No.36 2006年04月号(1084-1114)
気がつきゃ…(06/04/30-1114)
そもそもアルコールは大脳の抑制を取っ払う薬物だ。だから、今日は飲まんぞ≠ニいう意思も、飲めば飲むほど抑えが効かなくなる。これに対人関係の影響が加わる。みんなが飲んでいるから、ここで断ったら悪いじゃないか=Bそんな理屈が頭に浮かぶ。ますます抑制がなくなるように考えるのである。クレージー・キャッツのスーダラ節≠ヘ続く。気がつきゃ、ホームのベンチでゴロ寝、これじゃ身体(からだ)にいいわきゃないよ。分かっちゃいるけどやめられねえ=Bこのあと、全員でアホレ、スイスイスーララッタ、スラスラスイスイスイ、スイスイスーララッタ…≠ニ合唱して舞台で大騒ぎするのである。ベンチでゴロ寝ならまだいいが、道路に寝込んで車に轢かれる人もいる。凍死したというニュースだって聞くことがある。気がついたら死んでた≠ニいうのではシャレにもならない。ところで、この歌の作詞者は青島幸男氏である。瓢箪から駒≠ニいうと怒られるかもしれないが、そんな雰囲気で東京都知事にまでなった人だ。このごろはどうされているのかしらね。それはともあれ、ご自分の実体験なのか、それとも人間観察の成果なのか、とにかく人の心と生態を見抜いた、ものすごい歌詞である。スーダラ節≠フ2番には競馬がくる。こちらはギャンブルである。ねらった大穴、見事にはずれ。頭かっときて、最終レース…=B私は競馬に行ったことがない。東京では、羽田からモノレールに乗ると、途中に大井競馬場前を通る。やや遠目に競馬場が見えるが、レース中と思える日はあまりない。しかし、あのスタンドで、馬の走りを楽しむことを超えてしまった人たちが、カッとなって奈落の底に落ちているのだろうか。ギャンブルもまた深刻な依存症を引き起こす。 |
| 本日、「味な話の素」が4年目を迎えました。今後ともよろしくお願いします。 |
スーダラ節≠フ衝撃(06/04/29-1113)
わかっちゃいるけどやめられない=Bそれが依存症の特徴だ。それにしても、このセリフ、なんとも懐かしい。その昔、クレージー・キャッツというコミック・グループがあった。ザ・ドリフターズのお師匠さんと言うべきグループである。そのクレージー。キャッツがスーダラ節≠ニいう、とんでもない歌でデビューしたのは1961年のことである。植木等が真ん中に立って、メンバーが周りで盛りたてる。もう徹底したドタバタなのだが、アメリカナイズされた感じで新鮮だった。経済白書が、わが国の経済を振り返ってもはや戦後ではない≠ニ明記したのが1956年である。日本人は決して豊かではなかったが、それなりに一服できはじめたころだったのだろうか。先行きに明るさがチラチラ見えはじめていた。そんな状況の中にクレージー・キャッツが飛び出してきた。スーダラ節≠聞いて、大人も子どもも、みんなが腹を抱えて笑った。その歌詞がすごいのである。チョイト一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらハシゴ酒=Bいきなりこれでくるからビックリする。そのとき私は中学生になったばかりである。その上、父はまったくアルコールをやらなかったから、酒飲みの生態なんぞ知らなかった。しかし、それでも歌のスタートがすごくて、子ども心にも大人ってそんなものか。けっこうアホやなあ≠ネんて思った。最初はチョイと一杯≠フつもりなのだ。それが、いつの間にやらはしご酒≠ノなる。いつもはおとなしく控え目な人も、飲めば飲むほど元気が出てくる。人見知りの性格は吹っ飛んで、突如として社交的にもなる。酒飲みに悪いやつはいない=A飲み助はみんな友だち≠ネんて、勝手に決めつける。もちろん、確たる根拠なんぞ、ありゃあしない。 |
大統領との面会(06/04/28-2-1112)
今日はこのコラムの2本目になるが、少しばかり考えておきたいことがある。それは昨日から流されているニュースに関係している。北朝鮮に拉致された家族がアメリカの議会で証言した。その切々たる訴えは、人々の感動を呼んだと思う。そして、事態の深刻さをアメリカの人々にも認識させたに違いない。そんな中で、ブッシュ大統領が家族と会うという情報が流れた。それはそれは、とんでもないビッグニュースである。国のレベルにはそれなりの常識があるようで、野党の党首がアメリカに行っても、基本的には大統領と会うことはない。その大統領が面会するというのだ。アメリカが国としても拉致事件の解決に力を貸したいという、ものすごいメッセージの発信である。それは、北朝鮮の反発も十分に考えた上での、大いなる決断だということができる。それにしても、それだけ親身になってくれることは、家族にとってこれ以上ないサポートである。その意味では、手放しに喜びたいところだ。ただ、国際社会は冷徹でもある。心からサポートしたいという真意を疑う気持ちは、これっぽっちもない。しかし、こうした友好的な行動は、他の事柄にも無関係のままでは終わりにくい。たとえば、イランの制裁が具体的な日程に上ることはほぼ確実である。国連による制裁は、中国が賛成するかどうか、かなり危うそうだ。そうなると、アメリカをリーダーにした有志の国が連携してイラクに圧力を加えるというストーリーになる。もともと友好的な関係にあって、石油の共同開発話もあるわが国としては、何としてもイラクと対決することは避けたい。しかし、そうかと言ってアメリカとの関係も悪くしたくない。こんなジレンマに落ち込むことは目に見えている。そんなとき、今回の大統領による格別の配慮が、何らの影響も与えるはずがないと考えたいのではあるが…。ついつい、朝方から余計な心配をしてしまった。 |
わかっちゃいるけど…(06/04/28-1111)
喫煙している℃鮪タとタバコはガンを誘発する≠ニいう情報は不協和≠ネ関係にある。これを解消するにためには、禁煙≠キればいい。しかし、これがなかなかうまくいかないのである。私の場合も、禁煙どころか、タバコの本数はますます増えていった。とくに、酒が入ると本数はさらに拍車がかかる。ニコチンがアルコールに溶けやすいらしく、飲んでるときのタバコは、じつにうまいのである。吸いすぎで、ウッ≠ニ吐き気がしてもタバコを離さない。コンパにいけば、大いに飲んで人としゃべりまくる。その話ている相手がタバコに手を出すと、こちらに吸う気がなくても吸ってしまう。人の行動につられているのである。人間は、困った行動ほど模倣≠オたがる傾向がある。人だってやってるんだから、自分もいいっか=Bそんな理屈で行動を合理化する。とにかく、われわれは何とも簡単に人の影響を受けるのである。しかも、自分が影響を受けている≠ニか、模倣している≠ニいう事実には、案外と気づかない。こんなとき、本当は第三者の目でものごとを見ることが大事なのである。しかし、客観的な立場から自分たちの関係や行動を評価することはきわめてむずかしい。毎日の生活でもそうだから、アルコールが回ってくれば、さらに客観的な見方ができなくなる。その上、抑制力まで低下するから、吸い過ぎはまずい≠ネんて考えもしない。はじめは理性が働いて、今日は飲み過ぎ、吸い過ぎに気をつけるぞーっ≠ニ心に決めておく。しかし、そんな決意はあっという間にどこかへ飛んでいってしまう。そして気づいたときには、もうタバコを吸い続けている。これじゃあ体に悪いに決まってる。しかし、わかっちゃいるけどやめられない≠フである。 |
