にわか西武ファン(05/09/30-901)
今年も日本シリーズの季節が近づいた。阪神ファンはいうまでもなく、ソフトバンクやロッテのファンにお詫びした上で、私は西武を応援させていただくことにしたい。もちろん、今回限りのにわか<tァンではあるけれど…。そして、ほとんど無謀な願いではあるが、もし出来たら、阪神やソフトバンク、そしてロッテのファンにも、私に同調していただけないかとさえ思うのである。まあ、野球をまるで知らないという方には、本日の話はおもしろくも何ともないので、まずはお断りをしておかねばならない。さて、パリーグはすべての日程が終わったようだ。ただし、これはレギュラー・シーズン≠ニ呼ばれるものらしく、プレーオフ≠ネるものが待っている。まさに、あの大リーグ≠ネみのかっこよさである。東部地区と中部地区と西部地区の間ですか?いえいえ、それは大リーグのお話なんです。あちらも、アメリカン・リーグ≠ニナショナル・リーグ≠フ二つに分かれている。なるほど日本とまったく同じである。しかし、わずかに∴痰、点もある。それは、両リーグともに東部・中部・西部の3ブロックに分かれていることである。そして、それぞれに4〜6チームが所属している。アメリカン・リーグの西部地区だけは4チームだが、両リーグを合わせると30チームになる。因みに日本は、セ・パで12チームである。アメリカン・リーグの4チームはちと少ないが、あのイチローがいるシアトル・マリナーズはここに入っている。マリナーズは、残念ながら、今年もふるわなかった。それはともあれ、それぞれの地区のトップが戦って真のトップ≠決めようというのがプレーオフだ。さらに、2つのリーグの勇者同士が激突する。じつに納得できるストーリーである。この話、1回では終わりませんねえ。 |
子どもの視点(05/09/29-900)
教師の体罰が問題化すると、その後で、「思わず」手を出してしまったという反省の弁が聞かれる。「気がついたら」叩いていたということもありそうだ。しかし、「思わず」というのであれば、どうして1度で止まらないのだろうか。そのまま何回も叩き続けるようでは、自制心がないと言われてしまう。そうなると、子どもの「切れた」現象とかわらない。教師はプロだから、子どもと同じではまずい。それにしても、叩く側には気づかれていない、叩かれる側の冷静な目もあるようだ。子どものころ、悪ガキだったと自称するある人の思い出話である。ときおり、悪さをして叩かれた記憶がある。彼が通っていた中学校には、手の早い先生たちがいた。しかし、同じ叩く先生でも、子どもたちの評価には違いがあったという。A先生は、かなり手が早かったが、子どもたちの間では、それなりに評価されていた。これとは対照的に、B先生は最悪だった。そうした差が生まれたのには、理由があった。A先生の場合、悪いことをした者には、とにかく誰に対しても手を出したという。ところがB先生の対応は違っていた。まずもって、成績のいい生徒たちには、同じことをしていても手を出さない。さらに、体が大きくて先生よりも強そうな生徒も殴ったりはしないのである。その上、要領のいい連中もいて、彼らはうまく言い逃れをする。だから、やはり叩かれずにすむ。何のことはない。叩きやすい者たちばかりに手を出していたのである。これなら、B先生の評判が悪くなるのも当然だろう。ここで、子ども側の認知が絶対的に正しいというつもりはない。しかし、同じ手が早いと言われている教師に対しても、彼らは敏感にその対応の違いを読み取り、冷静に評価していることだけは疑いない…。 |
教師と体罰(05/09/28-899)
最近、世の中がおかしくなってきた感じがする。どう考えても信じられないことが起きすぎると思う。私の仕事と関わりの深いものとしては、教員の不祥事もそのひとつである。教員が子どもに手を出すセクハラは、全国的に頭が痛い問題だ。子どもたちに対する教育そのものが仕事であるだけに、彼らに与える心理的な影響も甚大になる。取り返しがつかないのである。体罰も繰り返し問題にされる。この夏は、高校野球の優勝校における体罰がマスコミをにぎわせた。その際は、殴られた回数が学校側と生徒側で食い違っていた。最終的には、学校が発表していた2、3回ではなかったことは確かなようだ。手を出しているときは気持ちが高ぶっているから、叩いた回数など憶えていないのかもしれない。しかし、そうだとすると、冷静さを失っていたのだろうと責められても仕方がなくなる。今日では、体罰はどんな理由を挙げても許されなくなっている。だから、やりたい放題やった上で、教師に対して、「打つなら打ってみろ。体罰すると訴えられるぞ」と居直る者たちがいるという。これに、「どうせ教師は手を出せないから」などという親まで出てくれば、もうお先は真っ暗だ。そんな中で、教師には、そうした子どもの挑発や親の態度に冷静に対応することが求められているのである。それは、なかなか厳しい仕事である。いわゆる荒れた学校で、悪戦苦闘されている先生方のお話を聞くことがある。それに対してはことばが出ない。そんなとき、教師のまとまりと保護者たちとの連携が大きな力になるという。われわれは、「あの学校は荒れているらしい」という噂話はする。しかし、ただそれだけで終わりだ。これを、地域社会全体の問題として共有化する必要がある。 |
リーダーシップ行動論(05/09/27-898)
リーダーシップの話が続きすぎた。このシリーズをスタートさせたのが17日である。もう今日で11日目にもなる。これは「味な話の素」の1テーマ最長記録だろう。何と言ってもリーダーシップは、私が専門にしている領域のつもりである。そこで、ついつい長引かせてしまった。これからも、リーダーシップをテーマにすることは間違いない。しかし、ここいらでちょっとまとめをしておいた方がよさそうだ。ここまで話題にしてきたのは、リーダーシップを特性として捉える考え方であった。しかし、われわれはリーダーシップを生まれながらの固定した性格や特質ではないと考える。すでに見たように、個人的な特性がリーダーシップと直接に結びついているとは限らないのである。それでは、リーダーシップを決定づけるものは何か。それは、リーダー自身の行動である。リーダーの善し悪しを決めるのは、「リーダーが状況に応じて必要な行動を取っているかどうか」なのだ。これを「特性論」に対して「行動論」と呼んでいる。われわれは、リーダーシップを考えるに当たっては、「行動論」を採用する。それには、いくつかの理由がある。まずは、特性論に基づいた研究では、一貫した結果が得られていないからである。この数日間、身長や体重、それに知的能力などを例に挙げて、リーダーシップとの関係を考えてきた。その中で、やや極端な言い回しながら、そうした特性が望ましいリーダーの必要条件、十分条件になり得ないことを強調したつもりである。さらに、「特性論」は大きな問題を抱えている。何と言っても、この発想には夢がないのである。一度タイプが決まったら、もうそれで自分のリーダーシップの善し悪しが判定されてしまう。これでは、がんばろうという意欲は生まれない…。 |
