Back Number

味な話の素
No.55 2007年11月号(1677-1706)
 
拙著新刊のご紹介
 熊本大学の「知のフロンティア講座」でお話しした内容が「熊本大学ブックレットNo1」として発刊されました。
 タイトルは、「人生をよりよく生きるノウハウ探し −対人関係づくりの社会心理学−」です。
 表紙はなんと「夏目漱石さん」です。ひょっとして、私は漱石さんの生まれ変わり? たしかに、小柄で短足なところは、私も十分に似ているのですが、どう考えてもスケールが違い過ぎますかね…。
 あれやこれやと「味な話の素」のタッチでまとめています。熊本日々新聞社刊で定価800円です。
 ご遠方の皆様も、ワザワザお取り寄せの上、お読みいただければ幸いです。
メインストリートへの復帰(07/11/30 Fri-1706)
 大学生になって1年半は、室見から六本松まで西鉄電車のお世話になった。その後、専門課程に進学してもチンチン電車通学は続く。今度は室見から九大中門までが私の通学ルートになる。九大の所在地は箱崎という町で、九大前という名前の電停があった。これが、西の姪浜から東まで走る貫線≠フ終点だった。しかし、この電停は工学部の学生にとって最寄りの電停で、文化系の学部は九大中門の方が便利がよかった。こちらは終点が貝塚になる。現在でも地下鉄の終点になっている。この線は千代町で貫線と分かれて走るのである。貝塚駅から先は西鉄の宮地嶽線が繋がっていた。じつを言うと、高校2年生の1学期までは、私にとって宮地嶽線の香椎宮前が最寄り駅だった。その一つ東の先が西鉄香椎駅である。この駅名は、先週末に放映された松本清張の「点と線」に登場したばかりだ。そこでまたぞろこの話に脱線したくなる…。危ない、危ない。それは別の機会にいたしましょう。こうして、室見から六本松という、ちょいとマイナーな路線から、再び福岡のメインストリートを走る電車通学に復帰したわけだ。貝塚行きも姪浜からスタートして、天神や中州をパスするところまでは線路を貫線と共有していた。このうち、何本かが室見で折り返し運転することになっていた。その中に連接車があったのだ。まさに、いま熊本市電で、昔の塗装のままで走っている、懐かしき連接車である。この電車の指定席≠うまく確保するのが毎朝の楽しみだった。かなり競争相手がいたのである。後部運転席のすぐそばの端っこ。これが何とも言えない魅力的な席だったのだ。この電車は、私が高校生のときに降りていた千代町で貝塚方面に分岐していくのである。路線番号は5番だった。
西鉄電車通学物語(07/11/29 Thu-1705)
 高校2年生の2学期から、私は福岡市の西にある室見で生活するようになった。ところが、通っていた高校はずっと東にあった。は室見から千代町まで乗るのである。西鉄の市内電車はいくつかの系統に分かれていた。始発が姪浜で終点が九大前の線は、福岡市を東西に走っていたこともあって貫線≠ニ呼ばれていた。。これで千代町まで1本で行ける。この間には、西新・唐人町・西公園・大濠・平和台・大名・天神・中州・川端・呉服町・千代町などの駅がある。この間はけっこうな距離で、所要時間はもう憶えていないが、40分から50分はかかったと思う。その千代町から高校までは徒歩5分程度だったから、大抵は歩いた。ただし、高校の前まで電車があるにはあった。当時、城南線≠ニ呼ばれていた路線である。電車の系統番号が16番や25番だったと思う。電停を一つだけ乗ると潟洲町≠ノ着いた。その目の前に校門があった。そんなわけで、博多の町を西から東まで通学していたのである。そんな距離を通っていた理由を書き始めると、また脱線がひどくなる。いつか思い出したら続けることにしよう。さて、高校から大学に進学しても、電車通学は続いた。私は九大に入学したが、最初の1年半は六本松にあった教養部に通った。この線は城南線≠ニ呼ばれていた。名前の由来は、福岡城址の南側を走っていたからだろう。福岡といえば黒田藩だが、このお城には天守閣がない。その場内には、つい先だって亡くなった鉄腕稲尾投手が神様・仏様≠ノなった平和台球場があった。室見から六本松は比較的近くて、高校時代に比べると、通学がはるかに楽になった。その代わり、それまでは定期券で中州・天神も途中下車し放題だったのだが、その特典はなくなった。
電車のお話(07/11/28 Wed-1704)
 東京や大阪に行くと電車に乗ることが多い。その際に、なかなかおもしろく楽しい体験をする。私の場合、熊本にいるときはバスが圧倒的に多い。路面電車も走っているが、こちらに乗ることは少ない。当然のことながら、バスは1つのボディーからできていて、2台分が繋がっているものはない。もちろん、路面電車もほとんどが1両ものである。ときどき、2両分を連接した電車を見るが、自分が乗り合わせることはほとんどない。しかし、この連接車、私にとってはかなりのこだわりがある。いま熊本で走っている連接車は低床のものと、ちょっと丸い感じのものの2種類がある。前者は熊本市電が全国に先駈けてヨーロッパから導入したものだ。後者は明らかに古い感じがするが、肌色と小豆色のツートンカラーである。この電車を見る度に目が潤んでくる。私は勝手に確信しているのだけれど、あの連接車はその昔、福岡で走っていた西鉄電車に違いない。熊本市交通局の気持ちなんだろうか、塗装まで昔のままにしてあるから、なおさら感動が大きくなる。私は若いころ福岡市の室見に住んでいた。西鉄のチンチン電車の西の終点は姪浜だった。そこまで行くことはほとんどなかったので、電停の数など記憶はないが、そのいくつか手前の駅が室見だった。室見までは複線で、そこから姪浜までは単線だったことを思い出した。人間の記憶というものはじつにおもしろい。こうしてものを書き始めると、それにまつわる映像のイメージが目に浮かんでくるではないか。一体全体、そうした映像は大脳のどこに残っているのだろうか。記憶は心理学の重要な研究テーマだが、そのメカニズムはなかなか正体を現さない。それはともあれ、私は高校生のときから通学に西鉄電車を利用していた。
8人の悲・喜劇(07/11/27 Tue-1703)
