OHP以前の話(05/08/31-871)
さて、OHPは視聴覚教育における映写系の機械としては新しい部類に入る。その昔、映像を投射する視聴覚機器の代表は、映写機やスライドだった。私など、映写機といえば映画を映すものと思い込んでいた。学校などで見る映画のフィルムは幅が16mmだった。映画館のプロフェッショナルなものは、35mmを使っていた。子どものころ、16mm映写機を使った映画をよく見た。小学校の講堂で、南氷洋の鯨を捕るドキュメンタリーの映写会があったことも憶えている。太洋漁業がスポンサーの映画だったと思う。夏休みの公園で映画大会もあった。夏の夜に、蚊に刺されながら映画を楽しんだ。普通の家庭の経済では、テレビなど買えなかった時代である。映写機がカタカタという特有の音を立てながら動く。大きなリールに巻かれたフィルムがもう一方の巻き取りリールにドンドンと呑み込まれていく。レンズから出た光線がまるでスポットライトのようにチラチラと瞬きしながらスクリーンに走っていく。それらを見ているだけでワクワクした。しかし、私にはどうしてもわからないことがあった。映画のフィルムを見ると静止した写真がつながっているだけだ。それなのに、映写機にかけるとどうして動いて見えるのか。その理由が知りたくてたまらなかった。父親はそれなりに正解を教えてくれたが、なかなか理解できなかった。あんなに速いスピードでフィルムを流せば、何が何だかわからなくなるじゃないか。どうしてもそのメカニズムを知りたい。そんな思いがけっこう続いた。その疑問がいつ解けたのか、もう記憶にはない。しかし、それが小学生のころであったのは間違いない。OHPからPPへ≠ニ題したこの物語、もう少しばかり続けたいと思う。 |
OHPの昔話(05/08/30-870)
OHPは構造的に画面が明るいのが売り≠セった。それなのに、ランプを点灯すると部屋の明かりを消す人がいる。そのたびに、OHPだから灯りは消さなくていいのに≠ニ思いつつ、暗くて悪いこともないか≠ネどと独り言を言いながら、話を続けたものだった。ただ、OHPの欠点は機械がでかかったことである。フィルムが大きいということは、それを載せるステージも大きくしなければならない。しかも、その下に強力なランプを置いて、フィルムに光を当てるのである。そこで、そのランプをはめ込んでおくボックスがかなりの大きさになった。その中には、ランプを冷却するためのファンまで収納されていた。さらに、下から照らした光を上に伸びたスタンドに取り付けたレンズに集め、それを鏡で反射させて投射する。これで映像がスクリーンに映るという仕組みであった。そのスタンドも、40cm〜50cmはあった。だから、OHP全体がとにかくでかくなるのである。そのため、これを気軽に持ち運ぶのはむずかしかった。短い距離であれば、ステージの部分をよいしょ≠ニ抱きかかえて移動した。しかし距離が遠くなると、キャスターつきの運搬台がなければギックリ腰になるのは見えていた。そんなとき、折りたたみ式のOHPがこの世に現れる。それはステージがピカピカの鏡でできていた。そして、その下にはランプも何もないのだ。いわば1枚の板である。光は上のスタンド側から当てて、それを鏡で反射させて集光し投影させる。ランプは上にあって、ステージには鏡が付いているだけなのである。まさに逆転の発想であり、初めて見たときには、アイディアのすばらしさに驚嘆した。これなら、どこにでも持って行ける。この製品には随分とお世話になった。 |
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Good-By OHP(05/08/29-869)
驚異的な容量を持ったUSB メモリーを使えば、パワーポイントで作った膨大なコマを保存することができる。しかも、その重さは20グラム。何とも信じられないような製品である。そんなわけで、どこへ行っても「あのコマを持ってくればよかった」などと後悔することはなくなった。なにせ、「すべて」のコマを持参しているのである。それだけではない。パワーポイントを使えば、必要ならその場でも新しいコマを作ることもできる。こうして、あっという間に私はパワーポイントが離せなくなってしまった。そこで、すでに作成していたOHPシートのほとんどをパワーポイント化した。おそらく300枚にはなるだろう。とにかく、止められないのである。そんな時代の変化の中で、最近では、OHPそのものを見ることが少なくなった。学校では、視聴覚機器の代表として欠かせない常備品だったはずだ。しかし、もうどこに置いてあるか分からないところもある。ようやく探し出してきても、ほこりだらけで、OHPのフィルムをステージに乗せてもまともに映らない。そんな哀れな状況である。しかし、OHPだって日の当たる時代があったのだ。フィルムが大きいから、スクリーンまでの距離がいらない。その結果として、画面が明るいのである。だから、部屋の電気をわざわざ消さなくてもいい。教師は自分でフィルムを取り替えながら話ができる。それが生き生きした授業を作り出していた。もっとも、OHPのランプを点けると、すぐに教室の電気を消して、その上カーテンを閉めたがる人がいた。われわれのような映画やスライドで育った世代には、スクリーンに何かが映ると、反射的にその場を暗くするのが常識だったのだ。それまでの映写機は小さなフィルムを遠くから拡大するため、画面が暗かった。 |
OHPからPPへ(05/08/28-868)
私は縄文時代からOHP を使ってきた。Over Head Projector≠ナある。講演などを頼まれると、「OHPがないと話はできません」とわがままを言っていた。ところが、そのうちに若い連中がOHPのフィルムを見て不思議そうな顔をするようなった。「吉田さん、これってどこで発掘してきたんですか」。「……」。最近では学会でもOHPはお払い箱の感がある。「私だって、PC黎明の時代から情報機器とは関わりを持ってきたんだぞーっ」と絶叫したくなる。そんなわけで、このごろ巷で流行っているというパワーポイント≠ネるものに手を出してみることにした。昨年3月末のことである。それまでも人が使っているのは見ていたが、自分でやり始めると、これがやたらにおもしろい。あっという間に、やみつきになってしまった。OHPの場合は、フィルムとその原紙、さらに間に挟む白紙を加えた3点で1セットにしていた。これらを1枚のクリアファイルに入れて、講義や講演のたびに、必要なシートを選んで持参することになる。もともと気まぐれだから、話の展開によっては、これも使う、あれもいるかもしれないなどと考える。その結果として、15セットくらいは持ち歩くことになる。そうなると、これでかなりの重さになるのだ。それだけ準備していても、「あのシートがあったらよかった」なんて、その場で思ったりする。もちろん、手遅れである。現場でOHPを作るわけにもいかない。しかもl、終わってみれば使ったのは5枚なんてことが普通だった…。パワーポイントはそうした欠点をすべて克服してくれるのである。これに加えて、USBメモリーなる優れものが登場した。すでに2G(ギガ)の製品も発売されている。これには、フロッピーディスクにして、何と2000枚分もの容量があるのだ。 |
