評価されなかった結果(05/10/31-932)
ロッテは31年ぶりの優勝らしい。金田正一氏がコーチャーボックスで踊りながら指揮を執った時期である。あの太平洋クラブ・ライオンズがBクラスに低迷していた時代に当たる。金田監督がライオンズを徹底的に馬鹿にして、平和台球場でのロッテ戦を遺恨試合に仕立て上げた。試合が終わっても観客が騒いで、ロッテの選手たちが球場から引き上げられない事件≠ェ起きたこともある。なぜかその日は肌寒く、選手たちがダッグアウトの前で≠スき火をしていた…。そんな信じられない光景が記憶にある。もちろん、私はそのときに平和台にいたのである。それ以来の優勝だというから、相当なものだ。しかし、ひょっとしたら、今回の歓喜の声はもっと前に体験できていたかもしれない。じつは、バレンタイン氏は10年前にもロッテの監督だった。そのときは、万年Bクラスだったロッテを2位にまで持ち上げた。大いなる成果を見て、ファンはもちろん誰もが留任だと思った。ところが、彼は1年ぽっきりで辞めてしまったのである。細かい事情は知らないが、辞めさせられたといった方が正確だろう。その際の責任者が広岡達郎氏である。ヤクルトや西武を優勝に導いた名将で、ジェネラル・マネージャーなどという、当時は聞いたこともないような要職に着いていた。その広岡氏がアメリカからバレンタイン氏を呼んだのである。ところが、開けてみると監督のやり方が気に入らなかったらしい。そこで、2位まで引き上げたバレンタイン氏を1年で首にしたのである。今から考えれば、この事件≠ナ、ロッテはさらに長いこと優勝の美酒から遠ざかってしまったのではないか。そんな気がするのだ。実際、あの辞任劇に疑問を感じた人間は、玄人だけでなく素人にもいた。 |
結果論の世界(05/10/30-931)
ロッテが日本一になったことで、しばらくはバレンタイン監督のリーダーシップ論が花を咲かせることだろう。勝てば官軍、負ければ賊軍の世界である。もう阪神の監督も選手も見向きもされない。ああ、怖い…。これはスポーツ界に限らない。この世はとかくに結果論が幅をきかせる。子育てだってそうだ。厳しく育てて子どもが立派になる。あんな風にきちんとけじめをつけて教育するからいい人間に育つのよ。さすがだね=Bこれが逆になると、それ見たことか。やたら厳しいから、子どもだってどまぐれるのさ。その一方で、優しく育てて成功すれば、やっぱり人間は愛が必要なんだ。愛情あふれる教育にはいつも感動してたもの≠ニ賞賛される。その反対に問題を起こすとどうなるか。何たって、甘やかし過ぎだよ。あれじゃあ育つものも育つわけがない≠ニ非難される。まあ、結果がよければ何でもよしということである。そして、結果が悪ければ、あれもこれも失敗の原因として取り上げられる。このあたりについては、心理学もちゃんとした答えを出し切っていない。ややもすると、状況によって、その影響も違う≠ニかどちらにしても、やり過ぎるのはまずい≠ネんて答になってしまう。こんな説明をしていたのでは、そりゃあそうじゃ。だからどうすればいいの≠ニ笑われてしまう。それはともあれ、バレンタイン氏は雰囲気がいい。見るからに明るくて、いい人≠ニいう印象を与える。これは人徳のなせる技なのかもしれない。それだけで大いなる得をしている人だと思う。この人は、叱らず≠ノほめる≠アとを基本にしているんだそうな。人間は完璧ではないから失敗もする≠ニいう考え方で選手を評価するという。これで失敗した選手は救われる。その一方で、これだと思うとそれを貫き通す頑固者でもあるらしい。義理人情にあふれた大親分という感じがしてくるではないか。 |
母の33回忌(05/10/29-930)
私事で恐縮だが、本日は母の命日である。いまから32年前の1973年(昭和48年)の朝5時過ぎに亡くなった。その日は月曜日で雨が降っていた。何気なく計算してみると、父が56歳と8ヶ月のときである。わずかではあるが、私はその年齢を越えている。父は、それからずっと20年近くを一人で行き続けた。母が逝った日、父は日記に世界最高の妻が死んだ≠ニだけ書いた。葬儀に参列してくださる方の人数が、自分が思ったよりも多かったらしい。これも妻の人徳だ≠ニ記した。その後も、とにかく母がすばらしかったことを書き続けた。身の回りのことは母に頼りっぱなしで、何もできなかったといっていい。妻を亡くした心理的な悲しみはいうまでもない。しかし、それに加えて日常的なことにも困ったと思う。同居していた妹が結婚した後は、完全に一人になった。それでも郷里の福岡を離れることはいやがった。私が家内からその日に着けるネクタイを手渡されているのを見て、お前もワシと同じだな≠ニ笑っていた。私の長男が生まれたのは、月曜日の早朝だった。何か巡り合わせのようなものを感じて、息子の名前に母の名の一文字≠入れることを提案した。もちろん父は賛成してくれた。あれから満32年が経過した。いわゆる33回忌の年になったのである。お寺さんの都合がつかず、33回忌の法事はすでに済ませた。明日が法要という日に友人から食事に誘われた。それを理由に断ると、33回忌とは立派≠ニほめられた。ご本人としては、本当に評価してくれたつもりだったと思う。しかし、それはちょっと違う。私の年で33回忌を営むということは、それだけ母が早く亡くなったということなのだ。享年47歳は何とも早過ぎる。 |
おめでとう、ロッテ(05/10/28-929)
西武ライオンズに日本一になってもらいたい≠ニいうにわかライオンズファン≠ナある私の願いは叶わなかった。えっ、いつお前がライオンズファンになったんだ≠ナすって?その理由は、9月30日から1週間ほど書き続けたこの欄をお読みいただければ、十分に納得していただけると思う。ともあれ、ロッテが圧倒的な強さで日本一になったのである。まずは、ロッテ、優勝おめでとうございます=B日本シリーズの経過を見ると、阪神ファンにはお気の毒な流れになってしまった。とにかく、勢い≠ニいったことばでは説明できない強さだった。セリーグとしては、昨年に続いて、パリーグ2位≠フチームに負けてしまったことになる。セリーグファンはそんなことほとんど気にしていないかもしれない。しかし、とにかくイヤーな感じですよね。それにしても、ロッテの選手をどのくらい知ってますか。まあ、バレンタイン監督は知ってるわね。それから…。こんなこと書くとロッテファンから怒られるが、あとは黒木という投手がいたっけ。それから、潜水艦とかいう下手投げのピッチャー。わざとらしいが、これを書いているたったいま、名前を思い出せない。とにかく有名人≠ェいないのである。それで日本一なのだ。それこそうん億円≠払ってトレードしたチームより強いのである。何でも知っているような顔をしたキャスターが、ロッテは人材を育ててきた≠ニいった表現で伝えていた。どうせスタッフが書いた記事を読んだだけだろう。しかし、それは事実なのだと思う。人を買う≠フではなく育てる≠アとの大事さを改めて知らされるような気がする。組織への忠誠心≠ネんて、もう死語同然だ。しかし、それを感じるメンバーが多いほど、その組織が強いことは疑いない。 |