 今年は、やたらと三連休が多かったような気がする。そのうちの9月24日に映画の「釣りバカ」を見に行った話をした。思い出したら、また書くでしょうなんてところで終わっている。そこで、忘れないうちに続きのお話しをちょっとばかり…。じつはあの日もおもしろい体験をした。まずは、観客がやたらと少なかった。何と、家内と私の2人を含めて8人しか席に座っていなかったのである。とくに喜劇は、客が少ないとまずい。客席全体がドッと沸いてこそ、その場が盛り上がるのだ。この日も、内容は忘れてしまったが、ある場面で私がプッ≠ニ笑った。ところが、ほかの7人はまったくの無反応だった。これはかなりしらける。たった一人だけの吹き出し音が聞こえても、おもしろくも何ともないのである。そんなわけで、どうも今ひとつ乗り切れなかった。そうこうするうちに物語は展開していく。そのとき、真っ暗闇の中で家内が私の肩を叩いた。ふと見ると手に持ったあめ玉を私の手に置いた。そこで私はあめ玉≠口に放り込んだ。わっ=B小さな声ながら私は叫んだ。何と口に入れたのは、まだ紙に包まれたままのガムだったのである。私は瞬間的にそれを口から吐き出した。その仕草がおかしかったのだろう。今度は、それを見た家内が吹き出した。紙に包んだままなら、そう言っとくれよ=Bそんな文句も言いたくなったが、自分もおかしくなって、やっぱり吹き出してしまった。何と、その日の「釣りバカ」映写中に最も笑ったのが、この包装紙ガム事件≠セった。それってまずいよねえ。映画の中身で笑わないといけないのに、紙に包んだガムを口に入れて笑うなんて、映画に失礼ではないかい。それはそうだけど、8人の観客ではそうなっちゃうんだなあ…。
コミュニケーションの廃棄物(07/11/26 Mon-1702)
 自然界の水は下流に流れ着くまでに、さまざまな栄養素を運んでいく。しかし、そこに人間の活動が加わると、栄養ばかりではなくなることも事実だ。個々人の生活で生まれた排水や工場の廃棄物も、ドンドン追加されるからである。それと同じとは言わないが、組織においても、トップからの情報に途中でさまざまな「添加物」が追加される可能性は大いにある。それによって、情報の意味内容が歪んでしまう。いや、それは「可能性」ではなく「必然性」と言った方が、組織の現実を正しく反映しているだろう。そもそも、立場によって、同じ「ことば」や「用語」でも意味が違ってくるものである。個人の場合で言えば、「イヌ」という「ことば」を知らない日本人はいない。しかし、私が「イヌ」と聞いた瞬間に思い描く「イヌ」が分かる人は1人もいない。この話のネタを聞いた方は除いて…。それは私だけの個人的な体験に基づくものだからだ。しかし、そのイメージが私の「イヌ」に対する気持ちと行動に多大なる影響をおよぼしているのである。いま、この話にこだわり出すと、またまた大脱線してしまう。「イヌ」の話題は別の機会に譲ることにしよう。いずれにしても、ことばのやりとりの中で、伝える側と受け止める側で、その意味合いが異なるのは、ほとんど必然的なのである。そもそも情報とはそんなものだと考えておいた方が無難だ。しかし、そうなると何でもかんでも通じないという混乱状態になってしまう。ここで大事なのは、まずはコミュニケーションにはそうした歪みが生じる高い可能性を認識することである。その上で、誤解や混乱を少しでもなくす手立てをとり続けていくのである。「通じないのは相手が悪い」などと言っていては問題は解決しない。
 おかげさまで、昨日24日にアクセス 150,000件に達しました。
 ずっと以前からご愛顧いただいている方にゲットしていただきました。今後ともよろしくお願いします。
ボトム・アップの重要性(07/11/25 Sun-1701)
 蒸発は地球上に水分さえあれば、すべての場所で発生する。山の頂上にある水源でも水は蒸気になって天に昇っていく。もちろん、最も多くの水が蒸発するのは水にあふれる海上からであるに違いない。人間の組織だって同じことだ。とくに、一般構成員たちの声を蒸発させることによって、組織は健全に成長し続けることができるのである。しかし、水は海からだけ蒸発するのではない。水分さえあればいいのだから、山の上でも真ん中だろうと、どこでも蒸発現象は起きる。組織の場合も、トップに近い部分でも上方へのコミュニケーションが必要だということである。またコミュニケーションは、その方向を問わない。したがって、組織の上から下へ、下から上へ、そして水平的な横の流れもある。さらに、部門を越えた斜めのコミュニケーションも、また重要な役割を果たすのである。そんなこんなで、私としては、組織の存続にとって、トップ・ダウンとともにボトム・アップが欠かせないことを大いに強調したいのである。ところで、山の上から湧き出た水は、長い道のりを経て海に至までにさまざまなものが加わってくる。それが栄養分となり、それぞれの段階で生き物を育てる。海はその最終到着地であり、魚をはじめ人間にとっても多くの資源の宝庫になる。川の氾濫は、人間にとっては災害だが、自然界のバランス維持には大事な役割を果たしているのだ。海に栄養を注ぎ込むのだから…。しかし、これは組織の意思や情報の流れの場合には、少しばかり問題になる可能性がある。それは、流れの途中で余計な栄養≠ェ加わって、結果として情報が歪んでしまう可能性もあるからである。
太陽とトップたち(07/11/24 Sat-1700)
 自然界では、蒸発も含めて水が上から下へ、下から上へと循環している。これと同じように、組織の場合も情報やアイディア、さらに意見などが上から下へだけでなく、下から上へ流れるような仕組みを創る必要がある。それがボトム・アップを大事にするということだ。このごろよく聞く組織の風通しをよくする≠アとでもある。地球の場合は、水の循環をつくりだしているのは太陽である。だから太陽に雲がかかれば、上方向への流れは沈滞する。そうなると、雨は降ってもその水が天に昇りにくくなる。循環が止まってしまう…。さて、それでは組織においてボトム・アップを実現させる太陽はどこにいるのだろうか。そらはトップ層の人々であり、リーダーたちなのである。その力量次第で、さまざまな情報がうまく蒸発≠キることもあれば、途中で阻止されたりもする。それが組織の問題発見や、新しい戦略づくりに大きな影響をおよぼすのである。組織のトップやリーダーたちの目が曇っていたのでは、大事な情報は蒸発したくてもできなくなる。ご本人たちの目が曇っていなくても、それを遮るような雲を発生させる人たちがいては、やはり情報はうまく循環しない。口だけで何でもいいなさい≠ニ叫んでも、それだけで自動的に蒸発がはじまるわけではない。組織の風通しがよくなるわけでもない。自然の世界と同じように、組織の場合も、目に見えない、あるいは見えにくい蒸発≠大事にするかどうかが、大きなポイントになる。組織のトップやリーダーたちが温かい日差し(眼差し)で組織に働きかければ、それによって構成員たちの声も上に昇っていくのである。自分たちの意思がちゃんと上の方まで届いている。そんな実感があれば、仕事の意欲も高まるものだ。
水は低きに流れる話(07/11/23 Fri-1699)
