| 今年も、ご愛読いただきありがとうございました。また、2006年もよろしくお願いします。 |
望年会(05/12/31-993)
自分が見える話≠継続しているが、ここでちょっと休憩しましょう。なにせ、本日は大晦日、今年最後の日だから。まずは、この1年間、無事に過ごせたことを感謝したい。誰に感謝するのか。そんな質問には答えられない。とにかく、自分が気づかない人や物、事象も含めて、すべてに対して感謝するのである。ありがたいことだ=Bそう思えることで十分だと思う。わが家でも、忘れられないことが、いろいろあった。めでたいことの筆頭は、息子が結婚したことである。その一方で、義母が亡くなった。私自身、50年もお付き合いした人だった。また、母の33回忌もした。もう記憶の彼方に去っていったように思える母だが、まだまだその声は聞こえてくる。春先には、学会でニュージーランドにも行った。決して大きくはないが、落ち着いた国のすばらしさを感じた。1年365日、毎年のことだが、とにかくいろいろなことがある。どちらかといえば楽しいことが多いが、悲しい出来事だってある。しかし、そのすべてを記憶にとどめておきたいと思う。悲しいことだって、時間が経てば、懐かしさが伴ってきて、その意味も違ってくる。生きる力になってくれるのである。だから、今年もたくさんのことを忘れず≠ノいたい。昔の人は忘年会≠ニいった。おそらく、忘れたいこと、苦しいことが多くて、こんな呼び方が定着したのだろう。だから、私たちは忘年会≠ヘやめて記年会≠ノしようと言ってきた。ちゃんと忘れないことが大事なのだ。そんな主張をしていたら、2年ほど前に附属中学校の上妻先生がアイディアを出してくださった。それは、望年会≠ナある。このネーミングは大いに気に入った。今年の出来事を来年の望みに繋げる会=Bすばらしい! |
自分が見えますか(05/12/30-992)
さて、記憶の危うさなどを考えると、「自分のことは自分が知っている」ことも怪しくなってくる。しかし、自分を知っているかどうかについては、記憶だけの問題ではない。そもそも、自分を見た≠アとがある人はいないのである。また、自分の声を聞いたことがあるか≠ニ問われれば、答えは間違いなくNo≠ナある。何と言っても、われわれは目を取り外して使うことはできない。だから、自分の目で自分を見ることは不可能なのである。その代わり、鏡で見てる≠ニいう人もいるだろう。たしかにその通りだが、それはあくまで鏡を通してのこと。そもそも鏡は左右が逆になるから、まともに見えているとは言えない。なにせ、鏡に映る像は虚像なのである。虚像は実際の光が集まったものではなく、そこにあるように′ゥえているだけのことだ。だから、鏡の裏側に手を伸ばしても自分を触ることはできない。ただ、鏡の中に自分がいるように見えているだけなのである。もちろん、鏡に映る自分が虚像だからといって、鏡が無用だというつもりはない。人間の長い歴史の中で、鏡が大いに役立ってきたことは言うまでもない。しかし、鏡によって、人が見ている≠フと同じように自分が見えるのではない。そのことだけは押さえておきたいのである。いやいや、昔はそうだったかもしれない。しかし、今ではビデオがある。この文明の利器を使えば、他人が見るのとまったく同じように自分が見えるじゃあないか=Bこの意見は大いに説得力を持っているように思える。たしかに、ビデオは鏡のように左右が逆になることはない。自分が生き生きと動くし、声だって聞こえる。もちろん、カラーである。しかし、それでも他人の目とは違う=Bこれが私の主張である。 |
自分と記憶(05/12/29-991)
記憶を考えるとおもしろくて、夜も寝られなくなる。自分のことは自分だけが知っている≠ニいうことだって怪しくなるからだ。自分は過去の蓄積をもとに存在している。その過去についての記憶≠焉A現在の自分を基礎づける大きな要素である。ここまでは、ほとんど異論はないだろう。しかし、そのキーになる記憶そのものが、しっかりしているとは限らない。いい意味でも悪い意味でも、記憶は変容する。感動や悲しみも、時間とともに薄れていく。若いころ、顔が赤らむような恥をかいた体験もある。しかし、それらも時間が経つとともに、苦いながらも懐かしい思い出になるものだ。そんなことをネタにして、人を笑わせたりもする。一方で、記憶の彼方に飛んでいったものも、数え切れないほどある。私自身、あの世に行くまで思い出さない事柄はどのくらいあるのだろうか。ともあれ、忘却が自然な現象だからこそ、記憶にございません≠ニいう言い訳も通用するのである。記憶とはそんなものである。そうした記憶のメカニズムの上に成り立っている自分とは何なのだろうか。そんな思いに至るのである。だから、自分のことは自分だけが知っている≠ニいうのも、少しばかり控え目に考えていた方がいいのではないか。それに加えて、われわれは社会の中で生きている。そこには、人と人との関わりがある。自分が相手を見るように、相手も自分を見ている。私が思っている私≠ニは別に、他人が思っている私≠ェあるのだ。その相手が自分に持っているイメージも、しっかり受け止める必要がある。そうしなければ、スムーズな対人関係を実現することはできない。だから、他人が知っている自分≠ノついても知らなければ、本当の自分は分からないのである。 |
ウソ発見器体験(05/12/28-990)
学生時代に疑似ウソ発見器にかかってみた。その結果、私はまるで反応しなかった記憶がある。どんな質問をされても、いいえ≠ニ答えたが、測定器には変化が見られなかったのである。こんなことを書くと、やっぱしね。あんたは心臓に毛が生えていそうだもの。根っからの嘘つきなんでしょう≠ネんて言われそうだ。しかし、それは早とちりというものである。私の記憶では、同じように反応しない仲間が少なくなかった。その一方で、ビリビリと針を動かす友人もいた。その中の一人は、いわゆる超真面目なタイプで、神経質な人だった。しかも、人には負けたくないという意識も強かった。世の中には、反応しやすい人間とそうでない者がいるのだろう。そう考えると、何の反応もしなかったわれわれは、やはり詐欺師的性格を備えているのかもしれない…。まあ、単純な器械を使った学生の実験である。そんな体験だけで、ウソ発見器の信頼性を云々するつもりはない。第一、実験そのものがリラックスした雰囲気で行われている。嘘を見破るかどうか≠ニいった切迫感はないのだ。実際には、言いたくないことを言わねばならないときは、心臓はドキドキするし、口だって渇いてくる。そんな場面では、ウソ発見器が敏感に反応するのだろう。それに、私の体験は40年近くも前のことである。ウソ発見器も相当の進歩を遂げているに違いない。それはそうだとしても、ひっかかる人≠ニそうでない人間がいるとすれば、やはり考える必要はある。それに、器械をセットされただけで、何もしていないのに気持ちが揺れる人だっているかもしれない。ともあれ、自分のことは自分だけが知っている≠ニしても、嘘をつけば、それが外から観察される可能性があるのも事実なのだ。 |
