バックナンバー

味な話の素
No.35 2006年03月号(1053-1083)
 
黄昏の東京タワー(06/03/31-1083)
 人の話はちゃんと吟味しないとまずい。それが、東京タワー事件から私が学んだ教訓のひとつだった。そう言えば、ややこしいメール≠ホンモノだと思い込んで、国会で大チョンボをした人がいた。それがいまだに尾を引いた状態が続いている。ひょっとしたら、当時小学4年生の私の方が、よほど賢かったかもしれない。もうひとつ大事なこと。それは、自分が言ってしまったのだから、その責任は自分で取らねばならないということだった。まさに自己責任≠感じたのである。今から思えば、おじいちゃんはもちろん、おばさんだってタワーに登りたかったに違いない。そのチャンスを、孫の言うことを聞いたために失ってしまったのである。本当に申し訳ないことをしてしまったと思う。いよいよ東京を離れるとき、東海道線の窓からタワーが見えた。まだ高いビルのない時代だ。おそらく、東京駅を出て間もなくからタワーが姿を現したと思う。もう空は暗くなり始めていた。そんな中に赤い東京タワーが浮かび上がる。私は呆然とタワーを見送ったに違いない。伊万里に帰ったら、みんなにどんな説明をすればいいのか。そんな心配だってしていたのではないか。そのとき、列車がいっぱいで、通路に新聞紙を引いて寝たような記憶がある。とても信じられない光景だが、私の頭には鮮烈に残っているイメージである。アルバムを見て、二重橋を背景にした記念写真を撮った翌日の29日には京都に行っていることが分かった。その日は知恩院の前で写真を撮っているのである。このときまで、東京タワー事件を引きずっていたかどうか。もう忘れてしまった。こんな記憶を背負った私だから、初っぱなから東京タワーが出てきた映画「三丁目の夕日」に興奮したのは当然のことだった。
事件の教訓(06/03/30-1082)
 自分の発言が理由で東京タワーに登れなかった=B東京タワーを目の前にしながら、引き返さざるを得なかった私の心は、どんな状態だったろうか。小学4年生のことである。そのとき、おじいちゃんから鉄製で金色の模型を買ってもらった。おそらく、登ることがかなわなくなった後のことだったと推測される。このとき、子ども心に、いろいろな思いが浮かんだことだろう。まずは、人の話に飛びつくことの危険性である。状況をはっきり憶えていないが、階段ならすぐに登れる≠ニいう話をしていた人たちが、嘘を言っていたとは考えにくい。あるいは、並んでいたのではなく、列を横目に見ながら歩いていた人たちだったかもしれない。ともあれ、あの人たちはそう思っていたのだろう。そこに人をだまそうという悪意などあるはずがなかった。しかし、そこが恐いのである。悪意どころか、人の話には善意に基づくものだっていくらでもある。しかし、その意図とは関わりなく、人の話がいつも正しいとは限らないのだ。ここがポイントなのである。この点は、人の噂や流言にも当てはまる。本人たちにとっては何気ない会話が、世の中に予期しない影響を及ぼしたりすることもある。口は禍の門≠ニは意味が違うけれど、とにかく人の話は、なかなか恐いものなのだ。社会心理学では、はじめから悪意があって、意識的に真実を歪めて伝えられるものはデマ≠ニして、流言や噂と区別している。誹謗・中傷などはその典型である。もちろん、こんなレベルまで小学4年生の私が考えたはずがない。しかし、この東京タワー事件で、私は人の話を鵜呑みにするのは相当にまずい≠アとを嫌と言うほど知らされた。この体験が、私のそれからの人生にどのくらい影響を与えたか…。
タワーの悪魔(06/03/29-1081)
 東京タワーのエレベータを待っていたときに起きた大事件。そのことについて、もう細かいことだけでなく大きいことも憶えてはいない。しかし、とにかく悪魔が私に襲いかかってきたのである。長蛇の列の中で、人の会話が聞こえた。「すごい人だなあ。これじゃあ、いつになったら展望台に行けるのか分かったものじゃないぞ」「そうだな」「おいおい、エレベータでなくて階段を使えば、そんなに並ばなくていいようじゃないか」「そんな感じだな。じゃあ、あっちに回るとするか」「うん、そうしようぜ。すぐに登られるに違いないぞ…」。私の記憶では、誰かがそんな話をしていたのだと思う。そして、実際にそうした行動をとったに違いない。「とにかく、階段を上る覚悟さえすれば早めにいける」。私はそう確信した。そして、そのことをおじいちゃんに訴えた。「階段の方へ行くと早く登られるらしいよ」。その情報をおじいちゃんたちが直ちに信じたとは考えにくい。少しは押し問答もあったのではないか。しかし、とにかく最終的には私の提案が受け入れられた。そして、みんなの列から離れて階段の方へ向かったわれわれを待っていたのは、「こちらからは登られません」の一言だった。しかし、並び直すことはできなかった。おじいちゃんの事情であったか、それともエレベータの営業時間が終了することを宣言されたか。あるいは、単純に孫に振り回された祖父が頭にきてしまったか。このあたりの事実経過については、記憶が完全に失われている。それは、きっちり47年前の3月27日か28日の出来事である。はっきりしているのは、私が言い出した提案が受け入れられた結果、とんでもない事態が引き起こされたということである。これでは、誰にも文句が言えない。
東京タワーの下で…(06/03/28-1080)
 とにもかくにも、自分は間違いなく東京にいる。もう世界一高い東京タワーは目の前に近づいてきたのだ。そう思うと、「東京に行く」といったときの友だちのうらやましそうな顔が思い出された。そして、伊万里に帰ってから、悪ガキたちに東京タワーに登って360度の展望を楽しんだ自慢話をしている姿も目に浮かんできた…。「こんなに自分の思い通りになっていいんだろうか」。私はそんな幸福感に浸っていたはずである。そして、ついに芝の増上寺にある東京タワーにやってきた。現在の正確な住所は、港区芝公園4−2−8というのだそうだ。しかし、私の記憶には、増上寺という名前が鮮烈に残っている。このお寺が相当なものだということは、後で知った。開山は1339年。もう600年を超えている。なにせ、徳川家の菩提寺だというのである。チャンバラ映画などで出てくる盛大なお葬式なども営まれたのだろう。そんなお寺の中にテレビ搭が建てられるわけがないから、増上寺の近くということだったのかもしれない。しかし、同時にその当時から芝公園といった住所があったのかとも思う。とにかく、東京タワーに登ることを想像しただけで胸が躍る…。そして、とうとうタワーの下にやってくることができた。体を反らせて空を見上げると、赤い東京タワーの先端が雲の中を流れている。タワーが完成したのは前年の暮れである。さしもの江戸っ子にとっても、物珍しかったと思う。展望台に昇るエレベータを待つ人の列が東京タワーを巻いていた。そこは我慢、我慢。待つ時間が長ければそれだけ感激も大きいではないか。しかし、小学4年生には、そんな余裕のある考え方ができなかったのかもしれない。そこに悪魔が入り込んでくる隙間があるとは夢にも思わなかった…。