 水は低きに流れる≠ニいう話をしていたことを思い出した。9月10日のことである。組織はトップ・ダウンの指示・命令だけでは十分に機能しない。そう言うと、あんた、水は低きに流れるのよ。指示や命令だって同じこと≠ニいう反論も聞こえてきそうだ。しかし、本当に水は低きに流れるだけなのか。そうだとすれば、山頂から流れ出てくる川の水は、たちまちにして枯渇するだろう。現実を見れば、川はちゃんと流れている。だから水は高きにも流れるはずなのである。地球上にある水は、あらゆる場所で蒸発し雲になる。それが、雨を降らせて地球上に降り注ぐ。山の辺りでは空気がぶつかるから上昇気流が生じる。その結果、雲もできやすくなり、その雲から雨が降ってくる。そんな理屈で、山にはたくさんの雨が降るのだろう。われわれは、目に見えるものだけ、都合のいいものだけを見て物事を解釈したくなる。水も上流から下流に流れる。それが目に見える事実である。だから、組織における指示や命令も上から流れて当然だと思う。とくに上流側にいる者はそう考えたくなる。下から上になんて、逆流≠ナはないかと…。しかし、それは正しい認識ではない。われわれには蒸発している水は見えないだけのことなのである。地球の水は間違いなく循環している。下に流れる水もあれば、上に昇る水もあるのだ。それがなければ、川も池もあっという間に枯れてしまう。だから、水が上昇するのは逆流≠ナはなく自然の流れ≠ネのである。ただし、形は水蒸気≠ノ形を変えている。ただそれだけのことに過ぎない。こうした発想は、組織にも当てはめることができる。組織においては、水は情報だということになるだろうか。そして、その循環が大事なのである。
生き残りのCM(07/11/22 Thu-1698)
 あえてある町の話だとしておきましょうか。少なくとも熊本市ではございません。そこを走っている電車の車体全体が大学のコマーシャルになっていて、かなり驚きました。新聞やテレビでは大学のCMも普通のことになってきました。さらに街角や駅などに、大学のPR看板があるのも、日常的な風景です。熊本にある私立大学のPRは山手線から見えるビルにもかかっています。この大学は、伊丹空港のモノレールの駅にもPR看板を設置しています。ちょっと忘れてしまいましたが、その他の場所でも見た記憶がありますよ。とにかく少子化の時代を迎え、大学も大変なのです。それにしても走る電車の車体全体に目一杯のCMというのは、相当な衝撃でした。それと同時に、そのPR効果はいかほどのものかと、余計な心配までしてしまったわけです。私の推測だと、このPRに対しては意見が分かれるような気がします。電車の車両にPRなんて、考えてもいなかった。何といってもとにかく目立つ。もうそれだけで大いなる宣伝効果ありという評価です。それが評判になり、大学の名前が知れ渡ればいいわけです。もう一つの反応は、そこまでやるか≠ニいうものです。新聞やテレビ、看板ならわかるが、電車の車体まではいかがなものかというものです。最終的には、コストとパフォーマンスの問題なんでしょう。これで学生がたくさん集まれば成功、そうでなければアウトということでしょう。第三者の私が余計な心配をしても仕方がないですけれどね。いまは私立大学の生き残りが大いに話題になっているが、その波が国立大学にやってくることは明らかです。いやいや、現実にはすでに国立大学も、その大波は襲ってきているんです。自ら変わる力がないと生き残れません…。
鼻毛の誤解(07/11/21 Wed-1697)
 ほんの数日前のこと、電車の中で化けて≠「る女子高生の話を書いた。またまた、おもろい体験をしましたよ。車に乗って信号待ちをしていた。ふと右側に止まっている車の運転席を見て、思わず目をむいた。いわゆるランドクルーザーというのか、車台の高い車だ。運転席を下から仰ぎ見るという感じになる。そこに座っている人物が、な、なんと鼻毛を切っていではないか。しかも、推定するに間違いなく30前の女性である。その驚きは尋常なものではなかった。まさに、見てはいけないものを見てしまったのである。なあんて言いながら、どうしても目がそちらの方に向いてしまう。と、そこで、またまた驚愕するのである。うら若き彼女は、まだ鼻毛をいじっているのだ。一体全体、どんな鼻毛かいな。などと、また余計な妄想まで生まれてくる。まだ信号は赤のままだ。もう1回くらいはいいか。そんな気持ちで、三度その方に目を向けた。するとどうだろう。今度は鼻のこちら側で睫毛を当たっているではないか。イヤー、とんだ大誤解でした。鼻毛切りのはさみだと思ったのは、睫毛を扱う器具だったのである。鼻の向こう側でキラキラ光っていたので、てっきり鼻毛切りだと決めつけていたのだった。まあ、考えてみれば、あの年齢の女性が朝日のまぶしい運転席で鼻毛なんか切ったりしないよなあ。しかし、それにしても朝はお時間がないんでしょうか。三車線道路の中央に止まって、運転席で睫毛のお手入れというのだから、両サイドから見られるのは承知の上でしょう。電車の高校生と大して変わりませんなあ。ようやく信号は青になりました。一気に走り出した彼女の車、私の前を車線変更のサインもせずに割り込んできました。まだ睫毛のお手入れ中だったのかな…。
Where have you gone?(07/11/20 Tue-1696)
 日本にもお天道さん≠ェいる。それが私の主張だった。ところで、みなさんはお天道さん≠ヘ、どう読みますか。わたしは、これまでおてんとうさん≠ニ言ってきた。ところが、広辞苑を引くと、おてんとさん≠ネんですね。まあ、細かいことはどうでもいいんですが、日本語って、こんなことがけっこうありますよね。それはともあれ、このごろのわが国を見ていると、どうもお天道さん≠フ影が薄くなってきた気がする。私は、学期始めの授業で学生たちに聞くことにしている。「あなたたちが子どものころ、怒られついでに、周りの大人から誰も見ていないなんて考えてはいけない。いつだってお天道さんが見ているんだぞ≠ネんて言われたことがありますか」。これに対する回答は年によって違っている。しかし、今年の実績で言うと、手を挙げた人数は見事に0(ゼロ)≠セった。今回は、偶々ということもある。しかし、いまや日本からお天道さん≠ヘいなくなってしまった。そんな気がする。Where have you gone, Otento-san?≠アれからは、こんな問いかけをしながらお天道さん≠探していかないといけないのだろうか。誰でも知っている大企業がチョンボする。伝統を誇る老舗がずっこける。官公庁のトップが関連企業の人間とタダでゴルフ三昧。なんと奥さんまでご一緒という。そうそう、奥さん同士がいとこ≠セと言って、仕事関係の人間から、高級車や小遣いまでもらった人もいた。ところで、私はゴルフ場には行ったことがないけれど、あそこって、お日様が輝いているんじゃないのかしら。いえいえ、それでもあの方々はお天道さん≠ノは出会わなかったと思う。だって、お天道さん≠ヘ空ではなくこころ≠フ中で輝くものだから…。
