| お寺さんのプロ意識(04/09/30-533) この夏、父の13回忌の法要を営んだ。父が亡くなってから、まる12年が経過したのである。改めて月日の経つのが早いことに驚いてしまう。ところで、お寺さんは父もご縁のあるところにお願いした。父が元気なころ、母の法要もこのお寺で行った。そんなことで、父が亡くなったときのお経もあげていただいた。こうした流れの中で父の13回忌をこのお寺さんにお願いするのは当然だった。そこで日程について連絡を取ると、幸いにも当方の都合のいい日でOKとなった。そして、その日がやってきた。はじめから、妹夫婦とわが家の内輪だけで集まることにしていた。開始時間は11時である。われわれは遠方だということもあって、けっこう早くお寺に着いた。そして、妹たちがまだ到着していない11時前のこと。ご住職が、「はじめましょうか」と言う。まだ、義母を入れてたった5人しかいない状況は見れば分かる。「お揃いですか」くらい聞いてもいいよね。それに、まだ約束の時間前じゃないですか。内心はそう思いながら、「すみません。まだ来ていないものがおりますので」と応えた。この日は、このあたりから怪しげな様子だったのかもしれない。いよいよみんなが揃ってお経がはじまった。ところが、これが聞こえないのだ。「お経なんて聞いてもわからんだろう」ですって? そうなんです、内容はほとんど理解できません。しかし、だからといって参列者に聞こえなくてもいいわけないでしょう。それに、どこかで父の戒名が出てくるはずなんだけど、それも聞き取れないんですよね。この戒名もご住職につけていただいたんだった。けっこうなお値段で…。そして、お経が終わってからのありがたいお話が、これまた感心するほど聞こえない。せっかくの法事なのに、父も文句を言ってるかもしれない。息子も「聞こえませーん」と喉まで出かかったという。ほんまに、笑い事じゃないですよ。プロなんだから、しっかりして下さいな。せっかくだからと「お布施」も奮発したのに、なあんか「入れすぎた」なんて気分になっちゃった…。 |
| リーダーの意欲(04/09/29-532) 企業でお仕事をされている方からメールをいただいた。このごろは、時代の流れの中で、人の数が減らされているとのこと。無駄な業務はカットする、自動化できるところは積極的に機械を導入する。その結果として働く人の数が減ってくる。スローガンは「少数精鋭」である。われわれのような団塊の世代がいい年になって、形だけ「長」をつけた「管理職」も少なくない。「部下」を持たない「上役」である。また、部下がいたとしても2、3人で、上役もみんなと一緒に仕事するという感じになる。こうした状況では、部下の能力や意欲は置くとして、上司の意欲が落ちていくのではないか。こんな心配をされていた。そのお気持ちはよく分かる。職場では、部下の意欲や満足度に焦点が当てられがちになる。しかし、職場の活性化を実現するには、上役の意欲や満足度も考える必要がある。リーダーが仕事に「責任」と「誇り」を感じていなければ、部下だってやる気は起こらない。そんな上役は部下から尊敬もされないに決まってる。このコラムでも指摘したが、「成果」は「見えるもの」と「見えないもの」のかけ算だ。後者には「仕事意欲」「仕事満足度」「仕事に対する責任感」「仕事に対する誇り」などが含まれる。これらは、「見えないもの」ではなく「見えにくいもの」「感じるもの」といった方が正しいだろう。ともあれ、今日では部下も少なくなって、その地位にいるだけで満足できる時代ではなくなった。上役たち自身が、「仕事に対する責任と誇り」を発見することが求められている。そのような前向きの姿勢に対して、部下たちは尊敬の念を抱くのである。 |
| 個人の意思、組織の意思(04/09/28-531) プロ野球のスト問題は、とりあえず一段落した。まだ労使交渉が進行中だった19日、サンデー・プロジェクトでこの問題を取り上げた。このときは、何と言っても、経営者側の旗色の悪さだけが際だっていた。一人が集中攻撃にさらされている。そんな感じの流れになっていた。ご本人は交渉の先頭に立っている人で、本来の経営者ではない。正直なところ、「公式発言」は本心とは違うところもあるんではないか。なにせ、立場が立場であるから。画面で見る表情から、そうした勘繰りさえしたくなった。本当のところは分からないが、「本心」と違うことを言うのはつらいものだと思う。それだけでなく、どうしても迫力にも欠ける。本心と違う物語を創りながら話を続けていくのだから。しかし、組織となると構成員に本音を言わせない力が働くこともある。その点だけに目を向けると、組織の非人間性だけが強調されてしまう。しかし、組織は人々の集まりである。その全体意思を伝えるためには、本心とは違うことを言う「役割」を要求されることがないでもない。この「二重否定」で表現している苦しさよ…。とにかく、「組織人はつらいよ」というわけだ。もちろん、できるだけ個と組織の意思が合致すればいいに決まってる。また、そこにズレがあると、「○○隠し」といった問題も生まれてくるのである…。ところで、この番組の冒頭で、司会者は「『一部終始』を知っている○○さんをお迎えしました」と切り出していた。やれやれ、また変な言い回しを聞いてしまった。それって、「一部始終」でしょう。ことばのプロはプロらしくしてくださいな。それにしても、われながら「うるさい」視聴者でんなあ。 |
| 事故防止=成果(04/09/27-530) とかく受け身的な仕事は意欲を引き出さない。自ら進んで積極的に働きかけることで「やる気」が起きるのである。これは、どんな時代や文化においても「真実」のような気がする。「いや、いや、そうした『思い込み』『決めつけ』が問題なのよ」と言われれば、あえて反論はしない。まあ、しかし今日の日本に限定すれば、それはかなりの程度「真実」だと思う。その前提で世の中を見ると、「安全確保」や「事故防止」の努力が「積極的な仕事」として認知されているだろうかという疑問が浮かぶ。大切なのは目に見える「成果」である。どれだけ物を作ったか、いくら利益が上がったかが重視される。まあ、それが組織の存在目的なのだから当然ではある。だから、生産の過程で起きる可能性のある事故を防止する働きかけや安全確保のための試みは、「主役」にはなりにくい。その重要性は誰もが認める。しかし、それらは「脇役的」「補助的」な位置づけを余儀なくされる。多くの職場で「安全第一」や「無事故○○時間達成」といった看板が掲げられている。これらは、事故防止や安全活動を「主役」にする気持ちの現れだとも言える。「事故がなかったこと」自身が「成果」であり「生産性」の指標なのである。生産アップのために出されたアイディアは大いに評価される。それなら、事故防止のノウハウも賞賛されてしかるべきだ。安全に関わる「問題を察知する能力」は「生産を上げる能力」と同列に置かれる必要がある。「事故防止体験」は「生産性向上体験」と同じように、組織内で「自慢話」になるべきだ。 |
