、集団がもっている風土・文化、そして規範といったもの働いているのだ。職場にまずいことでも、なんでも言おう≠ニいう雰囲気があれば、みんながそれに釣られて発言する。その反対に正直なことを言うとやばいぞ≠ニいうムードが漂っていれば、発言を控える″s動が集団全体に感染していく。なにせ、本音を言ったりすればバカなやつだ≠ニ笑われるのだから黙っていた方がいいに決まってる。そこで、個人の意思と集団の意思が、まるで異なるという奇妙な現象すら生まれてくる。内心では全員が反対≠ネのに、集団の意思として全員一致で賛成≠ニいう事態があり得るのだ。
全員集合$ォ向(08/02/08 金-1789)
 怪鳥ラドン≠フ話は、また別の機会に譲りたい。もちろん、われわれ団塊世代には、あのゴジラ≠ノついても相当に語りたいことがある。しかし、これも書き始めると止まらないのではないかと不安が高まってくる。まあ、余計な心配はしないでもいいか。とにもかくにも、夕刻に山の方へ飛んでいく鳥の一群は壮観だった。その全体的な大きさが飛行機をはるかに凌いでいるのだから、他の動物にもでっかいなあ≠ニいう印象を与えるに違いない。これは明らかに群れによって、安全性を高めているのだと思う。群れ≠ナ行動することが単に迷子≠ノならないためだけでなく、他者に対する威嚇効果≠持っているのである。弱いものが集まる=Bこれは生存にとって欠かせない条件なのだ。いずれにしても、生きとし生けるものたちは群れる≠アとによって生存をより確実なものにしているのである。だから、赤信号、みんなで渡れば怖くない≠フ精神構造も、ある意味ではDNAに刻み込まれた行動傾向だと言うことができる。まあ、赤信号の例は笑い話ですまされるかもしれない。しかし、こうした性向が組織の安全に関わってくると、放ってはおけなくなる。それは深刻な事故や不祥事となって、組織の存続そのものを危うくする。まさに、生きるために獲得してきた知恵と力が、逆に自分たちの存在を脅かすとなるのである。何とも皮肉なことではあるが、われわれはそのような現実を踏まえておく必要がある。そして、それこそは人間の弱点そのものなのである。しかし、われわれにとって弱点≠ェあること自身が問題なのではない。すべての弱点≠なくすなんて不可能だ。大事なのは、自分たちの弱点≠ノ気づき、それをいつも意識し続けることである。
怪鳥ラドン(08/02/07 木-1788)
 このところ、群れ≠フ話題を書いているが、そんなときは偶然にも恵まれる。夕方の空を何の気なしに眺めていたら、鳥の一群が飛んでいた。鳥の種類については、とんと知識がないから、鳥の名前はわからない。しかし、とにかく素晴らしい形を作って飛んでいた。その方向は西から東だ。おそらく、有明海で猟≠して、山の方に帰るところだったのだろう。先頭のリーダーから二つの流れに別れる。先が尖って横になったV寺型に見える。その数は30から40羽くらいだっただろうか。それにしても、目に見える感じだけで言えば、熊本空港に着陸する飛行機よりもはるかに大きい。それこそ、空の海獣ラドン≠ェ空を飛んでいるようだった。こんなところで、突然ラドン≠ネんぞが出てきても、もう多くの方には何のことかわからないだろうか。それは、日本が誇るゴジラ≠ニ並ぶ、怪獣映画の主役≠ナある。筑豊の炭坑で生まれ、西海橋や福岡市の天神などを破壊し、阿蘇山では観光客たちを襲う、それはそれは恐ろしい怪鳥なのだ。その最後は噴火した阿蘇の溶岩の中に消えていく。人間を脅かし続けたにも関わらず、そのラストシーンは目頭が熱くなった。何故か親子2羽だったという記憶もある…。図鑑などを見ると、恐竜の中にプテラノドン≠ニいう羽の付いた恐竜がいる。これが名前の由来であることは、子どものころから推測していた。その当時は、テレビもない時代だ。図鑑は子どもたちの目に見える情報源として大いに楽しませてくれた。ウイキペディアを見ると、炭坑は筑豊ではなく阿蘇近郊とのこと。そこは私の思い込みだったが、撮影場所は間違いなく筑豊だったのではないか。その上、少なくとも阿蘇の近郊には、商業的に開発された炭坑はなかった。