等質集団(05/08/27-867)
駒大苫小牧高校の記者会見の様子が毎日のように流されている。最初の事件発覚≠フ際は校長先生だった。その後は教頭先生が前面に出て対応している。一見して体格のいい方で、スポーツをやっておられたんだろうなと思っていた。そんな中で、学生時代からお付き合いしている先輩からメールを頂戴した。卒業された高校の同窓生メールクラブへの投稿記事をときおり転送していただくのである。その内容がじつにおもしろく、この欄でも取り上げたいと思うものが沢山ある。しかし、今日のところは本欄に関係のあることだけにしよう。ともあれ、そのメールの内容であるが、駒大苫小牧高校の、校長先生や副校長先生、そして教頭先生は野球部長の経験者だと書かれていた。ああ、やっぱりそうなんだ≠ニ思った。とにかく体格がいいのである。やはり野球で優勝を目ざすとなると、オールスターキャストが必要なのだろう。しかし、同時にまったく同じ経験と価値観を持った人々がリーダーシップを取っている点では気になることもある。こうした方々は、集団としてのまとまりもいいはずだ。優れた、やる気満々の人々が、一致団結して℃魔ノ当たる際に、思わぬ落とし穴≠ノはまってしまう。こうした危険な現象については、このコラムでも何回か触れたことがある。私流に言わせていただくなら集団止考≠ナある。能力ある人々からなる等質集団の強さと脆弱性の共存…。この点については、組織の安全♀m保の問題としても研究が必要だ。そう言えば、選挙で出てくる2世や家族だって、もろに等質ですよね。 |
組織的隠蔽(05/08/26-866)
明徳義塾の場合は、生徒たちの暴力行為や喫煙が問題になった。県大会で代表に決まっていたのに辞退するという事例は初めてのことだったらしい。高野連では、問題を起こした個々人の責任は問うとしても、それをチーム全体に拡大することはない方針だという。だから、問題が発生していたときに報告があれば、もっといい形で解決できていたのである。それを、大人の判断≠ナ押さえてしまった。そして、投書と言う形で事件≠ェ発覚する。高野連の方に柔軟なルール≠ェあるのだから、そのルールを守れば大事には至らなかったのである。スポーツマンシップ(このことばはOKなのかしらね?)≠高らかに宣言しているはずの人たちが、基本的なことができずに転けてしまう。何とも残念な話である。そして、そうした事態が目の前に発生しているにもかかわらず、駒大苫小牧高は後出しになってしまった。しかも、今度は優勝した後である。それも、57年ぶりの快挙だという。さらに、北海道という野球をするには厳しい土地柄であるから、その感動はさらに大きいものがあった。がんばって勝ち得た優勝の記録に不祥事発覚≠フメモがついて回ることになる。それはそうと、明徳の場合は、発覚のきっかけは投書だった。まさか、犯人捜し≠ネんて事態が起きていないだろうなと余計な心配をする。今回も、訴えた♂ニ族や本人たちに対する目はどうだろうか。それにしても、もともと問題になるようなことがどうして起きるのか。何も起きなければ隠す必要もない。そこには構造的な原因があるのだろうか。 |
味の悪い期限切れ(05/08/25-865)
味な話の素≠フネタは切れることがない。それどころか、これはネタになる≠ニ書き留めたメモが貯まる一方なのだ。後で見ると、その内容を忘れてしまったものもある。また、今ごろ書いても面白さが半減した賞味期限切れ≠フネタだってある。今年の5月だったか、こんな内容のことを書いた記憶がある。そんな中で、最近のメモでもそうした事態が発生した。明徳義塾高校が野球大会で四国の代表に決まっていたのに、出場を辞退したというニュースである。これについて取り上げようとメモをしていた。今月のはじめのことだ。ところが、今度は駒大苫小牧高校の事件≠ェ発生した。そんなわけで、今ごろになって明徳≠ノついてコメントしても賞味期限切れ≠ノなってしまったということである。それにしても、今回は前代未聞≠フ事態で、関係者の困惑ぶりが目に見えるようだ。私としても、味の悪い賞味期限切れ≠ナはある。ともあれ、正直が一番≠ニいう価値意識が失われている。まずいことは組織的に♂Bそうとする風潮が日本国中に広がっている。そんな中で、せめて学校くらいは≠ニいう思いもある。大人になったらいざ知らず、成長する間だけでもいいから、正直であること≠大事にしてほしいではないか。しかし、その学校でこうした事態が起きる。それも、生徒たちに問題がある場合でも、状況が悪くなるのは大人たちが隠す≠ゥらである。それも、1人がこっそり隠したのではない。まさに、組織的行動≠ネのだ。一方で、真相を明かした者への厳しい目が出て来はじめる。 |
賞味期限切れ(05/08/24-864)
おかげさまで、本コラムにアクセスしてくださる方が増えてきた。授業のスタート時や講演の際に忘れずPRしている。ほとんど押し売り≠セ。それでも、ちゃんと見ていただくのだから、ありがたや、ありがたや=Bご紹介するときは、YahooやGoogleで吉田道雄のキーワードを使うと、今のところTOPに出ます。≠ニ言いながら自慢している。ところが、先週Yahooを確認してみると、なんとTOPから消えていた。頭に出てきたのは、私のホームページの一部だった。だから、よその吉田道雄≠ウんに王座≠奪われたわけではなかった。しかし、それでも自分のホームページ≠ェ突如として消えてしまったのには驚いてしまった。すぐにGoogleをチェックしたが、こちらはそのままだった。ただし、昨日の朝Yahooで再検索したら、吉田道雄のホームページ≠ェ復活していた。この1週間は何だったのだろうか。もっとも、毎日見ていたわけではないので、いつ元に戻ったのかは知らない…。じつは、今日の話題はYahooから私のホームページが消えた話ではなかった。それなのに、前置きが長くなってしまった。まだ賞味期限切れ≠フ話まで届いていない。いつものことなので、長ーい目で見守ってください。本題は、明徳義塾高校≠フ大会出場辞退の件だった。これは明らかに組織の問題であり、危機管理という視点から見れば、企業などの不祥事と変わらない。そんな分析をしようと思ってメモを書いていた。ところが突如として、駒沢大苫小牧高校の事件≠ェ発覚した。私が言いたいことはお分かりでしょう。 |