神様≠ニお天道様(07/11/19 Mon-1695)
 日常の恥もかき捨て¥態になった日本の現状を見て、ベネディクトさんは呆れかえるかもしれない。もちろん、すでに天国に行った彼女に感想を聞くわけにはいかない。ところで、私が大学1年生のときに書いた「菊と刀」のレポートはどんな内容だったか。すでに40年もの年月が経過したいまとなっては、その記憶はほとんどない。ただ、日本に一度も来ない人間が、きわめて詳細な分析をしていた事実に驚嘆したことは、間違いなく書いた。そもそも鬼畜米英≠ネどと叫びながら、英語は敵性語≠セとして忌避していたわが国とは、戦略が違う。野球をするにもストライク≠よし=Aボール≠だめ≠ネんて言ってたそうだ。そんなことなら、いっそアメリカの国技≠ナある野球そのものをやめたらどうかなんて思うのだが、そこまではいかない。なんとも対応が中途半端なんですよね。それはともあれ、ベネディクトが日本人の特質を見抜いていたことを十分に認めた上で、私としては、精一杯の主張をした記憶がある。それは、日本人の行動が恥の文化≠基準にしているという点である。少なくとも、われわれは恥の文化≠セけで行動してはいない。彼らの心の中に神≠ェいるというのなら、われわれにだってお天道さん≠ェいる。そんな主張である。むかしむかし、私たちが子どものころじゃった。いたずらをして、それがばれたときなんぞに、大人たちから言われたものだ。だれも見ていないなんて思ったら大間違いだぞ。いつだってお天道さんがみんなの行動を見ているんだから…=Bいかがですか。両親やじいちゃん、ばあちゃん、それにご近所のおじさん、おばさんたちから、一度ならず、そんな叱られ方をした記憶をお持ちではないでしょうか。
化け化け&ィ語(07/11/18 Sun-1694)
 八代行きの鈍行の中で向かい合わせに女子高生が座った。たまたまそうなっただけで、こちらは、いつものことで本を読んでいた。そのうち、彼女が化粧を始めたことに気づいた。本を読んではいたが、目の前での出来事だから、何となくその気配がわかる。おやおや≠ニは思ったが、そうかと言って注視するわけにはいかない。なにせ、変な目つきだと認知されたら大変だ。それだけで通報されかねない。そんな時代である。東京の満員電車などでは、男性はバンザイ≠オて乗っていないとまずいという。そんなわけで、もちろん私は本を読み続けた。しかし、目の上の端っこには、彼女の姿が写っている。そこでときおり顔を上げて、前方を見た。まあ化粧≠ニはよくいったものだ。粧≠ヘよそおう≠アとだ。そして、よそおう≠ノはふりをする、見せかける≠ニいう意味もある(広辞苑)。化粧≠ニは、化けて∞見せかける≠ニいう行為なのである。その細かい手続きが目の前で展開していった。私自身は身の回りにつけまつげをする人がいない。あれもすごい技術なんですね。鏡に向かって目をむいて、口まで開いたりして…。とにかく八代に着くまでに、いろいろな工程を見せていただいた。そして、その出来上がりたるや、これまた見事なものだった。女子高生はバッチリ化け≠トしまっていた。もちろん、彼女のその後の動向は知らない。ひょっとしたらトイレに入って、コスチュームまで大化け≠オたりして…。まあ、そんなことはどうでもいいんだけれど、自分が化けている様子を見られても平気の平左なのだ。あの化け化け″s為には、恥ずかしさ≠ネんて伴わないのだろう。それとも、やはりこの国から恥の文化≠ェ消滅しつつあるのだろうか。
語順のおもしろさ(07/11/17 Sat-1693)
 かなり前のことだが、熊本から八代まで鈍行電車で行ったことがある。次の内容を書く前に、自分自身がたったいま書いた文章がおかしくなった。日本語は、とにかく柔軟である。ちょっとくどいが「かなり前のことだが、熊本から八代まで鈍行電車で行ったことがある」は「かなり前のことだが、鈍行電車で熊本から八代まで行ったことがある」とも書ける。。また、「かなり前のことだが、熊本から鈍行電車で八代に行ったことがある」でもいい。何となく、強調したい部分が微妙に違う感じはするが、大抵は無意識のうちに書いているような気がする。これをはっきり意識し始めると、ことばのプロ、たとえば小説家なんかになるのだろうか。しかも、この文には主語≠ェない。もちろん、日本人ならだれが読んでも、主語は私≠セということがわかる。われわれは、長い歴史の中でこうした性質を持った日本語を創り上げてきたのである。そこには、日本人の生き方そのものが反映しているに違いない。もちろん、それは外国語の場合でもまったく同じことだ。時間の流れから言えば、人類にはまずは行動があった。そのうちに、声をコントロールさせることで、ことばを使うことができるようになった。ことばは、行動を説明し、自分の意思を伝える道具になった。それは同時に相手の意思を理解する手段でもある。そして、ことば≠フ力は、いつの間にか今度は行動をコントロールすることになる。この話を続けていくと、いつものように大脱線することは間違いない。それこそ、八代まで鈍行に乗った話がどこかへ行ってしまう。ことば≠フ話題は、別の機会に譲ろう。さて、その鈍行列車は山手線などと同じ、いわゆる乗り合い式で、乗客同士が向き合う座席になっていた。
恥の文化≠フ消滅(07/11/16 Fri-1692)
 ベネディクトはアメリカ人の行動原理を罪≠ノ置いた。これに対して、日本人は恥≠ェ大きな影響を持つという。単純に言えば、ある行為をするかしないかは、それが恥≠ノなるかどうかで決まるというわけだ。恥は人との関係である。したがって、人が見ていれば≠オないことでも、人が見ていなければ&ス気でするといった事態が起きる。罪の文化≠ナはそうしたことは起こらない。それは、行動の基準が人≠ニの関係ではなく、神≠ェどう見るかによっているからである。人々は、神との間で、その意志に従って正しく生きるという契約をしているのだ。この罪¢ホ恥≠フ文化論は、直ちに否定しにくい。なぜなら、われわれ日本人がそのことを認めているからだ。なにせ、旅の恥はかき捨て≠ネのである。この成句、いつごろから言い出したのか知らない。しかし、それにしても、日本人の行動原理が恥≠ノあることを、これほどストレートに表現したものはない。しかも、旅先の他人≠ナあれば、恥≠かいたってかまわないというのだから、相当に強烈である。つまりは、自分の日常生活に関わる他人≠セけが大事なのであって、知らない人間にどう見られようと、知ったことではないのだ。これでは、ベネディクトに反論のしようがない。しかし、皮肉と言うべきか、このごろの日本人は、さらに変化してきたように思う。いまや、私の目には、日常の恥もかき捨て¥態のように見える。車からたばこはポイ捨てするは、公共の場で大声を出しながら携帯電話で話をする。周りに遠慮すると言う気配すらない。個人的なことを話していても、恥≠フは≠フ字も感じられない。そうそう、電車の中などで目をむいて化粧している若い女性もいる。
