父とラジオ体操(05/07/31-840)
ラジオ体操は夏休みの風物詩だった。とくに小学生を中心に公園に集まって、「いち、にい、さん、しい…」と元気よく体操をした。いまでも、青年の家などへ行くとラジオ体操がある。いつも自分で驚くのだが、何年経っても体は体操を憶えている。これには英語版まであることをご存じだろうか。おそらく日本の会社が海外に進出したときに工場などで体操をしたんだと思う。従業員の家族ぐるみでの運動会もあった。とにかく日本企業が元気で、それ行けやれ行けの時代があった。ラジオ体操といえば、父との思い出が蘇る。小学生の5年生ごろだったと思う。毎朝、父とラジオ体操をした。とにかく欠かさずやっていた。体操が終わると近くの海まで走った。子どものころだからずいぶんと走ったような気がする。実際の距離は分からない。しかし、「はっは」と息が切れそうになるくらいはあった。いつものところまで来て海を眺めて呼吸を整え、それからまた走って家に帰った。そのころには、母が作った朝食の準備が完了していた。懐かしい伊万里時代の思い出である。指折り数えて逆算すると、父は40歳を少しばかり越えたころだ。毎日、息子とラジオ体操をしてランニングをする。当然のことのように息子がついてくる。父は間違いなく嬉しかったと思う。そのとき、父とどんな話を交わしたか、記憶にはない。その習慣もいつか終わりを迎えることになる。しかし、それは少なくとも中学生までは続いた。。まだ昭和30年代の、懐かしき思い出である。いま、あの伊万里の木須町あたりはどうなっているだろうか。石段登りをした金比羅さんは元気でいるかしら。それにしても、毎日のように続ける体質は父譲りなんだろうか。「味な話の素」も終わることを知らない。 |
プロのマナー(05/07/30-839)
熊本市と福岡市で、同じような出来事に遭遇した。まず1件目。熊本市の市民会館に行こうとして、すぐ前の交差点で信号待ちをした。その際に、バスが連なって交差点に入り込んで止まる。イヤーな予感が的中する。やがて私が待っている信号が青に変わる。しかし、バスは大きな車体を交差点に止めたまま身じろぎもしない。右に曲がりたい私たちの車を通せんぼなのである。右折だから交差点に入るのは仕方がない。しかし、その前もずっと詰まっているのが見えているのに入っちゃあまずいよ。それに、対向の右折車だって曲がれない。プロが運転の基本を守っていないのだ。次は福岡市の天神。横断歩道を渡ろうと信号を待つ。しばらくして「通りゃんせ」が聞こえる。ここでもバスが横断歩道を遮断している。渡りはじめても、信号の青は確認できない。ややあって、バスは前に進んだが、これもプロがやることじゃない。朝の8時ころの話である。そして今度は11時ころのこと。またまた、横断歩道をバスが遮っている。しかも、道路の中央側である。横断歩道は占拠されているから、バスの前を恐る恐る通り抜けようとする。しかも、もうひとつ車線があるから、亀のように首を伸ばして車が来ていないかどうか確認する。ふと、前の歩行者信号を見たら、すでに「赤んえべー」している。じつに危険だ。とにかくプロの仕事じゃない。プライベートのときはいざ知らず、仕事で運転するときはちゃんとしてくれないと。安全は些細なことから崩れていくのである。博多のバスは西鉄さんではございませんでしたので、念のため…。 |
工藤と城島(05/07/29-838)
今年の日本プロ野球のオールスターはテレビで見なかった。のっけから話が逸れるが、いまや「日本」を頭に付ける時代になった。「オールスター」というと、「大リーグ」のことだと思う人がいるかもしれない。とにかく朝から晩まで、時間を問わず大リーグ中継をやっている。どうでもいいのだけれど、視聴率はどのくらいなんだろうか。私なんぞはまともに見ていたら仕事にならない。それに、せっかちだから、野球中継そのものを始めから終わりまでじっと見ることができない。さてさて、閑話休題。そのオールスターゲームで、巨人の工藤投手とソフトバンクの城島捕手が「対決」したらしい。1球目はボール。2球目はカーブを見送ってストライク。このときに、城島が「カーブじゃなくて直球を投げてよ」といった仕草をしたという。それに応えて工藤がストレートを投げた。城島が「それきた」とばかりに振り切ると、ボールはレフトの観覧席に飛んでいったそうだ。さすがにプロである。打てるところにボールを投げるのもプロなら、それを本当にホームランにしてしまうのだから、これまたプロである。新聞の写真では、工藤と城島の2人が笑っている。この2人はダイエー時代に、いわゆる師弟関係にあった。工藤が捕手である城島の要求どおりに投げて打たれる。すぐ後に、なぜそのボールではまずかったのかを城島に伝える。そんな教育をする姿をドキュメンタリーで見たことがある。工藤が巨人に移籍した年の日本シリーズでは、城島が工藤からホームランを打った。このときは真剣勝負である。それでも、「工藤さん、恩返し」「うーん、打たれたのは悔しいけどよく育ったな」。そんな雰囲気がにじみ出る2人であった。対決しながらも相手を認める。こんな人間関係って、なかなかいいものだ。 |
気になる言い回し(05/07/28-837)
ときおり人の言い回しが気になって、このコラムで取り上げている。かなかな∞とおもう¥ヌ候群はその代表である。穏やかな言い回し、相手を思う表現は、対人関係にとって大切だ。しかし、それを自分の行動について使うと、自己責任≠曖昧にしてしまう。このところ、アスベストの問題がクローズアップされている。ニュースにも頻繁に登場する。つい先だっては、厚生労働省の副大臣が自らの公的責任を率直に認めた。すでに29年前に、イギリスでアスベストを扱っている者だけでなく、その家族にも危険性があることが明らかにされていたという。当時の労働省はその事実を認識していたにもかかわらず、積極的な対応をしなかった。副大臣は、その事実を確認した上で、自分たちの失敗を認めたのである。公的な機関は、こうした責任や失敗については、総体的に反応が鈍い。そうした過去の傾向を考えると、今回の発言は異例とも言える。何と言っても国会における副大臣の公式発言なのである。この事例は、後々には、高く評価されるだろう。しかし、その発言で使われた具体的なことば≠ノは、やや気にかかるものがある。ニュースで聞いたところでは、国の対応が「失敗ではなかったのではないかなと思っている」という言い回しだった。そこがどうもいただけないんだなあ。「なかったのではないかな」という「かな」症候である。しかも、これに「と思う」までくっついている。たしかに断定はしにくい状況ではある。しかし、それでも「失敗だったと思う」くらいは言って欲しいものだ。やはりアスベストで死亡者が出たY社の記者会見でも、「ご家族にお悔やみ申し上げたいと思う」と発言していた。これも、「お悔やみ申し上げます」ではないか。 |
だれでもOKの国会ツアー(05/07/27-836)