3秒10円の世界(05/08/23-863)
みなさんは、3秒10円≠ニ言われて、思いつくものがあるだろうか。私は、記憶の彼方に置き去りにされるような昔のことを思い出す。それは昭和40年代も終わりのころだったろうか。今から30年以上も遡る1970年前後の話だ。当時、遠距離の公衆電話料金が3秒で10円であった。単純な計算だが1分だと200円かかることになる。そのころ、月給は75,670円(労働省調査)、ビール大瓶1本132円、はがきが15円、理髪は555円で、新聞は568円、映画550円の世界である。1分もしゃべるとビール1本が吹っ飛んだ。そんなことで、われわれ世代には長離電話は高いという観念が植え付けられてしまった。それがどうだろう。最近ではものすごい競争の結果、10円で20秒は話せる。夜間になると30秒を超えるのである。何と1/10という信じられない安い料金になっているのだ。収入や物価の上昇を考えると、もう何十分の一である。卵が物価の優等生と言われているらしい。長いこと値段が変わらないんだそうな。しかし、その卵も電話代の低価格化を相手にしては勝負にならない。結婚仕立てのころ、出張に出るといつも電話をかけた。公衆電話の横に10円玉を30枚ほど置いて、家内と話をした。それが財布の限度であった。そして、3秒ごとに、チャリンチャリンと音がして10円玉が落ちていく。しかし、その限られた時間はまことに充実していた。いつでも、どこでも、どれだけでも…。当時は、誰もがそうなればいいと夢見ていた。しかし、それが実現した今、私たち日本人は幸せになれたといえるだろうか。 |
アドバイスの功罪(05/08/22-862)
向かい合った4人掛けの座席に座った高校生に、シートの回転方法を教えてあげた。それに対して、彼は小さくうなずいたが、席は回さなかった。人から言われてシートを動かすのに気恥ずかしさを覚えたのかもしれない。「別に座席を回そうなんて思ってはいないんです」。そう言いたさそうな顔を見せた。しかし、彼は間違いなく座席を押していたのである。私は、「恥をかかせたかなあ」とちょっぴり反省した。こちらはよかれと思って言っても、相手にとっては気持ちよく受け止めるわけにいかないこともある。そこが対人関係のむずかしいところである。ともあれ、向かい合った4人掛けに1人が座っているためか、後から乗ってきた人も、その席を避けるように他の場所を探していた。そして、そこは博多まで埋まらなかったのである。人は真っ正面から向かい合うのに抵抗を感じるようだ。その証拠に、鳥栖から乗ってその席を通り過ぎていったうら若き女性が、こちらに戻ってきた。そして私に、「ここいいですか」と聞いたのである。席としては高校生の前の方が余裕があるにも拘わらずである。若い女性が座ったのならよかったじゃないかですって? いやいや、もうそんな年ではございません。それに、彼女がまたすごかった。コンパクトを取り出して化粧をしまくるのである。もう化粧は終わってるじゃないのと言いたくなるようなお顔に、さらに上塗りをしている。仕舞には、油紙なるものもジャラジャラいわせて手が休まることがない。ようやくそれが一区切りつくと、今度は携帯メールである。まあ、とにかくせわしないお嬢さんだこと。 |
親の振るまい(05/08/21-861)
昨日は、家内のJR体験話をしたが、今度は私の話。お盆の最中に電車に乗った。時期が時期だけに、自由席は満席に近い状態だった。私から見て通路を隔てた席に親子連れ4人が座っていた。母親と子どもたちである。4人だからシートを向かい合わせにしている。そこまではごく普通の車内風景である。それから30分ほどして、電車が大牟田に近づいた。目的地だと見えて、その親子連れは降りる準備を始めた。間もなく、4人が一斉に座席を立った。そこでガックリすることが起きる。彼らは座席には目もくれずに立ち去っていくのだ。「向かい合わせにしたシートくらい元に戻してから降りろーっ。親ならそのくらいのことは教育しろーっ」。私は、心の中で絶叫していた。こうした小さなことの繰り返しが、子どもの心を壊していくのである。自分たちさえよければ後はどうでもいい。こんな風景があちこちで見られるようになってしまった。何せ、大人に社会的なスキルが身に付いていないのである。子どもを育てているという自覚があるのかと疑いたくなる。もちろん、母親だけが問題なのではない。携帯片手に大声で話す大のおっさん≠ノしても同じことである。あろうことか、取引会社の悪口まで言ってる。「その会社に告げ口するぞーっ」。いやはや困ったものだ。さて、ポッカリ空いた4人席には、見るからに純朴そうな男子高校生が座った。チラリと見ると、席を回したそうな様子でシートを押していた。座席の向きを変える方法を知らないのである。ちょいと気になったので、「そこのレバーを踏めば席が回るよ」と声をかけた。 |
自己中心的世界(05/08/20-860)
公共の場でいろいろなことが起きる。まずは、行橋の実家に行った家内の話。博多から行橋へ向かう特急に乗ると、路線が小倉駅で鹿児島線から日豊線に変わる。その際に、電車の進行方向が逆になる。そこで、乗客たちは自分で座席の向きを変えるのである。そのときのこと。家内の前に座っていた中年の女性たちが、小倉に着くといきなりシートを動かした。すぐ後ろに座っている家内がいることなんて、まるで気づかないという様子だったらしい。家内は大きなバッグを座席の前に置いていた。その上には帽子も載せていたのだが、それらが引っかかって、巻き込まれた。そのため、あわれ、帽子には真っ黒な油がしみ込んでしまった。そのときの細かい状況は分からないが、「ちょっとくらいは周りのことを気にしてよ」というのが家内の気持ちである。中年の女性だったようだが、もちろん悪気があるはずはない。しかし、それにしても、他人に対する配慮が欠けているのである。とにかく自己中心的なのだ。今時の若い者は…≠ニいう文句は、永遠に失われない繰り言のようだ。同じ趣旨のことはピラミッドにも書かれているらしい。あれは落書きのことだったっけ。ともあれ、若者たちを責めるのもいいが、われわれは自分たちの行動についても振り返る必要が大いにある。援助交際≠フ女子高校生を、今時の…≠ニ嘆き、非難するのはいい。しかし、彼女らに金を払っているのは、分別盛りのおっさんたち≠セ。それこそ、財布に余裕がある50代のわれわれ世代じゃあないか。私はしてませんよ。念のため。 |
人間発見物語(05/08/19-859)