二つの文化(07/11/15 Thu-1691)
 少しばかり自分の気持ちを抑えて、他人の行動を観察する。それが人間ウォッチング≠ナある。おまえの考え方はおかしい∞あいつの行動は変だ≠ニ頭から決めてしまうと、もうそれでおしまいになる。職場のリーダーの場合は、そうした見方が結果として独善的∞威圧的≠セと批判されることにもなる。もちろん、いくら客観的に、冷静に≠ニ言われても、そこには自ずと限度はある。しかし、とくにリーダーシップを発揮すべき人間は、可能な限り人間ウォッチング≠フ精神を持ち続けていきたいものである。ところで、ベネディクトは自分たちの文化と日本文化をどう位置づけていたか。その象徴が罪の文化¢ホ恥の文化≠フ対比である。いわゆるキリスト教を基礎とする文化では、神が絶対的な力を持っている。その神はいつも心の中にあって、日常行動の指針を与えてくれる。したがって、ある行為をする際に、神の御心≠ノかなっているかどうかが問題になる。神は、いつも心の中にある。だから、そこに人がいてもいなくても、しなければならないことはする≠オ、してはならないことはしない=Bこれがベネディクトたちが住む国の人々の行動原理だというのである。そうなると、ちょっと言いたくなることはある。いつも心に神がいて、正義の行動をとるように監視しているのなら、あなたの国では、犯罪も人間性を疑うような事態も起きないのか。≠ニ。まあ、しかしそこまで言うのは酷だろう。これはあくまで、人の行動を引き起こす、基本的要因を挙げているのである。残念ながら、どこの世界でも、いつの世にも、枠を超えてしまう人間はいるものである。ともあれ、ベネディクトの罪の文化§_は、それなりに納得できるものではある。
相手を見る視点(07/11/14 Wed-1690)
 敵を徹頭徹尾こきおろすことはたやすいが、敵が人生をどんなふうに見ているかということを、敵自身の目を通してみることははるかにむずかしい仕事である=B「菊と刀」の著者Ruth Benedictの対象を見る目は冷静だ。彼女の場合は、理解する相手が日本という異文化だった。しかし、これとまったく同じ構えが、個々の人間理解にも求められるのである。リーダーシップや対人関係の改善をテーマに仕事にしている私は、再会した「菊と刀」ののっけからまさに、おっしゃるとおり≠ニ手を叩きたくなった。ベネディクトは続ける。問題は日本人がどんな行動をするかであって、もし彼らと同じ立場に置かれたならば、われわれはどんな行動をするか、ということではなかった=B自分だったら、こうする∞私はあんなことはしない…=Bこれは自分たちの文化と価値観を基準にした評価である。それは主観的≠ネ判断でもある。そうではなくて、相手がどんなときにどんな行動をするか≠あくまで冷静に見ることに徹する。自分が理解しようとする対象を、いわば客観的≠ノ把握しようとする。そんな態度が必要だというわけである。私も、人間理解の2つの目≠ニいう話をしている。その2つとは、日常の目≠ニ科学の目≠ナある。前者は、自分の経験を大事にする。それにはいい、悪い≠ニいった評価と感情を伴う。これに対して科学の目≠ヘ、冷静で、事実を大事にする。それが自分にとって不都合な場合でも、まずは事実≠ニして受け入れるのである。話がそこからはじまるわけだ。科学の目≠ニ言えば大げさだが、これは人間ウォッチング≠ニ言い換えることができる。もちろんウォッチング≠ヘ、ただ漫然と人を見ればいいのではない。
菊と刀≠ニの再会(07/11/13 Tue-1689)
 現在の住居に引っ越したとき処分した本の中に入っていた「菊と刀」は、私の頭の中から消えかかっていた。ところが、このごろ頻繁に起きる組織の不祥事や事件などを見聞きするたびに、ベネディクトさんの名前が浮かんでくるようになった。その理由はあとでお話しすることにして、久しぶりに書店で「菊と刀」に出会うことになる。東京に出張した際に立ち寄った本屋さんに積んであったのだ。学生時代に読んだときは、鮮やかな朱色のカバーだったと記憶している。しかし、目の前に置いてあったのは、白をベースにしたシンプルなカバーの「菊と刀」だった。出版元が社会思想社から講談社に変わっていたのである。版権を講談社が買い取ったのだろう。本の中をパラパラとめくってみたが、それほど劇的に変わった様子はない。翻訳のオリジナルも改版しているが、そのときのままで学術文庫になったのだろう。あまりの懐かしさに、なんの躊躇もなく購入したのである。青春時代に読んだことをはっきり憶えている本を再読するのは、それなりの感慨がある。そのときに読み取れていなかったことが、たくさんあるような気がする。気がする≠ニいうのは、あれから40年も経過したいまとなっては、それが読み取れていた≠ゥどうかもわからないからである。そんな中で、本のスタートから印象的な記述に遭遇した。まだ15ページ目である。日本に関するさまざまな情報を前にしたベネディクトは言う。敵を徹頭徹尾こきおろすことはたやすいが、敵が人生をどんなふうに見ているかということを、敵自身の目を通してみることははるかにむずかしい仕事である=Bまことに冷静な態度である。これこそが、異文化について理解するために欠かせない基本的な姿勢である。
菊と刀≠ニの出会い(07/11/12 Mon-1688)
 まだ18歳だった私にとって、「菊と刀」は質量ともに重かったに違いない。しかし、それを夏休み中に何とか読み終えた体験が、私に分厚い本を読むことのおもしろさを教えてくれた。その点で、「菊と刀」は私の読書の原点だと言えるかもしれない。私の記憶では、中学校の3年生ころ、「坊ちゃん」をはじめとした夏目漱石の世界を、ほんの少しばかり覗いた。それから芥川龍之介の短編に興味を持った。おそらく「蜘蛛の糸」や「羅生門」などが教科書に出てきたからだと思う。そうした流れが高校へと繋がっていく。いまは処分したが、真っ赤な箱に入った新潮社日本文学全集≠何冊が買って読んだ。その中に新人≠フ作品をまとめた巻もあった。そこで、私は開高健の「パニック」を読んだ。その強烈な印象は、後々まで残ることになる。いまでもときおり授業や講演の話題として取り上げているほどである。新潮社では、平行して「世界文学全集」を出していた。こちらも版型は同じだったが、箱の色が黄色だった。やはり何冊か購入したが、私自身が読んだのは海外よりも日本文学の方が圧倒的に多かった。いまから振り返ると、中学生で読書に目覚め、高校生になってから少しばかり成長したということだろう。そのころは文学中心だった気がする。そうした状況の中で「菊と刀」との出会いがあったのである。目の前にしたのは、いわば本格的な研究論文≠セった。数日前に書いたが、仲人はレポートを課された社会学の先生だった。多くの人と同じように、私も青春時代に買い込んだほとんどの本を持ち続け炊いた。しかし、10年ほど前に引っ越しをすることになったとき、かなりのものを思い切って本棚から処分した。じつは、「菊と刀」もその中に入っていた。