ウエリントンの国会ツアーの窓口で、Japanese?≠ニ聞かれた。これはチェックではなく、日本語の案内書をくれるための質問だった。とにかく、事前の申し込みもなく、入り口に空港の手荷物検査場のようなゲートもない。ツアーは地下から始まった。国会議事堂が改装された際に大がかりな耐震工事が行われている。マグニチュード7.5にも耐えうる構造で、平行方向に30cmも動いて衝撃を吸収するという。そうなのだ、ニュージーランドは日本と同じ火山国だった。温泉もあるし、地震だって起きるわけだ。続いて委員会室のようなところに入った。マオリ族の彫刻や織物で飾られている。ニュージーランドには先住民がいて、後からヨーロッパ人がやってきたのだった。それは、オーストラリアも同じこと。あちらはアボリジニが先住民である。それから、議場そのものにもトントンと入って行った。ニュースでイギリスの国会風景を見ることがある。左右に与野党が座って、議論をしている情景である。イギリスの議員数との違いもあるだろうから、実際の広さが同じかどうか分からない。しかし、とにかく本物のその場所まで入れてくれるのである。首相や議員とのやりとりが聞こえてくるようだった。それから上院会議室に移動した。この国では1951年に上院は廃止されている。ツアーの案内係が女性を前の方に連れて行った。一段上の場所である。にっこり笑って「ここがどんな場所か分かりますか」と尋ねた。その瞬間、私はきっとあの場所だろうと思った。それは正解だった。国会の開会宣言の際に、エリザベス女王か総督が座る場所だった。とにかく、いきなり行って国会を見せてくれるなんて、すばらしい国である。それだけ安全な国だということでもある。
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国会見学(05/07/26-835)
いまや国会は郵政民営化関連法案で大騒ぎである。いや、これは失言。参議院でまじめに審議が行われている。ところで、私は以前 から、一度は国会を見学してみたいと思っている。とくに、あの本会議場はどうしても見たい。衆議院議員500名ほどが座っているあの本会議場はどのくらいの広さなんだろうか。テレビでしか見たことがないが、私は、画面のイメージよりかなり狭いだろうと推測している。レンズの光学的特性は知らない。しかし、レンズを通すとたいていの場合、遠く∞広く′ゥえるような気がする。とくに、広い範囲を写すために広角のレンズを使うときには、その影響がさらに極端に出る。しかし、そうでなくっても、一般的にレンズを通すと広く℃ハる感じがする。それにしても、国会を見学するためにはどんな手続きが必要なんだろうか。そう思って、インターネットで調べてみたら、国会議員の先生方≠ェ受付をなさっている。その先生℃ゥ身や所属の政党を支持しているかどうかなんて関係なさそうだ。それなら、東京に出かけるときに行ってみるかな…。こんな思いになったのは、4月にニュージーランドに行ったときのことが頭に浮かんだからだ。ウエリントンで国会議事堂を見に行ったら、見学ツアーがあると書いてある。ちょっと入り口を覗いたら、窓口の女性が「ツアーに参加しますか」なんて聞いてきた。じつに、気軽なタッチである。小一時間で見学できるというので、もちろんその気になった。さすがに、カメラと手荷物は預けたが、それだけでOK。身体検査だってなかった。見学は1時間ごとにやっているとのことで、10人ちょっとの人数でさっそくツアーが始まった。(写真は、よく見えないけれど、OPEN
HOUSE≠ニ書かれたパンフレット) |
ハインリッヒの法則(05/07/25-834)
組織の安全にかかわっている方であれば、「ハインリッヒの法則」はご存じのはずである。アメリカの保険会社に勤めていたハインリッヒ氏が、労働災害を分析して発見した「法則」である。それは、1件の重大事故が起きたときは、その裏に29件の軽い事故が潜んでいる。さらに、その前に300件のひやりはっと≠ェ隠れていることを指摘したものである。日常的な、事故に結びつかない不安全行為や小さなミスが土台になって、重大事故を頂点にした。「1:29:300」のピラミッドができあがっているということだ。好ましくないことが明らかになったときに、「氷山の一角に過ぎない」といった表現をする。これを事故に当てはめれば、重大事故に結びつく要因が水面下に潜んでいるということだ。しかし、本当に重大事故の芽は水面下にあって見えていないのか。そんなことはない。現実には、小さな事故や不安全行為は、日常的に見えていることが多い。もちろん、関係者たちがそれらを意図的に隠せば見えなくなるが、この点ついては改めて考えることにしよう。ここで問題になるのは、それを「見る目」があるかどうかである。人間は、網膜に映るすべてのものを「見て」いるわけではない。われわれには「見たいもの」だけを見る習性がある。もっとも、ときには「見たくない」ものほど「見えてしまう」こともある。いずれにしても、人間の心や体の状態で「見え方」が違ってくる。JALだけでなく、このところ、航空会社のチョンボ≠ェ気になる。御巣鷹から20年、重大事故には至らなかった一連の出来事をしっかり見据えてもらわねばならない。じつは、ANAとJALの逆転物語なんてどうでもいいのだ。事故は、忘れたころにやってくる=Bとにかく安全を…。 |
御巣鷹山(05/07/24-833)
アンカレッジで誘導路から外れて中破した事故から1年ほどしか経過していない77年の1月13日に、何と同じアンカレッジでJALの貨物機DC-8機が離陸直後に墜落し、5名が死亡した。このときは、機長が飲酒していたという。これも乗客は乗っていなかったが、こうなると「またしても」ということばさえ使えなくなってきた。そして、同じ77年9月27日、今度は悪天候のクアラルンプール空港に着陸失敗、34名の人命が失われる。このときもDC-8機である。この飛行機は細身のスマートな機体で、見るからに俊敏な印象を与えた。当時は、国際線用の花形ジェット機だったと思う。しかし、それにしてもJALが続くのだ。会社としても、こうした深刻な事態に危機感を覚えていたはずである。この時期にどんな対策が施されていたのだろうか。それから時代は1980年代に移っていく。そして、82年の2月9日、JALが羽田空港の寸前で墜落する。この事故は精神疾患を抱えた機長が操縦していたことで、世に大きなショックを与えた。事故原因の逆噴射≠ェ悲しき流行語になった。このときもDC-8で、24名が死亡した。そして、ついに85年8月12日を迎えるのである。あの、御巣鷹山の悲劇だ。死者520人は、1機の事故としては史上最悪の大事故である。羽田発大阪行きのJAL123便は、お盆ということもあって、ジャンボ機は満員だった。ここまでくると、ほとんどことばを失ってしまう。このときは、操縦士たちの懸命の対応に驚嘆の声もあがっていた。しかし、それでも亡くなった人たちは帰ってこない。あれから、もう20年目の日を迎えようとしている。JALは言うまでもないが、航空会社はこの事故から何を学んだのだろうか。 |