慣れ≠ニ事故(06/04/27-1110)
より生きるために必要な力が、そのままマイナスにも作用する。それは、依存症に限らない。われわれにとって社会問題ともいえる組織の事故やミスなども同じことである。高いところがいつまでも恐いままだと、ビルや鉄塔の工事はできない。はじめはビクビクしていても、真面目に仕事をしているうちにちゃんと慣れ≠驍フである。いまから20年も前になるだろうか、九州電力に採用された若者たちの教育を描いた「旅立ちの青春」というビデオがあった。はじめは数十メートルもある鉄塔に目がくらむ。足も膝もがくがくのはずだ。暑い夏でも、感電を防ぐためだろうがゴムの長靴を履いて仕事をする。地上に降りたときには長靴をひっくり返して汗を流し出すといった過酷さである。そんな経験を踏みながら、数ヶ月後には電線を伝わって移動できるほどになる。研修が終わり現実の仕事へと旅立つときは、先生方と涙を流して別れる…。それはもう感動のドキュメンタリーだった。あれから随分と時間が経過した。いまでは同じ仕事もかなり機械化されているという。ともあれ、教育≠竍訓練≠ヘある種の慣れ≠作りあげるための働きかけでもある。こうして、慣れ≠ヘ大いに力を発揮する。しかし、その一方で、油断したり、うっかりしたりで事故が起きることにもなる。統計的な事実かどうかは知らないが、運転でも免許取り立ての数ヶ月は事故が少ないという。まだ慣れ≠トいないから緊張しているのである。それはそうとして、タバコの話題に戻ると、私はもう立派な喫煙者になっていた。大学3年生のころだったと思う。しかし、こころの片隅では、何とか禁煙できないものかと考えていた。なにせ、タバコと肺ガン$烽ェ、かなりの信憑性を帯びてきたからだ。 |
慣れ≠ニ悪魔の力(06/04/26-1109)
慣れる≠アとは、そのままよりよく生きる≠アとに繋がる大事な能力である。だから、その力を持っていればいるほど、社会にも早く適応できる。仕事もうまくやれるようになる。スポーツ選手だって、厳しいトレーニングによって体が鍛えられる。これも慣れ≠フ力がなければ、先に進まないだろう。それは体だけでなく、こころにも当てはまる。われわれにとって、いつも都合のいいことだけが起きるのではない。ときには辛い状況に耐えなければならないこともある。それにしっかり対応していると、そのうちそれに慣れ≠驍アとができるようになる。心理学でも耐性≠ニいうことばを使っている。文字通り耐える力である。何でもかんでも自分の思い通りにならないと気がすまない。自分の欲求が阻止されると、すぐに爆発する。これでは世の中が成り立たない。このごろは、些細なことで人を殺す事件が多すぎる。すぐにカッとなる人を瞬間湯沸かし器などと笑っていうが、殺人までいくと笑いごとではない。たしかに、ストレスの多い時代である。仕事の世界は成果主義の大合唱だ。競争に次ぐ競争で人間関係だってややこしくなる。そんな中で、われわれはこころを安定させて、毎日を送っていかなければならない。そのためには、周りの厳しい環境にも慣れ≠ト、うまく対応する力を持つことが必要になる。だから、慣れ≠髞\力はわれわれにとって欠かせないものなのである。ところが、慣れ≠フ対象を一歩でも間違うと、同じメカニズムによって依存症の落とし穴にはまってしまうことになるのだ。このとき、慣れ≠髣ヘが悪魔の力≠ノ豹変するのである。何と悩ましいことだろう。生きるために必要な力が、そのまま生きることを阻害する力にもなるとは…。 |
慣れ≠フ力(06/04/25-1108)
パイプやキセルにまでも手を伸ばしながら、私はタバコを吸い続けた。最終的に落ち着いたのはマイルドセブンとチェリーだった。ところで、タバコの吸いはじめは誰だって1日に数本程度だと思う。それがだんだんと増えていくのである。ここが依存症の恐いとこだ。もともと体にとってニコチンは異物だから、はじめて吸ったときは、それを排除するために激しく咳き込む。ところが、それでも煙を吸い込んでいると、体の方がその状態に慣れてくる。そして、体の中にニコチンが留まっている方が当たり前になる。だから、ニコチンがなくなってくると、体のバランスが崩れる。その状態を元に戻そうとするために禁断症状が現れる。そこでたまらずタバコに手が出てしまうのである。毎日がこれの繰り返しになって、タバコの本数は増えていく。私もこの循環に囚われて、気づいたら日に1箱くらいは吸うようになっていた。まさに悪循環である…。まったく、どうして人間はこんなまずい¥K性をもっているのだろうか。じつは、ここに人間として宿命的な問題が潜んでいると思う。いま思わず、まずい¥K性だと書いてしまった。しかし、初めて出会ったものに対して最初は拒否反応を示すが、そのうちに慣れてくる≠アとが、まずい¥K性だと決めつけていいのか。そんなことはないはずだ。われわれは、この世に生まれた後は、絶え間なく変化する環境の中で生きていかなければならない。ただ、こわい≠ニかいやだ≠ニいうだけで最初に出会ったものを拒否していたら生きてなんかいけない。はじめはまずーい≠ニ思ったピーマン≠ェ大好きになるのも、バランスの取れた食生活に欠かせない。慣れる≠アとは、人間が生きていく上で必要な能力なのである。 |
パイプとキセル(06/04/24-1107)
いろいろなタバコをお遊びのように吸った。そう言えば、志賀直哉の暗夜行路≠ノ登場するゴールデンバット≠ワで買ったこともある。あとは、名前も忘れたがメンソール入りのタバコや、輸出用と銘打ったハイライト・エクスポートなるものもあった。外国製のタバコは洋もく≠ネどと称していたが、なかなか手に入らない高級品だった。海外旅行なんて大金持ちにだけ与えられた特権だったころである。もっとも、JALパックなるものが登場したのもこのころだった。敗戦後20年以上を経て、ようやく海外旅行が庶民にもあるかもね≠ニ思われる環境が生まれはじめていた。それにしても、まだ1ドルが360円の時代だ。海外に行っても、なかなかモノが買えなかったと思う。そんなことで、外国製のタバコなんて超贅沢品だから、相当な関税もかかっていたはずである。だから、国内でそんなものを買うのは、やっぱり金持ちだったに違いない。そう言えば、ウイスキーなんぞもめちゃめちゃに高かったなあ。何せスコッチのジョニクロの黒ラベルが1万円だと言っていた。下宿をしている学生が1ヶ月を1万5千円で生活していた時代である。スコッチ・ウイスキーをすこっち≠セけでもいいから飲んでみたい。なんて、相当にレベルの低い駄洒落で苦笑いするのが精一杯だった。そうそう、大人≠フ真似をしてパイプを買ったこともある。パイプといえば、当時は近所のたばこ屋さんでキセルまで売っていた。キセル用のタバコを雁首に詰めて火を点ける。一服でおしまいだ。キセルを灰皿の縁に叩きつけて、吸い殻を捨てる。まるで東映時代劇に登場する無慈悲な庄屋のオッさんだ。どれもこれも、いまでは苦笑いの思い出である。こうして、あれやこれやと手を出していった。 |