飢餓不安の克服(05/10/27-928)
ホテルに着く前や寝台列車に乗る際に、ついつい食べ物を買ってしまう。そうした行動の原因は、夜中に腹が空いたらどうしよう≠ニいう飢餓不安であった。そのときの気持ちは、自分なりに了解していた。しかし、結論から言うと、買い込んだものはほとんど食べないのである。たしかに目の前に食べ物があるから、手が出ることはあったが、それも少しだけですんでいた。なあんだ、これって買うこともなかったなあ=B翌朝になると、こんな気分になるのであった。食べ物に手を出す前に眠くなってしまうのである。それだけ脳天気だったということかもしれない。しかし、事実はそうなのだけれど、それでも宿泊前の買い物はすぐにはおさまらなかった。というよりは、かなりの年になるまで同じことを繰り返していた。それだけ飢餓不安というものは強いのだと思う。もっとも、この話をしたら、私よりも年配に方から、自分はそんな経験はない≠ニ言われてしまった。そうなると、これは人類に共通する特性ではなく、私が食いしん坊だというだけのことかもしれない。しかも、結果としては食べない≠ナすますことが多いのだから、その不安には根拠がなかったとも言える。ただ、不安というものはそうした性質を持っているものなのだ。明確な根拠はないのに、何か気持ちが落ち着かずに、必ずしも必要でない行動を取ってしまうのである。夜中になってからは買うことができない≠ニいう追い込まれた状況も不安に拍車をかけるのだろう。いつも食い過ぎてるから、脂肪も付きすぎになってるじゃないか。一晩くらい飢餓を体験した方が、かえって体のためだ…=Bこんな発想ができれば、夜中の飢餓対策なんてすることはないのである。それがなかなか悟れない。 |
飢餓不安の結末?(05/10/26-927)
最近、蛇や爬虫類が街中で捕獲されるニュースをよく見る。大きな蛇が捕まったりしている。いずれもペットとして飼っていたものが逃げたらしい。人間は自由に生きることが大切だ。それを保障されなければならない。だから、自分の趣味でペットとして何を飼おうと自由だ。そんな論理で、蛇だの爬虫類だのが飼われることになる。もちろん、毒蛇などは規制されているとは思うが、それは当たり前のことである。それにしても、そこまで自由でいいのだろうか。そんなこと、動物にとっては、やたら迷惑な話だろう。少なくとも自然ではない。いやいや、自然だと食い物がなくて死んでしまうかもしれない。襲われることだってある。それに比べれば、自分のところのいる限り食い物には困らないし、危害も加えられることもない=Bこんな論理なのだろうか。そりゃあ人間の理屈ですよねえ。それに、世の中のすべての人が蛇や爬虫類を好きだとは限らない。そんなものが近くの公園に隠れているかもしれないなんて思うと、外にも出られない。しかも、うっかり%ヲがしてしまったというのではなく、飼育が面倒になって捨てて≠オまうことだってあるのではないか。犬や猫ではそんな事例をよく聞く。とにかく、人間の勝手なのである。今日は、飢餓不安の続きを書こうと思っていた。ところが、昨日の終りを、人間が食べなくてもいい動物までも殺して食べようとする≠ニいう一文で締めた。その勢いで、ペットの話にまで逸れてしまった。まあ、とにかく人間の貪欲さは止まることを知らない。あれもこれも、食えそうなものには見境なく手を出す。そして、自分はあれも食った∞それも食べた≠ニ自慢する。これが、長いこと飢餓に怯えてきた人類の進化した姿なのか。 |
飢餓不安(05/10/25-926)
出張に出かけてホテルに泊まることになった。仕事も無事に終えて、夕食はそこそこのものを食べた。そこでちょっと買い物をしたくなる。ホテルの部屋に入れば何もない。そこそこのホテルだと冷蔵庫に物が入っている。しかし、それにしてもアルコールといった飲み物やつまみである。それでは腹の足しにならない。いま頭に浮かぶのは、もし夜中に腹が空いたらどうしよう≠ニいう不安なのである。ホテルの部屋は外から閉じこめられているという思いもある。どうしてもというときは外出だってできる。しかし、すでに寝る準備をした後だから、わざわざ着替える必要がある。それに、真夜中に出て行っても、店が近くにあるとは限らない。最近でこそ、コンビニなるものが増えて24時間営業をしているが、私が若いころはそんな店などなかった。そんなこんなで、とにかく何か食べられるものを手元に置いていないと不安になるのである。そこで、煎餅やスナックっぽい、お腹にたまる物を買い込むことになる。そうそう、これが寝台車に乗るときはもっとすごい不安を感じたものだ。いまでは寝台列車は絶滅寸前の危機に瀕している。しかし、その昔は遠くに行くときは寝台車と決まっていた。新幹線なんてないし、飛行機は大金持ちが利用するものだった。寝台車では、もう完璧な密室状態になる。お腹が空いたからといって、列車から飛び降りて買い物などには行けない。そこで、飢餓不安はますます高まることになる。人間は長いこと飢餓に苦しんできた。その歴史的体験がわれわれの体にしみ込んでいるのだろう。だから食に対して貪欲で、食えるときには食っておこうという気持ちになる。それが高じて食い過ぎる。食べなくてもいい動物まで殺して食べようとする…。 |
ストレス解消と保存本能(05/10/24-925)
ストレスがあったから≠ニいって、子どもに手を出していい理由になるわけがない。しかし、ここでふと考え込んでしまう。冷静に対応することができなくなった人間はどんな行動を取るのだろうか。ストレスに晒されると胃潰瘍になることもある。その昔、管理者ザルの実験≠ニ呼ばれる研究があった。不快な電気刺激を受ける猿が2匹いる。このうち、1匹は手元のボタンを押すとショックを切ることができる。もう1匹は積極的な回避操作ができない。だから、ボタンの前にいる猿がショックを遮断してくれるのを待つしかない。この実験では前者が管理者ザルと呼ばれたのである。まさに、自分の力で操作をし続けなければならないから、緊張しっぱなしになる。その点、平ザル≠ヘ気楽なものだ。ショックは嫌だが、そうかといってどうすることもできない。ただ諦めて、ひたすらショックが止まるのを待つのみである。あとは管理者に任せておくしかない。こんな状況で3週間ほど経過したとき、管理者ザル≠ノ胃潰瘍ができたのである。この猿にはストレス解消法がなかったため、影響が体に出てしまった。ここまでくると、食欲すら湧かないだろう。しかし、一方でストレス食い≠ニいう現象もある。とにかく食いまくってストレスを発散させるのである。食≠ヘ人間の生命維持に欠かせない。ストレスが個の保存≠保障する食欲≠ノ転化するのである。これに対して、セクハラ≠ヘどうか。これをストレス≠フ原因として許容することはできない。しかし、その視点で見るとストレス解消のもうひとつの形が姿を現してくる。それは、性欲≠ナある。そして、こちらは個体を超えた種の保存≠ノ繋がっている。両者に共通するのは保存≠ナある。 |