さて、ホーソン工場の実験に参加した従業員たちは、監督者が柔軟で、自分たちの意見も生かされ、しかも他とは違って選ばれた集団だというプライドも生まれた。そうした絆の強さは、当然のことのように生産性の向上をもたらすことになる。しかも、その結果として、賃金も上昇していった。何と言っても、出来高払い≠ネのである。こうした従業員の意欲の高まりは、照明や休憩時間とは関係していない。だから、そうした条件が改善されなかった統制群≠ナも、生産性が伸びていったのである。こうして、実験群=A統制群≠フ間に予想した生産性の差を見出せなかったのである。人は、照明≠竍休憩時間≠ニいった外的な条件の改善だけで意欲を高めるとは限らないのだ。かくして、大がかり行われたホーソン実験≠ヘ、当初の仮説を実証できず失敗≠オたのである。ここで終われば、ホーソン実験≠ヘ誰にも知られることなく消えていったはずである。しかし、研究者たちは実験が失敗した原因を粘り強く追及していった。その結果、職場における人間集団の重要性を発見したのである。今日では、組織の活性化にリーダーシップ≠竍意思決定への参加=A所属集団に対する誇り≠ネどが欠かせないことは誰でも知っている。当事者たちに意識されていなかったとはいえ、ホーソン研究≠ェこうした人間的な要因を発見≠オたことは間違いないのである。そのことは高く評価されていい。こうして、ホーソン実験≠フ大いなる失敗≠ヘ、歴史に残る人間発見物語≠ニなったのである。 |
モラール・アップの秘密(05/08/18-858)
@監督行動が柔軟で、A意思決定にも影響することができた。ホーソン実験に参加した従業員たちは、これまでにない体験をして、仕事に対する意欲を高めていったのである。これに、B所属集団のプライドと連帯意識の高まりが加わることになる。実験はホーソン工場全体で行われたわけではない。実験の対象として、いくつかの集団が選択されたのである。そこで、実験に参加した集団の人々には、自分たちは実験のために選ばれたのだ≠ニいう気持ちが高まっていった。所属する集団に対するプライドが生まれたのである。それが、みんなでしっかりがんばろう≠ニいう連帯意識につながっていくのは自然の成り行きだった。こうして、参加者たちは共通の目標を持つことによって、さらに意欲を高めていったのである。その結果、当然のことのように、Cモラールも上昇する。モラール(morale)は、軍隊や集団における兵士や成員の士気である。いわゆるやる気≠フことだ。兵隊なら戦闘意欲ということになる。現在では、満足度なども含められる。職場で行われるモラール・サーベイは、従業員の意欲や満足度を測定するための道具である。morale
によく似たことばにモラル(moral)≠ェある。それが道徳意識や倫理観を指すことは、多くの人々が知っている。末尾にe≠ェ付くか付かないかの違いだが、意味は大いに異なっている。ただし、働く人々のmorale≠ェ高まれば、その結果としてmoral≠烽オっかりしたものになるだろう。深刻化するMoral
Hazard≠阻止するには、moral≠高めることが求められている。 |
ホーソン実験の真相(05/08/17-857)
研究者たちは、二度にもわたってホーソン工場での実験に失敗した。彼らがこの時点で研究を放棄していたら、21世紀の日本でホーソン実験≠ェ話題に上ることなどあり得ない。しかし、Roethlisberger
らはねばり強かった。失敗の原因を探るために、実験に参加した従業員たちとの面接を進めた。その結果、生産性に及ぼす「人間的要因」が浮かび上がってきたのである。しばらく、その要因について見ることにしよう。@監督行動の柔軟さ
: 実験集団の監督者は、友好的な雰囲気を作るように気を使った。また、規制や強制もできるだけ避けることにした。監督者が従業員たちに不要なストレスを与えれば、せっかくの「照明」や「休憩時間」の効果が相殺されてしまう。それではまずいと考えられたのである。A決定への参加
: 働く人間にとって、自分たちに関係した決定に参加することは重要な意味を持っている。上層部で決めた一方的な指示や命令に従うときは不満が生まれやすい。それが重要な内容であれば、その思いはさらに強くなる。ホーソン工場では、実験期間中に賃金の支払い方法を変更することが打診された。それに対して、実験グループは難色を示し、実際に変更は導入されなかったのである。今日でも、従業員の「決定への参加」が完全に実現できているとは言えない。ましてや、この時代に、自分たちの意思が反映されたという事実は、画期的なことだっただろう。この場合も、実験者たちが「参加」の心理的な意味を理解していたわけではない。実験の成果≠得るために無用な摩擦を避けたのである。しかし、そのことが従業員のやる気を高め、生産性の向上にも大いなる影響を及ぼすことになったのだ。 |
歴史的失敗(05/08/16-856)
ホーソン工場で、照明を改善したところ、生産性が伸びていった。そこまでは予想通りだったが、照明をそのままにしていた集団でも、同じように生産性が向上した。そんなわけで、生産性に及ぼす「照明」の効果は「証明」されなかったのである。こんなところで、ヘタなしゃれを言っても仕方がないか。ともあれ、ホーソン実験≠ヘ見事に失敗したのである。しかし、どんな場合でも、簡単にあきらめてはいけない。この実験に取り組んだ研究者たちは、大いなる失敗にはめげなかった。そして、再びホーソン実験≠ノ挑戦するのである。前回の「照明」に懲りたわけでもなかろうが、今度は、休憩時間や作業時間を生産性に影響を及ぼす要因として取り上げることにした。毎日の仕事の中で休憩時間が増えれば、従業員たちの作業効率も上がるだろうと予想したのである。この第2実験は1927年にスタートしている。そして、その後、13期2年間にも及ぶ長期にわたって実験が行われることになる。さすがアメリカというか、壮大なる実験計画である。そこまで大がかりに進められたホーソン実験≠フ結果はどうなったのだろうか。なんと、またしても実験者たちは失敗の苦汁をなめることになるのである。その状況は第1実験に類似していた。たしかに、休憩時間を改善するにつれて生産性は伸びていった。そこまでは想定通りだった。ところが、改善した休憩時間をもとの状態に戻しても、やはり生産性は向上したのである。休憩時間が生産性に影響を及ぼすのなら、出来高はダウンするはずだ。それが上昇するのだから、まるで第1実験の再現である。こうして、科学的管理法%Iな発想に基づく大がかりな実験は完全に失敗したのである。 |
不都合な結果(05/08/15-855)