| ゆがむ情報(04/09/26-529) この夏に私の講義をお聴きいただいた方からメールが届いた。地元のPTAで飲み会があったとのこと。その席で、私の講義を話題にしてくださったらしい。まことにありがたいことである。ところが偶然にも、別の機会に私の話を聴かれた方が同席されていたという。その人が「自分もその話は知っている」と言われたのだそうな。ここから先は、私の話をお聴きになっていないと分かりにくくなる。しかし事実だけを淡々と言えば、私の話のネタに「人間の行動規範」を説明する「土産の話」がある。これには、一部と二部があって、はじめのネタが「バンペイユ」、その続編が「巨峰」を主人公にしている。この「晩白柚(バンペイユ)」は八代名産の柑橘類である。原産地はベトナムらしい。スイカの小玉くらいの大きさがあって、なかなかうまい。ただし、お歳暮用の化粧箱入りならデパートで7,000円も8,000円もする…。それはともあれ、この方が「巨峰」の話をはじめたところ、もう一人の「証人」から、その内容を否定されたらしい。「私が聞いたときは、話のネタは巨峰ではなくバンペイユだった」と主張されて、すっかりその場を仕切られたそうだ。そんなこんなで、最終的には、「吉田先生は、そのとき巨峰を食べたかったから物を変えられたんですね。今度は、また違うのに変わると思いますよ…」という結論に達したんだって。うわーっ、違う、違うよーっ! 参っちゃうなあ。私の話はまったく変わっていませんよ。話は「バンペイユ」と「巨峰」の二つあるんですって。話してるときに食べたいからといって、大事なネタは変えませーん。なにせ私は「本物ネタ」を売りにしてるんです。それにしても、私にマイナスのお気持ちを持っておられない方でも情報はゆがむのである。ましてや、あまり関係のよくない人々の間に飛び交う情報がどんなものになるか。あー恐ろしや。 |
| 興奮しないでえーっ(04/09/25-528) 一時、サッカー放送で「ゴーーール…」と叫び続けて笑いを取ったアナウンサーがいた。まあ、笑いを取ったというより顰蹙を買ったといった方が当たってるかもしれない。あれって、ご本人は受けてるって思ってるんでしょうね。彼はいまもご健在なんだろうか。それにしても、我を忘れる(?)興奮をして給料もらえるって、けっこういい商売ですやんか。とかく、スポーツ放送はアナウンサーと解説者がうるさくてかなわんことがある。BSなんぞは、副音声でこの声をカットできる。だから、私はほとんど副音声で楽しませてもらう。それがダメなときは消音だ。そんな中、23日は「横浜-巨人戦」を「音声あり」で見ていた。6回には小久保と高橋が連続ホームランを打った。そのときのアナウンサーの興奮ぶりに、「放送局は『日テレ』かい」と耳を疑った。いえいえ、TBSでした。ベイスターズが得点したときはどうだろうかと楽しみにしていたら、放送がすぐに終わってしまった。ところで、TBSはベイスターズのオーナーだったですよね…。さて、さて例のホームランが出た回が終わってから、他球場のVTRが流れる。「ダイエー-日本ハム戦」で新庄がホームランを打った場面だ。「いやーっ、札幌も燃えてます」だって…。でも試合があってるのは福岡ドームなんですけどねえ。えっ、「テレビを見ている札幌の人が燃えてる」と言ったんですって! そうだったのかあ。視聴者がアナウンサーの気持ちを読んであげなくっちゃあいけないんですね…。でも、それってやっぱしおかしいな。なんたって情報伝達のプロなんだから。 |
| 鹿児島中央行「直行便」?(04/09/24-527) 今年の3月に九州新幹線が一部開業した。熊本県の新八代と鹿児島中央間である。鹿児島中央駅は西鹿児島が改称された。昔から鹿児島駅もあるのだが、鹿児島線の終着駅は西鹿児島だった。私自身、25年ほど前には鹿児島に住んでいた。だから「西駅」の呼称がなくなるときいて、ある種の感慨を覚えた。ところで、博多駅から、鹿児島中央駅行きの「特急つばめ号」が発車している。しかし、この電車は鹿児島中央駅には行かない。新幹線の開業に伴って、八代から川内間は「肥薩オレンジ鉄道」という第三セクターに変わったのである。その間は特急は走っていない。それじゃあどうなってるのかい。その答えはまことに単純だ。新八代で新幹線に乗り換えるのである。「なあんだ、そりゃあインチキじゃないかい」と思わず叫びたくなる。しかし、そこがなかなか面白いのである。熊本を出た「特急つばめ号」は20分ほどで新八代に近づいていく。すると、在来線は次第に勾配を上りはじめる。そして、新八代駅のホームに着くと、向かい側に「新幹線つばめ号」が待っているのである。新幹線といえば、在来線から移動して改札口を通り、さらにエスカレータで昇っていく。これがいままでのイメージである。ところが新八代の場合、新幹線が目の前で待っているのだから驚いてしまう。これだと移動時間は3分もあれば十分である。お年寄りだって焦らなくてもいい。この方式を採用した結果、「熊本-鹿児島中央駅」間が1時間を切ることになった。これは、「乗り換え」ではなく「乗り継ぎ」なんですね。だから、博多発「鹿児島中央駅」行きの「特急つばめ号」は存在しているのである…。 |