群れの効用(08/02/06 水-1787)
 地球上には群れる%ョ物が多い。とくに力が弱いとされる動物たちは、いつも集まって≠「るように見える。それは当然だろう。そもそも、集団でいた方が明らかに安全≠ナある。危険な情報もいち早く知らされる。それに、足し算になるか掛け算になるかはわからないが、多ければそれだけ総合的なパワーも確保できる。だから、いざというときは、みんなで協力してそれなりに抵抗≠キることも可能になる。こうした集合性≠フ利点を、われら地球上の生き物は、それこそ何万年、何億年の間にわたって繰り返し実体験してきたと思われる。その結果として、動物はもちろん人間のDNAにも、群れる≠アとを求める行動特性が刻み込まれてきたに違いない。そんなわけで、われわれには、何かというと他人と行動をともにする潜在的な傾向が身についているのだろう。だから、自分だけがみんなと違っている≠アとに気づくと、不安になる。あるいは、みんなと違うのではないか≠ニ推測するだけで落ち着かなくなる人だっているかもしれない。そして、赤信号では渡らないぞーっ≠ニいう心のエネルギーが0≠フ人も、不安≠フ分だけ0≠ゥらプラス方向に微妙に動く。そうなると、あとは掛け算≠フ世界になる。しかも、そこにいるのが顔も知らない他人なら、まだ抵抗する力が残っているかもしれない。しかし、それが仲のいい友だち集団であったり、一緒の仕事をしている同僚たちだったりすると、その抵抗力はあっという間に力を失うのである。こうして、内心では気が進まない$lたちも巻き込みながら集団は先へ先へと進んでいく。まあ、赤信号、みんなで渡れば怖くない≠ヘ笑い話ではあるが、それは集団における人間行動の本質を突いている。
集まること(08/02/05 火-1786)
 DNAの発明≠ヘ擬人化だとしても、生き物が存在している基礎に、それがあることは間違いない。そして、DNAは少なくとも方向性としては、永遠に生きながらえる≠アとを目的にして、生命体をコピーし続ける。そのとき、足し算の原理≠ェ働くのではないか。たった1個の原子や分子よりも、それが集まった方が大きくて強いに違いない。その理屈で、だんだんと規模が大きくなり、いつの間にか細胞にまで達する。まあ、いつの間にか≠ニいっても、そこに至るまでの時間は、人間のレベルから見れば永遠とも言える時間である。そして、ここでもまったく同じ原理が働く。細胞もどんどん集まることによって、この地球上でより生き続けやすく≠ネる。まあ、ダーウィン的に言えば、弱いものが淘汰される≠フだろう。そんなこんなで、単細胞が合体して生き物となり、より適応性が高いものが生き残り、とうとう人間にまで行き着いたというわけだ。この経過を時間による自然のものと考えるか、それとも、そこにある種の意思≠発見するか。つい先ほどまで、後者を擬人化≠ニ書いた。しかし、考えてみれば、これは宗教的℃挙_なのかも知れない。それでは前者が科学的′ゥ方ということになるか。まあ、宗教と科学≠焉Aとてもおもしろいテーマである。しかし、いまこの話にまで入り込んでいくと、またまた収拾がつかなくなる。ともあれ、生き物は生き続け≠トいくための基本的な力として、集まる≠アとを志向してきたように思われる。そして、それが生き物として独立した後も継続しているのである。こんな書き方をすると回りくどいが、早い話が、少しでも永く存続≠オていくために集まる≠ニいうのは、かなりいい生き方なのだ。
DNAの発明(08/02/04 月-1785)
 宇宙や生命の歴史については、関心はあるが専門家とはほど遠い。われわれがどんな進化を遂げてきたのかも素人知識を越えない。ただ、1個の受精卵が、人間に達した生命の歴史過程をすべて経ながら赤ん坊になるらしいことは知っている、その中で、これまで蓄積してきた生き物としての体験が凝縮されているというわけだ。その意味で、DNAは過去の歴史を記憶しているのである。蛇やトカゲなどの爬虫類を見ると、体か固まる。それは、人類が恐竜からひどい目にあわされた記憶があるからだ。そんな話を子どものころに聞いた。そのこと自身が本当なのかどうかは知らない。