JALとANA逆転の歴史(05/07/23-832)
連載中の「ANAとJAL逆転物語」には、私の思い込みがあるかもしれない。先日、200人を超える方々が集まった会合で、2つの会社のイメージを聞いたら、JALの方がプラスだという回答がけっこう多かった。これは私の予想とは違っている。それなら、「逆転物語」は成立していない。もちろん、1つの集団から得られた結果だから、もう少し確認してみる必要がある。そうした事実は念頭に置いた上で、先に進むことにしよう。ともあれ、私が言うところのANA
とJALの逆転には、それなりの理由がある。その歴史を辿ると、変化の兆しは、1970年代ころから見え始める。あの「世界で有数の安全な会社」であったJALのダグラスDC−8機がニューデリー空港で着陸時に墜落する。1972年6月14日のことである。乗客乗員84名と地上にいた4名が死亡した。「あのJALが事故を起こしてしまった」。私にそんな衝撃が走ったことを憶えている。まだ、飛行機なるものに1回しか乗ったことのないころである。この事故をきっかけにしたわけではないはずだが、このあたりからJALの雲行きが怪しくなってくる。同じ72年の11月28日には、モスクワでDC−8機が墜落するのである。今度は離陸直後のことで、62名が死亡している。この事故は、パイロットの操縦ミスだとされている。原因は何であれ、同じ年に2回の事故がもたらすダメージは大きい。JALに対する世間の評価が揺らぎはじめた。少なくとも私は、JALが「世界に誇れる安全な翼でなくなった」ことを残念に思った。そして、75年12月16日、JALのボーイング747がアンカレッジ空港の誘導路から外れて中破、3人がケガをした。このときは死者が出なかったが、「またもやJAL」なのである。
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巷の評価(05/07/22-831)
飛行機の事故が連続して起きた。そうなると、「飛行機は事故が多い」という「確信」が生まれ、それが一般の常識のようになる。そんなときに、「全日空」の事故が2件起きる。さらに、雫石での衝突も全日空である。もう、これで「ANAは事故が多い。JALは大丈夫」という人の評価が定まってしまうのである。外国の航空会社が日本で起こした事故も、「このごろは飛行機事故が多い」という印象を強化する。そして、その気持ちが「全日空」に対する評価をさらに悪くするのである。事故のすべてが「全日空」でないにもかかわらず、そうなってしまう。掛け替えのない人命が失われれるのである。世間からそうしたレッテルを貼られることは、組織としては覚悟しておかねばならないということだ。それにしても、イメージというのは恐ろしい。ときには、関連する事故の責任をすべて背負ってしまうほどの評価を受けるのである。「またしてもあそこか」「あそこは危ない」。こうした印象が巷に広がっていく。そんな状況の中で、事故を「連発」したANAと比較して、JALに対する信頼性は高まっていく。実際には、JALにも訓練中の事故はあったのだが、乗客の死亡が伴う事故ほどには報道されない。サンフランシスコ沖の着水も危うい事故にもかかわらず、全員が助かった。そのため、「事故ってもJALは運がいい」といった印象が残ることになる。ANAの場合、1966年の松山空港後は死亡につながる事故はない。したがって、無事故記録がほぼ40年間にわたって続いていることになる。そしていまでは、ANAの信頼性の方がJALよりも高いように思う。いつの間にか、逆転しているのである。どうしてそうした事態が起きたのか。もう少し過去の時間を追ってみよう。 |
ANAの不運(05/07/21-830)
ほとんど乗らない飛行機だからこそ、「ANAは危ない」という話が一般人の間で気軽に話された。それに反比例して、「JALは安全だ」ということになる。少なくとも高校生だった私はそう思っていた。一生を通じて飛行機に乗れるかどうか分からないころである。さらに、5年後の71年7月30日、全日空機ボーイング727機が岩手県の雫石町上空で自衛隊機と衝突し、墜落する。このときの死者は162人である。事故の原因は自衛隊機が民間航空機のルートに侵入したことにある。だから、全日空機に過失はなかった。しかし、人々の頭には「またしても全日空機」というイメージが強烈に残ることになる。私は、そのとき大分県天瀬町のブリヂストンタイヤの保養所にいた。折から、久留米工場の職長さんを対象に、リーダーシップ・トレーニングの開発を進めていたのである。私は駆け出しの大学院生だったが、トレーニングで得られるデータの整理を担当していた。そんな中で事故のニュースを聞いて、「また全日空か」と思ったことを憶えている。この間にもJALがサンフランシスコ空港への着陸に失敗している。海上に着水したのだが、幸いにも死亡者は0であった。また、JALには訓練中の事故もあって、死亡者を出している。しかし、これも訓練中という条件下で、乗客は亡くなっていない。このように、素人目には、「全日空の方が危ない」というイメージが、さらにさらに強化されていった。雫石での事故のように、全日空に責任がなかった場合でも、人の印象はいい方には向かいにくいのである。こうして、不運な面も含めて、ANAの安全性には疑問が持たれることになった。 |
ANAの事故(05/07/20-829)
さて、ANAとJALの逆転物語の続き。とにかく1966年(昭和41年)は航空業界にとって恐ろしい年であった。まずは、2月4日、千歳発羽田行きの全日空機ボーイング727が羽田沖に墜落した。727は主翼に各1機、尾翼に1機のエンジンが付いた、格好のいい飛行機だった。折から開催されていた札幌の雪祭りから帰る乗客も乗っていたという。乗客乗員133名が死亡あるいは行方不明になった。その当時としては史上最悪の事故であった。墜落の原因は不明だが、727機に欠陥があったのではないかという議論もあったと思う。そのころ、私は高校生だったが、事故調査の詳しい経緯は記憶にない。それから1ヶ月後の3月4日には、カナダ太平洋航空機ダグラスDC−8が羽田空港への着陸に失敗し、炎上した。濃霧の中で進入灯に激突したという。この事故では64人が亡くなった。そして、何と翌日の5日にも航空機の事故が起きるのである。今度は、英国海外航空BOACのボーイング707−420が富士山上空を飛行中に、乱気流に巻き込まれてしまった。機体は空中で分解し、乗客乗員124名が亡くなっている。それからしばらくした11月13日には、全日空のYS−11機が松山空港沖に墜落する。このときは50名が亡くなった。その間にも、JAL機が墜落しているが、これは訓練機である。乗り物の中でもっとも安全と言われていた航空機の度重なる事故に、多くの人が不安を覚えたのは疑いない。もっとも、このころ飛行機を利用できる人間は限られていた。とにかく贅沢で高価な乗り物だったのだ。だから、一般人が心配する必要もなかったのだが、同じ年に2回も墜落した全日空には、「あそこは危ない」というイメージができあがっていった。 |