ストレス解消の対象(05/10/23-924)
教員の不祥事が起きるとは大々的に報道される。その職務の内容から考えて当然のことである。とくに、子どもたちに対しながら教育しているのだから、世間の目も厳しくなる。約束を守りましょう=A立派な人になりましょう≠ニいっている人間が、法律に触れるようなことをしていてはお話にならない。子どもに与える影響も大きい。それにしても、何でそうなるの≠ニ言いたくなるような事例が少なくない。とくに、子どもに対するセクハラに至っては、言語道断である。それをやってしまえば職を失うことがはっきりしている。それにも拘わらず手を出してしまうのだ。もう、自分のしていることが分かっていない。あるいは、承知していてもコントロールできない。そのどちらかとしか思えない。ある新聞記者の方と話していたら、新聞に出た日に、セクハラ事件を起こす先生もいるんですね。これには驚いてしまいます≠ニ信じられない様子で言う。記事に刺激を受けて眠っていた欲求が喚起されるのかもしれない。自分ならうまくやって、誰にもばれない≠ネどという気持ちになるのだろうか。事件の報道が抑止効果ではなくて、火付けになるようではかなわない。とにかく、常識では理解不能の状態にまで達している。そして、事件として明るみに出て捕まってしまうと、仕事にストレスを感じていた≠ネどという理由が挙げられる。しかし、ちょっと待ってくれませんか。ストレス解消≠ニいうのなら、もっと他の方法を考えてもらわないと困るのである。それでは、被害者はたまったものじゃない。どうして、ストレスとセクハラが直結してしまうのか。何でも自由で、たくさんの選択肢がある世の中だというのに、ストレス解消の行き着く先がセクハラでは情けない。 |
超経済原則(05/10/22-923)
熊本と福岡の間は交通戦争といった感がある。天神までを考えると、JRとバスはどちらに軍配を上げていいか分からない勝負をしている。時間の正確さではJRに分があるが、バスはその弱点を1日100便という利便性でカバーしていると言える。いつ行っても、待つのは10分から15分というすさまじさなのである。そして、運賃設定がこれまたすごい。熊本・福岡間は高速バスが片道2,000円である。熊本と太宰府のインターチェンジ間が91Kmほどある。福岡都市高速で太宰府・天神北が14.5Kmだから、熊本市内も含めて115Km位の距離だろう。これに対してJRの熊本・博多間は118.4Kmである。駅から天神までの距離を加えれば120Kmにはなるだろうか。まあ、その当たりは乗車する場所によっても違いが出るから、とにかく距離は互角だ。そんな状況下で、バスの2,000円に対して、JRは2枚組の切符を買うと4,600円、4枚組だと8,000円である。つまり、4枚買えばバスと同じになる。これぞまさに、バスを意識した運賃設定である。この結果、驚くような現象が起きる。距離が遠くなるほど運賃も高くなる。この当たり前の経済原則が成り立たないのである。たとえば、熊本から福岡県にある久留米や佐賀県の鳥栖まで行くときは、博多までの切符を使った方が安いのだ。熊本・博多間は118.4Kmだが、熊本と久留米の間は82.7である。お隣の鳥栖までは、89.8Km離れている。熊本から久留米に行くために特急の自由席を利用すると2,520円になる。片道で500円も高くなるのである。同じ電車に乗っていながら、35Kmも遠いところに行く方がお得というのだから、経済原則を超えている。 |
シビアな競争(05/10/21-922)
電車の揺れなどは個人的な感じ方もあるに違いない。しかし、電車でも車でも、揺れるよりは揺れない方が快適である。安全に支障はないとしても、安定した走行はサービスとして追及して欲しい。もう、若い人たちは知らないが、その昔、JRは国営であった。その名もズバリ、日本国有鉄道である。英語では、Japan National Railways
で、略称 JNR と呼んでいた。そのころ、私鉄と比較して高品質のレールを使っているという話を聞いたことがある。それ自身はけっこうなことに思える。しかし、そのときは、必要以上に質のいい規格品を使って無駄遣いしている具体例として取り上げられていた。今となっては、私にそんな記憶があるだけのこと。それが事実であったかどうかは知らない。その当たりは措いといて、ともあれ交通機関は安全こそが最大の商品である。その点、揺れ≠ヘ、快適さ≠ノとって問題だというだけでなく、安全性≠ノも強く関わっていると思うのである。私の感覚では、利用することが多い鹿児島線の場合、下りの揺れが大きい感じがする。とにもかくにも、ご安全≠ノお願いしたいものである。それにつけても、このごろは競争の激しさでコスト圧力は相当のものだろうと思う。とくに、熊本・福岡間は高速バスとかなりいい勝負になっている。JRの方は乗車時間が1時間15分から30分程度だが、当然のことながら博多駅までである。これに対してバスは2時間近くかかるが、福岡の中心である天神まで行く。博多駅止まりだと、天神までバスや地下鉄に乗り換える必要が出てくる。だから、結果としてはバスが目的地に早く着く場合もある。ただし、バスには渋滞という難敵がいる。その点、JRは無敵なのである。 |
気になる揺れ(05/10/20-921)
福岡へ出かける際はJRやバスを使う。この路線は日本でも有数の競合区間だろう。なにせ、高速バスは1日100往復も走っている。その中には福岡空港止まりも含まれているが、それにしてもすさまじい本数である。バスの名前はひのくに号≠セ。街中を歩いているときに見ると、時間帯によってはガラガラのときもある。しかし、全体としてはペイしているらしい。利用者としては、いつ行ってもバスが来るという感じだから便利なことこの上ない。これに対抗するためにJRもがんばるのである。今のところ、8時から20時台までは、20分おきに特急が走っている。両者に特徴があることはいうまでもない。しかし、その話は別の機会に譲ろう。今日の話題はJRの揺れである。人間の感覚はいい加減だから、確たる比較はできない。しかし、このごろ特急の揺れが大きく感じられるのである。それは、よく利用する鹿児島線だけでなく、長崎線でも同じだった。電車のスピードが上がってきたときに、大揺れをするのだ。ときには、おいおい、大丈夫かいな≠ニ思うほどである。その揺れは全線にわたっているわけではない。かなり安定して走っている部分もある。ということは、同じ電車なのだから、車体ではなくレールの方に違いがあると推測される。そうだとすると、場所によって違いがあることになる。もちろん、同質でなくても安全に支障がない範囲のことだとは思う。その点が保証されれば、少々の揺れがあっても仕方がない。なにせ世の中は競争時代。無駄な金をかけていれば、バスの向こうを張った運賃設定もできないということだろう。その厳しい状況は十分に理解できる。しかし、素人が大丈夫かいな≠ニ思う揺れは、ちょっとまずいのではないか。 |
