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味な話の素
No.57 2008年01月号(1745-1780)
 
新年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
背中の母(08/01/31 木-1780)
 私は目をつぶっていた。それはちょっとした反抗だったのかもしれない。背中には母がいた。私の右手を母が握っている。そのときの正確なことば≠ヘ、もちろん記憶にない。ここはまあるく∞さっと引く∞ゆっくり延ばして…=Bこんな調子だったと思う。それはおそらく私が小学3年生よりも前のことである。そこで行われていることから推測すると、あるいは小学校1年生のころだったかもしれない。母が私の手を握って字の書き方を教えていたのである。それがいやでいやでたまらなかったという記憶はない。ただ冒頭に書いたように、ときおり目を閉じていたようなイメージが甦ってくる。それはいやだなあ≠ニ抵抗していたこころ≠フ表現だったのかもしれない。いまでも、ふとその光景が目に浮かぶことがある。四畳半と六畳の二間と炊事場だけの平屋の市営住宅。その一室に置かれた体に比べて恐ろしく大きな木製の机に私は座っていた。その背中で、前屈みになって、私の母は立っていたのである。こどもにちゃんとした字を書かせたい=Bそんな思いで母は私の手を握っていたに違いない。自己評価は必ずしも正しいとは限らないが、母の特訓≠フ成果は、それなりにあったと思っている。自慢できるほどではないけれど、人様からは丁寧な字を書きますね≠ニ言っていただくこともある。その母が47歳という若さで逝ってしまってから、すでに34年以上もの歳月が過ぎ去った。母の声が、私の背中で聞こえてくる。それに抵抗≠オて、ときおり私は目を閉じる。その記憶は私の心の宝物…。少しばかり苦笑いも伴ってはいるけれど。世の中のものは古くなると輝きを失うことの方が多い。しかし、この宝物は年とともに、さらにさらに輝きを増してくる。
あなたはどっち?(08/01/30 水-1779)
 浴衣を着て旅館のトイレで小用を足す。そんなときに、足元に冷たいものを感じる。それは霧状になって飛んでくるので 目には見えない。しかし、その感覚から、かなり広い範囲にわたっていると思われる。もちろん、こうした事実は浴衣のときなど、特別の事情の場合でないと気づかない。仕事場を含めて、日常的にはズボンをはいているからである。もちろん半ズボンであれば同じ体験をするはずではある。ともあれ、直立不動(?)の場合には、この状況がいつも発生しているのである。しかし、自分でその後始末をする人がどのくらいいるだろうか…。いかがでししょうか。いやあ、少なくともご自宅では、ほんの一滴でもちゃんと自分で拭いておられますか。それなら、ちゃんと立ってお仕事をお済ませになっていいですよね。話によれば、飛沫処理をしないといけないという理由で、奥さんから座ってすることを要請されることが増えているという。これを男性の方が受け容れて、結果的に座って用をたす人たちがふえたというのである。これを聞いて、一部の(?)男性は、またぞろだからけしからん≠ニ嘆くのである。それを男性性≠フ喪失だと考えているのだろう。しかし、それは今までいやなことは人にさせておいて、自分はやりたい放題だったということでもある。何といっても時代は変わりつつある。立ってやるからには、その後始末もする。そんな覚悟がいるようになったのだろう。それに、トイレで立つだけで男性性≠ェ保証されるというのもちょっと弱いんじゃないか。それよりも人に見える他の場面で、しっかり力強いところを見せたらいいですよね。えっ、ところで、あんたはどちらなんだ≠ナすって。まあ、そこは言わぬが花≠ノしときましょう。
霧の感触(08/01/29 火-1778)
 そのつもりはなくても、男性の小用の場合は、蚤が溺れてしまうくらいの水たまりができたりするのである。そこまでは行かなくても、うっすらとしたシミ状のものが残ることはけっこう多い。実際男性トイレに行くと、その痕跡がない方が珍しいと言ってもいいほどだ。そして、自分自身がそうした事態を引き起こしたことに気づかない人は少ないと思う。しかし、そんなことになっても、責任を感じて、わざわざその部分を拭いている男性なんて、これまで見たことがない。もちろん、それは周りに人がいるからだとは思う。だから、誰もいなければ、ちゃんと自分の仕事の後始末をする方だったいるのかもしれない。しかし、私の推測では、その可能性はきわめて低い。じつは、私自身は、ちょっと大目の事態≠ノ遭遇したことがある。その際は、大の方にいってトイレットペーパーを巻きだして、問題の付近にあるものを吸い取った。もちろん、そのとき人はいなかった。だからそんな責任の取り方ができたのである。えっ、どうしてそうなったのか≠ナすって、いやあ、それがよくわからないのです。おそらく最初の方向が間違っていたのだと思います…。そういえば、新しい発見をして感動したこともある。それももう、ずいぶん前のことになる。昔は会社の研修などで保養施設を使うことも多かった。夕食は懇親会なんてのもあった。そんなときは一風呂浴びて浴衣に着替えたりする。わいのわいのと騒いでいるうちにトイレに行きたくなる。トイレでは浴衣の前面を広げて用をたす。下駄を履いているから、足先から臑、そして大腿の部分が一部ながら露出する。そのときである。便器に当たる音がかすかに響く。それと同時に、足元あたりが霧状のもので刺激を受けるのである。
立つか、座るか(08/01/28 月-1777)
 このごろ男性のトイレの作法について議論が沸騰している(?)らしい。小さい方のとき、便座に座って用をたす男性が増えてきている。そんなデータが出たのだそうな。これに対して、男性性≠強調する人たちは大いに嘆いているという。このごろは、性差に関する発言はセクハラになることが多いが、男なら立ってしろ≠ニいうわけである。しかし、これもそう単純な結論は出せない問題を含んでいる。女性はご存じないと思うが、男性の小用トイレでは、あちこちで一歩前に進め≠ニいう張り紙が目に付く。これは全国的な現象である。その間はしばらく前を向いているから、真正面に貼られた張り紙はいやでも目に入る。そこには、じつに多様な表現で同じ趣旨のことが書かれている。そのどれもがユーモアたっぷりなのだが、書き写しはどうかと思うものもある。なにせ、本欄をお読みの方は、良識的な人ばかりだから、具体的な内容は伏せておいた方がいいだろう。ただし、昨日たまたまあるところで見たものだけを参考までに挙げておくことにしよう。それは、急ぐとも外に漏らすなそのしずく。一歩前進≠ナある。これだけで十分に意味が伝わってくる。この程度なら、私の倫理コードには引っかからない穏健な表現だ。ときおり、あまりにもおもしろすぎて、つい吹き出してしまうようなものもある。その影響で体まで動いて、つい張り紙とは裏腹の結果になったりして…。まあ、ともあれそんなことで、ちゃんと気をつけていないと、ほんの一部とは言え、想定外のところに落ちこぼれてしまうのである。とりわけ、ことの終了間際の数滴が問題になる。有終の美を飾るために、思わず振ったりする方式の人もいたりするわけだ。そうすると結果は容易に予想できる。
CGの恐怖(08/01/27 日-1776)
