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味な話の素
No.54 2007年10月号(1646-1676)
 
国家の品欠(07/10/31 Wed -1676)
 先日から新幹線の話を続けている。そして、私は指定券を持っていても、その席に座る気がしなくなることがある。そんなところまで話が進んでいた。この話題はもう2回ほどで終わるつもりである。ただし、ここでちょっと数日前のニュースの方に逸れてみたい…。藤原正彦氏の「国家の品格」は超ベストセラーである。発行が2005年の11月だからロングセラーにもなりつつある。もう250万部を超えたらしい。私もベストセラーの評判が立ったとき購入して読んだ。そして、その内容については、この味な話の素≠ニ関連させたネタ話もできた。その本の46ページに書いてあることに関わるものだが、その話題は、いつか取り上げることにしよう。ここでは、品格≠ニいうことばに拘ってみたい。藤原氏もわが国で品格≠ェ失われたことを懸念して、あの本を書いたのだと思う。たしかに、このごろの日本を見ていると、その品格≠問題にせざるを得ないような状況に陥っている。品格≠ナはなくて、品欠≠ェ深刻なのだ。先日の証人喚問に出てきた人もすごかった。彼はうん十年前の証人喚問≠知っている者の予想を裏切った。何を訊かれても、記憶にございません≠ニ応じる。そんな状況を予想していたら、とんでもない。むしろ饒舌とさえ言えるような態度だった。そして、ちょっと見ると洗いざらい正直に事実を言っているといった感じを与えようとしていた。業者とゴルフにいった回数のときなど、けんかしてしばらく一緒にプレーしなかったこともある≠ネんて細かい内輪話までするのである。ゴルフクラブのセットをもらったことや、旅行に行ったことまで…。このニュースを見ていて、ますます自信を深めた。いま問題なのは品欠≠ネのだと…。
一言効果(07/10/30 Tue -1675)
 客から自由席は空いているか≠ニ訊かれても、責任ある回答はできない。しかし、およそのデータを持っていれば、一言付け加えることは可能だ。いつもは比較的空いている時間ですが≠ニ前置きするのである。そのあとで、個別の電車については日によっても変わります。そのため、いまここではっきりとしたことは申し上げられません…=Bこう言われれば、そりゃあそうじゃ≠ニ客も納得せざるを得ない。それでも自由席を選択して座れなくっても、それは自己責任≠ニいうことになる。そんなわけで、対話の中で言い回し≠ヘ大事な役割を果たす。この例の場合も、結局はわからない≠ニ言ってるだけなのだが、何となく丁寧さというか、親切さみたいなものを感じる。ともあれ、郡山のみどりの窓口でも、私は自由席は混んでますかねえ≠ュらいのことは訊いたと思う。その際の回答は、わかりません≠セったはずだ。そこで指定席をお願いします≠ニなったと推測する。このときに、一言ほしかったのである。たとえば、お客様がご希望の電車は1階席しか空いていません。こちらは座席の位置が低いので防音壁しか見えませんが、よろしいでしょうか≠ニいった具合である。こうした説明を聞いていれば、乗車したあとになって景色が見えない≠ネんて文句は言わないのである。それにしても指定席か自由席かというのは、なかなかおもしろい選択ではある。少なくとも私にとっては、それは単純に追加料金≠フ問題ではない。それこそ自分の自由度≠ノ関わってくるのである。実際のところ、私自身は指定席を取っていても、結果として自由席に座ることが少なくない。指定券は座る≠スめの保険だが、その席に座る意欲を萎えさせる条件がある。
乗客の質問(07/10/29 Mon -1674)
 福島の郡山から乗った新幹線の2階を探して、ようやく窓側で空いている席が見つかった。これがけっこうたいへんだった。なにせ、階段を降りたり昇ったりしながら次の車両に移動していくからである。そして、かなり前の車両まで行って、探し当てたのはもちろん自由席である。それはともあれ、これで景色が見えるな≠ニ大いに満足感を味わった。しかし、それにしても、みどりの窓口で切符を買うときに一言あってもよかったのではないか…。たしか、先方は自由席にされますか、指定を取られますか≠ニ尋ねたはずだ。そのときのやりとりの詳細は記憶にない。地元の熊本・博多間だと、その時期や時間帯などを考えながら指定を取ったり、取らなかったりする。これはわがテリトリーだから、自分で判断できる。しかし、初めて乗るときはまったく情報がない。その際の私の対応は大体決まっている。自由席は乗る人が多いんですかねえ…=Bこの質問を発したあとで、これは切符を売る側泣かせの訊き方だなあ℃vって、いつも心の中で笑ってしまう。自由席が空いているかどうかなんて保証できるわけがない。そこで、当然のことながらこちらではわかりません≠ニいう回答が圧倒的に多くなる。私もそれはそれでいいと思う。ただ、ちょっと余計なことを加えれば、ある程度の時間帯について、平均的な状況は押さえられているかどうか、そのあたりは知りたいと思う。列車が混むかどうかは水ものだ。いつもは空いていても、そのとき突然いくつかのグループがわんさと乗ることだってあり得る。だから、こちらではわかりません≠ニいう回答は正解なのである。しかし、それはそうなんだけれど、その際にちょっとデータを持っているだけで言い回しが充実しくる。
1階席の悲劇(07/10/28 Sun -1673)
 新山口駅のホームでひかり≠待っていたら、中央の線路をのぞみ≠轤オき電車が通過していった。これが凄まじいスピードなのだ。駅の前後にはポイントがあるから、あれだって少しはスピードを落としているに違いない。それでもホームにいる者から見ていると身が縮むような速さである。地上を走るものがあんなスピードを出ちゃあ危ないんじゃないの=Bつい、そんな思いにも駆られてしまう。あまり新幹線に乗る機会のない人間の実感である。まあ、それはいいとして、話を東北新幹線に戻そう。郡山から乗る電車が2階建てだとわかって、急に嬉しくなった。まさに子どものような気持ちで、ワクワクしながら乗ったのである。切符に印字された座席番号を見ながら前進していった。指定された席は1階だったが、そこに座ったところまではなんの問題もなかった。ところが、電車が発車した途端にどっちらけ(シラケ)状態≠ノ陥るのである。コンクリートの防音壁が景色を遮っているではないか。座った席の窓から見えるのは、ただただ壁という状況なのだ。これが東京まで延々と続くのか思うとゾッとした。一生に一度とまでは言わないが、ほとんど利用することのない東北新幹線である。せめて東北っぽい風景ぐらい見たいではないか。そう思うと、じっとしているわけにはいかない。私はすぐに立ち上がって、2階席へ向かった。ところがこちらの方はけっこう席が埋まっている。正確に言えば、乗車率は50%程度なのだろうが、2人掛けで2つとも空いている席がないのである。みんなが窓側にくっついている。東北の景色を見たいのだから、これはかなりまずい。そう思いながら、前の方に進んでいった。その結果、ようやく窓側が空いている席が見つかった。