| それでも地球は動いている(04/09/23-526) 小学生の4割が「天動説」という調査結果が発表された。全国の公立小学校4年生から6年生を対象にしたという。月の満ち欠けと月食を混同している子どもも4割いたらしい。調査を担当した国立天文台の助教授らは「理科の授業で、地球が丸いことや自転、公転していることさえ扱わないのが原因」だとして、学習指導要領の改善を訴えるという。このニュース、かなりびっくりなので、ほとんどの新聞が取り上げたと思う。これを見て、まずは「おいおい」と驚いた。それから頭に浮かんだことがふたつ。一つ目は、「この子どもたちの親は大丈夫だろうなあ」と言う疑問。こんなこと言うと怒られそうだが、ホントにそう思った。「そんなこと知って何になるの」。こんな風潮が世の中を支配しはじめたのは最近のことではないからだ。もう一つは、「私が地球の自転をはじめて知ったのは『理科』ではなかった」という記憶である。何分にも記憶の話になると、確証はないけれど。ガリレオが宗教裁判で弾圧されても、「それでも地球は動いている」とつぶやいた。この話は、「理科」で学ぶより先に本を通じて知っていた。もちろん、その本が何だったかは憶えていない。ここで思うのは、単なる「理科」だけが問題なのではないと言うこと。「すぐに役立つかどうか」が「知るに値するかどうか」を判断する基準になってしまってはいないか。社会全体が「知ることの喜び」を大切にしなければ、子どもは育たない。教科書に書いてあっても、「面白くも何ともない」では大いにまずい。 |
| プロの忍耐(04/09/22-525) 熊本にもすごい秋祭りがある。藤崎宮の例大祭と呼ばれているが、主役は馬である。飾りを付けた馬を勢子が囃し立てる。ラッパやカネもあってとにかくにぎやかなことこの上ない。朝早くから藤崎宮を目指して行列が進む。はじめて聞いたときは一体何事かと大いにたまげたものだ。生憎とリオのカーニバルなんぞは見たことはない。しかし、それに負けないのではないかと思うほどの迫力がある。何ともすごいパワーで鳥肌が立ってくる。その祭りのクライマックスが、今年は20日だった。馬が暴走して7人が怪我をする事故まで起きてしまった。その日は夕方に買い物へ出かけて、7時過ぎに帰りのバスに乗った。ところが、そのバスがなかなか発車しない。ちょうど中心街の交差点を祭りの行列≠ェ通過中のようだった。まあ、タイミングは悪いが祭りのこと。私としてはあきらめの気持ちになった。ところが運転手さんはそんな気分にはなれなかったようだ。ちょっと前進するときも「グゥバーッ」とアクセルを踏み込む。そして急ブレーキ…。いやはや、これがしばらく続いたのである。相当に「カッカ」しているご様子だった。運転手さんの気持ちはよーく分かる。だけど、やっぱしプロとしてはちょっとまずいよね。それよりも、「お急ぎのところ申し訳ございません。いま祭りの行列が通過中です。少々お待ち下さい」。客に放送するくらいの余裕がほしいですよね。あのときは、お客の方が落ち着いていたように見えましたよ。それでも、私が降りるときは、優しい声で「ありがとうございます」と言ってくれた。そうそう、その気分で行きましょうよ。 |
| 世の中は金次第(04/09/21-524) メジャーリーグのバリー・ボンズが通算700本のホームランを打ったようだ。大きな区切りの記録達成には多くのファンが期待していていた。誰だって、その記念すべきボールを手にしたいと思う。すごいパワーの持ち主だから、ボールはしばしば場外まで飛んでいく。ニュースでもボートで待ちかまえていた人々がボールを奪い合っているシーンが流される。ところが、誰か知らないが、大金持ちが外野の6,400席あまりを買い取ったという。一瞬のニュースだったので金額ははっきりしない。25,000ドルとも聞こえたが、それだと一席あたり500円にもならない。いくら外野だといっても安すぎるような気もする。まあ、国民的な庶民のスポーツだからそのくらいのものかもしれない。ともあれ、希望者にチケットを渡すんだそうな。もしもホームランボールを取ったら、必ず投資者に提供するのである。そのための契約書は数ページにわたるという。これに憤慨して、「場外に飛んでけ」と言う人もいるらしい。イヤー、もっともだ。結果的には、700号は「左中間スタンド」に入ったらしい。買い占めは少し前に聞いたニュースだから、この試合がそうだったのかどうかは知らない。しかし、とにかく「金次第」という露骨な発想には、何ともいやな感じがする。これはスケールも大きいし、外国の話ではある。しかし、庶民は庶民なりに「金次第」の発想に汚染されつつあるのではないか。「世の中は、お金だけじゃあない」「お金で心は買えない」。こんな教訓らしきものが、昔から言い古されてきた。しかし、そのこと自身、いつの世にも「金次第」の発想が存在していた証でもある。 |
| 生命保険と成果主義(04/09/20-523) 昨日は、おかげでずっと健康だったと書いたが、軽い手術で入院したことはある。昨年の9月だ。一週間の入院だったので、「入院保険金」の請求をした。何せ古い保険だから、入院の3日目から支払い対象になる。額は25,000円である。月々の支払額とほぼ同額である。とにかく「契約」上は何の問題もない。ところが、実際に請求するとこれが大変だった。まずは「診断書」が必要だと言われた。まあ、そうかなとは思う。しかし、うん十万も請求してるわけではない。病院の領収書もある。実際、私が加入している「傷害保険」では低額の場合「診察券」でOKである。こちらは掛け捨てだ。それはともあれ、「はじめて」請求した「ささやかな」「保険金」はそれからずいぶんと経ってから振り込まれた。もう正確には覚えていないが、2ヶ月以上経過していたと思う。加入してから25年を越える。とにかくセッセと支払いつづけてきた。せっかく貯まった「配当金」もつぎ込んで…。それでもこんなに手間がかかるのだ。そうかと思うと、一方では、「1億」だの、「2億」だのといった「保険金詐欺」や「保険金殺人」が起きる。なんともいやな話ではないか。まともに査定なんかやってないんじゃないかと疑いたくなる。それどころか、「甘い」査定が犯罪を誘発しているとさえ言えるのではないか。これも「大口」優先の「成果主義」の結果なんだろう。まずは「何件」「総額いくら」制約させたかが目に見える「成果」となる。女性を中心にした第一線の人々にも相当なプレッシャーをかけているのだろう。だから、無理をすることにもなる。そして、「少々ややこしい」相手とも契約を結ぶのではないか。そんな状況で、担当者たちは「仕事に対する責任と誇り」を持つことができているのか。その部分こそが、真の「成果」を決する「掛ける」要因なのである。「真の成果」=「見かけの成果」×「見えにくい成果」で成立している。「掛ける部分」に「責任と誇り」が含まれることは言うまでもない。それが「0(ゼロ)」や「−」であれば、「成果」なんて上がったと考えてはいけない。そして犯罪者を筆頭に、悪意に満ちた人々がもたらしたマイナス分も、真面目で健康な人が支払っているのである。それにしても、このごろは外資系の保険会社がやたらと元気がいい。こんな状況をわが国の保険会社はどう考えているんだろうか。 ついでに、プロ野球は今日の試合から再開される。まず間違いなくどこも満員だろう。選手会に「ストの損害賠償」を請求するなんて言ってる経営者もいるようだ。しかし、いつもはガラガラの球場が満員になれば、ストで失った2日分以上の収入になるんじゃないの。そんな球団は選手会にお礼を言わなくっちゃあ…。それに、何年も「赤字、赤字」と叫んでいらっしゃる割には、どなたも責任は取られないようで…。選手は成績が悪いとすぐにもクビになるんだけどね。 |