 今の世の中、自分の家族だけ心配していても何の問題も解決しない。世の中は人と人との繋がりで成り立っている。自分たちだけがOKなどということはあり得ない。大金持ちさんだって、お城のようなお家に住んでいても、世間が不安定で物騒だったら、おちおち眠ることだってできないだろう。まともに町を歩くことも不安になるに違いない。何はともあれ、みんなが平和に生きていることが大事なのである…。おやおや、いつの間にかI AM LEGEND≠フ話題がここまで来てしまった。ここいらで区切りを付けるために、映画の話に後戻りしておこう。それにしても、このごろのCG はものすごい。CGがコンピュータ・グラフィックスの頭文字であることは、ご存じの方が多いと思うが、とにかくすごいのだ。最初に私が驚いたCGはジュラジック・パーク≠セった。日本語のジュラ紀≠フころにいた恐竜たちを集めて遊園地をつくる話だった。この映画に出てくる恐竜たちが、もうまるで本物なのである。もっとも、だれ一人として、生で恐竜たちに出会った者はいない。世界のあちこちで骨の一部が発掘されているだけのことだ。わが熊本県でも、御船町は恐竜の骨が出ることで知られている。町にはこぢんまりとした博物館があるが、なかなか楽しいところだ。ともあれ、恐竜たちの緑っぽい体の色や鳴き声は現代人の想像物≠ネのである。しかし、CGがあそこまで行くと、あれこそが本物の姿だと思ってしまう。それも怖い話ではある。すでにゲームではCG人間が暴れまくっている。まだ人間の肌などの表現は今ひとつのようだが、それも時間の問題だ。こうして、現実と創作の境目が消えてなくなる。そうなったとき、人間はまともな思考と行動ができるのだろうか…。
先行き不安(08/01/26 土-1775)
 世の中を見ていると、日本崩壊≠ヘ時間の問題のように思える。しかし、こうした傾向は、わが国だけが抱えている問題なのだろうか。いやいや、それは全世界に共通した流れのようだ。親が子どもを手にかける。子どもが親を殺す。こんなニュースが毎日のように流れているが、ドイツでもわが子に対する虐待や殺人が社会問題化している。New York Times の記事である。中国でも貧富の差が急激に拡大し、農村地帯では暴動が頻発しているという話も聞く。アメリカでは英語が話せない人たちが増えているらしい。他民族が一緒になって国を創る。それがアメリカの強味であった。しかし、ここまで来ると、改めて国とは何か≠考える必要も出てくるのではないか。しかしそれにしても、心配のネタはつきないものだ。ただ手を拱いているだけでは問題は解決しない。それはわかっているが、じゃあどうしたらいいか。なかなかむずかしい時代になってきたものだ。しかし、とにかく何とかしていきましょうよ。そもそも、どれもこれも時間をかけて起こった変化だから、そんなに簡単には変えられない。もちろん状況を元に戻すことはできない。やれやれ、なかなか先行きが明るい話になりませんねえ。ところで、わが家を振り返れば、私には二人の子どもがいる。そして、1年と5カ月ほど前に孫も登場した。まずは、子どもたちの世代が心配になる。これから先の50年、わが国は大丈夫なのか。これまでそんな思いでいたが、その期間は孫の出現とともに延長された。今から80年後はどうなのかというわけだ。このごろの状況を見ていると、不安は高まりこそすれ軽減することはない。ただし、これを自分の子どもや孫だけの問題として利己的に心配していては顰蹙を買う。
ヘルペス症状(08/01/25 金-1774)
 どうも、悪知恵≠ェ身につくほど、それに反比例するかのように、社会全体の知恵≠ェ失われていくようだ。報道機関のインサイダー取引などは、世の中にわんさかとある問題の一つに過ぎない。昨年も、じつに多くの組織で不祥事やとんでもない事件が頻発した。こうしたことが起きる雰囲気がこの国全体に広がっているのではないか。正直な話、食品関連の問題などは、氷山に一角に過ぎないという気がする。もっとも、よそで起きた問題が発覚し、それが厳しい批判を受けると、それ自身が教育効果≠持つことはある。おいおい、やばいぞ。うちも同じことしてるけれど、このあたりで止めとくか=Bこんなところもワンサとあるに違いない。しかし、それでも学ばない$lたちがいるから、かなわない。だから仕方なく法制化などが必要にもなるのだ。やれやれ…。それに、ほとぼり≠ェさめると、またぞろインチキの虫≠ヘうごめき始める。口唇ヘルペスという病気がある。これはウイルスが原因だが、彼らは顔面の三叉神経というところ住んでいるらしい。それが、ストレスや疲労が高じると、じわりと活動をはじめ、唇あたりで増殖するという。体力があるときはちゃんと抑えているのだが、弱ると活動し始める。まるで、今の不祥事の虫≠ニ同じに見える。社会全体がストレスにあふれ、組織が疲れている。何でもかんでも、目に見える成果≠セけを求める。それが働く人々の意欲≠竍満足度≠ニいう見えない成果≠食いつぶしている。責任感≠竍仕事に対する誇り≠熈見えない成果≠ノ違いない。それらを強化することで、組織内の品質保証≠煌m実になる。そこがしっかりしていないと、製品やサービスの品質が怪しくなるに決まっている。
したくても∞してはいけない(08/01/24 木-1773)
 株が全世界的規模で揺れている。その中でも東京市場の下げ幅は気になるほど大きいようだ。私自身は株そのものに関心がないから、新聞に小さな字で載っている株式のページはパスするだけである。ニュースを見ると、証券会社の前だと思うが、インタビューのカットが流れる。まことに失礼な言い方だが、大抵はフツー≠フおじさん、おばさんに見える人が話をしている。けっこういろんな人が株をやってるんだなあと思う。あれを、いわゆる個人投資家というのだろう。ささやかな資金を運用している人たちは、少しでも株価が下がると、すぐに響いてくるに違いない。株は長い目で見ないといけないという。しかし、それができるのは、持ち金に余裕のある人である。そんな中で、報道するために事前に把握された情報を使って儲けた人たちがいる。NHKの職員が外食産業がグループ化するというニュースを知って、その株を買ったという。詳しいことはわからないが、そのニュースによって株価の値上がりが予想されたわけだ。その時点で株を買っておけば、報道後には株が買われるから値上がりする。そこですぐに売れば、上がった分だけ儲けるというストーリーである。一般には知られない情報を使って株でもうけることは法律で禁止されている。情報が内部的なものだから、これをインサイダー取引≠ニいうのですな。そりゃあインチキに決まってる。たとえしたくても∞してはいけない=Bこの歯止めが失われている。したいから∞する≠フである。そして、それが何で悪い≠ニ居直る。何でもかんでも自由≠ェ原則なのである。それは、騙される方が悪い∞弱いやつは放っとけ≠ニいった話にも繋がっていく。これでは、成熟社会なんて間違っても言えない。
気がかりな変化(08/01/23 水-1772)
 もう少し、I AM LEGEND≠ェらみのお話しを…。今月の2週目ころだったか、NHKで新型インフルエンザをネタにした特番をやっていた。私自身はスポットのコマーシャルだけで、番組そのものは観ていない。だから、実際の内容は知らないが、抗体ができていない現代人の多くが罹患し、国家存亡の危機に瀕するというストーリーのようだった。あまり脅かされても困るが、今の世の中は何が起きるかわからないこともたしかである。鳥インフルエンザは今後の問題だろうが、地震はいつ起きるかわからない。しかも、日本のどこで起きても不思議でないというから、手の打ちようがない。しっかりした建物に住んでいればいいのかもしれないが、これがまた設計の偽装や工事の手抜きがあったりで、まことに頼りない。今のわが国は、なんとも八方ふさがりの状況である。鳥インフルエンザの恐ろしさを強調されると、それが現実の問題であるだけに、I AM LEGEND≠セってほんまにありそうな気にもなってくるではないか。ここで団塊の世代はじっと考える。この世代は戦後間もなく生まれ、世の中が少しずつではあるが前進する確かさを実感してきた。未来が見えたのである。それも明るい未来だった。そして、明日の食事を心配せずに生きてこられた。もちろん、戦争の恐怖もまったく体験していない。自分たちと同じ年代の若者たちが、ベトナムで命を落としているときにも、日本は平和だった。だから、団塊の世代は時代に感謝しなければならない。いい時代に生かせていただきまして、ありがとうございました=Bしかし、あらゆるものが確実に変化しはじめている。変化≠サのものは自然なことである。しかし、その方向が決して明るい方向でないことが気にかかる。
