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味な話の素
No.33 2006年01月号(994-1024)
 
新年明けましておめでとうございます。今年もしっかり続けます。
問題の共有化(06/01/31-1024)
 対人関係の能力は、普通でないことが起きたときに力を発揮する。状況が危機的であればあるほど、担当者が持っている力の差が出てくることになる。サービスに携わる者には対人関係スキルの教育が欠かせないのである。さて、事件≠フ教訓はもうひとつある。それは、問題が職場で共有化されることである。あの駅員さんは、私のクレームを責任者に伝えてくれただろうか。どんなに些細なことでも、問題が起きたときは、その原因をはっきりさせていた方がいい。私のクレーム≠ノ対応した駅員さんは、あれからどうしただろうかと思う。少なくとも、あのときの雰囲気だと、なんか、うるさい客だなあ≠ネんて感じで、報告などしないで、そのまま握りつぶしたのではないか。文句を言い終わった時点で、そんな予感がした。これについては確認したわけではないので、事実は分からない。ただ、あのクレームを些細なこと≠ニ認識したかどうかはちょっと話題にしたいところだ。号車番号の表示替え℃ゥ体は、そのまま事故に繋がるような大きなミスではない。しかし、号車番号を間違えて表示したとすれば、それなりに重要な誤りではある。したがって、少なくとも事実を確認することは必要だ。勘違いした客が難癖をつけているなどと考えずに、情報を伝えることが必要だ。こうした態度や考え方が、深刻なミスや事故を防ぐことにもなるのである。些細なことだから言っても仕方がない=Bこの些細な≠ェ案外と曲者なのだ。自分だけで大したことない≠ニ判断して、問題が隠される。そんな雰囲気が職場全体に広がっていく。そうなると、大事な情報も些細な≠烽フとして処理する傾向が生まれる。こうして、問題を共有化しようという意識が失われてしまう。
事件≠フ教訓(06/01/30-1023)
 私の仕事は人間ウォッチング≠ニ言っていい。だから、何でもかんでもネタになる。その点では、23日から連載中のリレーつばめ列車表示変更事件≠焉A降って湧いたようなネタであった。そして、それは対人関係のあり方について、大事なことを教えてくれる。まずは、サービス業の基本に対人関係があることを認識する必要がある。とくに、相手がクレームをつけているときは、とにかく話を聞くことである。間違っても、あんたの勘違いじゃないの≠ネんて雰囲気を出してはいけない。もちろん、ご本人はそんな気持ちでなかったかもしれない。しかし、それが行動に結びついていない。列車の表示が替わったのはホームに入ってきた最初の時点ではないか≠ネんて反問するのである。そんな言い方をされれば、まずは、お話を聞きましょう≠ニいう印象はとても持てない。ともあれ、こちらを疑っているように見える≠ニいう事実がある限り、そんなつもりではなかった≠ナは済ませにくい。もちろん、人には固有の表情がある。私なんぞは、普段からエヘラエヘラしているから気をつけなければならない。真剣な顔で対応すべきときにもいい加減な感じに取られる可能性は大いにある。ともあれ、自分が他人からどのように見られる傾向があるか。そのことを職場でもお互いに確認し合うようなことがあっていい。挨拶のときは腰を何度傾けなさい≠ニいった接遇教育も盛んに行われているようだ。それも必要だろうが、基本は一人ひとりの気持ちや心の内容である。私自身は、形≠ゥらはじめることも十分に意味があると思っている。しかし、その結果として、心の変化もついてきてほしい。どれだけ相手の気持ちになれるかどうか。そこがポイントなのである。
啖呵を切って…(06/01/29-1022)
 改札口の駅員さんは、こちらが思い込みをしているに違いないという顔をしている。それが相手をいっそういらだたせることに気づいていない。私なんかは、うーん、こりゃあどう見ても「味な話の素」だな≠ネんて考えているからセーブが効く。しかし、人によってはカッカする可能性は大いにある。そうなると物事は余計にこじれてしまう。こんなときこそうまく対応するのがプロなんだと思う。それはともあれ、私としては、とにかく、先頭から3両目は何号車なんですか≠ニ聞いた。これには9号車です≠ニすぐに答えが返ってきた。この点はさすがにプロである。それなら、ついでに客への対応もプロっぽくやってほしいものだ。まあ、これ以上くどくど言っても同じこと。そう思って、最後は、とにかく、あの列車、前から3両目は2号車という表示で走ってますよ。気をつけた方がいいですよ≠ニ捨て台詞っぽいまとめをした。相手のハイ≠ニいう声を聞いて、私は改札から出た。その様子をうかがっていた家内の話によると、私の背中に向かって首を傾げて≠「たという。うーん、それなら、このおじさんのクレーム≠ヘ伝わらないかもしれない。そんなことを思いながら、ふとポケットに手を突っ込んだら、手に当たるものがある。何かと思って取り出したら、先ほど買った入場券が出てきた。改札口で文句を言って興奮していたのかしらね。誤った表示で走って、知らないぞ≠ネんて雰囲気で啖呵を切って出てきたものだから、自動改札機に入れるのを忘れたのである。売り上げと改札機の記録がコンピュータ管理されていたら、入場券の枚数と回収数が合わないことになる。すると、誰か入場券でインチキ乗車したのではないかと問題になったりして…。
クレーム対応の基本(06/01/28-1021)
 発車間際に号車番号を替えるなんて、どういうことですか=Bそんな質問をした私に対して、改札口の駅員さんは、けっこう無愛想な顔をした。私の顔がクレーマーに見えたのだろうか。どうも、わけの分からんオッさんが難癖つけてんじゃないの=Bそんな雰囲気で、こちらの話を聞くという感じではない。その表情が、おたくの勘違いでしょう≠ニ言っている。そうなると、こちらもついつい元気が出てくるのである。何か不都合なことがございましたか=Bこんな対応をしてくれると、穏やかに事情を話す気持ちになる。ところが、その態度によっては事態がこじれてくるのである。サービスの基本は、相手の話を聞くことからはじまる。とくに、相手が文句を言いたいらしい状況なのだから、まずは、気持ちを落ち着かせることが必要なのだ。こうしたクレーム事態に対応するときにこそ、対人関係スキルの力量が問われることになる。その意味で、このときの駅員さんは、うまい対応ができなかったのである。だから事態はますます悪い方に向いていく。ご本人はそんな気持ちはないはずだが、結果として相手は挑発されているような受け止め方をしてしまうのである。私が、あの電車、発車前になって号車の表示が動いたんですよ≠ニ言うと、それは、電車がホームに入ってきて間もないときじゃないですか≠ニ問い返してくる。そんなことないのよ。はじめはたしかに9号車だったから、それに乗ったのよ。それなのに、デッキとホームの間で立ち話をしているときに、グルグル回ってたんだから。そんな状況を説明している間も、そんなことないはずだけどなあ≠ニいう態度が見え見えなのである。いやー、人間って本当に恐いですよ。心が顔に出るんですよね。
