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味な話の素
No.13 2004年5月号(380-410)
 

怪談FAX物語(04/05/31-410)
 先日のこと、わたしのFAXにあやまってメッセージが送られてきた。送付先の番号を間違えたのである。送信者はある損害保険の会社で宛先は熊本の営業所だった。その内容は加害者と被害者の間で成立した示談についての情報である。事故が起きた日時から当事者の住所、さらには金額まで入った書類を合わせると6枚になる。まあ、わたしにとっては無用の情報である。すぐにFAXに書かれている会社に電話した。「もしもし、FAXが間違って入ってますよ」「申し訳ございません。送付した者がお分かりでしょうか」「はい。○○さんになってます」「承知しました。FAXは破棄していただけますか」。これですべてがおしまいである。「うーん。それでいいんかなあ…」。まずは間違って送ったことの危うさ。自分の情報だってこんな扱いをされている可能性ありだなと考え込んでしまう。これは、同じ会社間の連絡である。送信時にわざわざ番号を入れたとすれば、この会社の基本的な危機管理体制のあり方が疑われる。可能な限りエラーをなくすためには、少なくとも会社間の連絡はあらかじめセットしておくべきである。もう一つの問題は「破棄してください」と言っておしまいにしたことだ。相手の良心と善意を信じるのは美談かもしれない。しかし、保険会社がそれでいいのだろうか。こちらの連絡先も確認しないのである。それは、ただちに自分の顧客を大切に扱っていないことに繋がるのではないか。大事なお客さまの情報を第三者に見せたのである。その危険性をどれだけ意識しているのだろうか。情報で生きている会社が情報を軽視する。まずいなー。このあたりの教育はちゃんとなされているのだろうか。相手を確認して、最寄りの営業所から担当者を派遣する。そのくらいの迫力があれば、受け取った方も悪用などしないだろう。また、その会社の評価も高まるに違いない。たったFAXごときでそこまでやってたらコストがかかってやってられない。そんな声が聞こえてきそうだ。しかし、小さなコストを惜しんで、取り返しのつかない事態を招いた組織が、このごろ多すぎると思いませんか。ともあれ、ああ、こわい。本日は「間違いFAXの怪談」でした。
4回目のパウエル氏(04/05/30-409)
 国務長官パウエルさんのインタビューも4回目になった。とにかく、原文に「プラスもマイナスもせず」との方針でここまできた。そんなことで、全訳する気持ちは変わらない。だから、もう1回は必要だ。もちろん翻訳能力の問題もあるから「誤訳」なしとは言わない。しかし、少なくとも「脱落」はないというわけだ。さて、前回の19日は「日本人として、『人質』と『自衛隊』をあわせて誇りに思いなさい」という発言の前半だけが強調されていることを見た。そのつづきである。「P: しかし、そうした危険を承知で行って捕まってしまったとしても、『あなた方が危険を冒したのだから、あなたの責任ですよ』というわけにはいかないでしょう。そうではなくて、私たちは彼らを安全に救出するためにあらゆることをしなければなりません。そして彼らに強い関心をもたねばならないのです。彼らはわれわれの友人なのです。われわれの隣人であり、仲間である一般市民なのです」。ここで人質に関わる内容は終わる。ただし、時間が許したのか、インタビューはもう少しつづく。「K: 最新の情報によるとウサマ・ビン・ラディン氏は、現在の状況を不安定にしてヨーロッパ各国の同盟関係を壊すという内容の録音テープを送ってきました。これはアメリカにはどんな意味をもっていますか」。「P: ええ、彼はわれわれが世界に訴えてきていたように、テロリストそのものです。そして、彼からのいかなる要求にも応じてはいけません。ウサマ・ビン・ラディン氏と交渉してはならないのです。彼はテロリストです。彼は殺人者なのです。彼はそのような人物であり、裁判にかけられなければならないのです。そしてこのテープを聴いて、世界の人々は彼がどんな人間であるかを知り、これまで以上にテロリズムに対して一緒になって強力に対抗して行かねばならないことがわかるでしょう」。ここは、われわれがニュースでよく聞く発言になっている。このシリーズ、もう1回だけお付き合いください。来週かな。
NsIEのすすめ(04/05/29-408)
 NIEということばをご存じだろうか。このごろは新聞でとくに目につくようになった気がする。これはNewspaper in Educationの頭文字である。「教育に新聞を活用しよう」という運動である。日本新聞教育文化財団のホームページに、その歴史が詳しく書かれている。この運動は1930年代のアメリカで始まったとのこと。教材として新聞を教室に持ち込もうという試みである。わたし自身も授業で新聞をよく使う。新聞はまさに生きた教材である。こうした運動が組織的になったのは、多くの子どもたちが文字に接していないことが分かって、アイオワ州で55年にNIC(Newspaper in the Classroom)がスタートしてからだという。2001年現在、何らかの形でNIE活動を展開している国は52か国に達しているそうだ。しかも、そのうち21か国ではNIEが法令や正式なカリキュラムに位置づけられているという。まあ、けっこうなことだと思う。ただし、わたしにはひとつだけ提案がある。NIEは原語でもNewspaper in Educationとなっているが、これには若干の不満を感じている。Newspaper が単数になっているからだ。辞書を見る限りNewspaperには複数形がある。それならば、どう考えてもNewspapers in Educationにしてほしい。新聞はいくつかを読むとじつに面白い。同じことなのに随分と印象の違う書き方をしている。そうした状況も踏まえたうえで、世の中のことを読み取る力を子どもに身につけてもらいたいと思う。まあ、わたしなんぞが英語の言い回しを提案しても一笑に付されるだけだろう。しかも、「あなた、こういう使い方のときは単数形なのよ。素人はこれだから困る…」なんてことも言われるかもね。しかし、わたしはそれでも「複数」の視点の重要性だけは強調しておきたい…。
本が熱いアメリカ(04/05/28-407)
 アメリカではいま本が熱い。出版社が政治の世界を混乱させている。もちろん、それをだれもがよしとしているのではないが…。こんな記事がNew York Timesの4月25日に載っていた。このところ、彼の地ではブッシュ政権の内幕物が立て続けに出ているらしい。いわゆるinside storyというやつだ。政治の内幕物自身はどこでもある。とくに政権の中枢にいた者が後になって本を書くのは珍しくない。サッチャーやクリントンも回顧録でけっこうな財産を築いたのではないか。これなんかも内幕物だろう。アメリカでは、1934年にIrwin Hood Hoover氏が書いたFourty-Two Years in the White House≠ネんぞはその嚆矢のようだ。ここでお知恵をいただけるかなあ。このフーバーさん、まるで大統領クラスのお名前だが、お仕事はusherになっている。この単語、辞書を引くと、劇場などの席の案内係、門衛、付添人、先導役などがあるが、ホワイトハウスではどんなお仕事なんだろう。現在のChief Usherは、Gary J. Walters氏で、ホワイトハウスのホームページAsk the White House≠フホストである。