ウソ発見器の原理(05/12/27-989)
ウソ発見器を使う際は、与えられる質問に対していいえ≠ニ答えるように求められる。これが、私の知識である。あなたは女性ですか=Bこんな質問なら、確信を持っていいえ≠ニ答える。ところが、あなたは○日に□へ行きましたか≠ネどという核心に触れるような問いに対しては、心が揺れ動く。そこが、まったく行ったことのない場所であれば、何の抵抗もなくいいえと言える。しかし、その日のその場所で、自分が容疑者として疑われている事件が起きている。もし、自分が事件に関わっていれば、ここでいいえ≠ニ答えれば嘘になる。その嘘がばれてれしまえば、万事休すである。そう思うと動揺する。こうして、脳波や呼吸が乱れ、手には汗がにじんでくる。ことばでは嘘がつけても、体の方は正直なのだ。こうして、容疑者の嘘を暴いていく…。なかなか説得力のある原理である。そんなウソ発見器であるが、それは現実にどのくらい信頼できるのだろうか。世の中には嘘をついても、この種の機器にまったく反応しない人がいそうな感じがする。また、どんなことがあっても反応しなくなるような訓練はできないのだろうか。私自身、心理学を専攻して間もないころ、心理学実験≠ナ、GSRと呼ばれるものを体験したことがある。GSRというのは、Galvanic
Skin Response の頭文字である。galvanicには電気の≠ニいう意味がある。Skin
Response というのだから皮膚の反応である。心が揺れると手に汗が出てくる。そのために、皮膚の電気抵抗が弱くなって、電流が流れやすくなる。その変化を読み取ろうとするわけだ。これに脳波や呼吸のデータも加えて、ウソ発見器になるのだろう。授業では、GSRをウソ発見器≠ニして、実体験したのである。 |
ポリグラフ(05/12/26-988)
人の頭の中はのぞけない。仮にそれができたとしても、大脳にはワンサと細胞が詰まっているだけのこと。とくに目印があるわけでもない。したがって、特定の人物が嘘をついているかどうか≠確認することなど不可能である。それに本人自身が、記憶している≠ニ信じていても、それだって歪んでいることもある。そんなことから、犯罪の捜査も困難を極める。その昔は自白≠ェ重要な証拠とされていた。しかし、それが冤罪を生み出す要因にもなったことから、客観的な証拠が重視されるようになった。拷問や強要による自白≠ェ問題であることは言うまでもない。しかし、自白≠ノは、それ以外にも、本人自身の記憶違い≠煌ワまれる可能性がある。自分の犯罪行為を他人に頼んで記録する人間などいない。細かいことになると、犯人自身が記憶していないことがあるのは当然である。だから、捜査はなおさらややこしくなる。そんな中で、人が嘘をついているかどうかを科学的に明らかにしたいという気持ちになる。そうした期待に応えるべく開発されたのがウソ発見器である。ポリグラフ(polygraph)とも呼ばれるが、もちろん、ポリスのグラフではない。poly≠ヘ多重=Agraph≠ヘ記録装置≠ニいう意味がある。脳波や呼吸、皮膚の電気反応など、複数の指標を測定するので、こうした名前がつけられたのだろう。これを使ってウソを見抜こうというのである。くわしい原理は知らないが、われわれがウソをつくときは心が動揺し、手にも汗がにじんだりする。呼吸も乱れる。手に汗が出れば、皮膚に流れる電流が流れやすくなる。こうした変化を科学的に捉えることによって、犯罪者のウソを見破ることが可能になる。これが、ポリグラフの原理である。 |
記憶と自己防衛(05/12/25-987)
たまたま一緒になったドック同僚≠ェ発した、胃カメラ検査が終わったときのことを憶えていない≠ニいう一言には真実味が感じられた。たしかに、人間はいろいろな機会に思い出せないことがある。もっと激烈な苦痛があれば、気を失ってしまう。この場合は、外の世界も自分の内面のことも憶えていない。そもそも、記憶する機能が働いていないからだ。こうしたことは、ある意味では自分を守るために必要なのである。それに、見るもの聞くもの、体験することのすべてを記憶することは不可能だ。そんなことをしていたら、まともに生きていけない。肉親を失ったときの悲しみの大きさは、ことばでは言い表せない。しかし、その程度は、時間とともに緩和されていく。いつまでも同じ悲しみに打ちひしがれていては、まともに食事を摂ることも、仕事に復帰することもできない。そのままでは、日常の生活を送ることがむずかしくなる。だから、時間の経過とともに忘却≠ニいう現象が起きてくる。これもまた、われわれにとって自己防衛の方法なのである…。さてさて、このところ記憶≠フ話にこだわってきた。この物語、最初は、自分のことは自分にしか分からない≠ニいう話からはじまった。人の脳みそは開けてみても、そこに何かが書いてあるわけではない。だから、本人から記憶にない≠ニ言われれば、それが嘘≠セとは実証できない。しかし、当の本人は間違いなくその真偽を知っている。こうして、自分のことは自分が最も知っている≠ニいうことになる。ところが、記憶喪失≠竍忘却≠ニいった現象を考えると、自分が自分を知っている≠ニいう主張も、怪しくなってくる。少なくとも、自分のことをすべて£mっているとは言えなくなるのである。 |
ドックの記憶問題(05/12/24-986)
つい最近、記憶喪失≠体験した人と出会ったばかりである。先週、私にとって趣味の人間ドック≠ノ出かけた。もう22回目である。これが趣味≠スる理由だが、それは別の機会に譲ることにしよう。うーん、すでにこの件については触れたような気もする。なにせ、このコラムは自由気ままに書いているので、もうどこで何を取り上げたか、その記憶は曖昧である。そうなんです、記憶≠チてそんなものなのです。毒にも薬にもならない味な話の素です。そのあたりは切にご容赦を願います。さて、ドックは1泊2日コースである。今回は5人の方とご一緒した。私は、こうして集まった人たちの関わりのあり方をウォッチングして楽しんでいる。知らない者たちがどんな関係をつくっていくか。それがおもしろい。検査のときは待ち合わせで隣に座ったりする。また、昼食や夕食は食堂で一緒に食べる。そこには私も含まれているのだが、こうした集団で、どのようなコミュニケーションが展開するか。それを心密かに観察している。いやいや、この話題に首を突っ込むと、また脇道に逸れてしまう。今日のところは、記憶≠フネタに焦点化しておこう。さて、ドックの2日目に胃カメラがある。私には、これまた趣味の胃カメラ≠セ。ここでも、趣味≠ナある理由は別の機会に譲ることにする。ともあれ、私はいつも検査後に、けっこう平気な顔をして出てくる。それが自慢なのである。そのとき、私の前に検査が済んでいた同僚≠フ方がソファーに横になっておられた。彼は、私の元気さ加減を見て驚いた様子だった。そして、まだスッキリしない表情でぽつりと一言。おたくは何ともないんですか。私は自分の検査が終わったときのことを憶えていないんです…=B |