リーダーシップと学力・体力(05/09/26-897)
ライス国務長官は知能指数が高くて成功した人に入るかもしれない。しかし、彼女も知能指数が高いから国務長官になったわけではないだろう。それに、ライスさんが史上最高の国務長官というわけでもなさそうだ。まあ、そんな評価はいいとして、われわれ凡人については、実体のはっきりしない知能を、しゃかりきりになってリーダーシップと結びつけることもない。それに現実には、頭がよすぎて$lが着いてこないことだってある。また、学力≠焉Aその幅は広い。テストで測られるのは主として、学んだ力≠ナある。学ぶ力≠竍学びたい力≠ヘ陰に隠れがちになる。それに、学力≠フすべての側面を測ることは不可能である。また、学校で成績がよかった者が社会で成功するとは限らない。たしかに、官僚の世界では成績優秀≠ネ人間が集まり、日本を引っ張ってきた。しかし、その一方で、官僚主義の弊害も声高に叫ばれている。昔のように、一般大衆が十分な情報を持たない時代には、エリートたちの仕事が必要だった。しかし、財政赤字で国全体が先行き真っ暗の状況を目の当たりにすると、学力優秀≠ネ人々の力も怪しいものに見えてくる…。このように、知能≠竍学力≠ヘ、望ましいリーダーシップにとってマイナスとは言わないが、必ずしも必要条件ではない。ましてや、十分条件にもなり得ない。さらに、能力要因として身体能力≠ェ挙がることもある。これなどは、実技系の分野では大事なものだろう。野球が出来なければ野球の監督は勤まらないとは思う。しかし、名選手、必ずしも名監督ならずなんてことも言われる。身体能力≠ェ、リーダーシップと結びついているとは限らないのである。 |
リーダーシップと知能(05/09/25-896)
リーダーシップに関わる身体的な特性として体重まで挙げられると、ほんまかいな≠ニいう気持ちになる。今や角界のトップリーダーである朝青龍は軽量だと言われている。相撲のような、重い方が有利だと思える世界でも体重が決定的要因ではないのだ。もちろん、重いとリーダーに不向きだというわけではない。ただ、リーダーシップ≠ニ体重≠ヘ関係がないということである。さらに、研究の中には年齢≠挙げたものもある。年齢が身体特性と言えるかどうか微妙なところではある。ともあれ、よきリーダーシップには年齢が大事≠ネどと言われると、年さえ食えばいいリーダーになれるんですか≠ニ聞いてみたくなる。たしかに、年をとることで重みや風格が加わり、影響力が増す例はある。しかし、その一方で、世の中には引き際を誤ったリーダーが多いこと、多いこと。そんなこんなで、身体的特性とリーダーシップの善し悪しには直接的な関係はなさそうである。それでは、能力的な要因はどうだろうか。たとえば、知能や学力などの個人的特性をリーダーシップと結びつけるアイディアもある。たしかに、いいリーダーには賢い$lが多いような感じはする。しかし、そうした人々が知能や学力≠ノ優れているとは限らない。もともと、賢い≠ニ言うことばの意味が漠然としている。結果としてうまくいっている人は誰もが賢≠ュ見えるものだ。そもそも知能≠ニ呼ばれているものも、その内容は幅広い。知能テストだって複数ある。だから、知能とは、○○の知能テストで測ったもの≠ニいう、ほとんど説明にならないような定義すらあるくらいだ。アメリカのライス国務長官が知能指数200だそうだが、どんなテストで測ったんだろうか。 |
リーダーシップと体型(05/09/24-895)
リーダーに求められる特性として様々なものが発見≠ウれた。身体的特性は、その大きな柱のひとつである。そこには身長≠煌ワまれている。そうそう、体重≠セって、望ましいリーダーに求められる資質だというものもある。皆さまはどうお考えだろうか。世の中のすべての人が身長≠ヘよきリーダーの条件だと言うのは勝手だ。しかし、少なくとも私は体を張って反対する。身長なんかでリーダーの善し悪しを決めるなーっ=B私の身長は165cmを切っている。これだって、団塊世代としては、平均からそう離れているわけではない。まあ、それでも要するに上背≠ェないことは間違いない。だから、とにかくリーダーシップ身長論≠ノは猛反発するのである。小柄でもすばらしいリーダーはいくらでもいるじゃないか。これが私の主張である。小学校のころから小さくてチョロチョロしていた。背丈順でも前の方だった。ところがなぜか、座ると背の高い友達にも負けなかったのである。そのことがあまり格好いいことではないと気づいたのは中学生になってからだっただろうか。それからというもの、電車に乗っても前にずり落ちるような座り方をするようになった。それも思春期の懐かしい思い出である。そんなことが気にもならなくなくなってから、もううん十年にもなる。今では、学会で外国人と話すときなど、座りさえすれば目線も一致して、うまくコミュニケーションが出来るのだ。何というすばらしい体型ではないか。嬉しくて仕方がない。ここまで悟るというか、居直るまでには少々の時間はかかったが、これも話のネタに出来て楽しい限りだ。もうひとつの身体的特性である体重≠フ方では、このごろ相当に健闘している。だから、私もこれには反対しない? |
リーダーシップ特性論(05/09/23-894)
私の文章力も捨てたものではないようだ。リーダーシップにまつわるシリーズを読んでくださった方からメールが届いた。ここで書かれている内容は危険ではないか≠ニいう趣旨のものである。もちろん、きっとオチがあると思いますが≠ニ私の魂胆を見抜いておられるのだが、ともあれ心配されていた。また、私の話を2回ほどお聞きいただいた方からもメールを頂戴した。またぁ〜と思いながらなかなか落ちないので、エーひょっとして先生