細かい手作業の仕事場で照明を明るくすれば、仕事の効率も向上するだろう。それは、当然のことだと思われた。事実、ホーソン工場の女性従業員たちの成績は、照明の改善とともに伸びていった。まさに予想通りだったのである。ところがである。ここで大いに不都合な結果も出てしまうのだ。実験では「統制群」と呼ばれる集団が設定される。英語では、
control group と呼ばれ、「対照群」ということもある。ホーソン研究のように、「照明」の改善が生産性に効果があると考えて実験を行うとしよう。その場合、たとえば3ヶ月後に生産性が上がったとき、それだけでは、「これは『照明』の効果だ」と断定できない。なぜなら、実験期間中に、照明の改善以外の理由で、従業員たちの「やる気」が高まることがあるかもしれないからである。そこで、登場するのが「統制群」である。この集団は、実験群と可能な限り同じ状況の従業員から構成される。たとえば、仕事の経験や能力などを合わせるのである。そして、この集団に対しては「照明」の改善を導入しないことにする。もし、「照明の改善」が生産性に役立つのであれば、「実験群」は、成績が上がる。しかし、「統制群」には何の変化も起きないはずである。ここまではっきり確認されることで、「生産性に与える『照明』の効果」を実証したことになる。ホーソン実験も、こうした計画のもとで実施されたのである。そして、「実験群」では、めでたく生産性が伸びていった。そこまでは予定通りだった。ところが、「何の変化もない」はずの「統制群」で想定外のことが起きてしまう。何と、照明を改善しなかった「統制群」でも、生産性が上昇したのだ。こうなると、「照明」の効果を強調できなくなってしまう。 |
ホーソン実験(05/08/14-854)
ウエスタン・エレクトリック社のホーソン工場で行われた実験は、後世にまで語り継がれる記念碑的研究になるのである。それは、研究にかかわった人たち自身が予想もしていなかったことだろう。何と言っても、21世紀の日本において、個人のささやかなホームページにまで登場するのである。それほどものすごい研究なのだ。そんなことを聞けば、多くの方が実験の内容を知りたくなってくるだろう。そこで、ホーソン実験の内容をご紹介しよう。実験では、作業員の仕事効率に与える照明の効果に焦点が当てられた。物理的環境の改善によって、生産性を上げようというわけである。ここで中心的な役割を果たしたのが、Roethlisberger
と Dickson たちである。実験は1924年ににスタートした。日本の大正13年だから、もう少しで昭和を迎えるというころである。この実験で対象者として選ばれたのは、コイルの巻き付けとリレーを組み立てる作業を行う女性たちであった。リレーは継電器≠ニ呼ばれるもので、電話機に欠かせない部品だったと思われる。磁石でスイッチのようなものを引きつけたり放したりする。その結果、電流が
on off する。それは、コンピュータの基本だという話を聞いたこともある。もちろん今では電子的にその操作を行っている。コイル巻きは、そうした部品の一部として使われる電磁石づくりに必要な仕事だったのだろう。ともあれ、細いコイルを軸に巻き付けていくのは、かなり細かい作業だったはずだ。そんな仕事の環境だから、照明を改善すれば、手元もよく見えるようになる。その結果として、仕事の効率も向上するだろう。これが実験に当たって考えられた仮説である。それは、誰が見ても納得できるもののように思われた。 |
科学的管理法(05/08/13-853)
科学的管理法≠ヘ、20世紀はじめにアメリカの Frederick Taylor が提唱したもので、生産性の向上を目標にしていた。英語ではScientific
Management≠ナあるが、そのキーワードは、時間研究∞動作研究∞出来高払い≠ナあった。工場で働く人間の動作を研究したり、それに求められる時間をチェックしていく。その結果から、より効率的な動作や、機械の配置などを探っていくのである。それを実現することで成果が認められれば、賃金も上げる。かの有名なT型フォードが世に出たのが1908年である。いわゆるベルト・コンベアシステムによって大量生産された、歴史に残る車だ。こうした時代背景の中でTaylorの科学的管理法≠ヘ、まさに産業界からの期待に応えるものであった。その一方では、チャップリンのモダンタイムズ≠ノ典型的に示される、人間を歯車のように扱うといった問題も抱えることになる。チャップリンといえば、私たちには無声映画時代の喜劇王≠ニしてのイメージが強い。ダブダブのズボンに山高帽のスタイルも、喜劇的雰囲気を盛り上げる。鼻ひげも滑稽さに輪をかける。しかし、モダンタイムズ≠ネどは、痛烈な社会批判映画である。その点でチャップリンは、当時の支配層から見ればおもしろくない人物だったようだ。そんなことで、戦後の冷戦時代には、その思想性を忌避されて、事実上アメリカから追放されてしまう。それはさておき、かのグラハム・ベルが設立した電話会社である
ATT にウエスタン・エレクトリック社≠ニいう子会社があった。ここで、大規模な研究がスタートすることになった。シカゴにあったホーソン工場で行われたため、今ではホーソン実験≠ニ呼ばれているものである。 |
老化のお知らせ(05/08/12-852)
今から40年以上前の「東京オリンピック」開会式の日を、昨日のことのように憶えている。ああ、それなのに、それなのに…。先ほどこの目で見た車のキーが見あたらない。使ったハサミがどこかへ行っちまった。頭に浮かんだ「味な話の素」のアイディアが見事に消えている…。これまでも、思いついたことをふっと忘れてしまうことはあった。そんなとき、それが浮かんだ状況に戻ると、ちゃんと思い出したものだ。居間のテーブルに座り直す。玄関の入り口に立ってみる。トイレに入る…。ところが、このごろは記憶が頑固になってきた。そのときの動作を繰り返しても、記憶のメモは蘇ってこないのである。でも、これでいいんだろうなあと思う。それが老化ということなのである。ちゃんと体が心の準備をしてくれているのだ。ある日の朝から突然に記憶力が失われたりすれば、そのショックは大きすぎる。まさに、体がソフトランディングを試みているのである。そう思うと、自分の体に感謝したくなってくる。ところで、1964年の10月10日は土曜日で、学校が終わると天神に直行した。当時、私は福岡に住んでいたのである。お目当ては岩田屋デパートの電気製品売り場だった。そこで、「カラーテレビ」:なるものを初めて見た。カラー放送は、すでに東京あたりでは始まっていたが、オリンピックを機に全国規模に拡大されたのである。ただし、このときの私のカラーテレビに対する評価はかなり低かった。何というか、赤がにじんだような色で、どうもパットしなかった。「なあんだ、カラーってこの程度なのか」。そんな感慨を持ちながら帰宅した。そのことを、これまた昨日のように憶えているのである。それにしても、今では天神四つ角に岩田屋はない。あの老舗の岩田屋がないのだ。 |