タバコ遍歴(06/04/23-1106)
どんなことでも、行き過ぎ≠ヘうまくない。ただ、それだけのことである。タバコに端を発したこの物語、そろそろ終わりにしたいのだが、これを書き始めたきっかけまで到達していない。そこで、もう少しばかり引っ張らせていただきたい。ともあれ、最初のきっかけは何であれ、大学生の私はタバコを吸い始めた。そうなると、後は遊び半分といった感じで、あれやこれやの銘柄に手を出した。ハイライト≠ノホープ=Aさらにはショートホープ≠竍ピース≠ネど、何でもありというわけだ。フィルターがついていない両切りのピースは、50本入りの缶もあった。略してピー缶≠ナある。群青色の地に金色の鳩のマークが印象的だった。まさにピース≠ニいう感じが出ていた。私が小学生のとき、担任の樋渡茂先生が吸っておられた。この缶を持っているだけで、タバコ通のような顔をするのである。ホンモノのタバコ好きから見れば、滑稽に見えたことだろう。まあ、そんなことで喜ぶ年頃だったのである。いまだに生存しているのかどうか知らないようなタバコも手当たり次第に吸ってみた。朝日≠ノわかば∞しんせい=A低価格がセールスポイントのエコー≠ネるものもあった。たしか、20本で50円だったと思う。それでフィルター付だというのが売りだった。朝日≠ネどは、フィルターならぬ空洞の管(くだ)≠ェついていた。空っぽだから、吸うとボッ≠ニ煙が入ってくる。あれは、口にタバコの葉がくっつかいないための工夫だったのだろう。いこい≠ネる銘柄の箱には、音楽の四分休符がついていた。まさに、ちょっとお休みの憩≠ニいうわけである。これなどはアイディア賞ものだ。それから、セブンスターにマイルドセブンも大いに吸った。 |
正当化≠フ正当性(06/04/22-1105)
酸っぱいブドウとキツネ≠フ物語は、ずるがしこいキツネに天罰が下ったと言いたげである。しかし、それではキツネがかわいそうだ。子どもたちが小学生のころ、教科書にごんぎつね≠ェ載っていた。私はこの話を知らなかったが、読んだとき目頭が熱くなった。また、ある小学校の研究会に出かけたときも、ごんぎつね≠取り上げた授業があった。子どもたちの発表を聞いていて涙が出そうになってしまった。ずるがしこいキツネなんて偏見だあ≠ニ叫びたくなる。まあ、それはそうとして、人間だってキツネを笑ってはおれないと思う。何かがうまくいかないとき、われわれはどうせやっても仕方がないことなんだ≠ニいった物語を創作していることがある。かなり屁理屈≠チぽくても、それなりに納得して諦める。その点では、童話のキツネと変わらないのである。しかし、それもまた悪いとばかりは言い切れない。そこで気持ちの切り替えができれば、けっこうな話ではないか。ものごとは程度≠ェ問題なのである。タバコを吸わない人間は、喫煙者が自分に都合のいい屁理屈≠ツけてタバコを吸い続けていると言って笑う。しかし、そもそも人間は自分の行動に意味づけをしながら生きていく動物なのだ。それが人間の証明でもある。前頭葉が発達していなければ、自分の行動に理屈なんてつけないだろう。誰だって、自分がおかしな行動をしているなんて考えたくはない。私がやっていることは、これでいいんだ=Bこんな気持ちが持てることも大切である。うまくいかないことを、すべて自分のせいだと考えていると、身も心も疲れてしまう。だから、正当化≠竍合理化≠ヘ、健康に生きるために必要なのである。ただし、適度に≠忘れてはいけない。 |
正当化と合理化(06/04/21-1104)
自分たちの行動を仲間内で正当化する。外から見ると屁理屈を言っていても、そうしないと自分たちの存在が危なくなる。もちろん、自分たちの保身≠ナは格好がつかないからから、これまた組織のため≠ニいう理屈がくっつけられる。個人的にはやりたくなかった≠ッれど、組織の存続のためにやむを得なかった≠ニいう論理≠ナある。まあ、こんなことで組織の問題が隠されたり、その結果として不祥事が起きたりする。喫煙者の理屈の場合は、タバコを吸っている仲間の集団なので、組織というほどのことはない。しかも、喫煙が不正行為や不祥事というわけでもない。しかし、形勢が不利なとき、自分たちの論理で、その行為を何とか正当化しようという心理には共通点もある。少なくとも外の情報を無視したり、軽く見ようとする点は類似している。集団が閉鎖的な状態になるのである。そして、どちらも従来の行動は変えることがない。もっとも、すべての正当化≠悪だと決めつけるわけにはいかない。自分の態度や行為を整理し意味づける。それ自身は大事なことである。心理学では合理化≠ニいうことが使われる。イソップ童話だったか、酸っぱいブドウとキツネ≠フ物語を聞いた人もいるだろう。これは合理化≠フ典型例として引用されることが多い。森の中を歩いていたキツネがブドウを見つけた。このブドウ、見るからにうまそうだ。そこで、背伸びしたり、飛び上がったりと、ブドウを取りたい一心で頑張った。しかし、どうあがいても届かない。とうとうブドウを諦めざるを得なかったキツネが考える。そうせ取れなくったっていいさ。あのブドウ、酸っぱいに決まってるじゃないか…=B少なくともわが国では、こんなストーリーになっている。 |
仲間の力(06/04/20-1103)
自分の行動が他の情報とうまく調和しない。喫煙行動と肺ガン説はその典型だ。そこで、タバコをやめるか情報の価値や信頼性を低めるか。禁煙がむずかしいとなると、情報を何とかするしかない。そこで、肺ガン説は十分なデータが揃ってない≠ニか、タバコはストレスを低減する効果がある≠ネど、いろいろな事実≠ェ考えられ≠ヘじめる。昔は、テレビや新聞でタバコのCMもあった。喫煙している若い男のカッコよさや落ち着いた中年のダンディさが印象づけられる。こうした情報も喫煙者にとって不協和を低める力があったと思う。そして、自分にプラスの情報を得たいから、同じ価値観の仲間と話し合うことが多くなる。喫煙者同士だと、タバコの効用について意見が一致するからである。しかし、それはそのまま、他の立場にいる人々の考え方や価値観に触れる機会を少なくする。そこで、ますます行動が変わりにくくなる。ここでは話の行きがかり上、タバコの話題に集中しているが、こうした傾向は、われわれの多くの行動や態度に共通している。自分たちには正当な理屈≠ネのだが、外から見ると滑稽な屁理屈≠ナあることが少なくない。しかも、そのことに気づかない。あるいは、ちょっと無理があるかな≠ニ思っても、まあいいや≠ニすんなり気持ちを変えることができる。何といっても、仲間たち≠ェそれを支持しているからである。だから大いに自信を持っていい…。こうして、さらに行動は変わらなくなる。このごろは、大組織でとんでもない不祥事が起きたりする。その原因は様々だが、外から見ると信じられない意思決定が行われていることがある。こんな事例でも、同じ価値観≠フ人間が組織のため≠ニいう理屈≠つけていることが多い。 |