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| 昨日(18日)、60000件目ゲットのお知らせが届きました。いつも「味な話の素」をお読みいただいている方です。じつは、20000件目もゲットされています。ご出張先で巡り会われたとのこと。証拠写真も頂戴しました。ありがたや、ありがたや。 |
逆転ANAとJAL(05/07/19-828)
ときおり思い出したように、「逆転物語」を書いている。「有線」と「無線」が逆転し、子会社の「ドコモ」の方が「NTT」よりも稼ぐようになった話題などを取り上げた。航空業界のANAとJALも、やはり「逆転物語」になるのだと思う。ときは今から40年ほど遡る。当時、JAL日本航空はナショナルフラッグ機として国際線を独占していた。つまりは国旗を付けた、わが国を代表する航空会社であった。なにせ、Japan Air Lines なのである。そして、JALは世界でも事故を起こさない安全な航空会社として自他共に認めていた。私が子どものころの話だから、それが事実であることを100%保証するデータは持っていない。しかし、日本航空がそう言われていたことは間違いなく記憶に残っている。そんな時代の中、わが国で1966年に航空機事故が立て続けに起きて、国民を驚かせた。その最初が全日空機の羽田沖墜落だった。全日空≠ニは全日本空輸株式会社=A英語では All Nippon Airways である。ANA≠フ呼称はけっこう後になってから一般化した。1970代だったか、森繁久弥がロッキード・トライスターのCMをしているころにANA≠ニいう表現を聞くようになった。トライスターは「三つの星」を意味している。尾翼部分に3機のエンジンが取り付けられていることから、その名が付けられた。エンジンを星に見立てたわけだ。このトライスターは日本国民に大いに知られていた。それは、その売り込みに際して、田中角栄元総理大臣に賄賂が渡ったとして、戦後最大の政治スキャンダルになったからである。おやおや、いつの間にか「逆転物語」から脱線しはじめた。 |
思い出の教材(05/07/18-827)
団塊の世代が一斉に退職すると、その知識や技術が継承されない。それが心配だと問題になっている。この時代でも、やはり人が人へ伝えるべきことがあるのだと思ってホッとする。何せ、私はビカビカの団塊世代なのである。昔は、いろいろな分野に名人≠ェいた。その人は、ただ座っているだけで周りの人に影響を与えたものだ。ところが、時代とともにドンドン機械化されて、だれでもできるようなことが増えていった。それに伴って、名人≠ェいなくなった。そう言えば、教育学部技術科の東徹先生から興味深い話を聞いたことがある。先生によると、電波時計は教育に使えないという。この新たに登場した時計は、国内2カ所の電波送信所から発信される信号を受信して動く。送信所は、九州では福岡・佐賀の県境にあるはがね山≠ノ設置されている。まさに、正確無比、ほぼ完璧な時計である。ところが東先生によると、これが授業で使えない。電波時計はそのままで正確な時を刻むから、「工夫して、少しでも正確なものを作ろう」という余地がないのである。子どもの意欲や動機づけを起こせないというわけだ。そういえば、子どものころにベルを作った記憶がある。部品である電磁石づくりは大いに苦労した。芯にニクロム線を巻いていくのだが、1巻き目はびっしりときれいに巻くことができる。しかし、2巻き目、3巻き目になると、なかなかうまくいかないのである。どうしたら2重目、3重目も密に巻けるか。そんなことを考えながら、少しでもよく鳴るベルを作ろうとした。ついでに、プラグを付けて家庭用の100Vに繋いだら、ほとんど爆発に近い状態でぶっ壊れた。いま考えるとぞっとする。それにしても、おもしろい教材があれやこれやと思い出される。 |
日米と日中(05/07/17-826)
New York Times の日中に関する記事の最終回。3日の続きで5回目になる。。日中の葛藤を伝える2月6日の記事は、次のようにまとまる。「いまや、中国が日本をおそれる理由は何もない。実際、不安を感じているのは日本であり、中国脅威論が次第に強くなっている」。そうした状況を踏まえて、日本の指導者たちが日米関係を重視していることを指摘する。「アジアの将来は、日米対中国を軸に決まっていく。それは、3カ国のバランスの問題ではない。中国・北朝鮮への対応には日米の連携強化が必要だ」。元外交官がこんな発言をしているという。そして、「中国と日本は政冷・熱経≠フ関係にある」が、「日本の経営者たちは、冷え切った政治的関係と民衆の敵意が、中国における日本の魅力を損なうのではないかと心配している」と指摘する。その後の成り行きは、こうした予想の線上にある。そして、「昨年の秋には、インターネットの反日キャンペーンで、10億ドルにもなる高速列車の注文がカットされた」ことを付け加えている。いわゆる新幹線のことだ。さらに、「長期的に見れば、経済的な将来ははっきりしている」と結論づける。記事のラストは、「中国がアジアのリーダーとなり、日本はその従属下におかれる」という行天氏の警告で記事を締めくくっている。何と言っても10数億の人口を持つ国である。これは世界の人口の20%を超えている。その点で、この国が大きな影響力を持つことはだれの目にも明らかである。それにしても、世界の歴史の中で、1つの国がこれほどの人口を抱えたことはないだろう。それが1つのシステムとして機能できるのかどうか。これは、私が仕事にしているグループ・ダイナミックスの研究テーマでもある。 |
男女比4:1(05/07/16-825)
アメリカでは情報源を明らかにしなかったニューヨークタイムズの記者が「法廷侮辱罪」で収監された。少し前に、ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」に関する記事の情報源が明らかにされて話題になった。報道側は「真実を求める」として、名前を出さない条件で情報を得ようとする。だから、それで影響を受ける側との間に葛藤が起きる。こうした議論は永遠に続くに違いない。ただし、場所も時間も相手のことも考えずに報道陣が殺到する姿は、どう見てもいただけない。そんなときに、「真実を求めているんだから」という錦の御旗を掲げられたりすると、「理由は何であれ、やり過ぎはいかんぜ」と言いたくなる。JR西日本の事故でも、家族に対する過熱報道が問題になっていた。警察も一部の遺族については、名前を公表しなかった。これについても、報道側とのせめぎ合いがあったようだ。マスコミとしては実名が原則で、匿名にするかどうかの判断は自分たちが責任を持つという。そのことは尊重したいが、いまやその責任能力が問われているのではないか。そこが問題なのである。ところで、JR西日本の報道に関する検証記事に、遺族を訪ねた記者の声が掲載されていた(熊本日日新聞6月21日)。焦って遺族を訪問したことに対する反省などが語られている。話を聞くのが遺族の支えになることを実感して、自信が持てた記者もいた。それはいいのだが、掲載された記者5人のうち、4人が女性である。全員が20代だ。これには、私は何となく違和感を覚える。遺族宅には若い人しか行かなかったんだろうか。その多くが女性だったのだろうか。もしそうなら、何か理由があるんだろうか。とにかくバランスを欠いているのである。 |