記憶喪失もいろいろ(05/12/23-985)
記憶にない≠ニ言われると、そんなはずはない≠ニ責めることができなくなる。その真偽は実証できないからである。それが本当かどうかを知っているのは本人だけなのだ。こうして、自分のことは自分にしか分からない∞自分のことは自分だけが知っている≠ニいう理屈が通ることになる。もっとも、嘘を言っていても、本人自身がそれに気づいていないという事例もあるらしい。希代の詐欺師などにはこんな人間も含まれているようだ。そう言えば、平気で嘘をつく人たち≠ニいう翻訳本まであったっけ。ここまでくると、自分自身が嘘≠ついているという意識がない。だから、ご本人は強気そのものだ。なにせ、嘘を言っていない≠フだから。この手の人たちには、お前は嘘をついている≠ニ責め立てる周りの人間の方が、怪しく見えてくるに違いない。こんな人もいる人間の世の中だから、とにかく厄介なのである。それどころか、こうした人々が増えているのではないかと心配になってくる。ただし、彼らの場合は、自分のこと≠熈自分≠ナ分かっていないのである。それとは別に、まともな人でも記憶を失うことはある。大きなショックを体験すると、一時的にも記憶がなくなることは、よく知られている。テレビのサスペンスドラマなどでも、ときおり記憶喪失者≠ェ重要な役割を果たしている。われわれは、ケガをして苦痛に耐えられなくなると気を失うことがある。これによって、一時的には、痛みの意識から逃れることができる。それは、体に備わった自己防衛策である。記憶についても、それと同じような対応策が選ばれることがある。心に痛みをもたらす強烈な体験や物事は、頭に思い浮かばないように抑えつける。それで、心を安定させるのである。 |
| 本日am4:59に、80,000件超えを確認しました。昨夜なんでしょうか。ありがたや、ありがたや…。 |
記憶にない(05/12/22-984)
証人喚問における記憶にございません≠フ威力は絶大である。これを言われると、そんなこと、あるはずがない≠ニ責めても、それが限界である。そうおっしゃいましても、憶えていないものは憶えていないのでございます=Bまことに慇懃なお答えでおしまいである。そう言えば、少し前にも、相当なお金をやり取りしたんではないかと問われて自分には記憶がない≠ニお答えになった政治家がおられた。その金額は相当の高額で、庶民の常識から言えば、それを憶えていないなんて信じられない。しかし、ご本人がそう言われるのだから、もう仕方がないのである。私なんぞは、体内にできた仁丹のような小さな石が、小用中にカチンといって便器に落ちた公衆トイレのことまで憶えているんですけどね。それも10年以上も昔の話である。そして、この政治家の場合は、周りの人がやり取りがあったというのだから、そうなんでしょう≠ニいう話までされている。それって、事実を認めたことになるのかしら。うーん、これも随分と危ない答え方ではある。人が言うならそうなんでしょう≠ニいう理屈を通すと、そのまま冤罪にも繋がりかねない。なにせ、周りの人がお前がやった≠ニ言うのである。だから、私には、そんなことした記憶はないが、事実はそうなんでしょう≠ニいうストーリーができあがってしまうのである。とにもかくにも、記憶にございません≠ヘものすごい決定打だった。証人側にとっては黄門さんの印籠も真っ青になるほどの見事なセリフなのだ。相手に覚えていない≠ニ言われたら、それが嘘≠ナあることは証明できない。ある場所にいたことが明確でも、本人が記憶にない≠ニ言えば、それ自身の真偽を明らかにすることは不可能なのだ。 |
頭の中(05/12/21-983)
自分のことは自分が一番分かる。何と言っても、自分≠ヘ自らが分かる≠ニ書くのである。たしかに、頭の中で考えていることは他人には分からない。話している相手のことを悪く思っていても、ごまかすことができる。だから、人をだます詐欺師も横行する。殺人事件を犯しても、静かに生活をしながら捕まらない人間も出てくる。誰が見ても犯罪者だとは思えない。そんな行動ができるのである。また、どうせ、私をだますーならー、だまし続けて、欲しかああった…≠ネんて、演歌も生まれる。とにかく、人の頭の中は分からない…。もっとも、自分の気持ちがそのまま表情に出る人もいる。世の中には、そうした正直な方もいらっしゃるのだ。こうした人たちは、すぐに自分の思いが他人から悟られてしまうのである。もっと大胆に対応しながら、感情を出さないでおける訓練法はないものか=Bそんな気持ちにもなると思う。しかし、そうした方々についても、頭の中で考えていることのすべて≠知ることはできない。だから、いろいろ怪しい事態が起きてくる。とくにすごいのは、しっかり覚えているのに、平気で記憶にない≠ニ発言できる人がいることである。この記憶にない≠ニいう言い方は、なかなか強力で、考えようによってはオールマイティのカードに近い。そうなるのも、われわれが他人の頭の中を覗けないからである。この記憶にございません≠ニいう発言が話題になったのは、あのロッキード疑惑の証人喚問のときだった。とにかく、際どい質問を受けると、証人が記憶にございません≠ニ答えるのである。だれが考えたか知らないが、これは証人喚問≠ノおける最高のセリフだった。少なくとも喚問される側には、まさに伝家の宝刀≠ネのだ。 |
クレーマー(05/12/20-982)
今月のはじめに話題にした電気シェーバーが、修理を終えてわが家に帰ってきた。パキンと折れた刃の替わりに新品が付いている。修理というより交換である。こちらの期待通りである。なにせ、ほとんど使っておらず、乱暴に取り扱ったこともない。そこで、電器屋さんに出すときにメモをつけた。「@洗浄してから刃を取り付けようとした際に折れた。決して無理な使い方をしたわけではない。A出張用に使っているため、まだ電池交換を1回行っただけの状態。したがって、刃が消耗するような段階ではない」。こんなことを言うと怒られそうだが、お店の担当者が、ちと頼りなさそうに見えた。そこで、こちらの気持ちをメモにしたのであった。この効果の有無は分からないが、とにかく満足できる結果になったのである。ところで、シェーバーが入れられていた袋には、先方の修理伝票が付いていた。それを見ると、「症状」欄に、「内刃欠損」と書かれている。これはその通りである。それだけだと何の感慨もないのだが、その下にさらに2行のメモがある。「無理な使用の仕方していないのに破損 早過ぎとクレーム」。たしかにその通りだ。だから、そのことを文章にして修理を申し出たのである。したがって、これは会社にとっては、いわゆるクレームであることに違いない。それはそうなのだが、はっきりクレーム≠ニ書かれているのを見て妙な気持ちになった。「わたしゃクレーマじゃないよ」と言いたくなるのだ。自分としては、正当な理由から修理をお願いしただけのこと。淡々と手続きを取ったつもりなである。こうした内部のメモはお客には見せない方がいいんじゃないかしらね。もっとも、クレームをそれほど否定的に捉える方が、明らかに考えすぎなんですけど。 |