あ、熱帯かも(05/10/19-920)
亜熱帯は緯度が20°〜30°にある地域のことである。亜≠ノはつぐ≠ニいう意味があるから、熱帯に次ぐ暑い地域だといわけだ。英語では、
subtropics という。トロピクスの sub である。日本では、はるか南にある父島や母島、西表島などがこれに含まれている。熊本の緯度は北緯32度48分である。したがって、亜熱帯からは、はるかに遠く離れている。ところが、このところ天候が相当に怪しくなってきた。10月14日には最高気温が30.5度を記録した。これで今年106日目の真夏日だという。新聞には、昨年の記録を更新したとあるから突然の珍事ではない。翌日だってけっこう暑かったが、記録はどうなったのだろう。ともあれ、単純に計算しても、3.4日に1日は気温が30度を超えたということだ。最早、わが国は亜熱帯地方に入ったのではないか。こうなると、1年中、蚊が飛び交うようになる。また、もともといなかった虫や植物が進出してくる。その結果、生態系も変わってこざるを得ない。道路がうっすらと水を打った程度の雨でも、それが熊本市全体に降れば、総量はとてつもなくすごいものになる。それと同じこと。気温が0.1度でも日本全体で上がるとなれば、そのために天文学的な熱エネルギーが降り注いだことになる。とても、人間の力が及ぶところではない。そして、変化は徐々に進み、気がついたら取り返しのつかない状態になっているのだ。しかし、口だけで問題だと叫んでいても、事態は悪化するばかりである。まさに総論賛成、各論反対で、実際には何も進まない。結局は行き着くところまで行って、あわてて対応する。まさに泥縄で、多くの犠牲者が出ることになる。それが分かっていても、一向に先へ進まない。 |
出会いの誘惑(05/10/18-919)
このごろは、ややこしいメールが入るようになった。とにかく毎日のことである。大学のサーバーでもフィルターをかけていると思うが、、それをくぐり抜けてくる。あまりにもひどいので、メールのアドレスを変更する知り合いも増えてきた。しかし、もうたくさんの人に知らせているアドレスを変更すると、その影響も大きい。ある人にこの話をしたら、「吉田さんは、ホームページでメールのボタンを付けてるでしょう。それって、迷惑メールを送ってねといってるようなものですよ」と笑われた。うーん、それならこのボタンを消すかなあ…。もう遅いか。とにかくお互いの良識を信じて生活できなくなってきた。困ったことだ。何らかの方法でアドレスを取得すると、後は機械的に送りまくる。そんなことだから、送った方だってどこの誰に届いているかすら分かっていないだろう。そのうちから餌に引っかかってくる者がいればそれでいいのだ。しかも、コンピュータをはじめとする情報機器は秒進分歩≠ナ進歩していく。だから、個人レベルでも無差別かつ大量に情報を発信できる。そのコスト極めて低い。人間が、自分の開発したもので自分の首を絞めているのである。利便性の裏に不都合さが生まれる。自由を求めてきた人間が、いつの間にか監視カメラの中で生活している。個人情報保護法にしても、妙な犯罪から身を守ることができるかもしれないが、ますます隣は何をする人ぞの孤立世界を築き上げていく。朝一番で、今から逢ってもらえますか≠ネんてメールも飛び込んでくる。海外発信のバイアグラ購入のお勧めもある!余計なお世話だ。ご親切に、このメールが不要な方は、ここをクリックしてください≠ニ書いてある。これなんか、本気でクリックすると危ないんだろうなあ。 |
恋愛、見合い、出会い、…(05/10/17-918)
若者たちの間で見合いビジネスが盛況だとすれば、それだけ出会いの可能性が低くなっているのかもしれない。もっとも、これを利用している人たちの年齢などは知らない。それなりに年配の人もいるのだろうか。ともあれ、昔は見合いが主流で、時代とともに恋愛が幅をきかせるようになってきた。われわれのような戦後生まれは、見合いは古い時代の遺物という感覚を持たされた。青春時代の映画や小説なども、恋愛を謳歌するものが多かったのである。そんな環境の中で、わが夫婦はどうかというと、答えはなれ合い=Hまあ、何と言いましょうか。いわゆる幼なじみ≠ネのである。今から去ること40年前、私の家族は北九州市の南にある行橋市に住んでいた。八幡から転勤した父が最初に選んだ家は雨漏りさえするおんぼろ住宅だった。何とかしなくてはと思っていたところに、新築された市営住宅の公募があった。その抽選に当たったわが家は、桜町の住宅に入居したのである。そして、わが家の前に、家内の家族が住んでいたのだ。ちょうど小学校に入った年のことである。よくあることだが、主婦同士が日常的に会話を交わす。表と裏の関係はとりわけ親密さを増していく。そんな環境の中で、お互いの子どもたちも認知されるのである。だから、私は家内の母親から、道雄ちゃん≠ニ呼ばれていた。私の母も家内のことをちゃん&tけしていたことは言うまでもない。こんな流れの中で一緒になったわれわれは、どう見ても恋愛≠カゃあないな。もちろん見合い≠ナもない。今風の出会い≠セって当てはまらない。となると、何だろう。まあ、なれ合い≠チてとこでしょうか…。そのきっかけをつくったのは、2人の母親なのである。 |
恋愛、見合い、出会い(05/10/16-917)