クレーマー登場(06/01/27-1020)
 いつの間にか9号車≠ェ2号車≠ノ替わってしまった。これでは、客はどの車両に乗っていいか分からない。これは大いに問題だ。きちんと言っておかないと…=Bそう思って、出発の際にホームの階段近くにいた駅員さんを追いかけた。途中で列車の表示を変えたりしちゃあ駄目じゃないですか=Bそんな文句を言おうと思ったのである。そこで、階段を急ぎ足で昇ったのだったが、目標にした駅員さんはあっという間に消えていた。たしか、2人はいたような気がした。なんだか、文句を言われるのを避けるかのようではないか。もちろん、それは私の考えすぎだけれど。そうなると普通の人ならもういいか≠ニなるかもしれない。しかし、そこがそうはいかないのである。なにせ、根っからの粘着質の私である。それに、ことの大小を問わず、ミスや事故≠分析するのは私の大事な仕事なのだ。じつは、23日からはじめた今回の熊本駅シリーズは、ここから本題に入るのである。ともあれ、文句を言う駅員さんを見失った私は、改札口でこの事件≠伝えることにした。そこにいた女性の駅員さんに声をかけた。いま出たばかりの博多行きリレーつばめですけどね。じつは、身内が9号車の指定席を取って乗ったんですよ。それはいいんですが、最初は9号車になっていた車両の表示が、途中で2号車に替えられてしまったんです。発車ギリギリになって、これって、間違って乗ってるんじゃないか≠ネんて大慌てです。一体、どうなってるんでしょうね=Bその瞬間、彼女は変な客がクレームをつけに来たと感じたようだった。じつに胡散臭そうな表情を顕わにしたのである。ご本人はそのつもりではなかったと思うが、私にはそう見えたのだから仕方がない。
あわててバイバイ(06/01/26-1019)
 何と、発車寸前になって、9号車だったはずの電車が2号車に変わっているのだ。そう言えば、先ほど掲示用のロールが回転していた。たしかに、そのことには気づいていた。しかし、それが最終的には2号車の表示で止まっていたとは…。何と言うことだ。これが2号車なら、息子夫婦が取った指定席のある9号車はずっと離れていることになる。新八代からやってきた後方の電車だ。そうだとすると、後で連接したのだから、電車は別のセットである。したがって、いま乗っている車両からそのまま移動することはできない。しかし、どうもおかしい。私の体験から、下りの電車の前方から1号車、2号車と続くことは知っている。だから、博多方面に向けて行くときは、号数の多い方から順に減っていくはずだ。だから、前から3両目に当たるこの車両が2号車だというのは何ともおかしい。後ろに9号車があるはずがないのである。まあ、そうはいっても、とにかく目の前の車両は2号車になっていることは間違いない。おいおい、冗談じゃないよ。ホームにやってきて、息子たちとともに9号車と確認して乗ったはずである。それなのに、発車寸前になって2号車に表示を換えるなんて、とんでもない話だ。しかも、この表示だって、外から見ているから分かるが、列車に乗ってしまった人間は分かりようがないじゃないか…。しかし、とにかく移動する時間はない。「電車も空いていることだし、車掌から車両が違うと言われたら、はじめは9号車だった≠ニ主張しろ」。そう言っているうちにドアが閉まり、何事もなかったように、電車はホームから滑り出していった。私たちは慌ててバイバイした。いやはや、せっかくの見送りが何とも妙な幕切れになってしまった。
車両が違う!(06/01/25-1018)
 さて、息子夫婦を見送るため熊本駅のホームまでやってきた。すでに4両の車両は熊本発として停車している。指定された座席は9号車15のA とBである。その9号車は目の前に止まっている車両の中にあった。自由席だけでなく指定席もけっこう空いている。ともあれ、目的の車両に着いたので、息子たちは9号車のデッキに立ち、発車時刻まで会話を楽しむことにした。それから間もなく新八代から電車がやってきた。それをいま止まっている車両と後ろから連結する。この車両を繋げる作業がじつにメカニックでおもしろい。その昔は手動式だったというが、連結時のミスで人命が失われたこともあったらしい。まさに、命がけの仕事だったのである。ともあれ、車両同士が繋がるときの衝撃はかなりのものだ。乗っているとガッチャン≠ニいう音とともに車両が前後に揺れる。それがまたダイナミックで楽しい。子どものころ、連結作業に巡り合えたときは、走って見に行ったものである。こうした興味は子どもにも伝わるようだ。わが息子も、小さいときはこの手のことがあると、目を凝らして見ていた。そうこうするうちに、息子夫婦が乗るリレーつばめ≠フ発車時刻が迫ってきた。そのときだ、なぜか列車名と車両番号を示すロールが回り始めた。列車の外から見える表示装置である。そのことには気づいたが、とくに何を感じるでもなく、会話を続けていた。そして、いよいよ発車時間である。にっこり笑って、バイバイ≠オようと思った瞬間だ。何気なく先ほどの列車名と車両番号が書かれた掲示窓を見て目をむいた。いつの間にか2号車≠ノなっているではないか。息子たちの指定席は9号車である。えーっ、乗るときは間違いなく9号車だったのに=B
自由席情報サービス(06/01/24-1017)
 指定席を販売するときに、始発のガラガラ車両がありますよ≠ュらいのことは知らせてほしい。昨日はそんなことを書いたが、それは利用者側の論理に過ぎない。世の中は何が起きるか分からない。そのときたまたま大集団がやってきて、3両くらいをワット占拠するかもしれない。「みどりの窓口」からは、そうした細かい動きは確認できないのである。間もなく発車する電車について、自由席の空き具合情報まで出せというのは要求しすぎだとは思う。それでも、改札口の係員にはガラガラに近いことが見えている。私だってホームに入る前にそのことが分かったくらいである。だから、そんな情報もチケット売り場に流してくれると、きめ細かいサービスとして評価されるんだがなあ…。まだこだわっているところを見ると、私はやはり相当の粘着質のようだ。そんなわけで、今回の熊本駅におけるリレーつばめ&ィ語はおしまい…。と思われますか。じつは、それがそうならなから、人生はおもしろい。ここまでの話は単なる導入に過ぎないのである。自由席のガラガラは気になったけれど、その日の目的は息子夫婦を見送ることである。わが吉田家の重要な家訓のひとつに、家の者が出かけるときは見えなくなるまでバイバイする≠アとが挙げられる。いまどき、家訓≠ネんてことばを使うと、「家父長制≠フしがらみを背負っている」なんて怒る人がいるのかしらね。吉田家≠ニいう表現も問題だって言ったりして…。そんな方には申し訳ありませんが、これって、しゃれで聞いてくださいよね。わが家は、きわめて民主的≠ノ運営されていると思ってます、はい。念のため…。そんなわけで、家内と娘、そして私の入場券は購入していたから、みんなでホームへ向かった。