2階建の新幹線(07/10/27 Sat -1672)
 とくに男の子は鉄道が好きだと思う。私も蒸気機関車が大好きだったし、電車も乗りたくてたまらなかった。単線の場合、駅の近くになると1本のレールが2本に枝分かれする。考えてみると、レールが2本で1つの線路ができあがっている。そうなると1本の線路が2本に別れるというのが正しいか。まあ、そこは置いといて、どうして電車が線路に乗り上げたり、脱線しないのだろう。そんな疑問を持ったことがある。もちろん、その問題はすぐに解決した。線路を見に行けば、そのメカニズムは一目瞭然だった。文章では伝えにくいが、それはそれはなあるほど≠ニ唾を飲み込むほど素晴らしい仕組みになっていた。そんな大発見もしながら子ども時代を過ごしたのである。さてさて、そこで電車の話題を取り上げることにしよう。少し前のことになるが、東北新幹線に乗る機会があった。乗車駅は郡山駅のみどり窓口である。そこで東京までの指定席を取った。そして、ホームでその電車を待っていると、なんと2階建ての新幹線が入ってきた。こりゃあラッキーだ≠ニ大いに嬉しくなった。この手の電車には、なかなか当たらないからである。かなり前だと思うが、山陽新幹線にも一部が2階建仕様の電車があった。しかし、最近は見たことがない。もっとも、熊本に住んでいると新幹線の利用頻度はそれほど高くない。大阪以遠の場合、飛行機を考えるからである。熊本あたりでは、新幹線は岡山までという人が多いのではないか。まあ、これは私の勝手な推測である。そんな中で、教育委員会の仕事で山口に行ったことがある。そのときは新幹線を使った。いまでは新山口と呼ばれている駅で乗り降りした。ここはもとの小郡駅である。仕事を終えて帰る際に、ものすごい体験をした。
同業者の組織風土(07/10/26 Fri -1671)
 組織の人的な構成によって、その風土に違いが生まれる。そして、そこで生活する人々の行動も違ってくる。たとえば、女子高校出身の人からおもしろい話を聞いたことがある。同年配の男子がいないから、その行動もかなりすごいものがあるという。とにかく遠慮も何もあったものではないらしい。その典型は夏の暑いときなどで、両足を投げ出してスカートを内輪代わりにパタパタと扇いで、発生した風を顔に送るのだそうな。なんとも、どう想像していいのか迷ってしまうが。たしかに凄まじいですなあ。それがよくある事例なのかどうかは知らないが。十分に笑える話である。ともあれ、一般の組織でも外からは計り知れない行動がいろいろあることだろう。いずれにしても、組織を構成する人々があらかじめ持っている特性が、その雰囲気に影響を与えることは容易に想像できる。このほか、組織の雰囲気を決める要因として仕事の内容も考えられる。いわゆる業種ごとで似たような雰囲気が醸し出されることもあるのではないか。たとえば、運輸業とか、金融業などといった同じ仕事に見られる共通性である。何かといえば批判のやり玉に挙がる公務員にも、共通した思考や行動のパターンがあるような気もする。そんなこんなで、組織が存在する地域性や構成員の特性、さらに仕事の違いなどによって、それぞれの組織に特徴のある雰囲気が生まれてくる。そうした、原初的な状態のものを組織風土とか体質ということばで表現してはどうだろうか。その風土をベースにして人々が文化を創り上げていく。それは、モンスーン気候という与えられた風土の上で稲作という文化が生まれたことと対応しているというわけだ…。風土の話が長くなりすぎたので、ここらで一区切りつけましょうか。
組織構成とトイレ(07/10/25 Thu -1670)
 国鉄の時代は、どこを見ても男性ばかりだった。おそらく女性がいたのは、いまはキオスクといっている駅の売店くらいだったと思う。売店は駅になくてはならないものだが、これは国鉄とは別の鉄道弘済会という組織に所属していた。これはいまも変わらないようだ。もっとも、昔は日本全体が男は仕事、女は家庭≠ニいう基本的な構図で動いていた。したがって、女性が働く職場が徹底して少なかったことは国鉄に限ったことではない。しかし、それでも20年前ともなれば、女性の社会的進出がそれほどめずらしくはなくなった時代である。たとえば銀行やホテル、デパートなどでは、少なくとも接客の部分では女性が多い方が当たり前のことだった。その点、に国鉄などの運輸機関でも、切符を売る窓口は一般人の目に触れる。その仕事そのものがいわゆるサービス業≠ナある。そこに女性がいてもおかしくはなかった。しかし、客側から見ると男性ばかりしか目につかない組織であった。こうした職員の性別構成などは、組織に様々な影響を生み出すことになる。単純な話、女性がいなければ、そのための更衣室は必要ないし、トイレだって男性用だけのものしかいらない。職場の物理的環境が違うのである。これには逆の例もある。時代とともに看護師も男性が増えてきた。しかし、そうは言っても実数はまだまだ圧倒的に少ない。そんなこともあって、看護協会などでは、まだ男性用トイレの数は少ない。需給のバランスから当然のことである。そう言えば、教育の世界でも少子化対策は大変だ。組織の生き残りをかけて、それまで男子や女子に限られていた高校や大学が共学化している。こうしたところでは、それまで必要でなかった男性用や女性用のトイレをつくることになる。
地域性と組織風土(07/10/24 Wed -1669)
 組織の雰囲気は、それが存在している地域の影響を受ける。構成員が風土や文化によって異なるとすれば、それも当然だろう。そして、これが組織が活動していく際の基本的条件になる。組織に与えられた外的で基礎的な条件という意味では、いわゆる風土≠ノ近い感じになる。ただし、組織風土≠ニなると、もう少し前に進んでいる。そうした与えられた条件をもとに生み出される雰囲気≠ニのようなものが風土ということになる。いずれにしても、風土はその語源からいっても、その幅がかなり広い。地域性の他にも構成員の特性は、その組織全体の雰囲気を左右する。いまからちょうど20年前の1987年に、日本国有鉄道が日本旅客鉄道株式会社になった。それまで日本国有鉄道は国鉄と呼ばれていた。英語ではJNR、Japan National Railwaysの略称である。それが民営化されて、現在はJRだ。これは、Japan Railway Companyというわけで、Nationalがなくなった。今年の大学新入生は平成生まれ≠セから、彼らにとってJRがJNRであったことは歴史の事実である。私が18歳のころの20年前といえば、極東国際軍事法廷、いわゆる東京裁判が開廷されている。婦人の参政権が初めて認められた第22回衆議院議員選挙が行われたのが4月10日である。こうした事実は私にとって歴史そのものである。国鉄を歴史的なものとして知らない若者がいるのは当然のことなのだ。やれやれ、それだけ自分が年をとったというわけである…。ところで、私の記憶する限り、国鉄は男性中心の組織であった。運転士や車掌さん、そしてホームで見かける駅員さん、さらに切符売り場の窓口にいる職員もみんな男だった。もちろん、切符を売る窓口でも男性しか見たことがない。