もう見合い′牛・なんて大昔の話になったのだろうか。いまや恋愛でなくっては…。われわれの年代にはそんな思い込みがある。しかし、世の中には出会い≠演出するビジネスも存在する。近親者や職場の上役なんぞが介入するお見合い≠ヘ少なくなったと思う。しかし、こうした仲介業は、昔のお見合い≠演出しているようなものだ。最近の若者は遊びづきあいは上手なんだろうか。この手のビジネスが流行っているとしたら、生涯の伴侶を決めるとなると、難しいものがあるのかもしれない。しかし、まともな出会いを演出するのならいいが、このごろは出会い≠ニいうことばがややこしくなってきた。その裏にはオオカミや悪魔たちがウヨウヨしている。それが頻繁に悲劇を引き起こすから困るのである。いまや、小学生ですら出会い系≠ニ呼ばれるサイトにアクセスしている者がいる。そのほとんどは、興味半分でちょっと覗いて、それ以上には行かないんだろう。しかし、無差別に誘いをかけまくれば、1万人に1人くらいは、もう少し深入りするかもしれない。そのまた何人かが、さらに深みにはまってしまうから、最後はマスコミに取り上げられる事件になる。このごろは、出会い系≠ェらみだけでも、またかと言うほど女性の命が奪われる。そこまでいかないため、表に出ない事例がわんさとあるに違いない。これに対応するには、とにかくこの種のものに手を出さないように教育するしかない。しかし、それが簡単にはいかない。巨大なショッピングセンターなどがドンドン出来て、旧来の町はさびれていく。近所の子どもたちを見守るお店のおじさんやおばさんもいなくなってきた。青少年が接する情報は肥大化し、大人に見えない空間が広がっていく。 |
真打ち、もうひとつの物語(05/10/15-916)
さて、捏造記事≠取り上げたスクラップの日付が分からない。そこで、今回も切り抜きの裏側を見ることにした。すると、そこはテレビ欄である。問題の記事が社会面に掲載されていたのだ。これを見て、私はすぐにいける≠ニ確信した。まずは、NHKの連続テレビドラマが天うらら≠ニなっている。これはインターネットで調べれば難なく分かるはずだ。実際に探してみると、それが放送されていたのは1998年だった。いいぞ、いいぞ。さらにキー情報を求めて番組表を眺めると、決定的なものが見つかった。それは高校野球の放送である。その日の試合に、「専大北上×如水館」戦が載っている。これで、日付の確定はできたも同然だ。さっそく、「高校野球」「専大北上」「如水館」で検索する。あっという間に1998年の8月7日であることが判明した。しかし、何とその試合は豪雨のため、引き分け再試合になっていたのである。これがまた大記録らしく、グラウンド・コンディションによる再試合は、大正4年の第1回以来83年ぶりの珍事だという。その結果、同じ対戦がもう一度行われたわけで、新聞記事が8月7日だとは断定できなくなった。しかし、インターネットの情報によると、この対戦は第2試合となっている。テレビ欄では、最初の試合だから、この日ではなかったと推測される。そこで、さらに探索を続けると、翌日に再試合が行われていた。これと合わせて、テレビ放映されることになっている「敦賀気比×桜美林」についても確認してみた。すると、これも8月8日に行われている。こうして、この切り抜きは8月8日分であることが明らかになったのである。それにしても、この程度のことで有頂天になる私って、やっぱり幸せなんでしょうね。 |
もうひとつの物語(05/10/14-915)
報道被害の記事については、切り抜きの裏側に書かれていた情報から、見事に%付を特定することができた。大いに満足したことはいうまでもない。それにしても、インターネットの威力はすごい。手元のコンピュータを使って、10年近く前に起きた地震についての記録まで知ることができるのである。こんなことは、一昔前までは夢に過ぎなかった。そんなわけで、とにかく満足しきっていたのだが、新たに問題が出てきた。やはり、「教育情報科学」の授業で取り上げようと考えたスクラップなのだが、これまた日付が不明なのである。それは、琉球新報の捏造°L事の切り抜きだ。うだるような暑さの沖縄で街路樹に蝉が8匹とまっている。そんな写真を組み込んだ記事である。写真には、「蝉もホルトの木陰で避暑=vという解説が付いている。ところが、どういう経緯か読者など≠ゥらおかしいという指摘を受けた。何と、8匹の蝉のうち2匹は接着剤で貼り付けたのだというのである。これはあくまで、先方の話であって、本当に2匹かどうかは、やや怪しそうな書き方だ。しかしこうなると、2匹も8匹もたいした違いじゃない。報道機関にとっては、捏造≠オたこと自体が致命的なのである。これを取り上げたのは朝日新聞だが、その記事の中でもサンゴに傷を付けた≠ニんでもない捏造℃膜盾ノついても言及している。そんなことで、自らの反省も込めて書いたのだろうと思っていたのだが…。ほんの最近になって、またまた捏造≠ェ問題になってしまった。まるでガン細胞のように、報道という仕事には、それ自身に捏造≠フ核を内在しているかのようだ…。やれやれ、またしてももうひとつの物語≠ワで行き着かなかった。また明日。 |
推理小説の続編(05/10/13-914)
夫の殺人に関係しているような記事を書かれた夫人の報道被害について、授業で使うことにした。科目名は「教育情報科学」である。この授業では、学校教育における情報化の歴史と現状を振り返り、さらには今後の課題を考えていく。その中で、いわゆるマスコミュニケーションの話題は重要な位置を占めている。そこで授業の教材として採用したのである。そこまではよかったが、じつは大きな問題が出てきた。スクラップした日付をメモしていなかったのだ。この事件が1996年に起きたことは間違いない。それは、わたしがオーストラリアに滞在しているときだったからである。自分自身も海外で生活していたから、何か他人事でないような気がしたことを記憶しているのだ。記事の本文には、事件が「昨年5月7日」に起きたと書かれている。したがって、掲載の年はすぐに特定できた。さらに、「射殺から1年」という見出しもある。ということは、その日付は97年の5月であることは間違いなさそうだ。しかし、日付までは分からない。そこで切り抜きの裏側を見た。すると、いろいろな記事が5件ほど書かれていた。その中で、最も注目すべきものが、「川内・宮之城で震度2の地震があった」という記事である。これは掲載された前日のことになる。そこで、インターネットで地震の記録を調べることにした。すると、1997年には鹿児島県北西部地震と呼ばれる地震が頻発していることが分かった。その中で、5月21日に「川内・宮之城で震度2」の記録を見つけた。してやったり!これぞ私が求めていた日付である。問題の切り抜き記事の掲載日は、地震の翌日5月22日ということになるのだ。いやあー、大満足。松本清張に迫る推理力ではないかい? |
超短編推理小説(05/10/12-913)