| 生命保険問題(04/09/19-522) 私は結婚したときには生命保険に加入しなかった。なにせ、26歳にはなっていたが、学生だったもので…。そんなの言い訳にならないか。そして、いよいよ子どもが生まれることが分かった29歳のときに、めでたく加入した。すでに給料をもらえるようにはなっていたが、月々の保険料はかなりの高額だった。それからセッセと天引きされている。しかし、ありがたいことに健康で、ずっと支払いを受けることなく過ごしてきた。景気のいいころは、なにやら「配当積立金」らしきものがあって、年に1回はその額を知らせてきた。ちょっとした貯金のような感じで、「まあまあ貯まってる」なんて思っていた。ところが、10年くらいすると、ご担当の方が回ってくるのである。「そろそろ、保障をアップされませんか」というわけだ。なるほどと思って、お勧めに従うと、虎の子の「積立金」はそちらの原資にされちまうのである。しかも、以前よりも月々の支払いは確実に増えている。これがおそらく10年ごとに繰り返されてきたのだ。「そんなことは契約書にはちゃんと書いてある」。保険会社の人からは、おそらくそう言われるんだろうな。しかし、「なんかおかしい」って気持ちになるんだなあ…。しかも、いつのころからか、「配当金」そのものがなくなった。金利も低くて配当なんかできないという理屈である。そういえば、昔は「説明責任」なんてことばはなかったですよね。はっきりした記憶はないが、私の保険は、「掛け捨て」と違って「貯蓄性」もあるなんて聞いたような気もする。しかし、結局は「貯まったもの」も「保障をアップする」という名目で吸い取られる仕組みだったんだよね。 |
| 握手はしない(04/09/18-521) プロ野球のストライキは、ニュース速報や号外まで出る「国民的(?)」大ニュースになった。その歴史は70年にもなるらしいが、とにかく、軒並みトップニュースとして扱われている。先週の交渉では、ストライキは回避された。その会見が終わったときの映像が印象的だった。ロッテの瀬戸山隆三氏が握手を求めたのに、古田選手会長はそれを拒否したのである。何かというと「まあ、まあ」の世の中だ。私なんぞ、ついつい握手してしまいそうになる。そのあたりは、古田氏はさすが勝負師というべきか。決着がつくまで安易な態度は取らないという態度だ。軟弱路線の私なんぞ、大いに見習わにゃあいかんかも…。もっとも、コケにされた方は不愉快だろう。ひょっとしたら、「恥をかかせた」なんて思ってるかもしれない。しかし、とりあえず「手を打とう」なんて考える方が間違ってるんだろうね。そして、結局はストライキなんだから、やっぱし握手なんぞしなくてよかったわけだ。それにしても、今回のバタバタは経営者の非常識に端を発している。シーズン中に合併の話なんぞオープンにするんだものね。はじめてニュースを聞いたとき、「なんば考えとるとかいな」とあきれてしまった。そんなもん、やるならシーズンオフでしょうたい。いずれも大きな会社です。トップがそうした判断ができなかったんだろうか。「わしら経営者や。そんなもん、いつ言うても同じやで」なんて思ってたんではないでしょうね。そりゃあ甘いですなあ。それに、コミッショナーなる人が、この場に至って「職を賭して」なんて言ってる。もっと早よう出てこんとあかんばい。いまごろ、「辞める」なんてプレッシャーかけても反発を招くだけ。何せ、選手は毎回の試合でプレッシャーと戦ってるんだものね。 |
| 権威と権力(04/09/17-520) 権威は「@他人を強制し服従させる威力… Aその道で第一人者と認められている人」(広辞苑)。やや似たことばに権力がある。こちらは、広辞苑によると「他人を押さえつけ支配する力。支配者が被支配者に加える強制力」となる。前者は英語で authority 、後者は power が当たるだろう。権威には、とくに「A第一人者」のニュアンスが含まれている。そうした背景があって、結果として人を「強制し服従させる」力を持つことになる。ときには、「すすんで」従うのである。これに対して権力は「押さえつける」ところがポイントだ。相手の「納得」なんて二の次なのである。前者には「尊敬されている人」のイメージがついてくるが、権力には、そんな感じがしない。それにしても、世の中には、この両者を混同している人が多いのではないか。ある地位に就くと、それなりの「権力」が与えられるものだ。そこで、その「力」を振り回そうとするのである。しかし、悲しいことに「権威」が伴っていない。だから、周りも心から指示に従ったり、それを受け入れたりしない。いわゆる「面従腹背」というわけだ。それならまだいいが、最悪の場合は「反乱」が起きることもある。そんなときにも、ご本人は何でそうなるか分からない。真の影響力=「力」+「尊敬」なんですよね。こんな人は、その「地位」を失うやいなや、人々の記憶から消え去ってしまう。あるいは、「こんなひどい『権力的』な人がいた」と言われながら、歴史に残るかもしれない…。 |