昨日≠フ思い出(05/08/11-851)
その昔、私はけっこう真面目な高校生だった。その私がはじめて授業をさぼったのは、1年生時の2学期である。その日は、10月10日で、土曜日だった。もちろん、学校週5日制などとは無縁の時代である。このごろは、10月10日≠ニ聞いただけで反応する人が減ってきた。そう、この日は長い間「体育の日」だった。そして、その日が「体育の日」になった理由を知らない人が増えている。ハッピー・マンデーなどと呼んで、第2月曜日を「体育の日」にしてしまったから、当然のことである。じつは、1964年のこの日に、「東京オリンピック」の開会式が行われたのである。秋晴れの中、アジアで初めてのオリンピックが華やかに始まったのだ。そのとき、高校1年生だった私が授業をさぼったのはなぜか。その答えは、「オリンピックの記念切手を買いに行った」である。当時は切手の収集が流行っていた。その切手は今でもちゃんと手元にある。骨董的な価値はほとんどないらしいが、まあ若いころの思い出だ。もちろん額面通りには使えるが、いまさらオリンピックの切手でもないだろう。そんなわけで、真面目な吉田君は授業をさぼったのだが、何せ気が弱い。「少し遅刻になるけれど、全部さぼるよりは今からでも出た方がいいか」。こんなことを考えて、教室に出かけて行ったのだ。1時間目は「英語」だった。担当は吉永先生である。「すみません。電車に乗り遅れました」。こんな理由をでっち上げて言い訳をした。「遅刻なんかするなよ。よし、自分の机に行け」。この程度のお小言だけで、遅刻は無事に許していただいた。吉永先生の優しいお顔が、今も生き生きと蘇る。まるで昨日のことのように…。われながら、人の記憶のすごさに感動するのである。 |
「これもできる」「あれもできる」(05/08/10-850)
頭の中で、「あれもできない」「これもできない」と考える。人間は悩みがあると、こんな発想にはまってしまう。とくに、日頃から真面目だといわれている人ほど、その傾向が強い。デフレ・スパイラルという、ありがたくない言い回しが流行していた。景気が悪くなる→ものが売れなくなる→収入が減る→ものが買えなくなる→景気が悪くなる…。どこからはじまるのか知らないが、出口が見つからない悪循環である。経済は素人なので、この図式が正確であるかどうかは問題にしないでいただきたい。とにかく、螺旋階段を落っこちていくのである。これと同じことが心の問題でも起きてくる。「できない」症候群に罹ると、このスパイラルにはまってしまう。まさに、落とし穴スパイラルである。こんなときは、少しばかり見る方向を変えてみてほしい。ちょっと考えただけでも、われわれは沢山のことが「できている」ではないか。仕事柄、入試の時期になると試験監督をする。受験生が試験に向かっている机の間をゆっくりと歩く。すると、一生懸命に考えている受験生が、手の上で鉛筆をクルクル回している。親指と人差し指を起用に絡ませながら「ひょい」とやると、鉛筆が素早く回転する。文章だけでは、これをうまく伝えることがむずかしいが、何となくお分かりいただけると思う。とにかく見事な技なのである。これを見た私はいつも感心する。あんな芸当は、私にはとてもできない。つい、受験生に声をかけたくなる。「君ってすごいね」。もちろん、試験中にそんなことをしたら怒られてしまう。だから心の中で声をかけて前へ進む。ささやかなことも含めて、私たちには「できること」がいっぱいある。「これもできる」「あれもできる」。どうせなら、「上昇スパイラル」を昇っていきましょうよ。 |
「できない」症候群(05/08/09-849)
学校の先生からご相談を受けることがある。内容は、子どもとの対人関係に関するものが多い。教育の場では「学級経営」ということばがある。文字通り、自分が担当する学級をうまく運営していくことである。これがなかなかむずかしい。子どもとの関係だけでなく、保護者との関わりのあり方にも困難を感じる教師が増えている。いずれにしても今日の教師には、これまで以上に対人関係力を身につけることが求められている。ご相談に対しては、私もそれなりに解決策を提案をする。「こんなことをしてはどうでしょうか」。これに対して、「それって駄目なんですよね」という回答が返ってくる。そこで、「これはどうですか」と別の対処法を提示する。しかし、これにも「うーん、それもうまくいきません」とくる。「じゃあ、こんなこともできるかもしれません」。「いやあ、それがまずいいんですよね」。私もない知恵≠絞っているのだから、このあたりでネタ切れになる。「そうですか、どれもうまくいかなかったんですね」。ほとんどあきらめ声である。すると、「うまくいかなかったというか、みんな駄目だと思うんですよ」と意外な回答が返ってくるのだ。あわてて確認すると、実際にやったことはないが、「おそらくうまくいかない」と思いこんでおられるのだ。やる前から駄目だとあきらめる。問題にぶつかったとき、何でもかんでも「できない」と思い込んでしまう。そんな対応が増えている気がする。やっていればうまくいくかもしれないのに、はじめから「できない」と確信する。だから、行動に移せない。それに失敗を避けたいという気持ちが加わるから、なおさらできなくなってしまう。対人関係などは、頭の中で考えているだけでは改善されることはない。まずは行動してみよう。失敗は成長の種。 |
やさしい哲学(05/08/08-848)
とにかく「哲学」はむずかしくないといけない。それが日本の常識かと思ってしまう。そもそも「哲学」とは何なのだろう。とにかく、広辞苑を引いてみた。すると、「@(「(philosophy)(philosophia
ギリシアは愛智の意。西周(にしあまね)は賢哲を希求する意味の周茂叔の文に基づき希哲学と訳し、それが哲学という訳語に定着した)古代ギリシアでは学問一般を意味し、近代における諸科学の文化・独立によって、新カント派・論理実証主義・現象学など諸科学の基礎づけを目ざす学問、生の哲学・実存主義など世界・人生の根本原理を追及する学問となる。認識論・倫理学・存在論などを部門として含む」と書いてある。これで2文の構成である。冒頭から最初の読点まで180字を超えている。まずは見ただけで難しそうな感じがする。それに、新カント派だの何だのと続いている。認識論に倫理学、はたまた存在論とくるから、ますます訳が分からなくなる。そこで、手元にある