映画の現実味 20日(1769)の続き(08/01/22 火-1771)
 先週、シネコンで観た映画の話題。I AM LEGEND≠ヘ、ガンを克服するためにDNA に手を加えて無害化することに成功したというニュースからはじまる。それから場面は、すぐに3年後のニューヨークに変わる。街中が雑草の生えた廃墟と化しているのである。動物園から逃げ出したのか、しかが走り回り、それを狙ってライオンまで街中をうろついている。ガンの無害化≠ワではよかったが、そのために人間が消えてなくなったことが示唆される。人間のDNAにまで手を加えたことで、とんでもないしっぺ返しを食らうことになったのだ。まさに、神に対する冒涜≠フ祟りということだろう。とんでもないウィルスが発生して、生き物たちがそれにに感染したことが次第にわかってくる。地球上のほとんどの人間も死んでしまったのだ。そのうち、命を長らえた者たちが残存していることがわかる。しかし、彼らは日の当たるところでは生きていけない体になっている。さらに恐ろしいことには、極度に凶暴化してしまい、夜な夜な生き物たちを襲うのである。そうした状況の中で、ウィルスに免疫があって生き残った一人の研究者が血清の開発に心血を注ぐ…。まあ、こちらのストーリーも荒唐無稽といえば、そうなのだが、これがけっこう楽しめた。遺伝子を扱う技術そのものは、もう現実のものになっている。遺伝子を組み換えた食物は、すでに市販されているのである。そして、人間の細胞から体を構成するあらゆる細胞を作り出す研究も加速している。詳しいことは知らないが、その最先端を日本人の研究グループが走っている。そうなると、DNAに手を加えて、ガンを抑えることなどは、技術的には実用化≠ウれているわけで、映画も荒唐無稽≠ナなくなってくる。
上向きリーダーシップ 20日(1768)の続き(08/01/21 月-1770)
 3歳児の会話を聞いていても、リーダーシップという現象は起きているのである。とにかく他者に影響を与える≠アとがリーダーシップ≠ネのだから。そんなわけで、リーダーシップ≠ヘ、世の中で長≠ェ付いている人だけの問題ではないのである。また、その方向も上から下へと決まっているわけではない。たとえば、部下や若年者が意見やアイディアを出す。それを聞いて上司が反応する。いやあ、○○さん、それはとてもいいアイディアだと思うよ。今度の仕事はそれで行ってみようじゃないか=Bこうなれば、明らかに部下が上司に影響を与えている。これこそは、下から上に対するリーダーシップということができる。もちろん、リーダーシップ≠ヘ双方向的なものである。部下のアイディアを取り入れる≠ニいうことは、それ自身が上司のリーダーシップ≠セということもできるのである。会議をしているときは、的確な発言をタイミングよくすることが求められる。それはリーダーシップそのものである。しかし、それだけではない。同時に人の発言を聴く≠アとも、また重要なリーダーシップ行動なのである。職場の仕事でも、上役が指示や命令をするのはリーダーとしての役割である。したがって、それを果たす行為はリーダーシップになる。これは、いわばトップ・ダウン≠フ側面である。これと併せて、部下の意見を吸い上げて、それを仕事に生かしていくことも、上司のリーダーシップとして欠かせない。こちらはボトム・アップ≠ノ志向した行動である。その際に、なんでも言いなさい≠ニ発言するだけでは、リーダーシップを発揮しているといえない。部下たちがこの人になら、なんでも言える≠ニいう気持ちにならなければ意味がない。
荒唐無稽のおもしろさ(08/01/20 日A-1769)
 シネコンにI AM LEGEND≠観に行った。先週はNATIONAL TREASURE≠観た。何といっても、わが家から歩いて10分のシネコンというのが自慢だ。それに、映画は単純におもしろい。日常空間から開放されて2時間程度を夢のように過ごせる。NATIONAL TREASURE≠ヘ2作目である。いずれもタイトル通り、金銀財宝を探り当てるというストーリーだ。これに悪者が絡んで先を争うことになる。これまたワンパターンである。前作はアメリカの独立宣言書≠ノ隠された謎があった。今回はリンカーンを暗殺した犯人の日記に謎が残されたという話だった。第1作目では、独立宣言書≠手に入れるために国立公文書館に忍び込む。もちろん厳重な警備網を掻い潜ってである。今回は、イギリスまで渡ってバッキンガム宮殿≠フ女王の書斎。に侵入したり、アメリカ大統領≠フ執務室≠ノ入り込んだり。その上、とうとう大統領を誘拐するという話にまでヒートアップする。そんなわけで、その荒唐無稽ぶりは、ますますレベルを上げてくるのである。しかし、そうだからといっておもしろくないわけではない。いや、これでけっこう楽しめるのである。それに、ロンドン市内での悪者どもとカーチェースになるのだが、これがまた、なかなかの迫力なのである。こんなときに出てくるのは大体はベンツだ。なかなかレクサス≠ニはいかない。主演はニコラス・ケイジだが、この人の名前、最初に聞いたときはニコラス刑事≠ニいうタイトルのストーリーなのかと思った。笑い話のように思われるかもしれないが、そもそも、海外の俳優については、まるっきり知識がなかったのである。さて、I AM LEGEND≠フ方は、これまた大いなるフィクションだった。
3歳児の会話(08/01/20 日@-1768)
 われわれの定義によると、リーダーシップは他者に対する影響過程≠ナある。過程(プロセス)≠ニいうと、人が前面に出ないのでわかりにくい。まあ、他の人に影響をおよぼしていること≠ニいう意味である。一般的にリーダーシップ≠ニ言うと、上から下へ≠ニいう流れが頭に浮かぶ。上司のリーダーシップ∞教師のリーダーシップ$eのリーダーシップ≠ニいった具合である。そのときの対象は、部下∞児童・生徒∞子ども≠ナある。いずれも、リーダーの方が年が上で経験を積んでいて、相手はそれに着いていくというイメージが強い。もちろん、若くて優秀なリーダーもいるから、いつも年長者とは限らないが。そんなことで、リーダーに対応することばとして、英語ではフォロワー(follower)≠ニいうことばも使う。こうなると、文字通り着いていく人≠ナある。しかし、われわれは、そうした上下関係を伴うものだけがリーダーシップだとは考えていない。世の中で長≠ェ着く人だけが、人々に影響を与えているのではないからだ。ようやく会話が成立しはじめた3歳児の子どもたちが、お家の遊びに飽きて話をしている。どこか行かない∞うん、どこにする∞公園に行こうか∞あそこは寒いな∞○ちゃんのうちはどお∞それよりも□おばちゃんとこの方がおもしろいよ=c。まあ、3歳児でこんな会話が成立するのかどうかわからないが、こうした会話にもお互いに影響≠オあっている姿が見える。そして、最終的には公園に行こう≠ネどといった意思決定に達するのである。会話の流れの中で、影響≠キる者も刻々と変わっていく。その意味では、リーダーシップ≠ヘ人から人へとバトンタッチされていくものでもある。
ヤマトの宅急便(08/01/19 土-1767)
 宅急便≠ニいえば、ヤマト運輸の宅配便≠フことである。多くの人が、宅配便≠宅急便≠ニ呼んでいる。このように、普通名詞と思われているが、じつは特定の会社の商品であるものがけっこうある。それが世の中に初めて登場し、しかも多大な影響をおよぼしたものばかりである。独創的な名品ということになる。最近はそれほどでもないが、科学調味料の味の素≠烽サの代表だ。ソニーのウォークマン≠ヘ、厳密に言うと英語的にはおかしな表現らしい。しかし、これは英語圏でも立派に通用していた。まあ、このごろの流れからいうとマン≠使うところは問題視されるかも知れないが。そうそう、マジックインキ≠竍セロテープ=Aそれにクレパス≠ネんてのも個別の商品名である。また、ほっかほっか亭≠ネどは、ほかほか≠ニいった類似した名前と正当性を争っていた。それはともあれ、ヤマトの宅急便≠ェ出現する前までは、郵便小包や国鉄を使った輸送がほとんどだった。これが、笑ってしまうほど大きさなどに細かい規定があって、とにかく小包なんてのは送るのが大変だった。鉄道にしても、枚数は忘れたが、荷札を何枚もくっつけないといけなかった。そうした条件を満たしておかないと、窓口で受け取りを拒絶されるのである。それがまさに、突き返す≠ニいった雰囲気であることが多かった。まるで送ってやる≠ニいう態度の職員がいたことも事実である。私には、鹿児島に引っ越した1978年ころに、宅急便≠ニいう呼称を聞き始めた記憶がある。もう30年も前になるのだなあ。いまでは、郵便局にもゆうパック≠ニいった商品ができたが、これも、多彩なサービスを打ち出してくるヤマトの宅急便に席巻された結果なのである。