| 危機意識(04/09/16-519) 組織にしても個人にしても、成長するために求められる要因があるものだ。その一つとして「危機意識」を挙げることができる。もちろん、何でも程度が問題だから、「適度の」という条件は付けておこう。ともあれ、「このままではいけない」という気持ちが必要なのだ。「ゴーン革命と日産社員」(前屋毅著 小学館文庫)を読んだ。「日本人はダメだったのか」という副題が付けられている。全体の結論としては、日産の革命がゴーン氏だけでなく、日本人の力で成し遂げられたことを訴えている。私もゴーン氏が取った施策には極めて日本的なところがあると感じる。ゴーン氏は、日本人が得意にしてきた「トップと現場との人間的な関わり」を重視しているように見えるからである。それは、逆に言えば、日本のトップがいつの間にか「現場との関わり」を忘れてしまったことを推測させる。ところで、ゴーン氏は2000年6月の株主総会で「改革が実現できなければ役員もろとも辞める」と宣言する。前屋氏によれば、そのときはじめてトップが危機感を持ったという。これが事実なら、当時の日産は相当な重症だったといわざるを得ないだろう。しかし、考えてみれば、潰れるなんて想像もできなかった大組織の崩壊を目の当たりにすると、わが国の組織は、どこもここも危機意識に欠けていたのかもしれない。「辞めるにしてもいただくものはいただいて…。後はよろしく」。こんな経営者もけっこういたよね。こうなると「危機意識」の欠如どころの話ではない。トップが率先して「モラル・ハザード」の先頭を走っていたのである。そして、いつも犠牲になるのは、身を粉にして働いていた真面目な従業員たちである。 |
| ストレスとともに(04/09/15-518) いまや右を見ても左を見てもストレスのネタばかり…。そんな気分で毎日を送っておられる方もいらっしゃるだろう。しかし、世の中はどんなものも程度が問題である。適度のストレスは緊張感を持って生きるために必要でもある。アメリカの精神科医であるホームズとレイは、生活上の出来事(ライフイベント)について得点化を試みている。そうした出来事を体験してから、もとの状態に戻るために必要なエネルギーを数値化したのである。彼らは、「結婚」を50にして、さまざまなイベントに得点がつけられている。人生で最高の幸せと思える「結婚」だってストレスを含んでいるのだ。だれですか、妙に納得しているのは…。その表を見ると、最も高い100点は「配偶者の死」である。それは十分に理解できる。ただこれも、性別によって与えるダメージは違っているのではないか。世の中を見ていると、妻を失った夫は途端に生気をなくしてしまう。これに対して女性の方は、けっこう元気はつらつ…。まあ、個人差も大きいから、決めつけてしまうと怒られるかもしれないけれど。さて、2番目には「離婚」が73点で続いている。また、「夫婦の別居」は65点である。われわれ団塊の世代にとっては「解雇」や「退職・引退」も現実のものとなってきた。前者は47点、後者は45点とされている。「休暇」は13点で、「正月やクリスマス」も12点だ。たしかに、「休暇ぼけ」でもしようものなら、元に戻るのは大変かもしれない。しかし、身の回りには、そんなうらやましい人はいない。むしろ、休みもセッセと働いている人が少なくない。ともあれ、これらが1年間で300点を超えると、重大な病気にかかる確率が高まるという。とにかく、何でもかんでもストレスというわけだ。われわれは、そんな中で生きていかねばならない。それならば、ストレスともうまくお付き合いして、プラスのエネルギーに交換しましょうよ。この他にどんな項目が挙がっているかは、ご自分でネットを使ってお探しください。「それはそうと、あんたはストレスがなさそうね」ですって? 失礼なこと言わんといてください。 |
| 「華氏911」考(04/09/14-517) あの「華氏911」を見に行った。自分自身は意識していなかったが、ちょうど11日のことである。それもあってか、前の2、3列を除いて席が埋まっていた。この欄でも話題の映画として8月16日に取り上げている。どうせ、記録フィルムをつなぎ合わせて、ブッシュ大統領をこけにした映画だろうと予想していた。しかし、実際に見ると、かなり「まとも」なドキュメンタリーであった。小泉さんはインタビューで「偏ったものは見たくない」と答えていた。しかし、あの程度の「偏り」なら、小泉さん、一見の価値はありますよ。これが私の感想だ。それでは、どうして私の予想よりは「まとも」な作品だったのか。その原因は、事前に見たテレビの情報にある。私の中に「ゆがみ」が生じていたのである。私がテレビを見た限りでは、能天気に、ゴルフや魚釣りに興ずる様子ばかりが映し出された。テロの事実を耳打ちされた大統領が、目をうつろにしている情景もあった。まるで意思決定のできない大統領だと言わんばかりに…。そして、テレビには、イラクで息子を失った母親の姿は出てこなかった。職のない若者たちが軍にリクルートされる場面も見なかった。それは、ただただ大統領の「愚かさ」を強調した映画に思われた。少なくとも、私はその線に沿ったものしか見ていなかった。そう考えると、あのテレビ情報で、この映画はかなりの観客を失ったかもしれない。「そんな偏ったものは見たくない」。まさに、小泉反応と同じ気持ちを持った人たちだ。そんな人だって大いにいたに違いないと思う。それが意図的だとは言わないが、あの映画の事前情報そのものが「偏って」いたという訳だ。いやー、とにかく身の回りの情報には気をつけましょうね。ところで、映画館にペアで行けば、一方が50歳以上だと料金が1,000円だそうな。もちろん一人分がですよ。ともあれ、ありがたや、ありがたや。 |
| プロの危機管理(04/09/13-516) 先週の8日だったと思う。車の中でテレビのニュースを「聞いた」。あの台風18号が襲ってきた日に消防隊員が沢登りに出かけて行方が分からなくなったらしい。最終的には無事に見つかったとのことで、めでたしめでたし。ニュースそのものを車で「聞いた」ので、はっきりした情報のメモができていない。そのため、場所や人数については曖昧であることをお断りして、先に進ませていただく。ここで言いたいことは、人を救助すべき「消防隊員」が救助の対象になったことではない。もちろん、救助のプロだから、一般人よりもしっかりとした計画を立てて、ことに望む必要はある。その点では、やっぱり「救助」の対象になれば格好は悪い。何せ「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる」のである。ネタにされやすいことは宿命と覚悟せねばならぬ。ただ、私がこのニュースを聞いて気になったのは、台風が来ているときに出かけたことである。