つまり、国民との情報交換の窓口だ。となると広報官? それとも日本の官房長官みたいな人? まあ、よく分からない。ともあれ、このほかジャーナリストとしてはTheodore H. White 氏のThe Making of the President=i1960)が知られているようだ。しかし、それにしてもブッシュ大統領のように現職時代に本が出始めるのはほとんど例がないという。こうした状況に対して、この種のものはただ速ければいいというものではないという批判がある。こういった傾向はまじめなノンフィクションをだめにしてしまうというのである。とくに最近のものは 新聞記事を拡大しただけ。著者が考え抜いたうえでの洞察が含まれ、あわせて文学的でもある書物とは遠く離れていると批判もされる。。そこには情熱に駆られた精神的な仕事というものが感じられない…。これに対して、タイミングこそが重要なのだという考え方もある。こちらの立場に立てば、文学的な価値はどうであれ、事実が起きた直後に出版することで、価値ある情報を提供することになるのだ。Washington Post の編集長などは、とくに大統領選挙前に出版することが重要なのだとも言っているようだ。選挙になれば個人攻撃も常識になるアメリカならではの発想ではある。とにかく、そうした意味でこのごろのアメリカでは本が熱いんだそうな。
世界標準の醍醐味(04/05/27-406)
 先月の毎日新聞(4月19日)によると、デジタル映画の世界標準として日本の規格が採用されるという。800万画素の技術で、NTT、日本ビクター、三菱電機、オリンパスなどの企業連合「ディジタルシネマ・コンソーシアム(DCCJ)」が開発したとのこと。ハリウッドの7大映画配給会社などで作るデジタル映画推進団体「DCI」が発表するらしい。なかなか楽しいニュースである。このところ少しばかり経済に明るさが見られるとはいえ、何かと暗い話題が多かった中でのいい話である。DCCJが開発した技術は、解像度が800万画素(横4000×縦2000走査線)の超精細密な映像で「4K」と呼ばれるんだそうだ。どのくらいのものなのかピンとこないが、ハイビジョン映像の4倍の画質らしい。ハイビジョンがすごくきれいなことはよく知っている。だから、その4倍ともなれば、ものすごいんだろうと推測できる。ともあれ、ジョージ・ルーカス監督の「スターウォーズ・エピソード1」が2Kだったらしい。なあんて言っても、わたしはそれも見ていないけれど。その後に、DCCJは2002年の夏から欧米各地で4Kの上映実験を繰り返し実施して世界的に評価を得たということである。何はともあれ、がんばれニッポンである。「バブル」で「傲慢」になったかと思うと、「はじけた」途端に「一億層懺悔」…。揺れが大きすぎるよ。もっと自信を持っていこう。そのためにも、子どもたちに夢を与えなくっちゃあ。そして、もっともっと教育にお金をかけましょう。教育にお金をかけない国は気がついたら無くなってますよ。
スローモーションとハイスピード人生(04/05/26-405)
 映像がゆっくり動くのをスローモーションという。これは高速度撮影の結果である。映画の場合は1秒間に24コマ撮影する。それを2倍のスピードでフィルムを回すと48コマになる。したがって、1秒間を24コマのままで映写すれば2秒かかる。つまりは、動きが1/2になるわけだ。あるいは1秒間の動きを2倍の精度で見ているとも言える。スローモーションはハイスピード撮影の結果なのである。また、微速度撮影というものもある。文字通りゆっくり撮影するわけだ。そうするとどうなるか。たとえば朝8時に開きかけの花を写す。それから1時間後の9時にまた1コマ撮影する。同じ調子で行くと1日が24コマになる。ちょっとやりすぎだが、24時間かけて咲く花があれば、一瞬で咲いてしまう。ふつうに1秒24コマの映写機で見ると1日が1秒になるからである。こうして、長い時間が高速で見えるのは、スローにシャッターを切った結果なのだ。「それでどこがおもしろいの?」と聞かれると困るのだが、私にはおかしくてたまらないのである。「ゆっくり見るためには速く撮り、速く見るためにはゆっくり撮る」。この逆説的な関係がとても意味深だと思うのだ。物事を見る場合にもこの両者の目が必要ではないか。どうも、よく見なければならないのにいい加減に済ます。さっと見た方がいいのに妙にこだわってしまう。そんな人生を送ってはいないか。ともあれ、人生を有意義に過ごそうと思ったら、「1秒240コマ」くらいでじっくり観察していくとよさそうだ。もっとも、「あまり見えすぎるのは嫌いだ」という方もいらっしゃるでしょうね。まあ、あまり焦らないことですたい。そういえば、藤本義一氏の著書に「一日は長い、一年は短い」というおもしろいタイトルの本があったっけな。
ReplayとPauseの文化(04/05/25-404)
 その昔、われわれの家にはテレビがなかった。映像メディアの代表は映画だった。真っ暗闇の映画館の中でスクリーンを必死で見つめていた。そこ以外は暗いから、よそ見をする対象もなかった。それだけに映画そのものに集中していたと思う。また、ストーリーはどんどん展開していく。だからぼんやりしていると大事なせりふを聞き逃すこともある。そんな訳で、耳の神経も興奮していた。それは、ラジオしかない時代に鍛えられていた。その上、大切なお金も払ってる。親からもらったものとはいえ、「元は取らなきゃぁ」という気持ちにもなる。かくして、とにかく集中させる条件が揃っていたのである。それがテレビになって変わってしまった。明るい部屋で画面以外にもいろいろな情報が入ってくる。つい寝っ転がって見るから筋肉もだれている。そして、せんべいやチップスなどをバリバリ、ポリポリと食べまくる。昔の映画館にも無神経な人はいたが、紙袋を空けるジャラジャラ音だって顰蹙を買ったものである。テレビはそうした緊張感をなくしてしまった。そしていよいよVTRのご登場である。これがすごかった。いつでも再生できるReplay文化がやってきた。トイレに行きたくなったら「はいポーズ」というわけだ。映画の場合は、いいところになるとトイレに行きたくても我慢した。そこを見逃したら大変なのだ。ところがVTRによって、「いつでも、何度でも見る」ことが可能になったのである。それは緊張感のない時代の到来でもあった。とにもかくにも、我慢する必要がなくなった。ささやかな生活の変化が人のこころを変えていく。その積み重ねによって、大きな行動の変化が起こるのである。それに気づいたときには「手遅れ」ということもある。
R-PACのすすめ(04/05/24-403)