遺品の所有権(05/12/19-981)
法律は何のためにあるのか。それが分からなくなることが、けっこうある。たとえば、殺人事件の被害者の所持品はどうなるか。たまたまスクラップを見ていたら、ものすごい記事を貼り付けていた。見出しは、「殺された娘 遺品、死刑囚へ」とある(朝日新聞2000年1月18日付)。いまから、20年以上も前のことである。北陸地方に住んでいた女子高校生が行方不明になり、雑木林で遺体が発見された。捜査の結果、誘拐した上で殺したとして犯人が逮捕された。この他にも殺人を犯していたこともあって、最高裁で死刑が確定した。そこで、遺族は殺害された被害者の衣類などを返還するように求めたのである。ところが、ここから先が驚いてしまう。それらが犯人に戻されたというのだ。たしかに、遺品は、逮捕された際に、「犯人から」証拠として押収されている。だから、「第一次的受還付者」は「被押収者」としての「被告人」だというのである。なんとも、小難しい用語が並んでいる。ことばを厳密に定義しなければならないという理由なのだろうが、法律用語はとにかく人を寄せ付けない。それでいて、人の心が起こす犯罪を裁こうというのである。「うーん」と首を傾げたくなる。とにかく、そうした事情のために、裁判所からはすでに犯人に還付したという連絡があったというのだ。そこで、両親が拘置中の死刑囚に対して返還を求める手続きを取った。それに対して、遺品とされた現金165円と手紙が届いたのである。その手紙には、「荷物はもう処分した」と書かれていたという。ニュースにはならないが、こんなことがあちこちで起きているんだろうと思う。法的な手続きのために人間が存在しているのではない。もっと人の心を解するようにしてもらいたいものだ。 |
ヘルメットの安全性(05/12/18-980)
まだまだ、驚異の注意書きは続いている。コンピュータのプリンタで使うトナーも登場する。なんと、「トナーを食べないこと」という警告が付いているというのである。あんなもん食べる人がいるのかいな。さらに冷房機には「窓から外に落下させないで」と書いてあるらしい。どの程度の大きさか知らないが、上から投げ捨てられてはかなわんがな。こうした警告や注意は遊びで付けられたのではない。そのほとんどが、消費者から実際に訴えられたものをもとにしているというのである。すさまじいったら、ありゃあしない。記事はまだ終わらない。バスケットでゴールの網に引っかかって歯が2本取れた。それでゴールを作ったメーカが訴えられてしまう。こちらは10代の少年。どんな感じで歯が引っかかったのかイメージが湧かないが、とにかく賠償請求なのである。さらには、電子レンジに猫を入れた人がいる。風呂にでも入れた後だったのか、その毛を乾かそうとして、レンジに入れたらしい。これじゃあ、猫もたまったものではない。当然のことながら死んでしまった。しかし、これまた製造元は訴えられるのである…。そう言えば、ある講演会で、これらに負けない話を聞いたことがある。それは、アメリカ製のヘルメットの話題だった。そのヘルメットに注意書きがあるという。その内容は、「このヘルメットは危険なところではかぶらないでください…」。さすがに、これはジョークだったと思う。あまりにもひどいアメリカの訴訟社会を皮肉ったというわけである。こんなことしてたら、そのうち、注意書きが百科事典のような厚さになるに違いない。そして、「この注意書きを読むと目が悪くなるので読まないでください」なんて書いてあったりしてね。やれやれ…。 |
スーパーマンのマント(05/12/17-979)
朝日新聞に掲載されたアメリカにおける傑作注意書きは続く(2000年1月22日付)。このマントは飛行には使えません≠ネんてものもあるそうだ。ひょっとして、彼の国には自分をスーパーマンと間違えて、マントを着て2階から飛び降りたりする人がいるのかしら。そんなことまで考えていないと、訴えられたらアウトというわけである。そんなわけで、アメリカには「訴訟乱用監視団」という団体もあるそうだ。そして、注意書きの傑作≠毎年発表しているという。あまりに極端な動きにはバランスを取ろうとする。そんなところがアメリカらしい。しかし、もともと乱用≠ェなければ必要ない組織である。そう考えると、お互いもっとほかのことにエネルギーを向けた方が世の中のためになると思ってしまう。ともあれ、まだまだ傑作≠ヘ目白押しである。乳幼児の手押し車も驚異的だ。赤ちゃんを乗せたまま折りたたまないこと≠ニ注意を呼びかけているという。ズボンプレッサーじゃああるまいし、赤ん坊がのっぺらぼうになっちゃうじゃないかい。炎天下の車に赤ん坊を放っておくような親もいるから、こんなこともありか…。携帯用マッサージ器なるものがあるらしい。その注意書きは、就寝中の人には使えません=B製品のイメージがつかめないが、寝た人間が自分でマッサージするわけもない。そうでなくて、寝ている人に使ったりすれば、それはもう安眠妨害も甚だしい。それが見知らぬ女性でもあれば、何のことはないセクハラまがいの犯罪になっちまう。うーん、誰が見ても冗談としか思えないようなことがマジで考えられているのも、訴訟社会のなせる技なのか。 |
驚異の注意書き(05/12/16-978)
アメリカの損害賠償≠フすごさには驚かされることが少なくない。金額は忘れたが、ファーストフードのコーヒーが熱くてやけどをした老人が会社を訴えて、やはり高額の賠償が命じられたこともある。やはり、日本円では億に達していたと思う。また、ファーストフードが肥満の原因だとして訴訟になったこともあった。こうなると、虫歯≠熈糖尿病≠熈肝硬変≠焉A何でもかんでも会社の責任と言うことになる。あのやめられない、とまらない≠ニいうCMコピーも、アメリカでは使えないのではないか。あんなCMを流すから、ドンドン食べて肥満になってしまった。どうしてくれる≠ネんて話になりかねない。そんなことで、企業側でも対策を練るのだが、それが行き過ぎて滑稽な内容になることがある。少々古いが、朝日新聞に「傑作£壕モ書き、続々」という記事が掲載された(2000年1月22日)。これが抱腹絶倒なのだ。身につけたままの衣類にこのアイロンをあてないでください=Bもちろん、アイロンの使用説明書である。シャツを着たままアイロンかけるかあ!もう遅刻するなんて慌てる旦那に奥さんがアイロンを振りかざして追いかけたりしてね。もちろん、その逆もあって、ちょっと時間がないのよ。わるいけどブラウスの上からアイロンかけてよ≠ニ奥さんが絶叫するなんてこともあるのかしら。それでやけどすると、注意書きに書かれていなかった≠ニいって訴えられるというわけだ。うーん、これじゃあ会社としてもやってられないだろう。しかし、とにかくそれがアメリカの現実なのである。とにかく、あらゆる危険性を漏らしてはならないということだ。ここまでくると、われわれには驚異≠セが、会社には脅威≠ニいうべきだろう。 |