本当に発明なさった?と本気で思ってしまいました≠ニ書かれていた。昨日のコラムを読まれて、やっぱり嘘か≠ニ納得されたようだ。いずれも真剣にお読みいただいているわけで、当方としては感謝・感激である。同時に、「味な話の素」は、しっかりした気持ちで書かないといけない。そんな緊張感も生まれる。まあ、そうは言っても、やっぱしマジ一辺倒ではやれませーん。そのあたりはごお許しいただきたい。さて、ご心配をおかけしたチェックリストだが、これは私の大嘘で、そんなものはないことをお伝えしたのが昨日のことである。それでは、そのようなチェックリストがどうしてないのか。それは、われわれの考えでは、リーダーシップは生まれながらの固定した性格や特質ではないからである。リーダーシップを資質として捉える立場は「特性論」と呼ばれている。つまり、リーダーの善し悪しは、リーダー個人の特性で決まる≠ニいう発想である。こうした視点から、これまでリーダーシップについて多くの研究が行われてきた。集団の中でうまくやっているリーダーはどんな資質を備えているか。その特性を探っていくのである。この考え方は単純でわかりやすい。そして研究の結果、じつに多様な特性が発見≠ウれることになる。 |
すみませーん(05/09/22-893)
講演でも、数日にわたって紹介してきたリーダーシップのチェックリストを話題にする。そして、「手元にそのリストを持ってきています。自分も受けてみたいと思う方は手を挙げて下さい」と呼びかける。そのときの状況によって違うけが、多くの参加者が手を挙げる。これに対する私の反応は決まっている。「おやおや、○○の方は無謀な人が多いんですね。大体、Fタイプの人に限って受けたがるんですよ。皆さん、大丈夫なんですか…」。「○○」には、たとえば「公開講座にご参加(の方)」などと、その場に応じたことばを入れる。こう言うと、手を挙げなかった方まで笑ってくださるから楽しくなってしまう。そうした反応まで確認した上で、私はやおら続けるのである。「いやー、申し訳ありません。じつは、いまの話は、真っ赤な嘘なのでーす。本当に、すみませーん」。会場から、「はあーっ」といった声が上がる。「何を言ってるのかいな」という表情の方もいる。そこで、私は話を続ける。「『何だ、真面目に聞いているのに嘘をつくなんて、ひどいじゃないか』と怒られると思います。本当にすみません。私としては、まずリーダーシップが生まれつきの特性であるかのような言い方をする。そして、その適否が明らかになるチェックリストを受けるかどうかの意思決定を求める。そうしたことで、ご自分のリーダーシップについて真剣に考えていただく。その上で、リーダーシップが「特性」ではないことを強調する。その方が、リーダーシップの本質を理解していただけると思ったわけです。それにしても、私の話を真面目に受け止めていただいた皆さま、本当に申し訳ございませんでした…」。当然のことながら、このコラムをお読みいただいてきた皆さまにも、同じ謝罪をしなければならない。 |
チェックリスト受験のお勧め(05/09/21-892)
さて、この4日間で、われわれが開発したリーダーシップのチェックリストについてご紹介してきた。すでに、そこから得られる結果についてご理解いただけたと思う。わずか30問で所要時間は10分程度しかかからない。しかも、30万人ものデータをもとにしているから、恐るべき精度で当たる。ただし、その結果ははっきりと明暗が分かれる。先の衆議院選挙並みに当落≠フどちらかである。A・B・Cタイプのいずれかであれば、「おめでとうございます」である。しかも、その後のリーダーシップ生活も当確♀ヤ違いなしだ。これに対してD・E・Fタイプは見事落選≠ニいうことである。衆議院選挙は次がある。しかし、このチェックリストは一生ものなのだ。したがって、後者の人々は、リーダーシップの発揮に関して言えば、ここで潔くあきらめていただく他はない。悲惨といえば悲惨ではあるが、人生を曖昧なままにして生きるより、出来れば早いうちに、はっきりさせておいた方がいいと思う。これこそが、今や世の中を席巻している小泉流≠ノもマッチしているではないか。まあ、そんなわけで、いわゆるインフォームド・コンセントのための情報は十分に提供したつもりだ。そこで、あなたにも、このチェックリストを受けることをお勧めしたい。その気になられた方には、すぐにチェックリストをお送りする準備も出来ている。とにかく、簡単な質問に回答するだけで、あなたが持っているリーダーとしての資質が明らかにされのである。しかも、味な話の素≠ご愛読いただいている方には大サービスすることにした。何と、受験料を無料≠ノしようというのだ。こんなうまい話は滅多にございませんよ。さあ、このチェックリストを受けてみようと思う方は手を挙げていただきたい。 |
暗い面接(05/09/20-891)
面接者に勧められて、肥後さんは椅子に座った。いよいよ面接の始まりである。しかし、面接者の表情が今ひとつ優れない。何かありそうな雰囲気を漂わせているのである。そんな中で、担当者はゆっくりと口を開いた。「うーん、えーっと、肥後さんでしたね」。「はい、そうです」。「いやー、まず結論から言いますと、あなたはFタイプです」。「はあ…」。「すでにご承知と思いますが、このチェックリストは30万人ものデータを基にして作られているんです」。「ええ、そう聞いてます」。ここから面接者は、肥後さんが相づちを打てないくらい早口でしゃべりはじめた。「ですから、これってよく当たるんですよね。あなたのようなFタイプの方は、リーダーシップがうまく発揮できないというか、まあ、かなり厳しいわけですよ…。正直なところ、あなたは職場でもうまくいっていないでしょう」。何というショッキングな話だ。しかし、このところ、部下との関係がうまくいっていなかったのは事実である。そこで、肥後さんは面接者に訴える。「たしかにそうなんです。今の職場ではどうもうまくいきそうにありません。そんなわけで、私も上司に配転を申し出ているんです」。肥後さんをちらりと見て、面接者は露骨に分かってないなあ≠ニいう顔をした。そして、こんなことを言うのである。「いやー、肥後さん、ちょっと待ってください。あなたは、勘違いなさっておられるようですね。あなたがFタイプなのは、生まれつきのものなんですよ。ですから、職場が変わっても、うまくいくなんてことはあり得ないんです。まあ、ついでに申し上げますと、転職なさっても同じこと。リーダーシップが発揮できない状況は続くはずですよ。何せ、Aであれ、Fであれ、このタイプは一生を通じて変わらないんですからね…」。 |
肥後さんの面接(05/09/19-890)