 P-D-Sといえば、言わずと知れたPlan-Do-Seeのサイクル。目標を設定し実践して、それを評価する一連の流れである。このPDSの向こうを張ってR(efresh)PACを提唱したい。これは教職経験が10年を経過した教師を対象にした研修などで話し始めた考え方である。もちろん「教師」を「リーダー」、「子ども」を「部下」と読み替えれば、どんな立場の方にも当てはめることができる。さて、さて先生方のリーダーシップを測る尺度もあることはある。しかし、わたしは「説得」よりも「納得」の方が大事だと思っている。だから、「これはいい項目だから調査しませんか」ではなく、「自分で納得できる項目をつくりましょう」とお誘いする。自分のリーダーシップを測る項目を自分でつくるわけである。これなら各人で「納得」済みということになる。そうはいっても自分で自分に必要な行動を考えるのも主観的に過ぎると言われるだろう。そこで、子どもたちに「先生に期待すること」を聞いて、それをもとに項目をつくることにしている。そこで、これを「準備(Ready)」の段階と考える。そして、子どもたちの声を分析して、教室で実践する行動目標を立てるのである。これは「計画(Plan)」に当たる。そしてその実践が「Do」ではちと弱い気がする。ここはやっぱし「Action」でしょうね。最後にくるのは自分の実践がうまくいったかどうかを評価する段階だ。これは「Check」でいいでしょう。これらの頭文字を合わせると、R-PACとなる。PACは古くはジャルパックなどと使われてきた。正確にはPackあるいはPackageである。ReadyのRもそのままではおもしろくない。そこで「元気回復、生き生きさせる」を意味する「Refresh」にかけてみる。あるいは「活性化」の「Revital」でもいい。少し前には「Regain」という栄養ドリンクも大いにCMを流してた。今もあるのかしら。ともあれ、これにも「回復する」といった意味がある。まあ、「Refresh」がわたしの言いたいことにピッタリ合っていると思う。そうすると、一連の試みが「Refresh PAC」となる。うーん、これってわれながら気の利いた命名であるぞよ。「えっ、名前よりも内容が問題ですって?」。おっしゃるとおりです。
パウエル氏の話(04/05/23-402)
 さて、例のパウエル国務長官に対する日本人記者のインタビューはつづく。今回で3回目である。前回はイタリア人と日本人の人質について聞かれ、テロリストの要求に屈してはならないが、人質の救出には全力を尽くすと答えたところまで見た。その後にこんな発言をする。「P: しかし、人質をとった犯人に譲ってはいけません。『わかりました、それでは要求をのみましょう』と言ってはいけないのです。なぜなら、彼らはまた別の要求をしてくるに違いないからです。文明国家はこうした行動には断固とした態度をとらなければなりません。ですから、私は小泉首相、Berlusconi首相、ブッシュ大統領、ブレア首相、そしてそのほかのリーダーたちがテロリストたちからのこうした脅威に対抗する勇気を持っていることを嬉しく思うのです」。それに対して記者も質問をつづける。「K: 現代国家の歴史を見ますと、すべての政府が自らの国民を守る義務があるといわれています。日本では一部の人たちが、人質たちは進んで危険を冒したのであり、その行動については責任を持つべきではないかと言っています。これについてどう思われますか」。ここでは、事件発生時にマスコミに現れた家族の反応については説明されていない。まあ、時間がないから仕方ないか。ともあれ、長官の回答はつづく。「P: そうですね。危険な場所に行くときにはその危険性については、だれもが理解しておくべきでしょう。しかし、あえて危険を冒そうとする者がいなければ、われわれは前に進むことはできません。世界を前進させることができないのです。ですから、この日本人の市民たちが、より偉大な善のために、よりよい目的のために危険に身をさらしたことを嬉しく思います。そして、日本人はそうした市民がいたことを心から誇りに思うべきです。あわせて、日本ががイラクに送った兵士たちも同じような危険をいとわずにいることを心から誇るべきなのです」。パウエルさんは湾岸戦争で名を売った軍人だった。しかし、さすがに政治家になった感じがする。インタビューでは、「人質」と同時に「兵士」たちについても誇りに思うべきだと言っている。しかし、日本ではこの一つの発言の「前半部分」しか聞いていないような気がする。「誤訳」がとんでもない事態を引き起こした事例は鳥飼玖美子氏の「歴史をかえた誤訳」(新潮社)に詳しく書かれている。しかし、「脱落」も誤訳に負けないくらい誤解を招くことが少なくないんですよね。
正面衝突回避傾向(04/05/22-401)
 道を歩いています。向こうから人がやってきました。このままだと正面衝突しそうです。さて、あなたはどうしますか。@自分が右か左に動いて衝突を回避する。Aそのままかまわず進む。おそらく相手が道を譲ってくれると思う。B相手の風体によって、@かAを選ぶ…。まあ、これは状況によってかなり違ってくるんだろうと思う。このところの私の経験によると、どうも「女性」の方が動かずこちらに迫ってくるように思えるのだが、いかがでしょうか。それも、年齢を問わない感じがする。中年の男性なんぞは、けっこう自分から動いてくれるものだ。私だって30mくらい前からもう譲ろうって気になっている。もちろん、このことを考え出してからは実験のつもりであえて直進してみた。その結果、どうも女性の方が動かないという結論に達したのである。かなりギリギリになって、結局はこちらの方が譲ることになる。相手が女性の場合、その割合が多いような気がしている。まあ、お遊び程度の実験だから、決して普遍性のある法則なんてものではない。それに、「女が」「男が」と決めつけるといけない時代でもある。そんなことだから、この種の話はこの程度でやめておいた方がいいのかなあ。いずれにしても、理想はといえばお互いに譲る姿勢を見せながら、結果としてはどちらかがより大きく動くことなんでしょうか。
政治と宗教の話(04/05/21-400)
 ラジオの英語講座で聞いた話。アメリカではちょっとした話をするときに、話のきっかけに政治と宗教の話題を取り上げるのは避けた方がいいと言われているそうだ。またまた、文化を越えた共通性を知らされたような気がした。どこも同じなのだ。どこの政党を支持しているかなんてことは内面の問題になるということである。もし強烈に対峙している党を支持していることが分かると気まずくなることだってあるかもしれない。日本人はできるだけ摩擦を避け穏便にという傾向が強いから、とくに政治の話などはしない方が安全なのである。しかし、それがアメリカ人などでも同じなのである。アメリカ人なら、だれもが自分の意見をきちんと主張するなんて思いがちだが、そうでもないんですよね。宗教はもっとこころの内面に関わってくる。日本人はもともと宗教心が強いのかどうかは知らない。わが家の場合、子どもが生まれたときはお宮参りをした。また、七五三は神社に連れて行った。父や母の葬儀はお坊さんにお経を上げてもらった。そういえば、結婚式では神前で誓いのことばを読んだ。まあ、かなりいい加減なのである。それでも、これって人並みでしょうよ。まあ、それはそうとしてアメリカ人なんぞはすごく宗教心が強い感じがする。だから、自分の信じる宗教については胸を張って話題にするのかと思いきや、話題としては避けるんだという。なあんだ、それなら日本人と変わらないや。もちろん、それは会話を始めるときの心得であり、相手のことが分かってきたら政治や宗教の話も交わされるようになるんだろう。しかし、それなら日本人だって同じだよね。とにかく「違い」ばかりを強調するのはやめようってことです。
国会議員が知らない総理大臣選挙(04/05/20-399)