食べない発想(08/01/18 金-1766)
 板チョコ1枚が400Kcalもあって、それを消費するためには、驚くほどの運動をしなければならないという。そんなためしてガッテン≠フメッセージを聞いて、いかにも現代的な見方だなあと思った。こうした話は、まずは食べることを前提にしている。そして、その上で、たべてしまった<Jロリーを、どうして消費するかを考えるというわけである。これはどう考えても消費優先の発想である。必ずしも必要ではないものを摂り過ぎる。そしてその調整のために、またわざわざ運動をすることが必要になるというわけだ。これを少しばかり違った目で見るとどうなるか。私たち人間は、たった1枚のチョコレートを食べただけで、歩くは、走るは、はたまた腕立て伏せまで、できるできるのです。だから、あれもこれもと食べまくらなくても、ちゃんと生きていけるんですよ。そこで、ムダ食いなどせずに、少しの食事でたくさん楽しみましょう。そんな発想の方がはるかに大事だと思う。年末年始は言うまでもなく、1年中を通して、街角では宴の後の残飯が山と積まれる。その量を正確に量ることなどできないが、間違いなくとんでもない量になるはずだ。もう言い古されたことだけれど、日本の食料自給率は40%程度しかない。フランスは132%、アメリカやカナダでも100%を超えている。わが国と比較されることが多いドイツでも93%なのである。ここまできてしまったからには、いますぐに100%を実現する知恵なんて出るはずもない。しかし、せめて食いすぎ≠抑えることくらいはできるのではないか。いざとなれば金で買えばいい=Bバブル時代にはそんな声も聞こえていたが、それもかなり怪しくなってきた。その金回り自身が危うい状況を示しはじめているのだ。
チョコレート依存症(08/01/17 木-1765)
 かなり以前のことになるから、その時期は憶えていない。ただ、それはNHKのためしてガッテン≠セったことは間違いない。その日は、摂取カロリーが話題になっていた。とくに、板チョコが400Kalだという数値が頭に残っている。ここだけの話だから、他の方には言わないでいただきたいことがある。じつを言うと、私はチョコレート∴ヒ存症である。とくに、金色でMorinaga≠竍Meiji≠ニ書かれた焦げ茶色の包装に弱い。気がついたら買っていたという感じなのである。はじめは1列だけパッキンと割って食べる。もちろん、今日の分はそれでおしまいと決めている。しかし、何故かもう1列という誘惑に駆られるのだ。それがまた強烈で抵抗しがたいのである。そして、結論から言うと、あっ≠ニ気づいたときには、丸くなった銀紙しか残っていない…。バナナやチョコレートは遠足のときにしか食べられなかった。もったいなくてリュックサックの中にずっと入れていた。もちろん、最後に食べるつもりである。そして、いよいよそのときがやってくる。ワクワクしながらチョコレートに手を伸ばすと、なんとグンニャリ、べったり…。日差しのせいでリュックが温かくなっていたのだ。そんな苦い思い出もある。われわれ団塊世代が子どものころ チョコレートはとにかく高価で貴重品だった。それが今では、100円ほどで手にはいるのである。こんな値段が続く限り、私の依存症は治らないのではないか。それが何よりの心配事である。ところで、ためしてガッテン≠ナは、板チョコ1枚の400Kcalを消費することの大変さを強調していた。とにかく、たくさんたくさん歩いて=A 腕立てして=Aさらに腹筋運動≠ネどをして、ようやく400Kcalだというのだ。
マニュアル問題(10) 13日(1760)の続き(08/01/16 水-1764)
 NECからPC8001が発売されたのは1979年のことである。その最初のマニュアルが、少なくとも初心者にとってはちんぷんかんぷん≠セったことは、すでに話題にした。これに対しては、何とかしろよ≠ニいう声が上がってきたのだと思う。その後、マニュアルは徐々にわかりやすくなってきた。それと同じ傾向が、コンピュータだけでなくソフトウエアの解説書やマニュアルでも見られるようになる。その一方で、丁寧に解説すればするほど、マニュアルのページ数が増加するのは当然である。その結果、今度はこんな分厚いものなんか読めるわけがない≠ニいったクレームを付ける人が出てくることになる。このあたりは、なかなかむずかしい。最近は、多くの場合、マニュアルがCD化されている。そのため、あまりにも厚手のマニュアルがユーザーの目の前からなくなった。しかし、これも相当に使いにくい。スクリーン上では、前後の関係が見渡しにくいこともあって、最終的には紙にプリントアウトすることになる。しかも、一時的に読む場合が多いから、裏紙などを使う。そして、そのときの目的が達成されれば、そのまま廃棄する。そんなやり方をしているから、いつまで経っても紙はなくならないのである。というよりも、紙の使用量はむしろ増えているのではないか。事務のコンピュータ化が進行する中で、一時はペーパーレス社会≠フ到来などと言われていた。しかし、現状を見る限りでは、その予測は完全に外れている。いずれにしても、その内容も含めて、マニュアルに関わる問題を解決するためには、それを作る側と使う立場の人々との情報交換が欠かせない。とくに、安全に直結しているものなどは、厚いの、厚くないの≠ネどと言っている状況ではない。
国際大通り≠フ歩き方(08/01/15 火-1763)
 ちんぷんかんぷん≠フ起源は、儒学者や外国人の言うことことにあった。このときの外国人には、特定の国名が指定されていたわけではない。江戸時代の長崎といえば、オランダ人が多かったとは思う。しかし、とにかく国の名前までは控えている。これに対して、It's Greek to me≠ヘ、はっきりギリシャ≠名指ししている。そして、昨日はその他にも似たような例があるという話で終わっていた。とにかく、わからない≠アとを外国語のせい≠ノする。まさに自己中心的≠ネ基準が大手を振って歩く。それが国際大通り≠ネのだ。このごろ、ハンドボールのオリンピック・アジア予選が話題になっている。中東のジャッジがひどすぎたため、予選のやり直しをすることになったらしい。日本ではハンドボールはメジャーなスポーツではない。そんな中で、熊本にはけっこう強いチームがある。それも関係していたのか、1997年には世界男子ハンドボール選手権が熊本で開催された。私も試合を見に行った。開催地決定の際には、エジプトと競ったというから、大したものである。今回のトラブルは、中東に一方的な判定をする審判が問題らしい。ただし、そのことは関係者の間では常識になっているようだ。スポーツだけでなく、あらゆることが正義に基づいて行われるべきである。しかし、現実には、きわめて偏った振る舞いが当然のように行われる。よく言われることだが、長い歴史の中で、戦争≠ヘ当事者にとっては、いつも正義の戦い≠ナあった。もちろん、間違い≠正そうとする行為は、根気よく続けていくことが必要ではある。しかし、国際大通り≠ナの歩き方は、自宅の居間を歩くときとは違っていることも、きちんと認識しておいた方がよさそうだ。
It's Greek to me(08/01/14 月-1762)