「今のままでけっこうです。あなたはリーダーとして、これからもうまくやっていけます」。こんなアドバイスを受けた熊本さんはニコニコしながら面接室から出てきた。「これからも、いままで通りでうまくやっていける」。こんな気分のいい感情を持ったのは久しぶりのことだった。ちょうどそのときである。同僚の肥後さんがやって来る。彼は、熊本さんの次に面接を受ける予定になっていた。彼自身はまだ知らないが、リーダーシップ・チェックリスト≠フ判定結果はFタイプ≠ナあった。彼よりも早く事実をお知らせすると、チェックリストで、D≠竍E=AそしてF<^イプと判定された場合、事態はかなり深刻なのである。このタイプの人々は、リーダーに求められる「資質」を備えていないことが明らかにされている。子どものころを振り返っても、彼らには人の先頭に立った記憶などないはずだ。そして、その傾向は大人になった今でも続いていると考えられる。職場で経験を積んでも、組織から期待されている指導的な役割が果たせない。周りからもリーダーとして評価されない。それどころか、指導力に疑問符さえ付けられている。チェックリストFタイプ≠フ肥後さんも、こんな状態に置かれているに違いない。しかも、じつに言いにくいことだが、こうしたタイプの人たちは、これからも同じ状況が続いていくことになる。理由は簡単だ。とにもかくにも、「リーダーシップは、個々人が持っている特性や資質で決まる」からである。それは、ほとんど生まれつきのものであり、その後の環境変化や個人的な努力などで変わるような特性ではないのだ。そんなわけで、チェックリスト≠ナDやE、さらにはFタイプの判定を受けた人の面接の雰囲気は、どうしても暗くなってしまう…。 |
面接風景(05/09/18-889)
さて、昨日の続き。リーダーシップをチェックするリストの集計が終わると、個人面接ということになる。そこで、実際に行われている面接の現場を覗いてみよう。受検者の熊本さん≠ェ部屋に入ってきた。その顔には緊張の色が伺える。それはそうだろう、自分のリーダーシップについて、その適否が告げられるのである。しかし、分析を担当した面接者は、にこやかな顔をして彼女を迎え入れた。まるで人ごとのようだ。うん、たしかに人ごとなのだ。「いやー熊本さん、ごくろうさまでした。先ほどのチェックリスト結果ですが、あなたはAタイプでしたよ。じつは、このタイプの方はリーダーシップを十分に発揮する能力を持っています。これは生まれつきのものなんです。熊本さん、あなたは子どものころからみんなの前に立ってがんばってきたでしょう」。「ええ、まあ。そう言えばそうですが…」。「もちろん、現在も職場のリーダーとしてうまくやっていますよね」。「うーん、そうなんでしょうか」。やや控えめに答えているが、本音はかなり嬉しい。それに応じるように面接者の声も弾んでいる。彼自身も喜んでいるように見える。当然のことながら、熊本さんは大いに安堵するのである。しかし、「よかった、よかった」と言われるだけでは物足りない。これからなすべきことについて、アドバイスがほしい。そこでこんな質問をしてみる。「わたしが望ましいリーダーだと聞いて安心しました。ところで、これから先ですが、どんなことに気をつけたらいいのでしょうか」。これに対する答えは、あっけないほど簡単なものだった。「アドバイスなんてありませんよ。先ほども言ったでしょう。あなたがAタイプというのは、生まれつきのものなのです。安心して、今のままでやっていってくださればいいんです」。 |
リーダーシップ特性チェックリスト(05/09/17-888)
私の手元に、個々人のリーダーシップ特性を測ることができるチェックリストがある。その開発のため、30万人を超える人々からデータを集めた。したがって、チェックリストの信頼性は極めて高い。ほとんど当たると言っていい。しかも、項目はわずか30個しかない。だから、10分もあればチェックは終了する。それに費用も300円程度の格安である。こんな話を聞けば、このチェックリストを誰もが受けたいと思うだろう。しかし私としては、希望があっても慎重に対応している。なぜなら、どんな結果が得られるかを承知した上で受けていただく必要があるからだ。いわゆる、インフォームド・コンセントがいるのである。そこで、その結果についてお話ししておこう。チェックリストは3つの柱から構成されている。その3つすべてにプラス反応していればAタイプである。これが2つになるとBタイプで、1つの場合はCタイプと判定される。これとは対照的に、1つの柱にマイナス反応があれば、Dタイプとなる。それが2つならEで、3つの場合がFタイプなのである。こうして回答者は、A〜Fの6タイプに分類されることになる。このうち、A〜Cタイプと判定されれば、その人は心から安心していい。それは、生まれつき、「リーダーに求められる優れた資質や性格」を備えているからである。こうした人たちは、子どものころからリーダーシップを発揮していたはずだ。遊び仲間からは頼りにされていただろうし、勉強する教室でも目立つ存在だったと思われる。その状況は、今でも継続しているに違いない。そしてAタイプを筆頭に、B、Cタイプまでの人は、そうした望ましい状態が今後も続いていくことは疑いない。したがって、こうした人たちは、リーダーシップの勉強などする必要もないのである。 |
早い朝、遅い朝(05/09/16-887)
九州は日本列島の西に位置しているから朝が遅い。それに対応して日が暮れるのも遅い。地球が西から東に回っている証拠である。太陽は東から先に現れる。日没時間も相当に違う。相撲はいま秋場所中だが、11月の九州場所になると、東と西の差が全国的に感じられる。放送中に博多湾が映ったりするからだ。そんなとき東京にいると、もう真っ暗なのに福岡は明るいのである。その反対に、東京の朝はやたらと早く感じられる。夏などは朝の6時半には、もう太陽が昇っている。早朝に東京から帰ったことがある。まだ6時を回ったばかりだというのに、太陽がギラギラなのだ。何とも明るすぎていけない。しかも東京モノレールなんぞは、この時間帯でも、客が8割位は乗っているから驚き、あきれる。これは不景気といわれたころもそうだった。まあ、うまくいってるところはうまくいってるんだ。もっとも、最近は京急が羽田まで延びてきて便利になった。その競争は激しいようで、休日などは「モノレール+山手線」で500円の大サービスである。それはともあれ、とにかく東京の朝は早い。ラッシュ時の太陽はすでにまぶしい。私としては、通勤時は夜が明けて間もないという感じがほしい。ようやく朝が来た≠ニいう雰囲気がいい。これに対して東京では、目が覚めたら、すでにビカビカの朝≠ネのだ。こうした環境の違いは、人のこころや行動にも影響を与えるはずだ。ものごとに対する発想だって違ってくるだろう。朝からエンジン全開を求められる状況と、ゆっくり点火して動き始める条件…。皆さんはどちらがお好きですか。私自身は、朝が遅い九州に住んで、心身は安定している。もっとも、寝覚めはやたらと早く、早朝から興奮していますけどね…。 |