| 昨夜14日のうちに60,000件を突破したようです。私の講演を聞いてくれた高校生から、「60,006件になってました」というメールが届いていました。12時15分受信のものです。50,000件目は4月27日でした。まだ、どなたからもゲットしたという、ご連絡はございません。いずれにしましても、「ありがたや、ありがたや」…。 |
公開講座1000名の歴史(05/07/15-824)
今年の公開講座「リーダーシップ・トレーニング」がスタートした。昨日のことである。受講予定の30名全員がお見えになった。その瞬間、受講者の累計が1000名を越えた。すべての方に、「自分は1000番目だ」と思っていただきたかった。この講座を始めたのは1992年のことである。もともと私は「リーダーシップ・トレーニング」をテーマにして仕事をしてきた。そこで、これを公開講座にしようと思い続けていた。しかし、募集しても参加者が集まらなければ仕方がない。そこで、初めての年は事前に根回しが必要だと考えた。また、定員も少な目の20名にした。そして、かねてからリーダーシップに関心を持っておられた方に連絡を取った。講座開設の際には参加していただけるようお誘いしたのである。その中には、人間科学研究所の高岡章一氏がおられた。名古屋の方である。まさに、「公開講座の開講おめでとうさん」のご祝儀替わりに参加していただいた。また、元出水中学校長の山下一郎氏も第1回目のメンバーである。先生とは私が熊本に赴任した1979年10月以来のお付き合いである。当時は附属中学校におられた。そのご縁はいまも続いている。さらに、教育学部の松本敬子先生にもご参加いただいた。先生は、養護教諭を育てるお立場からリーダーシップの重要性を強調されていた。こうした方々のお力もあって、第1回目は無事に終わったのである。そして幸いなことに、第2回目以降は、大きな苦労をせずに定員に達している。それには、口コミの力が大きく貢献している。また、組織における教育の一環として公開講座を入れていただいたところもある。こうした強力なご支援のもとで、受講者1000名を達成することができたのである。感謝! |
高校生パワー(05/07/14-823)
国立大学が法人化してからは、「社会的貢献」が重視されている。もちろん、以前にも社会のお役に立つことの必要性は認識されていた。しかし、「社会的貢献」という表現が昔から強調されていたわけではない。学生がいない大学はあり得ない。だから、学生さんはお客様というわけである。そのお客様の数がみるみるうちに減ってきた。私学はかなり早くから危機感を募らせ、その対応に努力してきた。それでも、いまや私立大学は「繁栄」と「衰退」の二極化時代を迎えている。すべての私学が駄目になるのではないのだ。ますます元気になる大学と、最悪の場合には存続が危うくなるところが出てくるということである。そんな中で、国立大学もうかうかしているわけにはいかない。まさに、生き残り大作戦を練らねばならなくなってきた。高校生を招いて大学を紹介するのもそのひとつである。どの大学でも、「Open
Campus Day」といった催しもしている。また、高校にも出かけて大学のPRをすることもある。私も、PRのためだけではないが、高校生に話をする機会が増えてきた。先日も、保健委員会の生徒たちが集まる会合で話をした。県内の公立・私立高校からやってきた生徒たちが話を聞いてくれた。睡魔が襲う2時を挟んでいたので、少しばかり実習も入れたのだが、少なくとも私の目から見る限り、熱心に参加してくれた。なかなか元気で、若者のパワーを感じた。話にはちゃんと反応してもらった。そんなことで、高校生に話をするのは、なかなか楽しい。そして、何よりもすごいことがある。それは、抜かりなくPRした私のホームページに一斉にアクセスしてくれることである。これもすごいパワーだ。おかげでアクセスカウンタは、60、000件目にグーンと近づいた。
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閑話休題物語(05/07/13-822)
「閑話」は閑な人がする話というわけだろうか、「無駄話」のことである。「休題」は話を休ませる、つまりは止めることである。だから、「閑話休題」となると、「無駄な話はやめて本題に戻りましょう」という意味になる。この「味な話の素」なんぞは、「閑話」ばっかしじゃないかと笑われるかもしれない。そうなると、四六時中、「閑話休題」を連発していないといけない。ところで、この「閑話休題」を、「ちょっと一休み、少しばかりおもろいお話でも…」という意味だと思っている方はいらっしゃらないだろうか。先月21日にも、熊本日日新聞のコラムにこんな文章を見つけた。「先日公表された『科学技術白書』は本編より、閑話休題的なコラムに目が向いた。1901年に報知新聞に載った『20世紀の予言』を扱っている…」。ここでは、明らかに、本題ではなく、余談的な話題が「閑話休題的」なものと考えられている。あくまで本筋ではない話が「閑話」である。だから、本編に戻るのが「休題」となるわけで、「閑話休題的」な話題といえば、本題そのものなのである。しかし、このことばは不思議な力を持っているような気がする。なんとなく、「少しばかりお休みをして、無駄話でも」という意味のように感じさせるからである。「そーんなやつ、おらへんやろお」なんて言われそうだが、かくいう私自身がそうだったのである。もうかなり昔の話だが、オーストラリアに半年ほど住んだことがある。その時に書いた原稿で、「閑話休題」の使い方を間違ったのだ。辞書で意味を確認したつもりだったのに、誤って、「ちょっと脇道に逸れるが」というニュアンスで使ってしまったのである。だから、「閑話休題」という表現を見つけると、ついついこだわってしまう。 |
団塊世代の行く末(05/07/12-821)