はっきりした場所は確認できなかったが、本州の真ん中あたりの山だったと思う。となると、台風18号の影響下に入ることは予想されたはずである。しかも、「大型で強い」台風だった。どんなに自信があっても、そんなときは「見合わせる勇気」を持ちたいものだ。それがプロとしての危機管理ではないか。そう言えば、息子が小学生のころだった。担任の先生の自宅が天草で、クラスの友だちと出かける話ができあがっていた。ところが、そのとき台風がやってきそうな気配になっていた。そこで、わが家では息子に天草行きを諦めさせたのである。もちろんと言うべきか、心配したようなことは何も起きなかった。いまでも、家内と「息子には悪かったな」と苦笑いしている。しかし、それがわが家の危機管理なのである。「危機管理」は「結果」だけで評価してはいけない。そうした行動を選択する「動機」や「意志」の視点を含めて評価すべきなのである。そうでないと、同じことが繰り返される。 |
| もう一つ、アメリカ人のメンタリティ(04/09/12-515) 少なくともテレビで「聞く」限り、イチローに対するアメリカ人の態度には敬服する。先日も5打数で5安打という大仕事をしたとき、敵地の観客が立ち上がって拍手を送ったという。それってすごいなあと思ってしまう。しかも、相手投手が帽子を脱いで敬意を表したのである。この場面は私もこの目で見た。そんなことしたのは、彼もはじめてだそうな。新聞によると、もう「降参」というポーズでもあるらしい。それを表現できるって素晴らしいなあ。アメリカに渡った高津投手も「イチローに打たれないためには、対戦しないこと」とコメントしている。相手投手に「もう投げる玉がない」と言わせるのだからすごい。とにもかくにもイチローは凄まじいんだ。そして、アメリカ人は新記録の誕生を待っているように見える。そこがまた素晴らしい。数年前、近鉄のローズだったか、王選手のホームラン記録を破りそうになったことがあった。そのときは敬遠してたなあー。なあんか偏狭さが滲み出てくるんだよね。相撲でもモンゴルの朝青龍がすごい勢いだ。しかし、今ひとつ全面的に応援する雰囲気が感じられないと思いませんか。たしかに横綱にしてはやんちゃなところはあるけれど…。これって、アメリカみたいに移民からできあがった国とそうでない国との違いなのだろうか。もちろん、日本にもアメリカにもこれと反対の発想をする人もいるはずだ。しかし、その比率が違うんだろうね。とにかく、すごい人はすごいって認めることは大切だろう。なにせ、時代はインターナショナルですたい。 |
| アメリカ人のメンタリティ(04/09/11-514) わがプロ野球はドタバタの様相を呈している。しっかりしてよね。その一方でイチローの情報が毎日のように流される。何と大リーグの記録を破るかもしれないとのこと。それに関連して、地元紙のコラムニストがイチローに謝罪したというニュースが目に入った。シーズン当初に調子に乗らなかったときに「イチロー外野手にはもう飽きた」といった内容のコラムを書いたらしい。これを大いに反省し、イチローを絶賛したという。この調子だと4割も夢じゃないとまで持ち上げているという。私自身は、原文を読んでいないが、自分の誤りを率直に認める態度は見上げたものだ。言いたい放題に言っておきながら、後は知らぬ顔の半米兵衛を決め込む評論家が多いこと、多いこと。景気予測などその典型だ。バブルが崩壊して間もなくだったろうか。景気回復は「今年の秋頃だ」「いやいや来年初めには」などと言ってた人がいたわいたわ。みなさん、あれからどうされたのかしら。みんな人の子、だれだって間違いはある。問題は、それにどう対応するかである。間違ったときは、「間違っちゃった」と認めればいい。きちんと謝ることで、かえって信頼感が高まる実例を私は知っている。そう考えると、このコラムニストがカッコよく思えてくるのであります。 |
|
もっと自信を持って(04/09/10-513) |
| 年中無休国賓招待大作戦(04/09/09-512) 世界がとにかく危なくなってきた。海外に行くのも命がけというのはまことに悲しいことだ。だれだって平和でいたいに決まってる。しかし、こちらがその気がなくてもミサイルでも飛んでくれば大変である。だから、相手をその気にさせないことが大事だ。核抑止力というのは、そうした発想の典型なんだろう。しかし、軍備はとにかく金がかかる。それに、いくらやっても切りがないところもある。何とかいい方法はないものか。たとえば、「世界中」が認める「大切な人」を毎日せっせと招待し続けるのはどうだろう。この際は政治がらみでない人がいい。「人類の宝」と評価される人々である。スポーツマンや芸術家、演劇関係者に作家などなど、いろんな人が考えられる。そんな人たちがいつも日本に来ている状況をつくるのだ。そうなると、だれだって攻撃などしにくくなるではないか。「世界にとって掛け替えのない人が滞在している日本を攻撃するなんてとんでもない」といった声が沸き上がるだろう。そんなことで、日本にはおいそれと手を出せなくなるというストーリーである。その経費に1日2億円かけても730億円だ。ジャンボジェットが1機で200億円程度らしい。「ふるさと創生基金」だって相当な額だろう。それに比べれば、効果の割にはリーゾナブルな額じゃあないでしょうか。もっとも、「能天気なおとぎ話」なんて声も聞こえてはくる。「だれを選ぶかで揉めるに決まってる」「人によっては、かえって特定の国から反感を買う」「むしろテロのターゲットにされるだけ」…。なあるほど。それでもコストの割にはまあまあの作戦だと思うんですけどねー…。 |