ふりがな<~ス(05/09/15-886)
衆議院選挙は小泉台風≠フようだった。この前に、「単独過半数」といった見出しを見たのは、いつのことだっただろうか。それにしても、どうしてこうなったか。その後付≠フ解説者の多いこと。われわれのような素人ならいざ知らず、自他共にプロと認める人たちが、後になって勝因だの敗因だのをしゃべりまくる。それだけ分析力があるのなら、もっと前に言っといてよ。小泉氏が圧勝したら、今度は任期延長はどうかと本人に食い下がる。「それは考えていない」という回答に対して、「そりゃあ無責任だ。はっきり言いなさい」と突っ込む。当の本人から言質を取って、後で自慢しようという下心がありあり。「あの総理の発言は、俺が引き出したのよ」というわけだ。じつに歯切れがいいのだが、もう礼儀も何もあったものじゃない。これが負けていたら、どんな攻め方に変わったんだろうね。どこの局だったか、党首たちが話している途中で画面を切り替えたりする。これって何なんだ。ところで、福岡10区で造反組を破った女性がいる。いわゆる刺客≠ナある。彼女の選挙事務所は北九州市小倉北区香春口にあったようだ。熊本日日新聞の記事では、「香春口」に(こうはるぐち)とふりがなが振ってある。いささか北九州に関わりのある人間としては、驚いてしまうのである。これは、(こうはるぐち)ではなく、(かわらぐち)なのだ。そこの住民でない限り、とくに実害があるわけではない。しかし、それにしても、わざわざ付けたふりがなが間違っているというのは、何なんでしょうね。いったい、どうしたらこのようなミスが生まれるのだろうか。読めない人が勝手にふりがなを付けるはずがない。そうかといって、知っている人が間違うわけもない。じつに不可解な話だ。 |
桑田とピカソ(05/09/14-885)
「味な話の素」のメモに、「桑田とピカソ」と書いていた。もうかなり前のものなので、内容もあやふやになっている。ただし、その趣旨は「本物は違う」ということである。家内の話によると、サザンオールスターズの桑田佳祐が美空ひばりの「リンゴ追分け」か何かを歌ったらしい。それが見事なもので、情感があふれていたという。もっとも、家内自身が桑田の歌を直接聞いたかどうかについては、ややはっきりしないところがある。人から聞いた話かもしれないという。しかし、それはあまり問題ではない。大事なのは、あの桑田佳祐が上手に歌えるという事実である。私なんぞ、彼の歌は日本語には聞こえない。「わざと日本語と分からないように歌ってるに違いない」と信じていた。それが、ひばりの歌を見事に歌ったというのだ。やっぱり桑田氏はすばらしい力を持った歌手なのである。そこで、私はピカソを思い出すわけだ。子どものころ、カレンダーか何かでピカソの抽象画を見たことがある。そのときの感想。まずは、「これって何だ」。その次に頭に浮かんだこと。「こんな絵だったら自分だって描ける」。そうなんですよね。○だの□だのが無意味に重なって見えるあの絵。子どもの目から見れば、誰にだって描けるように思えた。しかし、いつだったか忘れたが、ピカソが描いた人物画のデッサンを見た。それは本物ではなくテレビだったと思う。そのとき、その見事な出来映えに驚いてしまうのである。「やっぱし天才画家は違うんだ。ちゃんとした絵が描ける力を持った上で、わけの分からない♀Gを描いているのだ」。改めてピカソのすごさ、すばらしさを認識したことは言うまでもない。もちろん、その後も彼の絵が理解できない点は変わらない。桑田佳祐さんも同じことだ。 |
高速道路と景気の動向(05/09/13-884)
最近、九州自動車道を走った。夏休みも終わった平日のことでもあるから、道は空いてるだろうと思っていた。ところが、実際には、けっこう車が走っていた。私自身はたまにしか高速道路を利用しない。だから、車が多かったといっても、きちんとした比較はできない。しかし、それでも私の目には、ある種の車が多いと映ったのである。それは、商用車やトラックである。とくに、ダンプトラックなどの大型車が何台か繋がるようにして走っているのだ。追い越し車線に入ると、すんなり走行車線に戻れないほど車列が続いていた。お互いが関連のある会社のものではない。これに、小さなトラックや商用車が加わってくる。この状況を見てふと思った。「これは、景気が回復している現れではないか」と…。そう言えば数年前のこと、国道にダンプカーなどがあふれているという話を聞いた。景気が悪いから、少しでも経費を節減するために一般道を走るというのだ。高速料金の節約である。たしかに、3号線を走って県北に行ったとき、大型トラックなどが多いような気がしたこともある。その理屈から考えると、高速道路にトラックが増えたということは、景気が上向いている証拠なのかもしれない。もっとも、一般道の状態についても調べないと、確かなことは言えない。まあ、経済に素人の私が勝手に推測しているだけのこと。わざわざ確認するような時間も余裕もない。それにしても、「景気が悪い」ときは声高に叫ぶけれど、「儲かっている」話はあまり聞こえてこない。これって経済界の常識なのかしらね。それに加えて、高速道路のパーキングに止まっている車の数も多くなったような気がする。これは一般車も含めてのことだ。トンネルの先から光が見え始めたのだろうか。 |
自然の力(05/09/12-883)
台風14号が甚大なる被害をもたらした。そもそも家が沈んでしまうほどの水がどこからやってくるのか。にわかには信じがたい。しかし、それが自然の力なのである。アメリカのニューオーリンズからも、これまた想像もできないような惨状が伝えられている。世界一豊かな国だと思い込んでいるあのアメリカで、信じられないような数の人々が亡くなる。ハリケーンには車で逃げるが一番らしい。ところが、それができないほどの貧困層もいるという。災害が襲ってくると、その国の矛盾が一気に吹き出すのである。ともあれ、世界中で自然災害は起き得るが、どこを見ても、自然の力には何とも抗しがたい。そんな無力感さえ感じる。これだけ科学が発達しているのだから、台風が発生した時点で何とかならないのかと思ったりする。もちろん物騒なものを使ってはならないが、何か強力な方法でその種をなくしてしまうのである。しかし、それはきっと不可能に違いない。仮に台風の種をつぶすのに成功したとする。それでは、そのつぶされた分のエネルギーはどうなるのか。それは間違いなく形を変えて大気の状態に影響を及ぼすだろう。その結果、台風以上に人間に被害をもたらさないとはいえない。いや、まだ台風として襲ってくるからこそ、これに対応する備えもできる。これまでの経験も生きる。人間としては、自然の力に逆らうことなど考えない方がいい。できる限りの知恵を絞って、自然が起こす様々な現象を受け止めながら、一生懸命に対応することである。自然をうまく変えたと思っても、結局は手痛い反撃を食らうに違いない。 |