菊と刀≠切った!(07/11/11 Sun-1687)
 「菊と刀」を読んでレポートを書くのは、18歳にとっては大いなる負担だったに違いない。そんな思いがあるのだが、いま振り返ってみると、大苦労≠したという苦い記憶はない。この点は不思議な気さえする。もちろん、それは40年前のことである。そのときの本当の気持ちは忘れているのかもしれない。しかし、レポートそのものは、相当に背伸びして書いたことを憶えている。この本を読んだほとんどの読者が驚くことがあるはずだ。それは、彼女が日本に来ることなくこの研究をまとめたことである。当時のアメリカに住んでいた日系人や戦争の捕虜たちに対するインタビューが、そのベースになっていたのである。そこでレポートでは、この点に驚いたことと、それを書いたベネディクトのすごさを強調した。もっとも、本の中には、誤解や誤りだと思われるところもあった。しかし、それは日本に来たことがないが故の限界というわけではなかったと思う。どんなことでも、人間がすることに完璧はあり得ない。それが全体の評価を左右する決定的なものでない限り、疑問があることを理由にすべてを否定するのは、もったいない話である。いずれにしても、私としては誤り≠セと思われる部分を取り上げながら、「菊と刀」を論評≠オたのである。まあ、「菊と刀」を大上段に切った≠ツもりで大満足したというわけだ。それもはるか昔の話になった。もう40年も前のことである。それにしても枚数は忘れたが、せっせと原稿用紙に文字を埋めながら書いたはずだ。真夏の下宿で扇風機を回しながら…。その努力の甲斐があってか、評価そのものは満足できるものだったと思う。この点の記憶も、いまでは怪しいですが…。もちろん、その内容は稚拙だったに違いない。
菊と刀(07/11/10 Sat-1686)
 「菊と刀」という本がある。著者はアメリカの文化人類学者ルースベネディクト。アメリカが日本と太平洋を挟んで戦っていたとき、日本人の思考と行動を解明するために行った研究成果がまとめられている。出版は1946年となっている。名前から察せられるとおり、ベネディクトは女性だが、この分析がものすごい。私が初めてこの本に出会ったのは大学1年生の夏休み前のことである。もういまから40年も前の話だ。教養部の学生だった私がうけた「社会学」の授業で読むように指定されたのが「菊と刀」だったのである。それは夏休みのレポートの課題になった。社会学を担当されていたのは、執行嵐という、ものすごいお名前の先生だった。お名前だけでなく、行動の方もユニークな方だった。この欄でも思い出を書いてみたいのだが、それはまた別の機会に譲ることにしよう。いずれにしても、私のその後の行動に大きな影響を与えてくださった先生のお一人である。さて、ベネディクトの「菊と刀」は文庫版で400ページを超える大労作である。翻訳が世に出たのは1948年で、出版元は社会思想社だった。私はまったく知らなかったが、この出版社は経営が悪化して2002年になくなってしまったという。「現代教養文庫」と名付けた良質の本を出していたのだが、出版界は時代とともに状況が厳しくなっているようだ。しかし幸いにも、この「菊と刀」は消滅することはなかった。現在は講談社学術文庫に引き継がれて、簡単に手に入る。その事実こそ、この本が「名著」であることの証だと言えるだろう。いずれにしても、それは400ページを超える一種の研究レポートであることを考えると、まだ18歳の大学1年生にとっては、かなりの負担だったのではないかと思う。
城主<fビュー(07/11/09 Fri-1685)
 年度末の3月に、熊本城主≠フ登録が締め切られた。とにかく駆け込みが多かったと聞いた。その後は、木札に名前を書く作業が続くが、これが大変だっただろうと推測する。これまで、登録してからどのくらいの期間で名札が天守閣内に掲示されていたのかは知らない。しかし、今度はその数が半端ではなかったはずだ。しかし、それでもこうしたものは早いほうがいいに決まっている。そこで、おそらく書き手も増やすなど、状況に応じた対策も取られたことだろう。そんな努力の甲斐もあって、夏休みにはすべて掲示されると聞いた。その時期になると帰省などで、熊本を故郷にしている人たちが帰ってくるからである。その中にも、城主になった方々も多いと思われる。そんなことで、夏休みの後半になって、孫の城主<fビューを確認するため熊本城に出かけていくことにした。名札は旧い順に天守閣の入り口から並べられている。だから、まずはわが家族の5人と義父母の計7枚を確認した。ただし、私の記憶が間違いなければ、以前と位置が変わっていた。天守閣の窓側向きだったのが、内側向きになっていたのである。どんどん増えていったために、掲示版を増やすなど、整理し直したのかもしれない。それでも、位置そのものは顔の高さで見やすいところは変わっていなかった。さてさて、それからまた上の方に上がっていく。そして、とうとう見つけましたよ。わが孫の城主札≠ェちゃんと掲示してありました。その位置もなかなかのものだった。われわれと同じように、ちょうど顔くらいの高さにはめ込まれていたのである。孫が自分≠ニいうものの存在がわかるようになるのは、いつのことだろうか。城主札≠見に、一緒に天守閣に昇るのが楽しみになってきた。
城主≠フ締め切り(07/11/08 Thu-1684)