始発電車の指定席(06/01/23-1016)
 私が味な話の素≠書いているのを知ってか、いろいろなところがネタを提供してくださる。昨年の暮れにもおもしろい体験≠させていただいた。義母の七七日のために息子夫婦が帰ってきた。無事に法事を終え、クリスマスケーキもみんなで楽しんだ。そして、彼らが帰ることになった。予定した電車はリレーつばめ40号≠ナある。すでに冬休みもはじまっており、念のため「みどりの窓口」で指定席を取った。座席ナンバーは9号車のA・Bだった。送る側のわれわれも入場券を買って、改札口まで行った。すると、まだ発車時間には相当あるというのに、すでに電車が止まっている。リレー≠ェ頭に付くつばめ≠ヘ新八代から来るはずである。鹿児島中央駅を出た九州新幹線は新八代止まり。それをリレー≠オて博多まで在来線の特急が走るのである。それにも拘わらず、始発と思われる4両が止まっている。しかも遠目に見た限りではガラガラ状態だ。それを見て、この4両に新八代からやってくる電車を連結するのだと想像した。しばらくして、その通りになった。ふと、この方式はいつものことなのだろうか≠ニ思った。とにかく目の前に止まっている列車がガラガラなのである。指定券を買うとき、始発の4両もありますから、空いてるかもしれませんよ≠ュらいの情報はくれないものなのかしらね。まあ、指定を取る取らないは客の意思だから、余計なことは言わない方がサービスだということか。それでも、その手の情報はくれてもいいのにという気持ちになった。どうもせこい話ではあるが、年末はいわゆる繁忙期で、指定券だって只ではございませんから。じつは、以前にもこれと同じ体験をしたことがあり、そのときも本欄に書いたことがある。
暗闇のトイレ(06/01/22-1015)
 トイレにあった張り紙で、トイレの電気はを出るときには消しましょう≠ワではすんなり読めた。しかし、もちろん、他に人がいれば別ですが≠ヘかなり笑えた。人がいるのにスイッチオフする人間はいるはずがない。だから、こんな条件など書く必要ないのだから。もっとも、大きな用を足している$lがいるかどうかは、分かりにくいところがある。女性のトイレではどうなのか知らないが、男性の場合は息を潜めてしゃがんでいる人もいる。堂々と、ウンちゃんしてるぞー≠ニアピールする人間は少ない。そうなると、ドアの向こうに人がいることに気づかないこともあり得るかもしれない。しかし、それは気づかない≠フだから仕方がないか。そう考えると、もちろん、他に人がいれば別ですが≠ニいう警告は、やはり気づいて≠「ても、スイッチを押す人がいたから付けられた条件なのだろうか。それとも、これを書いた人が想像力豊かな人で、そんな無神経な人だっているかもしれない≠ニ先読みしたのかもしれない。あるいは、とにかく茶目っ気のある誰かが、遊びのつもりで付け加えたということだって考えられる。ともあれ、かなりおもろい張り紙だった。それはそうと、個室で座っているときに、パット電気を消されると、やはり相当に困るに違いない。後に取り残された人は、暗闇の中で必要な作業をしなければならなくなるからだ。無事に出し終えた部分を拭くのだが、その仕上がり具合を確認できないのである。そんなときには、普段よりは念を入れて、回数も十分に増やして、お決まりの作業することになるのだろう。人間はフィードバックを追及し続ける動物なのである。紙で拭くたびに、その結果を確認する。えっ、そんなことしない≠ナすって!
言わずもがな…(06/01/21-1014)
 少し前のこと、トイレに入ったら張り紙があった。トイレの電気はを出るときには消しましょう。もちろん、他に人がいれば別ですが=Bこれを読んで思わず笑ってしまった。最初のトイレの電気は出るときには消しましょう≠ヘ、ごく当然のことだ。現代人はエネルギーを消費しまくっている。だから、限りある資源を守るために節電は欠かせない。私自身は、電力会社の皆さまともお付き合いいただきながら研究を進めている。あまり節電≠強調すると叱られたりして…。悲しいかな、われわれは自分が負担しないとなると、いい加減になりがちである。自宅ではせっせとスイッチを切っていても、仕事場や公共施設などでは点けっぱなしという人も少なくない。また節約は関係ないが、こんな利己的な人もいる。自分の車ではタバコを吸わないが、人の車に乗ったときはスパスパ吸いまくるのである。自分の車にはニオイを付けたくないのだ。そうそう、車からタバコをポイ捨てする輩もけっこう多い。先日なんぞは、信号待ちで真横に止まった外車の女性が、堂々と捨てよった。しかもタバコのポイ捨ては、火がついたままであることが多い。まったく、その神経を疑いたくなる。どんな車だって灰皿が付いているはずだ。それにも拘わらずタバコを捨てるのだから、まさに自己中≠サのものである。さてさて、冒頭の張り紙の件だが、2番目の文がおもしろい。もちろん、他人がいれば別ですが≠ニいう条件付なのである。これを見て笑ってしまった。そりゃあそうだろう。他人が用を足しているのに電気を消してしまったら、取り残されたものは困ってしまうものね。そんなことは常識以前の話ではないかい。それでもこんな文章が書かれたということは、ひょっとして…。 
がんばれ*リ村建設(06/01/20-1013)
 熊本日日新聞に木村建設≠フ広告が掲載された(1月10日付夕刊)。「土地活用をお考えの方へ価値ある選択!! 現場構造見学会」とある。この「構造見学会」の部分はとりわけ大きい活字が使われている。これは、「賃貸マンションのトップブランド BRAIN MANSION」のPRのようで、「鉄筋コンクリート造・全面タイル貼り」となっている。その特徴は、「@優れた遮音性、A高断熱、B結露防止」と続いて、第4のポイントは「耐震性・耐火性」が挙げられている。その広告主が株式会社 木村建設≠ネのである。この名前は、あの事件以来、あっという間に全国区になってしまった。じつは、この木村建設≠ヘ、あの木村建設≠ニはまったく違う会社である。あの木村建設≠ヘ八代に本社があったが、会社は閉鎖されている。一方、この木村建設≠ヘ、熊本市を本拠地にして、元気に活動している。それはいいとして、この会社、あの会社が全国区になって以来、大いなる被害を受けてしまった。鉄筋を減らすなど、いい加減な仕事をしたのではないか≠ニいった問い合わせが殺到したというのである。現代は情報社会。あっという間に世の中に情報が伝わっていく。ただし、同時に、誤った情報や誤解も一緒に伝わるから恐ろしい。まともな木村建設≠ノとっては、まさに青天の霹靂、何が何だか分からないうちに、いい加減な会社だと思われてしまう状況に陥ったのである。会社として、当社は関係ございません≠ニの広告を打たねばならないなんて、迷惑もいいところである。そうした困惑ぶりが地方紙で報道されたから、それ以上に誤解が広がっていくのは抑制されたかもしれない。それにしても、災難はいつ何時、どのような理由で襲ってくるか分からない。