| 神話の嘆き(04/09/08-511) たとえば、「銀行はつぶれないという『神話』は崩れた」「土地が値上がりし続けるという『神話』は崩壊した」などと言われる。「神話」って神々の話なんですよね。神の存在については、いろいろ議論もあるだろう。しかし、とにかく神を象徴的に使って、じつは「人間」の在り方や価値観を伝えるのが神話ではないか。その生まれた背景を探ると、これまた奥が深いのだろう。私の興味は、神の話である「神話」が、冒頭のように使われるところにある。「神話」の内容が絶対的ですべての人が信じている。「土地神話の崩壊」などと言うときは、そんな使い方をされている。広辞苑によれば「比喩的に、根拠もないのに、絶対的なものと信じられている事柄」だそうな。私が子どものころにギリシャ神話の本を読んだ記憶がある。そのとき、「これは絶対だ」なんて思ったりはしなかった。なにせ空飛ぶ馬なんていないもん。けれども神話だって、それが生まれる契機があったに違いない。それは昔話、おとぎ話だって同じこと。そこには教訓や戒めが含まれているのだ。まるで「根拠」がないと言われると、神話も反論したくなるかもしれない。その上、「土地神話」といった使い方までされる。さぞかし、「神話」も迷惑してるだろうね。ふと、これって日本人的発想かなという疑問が浮かんだ。そこで、英英辞典を引いてみることにした。OXFORD現代英英辞典の第2義にsomething that many people believe but that does not exist or is false≠ニある。おやおや、英語でも「信じてはいけない」ものとしての意味があるという訳だ。これじゃあ神話も肩身が狭いなあ。「銀行はつぶれない」「土地の価格は上がりつづける」…。「そんなこと言ったのはだれだぁ」なんて怒ってるかもしれないですね。 |
|
S先生の思い出(04/09/07-510)
さて、私をその気にさせたS先生だが、その他にも思い出は尽きない。先生は大のお酒好きだった。それはすでにかなりのところまで達していた。受講したのが1時間目だったかどうかは憶えていないが、教室に来られたときもプンプンと香ばしい臭いを発散させておられた。また、あまりきれいでないタオルをベルトに挟んでおられたような記憶すらある。ともあれ、ピカピカの奇人だった。とにかく、途方もない豪傑なのである。まあ、旧きよき時代の大学教授だった。それを学生たちも喜んでいたところがある。いまなら、まずは大学で生きていけない。「大学教員は1日やったらやめられない」なんてご本人は言ってても、「1日でやめさせられる」に違いない。ところで、先生は夏休みの宿題にルースベネディクトの「菊と刀」を読むように指示された。朱色のまぶしくなるような表紙の文庫本だった。その内容はきわめて興味深く面白かった。先生の課題とあって、一生懸命にレポートを書いた。おかげで「優」をいただくことができた。いまでもこの「優」はもっとも嬉しく感じたもののひとつである。あれから、37年の時間が経っていった。先生はお元気なのだろうか。私はおかげさまで楽しい日々を送らせていただいています…。 |
| 先生のお家(04/09/06-509) 友人と連れだってS先生のご自宅にお邪魔したのは日曜日だったと思う。お家は大学からさほど離れていない閑静な住宅地にあった。ボチボチ探しながら歩いていった。やがて、ここかなと思われる家の前に着いた。表札には間違いなくS先生の名前が書いてある。それにしてもすごい家だ。なんと、玄関から小さいながらもプールが見えた。そんな家はアメリカ映画に出てくるくらいのものだと信じていたころだ。ともあれ、はじめから度肝を抜かれたのである。家に招き入れられると、さっそく一杯という感じだった。見たこともない洋酒が出てきた。そのうち日本酒となる。酒器も上等そうだった。酒の味は分からなかったと思う。話が弾むうちに、私は大学の教員になりたいという希望を述べた。それに対するS先生のお答えが「大学の教員は1日やったらやめられんよ」だった。そうこうしていると、握り寿司まで出てきた。いうまでもなく「上」だと思った。こうした中で、私の気持ちは決していた。「大学教授はすっごい」とその気になっていた…。そのときの「一言」と「待遇」に奮い立ったのである。そして、私自身は希望が叶って大学で職を得ることができた。いまでは、ありがたい毎日を送らせていただいている。満足度はAである。ただし、わが家には庭もプールもない。高級洋酒だって置いていない。あの生活環境は、単に奥様のお家が「大金持ち」だったから実現したことを後になって知った…。それにしても若き日の楽しい夢あふれる幻想だった。
|
|
教師の一言(04/09/05-508)
私も参加させていただいている先生方の勉強会で、「教師の一言」と言うタイトルの文章を書くことになった。教師のリーダーシップや対人関係スキルを磨くためにも、感動を与えた「教師のことば」を集めてみようという訳である。もちろん、その反対のものを挙げてもいいことになっていた。その一言で「やる気を失った」記憶も大事にするべきである。それはそのまま「教師発言タブー集」になる。メンバーそれぞれの宿題になったので、私も思い出そうと頭を捻った。ところが、勉強会で期待されている小中学校時代の記憶が蘇ってこないのである。その代わり、大学に入ってからのことはすぐに思い出した。今日はその話を聞いていだだこう。それは大学1年生の時だった。社会学を担当されていたS先生が「大学教師は1日やったらやめられん」と言われた。その「一言」が忘れられないのである。これは、私が大学の教員になりたいという話をしたときの先生の回答である。いまでは定着した観がある「総合科目」が新しく導入された年だったと思う。「アメリカ」をテーマに、歴史・文学・文化・言語・憲法などなど、それぞれに専門の教師が分担して授業をされた。そして、社会学のときにS先生がやって来られた。幸いに少人数の構成で受講者は10人程度だったと思う。S先生は授業中に「家に遊びに来てもいいぞ」といったニュアンスの発言をされたのである。私と、入学後によく話をするようになっていた友人の二人は、それを真に受けることになる。授業後の雑談で「本当にお家へ行っていいんですか」と確かめた。そして、その場でお話は「成立」と相成った。 |