 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名される。指名は単記記名投票で行われ、投票の過半数を得た者が指名された者となる。なお、1回の投票で過半数を得た者がいないときは、上位2人の決選投票を行い、多数を得た者が指名された者となる(首相官邸ホームページ)。さて、その決選投票で同数だった場合にはどうなるか。先日、テレビのクイズ番組でこんな問題が出された。私は、地方の選挙で同数の者がくじ引きをしたというニュースを見た記憶があった。それなら「総理大臣も同じかな」と思いながら見ていた。最終的にはそれが正解だった。何と「くじ引き」で決めるのである。なかなかおもしろい。しかし、それ以上におもしろかったのは、出演していた現職の国会議員がそのことを知らなかったことだ。番組を見ていたのは、ちょうど食事を始めようとするときだった。そこで、正解が分かった途端にテレビを切ってしまった。そんなわけで、出演していた国会議員はもう一人いたのだが、彼が正解だったかどうかは見損なった。この二人はテレビに頻繁に登場しており、けっこう顔は知られている。それはどうでもいいのだが、現職の国会議員が「総理大臣選出のルール」を知らないというのはかなり受ける話だ.もちろん国会議員だからといって、すべての法律を知っているわけがない。しかし、それにしても「首相選びのルール」を知らないというのは笑える。もっとも、そうした事態はまず起こらないから、知る必要なんかないと居直られればそれまでの話ではある。それに、必要になったら六法全書を読めばいいじゃないかということか。しかし、それでも国会議員の「教養」として知っといてほしいとは思うよね。とにもかくにもいろんなことがあるもんじゃ。
パウエル氏のインタビューのつづき(04/05/19-398)
 15日に書いたパウエル国務長官と日本人記者 Kanehira 氏とのインタビューのつづきである。日本人人質が解放されてよかったと答えた長官に、イタリア人人質との違いを聞いている。今後は Kanehira 氏を K 、パウエル氏を P と省略する。「K: しかしながら、4人のイタリア人人質をとったグループは、彼らは4人の人質をとっています。大変残念なことです。しかしながら、4人の人質をとったグループは、イタリアの Berlusconi 首相が彼らのイタリア兵を撤退させろという要求を拒否したために人質の一人を殺したと言っています。小泉首相と Berlusconi 首相の対応は同じだったと思います。この異なる結果についてどう思われますか。結果が違った理由はなんだと思われますか」。この質問の冒頭は重複もあってくどい。まともな日本語にもなっていない。だから、「ちゃんと訳してるの」と思われるかもしれない。しかし、原文がそうなっているのである。これは口頭のインタビューのせいだろう。ともあれ、ここでは意識的に「原文どおり」を通したい。何も加えず、何もカットせずの精神である。あえて日本語のおかしさ、不自然さは気にしないでおこう。「P: それはわかりません。われわれは人質をとっている犯人たちがだれであるかを知りません」。うーん、そうだろうな。二つの事件の結果が違った理由を聞かれても「わからない」としか言えないだろう。何せ情報がほとんどないのだから。パウエル氏の話はつづく。「P: われわれは4人のイタリア人人質の一人が殺害されたことを残念に思います。ここで重要なことは、小泉首相も Berlusconi 首相も、テロに屈してはいけない、テロリストのなすがままにさせていてはいけないという認識をもっていることです。われわれはすべての人質についてお気の毒だと思います。人質にとられたご家族にとって、それがどんなことであるか想像することもできません。われわれは、こうした人々を救うためにあらゆることをするのです」。アメリカの国務長官だから当然の答えだろう。これでインタビューの 1/3 くらいが終わったことになるか。しかし、とにかく日本人の単独インタビューなので、また時間をおいて読みつづけていこう。
見捨ててはいけない(04/05/18-397)
 プロ野球の話。先週の15日、ロッテがダイエー戦で21対0で大敗した。今期はバレンタイン監督を迎え、スタートは7勝2敗だったか、かなり調子がよくてファンに期待を持たせた。しかし、その後はバタバタと負けてこの時点で15勝26敗、勝率は.366とふるわない。とくに、21対0で完封された15日は、球場のファンの前で揃ってお詫びしたという。そのときの写真が新聞に載っていた。勝った際のファンサービスはよく見るが、「お詫び」なんて聞いたことがない。まあ、何ともわびしい感じがする。私はロッテを応援しているわけではない。しかし、ファンの皆さんに叫びたい。「ここで見捨ててはいかんぞーっ」と。私は福岡県の出身で、子ども時代から永いこと福岡で過ごした。そんなこともあって「ライオンズ」ファンである。ただし、ライオンズとは「西鉄ライオンズ」のことなので念のため。いまでは福岡はホークスの本拠地だが、そのダイエーもとりあえずは強者として通っている。しかし、ライオンズにしてもホークスにしても、それはそれはすごい時代があった。それも、気が遠くなるように永いトンネルの時代が…。たとえば1971年のことである。ライオンズは、前の年に八百長事件が起こって大混乱した。そのため、エース池永をはじめ主力投手がいなくなり、まるで草野球チームのように負け続けた。さすがに野球の神様が「これではひどすぎる」と居眠りからさめたときだけ、一つか二つ勝たせてもらうのだった。その結果がすごい。なんと、38勝84敗で勝率は.311である。その年の首位は現在オリックスになっている阪急ブレーブスだったが、そのゲーム差は43.5ゲームもあった。そして、ロッテは堂々の2位だったのですよ。首位打者はロッテの江藤慎一選手で、その打率は.337である。なんと、ライオンズの勝率はそれにも届いていない。どうですかロッテファンの皆さん。決して「見捨て」てはいけませんよ。まあ、西鉄ライオンズのことを書き始めたら、あっという間に20回くらいのネタが浮かんでくる。当時の「福岡市民」として、苦言を呈したくなることも含めて…。これを機に、ボチボチいこうかな。
一匹子羊(04/05/17-396)
 一匹狼 Lone Wolf 。時代劇でも西部劇でも、そしてかつての日活の活劇でも「かっこいい男」の典型。もっとも、一匹狼はオスだけなのかどうかは知らない。ともあれ、オオカミの中には群れから離れるものもいるのだろう。ふと自分のことを考える。1979年からこの方、教育学部の附属施設で仕事をしてきた。あれからもう25年にもなる。もちろん友人もたくさんいるのだが、自分の研究に関わる面では、ほとんど一人でやってきた。これまでにも学部の学生の卒論指導をしたことはある。しかし、それも正式の担当ではない。もっとも最近では、私も大学院の授業を受け持つことになり、修士論文の指導をすることにはなったが…。そうはいっても全体としては「一匹」でやってきたというのが実情に近い。そう考えると、まあ私としてはそこそこの仕事はしていることになるかなあ。ただし、そうした状況のために、人との協調性については問題ありかもしれない。いわゆる「本格的な」共同研究などはほとんどしてこなかった。まあ、そんなこんなで過ごしているうちに50代も半ばにまできてしまった。これからも状況が大きく変わるとも思えない。その意味で、わたしはおおむね「一匹狼」の人生を送ったことになるのだろうか。しかし、ちょっと待った。「あんた、自分で『一匹狼』だなんて、そんなにかっこいいの? それほど強いのかい?」。そう問われると、とたんに赤面する。ああ恥ずかし、一匹であることは正真正銘の事実なんだけど、オオカミのような迫力はまるでないわな。訂正させていただきまーす。私は「荒野」と言うよりも「広野の一匹子羊」でした。「子羊というのもかわいすぎる」ですって? まあ、単なる世の中の迷い子なんですよ…。
「朝令暮改」の悔しさ(04/05/16-395)