不協和解消の手だて(06/04/19-1102)
喫煙家にとってタバコはガンを誘発する≠ニいう情報は大いにマイナスである。これに対して喫煙家は、吸ってても長生きの人がいる≠ニかガンになる前に事故や他の病気で死ぬこともある≠ネどといった科学的≠ネ観察に基づく正当な@摎Rを強調する。そもそもイギリスの保健機関だって、タバコと肺ガンの関係を本当に実証したのか≠ニ、発表の信憑性を疑ったりもする。そうした解釈≠竍理屈≠ェ喫煙仲間の中で確認され、浸透していく。フェスティンガーという社会心理学者が認知的不協和理論(Theory
of cognitive dissonance)≠ニいうものを提唱して、一世を風靡したことがある。われわれは、身の周りに起きている事実についての認識や考え方、それに関わる態度や行動がうまく調和していると気持ちがいい。その逆に、そうした要素が不協和≠セと不快になったり、不安を感じる。そこで、それらを協和≠ウせる力が働くことになる。喫煙家の場合、自分がタバコを吸っている≠ニいう事実と、タバコは肺ガンの原因になる≠ニいう情報は、明らかに不協和≠フ関係にある。この両者を協和≠ウせるにはどうすればいいか。まずは、タバコをやめる≠アとが考えられる。それさえうまくいけば、喫煙とガン≠フ関係は、自分には無関係≠ノなる。これは行動を変えることで不協和をなくす最も確実な方法である。しかし、それはあくまで理屈にすぎない。ニコチン依存症になってしまった体にとって、禁煙は至難の業である。そうかといって、そのままでは相変わらず不協和≠感じ続けることになる。これもまた不愉快だ。そうなると、不協和を解消する手だては一つしかない。喫煙は肺ガンの原因になる≠ニいう情報を無視するのである。 |
タバコ依存症(06/04/18-1101)
世の中には様々な情報が氾濫している。私たちは、そうした情報を評価し、生活や仕事に生かしていく。その中には自分にとって都合のいいものもあるが、そうでないものもある。喫煙は肺ガンを誘発する≠ニいう情報は、タバコを吸う身には相当に都合の悪いものだった。とにかくタバコは体に悪いのである。しかし、吸いはじめたが最後、いつの間にか本数も増えていく。それが依存≠ニいうものである。吸えば吸うほど体がニコチンに適応するから、その状態が当たり前になる。だから少しでもニコチンがキレるとバランスが崩れて、正常な状態≠ノ戻そうとする。だから、たまらなく吸いたくなる。依存症のメカニズムは簡単なのである。喫煙は学生にとっては経済的にもけっこうな負担になる。私の記憶では、ハイライト≠ェ70円、ホープ≠ェ80円の時代である。大学で食べていた生協食堂の定食が80円だった。今なら1箱が400円近くに相当する。そんならすぐにやめた方がいい≠ニ頭では考える。しかし、依存症≠ノ陥っていると、それから先にすすめないのである。ここが恐いんだなあ。健康面からも、経済的な面からも、タバコは止めた方がいい=Bそれが理屈では分かっていても、禁煙はできないのである。やめようと思って少しばかり我慢する。しかし、時間が経過すると肺が乾いてきて吸いたいよー≠ニ叫ぶのである。そんな状況に追い込まれて、結局はタバコを吸い続けてしまう仲間の方が多かった。そして、仲間たち≠ェやめないから、自分も大いに安心≠オて喫煙を続けていくことになる。大量にタバコを吸っていても、肺ガンにならない人がワンサといるじゃないか∞ガンになる前に交通事故や病気で死ぬことだってあるじゃないか…=B |
喫煙宣言(06/04/17-1100)
タバコを吸わないわが家に帰省するのだから、遅かれ早かれ喫煙していることは分かるに違いなかった。そこで、自分の方からタバコの箱をやおら出して、吸っている姿を見せた。あるいは、このごろタバコを吸いはじめたよ≠ニ口で言ったのが先だったかもしれない。いずれにしても、その時期は憶えていない。父が転勤で長崎から佐賀県の武雄に引っ越した後だったとは思う。そのときは、今日こそはタバコを吸っていると宣言しよう≠ニ決意して行動に出たはずである。これに対する家族の反応も、また記憶にない。それからは、みんなの前で吸うのが当たり前の風景になった。しかし、その後もタバコは止めた方がいい≠ニいう気持ちはあった。そこで、1日10本以内≠ネどと目標を立てたりもした。当時、ショートホープというのがあって、それが10本入りだった。これで1日が過ぎれば10本以内の目標は達成されることになる。しかし、それがうまくいったことはほとんどなかったと思う。止められるものなら止めた方がいい=Bその程度の気持ちでいたのでは、タバコはまず止められない。それどころか、一念発起して、止める気≠ノなってさえも、なかなかなのである。なにせ、仲間たち≠ナ禁煙する者など一人もいない。人生、好きなことして生きないでどうする。したいこともせずに、長生きしたって意味がない≠アんな発言の方がカッコよく聞こえる年頃でもあった。こうして、仲間集団≠フ力が個々人の行動に大いなる影響を及ぼすことになる。それでも、タバコを取り巻く環境はじわじわと悪化の兆候をみせはじめる。私がタバコを吸いはじめたころだった。イギリスの保健衛生機関が、タバコは肺ガンの原因になる≠ニいう研究を発表したのである。 |
タバコに復帰(06/04/16-1099)
私がタバコをはじめて吸ったとき大いに咳き込んだ。それを見た友人がお前、タバコなんかやめとけ≠ネんて、えらそうな顔をした。そこでやーめた≠ニなれば、タバコと関わることもなかった。ところが仲間から制止されると、かえって何としても吸ってやる≠ニいった気持ちになる。あるいは、仲間から認めてもらうために同調してしまう。それが世間から咎められることであっても、集団の価値観を優先する。仲間集団の影響は恐ろしいものである。だから、個人の行動を変えるためにも、集団に対する働きかけが欠かせない…。とまあ、こんな話をしているうちに、ガングロ娘の話題になり、それが暴走族物語にまで走っていった。このコラム自身が暴走してしまった。私としては、ここでタバコの話題に復帰したい。まだ、タバコについて本当に書きたかったところまで行っていないからである。さて、友人のあんたはタバコなんかやめといた方がいい≠ニいう発言が、どうにかして吸えないものか≠ニいう気持ちを起こさせた。そして気がついたら、いつの間にか喫煙者の仲間入りをしていたのである。はっきりした記憶はないが、吸いはじめたときは、タバコを吸わない父が頭に浮かんだと思う。何となく後ろめたさを感じたはずだ。そんなことで、吸いはじめたころは、家族のいる長崎に帰省したときはタバコはやらなかった。そして、ときおり散歩に行く≠ネどと言って外に出て一服していた。しかし、タバコと縁のない家族には、衣服についた臭いや吐く息から、それなりに想像はついていたのではないかと思う。それに黙っていても、そのまま吸っていれば、やがて歯にタバコのヤニもくっついてくるだろう。人差し指の先あたりには黄色のシミが付着するはずだ。 |