 またまた、昨日の続き。英語のちんぷんかんぷん≠ヘIt's Greek to me≠ナある。ギリシャ語の文字は、われわれ日本人だけでなく、英語圏の人にとってもちんぷんかんぷん≠フようだ。ここで英英辞典を引いてみた。Oxford Dictionary of Englishでは、It's all Greek to me≠ヘ、I can't understand it at all≠ニなっている。まあ、じつにわかりやすい説明である。日常での非公式な使い方だという。それはそうだろう。われわれだって、公式な場ではちんぷんかんぷん≠ネんて、あまり言わないと思う。また、Oxford Advanced Learner's Dictionaryには例文が付いている。She tried to explain how the system works, but I 'm afraid it's all Greek to me. これまたわかりやすい例示である。いずれにしても、ギリシャ語がちんぷんかんぷん≠ネのは日本人だけではないということだ。それを聞いて安心したりして…。ともあれ、ことばが自分に分からないからといって、それを外国語のせいにするのも、はなはだ自己中心的な反応ではある。しかし、この手の発想は、それほど珍しくないようだ。このことについては、NHKのビジネス英語のテキスト(2007年8月号)で触れられている。それによると、イタリア人やポーランド人はトルコ語≠ちんぷんかんぷん≠フ対象にしているらしい。また、ロシア人やスペイン人は中国語≠ナ、ドイツ人はスペイン語≠ネんだそうな。幸か不幸か(?)、日本語は引用されていないが、国際的に馴染みがないとうことでもあるだろう。名指しされた国に言わせれば、何と身勝手な≠ニ言いたくなるかもしれない。しかし、そんな勝手≠ェ大手を振って歩くのが国際大通り≠ニいうものなのである。
ちんぷんかんぷん(08/01/13 日A-1761)
 今日のコラムの2つ目。先ほど、最後にちんぷんかんぷん≠ニ書いた。これは漢字では、珍紛漢紛≠るいは珍糞漢糞≠ニなる。もともとは珍紛漢∞珍糞漢≠フ3文字である。広辞苑によれば、もと儒者の用いた漢語をひやかした語に始まるとも、また、長崎の人が紅毛人の語のわからないことから言い始めたともいう≠ニある。さらに、陳紛漢・陳奮翰とも書く≠フだそうな。意味は、ご承知の通り、わけのわからないことば≠ナある。また、それを言う人≠燻wすらしい。大辞林では、漢字はすべて当て字。もと儒者の用いた漢語をひやかした語とも、外国人のことばの口まねからともいう≠ニの解説付きである。紅毛人の語のわからない≠ニいうことと外国人のことばの口まね≠ニは微妙に違っている。いずれにしても、わけがわからない≠アとである。すべて当て字≠ニあるが、奮≠ワで使うのだから、とにかくなんでもありなのだ。その昔には、かんぷん≠フところが漢文≠ェ訛ったという説明も聞いた記憶がある。しかし、国語辞書を見る限り、それはちょいと考え過ぎなのかも知れない。いずれにしても、ちんぷんかんぷん≠ニ口に出していうと、いかにもわからない≠ニいう感じが出るから楽しくもある。わからない≠アとを外国人や外国語≠フせい≠ノするのは、われわれだけではない。これと同じような言い回しは英語にもある。It's Greek to me≠ナある。これは、It sounds Greek…≠ノなったり、all Greek≠ニ、all≠追加して、ちんぷんかんぷん≠フ程度を、さらに強調して使われたりする。Greekはギリシャ語である。あのα、β、σやλ、またΣなど、かなり特有な形状をした文字からできているものだ。
マニュアル問題(9) 06日(1753)の続き(08/01/13 日@-1760)
 NECのPC8001が世に出たのは1979年である。その当時は卓上計算機を除けば、コンピュータといえば、大がかりなものが常識の時代だ。いまから考えれば、私がなんじゃこりゃあ≠ニ思ったスタンドアロン≠熈独り立ちした∞独立した≠ニいった意味である。だから、それは大型電子計算機とは違った新しい発想のコンピュータであることを強調した表現だったのだ。まだまだ個人がコンピュータを手にする時代ではなかった。だから、マニュアルを書いた人たちも、ユーザーではなく設計者たちが中心になっていたのだろう。そのころとしては、やむを得ない環境でもあったろう。それにしても、出はじめからPC という頭文字を付けていたのは大したものだと思う。当時は、これらをマイコン≠ニいう呼ぶ方が圧倒的に多かった。マイコン≠ヘマイクロコンピュータ≠フ省略形である。ただ、コンピュータの心臓部というか、より正しくは頭脳部というべきだろうが、その部分をマイクロプロセッサー≠るいはマイクロコンピュータ≠ニいっていた。だから、そうした主要部品を組み込んだコンパクトなコンピュータは、パーソナル・コンピュータ=AつまりはPCと呼ぶ方が正確だったのだと思う。何といっても、個人的(personal)に活用できるからである。ともあれ、PC8001のマニュアルのは、初心者にはまったく分からない用語や解説のオンパレードだった。たとえば、NULLキャラクターコード∞キャラクタジェネレータ≠ネんて、いまでもすぐに思い出す用語の代表である。専門家から見れば、マニュアルのすべてが常識であり、むしろ懇切丁寧に書いたつもりだったに違いない。しかし、素人にとっては、ちんぷんかんぷん≠セったのである。
宅配便の封(08/01/12 土-1759)
 ホテルのコンシェルジェ≠ナガムテープを借りようとしたら、こちらで荷造りをいたしますので、お荷物をお持ち下さい≠ニ言われてしまった。なんでかいな≠ニちょっと驚いたが、まあ相手がそう言うのだから、いいや貸してくれ≠ニ突っ張っても仕方がない。たしかに、ガムテープを貸し出すと、そのまま猫糞(ねこばば)する、とんでもない不届きな輩だっているかもしれない。実際、このごろは借りる際に部屋番号を確かめるホテルが少なくない。これはインターネットのランケーブルの場合も当てはまる。おそらく、持ち逃げする℃メがいるのだろう。やれやれ…。そんなことで、部屋に戻って宅配便としてパックして、ふたたびコンシェルジェに持参したわけである。お願いします≠ニ荷物を渡すと、またにこやかに笑ってお預かりします≠ニ荷物の大きさを測りはじめた。私はすぐに、おいおい≠ニ思って、彼女に声をかけた。すみませんが、まずはガムテープで封をしてくれませんか=Bそうなんです。そのまま放っておくと、私が去った後に荷造りをする感じなのである。リスク管理的な観点から、その中には個人情報を含んだ書類等は入れてはいなかった。しかし、それにしてもホテルのサービスとしては、お客の情報をきちんと管理するのは基本の基本である。少なくとも、そのようにしているという態度、行動を示すことがサービスそのものなのである。私の思い過ごしだとは思うが、目の前でパックして≠ニ言われた瞬間に、彼女の顔が驚いたような表情になった。コンシェルジェもいて、それは、まことに格好いい、すてきなホテルであった。それはそうなのだけれど、こうした小さな対応がしっかりしていないと、高い評価点はあげられない。
ガムテープ物語 08日(1755)の続き(08/01/11 金-1758)