さてさて、大学では真夏に空調を切って仕事をしている事務の方々がいることを話題にした。とにかくすごいことだけは想像していただけるだろう。ただし、もともとこの話は後期の授業が始まったところからスタートした。そのことをご記憶だろうか。じつは、授業に備えて夏場に準備をしているときに私自身がワクワク体験、やったぞー体験をした。そのことを書こうと思って、今月から後期の授業が始まった≠ニ書いたのだった。その次の文は、そのために夏場には授業の準備をした…≠ニ続けるはずであった。それが、あっという間に前期の終了が夏休み前になったという話題にすり替わってしまったのである。まあ、そのいい加減さ、方向性のなさが、わが味な話の素≠フいいところなんですよね。そこで、それこそ閑話休題≠ニいきましょうか。物語は授業のために新聞のスクラップを題材にしようと思ったところから始まる。ひとつは、報道被害≠フ検証記事である。アメリカのサンディエゴで、カリフォルニア大学の日本人教授とその娘が殺害された。その事件で、不在だった妻が犯人ではないかという憶測が生まれた。そのために、週刊誌や新聞が、いかにも妻が怪しい≠ニいう雰囲気の記事を書いた。泣き崩れてはいけないと気を張って記者会見に臨んだ。帰国の飛行機の中では泣き続けていたという。ところが、それが涙は最後まで見せなかった≠ニ書かれるのである。まさに冷たい妻≠フイメージが広がっていく。葬儀でも、マスコミ攻勢に怒った顔をすると、「オッ、絵になるなあ」とシャッターを切ったカメラマンもいたという。これは朝日新聞の記事だが、そうした報道被害を問題にしている。それはいいけど、本題の推理小説はどうなった? |
ちゃんと確かめよう(05/10/11-912)
昨日は、アンハッピー・マンデー≠フ話題を取り上げた。その前には、大学の授業や空調について連続して書いていた。これはもう少し続けるつもりだったが、10月10日≠ェたまたま体育の日≠ノなったので、急にテーマを変えた。だから今日は大学物語の続きを書きたい…、のであるが、世の中はなかなかうまくいかない。早く書いておかないと忘れてしまうようなネタがボロボロ出てくるのである。9日の朝刊(熊本日日新聞)に掲載された「人」の欄は、オリックスの次期監督になる中村勝弘氏を取り上げていた。彼は阪神の出身である。来年は交流戦で阪神とも戦うこともあり、古巣は大いに意識すると言う。そこで、阪神には負けたくないと言ったらうそになる。力入るやろな≠ニいう発言が生まれる。???
なあんか引っかかるー。負けたくない≠ニいえばうそになる?それなら本音は負けたい≠ニいうことなんだろうか。早くも意気込んだ≠ニあるが、負けたい≠ニ言って興奮するなんて考えられない。これって、負けてもいい≠ニいったらうそになるじゃあないのかなあ…。私の日本語がおかしいのかしらね。本人がそう言ったのかどうか知らない。そうだとしても、文字にする人はチェックしなきゃあ。校閲する人だっているんですよね。10日の朝には、フジテレビ系で加山雄三のカーネギーホールでのコンサートを話題にしていた。大入りの大盛況だったそうで、めでたいことだ。東京のキャスターがニューヨークに問いかける。これまでカーネギーホールでコンサートした日本人はいるんですかね=Bその答えはわかりません≠セって。そんなもん、プロなら少しくらいは確認しておきましょうよ。Yahooで検索したら一発で分かりましたよ。 |
| 10月10日にアクセス 70,000件を達成しました。 |
Happy or Unhappy?(05/10/10-911)
今日は「体育の日」である。もともと10月10日が「体育の日」だった。それは、1964年10月10日(土)に東京オリンピック≠フ開会式が行われたことに由来している。あの秋晴れの中、開会式が挙行されたのである。それを思い出すだけで鳥肌が立ってくる…。おっといけない、鳥肌が立つ≠ヘ、ぞっとしたときや、恐怖や嫌悪感を持ったときに使うのが正しいのだそうな。肉屋さんに行くと、毛を抜いた鶏の鳥肌がもろに見える。世の中には、あの外見のせいで鶏肉が食べられないという人もいる。しかし、私なんぞは、涙が出そうに感動したときにも、実際に鳥肌が立つのである。自然にそうなるのだから、本来はそんな意味じゃないなんて言われても仕方がない。ともあれ、「体育の日」は、10月10日だったからこそ、「体育の日」だったのである。ところが、「ハッピーマンデー」とやらで、2000年から10月の第2月曜日が「体育の日」になってしまった。こうなると、その歴史的な意味は消えてしまう。なんでこの日が「体育の日」だったのか。それを知らない人の方が増えていく。その上、日曜日が祝日と重なると、これまた「振り替え」で休日になる。そのため、学校では月曜日の休みがやたらと多くなった。ただでさえ学校は週5日制で、授業時間が減って苦労している。「ハッピーマンデー」がそれに追い打ちをかける。大学の場合は、原則として授業日が固定しているから、月曜日に開講している講義は、日程の調整に四苦八苦することになる。過労死するほど厳しい仕事をされている方々からは怒られるだろうが、ついつい、Unhappy
Monday≠ニ言いたくなる。保護者のみなさん、Happy Monday≠ナ、親子の対話が増えましたか? |
真夏の昼の夢…(05/10/09-910)
授業は大学の最も大事なサービスである。何分にも、学生さんはお客様なのである。だから、授業で空調をストップさせるわけにはいかない。しかし、一方では電力会社との契約容量を守らねばならない。違約金が膨大になるのである。なにせ、国立大学法人となったのである。だから、コストは仕事における大事な要素だ。そこで、容量オーバーの警告が出ると、事務の方々は部屋の電気を消し、クーラーを切って仕事をすることになる。日本の夏、ことに熊本の夏の暑さは半端ではない。シェークスピアの「真夏の夜の夢」ならかっこいい。しかし、熊本では「真夏の昼の夢」とはいかない。まあ、それを言うなら、「真夏の昼の生き地獄」といったところだろう。前知事の時代から、熊本県庁は空調の設定温度28℃でがんばっていると聞く。これも現実には相当なもののようである。つい先だって、教育委員会の会議で県庁に出かけたが、午前中の開始時には窓が開いていた。空調が入っていなかったのである。そのうち温度が上がってきたのか、クーラーが入ることになったようで、一斉に窓を閉められた。その結果、風が入らなくなった分だけ体感としてはむしろ暑くなった。実際に額の当たりから汗がにじんできたから、温度は上がったのかもしれない。「これが28℃なのか」と密かに思いながら会議への参加を続けた。それはともあれ、真夏に空調を切って仕事をするのは至難の業である。「昔はクーラーなんかなかったぞーっ」なんて言う人も少なくなってきた。何と言っても、地球自身が暑くなっているのである。ヒートアイランドは都市部の高温化のことであるが、もはや日本列島全体がヒートアイランドになっている。そんな環境では昼寝だってままならぬ。 |
空調停止、消灯大作戦(05/10/08-909)