日本崩壊の兆し(06/01/19-1012)
 このごろの日本。毎日のようにあってはならない≠アとがあって≠「る。すでに世紀末は超えたというのに、どうしたことか。その昔、21世紀は日本の世紀≠ネどといわれたこともあった。たしかに、われわれの自惚れもあった。また、傲慢だった面も否定するつもりはない。しかし、外国人の目にも、わが国が経済的には快進撃していると見えたのも事実だと思う。その意味で、21世紀は日本の世紀≠ヘ、単なるお世辞だったわけでもないだろう。ところが、それもはかない夢に終わったようだ。それどころか、今世紀は日本崩壊の世紀≠ノなってしまったかのようだ。とにかく、このごろの社会情勢は危うい雰囲気に充ち満ちている。あってはならない≠アとが起こりすぎるのだ。人心が荒れているというか、気持ちが壊れていると言うべきか。降って湧いたように顕わになった構造計算の偽装問題などは、その典型である。どんな世界にも怪しい人間はいる。しかし、それにしても、万一の場合の影響が大きすぎる。地震が起きない限り、ばれっこない≠ニいう発想である。そうなったとき、多数の犠牲者が出る可能性なんて考えてもいないように見える。その想像性のなさに恐怖を覚える。こんな精神構造の人間が出てくると、誰を信じていいのか分からなくなる。しかも、建築士の犯罪的行為が元凶だとしても、それを見逃していた検査機関も、ほとんど同罪である。仮に犯意≠ヘないとしても、そもそも、検査機関≠ヘ、そうした問題を専門的な立場から見抜くのが仕事であるはずだ。その意味では、まともに仕事をしていなかったことになる。右を向いても左を見ても信じられないことばかり…。こんなところから、社会は崩壊していくのである。恐い話だ。
ゴルフの男女差(06/01/18-1011)
 自慢じゃないが、ゴルフのことはまったく分からない。わが人生の中でクラブを握ったのはただの1度だけだ。それは、今からもう30年以上前のことだと思う。荒尾にある三井グリーンランドへ調査に行った。いわゆるリーダーシップに関するもので、キャディさんたちにも質問紙を配って回答してもらった。その合間に、打ってみますか≠ニ言って誘われたんだと思う。その気になったのはいいが、クラブの持ち方も分からない。右手か左手か忘れたが、人差し指を伸ばして、それをまた握る。まるで忍者みたいなクラブの持ち方だったような記憶がある。その結果はどうなったか。うんと気張って、勢いよく振ったのはいいが、ボールはその辺りに転がっていった。当然のことながら、周りからは笑いが起きた。私も一緒になって笑ったと思う。その後も、せいぜい20mくらいは飛んだかしらね。そんなことで、とてもゴルフをやったとは言えない体験でおしまいというわけだ。そんな私にはどうしても分からない。あれほどすごい宮里藍選手や韓国系アメリカ人のなんとかウイー選手が、男子のゲームに参加すると、どうして歯が立たないのか。予選落ちだのビリだのと、その負け方も半端じゃない。男子と女子とでは、そんなに差があるのだろうか。そうだとすれば、ゴルフに関しては、男女一緒とはいかないということだ。政府の男女共同参画基本計画でも、誤った教育の事例として、男女同室の着替えや宿泊、混合騎馬戦≠ネどを挙げているという。そんなこと、当たり前でしょ≠ニ苦笑したくなる。しかし、それをマジでやってる人がいるから、わざわざ事例に挙げられているんだろう。大事なことは違いを認めて、それを尊重すること=Bなんでもかんでも同じはずはない。
新型エレベータの実力(06/01/17-1010)
 いつだったか、あるビルで進んでいたエレベータの改修工事について書いたことがある。すでに20年以上前に建てられたビルである。合わせて4基あるのだが、これがひどいものだった。コンピュータ制御しているという話も聞いていた。しかし、そうだとすれば相当に賢くないコンピュータだったに違いない。とにかく、待ち時間が長いのである。ようやく来たかと思ったら、正面のエレベータとお見合い状態になる。それでも、まあ、こちらが早いか≠ニ思って乗っていると、目的の階に着いたときには、お向かいさんは先に昇っている。そこで相手の作戦を読んで、お見合い中でも遅く来た方に乗る。すると、ほんまに先を越されてしまうのである。降りるときも同じことが起きる。目の前で1台のドアが閉まって乗り損ねると、他の3台も降りて≠「る…。そんなわけで、改装工事と聞いて、今度こそは≠ニ大いに期待した。ところが、完成近くになったとき、階数表示が付いていないことに気づいた。これで、余計な不安が高まった。どこを走っているか分からない≠謔、では、イライラするのではないか。歩行者信号だって、青に変わるまでの残り時間を表示する国民性である。私なんぞは、その血をばっちり受け継いでいる。完成したときを想像して、将来が真っ暗になったのだ。しかし、ここで大いに謝らなければならない。なぜなら、動き出したエレベータは、ボタンを押すとすぐにやって来るからである。今ごろ何階にいるのか≠ネんて考える時間もないほど、さっとドアが開く。その上、最近のエレベータは動き始めと停止時のショックが皆無に近い。いやはや、その技術力には感動を覚えてしまう。そんなわけで、相当に賢くなったエレベータの物語でした。
他者の耳目と自分理解(06/01/16-1009)