超高額賠償(05/12/15-977)
賠償責任≠ノ関しては、本家本元というべきか、アメリカはすさまじい。企業に負わされる金額のケタが違う。タバコで有名なフィリップ・モリス社は、喫煙の危険性を知らせなかったとして、肺ガンになった64歳の女性から訴えられた。この女性によると、17歳のときからたばこを吸い始めたらしい。しかし、フィリップ・モリス社は喫煙とガンに関する情報を隠していた。だから、そのままタバコを吸い続けたというのである。そして、それが原因で肺ガンになったと訴えたのだ。日本人よりも自己責任≠強調しそうなお国柄だと思っていたが、このあたりは他者の責任追及が激しいところもある。ともあれ、これに対してカリフォルニア裁判所は、会社に280億ドルの損害賠償を支払えという評決をしている。これは2002年のことだが、当時のレートで3兆4000億円である(熊日10月5日付夕刊)。さらに、これとは別に治療費などを保証する85万ドル(約1億円)の支払いも命じたという。会社に対する懲罰的な意味合いもあるらしいが、それにしても個人に3兆円を超える賠償を評決するのだから、なんとも凄まじい。ただし、この手の記事は金額が大きくてニュースになりやすいが、その後のフォローはほとんどない。だから、この女性が実際に満額を手にしたのかどうかは分からない。会社だって、すんなりはいそうですか≠ニは言わないだろう。それこそ訴訟社会なのだから、対抗する措置を執っただろう。そして、その結果は、落ち着くところに落ち着いているのかもしれない。このあたりの情報もきちんと知らせてもらわないとまずいのである。そうでないと、アメリカ人はなんでも法外な要求をする連中だ≠ネどといった、一面的な見方しかできなくなる。 |
賠償問題(05/12/14-976)
とにかく、いろいろなことが起きる。私は株に関してはまるで知識がない。しかし、今回の証券誤発注というのは、相当にひどかったようだ。なにせ、上場しようという会社の株が1円というのだから、株に知識がなくったって買うに決まってる。いやいや、われわれ庶民なら、そんな馬鹿なことがあるものか≠ニ、まずは疑うに違いない。そして、これこそ、オレオレ詐欺まがいの怪しいものだ≠ニ考えて、手も出さないだろう。それが一般常識というものだ。ところが、プロの世界ではそうはいかないらしい。とにかくあっという間に数百億円の損失を出したと言うから、恐ろしい世の中である。しかも、その責任については、ややこしくなっているようだ。まずは、誤って入力した証券会社に一次的責任がある。これは当然だ。しかし、それに気づいて修正しようとしたが、うまくいかなかった。東証のシステムに大きな欠陥があったのである。そうなると、そのシステムを構築した富士通までもが問題になってくる。とにかく、このごろは問題が起きるとダメージが大きい。しかも、企業は社会的責任を追及される。その程度も、時間とともに厳しくなってきた。社会的責任といえば、製造物責任法≠ニいうものがある。これは、1994年に作られたもので、英語のProduct
Liability Actの頭文字を取って、PL法と略称されている。この法律によって、製造者の責任が法的に規定された。使用説明書も、まずは「警告」や「注意」ではじまる。パソコンのバッテリーを「火中に投入したり加熱したりしない」「釘で刺したり、衝撃を与えたり、分解・改造をしたりしない」などと、常識ではするわけがないことも書かれている。しかし、そこをきちんとしておかないとまずいのだ。 |
人間ドック(05/12/13-975)
お気づきになった方もいらっしゃったと思うが、昨日の本欄は日付とナンバーが間違っていた。先ほどチェックしてみたら(05/12/13-975)となっていた。これは本日分に当たるものだ。どうしてそうなったのか、理由はまったく分からない。もちろん、すぐに訂正させていただいた。ところで、昨日から人間ドックに入っている。母が47歳という若さで亡くなってしまった。胃ガンということで摘出したのはよかったが、それから1週間ほどしてお腹がふくれた。縫合不全≠セったとのことで、再び手術室へ運ばれた。そして、その回復を見ることなく帰らぬ人となった。もう32年も昔のことになる。そんなこともあって、共済組合から補助が出る年齢に達したときから、人間ドックに通っている。今年で22回目である。はじめのころは何の問題もなかった。若いから当然である。そのうち、あちこちで不具合が発見されるようになる。これも加齢によるものだから仕方がない。その年齢に応じた結果が出るものである。それでも、帰るときにはさっぱりした気分になる。また、しっかり健康に気をつけようと思うのである。もちろん、それは胃カメラなどで何も発見されなかったと言われたときの話である。私としては、父や母のことがあるから、いつか再検査≠ニ宣言されることを覚悟している。胃カメラは今日のメニューであるが、さてさてどうなることやら。まあ、それはともあれ、1泊2日のコースで、年に1度だけのんびり過ごす…。とまあ、そう言いたいところだが、ついつい仕事を持ち込んでしまう。外から電話もかからないし、人がやってくることもない。だから、日ごろの職場よりも仕事がしやすかったりして…。このネタだって、ドックの部屋で書いている。 |
構義≠フ大切さ(05/12/12-974)