 先日、熊本城の入場者が今年になって100万人を超えたというニュースが流れていた。これは11年ぶりの快挙だという。その前は1996年というから20世紀のことなのだ。築城400年にまつわるイベントの効果があったのだと思う。わが家にしても、親戚が遊びに来たときには、あの猛暑の中をお城まで出かけていった。また、名札≠見るためにも天守閣を昇った。ただし、あそこはかなり急な階段になっている。元気なうちに昇っておかないと、足腰が弱ってからは、城主札≠見に行くのもしんどくなるだろう。それはともあれ、イベントの入場券なども送ってきたりで、なかなか満足できる待遇ではあった。まさに殿様気分(?)≠楽しんでいた。あれから2年は経っただろうか。今年の3月で、いわゆる一口城主≠フ募集が終わるという情報が入った。ニュースの素は市報か新聞のどちらかだったと思う。寄付そのものは、その後も受け付けるらしいが、天守閣内に名札を掲示する特典≠ヘおしまいになるという。その情報に接した瞬間、頭を走ったことがある。あっ、まだ終わってないぞ=Bそれは、最初の申し込みのときはこの世にいなかった人のことだ。そうなんです、わが孫の名札がまだ天守閣に飾られていなかったのです!こりゃあぜひとも申し込まんといかん=Bまあ、せっかちであることは私自身が知っている。とにかく締め切り間近だ≠ニ聞くと居ても立ってもいられない。そんなことで、躊躇なく家内に申し込みに行ってもらった。ラスト≠セという報道が効いたのだろう。家内の話でも、駆け込み組らしい人たちがワンサかといたらしい。そんなわけで、遊び好き≠カいちゃんのおかげ≠ナ、孫の名札も熊本城に登場することになった。
城主≠フ不安(07/11/07 Wed-1683)
 熊本城の城主≠ノなって、無事に名札が天守閣に納まったあとのことである。わが家≠フシネコンに「日本沈没」を観に行った。これは小松左京氏の小説が原作だが、前世紀に第1作がつくられている。このときは映画館≠ナ観た記憶がある。それにしても、今度の作品には肝を冷やした。とにかく座席から飛び上がるほど、心底から驚いた。それは阿蘇が大爆発する場面である。まさに火の国≠フシンボル阿蘇が、真っ赤に燃えて岩石を吹き飛ばすのだ。阿蘇の爆発と言えば、いまから50年ほど前の思い出もある。怪鳥ラドン≠ェ筑豊の炭田で生まれ、九州一円を暴れ回る。西海橋は壊されるは、福岡の天神一帯だって、見る影もなく破壊し尽くされた。そのラドンの終焉の地こそ、溶岩が流れ出る阿蘇山だった。ああ、懐かしい…。この話、わかる人にはわかるはずだ。ラドン≠ヘ怪獣映画の主役である。さてさて、新作「日本沈没」では、あろうことか爆発した阿蘇から噴出された岩石が熊本城にまで飛んできたではないか。こうなると天下の熊本城といえども打つ術はない。あっという間に天守閣は火の海と化したのである。その瞬間だった。私の背筋は寒くなり、真っ黒な不安が襲ってきた。スクリーンを前にして、思わず叫びそうになった。わーっ、わが家の名札は大丈夫だろうかーっ=Bもうそのあとは映画どころではなかった。熊本城のことが気がかりで、映画の内容もろくに憶えいない…。なーんて、そんなことはありませんけどね。ちょっと真面目に読まれた方、ごめんなさーい。まあ、それはともあれ、熊本城築城400年の巡り合わせで、わが家の宝物が1つ増えたのである。その後も、城主≠ニいうことで熊本城の入場券なども送ってくるようになった。
熊本城の主(07/11/06 Tue-1682)
 熊本城は今年が築城400年になる。これにまつわる、いろいろな記念行事が行われている。そうしたイベントの一環として、数年前に御殿の復興などを目的にした寄付金の募集があった。これには魅力的なご褒美≠ェ付いていた。一口1万円で城主≠ノなれるという触れ込みである。そして城主の資格を獲得すれば、その人の名前を名札にして、天守閣内に掲示するという。神社などには、灯籠や石の柵をはじめ、いろんなところに寄付金額と名前が彫ってある。まあ、風雪にも耐える石まではいかないが、天守閣の中に置いていれば、木札だって、少なくとも20年くらいは残るだろう…。そんな気持ちになって、大枚をはたくことにした。私と家内、同居している娘の3人は当然として、独立したとは言え、息子夫婦も大事な家族である。ここまでで5人になる。さらに、当時はまだ元気にしていた家内の母にもこの話をしてみた。すると、一も二もなく、話に乗ってきた。こうなると、おじいちゃんも≠ニいうことになる。そこで、すでに他界していた義父も名を連ねることになったのである。もちろん、こちらの2人分については、おばあちゃんの財布から資金はでたのだが、これで7人分の寄付をすることになった。この手の話になるとすぐに乗る。これが、わが一族の大特徴のようである。それからしばらくして立派な城主証≠ェ届いた。さらに数ヶ月が経過して天守閣に出かけた。あった、あった。しっかり7人の名札が並んでいた。しかも、運がいいったらありゃあしない。ちょうど人の目の高さくらいの位置でアピールしているではないか。これだとにっこり笑った顔と一緒に写真が撮れる。まさに最高の位置なのだ。そんなこんなで、とにかく無事に城主となりました。
天下りサポーター(07/11/05 Mon-1681)
 それにしても、官公庁から民間にいたるまで、このごろは偽装・インチキ座長大会≠ニいった様相を呈している。その原因の一つとして官公庁キャリアの天下り≠ェ問題にされる。とくに高級官僚の場合、それぞれの省のトップである次官が変わると、同じ年に採用されたキャリアたちは一斉に退職するらしい。その結果、それにふさわしい職が必要になるというわけだ。そこで、いろんな外郭団体などがつくられて、そのトップに座る。それぞれの省庁に関係する仕事をしている企業も、それなりのポストを準備する。そうしておくと、物品の選定などにも有利に働くと考えるのはごく自然である。まあ、そんなこんなで天下り≠ェ成立する土壌ができあがる。それにしても、世の中は変わらないものだ。本当に徹底して変わらない。なぜなら、私が物心ついたころには、すでに天下り≠竍渡り≠ェ問題視されていたからだ。渡り≠ニは、数年で退職しながら、どんどん就職先を変えること。それこそ渡り鳥≠ナある。ともあれ、私が子どものころから問題だと言われていたのだから相当なものだ。ところで、先日の証人喚問の際に、証人の後ろに1人の男性が座っていた。弁護士だという。ときおりややこしい質問があるとボソボソと相談するという段取りである。いわゆる証人の法的サポーターというわけだ。あの人はもと検察官らしい。ふと、これも天下り≠ネんだろうかと思って、笑ってしまった。もちろん違法性のあるものではないが、元検察官であれば、証人にとっては心強い。なにせ敵≠フ手の内をこれでもかというほど知っているからだ。何分にも国会の証人喚問である。あのときのサポート費用は、どこが負担するのかいななどと素人は余計なことを考える。
職務権限(07/11/04 Sun-1680)