POD(Pocket Oxford Dictionary 1978)を引いてみた。philosophy n. Seeking after wisdom or knowledge esp. that which deals
with ultimate reality, or with the most general causes and principles of
things, physical phenomena(natural philosophy), and ethics(moral philosophy);
≠ニ書かれている。「知恵や知識を求めるもの。とくに、究極の真実、物事、物理現象や倫理に関して最も一般的な原因と法則を求めるもの」。いい訳とは言えないが、英語はじつに分かりやすい。物理現象は「自然哲学」、倫理は「道徳哲学」であることも、なるほどとうなずける。もしかして、カントの「純粋理性批判」も英語で読んだ方が理解できるかも…。 |
日本語翻訳練習(05/08/07-847)
哲学者の廣松渉氏には沢山の著作もあるようだから、多くの人から読まれたのだろう。書いた人もすごいが、読んだ人もすごいと感心する。氏は1994年に他界されていた。さて、2日前に挙げた例文を少しずつ切って、日本語に「翻訳」してみよう。まずは、「人は生まれると、母親と緊密な関係を持ちながら行動を始めます。その行動は、子どもにとっては、はっきり意識して行う役割行動≠ニは言えません」。こんな感じだろうか。「しかし、人は成長するとともに、自分自身が意識して、社会で求められる複雑な行動を身につけ、実践するようになります」。「行為の形成・体現」なんて見ただけで難しそうだ。「ここでは、人間がどのように生まれるか、あるいはどのように成長していくかといった経過について議論するのは止めておきましょう」。そして、「われわれが、いまここに生きて、存在していることに焦点を当てながら、とりあえずは次のことをしっかり申し上げておきたいと思います」。「思います」ではなくて、「念います」である。相当に「重い思い」に違いない。本の後書きに興味深い文章が含まれている。「○○氏には、本書が読み易くなるよう数多くの貴重な提言を賜ったうえ、各節内部の小見出しを起案してくださったことをはじめ、筆紙に尽くしがたい芳志を忝うしました。せっかくの御高配の相当部分を返上し、我執を押し通した非礼、今更のように寛恕を乞いつつ筆を擱きます」。編集者は、本が読み易くなるよう、著者に対して相当に食い下がったのだ。しかし、そのほとんどが「我執」で拒否されたようである。その意見を少しでもお聞きになっていたら、どうなっただろうかと思って、苦笑した…。ついでながら、「忝う」は「かたじけのう」である。 |
漢字の読み探し(05/08/06-846)
廣松渉著「新哲学入門」の続き。昨日の本欄で引用した文だが、その長さだけで驚いていてはいけない。それを上回るのが漢字のすごさである。ご承知の方には失礼だが、「嬰児」は「えいじ」と読む。生まれたばかりの子どものことである。広辞苑には、3歳くらいまでは、こう呼んでもいいと書いてある。つぎは「共軛的」だが、この読みは「きょうやくてき」である。今日では「共役」と書き換えて使う。お互いが緊密に結びついて、入れ替わっても変化しないような関係のことを言う。まさに母と子の関係のあるべき姿だろう。それから、「辿る」は「たどる」である。さてさて、「留目」という単語もある。これに至っては、広辞苑にも載っていなかった。何分にも正確な読みが分からないから、まずは、「りゅうもく」「るもく」で引いてみた。まさかと思って「るめ」「りゅうめ」もチェックしたが、当然のように発見できなかった…。とにもかくにも、この本ではこんな漢字を使った文章が220ページも続くのである。私としては、著者の頭脳に敬服するばかりだ。えっ、「それを読んだお前さんだってすごい」ですって。そうかもしれないなあ。私はこの本を始めから終わりまで読んだのだ。その間、ほとんど笑いが絶えなかったことを告白しなければならない。それだけでなく、「ご本人は、ご自分のお書きになっていることがお分かりになっているんだろうなー」と感心し続けていた。こんなことばを使わないと、「世界」や「宇宙」を理解することができないのだろうか。「哲学」って、ずいぶんと不便なものなんだ。私の仕事であるグループ・ダイナミックスは、人間の行動を、まともな日本語でそこそこ説明できていると思う。ともあれ、廣松渉氏は偉大な哲学者だったようで、膨大な著作集もある。 |
哲学の日本語(05/08/05-845)
私は「哲学」の素人だから、哲学の本質は知らない。しかし、青年期には、「哲学」ということばそのものが「「かっこいい」と思う時期があった。そうした心情は、若者に共通していたと思う。たとえば、私の父は20代のころ、東京で働いていたことがある。その通勤途上、電車の中で、カントの岩波文庫本を広げていたという。文字通り「広げていた」だけで、内容は分からなかったと笑っていた。ともあれ、「哲学」という響きが若者に刺激的だったのである。その点、現代の青年たちはどうなんだろうか。機会があったら、聞いてみるのもおもしろそうだ。そんなわけで、私の本棚にも「哲学っぽい」本が何冊か置いてある。その中に、かなり昔に購入した岩波新書が目に入った。廣松渉著「新哲学入門」である。そこで、それをボチボチ読みはじめた。これが、じつにおもしろいのである。とにかく文章がものすごい。こんな日本語を使わなければ説明できない哲学って何なんだろうと思ってしまう。いや、考え込んでしまったといった方が正しい。たとえば、次のような一文がある。「人は嬰児期このかた、母子間の共軛的な行動、子どもの側に即すれば無自覚的な役割行動≠ゥら始め、やがては複雑な自覚的役割行為を形成・体現していく次第ですが、ここでは発生論的・発達論的な過程を辿ることは割愛して、存立構造にもっぱら留目しつつ、とりあえず次の事項を確言しておきたいと念います」。まずは字数がすごい。読点を含めると143文字になる。この長さの文を3つ続けると、400字詰め原稿用紙を超えてしまう。この文章を1回読んだだけですんなり頭の中に入る方は、「哲学」をはじめられるようお勧めしたい。この話題、ここでは終われない。 |
開拓者のこころ(05/08/04-844)