組織と地域性(07/10/23 Tue -1668)
 同じような製品をつくっていても、工場が所在する地域によって、雰囲気が違う。ある会社の人事担当の方からそんな話を聞いたのである。その中で話題になったのは、いわゆる大都市近郊にあった工場である。同じ製品をつくるのだから、行程をはじめとして、設備などの外的条件は同じような状況にある。工場としては都市近郊の方が新しいく建ったから、働く者にとってはいろいろな点で改善されている。ところが、工場の監督者は相当に苦労しているというのである。これに対して、その時点で考えられていた原因は単純だった。それは人的な要因である。新しい工場で働く若者たちの仕事に対する態度や意欲が、これまでうまくやってきたところとは違うというのである。地方の若者たちは、純朴で真面目に働く。これに対して都会の人たちは、どうもそうはいかない…。あまりにも単純な二分法ではあるが、人事担当者はそんな解釈をされていた。今日では、わが国の企業は多くの労働力を中国に求めている。その最大の理由は、中国の人々が低賃金で働くことである。しかし、ただコストが低いというだけではうまくないはずだ。低賃金でも真面目に働くことがポイントに違いない。これが日本人だと、同じ賃金で同レベルの意欲を期待することはできない。それは、日本人がいい加減だからではなく、中国と同じ給料では生活できないからである。私が聞いた、工場の地域によって働く人々の意欲や満足度に違いがあるという40年近くも前の話しは、日本の製造業の現状と重なるところがある。それはともあれ、この話のポイントは、組織がどこにあるかによって、そこで働く人々に違いがあるという点にある。これは、組織の風土というよりは、それ以前の地域性の問題である。
組織の風土(07/10/22 Mon -1667)
 個々の集団に属する人々の行動や規範は、その組織の風土や文化に影響を受けている。地球大のスケールで考えると、砂漠地帯で稲作は発達しようがないし、日本列島のように、急峻な山が多く、その結果として土地も狭いところでは、遊牧や放牧が生活の手段になるはずもない。こうした視点から組織風土を考えるとすれば、どうなるだろうか。たとえば、会社の所在地や構成員の性別は、組織にとって風土に近いと言えるだろう。そもそも風土は人間活動の前提として与えられたものである。それは、まずは人間の力で変えることはできない。ここで私の思い出話をさせていただこう。私が関わりを持たせていただいた、自動車に欠かせない重要な製品をつくっている会社のことである。それはまだ私が学生のころである。その会社の人事担当者の方から興味深いお話しを聞いた。この会社の強味は、何よりも真面目で勤勉な従業員たちの存在だった。私も工場に出かける機会をいただいたこともあって、それが事実であることを知っていた。一般の従業員だけでなく、製造に直接責任を持つ監督者の方々もすごかった。駆け出しの私にも、このリーダーにして、この部下たちありということを実感していた。職長と呼ばれる第一線の監督者を対象にしたリーダーシップの研修でも、全員が真剣な取り組みで、とにかく真面目な人ばかりであった。そんな方々に感動し、会社の業績が順調なのも当然だなと思っていた。そんな私だったが、意外にも、人事担当者の方にはもう一つ別の物語があった。この工場は全く問題ないが、どこでもこんなにうまくいっているわけではないというのである。やや驚きながら聞いていた私に、彼が大きな要因としてあげたのは、工場が立地している地域の違いであった。
祭りと仕事場(07/10/21 Sun -1666)
 ともあれ、温帯モンスーンという風土に稲作という文化が生まれた。その基盤の上で、秋祭りも創造された。稲作を含めて、それらが同時発生的に各地で生まれたのか。それとも、スタートは一点で、そこから広まっていったのか。あるいは、その両方なのか。このあたりのことは、当然のことながら知らない。いずれにしても、こうして生まれた各地の祭りは、それなりの個性を持ち、時代と環境に応じた変化も遂げてきた。われわれの目の前にあるのは、秋祭り≠ニいうことばではなく、人間や動物が踊り、走り、そして多くは興奮する祭りの行為である。その中にいる人、それを見る人の違いはあるけれど。踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損々=Bやっぱり中に入った方が、かなり興奮しそうではある。そのうち、何か問題が見つかって、変えるべきことが出てくれば、自分たちで変えていけばいい。そこに他の祭りにも共通する点があれば、それが影響を与えていくだろう。私としては、ものごとが変わるのは個々の祭りであることを強調したい。そして、この理屈を、組織の風土や文化、さらには規範の話にまで拡大したいのである。組織の安全についても同じことだ。とくに安全に関しては、安全風土や安全文化ということばが使われる。そうした組織の風土や文化を土台にして、個々の仕事場ができあがっている。その一つ一つの集団が、安全をしっかりと守るという規範を持っていること。これが何よりも大事なことだ。そこでミスや事故が起きれば、それをなくす手立てを考える。その手法が効果的なものであれば、それが同じ組織の他の職場にも影響していく。とにもかくにも、まずは働いている集団≠基礎に考える。これが大事なのだと言いたいわけだ。
祭りの影響(07/10/20 Sat -1665)