 自宅にテープレコーダがやってきてから、家族で声を吹き込んだ。父や母は、このときはじめて自分の声を聞いたと思う。3歳下の妹は、すでに学校でテープレコーダ体験をしていた可能性がある。ともあれ、両親も自分の声の違和感に驚いたはずだ。この時代になって、人類は自分自身の声を聞くことができるようになったのである。人類の誕生がいつのことか知らないが、少なくとも100万年単位のスケールだろう。そんな長い歴史の中で、われわれは自分の声を聞きはじめてから50年も経っていないのである。一般人よりも先にスピーカーから出てくる自分の声を聞いたプロたちも違和感を持ったはずだ。しかし、それを指摘されても、普通の人は、声を録音して確かめることができなかった。つまりは、この世に生まれてはあの世に逝った人間たちのほとんどが、自分の声を聞くことはなかったのである。われわれは、自分の最も重要な影響力≠フ道具である自分の声≠ノついて、自分自身≠ナは認識できないまま、歴史を作ってきたのだ。これが自分を見る映像になると、さらに時間が経過する。ビデオが一般化したのは、この20年程度のことに過ぎないからである。かくして、自分のことは自分が知っている≠ニいうことは、100%事実とは言えなくなる。少なくとも、他人が見たり聞いたりしている自分≠フことは分からない。しかも、マイクやレンズを経由して再生されるものは、厳密には他人の感覚とは違っている。だからこそ、自分理解≠フためには、他者の目や耳を大切にしなければならないのである。これを言いたくて、昨年の暮れから、このシリーズを引っ張ってきた。まだまだ、関連するネタはあるが、このあたりで一区切りつけることにしよう。
テープレコーダの普及(06/01/15-1008)
 レコードやソノシートが普及して、ラジオ以外にも音を聞くチャンスが大いに増えた。しかし、そうは言っても、その声や音を入れる人々は、相変わらずプロであった。それは、歌手やアナウンサー、そしてナレータといった声の職業人たちである。そんなプロしかできないことを素人にも可能にしたのが、テープレコーダだった。わが家にこの機械が入ったのはいつのことだったのだろうか。私の記憶では、どんなに早くても中学校2年生の夏休み以降である。しかし、高校生になってからでないことは間違いない。それがはっきりしているのは、福岡の中州にあった弓削電器≠ナ買ったからである。このお店の名前も、パット甦るから、またまた驚いてしまう。正式な名前は電気≠セったかもしれないが、とにかく弓削≠ウんだった。いわゆる昭和通りに面して、中州の映画館東宝などからも歩いてすぐにあった。じつは、せっかく購入したソニーの新品だったが、何となく調子が悪くて、交換したような記憶まである。その当時は福岡市東部の香椎に住んでいたが、重いテープレコーダを持って帰って、またお店に持って行ったと思う。自宅には、かろうじて白黒テレビはあったが、自家用車なんて夢にも出てこない時代だ。そうそう、電話だってなかったから、調子が悪い≠ニいった連絡などもなしで運んだんだろう。わが家が福岡に来たのは私が中学2年生の夏休みである。だから、テープレコーダの購入がそれ以前であることはない。しかし、それと同時に、NHKでやっていた中学生の勉強室≠録音して聞いていたこともはっきりしている。これはおそらく受験生を意識した放送だったから、高校生になる前のことで、そのときにはわが家にテープレコーダがあったのだ。
レコード・プレーヤー(06/01/14-1007)
 ゼンマイ≠フ力を利用した手回しの蓄音機は、そのうち電気蓄音機≠ノ進化した。理屈は簡単で、電気を使ってモーターを動かしてレコード盤を回転させるのである。そして、いつの日にか呼び名もレコード・プレーヤー≠ニ横文字式でカッコよくなった。しかし、音声を再生する原理はまったく変わっていない。こうして、少なくとも音楽に関しては、レコードがこの世の春を満喫することになる。そうは言っても、レコードは高価なものだった。テレビやラジオの景品、雑誌の付録などには、ソノシート≠ネるものが使われていた。これは、ビニールと言っていいのか、とにかくピラピラの薄いシートで、形状はレコード盤とまったく同じものである。私が中学生のころ、味の素がスポンサーになっていた、家のママは世界一≠ニいうアメリカのホームドラマがあった。楠としえが歌うそのテーマソングは番組とともに大人気だった。その歌が入ったソノシートをくれるというので、私もはがきを出した憶えがある。また、ウォルト・ディズニーの吹き替えで名を馳せた小山田宗徳が主演したテレビドラマがあった。これまた、その主題歌を吹き込んだソノシートにも応募した記憶がある。決して上手とは言えないが、哀愁のある歌声だった。あれは、新聞記者の物語だったかと思う。それにしても、楠としえや小山田宗徳の名前がすぐに甦るのだから、われながら驚いてしまう。いずれも1960年代のお話なのである。いまから、もう40年以上が経過している。人間の記憶のすごさに、わがことながら感動してしまう。さらに、英語の勉強のためにネイティブが話す教材にもソノシートが使われていた。こうして、一般の家庭にもレコードやソノシートが普及していったのである。
蓄音機(06/01/13-1006)
 音楽を聴くときはレコードと決まっていたが、これがあっという間に消え去ってしまった。少なくとも、われわれの周囲からはなくなった。私もけっこうレコードを持っていたが、そのほとんどを処分した。昨年のことである。理由は簡単である。レコードを再生するプレーヤーがなくなったからだ。そこで周りにあったものを捨てる決断をしたのである。それもかなりの量で、100枚近くはあったと思う。そのうちの2/3以上が都はるみ≠フものである。どうして都はるみ≠ネのか。これについては、話せば長ーい物語になる。いつの日にか、ここで書いたことを思い出して、その物語をお話しする日が来るかもしれない…。さてさて、そんな状況に追い込まれたレコードである。もう間もなく、若者たちにはレコード盤が何であるかも分からなくなるに違いない。レコードといえば、私が子どものころは、お金持ちの家に、蓄音機≠ネるものがあった。音楽を聴く前に、箱の横にあったハンドルをグルグル回す。これでゼンマイを巻いたのである。今では、ゼンマイを動力に使うこと自身、ほとんどの人が見たことがないだろう。だから、ゼンマイの意味だって伝わらないかもしれない。ともあれ、強く巻いたゼンマイが元に戻る力を利用してレコード盤を回転させる。それで音を出す理屈である。これを蓄音機≠ニ命名したところがすばらしい。レコード盤に吹き込まれた音を蓄えて、それを人間に聞こえるようにする魔法の機械という感じがするからおもしろい。もっとも、厳密に言えば本当に音を蓄えているのはレコード盤の方である。それをかけて音を出すプレイヤーは、音声再生機≠ニ言う方が正しい。しかし、細かいことにこだわるまい。とにかく楽しい呼び名ではないか。
テープ消滅(06/01/12-1005)