東京物語のはじまり(06/03/27-1079)
 昭和30年代…。敗戦から10年、とにもかくにも日本人が必死に這い上がろうとしていた時代である。私にとっても、すべてがはるか昔の思い出になった。おじいちゃんに連れられていった関西と東京行きは、夜行の寝台車に乗るような贅沢な旅でなかったことは間違いない。その根拠はもう少し後で書くことにしたい。ともあれ、あこがれの東京に着いた。アルバムの二重橋を背にした写真を見ると、日付は1959.3.28と記されている。春休みらしく、50人ほどの団体の中には子どもがけっこういる。また、学生服を着た若者も4、5人立っている。大学生と高校生のようだ。大学生が学生服というのも、当たり前のことだった。中年の女性を中心に和服姿も目に付く。これもまたその時代の雰囲気を醸し出している。写真には「新日本観光 はとバス」の文字が刻まれている。あの有名な「はとバス」で東京観光を楽しんだことが分かる。左端に立っているガイドさんが、昨日、出会った人のように思い出される。私好み(?)の顔立ちで、とても優しい人だった。東京では代々木の旅館に泊まった記憶がある。すっと後まで、「代々木」ということばが妙に耳に残っていた。その当時の代々木の光景はどんなものだったのだろうか。子ども心に、東京の割にはけっこう寂しくて田舎のようだと思った記憶が残っている。昭和34年といえば、空襲で東京が焼け野原になってから、わずか14年しか経っていない。代々木あたりだと、まだ狸が出そうなところもあったのかもしれない。それとも私の昔を思う気持ちが記憶を歪めているのだろうか。ともあれ、ついに東京タワーがある東京にやってきた。相変わらずおじいちゃんの用向きは知りようもない。しかし、子どもにとってそんなことはどうでもいい。
旅物語(06/03/26-1078)
 東京物語は続く。私が4年生の春休みのことである。母方の祖父が叔母と東京に行く話が持ち上がった。もはや、その目的は知りようがないが、とにかく京都、大阪の関西と東京に出かけるという。それだけなら、ああそうなのか≠ナおしまいである。しかし、その話にはビックリ仰天のおまけが付いていた。おじいちゃんが、道雄を連れて行ってもいい≠ニいっているらしいのだ。しっかりした記憶はないが、その情報は私を大いに興奮させたはずである。何せ花の東京である。少なくとも、その当時の東京は一生に一度だって行けるかどうか分からない遠いところだった。そこに、連れて行ってくれるというのだ。これで、はしゃぐなといっても無理な話である。そこで「行きたい、行きたい」と叫びまくったんだと思う。父と母は「かわいい子には旅させよ」と考えたかどうか。そのあたりの事情は知らないが、とにかくOKが出されたのである。それなりに旅費も覚悟したはずである。ありがたや、ありがたや。そして春休み。棚ぼたのような旅は大阪からスタートしたようだ。アルバムには大阪城を背にした写真がある。日付は昭和34年3月26日である。大阪では宝塚歌劇にも行った。これは叔母の希望だったのだろうか。ただし、その内容は記憶から消えている。大阪でおじいちゃんがどんな用件をすませたのか、まるで知らない。そして、いよいよ東京に向かった。花の都までどんな列車でどのくらいの時間をかけて行ったのか、まったく記憶がない。とにかく新幹線なんてない時代である。それどころか、国鉄の主流は蒸気機関車だった。関門トンネルも、その部分だけ電気機関車で客車を引っ張っていたのではなかったか。こんなことを思いだしただけで、なぜか胸が詰まってきた。
道草(06/03/25-1077)
 映画「三丁目の話」から刺激を受けて東京物語を書いている。最後は、主役を東京タワーにするつもりである。しかし、昨日、「お台場」のことを取り上げたので、少し道草を食ってみたい。うーん、つい使ってしまった「道草を食う」という表現だが、何でこんな言い方をするのかご存じでしたか。これも考えはじめると本コラムの2回か3回分になりそうだ。しかし、それでは「道草」の「道草」を食うことになりかねない。また別の機会に譲ろう。「砲台場」が訛って「お台場」になったらしいが、このあたりは広大な埋め立て地群である。その中で、お台場は13号埋立地というところにある。近くに「砲台場」があったことから、「お台場」と呼ばれるようになったらしい。おもしろいのは、この埋め立て地の帰属である。埋め立て地ができたときは、どこにも所属していなかったが、最終的には、それぞれ北部が港区、東部は品川区、そして南部は江東区になったという。このあたりの記述は「ウィキペディア(Wikipedia)」を参考にした。土地に関わる争いは古今東西を問わず、今も昔もなくなることはない。わが国も、領土問題を抱えている。それは単なる面積の問題ではなく、経済的価値が関わっているからすんなりいかない。お台場だって、フジテレビを筆頭に、全国的に知られた企業や施設があり、高層の住宅もある。その結果、自治体に入る税金もかなりのものになるはずだ。この点、鹿児島の桜島もけっこうおもしろい。先の合併で島全体が鹿児島市になったようだが、それまでは鹿児島市の正面は桜島町だった。そして、地続きになっている反対側が鹿児島市に帰属していた。だから、鹿児島市と桜島町を往復するフェリーの収益の半分は桜島町に入っていたのである。
お台場と東京タワー(06/03/24-1076)
 佐賀県の伊万里小学校4年生のとき、私は東京タワーという世界一高い鉄塔が建てられていることを知っていた。いまから思えば、一般家庭にはテレビなどないころである。それでも、将来のテレビ時代を見越して電波塔を建てたのだろう。専門家たちは、けっこう先を見ているものだと思う。それに、世界で最も高いというのがよかった。当時はパリのエッフェル塔がトップで321m。これに対して東京タワーは333mである。わずかながらも、追い抜かれるフランス人にとっては心穏やかでなかった。「東京にエッフェル塔が建つ」だの「展望台までの高さはエッフェル塔の方が高い」などなど、いろんなことを言っているという話も聞いていた。昭和33年といえば、1958年である。いまから50年近くも昔のことだが、われながらよく憶えているものだ。じつは、この3日ほど東京に滞在している。あるシンポジウムに参加したのだが、そのレセプションがお台場のホテルであった。会場から見ると、目の前に巨大なレインボーブリッジが都心に向けて走っている。手前には「台場」の跡が見える。この名前は、1853年にペリーが開港を迫ったとき、江戸幕府が防衛のために作った「砲台場」に由来している。「砲台場」が「お台場」に訛ったらしい。まだ肌寒いが、すでに屋形船が浮かんでいる。そう言えば、一昨日だったか、ニュースが東京もサクラの開花を伝えていた。なかなかいい風情である。対岸には、高層ビル群がきらめいている。その中に、ライトアップされた赤い東京タワーが見えた。それはそびえ立つというほどの高さではない。周りを背の高いビルが取り囲んでいるからだ。しかし、タワーは決して霞んではいなかった。むしろ、私にはますます風格を帯びてきたように見えた。