 全国的に有名な祭りといえば、阿波踊りはその筆頭だろう。こちらは8月のお盆に開催される。一般的には盆踊りの時期であるが、阿波踊りは夏祭りの典型である。こちらも桟敷席が設けられ前売り券が販売されている。S・A・B席は指定、C・D席は自由席である。S席で1800円だというから、、岸和田のだんじりよりもお安くなっている。ところで、阿波踊りは400年の歴史があるという。しかし、その発祥の当初から前売り券などはなかったはずだ。それが全国区になるとともに、観覧席が設けられ、料金も取られるようになったと推測する。もっとも、その古さから考えると、江戸の時代にはすでに料金を取っていたかもしれないが…。ともあれ、こうしたシステムは、祭りが知られるようになると他の地域にも広がっていったのではないか。どこもここも、お互いの影響なしで、自然発生的に観覧席を設けて料金を取ったとは考えにくい。熊本の例大祭では、馬と人が走り回る場所が決められている。そこに行くまでも、当事者たちはついつい興奮もするようだが、警察官がそうした行為を牽制している。また、動物虐待もまずいというわけで、馬を蹴ったりすることも禁止されている。昔はアルコールを飲ませていたこともあったらしい。全国には動物も参加する祭りがけっこうあると思う。そうしたところでは、動物虐待を避けるという視点から、同じような動きがあるのだろう。それは時代の流れによる変化と言える。このように、それぞれの祭りに特徴があり、独自に発展し、ときには軌道修正が加えられ、新しい工夫も付け加えられていく。有料化などのように、他の祭りに影響を与えることもある。この際は、どこが最初に新しいことを始めたかといったことは問題ではない。
祭りの個性(07/10/19 Fri -1664)
 太鼓の音を聞いていると鳥肌が立ってくる。そもそも鳥肌が立つ≠ニいう表現は、不快感を伝えるときに使うらしい。もちろん寒さや恐怖を感じる際にも鳥肌が立つから、これも含まれる。しかし、私自身は、いい意味で興奮したときも鳥肌≠ェ立つ。いわゆる身震いというか、武者震いするわけだ。そんなわけで、太鼓の音を聞くと、それだけで血が騒いでくる。これは多くの人に共通している感覚ではないか。怪獣映画の嚆矢というべきキングコング≠ナも、原住民の太鼓の音がコングを興奮させたのである。松本清張の「黒地の絵」では、小倉の祇園太鼓の音を聞いた黒人兵が、それに刺激を受けて集団脱走するというストーリーになっている。ともあれ、祭りの鉦や太鼓は、人のこころに刺激的だ。秋の祭りといえば、岸和田のだんじり≠ヘ全国区である。これも起源は山車の奉納なのだろうが、街中の曲がり角を猛烈なスピードで走り抜ける。そのために勢い余って、電柱や民家の屋根に激突する。それが猛烈で勇壮だということになる。例年9月中旬に行われる。観覧席まであって、3000円から5000円でチケットを前売りしている。観光としては大成功ということだろう。私は伝承文化や民俗学に疎い。したがって、断定はできないが、伊万里のトンテントンも藤崎宮の例大祭も、そして岸和田のだんじりも、すべて秋祭りに入るのだと思う。このように、同じ秋祭りという文化であっても、それぞれの地方によって個性豊かな祭りが創造されたのである。熊本の藤崎宮の場合は、馬も主役である。そこで、ついつい調子に乗った人間が景気づけに蹴ったりすることがある。酒を飲ませることもあったらしい。こうした行為に対しては動物虐待だといった批判も出てくる。
ただいまあ(07/10/18 Thu -1663)
 風土と文化の話をしたのは11日のことだった。それからいつの間にか両生類や爬虫類の話題になり、そのままゆとり教育≠ワで寄り道してしまった。ここで風土と文化の話に戻ることにしよう。寄り道の前に、ちゃんと言いたいことがあったのだから…。さて、モンスーン気候という風土の上で、われわれの祖先は稲作文化を創り上げた。しかし、農作業は厳しい。田植えはもちろん、草取りなど、次から次へと仕事が待っている。それでも、その甲斐はある。秋には収穫の喜びを味わうことができるのだ。しかし、現実はいつも順調にはいかない。予想もしない冷夏もあれば、せっかくの稲穂に向かって台風が攻撃してくることもある。今も昔も、自然は人間に親切だとは限らない。そんな苦労の末の収穫は喜びにあふれることだろう。その労働をねぎらい、改めて翌年の豊作を祈る。不幸にして凶作であれば、なおさらに祈る気持ちも強くなる。そんな心が秋祭という文化を生み出したのだと思う。規模の大小は問わないとして、日本のどこに行っても秋祭りがある。私が子どものころは佐賀県の伊万里に住んでいた。ここにはトンテントン祭りがあった。これは御輿と団車が取っ組み合ったまま伊万里川に落ちるのである。あとはどちらが先に陸に上がるかを競うのだ。そのぶつかり合いの激しさもあって、けんか祭りと呼ばれていた。トンテントンは、その戦いのときの太鼓の音である。この祭りは10月だが、熊本の藤崎宮では例大祭と呼ばれる行事は9月である。随兵行列と呼ばれる行列のあとに、飾り馬の奉納ということで、勢子と呼ばれる一群が鉦や太鼓、さらにラッパの鳴り物入りで、馬を連れて、街中で踊り、走りまわる。とくに太鼓は体全体に響いて、本能を刺激する。
PS波の記憶(07/10/17 Wed -1662)
 受験に成功すれば忘れてしまうようなものを詰め込む≠アとはやめるべきだ。そんなことにエネルギーを費やすのではもったいない…。まあ、こうした批判に対してゆとりの時間≠ェ考えられたのだろう。そうした中で、私は、子どもたちが獲得した時間的なゆとり≠使って、根を詰める≠謔、なことをしてもOKだと思うのである。ともあれ、理屈抜き≠フ丸暗記≠ヘ、面白味を感じないことが多い。ただし例外的な条件もある。たとえば、丸暗記≠ナあっても、それが成就した暁には、こんなことができる≠ニいった理屈≠ェついていればどうか。そんなときは、けっこう意欲を起こすかもしれない。しかし、この解釈にはかなり苦しいところがある。つまり、それは外的な餌で釣っているのだから、本当の意欲には繋がらないという批判が出てくるからだ。何と言っても、その最大のものが、入試に通るため≠ニいうことではないか。ああ、むずかしい。ともあれ、学校では可能な限りなぜ∞どうして≠ノ答える教育をしてほしい。この10月から新しい地震の早期通報システムが立ち上がった。そのPRのために、NHKでもP波とS波という二つの波が時間差を伴ってやってくるというスポットを流していた。私の記憶では、この波に関しても、地震の際には、まずはP波が来て、M波がつづく≠ニ覚え込んだ。とにかくPS≠ニ頭に入れるのである。それからかなりの時間が経過して、Pは Primary wave、Sは Secondary waveの頭文字であることを知った。なあんだ、そんなことか。それならPSになるのが当然じゃないの≠ニ妙に納得した。これは理屈≠ノも達しない例だが、ことばの意味を教えれば、忘れようにも忘れられなかったはずだ。
受験戦争と丸暗記(07/10/16 Tue -1661)