暴走族の解散式(06/04/15-1098)
尾ひれのついた暴走族≠フ話に刺激を受けて、ますます観客≠ェ増えていく。そうなると、これまた報道せざるを得ない事件≠ノなってくる。それがさらに人を刺激する。まさに悪循環≠ナある。あとは沈静化するまで待つしかなくなる。人間は同じ刺激には順応しやすいという性質も備えている。飽きる≠フである。報道だってお決まりのストーリーではおもしろくなくなる。賞味期限が切れるのである。そうなると、報道の回数も減って、人の関心も薄れていく。暑い夏が去り、秋風が吹きはじめるころには、大騒ぎが嘘だったように静かになる。たしかに、オーバーコートを着たり、マフラーを巻き付けての暴走行為なんて、技術的にもむずかしいだろう。それ以前に、カッコ悪い。そんな暴走族だが、グループが解散式をするニュースを見たことがある。警察の働きかけもあったようだった。この解散式が重要なのだ。暴走行為をしているというので、一人ひとりにあんなことするな≠ニ説得する。この方法には大きな効果が期待できない。なぜなら、暴走行為≠サのものはまずい≠ニ思っていても、簡単に止めるわけにはいかないからである。何といっても自分はグループの一員なのだ。しかも、仲間たちは自分の存在を認めてくれている。それどころか、われわれにはお前が必要だ≠ネんて、泣けるようなことを言う。こんな仲間がどこにいるか。そんなことばかりしていると社会から見放されるぞ=Bそれって脅しのつもりかい。笑ってしまうわ。もう学校だって俺を疎外してるじゃないか。こんな気持ちの人間に行動の変化を期待するのはむずかしい。個人に対する働きかけには限界がある。仲間の集まりである集団℃ゥ体が変わらなければ人は変わらない。 |
観客の興奮(06/04/14-1097)
暴走行為≠ニいうパフォーマンスに、観客≠ェ加わることで、さらに興奮が高まる。主役≠スちは、客≠ェ見ている前でもっと派手なことをやろうとする。それに対応して、警察の押さえ方も厳しくならざるを得ない。みなさん、暴走は止めましょう≠ネどとスピーカで呼びかける程度では、何の効果もないからである。テレビを見ていたら、警察が、大きな網を張ってバイクを一網打尽、まるで鳥を捕まえるような道具まで開発していた。とにかく現場は大騒ぎになる。その様子を見て、観客≠烽サの場の脇役≠ニして物語に関わりはじめる。もっと厳しくやれ≠烽れば、暴走族頑張れ≠フ応援団まで出てくるから、ことは複雑だ。しかし、さすがに時間が経過すれば、とりあえずその場は収まる。ところが、問題はそれで終わらない。そうした大事件≠フ目撃者≠ェ、自分の仲間たちに報道≠キるからである。昨日の晩の暴走はすごかったぞ。警察と暴走族の攻防は、下手なテレビのアクションものより迫力があったなあ=Bこんな調子だ。しかも、この手の話は、大きな尾ひれがついて、実際以上に過激でおもしろそうに仕立て上げられる。伝える人間の気持ち≠ェ、そうさせる。とくに、仲間たちから自分の存在を十分に認知してもらっていないと感じている者が危ない。彼らにとっては、自分だけしか知らない話を伝えるのは、またとない自己アピールのチャンスなのである。だから、どうせならもっとおもしろく§bした方が効果的だ。そこで、物語≠ヘますます事実とかけ離れてくる。そのこと自身をご本人が気づいていないこともあるから、手の打ちようがない。そんな話を聞いて、それじゃあ、自分も行ってみるか≠ネんて人間が出てくる…。 |
暴走族の興奮(06/04/13-1096)
このごろは、暴走族≠ニいうことばを聞かなくなった。世の中からなくなったわけではないだろうが、一時の流行現象≠ヘ落ち着いたのだろう。マスコミで取り上げられることもめっきり減った。もともとは小さなことでも、報道されると社会問題として世間が注目する。報道は、そうした隠れた問題を明らかにして、世に問うことが最大の使命なのだろう。とくに、声を発することのできない弱者の立場から問題を提起することは重要な役割である。しかし、一方では報道されるが故に、困った行動が誘発されることもある。暴走族などが、各地で騒いでいる様子が話題として流される。すると、それに刺激を受けて、その気のなかった者たちまで、おもしろそうだ。俺たちも騒いでみるか=Bそんな気を起こさせてしまう。模倣犯≠ネどは、その典型だろう。荒れる成人式なども、毎年恒例の定番となった。とりわけ沖縄の場合はかなりひどいようで、いわゆる画になるパフォーマンスをしてくれる。だから、同じ光景が来年も報道されることだろう。大抵は常識的な人間だから、そんな光景を見て顔をしかめる。それを困ったことだと嘆く。しかし、その一方で、そうでない人たちがいるからややこしくなる。おもしろいじゃないか。俺たちもやってみるか=Bそんな連中である。そこまでするのは抵抗がある。なんて思っていても、ちょっと見に行ってみるか≠ニ現場に出かけていく。こうした観衆が多ければ多いほど、主役≠スちはますますやる気を起こす。そこに警察がやってくると、事態はさらに緊迫する。現場がそのままニュースやドキュメンタリーの舞台になる。そして、群衆化≠ノよるエネルギーが生まれてくる。冷静さが失われて、だれもが興奮しはじめる。 |
集団とゴムひも(06/04/12-1095)