しかし、とにかくDNAは進化の歴史の結果と言うよりも、いつも記憶を重ねながら、先へ先へと進んでいるように見える。少なくとも素人には…。そして、生き物にとって、最も基本的な意思は文字通り生きる≠ニいうことだろう。どうにかして生き続ける≠ニいうエネルギーがあればこそ、少しでも適用するために進化する。もっとも、こんなところで意思≠ネんて言葉を使うとまずいに違いない。地球上でおきる現象を擬人化していると笑われるだろうから。一方でエントロピーなる考え方がある。もともとは熱力学の専門用語だという。これまたよく理解しているわけではないが、とにかく世の中は秩序から無秩序、混乱状態に移っていくという発想らしい。生き物だって原子や分子が結びついて細胞を構成している。だから、その繋がり具合などは時間の経過とともに、弱まったりまずくなったりするだろう。その結果として、個体そのものには寿命という限界がある。そして、それを越えるためにDNAなるものが発明≠ウれた。なんて言えば、またまた擬人化だと笑われてしまうだろうか。
こころの算数(08/02/03 日A-1784)
 人の集団にはアンプ機能がある。個人の小さな力を増幅するのである。増幅≠セから、足し算≠ナはなく掛け算≠ノなる。お笑いが赤信号、みんなで渡れば怖くない≠ネんてフレーズを流行らせたことがある。子どもの教育には相当まずいが、集団が持っている力をズバリと表現している。一人ひとりはまずいかなあ≠ニ消極的な気持ちでいる。ただし、心の隅っこに車が来ていなければいいんじゃない≠ニいった思いもある。とくに急いでいるときは、その程度が強まっている。心のエネルギーが0(ゼロ)≠ナはないのである。そんな中で、周りの人たちが赤信号で渡りはじめると、もういけない。もともとは0≠ナないから、人数分だけ掛け算≠ノなってしまうのである。それでも、信号は守らなくっちゃ≠ニ心に決めている人もいるだろう。その場合は、心のエネルギーは0≠ニいうことになる。その人にとっては、どんなに多くの人数を掛け≠トも、結果は0≠ナある。しかし、こころの算数≠ヘ、われわれが習ったものとはちょっと違っている。ユークリッド幾何学に対して、非ユークリッド幾何学と呼ばれるものがある。この世界では、三角形の内角の和は180度にはならない。あるいは虚数というものがある。なんと、i2=-1だというのだから、ふつー≠フ人間にはわけがわからない。これと同じように、こころの算数≠ナは、X が大きいと、0×X≒X になってしまうのである。信号は守るぞ≠ニいう断固とした思いがあっても、周りが一斉に動き出すと、0≠動かす力が生まれるのだ。もっと言い過ぎれば、気持ちがマイナスでも、少しばかり上級のこころの数学≠ナは絶対値が登場する。つまりは、0×X=|X|が成り立つのである。
恐怖か尊敬か 1月21日(1770)の続き(08/02/03 日@-1783)
 組織の風通しをよくしたいという気持ちから、上役が部下たちになんでも言いなさい≠ニ声をかける。しかし、ただ口で言うだけのことであれば、それはリップサービス≠ノすぎない。単なる空手形≠ノなってしまう。しかし、これを完璧に実現することは至難の業である。ただ、リーダーが努力すれば、そうした状態に近づくことはできる。少なくとも、部下たちがこの人にはなんでも言える≠ニいう雰囲気をつくることが大事だ。そのためには、部下の発言をまずは受け止めて、それに対して冷静に応えるように努力したい。何をバカなことを言うんだ≠ニか、黙ってオレの言うことを聞け≠ネんて発言は、それだけでアウトである。もちろん、実際にそれを口に出していわなくとも、そんな雰囲気が漂っただけで状況は厳しくなる。ああ、この人は口だけだな≠ニ見透かされるのである。部下は上役を3日で理解するが、上役は3年経っても部下を理解できない=Bまあ、正確には3年は3カ月だったかもしれないが、そんな名言を発した管理者がいたという。世の中は広いから、一言も文句を言わせずに引っ張って組織を成功に導いていくリーダーもいる。そうした事例を見ると、脅しや制裁などによって相手に恐怖感を与えているか、神ではないかと見紛うほどに尊敬されているかのどちらかであることが多い。前者の場合は、一時的な成功はもたらしても、それが長く続くことは期待できない。何かおかしい℃桝ヤが起きても黙っていた方が安全だ。下手にヒヤリハット体験でも話そうものなら大変だ。何だって、そんなヘマをやらかしたのか≠ネどと言って雷を落とされる。それではかなわない。こうしてメンバーたちの気持ちはドンドン鬱屈していくことになる。