 われわれ団塊の世代は、いわゆる戦後ベビーブームのの子どもたちである。とにかくたくさん生まれた。いまでは110万人ほどの出生数だが、われわれのころは250万を超えるスケールなのだ。そんなことで、小学校も60人学級だってめずらしくなかった。敗戦のせいもあって、国が貧しいことは国民のだれもが知っていた。だから、いまでは無償で配布されている教科書も有料だった。貧しい国に住む、決して豊かではない親たちが、子どもの教科書代を払っていた。そんな中で、受験戦争といわれる時代がやってきた。高等教育への進学者も増えはじめ、競争も激化してきたのである。そこで入試を乗り越えるために、けっこう勉強しなければならなくなった。なにせ、日本は貧乏な国だから大学の数も多くはない。アメリカでは希望者は全員入学させる。ただし、勉強しない学生は卒業ができない。だれでも入れるが、なかなか卒業できない=Bこれが、私が親たちから聞いたアメリカの大学だった。現実はそれほど単純なものではないとしても、とにかく日本では厳しい受験勉強が常識になった。そして、その過程の中で詰め込み°ウ育が常識化していった。受験戦争を勝ち抜いたとされる大学生は、それだけで疲れ果てる。その結果、日本の大学生は勉強をしなくなる。あるいは、しなくても卒業できる。これも、あまりに単純化すると、事実とは異なってくるが、総体的には、そうした傾向があったことは否めない。そんな問題が起きるのは、入試に通るためだけに'丸暗記'しないといけないからだ。その結果、合格してしまうと、もうまるで'放念祝い'ではないか。こんな勉強には、なんの意味もない=Bこうした批判が世の中から起きてきても不思議ではなかったのである。
ゆとり≠ネしのゆとりの時間(07/10/15 Mon -1660)
 自分が歴史的事実が起きた年代を憶えたい。その動機づけの理由はさておいて、とにかくしたいことをしている。こんなときは、どんなに根を詰めているように見えても、本人としては苦になるはずがない。こうした状況では、詰め込み≠ニいうことばは当てはまらない。それは外部からの強制ではないからだ。こうした状態にある子どもに、そんなに集中していたら疲れるでしょう。少しは休んだらどうかい≠ネどと言うこともない…。教室の子どもたち全員が、こんな感じで何かに没頭している。これが私のイメージするゆとり教育≠ナある。つまり、外からの詰め込み≠ホかりでは、時間も心もゆとり≠ェなくなってしまう。これに対して、子どもたち自身が集中できるような時間を意識的に設定する。そのことで、時間的なゆとり≠ェできるが、その中で子どもたちは、一定の課題に大いに集中し、没頭する。そして、昨日から書いているように、その時間帯は周りから声を掛けるのも躊躇するくらいの状況が生まれるのである。そこにはゆったり∞のんびり≠ニはほど遠い雰囲気が漂っている…。まあ、これは私のイメージである。美術に関心のある子どもが、風景画を描くべく、遠くをじっくり眺めている。そんな場面もあっていい。それに、学校の授業時間として、全員が違ったことをしている状況は考えにくい。だから、現実のゆとりの時間≠ヘ、私のイメージ通りに行くわけではない。ただ、ここで強調したかったのは、ゆとり≠ェ何もしない時間∞遊びの時間≠意味しているのではないということだ。没頭している子どもたちを見ると、ゆとり≠ネどまったく感じられない。それでも、子どもたちには、立派なゆとりの時間≠セと言いたいのだ。
ゆとり≠フ誤解(07/10/14 Sun -1659)
 ゆとり教育≠ノついては、すでに本コラムの05年2月25日から3回ほど続けて触れている。私に言わせれば、ゆとり≠ノ対する誤解がある。それは詰め込み≠フ弊害があまりにも目についたための反動だったのかもしれない。とにかく理屈抜きで丸暗記、それも膨大な量をたたき込む。そんなイメージがあったからこそ、詰め込み≠ニいうことばが使われたのでもある。そこで、ゆとり=ゆったりすること≠ニいう誤った式ができあがった。それは大いなる勘違いである。たとえば、私の考えるゆとりの時間≠ナは何が起きるか。教室を見渡すと、じつに心地いい緊張感が感じられる。子どもたちが真剣な顔をして何かに取り組んでいるからだ。そんな状態だから、声を掛けるのも気が引けるほどである。とにかくその熱中している様子に圧倒される。ある子は数学の問題を解いているようだ。よほどの難問らしく、顔をしかめ頭を抱えている。ときどき上目遣いで天井を睨みつける…。それを見て、ついがんばれ≠ニ叫びたくなる。別の生徒は、授業で使ったと思われる装置で実験に没頭している。なにやってるの=Bそんな声を掛けるのも憚られる雰囲気がある。ふと耳をそばだてると、独り言のような低い声が聞こえてくる。なんだろうと思って、声のする方に目を向ける。すると、歴史の年表を前にしてうなっている子どもがいるではないか。彼の場合、年代の丸暗記をしているようだ。これも邪魔しては悪いと思いながらも、勇気をふるって聞いてみた。ウンウン言いながら、あなたは何をしているの?≠サれに対して、笑顔で答えが返ってきた。私は歴史が大好きなんです。この事件に関わって起きたことについて、その細かい年月まで憶えたいんです…=B
詰め込み≠ニゆとり(07/10/13 Sat -1658)
 とにかく事実を記憶する。ただそれだけの教育では、子どもの意欲は高まらない。もちろん、ときには鹿児島線の駅名をすべて憶えているなんておもしろい子どももいる。これなんぞは趣味や遊びの世界に近いから、けっこう楽しいものだ。まあ、しかし一般的には、詰め込み教育≠ヘ目の敵にされる。そもそも詰め込み≠ニいうことばそのものに悪意≠ェ感じられる。ものごとを無理矢理に詰め込んではまずいに決まってる。そんなことをしていると、入れ物が壊れてしまう。しかし、だからといって丸暗記≠ェ有無を言わせず悪者にされるのも行き過ぎだ。掛け算の九九≠ネんて、あれは丸暗記の代表ではないか。私なんぞ、人生の先が見え始めた年になってきたが、それでも九九≠ヘ憶えている。なんと素晴らしいことよ。まあ、正直なことを言えば、最近は九九≠ナん?≠ニ迷うようなこともありますのですが…。なんで、「あいうえお」なの?∞どうして「鳥」っていうの?∞なぜ地球は「反時計回り」なの?…=Bどんなものにも理屈や理由、由来はあるのだろうが、とりあえず憶えておく≠アとを大事にしないと、うまく生きていけない。ただ、ものごとは過ぎる≠ニまずいのである。というわけで、理屈抜きの丸暗記≠セけを重視する教育が詰め込み≠ニ呼ばれて問題になったというわけだ。そこでゆとり¥d視に転換したのだが、これに対して、時間数は減るは、教科書は薄くなるはで行き過ぎだという人が出てきた。そして、今度はゆとり教育≠ェ目の敵にされている。歴史は繰り返す? とかく人間のやることは行ったり来たり≠フ繰り返しだ。ヤレヤレという感じだけれど、もちろん詰め込み教育≠フ復活というわけにはいかない。
イモリとヤモリ(07/10/12 Fri -1657)