 最近は映画も進化して、フィルム1巻が終わって次の巻に移る際にも、ほとんど変化がない。だから昔のように、あっ、いま映写機が変わったな≠ニいう感動もなくなった。そんな懐かしい思い出に耽っているうちに、さらに時代は変わってしまった。もはやテープレコーダそのものが世の中から消えていく。ニュースのインタビューでも、相手の顔の前に突き出されるのはマイクではない。海外を含めて、ほとんどがICレコーダなるものを使っている。その理屈はよく分からないが、テープに記録する変わりに、いわゆるICチップに声を書き込んでいくのである。これは相当の優れもので、すごいやつは10時間以上も録音できるらしい。しかも、超小型である。テープを動かすためのモータも必要ないから、どんどん小さく軽量化されている。それだけに、盗聴だって簡単にできるようになった。そう言えば昨年は、政治家の圧力を巡って2つの大マスコミ機関が、もめにもめた。あのときも、新聞社側には録音があったのではないかと疑問視されていた。相手の了解なしに録音することが倫理にもとるため、公式には記録はない≠ニいうことになっていたと記憶している。しかし、実際には、録音があるのではないか≠ニいうニュアンスで報道していたところもあった。そんな時代だから、素人の世界でも、いつ何時、勝手に録音されているか分かったものではない。何とも恐い時代である。世の中から消えたと言えば、レコードだってそうだ。私が子どものころは、音楽といえばレコードが常識だった。やや小振りで中央の穴が大きいものは、ドーナツ盤≠ニ呼んでいた。ドーナツにしては身が太過ぎたが、その形状はドーナツそのもので、じつに楽しい名前の由来である。
オープン・リール物語(06/01/11-1004)
 出始めのテープレコーダに使われていたオープン・リールの場合、裸のテープをそのまま巻き取っていく。だから、うっかり落とすとコロコロ転がってテープがほどけることもあった。また、テープを直に触ることもあったし、意識的にテープを引っ張って、巻きをきつくすることもあった。そのため、テープがねじれたり、切れるといったトラブルも起きた。そのときのために、修理用の接着テープまで用意されていた。ちぎれたテープ同士の接着部分をできるだけ大きくするために、2つの部分を重ねて、ハサミで斜めに切断する。それから白い接着テープを貼って両者を繋ぐのである。この方法では、わずかではあるが元のテープの欠損部分がでる。その結果、接合した後でテープを再生すると、ほんの一瞬、音が切れることになる。この切れたところを聞くのが、これまた楽しかった。それは、古くなった映画のフィルムが切れて接合したために、画面や音が瞬間的に飛ぶのと同じような感じだった。映画で封切館≠ニいったことばが使われていた時代である。東京や大阪、それに福岡などでは、真新しいフィルムの封を切って♂f画を上映する。その興行が終わると、次の町へとフィルムが回されるのである。そうした2番手、3番手が上映される町に住んでいた私には、フィルム切れは、映画の日常的な光景であった。だから、ときおり画面が飛んだり、音がキレたりする方が、いかにも映画を見ているという感じがしたのである。また、フィルムの1巻が終わったときにも、画面や音声に微妙なズレが出た。今の若者には分からない人が多いだろうが、1本の映画は何巻かのフィルムに分けられている。そのひとつが終わると同時に、次の巻を別の映写機で映しはじめるのである。
誰の声?(06/01/10-1003)
 テープレコーダから聞こえてきた声の内容は、たしかに自分がしゃべったものではあった。しかし、その声はどう考えても自分のものではないのだ。少なくとも、これまでの人生をかけて自分が聞いてきたものとは大違いである。しかも、その音質が気にくわない。ちょっとやめてよ。自分がこんな声で話しているなんて嘘だよね≠ニ叫びたくなってしまう。そんな妙チキリンな音質なのである…。ところで、21世にもなった今では、大抵の人が録音した自分の声を聞いたことがあるだろう。その声をはじめて聞いたとき、自分の声の美しさに身震いした人っているのだろうか。その後、歌手やアナウンサーになる人などは、そんな気持ちのいい体験をするのかもしれない。しかし、大多数の人間は、自分の声に妙な違和感≠感じたのではないか。そんなわけで、自分では自分の声ですら分かっていないのである。ともあれ、私が小学生だったころから、テープレコーダなるものが世の中に出てきはじめた。その後、テープはオープン・リール方式からカセット・テープへと進歩しながら、世の中に普及していった。先行したオープン・リールは、そのうちマニアでないと知らないという時代が来るのだろう。これを文章で説明するのはむずかしいが、簡単に言えば糸巻き≠ネらぬテープ巻き≠ナある。映画のフィルムのようにテープをぎっしりと巻き取る道具だ。満タンのリールをテープレコーダにかけて、もう一方にある空のリールへテープを巻き取っていくのである。カセット・テープの場合でも、一方から他方へテープが動いているのが見える。ケースの中にリールが入っているのである。しかし、全体がケースで覆われているために、リールそのものは見えないというわけだ。
ラジオと同じ!(06/01/09-1002)
 小学校の教室でテープレコーダを使って子どもたちの声が録音された。それを先生が再生したとき、子どもたちから驚きの声が上がった。そうなったのには2つの理由があった。ひとつは、自分の友達の声が間違いなく再生されたからである。それは、まるでラジオを聞いているようだった。テレビという文明の利器がない時代である。いや、テレビはあったかもしれないが、それは一部の大金持ちの家にあるだけのものだった。大人も子どもも、世の中を知る情報源の代表は新聞でありラジオであった。とくにラジオは、速報的にニュースを流し、相撲や野球の実況生中継もする。そして、子どもにとっても楽しい番組をたくさん流していた。その中でも、NHKの1丁目1番地∞笛吹童子=A民放の赤胴鈴の助≠ネどは大好きなものの代表だった。今でも目を閉じると、自分がラジオに耳を傾けている場面が目の前で展開する。どうして遠くの人の声が聞こえるのだろう。それもまた、子どもにとっては大いなる不思議だった。ともあれ、そんなラジオは、日常生活に欠かせない魔法の箱だったのである。ところが、テープレコーダで録音すると、ラジオから聞こえてくるのと同じように、自分たちの声がスピーカーから流れてくるではないか。そんなわけで、子どもたちの間にざわめきが広がったのは当然だった。しかし、驚きの声が発せられたのには、もうひとつの理由があった。それは、自分自身の声があまりにも変に聞こえたからである。それぞれが、録音の順番を思い出しながら、今度は自分の声が聞こえるぞ≠ニ心待ちにしていた。そして、いよいよ自分の番だと、息を呑んで待ちかまえた。ところが、耳に聞こえてきたのは、未だかつて聞いたこともない妙な声だった。
価値ある100万円(06/01/08-1001)