団塊とは、「沢山の物が集まってできた、かたまり」(広辞苑)。それに「世代」をくっつけて、「団塊世代」。堺屋太一氏の「団塊の世代」(1976)に由来する。戦後の1947(昭和22)年から49(24)年の3年間に生まれた子どもたちの総称である。いわゆるベビーブーム世代と呼ばれる。彼らが間もなく定年を迎える。2007年には47年生まれが60歳になる。それから数年は大量の退職者が出るのだ。そのために、彼らが持っている技術や技能がうまく伝わらないと困る。そんな問題が指摘されていた。誇るべき団塊世代のメンバーである私も「なるほど問題だ」と思っていた。ところがである。内閣府の企業調査によると、団塊世代の退職によって、「コスト削減効果がある」と答えた企業が67.5%にも達している。「辞めてもらった方が身軽になっていい」というわけだ。また、44.6%の企業が「組織が活性化する」と期待している。「活力低下」は8.9%に過ぎない。もちろん、技術の継承に不安を覚える回答や、人材確保の困難さを予測する企業もある。それにしても、われわれはあまり期待されていないようですなあ…。さらに時間が経過すると、団塊世代は社会のお荷物扱いにされるんではないかいな。われわれが生まれたときは、戦後の貧しい時代だった。また、物心がつき始めたころだって、贅沢はできなかった。テレビもなかったし、マイカーなんて夢のまた夢だった。しかし、親たちの努力で少しずつ世の中がよくなることを実感しながら育ってきた。戦争に狩り出されることもなく、平和な時代を過ごさせてもらった。だから、人生の最後に少しばかりややこしくなっても仕方ないかとも思う。そうではあるのだけれど、厄介者扱いでは、やっぱり寂しいなあ…。
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最後のサービス(05/07/11-820)
福岡や宮崎に降りたのであれば、乗客に払う交通費の差額も少なくて済む。これが東京に引き返すとなると、まずは客の心理的ショックが大きい。それに何よりも、往復の燃料がすべてパーになる。「そうなんだ。だから、出発地に引き返すという条件のときは、じつは到着できる可能性が高いに違いない」。私は、勝手に結論を出して満足した。ところがである。この物語は、無事着陸の翌々日まで続いていく。仕事で同席したある方とお話をしていたら、同じ日にANAを使った人は東京に舞い戻ったというのである。しかも、ホテルなどの紹介は一切なし。「戻る条件」を呑んだのだから、後は自己責任ということらしい。お年寄りが途方に暮れていたという。たしかに、「東京に引き返すかもしれない」という条件で飛んだ飛行機に乗った。しかし、霧が晴れず引き返さざるを得なくなってしまった。だから、航空会社の責任は追及しない。それは当然である。しかし、乗客にだって降りられなかった責任はない。「それがいやなら乗るな」と言うんだろうか。舞い戻った東京が深夜だったら、泊まるところを探すのはかなりしんどい。若くて元気があればいいが、高齢者なんぞは、どうしていいのか分からないだろう。そんなときは、せめてホテルの情報くらいは提供していいのではないか。私が聞いた限りでは、航空会社の対応はけんもほろろ≠セったと言う。そりゃあ、ちょいと冷たいんではござんせんか。これが私の素朴な気持ちである。もちろん、手続き上は会社にだって何の問題もない。しかし、そこに少しばかりのサービスを加えれば、客は大いに喜ぶのである。ほんのちょっとでいいから、思いやりの気持ちが欲しいなあ。「霧にむせぶ空港物語全7回 The
END」。 |
強運感謝(05/07/10-819)
さて、航空券を福岡便に切り替えたり元に戻したりの大騒ぎをしながらも、とにかく飛行機は降りた。しかも、この日は一発で降りたところがおもしろい。いつもの順調な日と同じだったのである。時間は9時近くになっていた。これで上空を旋回した挙げ句に着陸をあきらめたらどうなるか。それから羽田に戻れば、もうほとんど明日の状態だろう。いやーよかった、よかった。しかも、こうなると福岡便に変えなかったことも大正解ということになる。こうして、全6回の大シリーズとなった「霧にむせぶ空港物語」はこれでおしまい…。といきそうだったが、まだまだ終われない事情が出てきた。人生はままならぬものだ。いやいや、そうだからこそ人生はおもしろいのである。この話は翌日まで続いていくことになる。朝刊を見て驚いた。なんと、前の日は天候不順で15便が欠航したという。そして、6便は熊本空港に降りられず、福岡や宮崎に回っていた。九州の地理に詳しくない方にはイメージしにくいと思うが、福岡ならまだしも、宮崎に降りてしまわれると、ちょっと気持ちが沈んでくる。福岡であれば、時間帯にもよるが列車やバスがけっこうあって、2時間ほどで熊本に帰り着ける。しかし、宮崎だと交通手段が極端に制限される。この時間だと確実に1泊しなければならない。そんな中で、私の便はちゃんと降りたのだから、何と言っても強運である。ありがたやありがたや。ここでまた、余計な推測をする。「福岡や宮崎に回るかもしれないという条件付きの場合は、その確率がかなり高いのではないか。客もここまで来たら仕方ないとあきらめるだろう。それに、航空会社も熊本までの交通費は少なくて済むから…」。こんな妄想が頭の中を駆けめぐりはじめた。 |
万全のシフト(05/07/09-818)
なあるほど。降りられる可能性が「高い」と見込んで飛び立ったわけだ。乗務員は続ける。「今日は2人とも機長クラスです。副操縦士は乗っていません」。そうか、霧という悪条件を考えて、プロ中のプロを搭乗させているわけね。だから大いに安心してくださいということか。さらに、「今日は4人も乗っていますから」と聞こえた。その意味がよく理解できなかったが、コックピットに4人いるということのようだった。どんなことがあっても対処できます。そう言いたかったのだろうか。私は心の中でクスッと笑った。「えーっ、4人も乗ってるの。それって、ひょっとして霧の条件下での練習のためかしらね…」。濃霧なんて自然条件は、頻繁に遭遇するものではない。絶好の機会だということで4人も乗ったのだろうか。しかし、それも大事なことである。それに、「4人」は聞き違いだったかもしれない。「ところで、熊本空港はカテゴリーVって、すごい設備があるんでしょ。それでも降りられないんですか」「これを使うと、視界300mで着陸できます。問題は、今の熊本空港がどうなっているかです」。こんな会話を交わしているうちにも、わが搭乗機は熊本へ向かっていく。ここで、その時に機内でメモした文章がPCに残っている。「いまJALの羽田発最終便に乗ってこれを書いている。スクリーンにはナビが出ていて、四国松山の上空を通過中だ。高度6900m、時速729Kmだそうな。梅雨前線を通過するというので、東京に行く際には相当に揺れたが、帰りはそれほどでもない」。それからしばらく経ってから、「さあ、大揺れしはじめた。もうチョイで大分だ。あと15分くらいの勝負だがどうなりますやら」。こんなことを実況中継風に書いていたのだが、わが搭乗機は一発で熊本空港に降りた。 |
さよなら東京(05/07/08-817)