懐かしの時代劇…(06/03/23-1075)
 さてさて、せっせとシネコンに通った2月の締めは「ALWAYS三丁目の夕日」である。映画の冒頭に建築中の東京タワーが登場する。全体の1/2ほどができている。その瞬間に、舞台が昭和33年であることが分かった。その理由は、後でお話ししたいが、映画の終わりには333メートルのタワーが完成する。赤い夕日をバックに、誇らしげに立っている東京タワー。その勇姿を、いろんなところから、いろんな人たちが眺める…。これでめでたし、めでたしというわけだ。この映画を観に行った後に、日本アカデミー賞で、最優秀作品賞をはじめ14もの部門で受賞した。賞を独占したと言っていいほどの快挙である。そもそも自分の観た映画が賞を取った記憶なんてまるでない。子どものときを除いて、それだけ映画に行っていないということである。それに、高い評価を得たから観に行ったのではなく、すでに観た後で受賞するなんてのも、気持ちがいいものだ。もっとも、あれだけ賞を独占すると、そうなのかなあ。他にもいい映画がありそうなものなのに≠ニいう思いもある。「亡国のイージス」の中井貴一なども、かなりの迫力があった。中井も助演男優賞にノミネートされていたが、最優秀とはならなかった。ここでも、「三丁目の夕日」の堤真一が選ばれた。シリアスさよりも、明るさの方が評価されたということだろうか。映画のプロたちの評価がどのようになされるのかは知らない。それはともあれ、「三丁目の夕日」は、まるで私のために創られた映画のような気がした。そこまでは言いすぎだとしても、この映画が団塊の世代を意識していたことは間違いないだろう。昭和33年、私は小学4年生だった。その年の夏休みに、父の転勤で福岡県の行橋市から佐賀県の伊万里市に引っ越した。
映画と眠気(06/03/22-1074)
 たしか、「博士が愛した数式」を見た翌日だったと思う。「ナイト・オブ・ザスカイ」に出かけた。フランス映画だった。これは、予告編で飛行機のものすごいアクションが画面に展開した。そもそも、何とかと煙は上に昇りたがる≠ネんて言うが、私は飛行機大好き人間だ。しかも、フランス語もなかなかいい。もちろん、理解できるわけではないけれど。そこで、勇んで出かけたのである。航空ショーの場面からはじまった映画は、たしかに戦闘機のアクションを盛り込んで、それなりに爽快だった。ただ、どうもフランスのペースには合わないのか、途中で眠くなってしまった。前の日には、「博士が愛した数式」を夜中に観ても、しっかりしていた。その点では、どうも私とこの映画は相性が悪かったのかもしれない。とにかく、ストーリーがはっきりしないのである。そんな理由で眠気を催したのか、それともボンヤリしていたから筋道が追えなくなったのか。そのあたりは分からない。しかし、画面そのものは戦闘機が飛びまくるから、映像としてはそれなりに楽しんだ。そう言えば、「ナイト・オブ・ザスカイ」というタイトルも、かなり分かりにくい。「ナイト」なんて言うから、「空の夜」ってどういう意味よと考え込んでしまう。夜なんてまるで関係のない内容だもの。そこでインターネットを覗いてみた。何のことはない、この「ナイト」は英語のknight≠セった。原題はフランス語で“Les Chevaliers du ciel” なんだそうな。このChevaliers≠ェ英語のknight=Aつまりは騎士≠ニいうことだ。そんなら、空のサムライ≠ュらいにしてくれればよかった。これなら、団塊世代には分かりやすかったと思う。もっとも、サムライ≠ナは、若者には受けないかな。
楽しい数学(06/03/21-1073)
 立て続けに出かけた映画の4本目は「博士が愛した数式」である。これは、夜の9時過ぎのスタートだった。終わったのは24時近くである。夜はめっぽう弱い私だから、こんな時間に行って大丈夫かと心配したが、おもしろい映画で最後までしっかり観た。主人公は、事故のため80分しか記憶が続かなくなってしまった数学者だった。彼の日常生活をサポートするために入ったお手伝いさんとその息子の物語である。数学を考える力はあっても、短期的な記憶が流れるように消えていく。これも、実話に基づいているのだろうか。われわれの生活にとって人と人とのコミュニケーションは欠くことができない。そのコミュニケーションは、記憶をもとに成立する。それがままならぬとなれば、本当に辛いことだろう。そこを乗り越えるのが人の愛である。そんなことを訴えている映画であった。それにしても、出てくる数学≠ノ関わる情報がおもしろかった。その中で、素数≠セけは知っていた。1と自分以外では割れない数値である。2とか3、5、7、11…。これを素直な数≠ニ表現していたのが印象的だった。考えようによっては自己主張の強い$狽ナもあるが、人間だって、個性は持ちながらも、素直な&がいい。友愛数≠ノは感動した。284と220は、その約数を足すと、お互いの数値になるというのだ。試しに計算していただくといいが、これまたすばらしい発見だ。また、完全数≠ニいうのもあった。そのひとつが28だ。この約数、1、2、4、7、14を加えると、なんと28になるのである。このコンピュータ時代になっても、発見された完全数は30個もないという。学校でもこんな数学の授業があるといい。子どもたちも興味津々、目を輝かせて聞いてくれるに違いない。
恐ーい罠の物語(06/03/20-1072)
 さて、「男たちの大和」を観た後は「燃ゆるとき」に行った。これは、アメリカに進出した企業の物語だ。カップヌードルの工場を建てたのはいいが、業績悪化で外資系企業から買収される危機に陥る。それを何とか盛り返そうと、日本から派遣された社員が奮闘する物語である。主人公に扮する中井貴一は、到着するなり、従業員のレイオフ問題に直面する。そんな中で、工場復活のために懸命に働き続ける。会社にはしっかり仕事をしてくれる有能な女子社員がいた。そこで、彼女をリーダーに抜擢しようと試みる。しかし、現地採用だということで、その提案は拒否されてしまう。そんな事情から、女子従業員は買収を狙っている企業に取り込まれる。そして、昇進させてやれない彼女の相談に乗ったつもりが、何とセクハラで訴えられてしまうのである。敵が仕掛けた罠にはまったのだ。そうなると、もう手の打ちようがない。事実誤認だと訴えても聞いてもらえない。そんなことで、彼は失意のうちに帰国せざるを得なくなる…。最終的には、誤解も解けて工場は元気を取り戻すことになる。まあ、めでたしめでたしの物語である。原作は事実に基づいて書かれたものだという。もちろん、脚色されているとは思うが、それにしてもアメリカでの仕事の凄まじさ、怖さを感じさせた。相手を飲み込むためには手段を選ばない。たとえ相手をセクハラの罠にかけてでもというところがすごい。そんなわけで、この映画では、アメリカの企業が悪役である。これに反論があるのかどうか、それは分からない。しかし、とにかく法律違反≠ナなければ何をやってもいいなんてのは、いい加減にしてほしい。そうは思うが、こうした発想はいまやわが国の社会風土にもなりつつあるのではないか。