ガングロ≠ヘ相当にすごいパフォーマンスだった。少なくとも、世のおじさんやおばさんたちの理解を超えていた。しかし、それでもそのこと自身が直接的な害をもたらしたわけでもない。しかし、みんなと同じでいたい≠ニいうこころのメカニズムが深刻な事態を引き起こすこともある。たとえば、それが覚醒剤の使用や麻薬の吸引となると、笑い事ではすまなくなる。最初のきっかけはいろいろあるようだが、軽い気持ちで手を出したというのも、よく聞く話である。そんなときは、仲間がいることが多いのではないか。そこで、仲間はずれにされたくない≠ニいう気持ちが強ければ、それだけ同調行動≠取りやすくなる。しかも、普通の生活集団で受け入れられていない者にとって、その力は大きい。今いる集団こそが、自分の存在を認めてくれているのだ。そんな大事なグループのメンバーから排除されることは、自分自身の否定に繋がりかねないのである。こうして、頭の中ではとんでもないこと≠セと分かっていても、ついつい犯罪まがいのことに手を染めてしまうことになる。薬物は本人を不幸に陥れるだけではない。それが原因で、さまざまな犯罪が誘発されている。もっと当たり前の場面で、各人が自分の存在を確かめることができる。そんな社会状況を作っていくことが求められている。一人ひとりにだめよ、だめよ≠ニ働きかけるだけでは、この種の問題はなかなか解決しない。立ち直らせたいと願う個人を集団からはずしても、ゴムひもが付いたままであることが多いのである。この心理的なゴムはなかなか強力だ。ちょっと手を離すと、ブーン≠ニもとの集団に引き戻される。個人にとって大事な集団が存続している限り、ゴムひもは萎えることがない。 |
ガングロの心理(06/04/11-1094)
タバコに限らず、仲間と一緒≠求める力は、あちこちで発生する。前世紀の末だったか、はたまた21世紀の初頭だったか、ガングロ≠ニ呼ばれるお嬢さんたちが街を闊歩したことがあった。ほとんど人類とは思えない顔立ちで群生しているという。そんなニュースを見ていたが、私がはじめて彼女らに遭遇したのは羽田空港であった。熊本ではまだお目にかかれないころのことである。おそらく、5,6人だったと思うが、真っ黒けの顔に白い唇を見て鳥肌が立った。私たちのようなおっさん族には、何という並はずれた目立ちたがり屋連中かと驚いてしまうのである。しかし、鳥肌が落ち着いてから、冷静に見直すと、彼女らはみんな同じ顔ばかりではないか。顔中に、おしろいならぬ、お黒いを塗りたくっているから、素顔は想像の彼方である。こうなると、みんなが仮面をかぶっているのと同じである。しかも、言わせてもらえば、何とも気持ちの悪い仮面の部類に入る。そう思うと、個性なんて、これっぽっちもないのである。そうか、お面をかぶっているから、恥ずかしくも何ともないんだ。個性だって隠しているのだから。彼女らに大事なのは、みんなと一緒≠ニいうことなんだろう。おじさんたちから見れば信じられないように個性的に見えた行動だが、現実は無個性のみんな同じ行動をしているに過ぎないのである。それだけ自立できていないとも言える。しかし、若者たちを笑ってばかりはいられない。さすがに、大人たちはガングロ≠フ仮面はかぶらない。それはそうだけれど、大人たちもみんなと一緒≠フ圧力に押されてはいないか。何かことがあると、日本国中が、みんな一緒≠ニ同じ方向に突っ走る。そして、それに同調しない人々を排除しようとする…。 |
| 御礼 : 本日、ホームページを開設して満3年を迎えました。皆さまのおかげで、アクセスカウンタも10万件に近づいてきました。今後ともよろしくお願いいたします。なお、味な話の素≠フスタートは4月29日ですので、3歳の誕生日はもう少し先になります。 |
タバコと集団力学(06/04/10-1093)
タバコを吸うことで仲間と同等になる=Bこんな気持ちだけが、タバコに手を出させるのではない。はじめて煙を吸い込んで咳き込む姿を見て、友人たちは嬉しそうな顔をする。やれやれですね、お坊ちゃん。タバコを吸うのは懲り懲りかい…=B人間というものは、いやあな性質を持っている。自分がはじめてタバコを吸ったときに咳き込んだ、あの苦しさを思い出す。それと同じ体験を他人がしているのを見ると、妙に楽しくなる。そして、ああ、あんたはやっぱりタバコなんか吸わんほうがええわ≠ネんて表情を浮かべる。これが相手にとっては、じつに刺激的に見えるのだ。そこで、そうやなあ。こんなもん吸っとるやつなんかアホやで≠ニ言って吸わなければ、それでおしまいである。ところが、なかなかそうはいかない。それもまた人間の特性なのだろうか。なめたらあかんで。意地でも吸ってみせるわい=Bこんな突っ張り心が湧き起こってくるのである…。えっ、人が咳き込んでいるのを見て楽しくなるなんて、あんただけや≠ナすって。そうかなあ。これって、大抵の人に共通する本性みたいな気がするんですけど。まあ、それは置いといて、気がついたときには、私もタバコ仲間の一員になっていたのである。これでめでたくみんなと一緒≠ノなって、気持ちが落ち着いたかどうか。その点はまったく憶えていない。いずれにしても、人の行動は他人との関わりによって大いなる影響を受けるものである。それは、個人に対する集団の力として捉えることができる。私自身が仕事としているグループ・ダイナミックス≠ヘ、まさにそうした集団の力に焦点を当てる。今から考えれば、私がタバコに手を出したときにも、集団力学が働いていたような気がする。 |
タバコと仲間たち(06/04/09-1092)
タバコの煙をはじめて吸い込んだときには、誰だって咳き込む。そこで、こんなもの、やってられない≠ニ思う。何も、無理をして吸うことはないのである。みんながそんな気持ちになれば、世の中に喫煙者なるものは生まれない。後になって、手を振るわせながら禁煙≠ノ苦労することもない。ところが、そうはいかないから人間はややこしい。このあたりのこころのメカニズム≠研究するとおもしろいに違いない。その際に、集団の力を無視することはできないと思う。何せ、仲間の大半が吸っているのである。もちろん、彼らと何でも同じことをする必要はない。それに、タバコは吸い出してしまうと止められんぞ≠ネどと警告する者もいる。昨日の本欄で書いたが、ちり紙でヤニの実験をしてくれた先輩だっていた。ところが、そこに奇妙な心理が働くのである。人には止めろ≠ニいいながら、本人はいかにもうまそうに吸っている。それがけっこう格好もいい。少なくとも、そのときはそう見える。しかも、お前も吸ってみないか。気持ちが落ち着くぞ≠ネどと誘惑する人間も一人だけではない…。こんな状況に置かれたとき、まあ、1回だけなら、どうということもないだろう≠ニいう声が聞こえてくる。それは自分の声ではあるが、同時に悪魔のささやきでもある。タバコに限らず、これが間違いの始まりなのである。みんながタバコを吸っている中で、自分だけは頑なに吸わない=Bそんな断固たる行動をとる方が個性的でカッコいいのだが、われわれは、なかなかそちらの選択肢を選ばない。みんなと同じでいたい=Bついつい、こんな思いに駆られる。それだけではない。そうすることが、仲間と同等に付き合うための入会証になるような気もしてくるのである。 |
最初の一服(06/04/08-1091)