学生のおもしろ♀ソ字の続き。混乱≠ヘ、ものごとが混ぜこぜになって乱れている状態を指している。これに対して困乱≠ヘそうした状況に置かれた当事者の心の状態を伝えているのである。学生にとっては、こちらの表現の方が事実に近いのかもしれない。それにしても、昨日から取り上げた授(う)ける∞特意∞困乱≠ヘ、一人の学生が書いたものである。まあ、独創性があるとも言えるが、やや思い込みで走る傾向が伺える。まずは、ことばの勉強をきちんとしていただきたいものである。しっかり正解を知った上でことばの遊び≠するのであれば、頭の体操になっていい。このほかに、構義≠ニ書かれたレポートもあった。講義≠ェ講議≠ノなるのは間違いの定番である。これは学生だけでなく、一般の方にもよく見られる誤りだ。講義はものの意味である義≠講ずる(述べる)≠フだから、ごんべん≠ヘいらない。その意味で、しゃべらないと進行しない会議≠フ議≠ノはごんべん≠ェついている。しかし、構義≠烽ネかなかのできだと思う。構≠ヘものを組み合わせて作り上げることだ。だから、ものの道理や意味を作り上げる≠アとは極めて重要なことである。学問だって、さまざまな要素を組み合わせて新しい発想を導き出すから意味があるのだ。正しくないものをあまり大げさに評価するのもどうかとは思う。しかし、学生たちのレポートを読んでいると、なかなかおもしろい世界が広がっていくのである。もちろん、誤りは誤りとして伝える必要がある。しかし、われわれは間違った体験から多くのことを学ぶ。私が小学校5年生のころ、漢字テストで雑木林≠ざつもくりん≠ニ読んでしまった。その失敗は今でも忘れない。 |
おもしろレポート(05/12/11-973)
この欄で学生のおもしろ答案について書いたことがある。とくに漢字の誤りには笑える逸品が少なくない。最近もレポートを読んでいたら、そうした類のものが出てきた。強烈におもしろおかしいというほどではないが、忘れないうちに見ておこう。まずは、講義を授けて≠ニいうのがあった。もちろん、受けて≠ェ正解である。授けて≠ヘさずけて≠ニ読む。この間違いの原因については心当たりがある。私自身が授業のはじめに、過去にあった学生の誤りを取り上げて話をした。「授業≠受業≠ニ書いた人がいました。もちろん、授業≠フ間違いです。しかし、よく考えると授業≠ヘ業を授ける≠ニいう意味だから、教師はまるで神様ですね。まあ、学生の立場から言えば、業を受ける≠ニいう心構えでいてくれた方がいい。その点では、受業≠煦ォくはないな…」。ひょっとしたらこの発言が効いたかもしれない。授業≠ネタにして何か言ってたなという記憶があったため、受ける≠ツもりが、つい授ける≠ノなってしまった。うーん、この解釈も無理があるかなあ。理由なんてない、単なる勘違いか思い込みなのかもしれない。さらに、人前で話すのが特意でない≠ニいう言い回しもあった。この正解は言うまでもなく得意≠ナある。ご当人には、特別の意識≠持って当たらなければ、うまく話せないと感じているのだろう。まあ、これも何となく気持ちは分かるような気がするからおもしろい。妙に納得してしまうのである。もうひとつは、困乱≠セ。事態が混ぜこぜ≠ナ乱れて≠「るので、混乱≠キるのである。しかし、当事者としては、大いに困って=A心は千々に乱れる≠ノ違いない。そう考えると、困乱≠烽謔ュ分かる。 |
孫のパワー(05/12/10-972)
あの地下鉄サリン事件が起きたのは、1995年3月20日月曜日のことである。あれからすでに10年以上が経過している。しかしながら、教祖の裁判は停滞したままだ。そんな中で、村上春樹氏の「アンダーグラウンド」を読んだ。99年3月20日に第1刷が発行されているから、古い本の部類に入るだろう。家内が買っていたものが本棚にあって、それに手が出たのである。700ページを超えるこの本には、60名ほどの関係者を対象にしたインタビューが掲載されている。関係者といったのは、被害者だけでなく対応した医師なども含まれているからである。ことの性質上、匿名と実名が入り交じっている。当然と言うべきか、被害者たちのすさまじい肉声が伝わってくる。あれから10年が過ぎても、問題はほとんど解決していない。そう言えば、松本サリン事件で犯人扱いされた河野義行氏の奥さんも、いまだに意識が回復しないままである。これから先、どうなるのだろうか。この本を読んでいると、激烈な悲しみを感じるとともに、生きる勇気も湧いてくる。この欄でも、ときおり具体的な内容を取り上げていきたい。さて、事件当時58歳だったS氏は、孫に救われたと言う。事件後に入院した病院で、ほとんど意識がない状態が続いていた。そのとき娘さんが妊娠していて、奥さんのお姉さんが、初孫の顔も見ないでどうするのよ≠ニベッドサイドで叫んだらしい。ご本人によると、その声だけは、はっきり聞こえた。そして、これは会わんといかんな≠ニ思ったという。だから、Sさんにとっては、お孫さんが生き返らせてくれたという気持ちになるのである。とてつもない悲劇の中で、少しばかりホッとする証言である。もうお孫さんは小学生の中学年になっているはずだ。 |
目標達成とリーダーシップ(05/12/09-971)
自分はしっかり目標を達成しなければならない≠ニ思っている。しかし、仕事仲間については、少なくとも自分ほどではない≠ニ考える。いかにも自己中心的に見える反応である。しかし、それはそれでけっこうなことではないか。仕事仲間≠ニ聴かれれば、そこには複数の人々が含まれる。その中には、自分≠謔閧焉A高い目標達成基準を持っている者がいるかもしれない。その一方で、かなりいい加減に見える仕事仲間≠セって含まれている可能性もある。そうした人たちを合わせて評価すれば、自分≠フ方が意欲的だ。そんな思いがあって、自分のやる気≠フ方が高いと回答することになる。こうした理由で、自分≠高く評価する傾向が強くなるのであれば、当然の結果でもある。むしろ、他人≠ヘやる気満々なのに、自分≠フ意欲はパットしない。そんな気持ちが強いようなら、その方が組織にとっては問題である。ここで大切なことは、お互いにこうした認識でいることを職場で明らかにすることだ。なあんだ、みんなやる気があるんじゃないか≠ニ確かめ合えばいいのである。われわれは、この他の項目も含めて、業績規範≠ニいう要因にまとめている。その中には、職場では仕事のことで自由に指摘し合ったり、批評し合うことがありますか≠ニいった質問も含まれている。こうした項目で測定した業績規範≠ノ関する結果を見ると、これまた興味深い事実が浮かび上がってくる。それは、職場における管理者のリーダーシップが、部下たちの規範∴モ識に大いなる影響を与えているということである。リーダーシップは、私にとって主要な仕事である。したがって、リーダーシップと業績規範との関係については、あらためて考えることにしたい。 |
仕事仲間と自分(05/12/08-970)