とにかく、日本の夏は蒸し暑い。そんな中で授業をするのだから、授業する方も受ける方もつらい。大人のわれわれだって、体質はクーラー化している。私が初めてマイカーを手にしたのは26年ほど前のことである。そのときは奮発して、中古ながらけっこうピカピカの車を買った。それでも、クーラーは装着されていなかった。夏に窓を開けずに走っている車を見ると、「あっ、クーラーを付けてるな」と分かったのである。そんな時代だから、多くの車が「風調」だった。それが今では耐えられない。赤ん坊からお年寄りまで、「空調体質」になってしまった。さてさて、私立大学ではけっこう以前から夏休み前に前期終了が実現していた。それは、空調施設が整っていたからである。そんな中で、国立大学もなんとか空調設備を整えることで、夏休み前に前期を終了できるようになったのである。しかし、実際にそれを実行に移してみると大変なことが分かってきた。とにかく空調は電気を食う。大学は電力会社と、予め使用する容量を決めた上で契約を結んでいる。これは個人の場合も同じである。たとえば各個で20アンペアとか30アンペアとかいっている。その契約が問題で、大学のような規模になると、それをオーバーすると、かなりの違約金を取られるのである。そこで、リミットを超えないように必死になる。ところが、7月の後半にもなれば、授業で空調はフル回転する。だからすぐに契約リミットをオーバーしそうになる。そこで、節電呼びかけのメールが頻繁に発信される。それでも授業の空調オフは難しい。そうなると、事務室などでは部屋の電気を消し、クーラーを止めて仕事をすることになる。当然のことながら、窓も開放する。そこからは熱風が吹き込んでくる。 |
授業と夏休み(05/10/07-908)
今月から後期の授業が始まった。大学は前後期制だが、これまで夏休みは7月上旬から始まることになっていた。それが2ヶ月間あって、9月上旬から前期が再開される。その後に、2週間ほど授業をしてから試験期間になるのである。長い夏休みの後に、前期の続きをするわけだ。これでは、どうも連続性がない。だから学んでいたことも忘れてしまう。しかも、休みの後の授業は2回程度しかない。どう考えても中途半端なのである。夏休み前に試験までできないものか。私などは、学生のころからそう思っていた。このごろ、その状況に変化が見られ始めた。そして、いまでは、夏休み前に前期の試験まで終了するようになった。夏休みは8月11日から始まる。それが9月30日まで続いて、後期開始は10月1日となる。私立大学では、かなり以前からこうした制度を取り入れていた。その点では、国立は出遅れ気味で、ようやく新しいシステムになってきたというわけである。これには大きな障害があった。とにもかくにも、日本の夏は蒸し暑い。小中学校や高校なども、7月20日ころまでで休みにはいる。それ以上に引っ張っても、授業にならない。しかも、このごろは高温化現象とやらで、ますます暑くなるばかりである。巨大プロジェクトに投入する金はあっても、教育にはなかなかそれが回ってこない。そこで、クーラーを付けるのもままならない。最近では、高校もいろんな工夫をしながら冷房が入っているようだ。自宅でもほとんどの家にエアコンがある時代である。そんな環境で育った学生だから、空調なしで7月いっぱい授業を続けるのには耐えられない。そんなことで、夏休み前に前期を終了するなんて、環境的に無理だという状況が続いていた。 |
ボトム・アップ(05/10/06-907)
もう3日も経てば、ドラフトのチョンボ物語もマスコミから消えてしまう。何分にもスピードの速い世の中だから、ひとつのネタなんかにこだわってはいられない。そして、みんな忘れてしまう…。まあ、人間なんてこんなものなのかしらね。そんなわけで、私もドラフトに噛みつき続けていては迷惑がられるかもしれない。今日でおしまいにしておこうかな。さて、さて例の当たりくじの問題である。こんな問題になった原因は、やはり組織にあるんだと思う。正式には日本プロ野球組織≠ニいうらしいが、そこの問題である。まずは、今回、当たりくじの変更≠ェあったのかどうかである。当たりにもはずれにも赤い判を打ち、当たりの方は黒い「交渉権確定」のゴム印を捺す。この方式をはじめて導入することになったとすれば、当然≠サのことについて話し合いがなされたはずだ。もし、そうだとすると、そこで今回のような勘違い≠ェ起きる可能性について意見が出されたのかどうか。ここがポイントになる。くじ引きなんてものは、誤解≠竍勘違い≠ナ混乱するのが、最もまずい。みんなが見ているから、格好も悪い。くじをを入れておく箱の位置なども調整しながら、シミュレーションをしたのではないか。そんなとき、メンバーの誰からも、今回起きたような問題を懸念する意見は出なかったのだろうか。とくに、それに関わるスタッフたちからの意見である。まあ、このあたりは部外者は知りようのないことである。ただ、世の中には、いろいろな意見が出される集団とそうでない集団があることだけは確かである。現場第一線で仕事をする人たちの意見が大事にされるかどうか。組織の責任者が、いわゆるボトム・アップを尊重する心を持ち合わせているかどうかである。 |
責任の自覚(05/10/05-906)
高校生ドラフト会議の記事を読めば読むほど、主催者たちの無責任さに驚いてしまう。自分たちがしていることの重要性を感じているとは思えない。報道陣がドット集まり、会議の模様が全国にニュースで流されることは誰でも知っている。そして、若者たちの人生に大きな影響を与える儀式であることも分かっているはずである。ドラフトそのものが職業選択自由の立場から批判する意見があることだって、認識していないはずはない。とにかく、世間からも注目される大事な仕事なのである。こんな失態を演じたりすると、真剣に対応していたのかと疑いたくもなる。そもそも責任者は、どれにも野球機構の判が捺してあり、なおかつ当たりくじだけに「交渉権確定」というゴム印が打たれていることを知っていたのか。とくに議長自身は、事前にそれを確認していたのだろうか。「よきに計らえ。わしゃ偉いんじゃ…」なんて気分で、任せっきりだったんじゃないでしょうね。「とんでもない。しっかり知ってた」。もしそうおっしゃるんだったら、それでいい。しかし、そうであれば、「こんな方法じゃあ間違うんじゃないかい」くらいのご指摘はされてもよかったんじゃないですか。責任者なんだから、そのくらいは気づいて欲しいものだ。くじについて事前に説明していない。抽選後も、議長が確認せずに公表する。これだけでも、自分たちがしていることを真面目に考えていたのかと言いたくなる。その後は、事務局長が「チェック作業などの仕組みを直さないといけないかも知れない」と発言したようだ。これまた信じられない。この程度のことなら、事前に議論しておくべきことでしょうが。誰か知らないが、ニュースでは「○と×のように分かりやすくしなければならない」とも言っていた。愕然! |
ボーンヘッド(05/10/04-905)