 ある大きな街のホテルでのお話。今日が3回目で、シリーズの一区切りの話題になる。朝食を終えて部屋に戻る前にフロントに向かった。宅急便の送り状とガムテープを貸してください=Bこれが私のセリフである。このごろは宿泊の際に宅急便をよく使う。これで資料や着替えを送ると荷物が軽くなる。いつもの通勤と同じカバンですむのである。ところで、宅急便≠ニ言えば、ヤマトの商標である。いまから30年ほど前にスタートした事業だが、これが世の中を大いに変えた。宅急便のネタは、これまたいろいろある。しかし、それはまた別の機会に譲ろう。ともあれ、この手のサービスは、一般名詞としては宅配便≠ニいうことになる。ところで、送り状とガムテープ≠貸して≠ニいう日本語も、考えてみるとおもしろい表現だ。まずは送り状≠ヘ借りる≠フではなく、もらう≠烽フだ。あれは決して返さない=Bまた、ガムテープ≠ノついては、これまた借りる≠フではない。わずか数十センチではあるけれど、あれはもらう≠フである…。まあ、そんな細かいことはどうでもいいか。ともあれ、私の貸して≠ニいう要求にフロントが応えた。それでしたら、あちらのコンシェルジェでどうぞ…=Bさあすが、ちゃんとしたホテルですねえ。なにせコンシェルジェですもの。ということで、私はそちらに向かった。そして、そこに立っていた女性に同じことを言った。宅急便の送り状とガムテープを貸してください=Bこれに対して彼女はにこりと笑って応えた。こちらで荷造りをいたしますので、お荷物をお持ち下さい=Bこれを聞いて私は一瞬とまどった。えっ≠ニいう感じがしたのである。少なくとも、これまで聞いたことのない反応だった。
イメージ違い(08/01/10 木-1757)
 ダ・ヴィンチ・コード≠ェ伝えるブーローニュの森は、さらに過激な表現になっていく。ヒエロニムス・ボスの描いた…作品は陰鬱かつグロテスクで、そこに描かれた奇形の生き物と倒錯者の煉獄こそブーローニュの森そのものだと言える=Bボスの絵がどんなものか知らないが、とにかくこの森はグロテスクで陰鬱だというのだ。どうもイメージが違うのである。そして、夜になると、曲がりくねった小道には、心の奥底に秘めた欲望を満たすべく、快楽と報酬を求める無数の艶めく肉体が並ぶー男も、女も、そして中間に位置するさまざまな者たちも=Bここまで読んだだけでも、おいおい≠ニ言いたくなる。そのあとには、本コラムでは引用を憚られる表現まで出てくるのである。ご関心をお持ちの方は、角川文庫ダ・ヴィンチ・コード¥繩ェ288〜289ページをご参照いただきたい。それはとにかく、パリに行ったことのない私としては、かなりガックリした。私のような人間でも凱旋門やエッフェル塔と並んで、ブーローニュの森は知っている。それも明るく楽しい印象を持っていた。子どもたちとピクニックにでも出かけたくなるようなイメージがあったのだ。それは私の勝手な思い込みだと言われればそれまでのことではある。しかし、海外にも知られた場所が、素人はとても近づけないようなところだというのでは、フランスにとってもマイナスだろうにと思う。それにしても、どこの世界にも闇っぽいところがあるものだ。その手の世界のことは、素人にはなかなかわからない。しかし、そうしたところにいる人も、最初は赤ん坊としてこの世に生まれてきたことだけは間違いない。うーん、人間とは、生きるとはいったい何なのか、いろいろと考え込んでしまいますねえ。
ダ・ヴィンチ・コード(08/01/09 水-1756)
 「ダ・ヴィンチ・コード」というタイトルの映画が上映されたのは、2006年の初夏だったと記憶している。その予告編を観て、これはおもしろそうだ≠ニ思った。もちろん、公開と同時にシネコンに出かけた。結論から言うと、わかったようかわからなかったような内容だった。実際はキリストに妻がいて、その末裔が存在するというところがポイントの物語であることくらいはわかった。とにかく、頭がパッとしないので本を買った。いまでも記憶しているが、ちょうど学会でアテネに出かける際に、中部国際空港で角川文庫の3冊仕入れたのである。3冊で858ページになるから、半端ではない。ギリシャへの行き帰りの機内でかなりのところまで読んだ。しかし、これがまあ、くどいわ、くどいわ。何がくどいかも、いまは忘れてしまったが、とにかくくどかった≠アとしか記憶にない。わたしは、この手の小説というか物語りは苦手なことがよくわかった。とくに洋物がそうである。そのことだけは、しっかりわかった。その中で印象に残っているのが、ストーリーとは直接的には関係ないことだから、苦笑いしてしまう。それは、上巻に出てくるブーローニュの森のことである。この森がパリにあることくらいは私だって知っている。この名前を付けた洋菓子屋さんもあるほどだ。そうであるだけに、とくに印象に残ったのだが、この公園、私が持っていたイメージとは随分と違っているようなのである。上巻の終わりあたりに、こんな文章で公園の描写がはじまるのである。ブーローニュの森として知られる鬱蒼とした森林公園にはいくつもの呼び名があるが、パリの同性愛者の間では”快楽の園”で通っている…=Bメルヘンっぽい清新なイメージがいきなり壊されるのである。
準備中? 05日(1750)の続き(08/01/08 火-1755)
 さて、大都会のけっこう大きなホテルに泊まったときのネタ話の第2弾。朝食を終えて部屋に戻ろうとエレベータに向かった。その日は和食にしていた。このときは2泊したので、最初の日はバイキング方式のレストランに行った。そこで、数日前に話題にしたバナナ問題が起きたのである。これに懲りたというわけではなく、はじめて泊まったホテルだから、翌日は和食専門のお店を選んだ。さて、そのホテルではエレベータを挟んで一方が和食の店、もう一方がレストランになっていた。朝食を済ませた私は、部屋に戻るためにエレベータの前に立った。ふとレストランの方を見ると、こちらはまだ営業前だった。それは店内の灯が点いていないことでわかる。それだけではない。店の入り口に看板が立てられていて、準備中≠ニ書かれているのである。まあ、よく見かける光景だ。さらに、準備中≠フ下に英語も書いてある。こちらはclosed≠ナある。この2つの表現、じつに興味深い。日本語の準備中≠ヘ当たり前のようだが、本当にそうなんだろうか。まだ時刻は午前7時である。入り口の向こうには人の気配もしない。しかも、この看板は昨晩のうちに置かれたはずである。だから、はっきり言って、まだ準備≠烽ヘじまっていないのではないか。これに対して英語は事実をちゃんと伝えている。何せclosed≠ネのだから、締まっている≠けである。だから、そこに人がいなくても当然なのだ。しかも、それは前の晩に店じまいすると際に入り口に置いても、何の違和感もない。まさに、closed≠ネのである。締めるときから準備中≠ニいうのは、おかしな話ではある。その点、英語は事実を、そのまんまに表現している。やっぱり精神構造が違うなあと思う。
予測のチョンボ 06日(1752)の続き(08/01/07 月-1754)
 アメリカの大統領選挙で、民主党のフランクリン・ルーズベルトと、共和党のアルフ・ランドン氏が戦った。1936年のことである。このとき、有力な雑誌だった「リテラリー・ダイジェスト」は、1000万人もの有権者に対して調査票を送付したという。その結果230万もの人々から回答が得られた。その結果は、ランドン氏が57.1%、ルーズベルト氏が42.9%となった。そこで、「リテラリー・ダイジェスト」はランドン氏が大差を付けて勝利すると予想したのである。ところが蓋を開けてみると、これが大間違いとなってしまう。ルーズベルト氏の方が62.5%を確保し、逆に圧勝したのである。「リテラリー・ダイジェスト」としては、歴史に残る大チョンボをしてしまったことになる。その原因はどこにあったか。それは調査票の送付先を決める際に、電話加入者の名簿などを使ったからだという。これに車の所有者名簿も加えたという情報もある。いくらアメリカといえども、そのころに電話を持っていた人は限定されていたのである。誰だって推測できるが、要するに裕福な人たちが多かったわけだ。一般的には、アメリカの共和党支持者には富裕層が多く、保守的な傾向があるらしい。そのため、ランドンの支持率が実態よりも高く出てしまったのである。そのときに、規模の小さかったギャラップ社が、見事にルーズベルト氏の当選を予測して評価を高めたという。このごろは、ギャラップの名前をあまり聞かなくなったが、以前は世論調査といえばギャラップ≠ニいわれるほどの大会社になっていた。ともあれ、誰に、どんな内容を、どのように聞くかによって、その回答も揺れるのだ。とくに、えっ≠ニ思うような数値を見たときは、回答率≠ネどもチェックした方がいい。