友人からタバコを誘惑されても、初めのうちは抵抗していた。それに、同じ高校出身で、浪人して同級生になった先輩から、タバコなんて吸わないがいい≠ニ諭された。彼自身はかなりのヘビースモーカーだった。ある日、彼はちょっと見てみろ≠ニ言って、肺まできっちりと煙を吸い込んでから、ちり紙を口に当てた。それから、やおら煙を吹き出した。すると、ちり紙にはうっすらと茶色のシミができた。それを見せると、今度は煙を吸い込まず、口にためてから同じことをした。そして、ほうら≠ニいって、ちり紙を私の前に広げた。そこには焦げ茶色のシミがにじんでいるのだった。わかるか、この茶色の差が…。茶色が薄くなった分だけ、タバコのヤニが肺に残っているということなんだ=Bまさに説得力あふれる見事な実演だった。その大先輩のおかげで、私は友人のタバコ誘惑から逃れることができたのである。しかし、それも一時期のことだった。おそらく大学1年生の12月ころだったか、ルナ≠ニいうタバコが発売された。最高に軽いタバコというのが売りで、文章では表現しづらいが、おとなしい色をしたパッケージだった。その後の評価は芳しくなかったのだろうか、いつの間にかなくなってしまった。これを友人からもらって一服したのである。それが私のタバコとの関わりはじめだと思う。もちろん、そのときは煙をふかしてみるだけで、肺まで吸い込まなかったはずだ。しかし、今から思えば、それがいつの間にかタバコを吸うようになっていくのである。最初はみんなと同じように、ゴホン、ゴホン≠ニ咳き込んで、頭がクラッとした。異物が体内に入ってきたのだから当然の反応である。こんなもの誰が吸うかい=Bそのときは、そんな気持ちにもなる。 |
タバコの誘惑(06/04/07-1090)
私の父は、母が早く亡くなってしまったこともあり、最後までマイホームとは縁のない生活を送った。それはそうだろう。自宅を建てても、住むのは自分だけ。そんなことでは家を建てる気持ちになるはずがないのである。ところで、時代の先を行くわが叔父さんだったが、彼はお酒がまったくアウトだった。そのすごさは、私の父以上のようで、一滴でも酒を口にした場面を見たことがなかった。そのかわりというのか、タバコの方はかなりのものだった。その量は、伯母からおしりから煙が出るほど吸う≠ニ笑われた伯父にも負けないほどだったのではないか。そんな兄弟の中で、なぜかわが父だけは酒もタバコもやらなかった。アルコールの方は、数日前すでに書いたように、体質的に受け付けなかった。しかし、タバコの方は体質のために吸えなかったという話は聞いたことがない。これは父の主義だったのだと思う。そういえば、自分はケチだから、タバコなんて吸わない=Bそんなことを笑って言っていたような気もする。こうした環境で育った私だったから、子どものころは、酒もタバコもやらない方がいい≠ニ思っていた。しかし結果を先に言えば、事実はそうならなかった。大学に入学すると、のっけから多くの男子学生がもくもくと煙を上げていた。成人男性の70%くらいがタバコを吸っているといわれていた時代である。まだ、成人していないから、法律違反である。しかし、世間一般にも大学生は大人≠ニいう感覚があって、喫煙に関してとやかく言われることもなかった。飲酒もまたしかりであった。そんな状況でも、私自身はタバコなんて吸わない方がいい≠ニ思っていた。ところが、仲のいい友だちができて、タバコ、吸ってみない≠ネんて誘惑しはじめた。 |
もう一人の叔父さん(06/04/06-1089)
父の兄弟のうち、長兄の伯父さんは酒もタバコもこよなく愛した。性格も包容力があり、豪放磊落という感じであった。父は二番目である。そして、その下にも叔父さんがいた。こちらは、長兄とは対照的に繊細な神経を持っていたように思う。若いころから文学に憧れ、小説を書いたりしていたらしい。かの有名な松本清張氏とも一時期は机を並べていたことがあったという。そのころは、松本氏の書いた原稿を聞かされたり、文学の話をしたりしていたんだそうな。たしかに、叔父の家にあったアルバムに小倉駅に立つ清張氏の写真が貼ってあった。また、叔父自身が文藝春秋刊の清張特集に寄稿したこともある。父親の兄弟の中では最も裕福で、あのテレビを最初に買ったのも、この叔父さんの家だった。昭和30年代前半のことだ。正月などは、親戚が打ち揃って、この叔父さんの家にテレビを見に行った。さらに、いつか忘れたが、自動車の免許を取ったのもかなり早かった。ワーゲンの大ファンで、カブトムシを楽しそうに走らせていた。これまた昭和40年代のはじめだから、相当に早い。そうそう、いわゆるマイホームを建てたのも、やはりこの叔父さんだった。長兄の伯父の方は、親の家を引き継いだ感じだから、自分で建てたということではない。また、私の父はといえば、一介の公務員として、そこそこのサラリーで生活をしていた。その上、数年ごとに、あっちこっちへ転勤することもあって、マイホームを建てるという環境にいなかった。それでも、定年後は自宅を建てて、ゆっくりと過ごしたい。そんな気持ちはあったと思う。とくに、母はそれを夢にしていた。ところが、その母が47歳という年齢で他界してしまう。しかも、今なら明らかに医療過誤≠ノよる死であった。 |
タバコと酒と伯父さん(06/04/05-1088)
私の父は、酒もタバコもやらなかった。正月に親戚一同が集まったとき、伯父のタバコを1本もらうようなことはあった。しかし、それは明らかにふかしているだけで、煙を吸ってはいなかった。アルコールも体質的に受け付けなかった。ビールをコップ1杯でも飲もうものなら、体中に赤い斑点が浮き出た。酒とタバコに関しては、父の兄弟たちには大いなる個性があった。長男の伯父は、酒もタバコも大いにやった。酒は浴びるほど飲み、タバコはおしりから煙が出るほど吸った=B伯母がそんな表現で笑っていたことを思い出す。たしかに、伯父には、酒をこよなく愛し、タバコをこころから楽しむといった雰囲気があった。性格的にも、優しさと鷹揚さが共存している。そんな感じだった。さすが明治生まれの長男といった風貌で、親兄弟を支えながら生きてきたことがうかがわれた。しかし、それが決して苦労話に繋がらないのである。子どもの目から見ても、根っからの楽天家だった。正月の集まりなどでは、子どもにもわかるようなおもしろい話をしてくれた。私が大人になってからも、仕事で近くに行ったときなど、時間があれば伯父の家に立ち寄った。伯父は、甥っ子をそんな気持ちにさせる雰囲気を持っていたのである。私の顔を見るといつも喜んでくれた。にっこり笑って、おお道雄か、よく来たなあ。さっそく一杯飲るか≠ニ誘われた。その伯父も、晩年はタバコは止めていた。もちろん酒量も減っていた。当然のことである。幸い健康に恵まれて、年を取るとガンも進行が遅いから、なかなか死なんわ=Bそんな軽口を叩きながら、90歳を超えるまで元気でいた。自分の母親、つまりは私のおばあちゃんだが、その年を超えてしまうほどの長寿を全うしたのである。 |
会議と灰皿(06/04/04-1087)