大画面と大音響(06/03/19-1071)
 映画の迫力は何とも言えない。とにかく画面が大きい。もうこれだけで感動する。ただ、最近のシネコンと昔の映画館の大きさの違いはあるのかどうか。このあたりは、知りたい気もする。昔は2階席まである映画館もめずらしくはなかった。それが、正月や5月の連休、お盆などは満員になった。それどころか、座れずに立って観ざるを得ないことだってあったものだ。もっとも、あの時代は入れ替え≠ネんてなかった。だから、終わるまで我慢していれば、まずは座れる状況だった。古き、よき時代である。あのころのスクリーンは、現代のものとくらべて大きかったのかどうか。私自身が子どもだったから、画面そのものが、今よりも大きく感じたはずである…。昔との比較はともあれ、自宅ではあんな大きな画面を楽しむことはできない。これと併せて音響がまたすごい。最近では体ごと感じるような迫力がある。さすがに日本の家屋もウサギ小屋≠謔閧ヘ進化した。そこで、遮音もそれなりに向上してはいると思う。しかし、それでもあんな大音響を発していたら近所迷惑もいいところだ。やはり、あの迫力は劇場ならではの魅力である。ところで、お若い方々は、ウサギ小屋≠フ意味がお分かりにならないだろう。その昔、日本が戦後の荒廃から立ち直り、経済的に豊かになりはじめたころのことだ。どこかの外交官だったと思うが、経済大国なんて言ってるが、日本人が住んでるのはウサギ小屋だ≠ネんて発言をしたのである。元気のいい日本に対するやっかみ≠ニ言えばそれまでではある。しかし、たしかに、ウサギではなくて、馬車馬のように働いて、その結果として得たのが狭苦しい貧弱な家…。まるでゆとりが感じられない日本人を痛烈に皮肉ったつもりだったのだと思う。
映画と戦争(06/03/18-1070)
 熊本のセンターシネマ≠ナは、仲代達也主演の人間の条件≠ェ一挙に上映されたことがある。全体が6部構成で、9時間というすごい映画だった。子どものころ、父と母が観に行って、その話をしていた。当時、小学生だった私は連れて行ってもらった記憶はない。これを一挙に上映するというのである。そこで、年休を取って観に行ったのが、センターシネマ≠セったのだ。二番館≠ニいうと失礼な表現になるかもしれない。ともあれ、映画が娯楽の王様の時代には欠かせないものであった。フライト・プラン≠フ後は、男たちの大和≠観た。あの戦艦大和の最後を描いたものである。われわれの世代は、戦後10年前後に小学生になった。そんな時代背景のもとで、主としてアメリカ側が撮影した実写フィルムを頻繁に観た。それは、今風で言えばドキュメンタリーであったり、戦時中を描いた映画の中に取り込まれていたりした。空にアメリカ軍の飛行機が群がる。それらが、1隻の軍艦に対して雨のように攻撃を加える。巨大な船は身動きもできないまま煙を上げながら沈んでいく…。こんな画面である。それは飛行機からの映像であり、一人ひとりの人間は見えない。しかし、その中で、生身の人間が必死になって大砲を操作していたのだ。映画ではあるが、攻撃に晒され、死んでいく人間たちがいたことを、改めて知らされるのである。現代でも、ミサイルが命中し、標的が煙となって吹き飛んでいく映像が繰り返し流される。その瞬間に、そこにいた人間たちは肉片となって散っていくのである。しかし、視聴者には、そこまでは見えない。この様子を見て、まるでコンピュータ・ゲームのようだと言われる。そこで命を失う人たちの痛みや、苦しみは見えてこないのである。
センターシネマ(06/03/17-1069)
 二番館≠ノ回ってきたフィルムは、すでに何回も上映されている。そのため、フィルムにキズがついて、スクリーンにはチラチラと雨≠ェ降る。これがまた何とも言えない風情があった。このごろも、レトロっぽさを出すために、わざと雨≠降らせているテレビ番組を見ることがある。二番館では、あれが普通の状態だった。そう言えば、昔のフィルムは可燃性だった。そのため、フィルムが燃えて映画館が火事になることがあった。それで犠牲者が出たりしていたのである。私自身も、映画の途中でフィルムがメラメラと溶けるように燃えて、映写が中断した記憶がある。考えてみれば、恐い話だ。もちろん、今はもうそんな心配はないだろう。ともあれ、二番館には思い出が多い。その昔、福岡の天神にセンターシネマ≠ニいう映画館があった。現在はでっかいソラリアホテルが建っている場所である。あそこには、福岡スポーツセンターがあって、九州場所も開催されていた。冬にはスケートリンクにもなった。その附属施設のような形でセンターシネマ≠ェあった。当時の入場料は50円だったと思う。財布が裕福でない者は、噂の映画も、この手の映画館にやってくるまで待っていた。私も中学生から高校生のころは、けっこう行った。あのショーン・コネリー扮するジェームス・ボンドの初代007シリーズ≠焉Aその大半をここで見た。先月だったか、プレスリーのラスベガス万歳≠BSでやっていたが、これもセンターシネマ≠ノお世話になった。この他、中州にあったデパートの玉屋≠ノは、玉屋ホール≠ニいう劇場が併設されていた。また、熊本に来た25年ほど前には、はやりセンターシネマ≠ニ言っていっていたと思うが、同じような映画館があった。
 日曜日を中心に、またまた、サーバーがダウンしていました。せっかくアクセスしていただいた皆さまにはお詫び申し上げます。せっせと更新はしていますが、こればかりは私の手に負えません。
二番館(06/03/16-1068)