マニュアル問題(8) 12月31日(1743)の続き(08/01/06 日A-1753)
 マニュアルを作成する者はハード面では専門知識や技術を持っていても、それが使用される職場については知らないことが多い。その結果、マニュアルの内容が実際の使用状況に合致せず、使い勝手の悪いものになる。この問題は職場だけでなく、一般消費者を対象にした家電の使用説明書などでも起こりうる。いわゆるユーザー・フレンドリーになっていないのである。現在のパーソナルコンピュータがこの世に登場したころのマニュアルも、相当なものだった。それはユーザー側からの視点が全くなかったと言ってもいい。私の手元には、NECのPC-8001 USER'S MANUAL がある。1979年11月のものだ。あの一世を風靡した名機のマニュアルである。PC-8001はこの年に颯爽と登場した。これは、その First Version である。マニュアルは91ページから構成されているが、はじめてマイコン≠手にした私にとっては、まことに思い出深いものである。だからこそ、もう30年にもなろうとしているのに捨てがたい魅力を持っているのだ。ただし、これはかなりの皮肉を込めた表現である。はっきり言えば、私のような素人≠フ「ユーザー」などは、頭から考えられていないユーザー・マニュアル≠ナあった。それは、目次に続いて3ページの§1 解説≠ゥらはじまる。はじめに 本書には…基本的な使い方と … 説明がなされています≠ニいった4行の文章が冒頭に来る。そして本文の7行目、その利用分野は、スタンドアロンのコンピュータとして…=Bスタートして間もなくから、スタンドアロン≠チて何なの…。となって引っかかってしまうのだ。とにかく、マニュアルはまだ6行しか読んでいないのである。いきなりスタンドアロンだからわけがわからない。
ガラスの天井 1751の続き(08/01/06 日@-1752)
 アメリカで、いわゆる公民権法≠ェ制定されたのは1964年のことである。その前の年にケネディは暗殺され、大統領はジョンソンに替わっていた。その後もキング牧師らの非暴力の公民権運動が展開されていった。彼自身はその運動によってノーベル平和賞を受賞する。しかし、1968年には銃によって暗殺されてしまう。そんな歴史の中で、アメリカの大統領に黒人が就任したことはいまだかつてないのである。今回の、白人が多いアイオワ州での勝利が大統領の道に繋がっていくのかどうか。アメリカ人ではないわれわれは、外から見守っていくことになる。ヒラリー・クリントン氏にとっても、新しい歴史づくりに繋がる。わが国と比較すべきかどうかは置くとして、男女間の差はけっこうなものらしい。glass ceiling ということばがある。直訳すればガラスの天井≠ニいう意味だ。しかし、アメリカではこれが女性の昇進などに対する目に見えない障壁≠ニして使われている。男女間に法的な壁はない。しかし、現実には大いなる障壁があって、ある段階から先は上に昇っていけない。天井が目に見えない<Kラスでできているというわけである。法的建前と現実にズレがあるのだ。ところで、今回は、地元紙とCNNの投票予測の違いに興味を持ったのだが、世論調査というものも、けっこう当たり外れがある。もちろん予測だから100%正解とはいかない。しかし、大きな方向や傾向は当たっていないと予測の意味がない。だから、その誤差をどれくらい許容するかが問題になってくる。その点では、ある時点までの予想に限って言えば、今回はCNNはハズレ≠セったのではないか。世論調査といえば、統計調査をする者にはよく知られている、大チョンボ物語がある。
オバマ氏の1勝目 03日(1748)の続き(08/01/05 土A-1751)
 今日はアメリカの大統領選の党員集会について書かざるをえない。おととい、アイオワの集会でのマスコミの投票予想を取り上げたからである。昨日、その結果が出た。アメリカでは言うまでもなく国内最大のニュースで、テレビ局はどこも大騒ぎだったようだ。事前の予想として、地元紙はオバマ氏が32%、クリントン氏が25%という数値を出していた。もう一人、エドワードという人がいるが、こちらは24%である。これに対してCNNは、ヒラリー氏が33%で、オバマ氏が31%と予想していた。エドワーズ氏は22%だった。そして、実際の結果はどうなったか。USA TODAY紙によれば、オバマ氏が38%でトップ、次はエドワード氏の30%である。クリントン氏は29%で3位になった。数値そのものには違いがあるが、オバマ氏がかなりの差を付けてトップというのは、地元紙が予想していたとおりである。具体的な数値はインターネット版の読売新聞で見たもので、その後、CNNは修正したかも知れない。しかし、少なくとも、一昨日の段階では、けっこう読み違えた感じは否めない。何といっても、天下のCNNである。地元紙と比較的大きな差で予想が違っていたから、かなり興味を持って結果を待っていたというわけだ。アイオワ州は白人の多いところらしく、そこでオバマ氏が勝ったことには、相当の意味があるらしい。テレビの中で、解説者が唾を飛ばさんばかりに叫んでいた。自由と平等の国を標榜するアメリカだが、白人と黒人の格差は、まだまだ残っているのではないか。私たちが中学生のころは、乗るバスやトイレも分離されていた。いわゆる徹底した人種差別が日常的だったのである。それが、ケネディやキング牧師などの努力によって、大幅に改善されていく。
バナナの補充問題 1749の続き(08/01/05 土@-1750)
 ホテルの朝食でバナナを食べるぞと決心した私は、コーヒーを注ぎに来たウエイトレスに聞いた。バナナはどこにあるの…=B彼女はニッコリ笑って指さした。あちらの方にございます=Bなあるほど、かなり広い会場の向こう側に、デザートがありそうなコーナーが見えた。だから座ったままではわからなかったのだ。そこでよいしょ≠ニ声を出しながらおっさんは立ち上がり、けっこう歩いてその場所まできた。ところが、お目当てのバナナは1本しか残っていない。しかも、ちょっと見た目では、熟れすぎといった感じがする。そのために残っているのかもしれない。せっかく勇んで食べるぞーっ≠ニ心に決めたのだから、ここは元気な1本を要求したい。そこで、近くにいたウエイトレスに言った。バナナがなくなってるんだけど…=Bこれに対して彼女はニッコリ笑って応えた。大変申し訳ございません。すぐにお持ちします=Bなかなか感じのいい対応である。私もニッコリ笑って、その場で待つことにした。ここまでは何の問題もなかった。ところが、待っても待ってもバナナの補充≠ェ実現しないのである。もちろん、待つときの心理的な時間は長い。ストップウォッチを持って測ったわけではないから、正確にどのくらい待ったかはわからない。しかし、それにしても、慌ててフィリピンまでバナナを買い付けにいったわけでもあるまいし≠ニ思う程度には時間がかかったのである。朝の時間帯である。私にもそれなりの予定もあった。しかも、このごろは老化現象のせいか、先ほど対応してくれたウエイトレスの顔もはっきり憶えていない。そこで、そのままレストランを立ち去った。朝から忙しかったのだろうが、時間がかかる事情の説明くらいはした方がいい。
ハイ-プライス朝食 02日(1747)の続き(08/01/04 金-1749)