 さて、私が子どものころにソニーが行っていた学校に対するバックアップは金額にして100万円相当だったと思う。当時としては、それはそれは大金だった。戦後値段史年表(朝日文庫)によれば、昭和35年(1960年)の銀行員の初任給は高卒で11,500円である。これが大卒になると15,000円とかなりの差がある。しかし、このころの大卒は相当のエリートだったと思う。その点を考慮すると、高卒の初任給の方が、現在の大卒のそれに対応していると考えていいだろう。インターネットの就職四季報WEB≠見ると、大卒初任給174,000円の銀行が最も多い。単純な割り算で、ほぼ15倍だ。そうなると、ソニーが提供していた100万円は1,500万円程度になる。今日の感覚では、この額は企業が出すものとしては、それほど高額ではない。しかし、大金持ちのことを100万長者≠ニ呼んでいた時代である。今なら、億には達する額なのだと思う。ともあれ、そのおかげで、わが伊万里小学校にもテープレコーダが入ったのだった。それが、小学校5年生のころだったというのには、それなりの根拠がある。私の父はいわゆる転勤族で、昭和33年(1958年)に、福岡県の行橋市から佐賀県の伊万里市に引っ越したのである。私が4年生の夏休みのことだった。担任の先生がテープレコーダを使って授業をしたのは、その翌年だったと思う。私が5年生のときになる。何となくではあるが、場所は教室ではなく、校舎1階にあった理科室だったという記憶もある。先生自身が、はじめて使うテープレコーダを前にして、大いに興奮していたような気がする。まずは何人かの子どもたちが声を吹き込んだ。そして、それが。それが再生されたとき、教室中にざわめきが起きた。  
教育へのバックアップ(06/01/07-1000)
 学校にテープレコーダが入り始めたのは、私が小学生のころだったと思う。そのころ、ソニーが100万円だったか、それに相当する製品を全国の学校に贈っていた。いわば、社会還元として教育をバックアップしていたのである。その後も、ベルマークなどが学校に新しい教育機器を導入するのに役立っていたことを思い出す。ベルマークは、私の子どもたちの時代にも活用されていた。今はどうなっているのだろうか…。そんなことを思い出すと、このごろは、この種のバックアップはあまり聞かない。私が知らないだけならいいが、社会全体で教育を支えようという雰囲気があまり感じられない。数年前、米100俵≠フ逸話を教えてくれた方がおられた。明治のはじめ、困窮を極めていた長岡藩に米100俵が贈られた。目の前の米を見れば、すぐにでも食べてしまいたいところだ。しかし、長岡藩はそうはせずに、米を売却したのである。そして、それを学校建設の資金にしたという。この話、恥ずかしながら私は知らなかったが、未来を見据えて教育に投資するという、すばらしい決断に感動したものだ。教育は金にならない≠ネんて、大間違いだ。資源のないわが国が、とにもかくにも生き延び続けてきたのはなぜか。そこには、教育の大きな力があったはずだ。まさに、経済的に生き残れる日本を築いた源泉が教育なのである。教育とカネ≠結びつけることは不謹慎だという人がいるかもしれない。しかし、少なくとも、教育は金にならない≠ニいう人々に対しては、とんでもない。教育は金になるんですよ≠ニだけは言いたいのである。未来が見えない人に、未来はない=Bただそれだけのことだ。それにしても、あの方の米100俵≠フ精神はどこへ行ったんだろうか。
テープレコーダの声(06/01/06-999)
 テープレコーダから聞こえてくる声は、自分のものとは思えない。それは当然である。自分が発した声は、頭の中で振動しながら耳に入る。だから、口から出てくる音だけを聞いている他人とは声が違うように聞こえるのである。そもそも聞いている声が違っているのだから、その評価だって同じにならなくて当たり前なのだ。あなたの声は優しくて魅力的だ=Bそんなことを言われれば嬉しい。しかし、自分の声は、生まれてこの方、朝から晩まで聞き続けているが、どう考えてもそうは思えない。こんな気持ちの人だっているだろう。それはそれでおかしくはないのである。何せ、聞いている声そのものが違うのだから。ここで、本シリーズの原点に帰ることになる。自分のことは自分が知っているか≠ニいう問題である。その答えは、Yes≠ナもあり、No≠ナもある。少なくとも、自分の声を他人のそれと同じように聞いていないことは事実である。その点では、自分の声は、自分では分かっていない≠フだ。つまりは、自分のことで自分が知らない&舶ェがあることは否めない。ことばの遊びではなく、事実として、自分のことは自分では見えない=A自分の声は自分では聞こえない≠フである。私は、こうした視点から対人関係を考えることが、きわめて重要だと思う…。ところで、自分の声をはじめて聞いたのはいつだったか。もちろん日付なんて記憶にないが、その場面については、はっきり憶えている。それは、小学校の5年生のときだったに違いない。父の転勤で行橋から伊万里へ引っ越した後のことだ。そのころ、学校に真新しいテープレコーダがやってきたのである。授業で、先生がそれを使ってみんなの声を録音した。そして、その声が再生された…。
自分の声(06/01/05-998)
 大相撲の会場が、思ったよりも狭かったのは当然だった。相撲が野球場のような広大な場所で行われたら、後ろの席に座っている者には、力士たちが豆粒のように見えるだろう。それでは、何をやっているのかさえ分からない。また、迫力も感じられないはずだ。ついでに言えば、行事や呼び出しの声も、生の方がテレビの印象よりは聞き取りにくいと感じた。それもそうだろう。放送ではマイクでその声を拾っている。まあ、そんなこんなで、カメラにはレンズ自身のゆがみもあり、また撮影者の意図などによって、現実とは相当に違う場面が映し出されるのである。この点、個人的に使うビデオやカメラでは、プロと同じようなズレやゆがみはないかもしれない。しかし、とにかくビデオはレンズを通して出来上がった映像である。やはり、他の人≠ェ私を見るのと同じようには映ってはいない。私としては、この点を大いに強調したいのだ。そう考えると、人類の誕生以来、自分≠見た人間なんて、ただの一人もいないということになる。これは、自分の声についても当てはまる。自分が話している声をテープレコーダで聞いたとき、驚きや違和感を体験しなかった人はいないはずだ。えーっ、これって自分の声かい。信じられない=Bこれが、すべての人間が発する感想だろう。しかし、同じテープレコーダから流れてくる他人の声は、いつも聞いているそのものズバリである。だから、自分の声も人には、その様に聞こえていることは認めざるを得ない。しかし、とにかくおかしいのである。もちろん、そんな声にも聞き慣れてくると、自分のものであることは分かってくる。それでも、自分自身が聞いている声が、スピーカーから流れてくるものと同じに聞こえはじめることはない。
レンズの真実(06/01/04-997)