相撲協会としては、どうしても日本人の横綱がほしい。そんな中で唯一の希望が栃東だ。春場所はぜひとも優勝をと期待されたが、12勝3敗で終わった。しかし、これは準優勝に当たる。それに朝青龍も敗ったことだ。だから、5月場所で13勝をあげれば可能性はある。そんなことを決める会議が開かれたようで、NHKのニュースで伝えていた。その映像を見てビックリ仰天した。一瞬ではあったが、なんと煙をもくもくと立てながらタバコを吸っている委員が写っていたのである。この手の映像は、昨今ではかなりめずらしいと思う。しかも、会議場全体を写した場面では、出席者すべての席の前に灰皿が置いてあるのだ。それも、足に落としたら指の爪は確実に割れてしまうほど大きな立派なものだった。だからどうしたのと言われればそれまでのこと。ただ、いまどき、会議の席にあれだけ灰皿が並んでいる光景は、とにかく見たことがない。しかも、一人だけではあったが、テレビカメラが回っているときに煙をもうもうと立てているのである。一昨年の11月、九州場所に出かけるチャンスがあった。そのとき、新しい年を迎える初場所からは、本場所の会場も禁煙にするというお知らせがあったように記憶している。そんな時代の流れの中で、会議ではプカプカというのはいかがなんでしょうねえ。あの会議には、マスコミが来ることは分かっていたと思う。それでも、灰皿を動かさなかったのだから、相撲協会も相当なものだ。私も30歳過ぎるころまでタバコを吸っていた。幸いにも禁煙に成功したのだが、一時は30本くらいは吸っていた。そんな私だから、タバコを吸うのに目くじらを立てることもない。しかし、相撲協会のあっけらかんさには、やっぱりビックリしたというわけだ。 |
外国人の評価(06/04/03-1086)
外国人力士に席巻されている相撲協会としては、日本人の横綱を作りたくてたまらない。それは相撲ファンの期待であることも間違いないだろう。しかし、それはそうとして、スーパースターに対しては、それに応じた評価をすることも大切である。大リーグのイチローが、ジョージ・シスラーの年間ヒット数記録を更新したときなどは、アメリカ人はちゃんと評価してくれていた。もちろん、東洋人に記録を破られるなど忌々しいと考えた人たちだっていたに違いない。それに、昔より試合数が増えたから記録が出たのだ。シスラーと同じ試合数の時点ではイチローは負けていた。こんな指摘をしたアメリカの野球評論家もいた。この世の中は、全員の意見が一致することはあり得ない。そのあたりは相対的な数の問題になる。評価する人の方が多ければ、まずは満足しなくっちゃあね。もうかなり前のことだが、近鉄のローズ選手が王さんの年間ホームラン記録に迫ったことがある。そのとき対戦したホークスがローズを敬遠して話題になった。ありゃあ、どう考えても勝負してほしかったなあ…。さてさて相撲の話題に戻ると、横綱候補としては魁皇が最有力だったこともある。ところが、これがなかなかうまくいかない。角界随一の力持ちのようだが、どうも気持ちが繊細過ぎる感じである。せっかく優勝しても、もう一場所が続かない。先の春場所もカド番だった。そこはしっかりがんばって、かろうじて大関の座を守った。最後は絶好調の白鵬を敗ったのだから立派なものである。しかし残念ながら、もう横綱を期待するわけにもいかない。そう言えば、同じ大関の千代大海も先に進めないなあ。二人とも九州出身である。私としても、がんばってほしいのだが、これ以上は無理な感じだ。 |
朝ちゃんの態度(06/04/02-1085)
春場所が終わった。またしても朝青龍が優勝した。とにかく強い。土俵での態度に問題があると批判されたりもする。左手で懸賞金を受け取るのもけしからんと言われる。もともと左利きで、つい左手が出るという話だった。しかし、少なくともこのごろはちゃんと右手で取っているようだ。そのあと、右手の方を見ながら睨み付ける。オレが勝って文句があるか=Bそんな雰囲気である。勝負審判にガンでも付けている感じである。しかし、あれも本人の癖なんだろう。土俵の上ではとにかく厳しい。負けた相手に対する思いやりなど、まるで見られない。まあ、日本人的思考から言えば、そのあたりに抵抗があるのだろう。何と言っても横綱なんだから、力だけでなくこころ≠熨蜴魔ノしてほしいということである。その具体的な現れのひとつとして、負けた者に対するやさしさ、配慮が求められるのだろう。もっとも、こうした心情は日本特有のものとは言えない。どんなスポーツでも、試合が終わったらお互いに健闘をたたえ合う。ボクシングだって、ノックアウトされた敗者に勝者の方が歩み寄る。試合が終わっても罵詈雑言、憎しみを顕わにしまくるのはプロレスくらいのものではないか。これはこれで、絵になるようにできている。その点、朝ちゃんは、もう少し大人になってほしいということだろう。しかし、彼は土俵を降りると、じつに人なつっこい。相撲協会が苦虫をかみつぶしているのではないかと思われるようなCMにも出ている。なにせ、横綱がかーちゃーん≠セもの。土俵は真剣勝負の舞台である。そこでは闘志をむき出しにする。勝ったときは、どうだまいったか≠ニ仁王立ちで相手を睨み付ける。これがどうして悪いのか=B朝ちゃんはそう言いたそうだ。 |
民主党のけじめ(06/04/01-1084)
先月の本欄では、民主党のメール問題に絡めていろいろ考えた。はじめは数回で終わるつもりだったが、次から次へと書きたいことが出てきて13回にもなってしまった。そして、昨日になって党の幹部が総退陣することになった。国会で質問をした議員本人も辞職と言うことである。こんなことならもっと早く結論を出すべきだったという意見もあるだろう。それに対しては、党の報告書が出てからけじめをつけるというスジを通したのだと推測する。ホームページにも公開された「報告書」は3月31日付でまとめられている。全体で39ページにも及ぶ報告書には、前原代表の発言も含めて、詳細な分析を行っている。党首討論で「確証がある」との発言をした前原氏は、終了後の「ぶら下がり取材」で「言葉が間違っていた」と言ったらしい。ニュースでときおり見るが、記者たちがぞろぞろついていくインタビューでのことだろう。しかし、そうした情報は選択され、われわれには伝わってこない。あくまで強気の前原氏のイメージが印象づけられていった。最後の第5章「私たちの反省と教訓」で、この事件を総括している。その中で、「一発主義」や「功名心高揚」に陥らないようにすることが強調されている。この文章は、問題になった議員にそうした傾向があったことを示唆しているようでもある。人間は「これぞ」と思うと、ものが見えなくなる。恐いことだ。また、「質問や追及に誤りが判明したときには、できうる限り速やかに、誤りを認め、しかるべき責任を明らかにする」とも書かれている。大騒ぎした割には常識的な結論だが、民主党が被ったダメージは致命的とも言えるほど大きかった。人間には、当たり前のこと≠ェなかなかできないという習性があることもお忘れなく。 |
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