 証人喚問で告白≠オたことは、強烈なイメージダウンを引き起こすものだった。しかし、どれをとっても身の破滅をもたらすほどの内容ではなかった。そこに大いなる計算があったのだろう。そして、ちょっとでも犯罪に結びつく可能性がある部分については記憶にない≠ェ効果的に使われる。彼にとって収賄≠問われるととんでもないことになる。イメージダウンでは済まないからである。そもそも贈収賄≠ニいうのは実証がむずかしい。まずは金や物品、饗応等の事実が証明されないといけない。いずれも裏金や、ややこしい金が使われたりするからわかりにくい。それにやりとりは密室で行われる。それにしては、今度の人はゴルフの接待は受けるは、ゴルフ道具はもらうわで、金や物のやりとりは明白である。ご本人が言っているのだから間違いない。あのときの話は、みんなウソでーす≠ネんて言うわけがない。なにせ証人喚問での発言なのだ。しかし、それと彼が特定の業者に便宜を図ったこととがペアにならないと収賄罪≠ヘ成立しない。いわゆる職務権限≠ニいうものだ。この用語、30年以上前のロッキード・トライスター事件でも頻繁に耳にした。総理大臣だった田中角栄氏に、航空会社の新機種を決定する職務権限≠ェあったのかどうか。ここが大いに問題になった。私が防衛省に出かけてあの会社の製品を買いなさい≠ニ言ったとしても、おとといおいで≠ナある。相手にされるわけがない。だから私には機種選定等の職務権限≠ヘないのである。当たり前のことだ。しかし、あの人が同じことを部下に言ったらどうなるか。これはほとんど真っ黒の状態である。そこで、私はそんなことは言ってません≠ニか記憶にございません≠ニなる。
証人の記憶(07/11/03 Sat-1679)
 先日の証人喚問の話。あのときの経過は私の予想を裏切った。おそらく記憶にございません≠フ乱発だろうと思っていたからだ。ところが、事実は全く逆だった。あれもこれも、自分のことも奥さんのことも、饒舌に近いほどしゃべったようだ。ようだ≠ニ書いたのは、私の情報源はニュースだけだからだ。生中継があったと思うが、そちらは見ていない。しかし、それも十分に計算された戦術なんだろう。記憶にない≠ニ答えておけば、それが嘘≠ナあることは、だれにも実証できない。しかも、ある時点で記憶になくても、何かのきっかけで思い出すこともある。それでも、いまごろ思い出せるのなら、あのときだって記憶にあったはずだ≠ニいうわけにもいかない。とにかく、記憶にございません≠ヘオールマイティ、まさに魔法のセリフである。とまあ、私としてはそう思っていた。ところが、どうも都合のいいことずくめでもなさそうだと思えてきた。もしも、別の当事者が私はあの人にお願いごとをしました≠ネどと証言したらどうなるか。それに対して彼はウソを言ってます≠ニ反論することはできない。だって、そのことが記憶にないのだから=Bそんなこともあって、聞かれもしないことまで喋りまくる作戦になったのだろう。思ったよりも正直ではないか=Bそんな印象を与える可能性も生まれるからだ。たしかに、道義的というか、人間的には相当にマイナスのイメージを与えることにはなる。しかし、それですべてはおしまいではないか。そう考えれば、イメージダウンなんて一時的なものだ。どうせ世間はすぐに忘れてしまう。退職金だって法的には返却の義務もない。テレビの解説者に頼るまでもなく、素人でも、その魂胆は明らかに見え見えでしたよねえ。
2階建ての秘密(07/11/02 Fri-1678)
 電車に乗って指定された席に近づくと、そこに家族連れが座っていることがある。このときも私は自由席に回る確率が高くなる。どう考えても、この人たちが悪意で私の席≠盗っているわけではない。家族一緒の旅なら隣り合わせの方がいいに決まってる。もっとも、ちょっと聞くと格好いいことを言ってるが、こうした利他的≠ネ行動も、そのときに自由席が十分に空いているからである。心の余裕があると人は優しくなれるのである。それはともあれ、東北新幹線の2階を探しまくって、ようやく窓側を見つけた。これで外の景色が見えるようになったわけだ。一件落着、めでたし、めでたしである。さて、この電車、あとで調べるとE1系と呼ばれている。Maxという愛称も付いた総二階建てだという。東北上越新幹線は上野発着だったが、1991年から東京駅まで延長された。ところが東京駅は新幹線であふれている。そこで東北上越新幹線に割り当てられたホームは2線分になった。その結果、発着本数は制限される。その条件下で可能な限り多くの乗客を乗せるにはどうするか。その解答がオ−ル2階建ての新幹線だったらしい。さすがに首都圏である。新幹線を通勤・通学に使う人たちがワンサといるのである。自由席も3人掛けの2列だという。九州新幹線が6両編成で、全席2人掛け2列の仕様とは対象的である。E1は12両編成だが、それで1235人もの座席数があるという。これは東海道新幹線2000系の16両編成に匹敵するというから、かなりのすし詰めである。通勤や通学の人たちであれば、ずっと防音壁しか見えなくても、どうってこともないのだろう。しかし、指定券を購入する乗客たちは、やっぱり景色も見たいと思っている確率が高いと思いますけどね。
自由を選ぶ理由(07/11/01 Thu -1677)
 自分が指定された席に近づいていったとき、そこにいくつかのパターンがある。その一つは、自分の席に人が座っているときである。その理由も、勘違いの場合もあれば、知り合いが一緒で、まあ空いているからいいやと座っていることもある。どちらも本来の指定席券を持っている。また事例は少ないと思うが、自由席がいっぱいで指定券なしでちゃっかり座っている人もいる。そのときの自由席の状態にもよるが、とくに楽しそうに話しているペアのときなどは、声も掛けずに自由席へ回ったりする。また、ホームで待っていると、列車が到着した際に自由席がガラガラだとわかることもある。しかも、指定席にはワンサと人が乗っている。こんなときも、自分の指定席に行く気持ちが萎えて、自由席を選んだりする。もう一つは、指定した席の周りが大騒ぎのときだ。ちょっとしたグループが一緒に旅行に行ったのだろう。アルコールも入ってワイワイガヤガヤと大声で叫びまくってる。これもまた自由席の方へ足を向けさせる大きな理由となる。ともあれ指定席は、自由席が自由にならないときの保険だから、そのときどきによって指定席であったり自由席に移ったりで楽しんでいる。それにしても、自由席の座り方もおもしろい。できるだけ1人で座りたいという気持ちが見え見えの人が多い。まずは窓側に座り、荷物を通路側に置く。このパターンが最も多い。そうした上で眠ってしまえば万全である。荷物があるとそれだけで空いてますか≠ニ訊きにくいものだ。もう一つは、通路側に座って窓側に荷物を置くタイプである。私の感覚だと、これは空いてますか≠ニさらに言いにくい。この状態で寝てしまえば、あるいは寝たようなふりをすることができればパーフェクトである。