そのとき、瞬間的に頭に浮かんだことがある。「そう言えば、さっき航空券を切り替えてくれた彼女のネームプレートには、たしか○≠ニいう漢字がついていたなー」。そこまでは間違いない気がする。そこで、走り回っている係員に知らせようと思う。しかし、彼女がどこにいるのか分からない。ここでヘタに立っていくとまずい。今度は先方が私を見失うだろう。ここは我慢のしどころなのだ。危機的な事態には冷静な行動をとらねばならない。そんなことを考えているうちに、彼女がニコニコしてやってきた。「お待たせしました。最初の搭乗券が見つかりましたので、熊本便に変更しました」。おかげで無事に切り替え成功というわけだ。捜していた○≠フつく彼女も見つかったに違いない。親切な係員が「この忙しいときに、何度も手数をかけてえ…」なんて思ったかどうか。それは分からない。時間は福岡便の搭乗時間を過ぎていた。こうして私は19時05分発の熊本行き最終便に乗り込んだ。このところ、JALさんは何かと話題になっている。それを意識したわけではないだろうが、男性の客室乗務員が乗客1人ひとりに声をかけてくる。「本日はご心配をおかけして申し訳ございません。もうしばらくで熊本の状況について連絡が入ります…」。そんな呼びかけが聞こえてきた。そして、私の横にやってくる。「イヤー、参りましたね。一度は福岡便に切り替えたんですよ」「そうでしたか。じつは現時点では、霧が深くて降りることができません。しかし、しばらくすると条件がよくなるのではないか。そう考えて出発を決めさせていただきました。私どもも、ある程度の読みがなければ飛びません。東京に引き返しては、お客様にご迷惑をおかけしますので…」。これが19時30分ころであった。 |
羽田・熊本往復サービス(05/07/07-816)
「霧にむせぶ空港」とのお付き合いは続く。先日のこと、横浜で会議に参加した。その帰りに羽田へ行くと、電光掲示板に燦然と輝く「霧発生」の文字。わざわざ黄色にしてあるから、目立つことこの上ない。「どうだ熊本はすごいだろう」とそこら中で自慢したくなる。しかも、降りられない場合は羽田に引き返すという。「うまくいけば、東京-熊本往復を片道運賃で楽しめる」とワクワクする。するわけない、するわけないって。頭に翌日の予定が浮かぶ。今日中に帰らないとまずいことになるのだ。そこで、熊本便よりも早く出る福岡便に切り替えた。幸いにも福岡便が確保できてホッとする。そしてコーヒーなんぞ飲みながらゆったりと手帳を見た。そこで私は日程を勘違いしていたことに気づく。予定は翌日ではなく、翌々日だったのだ。それに気づいた瞬間に、それなら熊本便に賭けてみるかという気持ちになった。福岡便の出発時刻まで20分を切っている。そんな時間に、「またぞろ元に戻せ」という客なんて、迷惑千万だったろう。「何を考えているのよ」と言いたかったかもしれない。別便に切り替えたチケットは、原券がないと修正できないという。「福岡便の手続きを取った係員の顔を憶えていますか」。いやあ、申し訳ないがすっかり忘れた。ほんの10分ほど前なのに、何とも頼りない。これも老化現象の表れだろう。そこで、対応したJALの係員は、その人物を捜して走り回る。わたしは、「ここでお待ちください」と言われたロビーの椅子に座ってその様子を眺めている。羽田は広い。係員は遠くに見える。カウンターの奥に入って見えなくなったりもする。なかなか見つからないようだ。「もう時間もないし、結局は福岡便になるかなあ」なんて気持ちになってきた…。 |
無料遊覧飛行(05/07/06-815)
さて、視界抜群の熊本市内を眺めながら、飛行機は空港に近づいていった。そして、まもなく着陸だと思った瞬間のことである。突如として、窓の外が真っ白になる。「あれーっ」と思う。そのとき、「グァアーワアーン」という轟音が聞こえ、機体は再び上昇していく。ほんの10秒ほどは経過しただろうか、後ろを見ると、空港の上だけに白い霧が載っかっている。まるで、ソフトクリームのような感じだ。その周りには嘘のように何もないのである。操縦室から機長のアナウンスが流れる。霧が深くて着陸を見合わせたが、もう一度トライするという。そこで飛行機は少しばかり上昇してから、空港へ向きを変える。その間は熊本市内を飛んでいる。何せ、空港以外はクッキリの状態だから、町並みもよく見える。それこそ、無料の遊覧飛行というわけだ。「この1回分で、燃料はどのくらい使うのかしら」なんて、余計な心配もする。そのうち、体制を整えた飛行機は、またいつものような進路で熊本空港へ進んでいった。このときは、2回目で何のこともなかったように着陸した。先ほど機体が包まれた真っ白な霧はどこに行ったんなかいな。とにかく驚くほど何もなかった。少なくとも私にはそう見えた。ひょっとしたら、最初の着陸の際にエンジンを吹かして再浮上したから、そのパワーで霧を吹っ飛ばしたのかもしれない。あるいは、その熱で霧が蒸発したのかしら。まあ、そんなメカニズムの解明は専門家に任せておけばいい。それにしても、空港の上にだけスッポリと霧がかかるのは、見事という他はない。まあ、自然現象としてはおもしろいが、飛行機を利用する者にとっては、かなり迷惑なことではある。それにしても、そもそも空港をつくる前に、こうした問題点は分かっていなかったのかしらね。 |
霧にむせぶ空港(05/07/05-814)
「涙ーじゃ、なーいよおと言いたいけれーどおー。こらえーてーも、こらえても…」。黒木憲のヒット曲「霧にむせぶ夜」である。わが熊本空港は、この歌がよく似合う。とにかく、全国でも名だたる「霧の空港」で、霧のために着陸できないことが多いことで知られていた。あまりにもひどいというので、10年前にものすごい装置が導入される。国内初という触れ込みで、霧で有名なロンドンのヒースロー空港並の性能だと聞いた。カテゴリーVというらしいが、何と300mの視界があれば降りられるそうだ。着陸時だって時速200Km位はあるだろう。そうすると、300mなら前方の5秒か6秒先ということになる。車でそのくらいの視界であればノロノロ運転になる。しかし、飛行機がノロノロ運転では墜ちてしまう。ともあれ、すごい機械なのだ。だから、この装置が設置されてからは、就航率が格段に上がった。もっとも、機械が高級なだけに飛行機もパイロットもそれに対応していなければいけないらしい。いずれにしても、私自身にとっては、「霧のために降りられない場合は、引き返します」という条件で飛んだときでも、最終的にはすべて降りてくれた。昨年のことだが、やはり「霧のため…」情報である。家内に電話したら、「先ほどまでは雨が降っていたけど、もう上がってる」という返事。「まあ、大丈夫だな」と思いながら飛行機に乗り込んだ。そして、いよいよ熊本上空へ飛んできた。何のことはない、上空に雲は残っているものの、熊本市内の視界はきわめて良好だ。空港間近の競技場やパークドームなどもクッキリ見える。「なあんだ、航空会社は予防線の張りすぎだあ」と笑ってしまった…。 |
個人情報反古法(05/07/04-813)