 ともあれ、2月には久しぶりに映画館へ復帰して、あとは堰を切ったように出かけた。まずは、おもしろいという話を聞いていたフライト・プラン≠ゥら始まる。事故のため、外国で夫を失った妻が娘と帰国する。その飛行機の中で、娘が蒸発するのである。主人公の母親は当の飛行機を設計したプロだった。だから飛行機のことは熟知している。そこで、客室下の荷物置き場も含めて、くまなく娘を探し回る。しかし、乗務員や客にとっては、彼女は迷惑この上ないお騒がせな人間だ。当然のことながら全員から顰蹙を買う。それからは、まるで主人公が勝手な幻覚に襲われていると思われるような状況が展開していく。ここで結末までお話しするのは止めておこう。ひょっとしてこれから見る方がいらっしゃるかもしれないから…。そう考えては見たが、最近の映画館のステムはどうなっているのだろうか。あの映画は、すでに上映が終わっているかもしれない。そうなるともう二度と見ることはないか。いやいや、今はビデオやDVDがありますよね。このあたりが、私にはなかなかついていけない。私自身は、ビデオで映画を見ることはほとんどないのである。ところで、昔は封切館≠ニいうのがあった。新作の映画フィルムが入った缶には封がしてあって、それを切って開けるので、この名前が付いたのだと思う。その地方の一番館ということである。そこが終わると、さらに地方の映画館へフィルムが回っていく。それからけっこう時間が経過してから、別の映画館で再びそれが上映される。もちろん評判がよかったものだけだったとは思う。そうした二番館もあったのである。そんなわけで、入場料は安くなる。だから、映画は封切館ではなく二番館で見ることにしているという人もいた。
シネコン復帰(06/03/15-1067)
 昨年の終盤は、義母が入院して、家内は欠かさず病院に出かけた。孫である娘は仕事の帰りに毎日のように立ち寄った。わたしも、できる限りは顔を出した。みんなの顔を見るとホッとする=B義母はいつもそう言っていた。そんな声を聞くのも楽しみにしながら通っていた。そんなことで、自宅の近くにできたシネコンからも足が遠ざかってしまった。そして、師走を間近に控えたころ、義母は天命を全うした…。年が明けて、ようやく気分も落ち着き、ついこのごろ夫婦の映画鑑賞を再開した。とにかく、一方が50歳を超えていれば、入場料は1人1,000円である。これは、かなりお得だ。もちろん、家内だって有資格者≠ナすよ。おっと、そんなことまで言う必要はないか。まあ、いいや。それに、このシネコンはシートも上等で、音響も抜群にいい。その上、いつ行っても空いている…。いやあ、申し訳ない。この最後の部分は、シネコンにとっては大いなる悩みで、言われたくないところだろう。お詫びついでに申し上げると、私自身は、劇場の質はかなり上等だと確信している。郊外にできた、たまげるような大きなショッピングセンターのシネコンにも遠征≠オてみた。日曜日ではあったが、チケット売り場で行列ができていた。まずは、それに驚いたが、席に座った途端に、その違いを感じた。そりゃあ、わが家のご近所の方がはるかに座り心地いい。これが私の第一印象だった。音だって、体が震えるほどの迫力だ。もっとも、この点については、家内の反論がある。見た映画が、音で勝負するようなものじゃなかったでしょうが=Bなるほどそう言われればそうだ。まあ、この手のことは個人差が大きい。しかも、いい≠ニ思ったら、すべてがよく見えてしまうのではある。
ネットワークの切断(06/03/14-1066)
 個人情報の扱いが厳しくなってから、学校の連絡網もなくなったと聞いた。われわれが子どものころは電話を持っている家はほとんどなかった。だから、クラス全員をカバーする連絡網などは存在しなかった。なにせ教師自身が電話を持たないのだから、各家庭に情報を即時発信するなんて考えられなかったのである。それが、いつの間にか電話は常識になった。そして、保護者同士のスムーズな情報伝達が実現した。ところが最近では、そうしたネットワークがなくなりつつあるという。一方では、子どもを巻き込んだ犯罪が多発する。その深刻さは昔とは比較にならない。それなのに、何かが起きてもお互いに連絡が取れないのだ。地域の連携が大切といいながら、情報の網の目は断ち切られていく。何でそうなるか。それは情報を悪用する人間がいるからである。たしかに、このごろの状況はとにかくひどい。大学のコンピュータを使っているメールにも、なんとも怪しげな内容のものが入ってくる。それも、半端じゃない。迷惑メールを撃退するための対応は取っているのだが、そこをすり抜けてくる。どのくらい出しているのか分からないが、機械的にワンサと発信しまくるのである。世の中にはいろいろな人がいる。何万件に一人くらいは、それに反応するのだろう。おそらく元手はほとんどかかっていない。だから、反応の確率は低くても、引っかかるものがいればペイするのである。まったく困ったことだ。今ほど人と人とのコミュニケーションが必要な時代はない。それなのに、せっかくのネットワークも断ち切られ、お互いの関わりはますます希薄化していく。光と影と言うけれど、このごろは本体よりも影≠フ部分が大きくなっている。まさに、この世の黄昏ということか。
弱さ≠認める強さ(06/03/13-1065)
 月の初めから、メール問題に拘ってきた。われながら自分の粘着質ぶりにあきれてしまう。民主党支持の方は、かなりしつこい人間だと思われたことだろう。私としては、組織論の視点から分析を行ったつもりである。あしからず。最後に、今回の事件≠フ教訓をまとめておきたい。ひとつは、他人の立場に立つことの重要さ≠ナある。イジメをしてはいけないことを諭すために、いじめられる者の気持ちになってご覧なさい≠ネどという。これは、自分が無理な発言をしているときにも当てはまる。前原さん、あなたが言っている話を、同じ状況で自民党の人間が言ったらどうなんでしょうか。なあるほど、そりゃあもっともだ≠ニ納得しますか。そんなことはあり得ないでしょう。いい加減な屁理屈など言うな≠ニ憤るに違いありません。もうひとつ、自分の弱みを認める強さ≠ェほしい。無理して突っ張るから立場が危うくなる。人間は神様じゃない。失敗は失敗だと認めることだ。また、自分に弱いところがあれば、それだって認めればいい。その方が、はるかに信頼を勝ち取る。私はそう思う。今回の前原氏は、こうした点で大いにミスった。まさに、彼は謝らない誤り≠犯したと言うべきだろう。まだまだ、メール事件≠ヘ完全に幕が下りたわけではない。それにしても、民主党は新聞に謝罪広告まで掲載することを受け入れたという。政治史の中で、こうした内容で謝罪広告を載せた政党があるのだろうか。まあ、ろくに情報を持たない野次馬だけれど、聞いたことないなあ。こんなとき、高い授業料を払った≠ネどと言うが、今回の民主党が背負った授業料は相当に高かったと思う。とにもかくにも、できるだけ早く立て直して、しっかりがんばってくださいよ。
すり替えはまずい(06/03/12-1064)