 まずは地球が生まれ、その上で進化の物語がはじまった。最初に生き物が生まれたのは海の中だった。それから時間が経って、海から地上へと進出するものが出てきたわけだ。私たちは、海の中にも、様々な生き物がいる≠ネんて思うが、時間的には逆なのである。海の中で生きてきたものの中に、好奇心旺盛な連中がいたのだろうか。海の外にも世界がある≠ネんて考えながら、地上に出てきはじめたのかもしれない。そのときは、空気を吸い込むのにアップアップ≠オたんだろうか。調子に乗りすぎて、地上の世界で溺れた″Qて者もいたに違いない。私が子どものころ、両生類と爬虫類のどちらが先に出現したか混乱した時期があった。イモリとヤモリは、少なくとも形はそっくりだ。そのどちらかが両生類で、どちらかが爬虫類なのである。イモリは川の中で見たことがある。体は黒い感じだが、お腹は真い。ヤモリは夏になると窓ガラスにくっついて小さな虫をペロリペロリと食べている。ハット気づいたのは、私自身がかなり大きくなってからである。進化の歴史を考えると、生き物は海の中で生まれ、それから地上に上がってきた。ということは、そのどこかで、水中でも地上でも生きていけるような時期があったはずだ。つまりは両生@゙が先にいて、それから爬虫類が生まれたという順番に違いない。そうなると、水の中で見ることが多いイモリの方が両生類であることは当然の帰結となる。なあんだ、そうなのか=Bいつのころだったか、そんな大発見≠して大いなる満足感を味わった。少なくとも私の記憶では、そのわかりやすい理屈≠学校では教えてくれなかった。ちょっとしたヒントで人間の理解は飛躍する。これは両生類と爬虫類の問題だけではない。
風土と文化(07/10/11 Thu -1656)
 アフリカから外へ飛び出した人類は、どんどん地球上に広がっていった。そして、それぞれの土地に順応しながら生き延びていくのである。その際に、その土地の風土に大きな影響を受けながら、それぞれの文化を創り上げていった。少なくとも時間的には、風土が先にあって、その上で文化が生まれたことになる。その意味では、風土はまずは一方的に人間に影響を与える。それは大きな土台であり、人間が生きる舞台でもある。別の視点から見ると、はじめから前提として与えられたものである。よく聞く話だが、文化を意味するculture は土地を耕すという意味のcultivate≠ゥら派生したという。そんなわけで、人間は、風土≠ノ働きかけながら文化≠想像してきたわけだ。中学生のころ、日本は温帯モンスーン気候ということになっていた。モンスーンというのはアラビア語の季節に由来することばで、季節風のことである。夏は南から、冬は北から風が吹く。そんなこんなで、とにかく6月あたりは季節の変わり目というわけか、上空に梅雨前線が停滞する。その結果、雨がしとしと降り続ける。そうした気候のもとで稲作という文化が生まれたのである。正確には栽培法が中国から伝えられた。それは西の方にある砂漠地帯には広がっていかない。どう考えても、気候的に稲が育つ風土ではないからである。こうして世界中に固有の文化が生まれていった。その文化が、その地方の風土に大きな影響を受けていたことは疑いない。しかし、人間の活動はあまりにも凄まじいものがある。はじめは風土に影響を受けていた人間だが、人口の爆発的増加やそれに伴う消費の拡大など、急激に生き方を変化させてきた。その結果、今度は風土に大きな影響を与えることになった。
地球と人間(07/10/10 Wed -1655)
 時間的には地球があって、その上に生命が生まれた。たまたま、地球にそのような環境があったからである。この際に、生き物を存在させるために、神が地球を作ったと考えると天地創造ということになる。まあ、そのあたりは宗教の世界である。私としては、とにかく大地があって、その上で生命が進化してきたと説明されれば、それで納得する。その後、無数の必然や偶然が掛け算のように繰り返されて、とうとう人間までやってくる。その人間も、地球上の環境に順応して、けっこう違ったものができあがっていく。アフリカで生まれたとされる人間だが、地球上にどんどん広がって、人種の違いが生まれた。その典型として、皮膚の色によって黒色、白色、黄色人種などと呼ばれて区別される。英語では、それぞれ、ネグロイド(Negroid)、コーカソイド(Caucasoid)、モンゴロイド(Mongoloid)という。皮膚の色だけでなく、頭髪や身長、頭の形、さらには血液型なども分類の基準にされる。それは、大きな地球の環境に合わせるために変化していった結果である。それぞれの地で、気温一つとっても環境が違う。気象用語でいえば風土の違いになる。太陽光がまっすぐ当たる赤道に近いところは、その熱で気温は高い。そこから遠く離れた北と南の極は、太陽光の恩恵を受けにくく極寒となる。また、どうしてだか知らないが、地球は太陽を回る際に、23.5度傾いている。そのため、北半球と南半球で夏と冬が逆さまになる。北半球人がいう夏には、北に行けば行くほど太陽は沈まなくなる。地球の回転軸が傾いていて、太陽の方に顔を向けているからである。その反対の極では、ほとんど真っ暗闇の日が続く。そして、赤道と北極の中間あたりでは、季節が変わっていく。
亜熱帯化(07/10/09 Tue -1654)
 湿度が低いと汗が蒸発するので、まさに蒸し暑いという感じがなくなる。だから、ウィーンなんぞでは電車にもクーラーが付いていなかった。それでやっていけるのである。その点、日本ではクーラーのない生活は考えられなくなった。もちろん、いまから20年、30年前は、クーラーも贅沢品だった。わが家が車を買ったのは1974年だが、クーラーは付いていなかった。中古ではあったが、2年程度のもので、けっこう新しい感じのする車だったのだが。その点では、昔の人は相当程度に耐えていたのである。ただし、周りの絶対温度も違っていたとは思う。最近は都市化の進展でヒートアイランド現象≠ネどと言われる状況になっている。とにかく、絶対的に気温が上がっているのだ。とくに今年は間違いなく異常に暑かった。いや、熱≠ゥった。一日の最高気温が30℃を超えると、その日を真夏日という。なんと熊本は9月29日まで、ズーッと真夏日が続いていた。最後の最後になって30日に30℃を切ったようだ。妙なもので、暑い、暑い≠ニ文句を言いながら、9月の全日真夏日の記録が達成できないとなると、それはそれで残念がる…。いずれにしても、どこもここもクーラーを効かす。その下げた温度の分だけ、熱風を室外機から吐き出すことになる。その結果、ますます世の中が暑くなっていく。まさに悪循環である。自分自身の行動は棚に上げての話だが、このままで地球は大丈夫なんだろうかと心配している。異常に暑い夏が今年限りのものならいいが、どうもそんな甘いものではなさそうだ。そのうち、亜熱帯地方に住んでいる蚊などの生き物が、日本を安住の地にしはじめるだろう。そうなると、これまでは存在することのなかった病気も発生することになる。
取り損なった名月(07/10/08 Mon -1653)