知り合いが入院していても、見舞いすらままならない。そんな話を2日に書いた。とにかく個人情報保護法なのだ。その後に現職の看護士の方とお会いした。私の体験談を伝えると、「病院にも苦情が多いんです」とため息をついておられた。私なんぞは、相当に紳士的にお聞きしたつもりだ。それでも、応対された方の気分はよろしくなかったと思う。世の中には、文句を言うのを生き甲斐にしているような人だっている。こうした相手に対しては、大いに神経も使うことだろう。ごくろうさまです。たしかに、自分のプライバシーが守られるのは安心ではある。このところずいぶんと少なくなったが、ひと頃は、「マンション買え」だの、「小豆に投資しろ」だのと電話がかかっていた。「家は買ったばかりで、マンションなどいりませんよ」。こんな答えなんぞはものともしない。「いえいえ、お買いになってもお住みになる必要はないんです」「えーっ、それなら何で電話なんかするんですか!」「お客様は芦屋をご存じですか」「関西の?」「そうです、その芦屋のマンションをお買いになって人様にお貸しいただくんです」「はあっ?」「それで家賃は入るし、マンション購入費は経費にして節税するんです。年に1度くらいは点検に行かれることになります。その時のタクシー代も経費として…」。参った参った。熊本から芦屋までタクシーで行ったら、なんぼになるんやろう。とにもかくにもこんな会話が続いていくのである。それもこれも、名簿などが情報源になっていたに違いない。こんなことを防ぐ点では、個人情報保護法も大いに役立ってはいる。しかし、これで人と人との関わり合いが、ますます失われていくことも事実だ。悪くすると、個人情報が反古になっちまう。それもまずいですなあ。 |
アメリカの危機感(05/07/03-812)
先月から New York Times の日中に関する記事を見てきた。今日は、その4回目。中国の若い世代が反日的になっているという日本人の認識を書いた後、こんな内容が続く。「こうした態度と、2020年までには男子が女子よりも4000万人も多くなるという、男子を好むことによるアンバランスが、火のつきやすい感情状態を創り上げる可能性がある」。これは、「一人っ子」政策によって、男児の数が圧倒的に多くなっている実態を指している。そのことについては、昨年だったかこの欄でも触れたことがある。とにかく、「結果」として、男女比のバランスがとれていないのだ。「その表れの一端が、昨年の夏に北京で行われたサッカーである。中国人ファンがテレビカメラの前で『小国日本、劣等日本』などと叫びながら日の丸を焼き、日本人サポーターにつばを吐きかけた」。たしかに、あのときはかなりの騒動だった。そして、「多くの日本人は、中国政府が政治的な閉鎖社会で生まれる不満のガス抜きとして、そうした事態を放置したのかと疑った。『日本を標的にしていれば、何でもできる』というのが大衆の見方だ」。これは2月6日の記事である。その後、4月には同じような騒動が、さらに目立つ形で起きたことは記憶に新しい。そして、「中国人研究者に言わせれば、『いまや、中国が日本を恐れる理由は何もない。実際、不安を感じているのは日本であり、中国脅威論が次第に強くなっている』」と続ける。表面的には、第三国同士の葛藤を伝えている記事である。しかし、私には、こうした内容を書くアメリカ自身の中国に対する危機感が見える。
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面会謝絶時代(05/07/02-811)
ある会合で 10年以上前からお付き合いのあった方が入院されたと聞いた。情報をくださった方はご本人のお友達である。やはりご一緒に仕事をしたことがある。そんなことで、私にも入院の件をお知らせいただいたのだ。とにかく、私は大いに驚いて、お見舞いに行かねばと思った。それからしばらく経って、同じ方が入院先の病院を教えてくださった。その際に、「転院の可能性もありますよ」とおっしゃった。「そうなると事前に確認しておく必要がある」と思った。しかし、同時に「それって分かるのかな」という疑問が浮かんだ。この4月から「個人情報保護法」が施行されたからである。そこで、病院にはご迷惑だろうと思ったが、電話してみた。窓口に出られた方の応対は完璧だった。つまりは、特定の人が入院しているかどうかは知らせることができないというのである。無理を承知で、「長ーいお付き合い」だという事情なども伝えてみたが、回答は、「とにかくお応えできない」で終始した。そんなわけで、「これは病院に出かけていくしかないな」と思った。しかし、その瞬間に頭の中で「ちょっと待てよ」という声が聞こえた。病院に行ったとしても、受付で「○○さんはご入院ですか」なんて聞いたって、状況は同じではないか。やはり、「特定の患者さんが入院されているかどうかはお応えできません」となるに違いない。そこで、「そうなると、病院に出かけてもお会いできないですか」と聞いたみた。結論は、家族の方が認知しないと駄目だということだった。しかし、家族の方は私をご存じないと思う。何分にも仕事上のお付き合いなのだから。さて、どうするか。ご家族に私を知っていただく方法を考えるしかなくなった…。 |
MMさんとKHさん(05/07/01-810)
MM さんが朝までテレビに出るようになったのを見て、「いいかげんにしてよ」と文句をつけたのはいつだったか。その彼が、どうもチョンボをしたらしい。ビールのうまさを強調するあまり、「整腸剤なんか飲んでられない」といった趣旨の発言をしたという。よりによって、それを発売している会社がスポンサーの日だった。そりゃあまずいわ。早速、その会社はスポンサーを降りたという。もうこれ以上に悪い状態は考えられない。もっとも、「たまたまスポンサーが当たり日だったからまずかった」ですませてはいけない。だいたい、司会をする人間が、特定の商品名を出して批判するかい。事故や事件で問題になっている会社や製品なら仕方ないけれど…。そんな発言をすること自身、報道に関わる者としての能力を疑いたくなる。一方、KH
さんは、ニュース報道に革命的な変化をもたらした人だ。しばらくの休止した後で、満を持して再登場した。残念ながらというべきか、その番組は一度も見ていない。ところが、そのうちに視聴率が上がらないということで、早くも打ち切りになるらしい。いつから始まったか知らないので、「早くも」という表現が適切であるかどうかも分からない。しかし、スタート時から、「見る人が少なければ止める」と宣言していたという。その点は、さすがというか立派だと思う。それにしても、人のこころを捉えることはむずかしいものだ。さすがのKHさんも、大苦戦だったのである。ともあれ、人間は引き際が大事。ついつい「自分がいなければ」などと、後のことが心配になる。周りの人間も、「もう引き上げた方がいいよ」なんて言えるものではない…。それに、MMさんの場合を見ていると、「出際」だって大事だと思ってしまう。「出る」のも「引く」のもむずかしいようですね。 |
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