 とにかく永田議員の発言は衝撃的だった。その日のニュースで見た武部幹事長の顔は、こわばっていた。少なくとも野次馬にはそう見えた。われながら人間は恐いと思う。自分が聞いた情報と合致するように、目の前の事実を見ようとするのである。あの日は、日本人の半数以上が、情報≠ヘ真実だと思ったのではないか。これに対して政府・与党が100%ホンモノとは言えないだろう≠ニ反論する。しかし、民主党はひるまない。100%に拘っていては、野党は質問すらできないではないか。これほど真実味があるのに、なぜ逃げるのか…=Bとまあ、こんな展開をイメージした。ところが、ご存じの通り、時間の経過とともに、際だってくるのはメールの怪しさばかり。前原氏が100%ホンモノとは言えない≠ネんて言えば言うほど、むなしさが漂うことになる。しかも、それでだけでは終わらなかった。旗色が悪くなってから、メールがホンモノでないとしても、内容には真実の部分がある≠ニ主張するのだ。これはまた、かなり危うい論法である。そこでは問題がすり替えられている。まずは、メールの信憑性が問題なのである。その点に決着を付けずに、論点を変えている。ここでも、とにかく謝りたくないという心根が見えてしまう。風評被害が問題になった報道で、問題はあったが、その結果として法律の制定にまで繋がった≠ニ釈明していたのを思い出す。これは、かなり恐ろしい発想である。それは、結果がよければ、真実でなくても報道していい≠ニいう理屈になるからだ。たしかに嘘も方便≠ニいう。しかし、それは一般の市民がよかれと思って行う、小さな嘘に当てはめるくらいで止めておいた方がいい。この手の理屈を、政党や報道機関が使ってはいけない。
数字≠ェ怒るよ(06/03/11-1063)
 自分はアナログ人間だからメールの真贋については専門家に確かめてもらっている=Bテレビに出演した際の、前原氏の発言である。うーん、われわれ団塊の世代なら、そんな人間が多いだろう。しかし、今風のコンピュータが世の中に出てから四半世紀にもなる。前原氏は43歳だという。その年で、アナログだから≠ネんて言い訳はまずくはないかな。まあ、個人的に情報系が苦手だというなら、メールが本物かどうか、なおさら慎重に押さえておくべきだった。そうでないと、無責任だといわれても仕方がない。あんな言い方をすると、事前にメールの真偽を確認していなかったことを告白しているようなものである。それに、数字を弄んでいたのも、いただけなかったなあ。旗色が悪くなってからも、まだ突っ張り通していたのが印象的だった。メールが100%本物であることが証明できなかった=Bこれが公式発言だった。これまた、相当にひどい表現である。おい、おい、ちょっと待ってよ≠ニ言いたくなる。そのセリフは、問題のメールが限りなく本物だと思われるときに言うんじゃないんですかねえ。かなり怪しげなモノについて、100%本物だという確証が得られない≠フは当たり前である。それを言うならこれが100%偽物だという証拠は挙げられない≠ナしょう。オレたちを言い訳のために使ってくれるな≠ニ数字≠ェ文句を言いたいのではないか。先の大戦で、戦いに敗れて退却せざるを得なくなったとき、転進≠ニいうことばが使われたという。方向を転じて、さらに前進を続けているような表現だ。ことば≠ナ真実をごまかしてはいけない。そもそも、われわれの社会に100%*{物なんてあるのだろうか。科学的な鑑定だって、誤差やエラーはあり得るのだ。
収拾不能(06/03/10-1062)
 口座をはっきりさせろ∞国政調査権を発動しろ≠ニ、どちらも譲らない。それでは事態が進まないので、この問題はちょっと置くことにしよう。なにせ、議論すべきもっと大事な問題があるじゃないか。世の中の騒ぎも一時的なもの、そのうちみんな忘れてしまう…。とまあ、この線で収拾を図る。前原さんにとって、それは、謝らずに済むことができる妙案に思えたのではないか。しかし、このストーリーを成立させるには、証拠≠ナあるメールの質が悪すぎた。強気の姿勢をとり続けているうちに、確実に偽物だと思われる情報だけがどんどん増えていったのである。そして、とうとう前原氏は簡単な謝罪では済まないところまで行ってしまう。状況を見ていると、そこまで自分自身を追い込んだといった方が正しいかもしれない。その結果は完敗である。マスコミでも、このニュースで持ちきりになった。そんな騒ぎに気を取られているうちに、来年度の予算案は衆議院を通過する。多くの人々が、健全な野党、次を狙える野党になってほしいと期待していると思う。こうした流れを作ってしまった民主党の責任は大きい。ところで、前原さんは、生き恥を晒してでも≠ニいう表現で辞任を否定していた。この生き恥≠ニいうことば、最後に聞いたのはいつだったか。その記憶もないほど昔のお話しだ。そんな古めかしいことばを、あの若々しい前原氏が使うから、たまげてしまう。もちろん、どんな発言をされようと、ご本人の自由である。しかし、まだ突っ張っているときに出演したテレビでは、キャスターたちから責めまくられていた。その光景を見ていると、まさに生き恥≠晒しているように見えた。余計なお世話ではあるが、なんとも痛々しく、お気の毒であった。
謝らなくてすむ方法(06/03/09-1061)
 組織の風通し≠よくするためには、リーダーの役割が大きい。メンバーの失敗を頭ごなしに叱る。それでは、情報は隠される。小さな隠し事ができると、それを隠すために、さらに大きな情報隠しが生まれる。まさに悪循環である。そして、いよいよ取り返しがつかない極限の状態になったとき、組織を揺るがす大爆発が起きることになる。最悪の、しかし、よくあるケースである。当事者たちは否定するに違いないが、民主党でもトップの周辺に言いたいことが言えない=Aあるいは言っても聞いてもらえない¥況があったのではないか。少なくともそんな風に見えてしまう。この点が、事故や不祥事を起こした組織に共通する最大の問題点である。ところで、挫折とはまるで無縁と思える経歴を持った前原氏は、どうしたあれだけ突っ張ったのか。やっぱり謝るのがいやだった=A頭を下げるのがいやだった≠フではないか。そんな感じがする。そこで、どうにかして謝らないでいい方法を考える。問題になっているメールの信憑性はかなり怪しい。しかし、それを簡単に認めれば、直ちに謝罪しなければならなくなる。そこで頭に浮かんだのが国政調査権ではなかったか。どう考えても、政府・自民党は国政調査権の行使を求めても受け入れるはずがない。そのことを読んだ¥繧ナ、国政調査権≠発動しろと攻めまくる。こちらは口座番号まで掴んでいるのだ。国の権限で調べればはっきりするではないか=Bしかし、敵は応じてこない。そこで、政府・自民党が真面目に対応しないから先へ進めない≠ニ非難する。こうなると、口座をはっきりさせろ∞国政調査権を発動しろ≠フ応酬が続く。そして、どちらも譲らない膠着状態になって、話はうやむやになる…。
何でも言えるか(06/03/08-1060)