職場の目標達成≠ノ対する認識度を調査すると、興味深い結果が出てくる。まずは、あなたの仕事仲間は目標達成についてどう思っているか≠ノ回答してもらう。それに続いて、それでは、あなた自身は仕事の目標達成についてどう思いますか≠ニ聴いてみる。その結果、多くの場合この両者に差が出てくるのである。みなさんも、ご自分の職場をイメージして回答していただくといい。いかがだろうか。自分≠フ方が、仕事仲間たち≠謔閧熏bュなった方がけっこういらっしゃるのではないか。まあ、控え目な方であれば、同じ程度≠ニいう回答をされたかもしれないけれど。少なくとも、われわれが手にしているデータでは、多くの場合、自分≠フ方が高い目標達成意欲を持っていると回答するのである。こうした傾向は、なかなか興味深いと思う。ことを簡単にするために、A・B・Cの3人からなる小さな組織を考えてみよう。まずAさんは、B・Cと比べて、自分の方が目標達成について高い基準を持っている≠ニ考えている。ところが、Bさんに言わせれば、私は目標を達成することを真面目に考えているが、AやCはいまひとつだ≠ニ認識しているのである。そして、Cさんだってまったく同じことを思っている…。何のことはない、全員が自分はしっかり目標達成に取り組んでいるが、他人はどうも達成意欲に問題がある≠ニ考えているのだ。自分だけは、やる気があるんだ≠ニいう自己中心的な認識を持っているのである。しかし、このことが直ちに問題だとは言えないだろう。それぞれが、そのくらいの意欲を持っていることが、組織にとって大きな力になる。メンバーたちに自分こそは≠ニいう気持ちがあれば、その組織は元気がいいに違いない。
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目標に対する意識(05/12/07-969)
組織のメンバーたちが目標≠努力目標≠セと認識している限り、それを本気で達成しようとする人間は少なくなる。何と言っても、みんなが目標はあくまで達成すべきものだ≠ニ考えていることが重要だ。その意味では、目標≠ヘノルマ≠ニ言い換えることもできる。ただし、ノルマ≠ニいうことばには、マイナスのイメージが伴っている。もともと無理≠ネことを強要する≠ニいった感じがする。それは、ソ連時代の制度という歴史を背負ったことばだからだろうか。われわれとしては、ノルマ≠ナはなく健全な目標≠立てて、その実現に努めたいものである。ところで、仕事の目標達成に関しては興味深いデータがある。福岡の(財)集団力学研究所では組織に関する調査を行っている。その中に、「あなたの仕事仲間は職場の目標達成についてどう思っていますか」という項目がある。これに対して5つの選択肢から選択する。5.目標以上に達成すべきだと思っている∞4.目標だけは達成したいと思っている∞3.できるだけ目標は達成したいと思っている∞2.あまり目標を達成したいとは思っていない∞1.目標など達成しなくてもいいと思っている=Bこの質問に対する回答が、組織によって違ってくるのである。当然のことながら、4や5と答えるメンバーが多い職場には活気が感じられる。その反対に、1や2が目立つようでは、集団そのものの存続も危うい感じになる。それこそ、メンバーたちが目標≠努力目標≠セと受け止めていれば、1や2といった否定的な回答が増えることになる。目標が形だけで、単なるスローガンに過ぎなくなっているのだ。このあたりを分析しはじめると、じつにおもしろい事実が明らかになってくる。
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1万枚の重さ(05/12/06-968)
まだまだ、郵便局員の年賀はがき割引が気になっている。この事件≠フ発端は、1万枚≠フはがきを売るのが職員の目標≠ニされたことである。私自身の感覚では、1万枚のはがきを捌くのは大変だろうと思う。なにせ、50万円分である。それも、仕事をせずにセールスに回るわけではない。とくに年末は郵便局も忙しい。数日前、時間外に郵便局の窓口に行った。はがきを買うのが目的だったが、駐車場は満杯だった。ようやく空いて中に入ると、長蛇とまではいかないが、10人ほど並んでいた。その用件も多様だ。不在配達された郵便物を取りに来た、年賀はがきを買う、切手を買う、書留を送る…。これに対応するため2人の職員が駆け回っていた。一人が終わると、かなり大きな声で、ハイ、次の方どうぞ≠ニ呼びかける。この大声≠ヘなかなかいい。待っている者にも、あれだけテキパキとやってくれてるんだから、我慢して待たんとあかんなあ≠ニいう気持ちにさせる。忙しいので待ってくださいね≠ネんて言い訳をしなくても、ちゃんとしたアピールになっている。そんな状況の中で、知り合いなどに頭を下げて年賀はがきを買ってくれませんか≠ニお願いしなければならないのだ。付き合いが広い人はいいが、職員の中にはそうでない人もいるだろう。そうなると、1万枚の目標≠ヘ相当に重いものになる。2万円ぐらいは身銭を切っても、業者に販売しようか=Bそんな気持ちにもなってしまうのではないか。私の記憶が正しければ、昨年もチケット販売業者≠ノ売ったという記事を読んだような記憶がある。こちらの方がもっと自己負担≠ェ大きいだろう。こうしたニュースが年末の恒例になるようだと、構造的な問題だと言われてしまう。 |
ノルマと目標(05/12/05-967) 本日、どなたかが77777≠ゲットされました(AM4:46確認)
郵便局員が年賀はがきを割引販売した話の続き。報道によると、関係者は1万枚の年賀はがきを販売するのはノルマ≠ナはなく目標≠セとコメントしている。これは、両者が違うということを暗示している。つまり目標≠ヘ絶対に達成しなければならないもの≠ナはないのである。そこまで売れればいいな≠ニいう期待なのだ。どんなことがあっても、これだけは売れ≠ニいう厳しいものではないという解釈である。そうなると、目標≠ニは言いながら、じつは努力目標≠ニいうことになる。しかし、みんながそのように受け止めているかどうか。ここは微妙な話になる。ことばでは目標≠ナあっても、実態はノルマ≠ノなっている。現実には、その方が多いのではないか。それに、最近は目標管理≠ェ大流行である。この場合は、目標を努力すべきもの≠セなんて考えているわけにはいかない。それを達成しなければ、その後の評価に直結するのである。各人の昇進や給与に直接関わってくるからこそ、話題になっているのだ。それでは、ノルマ≠課すこと自身が問題なのだろうか。まあ、組織であれば、複数の人間が働いているのだから、やはりある種の評価基準は必要になる。そこで大切なのは、それが適切≠ネものであるどうかである。もちろん、その適切さ≠ノついても普遍的な物差しはない。ただ、仕事をしている人間が、ある程度は納得できることが必要である。それは、同時に仕事仲間がお互いに認める水準でなければならない。少数者だけが納得するようなものだと、恣意的になる可能性もあるからだ。そして、基準は固定したものではなく、普段から検討の対象にしておくことである。一時的に納得され容認された条件も、時間とともに変化する。 |
ノルマ(05/12/04-966)
ノルマ(norma)はロシア語だそうだ。その起源はラテン語で規範≠竍標準≠フ意味がある。これが英語ではnormとなる。私の専門であるグループ・ダイナミックス≠ナも、group