歪んだレンズ(05/09/11-882)
一億総○○≠フ嚆矢は一億総懺悔≠セろう。鬼畜米英=A頑敵殲滅≠ネどと叫んでいたが、国が敗れてしまうともういけない。すべての日本人が下を向いて歩いていく。その姿は、まさに総懺悔≠セったというわけである。もっとも、戦況が最悪になってきたとき、すでに一億玉砕≠ニ言っていた。総≠ヘ付かないが、こちらの方がさらに古い。それはともかく、敗戦後の日本人はがんばった。そして、焼け野原の中からはい上がり、世界が驚く経済発展を遂げていくのである。その成果として一億総中流≠ニいう、けっこうな状況が生まれた。なにせ、だれもが中流≠ニ感じているのである。たしかに、大金持ちもいるけれど、とにもかくにも生活ができる。みんなの家にあるテレビや洗濯機、それに冷蔵庫くらいは揃ってる。車だって、小さいながらも買えるかもしれない…。こんなとき、インテリ層などは何が中流だ。この社会は問題が山積みじゃないか。俺なんか、下の下だぞ≠ネんて言っていた。まあ、よく考えるとみんな中流というのは幻想だったのかもしれない。しかし、それはそれで太平の世の中ではあった。しかし、それもいつの間にか終わってしまった。今後は経済の縮小も覚悟せねばならない。そうなったとき、小さくなった様子をレンズで拡大してみたらどうなっているだろう。その規模は小さくなっても、やっぱり中流の人々を中心にした社会が存続しているだろうか。そのあたりがかなり怪しい。そこに見えるのは、圧倒的に中流が縮小した世界である。そして、富裕層とそうでない集団への2極分化が起きている。それは、まるでレンズが歪んでしまったかのようだ。こうした社会では必然的に葛藤が生まれ、緊張が高まっていく。 |
システム≠フ輸出国(05/09/10-881)
衰えたとはいえ、わが国はまだまだモノを作って輸出している。資源のない国はしっかり働いて貿易をしながら生きていくしかない。しかし、モノ≠輸出する一方で、人にかかわるシステム≠竍ものの考え方≠ヘやたらと入超≠ナある。経営の世界では、いまだに舶来℃味の人が多いようだ。やれ、成果主義≠セの何だのと…。時代のキーワードはグローバルなんだよ。外を見ないでいると競争に負けちまうぞ=Bだから素人はかなわないと笑われるんだろうか。いえいえ、グローバルな時代だからこそ、日本から輸出する思想≠セってあっていいんじゃないか。終身雇用≠ニいう制度にしても、将来の夢、心の平安を保障するものにしていけば、みんなが安心して生きられる。自分の気持ちが落ち着くと、他人に対する思いやりも生まれてくるものだ。そうなれば、若者たちだって保険料を払う気にもなるだろう。未納者には年金を払わない=Bそんな発言をする政治家もいる。しかし、それで生きていけなくなったらどうするの。そうれ見なさい。若いころ年金を払ってないからよ≠ネんて言って、そのまま放ってはおけないでしょう。そうした人たちも、最終的には国がサポートせざるを得ないのだ。何のことはない、払わなかった℃メに、国が税金で援助するわけだ。その原資は真面目に払った人からも徴収することになる。しかも、年金額よりもそちらの方が多くなることもあるらしい。これでは、ますます払わない方が得≠ニいうことになってしまう。それはまずい。断じてまずい。これほど簡単な理屈が、この国を動かしている人たちに分かっていないはずがない。早く手を打たないと、この国は本当に消えてなくなってしまいますよ。 |
国の終身雇用放棄(05/09/09-880)
このところ、国民保険≠フ未納が増えている。若者が多いと聞いていたが、最近は年長者にも払わない人がいるようだ。何とも困ったことだが、その気持ちは分からないでもない。だからこそ、事態は本当に深刻なのである。「まともに納めたって、いざとなったとき、ちゃんと支払われるかどうか怪しいじゃないか」。そう言われると、このごろの状況では反論しにくい。われわれ世代そのものが、早い人なら20歳前から保険料を納め続けてきたのに、給付開始は先延ばしになってきた。先行きが不透明だと、意欲が湧かない。人間はそんなものだ。若いころは働いた分をもらえなくても一生懸命に仕事をする。いつか結婚して子どもができるだろう。その子どもたちが学校に行くころには、そこそこの収入も得られる。だから、しっかり仕事をしておこう…。こんなストーリーが成り立つからやる気も出る。ところが、「そんな先のことなんか分からないよ」なんて言われる。「一生、同じ会社に面倒見てもらうなんて考えるな」というわけだ。こんな状況では、組織に対する一体感など生まれるはずがない。もっと稼げるところがあれば、そちらがいいに決まってる。こうして組織は忠誠心のない人々の一時的な集合場所となる。何をしなくても定年まで給料がもらえる。そんなことがまずいことくらい、誰にだって分かる。そうした終身誤用≠ヘ追放すべきだけれど、意欲を持続させる終身雇用≠ヘ大いなるメリットを持っているのだ。若者たちが、国の存続にも関わる制度に対して不信感を持つ。それに、「払わないと、あとで年金をもらえないよ」といって対応する。あまり遠くないうちに、国そのものが、国民を終身雇用することを放棄するのではないか。そんな気もする。 |
終身雇用と忠誠心(05/09/08-879)
大物ばかりが目立って、若者が育たない。にわか巨人ファン≠ノはそう映る。経営者が組織を長い目で見ていない。冬の時代を経験したことがないからだろうか、いつも春でないと気がすまない。常勝でないと欲求不満に陥る。挫折が嫌いなのだ。しかしそうした気質が、ますます挫折に対する弱い体質を作っていく。そして、とにかく即戦力が期待できる大物をほしがる。人気がある上に、懐も裕福だから、それが思いのままになる。その点こそが、巨人軍の強みであり、同時に最大の弱点なのである。こうした発想でいる限り、組織は成長しない。昔の巨人軍は、人を育てていたと思う。外国人の助っ人がいなくてもめっぽう強い。それが巨人軍ではなかったか。そのころの選手たちには、自軍に対する誇りと忠誠心が充ち満ちていたに違いない。そして、努力すれば評価してもらえる、最後まで大切にしてくれる。その気持ちが選手たちをさらに強くした。こうして巨人軍の選手たちは終身雇用制≠フもとで、強い忠誠心≠持って仕事に励んだのだ。プロ野球と終身雇用なんてまるで結びつかないという方もおられるだろう。しかし、野球人生≠ニいうことばもある。短いなりに選手の間は1つの球団に終身雇用≠ニいう考え方があってもいいではないか。ろくに仕事もしない≠ナも定年まで居続けられる=Bこれは終身雇用≠ノ対する大誤解である。それは、終身誤用≠ナあって終身雇用≠ネんかじゃあ断じてない。そのような人には組織に対する忠誠心なんてこれっぽっちもないはずだ