 民主党のチョンボの原因を若さ≠セけに求めてはまずい。世の中には、しっかりした若者はいくらでもいる。その一方で、とんでもないことをする年寄りだって少なくない。あちこちで、組織的な事故隠しや不祥事が起きる。その責任者にも若い者よりは年寄りが多くはないか。民主党のズッコケなんて、若いからというより、常識的な行動を取らなかっただけのことだ。むしろ、もっと若ければ、メールの怪しさに気づいて、あんな行動は取らなかった可能性もある。ともあれ、周囲の人間で、適当なところで謝った方がいい≠ニ思った人間はいたようではある。それが、追加される他の情報に惑わされて意思決定が遅れたという。しかし、もう少し本音のところでいえば、言いたいのは山々だったが、それが言えなかった≠ニいった状況はなかったか。もしそうであれば、それを受け入れなかった前原氏自身が問題になる。全国のあちこちで、組織の不祥事やトラブルが表面化している。そうした問題は、多くの場合が、言いたいことを言えない≠アとに起因している。先日はJALの社長が交代するニュースが流れていた。新しく社長になる西松氏は、何でも言える&欄yづくりを目標に掲げていた。組織としては当然すぎる話である。しかし、次期社長がそう言うのだから、JALにはその雰囲気がなかったということだろう。もっとも、口で風通しのいい職場≠ネどと言うが、その実現は生やさしいものではない。そのためには、責任者のリーダーシップが重要になってくる。管理・監督者たちの行動が、組織内でのコミュニケーションに影響を与えるのである。たとえば、失敗やミスの報告がきちんと評価されるかどうか。そんな基本的な点でも、リーダーの行動や態度が関わっている。
懐かしの時代劇(06/03/07-1059)
 テレビを見ていたら、前原氏に進言した側近≠ェいたらしい。率直に謝罪した方がいい=Bそんなことも言ったようだ。そうではあったが、他からも情報が入ってきて、ついつい踏み切れなかった≠ニいった説明をしていた。そうなると、周りの人間も情報に振り回されていたことになる。それでは、物言わぬ側近≠ニ変わらない。アドバイザーの役割を果たせていない。メンバーたちのまとまりがよく、意欲も高い集団が陥る落とし穴がある。客観的な状況判断ができずに、文字通り墓穴を掘るのである。そうした現象をグループ・ダイナミックスでは集団思考≠ニ呼んでいる。もともとの英語はgroup think≠セが、私は集団止考≠ニ訳している。この話題は「味な話の素」で、2004年2月28日から3月28日にかけて取り上げている。その当時は、読まれる方が飽きないように、同じ話題の連載物でも、飛び飛びに書いている。いま見ると、続きを探しにくく読みづらいが、お時間があれば、バックナンバーを覗いていただきたい。それはともあれ、苦しい状況の中で、国会対策委員長の野田さんが辞めてしまった。そこで突如として渡部さんの登場である。ああ懐かしや、東映時代劇の若殿さまと後見役といった様相になってきた。中村錦之助扮する若殿がわがままを言う。そこで、月形竜之介の家老がたしなめる。殿、それはござりませぬ…=Bそこで、殿はあきらめ顔で一言。じいにはかなわぬのう…=Bと、まあこんな感じではござりませぬか。今回の事件≠ナ、民主党は若さが出てしまった≠ネどと批判されてきた。その影響でもないとは思うが、今度は一気に昭和30年代の時代劇に舞い戻ったのかと、苦笑した。しかし、若さ≠フせいだけで済ませてはいけない。
耳障りなアドバイザー(06/03/06-1058)
 前原さんの周囲に率直に謝罪した方がいい≠ニアドバイスする人がいなかったのではないか。昨日はそう書いたが、それは私の勝手な推測に過ぎない。そんな人だってちゃんといた可能性はある。しかし、そうだとすれば、前原氏はそれを受け入れる気持ちがなかったことになる。何せ、謝った≠アとがないから…。もちろん、これまで失敗したことがないから≠ニいう分析物語は私の創作である。しかし、中らずと雖も遠からず≠ュらいの気持ちで、前原氏のホームページを覗いてみた。予想通りと言うべきか、じつに見事な経歴である。そこには失敗≠フ影はこれっぽっちもない。そのとき、私はふと「裸の王様」を思い出した。この話は誰でも知っている。と思う…。だって、このごろは、われわれ世代の常識も、若者たちにはそうでないことがワンサとある。私と同世代の皆さんは、多くの学生がロビンソン・クルーソーを知らない事実をご存じだろうか…。それはともあれ、周囲に早めの謝罪≠進言した人間がいなかったとすれば、その組織は相当に危険な状態にある。自分と気の合う人の方が仕事はしやすい。やかましい人は遠ざけたくなる。誰しもそんな気持ちを持っている。しかし、組織が健康を維持するためには、責任者は少しばかり踏ん張る必要がある。耳の痛いことを言う人も必要なのだ。ただし、それも組織のことを考えている人、基本的にはリーダーを支持してくれる人が前提である。ひたすら文句≠ホかり言い続ける人、自分の欲求不満を吐き出しているだけの人では困るのである。ましてや、揚げ足取り≠趣味にしているなんてのは論外だ。組織のトップは、そうした人材を配置しておかねばならない。それが、危機管理≠フ第一歩である。
失敗体験(06/03/05-1057)
 組織のトップは知らなかった≠ナは済まない。なぜなら、知らなかった≠アと自身が問題だからである。だから前原さんは逃げられない。昨日は、そんなことを書いた。ただし、この話は前原氏が事実をまったく知らなかった≠アとを前提にしている。ところが、マスコミ情報によれば、前原氏は永田氏がメールを取り上げることを伝えられていた。永田氏がテレビ局で代表に話したというのである。それなら、事前に知ってた≠じゃないか。これまた、白ける話ではある。議員の質問内容のすべてを知ることはできない≠ニいう発言そのものが怪しくなってくる。そんなこんなで、時間の経過とともに情報が増えていった。いずれも、民主党側に都合の悪いものばかりである。そのたびに、前原氏たちが反応する。それがすべて言い訳にしか聞こえない。こうした対応を見ていると、その真意が理解できなくなっていく…。そして、私には、まことに素朴な疑問が湧いてきた。前原さんは、どうしてあんなに突っ張ったのだろうか。その態度は尋常ではなかった。そこでふと思うのである。もしかして、前原氏は、これまでの人生の中で失敗したことがないのではないか。あるいは、人に負けたことがないのかもしれない。だから、他人に対してごめんなさい≠ニかああ、負けちゃったよ≠ニ言って頭を下げたことがない…。民主党の代表になるときも、あの大物である菅直人氏を打ち破ったのである。そんな歴史が、今回のような修羅場で効いてきた。危機に際しても、謝ることに抵抗感を持ち続けたのである。しかも周りに、やはりここは素直に謝罪した方がいい≠ニアドバイスするものがいなかった。もしそうだとすれば、組織のトップにとって、これ以上に不幸なことはない。
トップの責任(06/03/04-1056)