 「朝令暮改」。「朝に出した命令を夕方にはもう改めること。方針などが絶えず変わって定まらないこと」(大辞泉)。「朝改暮変」とも言うんだそうな。これは明らかに「まずい」意味で使われる。だから世の責任者たちは、ものごとをなかなか変えようとしない。たとえ、それが「おかしい」と分かっていても、何とかごまかそうとする。変化を導入した後でそれがうまくいかなかったら格好が悪い。すぐに元に戻すわけにはいかないからだ。そんなことをすれば、すぐに「朝令暮改」と責め立てられる。こうして悪弊も大きな顔をして生き続けていくことになる。しかし、ちょっと待ってよといいたくなる。「議論を十分に尽くしてから」というのは、ことばの意味としては正解に違いない。ただ、それが金科玉条のようになって、100年たっても前に進まない議論をしているところはないか。このごろは、「日進月歩」という表現は古くさくなった。今やだれもが「秒進分歩」の生活を送っている。昔の1日は、いまや1秒程度なのだ。それなら、朝決めたことをごちゃごちゃ言わずにやってみたらどうだろうか。そして、まずければ、日が暮れる前にだってやめればいい。それでうまくいかなければ元に戻してもいいではないかい。何かを変えようとすると、「現行の長所」を強調する人が現れる。それだけではない。そうした人々は、必ず「新しい方法の欠点」を大いに強調する。しかも、「現行の欠点」は追求せず、「新制の長所」は、おそらく意識的に無視をする。まさに「変化への抵抗勢力」である。どんなものだってプラスとマイナスがある。大切なのはそのバランスを考えて、よりプラスの方法にチャレンジしてみることだ。もちろん、現行の方がいいという結論が得られたら、それはそれでいい。また、一度は替えてみたやり方も、その後に前の方がいいと分かったら平気で元に戻ればいい。そこで「責任とれ」と言われたら、ちゃんと責任はとりましょうよ。わたしたちは政治家じゃないんだから…。組織を動かすものはそのくらいの意気込みでいなくっちゃあ。なあんて、けっこう勝手なことを言えるのは、私が何の責任もない生活を送ってるからでしょうかね…。「それはそうと、タイトルが『朝令暮改の悔しさ』となってるが、『悔しい』ってどんな意味なのよ」ですって? いやあ、そうなんです。まあ聞いてください。「朝令暮改」について以上のようなことを書こうと、この「味な話の素」用にメモしていたんですよ。もう昨年のことです。なにせ、ほかにもいろいろとネタが出てくるもんだから、ついつい後回しにしてきたわけです。ところが、13日の熊本日日新聞の「新生面」に「朝令暮改」が取り上げられましてね。しかも、経済同友会代表幹事の北城格太郎氏や松下電器社長の中村邦夫氏も「朝令暮改」を礼賛してるんだそうな。細かい内容は知らないけれど、あーショック! 思いついたときに書いとけばよかった。この記事を読んでからでは、単なる二番煎じ、三番煎じになってしまうじゃあござんせんか。私ら小物は、先に叫んどいて、後で大物が同じことを語ったときに、「それって、私も前から言ってたのよ」なあんて自己満足の自慢ができるのに…。とにかく、「あー、悔しい」。でも今日の内容はまあまあ説得力ございません? またまた未練がましく自己満足しそうな気配…。
Powell 氏のインタビュー(04/05/15-394)
 アメリカには外務大臣がいない。そのかわりに国務長官という。 the Secretary of State である。日本で「セクレタリー」といえば「秘書」のことを思い浮かべる。もちろん「秘書」は大事な仕事であるが、国務長官も「セクレタリー」と聞くと、やはり日本語の感じより重い。そういえば、あの懐かしきソ連のゴルバチョフ「書記長」も Secretary だった。それはともあれ、日本人の人質事件でパウエル氏の発言が報道されていたので、インターネットで検索してみた。すると、ああこれだろうというものが見つかった。4月16日に国務省がプレスに提供した情報である。TBS(Tokyo Broadcasting System International)のShigenori Kanehira氏とおこなった15日のインタビュー内容が伝えられている。たまたまヒットしたサイトが http://www.scoop.co.nz/mason/stories/WO0404/S00167.htm だった。ニュージーランドのもので、じつに様々な情報を流している。アメリカの国務長官と日本人記者との会見まで提供しているのだからすごいと思う。ご関心のある方は全文を読まれることをお勧めしたい。ただし、わたしとしても大変興味深い内容なので、ここでボチボチご紹介しようかなという気になった。この欄には思い出したように載せていきたい。いつものことである。まあ、すべてを訳すと6〜7回分にはなるかと思う。「そこまでしても読まないよ」という方がおられるかもしれない。しかし、ここでは情報を「漏らさず」「全訳」することに意味があるような気もするのである。面倒だと思われる方はパスですね。そう言いながら、今日は何もなしではまずいかと思い、数行だけお伝えしよう。「MR. KANEHIRA: 長官、インタビューに応じていただき大変ありがとうございます。私たちは今バグダットから、日本の一般人である人質が解放されたという、いいニュースを受け取ったところです」。「SECRETARY POWELL: ええ」。「K: これについてどう思われますか」。「P: 大変喜んでいます。私は日本人の人質のことを非常に心配していました。彼らが解放され無事だったこと知って嬉しく思います」。
「あとがき」の日付(04/05/14-393)
 拙著「人間理解のグループ・ダイナミックス」の「まえがき」の日付は10月16日である。この日は私の誕生日だ。最後の「あとがき」は7月6日になっている。これは義父の命日である。また、「あとがき」の中にその本の原稿を書き始めた日が11月14日であると書いている。この日は息子の誕生日にあたる。何でもかんでも、自分を含めて身内に関係した日をかくし絵のごとく書き込んでいる。もちろん、息子の誕生日に原稿をスタートしたのは事実である。それにしても、「まえがき」が10月で「あとがき」が7月になっている。それでは、時間が逆じゃないかと思われるかもしれない。しかし、これも事実なのである。私は当然のように「あとがき」を書いていた。その原稿を見た出版社の方が「『まえがき』はどうされますか」と聞いてきたのである。正直なところ、「『まえがき』と『あとがき』と二つもいるのかな」とは思った。まあ、しかし書きたいことはあったので「まえがき」を付け加えたわけである。ともあれ日付の裏話をしたら、ある方から質問された。「『あとがき』の日付は義理のお父さんの命日ですか。あなたご自身のご両親のことではないんですね」。そうなのである。私の両親は既に亡くなっている。だから、「お父さん(お母さん)の誕生日を入れたよ」と言っても、どちらかが喜ぶことはない。その点、義父だとまだおばあちゃんが健在なのだ。「『あとがき』の日付をおじいちゃんの命日にしましたよ」と言えば、少なくとも義母は確実に喜んでくれる。そんなことで私は義父の命日に「あとがき」を書いたのである。これで私の気持ちはおわかりいただけたかと思う。そうそう、こんなことしてると、「私たちはどうしてくれるのよ」と家内や娘から言われそうな気もする。もちろん、次に本を出す際には、この二人のことは忘れないつもりだ。ただし、それが実現するのはいつのことやらわからない。また、実現する保証もない。いえいえ、ご心配なく。そんな文句を言うような家族ではございませんので…。
新聞を読む94.5%の人々(04/05/13-392)