。しっかり仕事をして∞きちんと評価され=Aそして最後まで無事に勤める=Bこれが終身雇用≠フ正しい定義なのである。 |
傭兵の忠誠心(05/09/07-878)
傭兵ということばがある。お金を払って雇う兵隊である。歴史には詳しくないが、いざとなると傭兵は弱いという話を聞いたことがある。これに対して自らの意思で兵になる志願兵は強い。とくに、正義と勇気の精神を持って戦う義勇兵が最強だということは容易に推測できる。英語では、志願兵・義勇兵ともに
volunteer である。彼らは、国や組織に対する一体感と忠誠心に充ち満ちている。だから強いのだ。戦争にまつわる話は穏やかでないが、「成果」で集めた巨人の大物選手たちは、いわゆる傭兵に近いだろう。もちろん伝統があり、人気も絶大な巨人軍である。だから、そこに「所属する」こと自身が「目標」であり、「夢」だった選手が多いと思う。入団すれば「誇り」も生まれるだろうから、彼らに忠誠心がないとは言えない。しかし、「ここまで育ててくれた我が巨人軍…」といった感情が湧き上がることはないだろう。組織は強い要素を寄せ集めただけでは機能しない。それらの適材を適所に配置することが必要なのだ。力を持った個々の部分がうまく統合されることで、強い組織が生まれる。野球には9つのポジションがあり、それぞれに固有の役割がある。ひところ新聞などが、巨人は大砲だけ集めても駄目だ≠ニ批判していた。その通りだと思う。これから育とうとする若者が、大砲≠セけに憧れるのではまずいのである。もうひとつ、「成果」を評価されて入団するから、即戦力が期待される。しかも、それがやたらと大きい。契約金が高額であるほど、それに対応して期待も膨らんでいく。だから、少しでもうまくいかないとブーイングが起きる。本人はこの上ない焦りを感じるに違いない。それが、さらに実力の発揮を押さえるプレッシャーになる。 |
成果主義と巨人(05/09/06-877)
それにしても巨人ファンはおもしろい。私の目には、そのほとんどが、だれもが巨人ファンだ≠ニ信じ切っているように見える。8年ほど前まで住んでいたアパートのご近所に、ご夫婦で根っからの巨人ファンがおられた。帰宅時に家の前などで出くわすと、吉田さん、今日も勝っとりますバイ≠ニ嬉しそうに声をかけてくださる。もちろん、イヤー、頭に来ました。負けてしもうたですバイ≠ニ悔しそうな顔をされることもある。会話に主語≠ェないのである。しかし、それに対してどちらが勝ったのか負けたのか分からないじゃないか≠ネんて野暮なことを言ってはいけない。それが巨人ファンのいいところなんですよね。さてさて、にわか巨人ファンとしては、このごろの深刻な問題点について、余計な分析をしたくなる。まあ、見ようによっては、いま大いに流行っている「成果主義」の破綻と言えるだろう。とにかく大枚を払って、よその球団から大砲を取りまくってきた。工藤などのピッチャーもいる。まさに、「成果」が上がった者を集めるわけだ。プロ野球なのだから、「成果」で評価するのは当然である。しかし、それはちゃんと人を育ててからの話だろう。他のところで「成果」を上げた者を買い占める方法では、身内は育たない。もちろんプロなら、組織に対する忠誠心なんぞなくても実力は発揮できるのだろう。しかし、人は気持ちが大切だ。今日はやけに調子がいいなと思っていたピッチャーが、味方の小さなエラーで信じられないような崩れ方をする。どんな玉でも打ち返すような力のあるバッターが、突然にしてスランプに陥る。このごろのイチローなんて、そんな感じがする。野球はメンタルなスポーツだと言われている。成果主義≠セけでは決して長続きしない。 |
にわか巨人ファン(05/09/05-876)
私が西鉄ライオンズファン≠ナあることは、この欄でも触れたことがある。そう聞くと、じゃあ、西武ライオンズファンでしょう≠ニ言う人がいる。何という単純化。物事は表面だけ見てはいけない。黒い霧問題などでメタメタになった西鉄が、太平洋クラブライオンズ≠ニなり、さらにはクラウンライターライオンズ≠ヨと変わっていった。とくにクラウンライター時代は、真っ赤なユニフォームを採用した。いまでは珍しくはないが、当時としてはド派手そのものだった。そして、勝負もこの上なく派手で、いつ行っても、負けていた。そんなわけで、クラウンライターライオンズは2年で消滅する。そりゃあそうだ、まるで火が点かないんだから…。そして、福岡市民の願いもむなしく、堤氏によって所沢に西武ライオンズとして持って行かれたのである。堤氏が福岡なんて田舎に置けるか≠ニ言ったかどうかは知らないが、その瞬間にあの西鉄ライオンズ精神は消えたのである。それにしても、福岡人も責任重大だ。負けても負けても<oックアップする。そうでなきゃあいかんのに、もうクラウンの終焉時には、平和台は客よりもカラスの数の方が多かった。熱しやすく冷めやすいというか、あれじゃあ球団を取られても文句の言いようがない。さてさて、そんなわけで西鉄ライオンズファンならアンチ巨人と相場が決まっている。日本シリーズ3連敗後の4連勝なんて、忘れられない記憶だ。しかし、このごろの状況を見ているとと巨人が心配になってきた。いつ見ても負けてるような感じがする。そのせいか、テレビの視聴率も最低を記録したことが報道される。そうなんだ≠ニ思うと、さらに人々の見る気が失われていく。まさに悪循環である。にわか巨人ファン≠ノなってきそう。 |
バブル再来?(05/09/04-875)