 党首討論のお楽しみ#ュ言だけではない。テレビに出た前原氏は、党首は議員の発言すべてを知ることができない≠ニ弁明する。これはご本人だけでなく、テレビで見る限り、同じ意見の民主党員もいた。一挙手一投足≠ワでは分からないという理屈だ。これも、相当に無理がある。トップがすべてを知らない≠ネんて、当たり前の話である。どこの社長だって、全従業員の行動を何から何まで把握するなんてできるわけがない。世の中の親だってそうだ。朝から晩まで、子どもがどこで何をしているか知りようがない。それでも、何かが起きると、組織のトップは責任を問われるのである。知り得ない≠ニいう理屈が通るのなら、数年前に大問題になった乳業会社≠フ社長だって辞めなくてよかったことになる。あのときも、社長は工場の実態をまともに知らされていなかったようだった。しかも、問題が大きすぎる。ポイ捨て条例違反で部下が捕まったなんて話じゃない。ことの展開次第では、総理まで責任が問われかねない国会質問なのである。そんな状況で、細かいことまで知らなかったから責任はない≠ネんて理屈は通らない。当事者の皆さんは勘違いされているのではないか。ここで問題なのは、事実を知っているか知らないか≠ニいうことではないのだ。組織のトップがすべてのことを知り得ないのは当然のことである。問題は、責任者が組織の命運を左右しかねない重要な情報を知らされなかった≠アとにあるのだ。その一点で、トップの責任が問われるのである。組織が危機的な状況に陥りかねないのに、その情報が伝わらないシステムを容認していたこと。それこそが問題なのだ。だから、党首としては今回のドタバタの責任を逃れることはできないのである。
初期対応の失敗(06/03/03-1055)
 ひとつの行為について、別の基準を使って説明する。これでは、まるで説得力がない。そのことを民主党の幹部たちは気づいていたのだろうか。もし、本当におかしいと感じていなかったとすれば、組織として深刻な病状だと言わざるを得ない。いやいや、それはないだろう。みなさん揃って賢い人たちだし、論客でもある。そんな問題点くらいは、十分に承知されていたはずである。しかし、何と言っても初期対応にしくじってしまった。ことがあそこまで行ってしまうと、ああ言うしか手がなくなったに違いない。本音はそのあたりにあるのではないか。それに、今回は初期対応≠セけの問題では済まなかった。その後の反応も、おい、おい≠フ連続だった。自分で自分の首を絞める。自ら窮地に追い込む。そんな対応ばかりが目立った。とにかく、党首がメールの信憑性が高い≠セの、口座番号は握っている≠セのと、大いに突っ張った。これでは、国民の関心も高まるに決まってる。その上、党首討論の前日にはお楽しみに≠ニの発言だ。これじゃあ、期待するなという方が無理だ。こうして、ますます引っ込みがつかなくなる。墓穴を掘る≠ニはこのことだ。いよいよ本番になってみると、時間が押し詰まってから申し訳程度に取り上げただけ。あれでは、制限時間が来るのを待っていたのではないかと勘ぐりたくなる。ところが、これについても、質問は問題が明らかになる前に作成していた≠ネんて説明する。しかし、ことと次第によっては総理の責任にまで飛び火しかねないスーパー大問題である。それを置いて、あらかじめ用意していた質問≠先行させるなんて、素人にはとても考えられない。常識をわきまえた国民がどう受け止めるか。その視点が欠けている。
弁解の説得力(06/03/02-1054)
 明確な証拠がないと国会で質問できない。そうした傾向が強まれば、野党は萎縮する。その結果、真実が明らかにできなくなる。だから、そんな前例を作ってはいけない…。一連の騒動で民主党が展開した論理である。たしかにその通りである。それにもかかわらず、今回の事件が起きてしまった。今後は相当に確度の高い情報でないと、政府・与党を追及できなくなった。こうなると、悪しき前例≠作ってしまったのは、ほかならぬ民主党ということになる。この点について、幹部の皆さんは自覚されているのだろうか。あれだけ時間を引き延ばした責任は重いものがある。それに、永田氏の幼稚さもかなりひどい。ご自分は正義感にあふれているおつもりかもしれない。しかし、申し訳ないが、傍目には正義感というよりは功名心が先に来ているように思えてしまう。そして、メンバーのそんな行動をコントロールできないようでは、組織の能力が疑われる。幹事長は、事前に発言について知らされていなかったともいう。そうだとすれば、重要な意思決定に関わるコミュニケーションが成立していないことになる。党首の責任が問われそうになると、国会議員は個人の責任で行動するのだから≠ニ反論する。なるほどそうかと納得する。しかし、それならどうして本人の進退≠党の幹事長に一任するのだろうか。個人の責任≠ネら、個人≠ナ決着を付けるのがスジというものだろう。一方で、個人の責任を強調し、他方ではその行動結果の対応を党に委ねる。まるで一貫性がない。ご都合主義というべきか。相反する基準を使いながら、自分たちの行動について弁解しているのである。いわゆるダブル・スタンダードとはニュアンスが違う気もするが、とにかく説得力に欠けている。
危機予防能力(06/03/01-1053)
 民主党を主役≠ノした国会大騒動は、もう少し続きそうだ。この10日間余りの事件≠ヘ、いろいろなことを教えてくれる。集団≠ナ起きる事柄を研究対象にしているグループ・ダイナミックスの立場から見ても、きわめて興味深い。ことが起きてからの民主党の対応がいかにもまずく、執行部の危機管理能力≠ェ問われている。たしかにそうだが、事態はもっと深刻ではないか。今回のように、不確実な情報≠国会の場で使うという行為そのものが、じつは危機的≠ネのである。危機的¥況に遭遇した場合、それにうまく対応すること。それは危機管理能力≠フ一部だと考えるべきだ。組織が健全に生きていくためには、そもそも危機的状況≠作り出さないことが大事なのである。それは危機予防能力≠ニ呼ぶべきものだろう。私は、こうした力を持っていることも、組織の危機管理能力≠ノ含めるべきだと思うのである。その意味で、今回の大騒動はスタートする前から転けていた。そもそも騒動になるようなものではないのに、勝手に大騒動にした。その時点で、公党としての危機管理能力≠ノ欠けていたと言わざるを得ない。それにしても、その転け方が尋常ではなかった。正直なところ、素人でもしないような稚拙なエラーである。何と言っても、手にした情報で人の功績を、ほめるのではないのだ。相手の不正≠責め立てるのである。相当の確証がなければまずいことは私にだって分かる。明確な証拠がなければ国会で質問してはいけないというのであれば、野党は萎縮してしまう=Bこれが悪しき前例になるという主張だろう。まさに、正論だと思う。しかし、それも程度の問題である。今回は証拠≠ェひどすぎた。ただそれだけのことである。