7月に亡くなった人物の記事で、もうひとり注目した人がいる。「ヤマト運輸」元会長の小倉昌男氏である。「ゼンリン」大迫氏の59歳に対して、享年80歳。その点では天寿を全うしたと言える。この人の人生もすごい。今では「宅急便」を一般名詞だと思っている人もいるが、これは「ヤマト運輸」の商標である。念のため広辞苑を引いてみると、「たっきゅう」は「卓球」しか出てこなかった。一般的には「宅配便」と呼ばれる。ともあれ、ヤマトの宅急便は「日本全国どこにでも」をスローガンに成長し続けてきた。小倉氏は、官の規制と対決した人としても知られる。わが家が福岡から鹿児島に転居し、さらに熊本に移ってきた1970年代の終わりころを思い出す。当時、ちょっとした荷物を送る際は、郵便局の小包を使っていた。しかし、これは文字通り「小」包みである。少し大きくなると、運送会社に依頼することになる。それは大型荷物の輸送に便乗する形をとった。そのため、到着日がはっきりせず、会社の営業所に取りに行かねばならない不便さもあった。小包にしても、郵便局に持って行くものと決まっていた。それも、大きさや重さが制限されていた。それに、郵便局員の応対は、決して「マル優」とは言えなかった。やれ、ひもで結べだの、大きすぎるだのとうるさかった。そんな市場に大変革をもたらしたのが小倉氏である。「ヤマト」の成長と、郵便局のサービス向上は明らかに対応している。リタイア後は福祉事業に力を注いだという。引き際の詳細は知らないが、この人も世の中を変えたすばらしい開拓者だったことは疑いない。 |
引き際のかっこよさ(05/08/03-843)
6月に亡くなった人物の記事を読んだ。熊本日日新聞の7月30日付「追想−メモリアル」である。その中で、「ゼンリン」前社長の大迫忍氏が、私の目を引いた。「ゼンリン」は住宅地図の最大手として知られている。昔はお店や食堂などに、近所の地図が張ってあったりした。わが家の名前もちゃんと載っていた。隣も、またその隣もびっしりと名前が埋まっている。だれがどうして調べるのかと思ったこともある。その秘密は足だった。まことに単純、とにかく1軒1軒をチェックしながら記録していくのである。小さな町の地図も、繋がれば全国をカバーすることになる。「ゼンリン」は、それを本気でやろうと思ったのである。そのために、文字通り「千里の道も一歩から」を地で行ったのだ。まさに、「やればできる」の心である。まずは、創業者のすごさに頭が下がる。そして、その父を次いだのが34歳の大迫氏だった。彼は周囲の反対も押し切って地図の電子化に挑戦し、日本全土のカバーをめざした。その苦労物語は「プロジェクトX」にも取り上げられた。その大迫氏は55歳で社長を退く。自分の子どもたちは入社させず、リタイア後は経営に口を出すことは一切なかったという。その引き際の見事さに感嘆する。元気なころは誰もが、「自分こそは引き際は潔く」なんて思う。それを公言する人もいる。しかし、それが難しい。世の中には、その時期を誤る人の多いこと、多いこと。大事な判断をしなければならないときには、それができる力そのものが失われてしまっているのである。享年59歳という。何とも早すぎる死であった。 |
表現にご注意(05/08/02-842)
さて、英語で注意すべき言い回しは他にもある。「ビジネス英語」によれば、That's a good question≠ネどもそうらしい。人がいい質問をしたときに、いやあー、すばらしい質問だ≠ネんてすぐに言いたくなる。これも本当にそうならいいのだろうが、聞きようによってはまずいらしい。これでは、他の質問はつまらない≠ニ思っていることになるというのだ。こちらにそんな気持ちはなくても、結局は受け止める側の問題ということである。いやはや、不用意に相手をほめてはまずいというわけだ。それならいっそのこと、ほめまくってはどうか。まあ、それはそれで、何でもいいから無節操にほめてるといって怒られるだろう。それはそれで信頼を失ってしまう。また、会話の中でyou
know≠頻繁に使う人がいる。これは、「あのね」「えーっと」という感じなんだろうか。それにはほとんど意味がないと思う。ところが、As
you know≠ニなると話が違ってくるという。日本語なら「ご承知のように」に当たるのだろう。これは、「あなたも当然知っていると思いますが」という意味合いがあるから、少しばかり気をつけた方がいいようだ。もし相手がそのことを知らなかった場合は、恥をかかせたことになる。しかも、あなたと違って、私は知ってますけどね≠ニいう気持ちが感じられるからまずいのである。もう一つ、As I said before≠烽る。これは、すでに申し上げましたように≠ニいうことである。たしかに、言外にあんた聞いてなかったの≠ニいう気持ちが見え隠れする。実際、私自身がそんな意図でこの手の表現をすることがある。いやはや、洋の東西を問わず、発言には十分に気をつけなければならない。おもしろくもあり、また怖くもある。それがことばなのである。 |
ことばと文化(05/08/01-841)
日本語は敬語などがあって複雑だ。これに対して英語は単純、「あなた」も「おまえ」も、みんなyou≠ナすむ。もちろん、「あなたさま」に「貴殿」、「きさま」「この野郎」…。挙げ出せばきりがない。しかし、本当にそうなんだろうか。この背景には、日本語の方が「複雑」だから、表現力に「優れている」という思い込みがないか。よく考えれば、1つのyou≠セけで、様々な役割を担わせる。それは、その時の状況と声などの調子で変わってくる。そうだとすれば、その方が表現力を持っていると言える。これは非言語的側面ではあるが…。もちろん、私は日本語が大好きだ。だから、日本語の表現力の豊かさを楽しんでいる。ここで言いたいのは、文化が違うとすべてが異なっているはずだというものの見方はまずいということである。たしかに文化による違いはあるが、人間はけっこう似たような反応や行動をする。もちろん、外国の人が日本人を見るときにも、こうした発想をしてほしいと思う。ところで、英語にも、おもしろい表現がたくさんある。杉田敏講師のNHKラジオ「ビジネス英語」で、注意した方がいい表現が話題になっていた。まずは、To be honest with you=Bわれわれも正直なところ≠ネんて表現はよくする。本音で言えば≠ェ好きな人もいる。しかし、これは「いつもは正直でない」「本音を言っていない」と聞こえる恐れがあるのだそうだ。本人としては、「あなただから正直に言えるのよ」という気持ちでいる。だから、信頼していることを表現しているつもりなのだが、相手にはそのように受け止められないことがあるのだ。まあ、そう言われればそうかなという気がする。少なくとも、アメリカではこうした言い回しを乱発するのはまずいらしい。 |
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