マニュアル問題(11) 1月16日(1764)の続き(08/02/02 土-1782)
 現実にマニュアルはどのくらい守られているのか。その正確な実態を知ることは不可能である。マニュアルと一口に言っても、仕事の内容やレベルによっても千差万別である。ただし、いつか有名になった裏マニュアル≠ネどは、その存在自身が論外ということになる。そもそも裏≠ニいうことばが付くことが、怪しげさ≠はっきり伝えている。しかし、それとてもマニュアルがちゃんとできていることが前提ではある。もちろん、あの裏マニュアル℃膜盾フときは、そうした言い訳はまったく許されない状況だったが。ともあれ、職場の場合は一応は完成したことになっているマニュアルについても、現場の声≠聞きながら、迅速な修正や改善を行っていく体制づくりが求められる。マニュアルを作る方も、それを使う方も神様ではあり得ないからである。さて、私が行ったマニュアルの問題点≠ノ関する調査では、現場を知らない人々が作成している*竭閧ノ関連して、自分達で作成したマニュアルであれば、重要なところとそうでない部分をわかっているので守りやすく、また、不適当な部分はすぐに書き換えられる≠ニいう記述もあった。これも「現場を知っている」ことの重要さを伝えている。ただし、ユーザーがマニュアルのすべてを作成することは、時間的、経済的な面からも不可能な話である。またハードの場合は、専門的な知識と技術も求められる。こうした声は、メーカーとユーザー側が使用後も十分な情報交換を行い続けるという、当然とも言える状況を作ることの必要性を指摘している。文末にある「不適当な部分はすぐに書き換えられる」という点も重要である。マニュアルは基本的に守るのが原則であり、それが職場の規範になることが強く求められる。しかし、それと同時に、変更すべきものは臨機応変かつ柔軟に変えることができる状況がなくてはならない。
大統領の予備選挙(08/02/01 金-1781)
 アメリカの大統領予備選挙は白熱を帯びてきた。民主党ではクリントン氏とオバマ氏が激しい戦いを展開している。当初はクリントン氏が優位と思っていたが、どうもそうでもないようだ。ここにきて、オバマ氏が先行しそうな気配である。エドワード・ケネディ氏もオバマ支持に回ったようで、これも大きな動きである。一方の共和党の方では、最有力とされていたジュリアーニ氏が出足で躓いた。戦略ミスの影響が大きく、早くも選挙戦からの撤退を宣言したという。あの、9.11テロの際にニューヨーク市長だった人で、知名度は抜群、人気もあったと思う。まあ、選挙なんてのはわからないものである。ところで、共和党のブッシュ氏が2期続いたので、今度は民主党という雰囲気が漂う。もちろん、これは私の思い込みで、当のアメリカではどうだかわからない。ただ、素人評論家としては、オバマ氏が本当に大統領になれるかどうか、気がかりなこともある。アメリカはすでに人種差別を克服したはずである。しかし、それが本物かどうか。ギリギリになって、黒人系の大統領が実現することに抵抗を覚える人が出ないかどうか。それが、ほとんど民主党に傾いた流れを逆流させることはないのか。他国のことではあるが、こうした点については、少しばかり気になるのである。なにせ、アメリカの人種差別は、私たちが中学生のころまでは日常的なことだった。アメリカでは白人と黒人が乗るバスが違う。公衆トイレだって区別されていた。公立学校でも、黒人が入学することを白人の親たちが拒否する事件なども起きていたのである。しかし、その心配はないのかもしれない。そんなに差別意識が強いのであれば、民主党のレベルでクリントン氏が勝つだろうから。余計なお世話だったか。