| 懐かしの玉屋(04/09/04-507) さてさて、私としては映画を見に出かけることの多かった中州に玉屋デパートが建っていたのである。その屋上には「小動物園」まであったが、いつのころかなくなった。玉屋の屋上といえば思い出すことがある。黒澤映画「あかひげ」のPRで主演の三船敏郎がやってきた。そのサイン会の会場が屋上だった。なぜか、私もそこに行っている。そして、行列に並んで色紙にサインをもらったのである。わざわざ行ったというよりは、店内にいたとき、案内放送でサイン会のことを聞いたのではないか。ともあれ、あの色紙は家のどこかにしまってあると思う。ネットで「赤ひげ」を探したら65年4月に公開されている。それから類推すると、私が高校1年生か2年生になったころの出来事である。屋上のもう一つの思い出。大学生時代、後輩が屋上ビアガーデンでバイトをし始めた。「半額以下で飲ませますよ。みんなで来てください」と誘われた。その話に乗って大挙して出かけた。とにかく全員でガンガンやった。まるで飲み放題の状態に近くなった。「いくら先輩たちだからといって、あんなに来られちゃあかなわんぞ」。後輩がビアガーデンの責任者から文句を言われたことは後で聞いた…。このデパートには「玉屋ホール」という劇場もあった。そこでは封切り後の映画を上映していた。入場料も低めに設定されていて、学生にはありがたい場所だった。そこでスエーデン映画の「太陽のかけら」を見た。この「青春映画」は1度だけでは済まず、少なくとも2度は出かけたはずだ。映画のタイトルまですぐに思い出す。はるか昔の懐かしい思い出である…。 |
| 玉屋の解体(04/09/03-506) 先日、福岡に行ったら中州の玉屋が解体されていた。経営不振から数年前に閉店したが、建物はそのままだった。新しい開発事業が決まったのだろう。それにしても中州の川沿いにあった玉屋の思い出は多い。博多の中州といえば全国でも知られた歓楽街だ。だから、どうしても飲み食い、遊びのイメージが先行する。しかし、それは変貌してしまった夜の中州の話である。私が子どものころは、昼間の中州も家族連れでにぎわった。なぜなら、そこは映画館の街でもあったからだ。ヘレンケラーを描いた「奇跡の人」を見たのはSY松竹である。電車通りから最も奥まったところにあった。中学生のとき、母に連れられて見に行った。パティ・デュークという子役の演技が見事だった。自分たちと同年齢だったこともあって、ある種の憧れを感じた。そう言えば、NHKで土曜日の夜に「看護婦物語」というアメリカのドラマシリーズが放映されていた。若い準主役をジナ・ベシューンという女優が演じていた。いまでも脳裏に浮かぶその顔はとても個性的だったが、中学生の目には何とも魅力的に映った。後に参議院議員になる山東昭子氏が声の吹き替えをしていた。思い出す女性が多いのは思春期だったからだろうか。そんなことまで記憶が蘇る。そうそう、加山雄三の「若大将シリーズ」は福岡東宝で見た。そのときは家族4人で行った。海が大好きな若大将だ。ビキニの女性が出てくる場面もあった。そんなときは、目のやりどころがなくて困った。横には父や母、そして妹も座っているのである。それにしても、その程度のことで中学生がどぎまぎしていたのだ。そんな時代である。連合国のノルマンディ上陸をテーマにした「史上最大の作戦」は大洋で見た。すでに中学校の卒業式が終わった後で、そのときは一人で出かけた記憶がある。「サウンド オブ ミュージック」は、歌ばかりで映画ができていることに驚いた。日活系の吉永小百合や和泉雅子といった青春スターも人気を競っていた。そんな中州に玉屋があった。ようやく玉屋までたどり着いた。明日につづけよう。 |
| 乾杯物語(04/09/02-505) 数年前、熊本大学で学会が開かれた。私も会員で、仕事をお手伝いした。その一つが懇親会の司会だった。そのときは、かなりの会員が参加してくださった。ご挨拶など、順調に進んでいく。さて、いよいよ乾杯というところまできた。音頭を取っていただく方には、あらかじめそのことをお願いしてあった。学会の大先輩だ。私のセリフも決まっている。「さあ、それではいよいよ乾杯に移りたいと思います。ご発声を○○先生にお願いいたします。みなさまビールをお注ぎください」。そのときである。「ビールがないよーっ」。「???」。何のことはない。まだビールが運ばれてなかったのである。「うわー、失礼しました。少々お待ちください…」。それから数分は経過しただろうか。ようやくビールが揃って乾杯は「滞りなく」終わる。いやはや、私も大いに笑ってしまった。それから周りもにぎやかになってきた。そのうち何人かが私のところに近づいてくる。「吉田さん、乾杯のときは参ったでしょう。でも気にしない方がいいよ…」。こんな趣旨で私を慰めてくれたのである。その思いやりには大いに感謝した。ただし、本音を言って、私自身はまるで気にしていなかった。たしかに司会としては確認不足だった。まあ、失態といえば失態かもしれない。しかし、これも「おもろい思い出」やで…。今日の朝、目が覚めたときに、なぜかこの「ネタ」が頭に浮かんだ。もうこのことを憶えている人なんていやしない。人間って、そんなもんですわいな。えっ、「わしゃあ吉田の大チョンボとして記憶してるぞ」ですって? あんたは相当しつこい性格やで。もっと憶えとくべきことが山とあるでしょうに…。 |
| 気の利いた対応(04/09/01-504) 少し前のことになるが、「充電式電池」を注文した。しばらく経ってから業者の方がM社の製品を持ってこられた。ところが、私が注文したのはS社のものである。たまたま私は不在中で、Yさんが受け取ってくださった。Yさんの話では、「同等品で、こちらの方が安いですから…」ということだったという。私も、この製品についてはS社が世界のトップシェアを誇り、他社にも供給していることを知っている。だから、M社のものもラベルは違っているが、きっとS社の製品だろうと思った。業者の方としては少しでもお安いものをというサービス精神を発揮されたのである。まさに気の利いた対応だった。そのお気持ちは十二分に伝わった。しかし、私はそうだとしても、「お持ちいただく前に相談してほしかった」と思った。何と言っても、その製品に付けられた「ご使用方法」が気になるのだ。そのトップには、「充電するときは必ず当社専用充電器を使用し、充電器の取扱説明書に従って正しく充電してください」と書かれている。じつは、当方が持っている充電器はS社製なのである。本当は他社のものでも何の障害もないに違いない。しかし、万一の不具合があれば、ことは「安全」に関わってくる。使用方法通りに使っていなかったとなれば文句も言えない。かなり大袈裟ではあるが、これは「危機管理」の問題なのだ。そんなことで、最終的にはS社の製品に替えていただくことにした。そのために、先方は返品を余儀なくされたことになる。こんなとき、「ほんの一言でも事前に相談があればよかったのに」と思ってしまう。これもまたコミュニケーションの問題なのである。 |