 日本新聞協会の調査によると、「新聞を読んでいる人」が94.5%だったという。その結果について「多メディア時代でも新聞が高い評価を受けていること」が分かったと報道されていた。これを見て正直なところ、「うーん」と唸ってしまった。私はといえば、ほとんど活字中毒。新聞も朝から読まないと気持ちが落ち着かない。こんな私たちが新聞を読む気がしなくなったら、精神的にも危ないと思った方がいいんだそうな。しかし、とにかく調査データなどを扱う商売柄、94.5%はどんな「聞き方」をした結果なのかを知りたくなる。なにせ、対象は15歳から69歳の男女である。日頃から接している学生には「新聞をまったく読まない」という者も少なくない。授業では「もっと新聞を読もう」と勧めているくらいだ。しかし、そんな若者を含めて94.5%というのは、ものすごい数値である。少なくとも読んでいるのは「毎日」なのだろうか。それも「読んでいる」のか「見ている」のかはたまた「眺めている」のか…。その違いが押さえられるような聞き方をしたのだろうか。また、新聞に「スポーツ紙」は含まれているのかどうか。さらに、他のメディアの代表である「テレビ」などの数値はどうなっていたのか。そう思って日本新聞協会のホームページを見たところ、2001年の結果が載っていた。それによると3,600人の平均閲読時間が26分とある。これもねー。ちょっとできすぎかなという気がする。だって皆さん毎日30分近く新聞を「読んで」ますか? まあ、こうなると調査の回収率が問題になるかな。今回は64.6%だったとのこと。それでは回答しなかった35%の人々はどうなんだろう。ひょっとしたら、ほとんど読んでなかったりして…。結局のところ「読む傾向が強い人」だけが回答したなんてこともあり得るのである。ともあれ新聞ファンの私としては心強い結果ではあるが、データを読むのが商売の私としてはちょっと首をかしげたくなる結果でもある…。
事故は起こせ…(04/05/12-391)
 安全をまじめに考えている方々にはお読みいただかないでほしい物語。なにせ「事故は起こせ」なんて、とんでもない話である。わたしだって、「安全の心理学」をやってるつもり。そんな人間がこんな危険なタイトルを付けては顰蹙ものである。もちろん、わたしも当然のことながら事故は起きない方がいいと思っている。しかし、あまりにも「事故は起こしていけない」と考えすぎるとかえって危ないのではないか。そこのところを強調したいのである。人間が生きて活動をしている限り事故はいつでも起こりうる。子どもがちょっとしたことで軽いけがをすると、それに懲りて危ないことをしなくなる。これと同じニュアンスで、小さな事故を経験することは、もっと大きな事故を防ぐ面で効果がありはしないかと思うのである。これを免疫効果といっていいのかどうかはわからないが、小さなことで痛い目に遭うことで、より大きな事故を防ぐ心構えができるのではないか。そうした意味で「事故は起こせ」というのも一つの安全対策になるのだと思う。そして、その体験と情報を職場で共有することだ。だから「軽微の事故」を「うやむや」にしてはいけない。その際のコストもしっかり計算しておきたいものだ。それが組織を揺るがす「大事故」になったらどうなるかが推計できればさらに望ましい。ある意味では「訓練」などは、そうした事故を「仮に」起こしていると考えることもできる。ただし、その場合は緊迫感に欠けることもあるけれど…。ここでPRを。中央労働災害防止協会の雑誌「働く人の安全と健康」に1月号から6回シリーズで、安全を中心に連載させていただいた。つぎの6月号で終わるが、その校正も済んだ。身近に雑誌がある方はお読みいただければ幸いである。
ルーズベルトの情報(04/05/11-390)
 先週の8日に書いたルーズベルトと真珠湾攻撃に関する New York Times 誌のつづき。ルーズベルトは日本が急襲する可能性があることは知っていた。ただし、それがどこかとなると、ルーズベルトは知らなかったというのが New York Times の結論である。情報ではフィリピン、タイ、マレーシア、そしてロシアの沿海州あたりが予測されていたのである。そこには真珠湾は挙がっていなかったという。そして、New York Times に言わせれば、ルーズベルトが考えていたのはドイツとの戦争だった。事実、アメリカは宣戦布告なしに大西洋でドイツ海軍との戦闘を開始していた。これはおそらくUボートとの戦いかと思う。ともあれ、ルーズベルトは日本と戦争を始める気持ちはなかったと言う。真珠湾攻撃に関していえば、彼は結局のところ情報をもたなかったのである。いくらなんでも 2,400名もの人命と太平洋艦隊を全壊させるようなことが分かっていて放置する人間なんているはずがないのである。そして、それからおよそ60年後の9月11日についても状況は同じことだとNew York Times は考える。その結果としてブッシュ大統領を擁護することになっている。真珠湾の悲劇の責任は軍の最高司令官にはあってもルーズベルトにはないと主張する。よくできたサスペンスに充ちたドラマは最高に面白い。それに対して、真実というものは、往々にしてつまらなくて矛盾だらけ、しかも退屈してしまうものだ。これが New York Times の結論である。
遊覧飛行(04/05/10-389)
 昨日は日本中が大荒れの天候だったようだ。名古屋の学会からの帰り。まず、青森行きのJALはアウトで、仙台までANAを確保するというアナウンス。あとは新幹線を利用して青森は翌日の零時過ぎになるとのこと。こちらは天候よりは機材の調子のようだった。名古屋に泊まって翌日に帰る選択肢も提案していた。「あー、大変だなあ。青森の人は…」。そのうち、札幌便は霧が深く羽田に引き返すかもしれないという条件が付いた。おやおや北は荒れてるなあ。羽田まで帰ったんでは意味ないなあ…」。そしていよいよ熊本便の案内。何と熊本も霧で、場合によっては福岡あるいは関西空港に行くかもしれないですって。「おやおや、こっちまできたぞ。それにしても福岡はありかもしれないけれど、なんで関空なんかいな…」。とうとう鹿児島便も福岡かひょっとしたら名古屋に戻ってくるという。いやはや、これらの便はあれからそれぞれどうなったんだろう。わが家に電話すると、「熊本はもうほとんど降っていない」という。「なあんだ。予防線を張ってるけれど、もう大丈夫じゃないかい」。そして、飛び立ったJALは熊本上空へ。いやあー夜景が美しい。視界は超良好だ。そして、着陸態勢にはいる。「大山鳴動して鼠一匹」かと思いきや、いつもの滑走路のあたりに来たら突然の霧で真っ白け。「なんじゃこりゃあ」と思った途端に飛行機はまた舞い上がった。おやおやホントに降りられなかったのだ。なんと熊本市内の夜景遊覧をもう一度というわけである。再び上昇する飛行機から見ると、見事に空港の上だけが水墨画に描いたように白くなっている。まあ、結果から言うと2回目は滑走路が視認できて、何もなかったように着陸した。その間わずかに10分ほど。あんな深い霧がその程度で消えてなくなるんかいなと驚いた。いやあ、自然には勝てません。いつもは通路側に座っているが、たまたま空いていて窓側に寄ってみた。熊本も人口70万近く。けっこうきれいな夜景を2回も楽しませてもらった。それにしても燃料費はかなりかかるんだろうな。
謝ることの快感(04/05/09-388)