 昨年の30日で止めていた、自分のことは自分が知っている≠アとに疑問を投げかけるシリーズを、もう少し続けたい。自分を見たことがある人はいない≠ニ言えば、鏡やビデオがあるじゃないか≠ニいう反論が出てくる。しかし、それは必ずしも正しいとは言えない。われわれが見る映像は、カメラのレンズを通して見たものだからである。たとえば、プロ野球観戦で球場に行ってみると分かるが、生とテレビとではえらい違いがある。あの球場全体≠フイメージなんぞはテレビでは実感できない。テレビでは選手の顔や表情が手に取るように見える。それはひとつの真実に違いない。しかし、私たちの目では、あんな見方はできない。少なくとも、あのような映像は、球場にいる人間には見えていない事実≠映し出しているのである。それは、相撲だって同じことだ。テレビでは、とくに後方にある椅子席に座っている人などは豆粒みたいに見える。また、呼び出したちが懸賞金の垂れ幕を持って土俵を回るときは、ひどく遠くに見える。NHKとしては、大きく映ると企業などのCMになるので、相当にカメラを引いている。おそらく音量も絞っているのではないか。あの場面では、レンズが広角気味になっているのだと思う。私がはじめて大相撲を見に行ったのは中学生のときである。その当時は、天神にあった福岡スポーツセンターで九州場所が開催されていた。ワクワクしながら会場に入ったとき、自分が想像していたよりも全体が狭いことに驚いた記憶がある。私としては、何となく野球場と同じくらいの広さだろうと思い込んでいたのである。それが、目の前に土俵があるように感じたわけだ。たしかに、考えてみれば、野球と相撲とでは、舞台の広さが違うのである。
初仕事(06/01/03-996)
 さて、わがホームページが見えなくなった話の続き。私は、大晦日から元日にかけて起きていた。そんなこと当たり前と思われるかもしれないが、そうでもないのである。私が午前0時過ぎに目を覚ましていることは、じつにめずらしい事件≠ネのだ。もっとも、31日は夕食を摂った後の8時ころからうたた寝≠オた。家内と娘、そして帰省中の息子夫婦の4人は、紅白≠ニプライド≠竍K1≠ネどを行ったり来たりしていたようだった。いずれの視聴率′上にも貢献していたわけだ。そんな中で私自身は、なぜか11時30分ころに目が覚めた。それは、ちょうど年越しぞばを食べる時間だったようだ。そろそろ起こそうかと思っていたら、ヌックリと起きあがったものだから、家族にはけっこう受けた。そんなわけで、午前0時過ぎまで起きていたと言っても、本物じゃないのである。それはそうとして、2006年になったということで、今年初めての味な話の素≠書いて更新した。ところが、ホームページをチェックしたら出てこないのである。この状態は元日の朝になっても続いていた。年末年始にコンピュータの点検作業なんて考えられない。こうなると、わが大学のサーバーが動いていない可能性がある。そこで熊大のホームページを見ると、こちらはOKだった。そこで、学部のサーバーのトラブルが予想された。もう復帰を待つしかないと、数日はあきらめる気持ちでいた。ところが、昼過ぎにはアクセスできたのである。どなたかが大学に出かけていって、初℃d事をされたに違いない。本当にごくろうさまです。数人のお顔が浮かぶが、とにかくシステムを維持管理される方々は大変である。うまくいっているのが当たり前の仕事には、日が当たりにくい。
Yahooのトラブル(06/01/02-995)
 元日は、Yahooの検索が数時間に渡ってトラブったようだ。年の初めから関係者は大変だったと思う。うまく動くのが当然とされているシステムに障害が起きると、とにかく混乱する。電気や水道など、いわゆるライフラインがアウトになったときは深刻なパニックに陥る。使う側はとにかく何とかしてくれと絶叫する。それに対応するために、関係者もパニックになる。表には出ないが、そうした中で過労で倒れる人や、その後で立ち直れないほどの心的なダメージを被る人もいるに違いない。それが仕事だと言ってしまえばそれまでである。しかし、それによって、本人だけでなく、家族にも過度の負担が強いられることだってあり得ることだ。最悪の場合には命がなくなってしまう。いわゆる過労死≠ナある。報道を見ていると、これには、仕事に追い込まれた自殺も含まれているようだ。決して名誉なことではないが、過労死≠ヘ、すでに英語になっている。Yahooのアメリカ版を検索すると、その数は132,000件もに昇った。定訳は、"death from overwork"である。こうした状況を前にすると、人間が生きるって、どういうことなのか≠ニ考え込んでしまう。もっとゆとりのある生き方ができないものなのか。とにかく、前に走り続けなければいけない世界って何なんだろうか。ついつい、そんな疑問が浮かんでくる。しかし、これも人ごとではない。私のホームページも、大晦日の夕刻だと思うが、そのころから、アクセスができなくなった。その日の朝までちゃんと見えていたことは間違いない。いつものように味な話の素≠更新した後で、外部からアクセスできるかどうかをチェックしたからである。ところが、夜になってから、ホームページが見えなくなったのだ。
新しい気持ち(06/01/01-994)
 また、新しい年を迎えることができた。もうそれだけで、ありがたいことだ。いつものことながら、新しい≠ニ言っても、もともと人間が勝手に決めたこと。この時期が年の初めである根拠は何もない。地球は淡々と太陽の周りを回っているだけのことである。年という概念そのものが、人の決めたこと。しかし、われわれは気持ちで生きている。どこかで区切りをつけて、頑張るぞーっ≠ニいう気になれるからすばらしいのである。生きる意欲が湧いてくるのだ。なんて言いながら、団塊世代の私も、そろそろくたびれてきた。世の中では2007年問題が心配だという。この年に、1947年、つまり昭和24年生まれが60歳を迎える。そこで、大量の人間が退職するのである。その結果、彼らが蓄積してきた知識や技術が突如として失われることになる。また、会社などが支払う退職金も膨大な額に昇る。そんなこんなで、社会が混乱するのではないか。これが、07年問題である。そんな声がある一方で、働く人間が大幅に減少するので、組織にとっては負担が減るという解釈もある。とくに、年を取っているだけで大きな顔をする、給料は高い。そんなことだから、いなくなってくれた方がせいせいする…。まあ、お互いこんなことは言われないように気をつけましょう。さて、そんな団塊世代の私としては、今年も健康第一をモットーに生活して行きたいと思う。せっかちな性格はなかなか治らないが、できるだけ気持ちにゆとり≠持ちたいものだ。食事だって、あっという間に終わってしまう。もっと、ゆっくり味わいながら食べることにしましょう。もちろん、味な話の素≠ヘ更新し続けますよ。また、今年はアクセスカウンタが10万件に達するのは確実です。これも楽しみ…。