 それにしても、ホテルの朝食はとにかく高い。国内でも海外でも、ほとんどが朝食込みで予約しているから実感がないけれど、これは洋の東西を問わない。いわゆるシティホテルというのか、ちょっとしたところは、2000円から2500円くらいが相場だと思う。朝飯を軽く考えているわけではないが、一般ピープルには心臓に悪い値段である。そんなこともあってか、大きな街では、近くのビジネス街や駅の地下食堂街などにリーズナブル≠ネ価格で朝食を提供するところが現れる。それで採算が取れるのだろうと思う。和食専用になると、朝から和服を着た女性が対応する。これまた落ち着いていいいなあ≠ニいう感覚の人もいるんだろう。私なんぞは、まったく風雅とは縁遠い人間だから、朝から和服でなくてもねえ≠ネんて考える。ただし、ホテルの朝食に関しては海外も負けてはいない。朝食込みで予約していないと、やはりけっこうな値段を付けている。かなり前のことになるが、オーストラリアのブリスベーンのホテルでも体験済みである。やっぱり似たような高値だった。そんなことだけを執念深く憶えているようでは、海外旅行通とはとても言えませんなあ…。まあ、それはともあれ、あるホテルに泊まったときもビュッフェ方式の朝食を食べに行った。レストランに入った途端に、バナナをうまそうに食べている外国人が目に飛び込んできた。うぁー、うまそう≠ニ唾を飲み込んだ。その瞬間、あとで食べるぞーっ≠ニ心に決めたのである。そして、まずはそれなりの食べ物を選んで一通り朝食を終えた。コーヒーのおかわりも飲んで、いよいよバナナを取りに行くときがやってきた。じつに広いレストランで、ちょっと見た目にはバナナの居場所がわからなかった。
世論調査(08/01/03 木A-1748)
 アメリカの大統領選挙が本格化する。共和党のブッシュ大統領が2期を勤めた後がどうなるか。素人が見ている限り、今回は民主党に決まりのような感じだ。その民主党の候補者は2人に絞られた。ヒラリー・クリントン氏とバラク・オバマ氏である。ヒラリー氏は、言わずと知れたビル・クリントン元大統領の夫人である。オバマ氏は黒人だ。このどちらが大統領になっても、アメリカ史上初めてのことになる。ヒラリー氏なら初の女性大統領である。そして、オバマ氏の場合は、初の黒人大統領となる。私はずっと興味を持ち続けてきたことがある。それは、アメリカに女性あるいは黒人の大統領が実現するのと、日本の総理大臣に女性がなるのではどちらが早いかということである。ほんの一時的に、ひょっとしたら日本の方が早いかも≠ネどと期待したこともあったが、これははっきりポシャってしまった。さて、その大統領選で全米初の民主党の党員集会がアイオワで開催されるという。それが3日だから、日本時間の明日早くには結果がわかるはずだ。それについての世論調査が興味深い。地元紙によれは、オバマ氏32%、クリントン氏25%だという。日本ではヒラリー氏の優勢を聞いていたが、状況は時々刻々と変化しているようだ。この差はかなり大きい。ところが、CNNのデータでは、ヒラリー氏が33%で、オバマ氏が31%らしい。また、第3の候補のエドワーズ氏については、24%と22%というから、こちらはほぼ同等である。調査期間は27日から30日と変わらない。調査結果に多少の誤差が出るのは当然だが、この2つの場合は誤差を超えている。どうしてこのようなことになったのか。世論調査について考えるチャンスでもある。明日の朝が楽しみになってきました。
バイキングの起源(08/01/03 木@-1747)
 大都会のけっこう大きなホテルに泊まったときのネタ話。まずは、朝食を摂りにレストランへ行った話からはじめよう。このごろは、朝食はバイキング方式というのが定番である。このバイキング≠ニいう呼び方は日本特有のものだ。その起源は1950年代にまで遡る。当時、帝国ホテルの支配人だった犬丸徹三氏がデンマークで、自分で好きなものをとって食べる方式を見て感動したらしく、それを導入したのだという。スウェーデンでは、スモーガスボード(smorgasbord)といわれているものが原型とされている。ネーミングは社内の公募らしいが、北欧といえばバイキング≠ニなったという。また、ホテルの近くにある映画館でバイキング≠ニいう映画が上映されていた。その中で、バイキングが食べるシーンが豪快だったということもあって、バイキング≠ノ決まった(ウィキペディア)。海外ではビュッフェ方式というらしいが、これまた多くのホテルが採用している。このビュッフェ≠ニいうことばが日本人の耳に定着したのは新幹線からではないか。新幹線が開業したころは食堂車があった。ちゃんとしたテーブル付の移動レストランである。これに対して、カウンターに座って軽食を摂るといった形のものがビュッフェ≠ニ呼ばれていた。これはフランス語のbuffetが原語だが、これもバフェイ≠ニ発音する人の方が多いと思う。まあ、それはともかく、昨年はウィーンとプラハに出かけるチャンスがあったが、そこでもビュッフェ方式≠セった。ウィーンでは、日本人の客も多いのだろうか、ご飯や味噌汁まで準備されていた。せっかくの外国である。私としては、現地のものを選ぶことにしている。ウイーンもプラハもパンの種類がワンサかあって楽しめた。
事件とコスト(08/01/02 水-1746)
 新年早々から重い話で恐縮だが、あの世田谷の事件から7年が経過したという。2000年12月30日に、家族4人の命が奪われた事件は未解決のままである。このごろ、犯人に結びつく情報提供者には賞金を提供することになったとの報道があった。ほとんど迷宮入りかと思われるようなむずかしい事件なのだろう。ただ、それならもっと早い時期に賞金をかけていたらと思ってしまう。今ごろになって賞金と言われても、急に記憶が蘇る人なんていないだろう。もっとも、この制度そのものが昨年の5月に発足したのだから、12月の指定は、精一杯のところかもしれない。おそらく、指定のために、厳密で細かい事務的な段取りがいるのだろうから。もちろん、警察としては、市民の協力など得ないで事件を解決したいに違いない。しかし、すでに時代と環境が変わってしまった。良きにつけ、悪しきにつけ、隣近所に住んでいる人の行動をなど、お互いに知らない時代である。あるいは進んで知ろうとしない状況でもある。警察官の数だって限られている。はじめから世間頼りでは困るけれど、市民の協力を得るような手立てを積極的にとっていいのではないか。それではプロの沽券にかかることになるのだろうか。ともあれ、事件が起きると、膨大な社会的コストがかかる。世田谷事件では、すでに延べ16万人以上が捜査に従事し、今後も60人以上の専従で解決を図るという。コストを計算しようにも、その基準を持たないが、16万人を7で割ると1年あたり22,857人になる。これを年収400万の人が目一杯に働いたとすると、単純計算で800億円を超える。まったく乱暴な計算ではあるが、われわれは1件の殺人事件だけでも、膨大な社会的コストがかかっていることを知るべきだと思う。
夢と理想と人間と…(2008/01/01 火-1745)
 私がお手伝いした研修に参加された方からメールが届いた。とても勉強になったので、しっかり実践の場で活かしていきたい=Bそんな内容である。まことにありがたい話だ。ところが、文末まで読むと、喜んでばかりはおられない感じなのである。しっかりチャレンジはします。ただし、部下たちからは、“それは理想だ”と言われそうですけれど≠ニ書いてある。私としては、うーん≠ニ唸ってしまう。せっかく意欲的に取り組もうとされているのに、周りから理想を言ってもはじまらない≠ニ冷たくあしらわれてしまいそうだというのである。もう一度、うーん≠ニため息をつく。夢≠竍理想≠ヘ現実≠前にすると無力になってしまうのかいな。たしかに、とてつもない夢≠竡タ現することのない理想≠掲げても、頓挫するのは見えている。しかし、ちょっと待ってくださいな。夢≠竍理想≠持てるのは人間だけではないんでしょうか。そして、それを自分の行動に結びつけることができるのも、間違いなく人間だけですよね。夢は、寝ている間に大脳がものごとを記憶するために情報を整理しているときに見るものだという説もある。だから、犬などの動物も夢≠見てはいるのだろう。しかし、それが行動の動機づけになるのは、やっぱり人間だけに違いない。だから、夢≠ニ理想≠ノ向けて前進できるのは、人間だけに与えられた特権なのである。夢≠竍理想≠ヘ、個々人が持っている目標≠セと言い換えれば、もう少し現実味が増すかもしれない。どうせ夢なんだから≠ネどとしらけずに、一歩でも目標に近づくよう努力しましょうよ。小さな進歩が大きな変化をもたらすのですから。みなさん、今年もしっかり前を向いて進みましょう。