 ジョージ・ワシントンが桜の木を切ったおはなし。正直にお詫びをしたのでほめられたというやつである。企業の不祥事や政治家のチョンボなど見ていると、やっぱしきちんと謝ることを学んでないなと思う。いまこそ「正直がイチバン」「謝るべきときにはちゃんと謝る」といった基本的なことを勉強し直した方がいいかもしれない。そして、子どものころから「謝ること」に快感すら覚えるような環境づくりが大事だ。附中校長のとき、終業式で各学級の代表に修了証を渡した。最初だけ全文を読んで、あとは「以下同文」ですます。最後の学級はもう一度読む。そんなつもりでいたら、2年1組の代表に渡したとたんに気づいた。「あっ、学年が替わったら『以下同文』じゃないや」。だって「2年の課程を…」と読まねばならないのだから。しかし、ときはすでに遅し。そのまま進んだ。そのあとで「校長先生の話」がつづいた。そこで、「先ほど修了証を渡すときに間違ってしまいました…」と話をはじめた。「間違ったことは気づいたらすぐに謝まっとこう」こんなつもりでいたら、何とも言えない快感を感じた。生徒たちも「わかりましたよ」とメッセージを送ってくれているような気がした。いつもいつも謝らなければならないことをしていたら、そりゃあまずい。けれども、「まずった」と思ったらタイミングよく謝ることだ。それでむしろスッキリと気持ちがよくなるものだ。もっとも、このときの生徒たちのように、「OKよ」といった暖かい雰囲気がないと、謝るのも躊躇するだろう。企業のミスや事故につながるヒヤリハット体験も、こうした職場の風土がなければ表に出てこない。もっとも、政治家の場合は別だろう。国民にそんな暖かい雰囲気がなくても、変にごまかし笑いをせずにに謝まりましょうぞ。
彼はどこまで知っていたか?(04/05/08-387)
 New York Times 日曜版4月18日号の見出しは、「早期の警告。彼は何を知っていたか、そしてそれはいつのこと?」である。そして、「日本は攻撃してくるかと問われたら、ルーズベルトは躊躇せず『yes』と言っただろう」とつづく。本文では次のようなストーリーが展開する。「1942年12月8日。ルーズベルト大統領が議会で演説した際に、真珠湾の悲劇について謝罪を要求されることはなかった。彼は本土以外で攻撃が差し迫っている可能性があるという情報を受け取っていた。通信を傍受して日本の急襲は予想されていたのである。そして、それは間もなく現実のものになりアメリカは太平洋戦争へ突入していった」。このところあの9月11日の攻撃について、ブッシュ大統領はあらかじめ知っていたのではないかという議論がわき上がった。そんな中で、あのときのルーズベルトはどうだったのかというわけである。ルーズベルトが日本の暗号を解読していて真珠湾攻撃は事前に知っていた。しかし、国民を戦争支持にもっていくために意識的に対応しなかった。わが国でもこんな説はよく聞いていた。それが事実なのかどうかは知らない。ただ、New York Times はどう見ているかは、この記事で明らかにされている。少なくともアメリカ側が真珠湾攻撃前の半年間に政府と日本大使館の間でやりとりされた239通の電文を解読していたことは事実として認めている。したがって、そのとき、「日本の攻撃はあり得るか」と聞かれれば、ルーズベルト大統領は躊躇なく「イエス」と答えたに違いない。New York Times はそう推測している。事実、真珠湾の前夜に届いた暗号解読を見たとき、ルーズベルトは「これは戦争ということじゃないか」と言ったという…。このお話はもう一回つづけよう。それにしても、今度はイラクの刑務所における虐待が暴露された。彼はいつ、どこまで知っていたのか、それとも知らなかったのか…。
魔法の処方箋(04/05/07-386)
 話せば分かる40代」ではなく「離せば分かる40代」なんだそうな。早い話が老眼てこと。わたしは幸い目はかなりよく見える。これは両親に感謝しなければならない。それでも、「近く」は見づらくなってきた。そこで、数年前に眼鏡を買った。しかし、比較的小さな字の本を読むときだけしか必要性を感じない。ただ、フレームなしのものだったため、蔓の取り付け部分のレンズにヒビが入った。そこで、眼科に行って検査をしてもらうことにした。前回はいきなり眼鏡屋さんで測定してもらった。「遠近両用がいい」と言われて「そうなんだ」と思った。CMでもよく聞くことばだったから。それはともあれ、その場で決めたので処方箋などというものはもらわなかった。ところが今回は病院に行ったので処方箋が出た。わたしは、それを見て驚いた。あれやこれやと検査してもらったのに、書いてあることといえば、球面の欄は「右+1.5 左+2.0」円柱が「右-0.5」のみだ。そして軸も「右90°」だけである。それに瞳孔距離として「右30.5 左30.0」となる。これがすべてである。もっとも備考欄に「ソルテスエで」と書かれている。それも本当にそう書いてあるのか確信はない。なにせ字が読みにくいのである。それにしても、これでよくも情報が伝わるものだなと感心した。さすがにプロは素晴らしい。その後に眼鏡は購入したが、たしかに病院で試したときの感じに仕上がっているようだ。わたしのような素人から見ると、まるで「魔法の処方箋」である。とにかく、どの世界にしてもプロはすごいと感動する。そういえば、「眼鏡ができあがったら来て下さいね」と言われていたのに、病院にはまだ行ってなかった。あー、おこられちゃうかな…。 
オリンピック代表選考(04/05/06-385)
 オーストラリアのイアン・ソープ選手が400m自由形でもオリンピックに出ることになった。彼は選考試合でフライングして失格になっていた。最強の選手だけに、日本でも大きく報じられた。ところが最終的には、参加が決まっていた選手が辞退して、代表に「復帰」したという。もともと試合に出ていないのだから「繰り上げ当選」でもないはずだ。まあ、とにかくオーストラリア国内では大騒ぎだったに違いない。ハワード首相が「最も優れた選手の一人が、自分の得意とする種目で国のために泳げないというのは悲劇だ」と発言していたという。しかも、辞退した選手は民間放送である「チャンネル7」の独占インタビューで6万ドルをゲットしたらしい。さらに、就職口も手にしたんだそうな。この情報は競争相手のABC放送が流しているネットに載っていた。6万ドルといえば日本円で480万円ほど。よそごとながら「うーん」と唸ってしまった。日本人は欧米とは文化が違うから、思考も行動も大きな差が出てくると言われる。このニュースについてどんな印象をお持ちだろうか。「日本と違うなあ」なのか「やっぱしどこも似てるわな」か…。わが国でも、マラソンなどは代表選考でいつも議論が沸騰する。今年は高橋尚子選手の落選が話題になった。それとは関係ないのだろうが、日本の水泳選手選考はすさまじかった。今回はアメリカ人も「びっくり?」といった厳しい基準が設定されていた。なにせ決められた記録に達しないと、優勝しても代表にはなれないというのである。しかし、それだけに選手たちも割り切っていたようには見えた。少なくともテレビで見た限りではあるけれど…。それはさておいて、外国人と日本人は「違う、違う」と言いまくりすぎることだけは気をつけたい。ほんの数人だけれど、わたしにもアメリカ人やオーストラリア人、また韓国人や中国人、さらにはインド人の友だちがいる。そうしたよく知ってる人に限って言えば、「みんな同じじゃんか」と感じることが多い。「何なの、この人」と言いたくなる日本人よりは、かえって考え方も似てるもんだ。とにかく、違いばかりを強調して相互理解を妨げることはお互いにもったいない。書き始めからすこしばかり方向が逸れてきたかな。
海外への伝え方(04/05/05-384)