ボーンヘッド bonehead≠ニいうことばがある。主として野球で聞かれるが、選手がとんでもないアホな<vレーをすることである。英和辞典で引くと愚か者=Aまぬけ=Aへま≠ニ書かれている(ジーニアス英和辞典)。海外の辞書で見ると、A
stupid person≠ェ共通している。とにかく、かなりひどい意味だが、判断ミスでとんでもないことをしてしまうことだ。昨日も、日本プロ野球機構が、£エ特大ボーンヘッドを演じた。高校生の新人を選ぶドラフト会議だ。複数球団が同じ選手を指名すればくじ引きになる。その抽選で、ボーンヘッドが起きた。まずはオリックスと巨人のくじ引きでオリックス側が高々と手を挙げた。次いでソフトバンクと日本ハムの抽選になり、こちらは王監督がくじをかざしてほほえんだ。ところが、折りたたまれたくじには、右側にプロ野球機構の赤い判、左側に「交渉権確定」というゴム印が押してあった。くじを引いた側は、この赤い判を見て「当たり」と思い込んだらしい。「喉から手が出るほど欲しくてたまらない選手(王監督)」のことである。くじの赤いマークに反応したことをボーンヘッドと責めるわけにもいかない。とにかく、「外れ」と書いていないのだから、そう思っても当然である。何のことはない。これは単なる、日本プロ野球機構のボーンヘッド、ただそれだけのことだ。当たりくじについて事前に説明していなかったらしい。そんなこと、世の中で通じるような話ではない。一体全体、プロ野球の責任者たちは、何を考えてるんだろう。しかも、その後のインタビューで、会議の議長さんは笑いながら答えてた。そんな場面で笑うか。よく見ると、今年もすばらしいプレーオフを実施するリーグの責任者だった。なるほどね…。 |
あい≠ヘ、はじまり(05/10/03-904)
あうん≠フ呼吸などという。何も言わなくても気持ちがぴたりと合うような状況。そんなときに使われる。漢字では阿吽≠ニ書く。阿≠ヘ吐く息で、吽≠ヘ吸う息のことだという。息を吐くのと吸うタイミングというか、まさに呼吸が合うというわけである。もともとはインドの梵語に由来するもので、阿≠ヘ口を開いて発する字音のはじめということになる。これとは対照的に、吽≠ヘ、口を閉じるときの音声で字音の終わりになる。つまりは、この2つで万物の初め≠ニ終わり≠表しているのである。そんなことが広辞苑に書いてある。だから、阿吽の呼吸というのは、すべてを了解したということなのだ。そういえば、日本語はあいうえお≠ゥら始まる。頭の2文字はあい≠ナある。これがすべてのはじまりだ。そう考えると、じつにおもしろい。われわれの関係の始まりは愛(あい)≠ニいうことになるからだ。すべての基礎に愛≠ェあると言ってもいい。最近では児童虐待が深刻さを増している。こうした現象が新しい傾向なのか、それとも昔からあったものの表面に現れなかっただけなのか。私は、その詳しい実態を知らない。しかし、最悪の場合には自分自身の子どもを死に至らしめることすらある。それは、犠牲になった子どもだけでなく、社会にとって深刻な問題である。現実に子どもを虐待する親は、自分自身も幼少時に、同じような体験を持っている場合が少なくないという。そうした関係には愛≠ェ欠如していると言わざるを得ない。あらためて、親の愛=A人の愛≠フ重要性を感じる。人と人との関係は愛≠ゥら始まるのである。そして、日本語そのものがあい≠ゥら始まっている。この事実を大切にしよう。 |
ギャンブル野球(05/10/02-903)
半年もかけて136試合も戦い続けた結果、トータルで負け越したチームが日本一≠ノなる可能性があるという制度。それがまともな制度と言えるのだろうか。これでは、子どもの教育にも悪いじゃないか。まるで、日頃の努力なんてどうでもいいと言ってるようなものである。そんなわけで、今年はにわか西武ファン≠ノなって応援したくなった。こんな信じられないようなシステムのすばらしさ≠体感したいのである。誰が考えたか知らないが、「とにかく客が入ればいい」という短期的な目でしか、ものを見ていない。そんな思いに駆られる。こんなことでは、ファンが野球から興味を失ってしまう。その結果、日本の野球は衰頽していくことになる。責任ある人々は、、もう少し知恵を絞って欲しいものである。今年スタートを切った楽天イーグルスは、最悪の予想である100敗は免れた。まあ、最終的には38勝97敗1分けだから、予想は当たったとも言える。しかし、仙台のファンは最後まで応援し続けたという。そうなのだ。こうしたファンを地道に作っていくことこそが大事なのである。そして、この97敗が、いつの日にか感動の思い出になる日が来る。それを信じて、楽天ファンにはがんばっていただきたい。こうした長い目で見た努力をしないで、終盤の観客数だけを勘定しているだけでは、日本プロ野球に明日はない。たとえ一時的に観客動員数が増えたとしても、スポーツとしての野球がこんな発想ではまずいと思う。頭から金儲け≠ホかり考えているように見られるではないか。それじゃあ、まるで野球がギャンブルになってしまう。 |
奇跡の蘇生術(05/10/01-902)
パリーグのプレーオフはアメリカ大リーグのそれとは相当に様子が違う。たとえば、日本の北海道地区で1番、東北・北陸地区で1番、…、四国地区や九州地区で1番などと宣言するチームが出ても、どこも日本一≠ニは言えない。だから、優勝決定戦をしようというのなら、ストーリー性はある。しかし、日本のパリーグはわずか6チームしかないのである。しかも、各チームごとお互いに20試合を戦い、交流戦を入れて136試合を終えている。それだけ長期的な戦いの成果があるにも拘わらず、さらに上位3チームで真のトップ≠決めようというのである。何とすばらしい発想だろう。今年の西武は67勝69敗、勝率4割9分3厘である。ソフトバンクとは23ゲーム差である。この数値、十分に理解してはいないのだが、2つのチームが戦って、下位のチームが勝つと、ゲーム差が1つ縮まる。ということは、ソフトバンクとの対決で、西武が23試合すべてに勝って、ようやくゲーム差0になるのである。しかし、これから行われる短期決戦で、西武がロッテに2連勝し、さらにソフトバンクに3連勝すると日本シリーズに進出することになる。そして、阪神との対決で、まさかの快進撃で4連勝すると、見事2年連続の日本一≠ノ輝くのである。このケースだと西武は76勝69敗になる。すべての試合でギリギリまで戦うと、ロッテとは2勝1敗、ソフトバンクとは3勝2敗、そして阪神戦が4勝3敗となる。この場合は、76勝75敗である。かろうじて5割を超える勝率で日本一≠ニいうわけだ。まさに、神にも起こせないような奇跡の蘇生術である。 |
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