norm≠ヘ大事な用語である。日本語では、集団規範≠ニいう。広辞苑によれば、ソ連時代の制度で、労働者が一定時間内に遂行すべきものとして割り当てられる労働の基準量。賃金算定の基礎となる≠烽フである。それが転じて、一般に勤務や労働の最低基準量と考えられるようになった。したがって、ノルマを課す≠ニいうことは、そこまでやれ≠ニいうことであり、それが達成できないとマイナスの評価を受けることになる。だから、ノルマを果たす≠ニやれやれ≠ニ安心するのである。仕事をするからには目標は必要だ。しかし、あまりにも過重な目標≠ェノルマ≠ノなると、精神的なプレッシャーになって追い込まれる人も出てくる。熊本日日新聞に、ある県の郵便局員が年賀はがき割引販売のPRをしたという記事が載っていた(11月18日付)。この職員は郵便課の主任だとのことだが、地元の印刷業者約70社に、年賀はがきを割引価格で販売するという手作りの広告を作って配布したらしい。千枚以上は2円、1万枚以上だと2円50銭の割引だという内容だ。これが大いに問題になったというわけである。その背景には、販売のノルマ≠ェあることは容易に想像できる。関係者の話だと、各職員あたり1万枚前後の販売目標≠ェ設定されているとのこと。県の本部は、決してノルマではない。行き過ぎた営業活動は改めていく≠ニコメントしている。販売目標≠ヘあっても、ノルマ≠ナはないということなのだろう。ちょっときつい感じの発表だなあ。 |
大発見(05/12/03-965)
世界の歴史を振り返ってみると、大発見は偶然によるものが少なくない。コロンブスのアメリカ発見も、当時は西の方に航海すればインドに行き着くことになっていた。だから、目の前に大陸が現れたとき、それをインドだと思い込んだわけである。中米カリブ海に西インド諸島があるのも、そんな経緯からだろう。やたらと大きな話になったが、私もほんの数日前に偶然による大発見をしたのである。洗浄後に行方不明になっていたシェーバーの刃が出てきたのである。発見場所が想像もつかないところだった。大学の研究室にあるソファーのマットとマットの隙間に挟まっていたのだ。一体どうしてこんな場所に落ちて≠「るのか、その理由はわからない。私としては、自宅の机の上で本体と刃をセットにして封筒に入れたつもりである。少なくとも家に置いていたものであるから、それが研究室にあるなどとは夢にも思わない。当然のことながら、家捜ししたのは文字通り自宅であった。そして、間違いなく同じ封筒に入れたことまでは間違いないのである。それから、それをお店に持って行くために、出勤する際に鞄に入れたのだった。そして、職場から帰る途中、電器屋に立ち寄ったのである。その間に、研究室で封筒を開けた記憶はない。そうかと言って、2つに割れた刃が、自分たちで揃って隠れたとは思えないではないか。人間は気づかないうちに、いろいろなことをしている。また、自分の意図と外れたことがあっても、そのすべてに気づくとは限らない。そんなことで、あとで考えても、自分で説明ができないことが起きる。そんな感慨に耽りながら、久しぶりに、2つに割れた刃を家に連れて帰ってやろうと思っていたのに、その日は、また仕事場に置いてきてしまった…。 |
捜索断念(05/12/02-964)
B電器の従業員は親切≠ノも、シェーバーの刃の保証ができるかどうかメーカーに聞いてくれた。それはいいが、その時間の長いこと。途中から長いと感じたので、トータルの時間は計っていないが、優に15分はかかったと思う。その間に、他のお客さんがやってきて何か言いたそうな顔で待っている。まわりには従業員もいるのだが、気づかない風情である。こっちは、その時間を食っている立場だから気が気ではなかった。そのときは、それほど客はいなかった。こうした小さな関わり方がその店の評価を決めるのだと思う。余計なお節介ではあるが、あそこでお客さんが待ってますよ≠ュらいのことを言いたくなった。どうするかと躊躇しているうちに、ようやく電話が終わった。刃もいっしょに持ってきてください。あとはメーカーがどう判断するかです=Bこの程度の結論にしてはずいぶんと時間を要したものだと感心した。こちらとしては刃の現物がないのだから、ハイ、分かりました≠ニ引き下がるしかなかった。さっそく自宅に帰って行方不明の刃を探したが、これがどこへ行ったのやら、どうしても分からない。そんなことで、拳を振り上げて、交換だと意気込んだ割にはなすすべもなくあきらめるしかなかった。それからしばらく経過して、やはり出張用には必要だということで、あらたに購入することにした。今度は充電式だ。新しいものを買うことは、それだけで楽しい。そんな満足感に浸りながら帰宅した。しかし、まだ新品に近い前の製品を見ているともったいないという気持ちが湧いてきた。そうだ替え刃を買えばよかったのだ。しかし、これがまた本体価格の割には高いのが相場である。それなら新品のほうがいい。これがいまどきのわが国の経済である。 |
蒸発した刃(05/12/01-963)
シェーバーを水洗いした後で本体に刃をセットしようとしたら、パキッと折れてしまった。ただ台に取り付けるだけだから、とくに無理をしたわけではない。それほど高価なものではないが、何分にも5月に買ったばかりである。しかも、基本的には出張用として使っているから、まだそれほど消耗しているはずがない。私の記憶では、乾電池を替えたのはわずかに2回である。これはどう考えても補償の対象に違いない。そう思ったものの、保証書を保管した記憶がない。そんなわけでシェーバーのことは頭から消えていた。ところが、数日後に机の引き出しを整理していたら、問題の保証書が出てきたのである。これはシェーバーが修理して使ってちょうだい≠ニ言っている証だ。そう思って購入先のB電器に行くことにした。お店で本体を出して保証書を見せた。すると、刃は消耗品ですから≠ニ言う。そこで、そうかもしれないけれど、まだ買って半年ですよ。それに出張用なので、期間の割にはほとんど使っていない。これを見てくださいよ、きれいなもんでしょう=Bそう言って本体を突きだした。さらに問題の刃を見せようと、外刃のカバーを取り去った。まるでこれが目に入らぬかーっ≠フ遠山の金さんに負けない迫力だ。ところが、その中は何と空っぽだった。ありゃりゃ。なんちゅうことかいな。相手のおじさんも、はあーっ、何ですかあ≠ニあきれ顔。たしかにカバーの中に無惨に折れた2つの残骸を入れていたはずなのに…。こうなると、攻守は逆転だ。まあ、一応メーカーには事情を言ってみましょうかね=Bええ、ああ。すみません=B何ともかっこうわるいなあ。それにしても、あの刃はどこに消えたのか。このごろこんなことが増えてきた気がする。 |
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