 今月の表紙はプラハのバーツラフ広場写真を載っけている。じつは、中秋の名月≠ノするつもりだったのだが、写真がうまく撮れなかった。月が明るすぎ≠スのである。デジカメで撮ると、真っ白になってウサギさん≠ェ写らなかった。これでは、真っ黒をバックにした、ただの白い○≠ノなってしまって、おもしろくも何ともない。それにしても満月≠ニはいえ、カメラにとって明るすぎ≠驍ネんて、ものすごい感度である。昔のフィルムだったら、とてもこうはいくまい…。そんなことを思った瞬間に、ISO感度を最高にしていたことに気づいた。あれを100にしていたら首尾よく撮れたかもしれない。それだって実際にやってみなければ、うまくいくかどうかはわからない。ともあれ今回は見事に失敗した。手に届くような大きなお月さんだったのに取り損なって≠オまった。そうこうしているうちに、あっという間に10月がやってきた。そんなわけで、今回は急遽プラハのご登場となった。バーツラフ広場に対する私の想いと思い≠ヘ7月7日に書いている。写真を見ながら、今年の夏のヨーロッパ行きを思い出した。最初の訪問先であるウィーンはヨーロッパ大陸の中央にある。オーストリアは他国に囲まれて海がない。そのせい、あるいは今年だけのことなのかわからないが、滞在中はけっこうな暑さだった。日中の気温は30度を超えていた。ただ、海がないだけに湿度は低かったかもしれない。汗はにじんだがダラダラと流れるところまではいかなかった。その前に蒸発するのである。肌から気化熱が効果的に奪われる。地下鉄やバス、それにトラムと呼ばれる市電は冷房なしで走っている。それでも耐えられる程度の状態だった。これも湿度の低さであろうか。
これからどうする…(07/10/07 Sun -1652)
 「味な話の素」が同じ題材をそれほど続けなかったもう一つの理由は、私自身が分散型、気が散りやすい人間だからである。じっと同じところに居続けることが苦手だ。とにかくせわしないのである。そんなわけで、コラムの内容も連続的にするよりも、あっちゃこっちゃ、行ったり来たりして楽しんでいた。ところが、これまた気分のむらのせいともいえるのだろうか、たまには続けてもいいかなという気持ちにもなってきたのである。それがいつのことだったか、しっかりした記憶はない。いまから思えば、リーダーシップ≠フ特性論と行動論の紹介をしたときは、かなり長かった。その内容も職場のリーダーにとっては現実的だったと見えて、連載中(?)≠ノ、この先、どうなるんでしょうか≠ニいう質問メールまでいただいた。かなり思わせぶりで、リーダーのみなさん大丈夫?≠ニいった調子の書き方だったからである。その後は、年末に息子夫婦を見送った熊本駅での事件≠ェ長かった。あまりのくどさに、息子からもういい加減で終わりなさい≠ニのアドバイスを受けたほどだった。それでも2週間程度だったと思う。昨日から思い出話≠している。じつは、一昨日の5日に、説得と納得≠ェようやく終わった。お読みいただいている方がお気づきかどうかわからないが、これは8月31にスタートしたものだった。正味は1ヶ月と6日ではあるが、足かけで言えば3ヶ月もの引っ張り≠ノなった。何ともしつこい話である。そんなこともあって、休日の日には、とうとう増刊≠出して、他のテーマも取り上げた。自分自身が落ち着いていない証拠である。さてさて、今後はどうするか。連載型か分散型か。それこそ、はっきりしないまま続くんだろう…。
少しばかり思い出話を…(07/10/06 Sat -1651)
 いつのころからか、本コラムの傾向が変わってきたと思う。はじめのころは、あれやこれやと目先を変えて書いていた。連続するにしても、せいぜい4、5回程度であった。少なくとも、あまり長く続けることは意識的に避けていた。そんな中で、2003年6月16日に「わざわざ運動」というタイトルで書き始めている。「味な話の素」をスタートしたのは、4月29日だから、まだ2ヶ月も経っていない。回数もまだ59である。ああ、懐かしいこと。この「わざわざ運動」ほ、その次の日に「つづき」となり、その翌日は「さらにつづく」とサブタイトルを付けて引っ張っている。そして、「まだつづく」「まだまだつづく」と、とにかくくどい。しかし、これでもまだ終わらない。その後、「それでもつづく」になり、「もうちょっとつづく」と展開する。それから、「さすがに終わりに近い」となり、「とうとう終わり」でめでたくクローズしている。これが24日で67回目である。連続9日間、同じテーマで粘っているのだ。しかし、これなどは例外的に長い方で、その後は同じテーマを続けるにしても、意識的に分散していた。そして、ときどき思い出すといった雰囲気で、その続きを書くという形にしていた。その理由は二つある。まずは、お読みいただく方のことを考えていた。同じような内容のものがあまり続くと、どうしても退屈するからである。この発想は、「お客様本位」のように思える。しかし、それはそのまま「読み続けていただきたい」という気持ちの表れでもあった。もちろん記録はないが、アクセスカウンターも、まだ1000台とかそんなところだったと思う。あれやこれやと目先を変えて、とにかくアクセスしていただこうという気持ちが前面に出ていたのである。
説得≠ゥら納得≠ヨ(07/10/05 Fri -1650)
 プログラム学習の理論が提唱する学習者検証の原理≠ヘ、画期的なものだった。それは、プログラムの善し悪しは、学ぶ者が決める≠ニいう考え方である。みんなが理解できれば、作成したプログラムはOKとする。しかし、つまずきや間違いが起きた場合は、プログラムの方に問題があると考えるのだ。そこで、プログラムを修正することになる。これは明らかに学習する側≠ノ立った見方である。そんなわけで、生涯教育≠ェ生涯学習≠ノ代わったのは、単なる裏返しではなく、教育≠ノ対する視点の転換だったのである。これと同じことが、説得≠ニ納得≠ノも当てはまる。どちらの場合も、焦点は人の態度や行動を変えることに関係している。しかし、その視点が異なっている。説得≠ヘ変えようとする側≠ノ立ったことばだ。これに対して納得≠ヘ変わる&の視点から見ていることばである。そして、この両者は単なる裏返し≠ナはないというのが、私の主張である。それはどこが違うのか。その決定的な差異は、人の態度や行動を変えようとする側≠フ姿勢、ものの考え方である。説得≠フ場合、変える側≠ヘ自分の方に相手を引き寄せようとする。つまり、自分はまったく変わる気持ちを持っていない。とにかく言うことを聞きなさい≠ニいうわけである。これに対して納得≠重視する立場はどうか。この場合は、状況によっては、私も変わりますよ≠ニいうメッセージを含んでいる。とにかく変われ≠ナはないのだ。説得≠キる側が、自分の方も変わる°C持ちを持っている。そんなときは、納得≠フ方を重視しているとも言える。自分が変われば、人も変わる=Bまさに、それこそが納得≠生み出す力になるのである。
教育≠ニ学習(07/10/04 Thu-1649)