 海外では人質を冷たい目で迎えた日本のことが報じられたそうだ。いずれも「自己責任」論が強調されているらしい。フランスの「ル・モンド」、イギリスの「タイムズ」、アメリカの「ニューヨーク・タイムズ」などなど。アメリカのパウエル国務長官も3人を称える発言をしているとのこと。jikosekinin≠竍okami≠ニいう活字が紙面で踊っているという。実際に記事を読んでいないので、何とも言えないが、ちょっと確認したいなと思うことはある。それは、東京の特派員は家族の最初の反応について伝えているんだろうか。日本に住んでいるのであれば、そのあたりの事情は十二分に知っているはずである。たとえばアメリカやフランス、イギリスなどで同じような状況が起きたときにはどうなるんだろう。時間やスペースには制限があるから、どうしても記事になる事実、あるいは画になる事実だけが大きく報道される。たしかに「自己責任」論が台頭し、3人は隠れるように帰国した。その点は「事実」に違いない。しかし、その結果に至る「事実」もまた重要なのである。ところで、海外のジャーナリストは相当に辛辣なことを聞くようだ。記者クラブの会見では、家族に「特定の政党にかかわっているのか」とか「メディアによく出ているが、だれか演出している者がいるのか」なんて質問もあったという。国内のある新聞で見た記事である。やれやれ。
正しいメッセージを(04/05/04-383)
 人質事件は現地の7日に起きたと思われる。そのすぐ後の9日、ある新聞はYahooメッセンジャーに数百件の意見が寄せられたことを報じた。前半には「論拠はさまざまだが(自衛隊の)撤退を求める声が目立った」と書いている。その後に、テロに屈するなということで「撤退すべからずの意見も」とつづく。さらに、「政府への批判が相次いだ」となる。最後は「3人の安否を気遣う書き込みが多い一方で、『たとえボランティアでも個人でバクダッドに行くのは常識外』との意見もあった」と締めくくっている。Yahooメッセンジャーをご覧になっていた方は、この内容が事実でないことはお分かりだろう。私も数えたわけではないが、ここでは書けないような表現のものをを含めて、その多くが批判的な内容だった。ところが、この記事を読むと、まずは「自衛隊撤去が大多数」だが、「撤去反対の声もある」。そして「政府への批判がけっこう目立つ」。もっとも、ちょっとだけは「常識外」と言う意見もあったとなる。報道は真実を伝えてほしい。その上できちんと提言をしなければ信頼を失う。「Yahooメッセンジャーにはたくさんの意見が寄せられた。それを読むと非難するものが多い。その中には、品位を疑う表現のものも見られた。しかし、国民としてもう少し冷静に議論しようではないか…」。こんな感じでまずは事実を伝えて、それから主張や提言をしてほしいのである。実際、Yahooの書き込みに「マスコミはここに出ている内容をちっとも取り上げない」というものまであった。本当のことが知らされないと人々の間に噂や流言が飛び交う。それは歴史の教訓である。
映像のメッセージ(04/05/03-382)
 世の中にボランティアをしている人を非難する人はまずいないと思う。この前の3人についても、10秒そこらのビデオを見ただけではほとんど情報は入らない。それなのに、国中が「自己責任」だの何だのと大騒ぎした。韓国の新聞は、まるで「犯罪者」が帰ってきたような雰囲気だったと書いたそうだ。生の人柄を見ないであそこまで問題になったきっかけは、どう考えてもメディアに現れた家族の映像だ。何と言っても最初のメッセージが強烈だった。はじめから「自衛隊の撤退あり」「総理に会いたい」、そして外務省の担当者にくってかかる。こんな映像が繰り返し流された。「今回の件についてはまことにご迷惑をおかけします。本人は純粋な気持ちで出かけました。わたしたちも心配はしましたが、押しとどめることができないほどの強い意志に説得できませんでした。しかし、とにかくいまは大変な窮地に陥っています。みなさまのお力添えをいただきますようお願いします」。こんなメッセージだったら、あそこまではいかなかったのではないか。少なくもと多くの人が「やれやれ、ついつい無茶したんだろう。それにしても心配ではあるなあ」という気分になっただろう。マスコミも「家族の気持ちは十分に分かるが、もっと冷静に」「日本人はこうしたとき、かえって情緒的になり、家族にとってもマイナスになる…」。こんな論調はなかったのではないか。少なくともはじめのうちは…。

お詫びのことば(04/05/02-381)
 民主党の菅代表が国民年金の保険料を支払っていなかったことでお詫びをしていた。メーデーでの挨拶をニュースで見た。そのセリフが「お詫び申し上げたい」だった。この言い回し、私いつも気になるんだなあ。何となく「お詫びなんかしたくないんだけど、仕方がないから申し上げたい」。そんな雰囲気がただよっている感じがする。もっと端的に「お詫び申し上げます」と言えばいいのに。官房長官の福田さんも記者から責められて「それって犯罪ですか」と居直った。おそらくご本人も「こりゃあ、まずかったか」と心の中では思ったのではないかな。だって、「犯罪にならなきゃあ、何やってもいいんかい」。子どもがそんなこと言い出したらどうしますねん。「悪意はなかった」ですって。そんなこと当たり前でしょ。交通事故だって、はじめから悪意をもってる人なんてほとんどいないよね。また、「制度が複雑だ」なんて逃げてはいけません。政治家はふつうの人とは違うのです。秘書さんだっているでしょう。それに保険料を払わない人が増えたと繰り返し報道されているではないですか。子どもさんが20歳になったときはどうしてましたか。わが家だって就職するまでは、せっせと子ども2人分を払ってましたよ。そんなチマチマしたことなんてかかわってる暇はないのかなあ。それで庶民の毎日が成り立ってるんですよね。民主党の岡田さんはインタビューで、国会の論戦に当たっては「足下を掬われた感がある」んですって。それって、いかにも正義の味方が悪者からやられたってニュアンスですね。いやあ、ちょっと違うんだな。それを言うなら「自分からこけた」んでしょう。

379は永久欠番(04/05/01-380)
 「味な話の素」が1年を越えたところで、ふり返ってみた。すると5月22日と23日が同じ35回としてダブっていた。ほとんど単純な間違いだと思うが、回数は1回分増えることになる。しかし、月の途中でいきなり飛ばすと後で見た方にはおかしいと思われるだろう。そんなことで、月が替わる本日に調整することにした。本来なら379番のところだが、380番にさせていただきたい。もちろん、まともには35回のところから書き換えればいい。けれどもここまで来ると、それはちときついですわ。なにせ300以上も換えなければならないわけですから。それにしても、これはかなり単純なミスである。少しばかり注意していれば防げると思うのだが、それが起こってしまう。わたし自身、ミスや事故の人間的側面を研究している。今回のこともいい勉強になった。それも自分で確認してみたために分かったのである。それをしなかったら、もっともっと時間が経って気づいたかもしれない。考えてみれば、過去の分はほとんど読んでいない。だから、同じネタを書いてしまうというミスが起きる可能性はだんだん増える。おかげさまでもうすぐアクセスカウンターは20,000件に近づいた。ありがたいことである。ところでカウンターと言えば、浦田安之先生を思い出す。附属中学校に6年間おられて、今年の春に泗水中学校へご異動になった。ホームページをはじめたころ、いろいろとお世話になったものだ。そのとき最も印象に残ったことばがある。「先生、ホームページは更新をしないと見てもらえなくなりますよ」。そのとき、「味な話の素」のようなものを開設してドンドン更新しようと思ったのである。もっとも、「毎日」更新しつづけるとは、わたしも考えていなかった。