土地をベースにしたバブルの崩壊は、世紀末に日本から元気を奪っていった。たしかに、あれはやり過ぎだった。それにしても、もう少しソフトなランディングができなかったのだろうか。火を点けるだけ点けといて、水をぶっかける。国はそんなやり方をしたのではないか。衆議院選挙では、その政党も正義の代表みたいなことを言ってるが、過去の責任は知らぬ顔の半兵衛である。与党はもちろん、その政策を反省すべきだろう。しかし、その与党から政権を執ることができなかった野党だって大きな顔はできないのではないか。それとも本当は自分たちが正義の代表だったのに、国民が蒙昧なので彼らを選択しなかったと言うのだろうか。たしかに、政治が国民のレベルに対応している部分もあるとは思う。わが国が経済一流、政治は三流などと言われたころもあった。われわれ国民もしっかりせねばならないということか。もっとも、いまでは経済さえ三流になってしまった…。いやいや、そう悲観的にならずに、前向きに生きていきましょう。それはそうと、欧米では土地バブルならぬ住宅バブルが進行中だということをご存じだろうか。2003年の第三四半期から1年間で、スペインは17.2%、ニュージーランド16.4%の高騰ぶり。これにフランスの14.7%やイギリスの13.8%が続く。アメリカだって13%である。これは、New
York Tomes の6月12日号に載った記事である。都市としてはロンドン、パリ、ニューヨーク、ボストン、上海、サンフランシスコ、マイアミ、シドニー、バンクーバーが挙がっている。さすがに日本の都市は入っていない。知らないうちに、海外がバブルに踊っているのである。しかし、バブルは必ずはじける。ソフトランディングができるだろうか。 |
メカニズムが見える(05/09/03-874)
カタカタと音を立てながらフィルムが巻き取られていく。二つの大きなリールも回り続ける。レンズから飛び出てきた光が映像の動きと同じように、右に左に、そして上下にパッパと走る。その光線の中に埃も浮かんでいる。ときには、たばこの煙まで巻き込んでいることもある。いまでは考えられない状況である。しかし、どれもこれもが動いていた.。それを見ていると嬉しさがこみ上げてくる…。そのすべてが映画の魅力だった。また、ときおり画面の隅で丸い黒点がチラチラッとする。あの点がフィルム1巻の終わりを示すサインだということは、かなり後になって知った。あれが現れてしばらくすると、映写機が変わるのである。その瞬間、画面が少しばかり揺れて映像の明るさも変化した。そんなこんなで、外からいろんな動きが見えた。それがビデオになるとテープが回っていることが分かる程度になってしまった。しかも、カセットの中でのことだから、一生懸命に動いているという感じもしない。何とも面白味に欠けるのである。新幹線にしても、外から見れば箱が走っているだけのことである。車輪が回っているのですら、かろうじて見えるに過ぎない。その点、蒸気機関車のダイナミックさには迫力があった。ピストンも大きな車輪も、すべてが目の前でしっかりと動くのだ。そして、吹き出す白い蒸気と黒い煙、別れを惜しむ汽笛の音…。そうそう、母親の腕時計のふたを開けて覗いたことがある。ゼンマイのようなものが膨らんだり縮んだりしながら動いていた。それはまるで心臓の鼓動のようだった…。いまや、何でもかんでも効率優先の社会になってしまった。昔の思い出ばかりに耽っていては笑われるだろう。しかし、私にとっては、大いなる驚きと夢に充ち満ちた時代であった。 |
まだ、映写機の話(05/09/02-873)
映画を見ているとき、スクリーンは点いたり消えたり%_滅している。その結果として人や物が動いて見える。映画が動く秘密が分かったときは大感動した。そして、そんなメカニズムを発明した人はすごいと思った。しかし、映写機そのものは日常生活から遠い存在だった。だから、その詳しい機構などは分からないまま、頭だけで映画が動く理屈を理解していた。そのころ、映画は1秒24コマということも事実としては知っていた。つまりは、映写機のシャッターが1秒間に24回も開いたり閉じたりするのである。これが普通の映画である。その後、家庭でも使われることになる8mm映画が生まれた。この場合は、1秒間が18コマだった。少しばかり動きがぎこちなくなるが、その代わり価格が下がる。フィルムの幅も16mmの半分だ。後になって、35mmを半分にカットして16mmフィルムができ、それをまたカットして作ったのが8mmだと聞いた。そのときも、「なあるほど、世の中のものはお互いにつながりがあるんだ」と感心した。そうして、いよいよわが家にも8mmがやってくることになる。そこで、はじめて映写機をじっくり観察したのである。その結果、シャッターは丸い円盤になっていることを発見した。その円盤に1コマ分の大きさの穴が空いているのである。映写する際に、それが回転して1コマと同期しているのだった。フィルムの前にシャッターをおいて、高速で開けたり閉じたりさせるのはむずかしい。そこで、1コマと同じ大きさの穴を開けた円盤を回させる。それは、きわめて単純で、動きもスムーズになるアイディアである。そのメカニズムをご存じでないと、こうした文章だけでは正確なところは分かりにくいと思うが、私としてはこれまた大感動したのである。 |
映写機の秘密(05/09/01-872)
先月末から、OHPの話をはじめた。それが映画の映写機の話題へと移ってきた。そして、1コマずつ見れば止まったフィルムの写真が動いて見える秘密を知ったところまで話は展開した。今月は、私が理解したそのメカニズムの話からはじめよう。とにもかくにも、映写機の仕組みはすばらしいものだった。1コマのフィルムがちょうど光源であるランプとレンズの間にあるときに、そのままスクリーンに投射する。すると、その瞬間だけ止まった1コマ≠ェスクリーンに映る。そして、フィルムは次のコマへ移動する。その時こそがポイントなのだ。フィルムが次のコマに移る間、ランプの前にあるシャッターが閉まるのである。したがって、スクリーン上には何も映らない。そう、一瞬ではあるが、スクリーンは真っ暗になるのだ。なにせ、光が遮断されているのだから当然である。だから、次のコマとの間にある境目はスクリーンに映らない。そして、また1コマがちょうどいい位置に来たときにシャッターが開いて光を投射する。すると、次の画面がスクリーンに現れるのである。これを絶え間なく連続して続けると、画面の人物や物が見事に動くのであった。つまり、われわれは気づかないが、スクリーンは点滅≠オているのだ。実際には止まっているコマ≠ェ、そうした仕組みで動いて′ゥえる。それは幻想の世界なのである。人間の感覚は、周りに起きている事態を正確に把握しているとは限らない。映写機のメカニズムを知ると、そんな思いに駆られる。この目で見たから間違いない≠ニ言いながら、自分の考えを主張する人も多い。しかし、それって、かなり怪しいのである。降って湧いたような衆議院議員選挙が公示されたが、自分だけが正しい$lばかり。やれやれ…。 |
|