 教育≠ヘ教え、育む≠ニ読むのが自然だ。したがって、これは教える側に立ったことばである。これに対して、学習≠フ方はどうか。こちらを学ばせ、習わせる≠ニ読む人は、ほとんどいないだろう。どう考えても、学び、習う≠ナある。もちろん、学び、習う≠フ主体は、教育する側ではない。それは文字通り、学習者≠ニいうことになる。ここで、教育≠ニ学習≠ヘどんな関係にあるのか。この2つが、言い回しを変えただけだと考えると、大事な本質を見失ってしまう。教育≠ニ学習≠ヘ単なる裏返しではないのである。たとえば教育≠ェうまくいかない。そのとき、教育≠キる側は、教育される側≠ノ原因を求めたくなる。こんなにちゃんと教えているのに、どうしてこうもわからないのか。それは、彼らに能力がないからだ。あるいは意欲がないからかもしれない=Bまあ、こうした解釈が成り立ちやすいのである。それは、あくまで教育する側≠フ論理に立っているからだ。これが学習≠ノなると見方が違ってくる。あくまで学ぶ者≠フ立場が主体になる。その昔、教育の世界でプログラム学習と呼ばれるものが流行ったことがある。スキナーという学習心理学者が中心になって、プログラム学習を進める機械まで開発していた。いまではコンピュータがあるから、なんのことはないが、その当時は大規模なネットワークなども考えられていた。彼らの理論の中には、学習者検証の原理≠ニ呼ばれるものが含まれていた。これは当時としては、なかなかおもしろい発想だったと思う。その趣旨は、学習がうまくできなかったときは、プログラムの適否を検討する≠ニいう点にある。つまり、指導法の善し悪しは、学ぶ者が決めるというのだ。
好奇心と学習(07/10/03 Wed-1648)
 人間は好奇心の動物でもある。何でもかんでも周りのことを知りたいと思う。もっとも、日々変化を続ける環境に対応していくためには、大事な情報を確保することが必要だ。そうでないと生き残れないかもしれない。その点では、情報収集≠目的にした態度や行動が、ある場合は好奇心≠ニして現れるのである。だから、動物だって好奇心≠轤オきものを持っている。猿なんぞには、おもしろい話がある。和室に猿を残して外出した。一匹になった猿が何をするかなあ≠ニ思ってこっそり障子の紙を舐めて穴を開けてみた。そこから様子を覗おうという魂胆である。ところが驚いたことに、障子の穴の向こう側に猿の大きな目玉が見えるではないか…。向こうだって外がどうなっているのかを知りたかったのである。まあ、この話、ホントかどうかは知らないが、ありそうなことではある。これが猿の好奇心物語≠ニいうわけだ。ともあれ、どんなに年を取っても、われわれは様々なことを知りたい≠ニいう欲求を持っていたいものである。それがよりよく生きるための大事な力になる。だから、生涯を通じて勉強することが大いに期待されるのである。ただし、勉強しないといけない≠ニ責め立てられるのでは、やるせない。そうではなくて、自分から学習したい≠ニいう気持ちを持つことが大事なのである。それは教育される≠アとから、学習する≠アとへの転換である。そして時代の流れとともに、以前は生涯教育≠ニ呼ばれていたものが、いまでは生涯学習≠フ表札が使われるようになった。その理由は何か。教育≠ヘあくまで教える側の視点に立っている。教え、育む≠ゥら教育≠ネのだ。これを教えられ、育まれる≠ニ読む人はかなり変わった人である。
ゆりかごから墓場まで(07/10/02 Tue-1647)
 学校に行っている子どにとって、家庭は大事な生活の場である。また、教師や親以外の大人や近所の子どもたちとも会話を交わすし、街に遊びにも行く。だから、学齢期といっても、学校教育だけがあるのではなく、家庭教育や社会教育が重なっているのである。そもそも家庭教育とは、いつごろまで、どんな内容を指しているのかはっきりしないところがある。そのスタートは赤ん坊として生まれたときだとは思う。そして、主として良心が子どもとして育てる期間は家庭教育が行われていると考えていいだろう。しかし、その終わりの方は何とも曖昧である。高校を卒業したらおしまいなのか。それとも20歳になるまでは大人と認知されないから、家庭教育は続いているのか。遠くの大学に行って日常的に親と接触することがなくなったら、それはおしまいなのか。しかし、夏休みで帰省したときなどは、親がああだ、こうだ≠ニ生活の指導をすることだって大いにあり得ることだ。まあ、そんな議論は家庭教育を専門にしている人たちに任せましょうか。いずれにしても、社会が教育するという意味での社会教育≠ヘ幼児期でも学齢期でも、そして学校を卒業した後でも、すべての人にとって大事な関わりを持っているのである。それはまさにゆりかごから墓場まで≠フ生涯を通して続いていくものなのだ。そんなわけで、学校を卒業しても、両親の影響から独立しても、われわれは教育≠ゥら開放されるわけではない。社会から学び、組織から教えられる。どんなことをするにしても、勉強≠ヘ続けないといけないのだ。もっとも、しないといけない≠ニ言われると、強制されたようで気が重くなる。しかし、われわれはもっと前向きな学びたい≠ニいう欲求も持っている。
家庭・学校・社会教育(07/10/01 Mon-1646)
 世の中に定着しつつあった生涯教育≠ヘどこに行ってしまったのか。それは生涯学習≠ノ取って代わられたのである。教育にもいろいろある。家庭教育に学校教育、そして社会教育というのが大分類である。今日では、学校教育にさまざまな問題があると指摘される。しかし、それに負けず、家庭教育がうまく機能していないと思われるケースが少なくない。こうして話題は、また別の機会に譲るとして、社会教育は文字通り社会が主体の教育である。しかし、そう言ってしまうと、じつは何でもかんでも社会教育ということになる。人間は生まれた瞬間から学びはじめる。おぎゃあ、おぎゃあ≠ニ泣くのも、おなかがすいたああ≠ニいうメッセージの配信だ。これだって時間とともにスキルが向上する。そして泣くことで、ウンチしたよー∞おしっこしたよー∞体の調子が悪いよー≠ニ、あらゆる信号を発信する。おなじ泣くという行為だから、親の方も試行錯誤しながら、何を訴えているのかを学んでいくのである。まさに相互学習であり、共育というわけだ。ところで、いまでも公園デビュー≠ニいうことばが使われているのだろうか。赤ちゃんが歩きはじめたりすると、母親が公園に連れて行く。そこではご近所の子どもたちが遊んでいる。すでにいる親子たちはお互いに顔見知りでお仲間である。そんな中に新たに入っていく。うまく迎えてもらえることを願いながら…。まあそんなことでデビュー≠ニ呼んでいたわけだ。これもまた社会への旅立ちの形であり、広い意味で社会教育の領域に属する話題だろう。そして、学齢期になると学校が生活の主要な舞台になる。そこで行われる教育は文字通り学校教育だ。しかし、そんなときでも子どもは社会と関わっている。